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はてなキーワード:欺瞞性とは

2025-06-29

anond:20250629011302

最近日本が作るのは既存アニメカルチャーを担う有名人(老齢)に既存の有名IPを乗っけて手堅く成功するようなやつだけ。いや爆死も多いが。

でも、中国韓国ゲームの分野で完全新規IPに果敢に挑戦して、予算も熱意もかけてグローバルでヒットさせるようなものを頻繁に生み出している。

miHoYoとかSHIFT UPとかね。映像表現では、KURO GAMESなんかも特筆すべき芸術的創作性を備えてきてる。

そういうものは、怠惰で忍耐力のないアニメ視聴者に媚びた、「行間を読ませない」ような作品づくりとは対極の、作り手と同じくらいの熱意を持って自発的に散らばった行間(伏線)を探してくれるようなユーザーを喜ばせる、濃度の高い複雑怪奇創作スタンスを持っている。高IQ者でないと理解するのが難しい表現や高度に文化的表現も多用する。置いてけぼりにされたことすら気づかないくらいのミーム圧だ。リスペクトにあふれているとも言える。

それからヘイトコントロールというより、ラブアンリファイとでも言うような、ゲームからこそできるキャラ一人ひとりの背景をじっくり、場合によっては数年かけて掘り下げるアプローチで、どのキャラ自然と好きになれるので、オタクからの信頼を新規IPというビハインドを感じさせない勢いで獲得してる。

アニメ調ゲームは作り手も消費者も若く「ガチ」なものに溢れるホットオタク領域だが、日本TVアニメという創作分野はくたびれた中年初老のかつてオタクだった人向けにお決まりのもの提供する場になりつつあるのではないか

それこそテレビバラエティが老人向けのものになっていったように。これらは老人向けなりに若めのカルチャーに目を向けて、登場させるタレント美術センスこそ若さを感じさせるようにすることで、しょぼしょぼ感が画面から滲み出ないように作られているが、実態として消費者は老人ばかりなのだ

そういう創作スタンス欺瞞性を、一世代二世若い人たちは容易に見抜いては呆れることを繰り返してきた。作り手の古臭い価値観が滲み出ているからね。TVアニメはその流れとは関係ないと思っている人もいるようだが、まったくそんなことはない。

有名IPアニメを見て「勉強」してる場合なのか?と思う。創作というのは、小手先技法モダン表現へのキャッチアップは枝葉末節であり、本質的なのは創作の源泉となる思想アップデートだ。新しい時代価値観内包した思想性へのアップデート。それが伴わない限り、キャラ操り人形に見えてしまい、すべてがニセモノじみた茶番になる。それが分からない人が創作小手先を学んでも、世の中に残るものは残せないよ。

ピンと来ないなら、宗教団体が今風のアニメ表現ショート動画を作ったのを見るときの「なんか浮いてる気色悪さ」を想像してもらえばいい。年寄りたちが今風の表現を借りて作るTVアニメ作品には、それと同種の気色悪さがあるが、作り手と同じくらいの感性で止まっている人にとってはそうは感じない、という話。

それがまさに若者バラエティを見たときに感じる気持ち悪さと同じ。

もちろん、これらは所詮娯楽だから、一消費者としてならそこで止まり続けて、死ぬまで慣れ親しんだものを消費していくのでも構わない。それを揶揄されようと気にしないでいればいい。なんなら逆に、こういう指摘をしてくる自分のような人間小馬鹿にしつづけたらいい。

でも意識高い作り手になろうとしている人間にだけは、違和感危機感を持ってほしくてこうやって書いている。

Permalink |記事への反応(1) | 01:45

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2025-05-08

逆説の殉教者

影山という男がいた。彼はかつて、巷に溢れる「ポジティブシンキング」という名の薄っぺら信仰を、公衆面前完膚なきまでに論破することを生き甲斐にしていた。朝礼で朗らかに今日も一日、前向きに!」と宣う上司がいれば、「前向きとは具体的にどのような精神状態を指し、それが業務効率にどう統計的有意差をもって貢献するのかご教示願いたい」と真顔で詰め寄る。SNSでは自己啓発的な名言を垂れ流すアカウントを見つけては、その論理的矛盾現実逃避的側面を、鋭利言葉執拗に、粘着質に指摘し続けた。周囲からは「また始まった」と生暖かい目で見られ、やがて煙たがられる存在になったが、影山はどこ吹く風。彼は自らを、甘ったるい幻想にまどろむ大衆警鐘を鳴らす、孤高の現実主義者だと信じて疑わなかった。

しかし、いつのからだろうか。影山の熱心な「ポジティブ叩き」は、徐々にその様相を変えていった。彼が執拗監視し、批判の的としていたポジティブな言説や人物、それらに対する彼の情熱は、憎悪というよりは、もはや執着と呼ぶ方がふさわしいものへと変貌していたのだ。気がつけば、彼は「ネガティブこそが真実であり、世界を覆う欺瞞の光を打ち破る唯一の聖剣なのだ!」と、今度はネガティブという教義黒帯レベル信者と化していた。

彼の日常は、ポジティブものを探し出し、それを打ち砕くための聖戦に捧げられていた。朝一番にチェックするのは、昨日彼が論破したはずのポジティブインフルエンサーが、今日も元気に「小さな幸せを見つけよう!」などと投稿していないか電車中吊り広告に踊る「夢を諦めないあなたへ」というキャッチコピーを見れば、舌打ちと共にその欺瞞性を脳内で反芻し、帰宅後には長文の批判ブログを書き上げる。スーパーで「元気が出るビタミンカラー!」と銘打たれた野菜を見れば、「色彩心理学安易商業利用するな」と心の中で毒づく。

彼は、ポジティブものを叩き潰すことに夢中になりすぎるあまり、逆にいつもポジティブのことばかり考えていた。それはまるで、憎いはずの相手SNSを隅々までチェックし、その一挙手一投足に心をかき乱され、相手思考や行動パターンを誰よりも熟知してしまうという、屈折した片思いの構図そのものだった。ポジティブ言葉ポジティブ笑顔ポジティブ物語。それらは彼にとって、否定し、論破し、解体すべき敵であったはずなのに、いつしか彼の思考の中心を占め、彼の行動を規定する原動力となっていた。

ある雨の日の午後、影山は古本屋の隅で、なぜか自己啓発書のコーナーにいた。彼は無意識のうちに、鮮やかなオレンジ色背表紙金文字で『人生が輝く!魔法ポジティブ習慣』と書かれた本を手に取っていた。ページをめくり、そこに並ぶ安直な励ましの言葉や、根拠の薄弱な成功譚に目を通しながら、彼はいものように「くだらん」「欺瞞だ」と心の中で呟いた。しかし、その時、ふと奇妙な感覚に襲われた。それは、獲物を見つけた狩人のような、微かな高揚感。この陳腐言葉の群れの中から、新たな否定材料を見つけ出し、それを完膚なきまでに論破する未来想像し、ほんの少しだけ、口角が上がったような気がしたのだ。

彼はハッとして本を棚に戻した。そして、雨に濡れた街を眺めながら、自問した。自分は一体、何と戦っているのだろうか?ポジティブという概念否定するために、誰よりもポジティブものアンテナを張り、その情報収集し、分析し、それについて思考を巡らせる。これほどまでにポジティブもの時間情熱を捧げている人間が、他にいるだろうか。

「もはや、俺はポジティブに取り憑かれているのかもしれないな」

自嘲めいた呟きが、雨音に混じって消えた。

彼が憎み、否定し続けたポジティブという名の亡霊は、いつしか彼の影そのものとなり、彼の内なる芯を形作っていた。それは、否定という行為を通じてしか他者世界と繋がれない、影山の哀しいまでの純粋さが生み出した、皮肉殉教者の姿だったのかもしれない。そして彼は、明日もまた、新たなポジティブを探しに出かけるのだろう。それを否定するために。そして、それによってしか自身存在を確かめられないかのように。

Permalink |記事への反応(0) | 16:53

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2024-10-01

はてな匿名ダイアリーに書き込む人の気持ちが良くわからない

久しぶりに訪れて素朴に聞きたいのだけど

はてな匿名ダイアリー、ってこんなコミュニティに留まってるのってなぜ?

はてぶはもちろん、5chとかガルちゃんとか爆サイのほうがマシに思えるのだけど

 

5chとの比較 棲み分けID

カテゴリ分けされてないのが酷い

5chならなんJとかVIPとか糞の寄せ集めから各種専門版まで棲み分けが一応あるけど、ここは全くない

何が起きてるかというと、とりあえず専門知識もないようなのが罵詈雑言で噛みついて書き逃げみたいなのが横行する

ID表示がないのも酷い

 

ガルちゃんとの比較 スレ分け

ガルちゃんって、参加人員教養知識レベルは最底辺だと思う

だけどUI的には良いところがあって、書き込みへの±がついて、それで強調表示されることでスレ内の大勢がわかる

衆愚政治的な側面は存在するのだけど、はてダUIに比べるとはるかにまとも

 

爆サイとの比較 住民欺瞞性

爆サイって、およそ一般的な人が参加する範囲での最底辺ウェブコミュニティだと思う(犯罪性のある所を除いて)

だけど、はてダって大して変わらんよね

爆サイはまだ自分たちが最底辺って意識で書き込んでるから嫌な気分も軽減されるけど、はてダってなんか自分が偉そうに書いてくるのが下劣

 

いや、ごくまれに読ませる記事もあるよ!?

だけどそれって数日に一つってレベルじゃん

それ待ってここに張り付いてんの?って単に不思議

Permalink |記事への反応(8) | 20:51

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2024-06-09

[Webクリップ]

また彼は人生に対する快楽主義的な姿勢が持つ欺瞞性理解していた。

先の戦争以降、西洋思想ほとんど全て、特に進歩的思想は皆、人類は安楽、身の安全苦痛回避以上のことを望んではいないと暗に仮定していた。

こうした人生観においては、例えば愛国心軍事的美徳といったもの存在する余地はない。

兵隊人形で遊ぶ我が子を見た社会主義者普通不安に駆られるものだがブリキ兵隊の代わりを思いつくことは決してできない。

どうしたわけかブリキ平和主義者ではその代わりにはならないのだ。

自らの喜びなき精神によって並外れて強くそれを感じ取るヒトラーは、

人類が欲するのは安楽と安全、短い労働衛生状態避妊一般化して言えば常識に適ったもの

それだけでないことを知っているのだ。

少なくともときおりは闘争自己犠牲、そして言うまでもなく太鼓と旗、忠誠を誇示するための行進を人類は求める。

経済理論としてはともかく、ファシズムナチズムはどのような快楽主義人生観よりも心理学的にずっと堅固なものである

書評アドルフ・ヒトラー著「我が闘争」 ジョージ・オーウェル

https://open-shelf.appspot.com/ReviewOfMeinKampfByAdolfHitler/chapter1.html

Permalink |記事への反応(0) | 12:44

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2024-02-14

anond:20240214103148

多くの人が賛同する社会正義の内容をツイートすることそのもの欺瞞性が生じうるか

Permalink |記事への反応(1) | 10:33

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2022-10-21

急募】人文系ブクマカに良い本を教えてもらいたい

http://iwatam-server.sakura.ne.jp/kokoro/kyakkansei.html

このサイト文章抜粋する。

ネット世代の人は、入ってくる情報はすべて主観的ものであって、自分だけ が主観的でない視点でその情報を取捨選択するのだと考えている。自分主観であることに気づいていないのだ。

客観的であるためには、自分意思をはたらかせないことが重要だと思ってし まっている。しかし、向こうからやってくる情報を受け取るばかりでは、客観 的な視点を持つことはできない。足りない情報を自ら探しに行くことで、はじ めて客観的視点を持つことができるのである。足りない情報を自ら探しに行 くためには、何が足りないのかを自覚する必要がある。それが「疑問を持つ」 ということである。何が足りないのかを自分で見つけ出せてはじめて、それを主体的に探し出すことができる。

このサイトは「ネット世代」と呼ばれる、平成生まれ層の若者批判するのがメインコンテンツの一つとなっている。ここで挙げられているようなネット世代批判が多くのネット世代に当てはまるかは疑問だが、私(2003年まれ)というn=1に関しては当てはまっている。確かに私は、「周囲の人間友達であろうと家族であろうと先生であろうとネット民であろうとみんな無意識のうちにポジショントークをしており、自分はその欺瞞性に気づいている」的な思考をしがちである。そこで、そのような思考がなぜ生じるか、どういう体験をしたから生まれものなのか、どういう体験が欠けているから生まれものなのか、どうすればその現実認識から「みんなそれなりに自由判断をしているしそれなりにポジショントークちゃう」のような穏当な現実認識に変わるか、などについて論じている主張を読みたいと思った。できれば質の保証されていないインターネット文章ではなく、出版された本がいい。

Permalink |記事への反応(0) | 00:27

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2022-03-27

anond:20220327183429

人生破滅してもそれはそれで楽しい日々を過ごしていますよという、そのようなロールモデルを示せないか

上を見るのをやめて今手の中にあるもので満足しましょう。足るを知るということです。

という昔からある格言だろ。

そういうクソみたいな寝言欺瞞性情報化社会になって暴かれてしまった。インターネット遮断して昔ながらの村社会回帰し、豊かな人生を送る人々のことは一生知らずに生きて死ぬようにするしかない。

Permalink |記事への反応(0) | 19:02

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2021-07-04

福本伸行「愛よりも剣」

これはあまり人気がないカイジ和也編の作中作だ。金に飽きた和也が書いた小説という設定になってる。

話はこんな感じ。

暴力団組長がキャバクラの嬢に惚れて5千万円で囲おうとするが、嬢はクラブのボーイと金を持ってとんずら。

逃げた男女は暴力団に捕まってとあるゲームをさせられる。

ゲームの内容は

・お互い磔にされて、体に剣が刺さる穴が7箇所空いた箱に入れられる

・穴が空いてるのは右胸、胸の真ん中、左胸、左腹、右腹、左太もも、右太ももの7箇所

・合計2人合わせて14箇所、その9箇所には鉄板が入れられていて、そこは剣が刺さらない

・お互い順番にどこに剣を刺すかをコールして、が9本の剣を刺し終われば帰れる

最高の形は9本全部鉄板のところに刺せばラッキー

とはいえ胸は死ぬので、足とお腹で傷ついて帰るのが現実的なやり方。

相手の穴をコールしてもいいから、最初は「俺が君を守る!」とか言って男が女に自分の穴をコールさせるんだけど、実際に刺されていくとそんな余裕がなくなってくる。

そこから愛が壊れていくのが面白い

まずは男の足に直撃する。

それでも女は男の番号をコール

これに驚いた男はお前の足から行けよと言うのだが、女は水着が着れなくなるとかなんとか言い出して醜く揉め始める。

当然男も次から女の番号をコールしはじめ、女の足にも剣が刺さる。

ここからはお互い傷付き余裕がなくなり、より醜いことになっていく。

ここで女が組長に質問

「死んだ相手の穴に刺してもいいんですか?」

それは許されてる。

から相手の胸を刺して殺してしまえば自分だけは助かれる。

女は男の胸をコールしかも「2ターン一気に使わせてください!」と言って2本同時刺し。

男の胸には鉄板がなく直撃。

女は喜ぶが男には微かに息がある。

男は最後の力を振り絞って女の胸をコール

2人とも死んで終わりというなんの救いもない物語

胸糞すぎるけど合計何回読んだかわからないぐらい繰り返し定期的に読んでる。福本作品で一番好きかも。

実際にこんなキチガイはいないけど、もしこういう状況になったらこうなるだろうなというのがリアルに描かれてるのが好き。

もちろんこれを持って愛なんて存在しないなんてことにはならないが、お互いのためにとか守るとか軽々しく使われる言葉欺瞞性を上手く表現してると思う。

サンデル教授取り扱ってくれないかな。

Permalink |記事への反応(1) | 10:33

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2021-04-09

youtubeプレミアムなら動画が途切れない」CM欺瞞性

をなんて表現したらいいのか数日間迷ってる

Permalink |記事への反応(0) | 00:39

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2021-04-01

anond:20210331103911

ならばペットについても触れないといけないでしょ

こういう擬人化で図らずも欺瞞性が浮かび上がるのは面白いので他のアニメでもやろう

Permalink |記事への反応(0) | 11:57

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2020-09-13

左派欺瞞性

人の差別的言動にはそれで人生終わりだとでも言わんばかりに厳しく非難するくせに自分自身差別性を指摘されたら必死否定する。

Permalink |記事への反応(2) | 15:47

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2019-03-02

人間の醜い欺瞞性吐き気がする動画

https://youtu.be/-k9HVdWbv5k

ライオン母親ヒヒを食い殺したら、子供のヒヒがいたのに気づいて、殺すことなくじゃれあった、という話らしい。

これを感動物語という視点で見る人間欺瞞性には全くもって吐き気がする。

俺はどんなに腐っても、この動画上でライオンを褒めているような連中ほどまで精神が落ちぶれることは絶対にない。

まともな人道的倫理観を持っている者ならこう言うはずだ。

ライオン最初からヒヒを襲うな!

ライオン絶滅しろ

Permalink |記事への反応(1) | 20:59

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2019-01-15

anond:20190115235308

暴行殺人自殺教唆脅迫監禁窃盗強要公然わいせつ強要放火強要

どれも子供同士でもダメ絶対

ぐらいじゃなきゃリアリティなくね?

何度もあちこちで言われてることだけど

いじめ」って言葉はよくないよ。

売春」を「援助交際」に言い換えるような欺瞞性がある。

Permalink |記事への反応(2) | 23:59

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2018-02-18

精神科医がぶつ世代論はなぜ人を不快にするのか

それは精神科医科学的観察の名の下に他者対象化し、批評し、自分だけはあなたたちと違うのですよという、いわば安全圏に自分隔離しておいて、医者患者という権力関係あるいは上下関係押し付けてくるからだ。

医者がどれほど自分を貶めて留保しようとも、自然科学客観性を装って行われるそのようなマウンティングがもはや無邪気といってよいほど無自覚に行われているのを、読者は敏感に察知して、よけいに苛立つことになる。

この関係性とその欺瞞性については、ミシェル・フーコーが『精神医学権力』という講義で、19世紀精神医学を例に詳しく分析して批判しているので、興味のある向きは参照してほしい。

精神医学権力講義は、そのタイトルから推測されるとおり、自らを科学と称する精神医学が実は権力テクノロジーによって徹底して貫かれているということ、そして精神医学的な知が科学的な知とは全く無縁のものであるということを告発しようとするものである

精神医学権力』 訳者解説

http://www.meijigakuin.ac.jp/~french/shinkai/pdf%20files/le%20pouvoir%20psychiatrique.pdf



この「医者患者」という権力関係が、「社会批評家批評対象としての世代グループ」の関係に無邪気に重ね合わされるとき、読者の反応が「何様のつもりだ」というものになるのは、無理もないことと思う。

Permalink |記事への反応(2) | 22:06

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2018-01-06

「隙あらば 自分語りの 典型例」 「ヒーローを 求める奴の 欺瞞性

平安時代かな

anond:20180106114352

Permalink |記事への反応(1) | 16:14

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anond:20180106114115

おまえが勘違いしてるようだから言ってるんだがね。

しろ頑張った奴ほど、元増田の「ヒーローを求めるやつの欺瞞性」はわかる。

おまえが分かってないか説明してるまで。

Permalink |記事への反応(2) | 11:43

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2017-07-30

https://anond.hatelabo.jp/20170730212207

なぜわざわざ「キモくて」をつけるかといえば、あなたの書いている通り本来であればキモかろうがオッサンだろうが関係なく弱者は救済されるべきであるにも関わらず、実際には若くて容姿端麗な女性のことばかりことさら問題にしていることの欺瞞性に対するプロテストからでしょう。

たとえば、若い女性相対的貧困をなんとかすべきだという主張に対して、ホームレスといった絶対的貧困者に関していえば中高年男性の方が圧倒的に多いのにそれを差し置いて公的リソースを投入せよという主張は男性に対する性差別ルッキズム、あるいは性欲のなさしむるところではないか?ということです。

Permalink |記事への反応(2) | 22:43

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2015-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20150531164219

実際の問題は「弱者男性を助けるべき」こととはまた別に弱者男性を助けないことによってフェミニズム欺瞞性が浮き彫りになってきた、という事態なんだと思います

Permalink |記事への反応(2) | 16:44

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http://anond.hatelabo.jp/20150531010010

その変な奴らの言動が、

偶然か必然か、意識的無意識的にかは分からんが、

現行のフェミニズムの致命的な問題点を抉り出した。

それが問題なんでしょ。

そりゃまぁ、かわいそうだけど、遅かれ早かれこの種の欺瞞性は指摘されずにすむわけがないよ。

Permalink |記事への反応(1) | 01:02

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http://anond.hatelabo.jp/20150531004728

黒人差別と戦った人達白人弱者のために行動しなかった場合、当然その欺瞞性無視できないね

重要なのは、その欺瞞性が指摘されたかという点。

フェミニズム場合、指摘されてしまった。それが痛い。

Permalink |記事への反応(1) | 00:53

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2015-02-21

結婚式欺瞞性が気持ち悪い

元カレ結婚して、挙式に呼ばれた。

周りに隠した社内恋愛で、今でも同僚なので、呼ばない方が不自然だと思ったのだろう。

式に出て驚いた。新郎新婦の馴れ初めが紹介されたんだけど、大学時代バイトが同じで新郎が好きになって、そのとき告白できなかったけどずっと思い続けて、社会人になってから勇気を出して告白して付き合いだしたんだって

嘘つけ。

社会人になってから、少なくとも3人とは付き合っていたはず。私と別れたのも浮気が原因。「ずっと思い続けていた」なんて大嘘だ。どうせ誰かにフラれたときに、昔の女友達を片っ端からデートに誘って、引っかかったのが新婦、そんなところだろう。

頭痛くなって途中で抜けだして帰ってきた。嘘つき野郎

Permalink |記事への反応(0) | 20:16

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2014-07-02

最近何に価値があるかわからなくなってきてしまったのです。もしかしたら、何にも価値がないかもしれないですし、あらゆること、は価値があるかもしれないとも考えています倫理的でないこと-例えば、人を殺す。しかも、特に理由なく。それすらも価値があり、また価値がないとも考えています

また今、体調を崩していまして、仕事をしていません。働かない理由の一つにすることもしないことにも価値を見出せないことが一つかもしれません。

また、生きることについて、死ぬことについても考えています。まあ、これは在学時、また、それ以前からも考え続けたことでありますが。「社会的」(社会という単語もここでは自分日本語以外の言語が使用できないので日本社会のことを指します)に意味があるとされていることは本当に意味があるのか、建前は意味があると装っていて、実はそこまで辛い思いをしてまで建前を貫き通すことが出来ない人が増えている。そのように、私(のみているパースペクティブ)としてはそう思います。それがニートであり、そこからさら抑制された状態で、いわゆる「無敵の人」なのだと考えています

彼らは社会ハイコンテキスト空気適応出来ず、社会の無言の圧力抑制された存在なのだと思います社会倫理に虐げられた人間に今更、社会倫理で説得しようとするのは無駄なことでしょう。しかしながら、刑罰という面において従順なのが不思議なのです。それは、おそらく、日本教育、〜しなければならない(must be)が蔓延している結果なのでしょう

最近永井均中島義道に興味を持っています。私がその気になれば、すこしくらいなら直接話ができるくらいの距離にいます

彼らになぜ興味を持っているかと言うと、恐らく彼らも、哲学という手法を用いて意味価値、生、死について問いづづけた人だからでしょう

今、自分自身がどうしたらいいかわからないのです。社会的には休養して仕事をするという回答をえられるでしょうが、今の仕事は、マニュアル化しコンサルタントによる効率化によって、(世界的も含み)社会コモディティ化されている。それを経営者はわかっているので、マスメディア的にも経済社会的にも、現在若者ゆとり世代といい、多くの問題最近の若者的な問題すり替え押し付けている。俺たちの時代もそうだったと昭和世代はいうのだけれど、無縁社会化、監視社会化、昭和的なあなあさの消失失われた10年年金問題等々、当時の社会とは違い成長や豊かさという大きな物語が失われたのに関わらずのに同じもの、いやそれ以上のものを求められている。

また、就職活動においてもビジネス化が進み、自分世代もそうだったが、もはや、通過儀礼(イニシエーション)ともいえるものを乗り越えなければならない。しかも、この通過儀礼文化人類学的な単純なものではなく、ホンネとタテマエが入り混じり、時にはそれが入れ替わる。欲望、または純粋希望。そう言ったものが入り混じりそれを通過するにも。とてつもない精神的苦悩のあるものである

その通過儀礼を通過したとしても、ビジネスモデルとしての使い捨て、いわゆるブラック企業跋扈している。厳しい競争を勝ち抜いても、その後に、さらに厳しい社会へと放り込まれるのだ。

今の会社グローバルな競争に向かわざるをえず、主要企業の行っていたビジネスモデル一年たらずで崩れてしまう。

企業倒産による、失業リストラ些細なミスによる解雇、これらは社会においては自己責任であり、手を差し伸べるものでは無くなってしまった。

働かざるは食うべからず。行く場所行く場所そう言われる。

生活保護を受けるのは非国民のような扱いを受ける。そもそも生活保護を受けるのも役人によるしぶとい駆け引きに勝たなければならない。

しぶとく、適応性があり、あらゆることに精通しており、強く、人に従い、文句を言わず、逆らわず、なんでもやってくれ、生活できればどんな安い賃金でも耐えられる人間をどの会社も欲している

障害を持つものも、内臓疾患であれば甘えと言われ、精神疾患も同じく。足がなくとも、同じ状況にある人間ががんばっているんだといい、目の前にいる人間言葉無視する。

重要なのは、働くことのみである

たとえ儲けが出なくても、働かざるは食うべからずという圧力仕事が作られる。

駅でお菓子を売っている障碍者たちは働かざるは食うべからずの精神で駆りだされ売っている。全く売れなくても「そうしなければならない」のだ。

彼らの中にはそういった欺瞞性に気付くものもいるが、どうすることもできない。運営してる福祉ですら、その欺瞞性を飲み込んでいかなければならない。

初めは人を救うという意志があったものの、欺瞞性政治の結果、福祉の人として道を外れてしまい、いわゆる「腐った福祉」になってしま

しぶとく、適応性があり、あらゆることに精通しており、強く、人に従い、文句を言わず、逆らわず、なんでもやってくれ、生活できればどんな安い賃金でも耐えられる人間をどの会社も欲している

朝。そこには雀の気持ちいい鳴き声すら気づかない。

昨日の疲れが取れなかった苦しみだけが残る。

殺気立った満員電車突っ込み

痴漢冤罪にならないことを恐れなければならない。

改札のタッチミスで舌打ちが聞こえ、時に電車が止まる。

人身事故だとしても、その人を心配する人はおらず、

しろ遅延証明書遅刻の報告のほうが重要なのだ

知らない人間の命は関係ないーー

こういった風景を見てきてどうすればいいかわからなくなりました。どうすればいいでしょう

Permalink |記事への反応(3) | 17:00

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