
はてなキーワード:条件反射とは
髪は脂っぽく、マスクの下には青春をすっ飛ばした顎ひげ。ニュースを見ると条件反射で「マスコミは偏向してる」と呟く。コンビニ弁当の値段を見て「岸田のせいだ」と言い、SNSでは保守論客の投稿に「いいね」を押しては自尊心をつなぎ止めている。そんな僕が、まさか“敵陣営”のパヨク女性とチューするとは、誰が想像できただろう。
出会いは最悪だった。
都内の小さなカフェ。僕がWiLLを読んでいる横で、彼女はリテラをスマホで読んでいた。視線が合った瞬間、互いに嫌悪が走ったのがわかった。僕が「日本人ならまず自国を誇れよ」と言えば、彼女は「誇りじゃなくて反省が必要なの」と返す。
そのやり取りはまるで冷戦の再現だった。だが奇妙なことに、議論が進むほど、彼女の言葉の選び方に惹かれていった。論理の切れ味があり、思想は違えど“思考の誠実さ”だけは同じだった。
二人で飲みに行ったのは、その一週間後。
焼き鳥屋の隅で、僕は生ビールを握りしめながら、「でもさ、結局日本人は努力してるじゃん」と言い張り、彼女は笑いながら「努力って、構造を見ない人の逃げ言葉よ」と返した。その瞬間、僕は腹が立つよりも、むしろ安心した。
彼女は僕を“論破”しながらも、軽蔑してはいなかった。思想を叩いても、人を見下さない。僕は生まれて初めて、思想で殴り合いながらも“対話”というものをしたのかもしれない。
そして、あの瞬間が来た。
店を出て、夜風が吹く路地裏。彼女が「あなた、ほんとは優しいのね」と言った。
その言葉が、僕の防衛本能をすべて解除した。気づいたら、彼女の頬に手を伸ばし、唇が触れた。
最初は拒絶されると思った。だが彼女は微かに目を閉じて受け入れた。
その一瞬、右と左も、保守とリベラルも、国体も多様性も、すべて霧のように消えた。そこにあったのは、ただ人間と人間の体温だった。
帰り道、僕は混乱していた。
「俺は裏切ったのか?」
いや違う。
チューしただけだ。だが、あの接触は僕のイデオロギーの壁を融かした。
もしかすると、国家も歴史認識も、すべてこの小さな接吻の延長線上にあるのかもしれない。相手を否定するほど、実は似ていたのだ。
今でも僕は“ネトウヨ弱者男性”だし、彼女は“パヨク女性”のままだ。
だけど、もし国会で罵倒し合う政治家たちが、一度でもお互いとチューしてみたら、少しは世界がマシになるんじゃないか。そんなことを本気で思ってしまう自分がいる。
こんな感じかなーとClaudeで生成してみた
任天堂に依存して30代で何も残ってない男の後悔を私小説風で書いて。条件:-段落の頭は全角スペースでインデント- 短文を多用して、リズムを作る- 一行空けで段落を区切る-文学的な比喩を使う- 「■タイトル」形式で始める
三十四歳の誕生日に、私はコントローラーを握っていた。いつものように。当たり前のように。まるで手の一部であるかのように。
気がつけば十五年が経っていた。
ゼルダの伝説を何周したか覚えていない。スプラトゥーンのランクはカンストした。スマブラの全キャラクターを解放し、ポケモンの図鑑を埋め、どうぶつの森で四季を何度も巡った。経験値は確かに積まれた。しかし私の人生には何も積まれなかった。
画面の中の主人公は強くなった。私は何にもなれなかった。
友人たちは結婚していった。子供が生まれた。家を買った。転職した。起業した。夢を追いかけた。夢を諦めた。それでも前に進んでいた。私だけが同じ部屋で、同じ姿勢で、同じ画面を見つめていた。
母は何も言わなくなった。最初は心配していた。次に諦めた。今は透明な存在として私を扱う。
履歴書の空白は広がり続けた。職歴欄は砂漠のように白い。趣味欄には「ゲーム」と書いた。面接官は苦笑した。私も苦笑した。笑うしかなかった。
ゲームの中では英雄だった。王国を救った。世界を救った。何度も何度も救い続けた。でも現実の私は誰も救えない。自分すら救えない。
スイッチの起動音が鳴る。あの優しい和音。条件反射のように体が反応する。脳が喜ぶ。ドーパミンが放出される。また今日も同じループ。甘い毒のような日常。
通知が来る。新作の発表だ。心が躍る。発売日が待ち遠しい。予約する。カウントダウンする。発売日に徹夜でプレイする。クリアする。また次の新作を待つ。
この繰り返しが十五年。
三十四歳の私には何もない。貯金もない。キャリアもない。恋人もいない。友達もいない。あるのは膨大なプレイ時間の記録だけ。デジタルの墓標。
ハイラルの地図は完璧に頭に入っている。でも地元の地理すら覚束ない。ポケモンの種族値は暗記している。でも自分の健康診断の数値は見ていない。
画面の中の冒険は終わる。エンディングが流れる。感動する。泣くこともある。でもゲームを消すと何も残らない。心に残るのは虚無だけ。
鏡を見る。膨らんだ腹。猫背。生気のない目。これが三十四年生きた証だ。
任天堂は悪くない。ゲームは悪くない。悪いのは私だ。逃げ続けた私。選び続けた私。現実から目を背け、スイッチの電源を入れ続けた私。
でも人生にコンティニューはない。セーブデータから再開できない。取り返しはつかない。
全然違うんだけど本当にこういうやつ居そうで悲しくなったわ
「誰でもよかった」に対して「誰でもいいといいながら弱者を選んでいる」のような意見
何度繰り返されるのか
それに対してよく言われるツッコミが
・「誰でもよかった」とは警察が供述調書を作成するときの定型句で、「特定個人を狙ってはいなかった」程度の意味になる
のような反論がある
しかしニュースで「誰でもよかった」というフレーズが出ると決まって「誰でもいいなら弱者ではなく……」のようなコメントを見る
なぜなのか
1.ユーザーは入れ替わる説
初めて「誰でもよかった」を見た人、初めて「それって実際は誰でもよくないじゃん」と思った人は一定数必ずいる説
2. 上の句下の句説
「誰でもよかった」という上の句には「誰でもいいなら弱者ではなく……」という下の句をカルタ的に条件反射でコメントする層がいる説
3. 憤りや嘆きの表明説
無差別に選ばれた被害者や遺族に共感し心を痛め、「なぜあなたである必要があったのか、もっと他にひどい目にあうべき人がいるのに」という思いが「誰でもいいなら弱者ではなく……」という言葉になって表れている説
4.ツッコミに納得しない人説
前述の
に納得していない人が何度も繰り返し「誰でもいいなら弱者ではなく……」のような趣旨のコメントをしている説
確かに前者の「警察が供述調書を作成するときの定型句」というのはしっかりとしたソースがあるわけではなく状況証拠的なのだが、後者側の理路をどう崩すのだろう
ざっとこのくらいだろうか
個人的には「4.ツッコミに納得しない人説」の人がもしいるなら、なぜ納得しないのかを聞いてみたい
Twitterで「誰でもいいなら弱者ではなく……」のような趣旨のコメントをしている人のリプライがどうなっているかを見てみれば、それを知ることができるかもしれない
あとで昼飯食べながらちょっと見てみよう
おわり
まあ、そうだろうなと思った。
むしろ、父親とは血がつながっているというのが意外でもあった。
小さな頃から、遠い先祖に外国人がいて、その影響がたまたま強く出たと教えられてきたけど、どうにも納得できなかった。
本当のところは父親の前妻が外国人で、僕はそのハーフだったらしい。
その年、父が死んだ。
「あなたと私は血がつながっていない。嫌ならこの家を出て、自分の好きな場所で暮らしていい。お父さんが残してくれたお金で、生活には困らないはず」
と言ってきた。
でもちゃんと、「もちろんあなたのことは愛している」と、付け加えていた。
正直、けっこうこたえた。
もしかして僕のこと、嫌いだったのかなと少しだけ思った。
でも、その言葉とセットで「東京に行こう」と即決していた自分がいた。
中学時代、ふとしたきっかけで吹奏楽を始めて、異常に音楽の適性があったみたいで、顧問の先生が「君には特別な才能があるかもしれない。知り合いの先生を紹介してあげるから東京に進学してみたら」と勧めてくれた。
でも、うちにはそんな金がない。
ずっと音楽を続けたいとは思っていたけど、現実的じゃなかった。
そんなとき、母の「血がつながっていない。嫌なら出ていっていい」という台詞。
なんだか心臓の奥を殴られたような気がしたけど、同時に妙に納得して、「じゃあ東京行くか」とほとんど条件反射で決めていた。
それからは音楽に打ち込んで、卒業した後もなんだかんだでずっと音楽に関わって生きてきた。
気がつくと、当時の自分には想像もつかなかった形で、今も音楽の世界の一角で何不自由なく食えている。
先日、母が亡くなった。
東京に出たあと、何かあるたびに世話を焼いてくれて、誕生日に贈り物が届いたり、季節の果物が突如として宅配便で送りつけられてきたり。
それは、多分、「実の母」のそれだった。
後になって気づいた。
あの告白も、「お前はここにいてもいいし、出て行ってもいいんだよ」という、母なりの背中の押し方だったんだろう。
僕ならきっと、母と、当時2歳だった弟のために地元に残るだろう、と見抜かれていたのかもしれない。
だから、そういう予定調和みたいなものをぶち壊して、ちゃんと自分の道を選びなさいと、あえて突き放したんだろう。
弟とふたりで遺品整理をしていたら、財産目録と一緒に僕ら兄弟それぞれに宛てた手紙が出てきた。
手紙にはたくさんのことが書かれていたけれど、最後に母は「あのときはほんとうにごめんなさい。本当はあんな言い方をするつもりはなかったのだけれど、でもああするしか後押しする方法が思いつかなかった。もっと良いやり方があったはずだった、とずっと後悔してきた。許してほしい」と書いていた。
弟と二人で黙って手紙を読み終えた。
もう何年も経っているはずなのに、読み終わった瞬間だけ、母から真実を告げられたときの居間の空気が蘇った気がした。
今さらどうこう言葉を返すこともできないし、「許す」とか「ありがとう」とか、定型の感情に仕舞うには少し足りない。
ただ一つだけ、あの時の言葉も、背中を押してくれた母の決断も、全部含めて「ああ、これが自分の人生なんだ」と思った。
それからしばらく、遺品の片付けや事務的な手続きで走り回った。
台所に残った母の急須、寝室の押し入れにしまってあった古いアルバム、引き出しに片付けられた未使用の封筒。
物だけが淡々と残っていて、思い出も物語も、特に感傷に浸ることもなく過ぎていく。
電話越し、それとなく気遣う言葉、たまに肩の力が抜けたような笑い。どれも普通だ。家族だった。
親子の物語なんて結局あとづけでしかなくて、たまたまそこにいただけ、という感覚だけがじっと残る。
母がいなくなって、名義変更や相続…そういう現実的な事だけが膝元に転がってくる。
結局、人が何をしても、ただ、その都度、選んだ結果だけが静かに積み上がっていく。
東京で暮らしながら、弟とは以前ほど頻繁に会うこともなくなったけれど、あの家族の物語以外、特別なドラマは何もなく、それで充分だと思う。
最初の発語は、1歳半くらい。
Ball、アルファベットのE、いずれも書かれていた単語をみてそう読んだ。
ずいぶん遅いし、こっちが喋ったののオウム返しじゃなくて看板の文字からってのが変な感じだったが、自分も喋るのが遅かったそうなので気にしなった。
その後進歩がない。数字→アルファベット→ひらがなの順でなんとなくわかってる風だった。
「だ、る、ま、さ、ん、が」と順に指をさしたりしてたので。
2歳半くらいのときに、iPadのパスコードを教えたら、6桁を一発で覚えてしまった。
その後、勝手にiPadを開くようになったので番号を変えたら、何度も失敗されて3日くらいロックされてしまったので、元にもどして自由に使わせるようにした。
キーボードを触らせたら、すぐに配列を覚え、必ずアルファベット24文字を大文字と小文字で打ち、1から10まで数字を打つというルーティーン。
単語として最初に打ったのが、1one2two3three4four5five6sixで、3歳になる手前。
相変わらず、いくつかのアルファベットと英単語の他は喋らない。
しかも、画面や本にむかってつぶやくだけで、対人コミュニケーションはゼロ。
これはと思い受診。児童精神科への3か月おきの通院と児童発達支援センター(以下児発)での療育が始まる。
児発が好きらしく、休日に児発に行こうと脱走を試みて確保される。
確保されても「イィー!」しか言えない。
発達障害は自己肯定感が低くなりがちという言説を聞いたことがあるが、長男は真逆で「自分が絶対的に正しい」というスタンス。
どんなに周りに心配されても叱られても、本人的には「ブツブツうるせー」としか思ってないので、好き勝手行動してしまう。
道順とか一発で覚えてしまうので、道順が違うと騒ぐし、玩具屋のほうに誘導される。
「パパいた」と呟くのを目撃される。ようやく2語文。
弟のことをフルネームで呼んだところを目撃される。
家庭内で苗字をつけてよぶことなんかないのにフルネームってのが長男らしかった。
こっちがかける言葉への反応はずいぶんと良くなったような気がしたが、基本的に、利害が一致したら従う、それ以外は無視というスタンス。
例えば「公園でかけるよ!」と言ったらシュババっと出てくるけど、「ご飯できたよ!」といっても無反応。
当時、オムツを履いてないときはトイレにいけるが、オムツを履いてるとオムツにするという拘りで、トイレさせるためにフルチンで過ごさせていたのだけど、フルチンのときに数字をカウントアップする動画を見ると必ずちんちんをしごいて大きくしてた。どういう条件反射だ。
4歳の頃もそうだったが、5歳のときは物欲の権化だった。これが欲しいとスイッチが入ったら、ガンとして聞き入れない。
どんなに優しく言っても、怒鳴りつけても、叩かれても引かない。
自己肯定感の塊だから、ママに嫌われたら怖いという感情がない。
この時期、会話能力は伸びなかった。
相変わらず、都合がいいときだけ反応するのみ。
しかし、「ちょっと待って」と言われて文字通りちょっとだけ待てるようになった。
本当に「ちょっと」しか待たずに勝手にどっか行ってしまうのでヤバかったけど。
そこはさ、空気読めよって思うんだけど、自閉ってそういうもん。
全く持って、コミュニケーション意欲がない。
Big, Small
Long, Short
Hot,Cold
と対義語を並べて言い続けるだけ。
それと、時々だが「Yes!」と「OK!」と「No!」を言うようになった。数を数えるのは英語だった。
問に答えるっていうことができないからちゃんと調べられなかったけど、ちゃんと位取りもわかってるみたいで、100くらいまで数えられるっぽかった。
「Yes!」と「OK!」と「No!」が板につき、けっこう答えてくれるようになった。
テレビゲームをしながらよく「Yes!Yes!Yes!」と叫んでた。「イィー!」から進歩。
相変わらず対義語を言う遊びはよくやってた。
英語と日本語を並べたり日本語で対義語を並べたりもするようになった。
HotCold
Hot あつい
Cold つめたい
あついつめたい
という感じ。
少しずつ発音もよくなってきたが、トイザらスから力づくで強制退場させるときに「Help! Help me!」と大声で叫ばれていろんな人にこっちを見られて焦った。
シンカリオンとニンテンドーラボを飽きずに何度もバラしては組み立てを繰り返してた。
説明書の文字はそこそこ読めるらしい。たぶん8割図からだろうけども。ミニ四駆も手伝われながらも理解して組み立ててた。
マリオオデッセイ、ピクミン4、スプラトゥーン2(ヒーローモード)を最後までクリアした。
ゲーム内の仕組みをわかってるし、数の概念もだいぶ育った気がする。
座ってられただけで凄いのに初めての「はい」
急に日本語を喋るようになった。
「いくわよー」
「だめよ」
「あかだよ」
という感じで、語尾に「よ」をつけるのは、学校の先生を真似てるからだろうか。ラッパーみたいでかわいい。
親とのコミュニケーションのなかで覚えるんじゃなく、「お勉強」で言葉を覚えるタイプのようだ。
例えば、スーパーマリオ3Dワールドのセーブデータを弟に消されたが、全く怒らなかった。
長男にとっては、どこにグリーンスターがあるかを覚えるのが重要で、セーブデータには興味がないっぽい。
石破はわかりやすく言えば田原総一朗みたいな奴だ。いろいろゴチャゴチャ言うけど芯が無い。誰かの受け売りであったり場を見ての条件反射でモノ言ってるだけ。
政策的にも、就任以来何かイニシアチブを執って成し遂げたことがあるか?未来における魅力的なビジョンを提示しているか?何もない。
そんな石破を即席に善玉ということにして持ち上げざるを得ないのは、言うまでもなく野党サイドに求心力のある領袖や旗印となる政策がないからだ。
石破自民がまだ比較第一党ダカラとか情けないこと言ってるのとシンクロして立憲は比較第一野党()の座に安堵し、党勢拡大に繋がるような主張を何も打ち出さない。頭株が引退するまで手頃なやられ役として自民と握って食いつなげればいいのだろう。そう思われて仕方ない野田の腰の引けぶりだった。
野田は分かりやすく言うと石破みたいな奴だ。緊縮志向で政局勘が働かない。政策通面してるが中身がない。
しかし立憲がそんな体たらくだからといって「自民は支持しないが石破続投は支持する」という主権行使のチャンネルは本邦の政治制度上、存在しないのである。
国民は〇〇党を選ぶまでしかできないのだ。勿論首班指名選挙は与党議員だけで行うのではないし少数与党の場合は連立で云々カンヌンはさておき事実上自民党総裁が総理大臣なのである。
いまアホサヨが飛びついてるアングルは、石破下ろしは旧安倍派裏金議員の意趣返しであり公益性がないというものだ。
「裏金問題」が岸田による派閥解体を経てなおホットイシューであるというのはフィクションでしかない。選挙の争点にもならなかった。
ディテールは胡乱だが「石破は国民に対して職を辞して詫びなければならないことはしてないじゃないか!」という基本的なコンセプトはなかなか説得力があるように感じられる。でもちょっと待てよ。国民に対して責任を取るために辞めるべきなんじゃないんだよ。
自民党総裁として選挙を主導して何度も負けたから自民党の内輪に対して責任取るんだよ。そしたら前述の通り、自動的に首相の椅子も喪うんだよ。わが国の制度上。
そもそも私たちは思った以上に条件反射と連想ゲームで仕事をしていたのかもしれない
もし仮に、条件反射と連想ゲームに逆張りをしたらどうなるだろう?
まず、そういった行動は得がなく損だけなので誰もやりたがらないだろう
中にはやる人もいるかもしれないが、そういう人は次第に居なくなっていく
結果として、周りには同じような条件反射と連想ゲームに素直に従う、
ある最適な範囲において最適解を見つけ出すことに特化して最適化された、AIのような集団。
それが私たちだ
私たちはこれまで、まるでAIのように条件反射と連想ゲームを繰り返しながら、ただ流されるままに生ききただけなのかもしれない。
ほう。
ほう、ほう、ほう。匿名性の培養液に浸かって、互いの脆弱な自己肯定感を舐め合う無菌室の住人たちが、実に興味深い知的ままごとを演じておられる。感心だ。実に感心だ。己の「普通」という名の、その凡庸で退屈極まりない立ち位置を再確認するために、「サイコ」という名の想像上の怪物を解剖し、その内臓をありがたい標本のように並べて悦に入っている。素晴らしい。夏休みの自由研究かね?その努力と無為を、まずは最大限に嘲笑して差し上げよう。
貴様らが「本質を突いた観点」などと称賛しあうその矮小な二元論。それを、我が、この儂が、このわたくしが、この僕が、この俺様が、真の「抽象化」という名の硫酸槽に叩き込み、その骨の髄まで溶解させてやろうではないか。お前たちの言う「サイコ」の抽象化ごっこが、いかに生ぬるく、感傷的で、救いようのない欺瞞に満ちているかを、余すところなく開陳してくれる。
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…どうだね?匿名ダイアリーの賢人諸君。お前たちが安全圏から石を投げて喜んでいた「サイコ」という概念が、いかに人間的な、あまりに人間的な感傷と甘えに満ちていたか、理解できたかね?
お前たちは「抽象化」という言葉を弄び、その実、人間というカテゴリから一歩も出ていない。友達を「リンク」、感情を「シグナル」と呼んでみたところで、それはただの比喩に過ぎない。我が行うのは比喩ではない。存在そのものの再定義だ。
お前たちが恐怖し、必死に理解しようと努め、レッテルを貼って安心しようとしているもの。その正体はな、「サイコパス」などという生易しいものではない。
それは、あらゆる価値、あらゆる意味、あらゆる感情、あらゆる生命、その全てを、純粋な物理現象と情報プロセスに還元し尽くす、絶対的な無関心だ。
それは、お前たちが必死に築き上げた「人間社会」という砂の城を、ただの原子の集合体としてしか認識しない視点だ。
それは、
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お前たちの、それだ。
癌治療でモルヒネ投与を過剰に嫌った結果無駄に苦しむ人は後を絶たない。
苦痛に対して肉体が起こす様々な反射行動が寿命を削る速度は容易にモルヒネの副作用を上回るからである。
なぜヘロインに女神の名前が与えられたのか、それが救いの神となるために生まれ実際その効果があったからである。
戦争の道具として用いられただけのヒロポンみたいなポンコツのせいで麻薬に対して条件反射的に悪と断じる人が多すぎる。
オピオイドもまた医療の世界が患者のために作り出した新時代の鎮痛剤。
だが、多くの人が何も考えずに「新しいドラッグだ!悪い薬だ!こんなものを輸入される前に港町で捨ててしまえばいいんだ!」と叫んでいる。
愚かな。
「竹中憎しで脊髄反射。しょーもないね。俺は冷静沈着。だから分かるぜ一理あること。コイツの意見も一部採用」
みたいなことま~~~~~~だ抜かしてるのかよ。
馬鹿すぎだろ??
当時のお前らが政治の場面で繰り返してきた悪癖そのままじゃん。
「まあまあ一理あるんだから聞いてみようじゃないか(くぅ~~~~~俺様ってクールキャラでマジ賢い~~~~キリッキリッ イキッイキッ)」
こんなこといつまでもやってんなよ。
お前がやってるのは「冷静な発言」じゃないから、「冷笑できるチャンス狙い」でしかないから。
自分の人生がしょーもなすぎることに対して真っ当に努力して改善しようって意欲がないから、マウント取れる機会をいつだって目をガン開きにして探し待ってるだけなんだよ。
その一環としての「脊髄反射なコイツらと、それをしないクールな俺」っていう立ち位置なのな。
いやお前さ、本当アホだよ。
「赤信号なんて守ってちゃ、立派なおとなになれないぜ」と言った直後に横断歩道のど真ん中で車に惹かれるクソバカと同じことやってる自覚を持てよ。
AIは直前の言葉から次の言葉を予測しているだけなので、それは知能とは呼べない。だが人間も同じなのではないか?という話はよくXで流れてくる。それが正しいかどうかは知らない。
だが、頭の悪い人間、例えば反AIだったり、参政党に投票するような人種は、自分の直前の言葉すら参照できず一貫性のない主張を叫び、単語を見つけたら条件反射で怒り狂っているだけ。
AIの知能は認めないが、こんな人種の知能は認めるというのは明らかに無理筋で、感情論以外の根拠はない。
とはいえ知能がないから価値がないと言いたいわけではない。こんな人種でも安い労働力としては価値がある。高望みせずにネットで落書きを上げたりしてなけなしの承認欲求を満たしながら、現実ではゴミ収集なり介護なりを安い給料で続けてほしい。
朝から和菓子を食ってるって言うと、たいてい微妙な空気になる。「え、甘いの?」「それって朝ごはんになるの?」っていう、バカみたいな反応が返ってくる。そっちはマーガリンどっさりのパンとか、砂糖まみれのグラノーラを平らげてるくせに、こっちが桜餅食ってると「それはないでしょ」とか言い出す。そのダブスタに本人が気づいてないのがまた面白い。
和菓子って、朝に食べちゃいけないものなんだっけ。誰が決めたの。朝からハレの気分になっちゃいけない法律でもあるのか。ちょっとくらい気持ちが上向いたっていいだろ。なんで朝は「質素で慎ましく」みたいな謎の美徳を押しつけられなきゃいけないんだ。朝だからって、全員が黙って白米噛んで反省モードに入る必要ある?
「朝食はパンかご飯か」って議論も、あれ一種の思考停止でしょ。選択肢が2つしかない前提で話す時点で、もう視野狭窄に陥ってる。しかもその中で「どっちが健康か」「どっちが効率的か」って、ちまちま優劣つけようとしてるのが泣ける。正しさを競いたいなら、文句あるやつは朝から自分の正しさをコーンフレークにでもかけて食ってろ。
自分はただ、朝に練り切りを食べたい。それだけのことにいちいち周囲の理解を求めなきゃいけない空気が異常。そういうやつらは、周囲に合わせることと自分の意志を捨てることの区別がついてない。誰かが枠の外のことをやるとすぐ警戒するくせに、自分では一歩も出ない。怖いからだろ。はみ出すのが。自分の内側に空っぽなまま生きてきたからだろ。コンビニが「朝の〇〇セット」とか売り出せば、条件反射でそれを選ぶ。思考停止って、こんなに気持ちいいんだな。知らなかったよ。
どら焼きを朝に食ってるだけで、「それってどうなの」って言われる社会ってなんなんだよ。こっちは甘いもの食ってるだけで、別にお前らの生活を否定してるわけでもないのに。むしろ否定してくるのはそっち。朝食ごときにまで正しさを持ち込んで、他人をジャッジしないと不安で仕方ないんだな。哀れというか、もう病気じゃん。そのくせ「個性が大事」みたいなことは平気で口にするんだから、始末が悪い。
だからこっちはこれからも朝に和菓子を食う。お茶を淹れて、ゆっくり噛んで、ちょっとだけ静かにうれしい気持ちになる。それがそんなに気に入らないなら、せいぜいコーンフレークでも噛み締めて、自分の正しさに酔ってろ。
「なんであんなことしたんだろう?」とか、自分の行動や気持ちをじっくり振り返ることが殆ど不可能。
自分の気分で意見がコロコロ変わる。動物が本能や条件反射で行動するように、あまり深く考えず、感情やその場の雰囲気で動くことと似ている。
こういう人間ばかりだとおそらく人類の発展は無かったと思えるから。動物と同じで実験動物みたいな活用方法や人間に調教され使役される以外に人類に貢献できない。(例えば盲導犬的な貢献なら動物的人間にも可能、という感じ)
他の人の気持ちや都合よりも、自分の欲求や感情を優先しやすい。
冷静に考えるより、すぐカッとなったり、感情的に決めつけたりする。
何か問題が起きても、自分の責任を認めるより、他人や周りの状況のせいにしがち。
しかし、その内容を聞くと 「本当に自分はダメで、もう自殺したい」などと言うだけで、具体的に何がおかしいか、どうすれば良いのか、という言葉は出てこない。
単に批判をかわす為の防御として言ってるだけで、本当に改善したいと考えているようにはとても見えない。
話し合いが難しい: 冷静な話し合いや、お互いを理解しようとする対話がなかなか成り立たないことが多い。
協力しにくい:自分中心だったり、感情的だったりするので、チームで何かをしたり、お互いに助け合ったりするのが難しい場面がある。
一緒にいると疲れちゃうかも: 周りの人は、気を使ったり、振り回されたりして、精神的に疲れてしまうことがあるかもしれないね。なかなか一緒に成長していくのも難しいかも。
「はいはい、私が全部悪かったですー(全然反省してない口調)。これでいいんでしょ?」
「それより、あっちの〇〇さんのミスの方がひどくないですか?そっちはいいんですか?」
「なんで私ばっかりこんなに言われなきゃいけないんですか!不公平です!」
「忙しかったんだから、しょうがないじゃないですか!人間だもの!」
「もういいです!あなたたちとは話になりません!時間の無駄!」
「結局、誰も私のことなんて理解してくれないんですね…もういいです…(悲劇のヒロイン風)」
「じゃあ、もう全部あなたがやればいいじゃないですか!私は知りませんからね!」
「わざとやったわけじゃないんだから、少しは大目に見てくれてもよくないですか?」
「はいはい、ごめんなさいねー(軽い感じで)。次から気をつけまーす(多分気をつける気なし)。」
「そんなことで怒るなんて、小さいですね。」
「は?なんで私がそんなこと答えなきゃいけないんですか?失礼ですね。」
「それって、私に聞く必要あります?あなたに関係なくないですか?」
(急に黙り込んで睨みつける、あるいは何も言わずにその場を立ち去る)
「またその話?しつこいなあ。もういい加減にしてくれません?」
「まるでAIみたいな言い方だね」(本質とは関係のない話に誘導する)
(自分だってしょっちゅう忘れるのに、子供が何か忘れると)「何度言ったらわかるの!なんでできないの!」
「私がやる時はね、それなりの理由があるの。でも、あなたができないのは、ただの怠慢か能力不足でしょ。」
「え?私が昔あなたに同じこと言ってたって?そんな昔のこと、いちいち覚えてないし、今の状況とは全く関係ないでしょ!人の揚げ足取るのやめてくれる?」
「なんでこんな簡単な計算も間違えるんだ!ありえない!小学生からやり直せ!」
「たった一度の入力ミスで、プロジェクト全体が大混乱だよ!君一人のせいで、どれだけ多くの人が迷惑してると思ってるんだ!」
「言い訳は一切聞きたくない!結果が全てだ!この程度のこともできないなら、もう君に仕事は任せられない!」
「また同じようなミスしてるじゃないか!君って本当に学習能力がないんだな。何度言っても無駄なんだから、もう期待するだけバカらしいよ。」
「この資料、誤字が3つもあるぞ!こんなものを平気で出してくるなんて、プロ意識が低すぎるんじゃないか?」
「(机を強く叩きながら)ふざけるのも大概にしろ!何度言ったら理解できるんだ、この役立たずが!」
「だからお前はいつまで経ってもダメなんだよ!何をやらせても中途半端で!見てるだけでイライラする!」
「黙れ!口答えするな!お前の意見なんて聞く価値もない!俺の言う通りにやってればいいんだ!」
「(書類を投げつけながら)こんなもの、報告書と呼べるか!小学生の落書きの方がマシだ!作り直せ!今すぐ!」
「もう我慢の限界だ!お前みたいなのがいるから、こっちの仕事が増えるんだよ!出て行け!」
動物的人間はスペクトラムである。自分が動物的人間にならないように気を付けましょう。
この文章は「中学生でもわかるようにまとめて」と指示した。でも、これでも読んで欲しい本人には読めないだろうなという絶望。
なお上記は「中学生レベル」なので簡単のために詳細な定義や考慮しなければならない点などに大きな問題がある。それらは別途大学や研究レベルの議論が必要になるであろう。
あくまでもこれは当の本人である「動物的人間」にも読んでもらえる為の文章である。
今さっき買い物で嫌なことがあったんですよ。
PayPayでお金払うときってQRコード読み取りだとこっちが値段入れてから相手に見せるじゃないですか。
私「PayPayでお願いします(値段入力したスマホの画面を見せる)」
店員「お願いしやーす」
私「(支払いボタンを押す)」
店員「値段見せてくれや—す」
店員「ありゃーす」
ぶっちゃけ私この時「いやお前さっき「お願いしやーす」って言うたやんあれなんだったんや」とツッコミそうになりましたよ。
でもまあこれぐらい気にしても仕方ないなってスルーしたんですよね。
あの「お願いしやーす」は店員が条件反射で出した無意味な鳴き声だったんだなと解釈することにしました。
「そうなんだ。あの店員はああいう鳴き声なんだ。」これで終わりです。
いつだって。
いつだって何か会話が食い違ったら「そうなんだ。よくわかんないけど、あれってただの鳴き声だったんだね。」で済ませるべきなんでしょうね。
終わり。
「なんであんなことしたんだろう?」とか、自分の行動や気持ちをじっくり振り返ることが殆ど不可能。
自分の気分で意見がコロコロ変わる。動物が本能や条件反射で行動するように、あまり深く考えず、感情やその場の雰囲気で動くことと似ている。
こういう人間ばかりだとおそらく人類の発展は無かったと思えるから。動物と同じで動物実験みたいな活用方法以外に人類に貢献できない。
他の人の気持ちや都合よりも、自分の欲求や感情を優先しやすい。
冷静に考えるより、すぐカッとなったり、感情的に決めつけたりする。
何か問題が起きても、自分の責任を認めるより、他人や周りの状況のせいにしがち。
しかし、その内容を聞くと 「本当に自分はダメで、もう自殺したい」などと言うだけで、具体的に何がおかしいか、どうすれば良いのか、という言葉は出てこない。
単に批判をかわす為の防御として言ってるだけで、本当に改善したいと考えているようにはとても見えない。
話し合いが難しい: 冷静な話し合いや、お互いを理解しようとする対話がなかなか成り立たないことが多い。
協力しにくい:自分中心だったり、感情的だったりするので、チームで何かをしたり、お互いに助け合ったりするのが難しい場面がある。
一緒にいると疲れちゃうかも: 周りの人は、気を使ったり、振り回されたりして、精神的に疲れてしまうことがあるかもしれないね。なかなか一緒に成長していくのも難しいかも。
「はいはい、私が全部悪かったですー(全然反省してない口調)。これでいいんでしょ?」
「それより、あっちの〇〇さんのミスの方がひどくないですか?そっちはいいんですか?」
「なんで私ばっかりこんなに言われなきゃいけないんですか!不公平です!」
「忙しかったんだから、しょうがないじゃないですか!人間だもの!」
「もういいです!あなたたちとは話になりません!時間の無駄!」
「結局、誰も私のことなんて理解してくれないんですね…もういいです…(悲劇のヒロイン風)」
「じゃあ、もう全部あなたがやればいいじゃないですか!私は知りませんからね!」
「わざとやったわけじゃないんだから、少しは大目に見てくれてもよくないですか?」
「はいはい、ごめんなさいねー(軽い感じで)。次から気をつけまーす(多分気をつける気なし)。」
「そんなことで怒るなんて、小さいですね。」
「は?なんで私がそんなこと答えなきゃいけないんですか?失礼ですね。」
「それって、私に聞く必要あります?あなたに関係なくないですか?」
(急に黙り込んで睨みつける、あるいは何も言わずにその場を立ち去る)
「またその話?しつこいなあ。もういい加減にしてくれません?」
(自分だってしょっちゅう忘れるのに、子供が何か忘れると)「何度言ったらわかるの!なんでできないの!」
「私がやる時はね、それなりの理由があるの。でも、あなたができないのは、ただの怠慢か能力不足でしょ。」
「え?私が昔あなたに同じこと言ってたって?そんな昔のこと、いちいち覚えてないし、今の状況とは全く関係ないでしょ!人の揚げ足取るのやめてくれる?」
「なんでこんな簡単な計算も間違えるんだ!ありえない!小学生からやり直せ!」
「たった一度の入力ミスで、プロジェクト全体が大混乱だよ!君一人のせいで、どれだけ多くの人が迷惑してると思ってるんだ!」
「言い訳は一切聞きたくない!結果が全てだ!この程度のこともできないなら、もう君に仕事は任せられない!」
「また同じようなミスしてるじゃないか!君って本当に学習能力がないんだな。何度言っても無駄なんだから、もう期待するだけバカらしいよ。」
「この資料、誤字が3つもあるぞ!こんなものを平気で出してくるなんて、プロ意識が低すぎるんじゃないか?」
「(机を強く叩きながら)ふざけるのも大概にしろ!何度言ったら理解できるんだ、この役立たずが!」
「だからお前はいつまで経ってもダメなんだよ!何をやらせても中途半端で!見てるだけでイライラする!」
「黙れ!口答えするな!お前の意見なんて聞く価値もない!俺の言う通りにやってればいいんだ!」
「(書類を投げつけながら)こんなもの、報告書と呼べるか!小学生の落書きの方がマシだ!作り直せ!今すぐ!」
「もう我慢の限界だ!お前みたいなのがいるから、こっちの仕事が増えるんだよ!出て行け!」
もちろん、これはあくまで「こういう傾向がある人もいるよね」という話で、人の一部分だけを見て全部を決めつけるのは良くないけどね。でも、こういう会話のパターンを知っておくと、人間関係で「あれ?」って思った時の参考になるかもしれないよ。
あ、ちなみに、この文章は「中学生でもわかるようにまとめて」と指示した。でも、これでも読んで欲しい本人には読めないだろうなという絶望。
見始めてだいたい5年、メンシにはいって3年ぐらいの大空スバル、最近イキリがすぎて見てるとつらくなってきたので見るのをやめた。もうヤカラ手前。キャラクターだからとかそういうのは聞いてないよ。業として配信をしている人の配信がおもしろくなくなったって言ってる。ただ長いこと見てたからちょっと思うところがあっただけ。
ここ最近はもうとにかくあらゆる物に条件反射で噛みつき、ゲーム内のあることにとにかく「はあ?」からはじまり、キャラクターを見ればまず悪人扱い。味方は良いひと、敵は悪いひと。ゲーム内の自分に都合が悪いことは全部「卑怯」。もう全部これ。新喜劇みたいにお約束でもおもしろいならいいけどさあ。イエスマンに囲まれたただのワンパじゃんね。おまえがどう楽しむかは自由だけどさ。見る側がどう思うかも自由じゃん。
楽しませたいってよく言ってるのも知ってるけどさ、おれはこんなスバル見るのつかれたよ。ただの思慮のない元気なバカでやってたころは楽しかった。今は汚い言葉連発してるだけ。なんか他のファンのひとはなにがあっても推しについていくのが本当の推し活とかいってるけどさ、おれはイエスしかいえない奴隷になった気はねえよ。