
はてなキーワード:桜木とは
https://x.com/missakiba_info/status/1980124372015989126
0ポイントの人は省く
85,280 音瀬ミユ (前日から変化なし)
7,480 Yua (+1,400)
83,900 桜木唯衣 (+2,800)
73,400 竹森みこ (+1,100)
22,350 涼宮ゆめ (+900)
1,300 中村ゆい (+500)
700 誉梓 (+200)
相変わらず、配信環境がないせいで配信できていない0ポイント勢が多い
各ブロック2位までしか進出できない戦いでBブロックは前回4位の心愛が3万ポイントを得てランクアップ
Aブロックに配信できない勢が偏り、Bブロックが抜きつ抜かれつの争いになるのは運営も予想外だったのではないか
かつて地上波テレビ番組に出演していた芸歴24年の女優という肩書を持つはるかぜちゃん、0ポイントを除くと総合最下位になっている
いっそ「環境が用意できません><」という言い訳で一切配信しなかった方が良かったまである
はるかぜちゃんと同じグループの子は運営にPC貸与してもらったものの通信環境がないせいで配信できないという
こういう時に独身の女の子同士ならはるかぜちゃんの家にお邪魔してwifi借りて配信とかできたんだろうけど、新婚じゃ家行けないよな
そもそもプライベートでお互いの家に行くような親密さがなさそうな空気がビンビンしており、そこもアイドルオタクに受けずに羽ばたけなかった要員だと思う
マネージャーであるはるかぜ母も再婚して新婚だからやはりwifi貸してもらうために…ってのは無理か、オフィスの存在しない零細芸能事務所は厳しい
https://x.com/missakiba_info/status/1980124372015989126
0ポイントの人は省く
85,280 音瀬ミユ
6,080 Yua
200 春名風花
80,100 桜木唯衣
72,300 竹森みこ
21,450 涼宮ゆめ
6,860 心愛
800 中村ゆい
500 誉梓
参戦者の中では最もネット知名度抜群のはるかぜちゃんこと春名風花が苦戦している
各ブロック上位2位だけが次へ進めるが、このままでは厳しいだろう
過疎配信サイト「Aライブ」にて行われるこのポイント合戦では、死にアカウントも含む他SNSでのフォロワー数は意味を持たない
①今でも追って動向を見ている人だけが気づけて②謎の配信サイトにわざわざ会員登録して③毎日コツコツログインして無料ポイント集めるor課金する
17万弱のフォロワーがいるはるかぜちゃんなのに、この3つを乗り越えられる人がごくわずかにしかいないのだ
今ぶっちぎりのポイント数の音瀬ミユはXのフォロワーは1.5万人だが、生きてる熱心なファンがいるようだ
過疎サイト故にポイントを稼ぐ攻略法が流布されていないのも、ルールを読み込めない人を足切りする
ログインポイントや課金で得られるアイテムは、ブースター×他アイテムによって一気に数万ポイントを叩き出せる
しかしポイントの端数を見ると、その仕組がよくわからずにちまちまポイントが溜まったらすぐ小さなアイテムを貢いでるような人が散見
11/4まで続くこのポイント投票だが、いまだに0ポイントの参加者が多い
どれだけガチ恋がいようとも配信中しか貢げない仕組みであり、そもそも配信できていない人が多いのだ
PC持ってない、手持ちのPCのスペックが足りない、ちゃんとしたPC貸与されてもネット環境がない、OBSの設定ができない、と配信者側のハードルが高いのだ
今の時代にアイドル活動してる人ならそんなもの必須装備だと勝手に思っていたのでこれは意外だった
結果的に、参加者に対しだいぶ不公平な内容になってしまっている
なんとか配信できている人たちも、配信慣れしてなさそうで定番のリングライトなどもなく妙に画面が薄暗かったり、動きがカクカクだったり音声トラブルが発生していたりする
これまで全然知らなかった人だが、ぼくは涼宮ゆめちゃん推しになりました
配信慣れはしてないそうだが、現役大学生なので学校用にPCを持っておりOBSはマネージャーに設定してもらったという
暇空界隈はもう見ることのできるコンテンツがなくなってしまった。
・暇空茜
言っていることが意味不明になってしまった。こうなったのは昨夏の高崎物語からであるが、それまでは根拠となる文章に基づいて推理するというスタイルであったが、高崎物語は好き嫌いドットコムに投稿された真偽不明の怪文書である。それをもとに推理しても、砂上の楼閣であろう。しかし、発信元が高崎ではないことが分かり、高崎物語が作り話であると分ってからでさえ、それではなぜ高崎物語が投稿されたのかというように、高崎物語を中心に推理が展開されていく。
さらには、過去の堀口英利氏が書いたものを暗号文として再解釈するなどして、陰謀論的な世界観が構築された。この世界観が完成したのは、昨年末頃だろうか。それまではエンターテインメントとして楽しめる側面もあったかもしれない。しかし、この世界観が明らかな事実を無視してまで貫かれるようになると、多くの視聴者が離れていった。
高崎物語までは、暇空茜の発言に完全なデマはなく、情報公開請求で集めた会計書類などを根拠に意見論評を行っていた。裏付けのない事実を話すガーシーのようなスタイルとは明確に一線を画していた。しかし、高崎物語からは推論が加速し、陰謀論的な世界観に突入してしまったと言わざるを得ない。共産党陰謀論くらいなら当初からあったのであるが、共産党ならともかく、真如苑にそこまでの力はないだろう。こうなってくると人が離れていくのは当然である。
陰謀論に傾斜したことは、刑事裁判にも影響しかねない。ガーシーでも執行猶予が付いたのだし、会計の不備を指摘することに公益性があることは明らかである。しかし、堀口氏の個人史は陰謀論的な世界観によってあり得ないくらいに歪められており、これが起訴される可能性を高めたことは否定できない。また、陰謀論的な世界観に関連して、暇空はかつての側近であるアルパカ社長やneko800からも告訴されている。これらが起訴されてしまうと、結果を楽観することはできないかもしれない(このほかにヨッピーからも告訴されている)。
暇空茜の有力な支持者はもはやこの二人くらいになってしまった。マスク・ド・タキシードはともかく、観戦車はずんだもんを使っていた頃から際立ったセンスを示していた。
赤木レイアは、高崎物語は伝え切ったが、新宿物語で暇空茜と対立し、昨年の9月上旬に失踪した。全くメッセージを残さずに失踪したことから、心配されていた。今年の5月中の復帰を予告したものの、5月に入ってもなかなか復帰せず、もう復帰しないのではないかと思われていたところ、5月31日の午後9時ころに復帰した。しかし、全く面白くなく、暇空茜に対して敵対的なものであったことから、入れ替わり説も唱えられた。6月21日に堀口氏との「提携」を発表し、暇空茜スペシャルを毎日のように投稿するようになった。
堀口氏は、5月14日に赤木レイアら12人のアドセンス開示に成功したと発表したが、noteではなく、ラインで発表され、スクショが出回っていた。大戦果であり、noteで発表しても良さそうなものであるが、おそらく手の内を見せたくないので、そうしなかったのであろう。一部ではアドセンス開示に成功していないとの説もあったが、開示成功とされるグループに含まれていた桜木スイとの和解交渉が決裂したとのnoteを堀口氏が6月14日に公開し、さらに、桜木スイの更新が止まっていることから、開示は成功したと推測される。そうだとすると、5月14日以後に、赤木レイアと堀口氏との交渉が持たれたはずで、5月31日というギリギリの日付で復帰したというのも理解はできる。もっとも、「商魂の塊」と言われたくらいなので、ゴールデンウィークという書入れ時に復帰してもよかったはずであり、疑問は残る。
リバエコ界隈のクロスミレがメールトラップ(開封時に通知が送られる仕組み)を赤木レイアに仕掛け、その結果、レイアがトラップに引っかかったことを発表したのが4月10日の動画(「赤木レイアさん、お帰りなさい。何があったか話そうか。」)であった。悪趣味であると言わざるを得ないが、これで復帰に追い込まれたようだ。この経緯から、リバエコ界隈でも赤木レイアと連絡が取れなくなっていたことが分かる。小川社長によると、昨年は連絡が取れていたそうなのであるが。
赤木レイアは灰豚とは弁護士を紹介してもらう関係にあり、灰豚に一部の管理人権限も与えており、失踪中も灰豚との連絡は取られていた可能性はある。その中で反転について話し合いが持たれていたかもしれない。しかし仮に、開示までに反転が決まっていたのであれば、5月31日というギリギリのタイミングで復帰するとは考えにくい。
失踪期間中に水面下で何があったのかは、推論しかできない。しかし、現在の赤木レイアは入れ替わっているかどうかという以前に、面白くないので見ようとは思えない。再生数が1万に届かないということが、質の低下を何よりも雄弁に語っている。
・灰豚グループ
灰豚、反逆のアッコ(白山こんぶちゃ)、クロスミレなどは「灰豚グループ」を形成しているとされる。赤木レイアもこのグループに属する。クロスミレは開示されたわけでもないのに、このグループの一員とみられているが、リバエコ界隈にアンチ暇空の視聴者を引き込みたいのではないかとも推測されている。リバエコ界隈と暇空界隈の両方に属するのは赤木レイアしかいないので、赤木レイアがハブなのかもしれない。反転した暇空シンパが「改心」して、「自主的」に暇空に立ち向かうという美しい物語をここに見ることができるかもしれない。かつて避難所やめたまんが反転した際も同様の現象が起こったことが想起される。
かつての堀口スペシャルの頃は、毎日のように堀口氏が反撃に出ていたし、過去も発掘されていたので、毎日のように動画を出すこともできたのであろうが、今の暇空にそのようなポテンシャルはない。にもかかわらず「灰豚グループ」で何人も同じような動画を出しても意味がないことは明らかであろう。そもそも赤木レイアは、2023年7月7日に15分53秒の長尺の堀口スペシャルを出してからというもの、長尺動画を出し続けたのであるが、それまでは3分ほどで収まっていた。堀口スペシャルはけっして引き延ばしで長くなっていたわけではなく、一次情報を追えばその数倍の時間がかかるところを、赤木レイアは情報を手際よくまとめていた。今の暇空を伝えるのに、かつての堀口スペシャルのような長尺が不要なことは明白であろう。
現在の暇空は陰謀論に傾倒し、意味不明と言わざるを得ない。一方で、反暇空側も、「提携」などの事情から活動を続けざるを得ないのかもしれないが、その内容は面白いものとは到底言えない。
このような状況下で、中立的立場からの観察を行っているのが、西葛西出版である。西葛西出版は「ネトゲ戦記」の解説動画で暇空界隈に参入した。遅れてきた暇空系ユーチューバーと言っていい。参入の背景には、2022年10月24日の社長である中村慎太郎が関与したパワハラ騒動があると推測される。この騒動で謝罪に追い込まれた西葛西出版は、2023年10月20日に4万字の文章でパワハラを否定したが、孤立感は否めず、暇空系としてネットで名を売る戦略に出たのではないかと考えられる。
堀口氏は、ユーチューバーのスタートキットと言われていたのであるが、それに似た感覚かもしれない。しかし、堀口系ユーチューバーが軒並み開示され、追い込まれているのに比べれば、西葛西出版は出版社だけあって名誉棄損等には精通しているので、そう簡単にはアウトなことは言わない。堀口氏についても、現在の状況を見越しているかのような評価を行っていた。
赤木レイアが昨年9月に撤退し、他も撤退していく中で、唯一無二の暇空ウオッチャーになった。取扱注意の真如苑の件も扱っている。陰謀論に傾斜していく時期の暇空をリアルタイムで伝え切った功績は評価されてしかるべきである。しかし、暇空起訴後は、暇空を追っていないとのことである。
赤木レイアの復帰後、入れ替わりを疑っている。面白くなくなっていることは明らかであるが、それを適切に言語化した。赤木レイアの再生数が1万くらいのなか、6千くらいの再生数があり、赤木レイアに違和感のある人たちが見ていることが分かる。
赤木レイアの入れ替わりの検証が評価されたからか、7月11日、好き嫌いドットコムに中村慎太郎スレが立った。しかし、その翌日の7月12日、山口三尊の「名誉棄損の当たり屋たち」の西葛西出版からの出版が中止になってしまう。三尊が灰豚による宣伝を提案したところ、西葛西出版はこれを拒み、出版中止に至ったようである。灰豚は堀口氏にとても近いので、取り込まれてしまうおそれがあり、宣伝を拒むのは理解できる。
・結論
暇空茜は陰謀論な世界観に固執しており、信者向けコンテンツになってしまった。そういう中で、堀口氏がほとんどの堀口系ユーチューバーのアドセンス開示に成功したことで、形勢が逆転した。開示され、反転した赤木レイアは暇空を批判する動画を毎日のように出しているが、再生数は伸びない。暇空への関心が薄れているからであろう。暇空の発言が理解しにくいものになっており、また、理解したとしても得られるものが少ないため、関心を集めにくいのである。これでは、再生数が伸びないのは当然である。赤木レイアのブランドは崩壊したと言わざるを得ない。
一方、中立的な西葛西出版は、もはや暇空を追うのはやめ、暇空アンチに反転した赤木レイアを追っていたが、7月16日付の中村慎太郎のツイートで、赤木レイア関係からの離脱を表明した。たしかに、赤木レイアに入れ替わりはあったのかなど不明な点はあるものの、誰の意に沿っているのかは明らかで、関心を引く要素は乏しい。
暇空が霞んでしまったからか、勝利を収めつつある堀口氏の存在感も薄らいでいることは否めない。ここまで追いかけてきたので、行く末を見届けたいという思いはあるものの、見るに耐えるコンテンツがなくなってしまった。離れる潮時なのかもしれない。
有安さんや小林さんだけじゃなくて、廣田さんや伊藤千由李さんや栗本柚希さんや川瀬あやめさん、それに柏木ひなたさんといい、スターダストの特にアイドル部門は歌が上手い人にとってものすごい居づらい環境で続けにくい環境なんだなと思う。
川上さんとか田口さんとかが、事務所としてそういう所を重視していないんだろうな。
まぁ、歌が上手くても売り上げに繋がらなければ事務所として囲っておく意味がないですから、ということですかね。
そういうスターダストのアイドル部門の中でも私立恵比寿中学(以下えびちゅう)ってかなり特殊な存在だったなと思っている。
6人時代、特に柏木さんと小林さんを支柱として「驚異的に」歌が上手いグループを構築してきた。
まず、ユニゾンが綺麗。これはもはや今のえびちゅうには感じないことだ。
-----
音程というのは不思議なもので、音程が正しい人がいっぱいいるグループの中に入るとそれまでおかしかった人も正しくなっていき、逆もまた起きる。元々正しかったのに周囲に影響されておかしくなる。
2つの音程が「合ってない」というのは、音波合成によるゆらぎの発生を感じることだ。
周波数f1とf2の2つが合ってない場合、これは(f2-f1)の強度の変動が発生し、音波合成によるうねりが出る。f1とf2が同じ値であればうねりは0になる。高校物理。
近藤譲は「オリエント・オリエンテーション」という曲を作ったが、これは同種楽器2本によるユニゾンの音楽だ。たしか初演はハープ2台だったが、CDとしてリリースされているものにアンサンブル・ノマドが演奏するフルート2本バージョンがある。
これを聴くと「音程が合ってる」場合の響きと「音程が合ってない」場合の響きの違いを明確に理解することができる。
クラシック音楽の一つの面白いところは、超精密に音程が合わせられる人たちが、人間の不安や失望を表現するためにあえて音程をズラしてきたりするところだったりする。
またユニゾンの「音」を考える場合にはサスティン音(主成分)の音程だけでなくアタック(音の鳴る始め方)やリリース(音の消し方)の強度や長さ、柔らかさ、それに歌の場合は全く同じ音程でも口角が上がってるかそうでないかで明るい音だったり暗い音だったり様々な表現ポイントがあってどう構成されるかと耳を使う。音程が良ければ全ていいという話でもない。
-----
THE FIRSTTAKEの「なないろ」を聴いた時、なんて綺麗なアンサンブルなんだと感動したことを覚えている。特に特筆してユニゾンが美しい。「話しようよ」の「よ」の伸ばしに何のうねりも感じない。針の穴に一発で糸をすっと通すような心地よい響きを、あの環境の中で何ら不自由なくやり遂げている。そのだいぶ高度な技芸の中にきちんと情景描写がある。空の高さが見える。このレベルで「美しい」と感じれる歌ができるグループが他にいるなら教えて欲しい。
これがえびちゅうに唯一無二に感じていたことで、それを藤井さんは綺麗にぶっ壊してくれて、だいぶ心が折れる。志賀さんがどう舵を切るつもりなのかは知らないけど。(どちらかというと壊れた後を託されてる側面もあるから同情する所もある。)
柏木さんがいなくなったことで、えびちゅうの姉メンの中でさえも明確に音程が合わないことが多くなった。おそらく小林さんがいなくなったことで、その傾向はもっと悪化するだろう。
まぁ、新体制ライブGOLDEN EIGHT -newagain-(以下各曲の感想はこのライブに基づく)の「トレンディーガール」サビ後半部分あたり、なんかちょっと歌が上手い人のカラオケを聞いてるくらいに感じちゃうのは、恐らく妹メンはplaylistという全体的に荷が重いアルバム楽曲について一つ一つのフレーズの処理の仕方をそこまで綿密に検討できないまま舞台に立ってるのだろうから、それはどちらかというと可哀想なのかもしれないとさえ思ったりもするが。
-----
中山さんはオーケストラにおけるシンバルみたいな存在で、平時がどうこうよりもブレークや盛り上がりのところで「ドンッ」と大きなインパクトをぶん投げると「きちんと自分の仕事を全うしているなー。良い。」って思う。それに、たぶん今が中山さんの完成形だと感じる。「靴紐とファンファーレ」の冒頭はシンプルに「よく頑張りました」という感想。
仲村さんは不思議な人で、まじめに歌おうとすればするほど顔も真顔になっていくし、情景感も色彩感も消え失せていく。これを「歌が上手い」に分類するのは抵抗感がある。「SCHOOL DAYS」の小林さんから受け継いだオチサビの特に「さぁ」の部分も、本当にこれが仲村さんがやりたい音楽なのか?と疑問にさえ思った。空洞感。
桜井さんはテクニカルには歌が上手い。しかしそこに指向が向きすぎていて表現力が伸びてきていない。「はみだせGirls」の冒頭みたいに、桜井さんの歌と真山さんの歌が直接並ぶとその表現力の実力差がまだ圧倒的だなと感じてしまう。
だから、仲村さんの歌は桜井さんの歌にかなり強く影響を受けているように思えるが、それは悪い意味でも影響を受けてるように感じている。
そんな真山さんも喉と戦ってる感じがまだずっと続きますね。
前出の「はみだせGirls」の途中真山さんソロになる所、部分的に音程が上振れしてて特に「いいじゃん」あたりが顕著。安本さんとのデュオの「明日」、冒頭の下ハモりが全体的に若干低い。など、昔よりその内容にいろいろ気になる点が多い。そのブレ方は、柏木さんや小林さんがいなくなったことに対してインパクトが大きそうだなと予想している。でも歌の中の景色の描き方はやっぱり素敵。
桜井さんと完全に対極的に見えるのが風見さん。「歌が上手い」というほどではないが、その歌の中身にくそ真面目に音楽と向き合ってる性格がにじみ出てるので、好感度は高い。ニコニコしている率が圧倒的に高いのが若干の不安感はあるが、「シングルTONEでお願い」あたりは難関曲を精一杯理解しようと努めてきた結果が出ていて良い。
その「シングルTONEでお願い」のユニゾンの合わなさっぷりは結構激しめだが。
安本さんは安定してますね。何があっても動じないし自分の表現を突き通している感じはある。「ここの音程変だな」って感じることもほぼ無い。ハモる時の相手の歌に合わせていく感じも良い。さすが元祖ボーカロイド。
真山さんも安本さんも「日進月歩」になってくると、この曲の特徴的なひんやりした温もりの心地よさが伝わってきてさすがだなーと思う。他のメンバーの歌にはない。
------
えびちゅうに対しては以前に「唯一無二だな」と感じていたことが消えてしまったので、これからこのグループのどこにそれを感じていくか、が個人的に課題に感じる。
それとよく分からなかったのがIndigo Hour楽曲がほとんど無かった点。Knockyououtだけかな。
小林さんの卒業はいいとして、GOLDEN EIGHTのほうからもそれがほぼ除外されたのはどのように理解すべきか。コンセプトを大幅に変えたのにそれを封印したのか。
###キッチンの向こう側
わたしが大学に入った年、父が死んだ。それは五月の、少し肌寒い日だった。まだ新しい大学生活に慣れていない時期に、世界の一部が崩れ落ちた。病院から電話があったのは、授業の途中だった。廊下に出て電話を受けたとき、窓から見えた空は妙に青すぎて、それが不謹慎に思えた。
葬式の日は雨だった。それから、雨の日には必ず父のことを思い出すようになった。その年の夏は、異常に雨が多かった。いつの間にか、世界全体が湿っぽい灰色に染まっていった。
大学の教室は、思ったより広かった。高校までの教室とは違って、誰も生徒のことなど気にしていなかった。教授は前で一方的に話し、学生たちはそれぞれの方法で時間を過ごしていた。ノートを取る人、スマホをいじる人、居眠りをする人。わたしは、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。
「彼女、いつも一人だね」
後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かなかった。どうせ他人の噂話なのだろうと思ったが、それはわたしのことだった。気づくと、ひとりでいることが当たり前になっていた。
父は料理人だった。小さな和食店を営んでいて、わたしが小さい頃から、キッチンの向こう側で包丁を握る父の姿を見て育った。父の料理の音と匂いが、わたしの記憶の一部になっていた。ザクザクと野菜を切る音、出汁が沸く香り、魚をさばくときの真剣な表情。そんな父が、ある日突然、脳卒中で倒れた。病院に運ばれてから二週間、意識が戻ることなく逝ってしまった。
「お母さん、店はどうするの?」と聞いたとき、母は疲れた顔で微笑んだ。
父の店は、わたしの第二の家だった。学校から帰ると、いつも店の奥で宿題をした。客が少ない時間には、父が横に座って数学を教えてくれた。「料理も数学も、バランスが大事なんだ」と言っていた。その店がなくなるということが、父の死よりも現実味を持って迫ってきた。
大学の授業は、興味を持てるものが少なかった。文学部に入ったのは、本が好きだったからだけど、専門的な分析や理論を学ぶことに、空虚さを感じていた。教室の中で、みんなが真剣に議論しているときも、わたしの心はどこか別の場所にあった。
アパートに帰ると、静かすぎる部屋がわたしを迎えた。実家から離れて一人暮らしを始めたのは、新しい環境で心機一転したかったからだ。でも今は、その選択が間違っていたような気がしていた。テレビをつけっぱなしにして、誰かがいる気配を作り出した。
夜は不思議な夢を見ることが多くなった。父がキッチンに立っている夢。でも、振り向いた父の顔が、誰か他人の顔になっている夢。高い塔から落ちる夢。海の底で、誰かが名前を呼ぶ夢。朝起きると、枕が涙で濡れていることがあった。
母は週に一度、電話をくれた。「大丈夫?」という質問に、いつも「うん、大丈夫」と答えた。大丈夫じゃなかったけど、母を心配させたくなかった。父が亡くなってから、母は急に年を取ったように見えた。電話の向こうの声は、いつも疲れていた。
「料理、してる?」と母が聞いた。
「インスタント食べてる」と答えると、母は少し悲しそうな声で笑った。
「お父さんが聞いたら、怒るわね」
そうだった。父は、わたしに料理を教えようとしていた。「いつか、一緒に店をやろう」と言っていた。でも、わたしは興味を示さなかった。今になって、もっと父から学んでおけばよかったと後悔していた。
五月が過ぎ、梅雨が来た。毎日雨が降り、湿度が高く、部屋の中の物まで湿っているような気がした。教科書のページがくっつき、髪は広がり、布団はじめじめしていた。そんな中、わたしは図書館で多くの時間を過ごすようになった。
図書館は、静かだった。でも、一人でいることが苦痛ではない唯一の場所だった。本の間を歩きながら、偶然手に取った小説に心を奪われた。それは、ある料理人の物語だった。幼い頃に両親を亡くし、料理の世界で生きていく若者の話。その主人公が作る料理の描写が、あまりにも父の料理と似ていて、読みながら泣いてしまった。
図書館で働き始めたのは、六月の終わりだった。アルバイトを探していたところ、図書館で募集があった。静かな環境で、本に囲まれて働けるのは、わたしにとって理想的だった。本を整理したり、返却された本を棚に戻したりする仕事は、単調だけど心地よかった。
「君、いつも同じ本を読んでるね」
ある日、司書の鈴木さんがそう声をかけてきた。五十代くらいの女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。
「父が料理人だったんです」と答えると、「だったんです」という過去形に自分で違和感を覚えた。
「そうなんだ」と鈴木さんは言った。「わたしの息子も料理人になりたがっていたけど、途中で挫折してしまってね」
何気ない会話だったけど、鈴木さんとはそれからよく話すようになった。彼女は、わたしの父のことを知りたがった。どんな料理を作っていたのか、どんな人だったのか。話していると、不思議と心が軽くなった。
七月に入ると、大学は前期試験の準備で忙しくなった。わたしは、ほとんど授業に出ていなかったことに気づいた。図書館で必死に勉強したけど、内容が頭に入ってこなかった。試験当日、問題用紙を前にして、頭の中が真っ白になった。鉛筆を握る手が震えた。
その子の名前は、里奈といった。同じ文学部の学生で、いつも授業の前の席に座っていた。優しい声と、少し丸みを帯びた顔が印象的だった。試験のあと、二人で大学近くのカフェに行った。
「実は、前から話しかけたかったの」と里奈は言った。「でも、いつも遠くを見てるみたいで、声をかけるタイミングがなくて」
彼女は、思ったことをすぐ口にする人だった。わたしとは正反対のタイプ。でも、その率直さに心地よさを感じた。
「父が亡くなったの」とわたしは言った。口に出したのは、里奈が初めてだった。
「そうだったんだ」と彼女は言った。特別な言葉はなかったけど、その反応が自然で、わたしは少し安心した。
その日から、里奈とはよく一緒にいるようになった。彼女の存在は、灰色だった大学生活に少しだけ色を加えた。彼女が話す他の学生の噂話や、教授の変わった癖の話を聞いていると、自分も大学生活の一部になれたような気がした。
八月になると、実家に帰った。母は、少し痩せていた。家の中は、きれいに片付いていたけど、父のいない空間は、まだ違和感があった。父の形見のように、包丁だけはそのまま台所にあった。
「使ってみる?」と母が言った。
わたしは恐る恐る包丁を手に取った。重かった。父の手になじむように作られた包丁は、わたしの手には大きすぎた。でも、握っていると不思議と安心感があった。
「お父さんの料理ノート、見つけたの」と母は言った。「あなたに見せようと思って」
それは、古いノートだった。日付と料理名、材料や作り方が細かく書かれていた。途中、「娘に教えるとき注意」と書かれたページがあった。そこには、わたしが苦手そうな工程や、間違えやすいポイントが書かれていた。父は、いつかわたしに料理を教えることを想定していたのだ。
そのノートを持って、わたしは台所に立った。まずは簡単な出汁から作ってみることにした。ノートに書かれた通りに材料を用意し、火にかけると、懐かしい香りが台所に広がった。父の料理の原点とも言える香り。その香りに包まれながら、わたしは初めて父の死を実感として受け止めることができた。涙があふれ出た。
「お父さんは、きっと喜んでるわ」と母は言った。二人で出汁を使った簡単な味噌汁を作り、久しぶりに一緒に食卓を囲んだ。
夏休みが終わり、大学に戻ったとき、わたしの中で何かが変わっていた。父のノートを持ってきて、週末になると自分で料理を作るようになった。最初は失敗ばかりだったけど、何度も挑戦するうちに、少しずつできるようになっていった。
「へえ、料理するんだ」と里奈は驚いた顔をした。彼女を招いて、初めて人に料理を振る舞った日、緊張で手が震えた。でも、「おいしい」と言ってくれた里奈の笑顔を見て、少し自信がついた。
後期の授業が始まり、わたしは文学の授業を真面目に受けるようになった。特に、食をテーマにした文学に興味を持ち始めた。食べることは生きること。料理することは、誰かに愛情を伝えること。そんなことを、文学の中に見つけられるようになった。
「最近、顔色がいいわね」と彼女は言った。「何かいいことあった?」
「料理を始めたんです」と答えると、鈴木さんは嬉しそうに微笑んだ。
「それは素晴らしいわ。いつか、わたしにも作ってほしいな」
十月になると、大学の学園祭の準備が始まった。里奈に誘われて、文学部の喫茶店企画を手伝うことになった。わたしは、迷わず料理担当を志願した。メニューを考えるとき、父のノートを参考にした。シンプルだけど、心のこもったメニュー。
学園祭当日、わたしたちの喫茶店は予想以上に人気だった。特に、わたしが作ったさつまいものスープが好評で、あっという間に売り切れてしまった。「秘密のレシピは?」と聞かれると、「父から教わったの」と答えた。それは嘘ではなかった。父のノートから学んだレシピだった。
喫茶店を訪れたお客さんの中に、一人の男性がいた。三十代くらいで、どこか父に似た雰囲気を持っていた。彼は、スープを飲み終わると、わたしのところにやってきた。
「このスープ、とても懐かしい味がする」と彼は言った。「昔、よく行っていた和食店の味に似ているんだ」
わたしは驚いて尋ねた。「もしかして、『桜木』という店ですか?」
彼の目が大きく開いた。「そうだよ。知ってるの?」
「父の店です」とわたしは答えた。
彼の名前は健太といった。父の店の常連客で、大学時代によく通っていたという。父の料理のファンで、店が閉まったあと、同じ味を探していたらしい。「君のスープを飲んだとき、店主の技を受け継いでいると思ったんだ」と健太は言った。その言葉に、胸が熱くなった。
学園祭が終わり、健太とは連絡を取り合うようになった。彼は料理研究家として活動していて、様々な食の知識を持っていた。わたしの料理の相談に乗ってくれたり、時には批評してくれたりした。彼との会話は、いつも刺激的だった。
「君のお父さんの料理は、シンプルだけど深みがあった」と健太は言った。「それは、材料を深く理解していたからだと思う」
それを聞いて、わたしは父がよく言っていた言葉を思い出した。「料理は材料との対話だ」と。
十一月になると、寒さが増してきた。大学の教室も、以前より寒く感じるようになった。でも、周囲の景色は、以前より鮮やかに見えるようになっていた。授業中に窓の外を眺めても、もう虚無感はなかった。ノートには、びっしりとメモが書かれていた。
図書館の仕事も充実していた。鈴木さんは、わたしに古い料理の本を紹介してくれた。古典的な和食の技法や、忘れられつつある郷土料理の本。それらを読むたびに、父の料理の原点が少しずつ見えてきた。
わたしは少し考えてから答えた。「まだわからないけど、料理と文学、両方に関わる仕事ができたらいいなと思います」
「それは素敵な夢ね」と鈴木さんは言った。「食べることも、読むことも、どちらも人間の根源的な喜びだもの」
十二月、大学の冬休みが近づいてきた。試験勉強をしながら、クリスマスには何を作ろうかと考えていた。里奈を誘って、一緒にパーティーをする計画を立てていた。
「ねえ、健太さんも誘ったら?」と里奈は提案した。彼女は健太のことを、「料理のお兄さん」と呼んでいた。
思い切って健太を誘うと、意外にもすぐに承諾してくれた。「楽しみにしているよ」というメッセージに、なぜか心臓が速く鳴った。
クリスマスの日、わたしは朝から料理の準備をした。父のノートを見ながら、特別なメニューを考えた。前菜、スープ、メイン、デザート。どれも父の教えを基本にしながら、わたしなりのアレンジを加えたものだった。
里奈が先に来て、一緒に部屋の飾りつけをした。「すごいね、こんなに料理が上手になるなんて」と彼女は言った。「大学に入ったばかりの頃は、本当に別人みたいだったよ」
健太が来たとき、緊張でドアを開けるのに時間がかかった。彼は、ワインと花束を持ってきてくれた。「いい香りがするね」と部屋に入るなり言った。
三人での食事は、想像以上に楽しかった。里奈のおしゃべりに、健太の食の話、わたしの料理。それぞれが持ち寄った空気が、部屋を温かく満たした。
「乾杯しよう」と健太が言った。「新しい出会いと、古い記憶に」
グラスを合わせたとき、窓の外では雪が降り始めていた。
「この料理、本当においしい」と健太は言った。「君のお父さんの味を感じるよ。でも、それだけじゃない。君自身の味がある」
その言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。父の料理を超えることなんて、まだまだできないけれど、自分の味を見つけ始めているということが嬉しかった。
里奈は、わたしと健太の会話を見ながら、にやにやしていた。「ねえ、二人とも、もしかして…」と言いかけて、わたしに肘で軽く突かれると、「何でもない」と笑った。
夜が更けて、里奈が帰ったあと、健太はもう少し残った。「話があるんだ」と彼は言った。真剣な顔つきに、緊張した。
「実は、料理本の企画をしているんだ」と健太は言った。「伝統的な和食の技法を、現代の視点で解説する本。その中で、君のお父さんの料理も紹介したいと思っている」
「もちろん、君の力も借りたい」と彼は続けた。「文章を書くのが上手だし、何より君はお父さんの味を知っている」
その提案は、あまりにも突然で、すぐには返事ができなかった。でも、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。父の料理を、このまま消えさせたくない。そう思っていた気持ちが、形になるチャンスだった。
「考えさせてください」とわたしは言った。健太は笑顔で頷いた。
「急がないで。でも、君なら素晴らしい仕事ができると思う」
その夜、久しぶりに父の夢を見た。でも、以前のような悲しい夢ではなかった。父がキッチンで料理をしていて、わたしもその隣で一緒に料理をしている夢。父が微笑みながら、わたしの料理を褒めてくれる夢。
朝起きると、決心がついていた。健太に連絡して、企画に参加する意思を伝えた。「ありがとう」という返事が来た。「一緒に、素晴らしいものを作ろう」
年が明け、大学では卒業論文のテーマを考え始める時期になった。わたしは迷わず、「文学における食の表象」をテーマに選んだ。文学の中で、食がどのように描かれているか。それは人間関係や文化、時代背景をどう映し出しているか。そんなことを研究したいと思った。
指導教授は、最初は驚いていたけれど、わたしの熱意を見て応援してくれるようになった。「面白いテーマだね」と彼は言った。「これまであまり注目されてこなかった視点かもしれない」
健太との料理本の企画も進んでいった。週末になると、彼の仕事場に行って、父の料理について話したり、実際に作ってみたりした。記憶を頼りに再現する料理もあれば、父のノートを見ながら作る料理もあった。
「お父さんの料理には、物語があるね」と健太は言った。「一つ一つの料理に、理由がある」
それは、わたしも感じていたことだった。父の料理は、単においしいだけではなかった。そこには、父の生き方や思いが込められていた。
春になり、キャンパスには桜が咲いた。入学してから一年が経っていた。あの頃のわたしと今のわたしは、まるで別人のようだった。でも、それは成長と呼べるものだった。父の死によって崩れ落ちた世界は、少しずつ新しい形で再構築されていた。
図書館では、鈴木さんが新しい料理コーナーを作ることになり、わたしは本の選定を手伝った。「君のおかげで、こんな企画ができたのよ」と鈴木さんは言った。「ありがとう」
里奈とは相変わらず仲良くしていた。彼女は演劇サークルに入っていて、春の公演に向けて忙しくしていた。「主役なんだよ」と嬉しそうに報告してくれた。「絶対に見に来てね」
公演の日、わたしは健太を誘って一緒に観に行った。里奈は舞台の上で、いつもとは違う輝きを放っていた。見ていて、胸が熱くなった。帰り道、健太と二人で歩きながら、「人はそれぞれの場所で輝くんだね」と言った。
「君も輝いているよ」と健太は言った。「料理をしているとき、話をしているとき、いつも目が輝いている」
その言葉に、顔が熱くなった。
五月、父の一周忌が近づいてきた。実家に帰って、母と一緒に準備をした。一年前とは違って、二人で料理をすることができた。母も、わたしの料理の上達を喜んでくれた。
「お父さんの店、もう一度開かない?」と母が突然言った。
「え?」と驚いて振り向くと、母は真剣な顔をしていた。
「あなたがやりたいなら、手伝うわ」
その言葉に、胸がいっぱいになった。まだ学生で、経験も少ないわたしが店を開くなんて、無謀かもしれない。でも、どこか心の奥で、いつかそうしたいと思っていた。
「考えてみる」とわたしは答えた。「でも、もう少し勉強してからかな」
母は微笑んで頷いた。「そうね。急がなくていいのよ」
一周忌の日、父の写真を前にして手を合わせた。一年前は、ただ涙が出るばかりだったけれど、今は感謝の気持ちが湧いてきた。父がいなくなって、わたしは料理を始めた。それは、父との新しいつながりを見つけることだった。
「ありがとう」とわたしは心の中で言った。「これからも、見守っていてね」
大学に戻ると、夏休みの計画を立て始めた。健太が、料理の取材で地方を回る予定があり、わたしも一緒に行かないかと誘ってくれた。日本各地の伝統料理を学ぶ旅。それは、わたしにとって大きなチャンスだった。
「君と一緒に旅ができるなんて、楽しみだよ」
あれから一年。父の死から始まった暗い日々は、少しずつ明るさを取り戻していた。料理と文学という、二つの世界を行き来しながら、わたしは自分の道を見つけ始めていた。それは、決して一直線ではなく、曲がりくねった道かもしれない。でも、その道の先に何があるのか、少しずつ見えてきたような気がした。
キッチンの向こう側で、父が包丁を握っている姿は、もう見ることができない。でも今は、わたし自身が包丁を握り、父から教わったことを大切にしながら、自分の料理を作っていく。それが、父への最高の感謝になるのだと思う。
そして、この物語を書き記すことも、きっと父は喜んでくれるだろう。料理と言葉。どちらも、人の心に届けるための手段。わたしは、その両方を大切にしながら、これからも歩いていくつもり
安西先生は「諦めたらそこで試合終了ですよ」という名言で知られていますが、実際には何でもかんでも諦めないわけではありません。彼は現実的な判断もできる冷静な指導者です。
例えば、海南戦の終盤で桜木に「リバウンドだけに集中しろ」と指示したように、無理に得点を狙うのではなく、現実的な勝機を見極める力があります。つまり、無謀な挑戦や選手の限界を超えた無理を強いることはせず、成功の可能性がある挑戦にこそ「諦めるな」と言うタイプです。
なので、「絶対に無理なこと」や「努力しても報われる可能性がゼロに近いこと」なら、冷静に諦める可能性はあるでしょう。ただし、それが「努力次第で可能性があるもの」であれば、決して諦めることはないでしょう。
終わるのか?
終わるのだろうか?
描き始めることが出来れば2年ぐらいでババっと仕上げることは出来そうだけど、そもそもそれが現実的なのかが分からない。
現状はあらゆる作中の伏線が収束していっている所であり、これを「俺達の戦いはこれからだ!」とやってしまっては全てがどっちらけてしまう。
出来なくはないと思う。
モノローグを使いまくって「Aのお芝居は大成功した。具体的にはここがよかった」「Bのお芝居も大成功だった。ここが本当に良かった」「甲乙つけがたいぜー!紅天女をめぐるバトルはこれからだ!」「PS:紫のバラの人との関係は進展してます 朝チュンチュン」でかませば1話に圧縮は可能だ。
だけど、ここまで盛り上げておいて、本筋に+αするための要素をこれでもかと盛り付けておいて本筋自体をハイハイチャッチャッで終わらされたら読者もやるせないだろう。
今、ガラスの仮面は本当に盛り上がっている。
作中最大の山場だ。
フルコースで言えばメインディッシュが運ばれてきた直後、カートの上にはクローシュを被せられた皿が並び、ウェイターがツラツラと今宵の主役が如何に素晴らしいかを説明していくれている最中だ。
もしここで「すみません。もう閉店時間なので一口分だけの提供とさせていただきます」と言われたとして、納得できるものがいるだろうか?
SLAM DUNKの山王工業高校戦、20点差をつけられた直後に突然モノローグが入り「なんだかんで20点差をひっくり返し激闘を制した。その後の3回戦、嘘みたいにボロ負けした。その試合、桜木は山王戦の負傷により出られず、今はリハビリ中である」で終わったら歴史に残るクソ漫画になっていたことだろう。
描くべきものは誰もが分かっていてあとは最後の仕上げを残すだけとはなっている。
仕上げを待たなくても書き上がりの景色の8割程度は想像がつく。
片腕のない彫像を見たとき、それ以外の部分がないはずの腕の形を教えてくれるようにだ。
だが、腕の先にある指の形まではわからない。
もはや勝負の行方など作者にとっては枝葉末節なのやも知れぬが、読み手としてはハッキリと勝負の中でその答えを知りたいのだ。
描かないわけにはいかないだろう。
作者という神が、どのような答をこの物語に下すのか。
天地創造における6日目だ。
まだ7日目ではない。まだ休むときではない。
ーーーー
バスケほぼミリしらに近い状態から、ある日ふと思い立ってSLAM DUNKを読みはじめて2ヵ月くらい経ったが、進捗は亀の歩み。昨日16巻を読み終えて、17巻に手をつけたところ。
あまりにもバスケを知らなすぎて、画面の隅々まで楽しめている気がしなかったので、『Bリーグ超解説リアルバスケ観戦がもっと楽しくなるTIPS50』という本を読んでお勉強。おもにBリーグの話だけど、バスケのルールやポジションや試合の流れなどの基本から解説されてるのでありがたい。しかも、THE FIRSTSLAM DUNKから入った人のために90年代初頭と現在とでどんな変更点があるのかまで解説してくれる。
いい本の助けを得たとはいえ、もう年なので興味津々ではあっても自分でやらない競技のことを一から覚えるのは容易ではなく、やる気に脳ミソがどーしても着いていかない。
でも、試合中の選手の立ち位置や視線の方向などに着目すると、選手たちや監督のねらいが見えて面白いこと、そしてバスケは数の優位性で闘う競技であるからして戦略の組み立てや読みというものが大事だということは、なんとかかんとか理解した。
数の優位性というワードは、バスケミリしらだけど、私はおなじく数の優位性を重視する競技である囲碁をやるので、なるほどそういうことなのかと、試合中に着目すべき点を把握できたかと思う。
そんな事を理解した上で県大会の陵南戦のとこを読むのはとても楽しかった。読む上で特に重視したのは、画面に描かれた湘北・陵南の両チームのメンバーの立ち位置。そして陵南のエース仙道の挙動。
魚住がファウル4回で安全のために下げられてしまって以降、仙道がチームを引っ張っていくことになるのだが、飄々とした姿勢を崩さないものの徐々に疲労と焦りから追い詰められていき、判断ミスをするようになる。湘北に有利になるとき、その直前には仙道がはんだんを誤っており、更にその前のシーンまで遡って仙道の視線の先を見れば、どうして彼が間違えてしまったのかがわかる。
臨場感と勢いのすごい漫画だから、流れに身を任せてバーッと一気に読んでしまいたい気持ちが強くなってしまうのだけど、我慢して画面のなかにチェックポイントがないか探し、見つけたらその結果を生んだ原因を見つけるためにページを遡ることを、ちまちまやっていく。勢い任せに読むのもいいんだけど、私にはこういう楽しみ方の方が性に合ってそうな感じがする。
陵南戦のあとで田岡監督が自分が湘北をナメていたのが敗因で、選手はよくやっていたと言うシーンがあったけど、選手たちもけっこう湘北をナメているというか、ど素人の桜木はもとより、PGの宮城をそうとう軽んじていて、試合画面でも流川やゴリにディフェンダーをつけるとなったらまず宮城についてる人員を外すということをやっていて(仙道などは仲間にはっきり指示出ししてる)、それが宮城のファインプレーに繋がったので、読んでて思わずニヤリとしてしまった。
数巻続けてスリル満点の試合が続いていたので、日常パートがメインの17巻はちょっと息抜きの巻。晴子さんの流川への気持ちとか、安西先生が直々に花道を特訓する話もいいんだけど、私は仙道推しなので、仙道が主将になったのに部活サボってるシーンが印象に残った。この人もうダメかもしれんな、少なくとも高校バスケでの余生においては。
仙道は、チームをたった一言で持ち直させることの出来るカリスマ性を持ったまとめ役でありつつ、個人の能力も高い点取り屋のスーパースターでもある。しかし、湘北との闘いではリーダーとしての持久力がそうある訳じゃなくて、常に背中を預けられる相手を必要としていることが明らかとなった。なので、魚住が引退したあとで、仙道が力を発揮することはおそらく無いんだろうなぁと。
彼はだいぶ流川に似たところがあるので、流川の未来の姿とも言えるし反面教師とも言えそうだと思う。仙道はおそらくここで潰れ。流川もこのまま日本一の高校生プレイヤーを目指すだけでは早晩潰れてしまうのだろう。流川にも背中を預けられる相棒が必要で、それは先輩ではなく同輩か後輩でないといけないのだ。まあたぶん、それって花道が適任なんだろうなぁー。
などと思いつつ、読破までの道のりはまだまだ長い。
どゆこと?
あとカッペはとんでもなく勘違いしてるけど都内の通勤圏の千葉/埼玉/神奈川だってファミリータイプはクソ高いやで
例:
※ 例は、地価を表すものではなく、単純に今ネットで検索したら出てくる空いてる物件の家賃。なお、ファミリータイプはすぐ埋まるので、千葉の船橋とか築15年↑ でも、30万、16万とかある
※ 築30年↑ でも良ければ、近隣に3DK(55平米くらい)のRC、10万以下も有り
あと割と、『子育て考えたら、上級労働者でも、浦和/船橋あたりに住まいを構えるのが普通
東京は、江戸っ子と上級国民のご子息/ご息女と食い詰めた地方の次男三男が暮らす土地よ
江戸の時代から変わらぬ』 ってお伝えしてるし、カッペ向けに下記も書いたことあるで
年収1〜1.5千万くらいで無理なく買えんのは『浦和』、『浦安(新浦安)』、『美浜』、『船橋』あたりだからじゃね?
それに『浦和』は、"浦和画家"なんて言葉があり、文化人・芸術家と士業が多かった街で今も生活が便利だし特に説明は要らんよ
小学校区ごとに取ってる年収でも公立の常盤小学校あたりなんか850万になるしな
都道府県 所在行政区 学校名 平均年収 埼玉県 さいたま市西区 宮前小学校 694万 埼玉県 さいたま市北区 大砂土小学校 745万 埼玉県 さいたま市大宮区 桜木小学校 791万 埼玉県 さいたま市見沼区 七里小学校 692万 埼玉県 さいたま市中央区 上落合小学校 862万 埼玉県 さいたま市桜区 土合小学校 661万 埼玉県 さいたま市浦和区⭐️ 常盤小学校 850万 埼玉県 さいたま市南区 浦和別所小学校 784万 埼玉県 さいたま市緑区 大門小学校 701万 埼玉県 さいたま市岩槻区 上里小学校 593万
逆鱗に触れるだとか琴線に触れるとか使うな、ってツイートが炎上して、「馬鹿でいることの危険性は女王の教室やドラゴン桜が証明しているぞ!!」って反論されてるけどさ、
まぁ反論してるやつの中に将来不安定な新米研究員、○○研究家(という名の一般人)、イラスト描きじゃなくて歴史研究同人誌書いてるタイプのオタクみたいなのが見受けられるんだよな。
もうはっきり言っちゃうけど、
お前らほんとは学問や学術や研究で食っていきたかったしその能力もあるんだけど、自民党が学問を疎かにしたからーみたいな理由であきらめざるを得なかったんでしょ。
それが嫌で嫌で仕方ないし、いまさら別の仕事なんてやりたくないから、何とかして学問が大切にされる方向に持って行きたいんでしょ?
それこそ桜木が言うような「自分たちがもうかる仕組み」を、自分が大好きでライフワークでアイデンティティになっている学問や研究で作りたいんでしょ?
ちょっと話ずれるけど、ぶっちゃけお前ら上に立ったらスポーツ事業ガンガン縮小するでしょ。
体育会系への怒りや憎しみがすさまじいし、アスリートへの敵視すごいし(北島康介が変な宗教の会合行ったら「アスリートなんてこんなもんだから持ち上げるな」とか)、ことあるごとに「体育廃止!!体育廃止!!」と叫ぶし、「スポーツの語源は気晴らし!」とツイッター上でミニ講義開講するし…
タイトルの通りだけど、だいたいこの手の話題は、机に向かって書籍を読むみたいな「学校のお勉強」がもてはやされるんだよ。
友人との交流、アルバイト、恋愛などで培われる「社会経験、社会勉強」みたいなのは話題にも挙がらない。
本で偉い先生が考えたご高説ではどうしても身につかない、知りようがないリアルな社会。
こういうことはあんまり言っちゃいけないだとか、なんとなく世間的に受け入れられているルール、不文律とかね。
学校のお勉強を重視する人たちって、ちょっと理不尽なルールがあろうもんなら「ならぬならぬぞっ!!!」って否定するよな。
正直そういう不文律みたいなものを学ぼうとしても、否定するでしょ。
こういうのを学んでおかないと結構大変なことになってさ
みたいな「うわぁ…」なことしちゃうわけよ。
そのうえ、仲間はそれを諫めるどころか褒めるんだよ。
知識・教養はあるけど社会の「普通」からは大きく外れている人を、うまくおだてて利用しているみたいな構図になっちゃってるのよ。
言い方悪いけど、悪い大人に騙されてる、良いように使われている。
桜木が言う「馬鹿」とは別方向の「馬鹿」が産まれちゃってるのよ。
両方やりゃいいって話なんだけど、これは正直水と油の関係でしょ…
自称進学校の「モットーは文武両道」みたいなものと同じで、言うのは簡単だけど全く別方向すぎて結局どっちかしか頑張れない。
生き残ることを考えるなら、机に向かって古文漢文や三角関数や微積を必死に頑張るより、友達と遊んで「こんな人間がいるんだな」、バイトして「働くってこういうことなんだな」っていう勉強を頑張ったほうがいいと思うけどな。
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・03なでしこ
・04インパルス
・05 [3択]『ロッキー』
・09 [近似値]4万5300
・15利休揚げ/利久揚げ
・16鈴木敏夫 すずきとしお
・18YOSHIKI
・19 [ふるさとクイズ][秋田県大仙市]スマイルソーセージ)ハイチーズ
・21かわぐちかいじ
・22 1(番目
・26グスタフ・クリムト
・27 [3択]サル
・29 虎(の巻
・30eサザンオールスターズ
「三井君はかつて混乱を、のちに知性ととっておきの飛び道具を」
三井って
・強豪校を蹴って湘南へ
・引退(1年)
・不良になってダラダラ(2年)
・バスケ部襲撃(3年)
「三井君はかつて混乱を」ってこの3年の時の襲撃事件を指してると思うんだけど
安西先生を慕って入部した大会最優秀選手が即怪我してまた怪我して引退したこと覚えてないんかな?
三井が焦って勝手に復帰しなきゃ、また怪我することもなかったと思うんだけど、
初日に怪我して部活に参加できない期間に三井のケアとかしなかったんだろうか。
普通に「君はまだこれからの選手だから焦らず怪我を治しなさい」とか言ってあげるだけで
試合中に怪我した桜木に対して、どんどん成長してる桜木がどこまで行けるか見てみたくて止められなかった
っていうのは指導者としては無能だと思うけど、人間としては理解できるけど