
はてなキーワード:松本人志とは
普通なら、YouTubeに公式チャンネルを開設して、無料で動画をアップしてファン層を広げるのが当たり前になっている。
チャンネル登録者○万人突破、再生回数○百万回、ネットニュースに出る──これが王道だ。
それなのにダウンタウン松本人志は、吉本と一緒に「DOWNTOWN+」という月額課金制の専用配信プラットフォーム(スマホ・PC対応、月額1,100円)をわざわざ新設。
「まずは松本人志の大喜利・トーク・アーカイブ」といった特別枠でスタートするらしい。
YouTubeじゃダメなのか?技術的にもコスト的にもYouTubeで必要十分だろ?なのに、松本は自らその道を選ばない。
これ、無駄な手間の塊だし、ユーザーにとっても面倒なのは間違いない。
この変な意固地さ、こそが松本人志そのもののような気もするし、そのこだわりが地上波復帰を不可能にしてしまった原因でもあるんだけどな。
先日、チョコプラの松尾がSNSを素人がやるな!と発言し炎上したわけだが、それに対して「上から目線で一般の人達を見下している。」や「お笑い芸人如きが勘違いするな。」という批判は少しズレているというか、彼らの"思想"を理解していないのではないかと思った。まあ、理解してあげる必要もないんだけどさ。
で、彼らの思想とは、それはお笑い。という本来は素人芸の延長の様な特殊な技術を必要とするわけでない、演芸モドキの物をそうではない、一般の人達には到底真似できない漫画家や映画監督或いはスポーツ選手と同列とも考えられると無理矢理思い込むある種の自己催眠の様な物である。
そんな事は勿論荒唐無稽なのであるが、何故そんなことを彼らがするのか、それはお笑いという何の役にも立たない何か特殊なスキルが得られるわけでもない演芸モドキを将来のある若者に必死にやらせる為の"洗脳"の為だ。
その"洗脳"により彼らの世界が成り立っており、故にお笑い芸人と"素人"の間には絶対的な差があると後輩に思い込ませ、そして自身も思い込み続けていかねばならないのだ。
そして、その思想の精神的支柱にあったのが松本人志だ。彼はM-1やキングオブコント、IPPONグランプリ、ドキュメンタルといった場において"お笑い"という物の絶対的な価値を担保し続け、かつ自身も素人とは圧倒的な差があると言い続けた。
が、そんな松本人志も今はいなくなり精神的支柱と"お笑い"そのものの価値の担保を失った彼らお笑い芸人と一般人との間で"お笑い"に対する価値観のズレ。が最早無視できない形として現れてきてしまっているのでないか。
そういった、価値観のズレ。を認めたくないのか触れない方が得なはずであるのにチョコプラ松尾を擁護する同業者も多い。が、今後更にお笑い芸人と世間との価値観のズレ。は拡大していくのではないかと思う。
前にアマプラ独占で松本人志が「ドキュメンタル」を配信してた時期、Amazonにアクセスすると見たくもない松本の顔がトップに出てきて本当にうんざりした。
どうせ今回も、地上波じゃできないような悪趣味な企画をやるんだろう。独占プラットフォームなら勝手にやってくれればいいと思う。
ただ、センスのある若手芸人はどうせYouTubeに出るだろうし、もし吉本が芸人にYouTubeをやらせず、ダウンタウンチャンネルみたいな吉本公式の枠内でしか配信できないようにしたら、
三上悠亜のあれって、
新しく買った服が野獣先輩の服と一緒と分かって即捨てたとか、
オレンジ色のキャップを買ったら参政党の党員が同じものを被っていて使い辛くなったとか、
新車を買って納車を待っていたらひろゆきがその車種をベタ褒めする動画を上げてなんかひろゆきの影響で選んだみたいに思われそうで嫌だとか、
ちゃんとしたスタジオで家族写真を撮ることになり、いい値段のスーツを購入したらそのスーツが松本人志とコラボして最悪な気持ちになったとか
そういうことじゃないの?
「こいつとおそろいは嫌だ」って人とおそろいになってしまったっていう話で
そう言ってる人も自分の一生の記念にする予定で買ったものが、自分の嫌いな人間とコラボしたら「こんな奴をアンバサダーにするな!」って大反発するんじゃないだろうか
いいや俺はしみけんだろうとコムドットだろうと麻原彰晃だろうと誰とおそろいになってしまっても絶対に嫌がらないし誰にも文句も言わないねって言う人しか文句言う権利なくない?
件の飲み会・パーティが頻繁に開かれていたのは事実だが、自分はその参加者らとその場で性行為に及ぶことは一切なかった。
そのような行為は、一度たりともない。
このような嘘の告発は綿密な調査をしていれば必ずその嘘が判明するはずなのに、その嘘の主張をそのまま記事にしている。
これはすなわち文春側も告発者側と共謀して、嘘の記事で自分を陥れようとしているのである。
これが出来なかったのは松本側が文春が確たる証拠を隠し持ったうえで記事を書いているはずだ、と文春を過大評価したがゆえであろう。
松本側は、一切を否定したときには、具体的な証拠を文春側が提示してくるのだろうと、間違った予想をしてしまった。
松本側
いや、やっていない。
やっているというなら証拠を出せ。
文春側
具体的な証拠は出せない。
ひたすら風聞だけで記事を書くのみ。
また海外の事件だが、過去のセクハラを9件も、それぞれ別々の告発者から訴えられたケビン・スペイシーがすべての裁判において完全勝利した例を引き出せば、さらに説得力が生まれただろう。
ひとつの教訓として言えること。
あまりに古い事柄に関する文春の告発記事に具体的な証拠なんてない。
ジャニさんですら、乗り切れたのだ。
犯罪性が極めて薄い、もしくは犯罪性がなかったはずの松本が乗り切れなかったわけはない。
それは過大評価です。
それで大抵は乗り切れます。
https://www.news-postseven.com/archives/20250627_2049167.html
雑に言えばセクハラ、パワハラの延長線上にある性被害という感じで、
基本的にこういったことが起こる原因には、ハラスメントを行う側が構造的な歪みに無自覚な場合に起こりやすいけど、
更に言えば、この場合文字通り無自覚というより、「薄っすらわかってるけどあえてそこは知らない振りをしてる」というなんともいえない気持ち悪さを感じる。
自分の立場が生む圧に無自覚な振りをする人というのはいて、「俺はそういうの抜きにしたいし仲良くやろうよ」とか言いながら、いざ自分の立場を無視されると拗ねたり怒ったりするのだ。
その点で松本人志と中居「くん」はとても似てる面があるなと思っている。
人間的な資質でいえば「相手への思いやりにかける」とかいう単純なことではなくて、
自分の立場から生まれる圧を、知らんぷりをしながら大いに利用するというのはたちが悪い。
そしてあくまで自分自身も知らない振りをして本人は自分は悪い人間ではないという気持ちがあるので、「そこまで酷いことしたか俺?」という憤りを半ば本気で感じてたりするのだ。
メールのやり取りにもそれがすごく出ていて、相手からハッキリと「私は辛い」と言われた後、とにかく自分の保身しか考えていないのがダダ漏れしている。
どんなものであれ、若い女の着けているものは必ず欲情の対象になるということを示す例としてネットで好んで使われてる逸話あるじゃん
「セーラー服はもともといかつい軍人の服を着せて少女を性欲から守るために制定された」という有名な話
デマです
セーラー服を子供が着るようになったのは1846年のイギリスのアルバート皇太子が下士官制服を着たことに由来する
男児の服だったわけだがズボンをスカートに替えて女児も着ていた
1900年代に入ると海を越えてアメリカでも女学生のセーラー服が流行
日本はこれを真似したというわけ
"いかつい軍人の服を着せて少女を性欲から守る"という流れはどこにもない
「メイド服は隠し子問題が起きないように色気のない服として設計された」というバズったツイートももちろんデマ
白と黒のあのメイド服はヴィクトリア朝時代に成立したものだが、これがメイドを性欲から守るためというのは増田の知る限り英語圏の文献を漁っても書いてない
As a general rule, ladies do notlike to see their maids dressed in the clothes they themselves have worn - except in wearing a black or a dark-coloured silk - thedifference in the socialscale of mistress and maid renders this unpleasing.
Cassells Household Guide, c.1880s
ざっくり言うと「女主人は自分のドレスが使用人ごときとカブるのが嫌だから絶対カブらない服を着るように」と書いてある
「エロ」の英雄物語のために、ありもしない「エロの敵」との輝かしい戦いが作り上げられたというわけだ
ドスケベ❤️Hentai❤️なご主人様が清楚でかわいいメイドに手を出すのを美談扱いしたんなら