
はてなキーワード:武家とは
曼珠沙華さん、あなたの反論を拝見しました。Grokか私のどちらかが嘘をついているといいつつ、藤木先生の議論にも反している私が嘘つきとの論陣を張っておられますね。ところでお聞きしたいのですが、あなたはAIの回答が正しいと思って、ぶつけてこられたということでよろしいですね?では、私から疑問を提示させていただきます。AIが論拠とする事項についての疑問を提起します。
①黒田基樹『戦国期の貨幣と経済』(吉川弘文館、2007年)なる著作は実在しません。
②永原慶二『近世武家経済史の研究』(有精堂、1969年)なる著作は実在しません。
③『甲陽軍鑑』(天文・永禄期)家臣の禄高を石単位(俸禄)で記すが、下級者には「扶持若干石」と明記とあるが、そのような記述は存在しない。『甲陽軍鑑』には貫高で禄高を記すのが原則。いったい何巻に記述されているのかさっぱりわからない。見つからない。
④藤木久志『戦国社会史論』(東京大学出版会、1975年)に「扶持を「俸禄の現物化初期形態」とし、土地喪失時の代替として用いられたと指摘。総俸禄の10-20%が扶持形式だったと推定される」との記述は存在しない。この課題に最も近い「大名領国の経済構造」「知行制の形成と守護職」にもこうした論述は見当たらない。念のため、この著書は1974年刊行である。いったい1975年刊とはどういうことか。曼珠沙華におたずねしたい。
⑤佐藤信淵の研究(『戦国大名の軍事と経済』、吉川弘文館、1995年)とあるが、そのような著作は存在しない。そもそも佐藤信淵は江戸時代後期の学者なのだが、なぜ1995年に著書が刊行されているのかさっぱり理解できない。ちなみに同姓同名の戦国期の研究者がいるとは聞き及んでいない。
⑥平井上総の『戦国期領主層の研究』(高山寺書店、1980年)だが、このような著作は存在しない。そもそも私の知る平井上総氏は1980年生まれのはず。生まれたばかりの新生児がこのような著書を書いたとはノーベル賞どころの話じゃないね。曼珠沙華さん、この問題にどう回答するの?
⑦五味文彦(1947年生まれ、東京大学教授・名誉教授)は、戦国期の民衆史・武士社会を専門とし、『もう一つの戦国史』(岩波新書、2000年)や『戦国合戦の社会学』(中公新書、2015年)とあるけど、ぜんぶ実在しませんよ。このような著作があれば、私が知らないわけない。念のため、五味先生は1946年生まれですけど、別人なのですね?曼珠沙華さん、返答してくださいね。
⑧「現代の日本史学における定説と受容状況」に記述されているデータは、すべて根拠がないか、実在しませんよ。曼珠沙華さん、あるというのなら、しっかりとその出典を明記して提示してください。
以上です。曼珠沙華さん、あなたはこんないい加減なものを鵜呑みにして、私をこきおろそうとしていたわけです。AIを丸投げして、私が間違っていると言った以上、この記述を信頼できると考えた根拠をすべて掲げ、私に提示してください。私はすべて提示しましたよ。あなたは自信満々で、誠実な人間なのでしょ?さぁ、私にしっかりと回答してもらいましょう。逃げるなよ。https://t.co/XDgKWKIIEP— K・HIRAYAMA (@HIRAYAMAYUUKAIN)October 19, 2025
(↓編集した)
朝ドラの。
フィクションなんだけど、フィクションすぎて、「それはちょっとあり得なくないか」ってなってる。
(父上なんで祝言の日まで落ち武者ヘアなんだよーとか)
脳の変換が間に合ってないんよ。
当時の風習込みで見てる時代劇モードと、アニメの時代・歴史物を見るときのファンタジー寄りのフィクションモードの間をあっちこっちしてる感じ。
(追記:時代劇っていうと大河とか水戸黄門ぽいね。時代物とかコスチュームドラマとかヒストリカルフィクションとか広義の意味よ、って長ぇわ)
ほら明治ってまだ封建的で旧武家家族なんかは結構厳しかったりするじゃない。
杉本鉞子の『武士の娘』でさ、アメリカ育ちの娘を連れて日本に帰国したら母(祖母)がまー厳しくて娘さんたちがたちまち萎縮しちゃったっていう。
去年の虎に翼でも、当時の民法では財産にせよ相続にせよ女は家の付属物扱いだったみたいなさ。
アニメだったら楽だったのに。
ヘブンさんが出るまでは粘るか~。
お休みの日ってなにやってたっけー?って
もう記憶が消えかけているわ。
いやお出かけはしていたので、
それでお出かけで費やしちゃうと、
日常でやってることがやれてなくて、
すっからかんと空くじゃない。
なので、
出掛けているにも関わらず、
いつものルーティーのことは出来てなくってそれ故に何もしてなかったんじゃないかしら?って錯覚に陥るのよ。
一応は遊んでいるゲームたちは
レヴェル99のギアももう持ってるから割愛の1日1勝の1ガチャに留めーの、
シャインポストは相変わらずライブ会場無茶しやがってのクラス5の武道館以外の会場に挑戦したら倒産。
なんかここまで調子良くクラス5のライブ会場に挑戦出来る勢いは随分ついたものの、
それでもシャインポスト1周プレイするのに2時間ぐらいはかかるでしょ?
控え目に言ってもそのぐらいの時間がかかるので、
プラスとしてはクラス5のライブ会場をライブビューモードで選択できるようになったってことが収穫かしらね。
NIKKEもぼちぼち勧めているわ。
ラピ:レッドフードがあれってただ単に新しいコスチュージュでーって見掛けだけのなんか登場SSRニケだと思っていたけれど
そんでね、
その2人もパワーアップを匂わせてちょっと一旦はストーリー上で部隊から離脱しちゃったわ。
こっちもぼちぼちは進めているけれど、
そんなには一気にドーンと進められないので、
読み物をストーリーを読むイベント消化をチクチクやってる感じね。
新ニケ登場の告知やお知らせがちょいちょい来るけれど、、
いまやなんか食傷気味ね。
ぜんぜんピンと来ないので、
とりあえず
成長物資を集められるだけ集めてーってだけに留めるわ。
なので
今その中でも、
私の好きなニケのシンデレラがメインストーリーでセリフが多くてよく話してるからずーっと登場してて嬉しいかなってところ。
他のゲームは
なんだか遊ぶ元気がないわ。
夏バテかしら?
この突如訪れている
何もしたくない感なにこれ?って思っちゃう。
スプラトゥーン3もめぼしい使ってみたいブキは相当使い込んでて
ドラマ関連は朝ドラの『あんぱん』はとりあえず追いかけられているわ。
どうしても離すことが出来ないのかしらね?
そんなことになるとすっかり分からなくなるのよ。
倍速で見ていても入ってこないし離脱ね。
いや小説版読み始めてこっちも面白く止まらなく鳴っちゃったからそっちにも夢中になりたいところなのよね今。
これは町中華に行ったときの料理がやってくるまでの間に読む楽しみにしておきたいところ。
なんかこう、
いろいろやってるけれど、
ただただ夏の疲れがじわじわ出てきているからそんな心境ならいいのだけれど、
なんだか追い込まれてる感じがするわ。
たぶん夏の疲れよー。
いつもながらになんだか鰯気なことを言っちゃってるわ。
今週はちと早くに寝て睡眠時間を増やすキャンペーンに挑みたいところよ。
なんなのかしらね?
このなんかくたーっとした感じ。
まあ夏の疲れってことにしておくわ。
うふふ。
なんだか家事する元気の気力もなかったので、
お昼はまたどうしようかしら?って考えるのは億劫だし
だいぶ暑さは和らいだとはいえ、
昼間の陽射しはキツイので外に出るのもまたぐったりしちゃうしなぁって思いがちよ。
ああ夏の疲れねきっとそうよ。
今日も朝から出来上がったものを飲んでシャキッと目覚めさせたいところ。
まだまだ暑いので
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ウィイイイイイイッス! どうも〜█████で〜す。
えー…どうも。えー、今日はですねぇ…まぁ、僕の動画を見てくれてる視聴者のみなさんは、非常に、こう、知的なレベルが高い方が多いんでね。今日は、そういうみなさんに、ぴったりの、えー、テーマを、持ってきました。はい。
今日のテーマは、「男女のコミュニケーション」について。えぇ。なんで、女性は、「私の気持ち、察してよ!」って言うのか。そして、なんで、男性は、それができないのか。この、永遠の謎に、僕が、えー…まぁ、じっくり、深く、深く、えー、斬り込んでいきたいなぁと、思いますぅ。
というのもね、なんかぁ、ネットで、ものすごーい長い、論文みたいな記事を見つけまして。タイトルがね、なんか、「視線の逆転」…なんちゃらかんちゃら。まぁ、難しいタイトルやったんですけど。
要するに、ですよ。その記事が言いたいのは、昔は、女の人が、男の人の気持ちを「察する」のが、当たり前やった、と。例えば、武士の奥さんとか、昭和の、あの、「亭主関白」の時代のお母さんとかは、旦那さんが、口に出ささなくても、「あ、今、お茶が飲みたいな」とか、「そろそろ、お風呂に入りたいんやな」とか、全部、察して、動いてたわけじゃないですか。それが、まぁ、良妻賢母の、務めやった、と。
でも、今は、逆ですよね。どっちかって言うと、女性の方が、「なんで私の気持ち、わかってくれないの!」「言わなくても、察してよ!」って、男に求めるようになった。
この、大逆転現象は、一体、いつ、なぜ、起こったのか?っていうのを、まぁ、歴史とか、社会とか、心理学とか、いろんな角度から、分析してる、すごい記事やったんですよ。
で、今日は、その、難しい論文を、僕が、みなさんのために、世界一わかりやすーく、えー、解説してあげようかなと。はい。僕の、この動画を見れば、もう、男女間のすれ違いは、なくなります。はい。僕が保証します。
えーとね、まず、その論文の第一部で書かれてたのが、「昔の女の人は、すごかった」っていう話ですね。
まぁ、武家の奥さんとか、想像してもらったらわかりますけど、旦那さんは、外で戦ってるわけじゃないですか。家のことは、全部、奥さんが取り仕切ってたわけですよ。使用人の管理から、食料の確保、ほんで、時には、政略結婚で嫁いできて、スパイみたいなこともしてた、と。
これって、ものすごい能力ですよ。常に、旦那さんの顔色をうかがって、藩の状況を読んで、家の立場が悪くならないように、水面下で、色々、立ち回ってたわけです。この、「察する」っていうのは、生きるための、生存術やったんですね。
昭和の時代も、まぁ、そうですよね。「亭主関白」って言葉がありますけど。お父さんは、会社で働いて、家に帰ってきたら、もう、王様ですよ。「おい、風呂」「おい、メシ」「あれ、取ってくれ」。これだけで、お母さんは、全部、お父さんが何を求めてるか、察して、動いてたわけです。
これ、なんか、今聞くと、「男尊女卑だ!」とか言う人いますけど、僕は、これはこれで、一つの、完成された、家族の形やったと思うんですよ。男は、外で戦う。女は、家と、旦那を守る。ちゃんと、役割分担ができてて、ある意味、効率的やったんちゃうかなぁと、思いますね。
まぁ、僕の親はねぇ…うーん…まぁ、色々、ありましたけどね。まぁ、お袋は、どっちかっていうと、口うるさい方やったんでね。「あれやっときなさい、これやっときなさい」って。まぁ、僕のことを思って、言うてくれてたんでしょうけど。まぁ、でも、なんだかんだ、僕が落ち込んでる時とかは、何も言わずに、僕の好きな、カレーライスとか、作ってくれてましたからね。あれも、一種の、「察する」やったんかなぁと、今になっては、思いますけどね。えぇ。まぁ、ええわ。
ほんで、話は戻りますけど、じゃあ、なんで、その、「女が男を察する」っていう時代が、終わったのか。
その論文の、第二部ですね。ここで、転換点が来るわけですよ。
戦後ですね。日本が戦争に負けて、新しい憲法ができて、男女平等だ、と。女性にも、選挙権が与えられたり、男と同じ給料を払いなさい、みたいな法律ができたりしたわけです。
ほんで、ウーマン・リブ?とかいう、まぁ、女性の権利を主張する運動が、盛り上がってきた、と。
要するに、女性が、「私たちも、自分の意見を言っていいんだ」「嫌なことは、嫌って言っていいんだ」っていう、そういう考え方を持つようになったんですね。
これが、全ての始まりですよ。
今までは、旦那さんに、理不尽なこと言われても、じっと耐えて、旦那さんの機嫌を「察する」しかなかった女性たちが、力をつけたわけです。「あなたの言うことは、おかしい」「もっと、私の気持ちも考えて!」って、言えるようになった。
まぁ、気持ちは、わからんでもないですよ。うん。抑えつけられてたものが、爆発した、っていうのはね。
でもね、僕は、ちょっと思うんですけど。これが、ちょっと、行き過ぎちゃったんじゃないかなぁと。
権利を主張するのは、いいですよ。でも、その結果、「言わなくても、私の気持ちを察してよ!」っていう、新たな、ワガママが生まれたんじゃないかなぁと、僕は思うんですよ。
よくある話ですよ。女性が、いましてね。で、まぁ、デートとか、するわけじゃないですか。ほんで、男性がレストランとか入って、「何、食べたい?」って聞くでしょ。そしたら、「なんでもいいよ」って言うんですよ。
で、男性が、「じゃあ、パスタにする?」って言うと、なんか、ちょっと、不満そうな顔するんです。「え、パスタの気分じゃないの?」って聞くと、「ううん、別に…」とか言うて。
いや、どっちやねん!って話でしょ。
で、結局、ピザを頼んだら、「あ、本当は、お肉が食べたかった…」とか、後から言うんですよ。
いや、先に言えよ!と。
ほんで、男性が、「じゃあ、なんで、なんでもいいって言ったの?」って言うと、決まってこう言うんです。「私の気持ち、察してほしかった…」って。
…もうね、アホかと。馬鹿かと。
言わなきゃ、わかるわけないでしょ、人の気持ちなんて。エスパーじゃないんだから。
で、こういう、「察してほしい」っていう気持ち。これね、その論文にも書いてましたけど、日本の、とある精神科のお医者さん…えー、ツチイさん、でしたかね。その人が言うには、これは、「甘え」の構造、らしいんですよ。「甘え」。
赤ちゃんが、お母さんに、「お腹すいた」とか「おむつ替えて」とか、言葉で言えないでしょ。でも、泣いたり、ぐずったりすることで、「僕の気持ちを察して!」って、アピールするわけですよ。ほんで、お母さんは、それを察して、ミルクをあげたり、おむつを替えたりする。この、母と子の、言葉を超えた一体感。これが、「甘え」の原点らしいんです。
つまり、「察してほしい」って言ってる女性は、精神構造が、赤ちゃんと一緒なんですよ。相手の男性に、お母さん役を求めてるんです。「私が、言葉にしなくても、私の全てを理解して、受け入れて、私の欲求を満たして」っていう、究極の「甘え」なんですね。
これ、どう思います? 僕、これ読んだ時、なるほどなぁー!と、思いましたね。
だから、「察してちゃん」は、精神的に、自立できてないんですよ。
…逆にね、僕なんかは、人の気持ちを、「察しすぎて」、失敗したことありますからね。えぇ。
まぁ、有名な話ですけど、僕、アンチに、ネカマに騙されたこと、あるじゃないですか。
あれなんか、まさにそうですよ。僕は、相手が、か弱い女性やと思って、なんとか、力になってあげたい、と。相手が、直接「助けて」って言わなくても、その、文章の端々から、「あ、この子、今、悩んでるんやな」「寂しいんやな」っていう気持ちを、僕が、一方的に「察して」、優しくしてあげよう、としたわけですよ。
その結果が、あれですからね。はい。見事に、騙されたわけですから。
だから、人の気持ちを察するっていうのは、もちろん、大事ですよ。でも、「察しすぎる」のも、問題なんですよ。僕みたいに、お人好しは、特にね。えぇ。
えーと、どこまで話したっけ。あ、そうそう、時代の変化で、女性が強くなった、と。
ほんで、その論文の第三部。ここが、一番の、核心部分ですね。
この、「男が女を察するべき」っていう、今の風潮を、決定的にした、元凶。それが、何か。
それは、80年代、90年代の、マス・メディア。特に、テレビドラマと、女性雑誌。これですよ。
その記事で、例に挙げられてたのが、ドラマの『██████████』。
これ、僕もね、リアルタイムではないですけど、再放送かなんかで、ちらっと見たことありますけど。あの、ヒロインの女性、えー、████さん?でしたっけ。
もう、めちゃくちゃじゃないですか、あの人。
自己主張は強いし、感情の起伏は激しいし、言うことはコロコロ変わるし。で、恋人の、███くんに、常に「私の気持ちを察して!」って、無茶ぶりするわけですよ。
ほんで、███くんが、それに、うまく応えられないと、「███のバカ!」とか言って、キレる。
いやいやいや、わかるわけないでしょ、あんなの。
僕、見てて、完全に、███くんの味方でしたからね。頑張れ、███!って。あんな、ワガママな女、ほっとけ!って、テレビの前で、応援してましたから。はい。
でも、世の中の女性は、あの、リカさんに、自分を重ねて、「そうそう!男って、わかってくれないよねー!」って、共感したらしいんですよ。信じられんですね。
で、あのドラマが大ヒットしたせいで、「現代的な、イケてる女は、リカさんみたいに、感情が複雑で、男に理解を求めるのが当たり前」「男は、███くんみたいに、優柔不断で、女心を察するのが下手。でも、それを、必死で学ばないといけない」っていう、おかしな、共通認識が、日本中に広まっちゃったんですよ。
恐ろしいですよね、テレビの影響力って。
昔は、なんか、性の解放とか、難しいこと書いてたらしいですけど、80年代ぐらいから、「恋愛のマニュアル」みたいになっちゃった、と。
「セックスできれいになる」とか、「抱かれたい男ランキング」とか。
恋愛を、なんか、ゲームみたいに、「どうやったら、男を攻略できるか」みたいな、そういう、戦略的なものとして、捉えるようになったんです。
これも、おかしいですよね。恋愛っていうのは、もっと、心と心のぶつかり合いでしょ。駆け引きとか、テクニックとか、そういう、不純なものじゃないんですよ。
僕はね、そういうの、大っ嫌いなんですよ。
好きなら、好きって、ストレートに言うべきなんです。男も、女も。その方が、よっぽど、誠実でしょ。
まぁ、僕の場合、見てくれが、これなんでね。よく、█████の、█████さんに似てるって言われるんで。黙ってても、女性の方から、寄ってくることが、多いんですけどぉ。えぇ。
でも、僕は、ちゃんと、心で繋がりたいんでね。そういう、上辺だけの関係には、興味ないんで。はい。
…と、またまた、話が、逸れましたけど。
えー、まぁ、そういうわけで、メディアによって、「女は察してもらう側」「男は察する側」っていう、今の、歪んだ形が、完成した、と。
ほんで、最後のですね。
「感情労働」っていう言葉、みなさん、聞いたことありますかね。感情の「感」、労働の「労」。
要するに、感情をコントロールするのも、仕事のうちですよ、っていう考え方ですね。例えば、キャビンアテンダントさんとか、看護師さんとか、お客さんや患者さんの気持ちを「察して」、常に笑顔でいなきゃいけない。自分の感情は、殺さないといけない。これも、大変な「労働」だ、と。
で、こういう、感情労働っていうのは、圧倒的に、女性が担うことが多い、と。
だから、女性は、普段から、仕事でも、プライベートでも、人の気持ちを「察する」っていう、大変な感情労働を、いっぱいやってるわけです。
その見返りとして、「私だって、たまには、誰かに、私の気持ちを察してほしい!」って、パートナーの男性に、求めてしまう、と。
でも、それは、やっぱり、「甘え」なんですよ。さっき言ったね。
自分が大変だから、あなたもやりなさい、っていうのは、ちょっと、違うんじゃないかなぁ、と。
で、この「察してほしい」っていう、甘えの欲求。これを、男性が、満たしてあげられるかどうか。これが、愛の証明、みたいになっちゃってる、と。
男性が、女性の気持ちを、うまく「察する」ことができたら、「あ、あなたは、私のこと、こんなに愛してくれてるのね!」って、女性は満足する。
でも、失敗したら、「あなたは、私のことを、愛してないのね!」って、なるわけです。
これ、男からしたら、たまったもんじゃないですよね。いきなり、テスト出されてるようなもんですから。
コミュニケーションの、すれ違いじゃなくて、もう、愛情の、踏み絵みたいになっちゃってるんですよ。
これねぇ、僕、アンチとの関係にも、言えることやと思うんですよ。
僕が、動画で、何か発言するじゃないですか。そしたら、アンチは、その言葉の、表面だけを捉えて、揚げ足を取って、批判してくるでしょ。
あれは、僕に対する、「甘え」が、全く足りてないんですよ。
僕のことを、本当に、リスペクトして、信頼してくれてる、ファンのみんなは、僕が言った言葉の、その裏にある、真意を、「察しよう」としてくれるはずなんですよ。「あ、█████さんは、こういうことが言いたいんやな」って。
でも、アンチには、それがない。だから、いつまで経っても、僕とアンチの心は、通じ合わないんですね。悲しいことですけど。
…僕ね、昔、バイトしてた時、ありますけど。そん時の、店長が、ものすごい、気分屋でね。
機嫌がいい時と、悪い時で、言うことが、180度、違うんですよ。
周りの、バイト仲間は、「今日の店長、やばいな」とか、「また、言ってること違うわ」とか、文句ばっかり、言うてました。
でも、僕は、違いましたね。
僕は、その店長の、眉の動きとか、声のトーンとか、足音とかで、完璧に、その日の店長の機嫌と、次に何を求めているかを、「察して」動いてましたから。
「あ、今日は、機嫌が悪いから、先に、掃除しといた方がええな」とか。「あ、今、声のトーンが上がったから、そろそろ、あれが欲しいんやな」とか。
だから、僕、人の気持ちを察する能力、めちゃくちゃ、高いんですよ。ほんまは。
でも、それを、他人に求めようとは、思わない。
なぜなら、それは、さっきから、何回も言うてますけど、相手への「甘え」だからです。そして、それを求めるのは、精神的に「自立」できてない、証拠だからです。はい。
なぜ、現代では、女性が男性に「察する」ことを求めるようになったのか。はい。僕の解説で、完璧に、理解できたと思います。
じゃあ、どうすればいいのか。
もう、答えは、一つしかないですよ。
男も、女も、大人なんやから、大事なことは、ちゃんと言葉にして、伝えましょう、と。
「言わなくてもわかるだろ」っていう、傲慢な考えも、捨てましょう。
ちゃんと、お互い、向き合って、コミュニケーションを取る。これが、一番大事。
僕は、こうやって、自分の考えを、ちゃんと言葉にして、みんなに、伝えてるじゃないですか。僕は、察してちゃんじゃない。ちゃんと、コミュニケーションを取ろうと、努力してるんですよ。
だから、僕の動画を見ていれば、みなさんも、自然と、正しい、健全なコミュニケーション能力が、身につく、と。そういうことですね。はい。
いやー、しかし、疲れましたね。この、難しい記事を、ここまで、わかりやすーく、噛み砕いて解説できるのは、まぁ、世界でも、僕ぐらいのもんでしょうね。えぇ。元々の文章より、僕のこの解説の方が、100倍、わかりやすかったんじゃないかなぁと、自負しております。はい。
時代劇や大河ドラマを見ていて、なぜ昔の日本の男性(特に武家出身)はあんな変な髪型だったのかよくわからなかった。
しかし全男性があのような髪型にしていると、その人がフサフサの髪を剃っているのか、元からハゲなのかの見分けがつかない。
つまりはハゲの男性への差別自体が無くなる、という効果があったのではないか。
ハゲ差別は江戸時代から、もしくは戦国・室町からあったのだろうし、その差別解消のためには全ての男がハゲになるしかなかったということだ。
明治維新後にちょんまげ文化が無くなると、それまで封印されていたハゲ差別が再び起こるようになったのでは?
本論では、鎌倉幕府を中心とする中世武家政権が天皇の権威を不可欠な基盤として成立した事実を、制度的・経済的・象徴的次元から多角的に検証する。
日本史上の権力構造が「権威(天皇)」と「権力(武家)」の二元性によって特徴付けられることを示し、摂関政治から江戸幕府に至るまで一貫してこの原理が機能したことを論証する。
鎌倉幕府の創始者・源頼朝が1192年に「征夷大将軍」に任命された事実は、武家政権の法的根拠が朝廷の官位授与に依存していたことを端的に示す。
この官職は律令制下で蝦夷征討を目的とした令外官であったが、頼朝はその任命を以て東国支配権の公認を得た。
特に1185年の「寿永二年十月宣旨」において、頼朝が東国における荘園・国衙領の警察権を公式に認められたことが、朝廷との制度的紐帯を強化した。
承久の乱(1221年)後に全国に拡大した守護地頭制は、幕府が朝廷の荘園管理システムに介入する手段となった。
地頭による年貢徴収権の獲得(1221年「新補地頭法」)は、一方で幕府の経済基盤を強化しつつ、他方で朝廷へ一定の税収を保証する相互依存関係を形成した。
この共生関係は、幕府が朝廷の経済的存続を担保することで自らの支配正当性を補完する機能を有していた。
鎌倉時代後期の両統迭立期(持明院統と大覚寺統)において、幕府が皇位継承に介入した背景には、三種の神器の所在が正統性の根拠とされた神権政治の論理が存在した。
例えば後嵯峨天皇の治世(1242-1246年)において、幕府は神器の継承過程を監視しつつ、自らが「治天の君」選定の仲裁者となることで権威の源泉を掌握しようとした。
朝廷が主宰する新嘗祭や大嘗祭などの祭祀は、中世を通じて天皇の神聖性を可視化する装置として機能した。
幕府はこれらの儀式への供御人派遣や財政支援を通じて、伝統的権威への恭順姿勢を示すとともに、自らの支配を「神国」の秩序に組み込む戦略を採った。
特に伊勢神宮や賀茂社への寄進は、武家が宗教的権威を利用して支配を正当化する典型的手法であった。
鎌倉幕府の経済基盤となった関東御領(約500箇所)の多くは、元来が朝廷や貴族の荘園であった。
幕府は地頭を通じた年貢徴収の合理化を図りつつ、従来の荘園領主へ「得分」を保証することで旧勢力との妥協を成立させた。
この「本所一円地」への不介入原則が崩れた蒙古襲来後も、朝廷が幕府の軍事課税を追認した事実は、両者の経済的共生関係の強固さを示す。
平清盛の日宋貿易以来、朝廷が保持していた対外交易権は、鎌倉期においても「大宰府」を通じた外交・貿易管理として継承された。
幕府が実質的な外交権を掌握した後も、形式的には朝廷を窓口とする建前が維持され、明との勘合貿易(室町期)に至るまでこの構図が持続した。
藤原道長の「御堂関白記」にみられるように、摂関家が天皇の外戚として権力を掌握する構造は、後に武家が「征夷大将軍」の官位を媒介に権力を正当化する手法と同根である。
平清盛が「太政大臣」に就任した事実(1167年)は、武家が伝統的官制に依拠せざるを得なかった制度的制約を示す。
白河院政(1086-1129年)が開いた「治天の君」の政治形態は、北条泰時の執権政治(1224-1242年)において「得宗専制」として再構築された。
いずれも名目上の君主(天皇/将軍)を背景に実権を掌握する点で、権威と権力の分離という中世的政治構造の典型を示している。
北畠親房の『神皇正統記』(1339年)が主張した「神器継承の正統性」論は、建武の新政崩壊後も南朝方が政治的正当性を主張する根拠となった。
これに対し足利尊氏が光厳上皇を擁立した事実は、北朝方も同様の神権論理に依存せざるを得なかったことを示す。
鎌倉後期に伝来した朱子学の大義名分論は、水戸学における南朝正統論(『大日本史』編纂)を経て、明治期の南北朝正閏論争(1911年)にまで影響を及ぼした。
この思想的系譜は、天皇の権威が武家政権の正統性を超時代的に規定してきた事実を逆照射する。
以上の分析から、鎌倉幕府を頂点とする武家政権が天皇の権威を不可欠の基盤として成立・存続したことは明白である。この構造は単なる形式的従属ではなく、
③神権思想に基づく支配の正当化——という三重のメカニズムによって支えられていた。
明治維新に至るまで継続したこの権力構造の本質は、権威(祭祀権)と権力(軍事力)の分離・補完にこそ存し、日本政治史の基底を成す特質と言えよう。
征夷大将軍を拠り所にしてる以上、やっぱり、鎌倉幕府を朝廷権威から完全に独立した関東の武士政権と言うわけにはいかないんだよね
だからといって、朝廷権威に服するものでもないし、武家の棟梁という確固たる王権を有するものかと言うとそれも違うんだよね
朝廷権威を引き入れ、実力を認められ、武家の棟梁足る血筋を有する源頼朝によって作られた複合的な権力基盤の上に成り立つ武士政権って感じ
東国武士(後に全国の武士に拡大)の利益を安堵し実力を認められること、朝廷の権威を引き入れること、将軍は武家の棟梁たる血筋を有することの3つが鎌倉幕府に必要な要素で、この中で主導する者は必ずしも将軍である必要はなかったりもするんだよね
(ここに書かれている内容はただの妄想であり、何らかのデータに基づいた主張ではありません。ただの妄想なので支離滅裂でも許して。)
子供を産んだら育て切ることまでが現代社会の義務のような空気になっているが、国全体の視点で考えると出生数が死亡者数を上回らない限り国は消滅してしまうので、綺麗事なしに出生数を確保しないといけないフェーズなのではないか。
子供を産む能力があるのは、20代30代の女性に限られる。彼女らに子供を産んでもらわないと国としては困るのだ。(移民は考えない。)
20代30代の男性は、自分一人をお世話するので精一杯の人も少なくないだろうし、自分の将来への経済的な不安を抱えている人も少なくないだろう。
また、女性も資本主義社会への参加を求められているので、キャリア構築が重要になっており出産によってキャリアを毀損すること嫌がる人も一定数いるはず。
そうなると、今の20代30代のカップルが子供を作り、生まれてくる子供が社会に出るまでの22年間の経済的負担を背負うことは無理ゲーになっているのではないか。特に生活コストが高い都会に住んで近くに実家がない人ほど難易度は高い。
30年前と比べて中流階級が壊滅した昨今では相対的に経済力の差が大きくなっているはずなので、経済力がある人間もいるはずである。また、経済力がある人間は経済力がない人間よりも資本主義社会の競争で勝っているので個体として優れていると言って良い。
ならば、そのような経済力がある人間が養子を受け入れ子孫繁栄させることも良いかもしれない。日本の中世時代、武家が家を残すために養子を受け入れていたという話から着想している。
ただ、武家が家を残そうとする気持ちほど、現代の人間に家系を残すことの社会的インセンティブがないので難しそうだ。
ならば、いっそのこと一夫多妻制を公に認めてはどうだろうか。経済力のある男性が多くの女性の生活を約束することと引き換えに大っぴらに若い女性と関係を持てるなら嬉しい人は多いかもしれない。経済的に成功した人は若い時に仕事を頑張ったのだから、ある程度の年齢になって若い女性と批判されない形で関係を持てるくらいのご褒美があっても良いように思う。これを非常識だと否定するのは2025年現在の社会が作る常識によるものであり、時代が変われば常識は変わるので柔軟に考えよう。ただ、前時代的な文明に逆戻りすると主張する人も一定数いるかも。それの良し悪しはわからん。
一人当たりの生産性を上げれば人口はそこまで必要ないという話にもなるかもしれない。そもそも労働人口と高齢者比率が今の生活を圧迫している根源であるなら、時間が解決するのか?
わからん。