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2025-10-27

投資モチベーションは、死の恐怖である

投資モチベーションは、死の恐怖である

そう言うと、大抵の連中は笑う。「いやいや、私は将来の安心のために」「お金勉強楽しいから」などと、自己放尿まみれの弁解を始める。

だが、俺に言わせりゃ、それは単なる恐怖の言い換えだ。

投資とは、死を延期する儀式だ。

カネを持てば老いを遅らせ、治療を受け、快適な環境で死を遠ざけられるという幻想を買う行為

まり投資家の手はチャートではなく棺桶の蓋を握っている。

どんな高尚な経済理論をまとっても、その動機の根は「死にたくない」「朽ちたくない」「無になりたくない」という原始的叫びだ。

笑止千万なのは、連中がそれを合理性と呼ぶことだ。

死の恐怖駆動されていながら、「長期的視野」だの「資産形成」だのと、まるで文明的な行動のように取り繕う。

これこそが知的自己放尿だ。恐怖を知性でコーティングして、「俺は賢い」と自慰してるだけ。人間は死を自己放尿の臭いごまかす。

だが、俺から見りゃ、投資とは死、欲、虚栄のトリプル放尿だ。

死への恐怖が動機であり、欲望が燃料であり、虚栄が演出だ。

FIREを目指してます」「配当金で生きたいです」その裏には「死にたくない」「誰かよりマシに死にたい」「死ぬ瞬間に勝っていたい」という、動物欲求しかない。

まり投資家とは、死に対して最後までカネをぶっかけ抵抗する原始人だ。

真に冷徹な者は死を受け入れる。カネが増えようが減ろうが、死というイベント統計的期待値は1.0で確定している。

それを直視できずにリスク分散だの複利効果だのを口にする連中は、死から目を背けて自己放尿を垂れ流しているだけだ。

投資グラフ右肩上がりでも、人間寿命グラフは右肩下がりだ。

その二つの線が交わる点、それが人間最期だ。

からこそ言う。投資モチベーションは、死の恐怖以外にあり得ない。

そして、今日も誰かがチャートの前で、死と向き合う代わりにトリプル放尿している。

Permalink |記事への反応(1) | 03:39

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2025-10-25

働き詰めで死にたい

結局、それが一番楽な生き方なんじゃないか。働いている限り金が手に入る。余計なことを考え不安になることもない。

Permalink |記事への反応(0) | 00:05

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2025-10-24

A3サイズ世界を変える、四畳半の戦い

7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。

自分企画した仮設の公園シリーズデザイン制作物を依頼する場だった。

まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズ世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息ストローの袋を吹き飛ばした気がする。

その後に作ったA3フライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。

それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。

HさんはあれからマジでA3サイズ世界を少しずつ変えてってると思う。

先週、哲学対話研修をしに来てくれたNさんに

「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。

Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。

誰が哲学を遠ざけ、対話しようとする人を傷つけてきたのか。

哲学と、対話という言葉意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。

今の自分は、どうだろう。

「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくそ感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。

どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。

思い出すと自分も「A3世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。

少し前、自分臨時職員だった。アート教育に関わる仕事給料は月13万円。

周りの正規職員は倍くらいの給料をもらってる。

でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。

アーティストクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。

それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。

先にコンビニおにぎりホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。

同じ部署臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。

上司は定時で帰宅して、赤ちゃん風呂に入れるという。

それは素晴らしいことで、自分今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないかしょうがないんだ。自分子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。

「カタパン説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司うまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」

大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックライブを初めて聞いて衝撃を受けた。

退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。

こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。

そこには市民有償ボランティア制度サポートスタッフがあった。入りたいと思った。

でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイト経験した。

3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフ登録する。

“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日教育普及の職員に付けられたあだ名

理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分否定しなかった。

ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。

もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。

自分も笑われているのに。

どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。

周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。

周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない

自分自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。

ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。

今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。

常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。

付き合いの長い上司からあなた専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。

しか自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。

伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。

今の自分は、どうだろう。

昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶ジュースミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。

コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。

離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。

祖母隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。

「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。

飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護仕事を諦めたそうだ。

介護仕事給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。

彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。

彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。

おもわず隣の大学生がもらい泣きして、タオルで涙をぬぐう。

そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。

自分も鼻の奥がツーンとして小さな涙を指で拭う。

この場所では、泣いても誰もバカにしない。

最後彼女は「いつか絶対介護に戻りたい」と話してくれた。

その姿は強くてまぶしくて思わずみんなで応援した。

尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。

自分は、館長の本棚にあった「公共役割とはなにか」という本をもらった。

館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。

まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、

公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。

人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。

それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。

形のない、透明なお墓みたいな時間場所

誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。

小学生がうちの施設社会見学に来たら「メディアテクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターインターネット映像、照明、音響かいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいもの想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディアテクノロジーひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。

このアートセンターでは、メディアテクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって

例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。

日立ち寄ってくれた年配の2人組。

少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。

これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。

男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。

その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクト大事」とか「経営的な戦略必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。

いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。

簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界絶対間違ってる。

世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手世界を掻き回すことじゃ絶対にない。

世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい

ここに生きてる人間がいますよ。

この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。

「人の心に反射したその光こそが作品作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。

心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。

収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。

言葉日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。

先週も大学を訪ねたら「アート自分には縁がないもの」と学生匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。

でも自分アートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。

あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。

ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。

自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。

しか自分文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。

それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。

昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。

朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生ブラインドトークワークショップに参加させてくれた。

10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。

5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。

その後のフィードバック時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。

から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気テイストイラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。

どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。

最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっち説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。

ほんとは完璧コミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。

みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう

先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生先生も全員サポスタに登録して欲しい。

同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これからまれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。

トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリータンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護夜勤ウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しVtuberスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛カップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話コントをやる芸人も、補聴器電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いす山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島保育士を探す町長も、推しジャージライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<

Permalink |記事への反応(0) | 17:36

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2025-10-22

鬱っぽいのか郵便受けを2ヶ月開けられなくて、やっと開けたらJAFの振込用紙が来ててもう期限失効して退会されてた

死にたいなー、せっかくだから車で死のうかな

Permalink |記事への反応(1) | 20:55

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anond:20251022112115

実家に帰ってカーテンも開けれずに昼まで寝て、ドアの前に置いてあるカーチャンの作ったご飯申し訳なく思いながらも1歩も動けず、そんな自分無能死にたいと責め続ける生活

今の仕事を比べて、選択すればいいんじゃない

それで決めたのなら後悔ないでしょ

Permalink |記事への反応(0) | 16:20

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2025-10-21

https://anond.hatelabo.jp/20251020151902

当方アラサーワーママ業の者、ありえないくらオナニー狂い‼️

物心は'""そこ"""からついたんじゃないかというぐらい未だに狂わされています‼️助けて‼️誰にも相談できないよね…家族にも、医者にも。病める時も健やかな時も、仕事で怒られた日も、第○子が産まれた日も…(会陰切開なしの裂けなし優秀ま○こです✌️)

どこにいくにも電マが手放せない。義実家にも密かに持ち込んでいる。手マンだと60分かかる1絶頂も電マなら2〜15分だからね。これを3〜4回しないと寝られないってわけ。ワーママなので、時間に追われているんだ。

別件で、一回メンタルやって薬飲んだら性欲減退したんだけど、これが地獄だった。オナニーストレスも晴らしていたんだね。知らなかった、己のことなのに。地獄過ぎて、医者になんか〜体に合わないカモ…笑とかいって別の薬に変えたけどメンタル系って結構減退するぽくて結局メンタルは日にち薬と環境の変化でマシになった。した。

ちな、セックスオナニーは違う派です。私はセックスは好きじゃない。エロ漫画AVセックス幻想だと知って愕然としたけど、オナニー自由だった。早くヒダヒダが抉られてお"ほ"ぉオ⁉️とか言うてみたいもんだ、そしたらオナニー狂いでなくセックス狂いとしてまだ、世間様に理解していただける気がする。

マジで痴呆にならないことを祈ってる。老人ホームで一日中オナりまくる老婆になるのか?それを我が子たちに見られるくらいなら死にたいが、その時私は…死ね矜持すらあるのか?非常に不安

Permalink |記事への反応(1) | 21:03

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2025-10-20

人間ドックに行ってきた

5年ぶりくらいに行った。

日頃からまあまあ健康的に生きているので、血液検査とかは全然問題なかった(即日教えてくれた)。

でもそれはそれとして、早く死にたい毎日思っている。

飯食って適度に運動して仕事もそこそこしながら、

生きることを諦めたくて仕方がない。

なんでこんなことが両立するんだろう。

それも面倒くさくて早く全部投げ出したい。

Permalink |記事への反応(1) | 20:53

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いのちの電話にかけたことない子って浅いよね

この前ね、会社で中途の子と話してたの。

私より八つ下の、いかにも今どきの子

何の流れか「いのちの電話」ってワードが出たときに、その子が「え、あれってほんとにかける人いるんですか?」って言ったのよ。

……ああ、いるよ。

ここにいるし、何度も。

その瞬間私笑っちゃった。

いや呆れたのかもしれない。

だって「かけたことない」って、つまり死にたくなるほどの夜を一度も過ごしたことがないってことでしょう?

それって幸せことなんだろうけど…正直、浅いよね。人間っていっぺんでも死にたくなるほどの痛みに出会ってからじゃないと他人の痛みなんて本気で想像できない。

死にたい」って言葉を口にしたことがある人は、

世界の裏側を一瞬だけ覗いた人たちだと思う。

その視界を持ってる人と持ってない人では見えてる景色がまるで違う。

の子、素直だし悪いこじゃない。

ただ生きるっていうことがどういうことかをまだ知らない。

失恋してもちょっと落ち込むで済むし、職場で怒られてもすぐに気分転換できるんだろうね。

でも、こっちは違う。

もうどうにもならない夜を何度も通り過ぎてきて、

電話の音越しに知らない誰かの「大丈夫ですよ」って声に泣かされた。

そういう夜を経験してやっと人間って脆くて、でもそれでも生きてるってことが分かる。

からいのちの電話にかけたことがないって人は正直浅い。まだ世界の浅瀬でしか泳いでないってこと。

深みに沈んだことのない人はきっと水の冷たさも、浮かび上がることの大変さも知らないのだ。

Permalink |記事への反応(5) | 15:19

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2025-10-19

これまで死にたいと思っていた場面で生きたいと思うようにしてから途端に人生が楽しくなってきてワロタ

Permalink |記事への反応(0) | 18:55

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嫁に貯金使い込まれ離婚した

結婚から貯金800万と結婚してから10年間の貯金、約2000万円以上が消えた

使いみちは親やギリへの仕送りらしい

元嫁は専業、元嫁親や姉妹も金が無いので回収不能


せめて親権だけは、と思っていたけど、案の定連れ去りから子供も取られて養育費要求された

お前が使い込んだ分の返済と相殺じゃないのかと言ったら、

それとこれとは別、養育費子供権利だって

払わないなら払わないでいいけど、子供にはお父さんはあなたのこと自分の子供と思ってないんだってあなたには一円も出したくないんだってと言うからね?

当然でしょ?と笑いながら言われた

悔しくて吐きそうになった


来月いっぱいで退職が決まったからできるだけ遠くに移り住んで、1人で生きて1人で死にたい

Permalink |記事への反応(2) | 10:07

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2025-10-18

命を引きずって重い足取りで生きている

そして俺自身は惰性、仕事、親や友人などに引きずられて生きている

死にたい

友人たちは三日くらいは悲しませてしまうかもしれないが、彼らも忙しいのですぐに忘れるだろう

彼女は長くて半年くらいは悲しませてしまうかもしれないが、まだ若いし、いずれ素晴らしい男性が忘れさせてくれるだろう

仕事の人たちには迷惑をかけてしまうだろうが…

別にそれはどうでもいいや

でも親はそうはいかない

幼少期以来一切会っていない父親はどうでもいいが、母親を悲しませるわけにはいかないんだ

せめて兄弟がいればよかったが…

母親健康事故にでも遭わない限り、どんなに短くても15年は生きてるだろう

あと15年間、もう嫌だと子供みたいに地団駄踏んでいるこの命を引きずりながら生きなければならないのだろうか

苦しいぜ

Permalink |記事への反応(1) | 23:46

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自分いじめていた弟が結婚する

弟が結婚するようだ。いつのまにか。

弟は「良い奴」だ。明朗快活で行動によどみが無く、それゆえ友好関係も広い。物怖じしない性格で、自分の望みを果たすためには投資をためらわない。中高で入っていたバスケットボール部ではキャプテンを務め、体育祭では応援団長の役目を買って出ていた。なんというか、いわゆるクラスの一軍である

弟は専門学校を出たのちに、水産系の企業就職した。船に乗って遠洋に出ていたこともあった。いまは別業界転職しているが、話を聞く限りどうやら職場人間関係は良好で、金払いも良かったようだ。僕は大学院生なので、弟に高い食事を奢られたことがある。

僕は弟のことが嫌いではない。それどころか、むしろ応援している。弟は、僕にできないことができる。まごうことなく「人間」をしている。僕は忙しそうにしている店員さんに遠慮なく自分要望を伝えることができないし、友達を家にたくさん呼んで、楽しくお酒を飲んだり笑い話をするなんてこともできない。はっきりと言うが、なにかこの状況に不足があるとするならば、それは僕にあると思う。どちらかといえば僕がひとでなしなのだ。自己の土台があやふやで弱く、諸般の「実際」に関わる能力に劣っているのだ。

ところで僕は幼少のころ、弟にいじめられていた。兄にも関わらず。年子なので年齢差は小さかったし、弟の方が身体が大きく、力も強かった。下賤な言い方をすると、「オス」として優秀だった。

食卓で、弟の好きなものを先に食べたら、肩を箸で刺されたことがある。僕は、そこで泣いたりしたら負けたことを認めてしまうと思って、余裕を見せるアピールのつもりでへらへら笑っていたが、実際ものすごく痛かった。傷跡は25になった今でもはっきり残っている。ゴキブリ用の殺虫スプレー顔面に散布されて、顔の筋肉麻痺痙攣したこともある。母親が外出中でのことだったが、当時、母には打ち明けられなかった。中学生になっても弟が怖かった。共用のWiiU占有されていた。弟が塾通いで不在の時にだけ、ひそひそ隠れてゲームをしていた。暴力や、人格否定が怖かった。自分の弱さを突き付けられるのが怖かった。僕は勉強机に「死にたい」と書いた。希死念慮というほど固まった願望ではなく、本当に死にたかったわけではない。ただ、自分の弱さと、居場所の無さに情けなく、それら問題を誰かにどうにかしてもらいたかった。母にそれは見つかり、「命は大切にするもの」と叱られて終わった。ささやかでみじめな抵抗だった。

から結婚の報せを受けたその瞬間のこと、僕には目立った感情の動きがなかった。驚きがなかった。ただ、「まあ、だよな」との納得があった。嬉しさもなかった。「まあ、これは弟の話で、人生で、兄の自分のことではないからな」と、頭に自分と弟とを分別して考える壁が生えていた。置いていかれる悲しさもなかった。「まあ、自分結婚できないのは当然だし、他人から愛を感じたこともないし、そういうものだろうな」と受け入れた。

僕は後付けで感動した。感動しておくことにした。こういうとき、兄ならば結婚を祝福するのが普通だろうと思って、「おめでとう」と言い、表面上喜んだ。

僕はひどく自己嫌悪した。僕はなんという砂漠で、渇いていて、不気味なんだろうと思った。弟の結婚ひとつも、心根から喜べないのか? どこまでも人間のロールプレイで、周りの真似事で、そして愛を受け取れないのか? 弟にいじめられていたからだろうか? もし弟に昔のことを誠心誠意謝られたら、僕の中に情動は沸き起こってくるのだろうか? こんなことを考えていては、慶事に対する何かしらの冒涜ではないだろうか?

これは嫉妬ではなかった。弟は僕にとって、嫉妬を抱く対象ではない。ステージが違いすぎる。比べても仕方が無い。だからこそ、余計に自分が目立つ。このステージにはもはや自分しかいなかった。横に並ぶものはほかにいなかった。

被害者意識にまみれた、この醜自分をどうにかしたい。癒えない傷ばかり抱えてうじうじとしている自分を殺したい。もしかしてこれが希死念慮か? 僕は何年か越しに、また「死にたい」と書くことになるのか?

こんど両家の顔合わせがある。どんな面下げて僕は行けばいいのだろうか。少しでもマシな気分になれることを祈る。

Permalink |記事への反応(0) | 23:13

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朝起きて先ず思ったことが死にたいだった

いのいちに死にたいと思った

どうせ死なないのに希死念慮けがある

頼むから誰か終わらせてくれ

Permalink |記事への反応(0) | 09:23

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ワイと思います、ってミームまじで1ミリも知らんかった

しかもたいして面白くないという・・・

いやもっと有名なミームあるやろ

なんでこんな中途半端なのがいまさら自己顕示したくなったんだ

吉野家コピペ

宇宙ヤバイ

白木屋コピペ

邪気眼

ルイズコピペ

あそこにベンツが停まってます

玉ねぎage

拙者はオタクではござらんのでwww

敬礼!出た!敬礼出た!

ドイツっぽく便意を伝えたい

本気出す

もぅマヂ無理

死にたい・・・

猫の喧嘩

カワサキバイク

ラ・ヨダソウ・スティアーナ

ォライッ、ォライッ

Welcome to Underground

当店のポイントカードお餅でしょうか

じいさんはどこだあ!

ウィア…

Permalink |記事への反応(0) | 04:29

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母親死んだら俺も死にたい

不安材料が多すぎる

それまでに安楽死制度ができててくれ

不安障害が治らん

自分名前世界に残したくない

全部消し去って死にたい

Permalink |記事への反応(0) | 03:11

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2025-10-17

anond:20251017235202

俺も死にたいけど、親が悲しむから親が生きてるうちは頑張って生きると決めてる

後、ついでにハンターハンターワンピースメイドインアビスフリーレン、ワールドトリガーキングダム最後まで見たいか

Permalink |記事への反応(0) | 23:55

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自殺に見えないように死にたい

先々月に婚約者急逝してしまった。

周りの人はかなり気にかけてくれて、後を追うなというようなことを、直接的だったり間接的だったり伝えてくれる人も何人かいた。

かなり死にたいけど、支えてくれようとしてくれた人のトラウマになりたくなくて、自殺だとわからないように死にたい

良い方法があったら教えてくれ。

Permalink |記事への反応(4) | 23:52

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死にたいって言ってるやつでドナー登録してないやつ

なんなん?

死んだら内臓なんて要らないんだから、どう考えても寄付すべきだろ

というかドナー登録してない時点で、死にたいが嘘がもう言の類いって証明されてんのよね

Permalink |記事への反応(3) | 15:45

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安楽死パレート改善

老人「生きているのが苦しい。苦しまずに死にたい

一般人「老人に対する社会保障費が高い」

Permalink |記事への反応(0) | 10:24

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育児苦痛過ぎてビックリする

子供を産む前からそりゃある程度子育ては大変なんだろうなって想像してたよ

でも、実際にやってみないと育児の苦労なんかわからないわけで

苦労して子連れ旅行行っても子供から「つまらなかった」と言われたり

好き嫌いが多すぎて毎日全く同じメニューのお弁当持たせたり

子供ストレスサンドバッグにされたり

子供は周りが見えてなくて一歩間違えれば大怪我するような行動を平気でやりまくったり

出先で暴れまくったり

こんな細かい苦労は子供を産む前に明確に想像できるわけないって

今のところ、育児は7〜8割苦痛、3〜2割幸せという体感

これが日によっては育児幸せ100%の日があったりするわけ

子育てとは関係ない趣味がある人ほど子育て苦痛だと思う

好きな時に好きなことできない

お金もなくなる

時間もなくなる

でも、総合的に考えたら子供達がいて良かったと思える

来世でも育児はしていたいな

もし、私が今世でシングルマザーだったら来世では「絶対育児したくない、結婚もしたくない一人で死にたい」と考えてると思う

今世では良き旦那に恵まれたから一応幸せではある

Permalink |記事への反応(0) | 09:40

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夜中起きた時夫に渡されたのが酒だと思って、布団入ってから夫に甘えていたらあれノンアルだよと言われて死にたい

起きてからも掘り返されて恥ずかしすぎる。プラシーボ怖い

Permalink |記事への反応(0) | 08:50

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2025-10-16

死にたい言ってるから死にたいんだろ?としか言えない

じゃあ死ねよと言って本当に死んだら追い詰めただの自殺教唆だのボロカスに言われるの理不尽

人を日頃からシニタイシニタイと言ってて苛立たせるメンヘラに言い返すのも許されないのか?

Permalink |記事への反応(0) | 12:20

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2025-10-15

まーた勝手に死んでるわ

死にたい

Permalink |記事への反応(0) | 18:08

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死にたい

Permalink |記事への反応(1) | 14:33

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変態のおかげで生きている

三年前の話で、当時本気で死のうと思った時があった。仕事もうまく行かない。彼氏にはフラれた。肌荒れも酷い。ほんとにもうどうでもいいやって感じになった。会社の帰り、電車に飛び込むなら今かなって思ったけど、なんか寒いし、やっぱ家で死ぬか…って思った。

家に帰ってふと思い出した。

いのちの電話的なやつのことを。どうせ死ぬならせめて最後くらい誰かと話してからでもいいかなっておもってかけてみることにした。

スマホ検索して出てきた番号をみて、すぐに番号押して電話した。

今でもよく覚えてる。出た声が「……はい、こんばんはぁ……」って妙にねっとりしてた。あれ?と思ったけどまあ夜勤の人だし疲れてるのかなと思って気にせず話すことにした。

死にたいんですけど」と言ったら向こうの息づかいおかしい。常にはぁはぁ言っていて「……ねえ、下着の色って何色?」といきなり聞いてきた。

何を言われたか理解できなかった。「え?」って言い返したら「はぁ……白?黒?……どっち?」とまた聞いてきた。息はめちゃめちゃ荒かった。

その瞬間、頭の中で死ぬとか絶望とか全部吹っ飛んだ。もう怒りしかなかった。

「はあ!? ふざけんな!!」って叫んで電話叩き切った。気づいたら立ち上がって部屋をうろうろしてて怒りすぎて心臓バクバク。なんかもう死ぬとかどうでもよくなってた。

少しして冷静になって抗議しようと思ってさっきの番号を見直したら……番号、間違えてた。

笑った。

マジで腹抱えて笑った。

涙出るほど笑った。

ああ、もう……死ぬとか言ってた自分バカみたいだなって。

でもあの変態がいなかったら、今ごろ私は本当に死んでたかもしれない。

Permalink |記事への反応(1) | 13:58

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