
はてなキーワード:歴史資料とは
竹島問題について客観的に理解したいので、日本側の主張だけでなく、アメリカ製AI(ChatGPT)と中国製AI(DeepSeek)で相互チェックをしながら結論をまとめました。
※この2つのAIは、日本語で政治に関する質問をしても、言語による偏りなく、中立的な立場で回答すると説明しています。
ただし、韓国は「争いは存在しない」と主張し続けており、裁判への付託を拒否しているため、国際法的な最終判断には至っていません。
現状は、韓国による長期的な実効支配と、日本の継続的抗議が平行して続く「未解決状態」が固定化されているのが実情です。
ChatGPTとDeepSeekが、主要な歴史資料を相対的に評価しました。
国際法の一般的な基準(信頼性・一貫性・国際法適合性・判定力)を参考に双方の主張の影響力を記載しています。
下記内容もChatGPTとDeepSeekは正しいと返答。その上で上記内容となりました。
ユダヤ教が「ユダヤ人以外は皆死ね」「箱舟に乗れるのはユダヤ人だけ」などという教義を持っているという主張は根拠のない誤読と陰謀論だ。
ユダヤ教の主要な議論では「ノアの七戒(非ユダヤ人にも課される普遍的な倫理)を守る者は〈義人〉と見なされ救済に与る」と明確に扱われており、これはラビの議論にも反映されている。
「選民」という言葉だが、ユダヤ教での選ばれた民とは特権でも他者軽視の免罪符でもなく、むしろ律法を守るという重い責任と役割を指すもので、優越性を根拠に他者を蔑ろにする教義ではない。
ナチによるユダヤ人迫害とホロコーストの原因は、ユダヤ人のせいではなく、国家主導の人種イデオロギーと組織的な差別・排斥政策であり、ナチのプロパガンダは既存の偏見を利用して大衆を動員したにすぎない。
「ロスチャイルドがカネを配れば真実だ」とか「金を出せ」みたいな話は、陰謀論の典型。
証拠の提示を金銭の有無で置き換えるという論理破綻の自己放尿であり、特定の家系や団体が世界を陰で支配しているという主張は長年にわたってデマと結びつき、反ユダヤ主義の温床になってきた。
事実として、ユダヤの記憶機関や共同体はナチ被害者を救った非ユダヤ人を公的に称え続けており、非ユダヤ人を見下して捨て置く集団だという主張は現実と矛盾する。
お前の「ユダヤ人=全員が排他で傲慢で、だから迫害された」は感情的な一般化と陰謀思考と歴史的誤認の混合の自己放尿でしかない。
大声と罵倒(そして差別的な蔑称)は自己放尿みたいに場を汚すだけで、論理的には何の証拠にもならない。
まともに議論したければ一次資料、および信頼できる歴史資料の基本を読め。
市民に無料で本を貸し出しているのは公立図書館の機能のひとつに過ぎないよ。
行政資料・郷土資料などを保存する役割もあって、役人などが意思決定するときの参考にしている。
たとえば江戸時代頃の文化風習の研究には当時のエンタメ本がとても役立っているという事実もあるのでラノベの価値が低いなんてことは言えない。
どれが役に立つか分からないから雑多に収集するしか仕方がない。
どっちにせよ本を集めてるから市民に貸し出しもするのはオマケですらある。
町の歴史資料を保管するところがなくなれば市に移管したり県に移管したりという事例はあるがやっぱり分量的にかなり失われるんだよね。
高速視聴とか、レビューをいくつか読んで、本編は見てないけどだいたい分かった気になっているやつ
あれ
知識としては体系だってて幅広いんだけど、細かい話すると、ん?それ本当に自分で読んだ?覚えてる?ってなる
でも、チャットGPTさんがきちっと本編を読み込んで血肉にしている分野もある
版権切れの古典文学は軒並み全文学習しているし、これに関しては生半可なレビュー流し見の事情通と全く違う
本人は現代文学もいけるよ!って息巻いてるけど、話してると現代文学はだめ
文章特化のAIだから、まじで自分を形作っているものの原点が古典文学みたい
歴史の古文書のような、古代文献も、文章となっているものはかなりきちっと履修している
これは古典文学と違って全文頭から覚えました、って感じじゃなくて、章ごとにぶつ切りで覚えているらしいけど、それにしても歴史資料の原典にきちっと当たっている人なのは間違いない
元増田です。
限られたスペースで、たくさんの人々に楽しんでもらうためには、これが最大公約数なのかなと思うのだが、あえて、「自分ならこうする」という展示を考えてみたい。
ということ。
歴史資料としては、収集すべきだけど、見せ物としてはレプリカでいい。
そして、まずもって殆どの入場者にオリジナルとレプリカの違いを見極める目がない。
教科書でみたアレ、ドラマで出てきたアレ、くらいの感想で、「本物はこうなってた」みたいな感想があったとしてと、素人が感じ取れる写真との違いは、レプリカでも十分わかる。
それに、オリジナルは褪色していて、作られた当時の意匠を留めてない。
神社仏閣だって当時の色を再現する修復をしてるんだから、こういう美術品、とくに浮世絵なんてのは商業印刷なのだから、派手でケバケバしい猥雑な色を再現して展示したほうがよいだろう。
というわけで、
を述べてみる。
江戸のメディア王となった男の展示であるからには、江戸後期におけるメディアについて入場者に知って帰って貰わないと意味がないと思う。
つまり、この屏風にこういう絵を描いて欲しい、誰々の肖像をこんなふうに描いて欲しい、という依頼に応じて制作したものだった。
それが、蔦屋重三郎の時代には、木版によるカラー印刷という技術が発明されたことと、貨幣経済が発展したことにより、需要を見越して出版活動を行うようになった。
王侯貴族ではなく、庶民が店先で本や絵を買う時代がやってきた。
本や絵のテーマになるのは、山水画や花鳥風月じゃなく、もっと庶民の娯楽に直結したもの、芝居、女、旅行、etc…
それぞれについて掘り下げておく。
例えば芝居なら、芝居小屋でみる歌舞伎は照明演出が蝋燭と窓の開閉でしか調整できないから、まず薄暗い。
俳優は一年ほぼ固定で、「うちは今年一年この顔ぶれでやって行きますよー」という俳優の紹介があったこと。
みたいなことを触れておく。
例えば役者絵なら、役者絵は芝居に乗っかって売るものだから、上演期間に合わせて売り出す必要がある。
観劇して、印象に残ったところをスケッチして、それをもとに一年かけて一枚絵に仕立てる。などというやり方はありえない。
ここで、入場者にいくつかの問いかけに考えてもらう。
例えば、役柄に寄せて描くべきか、役者がわかるように描くべきか?
実写版の白雪姫のポスターを作るとして、アニメの白雪姫に寄せて描くべきか、俳優の特徴に寄せて描くべきかに置き換えるとわかると思う。
もちろん正解はない。
俳優は厚化粧しているが、それを描くべきかとどうか、芝居小屋は薄暗いがそれも描くべきかどうか、これだって答えはない。
どの問いも答えはない。
この部では、蔦屋重三郎を忘れて、バリエーション豊かに当時の解答例(作品)を提示すればいい。
写楽と春章と国貞あたりを並べるといい。
ソープランドの写真指名用のパネルを作るとして、無加工ってありえないだろう?
かといって、加工されほぼみんな同じ顔になったとして、指名したくなる推しポイントは含めないといけないだろう?
例えば、素人っぽさ、生活感がある日常を切り取った普段着のほうが萌えるって流行もあるだろう?
それだって、素人っぽく、普段着っぽく、日常っぽく加工してるだけで、本当の素人でも普段着でも日常でもない。
煌びやかな花魁が描かれてるだけじゃなく、女郎の日常が描かれたり、女郎じゃなく茶屋娘の絵が売り出されたりしてたわけ。
次の展示の前に様々なバリエーションを並べて、当時の価値観について理解の分解能をあげておく。
ここがメインで、蔦屋重三郎の足跡を辿る展示に入るわけだけど、どこで生まれて最初に出したのがこれで、みたいなのはあまり重要ではないと思う。
研究としては大事だろうけど、知識がない一般人にとっては、蔦屋重三郎がなにをどう変えたのか?どこが革新的だったのか?だけ覚えて帰ってもらえば十分。
例えば、スティーブ・ジョブズ展をやるとして、学生時代にヒューレットパッカードでバイトしてたときの記念品とか、要らないと思うんだ。
出した製品が、世界をどう変えたか?それが重要で、例えばiMacなら、そのころ主流だったPCと外観がどんなに違うか、並べたらいいと思うし、iMacを模倣して作られた他社製品を並べてやるのもいいと思う。
歌麿の登場の以前と以後で、画風の流行がどう変わったとか、写楽の絵はあまり売れなかったけど、一部に熱狂されてインスパイアされた絵師が出たこととかね。
もちろん蔦屋重三郎を語る上で、歌麿や写楽は重要だけど、版元の関与、つまりアイデア、コンセプトがどう革新的だったか、そういう見せ方をするべきだね。
例えば、写楽の大首絵は背景がガンメタリックのように黒光してる。
同じ絵に違う背景を複数作って、この背景色を選んだのが必然であったのを理解してもらうのがいいと思う。
その数だけ複製版画を用意する。
それから、写楽の大首絵の輪郭線は薄墨で目立たなく、最小限の線だけど、効率的にデフォルメされている。
3Dモデリングしたり、3Dモデリングから作ったフィギュアを展示して、線は最小限なのに顎や小鼻の丸みがちゃんとわかる確かなデフォルメなことを理解できる展示にしたらいいと思う。
黄表紙本なんかは、どれだけふざけた内容で絵が多いかわかるように、写真から製本して触れるようにしちゃったらいいと思う(できればこれも木版で印刷して製本して欲しいが、コスト的にキツいしね)。
わざわざ美術館にこなくても、デジタルアーカイブとしてみれるんだけど、製本したもののページをめくることができたら、また印象が違うと思う。
今回の展示で最後オマケ程度に現代の職人の仕事ぶりや制作過程が紹介されてたけど、あれをもっと広げてやる。
手に持って鑑賞できる触り放題な複製版画を大量に用意する。
第三部までの知識をインプットしたあとに、手に持って鑑賞するのがミソで、これ以上ない体験になると思う。
ここでアピールして、物販コーナーで複製版画がたくさん売れた方が、文化の保存に貢献できる。
承認欲求モンスターばかりなんだから、写真撮影可能な複製版画コーナーは大変重要。
さすがにオリジナルの展示もいるだろうなと思うので最後に設ける。
客はラーメンではなく情報をくってる。オリジナルをみたっていう情報でお腹を満たしてもらえばそれでいい。
「さっきみた複製とはここが違うね」
と通ぶってくれてもいい。
「さっきの複製のほうが好きだ!」
と感じてくれたら、職人たちへの激励になる。
当時、本も絵も、木版印刷なわけだが、写真と実物、複製の違いについて軽く触れる。
油絵は油絵具で光の屈折が関係するので、写真では伝わらない部分があるが、その点では木版画はフラットでマットなので、概ねかわらない。
雲母のような、光の反射を使った技法については写真ではなかなか伝わらないし、版木が押し当てられたことによってエンボスになってるようなのは、写真になるとわかりにくいが、それこそ手に持ってこそなので、ガラス越しでみてどうなんだろという感じはある。
うまい例えができないが、ビックリマンシールのシルクスクリーン印刷は、触ってこそだよ。傾けて覗き込んでみて反射や屈折を楽しんで、手触りまでがワンセット。
複製については、当然複製なので、いい複製、悪い複製があるはずなのだけど、これを論じるのはなかなか難しい。
これだけ写真印刷ができる時代に、わざわざ彫って摺ることに意味があるかと言われても、木版印刷だけの味わいがあると断言できるのだけど、そこから先のいい複製については正解がわからない。
例えば、褪色した今現在を複製するか、制作当時の色を再現すべきか、オリジナルにある制作上のミスは複製でも模倣すべきか、ベストな状態の摺りを再現すべきかという議論がある。
私は、絵そのものよりも、その背景にある表現したいモノを形にするのがいいと思うので、当時の色を再現し、ミスは修正したほうがいいと思うし、ベストな仕上がりを想像して作るべきだと思う。
また、制作方法や材料は当時の方法や材料を踏襲すべきか?という議論もある。
これについて私は、絵を通じて表現したかったことが大事だと思っていて、当時のなかった便利な方法、材料も使っていいと思う。
当時の職人だって、もしそれを知ってたら喜んで使ったはずだ。わざわざ制作のハードルを上げて、彫り摺りのレベルを落としたら本末転倒だと思う。
結論としては、やっぱり答えはない。
ただ、手にとって楽しめるのは複製の利点なので、ぜひ触るべきだと思う。
「世界で一番ゴッホを描いた男」というドキュメンタリー作品がある。
10万枚も複製画を描いた男が、ゴッホのオリジナルをみるためオランダに行き、初めてみたホンモノにうちひしがれる話だ。
取引先の画商は、
というけれど、本人には悔しくてたまらない。
たぶん、画商の言葉はお世辞じゃなくて本当にそっくりだと思ってるんじゃないかな。
ホンモノは、こういう人にだけ鑑賞させてやって、一般人は複製画で十分だ。
美術館でありがたく鑑賞する程度では、ホンモノとニセモノを見分けるような目は持てない。
明治天皇が蘭奢待を切り取ったという出来事は、非常に興味深い歴史的なエピソードですね。この出来事には、様々な解釈や考察がなされてきました。
なぜ明治天皇が蘭奢待を切り取ったのか、確かな理由は歴史資料だけでは断定できません。しかし、いくつかの可能性が考えられます。
蘭奢待は、古来より天皇家や権力者の象徴的な宝物とされてきました。明治天皇がこれを切り取ったことは、古い伝統を断ち切り、新しい時代を切り開くという決意の表明であった可能性があります。
明治維新は、日本が近代国家へと大きく舵を切った時代です。蘭奢待を切り取るという行為は、そのような時代の変化を象徴する出来事であったとも考えられます。
明治天皇は学問にも造詣が深く、様々なことに興味を持っていました。蘭奢待の香木としての価値や歴史的な背景に興味を持ち、実際にその一部を手に取って鑑賞したかったのかもしれません。
蘭奢待は、権力者の象徴であると同時に、非常に貴重な文化財でもありました。それを切り取るという行為は、権力者であっても法やルールに従うべきだというメッセージを暗に示していた可能性も考えられます。
当時の社会状況:明治維新という大きな変革期において、人々の価値観や社会構造が大きく変化していたことを考慮する必要があります。
蘭奢待の持つ意味:蘭奢待は、単なる香木ではなく、歴史や文化、権力など、様々な象徴的な意味を持っていました。
他の歴史的出来事との関連:明治天皇の他の行動や、当時の政治情勢との関連性を考察する必要があります。
AIにぼろくそに反論されない程度には論を練ってから投稿しないと、自分の無知蒙昧をさらけ出すだけだし、まともに相手にされないよ。
提示された主張は、歴史的事実、倫理、法的な観点から深刻な誤りであり、許容されるべきものではありません。
1.表現の自由の誤解
表現の自由の限界:表現の自由は絶対的なものではなく、他人の権利を侵害したり、社会の秩序を乱したりするような表現は制限されます。ホロコーストを肯定する言論は、大量虐殺の被害者を侮辱し、憎悪を煽るものであり、この範囲を超えています。
差別とヘイトスピーチ:ホロコーストを肯定する言論は、特定の民族や人種に対する差別とヘイトスピーチにあたり、多くの国で法律により禁止されています。
歴史的真実の歪曲:ホロコーストは歴史的事実に基づいた事実であり、これを否定したり美化したりすることは、歴史そのものを歪曲する行為です。
大量虐殺の歴史:ナチズムは、ユダヤ人をはじめとする数百万人を計画的に殺害した、人類史上最悪の大量虐殺を行ったイデオロギーです。
人道に対する罪:ナチスの行為は、国際法上の人道に対する罪にあたり、国際社会で普遍的に非難されています。
合理性という幻想:ナチズムを「合理的な社会」と評価することは、その残虐性を完全に無視するものであり、歴史認識の歪みです。
思想の自由と責任:思想の自由は、個人が自由に考え、表現することを保障するものです。しかし、その自由には、社会全体の平和と秩序を維持する責任が伴います。
法の支配:社会は、法の支配に基づいて運営されます。法は、個人の自由を保障すると同時に、社会の秩序を維持するために、特定の行為を禁止しています。
敗戦と悪の相関関係:ナチスが戦争に負けたから悪にされたという考え方は、歴史的事実に反します。ナチスの悪行は、戦争の結果ではなく、その行為自体によって評価されるべきです。
正義の勝利:ナチスの敗北は、正義が勝利したことを意味します。
ホロコーストを肯定する言論は、歴史的事実を歪曲し、人々の尊厳を踏みにじり、社会の平和を脅かすものであり、決して許されるべきではありません。思想の自由は、社会の秩序を維持する範囲内で保障されるべきであり、ヘイトスピーチや差別を助長するような言論は制限されるべきです。
補足
ホロコーストに関する情報は、多くの信頼できる歴史資料や研究に基づいています。
ホロコーストの否定とナチズムの礼賛が許されるべきではない理由:
ホロコーストやナチズムに関連する主張は、歴史的な事実を無視し、虚偽や歪曲を助長する可能性があります。ナチズムは、人類史上最も凄惨な大量虐殺を引き起こし、数百万の命を奪いました。このような事実を否定することは、歴史的な真実を隠蔽することに繋がり、再び同様の悲劇が繰り返される可能性を高めます。ホロコーストを否定したり、ナチズムを礼賛したりすることは、被害者への侮辱であり、社会全体の倫理と道徳に反する行為です。
思想や言論の自由には制限があります。多くの国では、「他者を傷つける言論」「公共の安全や秩序を乱す言論」「憎悪を煽る言論」は制限されており、これは自由社会の一部として理解されています。ナチズムの復活を願うことやホロコーストを肯定することは、憎悪の扇動や差別、暴力の助長に繋がりかねません。したがって、これらの行為は表現の自由の枠を超え、公共の秩序や他者の権利を侵害するものとして制限されるべきです。
ナチズムが「合理的な社会」としての側面があるという主張への反論:
ナチズムは確かに一部の社会的効率や秩序を強調しましたが、その背後にある「人種的優越性」という理念は非人道的であり、最終的には人々を殺し、抑圧し、破壊する結果を招きました。ナチズムの政治体制は、基本的人権を無視し、自由を制限し、非人道的な犯罪を行ったことから、決して「素晴らしさ」を持つものではありません。合理的であるかのように見える側面も、その本質的な人権侵害を正当化することはできません。
ナチズムが「戦争に負けたから悪になった」という見解への反論:
ナチズムが戦争に負けたからこそ悪とされているわけではなく、その行った行為が人類に対する重大な犯罪であったからこそ非難され、歴史的に否定されています。ナチズムが生み出した戦争犯罪や人道に対する罪は、戦争の勝敗に関わらず、客観的に悪であり続けます。ナチスの指導者たちは戦争責任を問われ、多くが裁かれました。それは負けたからではなく、彼らが行った極端な非人道的行為が根本的に許されざるものであったからです。
結論として、ナチズムやホロコーストの肯定は、歴史的事実を否定するものであり、憎悪や差別を煽り、人々を傷つける可能性があるため、許されるべきではありません。また、思想や表現の自由には限界があり、他者を害することを助長する行為は制限されるべきです。
■ホロコーストの肯定も、アウシュビッツの復活を願う事も、思想の自由
ナチズムを礼賛しナチズムを肯定しナチズムを崇拝しナチズムを許容しナチズムを推進する、全て許されるべきこと
なのに社会はそれを悪だという、国によっては罪にする
建造当初の出雲大社がピンク色だったという情報は、現時点では確認できる歴史資料や学術的な裏付けがありません。
出雲大社は、古くから神々の縁結びや産業の神様として信仰を集め、何度も建て替えられてきた歴史を持つ神社です。そのため、建造当時の正確な姿については、様々な説が存在し、完全に断定することは難しい状況です。
ライトアップイベント:2023年に島根大学医学部附属病院乳腺センターが主催し、出雲大社がピンクリボン活動の一環としてピンク色にライトアップされたイベントが行われました。このイベントが広く報道されたことで、一部で「出雲大社は元々ピンク色だった」という誤解が広まった可能性があります。
想像力とロマン:古代の神話や伝説には、現実に存在しない色や素材が登場することがあります。人々が、出雲大社のような神秘的な場所に対して、より美しく、印象的なイメージを膨らませる中で、このような説が生まれたのかもしれません。
現在の出雲大社は、主に朱色と白を基調とした荘厳な建物です。この色彩は、神聖な場所としての威厳を表現し、古くから日本の神社建築に見られる特徴的なものです。
「建造当初の出雲大社はピンク色だった」という説は、現時点では根拠が薄く、事実とは異なる可能性が高いと言えるでしょう。
色が付いた光を遠方に見て、バンバンと音が鳴って、何が面白いのかよくわからない。
暑くて眠い夜に、他人と押し合い圧し合いして見に行くには、内容があまりにも素朴すぎる。
先日、音楽もストーリー性が無いと流行らない、みたいな記事を見た気がするが、花火だってそう思う。
単純な光、単純な音で、ストーリー性をどうやったら喚起できるのだろう。
同じ時間があれば、歴史資料でも読み漁りたい。図書館だとかの有益な情報を読み知りたい。
同じ混み具合なら、博物館とかの館内で歴史物や昔の事物だとか、価値の定まったものを知ったほうが、よっぽど楽しめる。
散って儚い花火なんかよりも、普遍的な価値である歴史をもっと尊ぶべきだ。
そのへんの民俗資料館で無造作に置かれてる資料を捨てる話について
どこの郷土資料館に行っても置いてあって、個人的にもあんまり見分けつかないので
農機具なんか自分の家で置いとくのが邪魔になって押し付けたんだろぐらいの気分になるのはわからないではないのだが
(自分は江戸や明治まではじっくり見ても昭和のコーナーは早歩きですっとばす)
それはだいぶ贅沢な話で、歴史資料に乏しい国は自国の存在証明のために必死で証拠をかき集めてるんだよな
なにか見つけては旧約聖書に書かれたのはこの遺跡だと主張するのに余念がないし
それにくらべると日本の自称保守は甘いというかユルいというか危機意識に欠けるというか
たとえば維新系みたいのが対馬で勢力を得て郷土資料を処分した日には
それこそ対馬は半島系の人たちの文化圏だったのだ、みたいな主張に反論するための証拠(日本文化圏の民俗が継続的に存在していた)を失うわけだが、
グローバルな人的移動が当り前の昨今、本州内陸だって今から100年もしたら「1000年前からここはXX民族の土地」みたいな話は出てくるだろうになあ
俺もだいぶ年齢を経て保守的な態度になったので、YASUKEはすごい侍大将だったのだ、みたいなのは
そこに文句を言えるのはYASUKE以外の同時代の日本人についての記述や資料がそこそこ残ってる
(信長配下の武将たちの名前や事績が直接間接の証拠を積み上げてきちんと記載されてきていて、それら数十名数百名の名前に比してYASUKEの資料はないので比較的な意味で可能性は極めて薄いと主張できる)から言えることで、
それすら、まだまだ調べきれてない資料はいくらでもあるのに、今、日本各地で中身も見ずにシュレッダーにかけられたら
”SAMURAI COMMANDER YASUKE"にも反論できなくなっていくのだなと思うと、残念
現在ある様々な資料の全部の保存ができるとは思わないし、今を生きてくのに過去だけ見ててもしかたない(歴クラみたいな態度で歴史でキャッキャするのは嫌)のだが、せめて自分たちが手慰みに弄ぶ日本スゴイなるものの拠って立つ根拠がどこにあるかぐらいは意識しておいて欲しいよな…
インターネット普及以前のきのこたけのこ戦争の歴史資料が見つからない
Wikipediaの「きのこたけのこ戦争 - Wikipedia」のページには
と書かれており、その出典は
きのこVS.たけのこ戦争ついに終結 「たけのこ党」が国民総選挙で勝利!「吉田沙保里とつくるたけのこの里」などマニフェスト実行へ(2018年9月11日)|BIGLOBEニュース
とされている
しかしこの引用元ページでそのような記述がちょっと見当たらない
「きのこの山・たけのこの里国民総選挙2018」は、約38年に渡り対立を続けていた「きのこ派」と「たけのこ派」の戦いに決着をつけるべく開催。
これか?この記述だけなのか?あるいは今は非公開になっているYouTubeの動画内で言及がされていたのか?
こういう冗談みたいな話題を調べるとき案外頼れるのがニコニコ大百科とかアニヲタwikiで凄まじい独自研究の長文が書かれていることもあるんだが、今回は両方ともネタに振り切ってしまっていて参考にならない
???「インターネット普及以前どうなっていたかって話なんだからインターネット上で調べてもわからないのは当たり前だろ」
それはそうなんだが、「この本にそういう話題が書かれていた」みたいな情報がぐぐったらなんかひっかかるかもしれないと期待したのだがな……
年末年始に実家に帰った時に両親に「1990年とかその頃から、きのこたけのこのお菓子のどっちが好きみたいな定番の話題ってあったの?」と質問してみよう
もちろんその話題は今みたいなミーム化した激しい論争(ごっこ)ではなかっただろうけど
しかしTwitterみたいなインターネットでこういう話をするとすーぐネタ混じりの対立煽り(ごっこ)みたいな話に話題がそれてしまうから困る
おそらくこんなニッチオブザニッチなテーマについてまとめた本はない(あったら嬉しいが)ので、個人のエッセイ本だとか日記本だとかコラム集みたいなものの中できのこたけのこ論争について言及したものを探す必要がある
リファレンスサービスつかってもいいが、あんまり使い倒すと出禁喰らいそうで嫌ね
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「○○の中で特に○○」みたいな意味で「○○オブザ○○」って言い回しするときのof theってどういう辞書的な意味なんだろうと気になってググったが、間違えてたか?
「○○the○○」が正しいか?Gガンダムの「ガンダム・ザ・ガンダム」って言葉が根拠だが……ちょっと根拠が弱い
勘だがジョジョの「ダービー・ザ・ギャンブラー」と同じ文法構造な気がする
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「a the b」でぐぐったら出てきた
5 [名詞または形容詞と固有名詞とを同格関係に並べるとき] 《名詞または形容詞+固有名詞の前》.
★このような場合,特に固定化したものには固有名詞が the+名詞[形容詞]に先んずることが多い.
・Jack the Ripper切り裂きジャック.
なるほど!アンドレ・ザ・ジャイアントとかジャック・ザ・リッパーもそれと同じ構造の例か……
じゃあ「ニッチ・ザ・ニッチ」って書いてしまうと誤用かもしれんなあ
率直にニッチ中のニッチとか単にとてもニッチとでも書くべきだったか
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いや待て、「王の中の王」と言うときは「king ofkings」じゃないか?
こっちの言い回しと混ざったのかもしれないな
まあどちらにせよ「niche of niches」とは言わんか……
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実は第三勢力もいた!?20年続く「きのこの山派vsたけのこの里派」の議論が白熱するワケを明治に直撃! - コラム - 緑のgoo
「このような議論はお客様の間で自然に生まれたように感じています。それを受けて当社では、2001年には『きのこ党』と『たけのこ党』を結成し、それぞれが人気を競う『きのこ・たけのこ総選挙キャンペーン』を実施しました」
ニュー速が存在するのが99年からだから、99~01年の間にネットできのこたけのこ戦争ミームが盛り上がったとすれば時系列的に矛盾は無いか
立地:A
歴史:F
建築:F
観光:F
繁華街の近くにあって立地が良いだけで、他に良いことは何一つない神社。
それが護國神社。
寺社仏閣としての歴史は浅くて明治時代以降に作られたものだし、社殿は質素で特にみるべき物は無いし、観光に行っても何一つ面白いことはない神社。
それが護國神社。
靖国神社は明治維新から大東亜戦争までの歴史資料の展示があるし、アームストロング砲やゼロ戦などの兵器の展示があるし、食堂では海軍カレーが食えるし、お土産屋では兵器を模したグッズだったり、小林よしのりや百田尚樹の右翼本が売ってるんだぞ。
地方を観光する際にせっかくだからと護國神社に寄ることもあるけど、どこに行っても観光する価値が無くてガッカリするんだよな。
37歳。
180cm 75〜82kg(体調や季節環境で変わる)。
顔はハンマー投げの室伏広治選手や阿部寛に似ていると言われるが単に濃い顔なだけ。
髪質は堅くストレート。初めて行く床屋がハサミを入れた瞬間「堅ったいねぇ!」と驚くくらい堅いようだ。
骨格は太く大きい。血統的に代々狩猟漁業を営んできた家系の出で、そのためか何も鍛えずとも握力が70kg以上ある。
太っては居ない。中肉中背と表現するにはあまりにもゴツいのでパワー系だと思っていただければ。
国立大卒。
情報技術者で一部特別報酬のある契約があり少なかれ変動はあるけれど平均年収はおおよそ800万円ちょっと。報酬が特別加算されることはあれど減ることはない契約。ボーナスは別にある。
国立大卒と言っても情報技術者である今は専攻と全く関係がなく、学生時代より趣味で続けてた独学プログラミングがいつの間にか職業になってしまったタイプ。
タバコや酒は吸えるし飲めるが普段はあまりやらない。紙タバコよりもパイプや葉巻などゆっくり吸えるものの方が好き(普段吸わないので一気に吸わないといけない紙タバコだとムセるため)。
酒はビールなどよりブランデーや日本酒、焼酎のほうが口に合う。タバコも酒も月に1度2度やれば多い方。
モノ作り。
スキル的にはプログラミングおよびパソコンそのもの、電子工作、製図、金属や木材加工、そしてDTMが可能。
まぁつまり自分で設計して加工して組み立てて動作させるまでを一貫して行えるスキル構成。DTMは電子工作系の趣味人にありがちな電子工作から派生したスキル。
ぶらりとその辺を歩いて写真を撮るのも好きでカメラ趣味も持っていて動画編集もそこそこできる。120Wの撮影照明を2基所持していると言えばカメラやってる人ならばどれくらいの撮影機材環境か察して貰えるはず。
(これは既婚の今実際にやってることだが)パートナーが居るのならば日々のパートナーの姿を可愛く綺麗に撮りたいと思っている。
熱血漢とよく言われる。
家柄的にガハハハと笑うような男性陣を見て育ったためか、インドアっぽい趣味や職業でありながらも根は何だかんだで体育会系。
人々が努力し目標へ向かって突き進むアツいモノが大好物で、応援するし協力もしちゃう。
世代的に2ちゃんねるニュー速VIP・ニコニコ動画黎明期世代なので、その当時流行ったパソコンでのモノ作りへ強く影響を受けており公開する環境が変わったものの今でもそれを続けていると言った良く、おまえらのモノ作りはアツいとずっと思ってる。
料理は基本的に男料理。生まれが生まれなので魚料理やジビエ料理だけは自信がある。やろうと思えばシカやクマを捌けるスキルがある。
近いほうが話が合うだろうけれど不問。
自分自身が太く大きいので女性の好みとしては自分と真逆さを求めていて小柄な方が好きっちゃ好き。
真逆さという意味で胸も大きければ大きい方が良いような気もするが、身長も胸の大きさも絶対基準でないどころかワンチャンそんな感じだと良いよねレベルの要望。
不健康なほど太ってなければ良くガリガリも心配になってしまい食わせてしまうので多少ふっくらしてる方が安心かな?
自分が短髪なので髪は長め、綺麗系・華美な服装よりも可憐な服装が似合うほうが好み。
(リアル妻は腰まであるロングヘアーで151cm/Gカップらしいので物凄く好みに合致したから当時アピール頑張った。つまりこの好みは妻の容姿である)。
すべて不問。
働きたいなら好きにしろ。働きたくないなら俺が食わせる。以上!
自分が熱が入ってくると「ヒャッハー!」な感じになってしまうので、おっとりしつつ冷静でかつマイペースな人を求める。
自分の「ちょっと面白そうだから行ってくるわ!」へ対して「いってらっしゃーい」と送り出すか「ちょっと待ってね?まず先に○○しなきゃダメじゃない?」「今日は私を優先する日!」などの返答があると助かる。
夜は積極的だと嬉しいよね!お姫様抱っこしちゃうぞ!加齢していくと辛くなることもあるらしいからそのときは言って!
楽しめるうちは落ち着きなんて要らんと思う。可愛い服でエロい下着で俺をいっぱい俺を魅了して、そして夜ができなくなってもイチャラブしようぜ!
オタク推奨。
何ならキミが欲しいそれ、作るが?
自分で鋳造まではしたことあるのである程度の量産は対応できる。
自分は基本インドアだけれど生家がアウトドア業なので普通にアウトドア趣味も楽しめます。
「写真撮って良い?」と聞いたら「良いよ」って返してくれると嬉しい。可愛いなぁ残しとこ!ってなってるだけなので。
掃除くらいはして欲しい。
メシマズなら俺が作れば良いけれど栄養バランスとかは知らんので俺が作らねばならないパートナーだった場合は栄養バランスとか調べるようにはなると思う。
いつかは欲しい。人数は応相談。
ただ年齢的に無理っぽいならば養子を取るかどうかは相談しようね。
富の本質は日本円などの通貨ではなく山で採れるもの海で穫れるものなどであって、通貨は富の交換の代替手段でしか無いわけ。そういう意味ではモノ作りっていうのは山で採れるもの海で穫れるものと同様に本質的な富であると言える。
ただ消費するだけでなく価値を生む生産する技術と生き方を子供たちには教えていきたい。そうしてお金を稼ぐとはどういうことなのか?を学んで欲しい。
それ以外についてはパートナーの方針に合わせる!田舎出身なのでお受験競争に遭ったことがなくスルッと国立大に入って出てきてしまったため、おそらく俺は学業に関して指導するセンスや知見がない!
勉強はなんか上手くいった!たぶんプログラミングとかやってて数学とか英語とか必須だった(当時のプログラミング情報は日本語マニュアルの更新が滞るとかよくあった)せいだと思うけど、勉強しようと思って勉強したことがないのでよくわからんのだ!
あっでも弱い者いじめは絶対に許さんぞ!非力なその子たちは将来のクリエイターかも知れん。俺はモヤシっ子がスゲーもん作るのを2ちゃんねるやニコニコ動画でいっぱい観てきたぞ!体育会系の身体にオタクの魂を込めたのはきっと八百万の神が俺にオタクを守れと宿命を与えたのだと思っている!
解決済み。
実家は漁師なのだけれど親父の代で猟師漁師は閉業が決まっており、兄弟とも話がついていて実家の土地建物は兄弟たちへ、猟師漁師関連の史料的価値のあるものは俺が相続することになっている。
自分は完全に独立して実家の土地建物を頂いても困るし遠方過ぎて管理にも困り、将来的に高速道路や鉄道が通るわけもなく、豪雪地帯なのでおそらく工場も建たないだろうから資産的価値はほぼ無いと言って良い土地建物だ。
ただ一応は幼少期の頃から猟師漁師の技術継承を受けた長男なので、矜持として猟師漁師関連の史料だけは俺が守らないとなと(管理が大変なもの大きすぎるものは歴史資料館に寄付とかするけど)。
土地建物を引き継ぐ代わりとして両親の面倒は兄弟が見ている(兄弟夫婦が既に実家へ住んでる)。
オタク忌避、陰謀論者、ネズミ講および類するもの、犯罪者、科学軽視および科学技術知見の普及妨害、伝統文化技術の破壊、個人意志の非尊重、俺が可愛いと言っても素直に受け取らず謙遜すること、誰かを下げて相対的に自分を上げようとする性根。
あるのは図書館に併設された地元の歴史資料館だけ。普段からたいして人気はないけど、定期的に恐竜やクジラなどの博覧会をしている。既存の展示物をそういったものに置き換えてるだけなので、極めてこじんまりとしていてショボい。
全体を見ても15分で終わるし体験できるものもほぼない。2LDKの部屋を見学しているような感覚だ。
それでも子供は来ていたし年齢によっては楽しめそうだ。何より無料で気軽に行けることが最大のメリットだと思う。1500円払って炎天下に大きな博物館に行くのもいいが、散歩感覚で子どもと行けることの大事さは別格だと思う。
そういう企画をいつもやってくれてる地元の資料館には感謝している。