
はてなキーワード:東側とは
遠野から国道107号、もしくは340号を南下するとたどり着くのが住田町。ここは東日本大震災の時に大船渡と陸前高田をバックアップする基地として活躍した。そもそも住田、大船渡、陸前高田の3地域は合わせて"気仙地域"として扱われていることも多い。
340号と107号は途中で合流する。合流したところにあるのが世田米(せたまい)地区で、ここから再び107号が分かれて行くのが大船渡、340号が行くのが陸前高田。行き先によってどちらに行くか分かれるキーとなる町ではある。住所的にはここと上有住(かみありす)を押さえておけば観光的にはなんとかなる。
上有住は釜石線の駅名になっているが、上有住の集落中心地はこの駅の周辺ではない。もし列車のなかから上有住駅の外を見てとんでもない僻地だと思った人がいたら、上有住はそこまでの場所じゃないよ、ということだけは覚えておいてほしい。しかしこの駅も観光には重要で、上有住、いや住田で最も重要な観光名所がこの駅のそばにあるのだ。鍾乳洞である滝観洞。龍泉洞の整備された順路とはうってかわったヘルメット必須(貸してくれる)の観光スポットだが、経路最奥にはその名の通り滝が見えて、これがけっこう壮観。入口横にあるレストランでは滝流しそば</b.という名物があって、これがいわゆる流しそうめんのそばバージョンのような形で食べられるのでアトラクションとしても面白い。なおこのレストランには"滝流しカレー"もあるのだけれど、流石にカレーは流れてこない。岩に見立てたご飯にカレーを流すだけ。</p>
気仙地区には宮大工である気仙大工の伝統があって、その成果を見られる寺が世田米にある。満蔵寺。特にここの山門は必見。あと世田米には鶏の加工工場があって、ここが鶏の希少部位として"鶏ハラミ"を名物に仕立て上げている。若干悪意のある言い方をしたけれどもうまいのは確かで、世田米にある食堂を中心に何店かで鶏ハラミを使った料理を食べることが出来る。たぶん一番わかりやすい店は世田米は世田米でも国道397号(107号から途中で南に分かれて西に向かう)の町境にある"道の駅種山ヶ原"のレストランにあるラーメンだと思う。この他に豚肉も特産品として売りに出されていて、世田米市街地に近い側にある産直、イーガストすみただとこの辺がお土産で買って帰られる。ただこの店でもっと買うべきは上有住の菓子店お菓子工房eat+のシフォンケーキだけどね。
107号を東方向に行くと、大船渡にたどり着く。大船渡には岩手唯一の私鉄が今も走っているけれど、旅客運輸は随分昔に廃止されたので乗ることは出来ない。ただ貨物輸送は今でも1日10往復以上やっているらしいので、運が良ければ107号を走っている時に見られるかもしれない(ほぼ並走している)。市街地に入る前に長安寺という寺があって、ここの山門も気仙大工の手による。あまりに豪華なので伊達政宗が怒ったという逸話もある。大船渡市街地は盛駅周辺(最近盛岡駅をこう略する人が増えて非常に紛らわしい)と大船渡駅周辺に分かれていて、古くから栄えてきたのは盛駅周辺。津波被害も盛駅周辺はそれほどなかった。それもあって、最近の再開発は大船渡駅周辺を中心に行われている。駅の東側に"かもめの玉子"のさいとう製菓が運営する"かもめテラス"では工場見学(要予約)他ここオリジナルのお菓子が食べられたり作れたりするし、最近は魚の駅という海産物に特化した施設も生まれた。じゃあ盛駅周辺に何もないかというと、少し北に行ったところにあるイタリア料理店ポルコ・ロッソと、そこから路地を奥に入ったところにあるハンバーガー店The BurgerHeartsの評判はいい。さらに南に行くと大船渡魚市場があり、ここのレストランは最近閉店してしまったのだけど、近くにある丸清食堂はよくテレビで紹介される。ここからさらに南に行ったところにある大船渡温泉は311後の開業だが、日帰り入浴も出来るし宿泊にもいい。
大船渡市の東側は平成の大合併までは三陸町という自治体だった。ここも昭和に吉浜、越喜来、綾里という3つの町が合併して出来た町で、それぞれ特産の海産物が違っていてそれぞれ有名という特色を持っている。特に有名なのは吉浜のアワビか。まあこれらはどれも海中にあるので前述の施設のどこからで料理もしくはお土産用に買うほうが身近だ。越喜来はいくつか見どころがあって、小石浜駅は少し前に恋し浜と駅名を変えて三陸鉄道が少し長めに停車するようになったし、甫嶺駅のそばには岩手では珍しいダイビングツアーショップがあって三陸の海に潜れる貴重な体験が出来る(密漁を気にしてか陸中海岸では水中メガネとシュノーケルのセットすら持ち歩くのに躊躇する風土なのだ)。ちなみに大船渡は牡蠣が旨いが、その中でも赤崎の牡蠣はデカくてうまい。ただこの辺一帯が春先の山火事で大被害を被ったのはけっこう痛い。
45号をさらに南に行くと、末崎半島に分かれる道がある。以前の大船渡観光地は宮古における浄土ヶ浜のようにこの末端に集中していて、大船渡が最も推していた碁石海岸はこの半島の端っこにある。それ以外にも大船渡が北限(いろいろ条件つけて)の椿を展示している世界の椿館とか、311以前の津波被害についても展示のある大船渡市立博物館とかもこの半島に存在する。
そう言えば大船渡が漁港として最も誇っているのがサンマの水揚げで、その影響もあって新しい御当地グルメとしてさんまラーメンがある。これの特色兼困ったところとして「サンマを使っていればその形態は問わない」というものがあって、まあ食べ歩いて比べる楽しみがある一方、さんまラーメンと言って一言で言えるものでは亡くなってしまっている。ただ、個人的には107号の長安寺付近にある黒船という店の秋刀魚出汁ラーメンが好き。
大船渡南側の峠を越えると陸前高田だ。おそらくテレビで何度も見たことがあると思うが、陸前高田の市街地は完全に津波にのまれて一部の建物以外はなくなってしまった。さらに当時の市長は再建にあたって市街地全体を嵩上げすることにしたので、現在の市街地は完全に311以降一から作り直された場所である。御当地歌手・千昌夫が多額の出資をしたキャピタルホテル1000も当初の場所とは全く別の場所に建っている。ただ、国道45号が海沿いを走るあたりは嵩上げが行われておらず、ほぼ道沿いに震災遺構が数多く残っている。大船渡側から順に、下宿定住促進住宅、タピック45、国道から少し離れるが米沢商会、そして奇跡の一本松、気仙中学校。事前予約があればガイド付きで中に入れるところもまだあったはずだが、まあ入らなくてもどこまで津波が来たかはそれなりに見えると思う。なおそれが非常にわかりやすかったタピック45前のガソリンスタンド看板は移転で撤去された。
奇跡の一本松。陸前高田の観光スポットはここ周辺に整備されている。現在の道の駅はこの一本松を見るための駐車場として整備されたフシがあるし、そもそも道の駅の中に津波伝承館が併設されていて、ここは正直奇跡の一本松以上に必見のスポット。なお一本松は元から一本松だったわけではなく、ここには松林があった。その松林を復興させるために松の植え直しが行われたので、50年後にはそういう逸話込みでここが名所になるかもしれない。
復興された市街地はアバッセたかたというショッピングモール周辺。この東側、市民ホールのそばにある四海楼が佐々木朗希ゆかりの店ということになっていてテレビでも何回も紹介されたが味はよく知らない。個人的には西隣にある熊谷の担々麺に何度もお世話になっているし、一時盛岡に移転した居酒屋俺っちが陸前高田に復活して営業しているのはいいことだと思っている。
住田町からの国道340号は陸前高田の西端を通って45号につながる。そのつながる直前のところに発酵パークCAMOCYがあって、地元の醤油屋さんが運営する食堂を始め、ほぼ全ての店が発酵をテーマにした商品を扱っていてここは寄るべき。この裏に最近復活した旧吉田家住宅は気仙大工の技を津波を経て復活させた建物で、今のところは無料で見られるので是非見ておくべき。気仙大工の話を事ある毎にしてきたが、資料館そのもの、というか伝承館もあってこれは陸前高田の東側にある。この伝承館の裏(もちろん車で行くべき)に展望台があって、ここの眺めはたぶんこの近辺で一番いい。陸前高田東側には他にも陸前高田のソウルフードならぬソウルドリンク"マスカットサイダー"を作っていた神田葡萄園があるが、ここでのこのドリンクの製造は2年ほど前に終わっている。ただこの商品そのものは地元のスーパーが引き継いだので今でも買うことが出来る。あとどうも孟宗竹の自生の北限がこの辺らしく、東側、広田半島には岩手ではあんまり見られない竹林がけっこう頻繁に見られるんだが、まあこれは外から来た人には珍しくもないか。
そう言えば陸前高田の地酒に酔仙という酒があって、ここが出している雪っ子というにごり酒は10月から出荷になる。これがうまいがアルコール度数がけっこう高いので危ない酒でもある。なお陸前高田の会社だが、酒蔵は大船渡に移転になった。見学は要予約だが無料で可能。
正直、この地域は「岩手観光」には含まれないことが多い。岩手県ではあるのだけど、仙台に近いので仙台観光のついでで足を伸ばす、という形で来る人が多い。一関は県境だし、伊達藩の支藩だったしね。一関市も、宮城県側の登米近辺を含めた観光コースを紹介している。
一関は広い。これは平成の大合併で周囲の町村を軒並み合併したことが原因。ただ名前を残したかったなどの理由で平泉だけは合併しなかった。実際こうやって名前が残っているわけだ。
まあ先に紹介するのは平泉になる。なんといっても世界遺産があるからね。
世界遺産・平泉は5つの施設・地域で構成されているけれど、ぜひ立ち寄るべきなのは中尊寺と毛越寺の2つ。無量光院跡と観自在王院跡は興味があればでいい。興味を持つかどうかの判断に、これらを見る前に世界遺産ガイダンスセンターで概要を掴んでからのほうがいい。あ、5つめ、金鶏山についてはたぶん気がつけば眺めていることになる。
さて一関。
たぶん最初に聞くのは厳美渓と猊鼻渓。これはどちらも渓谷なのだけど、猊鼻渓は下の川から崖を眺める、厳美渓は崖の上から流れを眺めるという感じの違った見方をするので時間があればどちらも行くべき。猊鼻渓は船頭が案内する舟に乗って観光、厳美渓はそういうのはないが、渓谷の向こう側から空を飛んでくる団子が人気。場所は一関市街を挟んで全く反対側にあるので、どっちか見たついでにもう片方、という形ではとても見られない。
猊鼻渓の手前、陸中松川駅の近くには石と賢治のミュージアムがある。晩年宮沢賢治は肥料関連で砕石工場に技師として勤めていたのだけどその跡地に建っている博物館で、ある意味今季の「瑠璃の宝石」絡みでも興味深い(ロケ地ではない)。
そう言えば、岩手は山がちではあるが、北上川より西側の山脈は火山性で温泉が多く、東側の高地は隆起性で石灰質、鍾乳洞が多かったりする。これを前提にしておくと観光地を選ぶのに少し捗る。
で、鍾乳洞。一関にもある。猊鼻渓から少し先に行ったところにある幽玄洞は国内最古の鍾乳洞ではないかと言われている。興味があれば。鍾乳洞ではないが、そこから北西に山を入ったところに藤壺の滝がある。見どころはこの滝ではなく滝に隣接した金山跡。入るにはライトの持参が必須だが、奥州藤原氏の金山開発のきっかけになったという伝説で有名。
一関から沿岸に向かうローカル線大船渡線は猊鼻渓方面に立ち寄るために大曲りしている。この大曲りは昔から我田引鉄の典型例と言われていて、探偵!ナイトスクープでネタにされたこともある。それはともかく直進する国道と大曲がりして戻ってきた鉄道が再び合うのが一関市千厩近辺。ここには三嶋温泉という温泉があって、ひなびすぎた温泉としてマニアに知られている。オーナーが変わって少しきれいになったらしいので、時間があれば入るべき(なお前述の通りこの近辺にはお湯は湧いていない。鉱泉を温めて提供している)。
千厩から南に行くと一関市藤沢に。この近辺で観光地というと館が森。施設は2つあって福島の東北サファリパークが運営している岩手サファリパークと、それとは全く別施設のArk館が森。後者は本当は牧場なのだけど、どちらかというと花畑として有名なので、見頃は秋というより春から夏。花畑といえば一関市街から南に行った一関市花泉に花と泉の公園があるがここもシーズンは秋を外す。千厩から東にさらに行くと一関市室根。ここのシンボルは室根山で、頂上にある天文台は閉館中も上に登って景色を眺めることが出来、晴れていると眺めがとてもいい。
厳美渓方面の観光地を何も書いていなかったが、厳美渓に行く国道をずっと山を登る方向に行けば、秋田との県境に須川温泉がある。ここは花巻・北上の時に書いた夏油温泉に負けず劣らずの秘湯で、11月には道路閉鎖で入れなくなる。そもそもこの国道は東日本大震災以前に起きた地震で大きな橋(祭畤大橋)が落ちて、その橋が震災遺構として残されている。
一関市街地では世嬉の一酒造が一番の見どころ。酒造の博物館だけでなく、地ビールもある。別に一関でなければ買えないわけではないけれど、サンドウィッチマンが勧めたこともあるごま摺り団子は一関市にあるお菓子会社が作った銘菓。
以前、「軍官僚になりたいのに軍がないからなれない」という投稿をした。
そこで、架空の国の架空の軍に所属する軍官僚になりきって日記を投稿していきたいと思います。
はてな匿名ダイアリー上だけでも軍官僚になったつもりで楽しみたいと思います。
私の経歴は地方出身→地方県立高校→防衛大学校中退→地方駅弁工学部→工学研究科→ゼネコン→地方自治体技術職です。
スポーツ歴はありません。
しかし、ここでは架空の国に生きる架空の人物と経歴でいきたいと思います。
経歴は地方出身→地方県立中学校→士官候補生学校→陸軍士官学校→陸軍少尉任官→部隊→軍令部大学校→軍政省陸軍局→軍令部。
父親は陸軍人で陸軍曹長の階級で退役し、定年まで地元県警の警察官として勤めました。母親は専業主婦です。
既に他家に嫁いだ姉と妹がいます。
幼少期と小学校低学年はサッカー、小学校高学年から県立中学卒業までは野球、士官候補生学校と士官学校ではラクロスをしていました。
中学時代は幼馴染と交際し、士官候補生時代には何人かの女性と遊んでいましたが、正式に交際して結婚したのは軍人華族出身の妻のみ(士官の結婚には各軍局長の許可が必要であるため)です。
増田国は19世紀半ばまでは実権の少ない君主によって叙された諸侯たちが各所領を支配する領邦国家でした。
国際情勢の変化によって一部の有力諸侯たちによって君主を中心とする中央集権的な統一国家が形作られ、君主によって制定された増田憲法も制定されました。
増田国は第一次世界大戦に勝利し、第二次世界大戦では劣勢に立たされるも、世界で初めて核分裂爆弾の開発と実戦投入に成功したことから無条件降伏を免れ、領土の縮小や賠償金の支払いにより終戦を迎えました。
ちなみに、この核分裂爆弾と実戦投入について、現在の増田国内では「無条件降伏を免れ講和に導いた功績」とみなす人もいれば増田国が行った都市空爆とともに「罪のない人々の命を奪った負の歴史」とみなす人もいます。
現代では後者の評価をする人が多くなっていますが、年配の世代や右派、保守派は前者の評価を下しており、未だに国を二分するセンシティブな問題です。
第二次世界大戦後は世界を三分割する三国冷戦時代に突入しました。
増田国は講和の際に手放した領土から撤退せず、本国と属国、植民地にて国家資本主義・修正資本主義・権威主義体制(太平洋陣営)を敷いて、自由主義・民主主義体制を敷く大西洋陣営、共産主義陣営と対立しました。
各陣営の軍拡競争はピークに達し、それぞれの陣営が原子核核融合爆弾を開発して保有し、お互いに牽制し合う状態となりました。
やがて太平洋陣営と大西洋陣営は各陣営の経済界の圧力により妥協。以降は大西洋陣営と太平洋陣営を合わせた西側陣営、共産主義の東側陣営の二陣営による冷戦となります。
増田国もこの時期に選挙法が改正され財産や性別による制限のない普通選挙が導入されました。
また、軍政を担当する省庁の大臣と高官は現役の武官でなければなりませんが、選挙法の改正とともにこの制度も改められました。
議会が選出した総理大臣は軍政省の大臣と陸軍局、海軍局、空軍局の局長を指名します。君主は総理大臣が指名した軍人を全軍最高指揮官の立場から自身の政府の閣僚に任命します。
この任命を軍は拒否できません。
増田は島国であり、本土を担当する国防軍、太平洋に展開する南方軍、大陸領土に駐留(他国から実効支配と批判されていますが、第一次世界大戦の講和条約内にて正式に領有と軍の駐留が承認されています)して旧東側陣営の防波堤となっている北方軍があります。
これに第二次世界大戦海戦のきっかけとなった鉄道爆破事件のような特殊作戦を遂行するための特殊作戦軍、核兵器を運用するための戦略軍を加えた5軍があります。
国防軍司令官は本土航空隊司令官たる空軍大将、南方軍司令官は太平洋艦隊司令官(戦時は連合艦隊司令官も兼ねる)たる海軍大将、北方軍は北方陸軍司令官(はてな統監も兼ねる)たる陸軍大将が兼任する慣例です。
特殊作戦軍司令官は情報・諜報畑出身の大将が就任することが多いです。
戦略軍のみ特殊で最高司令官直属となっていますが、これは扱う兵器の特殊性から政府も関与させるためです。
増田国の統監設置国であるはてな国と某国に領土問題が生じた際、北方軍は某国国境警備隊と交戦しましたが、この作戦は政府及び軍政省の預かり知らぬ形で開始されました。
具体的には軍令部で指揮された作戦を北方軍が統監命令として実行し、君主の事後承認を得るという形で行われました。
この時、軍令部を君主直属ではなく軍政省下に置き、政府のコントロール下に置くべきではないかという声も上がりましたが、結局ほとんどの政党が軍人の票を失うことを恐れうやむやとなりました。
特に神戸の街には女性の裸体彫刻が多く、改めて考えると不思議だ。なぜ、公共空間に女性の裸体を置きたがるのか。取材を進めると、戦後日本の歩みに深く関わっていることが分かった。
神戸・三宮のフラワーロード。三宮駅北側から東遊園地東側にかけて、35の彫刻作品が点在する。うち女性裸体像は13点で4割近い。男性裸体像は1点なので、明らかに多い。
帽子をかぶり体をくねらせる女性、直立してこちらを見つめる女性、座って体を洗っているように見える女性…。いずれも全裸だ。
神戸市文化交流課によると、市内にある銅像やモニュメントは500点以上。多くは1960年代後半以降の一時期に集中して設置されたという。戦災から復興し、「彫刻の街」を目指した同市は大規模な彫刻展を何度か開いて入選作を買い取り、神戸ゆかりの彫刻家からも寄贈を受けた。
しかし、なぜ裸の女性なのか。担当者は「裸婦像には平和の象徴のような意味合いがあったと聞いています」と話した。どういうことなのか。専門家に取材することにした。
◇
インターネットで「裸婦像 平和」を検索し、たどり着いたのが亜細亜大国際関係学部の高山陽子教授(文化人類学)だ。専門の記念碑研究の傍ら、15年ほど世界各地の銅像を見て回っている。
「公共の場に、これほど若い女性の裸体像が多いのは日本だけ」と高山教授。数年前に「国内でも多いと聞いた」神戸も実地調査した。公共空間の女性彫像についての考察を2019年にまとめた。
高山教授によると、いわゆる「銅像」が輸入されたのは明治以降。軍国主義が進むと軍人像が増えたが、戦中の金属供出や、戦後、軍国主義の排除を目指したGHQの政策で大半が撤去された。代わって登場したのが、歴史性、政治性の薄い「乙女の像」だという。
日本で初めて公共空間に置かれた女性裸体像は東京・三宅坂の「平和の群像」(1951年)で、以前は陸軍出身の首相寺内正毅の像があった場所。高山教授は「ここで平和の意味付けがなされた」と指摘する。
70年前後には地方自治体が都市整備事業の一環で設置を進め、高山教授は「駅前などに脈絡なく女性裸体像が立つことが増えたのではないか」と説明する。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20250818-OYT1T50020/
変態が当時のお偉いさんにいたんだろな(苦笑)
核兵器装備すれば自衛隊減らせるとか言うけどそんなわけがなく。
この場合、使えません。
いやまぁ自国を焦土戦術するために持つのだとして攻めてこられて自国内焼き尽くす覚悟なら使えるけどそんなわけ無いでしょ?
北朝鮮の様に脅す道具にするならまぁ使えるがその代わり日本の立地条経済封鎖されて干上がって東側になるの?って話になるので仮想敵国どこ?
なので、まず自衛隊の数は減らせないので安くならない。
その上で、固定サイロ式なんぞただの標的にしかならないので移動式発射機がいる。
原潜作るしか選択肢ないんだけど、一隻じゃ足りなくって実戦(待機任務)、訓練、メンテって最低3隻必要。
余裕を見れば5隻は欲しいところ。
その上で原潜用基地はどこにする?横須賀?日米安保そのままなん?硫黄島に作る?どこに作る?
ってなると核兵器装備した所で対して安くならない。
核兵器は相互確証破壊においてお前が使ったら俺もお前に使って滅ぼすからなって兵器なので
「こだわりのあんぱん」といって、あんぱんが2個入りで、それぞれ粒あんとこしあんという「あんこ同士仲良く手を取り合おう」というメッセージが伺える商品。
ただ、普段のヤマザキは「あんぱん」という商品を売っているが、こちらはこしあんなので「あんぱんといえば、言うまでもなくこしあんでしょ」っていう矜持があるんだろうな。
もちろん粒あんタイプのあんぱんも売ってるけど、そっちは「小倉ぱん」って名前で売ってる。
なんというか「お好み焼き」を「広島焼き」って呼んでいるようで感じ悪い。
一応、「高級つぶあん」っていう商品もあるけど、高級なら粒あんって名乗らせるってあたりにレイシズムあるよな。
Pascoは「北海道つぶあんパン」と「北海道こしあんパン」としているし、神戸屋の丹念熟成シリーズだって粒あんとこしあん両方だして平等に扱おうとしているのにさ。
よく「東はこしあん」で「西は粒あん」っていう説があって、コンビニのあんまんも西だと粒あんが多くて、東だとこしあんらしい。
実際には大宮あたりでカクンと西に曲がる。
まあ大宮がだいぶ北なんだが…
実際には大宮あたりからカクンと西に曲がり始めるので、北は北だが途中からほぼ西側に行く。
東京の真北は栃木なんだが、栃木は大宮からカクンと北東側に行くイメージ。Y字路のように考えてしまうんだろうな。実際は┫に近い。
つまりだな。
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大宮(ここまで行くことが相当稀)
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あと池袋側から埼玉に行こうとすると途中で行き止まりになる感じかも。
池袋から埼玉に入ると見えない壁があって、それ以上先に進めない。実際には行く機会がないから進まないだけなんだが。
万博で思い出したんだけど、うちの家族と「トルクメニスタン」っていう国には、ささやかな思い出がある。
別に旅行で行ったとか、そういう華々しい話じゃない。父が昔、仕事の関係で数週間だけ滞在していたことがあるんだ。私がまだ小学生くらいの頃だったかな。
当時の私にとってトルクメニスタンは、地図帳で見て「スタン系の国がいっぱいあるなあ」くらいにしか思わない、遠い遠い国だった。ニュースで名前を聞くこともほとんどなかったし、どんな国なのか想像もつかなかった。
父が出発する前、家族で地球儀を見ながら「ここだよ」って教えてもらったのを覚えてる。カスピ海の東側にあって、周りにはウズベキスタンとかアフガニスタンとか、やっぱり「スタン」がつく国がたくさんあった。
無事に帰国した父が、お土産をいくつか持ってきてくれた。その中で一番印象に残っているのが、絨毯の切れ端みたいな小さな飾り物と、独特な模様が描かれた陶器の小皿。あと、やたら甘そうなお菓子もあった気がするけど、味はもう忘れちゃったな。
父は、首都のアシガバードが白い大理石の建物ばかりで驚いたこと、砂漠の広大さ、現地で食べたプロフ(ピラフみたいな料理らしい)が美味しかったことなんかを話してくれた。子供だった私は「へー!」なんて言いながら聞いていたけど、正直、具体的なイメージはあまり湧かなかった。
ただ、父の話を聞きながら、食卓で家族みんなが「遠い国」に思いを馳せた、あの時間。父が持ち帰ったエキゾチックな模様の小皿を眺めながら、「世界には本当に色々な文化があるんだな」と子供心に感じたこと。それが、私の中に残るトルクメニスタンと家族の記憶だ。
今でも実家の飾り棚には、あの時の小皿がそっと置かれている。それを見るたびに、父の話を少しだけ思い出す。直接訪れたことはないけれど、家族の会話の中に登場した、ちょっと特別な国。
結論から言うと、皇居の東側の民には、折りたたみ自転車がおすすめ。
皇居の西側の民は、まず「ドコモバイク」みたいなシェアサイクルで試してから電動なり買うと良き。
まず、地形がポイント。
東京は意外にも高低差があり、ざっくり言うと、皇居の西側は坂が多く、東側は平坦な地形が広がっています。
■西側エリア:坂道が多い地域がそこそこあるため、電動アシスト自転車が便利
五反田・渋谷・中野・新宿周辺など、起伏のあるエリアが近い街に住む場合は、電動アシスト付きの自転車が良い。
ただし、都内は駐輪場についてはシビアなこともあり、いきなり購入しても日常で使うかわからない。そんなときは、都内のあちこちにあるシェアバイクを、まず6月くらいまで使ってみる。
台東区・墨田区・江東区・中央区あたりは、坂道がほとんどないため、自転車での移動がしやすいです。
東京駅近くからディズニーリゾート(舞浜)まで自転車で行ったこともあるよ、時間はかかるけど、疲れなかった
※途中に橋があり、そこだけは多少の坂があります。
ロードバイクは東京での暮らしでは気をつけたいポイントがあります。
1.荷物の運搬に不向き
カゴがついていないことが多く、荷物はリュックで背負うことになります。ロードは汗をかきやすく、背中がびちゃびちゃになるのがいやでした。
高価な車体は外に置きにくく、屋内保管が求められることも。
また、屋内駐輪場ならともかく、屋根付きの駐輪場は、風雨で濡れることは避けられない。実際、うちのマンションの住人の自転車は1年経たずに錆びついてる。
そんな中で、多くの場面にフィットするのが折りたたみ自転車です。
•コンパクトなので玄関やベランダに置ける。天気予報で部屋に入れるので、雨ざらししにくく、サビ対策も万全
•必要ない時期は小さく畳んで保管しやすい(真冬と真夏は流石に乗らないよ)
というわけで、いつのまにか、自分の好きなミニベロの折りたたみ自転車をおすすめするという妙な方向になりましたが、満員電車に乗らなくて良い点だけでも、ロードだろうがなんだろうが自転車おすすめですわ。
初めて北京旅行に行ったら必ず訪れるであろう天安門広場と故宮。もちろん今回の旅のメインである。どちらも人数制限あり、前日までの予約必須ということで、行き当たりばったりの計画では中に入ることができない。基本的に北京の観光地は中国人向けであり、外国人にとって予約の難易度が高くなっていると思う。そりゃ、10億人以上も国民がいるので国内需要だけでものすごいわけですよ。
ガイドブック等を見ても、個人での予約は難しい。現地ツアーか代理店に頼むべし、みたいなことが書いてあることが多いが、増田は事前準備を進める中で、個人でも大丈夫だな、と判断し代理店等は使わずに予約完了できた。3月中旬は旅行の閑散期だったから出来た話かもしれないが、個人で対応するのが好きな方は参考にしてもらえれば。
・観光地
・食事
・四季民福
・鳳臨閣(大同市)
・東来順
・很久以前羊肉串
・京兆尹
まずは予約編。他の観光施設と同じようにWeChatのミニプログラムから天安門広場を検索、起動して予約する。天安門広場の入場は無料だが、時間帯別(日の出、午前、午後、日没〜夜間の4つ)があり、それぞれでチケット枚数の上限があり、前日までに予約が必要。また、1回の予約は大人4名(6歳未満を含めた場合7名)までしかできない。そして1台のスマホで同じ日時の重複予約はできない仕様。今回の増田一行は7名なので、増田夫婦で4名+3名でそれぞれ予約しないといけなかった。天安門広場は毎日、日の出と国旗掲揚をして、日没で降旗する儀式をやっているので、それを見たい人向けの予約時間帯がある。増田は午前枠で予約したが興味があれば試してみて。
天安門広場や故宮周辺はタクシーの乗降が制限されているエリアで、DiDiを使ってもここまで来れないので、地下鉄を使うのが一般的。天安門広場の入口は4箇所あり、増田一行は地下鉄1号線の天安門東駅から入場した。9時ぐらいの到着だったが、地下鉄駅からすでにすごい人だかりができている。天安門広場へ向かう人のほか、故宮へ直接行く人、天安門広場横の国家博物館へ行く人で溢れている。列を間違えないように天安門広場へ入るセキュリティチェックのゲートへ並ぶが、ここでトラブルが発生。WeChatのミニプログラムを開くと、増田が手続きした4名分の予約がごっそりと消えていた。予約完了後にスクリーンショットを取ってあったので、予約したのは間違いないのだが、消えた原因はさっぱりわからない。また、増田妻が予約した3名分は問題なかった。セキュリティチェック前の入場券確認でやっぱり引っかかり、スクリーンショットを見せてもやはり通してもらえず、英語で一生懸命説明するが、係員も英語できないので5分ほどここで停滞。老人がいて7名中3名のチケットはあるので最後には、しょうがねーなー、という感じで通してもらった。係員さん、ありがとう。
天安門広場は南北に広い広場になっている。北側に国旗、真ん中に人民英雄紀念碑、南側に毛主席記念堂がある。道路を挟んで北側に、毛沢東の肖像画が飾られた天安門が見える。その広さに圧倒されるとともに、どうしても天安門事件を考えてしまい、当時の学生デモの状況や戦車による鎮圧などテレビで見た風景が脳裏に蘇ってくる。広場自体は見学するところも特にないので、記念撮影などをそこそこにして北側にある故宮へ向かう。
北京観光のメインディッシュ。これまたとてつもなく広いので、ずっと歩き回らないいけない。今回は春で天気も良かったので過ごしやすかったが、真夏、真冬は大変だろうなと思う。事前に映画「ラストエンペラー」とか日本でも放映されている中国の宮廷ドラマなどを見て予習すると更に楽しめると思う。
まずは予約編。ガイドブックでは中国の電話番号がないと予約できないとか、予約可能枠は瞬殺で無くなるので、個人での予約は難しいようなことが書いてあり、当初はVeltraなどのツアーサイトから予約しようと思っていたが、準備編に書いたように中国の電話番号を手に入れて、WeChatの故宮のミニプログラムで予約の仕組みや連日の予約状況を調べて行くにつれて、これは個人予約でも大丈夫そうだなと判断した。7日前から予約可能で、午前・午後枠を選ぶ。午前枠でも出る時間は午後でも構わないが、12時までに入場しないといけないので注意。午後枠は11時から入場できる。入場料は一般20元、老人(60歳以上)10元、幼児枠はあるが未成年の割引はなかった。その他オプションで鐘表館、珍宝館の入場券(それぞれ10元、老人半額)が選択できる。機会損失の無いよう買っておいたが、鐘表館は入らなくてもいいかなと思う。珍宝館のチケットは、九龍壁など通常券では見れないエリアがあるので買う価値があると思う。
1回の予約で5人分までしか予約できないが、複数購入ができるので2回に分けて購入した。予約にはもちろん全員分のパスポート情報が必要で、最後に電話番号の入力がある。ここで日本の携帯電話番号を入れると弾かれて購入できない。増田は中国の電話番号を取得済みなので、無事に予約完了となった。ただ、SMS受信をしてアクティベーションするわけでもなさそうなので、中国の電話番号の法則を調べてダミーの電話番号を入れて購入する裏技があるみたいな情報も見かけた。(何があるか分からないのでおすすめはしない)
さて、いよいよ入場であるが、天安門広場から地下を通って天安門城楼をくぐって故宮の入口まで歩くのだが、入口につくまでが長い。感覚としては7〜800mぐらい歩く感じだ。そして入場の列に並ぶのだが、これまた長蛇の列になっていて、並んでから入場まで20分ぐらいはかかったと思う。大同古城編でも書いたが、清朝の着物のコスプレサービスを提供する店が多数あり、故宮見学の人の中にも多数の皇帝、皇后の衣装をまとった人たちがいた。日本語を話しているコスプレの人もいたので、興味があれば調べてチャレンジして欲しい。いつものようにセキュリティチェックとパスポート読み取りをしてようやく入場。隣の列にいた西洋人カップルは女性の方だけがパスポートチェックが通らずに止められていた。こういう場合どうなるんだろう?と心配になった。
そして故宮の中も広い!広い!広い!入場までにも天安門、端門、午門と3つの大きな門を抜けているが、さらに太和門を抜けて、ようやく皇帝の執務室?である太和殿に着く。でもこれまでは前半部分でしかなく、後宮である居室はもっと奥にある。太和殿の左右のエリアにも、それぞれ見どころはあるのだが、全部見るには体力がものすごく要るので、今回はメインどころしか見ていない。旅行前にドラマや映画で予習をしておけば、もっとこだわりの見学ができるかもしれない。
太和殿を過ぎたあたりでお昼の時間になり、疲れてきたところでもあるので昼食を探す。故宮内にはいくつか故宮餐庁と呼ばれるレストランがある。日本だったらこのような観光地のレストランは1〜2時間待ちになりそうなものだが、中国人は食事を持ってきているのか、行列はできているが、ちょっと待てば入れそうな雰囲気だった。増田一行はベンチが確保できて休んでいたのでレストランには行かずに売店でホットドック(爆汁熱狗棒)4本とサンドイッチ(かなり本格的で美味しかった)3セットを買って食べた。合計170元、観光地価格ではあるが、十分な量があり満足した。
昼食後にオプションの鐘表館と珍宝館を見学する。鐘表館は清朝時代の時計が展示されており、前半はフランスやイギリスから献上?されたものが展示され、後半は中国国内で制作されたものがあった。10分も見れば十分かなあと思うので、特別な思い入れがなければパスしても構わないと思う。珍宝館は太和殿から見て東側のエリアにある。その名の通り、中国の秘宝を展示しているのだが、貴重なもの(翠玉白菜とか)は蒋介石が台湾に持っていってしまったので、そんなに有名なものはないと思う。(増田が知らないだけかもだが)ただ、このエリアには九龍壁などがあるので展示物は見なくてもオプション料金払う価値はあると思う。ご参考まで。
東側の珍宝館エリアから後宮方面に移動するが、この時点がかなり歩き疲れている。後宮エリアは中央に皇帝の居室である乾清宮があり、その東西に東六宮、西六宮と呼ばれる后たちの館がある。「宮廷の諍い女」などの中国宮廷ドラマを見ている人であれば、きっと楽しめる要素がふんだんにあるのだと思うが、増田一行はドラマを見ていないのと足の疲れがピークに達してきたので、東西六宮は完全に無視して中央部のみを見学しながら出口に向かった。皇后の寝殿である坤寧宮を越えると今までは見ることのなかった木々が多数生えているエリアに入り、最後に延和門をくぐって出口を出る。中国人はどこでもタバコを吸うが、故宮の内部は禁煙なので出口の広場でタバコを吸い出す人が多く、もくもくしている。
故宮の北側には景山公園という築山があり、ここに登れば故宮を見渡すことができるようだが、思ったよりも高く、疲れた足に鞭打って登る気にはならず、またこの後にホテルの移動があるので、そのままDiDiに乗ってホテルへ戻ることにした。ただし、故宮出口付近はタクシー乗降の禁止エリアになっていてDiDiの配車も出来ないので、禁止エリアを出るために500mぐらい歩くことになった。故宮出口の北側の道路は、北京の他の観光地に向かうシャトルバスの乗り場があり、中国人はバスに乗って移動しているようだったが、仕組みが分からないので手を出していない。DiDiでホテルに戻り今日の観光は完了。今日もたくさん歩いた。義母の歩数計によると15,000歩だったそう。
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北京旅行増田です。読んで期待してくれている人たち、ありがとう。
とりあえず今回の旅行で書くべき候補をリストアップしていったら当分掛かりそうな気がしてきた。いつか誰かが読んで役立ててくれればよいので、忘れないうちに順次書いていきます。
・観光地
・食事
・四季民福
・鳳臨閣(大同市)
・東来順
・很久以前羊肉串
・京兆尹
ここを観光地と呼ぶべきかは意見が分かれるところではあるが、北京大学西門や未名湖といったガイドブックにも載るような見どころがある。増田長男の留学先でもあり今回の旅行では外す訳にはいかなかった。
季節によるのかもしれないが、一般旅行客による入場は極めて難易度が高い。すべての門でセキュリティチェックがあり、学生以外は事前予約がないと入場不可。一般客の予約はWeChatのミニプログラム「参観北大」から行う。説明は「7日前から予約可、毎日8時更新」とあるのだが、予約画面に行くと、「校内行事のため、〇月〇日までしばらく停止」となっていることがほとんど。たまに予約可能日が表示されてでも既に枠は埋まってる状態で、これは無理だ思う。
増田一行はどうしたかと言うと、北京大学生の招待枠を使って予約した。増田一行の人数が多いので他の学生にも手伝ってもらったとのこと。ありがたい。予約は3日前から可能でパスポート情報と時間指定が必要。旅行直前か始まってからでないと予約確定しないのと、政府要人が急遽来るってことになったら当然予約できないらしい。どの門から入るかは指定できない。今回は分けて予約したせいか東門と東南門に別れて入場することになったが、200mぐらいしか離れてないのですぐに合流できた。セキュリティチェックはパスポートで行うが、高速鉄道や観光地のように読み取り機があるわけでもなく、屈強そうな係員がタブレット(iPad?)を出して、渡したパスポートと画面を見比べて確認していた。今回の旅行で一番アナログな瞬間だったかも。なお、出口の指定はないので今回は東門/東南門から入って、西門から出た。
増田一行のセキュリティチェックの脇を、学生たちは自転車やミニバイクで学生証を機械にタッチしながらどんどんすり抜けて行く。他の施設と同様に北京大学の校内もものすごく広い。お約束だが東京ドーム換算で17.5個らしい。なので校内の至るところで電動ミニバイクが走り回っており、美団やハローのシェアサイクルが放置状態で転がっている。面白かったのはミニバイクに取り付けるハンドカバーの柄。北京の冬は寒いので、ハンドカバーが大きくなり上半身や足まで覆うようなカバーを使っているのだけど、女学生と思わしきミニバイクのカバーは、昭和のファンシーショップに置いてあるような動物の図柄がほとんどだった。10台ぐらい見てみたが、どれも違う柄だったので相当な需要があるんだと思う。たまにおっさんもファンシーなカバーを使っていてとても微笑ましい。
大学入って門の周りで記念撮影したあとは、大学文創と呼ばれる北京大学オリジナルグッズを取扱う店に行ってお買い物。ボールペンやキーホルダーなどの定番のほか、THERMOSのボトルなど実用的なお土産物が多い。ちなみにTHERMOSのボトルは蓋の裏に茶こしが付いていて中国仕様だった。アパレルも豊富で、Tシャツ以外にも北京大学のエンブレムが付いたダウンコートや、左胸に北京大学と刺繍が入った青色のダサかっこいいジャージとかも売ってた。(買わなかったけど)
買い物終わったらちょうどお昼頃で、学生たちが学食へどんどん向かっている。北京大学には11の学食があるらしいが、ほとんどが学生証がないと注文できないとのこと。実際に行ってみたらゲートがあって、丁寧に学生のみ購入可の掲示があった。この日、増田長男は不在だったので無理かなと思いつつも、学食にいた大学職員?から家園という学食の4階なら学生証なくてもOKとの情報を聞き出し、そこへ向かうことに。はてさて、あったのは「西式快餐」という残念な感じのファストフード店と「小北面包」というパン屋。火鍋のレストランもあったけど学食ではないっぽい。西式快餐で残念なピザと残念なパスタを注文してしまった。子どもたちはカツカレー頼んで満足してた。違う。そうじゃない。
昼食後は有名な西門(正門)へ向かう、寺院のような豪華で古典的な門で、入学した学生は必ずこの門で記念撮影をするという。また、北京大学の北側半分は、コンクリート造りで雑多な建物な南側と異なり、学生もほとんど居らず、未名湖という大きな湖があり、湖越しに博雅塔が見えるなど、同じ大学内とは思えないほどのデートスポットになっている。このエリアのクラシカルな建物にはどんな学部が入ってるのだろうと案内板を見たら「考古学研究所」と書いてあって納得。西門に戻って外へ出たら中に入れない観光客がたくさんいて記念撮影していた。へへ〜んと優越感を得て北京大学見学は完了。10時に入場して14時までぐらいかな。
北京大学から見てすぐに西側にある歴代の中国皇帝により整備された庭園。ここもものすごいスケールで大きな湖があるが、これも人造湖だという。世界文化遺産(1998年登録)に指定されている。今の形に整備されたのは西太后が自分の住まいのために莫大な資金を投入したとかで、専制君主ってのは良くも悪くくもすごいなと思う。
北京大学西門を出たらすぐだよ、と増田長男は言っていたが、距離を測ると2.5kmほど。地下鉄駅もすぐ近くにはないので当然のごとくDiDi呼んで移動。この頃にはDiDiの利用にもだいぶ慣れてきて、ちょっとした移動でも躊躇せずに使うようになってきた。DiDiで移動したのだが、頤和園入口前で大渋滞になってしまいタクシー運転手もいらいらしてきたようなので100m手前ぐらいで降りてあとは歩いた。
頤和園のチケットは事前予約していなかったので、WeChatで「頤和園」と検索してミニプログラムを開いて購入した。当日購入は可能だが時間帯毎(9時〜12時、12時〜15時、15時以降)にチケット枚数の制限があるようだ。事前予約は7日前から可能なので繁忙期にどうしても行きたい場合は事前予約しておいたほうが無難かも。チケット代金は入園だけ、博物館などの入場料込の2種類ある。増田一行はすでに北京大学で歩き疲れていたので入園だけのチケットを購入したが、耶律楚材祠など朝からじっくりと見学したい人はフルセットのチケットが良いと思う。入園だけのチケットは一般20元、未成年10元、老人(60歳以上)無料、ほかと同じように購入にはパスポート番号の登録が必要だが、購入完了後、QRコードが発行されるので入場はQRコードの読み取りで行う。無料の老人はチケット購入がないのでQRコードは発行されない。入場チェックは曖昧で老人だと認識されるとパスポート確認もほとんどされない。
老人無料ということも関係があるのかもしれないが、頤和園は老人の団体旅行客がものすごく多かった。ひと昔前の農協ツアーを思わせるような、旗を持ったガイドに先導され、同じ帽子(赤や黄色などの目立つ色)を被った集団で埋め尽くされているエリアがいたるところにあった。頤和園内の見どころの説明看板には中国語、英語、日本語、韓国語の4カ国語で書かれているので、日本人にとっては非常にありがたい。日本語説明があるだけでも満足度が上がり、滞在時間が伸びる。湖には遊覧船もあるようだが、この日は動いていなかった。(運行停止のような記載があったが、季節によるものか、たまたまなのかは不明)
団体旅行客を避けつつ、日本語の案内文を呼んでいくと清朝末期の西太后や光緒帝の軋轢、悲しいエピソードに触れることができ、大変おもしろかった。歴史好きならば事前に予習しておくともっと楽しめると思う。園内には北京老舗の茶屋「呉裕泰」のお店があり、ジャスミンティーやココナッツミルクティーなどのお茶(13〜20元、アイスもできる)やソフトクリーム(10元)もテイクアウトできるので、天気がよければ休みながらゆっくりと過ごすのも良さそう。増田一行は連日の歩きで疲れているので入口周辺をぐるっと回っただけだが、それでも2時間弱の滞在だった。園の北側には行っていないが、小高い山(人造だそう)があり仏香閣などの有名な建物があるので、時間と体力に余裕がある人はフルセットのチケットを買って行ってみて欲しい。
16時過ぎに退園してDiDiでホテルに戻る。頤和園は北京市街の北西の外れで、ホテルは紫禁城の南東側に位置するので距離にして24kmほどになるが、タクシー料金は約60元(1,260円)などで地下鉄でも帰れるが、やはりDiDiが強い。
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