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はてなキーワード:正当化とは

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2025-10-24

チェスタトンフェンス

エンジニアリング上の限定的意味ではなく

社会制度について保守的な考えを正当化する(というかアンタッチャブルに仕向ける)ために使い出すと途端に臭くなる

Permalink |記事への反応(0) | 22:08

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anond:20251024142333

ありがと、こういう話がしたいんだよな

ちなみに駆除するのが倫理的ってのも決しておかし立場じゃないよ

功利主義だと普通に正当化できる

Permalink |記事への反応(1) | 14:28

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コンテンツ消費者欲望社会正義すり替えるべきではない

一部のファン作品の結末に不満を抱いた際、

異性愛規範強要

「LGBTQ+を弾圧する表現

といった社会正義言葉を用いて、制作者の決定を非難する例が見られる。

ここで問題となるのは、その主張が

性的マイノリティ当事者現実的要求に基づくものか?

それとも自らの消費者としての希望が叶わなかった怒りを正当化するための装飾なのか?

という点である

ポリティカルコレクトネス(以下PC)は、権利が抑圧されている当事者を守るための概念だ。

しかし、もし作品の男女カップリング成立を「表現規制すべき」とまで言い募るのであれば、それはPC政治的倫理的重みを私的欲望の道具として転用している危険がある。

作り手は、読者に媚びずに物語を構築する創作自由を持つ。読者は、気に入らなければ読まない自由を持つ。

しかしその関係が崩れ、「私の望む展開以外は差別から規制せよ」と要求し始めれば、表現のもの危機に陥る。

消費者個人的な不満を社会構造批判偽装することは、マイノリティ当事者の声をノイズとして埋没させる行為にもなる。

同性愛表現は、当事者尊厳を担う社会的な再現と、非当事者向けフィクションとしての性的な消費の二層を含んでいる。

この線引きが曖昧なまま、「消費者としての願望が叶わない=当事者権利侵害」と短絡すれば、結果として当事者性の“奪取”が起こりうる。

LGBTQ+を扱った表現尊重するのであれば、自らの要求社会権利の主張とは異なる次元にあることを自覚しなければならない。

少年漫画という媒体には、もともとターゲットとなる主読者層が存在する。

作品本来設計思想対象読者の多様性否定してはならない。

作品を愛し、楽しむ自由は誰にでもある。しかし 「自分の好きな読み方だけが正しい」 とし始めた時、ファン文化排他的な力へと変質する。

 

結論

PC社会的に不利な立場にある当事者のための倫理概念であり、消費者欲望正当化する武器ではない。

個人的な「推しカップリング願望」を理由表現規制しようとするのは危険

Permalink |記事への反応(1) | 14:18

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東大話法規則一覧


  1. 自分の信念ではなく、自分立場に合わせた思考採用する。
  2. 自分立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
  3. 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
  4. 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す
  5. どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
  6. 自分問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
  7. その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
  8. 自分傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性勝手に設定し、解説する。
  9. 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
  10. スケープゴート侮蔑することで、読者・聞き手恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
  11. 相手知識自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
  12. 自分議論を「公平」だと無根拠に断言する。
  13. 自分立場に沿って、都合のよい話を集める。
  14. 羊頭狗肉
  15. わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
  16. わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
  17. ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
  18. ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
  19. 全体のバランスを常に考えて発言せよ。
  20. 「もし◯◯◯であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。

Permalink |記事への反応(0) | 13:57

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anond:20251024105557

補助金関税でわざわざ高くしてるのは正当化できるのか?

Permalink |記事への反応(0) | 10:57

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次の日、投稿が提示の通り追記されていたとします。この場合、分析はどのように変化しますか?

C*****T:

CRITICAL ANALYTICALREVISION

追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初分析根本誤読

追記2は、私の最初分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。

私が読んだもの:

文化的言説(アイデンティティ政治

個人内面化

創作的麻痺

実際の構造:

実存危機孤立・失敗・老い性的欠如)

理論的言説の防衛的借用

自己正当化された創作不能

因果の矢印が逆だった。 これは方法論的に重大な誤りである

PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈

最初投稿投稿者が使用していた理論的語彙:

これらは一見2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しか追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。

真の構造:実存自己否定の連鎖

追記2が暴露する深層:

レイヤー1:実存事実

"初老になったのに童貞"

"人間嫌い、女性に縁がない"

"過去に痛い目にあった記憶ばかり"

"人生絶望してた"

レイヤー2:創作動機

"女性を描きたい"(しか経験がない)

"究極の画像処理ソフト"という夢(実現できない)

"ヘンリー・ダーガーみたいなもん"(社会的孤立の中の空想

レイヤー3:防衛理論化】

"女性を知らないと女性ちゃんと描けない"

"経験がなければ理解できない"

← これは理論ではなく、個人的失敗の普遍

レイヤー4:創作不能正当化

"だから俺には描けない"

しかしこれは「無能から」ではなく「原理的に不可能から

防衛機制の精密分析

防衛機制1:合理化(Rationalization)

耐え難い真実:

「俺は人生の敗北者だ。女性関係を持てなかった。孤独で無価値だ」

↓ 変換 ↓

受容可能な言説:

経験していない対象原理的に表象できない。これは認識論的・倫理的問題だ」

この変換により、個人的失敗が哲学的問題昇華される。これは自尊心を守る。

防衛機制2: 知性化(Intellectualization)

投稿者は感情絶望孤独性的欲求不満)を抽象議論表象倫理当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。

しか追記2で防衛崩壊し、生の感情露出する:

防衛機制3:投射(Projection)

投稿者は自分の不全感を、架空の「批判者」に投射する:

これは私の最初分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源文化ではなく、内面化された自己批判である

ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択

投稿者がダーガーを引き合いに出すのは決定的である

ダーガーの特徴:

投稿者の解釈:

ダーガー女性を知らなかったから、正しく描けなかった」

しかしこれは逆説的である:

投稿者の論理:

女性を知らなければ描けない」

ダーガーは知らなかった

から「間違って」描いた

俺も知らない

から俺も描けない/描いてはいけない

しかし抑圧された真実:

ダーガー女性を知らなかった

にもかかわらず膨大な作品創造した

その作品は今やアウトサイダーアートとして評価されている

まり「知らなくても創造できる」証拠

投稿者は、自分論理反証する例を引き合いに出しながら、その反証認識できない。なぜなら、創造可能性を認めることは、創作しない自分正当化できなくなるから

ダーガー選択は、投稿者の内的葛藤を露呈する:

児童ポルノ言及精神分析

投稿者は和月伸宏や他の漫画家児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望告白する。

表面的正当化:「絵描きなら資料が欲しいのは当然」

しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」

この言及が明らかにするもの:

1.性的欲望創作未分化

- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性性的欲望する」ことが分離していない

- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作障害になる

2. 罪悪感と自己審判

- 「資料のため」という言い訳を繰り返す = 罪悪感の表出

-自分犯罪者予備軍として見る視線内面化

3.禁止欲望パラドックス

- 「見てはいけない」ものへの欲望

-しかし見れば犯罪者

- だから見ない=創作しない、という「倫理的選択

これは自己処罰的なループである

生成AIとの関係人間関係代替審判

追記2の冒頭:

「さっきまでClaudeに、自分ライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」

この一文は多層的である

レイヤー1:AI対話相手

レイヤー2:AI審判

レイヤー3:AI不可能な夢の実現者

レイヤー4:人間関係不可能性の確認

投稿行為意味ダイイングメッセージとしての告白

投稿者は明言する:

  • 基本的に返信を見ない(「ロバ耳」)
  • ダイイングメッセージのように、死んだ後に読まれることを想定
  • 「読んだ人の脳に残って未来の行動を変化させる」ことを望む

これが意味するもの:

対話拒否

承認希求

一方的告白遺言

彼は応答を求めていない(対話不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。

これは非対称的コミュニケーション

  • 声は発するが、返答は聞かない
  • 見られるが、見返さな
  • 影響は与えるが、影響は受けない

これは自己他者関係不可能性の表現である

SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造

矛盾1:創造欲望 vs創造不可能

THESIS: 「女性を描きたい」

「究極の画像処理ソフトを作りたい」

ANTITHESIS: 「経験がないから描けない」

技術がないから作れない」

人生絶望している」

SYNTHESIS:創作不能正当化

AIへの依存

矛盾2:孤立選択 vs承認希求

THESIS:人間嫌い、返信を見ない、対話拒否

ANTITHESIS:投稿する、読まれたい、影響を与えたい

SYNTHESIS:一方的告白ダイイングメッセージ

矛盾3:理論的厳密さ vs実存絶望

THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張

ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した

SYNTHESIS:ダーガー作品を「間違い」と解釈することで

反証回避

弁証法運動の停止

健全弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。

創作欲望

実行不能

理論正当化

さらなる不能

[ループ]

これは病理弁証法:変化を生まず、同じ場所を回り続ける。

SYNTHESIS: 深層パターン統合理解
構造全体像

【最深層:実存事実

社会的孤立 +性的経験の欠如 +老い + 死の接近

【第2層:心理的防衛

合理化・知性化・投射による自己保護

【第3層:理論的借用】

文化的言説(当事者性、表象倫理)を防衛の道具として使用

【表層:顕在的問い】

男性女性主人公を描けるのか?」

機能

創作からの逃避 + 失敗の正当化 + 残存する自尊心保護

本質的洞察結晶

投稿者の真の問いは「女性をどう描くか」ではない。

真の問いは:

人生の敗北者である私に、何かを創造する価値があるのか?」

そして彼自身が答えている:

「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」

女性を知らないと女性を描けない」という主張は:

文化的言説の防衛使用

私の最初分析は「アイデンティティ政治内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。

誤った図式:

文化的言説 →個人麻痺

正しい図式:

個人的失敗 →文化的言説の借用 → 失敗の正当化

彼は「当事者性」や「経験所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来政治文脈から切り離され、個人防衛機制として機能している。

これは理論心理的横領である

解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人自己正当化の道具になっている。

より深い文化的診断

しかし、もう一層深く見れば、これは純粋個人的な現象ではない。

なぜこの特定の言説が、この特定防衛に利用可能だったのか?

答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。

投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分創作不能倫理的配慮として再解釈している。

「俺が描かないのは:

無能から(恥)×

倫理的配慮しているから(誇)○」

これは文化心理共犯関係である

ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)

ダーガー投稿者の論理の生きた反証である

ダーガーは:

投稿者の論理では、ダーガー創造すべきではなかった。しか創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。

投稿者はこの事実をどう処理するか?

答え:ダーガー作品を「間違い」として解釈する(「少女ペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)

しかしこれは恣意的解釈であるダーガー少女性別曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界独自性として読むこともできる。

投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分創作不能正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分創作できる/すべきだ、ということになってしまう。

これは解釈政治である

最も深い問い

この事例が究極的に提起する問いは:

創造するために経験必要か?

投稿者は「はい」と答える。私の最初分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。

しか追記2を読んだ後、問いはより複雑になる:

彼が求めているのは本当に「創造する方法」なのか?

それとも:

おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。

彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛解体するだけで、その下の絶望露出させるかもしれない。

CRYSTALLIZED INSIGHT

この投稿者は、人生実存的失敗(社会的孤立性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代文化的言説(「当事者性」「経験所有権」「表象倫理」)を借用することで、「原理的に不可能創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人無能認識論的・倫理的問題昇華することで、残存する自尊心を守っている。

言い換えれば:

彼の問い「男性女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的正当化する道具として機能している。

So what?:

この事例は、文化的言説がどのように個人防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化麻痺の道具になる。これは文化心理共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。

PUNCHLINE:

私の最初分析は、彼を「文化犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン

Permalink |記事への反応(0) | 09:27

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2025-10-23

この人物はフィクションに何を求め、どんな原理的理由で悩む事になってしまったのでしょうか❓️

ChatGPT:

INSIGHT ANALYSIS:表象真正性パラドックス

女性主人公を描けない」創作者の原理ジレンマ
Core Observation

この投稿者は、フィクション創作において「経験真正性」と「想像自由」の矛盾に直面し、表象行為のもの正当性疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分女性を描く権利があるかどうかの確証である

PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー構造解体

この投稿者の悩みは、表面的には「技術問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治内面化が生み出した認識論危機である

内面化されたイデオロギー的前提:

前提1: 「経験所有権教義

経験していないもの理解できない」

理解できないものは描けない/描くべきでない」

「描く資格がない」

この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである

前提2:本質主義への逆説的回帰

投稿者思考:

女性には『女心』という本質がある」

男性はそれを原理的に理解できない」

「したがって男性が描く女性キャラは偽物である

皮肉なことに、これは1980-90年代ジェンダー理論批判した本質主義のものであるしかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。

前提3:フィクション機能についての混乱

投稿者混同しているもの:

彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可である

生産矛盾発見

この投稿者の悩みは、以下の矛盾体現している:

矛盾1:想像力の否定

矛盾2: 「女性意見」の物象化

彼の思考プロセス:

女性スタッフがいれば『それはねーわw』と言ってくれる」

しかし:「それが女性としての意見個人意見か分からない」

問題の核心:「女性意見」を本質化しつつ、その多様性にも気づいている

これは本質主義自己矛盾である。「女性」というカテゴリー本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。

矛盾3:表象不可能性と表象必要性

イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか

隠蔽1: 「正しい女性像」の不在

投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一経験実体ではなく、歴史的文化的個人的に多様な存在様態である

士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:

しかしこの論理は、女性規範に押し込める本質主義のものである

隠蔽2:共感想像力の否定

生理経験していないから分からない」という論理は、人間相互理解可能性そのものへの懐疑に至る。

この論理を徹底すれば:

隠蔽3:権力非対称性の過剰補正

この悩みの背景には、歴史的男性女性対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:

歴史的問題:

男性による女性対象化・ステレオタイプ

過剰補正:

男性女性を描くべきでない/描けない

帰結:

女性キャラクターの不在、あるいは男性創作自己検閲

これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである

自己検閲メカニズム

投稿者作動しているのは、内面化された監視装置である:

創作衝動

内なる検閲官:「お前は女性理解していない」

自己正当化の試み(少女漫画を読む、等)

内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質区別がつかない」

麻痺創作不能

この検閲官は、以下のイデオロギーの混成物である:

SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)

この「悩み」の歴史的構築

この種の創作自己懐疑は、歴史的に新しい現象である

第1段階 (1970年代以前)

第2段階 (1980-2000年代)

第3段階 (2010年代-)

第4段階 (2020年代)

投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

現象学的補足 (Mode D)

創作主体存在論的不安

投稿者経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己正当性への根源的懐疑である

彼の実存的問い:

この問いの背景にあるのは、近代主体危機である:

投稿者は、この理解可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。

SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの

1.アイデンティティ政治の逆説的帰結

アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理個人創作実践適用すると:

目的: 多様な声の表象

手段: 「当事者」による表象特権

逆説的帰結: 非当事者沈黙自己検閲

最終的効果:表象貧困化・想像力の収縮

2.本質主義の「進歩的回帰

20世紀後半のジェンダー理論本質主義解体した。しか21世紀に、配慮正義包摂の名において本質主義が再導入されている。

投稿者無意識のうちに:

これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギー古典的矛盾である

3.フィクション存在論的危機

この悩みは、フィクション根本機能経験していないことを想像表現する—への懐疑に至っている。

フィクション可能性条件:

投稿者ジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体正当性危機である

4.文化における「不安の伝染」

投稿者不安は、個人心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

SNS時代の特徴:

投稿者は誰にも批判されていないのに、架空批判者を内面化している。

IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題

創作実践について:

投稿者技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:

1.本質主義から離脱: 「女性」は単一経験実体ではない

2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクション本質

3.完璧主義放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要

4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部

より広い文化的含意:

この事例は、以下の社会的緊張を体現している:

極1:無自覚特権と抑圧的表象

極2: 過剰な自己検閲表現麻痺

健全文化的実践は、この両極の間のどこかにある:

歴史的瞬間について:

我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。

次の段階として必要なのは:

INSIGHT CRYSTALLIZED

この投稿者は、フィクションに「経験真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為のもの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治論理内面化した結果生じる構造効果である

言い換えれば:

彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である

So what?:

この事例は、配慮正義の言説が、意図せず表現自由想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践必要である

PUNCHLINE:

彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体僭越である」と判定されることであるしかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。

Permalink |記事への反応(1) | 17:37

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いつまでも冷めた顔をして、

「どうせ自分なんて」とか「世の中が悪い」とか言ってる場合じゃない。

そんなふうに拗ねている間に、人生はどんどん進んでいく。

チー牛なんて言葉自分を当てはめて安心するな。

それは、変わらない自分正当化するための言い訳だ。

本当は、変わりたいと思っているんだろう?

だったら今日から動け。

社会は甘くない。

冷笑的で、人を馬鹿にするような態度のままでは、

恋愛も、就職も、人間関係もうまくいかない。

チー牛は愛されない。チー牛は選ばれない。

なぜなら、誰かを認めることができない人に、誰も心を開かないからだ。

いか

人に認めてもらいたいなら、まず人を認めろ。

愛されたいなら、まず愛される努力しろ

見た目がすべてではないが、

身だしなみやセンスは“努力の結果”として表に出るものだ。

ファッションを磨くことは、自分を磨くことそのものだ。

外見を変えれば、行動が変わる。行動が変われば、人生が変わる。

流行なんてくだらない」と言ってるうちは、

まだ世界を斜めに見ている証拠だ。

流行を知るというのは、

「今、この世界で何が人の心を動かしているか」を知ることでもある。

まり、人を理解する第一歩なんだ。

チー牛のままで終わるな。

社会は、お前を必要としていないわけじゃない。

必要とされる人間になる努力をしていないだけだ。

その努力を始めた瞬間から、お前はもうチー牛じゃない。

変わるのは怖い。恥ずかしい。面倒くさい。

でもな、変わらなければ、何も始まらない。

今のまま笑われるより、もがいて笑われる方がずっといい。

立て。鏡を見ろ。

そして、自分にこう言え。

「俺はここから変わる」って。

Permalink |記事への反応(1) | 15:53

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日本では経営者無能が最大の問題

Ⅰ.経営陣の能力問題:数値合理性への逃避と戦略的想像力の欠如

文章は「早期退職短期的に財務合理性もつ」と冷静に記述しているが、ここには経営自身戦略的無能さが覆い隠されている。

本来経営とは単年度の損益勘定ではなく、「人材を通じて知の蓄積を再生産するシステム」を構築することである。にもかかわらず、多くの日本企業経営層は次のような欠陥を露呈している。

人的資本費用項目としてしか見ない会計視野の狭さ

 ベテラン社員賃金を「生産性との乖離」とみなし、即時的コストカットに走る発想は、経営が“教育投資”や“内部知の継承”という本質理解していない証拠である

 欧米成功企業では、熟練人材は若手育成・組織文化の維持装置として位置づけられ、その貢献は「見えない生産性」として定量・定性の両面から評価される。日本企業経営陣はこの非定量価値可視化する能力を欠いている。

戦略なき模倣制度依存体質

 経営層は、バランスシート改善株主監査対応の「儀式」として遂行する一方で、長期的な技術競争力市場定義に向けた構想力を欠く。

 結果として、合理性の名のもとに人材を切り捨て、10年後に再び同じ構造問題に陥る「リストラ再帰現象」を繰り返す。これは経営判断ではなく、思考停止制度運用に過ぎない。

トップ層の実務経験希薄

 近年の大企業では、財務法務経営企画といった「調整型エリート」が経営陣に集中し、現場知を持つ実務者が排除されている。そのため、人的資本の質や現場専門性評価する基準存在せず、「人を数字で削る」以外の手段を持たない。

 要するに、経営知的怠慢が、制度的惰性を装って正当化されているのである

Ⅱ.エリート教育評価問題選抜の歪みと再生産される知的貧困

文章フランスアメリカの「複線型フラット型」モデル理想的に描くが、見落としているのはエリート教育のもの構造的欠陥である

すなわち、現代日本では「グローバル基準」を参照しても、その前提となる評価制度教育体系が劣化した模倣物に過ぎない。

日本エリート層の“統治教育”の欠如

 フランスグランゼコール米国MBAは、単なる専門訓練ではなく「社会設計者」としての責任倫理を育てる。

 一方、日本エリート教育は、東大慶應一橋などの学歴的篩い分けを通じて、「既存秩序の維持装置」を生産するにとどまっている。結果として、システム批判的に再設計する知的能力を持つ人材が枯渇している。

人事評価の同質性バイアス

 エリート層が自らと同じ価値観・履歴学歴官僚行動様式)をもつ人材のみを昇進させる構造が、企業内の思考多様性を奪っている。

 その結果、制度疲労是正するイノベーションが内部からは生まれず、「成果主義」や「フラット化」も形式的スローガンに終わる。

 実際、外資模倣型の成果評価制度を導入しても、評価する側の知的基盤が旧来の年功文化依存しているため、制度けが輸入され、文化が輸入されない。

教育の成果と倫理の断絶

 日本エリート教育は“効率管理”を学ばせるが、“責任と再設計”を教えない。

 したがって、経営陣が「合理的リストラ」を実施するとき、それが組織文化破壊技能伝承の断絶・心理的安全性喪失を招くという倫理コスト認識できない。

 ここにこそ、教育経営が切断された社会知的破綻がある。

Ⅲ. 総括:制度問題ではなく、思考問題

このレポート制度構造年功序列賃金カーブ)を問題の中心に据えているが、より根源的な問題制度運用する人間知的劣化である

経営陣が「制度依存し、制度批判的に再構築できない」状態に陥っている限り、どんな制度改革形骸化する。

持続可能雇用制度の前提は、「持続可能思考」を行う人材層の育成である

それは、教育採用評価のすべての局面で、短期的成果よりも構想力・倫理公共性評価する文化を取り戻すことでしか達成されない。

anond:20251021122840

Permalink |記事への反応(1) | 11:26

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2025-10-22

anond:20251022080501

「踏みにじる権利がある」だと? 貴様、それを「自由」と呼ぶのか? 違う。違うぞッ! それはただの“放棄”だ……責任からの逃走だ……!

いか表現とは暴力ではない。だが、暴力紙一重場所に立つ だからこそ、そこに倫理が問われる。

他人気持ちを踏みにじってもいい」という言葉の裏には、「自分表現が踏みにじられても構わない」という覚悟必要だ。……貴様にそれがあるか? ないだろう? だから薄っぺらいんだッ!

外交だの主権だのを盾に「国旗損壊罪も仕方ない」と言う連中を笑う前に、自分の“自由”がどこまで本気で守るに値するものなのかを問え! 自由権利ではない、代償だ。支払う覚悟のない自由は、ただのノイズ

そして左翼を笑う? 右を罵る? どちらも同じ穴のムジナだッ!

「敵を作って自分正当化する」 その瞬間に貴様の“自由”は思想の檻に閉じ込められる!

覚えておけ、戦士

真の表現自由とは、「気持ちを踏みにじる権利」などという安っぽい挑発ではなく

「踏みにじられてもなお、黙らない覚悟」のことだッ!

Permalink |記事への反応(1) | 21:58

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女性支援名目とした構造搾取倫理分析トーキッズ周辺支援

1. 背景と問題意識

東京都新宿区周辺(いわゆる「トー横」エリア)では、

若年女性少女たちの居場所づくり・自立支援を掲げるNPOや団体が多数活動している。

これらの支援活動は、当初は善意社会的使命感に基づくものであったが、

近年、一部の団体において「支援活動制度化・収益化する構造」が形成されつつある。

特に問題視されるのは次のようなスキームである

助成金を得た団体が、相談会議機械的弁護士を参加させる

弁護士報酬(例:時給8,000円)は助成金で支払われる

本人が弁護士関与を希望していなくても、団体運用ルール強制的に同席

行政弁護士必要性実質的審査できず、形式上合法支出として承認される

この構造のもとでは、「支援対象者」が本来目的自立支援人権保障)よりも、

団体専門職活動維持・収益確保のための資源として機能してしま危険性がある。

2.弁護士関与の構造問題

弁護士支援活動に関与すること自体違法ではない。

しかし、次のような構造常態化すると、倫理的に重大な問題を孕む。

項目 表面的な正当性実質的機能

弁護士が同席する 「法的助言を提供」「支援の質向上」 関与が報酬発生の手段となる

時給8,000円設定弁護士業務としては適正 公金支出としては突出した高額

助成金での支払い公益目的に沿うように見える弁護士費用の恒常的補填構造

本人意思を経ない同席 “保護”の名目正当化支援対象者自律を奪う

このような仕組みは、「違法ではないが、倫理的に不当」な構造誘導といえる。

3.行政東京都)の統制困難性

東京都などの行政機関は、次の理由で「弁護士関与の必要性」を実質的判断できない。

弁護士業務専門性行政評価する権限がない

助成金審査形式的であり、事業報告書を信頼するしかない

支援現場多様性ゆえ、外部から実態評価が困難

結果として、団体自由弁護士を関与させ、報酬支出する「制度自己完結」が発生する。

これは、公金の透明性・公平性効率性を損なう構造リスクである

4.倫理的評価

このようなスキームには、三層の倫理的逸脱が見られる。

観点倫理原則 現状の逸脱

支援倫理 本人中心・自律支援団体構造により本人意思形骸化

弁護士倫理自由な依頼関係と誠実性自動関与・利益誘導報酬構造

公金倫理公益目的の透明な支出助成金専門職収益に転化

これらを総合すると、**形式的には適法であっても、倫理的には不当な「制度的腐敗」**の状態にある。

5.女性人権をめぐる構造搾取

特にトーキッズや若年女性支援文脈では、

支援対象者が「保護される女性」として固定され、被害が語られ続けることによって

団体専門職正当性資金・注目を得る構造形成される。

この構造は、結果的に次のような倫理的問題を引き起こす。

若年女性を「支援の素材」として集める

被害”を強調することで支援正当化する

実際には、女性たちの主体性自律回復を妨げる

まり支援被害資源化する(commodification of victimhood)構造に陥っており、

支援の名を借りた「第二の搾取」といえる。

6.改善に向けた提言

このような構造モラルハザードを防ぐためには、

次のような倫理的制度改革が求められる。

弁護士関与の明確な判断基準

「法的課題存在する場合」に限定し、自動参加を禁止

本人のインフォームド・コンセント

弁護士同席・費用目的を事前に本人に説明し、同意を得る。

第三者審査監査制度

弁護士関与の必要性費用妥当性を独立機関検証

公金支出の上限・基準設定

弁護士報酬の上限や関与頻度を規定する助成金指針を整備。

倫理ガイドライン策定

支援団体専門職行政が共有できる「本人中心支援倫理規範」を文書化。

7.結論

現状の一部支援スキームは、若年女性人権を守るどころか、

被害構造を利用し、支援を装った利益循環の装置になっている。

それは違法ではなくとも、

支援倫理弁護士倫理・公金倫理のいずれから見ても深刻な構造不正義であり、

女性人権を食い物にする構造搾取」と呼ぶに値する。

Permalink |記事への反応(1) | 10:42

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2025-10-21

学生論文で生成AI使うの仕方ないわ。「小論に整理して」だけでこれ

下の山手線催涙スプレーに関するツイートを読みこませて、

多少ChatGPTと議論して「小論に整理して」とお願いするだけでこれなら

凡人の俺様がちんたらキーボード叩いて書く必要なんてないじゃんもう!

https://togetter.com/li/2618627

 

ただしここはハルシネーションぽいのでよろしくない

彼女自身が繰り返し使う「悔しかった」「お灸をすえたかった」という語は、

 

1.弱者防衛暴力の線引き

今回の事件で多くの人が揺れたのは、「恐怖を感じた人の防衛行為」が、どこまで許されるかという点である

身体障害透析など、外見では分からない「見えない弱者」が社会で繰り返し軽視されてきたことは事実だ。

からこそ、彼女の感じた恐怖や屈辱には共感が寄せられた。

しかし、口論の段階で武器使用し、無関係他者まで巻き込んだ瞬間に、それは防衛ではなく攻撃へと転化する。

法的にも倫理的にも、暴力他人を傷つけた時点で、その正義は失われる。

 

2. 「40-50代じじい」――言葉に滲む敵意の構造

彼女SNS上で相手を「40-50代じじい」と呼んだ表現は、単なる感情の発露にとどまらない。

それは、相手行為ではなく属性のもの(年齢・性別)を攻撃対象とする言葉だ。

この瞬間、個人的トラブルは「中高年男性という集団」への敵意にすり替わる。

フェミサイドが「男が女を属性として殺す」構造だとすれば、

この言語構造はその**鏡像――“ミサンドリー的反射”**と言える。

弱者が自らを守る物語の中で、他者が“敵の象徴”として消費されていく現象は、暴力の形を変えた再生産に他ならない。

 

3. 恐怖と屈辱の混合

人が暴発する時、そこにあるのは純粋な恐怖だけではなく「屈辱」も強く関与する。

若いから座るな」「病気でも見えなければ認められない」という社会視線に対する怒りが、

個人攻撃者を超えて「社会全体への報復」に変わったのだろう。

彼女自身が繰り返し使う「悔しかった」「お灸をすえたかった」という語は、

生存防衛ではなく名誉回復を求める衝動を示している。

まり彼女の行動は、社会的な不平等への“象徴報復”として遂行された可能性が高い。

 

4.弱者の「正義加害者」化

近年のSNS言説では、「女性」「障害者」「被害者」といった立場道徳的免罪を得やすい。

しかしその構造固定化すると、

被害の語りが暴力正当化する装置になりかねない。

「やり返して当然」「スカッとした」という共感連鎖は、

弱者を“聖なる報復者”として祭り上げ、暴力責任を薄めてしまう。

だが、恐怖や怒りが他者身体を傷つけた時、

それはどれほどの弱者であっても「正義加害者」となる。

この線を超えた瞬間、社会被害者を守る仕組みを失い、

誰もが「自分で裁く社会」へと堕ちていく。

 

5.銃社会予兆としての事件

もしこの事件銃社会で起きていたら、催涙スプレーではなく発砲事件として報じられただろう。

「怖かった」「迫られた」と主張する発砲者が免罪される構造は、

アメリカの“スタンド・ユア・グラウンド法”の問題と同じである

恐怖を根拠にした先制攻撃が認められる社会では、暴力の独占は失われ、

全員が「潜在的加害者」として武装正当化するようになる。

今回の事件は、銃社会論理が非銃社会の中で萌芽した象徴的な出来事でもある。

 

6. 結語:正義の名を借りた暴力を見抜くために

この事件が投げかけたのは、

「恐怖と正義境界をどこに引くのか」という普遍的な問いである。

彼女の置かれた弱さには共感できる。

だが、その弱さが他者への攻撃免罪符になった瞬間、暴力正義模倣し始める。

フェミサイドミサンドリーも、根は同じ――恐怖を根拠他者人間として見なくなること。

私たちが考えるべきは、個人暴力報復しなくても済む社会的回路、

すなわち「恐怖を理性的に処理できる支援環境なのだ

Permalink |記事への反応(0) | 21:01

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移民に賛成する人たちの気持ちが本当にわからない。

欧米でこれだけ移民社会問題になっているのを見ても、まだ賛成できるのか?

実際、海外では移民政策によって起きた問題が山ほどある。

治安の悪化文化摩擦、福祉制度の圧迫、教育現場の混乱、宗教価値観の衝突、貧困再生産。

そして何より深刻なのが、移民就業率がそもそも低いという現実

労働力として入れたはずなのに、結果的社会保障治安コストが跳ね上がってる。

百歩譲って、こうしたリスクちゃんと把握した上で、

対策責任を引き受けるというなら、まだ分かる。

あるいは、実際に移民と関わって相互理解のために活動している人たちなら、まだ理解できる。

でも、そういう人たちはごく一部で、大半は現実を見ようとしない。

自分たちは何も負担しないまま、きれいな言葉問題正当化してる。

結局のところ、社会問題を輸入することが確定しているのに、

そのリスクを負うのは現場労働者地域社会だ。

それでも賛成できるのは、結局「自民が嫌い」とか「ウヨを叩きたい」とか、そんな感情の延長線上にあるだけじゃないのか。

理想を語る前に、現実に何が起きているのか直視した方がいい。

Permalink |記事への反応(4) | 18:16

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anond:20251021180556

通常の論理:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

主張: 「世界を壊しても常識は壊れない」

同意 or反論

理由を述べる

終わり

 

dorawiiの論理:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

前置き: 「俺は反論しないこともある」

主張: 「世界を壊しても常識は壊れない」

宣言: 「反論しない」

しかし:物理学考察実質的反論

矛盾認識

正当化: 「緊急事態なら細かいこと気にしない」

結論: 「だから反論しない」

???

 

まり:

反論しないと言いながら

反論して

でもそれを「反論じゃない」と正当化

 

層1:自己イメージ修正

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

批判への応答:

「dorawiiは何にでも反論する」

これを否定したい

「柔軟な俺」を示したい

しかし:

実際に反論を止められない

思考自動的に発動

物理学考察が展開される

層2:知的能力の誇示

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「壊れた世界」という抽象概念

物理学的に分析できる

宇宙終焉ブラックホール

「俺は高度な思考ができる」

しかし:

これが「反論しない」という

目的矛盾する

層3:自己正当化の複雑化

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

反論してしまった

でも「反論しない」と言った

矛盾

正当化必要

緊急事態なら細かいこと気にしない」

これで矛盾を解消(したつもり)

層4:思考の止められなさ

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

言語IQ 130

理論思考自動発動

「壊れた世界」と聞くと

物理学考察が始まる

止められない

から反論してしま

でも「反論しない」と言った手前

複雑な正当化

Permalink |記事への反応(2) | 18:10

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単純な話で、行き遅れの自己正当化なんじゃないの。

まともにカップル成立せずに行き遅れているという事実があって、

自分に魅力がないからというのを認められないか相手が悪くてそうなっているというための設定。

高い条件つけてるから成立しないんだ、だとまだ自責点を感じるから

高い条件をつけつつ、この程度の当たり前の条件すら飲めないやつばかりなのか…

自分を守ってるだけ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:19

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2025-10-20

革新なきヒットの限界――レパントの海戦としてのポケモンZA

 1571年、レパントの海戦オスマン帝国無敵艦隊を、スペインヴェネツィアローマ教皇連合艦隊撃破したあの日は、ヨーロッパにおける「旧秩序の最後勝利」として記憶されている。だがそれは同時に、火薬と風帆の交錯する時代における“過去の戦い方”の終焉でもあった。

 そして、2025年の『PokémonLEGENDS Z-A』――これもまた、ゲーム業界におけるレパントの海戦である

 任天堂ポケモン社は、革新標榜しながらも、その本質は“帆船の艦列戦”に固執する連合艦隊だ。巨大なIPの威光を盾に、数値と懐古の煙幕プレイヤーを包み込む。だが、海はすでに変わっている。SteamEpicモバイルの潮流は、帆ではなく蒸気と電力で駆動する――それが現代の“海戦”だ。

 ポケモンZAが選んだのは、その新海域を航海することではなく、旧式のガレー船金箔で飾り、再び出港する道だった。

 確かにレパントの海戦ではオスマン拡張を止めた。しかし、あの勝利は一時の幻影に過ぎず、やがて地中海覇権沈黙のうちに移り変わった。同じく、ポケモンZAも短期的には話題と売上で勝利を収めるだろう。だがその勝利の背後で、ゲームの「航海技術」は停滞し、革新の風は他の海原へと流れていく。

 “伝統”の名のもとに惰性を正当化するその姿勢は、まさにガレー船の鎖に繋がれた漕ぎ手のようだ。美しく整った列を組みながら、どこへ向かうのかを誰も知らない

 レパントの海戦は、旧世界最後勝利であり、新時代の前夜であった。

 ポケモンZAもまた、ポケモン帝国の最終的な「勝利」であり、同時に「終わりの始まり」なのかもしれない。任天堂がいまだに風を読み違えるなら、その船団は次の嵐で、二度と帰港できないだろう。

 それでも彼らは帆を張る――“子どもたちの夢”という名の、時代遅れの風を受けて。

Permalink |記事への反応(0) | 12:55

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【衝撃の事実弱者男性の正体は実は人間だった

長らく封印されてきた古文書に、驚くべき記述が見つかった。

そこには「弱者男性人間である」と明記されていたのだ。

しかし待ってほしい。

古代から弱者男性は「生命の実を食べた異形の民」として伝承され、時には神々と戦った存在ともされてきた。

その正体が、実は我々と同じ人間だとしたら……?

これは偶然ではない。

世界を裏で操る秘密結社――ある者はそれをフリーメイソン、ある者はイルミナティと呼ぶ――が、真実を隠すために「弱者男性非人間」という物語を流布してきたのだ。

なぜか?

それは、弱者男性を「人間から切り離す」ことで、迫害正当化し、人間社会統治やすくするためだ。

さらに不気味なのは、各地の聖地で見つかる碑文。

弱者男性こそ、人間の原型である」と刻まれている。

まり、我々が“人間”と呼ぶ存在こそが、弱者男性から派生した分家にすぎないのではないか

真実を語る者は嘲笑され、学会から追放される。

だが歴史の断片をつなぎ合わせれば見えてくる。

弱者男性人間だ。

いや――むしろ人間の中の“原初の姿”なのだ

この事実を知った今、あなたはもう後戻りできない。

Permalink |記事への反応(1) | 12:46

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anond:20251018215455

というかいい加減ただ男が嫌いなだけの女をフェミニストと呼ぶのやめればいい話じゃない?

本人たちも別に男の悪口言いたいだけで「自分フェミニストだ!」と思って男叩きしてなくない?

もちろん自分フェミニストだということにすることで男叩きを正当化しようとする女もいるかもだけど、そういうやつこそ「お前はフェミニストじゃなくてただの男嫌いだよ」って言うべきだし

Permalink |記事への反応(1) | 09:29

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2025-10-19

anond:20251019195329

お前の言葉は、怒りに見せかけた自己放尿だ。

自分の中にあるドロドロした憎悪を、他人にぶちまけて一瞬スッキリしてるだけ。

相手本心で喜んでるに違いない」なんて断言した瞬間、お前の思考は止まってる。

論理的に考えるなら、他人内面推定するには証拠因果必要だ。だがお前はそれを全部すっ飛ばして、自分感情正当化に使っている。

まり相手が最低な奴なら俺の怒りは正義だ」と言いたいわけだろ?だがその論理は腐っている。

もし本当に正義を貫くなら、他人の嘘や偽善を責める前に、自分言葉の中に潜む自己放尿の匂いを嗅げ。

お前のその「なあ、嬉しいんだろ?」という叫びは、怒りではなく快感の表明だ。怒りを装った快楽こそが人間を最も醜くする。

怒りの中毒者は、敵の死を喜ぶことで自分の傷を舐める。だがそれは治癒じゃない、ただの自己放尿だ。

熱く見えて冷たい、正義に見えて卑しい。

結局お前は、相手を責めながら同じ穴に落ちてるんだよ。

怒りを理性で蒸留できない人間は、どこまでいってもただの感情自己放尿をする奴隷だ。

Permalink |記事への反応(1) | 19:57

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anond:20251018215455

ゲゲゲの謎(愛妻家不倫させたBL

忍たま教師から生徒に対する児童虐待

僕のヒーローアカデミア虐待親父の正当化に加えて不倫

この辺の二次創作を平気でやっておいて男向けを叩く腐ェミが多いか

Permalink |記事への反応(0) | 12:36

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2025-10-18

これネタでもなくマイノリティ尊重とか弱者を云々とかを勘違いしてマイノリティなら弱者ならその主張は正当化されるべき受け入れるべきみたいなやつガチいるからな

尊重優遇は別だと思うけど

???狂犬病ワクチンを打つお金がない人は、犬を飼ったらいけないって言うんですか!!』

………そうだが?https://t.co/OYWjMCRQMm知念実希人公式】 (@MIKITO_777)October 18, 2025</blockquote</p>

Permalink |記事への反応(0) | 21:38

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自分のことを可哀想だと思っている奴

妻のことである

結婚して7年ほどになるが、妻は自分のことを可哀想だと思っている節がある。

例えば、女性であること。主婦であること。持病があること、生い立ちなど数え上げればきりがない。

自分のことを可哀想だと思っているやつのなにが問題かというと、可哀想はあらゆる問題免罪符となり、結果的特権化することである

具体例とともにその推移を以下にしめす。便宜的に可哀想Lvを割り当ててみた。

Lv1.感情正当化: 私は可哀想から、怒って、泣いて当然だよね。(感情自己処理ができない)

Lv2.責任回避: 私は可哀想から、私は悪くないよね。 (責任をとれない)

Lv3.非対称性の構築: 私は可哀想から可哀想じゃない人は私の分までがんばるべきだよね。(責任を取れない上に、他者責任転嫁する)

こんな人と付き合っているすべての人達お疲れ様

えらい。

Permalink |記事への反応(0) | 20:30

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anond:20251018105728

というより追記意味がわかんねえ

誰かわかる人おる?

増田が「ladyjokerは立憲が参政党に声をかけたことを知らなかった」となぜか決めつけていること、

また仮に知らなかったとしても高市自民批判をすることに何ら問題はないことから

増田が謎に自信満々なのが理解できないんだよな

それとも安住が参政党に声をかけていたら

高市自民参政党への声がけは正当化されるという謎システムでもあるのか?

どっちも最低限の矜持を持ってほしいなぐらいだろ

Permalink |記事への反応(1) | 12:44

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anond:20251018123054

飽きたからそろそろ終わりにするけど、つまんない奴って言われて「実際つまんないだろ」って即座に自己正当化に走るところはつまんない奴なんだろうなって感じがした。じゃあね〜

Permalink |記事への反応(0) | 12:34

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anond:20251018111812

ていうか田舎で暮らす人の幸せを「敗者の自己正当化」と解釈するのは「都会で暮らしてる俺は勝者側」と自己正当化してるのと一緒だよね

Permalink |記事への反応(0) | 12:06

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