
はてなキーワード:核なき世界とは
今年もまた、ノーベル賞授賞式の季節がやってきた。
この賞の「実績」を振り返ると、ブラックジョークにしか思えないんだよな。
平和の使者として受賞した直後に、自国で民族浄化まがいの紛争を主導した。
「核なき世界」を綺麗に語ったその裏で、中東にドローンを飛ばしまくって民間人を殺した。
かつての民主化の聖女は、ロヒンギャ虐殺に対しては貝のように口を閉ざした。
これに関してはもう、言わずもがなだろう。
「国連の父」と崇められるこの男は、ナチスのホロコーストから逃れてきた難民船の受け入れを拒否している。
見殺しにして、爆撃して、虐殺を黙認して。
それでも胸に輝くノーベル平和賞。
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北朝鮮は核兵器を増産し、中国は核戦力を拡大し、ロシアは核による恫喝を公然と行っています。
その一方で、日本が核廃絶を訴えても、保有国は耳を貸しません。
なぜなら――「核を持たない国の声には、力がない」と見なされているからです。
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私たちが今こそ向き合うべき問いです。
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むしろ――
核を“持つ覚悟”がある国だけが、「捨てよう」と言える立場に立てる。
今の国際秩序は、「先に核を持った者だけが交渉できる世界」です。
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• ✅我が国は「核を作れるが、あえて持たない」という潜在的選択を維持してきた。
• ✅しかしそれだけでは、国際交渉における発言力が得られない。
• ✅世界の核保有国に「我々も手放すから、あなたたちも手放せ」と訴えるには、まずこちらが核の現実を体験する必要がある。
これは逆説ではありません。
「非核化を目的とする核武装」――それが、今こそ検討すべき新たな国家戦略です。
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• 💬 核保有を検討することは、世界の核軍縮に日本が本気で関与する意志の表明です。
• 💬一時的な限定保有でも、交渉の枠組みを変えることができます。
• 💬 最終的には「核を持った国が、自ら放棄する」という歴史的な模範を日本が示すことが目標です。
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そのための第一歩として――
「非核化のための核武装」という選択肢を、排除せずに議論しましょう。
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まず最初に確認しておきたいのは、「原爆が落とされたから戦争が終わった」という主張ですね。はい、それ自体は一部事実として言われていることです。しかし、それ“だけ”で全てを語ろうとするその単純化は、極めて危険です。
冷静に見てください。ソ連の参戦、ポツダム宣言、そして国内の物資枯渇、あらゆる要素が複合的に絡んで終戦に至ったわけです。原爆“だけ”が決定打だというなら、あなたはその瞬間しか見ていない。まるでコップの水が溢れた瞬間だけを見て「この一滴がすべてだった」と叫んでいるようなものです。
次に、「原爆を落とされるくらいしないと日本は止まらなかった」とのことですが、それは非常に乱暴な歴史観です。では問います。ではなぜドイツには原爆を落とさなかったのでしょう?日本が“アジアの加害者”だから正当化されると?その論理が通るなら、世界中で数多の大義名分を掲げた虐殺がすべて“必要だった”ということになります。あなたはそれに同意されるのですか?
「日本人は加害者である」という認識は大前提として必要です。私もそれを否定する気はありません。しかし、「加害者である」ことが「無差別大量殺戮を受け入れよ」という理由にはなりません。加害と被害は天秤にかけるものではないのです。そこを混同して“被害者ヅラするな”と煽る姿勢、極めて非知的です。
最後に、オバマ大統領の訪問を“被害者意識の加速”とする点。そこにも感情論が先行しています。事実、あの訪問は加害も被害も超えた「核なき世界」へのメッセージであり、国際的には非常に評価されました。あなたがそれを“パフォーマンス”と見るのは自由ですが、それをもって日本人全体を十把ひとからげに論じるのは、思考停止です。
ですので、あなたの投稿は「歴史を断片で見て感情で結論を出す」典型的な誤ったロジックであると言わざるを得ません。私はそう考えます。
プルトニウムの製造・保有・濃縮できる施設とそれを積んで飛ばす弾道ミサイルが絶対に必要
だから平和利用という名目でプルトニウムを作る・濃縮できる発電所や施設、宇宙開発と称して独自のロケットを日本は保有している
これは英語ではっきりNuclear latencyもしくはJapan Optionと名指しされている
脱原発とはいうが確かに自然エネルギーのがコスパはいいかもしれないが原発の運用数を減らしてもゼロにするのは得策ではないと思う
アメリカが今後も永久に日本に核の傘を提供してくれるとは限らない
ウクライナを見ればわかるように核を持っていない国を核保有国が侵略し支援しようとしている国に核をちらつかせて恫喝しているのが現実…
2人のハンターが木の上にいたところ、一人が木から地面に落ちてしまった。
彼は呼吸している様子もなく、白目を剥いていた。
もう一人が救急隊に電話をかけてオペレーターにこう言った。『友人が死んでしまった! どうすればいい?』。
オペレーターは落ち着いた声でこう答えた。
「大丈夫、私が助けます。まず、彼が本当に死んでるかどうかはっきりさせましょう。(Make sure heis dead)。」
一瞬の静寂の後、バン!
オペレーターの耳に1発の銃声が響いた。
1めくらが普通改札機とIC専用機の区別がつかないと抗議。そんなもん見れば分かるだろ
2 「(生きてて)楽しいですか?」 両陛下が施設訪問で障害児と母に素朴な疑問をぶつけてしまうハプニング
3広島市がわざわざ原爆ドームの劣化具合をチェック。新しいのが欲しけりゃもう1発落とせよ
4障害児ってよくヘルメット被ってるけど何を守ってるの 頭はとっくに事故ってるだろ
6被爆者「オバマの『核なき世界』演説感動したわ。彼も黒コゲだけど同じ被爆者だよね。えっ違う?」
7 お手柄高校生 無職の徘徊おじいちゃんを自転車で処理して年金支出の削減に貢献
8 枕と枕木を間違えるというおばあちゃんの面白ギャグに電車から激しい突っ込み
9 「赤ちゃんが乗っています(*^o^*)」 だからなに?○ねば?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujiiryo/20160806-00060801/
意見の大勢をみると、広島平和記念公園の目的は広島で亡くなった無辜の民の鎮魂や慰霊をおこなうための
施設であり、利用者は遺族および原爆の悲劇を哀しむ心を持つ人でなくてはならないということのようです。
過去に被害にあった人たちを悼み、安らかに眠ることを願うことは平和を記念する行為のひとつに該当すると思いますが
71年経って今なお犠牲者へ哀悼の意を捧げるのみというのであれば、それは平和を記念する行為にあたるのでしょうか。
万人に開かれた公園として、平和を祈る場所として平和記念公園という名前を掲げているのであれば、
いまを生きるあらゆる人と向き合い、過去に起きた悲劇を知り、これからの平和について考える機会を持ってもらう必要があると思いますが
平和を望むはずの側が「この人は入っていい」「この人は駄目」という区別をする行為は、平和を願う主体者が自ら新たな争いの種を生み出すという
また例年、平和記念式典で首長が過ちを繰り返さず、核なき世界と平和を求めるという声明を出すことが恒例となっていますが
上述の状況からこれは犠牲者や遺族の心を癒やすための有名無実の口上にすぎないということのようですので、
平和記念式典という名称もまた広島慰霊式典とでも名前を変えるべきでしょう。
今回のポケモンGoの一件は単なる企業の経済活動であって、一方的に相手方が始めたことだとしても、
平和を求めるのであれば平和的に向き合う必要があるのだと思います。
奪われた十数万人の命の重みに対し、それを忘れず悼む心を持ち続けることは人として尊い行為であり尊重されるべきであると思いますが、
71年という時間もまた重く、平和や過去の悲劇や、マナー・ルールを理解していない人に対して排除や区別の論理を適用するのであれば
http://www.youtube.com/watch?v=2-69iLsOE3g
感想聞かせて
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peace(平定)
漢字伝来から明治30年まで日本のトップ数%の指導層知識人層はバイリンガル(日本語,漢語)が当たり前の時代だった
日本が自主防衛のために200発程の核弾頭を持ちさえすればいわゆる(アメリカとソ連の間での抑止力概念である)相互確証破壊(Mutual Assured Destruction)の状態に日本も入ることになり核武装国同士での戦争が(論理的戦略的理性的には)できなくなる