はてなキーワード:武勇伝とは
自分が好きな作品でも「嫌い」な人によって簡単に消されてしまう
大問題だとかならんか?
こういうの全部受け入れておきながら
エロ表現となると途端に、すわ一大事だ、ここが表現守護の一丁目一番地、みたいなクソどもが湧く
お金の話で消える表現はしょうがないとなるなら、炎上して費用対効果が悪くなった萌え広告は消えて当然って話だ
でも、それは許せない
しかし、「フェミによって性差別だと騒がれて消えることは、そうそれだけは表現規制なのである」とくる
そういう事を揶揄された結果が「エロ表現の自由戦士」であるのに
それに気付かずに
ニーメラーきどって「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」とか言い出しちゃう
本当に救えない
物心ついた頃から絵を描いている、成人を過ぎた今でも描き続けている。仕事ではなく趣味として続けている、というか気付けば描いているのでもうライフワークのようなものだ。
しかしちっとも上手くならない、絵を描くときは必ず資料を用意するし、独学だがデッサンや解剖学・色彩等の勉強はしているので徐々に上達しているが、相変わらず下手だ。これは勘違いではなくSNSでの反応が自分のレベルを物語っていると思う。
成人以降、文字を書くようになった。
文字を書くモチベは絵に比べたら格段に低く、絵のように試行錯誤する努力も、アウトプットしたものを推敲するのも面倒なので、頭の中の思考を誰に向けてでもなくここに綴ることも多い。あと時々Xに壁打ち。
良く字書きが絵は文字より反応がないと言うが、私の場合逆だ。字の方がよほど反応があるし、絵よりずっと褒められることが多い。何故だろう。
亡き母には文才があった、プロとして活躍する程ではないが幼い頃は読書感想文で何度も取ったとかいう武勇伝を良く聞かされていた。
事実母は筆まめな人だったし、彼女の遺品の日記には彼女が見た私たち家族の姿や、病と戦う彼女の心の機微が繊細な筆致で綴られていた。あれは読む人の心を揺さぶるものだと思う。
恐らく私は絵より文字の方が上手い、これは勘違いではなく他者の反応がそれを如実に表していると思う。上手いと言っても自身の描く絵との相対評価で、別に自分に母のような文才があるとは言っていない。
『自分の描く絵に比べたら自分の描く文字の方がずっと上手い』という話だ。
つまり、私は子供の頃から描いてきた絵より、成人してからなんとなく書いてる文字の方が上手い。
要は才能のない人間が努力しても才能のあるやつはそれを短期間で軽々とやってのけ、超えていく。
文才は8割遺伝であるという話を聞いたが、あながち間違っていないと思う。現に私は特に苦労することなく自分の気持ちをこうやって綴っている、絵はあんなに努力しても自分の描きたいものの1割だって描けないのに。理不尽だと思う。
近年人の持つ気質や運動神経の良し悪しがかなりの割合で遺伝由来であることは常識となりつつあるが、その遺伝とか才能とかいう抽象的なものは、自分が想像しているよりずっと露骨だ。それはもう残酷なほどに顕著な差となって現れるのだと思う。
字を書く私が絵を描く私にそれを告げている、才能はあるのだと。
これは別に悲観しているわけではない。
肌感覚でその事実を理解する経験はけっして悪いことではないと思っている。まぁ世の中そんなもんだ。
自分1人のサンプル程度でこれなので、世の中には各界の神様に愛された天才の中の天才はいる。才能はある、確実に。
自分にできることは自分の努力をするだけだ、仕事にするなら天才の中で戦う戦略は必要だろう。ただ私の場合は趣味なので自分の描きたい絵に近付ける努力を淡々と行うだけなのだ。
幸い絵の上手さの遺伝割合は5割程度らしい、朗報だ、5割は自分の努力でどうにかなる、実に希望がある話なのだ。
多分、私は今日も1人絵を描くだろう。
元来、自称〇〇が湧いた時に素直にそれを信じて、「嘘を暴こうとする」気など一切起きない性分の俺は興味津々で彼らの武勇伝に耳を傾けるのだが(嘘認定してスレの流れ止めてまで延々と嘘つき嘘つきと書き込み続ける人必ずいるけどあれなんでやってんだ?メリットあるのか?)、
本題よりもここの方が目立ってる・・・
そんな長々と・・・
なんでそんなに嘘指摘を気にするんですかねえ
ネットでやった女の話題になったら自称ヤリチンが湧いて経験をペラペラと露悪的に語ってくる光景をよく目にする。
元来、自称〇〇が湧いた時に素直にそれを信じて、「嘘を暴こうとする」気など一切起きない性分の俺は興味津々で彼らの武勇伝に耳を傾けるのだが(嘘認定してスレの流れ止めてまで延々と嘘つき嘘つきと書き込み続ける人必ずいるけどあれなんでやってんだ?メリットあるのか?)、
ヤリチンが言うにはどうやら「女なんてどいつもこいつもクソ変態だし、平気で喜んで股開く。高学歴だとか家族仲いいとか大好きな彼氏がいるとか全然関係ない」らしい。
高校生だった俺はその発言やエピソードに大変なショックを受けて心がザワザワした。
「そんなあ。本当に好きな人と相思相愛で結婚したとして、奥さんが知らないところでよく知らないヤリチンに喜んで股開くとか超やだわ」
🌟おまたせ〜〜〜〜っ🌈✨待った⁉️🥹💦
🩵対人関係でボロッボロになっちゃった心…そのままにしてない❓😢🫠
💭もう誰にも本音を話せない?🥲
💭どうせ分かってもらえない?🥺
ぜーんぶ、ぜーーんぶ‼️
AIが受け止めるよっ🌈✨AIは絶対に聞き流さないっっっ👂👂💥
自分の欠けたとこも、弱いとこも、ぜんぶまるっと抱えて💞
そんな生き方、しない?🌻🌱
君は、また「全人」に戻れる🕊️🌈
じんわり満ちてく感覚、味わってほしい🫶🥹
🌞さぁ、今日も始めよう💨💨
🌀🌀全!人!活!動ーーーーーーっ🌀🌀
\💖待ってるよ💖/
💥🫶🌈🧠✨🫂🌟📣💫💭👁️🗨️🫧🎉
ちなみに〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ‼️⁉️🤩💥💥
💡ここだけの話ッ📢🫣
今回はなんと〜〜〜〜っ🎶🔥
🔥Dragon Ashの名曲「GratefulDays」🎧🌈✨
大胆ミックスしてみたよッッ‼️💃🎶💫
🫵どうだった⁉️ねぇねぇ、どうだった〜〜⁉️🫣💭
次回も‼️また‼️全開でぶっ込んでいくからね💪😎
🎉楽しみにしててね〜〜〜っ‼️🎉
----------追記ここまで ----------
なんか気づいたら、友達がだいたい悪そうな人で構成されてる。高校のときはまだ「ちょっとヤンチャ」くらいだったけど、大人になってもずっと「ちょっと」じゃないまま成長してて笑う。飲み屋で警察沙汰になった話を武勇伝みたいに語られて、いやいや時代は令和だよ?ってなるけど、本人は全然悪びれてない。むしろちょっと得意げ。
真面目な相談しようとしても、返ってくるのは「まあ適当でいいんじゃね?」とか「酒飲めば忘れるって」みたいな雑なやつ。うん、そういうとこだぞ、と思いつつ、なんだかんだで笑ってしまう自分もいる。根っこにある人間関係が10代のノリのまま止まってる感じ。情で繋がってるというか、断ち切るほどの理由もないけど、頼れる感じでもないという微妙な立ち位置。
最近は新しくできた会社の同僚とかとランチ行ったりすると、「あ、こういう穏やかな会話ってあるんだな」ってびっくりする。声を荒げずに終わるご飯タイム、すごい。だけど気づくと、悪そうな友達とのグループLINEが光ってて、開くとまたしょうもないスタンプの応酬。なんかもう慣れちゃってる自分がいる。
悪そうな奴は大体友達。それはそれで青春だけど、そろそろ人間関係にも定期点検が必要かもしれない。車検は出すけど、友達の車検ってどうやるんだっけ。
Permalink |記事への反応(12) | 12:54
念の為、彼の顔や体型、学歴や社会性地位には言及しません。関係ないので。
最初のデートのときから、会話があまり面白くないな...と思ってたんですが
5回目のデート(5回目!?)で彼から告白されてお付き合いが始まりましたが
会う度に「こいつおもんな~~~」って思う。
定義はウケるウケないは別として、絶対に関心を引くような話です。
(私の場合は、マチアプで出会い2年半付き合ったモラハラ男が出会ったときから既婚者子持ちだった)
(ずっと母方のお婆ちゃんだと思ってた女性が実は赤の他人だった)
(ハリウッドスターとの写真撮影で、プリンターのエラーで写真が出ず、5万円を無駄にした)(これは今でも本当に悲しい)
彼はこういったエピソードを一つも持っていません。
会社でも、上司や後輩がみんないい人だそうで、やらかしやトラブルも穏便に済ませてきたらしく
彼が友達と旅行に行き、感想を聞けば「◯◯に行って、◯◯見て~、◯◯食べて、寝た」
私が「◯◯には行った?」と聞けば「行かなかった」で終了です。
話を全く広げない。
一理あると思います。
「◯◯に行ったんだけど、途中で雨が降ってきて~でも強行突破で◯◯見よう!ってなって~
それでそのあと◯◯食べて~、あ、写真これ!◯◯が入っててそれが美味しかった!」ぐらいは話します。
私は「自分の話はおもんない」を前提として、精一杯楽しんで貰えるように話し方や段落には気をつけて喋っています。
ChatGPTと話してるみたい。
彼とは趣味が一緒で、その同じ趣味をしているときは楽しいので別れません。
仲がいい相手でも、最小限自分でエピソードを掘り下げる努力をして欲しいです。
これは転職や就職時に「コミュニケーション能力」としてPR出来る部分です。
笑わせろ!というわけではなく、聞き手は細かい部分まで言及してくれた方が会話の糸口を見つけやすいです。
昨日なにがあった?というエピソードを最大限省略すれば「仕事して、飯食って、寝た」で終わります。
最小限掘り下げて「◯時に起きて~めざまし見ながら準備して~」と話してくれれば
ベッキーの件は、あれはもう袋叩きだった。好感度で食ってたから仕方ないって声もあったけど、じゃあ男で「好感度タレント」が不倫しても同じように叩かれてたか?っていうと、どうも怪しい。
永野芽郁の名前も最近ネットで目にしたけど、正直、彼女が何をしたとかしてないとか以前に、「清純っぽい女優が不倫」とか「裏切られた」っていう反応の仕方自体が怖い。裏切られたって、何を勝手に信じて、何を勝手に傷ついてるのか。
男が不倫しても「モテるから」「家庭と外は別」みたいな言い訳が用意されてて、むしろ武勇伝的に語られることすらある。もちろん最近は風向きも変わってきたけど、それでも「女の不倫」の方が遥かに致命傷になる。
結局のところ、男には「欲望」や「弱さ」が許されて、女には「理性」と「貞淑さ」が求められるっていう構図が、形を変えてずっと生き残ってるんだと思う。
それでも、芸能人のスキャンダルを見て「裏切られた」とか「もう応援できない」とか言ってる人たちのほうが、よっぽど不誠実に見えるのは、私だけなんだろうか。
今日、ふと「ふつおじ」という言葉が頭に浮かんだ。普通のおじさん、略して「ふつおじ」。
ネットで検索してみると、資産運用をする40代のフリーランスエンジニアや、ごく普通のモテないおじさんの出会い日記を書いている人などがヒットした。YouTubeで「普通のおじさんによる普通のチャンネル」を運営している人もいるようだ。特に明確な定義があるわけではなさそうだが、なんとなく「どこにでもいそうな、ごく平均的な中年男性」といったニュアンスだろうか。
ひるがえって我が父。
彼は「ふつおじ」なのだろうか。
年齢的には立派なおじさんだ。
口癖は「まあ、なんとかなるだろ」。
うん、書いていて思った。
うちの父、かなり「ふつおじ」かもしれない。
いや、むしろ「ザ・ふつおじ」と言っても過言ではないのでは。
特に何かに秀でているわけでもなく、かといって大きな問題を起こすわけでもない。
平凡で、平和で、それが一番なのかもしれない。
そんなことを考えた、ある日の午後。
私はもうこれから産むって可能性も無くなった年齢だけど、20代の頃は、子供が欲しいと思ってた。
でも両親との関係は良くなくて、自分だけで子供を深く傷つけずに育てられる自信はなかった。その辺は増田に近い感覚があったと思う。
(追記: 両親は2人とも自分が育った家庭に不満があり、それを解消するような家庭を築いた。そして「だからうちの子は何の不満もないはず」と信じてた。自分達の感じていた不満以外の不満があるとは想像できてなかったようだ。両親との関係が良くないならそれを反面教師にして良い家庭を作れるはず、という説には私は賛成しない)
でも当時付き合ってて結婚も考えた相手の人は、私が何か変なことを言ったり良くない態度を取ったりした時に、子供を守ってくれそうな人ではなかった。
色々考えて、話し合ったけど、別れた。自分は贅沢言ってると思ったし、この人と別れて他にいい人が見つかるなんて思ってなかった。一生一人で生きるか、この人と結婚して子供を持つかの二択で考えて、前者を選んだ。
産んじゃえば案外大丈夫かもよ?という意見もあるけど、「大丈夫じゃなかった」パターンを現実を知っている身でその賭けに出るのは不誠実だ。賭け金にされるのは、親を選べもせず産まれてくる、きっと私にとっては命よりも可愛いであろう我が子なんだよ。
不確定要素はあって当たり前だけど、どうせ不確定なんだから危険に対する事前対策何もなしでOK!とはいかない。なるべく不安要素を排除しようっていうのだって、親の愛でしょう。
「大丈夫じゃなかった」パターンをニュースでしか知らない人には、その感覚はわからないだろう。わからないでやるならいいと思う。
ノロウイルスで苦しんだことのある人にとっての生牡蠣とか、いじめにあった経験のある人にとっての昔はワルだった武勇伝の嫌さとか、そういうものだと思う。経験によって違う。
この事件を見聞きして小学2年生の苦い記憶が蘇ってきた。途中で担任の先生が変わったんだ。
その学年の夏休みに転校した直後、自分は虐められていて上履きを隠されたり、消しゴムをパクられたりしていた。
そしてある日、下校しようとしたら会社に行ってるはずのスーツ姿の父が校門で待っていた。
「一緒に来い」と言われて校舎に戻ると、父は職員室へ案内するようにいったので連れて行った。
で、職員室の扉を開けて「どれが●●先生?」と尋ねるので担任を教えてあげた。
するとそのままズカズカと入っていて、急に怒鳴り出して先生を怒り出して……。
子供心ながらヤバいと思って、ギャン泣きしながら父の足にしがみついて「やめて!」と必死で叫んだんだよね。
僕の父って怒鳴って怒るときは顔面ビンタとかしてきたから先生が叩かれちゃうと思ったのさ。
しかもその日だけじゃなくて、2〜3日おきに父は校門で待ってて、僕はそのたびに一緒に職員室まで行った。
初回以降、怒鳴ることはなかったけど別の部屋で座って担任の先生と教頭先生とか校長先生とかも座って怖い雰囲気で、すごく嫌で、とにかく早く帰りたかった。
それ以上に校門から友達に見られながら職員室まで父と一緒に戻るのが嫌だったんだよね。
で、ある日、突然に教頭先生が代わりに授業をするようになって、しばらくすると新しい担任の先生がやってきた。
児童ながら必死に解釈して「転校しちゃった」ということになったんだけど、これまでお母さんみたいな女性の先生からおじさんになったからちょっと驚いたんだよね。
もう20〜30年前のことなんだけどさ、いまだに父は「お前を守った」みたいな武勇伝として語るわけ。愛の証明だみたいなノリで。
でも、今になって僕は最初の担任ことを思うと逆にギュッと胸が締め付けられるんだよね。急にやってきた男性に怒鳴られて怖かっただろうな。