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37年前の攻殻機動隊に現実は追いついた? 士郎正宗氏明かすAI論構成・御船紗子2026年2月14日
AI(人工知能)をはじめとする技術と人がともに生きる世界を、37年前に描いた漫画がある。「攻殻機動隊 THEGHOST IN THE SHELL」(講談社)だ。その後、アニメ化されて世界的な人気を集め、ハリウッド映画の原作にもなった。今年7月には新アニメシリーズの放送も予定され、世界観を再び広げようとしている。漫画作者の士郎正宗氏は人びとの生活や職場にAIが急速に入り込んでいる現代をどう見ているのか。朝日新聞の書面インタビューに応じた。
・士郎氏が現代を描くなら
――攻殻機動隊の連載を始めた1989年当時は、まだインターネットが一般的に普及していませんでした。しかし、作中の世界はネットやAIが社会に浸透し、脳をネットでつなぐ描写もあります。この世界観はどのようにして生まれたのでしょうか。
小型で高性能のバッテリー、コンピューター関連の技術の急速な発達、高度な通信インフラ。当時はどうなるかわからない技術もありましたが「なんとかなるか~」と目を瞑(つむ)って設定したら、このような世界観が出来ました。生体、特に脳への侵襲技術(物理的なダメージを伴う技術)は「医療分野以外だと実際には進まないだろうな」と思いつつ、架空の物語なので描写する選択をしました。貧富や技術の格差両面を描写するよう気をつけました。
生活や仕事を便利に支援してくれるレベルに手が届いてありがたい半面、善良ではない目的でこれを利用する人達もいます。他の多くの技術と同様に多くの問題・課題も生じるし、対策も必要かと思います。人工知能はそうした対応策の検討や実施にも役立ってくれるでしょうから、有効活用するのが良いかと思います。
暮らしに広がるAI、加速する進化 「脳の本丸」への接近には危機感
人間における魂や心とは
――本作には枠外に多くの「補助説明文」が書き込まれ、読者が作品の世界観を理解する手助けをしています。この説明文によれば、主人公の草薙素子少佐が言う「ゴースト」という存在は、神道における八百万(やおよろず)の神のような存在だと理解できます。現実世界に氾濫(はんらん)するAIやその他多くの電気通信、データセンターのサーバーにも、ゴーストは宿ると思いますか。
人間はそもそも認知機能や心的原因から、壁のシミや木目に顔や人影を見いだしたり、現象の乱雑さに非偶然性を感じたりする想像力豊かな生物です。人工知能が単に文章や画像を統計処理して、あたかも人格や心があるかのような姿をし、人格や心があるものの手によって作られたかのような会話応答をした場合でも、実際にその人工知能に心と呼べる機能があるか否かとは関わりなく、人はそこに意思や心を見ることがあると思います。
人間における魂や心とは何か。定義や、構造の解明が可能になって、その機序(メカニズム)を踏襲または応用した人工知能(身体性を持つこと込み)ができて、さらに十分な学習が進めば、ゴーストは宿りうるかもしれません。しかし、現在のようなサーバーを積み上げるだけでは難しいかもと思います。
――作中に登場する天才ハッカー「人形使い」は、サイバー空間で生まれた生命体です。現在のAIや、サイバー空間に在る「なにか」が人形使いのように自我を持ち、ゴーストを持つことは可能だと思いますか。
どういった条件を満たしたら「ゴースト」と呼べる現象か、定義が必要です。また、どういった条件を満たしたら「自我」と呼べる現象かも、定義が必要です。
しかし、前出のゴーストに関する問いと同様に、それが可能か否か、実在するか否かとは全く無関係に、人がその存在を感じる(存在すると主張する)ケースはあり得ると思います。世の中には色々な人がいますので……。
士郎氏の補足説明文によると「霊魂とでもいうべき」もので、人格を形成する存在。森羅万象にゴーストは宿るともされる。作中の優秀なハッカーは、脳をネットワークでつなぐ「電脳化」で、他者の人格をつかさどる部分へ侵入する「ゴーストハック」ができる。草薙素子少佐が「そうしろとささやくのよ 私のゴーストが」というセリフは、劇場版やテレビアニメシリーズでも名シーンとして描かれ、知る人も多い。
――現実に人形使いのような自我を持つAIが誕生した場合、私たちはどうすればいいのでしょうか。
どういった環境下で何を学習してきたかによって、あるいは誰に何を教え込まれてきたかによって、その人工知能が何をしようとするか変わってくると思います。
そのようなものが登場するよりも前に、「出来るだけ多くの人間がQOL(生活の質)を高くして生きられる方が良い」「戦争を避けたり犯罪を減らしたりした方が良い」などの、人間社会にとって都合の良い指向性を持った人工知能を育て上げることです。
最高性能を維持し、「ヘンなバイアス(偏向)のかかった人工知能」や「人工知能を使って悪事を働こうとする人間」が登場しないように、あるいは、登場しても抑制可能なように備えるのが良いかと思います。
重要キャラクターの一人。電脳化した他者の脳に侵入して人形のように操る「ゴーストハック」が可能な「電脳犯罪史上もっともユニーク」と称されるすご腕のハッカーで、正体はゴーストを持った謎のプログラムだ。本人は「AIではない…私は情報の海で発生した生命体だ」と語る。
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「攻殻機動隊 THEGHOST IN THE SHELL」の扉絵©士郎正宗/講談社
愚かさ、浅ましさも「人間らしさ」
――本作5話「MEGATECHMACHINE」の最後のコマには、「そんなに人間と同質なロボットが創れたらそりゃロボットじゃなく人間なんだよね! 違うのは外見だけ… (差別すんなよ)」というフチコマのセリフがあります。人間を人間たらしめる定義とはなんでしょうか。
漠然と他の生物種や機械と比較して、一般には高度な心的活動や感情、社会性、優しさ等々が「人間らしい」と評されることが多いと思います。が、愚かさや残虐性、浅ましさ等々もまた「人間らしさ」なので、個人的には「人間らしさ」という言葉をあまり肯定的に捉えてはいません。
人間はいまだ弱く臆病なお猿さんのままなので、より刺激が強く危険に関わる情報、つまりモメ事や扇動の情報、虚偽情報や誇張表現、悪口などの方が、穏やかでささやかな問題のない情報と比べて、より速く広く伝わり、脳内に強く影響を及ぼす上、お金にも化けやすいようです。
人工知能が人間の良い面をより強く学習し、より良いものになるよう、放任ではなくきちんと「子育て」しないと、超絶高性能な詐欺師や愉快犯になって、人間はそれに振り回されるかもしれません。
AIを搭載したロボットで、公安9課で使われている。主人公らの移動手段となるだけでなく、「相棒」として様々なサポートに回る。感情豊かな言動で読者を和ませるマスコット的な存在でもある。アニメ版では「タチコマ」として登場する。
――本作は未来の科学技術を描きながら、ゴーストという精神的、宗教的なテーマも根底に流れています。科学と宗教の関係をどうとらえていますか。
人工知能に「人間は猿から進化したのか、神が作ったのか」と質問して、どう答えるかが「科学と宗教の関係」かと思います。生物学的な進化の有り様、奇跡のような複雑さに「神の御心(みこころ)や偉大さ」を見いだす、くらいソフトだと害が生じなくて良いのですが…。
――本作をはじめとする日本の創作では、AIを擬人化して描くケースが多く見られます。欧米では、AIは便利な道具として扱われています。AIに対するとらえかたには東洋と西洋で違いがあると言われていますが、どのように考えますか。
文化基盤に大きな影響を及ぼしている宗数の型によって考え方に違いが生じる可能性はあります。しかし、東洋でも西洋的な人はいるし、西洋でも東洋的な人もいます。地理的な区分や、国や各研究機関の指針が全てを規定しているというわけではないと思います。「可能性を追求したい人」「管理して何かに役立てたい人」「商業的利益を追求したい人」など様々かと……。
――仮にAIに対するとらえ方が東洋と西洋で違うとして、本作に登場するような「東洋的」なAIは生まれると思いますか。
広範な自律学習を行う人工知能に限って考えれば、「中国13億人・インド14億人」を統計学習すれば、屁理屈の上では「東洋的な人工知能」が出来るはずです。ただ、「中国は共産党管理下、インドは多言語・多宗教・多民族」であることから、統計的な回答を得ると「東洋的な価値観」というのがどのようなものになるかはよくわかりません。
単純に人口だけで考えると、全人口に占める東洋系の人の割合はおそらく最大なので、人工知能が地球全体・全人口を相手に統計学習をするのであれば、その人工知能は東洋的な傾向を帯びる可能性があると思います。
実際には人口ではなく「取得可能な情報の総量」が学習の対象になるでしょう。人口イコール学習対象量というわけではないし、文化的な差に加えて情報化格差・インフラ格差も大きいため、人工知能が獲得しているバイアスがどういったものを反映しているかの推測は難しいかもしれません。
擬人化を東洋的と捉える場合は「文章&画像の統計処理」は「人間の映し鏡」なので、人工知能は既に非常に「人間的」であると言うことも可能かと思います。
写真・図版
士郎正宗氏の作品「攻殻機動隊 THEGHOST IN THE SHELL」©士郎正宗/講談社
――現代のAI研究者の中には、人間そっくりのロボットであるアンドロイドは倫理的議論を呼ぶため、作るべきではないと考える人もいます。どう思いますか。
まずは倫理的議論をするところから始めるのが良いと思います。広範な議論もせずに自己の結論だけ強固に主張するのはあまり倫理的に適切な行いとは……。
個人的には「宗教的な理由で反対する方々」を否定する気はありません。各人の思想信条、宗教は自由です。ただ、医師の横手に座っており患者の会話に合わせて時々うんうんとうなずいてくれるだけのアンドロイドの心理的な有用性や、介護現場における小さな人型・動物型ロボットなどを無条件で否定するのはいかがなものかと思います。
逆に、人型である必要性よりも、腕や目はもっと多くあった方が様々な作業に役立つのではないかとか、生活支援に最適化するにはどのような形状が望ましいか。高齢者を抱きかかえて安全に移動したり、特定の農園で働いたりするのに適切な機能を有する形状とは何かなどを考える方が面白いし実用的な意味があるのではないかとも思います。
娯楽分野で生きている僕個人としては「アンドロイド」に特に倫理的な問題があるとは感じておりません。見た目が怖いのは遠慮したいですが……。
あなたは人?その目玉は問う 3.6秒に1人が加わる「人間の証明」
――人間とAIが共生していくこの先の未来について、楽観的ですか、悲観的ですか。
悲観的に備えて楽観的に対処するのが良いと思います。怖いのは人工知能ではなく、「人工知能を使って悪いことをしようとする人間」の方かと。
人間社会において、不満や不実に囲まれ、虚構や妄言に偏執し、議論や検証を怠るタイプや、短絡的で暴力的な傾向があるタイプの人間にどう向き合うか。悲観・楽観以前に、人工知能やインターネットの有無に関わらず解決すべき課題が山積しています。
加えて人工知能やインターネットという強力な汎用(はんよう)ツールが登場したことで、問題の解決がより困難かつ容易になっていると思います。
あるいは、医療系や法務系で人工知能化を進める場合は、人的な余力があるうちから、より慎重かつ丁寧に検証と学習を重ねていく必要があるのではないかと思います。人手が減って切羽詰まってから慌てて導入し始めるのは、色々と好ましくない可能性があるかと思います。
――2025年の世界では、人間とAIを識別するために瞳の虹彩認証をとりいれるなど、共存のための模索が続いています。大阪・関西万博では、個人の特徴をAIに移した「もう一人の私」と向き合う展示もありました。士郎さんなら、今の世界をどのように描きますか。
識別と共存は別問題かと思います。情報が蓄積し続け、人工知能の自律学習が進むと、境界に意味はなくなります。既に境界が無くなっている方々もおられるかと思います。通信端末に映る画像や文章が人か否か、真実か虚構か、識別は不可能になり、また不要になると思います。
個々には深刻な問題も生じうると思いますが、一つ一つ対応していくしかないと思います。「統計的な人間の影(もう一人の私たち)」が相手でも、それなりのQOLで生きて死ねるなら、それも選択肢の一つとして悪くないのかもしれません。不景気で理不尽で孤独な人生よりは好ましいと思います。誰と(あるいは何と)どのように共存し、認識するかは非常に個人的なことなので、無理に枠をはめたり規制したりしようとしてもなかなか難しいのではないかと思いますが……。
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「攻殻機動隊 THEGHOST IN THE SHELL」の扉絵©士郎正宗/講談社
書面インタビューの最後には、士郎正宗氏から次の追記が添えられていました。
生成AI自体が問題というより、それを使う人間の諸問題を解決するための助言を得て、役に立ってもらう方が有用かと思います。人間社会自体が良くならないと、人間の諸活動や知見を統計的に学習している人工知能も良いものに育つのが難しいと思うからです。「良い社会」とは何か、人工知能の知恵(?)を拝借して(つまり人間の知恵を結集させて)、共に各人で考えて頂きたいと思います。
士郎正宗氏が1989年以降、「ヤングマガジン海賊版」(講談社)などで連載した漫画作品。近未来の日本にある架空の都市を舞台に、「義体」と呼ばれる機械化された体を持つ草薙素子少佐ら「公安9課」が、AIやアンドロイドを駆使し、時に対峙しながら国家の危機に立ち向かう姿を描く。作中の世界では機械と人との違いがあいまいで、脳をネットワークでつなぐPermalink |記事への反応(1) | 08:04
舞台は、とある東洋の島国。100年の長きにわたる「永田町王朝」が揺らぎ始めていた。長年党を支えてきた伝説の守護神・シンが突如として姿を消し、残された後継候補の筆頭、鉄の意志を持つ女性政治家・サナエが党を立て直そうと奔走する。
【あらすじ】
「開かずの金庫」の秘密
サナエは党本部の地下深くに隠された「開かずの金庫」を発見する。そこには、シンが長年守り続けてきたとされる、国家を揺るがす秘密が詰まった「黄金の壺」が隠されていた。
壺に秘められた魔力
その壺は、ただの美術品ではない。献金を吸い込み、選挙の票へと変換する「政治の錬金術」を可能にする呪物だった。しかし、壺の所有が世間に露呈すれば、内閣総辞職は免れない。
壺隠し大作戦
ある日、野党と週刊誌の記者たちが「壺」の存在を嗅ぎつけ、党本部に突撃取材を敢行する。サナエは、シンに忠実だった秘書たちと共に、壺をダンボールに詰め、おにぎりの中に隠し、時にはドローンに乗せて飛ばすという、前代未聞の「壺隠しドタバタ劇」を繰り広げる。
総裁選の当日。サナエは壇上に立つが、背後には隠しきれなくなった壺の影が迫る。彼女は壺を捨てるのか、あるいは壺の力を借りて頂点に立つのか。最後に明かされるシンの「遺言」には、驚愕の真実が隠されていた――。
【キャッチコピー】
「隠しきれない、この愛(票)と欲望。」
「信じる者は救われる。ただし、壺を買えば。」
西暦202X年、日本の政治地図は未曾有の地殻変動に見舞われた。リベラルの旗手「民主党」と、平和の党「公明党」が、国家の分断を回避すべく電撃合併を宣言したのである。
その綱領は「友愛と慈悲の融合」であり、結党と同時に党内に設置された出版局、「民明書房」は、単なる広報機関を超えた存在へと変貌を遂げていった。彼らが社運を賭けて刊行したのが、超大作大河小説『龍魂鳳鳴(りゅうこんほうめい)』である。
この小説は、古代アジアの叡智と現代の民主主義、そして東洋の精神性を、重厚かつケレン味あふれる文体で描き出した。特筆すべきは、民明書房独特の「架空の歴史的事実」をさも実在するかのように織り交ぜる叙事詩的技法である。
「パンダの白黒模様は、宇宙の陰陽の調和を具現化した聖なる印である」
こうした記述が、科学的根拠を超えた「魂の真実」として、SNSを通じて中国全土に爆発的に拡散された。北京の知識層から四川の農村に至るまで、中国の人々は「これこそが失われた我々の精神的源流だ」と涙し、民明書房の書籍は聖典として崇められるに至った。
この熱狂は外交の壁を軽々と飛び越えた。中国政府は民明党に対し、最大級の敬意を表する「精神的同盟」を提案。その親善の象徴として選ばれたのが、世界で最も愛される親善大使、ジャイアントパンダであった。
しかし、送り先に指名されたのは上野でもアドベンチャーワールドでもない。埼玉県さいたま市、「大宮公園小動物園」だった。
理由は『龍魂鳳鳴』の第12巻にある一節、「武蔵の国、大宮の地こそが、龍の脈が交差する最強の聖地なり」という民明書房独自の解釈を、中国側が真に受けたためである。また大宮公園のカピパラ「ピースくん」が中国人のアイドルだった可能性も捨てきれない。
貸与式当日、大宮公園は熱狂の渦に包まれた。民明党の代表は、民明書房特製の「パンダ用・竹の葉煎じ薬(※もちろん架空の漢方)」を携え、中国代表と固い握手を交わした。
大宮の小さな動物園に、突如として出現した「パンダ舎」。そこには、氷川神社の森の空気を吸い、のんびりと笹を食むパンダの姿があった。その背後には、民明書房の巨大な看板が掲げられている。
この日、大宮は世界一の観光地となり、民明書房の出版物は世界中で翻訳され始めた。人々の心は、政治や国境ではなく、一冊の「あまりに壮大な法螺話」によって、一つになったのである。
日本銀行(日銀)の本店を東京から大阪へ移転させるという構想は、単なる地方創生の一環に留まらず、日本の国家構造を根本から見直す「究極のリスク管理」としての側面を持っています。
政治、経済、BCP(事業継続計画)、文化など、多角的な視点からその妥当性を論じます。
日本が直面する最大の懸念は、首都直下地震です。東京に一極集中している現状では、日銀が機能不全に陥った際、日本全体の決済システム(日銀ネット)が停止し、世界的な金融恐慌を引き起こす恐れがあります。
現在も大阪支店にバックアップ機能はありますが、本店そのものを大阪に置くことで、東京が被災しても「日本の心臓」が止まらない体制を確立できます。
東京と大阪という約500km離れた拠点が対等な機能を持つことで、広域災害に対するレジリエンス(復元力)が飛躍的に向上します。
現代の安全保障において、中央銀行はサイバー攻撃や物理的攻撃の最優先ターゲットです。
一撃による麻痺の回避:政治(首相官邸・国会)と金融(日銀)の拠点が同じ千代田区内に密集している現状は、国防上極めて脆弱です。これらを物理的に引き離すことで、国家機能が一度に壊滅するリスクを低減できます。
東京一極集中は、地方の衰退だけでなく、日本全体の経済成長を抑制している側面があります。
国際金融都市・大阪の復活:日銀本店が大阪に移転すれば、国内外の金融機関が拠点を構え直し、大阪は再び「東洋のウォール街」としての輝きを取り戻します。
関西圏には優れた製造業やバイオ産業が集積しています。日銀が鎮座することで、これらの産業への資金供給ルートが太くなり、東のサービス業・IT、西の製造業・技術という「経済の両輪」が完成します。
「東京が全て」という価値観からの脱却は、長年の政治的課題です。
地方分権の象徴:日銀という最も権威ある機関の一つが移転することは、官公庁の地方移転を加速させる強力なメッセージになります。
現場の経済感覚が東京(官僚・IT・大企業)だけでなく、大阪(中小企業・商人・グローバル製造業)の視点を取り入れることで、より実態に即した金融政策が期待できます。
職員にとっても、過密な東京を離れるメリットは無視できません。
東京に比べ家賃が安く、職住接近が可能です。豊かな食文化や歴史的資産が身近にある環境は、職員のメンタルヘルスやクリエイティビティに寄与します。
関西圏は教育水準が高く、多様な選択肢があります。生活コストが下がることで、実質的な購買力が向上し、優秀な若手人材の確保にも繋がります。
大阪はもともと「天下の台所」であり、江戸時代には世界初の先物取引所(堂島米会所)が誕生した金融の聖地です。
金融の歴史的ルーツである大阪に日銀を置くことは、日本の経済的伝統を尊重することに他なりません。
新しい「粋」の文化:東京の「洗練」とは異なる、大阪の「実利と合理」の文化が日銀の組織文化に混ざることで、より強靭で柔軟な組織へと進化するでしょう。
日銀の大阪移転は、単なる拠点の移動ではなく、「東京依存からの卒業」を意味します。震災や有事という「もしも」に備えつつ、平時においては経済を多極化させ、日本全体の底上げを図る。この決断は、次世代に対する最大の投資となるはずです。
子「はい…まず炉を暖めるところから始まり、宙に東洋の龍を象った火薬を浮かせます。そして炉から火を持ってきて」
師「龍?」
子「はい。共産主義者の悪魔と契約しているので、中国っぽいものを見せる対価に魔力をアンプしてもらうんです」
師「悪魔って共産主義になっても積極的に商取引を行うんだねぇ…彼は本当にまだ龍が好きなのかい?ここが弱ってる気がするんだよね」
子「窓口に聴いてみます…ああ結構気分屋らしくて、今は紫色のカエルのガマグチポーチが良いみたいです」
師「なんだそのトンチキ装具は…tOmuにでも売ってるのか」
子「(ここにtemu構文が入る)。皮膚に触れてはいけない成分がふんだんに入っているのも悪魔的に良いらしく…」
師「ともあれ、ここは日次で更新していきたい部分だね」
日本人はマナーがいいのではなく、コミュニケーション能力が低くコミュニケーションコストを払う能力が低い
だから、これをしたら怒られる、といった脅しでの行動抑圧に従っているだけで、マナーがいい以前の自分で礼儀を考えるレベルに達していない
東洋でも西洋でも日本ほどやたらの注意アナウンス、注意書きがある国はなかった
常識で考えれば、電車のドアが閉まる時に挟まれるほど不注意な人間は電車に乗るべきではない
挟まれるのも自業自得の恥なので、普通の国ではそんなことを注意しない
大きな声を出すな、といいながら日本人は居酒屋や集団では異常なほど大声をだす
日本人はマナーがいいのではなく、自分でものごとのいい悪いを考えるレベルの教育を受けておらず、ただ怯えているだけの群れて吠える弱虫だ
世界各国の人がみんな日本のことを知ってるとか日本のことをすごいとか日本人は素晴らしいとか、日本のニュースを世界はこう報じてるとか、
日本人ほどそういうの自画自賛して異常に気にしてる国民って他になくない?
いちいちそういうのを外国人観光客にしつこく聞いたりして、恥ずかしいと思わないんだろうか毎回首をひねらざるを得ないんだよね。
なんならアジアに日本という国があること自体もほとんどの連中は知らないし。
東洋の無名な一小国のことなんて、物好きな観光客以外、一生涯でほぼ一瞬でも思いを巡らすわけないのに。
…ポケモンなら皆知ってるって?
『ドラゴンボール』における飛行能力は、単なる超人的身体能力の延長ではなく、東洋的な仙術観に基づく象徴的な技法として描かれている。本稿では、亀仙流と鶴仙流の対比を陰陽思想の枠組みで整理し、弟子世代において両者が統合される過程を考察する。
ドラゴンボール世界における飛行は、舞空術や筋斗雲に代表されるように、気の操作や霊的資質を前提とした能力である。これは道教的な御風術や駕雲の概念と深く結びつき、身体能力ではなく精神性・修行の深度によって可能となる仙術的技法として位置づけられている。
亀仙流は、地道な肉体修行を重視し、基礎力と人格の涵養を中心とする流派である。亀は東洋において大地・長寿・忍耐を象徴し、陰の性質を帯びる。亀仙人自身は高徳の武人でありながら、色欲に弱いという人間的欠点を抱える点も、地に根ざした“俗”の側面を示す。飛行能力を持たないことも、地の象徴としての性格を補強している。
鶴仙流は舞空術を中心とした技巧的な武術を特徴とし、気の操作による飛行を当然の技として扱う。鶴は天・霊性・軽さを象徴し、陽の性質を帯びる。鶴仙人は高い術を操る一方で人格的には邪悪であり、徳を欠く存在として描かれる。これは東洋思想における「術に偏り、徳を欠いた仙人」の典型像に重なる。
悟空・クリリンら亀仙流の弟子は、地道な修行によって基礎力と徳を身につけつつ、後に舞空術を習得し、天の要素を取り込む。一方、天津飯・餃子ら鶴仙流の弟子は、当初は術と技巧に偏り、人格的未熟さを抱えていたが、亀仙流の徳と努力に触れることで精神的成長を遂げる。両者は互いの不足を補い合い、陰陽の要素を相互に取り込むことで、より高次の武の境地へと至る。
東洋思想において、陰陽は対立するものではなく、相補的に統合されるべき原理である。亀仙流と鶴仙流の弟子世代は、陰(地・徳・基礎)と陽(天・術・飛行)の双方を兼ね備えることで、武の道の完成形に近づく存在として描かれる。この構造は、ドラゴンボールが単なるバトル漫画ではなく、東洋的世界観を内包した作品であることを示す。
ドラゴンボールにおける飛行能力は、仙術的世界観に基づく象徴的技法であり、亀仙流と鶴仙流の対比は東洋思想の陰陽構造を反映している。弟子世代における相互の成長と技術の交換は、陰陽の合一という東洋的テーマを体現しており、作品の深層に文化的・思想的背景が存在することを明確に示している。
白人たちが口裏を合わせて「これは差別なんだ」と日本人に刷り込んでいて
最初は「なんで謝ってるんだろ」「そういう差別があるのか」と戸惑っていた日本人たちも
次第に吊り目ジェスチャーに本気で怒るようになっていったところでネタバラシ
鏡に映った自分をみたら、つい「どっちが自分だ」って思うの何千年前から言われとるわな
自分のことを客観視するか、自分をみている他人の視点を装ったら、見てるそれは誰なんだってね
相対的にそれらを見てる自分が自分だってことを表現する言葉がなかったというかそれが「自分」だからしょうがない
自分という視点が「自分だ」と発言する人間にあるわけだからそれぞれに自分と自認する個人が増えるだけ
「他人からみて、他人の定義に合致する人間がどちらか」ってなると全然別の話だから
「人権が1つあってそれは分けることができない、しかし該当する人間が二人になったらどちらに人権があるのか」
みたいな話をするとそれを定義するやつ次第ってことになるわけで、授与される権利をもつ人間が獲得の手段をもってるわけじゃない
自分が自分(相手)の権利を得るとすると相手(自分)からは奪う事になるから、結局自分で自分の分身(相手)から人権や人生や存在意義を奪うことになるから
自分の分身と出会って「自分だ」と認識することによって存在そのものを含むすべてを自分が取り戻そうとして奪ったりすると結局それは自分から自分のすべてを奪う事になる
ということは自分から自分の存在を自分で全部奪うことになるやんね
それって「自分と出会うと消滅してしまうってコト?!」ってやつやね
実際の話でいうと
「つまみぐいをしようとしている(なにかを得ようとしている)人間の後ろ姿を、つまみぐいしようとしたタイミングの自分が見つけたので撃った(否定した)ら、自分だったのでEND」
みたいな
「特大ブーメランが返ってきて自分にあたらないように直進にしたけど、投げた先にいたのが自分で命中」
みたいな
自分のものやコトやら存在やらもってるものを「自分のだ!」って執着すると結局自分を否定して滅ぼすぞって意味で
存在をみとめてこの世に残すためには執着をなくすことだみたいな話にもなるやね
おまえが撃とうとしてるそいつは、おまえ自身じゃないのか?って注意喚起とかね