
はてなキーワード:松本清張とは
この事件は、当時日本共産党員であった斎藤守秀を主犯とする3人の男が、川崎第百銀行大森支店に押し入り、現金31,700円(現在の価値で約1億円相当)を奪ったもので、日本で初めて発生した銀行強盗事件として知られています。
当時、日本共産党は資金難に苦しんでおり、その状況を打開するために銀行強盗を計画しました。犯人たちは、アメリカのギャング映画を参考にしながら、周到な計画を立て、犯行に及びました。
1932年10月6日午後2時頃、3人の男が川崎第百銀行大森支店に押し入りました。覆面姿の男たちは、行員たちを脅迫し、現金を奪って逃走しました。
警視庁は、大森警察署に捜査本部を設置し、捜査を開始しました。犯人たちは、逃走中に現金の一部を隠しましたが、最終的には全員逮捕されました。
斎藤守秀ら3人は、強盗罪で起訴され、有罪判決を受けました。斎藤は、死刑判決を受けましたが、後に無期懲役に減刑されました。
大盛りギャング事件は、当時の社会に大きな衝撃を与えました。この事件をきっかけに、銀行の防犯対策が強化され、また、共産党に対する警戒感が高まりました。
大盛りギャング事件は、映画や小説の題材としても取り上げられています。
大森ギャング事件 -Wikipedia:https://omori.fandom.com/wiki/THE_HOOLIGANS
大森ギャング事件とは - わかりやすく解説Weblio辞書:https://ejje.weblio.jp/content/gang
よく聞くのは、上の二つとホワイダニットだろうけど、じゃあ、5W1Hの残りの3つってないのかなとふと思った
ハウダニット How DoneIt どうやって殺したか トリック探し。古畑任三郎とかコロンボとかのでよく見るやつ。倒叙ミステリーと呼ばれるらしい
ホワイダニット Why DoneIt なぜ殺したのか 社会派ミステリとかでよく見るやつ。なんか松本清張が書いてるイメージ
↑この辺まではよく見るやつ
ホエンダニット When DoneIt いつ殺したのか ああこれ、アリバイ崩しだな。でもアリバイ崩しってだいたいトリック探しとセットになるからこれがメインテーマにはなりにくいのかも
ホエアダニット Where DoneIt どこで殺したのか 血痕もなにもない密室に突然出現した遺体みたいなのはここにあてはまるのかね。 これもトリック探しの一部分だからメインにはなりにくいのかも。
ホワットダニット What DoneIt 何を殺したのか ちょっとこのタイプ思いつかないな。ミステリー詳しい方どんなのあるか教えてほしい。
ノベルスがライトノベルか否かって言われたら雑なノベルス語りをしたくなってきたぜ!!!!!
ということでしていきます
そもそも「ライトノベル」と「ノベルス」を分ける定義の人たちってのは昔から連綿と存在していて、例えばノベルスって言うとどういうものかっていうと以下のようなレーベルです
等々……
さて、ライトノベルとどう違うの?と言われると、ものすごい簡単にいうと「文庫か新書か」という分け方になる
ライトノベルは主に「文庫」で書かれているレーベルを指すことが多く、ノベルスは「ノベルス版(新書版)」と呼ばれるちょっと細長い感じの本で二段組で書かれているものを指す。
違いはそれだけか?と言われるとまあそれだけなんだが、もうちょい踏み込むにはノベルスの歴史を知る必要がある
1950年代ごろだと、そもそも日本における新書サイズの本と呼ばれるものは「岩波新書」に代表されるお堅い学術書が主だったもので、それに対して光文社が「大衆向けのもうちょいわかりやすい教養レーベルを作りたい」として作ったのが「カッパ・ブックス」と呼ばれるレーベルになる
(余談だが著者近影という文化を始めたのもこのレーベルが初らしい)
で、そこから姉妹レーベルとしてフィクションや物語を扱う「カッパ・ノベルス」が創刊された。
カッパ・ノベルスは松本清張や西村京太郎、小松右京など書いた日本のミステリやSF等エンターテイメント小説に多大な影響がある作品を出して大ヒットを飛ばした。
それを見た他の出版社もこぞってノベルスレーベルを立ち上げてそれぞれのレーベルで作品を発表していった。
これが大体1960年から1980年くらいにかけてのものすごい大雑把な流れで、ライトノベルより早い段階で日本のエンターテイメント小説にノベルスは多大な影響を及ぼした
特に、ミステリやファンタジージャンルに関してはこのノベルスの影響度が尋常じゃないほど高く、ミステリだとカッパ・ノベルスや講談社ノベルス、ファンタジーに関してはC★NOVELSなどで有名作品が数多く存在する
じゃあ、なんでライトノベル定義論でノベルス含む含まない論争になるかというと、ここからは若干雰囲気ベースになるが「出自のターゲット層」じゃないかというところになる。
ノベルスは刊行されているものを見てみるとわかるが結構ターゲットの年齢層が高い。ぶっちゃけサラリーマンとかそっちくらい向けの作品群が多いのだ
この辺りはレーベルの当初から社会派ミステリの松本清張などを使っていることからも伺えるだろう
内容としてもハードボイルドや伝綺小説などが多く、いわゆるエンターテイメントの中でも硬派でおじさん主人公のものも結構多い
対してライトノベルというものは、ジュブナイル小説と呼ばれるいわゆる青少年向けの文化に影響を強めに受けていて、ターゲット層的にも青少年ないし大学生くらいが主だったターゲット層になる
この辺りの歴史的経緯から来る文化圏の違いみたいなものが、「含まない」という人たちが多い理由のひとつだろう
では逆に、「含む」派閥がなぜいるのか。というと、そもそもノベルスの歴史を見てもカッパ・ブックスの成り立ちからして、「大衆向け」でありエンターテイメント小説の土壌としてあったのはここまで話した通り
で、ライトノベルも言ったらエンターテイメント小説の集合の一部なわけで、まあ内容的に近しい作品が多いからだ
この辺り、時代を経るにつれライトノベルとノベルスというのは似た成長を遂げた経緯を歩んだところがある
ライトノベルは様々な近傍の文化(漫画やアニメ、ゲーム、ジュブナイル小説)をごった煮でまとめていったというのだけれども、
ノベルスは時代が経るにつれて対象である「大人たち」の変化を受けて、アニメや美少女ゲームの文化、さらにその近傍の文化を取り入れていき、ライトノベルと似たような変遷を辿っていった
特にこれらを取り入れていったのが、講談社ノベルス(及び講談社BOX)とC★NOVELSである
講談社ノベルス(BOX)で言うと、西尾維新や奈須きのこ、佐藤友哉など
上記の作家たちは、ご存知の通り小説もさることながら、アニメやゲーム、漫画などにも多大な影響を与えていった(というか奈須とかに関してはゲームがそもそも出自ではある)
これらの作品群は内容的にライトノベルでも出ていてもおかしくない作風のものもあれど、ノベルス刊行になっている
また、ライトノベルにおいても、「C★NOVELSで出てそう」「講談社ノベルスで出てそう」みたいな作品は結構ある
(個人的には紅玉いづきさんとかはわりとC★NOVELS風味かなと思ったりもする)
実際「ブギーポップ」シリーズの上遠野浩平は講談社ノベルスで「殺竜事件」等の「戦地調停士シリーズ」を書いているし、ラノベ出身の作家がノベルスレーベルで書いている例も多い
こういった経緯で位置としてはめちゃくちゃ近い位置にあれど、しかし、ノベルスをラノベに入れるか?みたいなのがとても別れやすい、という妙な性質がこの二つにはある
個人的には、まあ歴史的経緯もあるし、レーベル史観でいいんじゃね?という意見なのでノベルスはノベルス、ライトノベルはライトノベルでいいかなあと思っている
ただここまでの歴史的経緯を踏まえても、現状似ている作品群も多いというのはあるので、含める気持ちもわかる
なので、もし今後議論する際には内容派閥かレーベル史観派閥かの宣言くらいはしてもいいんじゃねえかなあと思う
ただそれはそれとして、ノベルス、ライトノベル双方に面白い作品はたくさんある
ノベルスが好きな人も、ライトノベルが好きな人もそれぞれお互いに合う作品は結構あるので探してみるのもいいのではないだろうか
24/06/01
指摘があった「ノベルス」と「ノベルズ」の表記ゆれを修正。ちなみに表記は「novels」を日本語読みしたものなのでどっちもあるっぽく、出版社によっても呼び方に揺れがある。(トクマノベルズはズ、講談社ノベルスはス)。自分もなんかノベルスっていったりノベルズと混ざっていってしまうので癖です……
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
赤:齋藤出@埼玉46 緑:酒向朋子@福岡56 白:渡辺匠@中川45 青:野澤英樹@岡山40
・02ワカサギ
・03香取慎吾 かとりしんご
・06 (2) 番
・07ギムレット
・08 『薬屋のひとりごと』
・10 [近似値]27693
・15 『ウィー・アー・ザ・ワールド』We Are The World
・16ヤヌス
・20 りゅうこつ 座
・21 『ダ・ヴィンチ・コード』
・22シューベルト
・25 第)三(代
・27湊かなえ みなとかなえ
・28 [3択]1 5 人
・29 濃霧
・30 牛
・32 『ミステリと言う勿れ』
・34e [3択]3 十 万キロメートル
https://anond.hatelabo.jp/20230725215629
これ書いてる増田はミステリ全然読まないのね。で、知人から「まずは『十角館の殺人』とか『殺戮に至る病』読め」って言われて読んだのよ。
正直言うがこの2つ面白いか? キャラクター観が激古くて読むに堪えないって感想がかなりでかい。
もちろん、大ネタのトリックはそこそこ驚いたので悪くはなかった。でもそれにしたって描写がかなり厳しいと思っちゃったんだよ。
まあ本音を言えばタイトルはアオリよ。自分がどうやら小説を読むときにキャラクター描写やストーリーを偏重しすぎるきらいがあるので、例にあげた2つのおもしろさがわからないのは当たり前というか、どちらもそういうのを狙ってる作品じゃないよね。だからおもしろく思えないのは単にnot for meってのはわかる。
でもなお思っちゃうのはさ、世間的になんであんなにこの2作品が褒められてるのかが逆にわかんなかったんだよ。
この辺でアドバイスあったら教えてくれないか? 世間的に褒められてる作品が理解できないの、多分自分のレセプターが歪んでる可能性があるのでラーニングしたいんすよ。でもミステリに関する知識がマジでないからとっかかりがなくてすごく困ってる。
めっちゃコメントきてるありがとう!めちゃくちゃたくさん反応もらって追いきれてないけどすげえ助かる!整理するんで少し待ってくれ!
追記2
いきなり訂正なんだけど俺めっちゃミステリ読んでたわ! みんなが挙げてくれてた作品だとこんな感じだわ!
でも上に挙げた奴あんまりミステリミステリって気持ちで読んでなかったわ!
最初書かなかった事情を書くとさ、こないだたまたま見かけたおすすめミステリ100冊みたいな文章の冒頭に「『十角館の殺人』読んでないならまず読め。こんな文章読んでる場合じゃないんよ」って書かれてたから『十角館の殺人』読んだらピンと来なくて困ってたんだよ。「ミステリとは一体なんなんだ……?」みたいな気持ちですよ。でも全然読んでた! ごめん! 俺が間違ってた!
これはみんなが色々教えてくれて少しわかったと思う。そもそも「本格ミステリ」と「新本格ミステリ」というジャンルの間に「社会派ミステリ」ってのがあったんだな。その反動で新本格が出てきた。なんか「『本格って単語がついてるミステリ』がわからないならミステリのことがわかってない」みたいな気持ちになってたけどそんなことなかったんだな……。
十角館の殺人とかも、描写がちょい厳しいなってのも時代的なこと考えたら理解はできる。こないだヤマシタトモコの古い作品読んだら「ホモ」って言葉連呼されまくってて「マジで?」ってなったの思い出した。10年程度で感覚は全然かわるし30年あれば言わずもがななんだよな。
いやさ「本格ミステリ」とか言われてる作品がピンとこなかったらちょいビビっちゃったんですよ。だって「本格」がわかんないなら「ミステリ」って何? って感じじゃん? でもあんまり気にしなくてよさそうだな。いろいろなミステリがあっていい! そういうことか!
自分が好きなSFとかが「SFとは認めん!」みたいなこと言ってる作家多かった経験からすげえジャンルに対して身構えていたんだけど、当たり前だがいろいろな楽しみ方があるんだな……。ありがとう。そこマジでわかってなかった。ミステリファンは全員「本格ミステリがわからんやつはミステリのことなんもわかってない」くらいに白眼視されると思ってた(冗談じゃなく本気で思ってた)。これは俺の偏見だったわ。本当にすまん。
どうやら世間的には日常ミステリとかキャラが経ってる新本格とかたくさんあるっぽい。みんなが面白いって言ってくれた作品追っかけてみる。ありがとう!!!
多いわ!!!
lady_joker100文字では書けないのでこっちに書いた。推敲していないので、チビを迎えに行ってから直すかも https://anond.hatelabo.jp/20230726161801
fushigishiatsu増田と友達になりたい、という文章を書きました。https://twitter.com/3216/status/1684044848628916224
フレンド!!!
bokmal子供の頃親の本棚のエラリー・クイーンを読んだらおもしろすぎて、小遣いで古本買い集めたけど、大人になってから読むと「おもしろいけどそこまでか…?」てなった。子供はゲームブックと小説区別しないしなー。
Permalink |記事への反応(19) | 23:12
月曜のりきって火曜平日になれてきた夜になぜこんなテンプレサスペンスがよさそうだ!ってなったのか
そもそも平日の火曜の夜に2時間も、映画と違って出来のよしあしもわからないドラマをそんなに見る人間がいたのか
本番組初期のプロデューサーだった小坂敬は「哀しくなければサスペンスじゃない」が最初のコンセプトであるとして、「単なる謎解きに終始せず、きっちりとした人間ドラマを作ろう」ということで、登場人物はみんな何か重いものを背負っていることをじっくり描くことが最大のテーマだったと話している[1]。
第1回放送は、島田陽子主演の「球形の荒野」(松本清張原作)。1980年代は、松本清張作品などの日本の推理作家や海外ミステリーなどを原作として、ベテランのスタッフが映像化する重厚な作品が多く、全盛期には視聴率もしばしば25%を超える人気を誇った。日本テレビにとっては、1980年に放映の始まったよみうりテレビ制作の『木曜ゴールデンドラマ』に次ぐ2時間ドラマ枠であり、1988年からはさらに『水曜グランドロマン』を設けるなど、日本テレビ系列では2時間ドラマ枠が多くなったが、『火曜サスペンス劇場』はその中核であり、最も息の長い枠となった。1990年代以降は、主に50歳代から60歳代の女性を視聴者に絞り定番シリーズを放送する安定路線が敷かれた[要出典]。特に1990年代は、日本テレビの視聴率が全国的に好調になっていた年代でもあり、日本テレビのドラマ枠としては、最も高い視聴率を殆どの回で記録しており、ドラマ視聴率ランキングの上位にもしばしば食い込んでいた。
この番組の開始によって、『木曜ゴールデンドラマ』が、読売テレビ一社の制作に変更された(それまでは、日本テレビと読売テレビが交互に制作していた)。また、札幌テレビ放送やテレビ岩手や福岡放送といった系列局が制作することがあったり、系列局の地元の“お国自慢”などに絡んだ作品が制作されたこともある。
また、大林宣彦、神代辰巳、鈴木清順、実相寺昭雄ら劇場映画で名声を博している旬の監督たちを起用して演出家主導の意欲作を撮らせる試みもしばしば行われた。その結果、難解なストーリーや前衛的演出も辞さず、2時間ドラマのみならずテレビドラマの枠をも破るような作品群が少数ながら生まれている。
番組のスタッフロールは、当初は「最後に『制作(製作):日本テレビ、(担当の制作プロダクション)』」とクレジット表記されており、1985年4月以降は、「最初に『制作:日本テレビ』、最後に『製作・著作:(担当の制作プロダクション)』」当とクレジット表記されていた(同時に日本テレビ製作番組が製作から製作著作に表記が代わった)。当枠終了後、日本テレビは製作プロダクションとの制作を打ち切り関係も絶縁し、視聴者層を若年層に絞った路線に変更した。
一時期は視聴率が20%を超えることもあったが、2000年代に入ってからは視聴率低下に歯止めがかからず、2005年9月27日の放送をもってを24年間の歴史に幕を閉じた。最終回の放送内容は火サス最多出演俳優の水谷豊主演の「事件記者・三上雄太III 逃走援助」で、放送時刻は19時からの3時間特番により通常より1時間遅い22時 -23時54分であった。
なぜ火曜の夜だったのか。
なんか作者を勘違いしてるし(松本清張ってw)、お前読んでねーだろっていう浅いものができあがったぞ
佐賀のがばいばあちゃんは、松本清張によって書かれた日本の小説です。この作品は、私たちに家族の絆や地域の絆の大切さを教えてくれます。
物語は、主人公の祖母であるがばいばあちゃんの生活を中心に展開しています。彼女は頑固で自立心が強く、佐賀の地で一人で農作業や家事をこなしながら生きています。彼女の生き様は非常に力強く、その姿勢には感動を覚えます。がばいばあちゃんは、自分の生き方に誇りを持ち、家族や地域とのつながりを大切にしています。
この小説では、がばいばあちゃんを通じて、家族や地域の絆の重要性が描かれています。彼女は孤独ではありません。周囲の人々との交流や支えがあることで、自分の存在意義を感じています。このことから、人々が互いに支え合い、絆を築くことが大切だというメッセージが伝わってきます。
松本清張は、細やかな描写力を持ちながらも、物語をスムーズに進めていく巧みな筆致を持っています。彼の文章は読みやすく、物語に没入することができました。また、がばいばあちゃんの言葉や行動からは、彼女の人間性や生き様が鮮明に描かれています。
この作品を通じて、私は家族や地域の大切さを再認識しました。がばいばあちゃんの強さと生きる意味を感じながら、私も周囲の人々とのつながりを大切にしようと思いました。また、がばいばあちゃんの生き様からは、年齢や環境にとらわれずに自分らしく生きることの重要性も教えられました。
佐賀のがばいばあちゃんは、地味ながらも深い人間の情感や絆を描いた作品です。私はこの物語を通じて、家族や地域の絆を再評価し、生きる意味を考える機会を得ることができました。
小説のタイトルも登場人物についても忘れてしまった。心当たりのかた教えてください。自宅をリフォームしている金持ちのお嬢さんが主人公。家にでいりしている大工さんがエロ本をお嬢さんの目のふれるところに放置する。最初は、怒り狂っていた女だが、そのうちそれを覗きみるようになる。しまいには発情して大工相手に好き好き大好きビームをはっして、せまってしまう始末。大工と駆け落ちしたんじゃなかったかな?
女がその手の本とか避けたり怒り狂ってまで排除たりするのは、ひとたび見てしまうと発情してどうしようもなくなるから。そんな自説にこだわる作者。本当なのか。それともファンタジー?
小説のタイトルも登場人物についても忘れてしまった。お心当たりの方教えてください。会社の上司になかば無理くりはめられているうちに、女のほうから好き好き大好きビームを発するようになった。しかし上司は転勤ということで、そのあたりの経緯をいろいろな人にベラベラくっちゃべったみたい。それを苦にした女が自タヒした。いもうととかいたのは、その女の兄っていうのが復讐に燃えるっていうアラスジだったからです。兄がどうやって復讐をとげるのかについても忘れてしまいました。
最初は無理やりなのにいつしか女の方から好き好き大好きってなるパターンの小説って散見するけど、これって真実なのか?ファンタジーなのか
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02キリマンジャロ
・04田中卓志 たなかたくし
・06モズ
・09 [2択]アルカリ 性
・10 [近似値]34(か所
・13サンサーンス
・14コペンハーゲン
・15 蚊(の鳴くような声
・16 [2択]グアム(島
・18 ロバ
・19120(度
・21 [部首]のぎへん
・22 おうむ(返し
・23 [AC]『転生したらスライムだった件』
・25 [3択]6(時間
・26アールグレイ
・27コンバース
・28e 『不思議の国のアリス』
国語の偏差値が70云々という、はてなブックマークの話題を目にして「高校生の頃の偏差値をよく覚えているなあ」と感心した。私は自分の偏差値を忘れてしまった。センター試験の自己採点で国語・数学・英語がいずれも190点超えていたことは覚えている。しかし、わざわざそれを他人にアピールする機会も意味も、私には無かった。
アピールする意味が無いのは、自分の頭脳は良くないと自覚しているからである。大学生になったは良いものの、私はイプシロンデルタ論法についていけず大学の数学に挫折した。数学以外も似たようなものであった。ペーパーテストではない、実験や研究という大学の活きた学問は、まるでダメだった。地方国立大学に入学できる程度には受験勉強が出来たし何とか卒業もしたものの、大学の本格的な勉学に挫折した私は、平凡な人間であった。
それで今更の話なのだが、現在の私は数学を勉強し直している。別に仕事に役立てようとか、そういうつもりは全く無い。全くの自己満足である。では、自己満足の欲求の源は何処かといえば、それは私の両親である。
私の両親は、高校中退者である。私の両親の世代では、地方の低所得者層に生れた子が、生家の経済的な理由から学業を断念せねばならないというのは、珍しくない話であった。珍しくない話ではあったものの、やはり両親にとっては心の傷だったのだろうと思う。
父は、一冊の古い辞書を大切に持っていた。私が小学生の頃には既に、ページは手垢で黒ずみ、ボロボロの状態だったのを覚えている。母は、横溝正史や松本清張の文庫本を何冊も持っていて、これまたページはボロボロであった。学業を不本意に断念させられたことの埋め合わせだったと、私の両親は言っていた。本物の勉学を経験した人たちから見れば、たかが辞書や推理小説を読む程度で勉学の埋め合わせを名乗るなどお笑い草かもしれない。しかし、私の目には、両親の姿が尊く見えた。親馬鹿ならぬ子馬鹿と言うべきであろうか。それでも構わない。私が今更ながら数学を勉強し直しているのは、明らかに両親の真似である。
就職して幾許かの金を自由に使えるようになった私は、両親の欲しいもののリクエストに応えて買い物をした。平家物語を読みたいと言うので、古語辞典と一緒に買って送った。お経や論語も読んでみたいと言うので、これらの本や漢和辞典も買って送った。母はアガサ・クリスティ作品を読みたいと言うので、これも買って送った。父は写経したいと言うので、筆や硯も買って送った。いずれも大した額の買い物でもないのに、両親は大袈裟なぐらい喜び、何度もありがとうと言っていた。
むしろ、ありがとうと言うのは私の方である。家族共用の本棚に、子供向け百科事典や児童文学のセットを置いてくれて、子供の私が本を読むように育ててくれた。それに、私の読書の趣味に決してケチをつけなかった。国語の試験の偏差値は忘れたけれど、本を読むことの楽しさならば私も忘れないだろう。本を読むことが楽しいと私に教えてくれて、ありがとう。
蛇足だが、数学の再勉強でノートをとりながら「どこまで理解できているやら。これでは写経だな」と思い、父子で写経好きというのが何だか可笑しく感じた。