
はてなキーワード:東北新幹線とは
盛岡から北に行くには2通りのルートがあることは八幡平市のエントリで書いた。青森方面に行くのにどちらを通るべきかは過去にいろいろなことがあって、鉄道は東寄りのルートを通って八戸回り、高速道路は西寄りのルートを通って弘前回りのルートを主に通っている。今回国道4号は盛岡から少し北に行ったところで鉄道(東北線)寄りのルートを通るのだけど、つまりこれは高速道路経由では微妙に不便な場所があるということでもある。
その最たる場所が岩手町。県名と郡名と町名に全て岩手が入るということを売りにしている町である。鉄オタにはこの名前よりも東北新幹線乗降客数ワーストを誇る"いわて沼宮内駅"の方でおなじみかもしれない。まあこの町の観光資源の8割はこの駅近辺にある。駅から20分ほど北に歩いた4号沿い、石神の丘美術館がまあ観光中心部。一言で言えば箱根彫刻の森の類似施設(開館当初は密接な関係もあった)なのだが、現在は独自路線を歩んでいて花畑等も多いので特に初夏が見どころ。あと真下を新幹線が通るところが個人的にはお勧め。ここは道の駅に併設されていて(道の駅を後から作った)、来る人は道の駅に停めることになるけれど、有料入場がもったいないと思う向きは入口を反対側に登ったところにある彫刻公園にも石彫の彫刻が山程飾ってあるので無料のそちらを見ることも出来る。というか両方見るべきかと。
4号を北上するとき沼宮内に行く前のところに川原新田ドライブインという施設がある。斜向かいのパチンコ屋に関連の深い施設ではあるのだけど、ここが古き良きドライブインの雰囲気を残しているので食事をしたければここに寄るのもいい。さらに沼宮内を越えて北上すると北上川の源流にたどり着く。ここは少し前に川の駅として整備されたので車を停めやすい。源流だし国道4号からは少し外れるけれどそこまで山奥ではなく行きやすい。
岩手町の名物はキャベツとホルモン鍋なんだが、キャベツはともかく、ホルモン鍋は肉屋が持ち帰りの肉として売っているばかりでここで食べるのは難しい。調べたら定食として提供している店が1軒見つかったが、自分も現地で食べたことはない。
岩手町の沼宮内の北の端から国道281号を入ると葛巻町にたどり着く。これが久慈市へのルートで安全だがお勧めしない、と説明した葛巻経由ルートだ。推す観光地はあまりない(いちおう平庭高原という観光地はあるが関東近辺から比べると施設は何もないに等しい)。ただ、くずまきワインは赤ワインの中に山ブドウを原料にしたものがあって、これは少し珍しいかもしれない(白とロゼは山ブドウから作ってないし、赤ワインの中にも山ブドウの混合だったりブドウが原料のものも多い)。
さらに北上すると一戸町に入る。南から入って一番最初に着くのは奥中山で、ここは盛岡市民にとって最も近いミニストップがある場所だったのだが閉店して随分経つ。少し先に行くと奥中山高原駅があり、この辺が奥中山地区の中心であり、カフェもいくつか存在する。観光の中心はここから西に登った奥中山高原スキー場で、もちろん歩くには遠いが車なら10分かからない。春から秋にも釣り堀と温泉が楽しめる。さらにここからもう少し奥に行くと"いわて子供の森"という児童施設があって県内の子連れには大好評の場所なのだが、たぶん観光で県外から来た人が楽しい場所ではない。
奥中山は峠の山頂にあるような場所で、ここから北上するとずっと下り坂である。途中に"雅"というドライブインがあり、ここの評判も非常にいい。自分も2度ほど利用したことがある。さらに下ると無人駅小繋駅があって、ここは映画"待合室"のモデルになった駅であり今でもそのきっかけとなったノートは置かれているらしい。さらに下ると小鳥谷駅。ここは映画"星屑の町"のロケ地だが、この近辺の見どころはここよりもその手前を曲がったところにある藤島のフジ。大きな藤棚で、花の見頃はだいたい5月。この時期には車でけっこう混雑するが、せいぜい岩手なりの混雑なのでそこまで心配しなくていい。その少し北には世界遺産を構成する御所野遺跡がある。たぶん皆が歴史で習ったのとは違う形の竪穴住居が屋外に展示してある他、奥の方には博物館もある。ここは是非ガイドツアーに参加して欲しい。春から秋なら土日祝およそ1時間毎に1度、無料で参加可能(それ以外の季節、時間帯は要予約+有料)。ここから一戸の市街地まではすぐそこ。そして市街地の北の端で国道4号は八戸自動車道と交差し、一戸ICがある。
旧浄法寺町へ一戸から行くにはさらに北の鳥越近辺から県道に入るのが一般道ルートだが、八戸自動車道経由で行くほうが絶対に楽である。ここには東北で最も古い寺である天台寺があり、浄法寺の観光資源の半分はここの住職だった瀬戸内寂聴絡みである。残りの半分が漆器・浄法寺塗で、これらの多くが天台寺に向かう道路沿いにある(瀬戸内寂聴絡みは少し離れたところの温浴施設と、浄法寺の役場の2階にもある)。
一戸から二戸市には2つのルートがあり、1つは素直に4号を北上する方法、もう1つは末の松山トンネルを通過する方法で、個人的には後者のルートが好きなのだが4号を北上したほうが格段にわかりやすい。このルートのせいで二戸は地の果てにありそうな印象を持つが、むしろこの近辺で最も大きいのが二戸市であり、平成の大合併の時には浄法寺を合併して二戸市として存続している。ただ、二戸駅で降りた人は二戸の何もなさに気がつくと思う。正直、二戸駅は二戸の市街地から2kmほど離れている。
二戸の観光地として最初にあがるのは馬仙峡である。市街地の南端にある夫婦岩を望む渓谷的な場所で、この夫婦岩のそばには二戸市を望む展望台があるが川沿いの公園から見たほうが断然いい。さらに言えばこの公園は桜の名所でもある。この公園のそば、と言いつつあんまり隣でないところに南部せんべいの小松製菓の工場があり、蕎麦屋とチョコレート工場、お土産店が併設されていて二戸の新たな観光地になっている。まあ個人的にはここのそばにあるドライブイン的な食堂、レストパーク馬渕川のほうが先に訪ねたほうがいい気もしているけれど。この南部せんべい店だけでなく二戸にはいくつか代表的な企業がまだまだ頑張っていて、それらはだいたい市内中心部にある。まずは南部美人。酒造会社で、コロナ渦の時には酒から消毒用アルコールを作って提供したことでも話題になった。ここは酒蔵見学に一味加えていて、要予約だが酒造りのコスプレ込みで記念写真のラベル込みのコースを提供している。もう1つはあべはん。たぶん聞いたことがないと思うが鶏肉の生産をグループで行っていて、やっぱり直営店が市内にある。もちろん鶏製品を買ってもいいのだが、ここで買うべきなのは実はお菓子チーズピッコロだ。二戸市民自慢の銘菓だったのだが今年始めに作っていた洋菓子店が閉業してなくなったのをこの会社が引き継いだのだ。
ソウルフード的なものはまだある。盛岡の福田パンと似た立ち位置のパンとして丹市パンというのが存在し、福田パンが盛岡の高校時代の思い出商品となっているようにこちらのパンは二戸の学生の思い出商品となっている。パンの風味は若干異なるが切り開いた間に種々のクリームを挟む形式で、個人的にはカレーが一番お勧めなのだがないときもしばしばある。たぶん一番の問題はここが学生の多く集う店ということで、駐車場が狭いので車で来るときは注意が必要。本当ならもっとソウルフードな店が二戸にはあった。どちらも"きんじ"という名前で、1つは市街地にあったラーメン店、もう1つは駅前にあった蕎麦屋だが、どちらも既に閉業している。ただ新しい店もしっかりあって、最近駅前から市街地に移転したフランス料理のボヌールとそれより前から市街地にあったイタリア料理のフルハウスはどちらもおすすめ。
市街地を北に外れてもう少し北に行くと金田一温泉がある。いくつもの宿があるなか最も有名なのは座敷わらしがいるという噂の緑風荘だと思う。以前は予約がないと泊まれなかった(そして予約が取れなかった)座敷わらしの間こと槐の間は、現在は共用スペースになっていて宿泊者は誰でも深夜に入ることが可能になっている。まあ、これは好きな人は、といった感じで。昼間だけだがここは日帰り入浴もやっている、というか金田一温泉は日帰り入浴受け付けている宿がけっこうある。
一戸ICから1つ先のICが九戸ICであり、九戸村の入口の1つである。ここの話は久慈への経路について書いた時に少しだけ書いた。葛巻町、(旧)山形村、軽米町に向かう結節点となる村である。ここの一番の見どころは、二戸の見どころとも言える折爪岳。車で頂上まで登ることが出来て、ここからの眺めが抜群。以前はここまで登ればAFNを聞くことも出来た。さらに7月にはヒメボタルの鑑賞会(要予約・有料)も開かれる。
九戸ICからさらに1つ先が軽米IC。軽米町の入口の1つである。ここの観光資源と言えば以前はフォリストパークという花畑だった(過去形で書いているが今でもしっかり営業している)。最近ここが注目されているのは、マンガハイキュー!!の背景にこの町の市街地の建物が多数採用されていることにある。このこともあって軽米町は軽米高校の文化祭の日(今年は10/18)に合わせて町民体育館を荷物置き場兼コスプレ着替え場所兼バレーボール体験場として解放するくらいのことになっている(なおシューズは持参・ただしバレー技術を磨く必要はないとのこと)。
日本海側に大寒波が襲って大変になった直後の土曜朝、鳥取砂丘のライブカメラで雪景色になってることを確認してすぐ
新幹線と特急乗り継いで鳥取に行って見渡す限り雪ばかりの鳥取砂丘見た。普通の鳥取砂丘見たことなかったんで
俺の初鳥取砂丘は雪景色だった。ちゃんとした砂丘もいずれ見たい。
なんでも自分の都合だけで旅程を組んで、自分の都合で予定を変更して、自分の都合で飲み食いして、自分の都合で宿を決められる。
アホみたいに高いホテルに泊まってラウンジで軽食にがっついてもいいし、
激安ホテルで宿代抑えて、その土地の名物にクッソ高い金払って豪遊してもいい。
北海道の冬を体験したかったらすぐ行けるし、兼六園が見たかったらすぐ行ける。
ただ、古くからの温泉宿とかは結構2人以上じゃないと泊まれないところとかあるんでそこだけ注意がいるかな。
近鉄の特急ひのとりのプレミアムシートに乗ってみるためだけに大阪から名古屋に移動したり、
グランクラス乗ってみたくて北陸新幹線や東北新幹線乗ってみたりな。
由布院にはチェシャ猫と戯れたり、フクロウを触れたりするところがあっていいぞ。
ふと思いついた時も、長い時間かけて計画したときも、旅はいいもんだ。
過去半年間に2度発生した東北新幹線の分離事故を受け、山形新幹線と秋田新幹線の併結運転中止に伴うダイヤ改正の可能性について、多角的な視点から検討を加える。
本報告では、安全性確保を前提とした輸送体系の再構築、既存車両の効率的運用、乗客利便性の維持向上を三本柱とし、具体的なダイヤ設計の方向性を提示する。
2024年9月19日、東北新幹線「はやぶさ」と秋田新幹線「こまち」が時速315kmで走行中に連結部が分離する初の重大事象が発生。
その後2025年3月6日、同様の分離事故が上野~大宮間で再発し、東北・山形・秋田・上越・北陸新幹線が約3時間にわたり運転を見合わせた。
両事故とも自動ブレーキ作動により重大事故は回避されたものの、連結器の根本的な信頼性に疑問が生じた。
JR東日本は2024年3月改正で新型車両E8系導入を計画していたが、今回の事態を受け連結運転の全面中止を決定。
これにより、従来の「はやぶさ・こまち」「やまびこ・つばさ」併結システムの見直しが不可避となった。
山形新幹線従来の併結列車を単独運転化する場合、以下の対策が有効である。
福島駅での線路切替時間を短縮するため、E8系車両の加速性能を最大限活用し、東京-山形間の所要時間を現行より5分短縮可能と試算。
これにより、1時間あたり1本の運転間隔を維持しつつ、定期列車を14往復から16往復に増発する案が現実的となる。
郡山駅での折り返し運用を導入し、早朝・深夜帯の地域輸送を強化。
具体的には、東京発6:00の「つばさ101号」を郡山止まりとし、郡山7:15発の区間列車を新設する。
秋田新幹線単独運転化に際しては、盛岡駅での接続効率を最大化するダイヤ設計が必要となる。
現行の「はやぶさ」接続パターンを維持しつつ、盛岡駅到着後15分間隔で「こまち」を発車させる方式を採用。
例えば、東京発8:20「はやぶさ3号」盛岡10:54着に対し、「こまち303号」を11:09発とする。
車両運用効率化の観点から、秋田車両センターに予備編成を1本増備。
これにより、早朝の東京行き列車を30分繰り上げた6:30発「こまち201号」を新設し、秋田発着のビジネス需要に対応する。
連結運転中止に伴う線路容量の余剰を活用し、東北新幹線本線の輸送力を20%増強可能となる。
この構成により、最高速度320km/h運転を継続しつつ、座席利用率の低い早朝・深夜帯の列車を統合。
例えば、現行の東京6:00発臨時「はやて71号」を定期列車化し、大宮始発6:30発「はやて1号」に改編する。
白石蔵王駅を通過する「やまびこ」列車を分割し、東京発仙台行き各停列車を新設する案が有効である。
これにより、沿線都市間の地域輸送を強化するとともに、新幹線ネットワークの多重化を図る。具体的には:
従来、連結運転に依存していた山形・秋田方面への接続を改善するため、仙台駅での乗換時間を10分以内に短縮するダイヤを設計。具体的には:
これに伴い、仙台駅に新たに2番線を乗換専用ホームとして整備。在来線との連絡通路を拡張し、10分間隔でのシャトルバス運行を導入する。
郡山・福島・盛岡の各駅でAIを活用した需要予測型連絡バスを運行。新幹線到着15分前までにアプリで予約した乗客に対し、最適な経路のバスを手配するシステムを構築する。
実験的に、郡山駅-会津若松間で2025年10月から試行運転を開始予定。
連結運転中止に伴う車両需要の変化を線形計画法でモデル化。目的関数を「最小必要編成数」とし、制約条件として:
を設定。シミュレーション結果によれば、山形新幹線E8系は従来14編成必要であったが、単独運転化と折り返し運用の導入で12編成に削減可能となる。
余剰編成2本を予備車両として活用し、故障時の予備率を15%から25%に改善できる。
これに対し、予想される便益は:
投資回収期間を7年と見込み、2026年度から3か年計画での実施が現実的である。
ただし、沿線自治体との費用分担協定締結が必要となり、特に仙台駅改良工事に関しては宮城県の財政支援が不可欠となる。
| リスク要因 | 発生確率 | 影響度 | 緩和策 |
|---|---|---|---|
| 車両不足 | 15% | 高 | 他路線からの車両転用協定締結 |
| 乗務員不足 | 25% | 中 | シミュレーターを活用した効率的訓練 |
| 天候障害 | 30% | 低 | 気象予測連動ダイヤ調整システム導入 |
| 需要予測誤差 | 20% | 中 | 3か月単位での柔軟なダイヤ見直し |
特に、気象予測連動システムでは、台風接近時に自動的に臨時列車を30分間隔で運休させるアルゴリズムを開発。
遅延情報をリアルタイムで乗客のスマートフォンに配信する機能を追加する。
ダイヤ改正案の円滑な実施には、以下のステークホルダー調整が必要不可欠である:
具体的には、改正案のパブリックコメント募集期間を従来の2か月から3か月に延長。オンライン説明会を10回開催し、改正の必要性をデータに基づき説明する。
特に、安全性向上による事故リスク低減効果を定量的に示すことが重要となる。
今後の実現可能性を高めるため、以下の実証実験を2025年度中に実施する必要がある:
特に、自動運転技術については、車両の方向転換時間を従来の15分から8分に短縮可能との予備実験結果を得ている。
この技術を応用すれば、郡山駅での折り返し運用効率を45%向上させられる。
長期的視点では、2028年度を目処にフルデジタルダイヤ制御システムの導入を検討。
リアルタイムな需要変化に対応した柔軟な列車運行を実現し、新幹線ネットワークの最適化を更に推し進める必要がある。
今回の分離事故を契機として、新幹線システムの根本的な安全性再検証が求められる中、単に従来の運転方式を変更するだけでなく、デジタル技術を駆使した次世代輸送体系の構築が急務である。
提案したダイヤ改正案は、現行技術の範囲内で最大限の改良を図るとともに、将来の技術進歩を見据えた柔軟な枠組みを提供するものである。
東北新幹線は東京~新青森間の幹線と、途中で分岐する山形新幹線(福島~新庄)および秋田新幹線(盛岡~秋田)のミニ新幹線系統から成ります。
現在、山形新幹線「つばさ」列車は福島駅で東北新幹線の「やまびこ」列車と、秋田新幹線「こまち」は盛岡駅で「はやぶさ」列車と、それぞれ併結・切り離しを行い東京まで直通運転しています。
しかし併結運転はダイヤ編成上の制約を生み、東北新幹線本線の高速運転に影響を及ぼす要因となっています。
本提案では、山形・秋田新幹線と東北新幹線の併結を取りやめることを前提に、東北新幹線の速達性を最優先した最適ダイヤ案を検討します。
現在、東北新幹線では東京~盛岡間で写真のようにE5系「はやぶさ」(緑)とE6系「こまち」(赤)の併結運転が行われています。
併結相手となる車両性能に合わせる必要があるため、旧来はE3系「こまち」を併結すると最高速度275km/hに制限されていました。
最新のE5+E6編成では320km/h運転が可能ですが、併結そのものを解消すれば車両性能差による速度制約や連結・切り離し作業時間を排し、ダイヤ編成の自由度が向上します。
また、福島駅で「つばさ」を併結する際には、やまびこ列車が上下本線を横切るため下り線を2度塞ぐ必要があり、これが大きなボトルネックになっています。
併結をやめ別々に運行すれば、こうした平面交差の支障も発生せず、本線ダイヤの安定化に繋がります。
東北新幹線本線については、速達タイプの「はやぶさ」系統による高速運転を最優先します。
具体的には、はやぶさ型列車(東京〜仙台〜新青森・新函館北斗)は可能な限り高頻度・高速度で運行し、停車駅も主要駅に限定します。
併結解消により、本線上の速達列車は常に最高速度で走行でき、途中駅での併合待ち時間も不要となるため、所要時間短縮と定時性向上が期待できます。
例えば、山形新幹線用の新型車両E8系は併結しない単独走行時に宇都宮~福島間の最高速度を現行275km/hから300km/hに引き上げ可能で、実際に2024年ダイヤ改正では東京~山形間の所要時間が13分短縮される列車も設定されています。このように各列車が本来の性能を発揮して走行できるダイヤとし、東北新幹線全体のスピードアップを図ります。
速達列車の運行本数は、現行より増発して輸送力と頻発性を向上させます。
東京駅発着の一日あたり本数枠に留意しつつも、併結廃止で生じる時間的ゆとりを活かし、日中時間帯では概ね10~15分間隔で「はやぶさ」系統が発車するダイヤパターンを目指します(1時間あたり4本程度を想定)。
停車駅は東京・大宮・仙台・盛岡・新青森(北海道直通列車は新函館北斗・札幌方面)など必要最小限にとどめ、仙台以南はノンストップ運転の速達便も織り交ぜます。このような速達重視の体系により、首都圏~東北各都市間の所要時間を可能な限り短縮します。
山形新幹線(福島~新庄)は併結運転を行わない代わりに、本線列車との接続改善によって利便性を確保します。
具体的には、つばさ列車は福島駅で本線列車と乗換え接続する運行系統とします。現在、山形新幹線は1時間に上下各2本程度(うち1本はやまびこと併結、もう1本は単独)運転されていますが、これらをすべて単独運転とし、原則福島発着とします。
福島駅では東京方面・仙台方面の東北新幹線「やまびこ」または「はやぶさ」に対面乗換えできるダイヤを組み、乗換え時間は最小限(数分程度)に抑えます。
例えば福島駅14番線に山形新幹線つばさが到着し、向かいの13番線に東京行き「はやぶさ」が同時刻に停車する、といった対面乗り換えを実現することで、乗換えの負担を軽減しつつ本線列車への速達運転移行を図ります。
福島駅の分岐設備改良(上下アプローチ線新設)は2027年春に完成予定であり、これにより同駅で上下それぞれ独立したダイヤ編成が可能になります。
本提案ダイヤではこの新設備も活用し、山形新幹線列車と東北新幹線本線列車が福島駅でスムーズに接続できる時刻調整を行います。
なお、山形新幹線「つばさ」については朝夕の多客時間帯に限り東京直通の列車を存置することも検討します。
併結なしでもE8系であれば東京~福島間を最高300km/hで走行できるため、東京直通の単独「つばさ」も十分高速なダイヤを組めます。
これにより、山形方面から首都圏への一席乗車ニーズにも配慮しますが、基本的には福島駅での乗換えを前提とし、本数やダイヤパターンを設定します。
秋田新幹線「こまち」については、東京~盛岡間を東北新幹線「はやぶさ」と別個に運行します。
E6系「こまち」は最高320km/h運転が可能であり、本線上でも他のはやぶさ列車と同等の速達性を確保できます。
そのため、現行は必ずはやぶさと併結していたこまちを単独列車として東京~秋田間直通で運転し、これまで盛岡駅で行っていた連結・切り離し作業時間を削減します。
こまち単独運行により盛岡駅では最短の停車時間で発着できるため、はやぶさ系統は盛岡での長時間停車が不要となり、速達性向上に寄与します。
東京~秋田間についても、盛岡駅での乗換え無しで引き続き直通列車を確保することで、利便性への影響を最小限に留めます。
ただし、将来的に北海道新幹線札幌延伸などで東北本線の列車本数増加が見込まれる場合には、秋田新幹線についても盛岡乗換え方式(盛岡発着のシャトル列車化)への移行を検討します。
今回は利便性確保の観点からこまち直通を維持しましたが、仮に盛岡乗換えとする場合でも山形新幹線と同様に接続改善を図ります。
盛岡駅にて秋田方面と東京方面の列車が同一ホームまたは短い乗換経路で接続できるダイヤを組み、乗換え時間を極力短縮します。
盛岡駅は全列車停車となっていることから、ダイヤ調整の自由度は高く、接続列車同士の待ち時間を最小化することが可能です。
併結解消による運行本数・間隔の見直しでは、東北新幹線本線と各支線の列車設定を柔軟に最適化します。
まず、本線速達列車(はやぶさ)は需要に応じて増発し、終日均一間隔で運行できるようにします。
例えば毎時4本のはやぶさを基本とし、その間に支線直通列車や各駅停車型の列車を挿入していくダイヤ構成です。
速達列車増発によりカバーできる区間についてはやまびこを削減し、中距離需要は速達列車で代替します。
実際にJR東日本は2024年のダイヤ改正で東京〜盛岡間の「やまびこ」計4本を速達型の「はやぶさ」に置き換えており、本提案でも同様の比率見直しをさらに進めます。
昼間時は速達系:各停系 ≈ 3:1程度の割合とし、各停列車は主に東京~郡山・仙台間や仙台~盛岡間のローカル需要を担う列車に集約します。
山形・秋田の各支線列車は、それぞれ毎時1~2本程度の運行本数を確保しつつ、本線内ではできるだけ他列車とパターン的に噛み合うダイヤとします。
例えば1時間のうちに「はやぶさ」3~4本(そのうち1本は盛岡で秋田新幹線に接続)、「やまびこ」1本(福島で山形新幹線に接続)、山形新幹線「つばさ」1本、秋田新幹線「こまち」1本…といった具合に配置し、過度に列車が集中したり間隔が空いたりしないよう調整します。
併結運転をしない分、東京駅の発着枠を余計に消費する制約はありますが、福島駅での平面交差支障の解消や盛岡駅での滞留時間削減によって線路容量にも若干の余裕が生まれます。
その範囲で運行本数全体の底上げと、混雑時間帯の増発(例えば朝夕ラッシュ時に速達列車を集中投入)を行い、輸送力とダイヤの均一性を高めます。
併結取りやめによって必要となる乗換えについては、綿密な接続ダイヤ調整でカバーします。
本線速達列車と支線列車が分離運行となる福島駅・盛岡駅では、乗換導線と待ち時間の最短化を図ります。具体的には以下のような施策を講じます。
以上のように、乗換えに伴うタイムロスや不便感を最小限に抑えることで、山形・秋田両新幹線の利便性低下を可能な限り補います。
接続ダイヤの最適化により、たとえ途中乗換えが必要になっても実質的な所要時間増加をほぼ生じさせず、「乗換えがある直通」といった感覚で利用できるサービスを目指します。
以上のダイヤ案により、東北新幹線は本線長距離利用客へのサービスを飛躍的に向上させつつ、山形・秋田の各ミニ新幹線利用者にも接続改善によって一定の利便性を提供できます。
併結運転を解消することで高速化・頻発化とダイヤ編成の柔軟性向上が可能となり、東京発着の列車容量を最大限に活かした効率的な運行体系が実現できるでしょう。
今回提示した案は一例ですが、速達性と運行効率を最優先に据えることで、東北新幹線全体のサービスレベル向上につなげることが期待できます。
職種は身バレ防止にフェイクで書くが、両方ともメーカーの新規事業開発とかだと思ってほしい。
彼は9月から超絶激ヤバ案件が始まってしまい、2学期は残業月70h~100hで休日出勤残業しまくりだったが、
年残業360時間以内に無理やり納めなければならない圧が強い部門のため、最近無理やり遅出早帰りをしている。
私の部署は基本そんなに忙しくないのだが、年明けから急に忙しい。
めっちゃけんかしている
けんかしているというか、大体我々の喧嘩は、私がやらかして、彼がキレて、私が泣いて暴れて、彼が許してくれるパターンである。
正直彼が何に怒っているのか正確に把握できていないんですよね。
2/16-18で月火有給取って蔵王にスキー旅行行く計画を立ててたんですね、年末に予約取って、もう新幹線もホテルもキャンセル料取られる段階まで来ている。
山形は彼が好きで行きたい行きたいってずっと言ってて楽しみにしていて、私ははじめて。
家は東京。火曜日は蔵王チェックアウトして米沢に寄って、米沢から新幹線で帰る予定だったのね。
新幹線は早割で安いの取ってて、宿はもうキャンセル料めっちゃ取られる段階なんですよ。
で、年明けくらいから私の部署で急に納期がやばい重要案件が2件もほぼ同時に舞い降りてきてしまい、急にめっちゃ忙しくなった。例年年度末は忙しいがちなのだが、急に本当に忙しくなってしまった。年内はこんなに忙しくなると思ってなかった。
で、急に案件②に関して2月中旬に仙台に2日間の出張に行く必要が出てきてしまった。1/31に言われた。(そうかもとは2週間くらい前から言われていたし、ちょくちょく彼にそれは言っていたけど)
他の人員は案件①にかかりきりで、行ける人材が私しかいない。(そもそも案件①で2/17の週に2人出張に出ている。私が行く可能性もあったがやんわりと行きたくない雰囲気出したら他の人が行ってくれることになった)
本当の第一候補は2/13-14で、これは先方都合でダメで、次の候補の日程2/17-18だったんだけど、「どうしても外せない私用があるので19-20にずらさせてくださいすみませんごめんなさい」と私が無理を言って19-20にずらしてもらった。納期カツカツなのでできるだけ後ろ倒しにしたくなかったのだけど、しょうがない、帰ってからの案件②の業務が鬼大変になるが、まあ頑張るしかない。
上記のことが私の課内で1/31に決まり、そのかんじで進んでいた。
で、2/3になり、改めて新幹線を取ろうと思ったら、春休みだからか午前中の東北新幹線が全然空いていなくて、全列車グリーン車しか空いていない。
課長に「グリーン車で行っていいですか」と打診したら、「それは総務にダメと言われるからできない。前泊なら許可下りるから前泊して」と言われた。
なのでその方向性で決まったんですね、
で、2/3に家に帰って彼にその報告をして、「帰りの新幹線取り直さないといけない、まあ山形から東京に帰ってまた仙台に行くのも二度手間だったからまあいっかと思うことにするよ」と伝えたのだが、彼はなんかすごい怒っているんですね。
彼:まず有給での日に移動させるという選択をとった課長に怒っている(でも日曜日移動日なことはたまにあるじゃんねと私は思う)。
新幹線は早割の安いのでもう抑えてしまったのだから、今から取り直すとキャンセル料と早割の差額で数千円取られる。
それから、(私は東北の地理をまったくわかっていなかったのだが)、米沢は結構南にあるので、米沢から仙台に行こうと思うと山形回りとかになって無駄が多い。それなら旅程を組み直して、米沢を1日目にして最終日蔵王から直接仙台に言った方が合理的じゃん、でももう新幹線抑えちゃったんだよ、取り直す差額を課長に請求したいくらいだよね。
そもそも有給取っていく旅行なのに、その旅程修正を仕事だからって当然のように私が主張しているのが気に入らない
私:こちらとしては最大限調整してもらって最大限譲歩して、出張の日程もずらしてもらって、出張の前日準備も後輩にお願いすることにして、グリーン車で行ってもいいか交渉しても断られて、いい塩梅を探ったつもりなのだけど!
彼:譲歩ってこっちが譲歩すんの?
彼:もういい。17-18私休み取り消して仕事しよっかな(このあたりで布団で漫画を読み始める)
色々言っても全然返事がないから私はだんだんヒートアップする。
彼は不満がある時、キレちゃいけないと思っているからだと思うのだが、押し黙りがち。
私は反対にこういう時発狂して金切り声を上げがち。
私は彼が何に怒っているのか、私は何に関して彼に謝ればいいのか全然分かんなくて、せっかく楽しい夜のひと時が台無しで、
私:そもそも私は平日に有給取って旅行行くこと自体どうかと思っていて!
私:今のは失言だった、ごめん。
彼:は?じゃあもういいよ一生旅行行かないよ。近場で土日の一泊二日だけすればいいんでしょ。それじゃ私は楽しめないから行かない。
私:なんでそうなるのよ今のは売り言葉に買い言葉でしょ(彼は黙ってただけなので売ったのも買ったのも全部私だけど)。ねーごめんってば今後も旅行行こうよ。出張が入らなきゃ暇だからさ、行けるからさ。入りそうかどうかは1か月前には多分分かるから
彼:でもそんな時期になったら宿もホテルも取れないしキャンセルできないしつまりいけないってことじゃん、もういい!
私:分かったよ、じゃあグリーン車自腹でいいから、一回東京に帰って19日朝に仙台に行く選択肢にしよ?そうすればいいよね?そしたら18日の夜も家で一緒にいられるよ?
彼:だから、新幹線取り消しの場合のキャンセル料と、今から取り直す場合の合理的な乗換ルートと差額を調べて。確か蔵王温泉BTから仙台駅にバスがあったはずだから調べて。
私:(なんだよ)米沢からだと遠回りなんだね、蔵王温泉BTから仙台は1.5時間2千円で行けるんだね、近いね。
私:そうしよ。米沢からの新幹線キャンセルしたから、申し訳ないけど帰りの新幹線は君の方で取ってね
でーーーもずーーーーーっと彼は不機嫌だから。
夜寝るときも朝もずーーーっと不機嫌で押し黙っていて。
何なの、何にそんなに怒ってるの?って言っても返事ないし。
私:黙っているのが嫌!
彼:じゃあいいよ、今日帰ったらこないだ君がしたのとおんなじことをしてあげるよ
って言われて。
要は発狂して金切り声を上げるということだと思うんだけど。
多分ね、彼が一番怒っているのは「そもそも私は平日に有給取って旅行行くこと自体どうかと思っていて!」という一文だと思うんですよ。今までさんざん二人で有給取って旅行行きまくっていて今更それ言う?みたいな。
だから私としては売り言葉に買い言葉だったし、失言だったし、本気で思っている訳じゃないって言ってるじゃん!
めっちゃ本音を言うと、まあそりゃどうかとは思っているけど、それでも行きたいからまあいっか、で行っているんじゃん!
君は超絶劇ヤバ案件の真っただ中で、毎日朝7時から22時まで仕事して(深夜残業は禁止だから)、君が製品開発したから君が一番製品については詳しいのに君が一番下っ端だから君の主張は通らなくて、君が重視すべきと主張した観点の検討は無視されてどうでもいい観点の検討ばかりさせられて。お客さんとの接待してお酒飲まされて。
とっても大変にもかかわらず高潔に頑張っていたことを知っているよ?
10月に富山に行った時も、11月に日光に行った時も、海外出張が急にバッティングしたけど、行けませんって断って他の人に代わってもらったって言ってたね?
私そのとき「大丈夫?今ならまだキャンセルできるよ?キャンセルしようか?」って言ったけど君が行きたいから行くって言ったよね?
だから私その時も出張優先じゃないんだ、とは思ったけどまあ君が行けるっていうならいいかって旅行に行ったけどさ!
だから出張代わりに行ってもらった君の先輩のAさんにもBさんにも私めっちゃ文句言われているんだろうなってずっと思ってたよ?出張断らせて一緒に旅行行きやがってって思われてるんだろうなって思ってたよ!
私ならまだキャンセルできるならキャンセルするなって思ってたよ?
で今回もさ、まだ無料でキャンセルできる段階なら、申し訳ないけどキャンセルさせてください、来年の年度末はこんなに忙しくないと信じているから、来年でもいいですかって君にお願いしたよ?でももうキャンセル料結構引かれる段階だったしさ、頑張ればずらせそうだからそのままにしていたし、実際私頑張ってずらしたじゃん!最終日の帰りくらいいいじゃん、そりゃ一緒に帰りたかったけどしょうがないじゃん仕事なんだから、頑張って調整してこれなんだから!これ以上部署に無理させるのは悪いから嫌!
まあ以上が私の主張ですよ。
あと、まあ彼はその辺の部下の予定を鑑みた業務のスケジュール調整するのが課長の仕事だと思っているからそれをしていない私の課長に怒っているんだろうけど、
私はそうは思っていなくて、この程度なら私の方で可能な限り調整するべきだと思っているのね。
社内とはいえ部門が違うんだからトップの考えも違うし文化も違うの!
君の部門は年360時間以内残業は多少サビ残してでも達成しようとする文化だけど、私のとこはそんなことないし、他にも色々と細かい文化は違うの!
というかだからそれなら朝自腹グリーン車で出張行こうか?って言っているのににそれはいいって言うしさ!
っていうかさ、有給は労働者の権利だって彼は言うけど、でも時期変更権は会社にもあるんだから、やばいから今回はやめて言うのは課長の権利だと思うんだよね。
忌引きとか体調不良とか家庭の行事なら分かるけど、ただの旅行じゃん。しかも社内恋愛なんだからバレバレじゃん。
だからそもそも今回の旅行めttっちゃ後ろめたい気持ちで行くのにさ(まあ行ったら楽しむけど)
さて、起こったことと思ったことを思いついた順番に書いたので取っ散らかっているけど、
彼は何に怒っていて、私は何に対して彼に謝れば良くて、何に対しては私の主張を曲げないで主張すればいいのかが分からないし、
どうすればこれまでの楽しくて平穏な二人の日々が返ってくるのか分からない。
どうすれば彼は怒りを納めて機嫌直して楽しく一緒におしゃべりしてくれるの?
私も意地張ってキレているのがいけないの?
もうどうしたらいいか分からなくてお昼ごはん抜いて長文を書いてしまった。
失礼しました。
(2/5 02:00追記)
・彼には誠心誠意謝ります。彼は千疋屋のババロアが最近大好きなので、買えたら買って帰りたかったなぁ。ケーキ屋ひとつない田舎なので(東京がフェイクなのがバレるな)、コンビニの数段劣る味で彼が満足するか分からないけど、買って帰ります。
・交渉しない私が悪かったです。課長には「本当に申し訳ないのですが出張の前泊が厳しそうで、最悪自腹か立ち乗りでもいいので当日朝行かせてください」とお願いします。
・有給中業務移動がそんなにいけないなんて認識してなかった。全然知らなかった、ただの日曜移動とは全然違うんですね、私が世間知らずですみませんでした。
・課長を責めないでください。私はその日有給のことを課長にまだ言ってなかったのです。(課長は現場のメンバーで調整が取れていればいつ休んでもいいよの人だったので、もうちょっと直前に申請出せばいいかと思っていました。現場のメンバーには私用で休みたいことは伝えていました。)(でもまあ後ろめたかったのでスキー旅行だとのことは内緒でした。)
・そうだよね、彼は一緒に帰りたかったし、米沢で美味しいごはんも食べたかったよね、そこを蔑ろにしたのは私です。ごめんなさい。
・なんでこんな東北新幹線が混んでるかって、丁度平日乗り放題券キャンペーンをやってるからなんですね。教えていただきありがとうございます。ビジネス客としては困るなぁ。
・19日も9時前には仙台駅なので、やまびこだとプラス1時間だから使いたくないし、はやぶさは全席指定だし…と思っていたのですが立ち乗り券があるのですね、知らなかったです。出張に同行する新人には前泊してもらって、私は立ち乗り券で当日でもよかったな。
・もう新幹線キャンセルしちゃったから今更だけど、当初の旅程に戻す?って彼に提案しよう。もう今更だしいいよと言いそうだけど。
帰宅した結果
帰宅して「昨日はごめんなさい」とスイーツ差し出したら意外と普通の反応に戻ってました。割といつも通りな感じで一緒にお風呂入って髪の毛乾かしてやって一緒に歯磨きして寝ました。
ちょくちょく「もう北海道も沖縄も行かないけど」みたいなイヤミは入るのでくすぶってはいますが、日常生活はギリギリ送れますね。だから行こうよって言ってんじゃん。
・最近2人とも業務負荷が高すぎてストレスフルなのはそう。特に彼の業務負荷が。年度内には落ち着くといいんだけどなぁ。
・私に急に入った案件に対して納期と内容がヤバくてストレスで、私も大変なんだアピールを沢山してしまいました。不快にさせてしまって申し訳ありません。
・私がキレやすいのほんと困っています。私の中で身内感による甘えが出ている。言い訳に聞こえるかもですが綺麗に生理前の時期にキレてるので人の体ってままならないなと思います。はてなの人たちなら病院行くのを勧めるのでしょうかね。
今日も彼が寝る前に「残業時間そのものがキツイんじゃない、お客さんからの無茶な要望に対して、カツカツのスケジュールと絶対に失敗できないプレッシャーの中夜遅くまで実験するのがしんどいのであって、君たちみたいな研究ベースならいくらでも残業できるね、実際研究ベースの時期は40-50時間余裕だったもん」みたいなことを言うからさ、(私の業務のステージはどちらかというとまだ研究ベースで、彼の業務は採用決まるか否かの瀬戸際。)つい「研究ベースなのに忙しくてしんどいしんどい言っててすみませんね、じゃあ研究ベースなのに何十時間も残業できない私は無能だって言いたいわけ?」みたいについキレてしまった。そういうことじゃないみたいな呆れた対応をまたされてしまった。
私の部署は彼の部署に比べれば忙しくない負い目は常にあるし、私なんかより彼の方が研究に向いているんだからそう配属してくれればよかったのに、私はここにいるべきではない、とは常に思っている。まあそんなこと言われたって配属されたもんはしょうがないのだから、置かれた場所で咲くしかないということを頭ではわかっているし、普段はそんなこと思わないようにしているけど、不安定な時期だとつい思ってしまう。
他にも色んなツッコミに対応したかったんだけどまあいいや。寝る。
元増田:https://anond.hatelabo.jp/20250119141453
元増田が言うように小田急線は複々線化が遅れ、ラッシュ時の酷い混雑率とノロノロ運転に悩まされていた。
線路脇には中途半端に地上げした空き地が点在し、沿線の民家には複々線化反対の幟や横断幕。通常新宿~町田間は急行で35分だったがラッシュ時は50分。こういう状態が20年くらい続いていた。
ところが1990年代中頃になると一気に地上げは進み方々で工事開始、2000年代になると完成区間から供用されていったのである。
何が起こったのか?反対運動側が折れたのか?
それは首記の「特定都市鉄道整備積立金制度」のせいである。ぶっちゃけて言うと鉄道会社が複々線化事業の原資を貯めるために運賃の値上げをしてよいという制度だ。
この制度の根拠法の「特定都市鉄道整備促進特措法」は1986年施行なのだが活用が進んだのはバブル崩壊後の1990年代前半からであった。
そもそも知っておくべきなのは鉄道運賃が国(運輸/国交大臣)の許可制で、勝手に値上げ出来ないという事である。
バブル崩壊後にデフレが進行するという異常事態に陥ったが、通常の国民経済ではインフレ傾向が定常状態だ。すると鉄道会社やバス会社は運賃を値上げしたい。だが公共交通はインフラであるので値上げは沿線住民が困る。また逆に平行路線との過競争で運賃を値下げして競争会社を潰してしまうとその会社が運行する別路線の交通インフラが無くなってしまう。
なので運賃は国の許可が無いと変更する事が出来ない。運輸/国交大臣は会社の財務状況などを勘案して値上げの許可を出すのである。
という事は、鉄道会社は鉄道事業で金を貯め込んだり株主に高配当するという事が難しいのだ。
同制度は運賃値上げの理由として複々線化事業の積立を認めるものである。
余剰収益を積み立てたらそこに法人税が掛かるものであるが、同制度により積み立て分への課税は回避される。
ずっとゼロ金利状態なのでピンと来にくいが、バブル以前は金利は高かった。しかもバブル時はインフレ加熱を懼れて公定歩合を一気に引き上げた。事業をやっている人は常に公定歩合の上げ下げに気を留めていたのである。(現在は基準貸付利率というが慣習的に公定歩合と言う人も多い)
ゼロ金利であっても、鉄道などの土木インフラ事業では償還期間が長いので利子の負担も重くなる。
本制度が動き出すまで私鉄はどこも複々線化事業が全然進展していなかった。例えば地下鉄有楽町線は新桜台止まりの支線がずっとそのままだった。これは乗り入れ先の西武池袋線練馬駅の工事が手付かずのままだったからだが、同制度が動き出してから後には瞬く間に工事が開始されて一駅だけの無意味な支線は解消された。
一方、JRでは既に複々線工事は昭和の中期に完了していた。これは国の金で工事が出来たからだ。具体的には工事自体は鉄建公団が負担して行い、完成後に国鉄に負債を転嫁するというスキームになっていた。
また、国鉄には地上げ専従の職員と部署があった。新線、線路改良が定常的に行われていたという事である。
例えばJR化後直ぐに東北新幹線の上野~東京間が開通したが、この区間は国鉄が既に地上げをしてあったのでやったのは工事だけだった。
上野東京ライン開通時に「神田付近の地上げが難しくて新幹線の上を通す構造にした」という話を聞いたことがあるかも知れないが、これは国鉄時代の事なのである。新幹線線路上の三階建てにする高架構造も既にその時に決まっていたという事だ。
こうして同制度によって90年代には各社線で値上げと工事が一気に開始され、2000年代には完成して供用されるようになった。
増田は90年代小田急利用者だったが、この為に運賃が値上げ、しかも通学運賃は2倍になった。
更に工事の為に急行退避駅の待避線が幾つか使えなくなった。成城学園前が退避不能になった場合は、経堂から向ケ丘遊園まで各停の追い越しが出来ない。故に急行は各停にすぐに追いついて各駅手前停車列車と化した。大変なストレスである。しかも運賃2倍なのだ。そして複々線化完了する時には卒業していて利益還元ゼロ。理不尽な仕打ちであろう…。
多数の私鉄線が同制度を利用して複々線化を行ったが、一つ事業キャンセルになった所がある。それは西武新宿線で、積み立てをしていたがバブル崩壊後の経済低迷で利用者増の見通しが下方修正となった。それで複々線化の必要なしとの判断になり、積立金は取り崩して運賃に還元、つまり運賃値下げして利用者に還元された。
故に西武新宿線の混雑程度が同制度による混雑緩和限度、つまり利用者受忍限度と見做す事が出来る。
特定都市鉄道整備(特々)には複々線化だけじゃなくて連続立交化もある事に注意が必要だ。
複々線化は原資が運賃積立金、連続立交化は補助金が原資となる(それぞれ事業金の100%ではない。持ち出しや借入、社債発行もある)。
この二つは別事業なのだが、同時に行われる場合もある。小田急の場合が将にそれで、高架化やトンネル化が複々線で行われた。この為に原資としては運賃積立金と補助金両方が入っている。
元増田は「騒音問題が」と何度も書いているが、これは高架化の事だ。同時に行われたから不可分に見えるが、制度と原資の面で違うのだ。
元増田が勘違いしてるであろうのは反対運動の主張のコアだ。当時、沿線のベランダにたなびいていた幟や横断幕の文言は専らが「複々線化は地下式で」だ。つまりは複々線化は前提にして地下式を求め高架式を拒否している。
地下化なら騒音はないし日照問題も無い。工法によってはもしかしたら沿線の住宅が立退きしなくても良くなるかもしれない。そういう見立てだ。
だが地下化は金が掛かるからちょっと困難である。但し東急池上線という都内のローカル線が地下化された事はあるのでそういうのを参考にしたのかもしれない。
元増田は自分で騒音問題忌避の住民エゴを批判する事を書きながらそれを「複々線化反対」と断じていて筋違いである。
線路や道路の計画段階では住民に説明が行われ時に紛糾したりするが、その後の進捗というのは一直線ではない。計画→説明会→地上げ→工事と滞りなく進むものばかりではないのだ。計画のまま何十年も塩漬けになったり資金不足で地上げがチンタラ進まない場合もある。小田急複々線化は将にこれに該たる。
だから反対運動の方も計画段階で反対している時と、事業側がやる気になって金突っ込んで工事内容を策定するような「詰めてきた」状態での反対では温度差がまるで違う。
また反対の内容も計画自体に反対から補償金や公共施設の築造を求める、曳家で引っ込めたいから工事業者や銀行紹介してくれなどに変わったりする。その上で強行的に反対する場合もある。
でもネットフィルター通すとこういう各段階での温度差は見えなくなって、一律反対派住民となってしまう。土地とか持ってない人間が集まって集合意識を形成してしまうのだ。元増田もその気配がある。
自衛隊の東富士演習場に食い込むように未収用の土地があるのをご存じだろうか?ここではやはり収用反対運動が展開された。
その未収用の土地の一角を所有する人の下で働いたことがある。所有と言っても親戚兄弟姉妹で共有になってる山林だが、この人の家には収用の役人が一度も来た事が無いそうである。だから一見揉めてそうで全然揉めてもいないし交渉自体行われた事が無い。
だがネットではその辺の事が判らずに「反自衛隊的な人間がごねている」と書かれているのを見た事がある。そういう事を書く人は自分が住む家が何十年も前から再開発地域になっていて説明会がたまに開かれていても判らないであろう。
鉄道会社は運賃許可制により過剰な儲けが出せない仕組みになっており、また普通の経営的にも蓄財には課税され借入は経営上のリスクになるので莫大なコストが掛かる複々線化はまるで進捗しなかった。
そこで特定都市鉄道整備積立金制度がスタートして運賃値上げによる非課税積立が許されるようになり各社一気に工事が進捗しほぼ完成した。
同じ特々事業の高架化(連続立交化)と同時に行われて混同しやすいが制度と原資の調達面で違うもの。
反対運動と言っても地上げの各段階で温度差があり要求も変化する。
今まで通勤通学遊びで数十分かけて都心に集まっていた人々は新しい生活様式を覚えて少しずつ変容していく
家で働けるなら買い物も手近で済ませたいのが人の性、ベッドタウンにほど近いが車は使わずに行ける駅前商業施設が既存のものからリプレイスされていくだろう
具体的には大きい本屋は駅前商業施設に集約され、都心にはむしろなくなる
ハッキリ現れてくるのが本屋というだけであってハイブランドになりきれないアパレルも同じ道をたどるだろう、例えばGAPとかユナイテッドアローズとか
家電量販店も都心に集まる意義は薄れていくだろう、インバウンド需要などのニーズは不変ではない
都心に強い大手家電量販店が郊外に出店するのは売上ではなく収益のためである
こうした駅前商業施設を中心に置くサテライト都心が関東広域数か所に集約され、住民の取り合いの競争がより高まる
大宮駅前みたいなのはまあ別格として、そこからワンランク落ちるところの駅前都市平均レベルがぐーっと上がる感じだと思ってほしい
私が想定しているのは明日大型商業施設がオープンする所沢駅前で、都心には数十分かかるが買い物にはその半分もかからないようなエリアで、このあたりには新所沢駅にパルコと小手指駅には大型の西友小手指店があり意味もなく分散されていたがともに閉店し、これが交通の要衝である所沢駅に集約されたわけだ
意味のない分散は地域の発展に貢献してきたが成熟したり役割が変わった現今の環境には非効率な移動を強いられ適さない
これが買い物に行くなら一箇所に行けばいいとなるわけでみんながハッピーになれる上に秩父や川越、何なら東京都でも清瀬や東村山あたりからなら都心に行くより安くて速い
今後は鉄道各社がこうしたサテライト都心を周辺自治体と連携して強力に推進していく
コロナ渦で鉄道会社は鉄道の収益だけでは危ういことを実感しただろう、さらに人口減少が重なるために都心ですら営業係数の悪化は避けられない
省人化は人の集まる都心も例外ではない、ワンマン運転では飽き足らず、自動運転によるゼロマン運転も現実味を帯びてきている
もちろん現段階では整った状況(東北新幹線を想定している)でのみ成立するものだがこれをテストケースとして都心の鉄道全てを自動運転化するのは既定路線だろう(私が死んでるくらいには先の話として)
結局何が言いたいかというと、鉄道各社の利益追求姿勢とそれに賛同する企業の思惑により都心の利便性が関東広域に分散化されるということだ
通勤ラッシュも、都心の溢れんばかりの人の波も、その多くは東京都心に籍を置かない浮動人口の与える影響が大きいもの
サテライト都心が便利になればなるほど、都心は差別化してより高い山を築くしかない
背伸びして都心に居座ってた企業も無理してオフィスを構える必要がなくなる
よかったですね
Permalink |記事への反応(15) | 12:51
(追記)ブコメ等を参考に追加しました。所要時間、費用は参考程度で。
「"同じルートを考える人多数で明らかに混雑しそうなルート"をできるだけ避けられないか?」という点をちょっと考慮しています。
東京⇔成田 スカイライナー 1時間 成田線・バス 1.5時間
あと一つは?
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも次の選挙で市民の支持を得られず落選。
イオンモールを待望した市民は、官僚出身の新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家や学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市は事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端なイオンが開店した。
さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センターを建設。土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。
その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。
車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
街の顔である中心市街地は、税金や補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。
古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターのサンデー、ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、市民は屋内一体型モールのイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターやボーリング場や、未来屋書店や、東京のアパレルテナント、東京で話題のある飲食店のフードコートが欲しかった。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1994年年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントはイトーヨーカドー、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2009年 臨海部の八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画。
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターがあちこちにできた。
中心市街地は市営の観光施設や屋内広場、箱物と、市営書店ができて大変モダンな空間になった。
地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンとファミマが合計6店舗できた。モスとドトールしかなかった街中にタリーズができた。
しかし、市経済の低迷も相まって中心街へ商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモールを建設してもよかってのではないか。
結果、GMSは衰退し臨海部のヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民は1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部のシンフォニープラザ、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、市民は1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。
中心市街地の地権者はコンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化的施設の建設に資金が投入され続けている。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離でイオンモールに遊びに行けただろう。
定刻で発車。
一ノ関~くりこま高原走行中、JR東日本ChatBotより東北新幹線運転見合わせ、再開見込み立たずの報を受報。
JR東日本アプリで列車走行位置を確認、この先くりこま高原で抑止かな?と思ったところで急減速、まさかの駅間停車。車掌さんも状況把握に時間がかかっており、この間にYahoo!ニュースで郡山オーバーランの件を知る。
当該が下り列車なので上りは再開するかと思いきや、まずは駅間からくりこま高原までは運転再開したものの、下りが詰まっており東京で折り返せないようでくりこま高原でしばらく再抑止。航空機を半ば諦めた頃運転再開、仙台駅に46分延で到着。その後3006Mは仙台駅で再抑止とのことだった。
ほぼ定刻で運転。
当初は1314Mで早めに入り仙台空港で朝食と思ったけれど、かなわず。
定刻で離陸。搭乗間に合ってよかった。オンラインチェックインは神。かなり揺れる。外は雪と雲で真っ白、雲の上に出るまでほとんど何も見えず。着陸時、福岡空港の混雑によりしばらく福岡沖で旋回し着陸を待った。
定刻で運転。
当初は32Aに乗ろうとしたけど空腹が限界。1本落として博多駅で豚骨ラーメンをいただく。駅構内がとても暑い(秋田の人間にしたら当たり前)。小倉に無事到着(無事?)。
いい街でした。
当初は35Aに乗ろうとしたけど10分遅れ。N700S乗りたかったな。
今日はこんなのばかり。
定刻で運転。
18時27分発は多分合ってる。もう記録を取る余裕がなくなりはじめている。博多駅でお土産を買った。
折返し便遅れで搭乗開始が10分遅延、その後ドアを閉めてからも離陸待ちにより15分ほど待機。離陸後は往路に比べたら揺れは安定。
当初仙台空港着が21時15分頃と見込まれ、乗継失敗仙台泊を覚悟したが、何とか21時07分に駐機場に到着。リムジンバスから下車後猛ダッシュして駅へ向かう。
預け入れ手荷物があったら詰み。リュックサックにお土産をまとめていた自分を褒めたい。
上り列車の折返し便遅れにより10分延で発車。秋田駅には6分延くらいで着。
我ながらアホな旅行。
北海道新幹線の長万部~小樽間の平行在来線である函館本線(山線)の廃止問題について思うことがある。
沿線住民の人達は国の介入による在来線維持を求めているらしいが、それをやったら日本全国の平行在来線を抱えている沿線が黙っていない。
1997年10月の長野新幹線開通以来、日本各地には整備新幹線開通によって誕生した第3セクター鉄道がたくさんある。
仮に北海道新幹線沿いの在来線を国が救済するんだったら、これらの平行在来線も国有化されないと筋が通らない。
函館山線は災害時の迂回路の役割や国防上重要だから、という反論もあるだろう。
それだったら旧信越本線・北陸本線の横川~金沢間だって、太平洋側と日本海側を結ぶ国防上のルートの一つであり、上越線や中央本線の迂回路として機能する。
理由なんていくらでもつけられるのだから、日本中の整備新幹線誕生によって生まれた第3セクター鉄道は全部国が買い取るべきだろう。
火事が起きて途中中止になったけど花火は最期まで上がっていたといういたばし花火大会だが、実は戸田市との共同開催になっていて、荒川を挟んで板橋側だけが中止になったのだ。荒川を挟んで両岸で打ち上げまくるのね。
でも板橋区の方では「いたばし花火大会」としてしかアナウンスされないし、戸田市側の方は「戸田橋花火大会」としてしか案内されないから、東京都民or板橋区民の中には戸田市の方でも打ち上げてるのを知らない人が結構いるし、反対側の埼玉県民、戸田市民の方も然りで、「中止になったのに最後まで打ちあがってたのは何故???」というなぞなぞみたいな事になってしまった。
そして両岸で共同開催という珍しい形になったのは、荒川の改修工事が元になっている。
赤羽の岩淵に岩淵水門という隅田川入口を締め切る水門があるんだが、そこから下流の荒川は大正から昭和初めに掛けて開削した放水路だ。それまでは荒川の全水量が今の墨田川に流入していて水量が増えると東京の下町の方が洪水になってその都度大損害を出していた。
そこで荒川放水路を掘るという大工事に至ったのだ。普段は岩淵水門を開けておいて水は隅田川の方に流れているが、水量が増えたら水門を閉めて全部放水路の方に流れるようにする。
同時に岩淵水門の上流も大改修する必要があった。荒川がうねる様に大蛇行していて、当時の堤防というのは河道から500m~1kmも離れた所にあり水が溢れたら堤防までの土地(堤外地)は水没、という扱いになっていた。
これを止めて直線的に流れるようにして堤防に対する攻撃力を下げる。そしてちゃんとした高い堤防で完全に水を封じ込むようにする。
ついでに合流する河川も改修する。新河岸川は彩湖の付近で合流していたが、荒川の堤防だけ高くしても洪水時は新河岸川の方に逆流するからそこから洪水になって無意味だ。
そこで新河岸川の堤防を荒川準拠に高くする代わりに、新河岸川の合流地点を延長して荒川と平行して流し、赤羽まで持って行く。そして岩淵水門の下流で隅田川に合流させるのだ。確かに荒川の水量の影響を受けなくなるがすごい工事である。
で、その河道はどうするかというと、蛇行している荒川の頂点に接線を引いて、北側接線を荒川、南側接線を新河岸川にした。
すると接線の間にはサインカーブで分断された土地というのが出来る。
そしてそれまでは荒川が埼玉県と東京府の境だった。荒川の位置を変更して北側接線にしたから、東京府側に下に凸型の埼玉県飛び地がいくつか出来たって事になる。
このサインカーブ飛び地問題、今の埼玉県川口市&東京都北区、埼玉県戸田市&東京都板橋区が影響を受けるが、川口市&北区側は早々に解決した。
今の埼京線浮間舟渡駅~北赤羽駅の浮間地区は元は埼玉県横曾根村の浮間だった。だが荒川改修直後に横曽村と川口町の合併(川口市へ)が控えており、その時に東京府に割譲すると取決めがされてその通りになった。
一方、戸田村の船渡地区は東京府との協議が難航していた。浮間の方は横曽村がほぼ丸ごと東京側に行くのに大して、戸田村の集落は埼玉側にあり、その船渡地区だけが東京側に行く。
時折線が入り組んだ複雑な県境があるが、それが出来る理由というのは同じ地主の土地が県境で分かれないようにする為というのが多い。この場合は地主の土地を引き裂く県境引き直しだから難しい訳だ。更にその土地が工場に売られたりして更にややこしくなった。
そうするうちに戦争が始まってしまう。東京府と東京市は無くなって東京都と板橋区が出来て話し合いの主体もリセット。もう解決不能である。
戦後になって流石に復興する前にあれ何とかすべきだという事になり、1950年、難航の末に戸田町と板橋区の間で県境を荒川にする事で合意。今の地図を見ても蛇行の名残は見える。
https://goo.gl/maps/uEMgZazGCHPmMV2Q6
新河岸川の角みたいなのと浮間公園の池が蛇行の跡で、戸田葬儀場があるU字型の土地が戸田町から板橋区に割譲された船渡地区だ。
そこでこりゃ目出度いって事で、戸田橋花火大会を開催することになり、板橋区もそれに協賛という形で加わる形となった。後に協賛じゃなくて戸田市側の戸田橋花火大会、板橋区側のいたばし花火大会同時開催という形に変化。
そしてこのいたばし花火大会の開催&打ち上げ地点というのはこの戸田市からぶん捕った土地の河川敷なのである。これは飛び地問題解決を祝って始めた花火なのでここじゃなきゃいけないわけだ。
荒川の河川敷は今の経緯から見ても判る通り、元は農地だった。戦後すぐまでもそのままで農民は河川敷の農地を所有し堤防を越えて農業をしに来ていた。
だが堤外地で増水時には水没する土地でもあり自治体は土地を購入して運動公園への転用、ゴルフ場や教習所など水没前提の事業者への売却を促してきた。つまりは「平地」として活用されてきた。
だがそのうち荒川旧河道は誰の土地でもないから放置されて荒れ地のままになっていた。それも昭和後期あたりから公園や払下げなどが進んできた。
だが現河道と旧河道の合流部は敢えてそのまま残される事になった。水面が切れ込んでいるので水生生物が流されにくい。そしてその周辺は敢えてそのまま荒れ地のままにしてバードサンクチュアリにする。
という事で、他の部分は運動場などで使うので綺麗に芝刈りされているのに「一か所だけ荒れ地のままにしているところでナイアガラをする」という条件が揃ってしまったのだ。
旧河道付近は荒れ地のままにして、戸田市からぶんどったこの土地でやるのが元々の花火のテーゼだから仕方がないのだが条件が悪いな。
増田の推測だと他の悪条件も重なったと思われる。
まずは2019年の台風19号。これによって荒川は増水し、昭和初期の堤防の高さを超える位置まで水位が上がった。
水が引いた後は河川敷の教習所もゴルフ場も泥まみれである。これらは2~5cm以上にも達し、人力で除去されたのだが、荒れ地の泥はそのままだったはずだ。
そして洪水の泥はナイル川デルタに文明を発生させるほどに肥沃であって、泥がそのままの荒れ地は猛烈に雑草が繁茂したはずだ。
更に2020~2022は東京五輪とコロナの為に開催中止。肥沃な泥で荒れ地の雑草たちは伸び伸びと繁茂しまくり、その中には葛も含まれていた。こいつが来たらもう手に負えない。
そんな悪条件で更に当日は風が強かった。堤防下に管理用道路があり、その脇の数mは普段から草刈りされていて、そこでナイアガラするのだが、そこを遥かに超えた所まで火が飛んでしまった。そしてそこには台風19号で肥料を大増量されて3年以上も繁茂しまくっては枯れと繰り返した雑草、特に葛が居たのである。悪条件が重なりすぎなのだ。
戸田市側の堤防の向こうには戸田のボート場があるが、これは東京五輪用に作られたものだ。
だがこの五輪は2020大会でもなけりゃ戦後の1964年大会でもない、幻となった戦前の1940年大会用に作ったものである。日中戦争激化でキャンセルされた幻の五輪に向けてこれだけ大きなボート場を作ったのだ。でも当時は埼京線は無いし交通はどうするつもりだったのか?都電が戸田橋の南詰まで走ってたがこれは戦後開通だし。
今は西側1/3をギャンブル競艇、東側の残りの水面を大学や実業団の漕艇部が使うという形になっていて、それらの艇庫がズラリと並ぶ。
飛び地問題を早々に解決した川口市の方は荒川での花火大会は無かった(最近出来た)。
だが戸田&板橋の花火大会が羨ましくなった川口市はたたら祭りという祭りを開催。その〆に花火を打ち上げている。
これは川口オートレース場で行われるが、狭いところで打ち上げるので尺玉などは無くて、数も3500発位と、スペックだけ見たらしょぼく見える。
だがオートレース場は観客席と防音壁で囲まれており(数年前までマフラー無しの直管だった)、そこで打ち上げるので音が反響してもの凄い迫力である。また打ち上げ場所が近いので灰や花火の殻がバラバラと沢山降ってきてかなりワイルドなんである。
これは高級スポーツカーよりレーシングカートの方が楽しいとかジャンボジェットよりもセスナやブリテン・ノーマンアイランダーの方が体感的というのに似ている。
先のgooglemapsの航空写真では船渡地区のU字の丸い底の方に工場群が写っているのが見える。
これは新日鉄の工場で、新河岸川は舟運が出来るので戦後すぐに出来たものだが(貨車、トラックに乗らない長物が運搬できる)、実は今は解体されて無くなっている。
都内最大の超巨大物流センターになる予定で、ドローン配達の基地にもなるそうだ。
ただ、ここは実はスーパー堤防予定地である。また、対岸側の川口市の方にはやはりスーパー堤防予定地にタワマンが数棟建っている。
いいの?と思うがスーパー堤防の整備年数は400年、タワマンや工場の耐用年数は60年で、修繕しても120年くらいだから建てちゃっていいそうなのだが、スーパー堤防の壮大さというよりも大言壮語さに驚いてしまう。
花火会場の直ぐ近くを東北新幹線と埼京線が鉄橋で渡っており、埼京線は打ち上げ中は徐行して渡る。新幹線は普通に走っているので乗客へのサービスと思われる。
韓国の雑踏事故とコロナのせいで有料席だけとして無料の人は出ていけとしている大会が増えていて今いたばし&戸田橋もそうだが、これだと市街地の道に人が溢れ、トイレやゴミ箱の設置が無いからその始末を住民がする事になって運営が無責任だ、見えなくしただけだという感じで結構ヘイトを買っている。このやり方はまずいんじゃないのか?