
はてなキーワード:機会の平等とは
結果の平等とは「最終的な成果・報酬・地位などが、できるだけ均等になることを目指す考え方」のことで、所得格差を縮小するための累進課税や所得再分配政策や男女比を固定的に揃えるクオータ制などがそれにあたる。
機会の平等とは「スタートラインや選択の機会が公平に与えられることを目指す考え方」のことで、奨学金制度や公教育の整備を通して教育へのアクセスを均等にすることや採用にあたって性別や人種で差別しないことがそれにあたる。
話題は「男100人、女100人の合計200人から50人のチームを作る」時にどう作るべきか?ということだ。
まず、結果の平等はわかりやすい。とにかく「男25人、女25人のチーム」を作るということだ。
次に、機会の平等は、主として採用にあたって性別や人種で差別しないことに軸を置くので、例えば「能力テストを行い上位50名を取る」とか「完全にくじを引いて50名を選ぶ」などが考えられる。
ここで、完全にくじは機会の平等を純粋に担保しているのだが、パフォーマンス面で問題がある可能性がある。これは日本国民全体からランダムで医師免許を与える、みたいなことを考えればわかるだろう。
では、「能力テストを行い上位50名を取る」はどうか?確かにメリトクラシーちっくではあるが、その能力テストがそのチームの今後のパフォーマンスを測るのに適切なのであれば、社会的な合意は取れるだろう。
で、私が言いたいのはここからだ。私が見る限り、フェミニストは男性と女性の能力が等しいと仮定しており、反フェミニストは男性と女性の能力に偏りがある(もっと言えば男性>女性)と仮定しているようだ。
では、まずこのチームが必要とする能力という面で、男性と女性の能力が等しいと仮定しよう。フェミニスト仮定だ。
すると、「能力テストを行い上位50名を取る」というルールでは期待値として「男25人、女25人のチーム」になるだろう。(あくまで期待値なので、結果にブレはあるけど)
であるならば、フェミニスト仮定をもつ人にとって、期待値的には「男25人、女25人のチーム」を作るのと「能力テストを行い上位50名を取る」ルールは同じようだ。
じゃあ、どっちでもよくないですか?
次に、男性と女性の能力に偏りがある(もっと言えば男性>女性)と仮定してみよう。反フェミニスト仮定だ。
ここで、社会が「男25人、女25人のチーム」を強制したとしよう。これに反フェミニストは怒っているのだが、怒る必要はあるのだろうか?これを考えてみよう。
反フェミニスト仮定は男性と女性の能力に偏り、それも著しい偏りがあると考えているはずだ。そうじゃなきゃ期待値的には「男25人、女25人のチーム」を作るのと「能力テストを行い上位50名を取る」ルールは同じになってしまう。
例えば、国立大の医学部医学科の合格者比率は男性63.5%、女性36.5%でほぼダブルスコアだ。東大の学部生は男性78.7%、女性21.3%だ。ダブルスコアどころの騒ぎではなく4倍である。
この結果は男女の能力差なのか、社会的圧力なのか、男性に有利なルールになっているのかなど、ここでは議論しない。
でも、こういう事実を理由として、反フェミニスト仮定では「男25人、女25人のチーム」という結果の平等のチームを作ってしまうと、パフォーマンスが下がることを彼らは指摘しているんだ。
そう。くじ引きを嫌う点からわかるように、機会の平等側の人たちは、基本的に平等性よりもパフォーマンスを重視する傾向にある。
でも、よく考えてみよう。「男100人、女100人の合計200人から50人のチームを作る」際に「男25人、女25人のチーム」を作ったとしよう。残った人はどうなる?
「男75人、女75人」が残っている。この人たちは落第者なので、結果の平等ルールは適用されない人たちだ。ではこの男75人の上位50名でチームを作ったらどうなる?
ルールに基づく「男25人、女25人のチーム」と残った男の「上位50人」チームが戦うはずだ。何で戦うのかは知らない。スポーツなのか、学術なのか、ビジネスなのか。
しかし、そこでは結果の平等も機会の平等も担保されていない、ただひたすらにその戦場でのパフォーマンスが高いチームが勝つゲームだ。
そして反フェミニスト仮定では、男性と女性の能力に著しい偏りがある、と考えているはずなので、結局、そのゲームでは残った「男性50名チーム」が勝つはずだ。
(もちろん負けた「男25人、女25人のチーム」や残された女性75人はどうなる、という話もあるだろう。でもそのことは結果の平等側の人たちのチームでも同じことが生じるし、全員の結果の平等はそれこそ共産主義になってしまう。それを社会が選ぶというのであれば、あるのかもしれないけれど)
「男性と女性の能力が等しいと信じている」と言っているのに結果の平等を求めたり、
「男性と女性の能力に著しい偏りがあると信じている」と言っているのに、真に社会で発生している戦場・ゲームのそのずっと手前の入り口部分で結果の平等を実現されることを怒ってたりすることなんだ。
結果の平等を求めてるってことは、本当は心のどこかで「女性の方が男性よりも劣ってる」って思ってるんじゃないの?
社会の途中にあるゲートの結果の平等に怒ってるってことは、本当は心のどこかで「男性と女性の能力はそれほど変わらなくて、下駄のはかされ方でパフォーマンスが変わってしまうかも」と恐れてるんじゃないの?
「女は弱いので、男が守るべき」と女性が言ったり、「本当に男に向いてるかどうかはわからんけど、伝統的に男が家庭外での仕事をやってきたから、色々変えるのめんどくさいのでこれからもそっちを男がやるけど、その代わりそこで得た利益は家庭を通して女に還元するから一緒にがんばろうね」と男性が言ったりする方がまだ本心に近いと思っていて、こういう本心を隠して、それっぽい理屈を捏ねてるから変な議論になってる気がする。
で、それぞれに賛同したり、批判したりするのは各自の自由でいいと思うんだけど、
近年、転売ヤーによる商品の高額転売が社会問題となっています。コンサートチケット、ゲーム機、限定商品など、様々な分野で転売ヤーが市場を混乱させ、一般消費者が本来の価格で商品を購入できなくなっている状況です。この問題を解決するため、法的な規制の導入を提案します。
1. **一般消費者への悪影響**
2. **市場秩序の混乱**
-価格の異常な高騰
- 正常な取引の阻害
-顧客満足度の低下
-販売戦略の混乱
-犯罪の温床化
転売ヤーによる市場の混乱は、消費者、企業、社会全体に深刻な影響を与えています。この問題を解決するため、包括的な法的規制の導入が必要です。
この主張にはいくつかの論理的な問題と経済学的な誤解が含まれています。
主な問題点:**
経済はゼロサムゲームではありません。富の創出は必ずしも他者から奪うことを意味せず、経済全体のパイを拡大することが可能です。例えば技術革新や生産性向上により、全体の富が増加することがあります。
「価値を生み出せていない」という前提も疑問です。低賃金労働者も社会に必要な価値を提供しており、市場価格が必ずしも社会的価値を正確に反映するとは限りません。清掃員や介護職員など、社会に不可欠な職種が低賃金である例は多数あります。
経済学的視点:**
最低賃金引上げや貧困対策の効果については経済学者間でも議論が分かれますが、適切な水準であれば経済全体にプラス効果をもたらす可能性があります。購買力向上による消費増加、労働者の健康・教育水準向上による生産性向上などが考えられます。
複雑な要因:**
貧困の原因は個人の努力不足だけでなく、教育機会の格差、地域経済の衰退、産業構造の変化、健康問題など多岐にわたります。これらの構造的要因を無視して個人責任のみに帰結するのは単純化しすぎでしょう。
国の競争力は単純な賃金水準だけでなく、教育水準、技術革新力、社会の安定性、インフラなど多面的な要素で決まります。適度な所得再分配は社会の安定と持続的成長に寄与する可能性があります。
Q.ピケティの主張も絡めて
ピケティの『21世紀の資本』の知見を踏まえると、この主張の問題はより明確になります。
ピケティの主要な発見:**
ピケティは長期的データ分析により、資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回る傾向(r > g)を示しました。これは資本を持つ者の富が労働による富より速く増加することを意味し、格差が自動的に拡大する構造的メカニズムを明らかにしています。
元の主張への反駁:**
「努力した人間から奪う」という発想は、現実の富の蓄積メカニズムを見落としています。ピケティのデータが示すように、現代の富の格差拡大は主に資本所得の集中によるもので、必ずしも「努力」の差を反映していません。相続財産や既存資本からの収益が労働所得を大きく上回る現象が生じています。
「価値創出」概念の再検討:**
ピケティは金融業界などの高所得職種が必ずしも社会全体への価値創出に比例した報酬を得ているわけではないことも指摘しています。市場価格と社会的価値の乖離は現実に存在する問題です。
政策的含意:**
ピケティは累進課税や資本課税の重要性を論じています。これは「努力を罰する」ためではなく、資本主義の構造的な格差拡大メカニズムを是正し、機会の平等を保つためです。適切な再分配政策は、むしろ真の意味での「努力が報われる社会」を実現する可能性があります。
長期的視点:**
格差の極端な拡大は社会の不安定化を招き、最終的に経済成長を阻害する可能性があります。ピケティの歴史分析では、極端な格差は革命や戦争といった破壊的事象を招いてきました。適度な再分配は社会の持続可能性を高める投資と考えることができます。
このように、ピケティの分析は元の主張が前提とする「努力=報酬」の単純な図式や、再分配を純粋なゼロサムと捉える視点の限界を浮き彫りにしています。
まず第一に、お前の発言は全体として「比較優位」という基本的な経済原則をまるで理解していない。
国が持つリソースや技術水準が異なるのは当たり前で、どの分野で強みを持ち、それをどう活かすかが国家運営の要諦だ。
お前はAI技術と資源量だけ見て「勝ち負け」の話をしてるが、それは将棋のルールも知らずに「駒が多いから勝ち」と言ってるようなもんだ。浅すぎて話にならん。
ハードウェアと人権弾圧が表裏一体の中華におけるAI開発に「未来」などない。イノベーションは自由な議論空間と社会的信頼の上に構築される。中華にはその土台が欠落している。
さらに言えば、国家の発展とは単なるGDPや軍事力では測れない。国民の幸福度、社会の透明性、医療福祉、教育機会の平等性といった複数の評価軸がある。
そこを一切無視して、地政学的に見た「資源がある、国土が広い」でマウントを取ろうとしてる時点で、お前は近代国家の運営に必要な多軸評価の概念を理解してない。話にならん。
そして「清華大・北京大から見たら東大はFラン」と言ってるが、QSランキングや論文被引用数、ノーベル賞受賞者数など、第三者評価では東大は依然として世界トップ100に入り続けている。
一方で中国の大学は政府による不透明な評価バイアスが混入し、数値が信用されていない。要は、「自称最強」国家にありがちな自己満ランキングでホルホルしてるだけ。無価値だ。
他国を見下し、差別語を並べて精神勝利しているお前のその姿勢こそ、文明社会において最も忌避される未熟な姿勢そのものだ。
お前が「10世紀先まで追いつけない」と思ってるその間に、日本は地道に社会インフラを整備し、民主主義と倫理を守りながら前進し続ける。
歴史はな、「派手に吠えた犬」ではなく、「黙って結果を出し続けた者」が作るんだよ。
お前の言ってること、全部、雑。
日本の貧富の格差は、有史以来、政治体制や経済構造、社会の価値観の変化とともに推移してきました。以下に歴史的な流れを概観し、現代の状況について分析します。
• 特徴:
大和時代から平安時代にかけては、土地の所有と収穫物に基づく支配が貧富の格差を生みました。特に、貴族や豪族が荘園制度を通じて富を集中させ、農民はその下で租税を負担する立場に置かれていました。
•格差の程度:
封建的な身分制度によって、富の分配は厳しく制限されていました。武士が台頭した鎌倉・室町時代も、土地の所有権が富の主要な指標であり、武士や地侍が農民を支配する形で格差は固定化されていました。
• 特徴:
江戸時代は武士、農民、職人、商人という厳格な身分制度がありました。武士が形式上は最上位に置かれましたが、実際には商人階級が財を蓄え、経済的な力を持つこともありました。一方、農民は重い年貢を負担し、経済的に厳しい状況が続きました。
•格差の特徴:
武士の中でも上級武士と下級武士の間には大きな格差が存在し、農民の間でも富農と貧農に分化するなど、社会の中で格差が細分化していました。
• 特徴:
明治維新により封建制度が廃止され、土地制度の改革や産業化が進む一方で、資本主義の導入により新たな貧富の格差が生まれました。地主層と小作農の格差が深刻化し、労働者層は低賃金で過酷な労働に従事することが多かったです。
•格差の拡大:
産業の発展により、財閥や大地主が莫大な富を蓄積する一方で、多くの農民や労働者は貧困状態に置かれました。
• 特徴:
戦後の農地改革により地主と小作農の格差が解消され、労働者の権利が拡大しました。また、高度経済成長期には「一億総中流」という言葉に象徴されるように、国民の大部分が中流意識を持つ社会が形成されました。
• 要因:
公平な所得分配、教育の普及、企業の終身雇用制度などが格差縮小を支えました。
格差の拡大
•バブル崩壊以降:
1990年代のバブル経済崩壊後、格差が再び拡大傾向にあります。非正規雇用の増加、年功序列型の賃金体系の崩壊、地方と都市の経済格差が顕著です。
ジニ係数(所得格差を示す指標)は、バブル期の低い水準から徐々に上昇しています。また、OECDの報告によると、日本は先進国の中で格差が比較的大きい国に分類されています。
•高齢者層では退職金や年金の恩恵を受ける人が多い一方、若年層では非正規雇用が多く、所得が安定しない状況が続いています。
•東京をはじめとする大都市圏では経済活動が集中している一方で、地方の経済的停滞が課題となっています。
現代日本は、一億総中流社会から「二極化」が進む社会へと変化しました。特に非正規雇用層や低所得層が増加しており、所得格差が大きな社会問題となっています。
• 主な要因:
•高齢化社会の進展
•地域格差
•改善の取り組み:
現在の政府は、最低賃金の引き上げや所得再分配の強化を進めていますが、十分とは言えず、社会保障制度の充実や教育機会の平等化などが引き続き課題となっています。
まとめ
日本の貧富の格差は、歴史的に社会体制や経済構造の変化に応じて拡大・縮小を繰り返してきました。現代では、バブル崩壊以降の経済構造の変化によって、格差が再び拡大していると言えます。一方で、格差の是正に向けた政策の進展や国民の意識の変化が重要なカギとなります。
フェミ政治家の「男女平等」の理想に現実的なデータを叩きつける心理学者【翻訳】【ポリコレ】【フェミ】【活動家】【ゆっくり解説】
https://x.com/mrs_zubora/status/1863024516093374617
自由と機会の平等の結果、STEM分野(つまり理系)から女性がどんどん遠ざかっている。
このため年収にも格差が生まれているが、選択の自由の結果である。
これが現実のデータであり、それを無理に補正するということは不平等にしかならない。
つまりフェミニストは完全に誤っており、データを無視したバカげたことを言っているだけのクズどもです。