
はてなキーワード:杉下右京とは
あなたの論理は「完成した物語構造こそが創作の価値」という前提に立っていますが、その枠組み自体が一面的すぎます。
「芸術作品の価値は構造的完成度にある。最初から終わりまで設計された作品は、各要素が有機的に結びつき、テーマが一貫する。対して場当たり的に作られた作品は、商業的延命のために継ぎ接ぎされた断片でしかなく、統一的なビジョンを欠く。ゆえに後者には芸術的価値がない」
この立場には一理あります。しかし、あなたは重大な反例群を見落としています:
即興ジャズは事前の楽譜なしに演奏されますが、マイルス・デイビスの『Kind ofBlue』は音楽史上最も評価される作品の一つです。終わりを決めずに始めたセッションが、決定された構造では生まれ得ない創造性を生みました。
ドストエフスキーの連載小説も同様です。『カラマーゾフの兄弟』は連載中に結末が変更され、未完のまま終わりました。それでも文学史に残る傑作とされています。
シェイクスピアの劇団も、台本を上演しながら観客の反応で変更していました。「完成形」など存在しなかった。
これらが示すのは、創作の価値は完成された構造だけに宿るのではないということです。
1.時間と共に進化する関係性の深度 -20年続く『相棒』だからこそ描ける杉下右京という人物の多面性は、2時間映画では不可能です
2.視聴者との共時的な経験 - 週ごとに更新される物語は、完結した作品を一気見するのとは質的に異なる文化的経験を生みます
3.予測不可能性という美学 - 結末が決まっていないからこそ生まれる緊張感と驚き
あなたの論理では、ライブの即興演奏より録音されたスタジオ盤の方が常に優れていることになりますが、それは明らかに偽です。両者は異なる価値を持ちます。
最も致命的な問題は、あなたが「相棒」という一つの事例から、「終わりを決めていない全ての作品」への一般化を行っている点です。仮に『相棒』に構造的弱点があったとしても、それは段階的創作という手法そのものの欠陥を証明しません。
では問いましょう:あなたは「完成」をどう定義しますか?シェイクスピアの戯曲には決定版テクストが存在せず、上演ごとに変化しました。これらは「未完成」ゆえに価値がないのですか?
ふと思ったんだがドラマとかの役名っていらなくね?芸名そのまま使えばよくね?
全てがそうとはいわないが、たとえば現代劇はその俳優が普通に服着て振る舞っているようにしか見えない。
具体的に言えば杉下右京と言っても実際は水谷豊がスーツ着て何かしてるようにしか見えない。
現代劇でもデスノートのLとそれを演じる松山ケンイチの通常の姿ぐらい風貌が違えば、あれを松山ケンイチそのままで呼ぶのは逆に違和感ってことになるけど、
そういう漫画原作でいかにもコスプレで通常の俳優の姿と全然違うってわけじゃなければ役名をいちいち持たせてもただの無駄にしか見えず合理性を重視する価値観の私にとっては違和感があるんだな。
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引越しの準備をしていたら、昔のことを思い出したので、日記の代わりに書き残す。
一つあったことといえば、斎主がレイジ(位牌)に書く日付を間違えてしまい、今書き直していることくらいだ。
忙しそうな他の式場の様子を眺めていると、控え室にいた喪主が降りてきて「祭壇を見てもいいですか?」と言った。
神式の祭壇は、仏式とは雰囲気が違う。壇の上には鯛、生卵、生米、野菜や乾物などのお供えが並び、白い陶器で出来たさまざまな神具。周りには花はなく榊が飾られている。
一頻り祭壇を眺めていた喪主が「あの中央の鏡はなんですか?」と聞く。
へー…この鏡が、喪主が祭壇と棺の狭い隙間に入った。
その瞬間。
ゴオッと音がし、「危ない!」と先輩の声がしたと同時に、物が壊れ割れる音が響き渡った。
顔を上げると喪主が倒れてきた祭壇と棺の間で潰れかかっていた。
慌てて駆け寄り祭壇を全員で押し戻す。神具と卵が割れ、供物や米や榊の葉があたり一面に散乱していた。
蒼白して辺りを見回すと喪主が「これ…」となにかを差し出してきた。鏡だ。
「思わず受け止めてました…一番大事なんですよね?」と言った。
開式20分前だった。
原因は、式場裏の搬入口を花屋が開けたことによる風圧だった。最悪だが、ままあることらしい。
私はもう頭がパンクして事務所に送るメールのことを考えていた。
先輩が言った。「ご親族と斎主に開式が遅れることを伝えてきますから、2人は式場を見れる状態にお願いします」
この人は女杉下右京みたいな人で、いつも冷静で優雅で、信頼できる人だった。この時も蒼白している私と担当者を尻目に、顔つきは変わらなかった。
たくさんの細かな神具があるにも関わらず、割れたのは数枚の皿だけだった。
そして辺り一面は卵で汚れきっていたが、目の前にあった棺だけは何故かピカピカのままだった。
そして、本来ならもう置かれていたはずの位牌は、書き直しによりまだ斎主の元にある。
鏡も、喪主のおかげで無事だった。
そもそも、あの狭い隙間に喪主が入らなければ、祭壇は倒れ、棺は下敷きになり、ご遺体がどうなっていたかもわからない。喪主を危険な目に合わせてしまったが、その可能性を考えたらゾッとした。
必要なのは卵と米と皿だけで、最悪だが、事態を見れば奇跡的だと思った。
そうこうしているうちに先輩が帰ってきた。
「親族にも斎主にも事情をお話ししましたが、のほほんとしてました。これ位牌です。"書き損じてよかったな〜"なんて言ってました」
続けて「あとこれ、卵とお米です。料理屋さんにお話ししたら、神式って聞いて一応持ってきたんだそうです」
驚いた。と同時に外のガラス戸が空いた。胸にネームプレートがついている。他の葬儀屋だ。
「大きな音を立てて、申し訳ありません」と言い出ると、「いえあの、祭壇倒れちゃったんですか?うちも今日神式なんです。余ってる神具貸します、言ってください」と言った。
今度は先輩も驚いていた。今は多くが仏式という中で、併設式場6つ中2つの式場で神式をやっており、更にこんな申し出をしてくれる可能性がどのくらいか。
そういった偶然や、優しさが重なって、20分前あの惨状だったにも関わらず、その式は18:00定刻に始まった。
最後に改めて全員で喪主に謝罪するとと「びっくりしたけど、父にも皆にも何事もありませんでしたから。直前に鏡の話を聞いていてよかった」と笑っていた。
帰り道、先輩が言った。
「びっくりしたわ。定刻に始められるなんて思わなかった。こんな大事な日にこんなこと。ご遺族からも斎主様からも大変なクレームになると思った。本尊も位牌も棺も無事、御供物も揃って、神具まで貸していただけて…こんなことあるのね」
続けてこう言った。
ある上司の話。
彼は「本当ですか」と言われるのが嫌いだと言う。
嘘を言ってるんじゃないかと疑われている気分になると。
こっちは「自分の耳を疑う」という風に使ってて、別に相手を疑う意図は全くないんだけど。
じゃあ驚いたときなんと言えば良いか色々考えてみるものの、本当ですかに代わるいい言葉が思いつかない。
本当ですかがダメならこれらもアウト。○○ですか系は全部だめ。
信じてないのか、アウト。
これは褒められたとか自分に関することならいける。が、それ以外に使えない。
これもストレートに驚きを伝えるタイプだが、もうちょっと知的な言い回しにしたい。
有り得ないと思うけど、杉下右京が重火器類、"マシンガン"とか"火炎放射器"とかを駆使している所が見たい。
神回になると思うんだけど。(笑)根っからの相棒ファンは絶句するかも。。。
銃撃戦自体そんなにないけど。。。
映画版とかでやるとか。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\<例・銃撃戦のワンシーン>\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
杉下:冠城君!"ドバババババ―!"
冠城:危なかった・・・!
杉下さん!何処でそんな物騒なものを!しかも、なかなか慣れてますね???
杉下:スコットランドヤード時代、偶然SAS(スペシャルエアーサービス)の訓練を受講することが出来ましてねー
冠城:。。。
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昨夜、早めに帰宅できたので何気なくつけたテレビでやっていた相棒をぼんやり見ていた。
「へー今の相棒は反町なのかー、このシリーズも長いよねぇ、にゃんにゃん。」
「神戸って役の人、この間NHKでイタリア料理作ってた人と同一人物かにゃあ?」
といったことを思いながら見ていたわけだが、なぜ思考の末尾が執拗にニャンニャンしているのか、
さらになぜ反町に花京院の顔が重なってチラつくのかがわからず、ドラマ本編とは関係なく若干の気持ち悪さを感じながら見ていた。
で、今になって思い至ったのだが
杉下右京 → 右京 → 花右京メイド隊 → 花右京 → 花京院
という回路が頭の中で自動的に働いていたのではないだろうか。
いや、花右京メイド隊の人たち別にニャンニャン言ってなかったと思うけど、そこはイメージで。
昨日からずっと何かを思い出せていないような、
でもそもそも特に思い出そうとしているわけでもないような引っ掛かりがあったのだが、
花右京メイド隊に辿りついた途端に非常にすっきりしたので、なんとなく正解な感じがする。