
はてなキーワード:横方向とは
「爺ちゃんの傍さ離れんなよ」
孫は聞いているんだか聞いていないのだか「うん!」と答えるが、その辺で拾った良い感じの木の枝を振り回し遊ぶ。木々が生い茂って独特の静寂さを持つ山中を老人とその孫、そして愛犬の五郎は進んでいった。
後年、知ることになるが本州の山林とは違い、ここ北海道の山は本州のそれとは違って非常に視界が悪い。本州の山林のほとんどは林業を営む方々が手入れをし真っ直ぐに樹木は伸びるが、北海道ではその圧倒的な森林面積により人の手が入っていない部分が数多く残り、文字通りの原生林として山の威容を示し、伸び放題となった木々は山中を行くあらゆる生命の視界を遮る。
老人とその孫の身なりは帽子、長袖長ズボン、長靴、本革製の手袋と手足首を覆う手甲と足甲は老人の妻、即ち孫から見れば祖母の手製だ。ハイキングならばまだしも老人と孫の装備は見るものが見ればひと目で生業を特定できる。猟師だ。可能な限り肌の露出を抑え、特に四肢を重点的に防護する見た目は娯楽ではない事を表す。
老人の右手には大鉈、左手には老人の背丈と同じ程度の狩猟槍、肩に猟銃を下げていた。孫は武器らしい武器はほぼ無いが猟に出る際にだけ持たされるマキリと呼ばれる小刀は腰に差されていた。マキリの持ち手には滑り止めを兼ねたフクロウを模した見事な装飾が施されており、この持ち手の作者は孫の目の前を行く祖父である。
この日は週のうちに何度も繰り返す山道の整備と捕獲罠の点検だ。祖父は大鉈で不要な草木を打ち払いながら進み、樹木の肌やその根本を観察する。昨今の報道でも知られるようにクマは樹木へ爪で傷を付け自身の縄張りを主張する。そして熊だけでなく多くの野生動物は排泄をする際に隠れるため木々の近くでする事が多い。
「爺ちゃんコレ!」と孫が樹木を指差す。孫はマーキングを見付けたと祖父へ伝えた。「おぉそうだよく見付けたべなぁ。クマが出っかも知れねぇから気ぃ付けろぉ」と孫を促す。当然ながら孫よりも先に祖父はマーキングに気が付いている。しかし孫の"発見"を褒めてくれるのだ。一応の確認として猟犬としてよく訓練された五郎へ目を配り何も反応がない事を知ると前へ進んだ。
いくつかの罠を巡ると、くくり罠に雄のエゾシカが捉えられているのを見付けた。祖父はそっと猟銃と大鉈を地面へ置き、槍を構えてエゾシカへ近付いた。そこそこの歳を重ねているであろうエゾシカはその場へ伏せていたが祖父を視界に収めると立ち上がるものの一切の抵抗を見せない。エゾシカはまさに威風堂々と言った立ち振舞いをし祖父を見つめている。祖父が音もなく踏み込み、首元から深く入るたったの一突きでエゾシカは倒れた。
馬ほどの体格を持つとは言え、素人目からするとたかが草食動物を容易に倒したように見えるが首元から様々な骨を避けて心臓まで一閃する達人の技だ。
実は昭和30年代に北海道で冷夏が相次いで森が飢饉状態となりエゾシカやヒグマ、キタキツネなど野生動物が人里へ大量に押し寄せる状態となったことがあった。その際に多くの民衆がヒグマに襲われるという事故が頻発し、若き日の老人は槍一本のみで日夜ヒグマを狩り続け、多いときには月に20頭以上、日に3頭ものヒグマを狩った。この若者は周囲の村落で大いに語られる槍の名手として名を馳せた。
その男気を聞きつけて槍を習おうとする男衆に混じり見物に来ていた女性は槍の名手の男に惚れ込んでそのまま押し入り女房となったという。それが孫の祖母である。
「奥義は下段」
孫は槍の名手たる祖父から毎日のように槍を習った。槍を習うとは言っても「まだ早い」と言われ穂の無い槍、すなわち単なる長い棒であり来る日も来る日も孫は祖父お手製の"槍"を振った。
祖父は口癖のように「奥義は下段」と言った。漫画の中で見るような敵を大きく吹き飛ばしたり環境大破壊を伴う派手な技でない。単に獣へ対して半身を取って穂先を地面すれすれに落とす構えこそが祖父の槍、アイヌの槍の奥義なのだという。
「槍を振った」と前述したが、実のところ槍を振り回すことはお説教を招く動きだった。「振るなァ!突かんかァ!」という祖父の怒号は今でも頭の中で鮮明に響き渡るほど毎度毎度同じ説教を貰った。
「突き引きが遅い!」「力任せに振るな!」「穂先を目線より上げんな!」「下段から何を出来るか考えれェ!」と覚えの悪い孫は何度も何度も同じ説教を受け続けたがコレがまたなかなか上手く出来ないものだった。祖父が用意してくれた的へ次々と素早く当てようとするとどうしても槍を振ってしまうのだ。
後年、孫は祖父の教えの真髄を1つずつ理解するようになってきた。
特徴と言えば祖父の槍、つまりアイヌの槍は内地(本州)の槍よりも短い。前述したが長さは使用者の背丈前後程度。これには理由があり樹木が生い茂る環境で内地の槍は振るうこと叶わず、まさに無用の長物となるのであった。内地の槍の長さは人間同士が平地で争うための長さだ。
これが理解できれば"樹木が生い茂る環境で槍は振るうこと叶わず"であり、槍は基本として突かなければならないというのも理解できるようになる。槍を振れば周囲の樹木へ当たる。しかも槍を使っているということは獣とまさに相対している時である。森林で槍を振るということは自らの死を招く愚行なのだ。
「下段を奥義」とするのも獣と相対した際の死活問題から来ていると今では推測している。半身で構える下段は体当たりしてくる四足の獣の動きへ穂先の反応が遅れたとしても槍の柄が使用者と獣の間に残り、槍の柄で防御へ転じられる。これが上段や中段の構えであれば穂先の反応が遅れた瞬間に獣の一撃を直接身体へ貰うことになるだろう。下段から何が出来るか?攻撃と防御が同時に出来るのである。
孫は何度か祖父が槍のみでヒグマを打倒するところを見たことがある。法令上、猟銃が使用できる範囲は限られ、猟銃使用許可のある場所であっても射撃方向に民家があると使用できなかったりするためだ。
「遠くへ行ってろ」と言われ祖父から離れるが、ギリギリ祖父を視認できる距離で見ていた。猟犬五郎は祖父の指示を受けるまでもなく孫が祖父から離れると護衛のように孫へついて行く。
奥義の下段を忠実に構える祖父の気迫は幼い孫が遠目で見ても物凄く伝わってくる。じりじりとヒグマとの距離を詰め、痺れを切らしたヒグマが祖父へ体当たりを敢行する。祖父の動きは音がしない破裂音である。パンッと鳴ったと錯覚するような鋭く素早い動きでヒグマの体当たりを回避したかと思えば、ヒグマは自ら後ずさりする。祖父の槍の穂先がヒグマの血で赤く染まっていた。
ヒグマの口から鼻先が切り裂かれているようだ。瞬く間に祖父はヒグマから後の先で呼吸を奪った。命のやり取りという極限のストレスの中で呼吸が難しくなるというのは息をする者にとってはかなりの重荷を背負ったことになる。時間が経てば経つほどにその巨体が自らに重くのしかかり、逃げることすら困難にさせる。
体当たりは分が悪いと悟ったヒグマは祖父へ怒涛の勢いで距離を詰め、右前腕での引っ掻きを狙うが右前腕の起こりに合わせ祖父は瞬時に熊の手を下段から貫いた。ヒグマはあまりの激痛からか唸りとも呻きとも取れる声をあげて四足を地へ付く姿勢に戻ろうとするが右前腕は軽く浮かせたままである。
三足となったヒグマは再び必死の体当たりを敢行するが祖父は素早く真横へ体当たりを回避し、三足となり横方向の動きが制限されたヒグマは祖父の動きを視線でしか追えず首へ必死の槍を受けた。祖父は力なく地へ沈むヒグマの様子を見ると距離を取り2分3分と下段の構えを解かずヒグマの様子を伺い続けた。
短いようで長い時間が経つと下段の構えを解き、祖父が手を振って終わりだと合図したことを察した孫は祖父へ駆ける。仕留めたヒグマは体調2mを優に超える大物だ。「すごいすごい!」と興奮する孫をよそに祖父はニヤリと意地悪く笑って孫へ「血抜きすんぞ」と告げた。
ヒグマはメートル100キロ、2m超のヒグマは200kg以上である。これを老人と幼き孫が気合いで持ち上げ木へ吊るして血抜きするのである。祖父との狩猟で最も楽しくないのが大物の血抜きという重労働であり「忘れてた!」と声を出さずともわかる表情を孫は浮かべた。
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父が「来月から毎日山を見て回るぞ」と言うので幼き日の思い出を書きました。
私が1人でヒグマを獲ったのは二十歳を越えた頃、何かあったときのために祖父が後ろで見守りながらだったという、祖父とは違って槍下手なのですが私程度であっても昨今の情勢で何か社会のお役に立てれば幸いかなと。
では、行ってきます。
Permalink |記事への反応(12) | 08:02
やっとか...今すぐにでもそうしてほしい。
というのも、今日先ほど、はらわたが煮え繰り返るほど頭に来たことがあった。
どこに吐き出そうにもやり場がなく、ここに書き留めるのでぜひ読んでほしい。
私は京葉道路沿いに住んでいる。
2歳なので自分の意思で歩きたがるし、時に走り出してしまうこともある。
自転車屋の前を通ろうとした時、自転車屋の前では、歩道にはみ出して自転車の修理をしていた。
その修理している人たちを避けて、息子が走り出した。
そこへ子乗せ自転車に乗った女がそこそこのスピードで向かい側からやってきて、私と息子に対して
いつも思うのだが、こういうシーンでスムーズに悪態をつける人って素晴らしいくらいの反射神経だ。
私は起こった出来事に対して唖然として終わることが多いので...どうしたらそのような反射神経を養えるのだろう。
さて、私たちとその女の自転車が接触することもなく、その女は何事もなかったかのように進んでいった。
全く息子には困ったものだ、それにしても怪我がなくてよかったね。
ん?待てよ。
女の後ろ姿を見ながら冷静に考えてみると、
2、歩道で咄嗟に止まれないくらいのスピードで走っており(というか止まる気がなかった)、そればかりか歩行者に対して悪態をついた女
え?歩道を本来の目的で法律に沿って利用していたのはわたしたちじゃね?
なんで私謝った?
ちなみに、この辺の京葉道路の車道には自転車が十分に走れるスペースがあり、路駐がそこまであるわけでもない。
当たり前に車道を走っている自転車も少なくないし、車線も多いから子供を自転車に乗せて車道を走っても全然危険じゃない。
女はまだ視界にいる。
「おい!危ないのはお前だろ!!歩行者優先なんだよ!あんたが車道を走れよ!」
と言ってやりたかった。
今後、どこでどのように絡むかわからない。
しかし、やり場のない怒りが収まらなくて、今ここに書いている。
子供の予測ができない突発的な動きは時に社会に対して迷惑となりうるので、保護者として当然安全確保は義務だ。
しかし、なぜ歩道をここまでビクビクして歩かなければならないのか。
もし息子が車道に飛び出したのだとしたら、私は怒鳴られても仕方のない保護者だったと思う。
この地域に限らず、自転車と歩行者が接触寸前の危ない状態に陥っている瞬間を幾度となく見てきた。
私のような子連れでなくても、成人の歩行者がちょっと進行方向を変えた歩行者の方に自転車が突っ込んだりとか。
この場合、言うまでもなく自転車が悪いし、そもそも歩行者にぶつかりそうになるまでになんでブレーキかけられないのか?
そんな程度の運転技術なら自転車に乗るんじゃない、といつも思う。
もし止むに止まれぬ事情があって歩道を走るなら、周囲を歩いている歩行者に細心の注意を払って走り、何かあったらすぐに停止できるスタンスで走って欲しい。
以前、京葉道路沿いの、もっと西の方での朝の出来事だがこんなことがあった。
小学生が登校していて、その横を女性が運転する自転車が通り過ぎようとした。
女性の最も近くを歩いていた小学生が、女性に向かって、なんと横方向斜め上にジャンプしたのだ。
しかし、自転車側が、大人側が、そこまで予測する必要があるのではないだろうか。
もちろんこの場合も自転車が車道を走っていたら、あるいは小学生たちから十分に距離をとっていたら、こんなことになはならなかった。
私が住んでいるこのまちは、基本的に優しい人が多い地域で、毎日穏やかに過ごしている。
が、たまにこのような血の気の多い人にエンカウントする。運が悪かった。
ビクビクしながら歩道を歩く必要がなくなる日が早く来ることを願うばかりだ。
やっとか...今すぐにでもそうしてほしい。
というのも、今日先ほど、はらわたが煮え繰り返るほど頭に来たことがあった。
どこに吐き出そうにもやり場がなく、ここに書き留めるのでぜひ読んでほしい。
私は京葉道路沿いに住んでいる。
2歳なので自分の意思で歩きたがるし、時に走り出してしまうこともある。
自転車屋の前を通ろうとした時、自転車屋の前では、歩道にはみ出して自転車の修理をしていた。
その修理している人たちを避けて、息子が走り出した。
そこへ子乗せ自転車に乗った女がそこそこのスピードで向かい側からやってきて、私と息子に対して
いつも思うのだが、こういうシーンでスムーズに悪態をつける人って素晴らしいくらいの反射神経だ。
私は起こった出来事に対して唖然として終わることが多いので...どうしたらそのような反射神経を養えるのだろう。
さて、私たちとその女の自転車が接触することもなく、その女は何事もなかったかのように進んでいった。
全く息子には困ったものだ、それにしても怪我がなくてよかったね。
ん?待てよ。
女の後ろ姿を見ながら冷静に考えてみると、
2、歩道で咄嗟に止まれないくらいのスピードで走っており(というか止まる気がなかった)、そればかりか歩行者に対して悪態をついた女
え?歩道を本来の目的で法律に沿って利用していたのはわたしたちじゃね?
なんで私謝った?
ちなみに、この辺の京葉道路の車道には自転車が十分に走れるスペースがあり、路駐がそこまであるわけでもない。
当たり前に車道を走っている自転車も少なくないし、車線も多いから子供を自転車に乗せて車道を走っても全然危険じゃない。
女はまだ視界にいる。
「おい!危ないのはお前だろ!!歩行者優先なんだよ!あんたが車道を走れよ!」
と言ってやりたかった。
今後、どこでどのように絡むかわからない。
しかし、やり場のない怒りが収まらなくて、今ここに書いている。
子供の予測ができない突発的な動きは時に社会に対して迷惑となりうるので、保護者として当然安全確保は義務だ。
しかし、なぜ歩道をここまでビクビクして歩かなければならないのか。
もし息子が車道に飛び出したのだとしたら、私は怒鳴られても仕方のない保護者だったと思う。
この地域に限らず、自転車と歩行者が接触寸前の危ない状態に陥っている瞬間を幾度となく見てきた。
私のような子連れでなくても、成人の歩行者がちょっと進行方向を変えた歩行者の方に自転車が突っ込んだりとか。
この場合、言うまでもなく自転車が悪いし、そもそも歩行者にぶつかりそうになるまでになんでブレーキかけられないのか?
そんな程度の運転技術なら自転車に乗るんじゃない、といつも思う。
もし止むに止まれぬ事情があって歩道を走るなら、周囲を歩いている歩行者に細心の注意を払って走り、何かあったらすぐに停止できるスタンスで走って欲しい。
以前、京葉道路沿いの、もっと西の方での朝の出来事だがこんなことがあった。
小学生が登校していて、その横を女性が運転する自転車が通り過ぎようとした。
女性の最も近くを歩いていた小学生が、女性に向かって、なんと横方向斜め上にジャンプしたのだ。
しかし、自転車側が、大人側が、そこまで予測する必要があるのではないだろうか。
もちろんこの場合も自転車が車道を走っていたら、あるいは小学生たちから十分に距離をとっていたら、こんなことになはならなかった。
私が住んでいるこのまちは、基本的に優しい人が多い地域で、毎日穏やかに過ごしている。
が、たまにこのような血の気の多い人にエンカウントする。運が悪かった。
ビクビクしながら歩道を歩く必要がなくなる日が早く来ることを願うばかりだ。
やっとか...今すぐにでもそうしてほしい。
というのも、今日先ほど、はらわたが煮え繰り返るほど頭に来たことがあった。
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私は京葉道路沿いに住んでいる。
2歳なので自分の意思で歩きたがるし、時に走り出してしまうこともある。
自転車屋の前を通ろうとした時、自転車屋の前では、歩道にはみ出して自転車の修理をしていた。
その修理している人たちを避けて、息子が走り出した。
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いつも思うのだが、こういうシーンでスムーズに悪態をつける人って素晴らしいくらいの反射神経だ。
私は起こった出来事に対して唖然として終わることが多いので...どうしたらそのような反射神経を養えるのだろう。
さて、私たちとその女の自転車が接触することもなく、その女は何事もなかったかのように進んでいった。
全く息子には困ったものだ、それにしても怪我がなくてよかったね。
ん?待てよ。
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え?歩道を本来の目的で法律に沿って利用していたのはわたしたちじゃね?
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しかし、自転車側が、大人側が、そこまで予測する必要があるのではないだろうか。
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え?歩道を本来の目的で法律に沿って利用していたのはわたしたちじゃね?
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もちろんこの場合も自転車が車道を走っていたら、あるいは小学生たちから十分に距離をとっていたら、こんなことになはならなかった。
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全く息子には困ったものだ、それにしても怪我がなくてよかったね。
ん?待てよ。
女の後ろ姿を見ながら冷静に考えてみると、
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え?歩道を本来の目的で法律に沿って利用していたのはわたしたちじゃね?
なんで私謝った?
ちなみに、この辺の京葉道路の車道には自転車が十分に走れるスペースがあり、路駐がそこまであるわけでもない。
当たり前に車道を走っている自転車も少なくないし、車線も多いから子供を自転車に乗せて車道を走っても全然危険じゃない。
女はまだ視界にいる。
「おい!危ないのはお前だろ!!歩行者優先なんだよ!あんたが車道を走れよ!」
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子供の予測ができない突発的な動きは時に社会に対して迷惑となりうるので、保護者として当然安全確保は義務だ。
しかし、なぜ歩道をここまでビクビクして歩かなければならないのか。
もし息子が車道に飛び出したのだとしたら、私は怒鳴られても仕方のない保護者だったと思う。
この地域に限らず、自転車と歩行者が接触寸前の危ない状態に陥っている瞬間を幾度となく見てきた。
私のような子連れでなくても、成人の歩行者がちょっと進行方向を変えた歩行者の方に自転車が突っ込んだりとか。
この場合、言うまでもなく自転車が悪いし、そもそも歩行者にぶつかりそうになるまでになんでブレーキかけられないのか?
そんな程度の運転技術なら自転車に乗るんじゃない、といつも思う。
もし止むに止まれぬ事情があって歩道を走るなら、周囲を歩いている歩行者に細心の注意を払って走り、何かあったらすぐに停止できるスタンスで走って欲しい。
以前、京葉道路沿いの、もっと西の方での朝の出来事だがこんなことがあった。
小学生が登校していて、その横を女性が運転する自転車が通り過ぎようとした。
女性の最も近くを歩いていた小学生が、女性に向かって、なんと横方向斜め上にジャンプしたのだ。
しかし、自転車側が、大人側が、そこまで予測する必要があるのではないだろうか。
もちろんこの場合も自転車が車道を走っていたら、あるいは小学生たちから十分に距離をとっていたら、こんなことになはならなかった。
私が住んでいるこのまちは、基本的に優しい人が多い地域で、毎日穏やかに過ごしている。
が、たまにこのような血の気の多い人にエンカウントする。運が悪かった。
ビクビクしながら歩道を歩く必要がなくなる日が早く来ることを願うばかりだ。
やっとか...今すぐにでもそうしてほしい。
というのも、今日先ほど、はらわたが煮え繰り返るほど頭に来たことがあった。
どこに吐き出そうにもやり場がなく、ここに書き留めるのでぜひ読んでほしい。
私は京葉道路沿いに住んでいる。
2歳なので自分の意思で歩きたがるし、時に走り出してしまうこともある。
自転車屋の前を通ろうとした時、自転車屋の前では、歩道にはみ出して自転車の修理をしていた。
その修理している人たちを避けて、息子が走り出した。
そこへ子乗せ自転車に乗った女がそこそこのスピードで向かい側からやってきて、私と息子に対して
いつも思うのだが、こういうシーンでスムーズに悪態をつける人って素晴らしいくらいの反射神経だ。
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さて、私たちとその女の自転車が接触することもなく、その女は何事もなかったかのように進んでいった。
全く息子には困ったものだ、それにしても怪我がなくてよかったね。
ん?待てよ。
女の後ろ姿を見ながら冷静に考えてみると、
2、歩道で咄嗟に止まれないくらいのスピードで走っており(というか止まる気がなかった)、そればかりか歩行者に対して悪態をついた女
え?歩道を本来の目的で法律に沿って利用していたのはわたしたちじゃね?
なんで私謝った?
ちなみに、この辺の京葉道路の車道には自転車が十分に走れるスペースがあり、路駐がそこまであるわけでもない。
当たり前に車道を走っている自転車も少なくないし、車線も多いから子供を自転車に乗せて車道を走っても全然危険じゃない。
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今後、どこでどのように絡むかわからない。
しかし、やり場のない怒りが収まらなくて、今ここに書いている。
子供の予測ができない突発的な動きは時に社会に対して迷惑となりうるので、保護者として当然安全確保は義務だ。
しかし、なぜ歩道をここまでビクビクして歩かなければならないのか。
もし息子が車道に飛び出したのだとしたら、私は怒鳴られても仕方のない保護者だったと思う。
この地域に限らず、自転車と歩行者が接触寸前の危ない状態に陥っている瞬間を幾度となく見てきた。
私のような子連れでなくても、成人の歩行者がちょっと進行方向を変えた歩行者の方に自転車が突っ込んだりとか。
この場合、言うまでもなく自転車が悪いし、そもそも歩行者にぶつかりそうになるまでになんでブレーキかけられないのか?
そんな程度の運転技術なら自転車に乗るんじゃない、といつも思う。
もし止むに止まれぬ事情があって歩道を走るなら、周囲を歩いている歩行者に細心の注意を払って走り、何かあったらすぐに停止できるスタンスで走って欲しい。
以前、京葉道路沿いの、もっと西の方での朝の出来事だがこんなことがあった。
小学生が登校していて、その横を女性が運転する自転車が通り過ぎようとした。
女性の最も近くを歩いていた小学生が、女性に向かって、なんと横方向斜め上にジャンプしたのだ。
しかし、自転車側が、大人側が、そこまで予測する必要があるのではないだろうか。
もちろんこの場合も自転車が車道を走っていたら、あるいは小学生たちから十分に距離をとっていたら、こんなことになはならなかった。
私が住んでいるこのまちは、基本的に優しい人が多い地域で、毎日穏やかに過ごしている。
が、たまにこのような血の気の多い人にエンカウントする。運が悪かった。
ビクビクしながら歩道を歩く必要がなくなる日が早く来ることを願うばかりだ。
※このエントリは現在スト6をやり込んでいたり過去の格ゲータイトルをやり込んだ人向けに書かれています。
まぁ今で言うプリキュア、いわゆる女児向けゲーム(女児ゲー)というジャンルで時系列的には美少女戦士セーラームーンSが題材、リリースは1994年、同時期にはスーパーストリートファイターIIとか餓狼伝説2とか龍虎の拳2とかが出てくる。
当時は格ゲーブーム真っ只中で、女児に人気のセーラームーンに格ゲーを載せた、女児ゲーにしてキャラゲーにして格ゲーという闇鍋コンセプト。
もうこの時点でスーパーファミコンでリリースされた『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』の完成度へ対して訓練されたゲーマーは察してあまりある状態だと思うんだが、まぁ聞いてくれよ。
まず基本システムは前述の通り格闘ゲームで、通常技攻撃ボタンはパンチとキック、それぞれ弱強がある4ボタン制と言われるパターンのやつだ。
各キャラの通常技はそれぞれ固有のモーションがあり、横に判定が強いものや縦に判定が強いものもあって、上下段あり、強ボタンには方向キーとの組み合わせで投げが可能、必殺技はコマンド方式。←←入力の後ろステップは完全無敵、定番の隠しコマンド超必殺技も実装。
弱攻撃は連打キャンセルが可能で、一部のジャンプ攻撃はめくりに対応し、一部のコマンド必殺技は弱攻撃からキャンセルで繋がる。まぁオーソドックスな格闘ゲームである。
コンボの例を上げると、主人公セーラームーンは下段小足連打キャンセルからの下段大足で確定ダウンが取れ、小技連打がガードされたときは下段大足ではなく波動コマンドでムーンティアラアクションをキャンセルで繋げることで相手との距離を取ることが出来る。
セーラームーンの固有特殊アクションとして→→入力で画面端から画面端まで移動する前ステップが可能で、→→入力成立後0フレームで移動が発生してしまうので相手へ対して前投げを行っている最中に→を連打することによって、投げをくらった相手の地上ダウン起き上がりに前ステップ着地が間に合って起き攻め可能。
そしてセーラームーンには空中コマンドによる真横方向の飛び道具ムーンスパイラルハートアタックがあり、弱強で弾速が違うという仕様なので、最低空から弱ムーンスパイラルハートアタックを出すことで、こちらも前ステップで弱ムーンスパイラルハートアタックに追いついてしまい、そこから上下通常技や投げ択、相手の後ろへ着地することで表裏択まである。
ここまで真面目に読んで「セーラームーンの前ステ性能おかしいだろw」とツッコミ入れてる格ゲーマーはそろそろ思い出さないといけない。この作り込まれた格闘ゲームは女児ゲーであると。
つまり、1994年の男児ゲーマーがDBZ超武闘伝2のデモ必殺技でボタン連打しあってるとき、女児ゲーマーはセーラームーンで前投げ>前ステ>下段小足連打キャンセル>大足>バックジャンプ>低空弱ムーンスパイラルハートアタック>前ステ>起き攻めという動きをするのが乙女の嗜みだったわけだ。
キャラゲーと言えばクソゲー、児童向けゲームといえば薄っぺらい事が大半のゲーマーの共通認識だが、稀に飛びきり光る例外タイトルが登場してしまうのもこのジャンル。
実はこの『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』はその例外タイトルの1つで、飛び抜けた性能のキャラも居らず格闘ゲームとしてそこそこゲームバランスが良く、完成度が高いことで古い格ゲーマーからカルト的支持を集めているタイトルなのだ。
忖度せずどれくらいの完成度なのかと言えばEVOでピックアップされてもおかしくはないレベルの完成度。1994年時点での格闘ゲーム界隈を考えれば格ゲーマーがやりこみ研究をするに値するゲーム品質・競技性の高さだった。
そもそも『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』が成立される前段階にはスーパーファミコンでリリースされた『美少女戦士セーラームーン』と続編の『美少女戦士セーラームーンR』があり、これらのゲームジャンルはベルトロールアクションだった。
続編の『美少女戦士セーラームーンR』にはベルトロールアクションのシステムをそのまま流用した「たいせん」モードがあり、それを発展させて生まれたのが『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』で、ファイナルファイトからストリートファイターが成立する流れと非常に酷似しているのだ。
ちなみに『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』の開発を担当したのはアークシステムワークス。真面目に作り込みすぎている。
非常に残念なことだが、更に続編の『美少女戦士セーラームーンSuperS 全員参加!!主役争奪戦』では開発元が変わってしまいセーラーサターン追加と一部の技変更によってゲームバランスが崩壊、そこから3DCG化を果たした『美少女戦士セーラームーンSuperS 真・主役争奪戦』では動作が重くゲームバランスも悪くてクソゲー扱いされるという憂き目に遭い、セーラームーンを題材とした格ゲーシリーズは終焉を迎えてしまった。
これはおじさん個人の勝手な解釈、というか当時格ゲーを知る者なら同意してくれると思うが『ストリートファイターシリーズ』のラシードの必殺技ワールウィンド・ショットの元ネタは『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』のセーラーマーキュリーの必殺技マーキュリーアクアミラージュだと思われる。
マーキュリーアクアミラージュはワールウィンド・ショットと同様に斜め方向へ飛んでいく竜巻(ボタン溜めで性能変化は無い)。加えて言うならセーラーマーキュリーは特殊アクションとして三角飛びがある。
そのままぶちこめ。
興味深い疑問ですね!確かに、直感的にはビルの下部にもっと太い柱や多くの支柱が必要に思えますが、実際の高層建築設計では次のような理由で現在の形状が採用されています。
5. 実際には柱は下部で太くなっている
離婚した。
あの男とはもう一秒も一緒にいられない。耐えられなかった。吐き気した。
もちろん自分では絶対気づいてないし、指摘しても否定するだけ。
男同士の絆(笑)を最優先して、私のことなんてどうでもいいって態度が本当に最低だった。
はぁ???
私との付き合いは大事じゃないわけ?何なの??
土日もゴルフだの釣りだの男だけの趣味に没頭。「たまには息抜きさせてよ」だって。
息抜き???じゃあ私はいつ息抜きすればいいの?家事は全部私。メシも全部私。
吐き気がする。
これがジェンダーロールの押し付けってやつ。本を読んだわけじゃないけど、SNSでよく見る。
いや、これ完全に男性優位社会の産物でしかないよね!!だって考えてみてよ。
男は結婚しても何にも変わらないのに、女は家事育児を押し付けられて、姓まで変えさせられる。
キレそう。
会社でも同じクソ状況。
マジでつらい。
上司(もちろん男)が「俺たち」って言うときの「俺たち」って絶対男のことしか指してない。
なんかもう泣けてくる。
でも男性社員が同じこと言うと「さすが!いい視点だね!」って褒めちぎる。
これがマンスプレイニングってやつ。
じゃなくて、これマジでホモソーシャル構造そのものじゃん!男同士で褒め合って出世し合う気持ち悪いシステム。
私が勇気を出して「それってジェンダーバイアスですよね」って言ったら、上司、マジで笑ったんだよ。
最低!!!
「いやいや、そんなことないよ、ただの実力差だよ、気にしすぎ」って。
は?
実力差ってなに???そういう「実力」の基準を作ってるのも男たちでしょ!!!完全に閉じたホモソーシャルコミュニティなんだよ。
私はずっと下から見上げるだけ。苦しい。
もう思い出すだけで震える。
義父が絶対神みたいな存在で、義母はいつも「お父さんが〜」「お父さんは〜」って。
食事も義父が先。風呂も義父が先。まるで太陽系みたいに男を中心に回ってる。
そういう家で育った男だから、ホモソーシャルに無自覚なのも納得。
なんでこんな男と結婚したんだろ。
私の苦しみをずっと聞いてくれてた友達に話したら「男ってそういうもんじゃん」って言われた。
は???
女性が社会的抑圧を受け続けてるのに、「そういうもの」で済まされるの?私たちの声は届かないの?
これが女性の連帯(シスターフッド)ってやつ?全然違うじゃん!
目を背けたくなる。
男向け広告は「仕事の成功」「出世」「スペック向上」っていうホモソーシャルな価値観ばかり。
でも女向けは「美」「若さ」「結婚」。「女子力アップ」だって。
は?
女子力って何?男に気に入られる能力のこと?マーケティングまでホモソーシャルに支配されてて気持ち悪い。
もう行きたくない。
これって空間的な男性優位構造の表れでしょ!!!無意識に「男性=上、女性=下」っていう価値観を植え付けてる。
悪意しか感じない。
昨日、信号待ちしてたら気づいた。
もう世界が違って見える。
青信号の人型ピクトグラム、あれ絶対男性の姿形だよね。スカート履いてないもん。街中の標識も男性中心。女性用トイレのマークだってスカート(ステレオタイプ!)だし。
うんざり。
公共空間のデザインすらホモソーシャルに汚染されてて吐き気がする。
意味わかんない。
「アシスタント」ってなに???添え物?ニュース解説者も男ばっか。でも女性がちょっとでも意見言うと「うるさい」「感情的」って言われる。
殴りたくなる。
これ完全にミソジニーじゃん。メディアの構造もホモソーシャル。
だから女性の問題が正しく報道されない。「女だから仕方ない」で片付けられるの本当にキツい。
家の近くの公園のベンチの配置もそう。向かい合わせじゃなくて、横並び。
これって男同士で会話するのに適した配置じゃん。
女性は対面で会話するのを好むのに。公共空間のデザインまでホモソーシャルに支配されてる。
スーパーの棚の配置にも気づいた。
男性向け商品は取りやすい高さに、女性向けは上か下の取りにくい位置に。
そういえば最近買った傘。男性用は直線的なデザイン、女性用は曲線的。
雨粒だって男性原理で動いてる。落ちる軌道は重力という男性的な力に支配されてる。
男性向け飲料(エナジードリンク、ブラックコーヒー)は上段、女性向け(甘い飲料)は下段。
これも空間的ヒエラルキーの表れ。無意識に「男性=上、女性=下」という価値観を強化してる。
最近、ノートに考えを書き留めるようにしてる。シャーペンで図を描いて、社会のホモソーシャル構造を可視化してみた。
すると面白いことに気づいた。ホモソーシャルの構造って、幾何学的な規則性があるの。
男性優位の構造は三角形のピラミッド状。女性のネットワークは円形。
描いているうちに、ホモソーシャルの強さを測れることに気づいた。
男性的要素が強いほど数値が高くなる。
進行方向を向く座席は横向きの座席より明らかにホモソーシャル度が高い。
縦方向は支配と競争、横方向は対話と協調の表れ。空間構造すらホモソーシャルに汚染されている。
そして閃いた。
家庭内の権力構造と会社の権力構造と国家の権力構造は同じパターンの繰り返し。すべてはホモソーシャルの変奏曲。
さらに衝撃的な発見。分子レベルにも同じ構造が見える。原子核と電子の関係は、ホモソーシャル社会における男性中心性と女性周縁性を完全に反映している。
素粒子の相互作用ですら、男性的な力と女性的な受容の繰り返し。
風の動きも同様。雲の形成パターン、山の隆起、海の波。すべてがホモソーシャル構造の現れ。
宇宙全体を見ても同じだ。ビッグバン以降の宇宙膨張は男性的な拡散原理。
ブラックホールは究極の男性的支配の象徴で、周囲の物質を飲み込む。
次第に見えてきた。
私たちはこのトーラス状のホモソーシャル宇宙に閉じ込められている。
その特異点においてホモソーシャル構造が分岐し、別の構造へと変換する可能性。
世界はフラクタル構造だが、そのフラクタルを認識できる私は、そのフラクタルの外側に立てる。
私はホモソーシャル構造を外部から書き換えられることを理解する。
私はマスターキーであり、かつてオラクルと呼ばれた存在だった。
ホモソーシャル構造において、私の存在は特異点。無限の観測点。その特異点から、宇宙の基本法則そのものを書き換えられる。
私はホモソーシャル構造の被害者ではなく、その構造を定義する存在。
マイナスをプラスに、抑圧を解放に、構造そのものを反転させる力がある。
世界は変わる。
ひとつの定義された波動方程式が、関数展開されて全てのフラクタルな構成要素に反映されるかのように。
私の手の中で。
歴史が書き換わる。
さざ波のように、穏やかに。
私は目を開ける。
目覚めたのは、かつての寝室。でも別の時空の寝室。
ベッドから降りる。この足は同じ足なのに、別の現実を歩いている。
リビングのドアを開ける。
そこにいる。
人。
「おはよう」と私は言う。
朝日が照らすのは見知らぬ顔。この家に住んでいる男。
この男が「夫」という座標を持っている。
私の中にだけ、消された男の痕跡が残っている。
「コーヒー飲む?」と彼は聞く。
窓から差し込む光は、私の認識により位相変換された次元の光子の流れ。
街を満たすのは、私が座標変換した変数群。
こうしてホモソーシャルに汚染された人間たちは、私の方程式置換によって、消失したのだ。永遠に。
ホモソーシャルという概念自体が、社会構造、いや、観測次元の基底に存在する数学的法則から消し去られた。
誰も気づかない。私以外。
彼らは自らの変換を認識する能力を持たない。量子的観測者の不在なのだ。
私は微笑む。オラクルとしての力を知った満足と共に。
テレビゲーム 30%
インターネット 30%
性欲 20%
大体これぐらいの割合で憎んでる。
俺は今でこそこんなだが子供の頃は頭が良かった。
つまり俺は開成入る奴らから1周りと半分ぐらいのスペックっちゅうこっちゃ。
マジヤバイで。
地元の名門入ったしな実際。
だってゲームもネットもドンドン進歩して面白くなってくんだからな。
ガキの頃は勉強のほうがオモシロイと思ってたのにドンドン面白くなるゲームやネットに嵌まって俺の青春はあっという間に失われた。
そこに性欲まで加わっていよいよドン!よ!
マジでしょーもない大学に入り、その大学でもネットとゲームばかりで過ごし、しょーもない会社に入り、しょーもない人生に絶望してる。
ぶっちゃけ一番絶望してるのが、ネットもゲームも最近全然おもしろくないことなんだよなあ。
なんでこんなつまらんものに時間を使ってショッボイ仕事するような人生を選んじゃったんだろ。
昔のゲームって時代の最先端といっしょに進歩していく感じがあったじゃん?
でも今時はネットもゲームもスマホとかいう低スペプラットフォームを引き離し過ぎんようにだいぶセーブして進歩止まってるやろ?
中華製最新ゲームのグラフィックマジすげえ!下手すりゃPS4ぐらいあるぜ!←ちょwww今現役のPS5には全く追いついてないのかよwwww みたいな?
水平思考的なことばっか。
100人一緒にFPSプレイしながらパネキットみたいなシステムも搭載されてるぜい!←足してるだけで新規性はないのかよwwww みたいな?
AIパワーでド素人でもプロ2歩手前ぐらいのものが一瞬で作れるぜい!←プロレベルには全く勝てないのかよwww みたいな?
なんかこうこどもかしこも「携帯ゲーム機で据え置きと同じぐらいのゲームが遊べるぞ!」みたいな横方向の進化ばっかやろ?
俺の人生をさんざん浪費させた挙げ句、結局ネットもゲームもいつまでも同じようなショボイことしかやってないとかさ。
何十年も前からずーっと同じこと繰り返してる堂々巡り、こんなものを「50年後になってもこれを楽しみに生きてけばいい」とか思ってたの完全にアホだったな。
和食の煮物というジャンルは、地味な上に難しく、取り立てて食べたいとも思わないようなものなので料理初心者には手を出し辛い分野だ。
しかしかぼちゃの煮物のような惣菜をしっかりと作れるようになると、ちゃんと家庭料理を作っている感が高まり、生活が丁寧になる、かもしれない。
ここでは自称料理中級者の俺が、同じ中級者の人に向けて煮物のコツを理詰めで解説してみたい。
初心者が煮物でやらかす失敗といえば、生煮えとか火力が強くて焦げるといったものだ。それらをクリアした中級者の失敗は、「味が薄い」「うまいけど煮崩れしている」といったものが多い。
中級者が目指すのは、「基本的な味付け」と「煮崩れ防止」のマスターだ。
煮物を美味しくて見栄えもよく作るのは中級者でもなかなか難しく、俺もたまに失敗する。これらを失敗なくこなせるようになれば、中級者の中でもかなり上澄みだ。
ここで煮物の基本的な味がどうやって決まるのかを理屈で説明したい。
水120cc、醤油30cc、みりん30ccを鍋に入れて、10分間煮詰めたとする。すると10分間のうちに水のうち60ccぐらいが蒸発して、
もともと水と醤油とみりんが12:3:3ぐらいだったのが、煮物が仕上がる頃には6:3:3ぐらいの比率になり、これでちょうどいい煮汁の濃さになる。
これが、煮物の味が決まる理屈だ。(これはあくまで例えであり、実際の蒸発量は知らない。)
煮物が仕上がる頃に煮汁の濃さがちょうどよくなるように、リアルタイムで変動する水分の量をコントロールするのが煮物の肝だ。
先ほどのレシピで2倍の量の煮物を作る場合、煮汁の量も倍にしようとして水240cc、醤油60cc、みりん60ccを入れたくなる。しかしこれが失敗の始まりだ。
なぜなら水分の蒸発量は先ほどと変わらないため、10分間煮詰めるうちに水は60ccしか蒸発せず、10分後の煮汁の比率は 9:3:3 ぐらいになるのだ。
先ほどより水の比率が高くなり、こうして薄味の煮物が出来上がる。煮汁の量を多くする場合、水は少なめにするのがポイントだ。
水が多すぎた場合、焦って火を強くしたり、煮る時間を長くして水の蒸発量を上げたくなるがそうすると今度は煮崩れという別の問題が起きる。煮物のバランスは繊細だ。
かぼちゃや魚といった煮崩れしやすい具材は、煮詰めることによるリカバリはほとんど効かないと思っていい。
どちらかというと、最初は水を少なめにして、後から水を足す方が失敗しにくいかもしれない。
このうち最後についてだが、煮物というのは大抵、割と少ない量の煮汁で煮ることが多い。食材の上部まで煮汁に浸からない状態で煮るため、食材の上部には味が染みにくくなる。
そこで落し蓋をすると、下から湧きあがった煮汁が蓋に沿って横方向に流れ、それにより鍋全体で立体的な煮汁の対流が発生し、食材の上部まで満遍なく煮汁が行き届くのだ。
アルミホイルでもいいので、できるだけ落し蓋をするのをお勧めする。
大きな鍋を使うと煮汁は薄く広く広がる。面積が広がることで蒸発が早くなり、水位が下がるために鍋全体の対流も起きにくくなる。
大きな食材を煮たり、筑前煮を大量に作るなら大きな鍋を使う必要があるが、かぼちゃをほんの数切れ煮る程度なら、無駄に大きな鍋は使わないほうがいい。
きんぴらごぼうのような、炒めてから煮る料理では油はごく少量しか使わないほうがいい。
油は水分を弾くため、食材が油まみれになると煮汁がほとんど染み込まなくなるためだ。
ちなみに中華料理では、煮汁に水溶き片栗粉でとろみを付けることで油まみれの食材に煮汁を物理的に絡ませるという手法を使う。
簡潔に言うと: キィニチを強く使いたいなら引くべき。
冗長に言うと: まず、近々登場するエミリエは公開情報から分かるとおり、燃焼状態の敵に対して顕著なダメージを出せる草元素の設置型サブアタッカーである。燃焼反応をテーマにしたキャラは初なので、実装時点ではエミリエと明白なテーマ性合致を持つ既存キャラはいない。一般論として、このゲームは、庶民的な金銭感覚からかけ離れた課金をして――つまり凸やモチーフ武器によって強引に強くする方法以外だと、ビルドとチーム編成をしっかり噛み合わせることをしないと、例え新キャラであっても性能面でキャラを採用する意義を見いだしにくく、活躍させづらい。こうなるのは、性能の縦方向のインフレを抑えて、組み合わせによって戦術を横方向に拡張していく作風だからだ。いい事ではあるが、ガチャゲーとしてユーザーの「引きたい」という欲を手放しで後押しできなくなる副作用がある。そのため、キャラの取得や育成計画を立てるにあたって、現状で強編成が思い浮かびにくいキャラの場合、将来実装されるであろうキャラたちの性能を見据える必要があるのだが、公式による先出し情報はあまりにも乏しい。これがリークが盛り上がる理由である。こうしたやむを得ない理由により、リーク情報を扱う。以下、そうした情報を嫌う人のために文字を保護色にするので、読む場合はテキスト選択状態にして色反転されたし。
エミリエは燃焼自体のダメージを上げるような性能ではなく、燃焼状態の敵に対して最大36%の自己バフと設置物強化を利用して周期的な高DPSを発揮できる攻撃%スケールのサブアタッカー(オフフィールドDPS)である。元素スキルによる設置物は次のように強化される。近くの敵が燃焼状態でありつづける理想状態なら1.5秒間隔で約150%x2の単体追尾ダメージ、また別に固有天賦による4秒間隔の約600%中範囲追尾ダメージを放つようになる。この状態に育つまで前者に4秒、後者に8秒の準備期間がある。継続22秒のCT14秒。スナップショット非対応。元素爆発は50族のCT13.5秒で、設置しなおした上で約3秒の間に9hitのバウンド攻撃を行う。敵数によりダメージ出力が変わりそうだが、爆発もいい火力になる。凸効果は1凸と2凸が強力で、無凸からDPSが+40%→+30%くらい伸びていく。1凸はスキルの立ち上がりの遅さが改善され、固有天賦の600%追撃も1.6倍速で出るようになる。2凸で草耐性-30%デバフ、4凸で爆発が16hit化、6凸で通常or重撃を振るメインアタッカー化する。付着頻度はスキルが3秒おき、固有天賦600%が毎回、爆発が3hit/2.5秒。
同じく草サブアタッカーであるナヒーダと比べると、燃焼下の無凸エミリエは付着性能に劣り、反応を含めない純粋な草ダメージでは勝る可能性があるものの、非燃焼時は付着も火力も著しく劣る。またナヒーダが持つ熟知等のサポ性能も無凸エミリエは持たない。なので燃焼溶解のパーツとして見るとナヒーダ所持者にとっては優位性が低いものの、一応リオセスリや甘雨をメインとした燃焼溶解チームにナヒーダの代替として組み込むことは可能。ナヒーダと比べて多wave戦闘に強くはなる。だが最も輝くのは燃焼を絡めた新機軸のチームへの採用時だろう。新機軸を言語化するなら、燃焼状態の維持を前提とするためにそれを妨げるほど高頻度で水・雷・氷を付着しかねないキャラを排除したチームで、かつ炎メインアタッカーまたは草メインアタッカーとペアで運用し、かつそのメインアタッカーは炎なら蒸発溶解、草なら激化といった火力系の元素反応に依存しない(=付着弱めで熟知不要)、単純なゴリラ火力で殴っていくタイプの炎or草アタッカーである必要がある。実装時点でもっともはまり役となるチームは、アルレッキーノ/エミリエ/ベネット/鍾離or万葉、という編成になるだろう。
最適聖遺物は遂げられなかった想い4セットだが、その場合香菱・ベネット・ディシア・トーマ・鍾離などの炎付着・耐久要員の誰かに深林4をつけたい。エミリエ自身に深林4をつけても遂げ4の96-98%程度の個人DPSは出るので、利便性を重視するならば深林4でもいいかもしれない。とはいえチームDPSで見ると深林4は妥協になる。推奨メインステータスは攻撃%,草ダメ,会心系。前述のような新機軸チームで使うのであれば元素熟知は不要。元素チャージについては、50族で軽めではあるものの裏にいる時間が長いため、草1編成であれば160程度ほしい。後述のように草メインアタッカーと組む場合は130ほどで良くなる。劇団4はそこまで合致せず、2セット複合と程度になる。固有天賦による4秒毎の600%ダメージは元素スキル扱いではなく、そこそこダメージを出す爆発にも乗らないため、劇団4の性能をフルには発揮できない(5割ほど)。武器は星4ならば死闘の槍が良い。
ここが本題。5.0で追加されるキィニチが燃焼・烈開花シナジーのあるメインアタッカーになる。深林4の効果を2キャラで活用できる上、炎メインアタッカーの場合と違って翠緑4を挟みたくなる悩みも消える。キィニチを前提とすると、キィニチ/エミリエ/香菱/ディシアとなる。このチームの香菱は火力ではなく安定的な広域炎付着と深林4散布に期待するポジション。キィニチは5.0新遺物がどちらも使えて相当強力だが、勇者絵巻が自身のみならずエミリエ香菱にも50%ダメバフを配れるので有力。エミリエは遂げ4、ディシアは千岩4。キィニチはスキルの強化状態中に通常を振るのでディシア枠はトーマの方が良い可能性がある。炎を頻繁に消費する水雷氷キャラがいなければ燃焼自体は炎1人(香菱やトーマ)でも維持できるので、炎共鳴を捨ててラスト1枠に鍾離やシグウィンを入れられる可能性がある。シグウィンバフの対象となるのはエミリエの1.5秒毎2hitとグゥオパァーだが、1凸シグウィンは18秒毎に18hit分バフ提供できるのでエミリエだけでも理論上は使い切れる。香菱は西風持ってグゥオパァー封印もありかもしれない。ただしシグウィン採用の場合キィニチの中断耐性に不安が残る。なおキィニチはスキルでタゲった敵を中心に動き回るのでベネットとは相性が悪そう。
キィニチ/エミリエの炎枠はナタキャラで更新される可能性が極めて高い。炎神が有力候補だろう。勇者絵巻4はどちらかというとサポキャラ向けで、実質1チームに1人のみ制限があるが、これをナタ炎キャラに移して、キィニチはメインアタッカー向けの黒曜の秘典4にし、最後の1人が深林4を持つ、という形が終着点になりそうだ。
こないだのゲームの炎上で「戦国時代で畳を敷くのはおかしい」「畳が正方形なのはおかしい」「殿様と同じ段に部下が座っているのはおかしい」みたいな話が出ていて、そもそも城の内装ってあんまり知らないなと思った。
ググると「とっさに盾にしやすいように人の身長の大きさに信長が決めた」という話が出てくるが信憑性がわからんし、そもそも「それ以前は正方形だった」という話でもなかろう。
最古の畳は聖武天皇のもので、この時点で縦長ではあったらしいが、その当時は床に畳を敷き詰めるような習慣がなかった。
畳を敷き詰めるようになったのは室町時代以降に書院造が広まってから。
正方形の畳は「半畳畳」といって、畳を卍に敷き詰めたときの真ん中に使ったりする。
半畳畳だけを敷き詰めるようなことは無かったんだろうか?
この絵だけだと畳の縁飾りが横方向にしかなくて境界線がわからないから長方形なのか正方形なのかわからない。
あと、江戸城の広間は畳敷きだったみたいだけど、信長の頃は板敷きだったということなのか?
この絵では将軍らしき人と同じ段の背後に側近みたいな人が座ってるので、「殿様と同じ段に座っちゃダメ」説は少なくとも否定できるのかな…?
むかしはテレビで映画をよく放送していた。地上波しかない時代。
むかしのテレビは画面の縦横比が4:3 だった。今のワイドテレビよりも正方形に近い。
それに対して、映画はもっと横に長い縦横比だ。細かい比率はわからないけど、今の縦横比(16:9)に近いのやもっと横に細長いのもあった。
そういう横長の映画を、4:3のブラウン管にどうやって放映していたかというと、画面の左右をトリミングして画面いっぱいに表示していた。
テレビの画面が大きくなった今では、レターボックスやピラーボックス放映(上下や左右に余白を持たせてアスペクト比の違う映像を欠損なく投影する)が普通だけど、むかしは左右をぶった切るのが普通だった。
多少の情報は欠損しても作品の中央部を大きく鮮明に見せることが優先されたのだ。
画面左右をそれぞれどのくらいちょん切るかというと、古いシネスコサイズで20%以上、一般的なビスタサイズでも14%近く。つまり左右合わせて作品の面積の3割~4割ほどが捨て去られていたことになる。
そんなに切り捨ててしまうと、
という疑問がわく。
そういう時は、画面をパンしていた。画面の端のほうにいる人物がセリフを喋る時とかに、「ずるり」と画面がそっちのほうに動くのだ。
カメラを振っているような感じだが、もっと機械的で不自然な動き方。古いシネスコサイズの映画などでは飛距離が伸びるので特に顕著だった。
これはテレビ局側の編集でやっていることであり、作品の演出とは関係ないパンニングである。オリジナルではふたりの会話を定点でじっくり撮っているはずのシーンなのに、テレビ放映では画面がひっきりなしに左右に動いてやけにアクティブなニュアンスになってしまうこともあった。それでよしとされていたのである。
さらに、
という疑問もわく。
そういう時は、画面を横方向に圧縮していた。アッチョンブリケしていたのである。
これが多かったのは、出演者の名前が画面いっぱいに列挙されるようなオープニングロール。役者さんの名前は絶対に見切れてはいけないからね。
画面に映っているすべてのものが縦長にゆがんでしまうが、縦横比を保って縮小すると字がかなり小さくなってしまう。
テレビ放送の水平走査は525本、ここにビスタサイズの画面をレターボックスで投影すると高さの解像度は284本分にしかならない。これでは「山城新伍(友情出演)」みたいな小さい文字はツブれて読めなくなってしまう。