
はてなキーワード:死にたいとは
そう言うと、大抵の連中は笑う。「いやいや、私は将来の安心のために」「お金の勉強が楽しいから」などと、自己放尿まみれの弁解を始める。
だが、俺に言わせりゃ、それは単なる恐怖の言い換えだ。
カネを持てば老いを遅らせ、治療を受け、快適な環境で死を遠ざけられるという幻想を買う行為。
どんな高尚な経済理論をまとっても、その動機の根は「死にたくない」「朽ちたくない」「無になりたくない」という原始的な叫びだ。
死の恐怖に駆動されていながら、「長期的視野」だの「資産形成」だのと、まるで文明的な行動のように取り繕う。
これこそが知的な自己放尿だ。恐怖を知性でコーティングして、「俺は賢い」と自慰してるだけ。人間は死を自己放尿の臭いでごまかす。
「FIREを目指してます」「配当金で生きたいです」その裏には「死にたくない」「誰かよりマシに死にたい」「死ぬ瞬間に勝っていたい」という、動物的欲求しかない。
つまり投資家とは、死に対して最後までカネをぶっかけて抵抗する原始人だ。
真に冷徹な者は死を受け入れる。カネが増えようが減ろうが、死というイベントの統計的期待値は1.0で確定している。
それを直視できずにリスク分散だの複利効果だのを口にする連中は、死から目を背けて自己放尿を垂れ流しているだけだ。
投資のグラフが右肩上がりでも、人間の寿命グラフは右肩下がりだ。
だからこそ言う。投資のモチベーションは、死の恐怖以外にあり得ない。
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
当方アラサーワーママ業の者、ありえないくらいオナニー狂い‼️
物心は'""そこ"""からついたんじゃないかというぐらい未だに狂わされています‼️助けて‼️誰にも相談できないよね…家族にも、医者にも。病める時も健やかな時も、仕事で怒られた日も、第○子が産まれた日も…(会陰切開なしの裂けなし優秀ま○こです✌️)
どこにいくにも電マが手放せない。義実家にも密かに持ち込んでいる。手マンだと60分かかる1絶頂も電マなら2〜15分だからね。これを3〜4回しないと寝られないってわけ。ワーママなので、時間に追われているんだ。
別件で、一回メンタルやって薬飲んだら性欲減退したんだけど、これが地獄だった。オナニーでストレスも晴らしていたんだね。知らなかった、己のことなのに。地獄過ぎて、医者になんか〜体に合わないカモ…笑とかいって別の薬に変えたけどメンタル系って結構減退するぽくて結局メンタルは日にち薬と環境の変化でマシになった。した。
ちな、セックスとオナニーは違う派です。私はセックスは好きじゃない。エロ漫画とAVのセックスは幻想だと知って愕然としたけど、オナニーは自由だった。早くヒダヒダが抉られてお"ほ"ぉオ⁉️とか言うてみたいもんだ、そしたらオナニー狂いでなくセックス狂いとしてまだ、世間様に理解していただける気がする。
マジで痴呆にならないことを祈ってる。老人ホームで一日中オナりまくる老婆になるのか?それを我が子たちに見られるくらいなら死にたいが、その時私は…死ねる矜持すらあるのか?非常に不安。
5年ぶりくらいに行った。
日頃からまあまあ健康的に生きているので、血液検査とかは全然問題なかった(即日教えてくれた)。
生きることを諦めたくて仕方がない。
なんでこんなことが両立するんだろう。
それも面倒くさくて早く全部投げ出したい。
何の流れか「いのちの電話」ってワードが出たときに、その子が「え、あれってほんとにかける人いるんですか?」って言ったのよ。
……ああ、いるよ。
ここにいるし、何度も。
その瞬間私笑っちゃった。
いや呆れたのかもしれない。
だって「かけたことない」って、つまり死にたくなるほどの夜を一度も過ごしたことがないってことでしょう?
それって幸せなことなんだろうけど…正直、浅いよね。人間っていっぺんでも死にたくなるほどの痛みに出会ってからじゃないと他人の痛みなんて本気で想像できない。
世界の裏側を一瞬だけ覗いた人たちだと思う。
その視界を持ってる人と持ってない人では見えてる景色がまるで違う。
その子、素直だし悪いこじゃない。
ただ生きるっていうことがどういうことかをまだ知らない。
失恋してもちょっと落ち込むで済むし、職場で怒られてもすぐに気分転換できるんだろうね。
でも、こっちは違う。
もうどうにもならない夜を何度も通り過ぎてきて、
電話の音越しに知らない誰かの「大丈夫ですよ」って声に泣かされた。
そういう夜を経験してやっと人間って脆くて、でもそれでも生きてるってことが分かる。
だからいのちの電話にかけたことがないって人は正直浅い。まだ世界の浅瀬でしか泳いでないってこと。
深みに沈んだことのない人はきっと水の冷たさも、浮かび上がることの大変さも知らないのだ。
命を引きずって重い足取りで生きている
そして俺自身は惰性、仕事、親や友人などに引きずられて生きている
友人たちは三日くらいは悲しませてしまうかもしれないが、彼らも忙しいのですぐに忘れるだろう
彼女は長くて半年くらいは悲しませてしまうかもしれないが、まだ若いし、いずれ素晴らしい男性が忘れさせてくれるだろう
別にそれはどうでもいいや
でも親はそうはいかない
幼少期以来一切会っていない父親はどうでもいいが、母親を悲しませるわけにはいかないんだ
せめて兄弟がいればよかったが…
母親は健康で事故にでも遭わない限り、どんなに短くても15年は生きてるだろう
あと15年間、もう嫌だと子供みたいに地団駄踏んでいるこの命を引きずりながら生きなければならないのだろうか
苦しいぜ
弟は「良い奴」だ。明朗快活で行動によどみが無く、それゆえ友好関係も広い。物怖じしない性格で、自分の望みを果たすためには投資をためらわない。中高で入っていたバスケットボール部ではキャプテンを務め、体育祭では応援団長の役目を買って出ていた。なんというか、いわゆるクラスの一軍である。
弟は専門学校を出たのちに、水産系の企業に就職した。船に乗って遠洋に出ていたこともあった。いまは別業界に転職しているが、話を聞く限りどうやら職場の人間関係は良好で、金払いも良かったようだ。僕は大学院生なので、弟に高い食事を奢られたことがある。
僕は弟のことが嫌いではない。それどころか、むしろ応援している。弟は、僕にできないことができる。まごうことなく「人間」をしている。僕は忙しそうにしている店員さんに遠慮なく自分の要望を伝えることができないし、友達を家にたくさん呼んで、楽しくお酒を飲んだり笑い話をするなんてこともできない。はっきりと言うが、なにかこの状況に不足があるとするならば、それは僕にあると思う。どちらかといえば僕がひとでなしなのだ。自己の土台があやふやで弱く、諸般の「実際」に関わる能力に劣っているのだ。
ところで僕は幼少のころ、弟にいじめられていた。兄にも関わらず。年子なので年齢差は小さかったし、弟の方が身体が大きく、力も強かった。下賤な言い方をすると、「オス」として優秀だった。
食卓で、弟の好きなものを先に食べたら、肩を箸で刺されたことがある。僕は、そこで泣いたりしたら負けたことを認めてしまうと思って、余裕を見せるアピールのつもりでへらへら笑っていたが、実際ものすごく痛かった。傷跡は25になった今でもはっきり残っている。ゴキブリ用の殺虫スプレーを顔面に散布されて、顔の筋肉が麻痺痙攣したこともある。母親が外出中でのことだったが、当時、母には打ち明けられなかった。中学生になっても弟が怖かった。共用のWiiUを占有されていた。弟が塾通いで不在の時にだけ、ひそひそ隠れてゲームをしていた。暴力や、人格の否定が怖かった。自分の弱さを突き付けられるのが怖かった。僕は勉強机に「死にたい」と書いた。希死念慮というほど固まった願望ではなく、本当に死にたかったわけではない。ただ、自分の弱さと、居場所の無さに情けなく、それら問題を誰かにどうにかしてもらいたかった。母にそれは見つかり、「命は大切にするもの」と叱られて終わった。ささやかでみじめな抵抗だった。
弟から結婚の報せを受けたその瞬間のこと、僕には目立った感情の動きがなかった。驚きがなかった。ただ、「まあ、だよな」との納得があった。嬉しさもなかった。「まあ、これは弟の話で、人生で、兄の自分のことではないからな」と、頭に自分と弟とを分別して考える壁が生えていた。置いていかれる悲しさもなかった。「まあ、自分が結婚できないのは当然だし、他人から愛を感じたこともないし、そういうものだろうな」と受け入れた。
僕は後付けで感動した。感動しておくことにした。こういうとき、兄ならば結婚を祝福するのが普通だろうと思って、「おめでとう」と言い、表面上喜んだ。
僕はひどく自己嫌悪した。僕はなんという砂漠で、渇いていて、不気味なんだろうと思った。弟の結婚ひとつも、心根から喜べないのか? どこまでも人間のロールプレイで、周りの真似事で、そして愛を受け取れないのか? 弟にいじめられていたからだろうか? もし弟に昔のことを誠心誠意謝られたら、僕の中に情動は沸き起こってくるのだろうか? こんなことを考えていては、慶事に対する何かしらの冒涜ではないだろうか?
これは嫉妬ではなかった。弟は僕にとって、嫉妬を抱く対象ではない。ステージが違いすぎる。比べても仕方が無い。だからこそ、余計に自分が目立つ。このステージにはもはや自分しかいなかった。横に並ぶものはほかにいなかった。
被害者意識にまみれた、この醜い自分をどうにかしたい。癒えない傷ばかり抱えてうじうじとしている自分を殺したい。もしかしてこれが希死念慮か? 僕は何年か越しに、また「死にたい」と書くことになるのか?
こんど両家の顔合わせがある。どんな面下げて僕は行けばいいのだろうか。少しでもマシな気分になれることを祈る。
俺も死にたいけど、親が悲しむから親が生きてるうちは頑張って生きると決めてる
後、ついでにハンターハンター、ワンピース、メイドインアビス、フリーレン、ワールドトリガー、キングダムを最後まで見たいから
周りの人はかなり気にかけてくれて、後を追うなというようなことを、直接的だったり間接的だったり伝えてくれる人も何人かいた。
かなり死にたいけど、支えてくれようとしてくれた人のトラウマになりたくなくて、自殺だとわからないように死にたい。
良い方法があったら教えてくれ。
なんなん?
死んだら内臓なんて要らないんだから、どう考えても寄付すべきだろ
三年前の話で、当時本気で死のうと思った時があった。仕事もうまく行かない。彼氏にはフラれた。肌荒れも酷い。ほんとにもうどうでもいいやって感じになった。会社の帰り、電車に飛び込むなら今かなって思ったけど、なんか寒いし、やっぱ家で死ぬか…って思った。
家に帰ってふと思い出した。
いのちの電話的なやつのことを。どうせ死ぬならせめて最後くらい誰かと話してからでもいいかなっておもってかけてみることにした。
スマホで検索して出てきた番号をみて、すぐに番号押して電話した。
今でもよく覚えてる。出た声が「……はい、こんばんはぁ……」って妙にねっとりしてた。あれ?と思ったけどまあ夜勤の人だし疲れてるのかなと思って気にせず話すことにした。
「死にたいんですけど」と言ったら向こうの息づかいがおかしい。常にはぁはぁ言っていて「……ねえ、下着の色って何色?」といきなり聞いてきた。
何を言われたか理解できなかった。「え?」って言い返したら「はぁ……白?黒?……どっち?」とまた聞いてきた。息はめちゃめちゃ荒かった。
その瞬間、頭の中で死ぬとか絶望とか全部吹っ飛んだ。もう怒りしかなかった。
「はあ!? ふざけんな!!」って叫んで電話叩き切った。気づいたら立ち上がって部屋をうろうろしてて怒りすぎて心臓バクバク。なんかもう死ぬとかどうでもよくなってた。
少しして冷静になって抗議しようと思ってさっきの番号を見直したら……番号、間違えてた。
笑った。
マジで腹抱えて笑った。
涙出るほど笑った。