
はてなキーワード:歌川広重とは
江戸時代の浮世絵って、なんだかんだいって役者絵が一番売れたらしいんだ。
最初の頃は、芝居の演目に合わせた絵、次第に役者にフォーカスした役者絵が売れ筋に。
今の絵師たちと同じだな。
ただ、面白いのは、美人画の代表のように言われる歌麿の出世作は、「虫えらみ」、「百千鳥」、「潮干のつと」っていう虫の画集、鳥の画集、貝の画集なんだ。
たぶん海外で一番名前が売れた絵師は、北斎だろうけど、もちろん人物画だって描いたけどなんといっても風景画。
歌川広重もそうだな。
東海道五十三次って、教科書では広重の代表作と言われてるけど、東海道五十三次って一つのジャンルとして確立されてて、広重だっていくつもある。
広重のだと、一番有名なのは保永堂版だけど、そのほかに行書東海道、隷書東海道、小さい冊子のも含めるとそのほかにもいくつか出してる。
全部、東海道の宿場町を描いた絵なんだけど、構図や主題を変えて、描きまくった。
で、これまた面白いのは、名所+美人画(当時の萌え絵)の合作がやたら多いこと。
今でも、旅行の広告なんて芸能人かアニメキャラがセットなのと同じように、とってつけたかのように美人のアップを入れる。
そのうちに、宿場町の風景はオマケになり、ただの萌え絵シリーズものが増えてくる。
やっぱり、人物を入れると売れるんだろうな。
知ってる芸能人、知ってるアニメキャラ、見知った顔が入るだけで注目度も親しみやすさも変わる。
写真では撮れないような構図で、AIでは発想しにくいような主題ってのは、人物画よりもまだ勝機が残ってるんじゃないかな。
とかいいつつ、やっぱり人物画が売れるんだろうないうのは理解できる。
https://www.city.imabari.ehime.jp/museum/kono/event/event.html?p=1831
大田南畝の直筆の書とか、歌麿の絵の掛け軸とか、山東京伝の直筆とか、曲亭馬琴の直筆とか、平賀源内が出した本とか、山東京伝・歌川国貞・歌川広重・十返舎一九なんかの作品貼りまくってある屏風とか、自分が素人だからよくわからないけど、べらぼうに出てきてる人たちの作品とかめちゃくちゃ並んでる。
でも人がいない。日曜日に行っても誰もいなくて、どれだけギャアギャアすげーすげー言いながら歩き回ってもよかった(美術館で騒がない)
市の広報とかでもろくにアピールされてない。松山のNHKとタイアップくらいすればいいのに。日曜美術館に売り込めよ!!!
グレッグ・ベア「鏖戦/凍月」。
室井光広「おどるでく」
エリザベス・キューブラー・ロス、デヴィッド・ケスラー「ライフ・レッスン」★★★
福永文夫「日本占領史1945-1952 -東京・ワシントン・沖縄」★
平子達也、五十嵐陽介、トマ・ペラール 「日本語・琉球諸語による歴史比較言語学」★★
しみけん「SHIMIKEN’s BESTSEX 最高のセックス集中講義」
中野京子「怖い絵 泣く女篇」
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 1」
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 2」
1000decillion「Morals under a pagoda -Rome-」(同人誌)
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 3」
「カルダー:そよぐ、感じる、日本」於・麻布台ヒルズギャラリー
「夏の優品展 一味爽涼」於・五島美術館
ジェイムズ・ポスケット「科学文明の起源:近代世界を生んだグローバルな科学の歴史」
大石力「英語の発音と綴り-なぜwalkがウォークで、workがワークなのか」★★
ビル・ブライソン「人体大全 なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか」
鶴見香織 (著),尾崎正明 (監修)「もっと知りたい東山魁夷 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
荒木健太郎「雲の中では何が起こっているのか」
小谷賢「日本インテリジェンス史-旧日本軍から公安、内調、NSCまで」
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 4」
柊タイガー「よんこま十三機兵防衛圏!!こちらセクターX 3」
「感覚する構造 –法隆寺から宇宙まで –」於・WHATMUSEUM。
「内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙」於・国立西洋美術館。
塚﨑朝子「新薬に挑んだ日本人科学者たち世界の患者を救った創薬の物語」★
保坂直紀「地球規模の気象学大気の大循環から理解する新しい気象学」
古川武彦・大木勇人「図解気象学入門改訂版原理からわかる 雲・雨・気温・風・天気図」
小川晶子「アート・ビギナーズもっと知りたい竹久夢二 生涯と作品」
古川武彦、大木勇人「図解・天気予報入門ゲリラ豪雨や巨大台風をどう予測するのか」
老川慶喜「日本鉄道史幕末・明治篇 蒸気車模型から鉄道国有化まで」★★
肋骨凹介「宙に参る」一巻~四巻
「丸沼芸術の森所蔵アンドリュー・ワイエス展 ―追憶のオルソン・ハウス」於・アサヒグループ大山崎山荘美術館。
山本紀夫、稲村哲也・編集「ヒマラヤの環境誌 山岳地域の自然とシェルパの世界」★★★。
坪木和久「激甚気象はなぜ起こる」
老川慶喜「日本鉄道史大正・昭和戦前篇日露戦争後から敗戦まで」
老川慶喜「日本鉄道史昭和戦後・平成篇国鉄の誕生からJR7社体制へ」
細田亜津子「雲の上の哲学者たち -トラジャ族が語りかけるもの」
小和田哲男「戦国武将の手紙を読む: 浮かびあがる人間模様」★
「異常気象と気候変動についてわかっていることいないこと (BERET SCIENCE) 」
1000decillion「Morals under a pagoda -China-」(同人誌)
1000decillion「Morals under a pagoda -MedievalEurope-」(同人誌)
挂甲の武人国宝指定50周年記念特別展「はにわ」於・国立博物館
ニック・カルーソ、ダニー・ラバイオッティ「動物学者による世界初の生き物屁事典 ヘビってオナラするの?」
1000decillion「Morals under a pagoda -Islam-イスラム」(同人誌)
「平安文学、いとをかし国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」と王朝美のあゆみ」於・静嘉堂文庫美術館
朝倉文夫没後60年特別展「ワンダフル猫ライフ 朝倉文夫と猫、ときどき犬」於・朝倉彫塑館
「建築知識24年7月号 新石器・古代王朝から清朝まで 中国の建物と街並み詳説絵巻」
山崎晴雄、久保純子「日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語」(再読)。
山本高穂、大野智「東洋医学はなぜ効くのか ツボ・鍼灸・漢方薬、西洋医学で見る驚きのメカニズム」★★
藤岡換太郎「三つの石で地球がわかる 岩石がひもとくこの星のなりたち」
溝口優司「[新装版]アフリカで誕生した人類が日本人になるまで」
藤岡換太郎「フォッサマグナ日本列島を分断する巨大地溝の正体」
黒田泰三「もっと知りたい長谷川等伯 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション) 」
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 5」
いがらしみきお「ぼのぼの人生相談 ひととくらべちゃダメなのさ」
特別展「文永の役750年 Part2 絵詞に探るモンゴル襲来―『蒙古襲来絵詞』の世界―」於・國學院大学博物館
良い一年だった。
どのへんなんだろう
イラストを描く人がこぞって対策をしていて、絵柄や表現技法など身につけたものを掠め取られるのは我慢ならん、というのはよく分かる
あれは結構許されてる感じがする
そこは問わない感じ?
自分としては生成AIの推進も反対も定まってないので、やっぱ熱くなる話題なんだなーと眺めた
権利関係の問題、として捉えている投稿がいくつかあって、なるほどと勉強になった
確かに「本来その人が作成し、正当な対価を得たはずのものを無関係の人間がAIに学習させて作って横取りする」てのは権利上よくないな
さらに「本人が意図しない主義主張をされる」「模倣の質が低く、それを見た部外者に自分の価値を貶められる」とか 権利を通り越して侮辱につながるような付随する問題もあるね
今燃え上がってる「アニメ・漫画などのオタクカルチャーにおけるイラスト」とは違う分野ではどうなんだろう、という所が気になった、というものだった
場外乱闘を見てるとやっぱりその分野に話の焦点が移っていくようなので、やっぱり増田たちの興味関心の軸はそっちなんだなーと感じました まる
身近だしね
「もしゴッホが○○を描いたら」とか
まあ許される? のか?
怖いうちは生成AIを使わない方がいいな
腐っても芸大。上手く綺麗に描こうと思えば描けるはずだけど上手く綺麗に描く気がさらさらないんだろ
彼の絵がどこか癪に触るのは
GPT3.5とGPT4とでは歴然の差があるとは感じる
でもGPT4とClaude 3 Sonnetとでどれくらい差があるのか、よくわからん
○○の出力は得意だね、賢いね、とか
結局恣意的に見てるだけなんじゃねって気がするし
英語や中国語ヒンディー語スペイン語とかの他の言語で賢いの?どーなの?って尺度では体感的には分からない
実際は何某かのスコアを使って定量的な性能評価をしてます、なんだろうけど
どこまで信用できるんですかね
賢い賢くないってそのスコアで測れるんですかね
AIっていう非常に複雑な対象を、何々スコアっていう単純なものさしで本当に測れているのか?
人間だってペーパーテストの点数や知能テストで「賢さ」が分かるかっていうとそうではないじゃん
いまだに地頭なんていうよーわからん概念を信仰してたりするじゃない、人間はね
と、いうふうなことがAIにも言えるんじゃないのと思う
LLMが競い合う折れ線グラフみたいなやつも、あれを出して、○○が××を上回りました、って主張するけど本当にそうなのかね?
歌川広重並に疑わしいよね
説明しよう。「サイケデリック旅行」とは人間の内的世界すなわち夢・無意識世界に没入することで、その鮮やかで自由な世界を散歩することである。本稿では荒唐無稽、支離滅裂な内容が続くため、物好きにして、根気の強い人のみ読むべし。
さて、初めてのサイケデリック旅行は、高校一年の時である。それは忘れもしない冬休み、雪のしんしんと積りゆくクリスマスイブの日の出来事である。聖夜の前日ということもあって、私はくさくさと家に篭り、もののけ姫のdvdを観た後に、チャイコフスキーの「冬の日の幻想」を聞いていた。確か40分弱の曲で、高校生の私には長く、単調なものに感じられたが、20分ほど聞いていると、不思議なことが起こりはじめた。
まぶたの裏にあらゆる断片的なイメージがカラフルな原色となって浮き上がってくる。それも、有名な絵だったり、カードゲームのカードであったり、動物だったり内容はまちまちである。はじめは、歌川広重の「おおはしあたけの夕立」が浮かんできて、様々な色の斑点を伴いながら、暗闇の深淵へと消えていった。それから子供の時に集めていた遊戯王のカードが、回転しながら現れて、その次に物置に仕舞った、白色のPSPが浮かんできた。さらにその次に現れたのは、なんと説明しようか、いわば極度に抽象化された、概念的なイルカだった。そのイルカは点と線のみで構成されるアルゴリズムのようであり、イルカショーで見られるような美しく大胆な、水から跳ね上がる運動を延々と描いていた。
https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=1173
これは衝撃的な体験だった。それから私は無意識・夢の鮮やかで摩訶不思議な世界の虜となり、夢日記をつけ、河合隼雄の心理学を読み耽るようになった。夜、世界は青い静寂に包まれる。私は目を閉じて呼吸を穏やかにし、これからに映る美しい幻覚を心待ちにした。夢の中では空を泳いで、知らない街を見下ろしたり、通っていた高校に行って、やれやれ、なんて高校生らしい願望だろうか、ありとあらゆる同級生のおっぱいを揉みしだいたり、セックスをしたりした。
中山道広重美術館で開催されている「浮世絵ねこの世界展」に行ってまいりましたわ
歌川広重の作品は「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」のみでしたわ
主役はやっぱり歌川国芳で懐にいつも子猫を2,3匹入れていたという猫狂いぶりを
国芳の猫は関節の描写が自然で集合体にされていても猫らしさに違和感がありませんの
役者の絵が禁止されていた関係で、猫にして顔だけ役者のものにした浮世絵は猫耳の走りに見えました
不気味ですけど
二階展示室にあった「ねずみの戯遊」という作品がねずみが猫を罠にかけて遊んでいる内容で
まるでトムとジェリーのようでした
化け猫やねずみを襲う怖い形相の猫の絵もあって可愛がるだけじゃない猫と昔の人々の関係がうかがえました
中編なんてありませんでしたわ。いいですわね?
解説を読む読むと晩年の広重は風景画にはめずらしい紙を縦に使った大胆な構図に
挑戦しているそうですわ。
浮世絵を見慣れていないので、その辺りはわかりませんけど、
「名所江戸百景」の至近距離に「月のまつ」や鯉のぼりを配置して、
絶対的な自信が生まれたからこそ、あんな作品が発表できたのだと思います。
人物画の浮世絵師とコラボレーションした経験も役に立っていそうです。
我ながら御満悦でしたわ。しかも別の絵が用意されていましたわ。
角を丁寧にあわせることが肝要です。
いえ、わたくしはサバサバした女。鰭先の細かい作業もお任せですわ。
何故か二階にいたペッパーはレスポンスが悪いので無視していたら、
肩を落としてため息をついていましたわ。
紙を縦に使うのが大胆なら、正方形の紙を使えばもっと大胆かしら?と
少し考えましたけれど、浮世絵でそれをやると印刷事故が多発することが、
前回ですわ
http://anond.hatelabo.jp/20160914220045
音楽も、セリフも、ストーリーも、悪くはないがうまくマッチしていないような気がする。
ただ、やっぱり好き嫌いが別れるのは絵によるところが大きいと思う。
美しいか醜いかと言ったら、100人中100人が美しいと言う美麗さだ。
ただ、映画の絵としては特異と言わざるを得ない。
主人公が絵の中心にいないのだ。
背景を美しくみせるための、添え物に過ぎない。
絵に人間賛歌がないから、あんなに練られたストーリーも、セリフも、一つの作品としてまとまらないのだ。
正確には、背景を美しくみせるというのもちょっと違う。
あの映画の絵では、背景ですら、光を、風を、雨を、それを表現するための手段にすぎない。
見えないほど雨が画面を曇らせる。
画面の半分が空。
思い出したのは、歌川広重だった。
中でも、広重は、雨そのものを、雪を、光を、描き、人物も背景もその添え物という新しい表現に挑戦した。
今では、紙も絵具も変色して、容易には気が付かないと思うけど、雨が、光が、雪が、主役の作品を残してる。
版画という、数々の制限の中だからこそ、ストレートな工夫が目に入ってくる。
日本人の目には、「へぇ、面白いなぁ」だが、当時の西洋人には衝撃だった。
おそらく、「君の名は。」も同じに映るだろうと思う。
(版画だから浮世絵の色はのっぺりしていてファミコンのグラフィックみたい。
そう思っていたらグラデーションが!
思い返せば普通にグラデーションしている浮世絵をたくさん見ていましたけど、
意識していませんでしたわ。彫り師か摺り師の技術高すぎですわ。
小倉擬百人一首の題材にされている江戸時代の人物には、とんでもない人がいらっしゃって、
あの方々を持ち上げる江戸時代の人は現代人とは感覚が異なることを思い知りました。
八百屋のお七なんて、今ならひんしゅくを買いっぱなしになってしまうと思いますわ。
そういえばヨーロッパでも中世の人は犯罪者に同情的だったと、ものの本で読んだことがありますわ。
スカイツリーの地下で復活して現代レスリングトップの方とドリーム対決してほしいです。
説明から摺物と呼ばれる自費出版で趣味に走った同人誌的なものがあったこと、
当時の「写真」が「作者の観察に基づくスケッチ」の意味だったことなどを学びました。
魚づくしシリーズには何故か鯖がありませんでした。鯖がありませんでした!
文字通りに「見当」がずれたり、下の段にある縁の部分を擦って変な線が表れたり大変でした。
最後に輪郭線を摺るので、色の載った紙が一気に「作品」に変身するところが病みつきでした。
最後にミュージアムショップで復刻浮世絵(嶋田と池鯉鮒)を買ったのですが、
学芸員さんに「選んでください」と……
「同じ絵ではありませんの?」
「版が違えば微妙に違うんです」
今後、中期・後期の展示があるそうですわ。
もちろんだけど、版画で見て欲しい。
でも、いきなり画廊にいって手で持って鑑賞するってのもハードルが高いかと思うので(実際はけっこうこころよく手に持って鑑賞させてくれるよ)、伝わる部分、伝わらない部分をすこし説明しようと思う。
例によって、少し長くなるけれど、お付き合い願いたい。
かなり落ち着いてきたし、ずいぶんと絵の勉強もしたので、前よりもわかりやすく説明できると思う。
まず、色について。
画集はおそらく現存するもので一番古いもののうち、一番いい色のものを採用していると思う。
復刻版の浮世絵の色は、初版、あるいは最も有名な版の摺りたてを目指して作るというものと、摺ったものの経年変化まで考えて作るというものの2通りのものがある。
摺りたてを想像して作られてる。
そういう復刻版は明治大正の頃に作られていたんだけど、当時なら50年100年くらい経った浮世絵の再現ってことで、意味もあったんだろうけどね。
いまそれやったら、ほとんど灰色になってしまってよくわからない古ぼけた絵を作るってことだからね。
色については、復刻版のほうが圧倒的に綺麗。
ただ、いくつかの色については、江戸時代の絵の具そのものは使えないらしい。
たぶん、鉛とか水銀とかのように、水道法や毒劇物取締法にかかったりするものや、天然素材が資源保護の都合上手に入らなかったりとかだと思うんだが、詳しくは知らない。
それを差っ引いても、色については復刻版から見るべきだと思う。
画集ではとても再現できない。
まず空摺り、布目摺りという紙へのエンボス加工。
空摺りというのは、色をのせずに摺ることで紙につけるエンボス加工
たとえばこれ、巻物の縁の部分と、着物の衿の部分に注目。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/utamaro063/utamaro063_thumb4.jpg
布目摺りというのは、布を押し当てて紙に布のような質感を再現すること。
たとえばこれ、たなびく布が、本当に布のようなエンボスになってたりする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige175/hiroshige175_thumb5.jpg
これについては生で見ないととてもわからない。
スマホ画面で鑑賞するのに適した作品として、まず歌川広重の名所江戸百景の亀戸梅屋敷を挙げる。
寝る前によく眺めてる。
ゴッホが模写したとかで有名なやつらしい。
なれないうちは有名どころからいくといいよ。たぶん。
さて、画像検索すると、ピンク色に染まった空の一番上の部分が、ピンクから赤へのグラデーションのバージョンと、ピンクから青へのグラデーションの二種類がある。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/hiroshige160_main.jpg
http://www.gogh-ukiyoe-museum.jp/images/kameido.JPG
どっちが本物でどっちが偽物っていうわけじゃない。浮世絵って色の違う別バージョンが無数にある。
さて、それはさておき、俺はこの絵をみるときに、画面いっぱいに広がる梅の木の幹ではなくて、幹のあいだから見える、その向こうにいる人だかりを見てしまう。
というのは、画面いっぱいに広がる梅の幹の木肌が滑らかすぎるんだ。
木の幹は視界に入っているのに入ってない。
フェンス越しでも野球がみれるように、手前の木のピンぼけは、木の影から覗いてるという風に解釈してしまう。
ピンク色の空が幻想的で、幹と幹の間から見える遠くの人々の会話が聞こえてきそう。
遠くで友達が花見をしてる、それに混じりたいのに出て行く勇気がなくて遠くから覗くしかない俺、っていう架空設定をついつい脳内に作ってしまったりする。
さて、これだけでも手品みたいな画面効果だっていうのに、広重ときたらもう一つ仕掛けをつくってる。
次に、白梅の花に目を移してみる。
そうすると、白梅がとびだしてきやがるんだ。
さっきの野球の例えだと、フェンス越しに野球をみてて、ふとフェンスに焦点をあわせるとフェンスがブワァって飛び出してくるような感じ。
そんなこんなでまたいずれ。