
はてなキーワード:格上げとは
冷凍庫に刻みネギ常備しとくと、すべてのメニューがちょっと格上げされる
たとえば、冷凍うどんをレンチン+卵+めんつゆ、ここまではパックご飯で卵かけご飯と同じ手間だけど、それにネギ乗せるだけで立派な釜玉うどんができる
フリーズドライ味噌汁にも冷凍刻みネギ入れるだけでフレッシュな野菜感がプラスされる
ひと腹ごとにラップしといて、使う分だけ切って使う釜玉うどんにも卵かけご飯にもたらこ混ぜるだけですごい豪華
スパゲッティ茹でて、たらこひと腹とバターで和える、ここに刻みネギとめんつゆいれてたらこスパ
スパゲッティは早ゆでタイプ使えばHP1でもフライパンで茹でれる
鍋で茹でてそこにフリーズドライ味噌汁投入するときのこ汁ができる
めんつゆとバターできのこ煮て、ネギとともに茹でたスパゲッティにぶっかけると和風きのこスパができる
実行機能の凹凸
水筒という「枠組み」があれば飲み切るが、自由度が増すと飲み忘れる。
つまり「環境に埋め込まれた仕組み」があると回路が働くが、自分で意思決定を要求される場面では停止する
興味と無関心の極端な二分
これは「嫌いだから回避したい」という強い動機が本人の中で定着している証拠
つまり、全般的に無気力なのではなく「関心があることは絶対落とさない」「関心がないことはどこまでも抜け落ちる」という極端な特性がある
協調性がないと教師は評するが、むしろ「無理に合わせない」ことで他人の庇護や好意を引き寄せるという独特の戦略を成立させているとも読める
これらは「生活スキルの欠落」とは真逆の、突出した表現力と自我の強さといえる
つまり彼女の脳は「自己維持のためのルーチン」より「自己表現のための創造」に回路を優先的に振っている
評価の二重性
教師からは「協調性がない」「だらしない」と見えるが、親から見れば「自分を持ち、人を悪く言わず、個性的に生きている」ことが眩しい。
凡庸な生徒なら大人の意図に沿って点数を稼ぐが、この娘は「適応よりも自己の欲望」に忠実すぎるため、評価軸から外れやすい
要するに、この娘は「生存維持のプログラムが弱く、自己表現と興味への特化が極端に強いタイプ」である。
社会は前者を「当たり前」として要求するために「不安の種」となるが、後者は時に突出した才能や魅力になる。
親の目から見れば「死なないように最低限の生活手順を支える仕組み」を外部化しながら、「自己表現の強さ」を伸ばしてやることが、現実的な戦略だろう。
この構造を前提に、父兄が意識したいのは「能力の欠如扱いで叱る」でも「全面先回りで背負う」でもなく、環境と手順を設計して回路をつけること
1.行動の起点が弱いが、起動すればやり切るタイプ
3.社会的支援を引き寄せるが、それ自体が構造化の代替になっている
以下は「そういう家なら、おそらくこういう設計を置く示唆。命題は一つ。因果を本人の近距離に落とす
1-a 固定座標化:リモコンは椅子の右、箸はテーブル右上、ナプキンポーチは通学服の左ポケットなど、置き場を物理的に一意化
1-b 単機能UI:リモコンに「暑い→▲」「寒い→▼」だけを残すラベル。迷いの分岐を消す
1-c可視トークン化:箸・水・ポーチなど必須アイテムを色や形で識別可能にし、見えれば行動が続く状態を作る
2.トリガー連結の量産
2-a 時刻トリガー:T−10、T−5の二段アラームを移動教室・HR終わりに重ねる
2-b場所トリガー:椅子に触れたら「温冷チェック」、玄関を跨いだら「ポーチ確認」
2-c感覚トリガー:内受容スコアを数値化(空腹・喉・暑さ・寒さを0〜5で自己申告)。数値に対してIf-Thenを貼る
例:空腹4以上→テーブルの常備トレーから一口栄養補給→箸に触れたら1口食べる
3.手順を3手以内に潰す
3-a食事:席に座る→箸を持つ→一口食べる、までを一筆書きに。箸は常設、声かけは合言葉だけ
3-b 冷暖:座る→体感スコア申告→ボタン一押し。ボタン位置は指が勝手に行く場所へ
4-a重要タスクを「美意識・自己表現」に結びつける。ナプキンポーチや机上トレーを本人のデザインにして《忘れたくない物》に格上げ
5.失敗しても死なない設計
5-a 常備カロリーと常温水を手の届く範囲に。暑熱・低血糖で倒れない保険線
5-b サニタリーは二重化(吸収ショーツ+ポーチの交換キット)。トイレ内手順カードはピクトグラムで3手
6-a 週一で記録を見る会。できた・できないではなく「回路が点いた瞬間」を具体語で鏡映し
6-b 3回連続で崩れたら本人を責めず構造を改修。人ではなく仕組みの問題として扱う
7-a 移動教室の二段アラーム許可、机周辺の仕切りボックス、バディ同行の任意運用など、点の配慮を線にする
7-b 名付けや病名は急がず、実行機能支援という言葉で相談すると通りがいい
8-a 先回りをやめるのではなく、合言葉と環境で起動を促し、手を出すのは危険域だけ
8-b合言葉例:暑さは今いくつ、腹は今いくつ、T−10始動、ポーチチェック、リモコン右手0
8-c 叱責の代わりに観察と命名。行動が起きた0.5秒を一緒に言語化して固定化する
熱中症の前駆(頭痛・悪心・応答低下)、失神傾向、経血急増などは即介入
2週間の小実験
目標:食事・冷暖・サニタリー・移動の4タスク。各3手に再設計
判定:自発起動率が30→60%へ、応答時間が半減すれば構造に適合している。伸びなければ設計を差し替え適合
最後に一つ。彼女は協調より自我、維持より表現にベットしている
その賭けは凡庸な評価軸からは外れるが、適切な環境があれば強さになる
なぜ?
……と思うが、三上悠亜のファンが衣装を借りる可能性もあるので、経営的な意味では天秤かなとは思います。ただブランドの方向性は変えてプロデュースする必要がある。
なぜ必要がある?イメージやブランドが損なったり変わったら商売にならんというけど、件の貸衣装屋さんは売り上げが落ちたからおまえに相談してきてるの?AV女優が幸福のイメージ・象徴と逆行してるなんていうのは勝手な決めつけでしょう。おまえのポリシーをプロ意識とかプロとしての誠意に格上げしないでほしい。「差別されて排除されるのはいやだ」「女だけ貞淑さを要求されるのはいやだ」などを顧客の幸福の条件の1つとして重視するのはアリでしょう。
どうして?
それに続くのが、15人(親友)、50人(友人)、150人(有意義な知り合い)、500人(知人)、そして1500人(顔見知り)という層
ある層に新たな誰かが加わると、他の誰かが追い出される可能性がある。友人が結婚をしたことによって疎遠になるのはこのためである
そして人間関係が増えるほど、一人あたりに充てる注意が減るため、親密度が減り、全員が「ただの顔見知り」という状態になる
人生の幸福は人間関係によって大部分が決定されるため、各層に誰を入れるかが重要になる
では15人の「親友」とは一体誰なのか?正月に一回だけ会う地元の友人が親友?しかし彼らはすでに結婚している
俺の現状、「親友」「友人」の層には誰もいないことに気がつく
「有意義な知り合い」のあたりには、仕事の仲間などがいる。一方、オンライン上のつながりはほぼ例外なく「ただの顔見知り」以下の存在である
「親密な関係」である両親がいる今だからこそコドオジとして幸せに暮らせているが、本当にこのままでいいのか
しかし誰を「親密な関係」「親友」「友人」の層まで格上げするのかが、まったく見えてこない
仮に格上げしたとして、その友人と一体何をするんだ?一緒に食事にでも行くのか?それなら結婚のほうが良いのではないか?
そもそも、ネットで何か放言してイイネを貰うという浅い人間関係すら俺には大して存在していない、フォロワー全員からミュートされている
というような決めつけに定義されていた。
正直、よく理解できない。
それが本当のところだったはずなのだけど、
とりえあずそれでは落ち着かないので、
トランプを支持する人とは経済的な不満を多大に抱えている製造業従事者、
および
不法移民に不満を抱える人々
という捉え方が主流になった。
俺は全然納得していない。
なんでトランプさんがいまだに40パーセント付近の支持率を維持するのか?
言い換えると岩盤支持層の人々がいったいどういう人達なのか全く掴めていない。
なぜ?史上最悪の大統領を支持するのか?その理由は?その人々とは?
このことは一生考え続けるのにもふさわしいテーマだと思う。
治療が怖いから低評価だったが、歯を治してくれるので格上げした。
お金がかかるから無駄だと思っていたが、金で人間関係を維持できるなら安い。
言わなくても伝わると思っていたがそんなことはなかったから。
なくても平気だと思っていたがかけてみると眩しさを抑えられ快適になったから。
稼いでも半分以上取られると憤っていたが、大人になってみるとそもそもそこまで年収は高くない。
人と関わりたくない・無理と思っていたが、まともな職場だとそう辛くはない。
死をテーマにする作品も見るのも嫌だったが今ではそうでもない。
昔は緊張していたが店の予約くらいはできるようになった。
健康に悪いと信じていたが反論も色々されてるし気にしないことにした。
色んなものがあって面白いと思っていたが今見てみるとゴミしかない。
試験が二時間だと長いと感じていたが、今だと5問中2問も解けない。普通に短い。
人を笑わせて凄いという価値観を持っていた。だが今考えるとイジメや人権侵害が多く興味がなくなった。
美味しくて食べていたがカロリーが高いのでやめた。
1ドル80円くらいだったのが今は1.5倍くらいする。
回答
シンギュラリティの定義 「AI が人類の知性を超えればシンギュラリティ」 主要条件 (= AI > Human)
自己改善 「AI研究者の知性を超えていれば自己改善できるはず」帰結/副次的期待
B は 「自己改善が“起きている”こと」 をシンギュラリティの 追加条件 としては置いていません。
むしろ AI > Human なら自動的に自己改善 できるようになるはず だ、と後付けで述べています。
我々の前回の形式化 主要条件として提示された「AI > Human」をそのまま取り上げ、B の推論(modus tollens)を検証した。
自己改善は「付随的帰結」と見なしたため、前回の目的(循環論法かどうか)には影響しなかった。
B の新しい主張 「自己改善こそ必須だった」と言い換えているが、これは最初の発言内容の後出し拡張。 元々の論証骨格(¬Singularity ⇒ ¬(AI > Human))には自己改善が出てこない。
論理的影響 仮に「シンギュラリティ ≔AI > Human ∧ 自己改善能力」と置き直すと、
ここからAI > Human を単独で否定することはできない(ド・モルガン則)。
「自己改善」を入れても入れなくても、B は結局「シンギュラリティはまだだ」と経験的に断言するだけで、測定基準や反証可能な指標を示していない。
したがって 循環性/情報価値の低さ という前回の指摘は依然として当てはまる。
4.結論
B自身が最初に主要条件として提示していなかったため、論証の検証に含めなかっただけ。
いうほど「主役」扱いかという疑問もあるが…
自分は「スポンジとクリームだけでマリアージュが完成している」とは思えない
イチゴがクリームの脂肪分といまいち合わないというならこれにも同感である
しかし「クリームとスポンジだけのケーキ」は見た目がシンプルすぎる
明治~大正時代のバターケーキは栽培・流通の問題から生の果物が使われず
これはこれで非常に美しい
おまけに生クリームではバターケーキほど繊細かつしっかりした装飾には向いておらず、
高度な職人技が必要ではご家庭で気軽に作れるという「すべてのケーキの王」の地位は張れない
やはりイチゴの見た目、香り、酸味と甘みの調和、これらがケーキの土台に加わることによって
加味される要素が大きい
見た目の締まり、味と香りの複雑さによるハーモニー、華やかさと可憐さ
段違いに完成度が高まる
それがケーキの上に飾り付けられていたら大勢のニコニコ笑顔はもらったも同然である
目黒の野菜ケーキ店がミニトマト乗せてたのを食べたことがあるが
※念のため最初に書くが、今から書くことに女性差別、フェミニズム、ミソジニー、ミサンドリー論は一切関係ありません。
※兵庫県知事が現在問われている問題についても何も意見はありません。
「ラーメン豚山 で女性だからとバカにされて不当な盛り付けをされた」と女性がX上で騒ぎ、
やはり女性側が話を「盛った」(二郎だけに)、つまり嘘をついた件を認めて謝罪した。
https://x.com/mt_yamamoto_/status/1874983997123821593
正直この話自体はかなりどうでも良いのだが、
この件に対する「冷静で」「良識な」人たちの反応がかなり気になったので書く。
X上で、豚山の件について色々な人が盛り上がり、誹謗中傷に近いような過剰反応も多いなか、
一番良識的に見える反応は
「どっちもどっち」
良識的な人が数多く生息するはてブ()のコメントでも、こういったコメが多く星を集めていたと思う。
だが、
この「冷静豚山」な態度こそ「害悪」で、
この「冷静豚山」な態度こそ「陰謀論」を育て、
この「冷静豚山」な態度こそ「斎藤知事の再当選を後押し」したのだ。
なぜか?それは、「陰謀論」とは、
まさに「真偽不明」のことを堂々と発信しすることで議論を撹乱させ、
「外部からは何が事実かわからないので判断できない」「どっちもどっち」
という状態まで持って行くことで勝利を狙う手法だからなのである。
最近では兵庫県知事戦で立花が仕掛けた、虚実織り交ぜた発信(立花自信が事後でいくつかの話を嘘と認めている)が記憶に新しい。
あきらかな嘘であっても、
堂々と語る、他者を攻撃する、裏付けをしようとしない(まあ嘘なのでできないのだが)ことで、
「どっちもどっち」というイーブンの状態まで「嘘」を格上げさせ、一つの意見に見せる。
「何が事実かはわからないので慎重に見極めたい」という態度は、卑怯である。
しかし一見、冷静で、良識的な態度に見える、という点で悪質なのである。
言ってる本人達はそれに気づかないような愚鈍なのに、なんか冷静沈着頭良い風に見えるという点で滑稽でもある。
もうわかっただろう、豚山について「何が事実か慎重に判断したい」と思うような人間が、
アメリカのDS論を笑いながら、自らこそが一番陰謀論の成長に加担しているのである。
豚山の件は、表に出ている事実をつぶさに観察し、それこそ冷静に考えれば
「女性側が嘘をついているだろう」以外の結論なんか最初からない。
(※念のためもう一度書くが、この件にフェミニズム嫌悪も女性差別もない。事件当事者が男性でも意見は同じだ)
それを、「何が事実かはわからないので判断保留」なんて言うから最悪である。
間違っても良いじゃないか、
自分の見方を、意見を表明しろ、それこそが君等が好きな「民主主義」の精神だろう。
わかったな?
こんにちわ日々寒くなってきましたね。
私は生成AIに関わる話題を出た時から追っては居るけれど別に誰かと戦うことも無いこの星の無数の塵の1つです。
今回はこの生成AI論争を見つつ「私ならどう滅ぼしたか?」を考えていきたいです。
まずこの論争の焦点はどこなのでしょう。私は「人間の学習は合法だがAIの学習は無断使用である」と主張するクリエイター側の意見が話の中心点だと感じております。法を超えた感情の話、つまり倫理的主張でありそれに基づく法の改正を願うと。
コレについてはAIの技術への知識不足…だと思います。AIは人間の脳を疑似再現する技術であり学習こそがAIの本質です。
ですが結果出力される画像生成等が「AIの技術」と勘違いされてるのかと。
この勘違いは恐らく今後一生正されることは無いでしょう。根底は技術への過小評価だと思うので。
で撲滅の話に戻るんですけど
まず第1案として生成AIを撲滅したいのでうんと大衆化させてしまう事です。2年前に比べ生成AIアプリは簡易的な物が大量に増えドコモ等の大手キャリアすら生成AIをビジネスに組み込むなど大衆化されてきました。大衆化するとどうなるかと言うとマネタイズが出来なくなりコレでお金を稼げなくなります。
後は勝手に衰退していくでしょう。
第2案として暴力的に異端者を排除していく方法です。これは現在進行系で行われているのですが、あまりオススメしません。上にある様に大衆化していくと生成AIを使っている相手はただの一般人になるからです。そこに集団で殴りかかってくる団体なんてどれだけ理屈を挙げようと化物としか思われません。元が感情からくる倫理であるなら当然行動に倫理が伴わねば相手にされなくなります。
第3案として人間の学習と機械学習が同じだと認める方法です。個人的にはコレがかなり勝算高かったと思います(もう難しいですが…)
主張の最初が感情から来るものなら半端に法律を絡めようとせず徹底して倫理のみで戦う方法です。人間の脳を再現出来てしまうなんて人間を造るのと同じでは無いかとヒトクローン等の禁忌技術に格上げさせるのです。勿論宗教団体と合流していれば一大勢力になれたでしょうね。
…とこんな感じです。とにもかくにも世は利権でしか動きません。既に世に産まれた物を撲滅するのは大変な労力やお金がかかります、
感情から撲滅思想になっている方には少しでも早く「正直どうでもいいな…」という境地に至って欲しくこの駄文乱れ書きを行いました。
で、その中で力のある者が王位に就いたのです。
そのためにはライバルを容赦ない殺戮を繰り返して天皇(大王)直属の伴造に統括する体制を作り上げた、まぁ極道と同じなのです。
しかし、そのままではただの成り上がり者なので権威付けが必要だった。
もともと日本にあった土着信仰を、さも関係あるかのように天皇と結び付けた。
そして、大陸から仏教が入ってくると、その宗教的権威を天皇統治に利用しない手はなく、鎮護国家として仏教を利用し、天皇や多くの皇族を出家させて高僧にした。仏教の権威を利用し、そのために仏教を保護したのです。
釈迦が欲望を抑えるために作った仏教を、広大な荘園を所有し天皇権力の権威付けに利用するというただ欲望のためだけに利用した。お釈迦さんが聞いたらこんなことのために仏教作ったんじゃないと怒るでしょうね。
そして、壬申の乱で大海人皇子が大友皇子を打倒すべく吉野から東方に遠征し伊勢の豪族度会氏を服属させた時、伊勢の太陽神アマテルの威光が見えたので、「そのおかげで大友皇子に勝利した!」と信じ込み、伊勢にあった地方神話の地方神アマテルを皇祖神に格上げした。
で、「その末裔の神武天皇という架空の天皇が初代天皇なのである」という筋書きで、天皇統治の正統性の根拠として作り上げたのが伊勢出身の稗田阿礼創作の「記紀」。
まぁしょせんこんな程度の家系なので歴史的にもロクでもないことばかりやってきました。
事もあろうに大嘗会で神聖な高御座に女官を連れ込んで情事を楽しんだ花山天皇。
「原爆投下は戦争中だからやむをえなかった」と敵国の蛮行を正当化した昭和天皇。
なんか、「高尚な悩み」とか勝手に格上げしてるけど、そんな大げさにした覚えないんだけどな。勝手にハードル上げて、そこから「贅沢な悩みですねぇ」って突っ込まれても、いや、こっちはそこまで舞い上がってないし。
で、「どうでもいい男」って話だけど、それもこっちが勝手にそう呼んでるわけじゃないのに、わざわざそこだけ拾ってくるあたり、都合のいいとこだけ持ち出してるなって感じ。自分が本当に大事に思う人に出会えないってだけで、世の中の全部をバカにしてるわけじゃないよ。こっちもそれなりに頑張ってんだよ。
あと、「青春の証」とか「自己憐憫」とか、なんかそれっぽい言葉で攻めてくるのやめてくれないかな。そういう言い回しでマウント取ろうとするの、ほんと疲れるから。結局、どっちが誰を上に見てんだよって話だし。結局、自分の方が「わかってる風」なスタンスで、他人を諭すことで自分の価値を高めようとしてるだけじゃない?
「雲の上の人」とか「理想の人」とか、そんな簡単に手に入らないからこそ憧れるものでしょ。それを「どうせ逃げてるだけでしょ」って片付けるのは、あまりに浅はかというか、まぁ正直つまんないよね。その理想に届かなくて、でも手の届く範囲でどうにかしようとする気持ちを踏みにじられても、はいそうですかって納得するほど単純じゃないし。
最後の方で「本当の愛とは…」みたいなまとめ方してるけど、結局、君が言いたいのは「自分の悩みなんて大したことない」ってことを認めさせたいだけでしょ?いやいや、そんな他人事みたいに言われても、こっちはこっちでリアルに悩んでるんだよ。現実の厳しさとか、理想の無さ加減とか、もうとっくにわかってるんだって。
アラサーの仲間入りまでしてるけどいまだに世の女性がこぞってたっかいバッグ欲しがる理由が分からない
叶姉妹レベルの人が素敵なバッグをたくさん集めてるのは納得できる
バッグに限らず世の最も美しいもの優れたものを集め、当然カバンもそのコレクションに加わってるという生活じゃん天上人は
ご本人もそれにまさる輝きを保つ自己投資をしてるし
そうじゃないような、服ユニクロ、靴ちょっと傷んでる、毛先パサついててホワイトニングしたことなくて肌もお疲れだけどバッグだけブランド!みたいな人が、朝の満員電車一本から何人吐き出されるのか考えてみてほしい
いやなんでカバンから金かけてまうねん!何がバッグをそんなに魅力的たらしめてんねんと思ってしまうのは、たしかに自分の中でバッグが基本分類「袋のなかま」なのが要因として一番でかいかもしれない
袋風情がなんで5ケタも6ケタも7ケタもすんねんという
ただ一方で、ファッションアイテムでありバッグが素敵だとそれを持ってる人も素敵に見えるというのも理解してる
希少な希少な部位からしか取れない革で職人の秀でた技術を駆使して作ったものが結果として高くなるとかそういうのは起こるよ(カバンでもカバンじゃなくても)
それでもやっぱり皮の違いなんて大してわかってない素人がもつカバンが高くてなんやねんという気持ちは拭えない
高級な服買ってみたら、着る人自身を美しく見せてくれる
バッグ代でホワイトニングすれば清潔感が格上げされるし、ほかにも資格やジムに課金できるし
もっとその人を良く見せてくれる・ためになるお金の使い道なんてなんぼでもある中で、なんで袋があんな高い地位なん???
これ言ったら誰のためでもなく自分のためなんだからいいだろ派が出てくるのは見えてるけど、その「高い袋を持ってて嬉しいー♡」って感情は一体何やねん!!!