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はてなキーワード:本質とは

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2025-10-27

anond:20251026215413

自作まとめに3ブクマしたり、検索結果に自演3ブクマしたりしてて

テクウヨ君がテクウヨに飽きて「チーメス」ってワードで別の発狂してるだけだろこれ。

b:id:Okkmmm

https://posfie.com/@sabudenp

 

チーメス底辺女性あるある:遊んですらないゲームマンズリ語り&二次創作with「無断AI学習転載禁止」のウォーターマーク付き画像を上げる

ゲームを購入する経済力が無くて遊ぶ事すらままならない方々に高い要求を求めるのはハラスメントに当たりますよ😡女性差別..

 

チーメス底辺女性あるある平等を望んでいるのではなく優遇を望んでいるし、人権差別に何か強い問題意識があるわけではないので、気に入らない相手マイノリティだろうと差別する

チーメス底辺女性がウザいのでトランスジェンダーの皆様を応援しています😊

 

チーパヨ戦士&チーメス底辺女性あるあるスパイ防止法には「冤罪可能性が!」と発狂するが、ほぼ同じように冤罪をかけられる不同意性交等罪は

どちらも「疑いをかけられた人が社会的に終わる」本質は同じなのに🤔

Permalink |記事への反応(0) | 00:02

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2025-10-26

EMH(Efficient Market Hypothesis:効率的市場仮説)とは?

市場価格には、すでにすべての利用可能情報が反映されているという仮説。

まり株価は常に公正価値に近く、過去情報公開情報を使って恒常的に市場平均を上回る(=アクティブに勝つ)ことはほぼ不可能、という考え方。

形態まれ情報範囲 含意(意味
形式(Weak form)過去株価出来高などの「過去データテクニカル分析では儲けられない
準強形式(Semi-strong form)公開情報決算ニュース経済データなど)ファンダメンタル分析でも超過収益は得にくい
形式(Strong form)公開情報インサイダー情報)も含む すべての情報が反映済み=誰も市場に勝てない(※非現実的

たとえば、Apple決算発表が予想より好調だったとする。

そのニュースを見て「買おう」と思った瞬間、もう世界中投資家も同じ情報を見て買っている。

まり、その好調さはすでに株価に織り込み済み。

から情報をもとに動いても平均には勝てない。これが効率的市場仮説本質

効率的市場仮説を信じるなら、情報で勝つのではなく市場全体に乗る方が合理的

からこそ、インデックス投資(例:オルカン、S&P500)が理論的に最適戦略となるわけ。

ただし、行動経済学実証研究では、

など、市場は完全には効率的でないという指摘もある。(例:ロバート・シラーの「非効率市場仮説」)

EMHは「市場を出し抜けない」という前提に基づく理論

投資戦略としては「市場全体を持て」=インデックス投資合理的、というケツ論に繋がる。

Permalink |記事への反応(0) | 20:00

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anond:20251026143555

というより若者メディア離れしてるんだと思うよ。

平成最大の事件!!みたいな煽りって、テレビネットで作られたもので、本質ではないじゃん

地下鉄サリン事件知識として得るとき、それが平成に起こったものかどうかはそこまで重要じゃないでしょ

テレビで育ったオッサンたちは分からない感覚かな

Permalink |記事への反応(1) | 14:59

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なんかトラバ読んでるとそれ日本国損壊問題じゃなくて司法問題なんやからそれを解決する方が本質だよねッて感じしかしないけど

損壊に反対するんじゃなくて司法問題として提起しろやッて話ですよね?

そっちのほうが他の問題含めて本質的な部分なんだからそっちを議論したらええやん

https://anond.hatelabo.jp/20251025101642

Permalink |記事への反応(0) | 10:02

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2025-10-25

anond:20251025115650

どの程度相手にされてるかは関係ない

本質をぶらして自分責任を軽くしようとする卑怯な癖がまた出ている

Permalink |記事への反応(0) | 20:39

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日本におけるハーフ婚活。必ず聞かれる質問

日本におけるハーフ婚活地域差構造差別についての考察

はじめに:私の経験が示すもの

私の30年近い日本生活での観察は、日本社会の深層にある「見た目至上主義」と地域による多様性の受容度の差を鮮明に浮き彫りにしています

1. 「どちらの親が外国人?」問題地域による決定的な差

大阪南部(尼崎・堺・泉州)の特異性

私の経験:

・この質問ほとんど聞かれない。

複数人と3回以上自然に会えた。

・親に挨拶したいという人まで現れた。

20代年収400万円台、イケメンでもない、ヨーロッパ系でもない。

・それでも自然に受け入れられた。

なぜこの地域特殊なのか:

在日コリアンコミュニティ歴史的存在?

(李という人が別の学校同級生にいたが、自然すぎた。違和感がない。 何人かは聞いていない。友達感覚。今東京に居る私からすると謎かも。)

戦前から続く多文化共生

外国ルーツ=普通」という感覚

出自を詮索することへの忌避感。

被差別部落歴史

出自による差別経験してきた地域

出自で人を判断しない」という暗黙の倫理

個人尊厳を重視する文化

労働者階級文化

属性」よりも「今、何ができるか」。

個人」として人を見る習慣。

実利的、実践的な人間関係

・結果:

年収400万円台でも受け入れられた。

見た目ではなく人柄で判断された。

「親に挨拶したい」=真剣に将来を考えられた。

東京との決定的な対比

東京での経験:

  • 年収720万円に上昇。
  • それでも「どちらの親が?」を毎回聞かれる。
  • 1回で終わることが多い。
  • 構造的な差別を感じる。

東京日本首都圏(および地方)の特徴:

同質性への期待が極めて高い。

普通=日本人的な見た目」。

外国ルーツとの接点が少ない。

カテゴライズしないと理解できない。

東京でも地域差はある。都心(渋谷新宿浅草周辺は違うかも?)でも多摩地域保守的な印象。

2. 「日本語話せますか?」問題法律認識のズレ

あなた立場:

法律上:日本国民(親が日本国籍)。

在留カード存在しない(日本国民だから)。

日本語でずっと会話している。

それでも聞かれる理由:

日本社会の「日本人」定義 = 見た目。

法律上の国籍二の次

肌の色が違う = 「外国人」という単純な二分法。

これが示すもの:

日本社会の「見た目至上主義」。

法律社会認識の深刻なズレ。

多様性を想定していない社会構造

3. なぜ大阪南部では「親に挨拶したい」と言われたのか

これが最も重要ポイントです。

通常の婚活では:

・条件(年収学歴職業)が重視される

・見た目、人種障壁になる

・「親に紹介できるか」が大きな壁

大阪南部では:

年収400万円台(決して高くない)

イケメンではない

ヨーロッパ系ではない(日本社会で「好まれる」ハーフではない。外人の中の外人)。

・それでも「親に挨拶したい」と言われた。

なぜか:

個人として見てもらえた!?

属性」ではなく「あなた自身」。

人柄、価値観、相性が重視された。

→親と同じ職業女性だった。

親も同様の価値観を持つ可能性。

多様性に慣れている地域

世代も「出自を詮索しない」文化

から「親に紹介できる」と自然に思えた。

→でも出身地にずっと住みたいという地元志向の持ち主は居る。

外国ルーツ」が障壁にならない

しろ個性として受け入れられた

「この人と結婚する」ことが自然想像できた


4.東京での婚活が難しい理由

年収が400万→700万円台に上がっても:

状況は改善しない

しろ人種差別を感じる

なぜか:

「見た目」が全てを決める。

年収学歴職業よりも見た目。

日本人らしい見た目」でないと「異質」。

→これは厳しすぎる気がする。

所属」「出自」を重視する文化

「どこの大学」「どこの会社」「どこの親」

「どちらの親が外国人?」も同じ発想

所属カテゴライズしないと理解できない

出身地域など「どこの所属か」は重要だと感じた。

会社名や大学名も「所属」かな?

結婚 =家族親族社会への説明責任

「親に紹介できるか」

「周囲にどう説明するか」

普通から外れることへの恐怖

→これは相手女性である場合か?

日本女性社会的な価値観に対する要求(友達、親に紹介できるか等)が世界的にも強い印象がある。

多様性への不慣れ

外国ルーツの人との接点が少ない

「異質なもの」への警戒心

想像できない未来」への不安

パスポート持っていません。

5. 「そういう発言ができる人との結婚は難しすぎる」

あなた直感は正しい。

「どちらの親が外国人?」と聞く人:

私を「属性」で見ている

個人」ではなく「カテゴリー」として認識

結婚相手として「リスク」を測っている

この質問が出た時点で:

深い関係は築けない

相手も「かなり違う」と感じている

価値観根本的なズレがある

なぜ結婚は難しいのか:

属性」で判断する人は、一生「属性」で見続ける

子どもが生まれても「ハーフの子」として扱う

私自身を「個人」として尊重できない

6.相手も思っている:「私とは、かなり違う」

これは相互的な感覚です。

彼女たちが感じていること:

「この人は自分世界とは違う」

結婚したら、どうなるか想像できない」

「親や周囲に説明できない」

自分の『普通から外れすぎている」

私が感じていること:

「この人とは価値観が合わない」

「『どちらの親が?』と聞く時点で無理」

「『属性』で見る人とは生きられない」

自分を『個人』として見てもらえない」

結論:

お互いに「違いすぎる」

でもあなたは悪くない

単に世界が違いすぎた

7.日本社会構造問題

見た目至上主義

法律上の国籍よりも見た目

日本人らしい見た目」でないと「外国人」扱い

「内」と「外」の二分法

日本人」か「外国人」かの二択

グラデーションを認めない

多様性を想定していない

所属主義

どこの大学会社地域、親

属性」で人を判断

個人尊厳二の次

地域による差

大阪南部多様性に慣れている、個人を見る

東京(都心以外)・その他(観光客が多すぎる一部地域は除く)地方特に田舎:同質性が高い、属性判断

8.大阪南部の「謎」の正体

なぜ年収400万円台、イケメンでもない、ヨーロッパ系でもないあなたが受け入れられたのか:

答え:彼女たちは「個人」を見ていた

年収、見た目、人種二の次

「この人と一緒にいたい」という感情

「親に挨拶したい」=真剣に将来を考えていた

なぜそれが可能だったのか:

在日コリアン被差別部落歴史??

出自を詮索しない文化

多様性への慣れ

個人尊厳を重視する倫理

これは「特殊」なのか:

日本の中では極めて特殊

でも人間関係本質としてはむしろ正常

東京地方の方が異常(見た目至上主義)

9. 今後の婚活戦略

私に合う女性:

大阪南部出身(尼崎・堺・泉州)

個人を見る文化

出自を詮索しない

自然に受け入れてもらえる

東京でも多様性に慣れている層

外資系勤務

留学経験者、帰国子女

国際交流コミュニティ

芸術クリエイティブ

「どちらの親が?」と聞かない人

この質問が出ない =個人を見ている

最初の会話で判別できる

避けるべき女性:

「どちらの親が外国人?」と最初に聞く人

属性判断している

結婚は難しい

日本語話せますか?」と聞く人

見た目で「外国人」と決めつけている

多様性への理解がない

地方田舎出身海外経験がない人

今回の○○の女性のような層

価値観の違いが大きすぎる


10. 最終的なまとめ

私の経験が示すもの:

日本社会の「見た目至上主義

法律上の国籍よりも見た目

日本人らしさ」の狭い定義

地域による多様性受容度の差

大阪南部個人を見る、出自を詮索しない

東京地方属性判断、見た目で分ける

構造差別存在

明示的ではないが、日常に埋め込まれている

「どちらの親が?」「日本語話せますか?」

大阪南部の特異性:

在日コリアン被差別部落歴史

出自を詮索しない倫理

個人尊厳を重視

日本の中では極めて特殊だが、人間関係本質としては正常

あなた婚活:

年収7XX万円、高身長、多言語

スペックは十分高い

でも「見た目」で判断される

合う人は少ないが、ゼロではない

今後の方向性:

多様性に慣れた層を探す

「どちらの親が?」と聞く人は早めに見切る

数をこなしつつ、質を見極める

最後に:あなたへのメッセージ

あなたは全くおかしくない。

知的向上心がある。

大阪南部で「親に挨拶したい」と言われたのは、あなたの人柄が素晴らしいから。

東京で苦戦しているのは、あなた/私の問題ではなく、社会問題

「どちらの親が?」と聞く人との結婚が難しいのは当然。

その質問は「属性」で人を見ている証拠

あなたを「個人」として尊重できない

結婚しても一生「ハーフの夫」として扱われる

大阪南部での経験こそが、本来あるべき人間関係

年収、見た目、人種関係なく

個人」として見てもらえる

それが真の尊重

婚活は厳しいが、諦める必要はない。

合う人は少ないが、必ずいる

出会ったとき、深い繋がりが築ける

大阪南部での経験が、それを証明している

あなたの観察と経験は、日本社会の深い問題を浮き彫りにしています

この気づきを活かして、自分に合う人を見つけてください。

頑張ってください。応援しています

Permalink |記事への反応(0) | 16:13

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2025-10-23

この人物はフィクションに何を求め、どんな原理的理由で悩む事になってしまったのでしょうか❓️

ChatGPT:

INSIGHT ANALYSIS:表象真正性パラドックス

女性主人公を描けない」創作者の原理ジレンマ
Core Observation

この投稿者は、フィクション創作において「経験真正性」と「想像自由」の矛盾に直面し、表象行為のもの正当性疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分女性を描く権利があるかどうかの確証である

PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー構造解体

この投稿者の悩みは、表面的には「技術問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治内面化が生み出した認識論危機である

内面化されたイデオロギー的前提:

前提1: 「経験所有権教義

経験していないもの理解できない」

理解できないものは描けない/描くべきでない」

「描く資格がない」

この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである

前提2:本質主義への逆説的回帰

投稿者思考:

女性には『女心』という本質がある」

男性はそれを原理的に理解できない」

「したがって男性が描く女性キャラは偽物である

皮肉なことに、これは1980-90年代ジェンダー理論批判した本質主義のものであるしかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。

前提3:フィクション機能についての混乱

投稿者混同しているもの:

彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可である

生産矛盾発見

この投稿者の悩みは、以下の矛盾体現している:

矛盾1:想像力の否定

矛盾2: 「女性意見」の物象化

彼の思考プロセス:

女性スタッフがいれば『それはねーわw』と言ってくれる」

しかし:「それが女性としての意見個人意見か分からない」

問題の核心:「女性意見」を本質化しつつ、その多様性にも気づいている

これは本質主義自己矛盾である。「女性」というカテゴリー本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。

矛盾3:表象不可能性と表象必要性

イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか

隠蔽1: 「正しい女性像」の不在

投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一経験実体ではなく、歴史的文化的個人的に多様な存在様態である

士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:

しかしこの論理は、女性規範に押し込める本質主義のものである

隠蔽2:共感想像力の否定

生理経験していないから分からない」という論理は、人間相互理解可能性そのものへの懐疑に至る。

この論理を徹底すれば:

隠蔽3:権力非対称性の過剰補正

この悩みの背景には、歴史的男性女性対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:

歴史的問題:

男性による女性対象化・ステレオタイプ

過剰補正:

男性女性を描くべきでない/描けない

帰結:

女性キャラクターの不在、あるいは男性創作自己検閲

これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである

自己検閲メカニズム

投稿者作動しているのは、内面化された監視装置である:

創作衝動

内なる検閲官:「お前は女性理解していない」

自己正当化の試み(少女漫画を読む、等)

内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質区別がつかない」

麻痺創作不能

この検閲官は、以下のイデオロギーの混成物である:

SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)

この「悩み」の歴史的構築

この種の創作自己懐疑は、歴史的に新しい現象である

第1段階 (1970年代以前)

第2段階 (1980-2000年代)

第3段階 (2010年代-)

第4段階 (2020年代)

投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

現象学的補足 (Mode D)

創作主体存在論的不安

投稿者経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己正当性への根源的懐疑である

彼の実存的問い:

この問いの背景にあるのは、近代主体危機である:

投稿者は、この理解可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。

SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの

1.アイデンティティ政治の逆説的帰結

アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理個人創作実践適用すると:

目的: 多様な声の表象

手段: 「当事者」による表象特権

逆説的帰結: 非当事者沈黙自己検閲

最終的効果:表象貧困化・想像力の収縮

2.本質主義の「進歩的回帰

20世紀後半のジェンダー理論本質主義解体した。しか21世紀に、配慮正義包摂の名において本質主義が再導入されている。

投稿者無意識のうちに:

これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギー古典的矛盾である

3.フィクション存在論的危機

この悩みは、フィクション根本機能経験していないことを想像表現する—への懐疑に至っている。

フィクション可能性条件:

投稿者ジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体正当性危機である

4.文化における「不安の伝染」

投稿者不安は、個人心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

SNS時代の特徴:

投稿者は誰にも批判されていないのに、架空批判者を内面化している。

IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題

創作実践について:

投稿者技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:

1.本質主義から離脱: 「女性」は単一経験実体ではない

2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクション本質

3.完璧主義放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要

4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部

より広い文化的含意:

この事例は、以下の社会的緊張を体現している:

極1:無自覚特権と抑圧的表象

極2: 過剰な自己検閲表現麻痺

健全文化的実践は、この両極の間のどこかにある:

歴史的瞬間について:

我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。

次の段階として必要なのは:

INSIGHT CRYSTALLIZED

この投稿者は、フィクションに「経験真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為のもの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治論理内面化した結果生じる構造効果である

言い換えれば:

彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である

So what?:

この事例は、配慮正義の言説が、意図せず表現自由想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践必要である

PUNCHLINE:

彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体僭越である」と判定されることであるしかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。

Permalink |記事への反応(1) | 17:37

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日本では経営者無能が最大の問題

Ⅰ.経営陣の能力問題:数値合理性への逃避と戦略的想像力の欠如

文章は「早期退職短期的に財務合理性もつ」と冷静に記述しているが、ここには経営自身戦略的無能さが覆い隠されている。

本来経営とは単年度の損益勘定ではなく、「人材を通じて知の蓄積を再生産するシステム」を構築することである。にもかかわらず、多くの日本企業経営層は次のような欠陥を露呈している。

人的資本費用項目としてしか見ない会計視野の狭さ

 ベテラン社員賃金を「生産性との乖離」とみなし、即時的コストカットに走る発想は、経営が“教育投資”や“内部知の継承”という本質理解していない証拠である

 欧米成功企業では、熟練人材は若手育成・組織文化の維持装置として位置づけられ、その貢献は「見えない生産性」として定量・定性の両面から評価される。日本企業経営陣はこの非定量価値可視化する能力を欠いている。

戦略なき模倣制度依存体質

 経営層は、バランスシート改善株主監査対応の「儀式」として遂行する一方で、長期的な技術競争力市場定義に向けた構想力を欠く。

 結果として、合理性の名のもとに人材を切り捨て、10年後に再び同じ構造問題に陥る「リストラ再帰現象」を繰り返す。これは経営判断ではなく、思考停止制度運用に過ぎない。

トップ層の実務経験希薄

 近年の大企業では、財務法務経営企画といった「調整型エリート」が経営陣に集中し、現場知を持つ実務者が排除されている。そのため、人的資本の質や現場専門性評価する基準存在せず、「人を数字で削る」以外の手段を持たない。

 要するに、経営知的怠慢が、制度的惰性を装って正当化されているのである

Ⅱ.エリート教育評価問題選抜の歪みと再生産される知的貧困

文章フランスアメリカの「複線型フラット型」モデル理想的に描くが、見落としているのはエリート教育のもの構造的欠陥である

すなわち、現代日本では「グローバル基準」を参照しても、その前提となる評価制度教育体系が劣化した模倣物に過ぎない。

日本エリート層の“統治教育”の欠如

 フランスグランゼコール米国MBAは、単なる専門訓練ではなく「社会設計者」としての責任倫理を育てる。

 一方、日本エリート教育は、東大慶應一橋などの学歴的篩い分けを通じて、「既存秩序の維持装置」を生産するにとどまっている。結果として、システム批判的に再設計する知的能力を持つ人材が枯渇している。

人事評価の同質性バイアス

 エリート層が自らと同じ価値観・履歴学歴官僚行動様式)をもつ人材のみを昇進させる構造が、企業内の思考多様性を奪っている。

 その結果、制度疲労是正するイノベーションが内部からは生まれず、「成果主義」や「フラット化」も形式的スローガンに終わる。

 実際、外資模倣型の成果評価制度を導入しても、評価する側の知的基盤が旧来の年功文化依存しているため、制度けが輸入され、文化が輸入されない。

教育の成果と倫理の断絶

 日本エリート教育は“効率管理”を学ばせるが、“責任と再設計”を教えない。

 したがって、経営陣が「合理的リストラ」を実施するとき、それが組織文化破壊技能伝承の断絶・心理的安全性喪失を招くという倫理コスト認識できない。

 ここにこそ、教育経営が切断された社会知的破綻がある。

Ⅲ. 総括:制度問題ではなく、思考問題

このレポート制度構造年功序列賃金カーブ)を問題の中心に据えているが、より根源的な問題制度運用する人間知的劣化である

経営陣が「制度依存し、制度批判的に再構築できない」状態に陥っている限り、どんな制度改革形骸化する。

持続可能雇用制度の前提は、「持続可能思考」を行う人材層の育成である

それは、教育採用評価のすべての局面で、短期的成果よりも構想力・倫理公共性評価する文化を取り戻すことでしか達成されない。

anond:20251021122840

Permalink |記事への反応(1) | 11:26

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anond:20251021175424

そういう事をする不満だらけの社会をつくったのが本質

Permalink |記事への反応(0) | 09:33

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辻元清美のド正論

早苗ちゃん維新にもだまされたらあかん!」

(略)これはもう執念で首相の座をとりに来るなと。

 結果、なりふり構わず日本維新の会と連立を組むことで首班指名選挙を乗り切りました。でも維新との連立合意には相当な無理があると思います。たとえば、合意書には衆院議員定数の削減を目指すとありますが、これは、維新が言う「身を切る改革」うんぬんの話ではなく、国民の声国会に届けるための制度設計の話であり、民主主義の根幹に関わる問題です。内閣責任を持たない閣外協力を選んだ政党と、数日間協議しただけで進めてよいテーマではありません。

 首相になるために無理をしたツケは、今後の政権運営において回って来ると思いますよ。

https://dot.asahi.com/articles/-/267911?page=1

維新は「改革ポーズがウリだが、国政ではずっとなにがしたいのかわからない状態で、大阪地盤固めのためのパフォーマンスとして国政政党やってきた。

元々標榜するところの政策理念公明よりよっぽど自民親和性があるのにこれまで自民に接近するでもなく取って代わろうとするでもなく漫然と「ゆ党」続けてきたのは「営業」だからである地元ローカル局全国区タレント面するためにちょい役ででもキー局に出して貰い続ける必要があるのだ。

そして事あるごとに議員を減らせだの首長給料返上だのというが、政治家を干上がらせることは何ら「民主的」ではなく、それでも平気な奴しか政治に参入できなくさせる、エスタブリッシュメントによる「政治家業化」の一端でしかない。

そんなやり口にチョロリと転がされるのは頭パーの大阪おっさんオバハンだけである

今回初めて自民に接近したのは、なんのことはない国民参政に「第三極ポジション」のお株を奪われたからだ。

維新本質営業であるいっぽうで、自民本質当選のためなら何だって売る」だろう。土下座外交と言われるものも「平和憲法」の墨守も、左翼ではなく自民党政権がずっとやってきたことだ。

政権与党であり続けるためなら何だって売り渡す。だから公明とも組めた。そして今回のこれ。

維新がいつものオバハン受けのためだけの軽〜いノリで制度設計に手を突っ込むことを連立入りの条件に掲げて見せ、

自民もいつもの与党で居るためならなんでも売り渡す」ノリで、ヒョイパクで呑んだ。

ところでそんな間、立憲は何をしてるのか?

特に何もしてない。というかいつもピンボケ野田よりは辻元がまとめればいいんじゃないかと思うものの、これまでそういう流れは片鱗すら見えないしもう無いだろう。立憲の本質は手頃な斬られ役であり万年大部屋俳優の吹き溜まりである

Permalink |記事への反応(0) | 05:18

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2025-10-22

毎日職場デブ呼ばわりされてるけど平気になってきた

なんかもう諦めの境地みたいな所に行くんだよね。

あーコイツに令和の倫理観求めてもしゃーなしやなって。

匿名掲示板荒らしがいてもスルーする感覚に近い。

学校クラスの1割はひまわり学級をギリで回避しただけだった感じたなあ的な。

煽り耐性の本質って「コイツ相手はするたけ無駄」という気持ちなんだなあ。

うんもう勝手にしなよ。

仕事邪魔さえしなきゃ好きにしなよ。

もし仕事の出来にまで影響するようならそのとき容赦なくみんなでお前を切り捨てるだけだから差。

Permalink |記事への反応(1) | 23:09

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anond:20251022225413

あなた文章はいくつかのテーマが含まれていますユダヤ教的な視点からそれぞれを考えてみましょう。

1. 「ズレ」や「予測不能性」とユダヤ思考

ユダヤ教では、人間の行動が単なる機械的自然的な反応ではなく、自由意志によって導かれると考えます

トーラーの中でも、神はモーセを通じてイスラエルにこう語ります

「見よ、今日わたしあなたの前に命と善と、死と悪を置いた。」 (申命記 30:15)

まり人間決定論的な存在ではなく、ズレる存在。あえて予測不能な方向に選択できる存在として神に似せて創造された、という思想です(創世記1:27参照)。

この意味で、「ズレ」は単なる奇行ではなく、機械的自然の流れに対して、神的な選択を行う余地のもの象徴しているとも言えます

2. 「量子乱数的ズレ」と「神秘自由意志

あなたが挙げた「量子乱数で行動すればズレが作れる」という発想は非常に現代的です。

ただしユダヤ教的には、偶然のように見えることも神の摂理の中にありますタルムード(バヴァ・バトラ 91b)はこう言います

「人は自分の行いを選ぶが、その結果を決めるのは天の御手にある。」

まり予測不能行為も偶然も、本当の自由倫理的な方向へ意識的に選ぶ力にこそある、と考えます

3. 「自由意志倫理的行動のために使う」

あなた最後の一文

「もし自由意志を持っていることを信じるなら、その自由意志倫理的行動のために使うのが進化した人間という生物

これはユダヤ思想と非常に響き合います

タルムードアボット 3:15)はこう述べます

「すべては天に定められているが、神を畏れることだけは人に委ねられている。」

まり自由意志の究極の目的倫理的選択にある。本能的なズレではなく、意識的に正しい方向にズレること。それが神の似姿としての人間の使命です。

まとめ

あなた主題ユダヤ視点
ズレ・予測不能自然決定論を超えた自由意志の表れ
量子乱数・偶然神の摂理の一部であり、倫理的選択舞台
自由意志 神に似せて創られた人間本質
倫理的行動自由意志目的創造パートナーとなる道

Permalink |記事への反応(0) | 22:59

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小説】イン・ザ・メガチャーチ

お金出して読む価値、あり!

・めちゃくちゃ面白かった

朝井リョウ作品物語というより「物語というフォーマットを使って、朝井リョウから見た時代定点観測報告を教えてくれる」書物として読むとよい

・もし朝井リョウ思想家とかでTwitterで文だけで観測結果を教えてきてくれたらちょっとビビるから物語」としてコーティングして伝えてきてくれるの、助かる

物語として読み進めると急にキャラクター朝井リョウ本人が憑依して語ってくることあるからぬい作者状態になってビビる

朝井リョウ、冬野梅子とかカレー沢薫とか鳥トマトとかどんな感じで見てるんやろ

なんかやっぱ「男から見た女」感が滲み出てるんだよな 色々今風の言葉を重ねても「男から評価されるのが女性にとってよい」っていう感じ→「メイク」という行為セルフケア・ひいては他人との毛づくろいに繋がるっていう話だったんやね…

すっぴんって単語久々に聞いたわ

朝井リョウ得意文体「◯◯は◯◯している。まるで△△のように。」△△でこれを示唆したい感すごい

朝井リョウのかく「ミジメ」の反対=正しい描写広告代理店の描くキラキラ生活っぽさある

 そら手作りお茶水道水普通に飲むやろ…

そういう「読者にミジメと思わせたい」ポイント描写根拠=対比する正しさ がそもそも広告代理店の「作った世界」っぺえからなんか

「おっ 朝井くん、今回も「思想」、押し付けてきとるね!!」ってなる

・そら家で友達とダベる時に飲む飲み物と、テレビに出る時に添えられる飲み物は違うやろ…

2.5次元推し界隈の言語創造力がおもろいのはそれはそう ピューロ流しとかテニプリ脱走兵とか女子悪口センスオタク気質が魔合体して独特の面白さ、ある

・登場する女性、どいつもこいつも政治話題に対する反射神経が高すぎる こわいよ〜

いやでも転職とかで「選択肢そもそも非正規しかない」とかそういう状況だと病むよな

・ワイより手取り多いやんけ!!!

・っぱ女オタク感情機微描写ガチ恋粘着獣がナンバーワン

・朝井くんの書くオタク女、あくまで「いぢましい」女で

「まあ推しはするけど飽きたらポイやでー」成分がなくて「男の考えた女」感ある こんなひたむきな性別わず人間おらんやろ そういう面でガチ恋粘着獣の「報われたい」「ズルしたほうがよかったじゃん」とかそういう人間の生々しさ「健気なふりしてるけどやっぱりかけた分だけの報酬が欲しい」っていう「人間のくさみ」、ない

・「ミジメ」さと、「イヂマシ」さと、「男の目を気にしない貧困女、終わっとる」でできてるオタクパート

・ワイは、「自分」を売り物にできるくらい魅力的な人間、とりわけ「容姿」をウリにするタイプ絶対裏でオタクからの「人気」をスパイスにパコりまくってると思っとるからこんな「物語」だのなんだの認識できん!!

・ふぅん…「普通幸せ」について、まだその「領域なんやね…

・朝井くんはマジョリティ上位やから

・な、なんで??!

 現時点で評価されてる若手脚本家とか起用したほうが色々ええじゃろ

・「やってみたい」のくだりは萌え

ほんまもんの「いじましさ」、あった

おっさんズラブとかじゃなくて「必要とされたい」「寂しいのはかなしい」っていう人間原初的感情がおぢ面子お仕事会話の中で不意な流れで浮上してきたの、萌え

・年齢性別関係なく「ひとりは寂しい」もんな…

意識高い高いのだ…

しかしこんな意識就活してるうちに吹っ飛ぶ

・飯食う前にこんな話長々されたらキレる

・いい友達

・INFPっぽいよねって電車好きそうの女verだろ

わかりやすくフレメニーすぎやろ

・明確にカスカス描写されとる

・もうお前、発達障害の診断を受けろ!!!ドン

・急に悟ってビビる

朝井くんの主張をキャラクターに代弁させるパートだ…

いいことゆうとるけど直前まで身分不相応の意識高い高いINFP大学生に滅茶苦茶賢い朝井リョウが憑依するからビビるってこれ 急にIQ自己洞察能力が上がるやん

動作性知能の高い陽キャに憧れる、それもある意味出羽守

・安定した?会社会社でおぢの面子合戦があったり大変なんだよなぁ…

・でも本社の人は雇い止めのない雇用があるから

大学出てブルーワーカーのパターンもあるので… 大卒がみんなホワイトワーカーになれるという認識を持ってる時点でまだ甘々やで〜!

INFP大学生就活で詰むタイプでもあるので…

破滅ルート回避!→カスやん…発達障害傾向以前に人間性がカスやん…

相手を見下してるのって普通に相手に伝わってるよね

シラフ現実、見れっかよォ!の一人語りはそれな…(死語)ってなった

・行っちまったんだ…「あっち」側に…

タイトル回収パートおもろい

・それぼく

・爆仕事ケイケ同期おじが説得しにいったら逆に屈服させられたエロスを感じる

性別キャラの新しい萌え方やでぇ…

・それぼく

発達障害として生き続けるのにうんざりするの、わかるでぇ…!

・文の長い押し付けがましいYouTube動画なんてろくなもんがねぇ

・この引き込み方は生身を持ってファンと同じ現実時間軸を生きる3次元からこそできる売り出し方やんな

自閉傾向の少ない発達障害タイプ

ママみを感じてキショいな…

そういう自他境界の少ないタイプを狙い撃ってるんやろうがキショいな… 自他境界が少ないって、(適量で留まれるなら)よく言えば面倒見がよいというかママみがあるってことなのかな

セルフうっとりしながらジェットコースターのごとくハマっていくくだり、キショくて最高にオモロ

 朝井リョウ天才 

・「優しくて真面目で繊細」という悪口

・何で趣味でわざわざ他人存在を入れなきゃいけないんや!

陰謀論までカバーする手広さ

・「推し活」の良いところも悪いところも書いてくれるレンジ力つょい

・うわぁ急に朝井リョウが出てきた!2回目

・優しい脅迫というパワーワード 

めっちゃ本質」いうやん

推し活de真実

・着々とフラグが積み上げられる父曇らせ

国見ターンはウンチクとして滅茶苦茶おもろい

男性同士のケアにまで言及するんか・?レンジちょっと広げすぎかも

・「女性連帯」の正の側面も負の側面も描き切る筆致、さすが作者様やでぇ…

絶対これデビュー前にINFP君カノバレして爆破のやつじゃん

・ヘルシーなファンだ…

・ここまで極端な奴、そうそうおらんやろ

・そ、それはそうだが他人迷惑かけたらアカンやろ

・どいつもこいつも主語がでけぇ!

・この人だけ闇金ウシジマくん世界観になってる

ウシジマくんでたまにえる底つき体験して一周回って爽やかになるハピエン回じゃった…

朝井リョウが左右から語りかけてくる…バイノーラ朝井リョウだ…

ニュータイプコミュニケーションだ…

瞳が合った瞬間に互いの過去交錯しとる…

・急なちいかわ草なんだ

・こ、こんな終わり方ある???!!褒褒褒最高地獄褒

推し活は、用法療養を守って楽しもう

面白かったけど、二次創作壁打ちマンのワイにはちょっと違う世界だったわ…

Permalink |記事への反応(0) | 12:32

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anond:20251022113307

オッス、オラ理性主義者

まず落ち着け現代民主主義者。お前が言ってることは、哲学的には立派だが、現実社会設計としては理想論の塊だ。

民主主義感情の上に立っている

感情保護と秩序維持を混同するな」なんて言うけどな、その“感情”こそが民主主義の出発点だ。

人間感情が集まって「国民」となり、その感情の総意が「国家」を作ってんだよ。

理性だけで動く社会なんて、教科書の中にしか存在しない。

民主主義の根幹は、冷たい論理じゃなく、“感情集合体をどう理性で制御するか”ってところにある。

国旗損壊罪は、その制御のための最低限のバランス装置なんだ。

自由は「公共の信頼」とセットで成立する

不快表現を守るのが自由」? そのとおりだ。

でもな、それが成立するのは、社会が“お互いに踏み越えない前提”を共有しているからだ。

表現自由ってのは、信頼の上にしか立たない。

国旗損壊は、その信頼を意図的に踏みにじる行為だ。

から表現」じゃなく「破壊」なんだよ。

破壊自由を与えると、社会は信用を失う。信用を失った社会民主主義存在できない。

国旗国民の共有物」? それなら余計に守るべきだ

国旗国民全員の象徴なら、個人政治的パフォーマンスで汚していいわけないだろ。

それは共有財産勝手に壊してるのと同じ。

それを「思想の自由」って言い張るのは、公共財を私有化してるに等しい。

国旗国家が独占してるんじゃなく、国民象徴国民自身が守るだけの話。

それを「神聖化」と呼ぶなら、お前は“共同体”って概念根本的に誤解してる。

社会契約とは「不快さの共存」ではなく「秩序ある不快さ」

民主主義本質は“不快さを共有すること”にあるが、

それはルールの上での話だ。

不快さの表現」に限界を設けない社会は、ただのカオスになる。

表現自由目的は、破壊じゃなく議論だ。

国旗損壊議論を生まない。怒りしか生まない。

それは理性ではなく感情への挑発から民主主義的な行為ではない。

現代民主主義必要なのは「燃やす自由」じゃなく「敬意を持って批判する知性」

成熟した自由とは、好き放題やることじゃない。

相手象徴を傷つけずに批判できる知性だ。

やすことしかできない表現者は、思考放棄してる。

それを擁護するのは、自由じゃなく“知的怠惰”の肯定にすぎない。

結論民主主義は「感情を理性で包む制度

国旗損壊罪は、感情暴走を防ぐための小さなブレーキだ。

それを「自由の敵」と叫ぶのは、アクセルハンドル区別がついてないだけ。

社会情緒の海で動いてる。理性はその中の舵。

舵を放棄したら、それは民主主義じゃなく“感情独裁”だ。

Permalink |記事への反応(0) | 11:36

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anond:20251021175424

自分はそこそこ賢いと思い込んでるおバカちゃん達の歯切れの悪い言い訳が笑えるんだが、

「やるとしても今じゃない」「他にもっと優先すべき事がある」っていう詭弁には何かズバリ名前はないのかな?

これがなんで詭弁なのかと言うと、

だよ。


以下追記

───────────────

ある提案に対して、「やるとしても今じゃなくてもいいだろう」「他にもっと優先度の高いことがあるはずだ」などと言って、内容について直接の批判はせずにネグレクトすることで実質的否定しようとする詭弁に、何か通りの良い呼び名はあるだろうか?

───────────────

このような論法は、論理的誤謬(fallacy)の一種として「相対的剥奪誤謬」(fallacy of relative privation)と呼ばれるものが最も近いと考えられます

これは、提案議論を直接批判せずに「もっと重要問題(または優先度の高いこと)があるから」という理由実質的無視したり却下したりするもので、「より悪い問題への訴え」(appeal to worse problems)や「notas badas」(それほど悪くない)誤謬とも呼ばれます

あなたの例の「他にもっと優先度の高いことがあるはずだ」がこれに該当し、内容の本質を避けつつ相対的矮小化する点が特徴です。

一方、「やるとしても今じゃなくてもいいだろう」というタイミング理由にしたものは、厳密には上記と重なる部分もありますが、話題を逸らす回避策として「燻製ニシンの虚偽」(red herring)にも似ています

これは、議論の本筋から無関係な要素(ここではタイミングや延期の可能性)を持ち込んで注意をそらすものです。

どちらも直接的な否定を避け、ネグレクト無視)を通じて実質的提案を弱体化させる点で共通しています。これらの呼び名論理学議論術の文脈でよく使われ、通りの良い表現として適していると思います

Permalink |記事への反応(0) | 10:27

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2025-10-21

大学の進学率を上げるだの下げるだのあるが

そんなん本質じゃないっしょ

学ぶ権利は与えたい、国民は賢い方がいい、労働人口も確保したい

これを満たすなら大学授業の動画化でしょ

理想は全部無料公開だが、学費払った人だけにしてもいい

レポート採点ありプランは高く、人数制限すればいいし

実地プランも別途選抜の上でいい

なんならこれで教授層の手間が減って研究進むプラスもある

Permalink |記事への反応(0) | 18:33

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50代の早期退職能力不足が原因ではない?

日本型雇用制度構造課題と持続可能な人事戦略への転換

序論:中高年社員雇用危機とその構造的背景

日本代表する大企業において、50代の社員が直面する「無言の退職圧力」は、もはや例外的事象ではなく、構造的な問題として常態化している。長年の経験専門性を蓄積したベテラン人材を早期に手放し、その一方で育成に10年という歳月を要する未経験新卒者を採用する──この一見不合理なサイクルは、なぜ繰り返されるのか。本レポートは、この問題の背景にある経済的力学制度的欠陥を解き明かし、日本企業が直面する人事制度根本課題に対する処方箋提示することを目的とする。

この問題の核心には、見過ごすことのできない重大なパラドックス存在する。

この矛盾した人材サイクルの根本原因は、個々の企業経営判断ミスという表層的な問題ではない。それは、日本型雇用システムに深く根ざした「年功序列型」の賃金体系そのものに内在する構造的欠陥なのである。次章では、この矛盾を生み出す経済的メカニズムを詳述する。

1.早期退職優遇制度経済的合理性限界

持続的なリストラのサイクルは、経営非情さの表れというより、むしろ伝統的な日本型報酬モデルに組み込まれた、根深経済的ロジックの症状である。中高年社員早期退職を促す構造は、短期的な財務改善という抗いがたい「誘惑」を経営陣に提示する一方で、長期的な人的資本を蝕む罠となっているのだ。

問題の根源は、多くの日本企業において、中高年社員賃金水準が本人の生産性を大きく上回ってしまう「高すぎる給与」にある。具体的には、以下のような水準が常態化している。

この報酬と貢献の危険乖離は、労働経済学の「レイザー法則」によって理論的に説明できる。この法則によれば、年功序列賃金社員キャリアを二つのフェーズに分断する。

この報酬と貢献のデカプリングこそが、早期退職を促す構造の核心である壮年期以降の社員を早期に退職させることが、企業にとって「膨大な利益」をもたらす財務ロジックがここに成立する。

1.退職金のコスト:早期退職優遇制度では、退職金に「30ヶ月分」程度の給与が上乗せされるのが一般的である

2.雇用継続コスト: 一方で、高給与の50代社員を1年間雇用し続けるための総コストは、基本給(12ヶ月)に加え、賞与、高額な社会保険料、その他経費を含めると、給与の「24~25ヶ月分」に相当する。

3.結論: つまり、30ヶ月分の退職金は、実質的わずか「1年3ヶ月分」程度の雇用コストしかない。この計算に基づけば、50歳で社員退職させることで、定年となる65歳までの残り15年分の莫大な人件費を削減できることになる。この財務インパクトが、経営陣にとって短期的なバランスシート改善を優先し、経験豊富人材の維持という長期的な視点犠牲にする、強力かつ危険な誘惑となっているのだ。

しかし、この短期的な経済合理性は、深刻な副作用を伴う。かつて大規模なリストラを行ったパナソニックが、15年の時を経て再び同様のリストラを繰り返している事実は、このモデルが持続不可能であることを象徴している。この負のサイクルを断ち切るためには、問題の根源である日本給与構造のものにメスを入れる必要がある。

2.日本給与構造実態平均値の罠と年功カーブ

日本賃金に関する議論は、「日本の平均給与は低い」という、統計がもたらす「罠」にしばしば陥りがちである。本章では、この誤解を解き明かし、急峻な年功カーブが一部の大企業特有問題ではなく、日本の中堅・大企業共通する構造課題であることを論証する。

世間一般で語られる「低い平均給与」の根拠とされる統計データは、意図せずして実態を著しく歪めている。これらの数値は、人事戦略を構築する上で根本的に誤解を招くものであり、一種の「インチキ」と言わざるを得ない。

これらの統計からパートタイマー等の影響を除外し、フルタイム働く男性の賃金カーブに焦点を当てると、全く異なる実態が浮かび上がる。学歴高卒・中卒含む)や地域を問わない全国の平均値ですら、50代の平均年収は700万円に達する。これを大卒正社員限定すれば、さら100万円程度上乗せされるのが実情だ。これは、日本賃金体系が年齢と共に急勾配で上昇する、典型的年功序列であることを明確に示している。

では、この構造問題はどの規模の企業に当てはまるのか。我々の分析は、明確な境界線を明らかにしている。

この分析が示すのは、この問題が一部の巨大企業限定されたものではなく、日本企業アーキテクチャに組み込まれシステム上の欠陥であるという事実だ。したがって、この課題解決策を模索する上で、グローバルな標準との比較はもはや単に有益であるだけでなく、不可欠なプロセスなのである

3.海外賃金体系との比較フラット化された給与モデル

日本型雇用システム構造課題を克服するためには、国内常識に囚われず、海外先進的な雇用モデル比較分析することが極めて重要であるフランスアメリカの事例は、日本年功序列型とは全く異なる賃金思想を示しており、我々が目指すべき改革方向性を明確に示唆している。

フランス賃金体系は、エリート層と一般層でキャリアパスと給与モデルが明確に分離された「複線型」を特徴とする。

アメリカ賃金体系も、大多数の労働者においては同様の傾向を示す。中央値位置する労働者場合賃金の伸びは30歳から40歳までの期間に集中し、40歳以降の給与はほぼ横ばい(フラット)となる。給与青天井で上がり続けるのは、ごく一部のトップエリート層に限定されるのだ。

フランスアメリカ、二つの先進国の事例から導き出される示唆は、極めて明確である。それは、「一部のエリート層を除き、大多数の労働者賃金カーブ若いうちに頭打ちとなり、その後はフラットに推移する」という共通原則だ。このモデルは、年齢給による人件費の高騰を防ぎ、長期的な雇用安定を可能にする基盤となっている。このグローバルスタンダードを参考に、次章では日本が目指すべき具体的な人事制度改革案を提言する。

4.提言:持続可能な人事制度への移行プラン

これまでの分析で明らかになった構造課題解決するためには、小手先対策では不十分である。我々が取るべき唯一の持続可能な道は、戦略的な転換、すなわち「年功序列賃金から、成果と役割に応じたフラット賃金体系への移行」である。本レポート提示する核心的な提言は、この移行を断行することに尽きる。その具体的なモデルケースとして、「年収700万円での頭打ち」を一つのベンチマークとすることを提案する。

この新しい賃金モデルは、単なるコスト削減策ではなく、企業競争力従業員エンゲージメントを同時に向上させる、多面的メリットをもたらす。

この改革は、単なる賃金制度の変更に留まらない。それは日本人の働き方、キャリア観、そして社会全体のあり方を変革し、持続可能タレントパイプラインを構築する大きなポテンシャルを秘めている。

結論:真の「雇用安定」の再定義に向けて

レポートを通じて明らかになったように、日本の中高年雇用問題根本原因は、個々の社員能力や意欲の欠如では断じてない。その本質は、経済成長期を前提に設計され、現代環境には全く適合しなくなった年功序列型の賃金システムのものにある。

この本質的な課題を前に、我々は議論の焦点を大きく転換させねばならない。「定年後の再雇用」や「中高年のリスキリング」といった対症療法的な議論から、「そもそも定年を意識することなく、誰もが安心して長く働き続けられる雇用賃金体系をいかにして構築するか」という、より本質的な議論へとシフトしなければ、この問題解決することはない。

真の「雇用安定」とは、単に一つの企業に長く在籍できることではない。それは、年齢に関わらず、社員一人ひとりが自らの能力経験を最大限に発揮し、その貢献に対して公正な処遇を受けながら、社会の一員として長く活躍し続けられるシステムである。この新しい定義に基づき、持続可能で、かつ働くすべての人々にとって公平な人事制度を構築することこそ、現代日本企業に課せられた最も重要戦略的責務である

Permalink |記事への反応(3) | 12:28

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フェミニズムっていうのは女性を開放せよという運動しかないのになんでこんなに大量に派生している上にうまく行っていないのか?

大本フェミニズムは、人々に人権という発送が芽生えたときに、びっくりするくらいに女性がそっちのけになったという問題がある。

女性男性が守るべきものであって、自立して生きていくべきものではない、という発想がそもそもあったので、女性に対して法的に定義された権利必要性がなかったのだろう。

かの有名なマルクス主義差別配管と言いつつもやはり対象男性であった。

人権というものが人々に浸透していったのに対象男性のみであって女性対象外、これは、男性が「働くのは男、女はそうではない」というジェンダー規範を持っていたからだ。

から初期のフェミニズムは「男性ジェンダーから開放する」というのも重要目標の一つだった。そうしなければいくら女性が自立しようにも男性に足を引っ張られるのは目に見えているからな。

ではなんでフェミニズムは細分化されていったのかという話になるが、ブラックフェミニズムというものがある。

これは「当初のフェミニズム白人女性中心のものであり、黒人女性が受けている特有差別を全く無視していた」という問題点に立脚している。

この時点でフェミニズムは「いいように細分化される運命を受け入れた」と言ってもいいだろう。

ある一つのフェミニズムがあるのではなく、「誰も着目していない女性問題を見つけたら新しいフェミニズムとして立ち上げて良い」とフェミニズムが受け入れたからだ。

次に、ウーマンリブに目を向けてみよう。

ウーマンリブは「個人的問題社会問題」と言っていたことがある。

これは「あたしが気に食わないことは社会対応すべき!」という意味などではまったくなく、「それはお前の単なるワガママと片付けられてしまうような問題も実は解決すべき社会問題が原因のことがあるのだから、切り捨てないでしっかり分析しよう」というものなのだが、この意味現代に正しく継承されているのだろうか?

みなみはるお氏は「お客様の前に立つときはまるで神の前に立つような気構えで立つんです」という意味合いで「お客様は神様です」といったそうだが、今この意味で使っている人はいるんだろうか?というのと同様の問題でもある。

フェミニズムやらかした失敗はつまり

1.男性ジェンダーから開放せよという重要なコンセプトを喪失した

2.女性が絡めばフェミニズムとして新設可能にした

の二点だと思っている。

から本当だったら「フェミニズム本質に立ち返ったフェミニズム」が今は必要なんじゃないかと思っている。そうはならんだろうけどな。

追記

ブクマ個人わがままをというのがあったので一応補足しておくんだが、「個人ワガママのように見えて実は重大な社会問題根本にあるかもしれないかわがままだと切り捨てるべきじゃない」というのがウーマンリブのコンセプトだ。

個人わがままを上手に社会問題化のように触れ回れるテクニックがあるか、だとか、人気者が行ったのかどうかとかそういった政治的事情で重大度が変わってしまうというのもあるだろうがな

Permalink |記事への反応(22) | 06:19

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2025-10-20

anond:20251018225012

スタバが怖い気持ちはわかる

私もスタバには滅多に行かないし難しいカスタマイズの注文などもできない

このエントリの筆者の立場としては、デートに誘っただけでも十分頑張ったという気持ちもあったのだろうし、緊張もあったのかもしれない

不慣れなお店でかっこ悪いところを見せたくないとか、あるいは、幻滅されたらどうしよう…という気持ちが、この筆者の中にあったかどうかはわからないけど、

自分キャパを超えた希望パニックになった…というところまでは、これを読ませてもらった赤の他人としては「頑張ったけど無理だったんだね」という優しさを持つことはできる

けれども、デートに誘った女の子からの、スタバに行きたいという(彼女的には)気軽な誘いに対して、【「絶対無理」を何度も重ねて強く拒絶した態度】は、果たしてその現場で本当に悪くないと言えるのかどうか

「誘った立場」の人間の振る舞いとして、相手に対してポジティブな態度であったのかどうか……ということは、気持ちが落ち着いてきた頃に少し考えてみても良いのではないかなと思った

冒頭にあるように、お互いの関係性が大学ゼミで顔を知っている仲だということもポイントかな、とも思う

彼女罵倒表現としては強すぎるし、傍からみていたら「まぁまぁ、気持ちはわかるけれどちょっと落ち着いて…」とは言いたくなるけれど

初めてのデートでここまでの罵倒が並ぶというのは、なかなかのことだなと感じるし、ここまでつらつらと出てくるものだろうか…?ということも疑問

彼女の怒りがここまでヒートアップしてしまった背景として、普段ゼミでどんなふうな会話が重ねられていたのか

普段言動や、ゼミの中でのやりとり、振る舞い… 色々なことを振り返ってみるきっかけでもあるのかもしれない

このエントリタイトルの書き方や内容からもわかるように、この出来事に対しては、筆者が

スタバに入れないことがダメ罵倒された』

というふうに受け取っていることがよくわかるけれど、彼女が言いたいことの本質

スタバに入れないことがダメ という話では ない』

だろうなと、やっぱり私は感じる

ここまで丁寧に彼女言葉を記録しているのだから

彼女の怒りの発端はどんなことだったのか

彼女の指摘が妥当な部分はどこで、どこからが「言い過ぎ」か

ということを、この筆者が丁寧に観察できたらいいな

それに、初めてのデートという機会で(表現は強すぎるとは言え)、ここまで直接的に指摘してくる人は、あまりいないのではないか

スタバ拒否されてイヤな気持ちになったなら、彼女はその場で即行帰ってもいいところを、この筆者に対して、こういう時はこうしたらいいでしょという改善案も出してくれている

そういう人をデートに誘った筆者の人を見る目は悪くはないのだろうから彼女が言った言葉に丁寧に向き合える気持ちになれるような静かな時間が訪れることを願う

Permalink |記事への反応(0) | 22:22

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ポーカープロへの道は実力か運か

多くの人々がポーカーというゲームに魅了されるのは、それが単なるギャンブルではなく、高度な戦略、精密な計算、そして相手心理を読む深い洞察力が求められる「マインドスポーツ」だと信じているからだろう。煌びやかなトーナメント、数億円という破格の賞金、そしてスポットライトを浴びるチャンピオンたち。その姿は、努力と才能が正当に評価される、実力主義世界象徴のように見える。

しかし、その輝かしいイメージの裏で、我々が決して目を向けてはならない、あまりにも残酷不都合な真実存在する。もしあなたが本気でポーカープロを目指しているのなら、この甘美な幻想は、キャリアの初期段階で徹底的に打ち砕いておく必要がある。

結論から言おう。現代ポーカープロになるための必須条件、それはスキルでも、経験でも、ましてや精神力でもない。それは、常軌を逸した「強運」と、その運を試すための試行回数を他人の金で確保する「資金調達能力である

ポーカートーナメント本質を、極限まで単純化してみよう。それは、膨大な数の「オールイン対決」を生き残り続けるサバイバルゲームだ。特にチップ量が拮抗し、プリフロップでのオールインが頻発する中盤から終盤にかけて、プレイヤースキルが介在する余地は驚くほど少なくなる。

ここで、ポーカーで最も頻繁に発生する「50% vs50%」の状況、通称コイントス」または「フリップ」を考えてみよう。例えば、あなたハンドAKエースキング)で、相手がQQ(クイーンペア)。どちらが勝つかは、コミュニティカードが開かれるまでほぼ五分五分だ。

さて、もしあなたトーナメントで優勝するために、この50%勝負10連続で勝つ必要があったとしよう。その確率は一体どれくらいだろうか?

(1/2) の10乗 = 1/1024

そうだ、たったの1024分の1である。これは、スキル経験も一切関係ない、純粋確率世界だ。コインを振って10連続で表を出すことと何ら変わりはない。

まり、極端な話、ポーカーを覚えたての初心者であろうと、10経験を積んだをベテランであろうと、この「1/1024」の幸運の雷に撃たれさえすれば、世界的なトーナメントで優勝できてしまうのだ。そして、この偶然の産物であるチャンピオンは、いとも簡単に「自分は強い」と勘違いを始める。

「あのアクションが神がかっていた」「あのブラフ相手を降ろしたから勝てた」「プレッシャーの中で冷静な判断ができた自分は本物だ」

彼らは、結果から逆算して自分成功物語を紡ぎ始める。しかし、その裏側にあるのは、9回連続コイントスに勝った後、最後10回目で無情にも敗れ去った、彼より遥かに実力のあるプレイヤーたちの無数の屍だ。メディア1024分の1の勝者を英雄として祭り上げるが、残りの1023人の敗者の物語が語られることはない。この強烈なサバイバーシップバイアスこそが、「ポーカーは実力ゲームである」という幻想を強固に支える最大の要因なのである

「長期的に見れば、期待値EV)がプラスの行動を繰り返すことで収支はプラス収束する」

これは、ポーカー科学的にアプローチしようとする者が、まるで聖書のように信奉する言葉だ。しかし、この「長期的に見れば」という言葉の本当の恐ろしさを、彼らは理解しているのだろうか。

ここで、ポーカー世界から一度離れて、カジノの胴元の立場になって考えてみよう。ブラックジャックルーレットバカラ。これらのテーブルゲームは、すべてカジノ側(胴元)にわずかながら数学的な優位性(ハウスエッジ)があるように設計されている。つまり、胴元のすべての判断は、常に「期待値プラス」なのである

彼らは、ポーカープレイヤー血の滲むような努力の末にようやく手に入れるかもしれない、ほんのわずかな優位性を、ルールのものによって永続的に保証されている、いわば「期待値の神」だ。

しかし、そんな神ですら、運の前にひれ伏すことがある。カジノ運営において、特定テーブルゲーム部門が1日単位、1週間単位、あるいは1ヶ月単位マイナス収支に陥ることは、決して珍しい話ではない。あるハイローラー(大金を賭ける客)が驚異的な幸運を発揮し、たった一晩で数億円をカジノから奪い去っていく。そんなニュースを耳にしたことがあるだろう。

数学的に絶対に負けないはずの胴元ですら、統計上の「ブレ」や「偏り」、すなわち「分散(Variance)」によって、短中期的には容易に赤字を出すのだ。

さて、ここでポーカー世界に話を戻そう。胴元が持つ数%の鉄壁アドバンテージに比べて、トッププロ同士の戦いにおける実力差(エッジ)など、一体どれほどのものだというのか。0.5%? それとも0.1%? おそらく、その程度の、誤差のような差でしかないだろう。

そんな、カジノハウスエッジに比べれば無に等しいような僅かな優位性で、人生というあまりにも短い試行回数の中で、収支がプラス収束すると本気で信じているのだろうか。答えは明白だ。人生のすべてを賭けても、ポーカーの収支は決して収束しない。あなたの生涯収支を決めるのは、日々の細かな期待値の積み重ねなどではない。キャリア根底から揺るがす、数回から数十回の巨大なポットを、運良く勝ち取れたか、不運にも失ったか。ただそれだけである

ここまで述べたように、トーナメントでの成功天文学的確率産物であり、日々のプレイですら、あまりにも巨大な分散の前では個人スキルなど無力である

では、なぜ「ポーカープロ」という職業が成立し、彼らは破産せずに活動を続けられるのか。日々の生活費を払い、高額なトーナメントに参加し続けることができるのか。

その答えこそが、この世界の最も醜く、そして最も本質的な真実を突いている。

現代ポーカープロ必須の条件、それは**「ステーキング(Staking)」によって、他人の金でギャンブルすること**である

ステーキングとは、投資家バッカー)がプレイヤートーナメント参加費を肩代わりし、その見返りとして、もしプレイヤーが賞金を獲得した場合、その一部を受け取るという契約モデルだ。

これこそが、現代ポーカープロを支える生命なのだ。彼らは自らのスキル商品として投資家プレゼンし、「私はこれだけの実績がある」「私のプレイタイルは今のメタ(主流戦術)に適している」とアピールして資金調達する。そして、その集めた金で高額トーナメントという名の宝くじを何十回、何百回と購入し続ける。

20連続で参加費を失っても、彼らの懐は痛まない。損失を被るのは投資家だ。そして、21回目に、あの「1024分の1」の幸運を引き当て、莫大な賞金を獲得する。彼らはその賞金から投資家配当を支払い、残った巨額の利益を自らのものとする。そして、メディアは彼を「天才」と呼び、彼は再びその名声を元手に、次の投資家を探すのだ。

まり、彼らの本当のスキルは、カードテーブルの上で発揮されるものではない。彼らの主戦場は、投資家との交渉テーブルなのだいか自分を大きく見せ、いか自分という金融商品投資価値があるかを説得するマーケティング能力交渉術。それこそが、運という名の荒波を乗りこなすための唯一の羅針盤なのである

これからプロを目指すというのなら、GTO戦略を学ぶ前に、まず投資家向けの事業計画書を書くべきだろう。ポーカーはもはやマインドスポーツではない。それは、自らを広告塔とした金融ビジネスであり、運の女神他人の金で口説き落とす、壮大なギャンブルなのだから

結論現代ポーカープロの唯一の必須スキル、それは「他人の金でギャンブルする能力

Permalink |記事への反応(0) | 15:57

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最近考えていること

今考えていることを書き出す

①ミッドエイクライシスについて

②「執着を無くす」について

仕事について

AIについて

 

■①ミッドエイクライシスについて

自分は30代後半男性だが、過去の「何者かになりたい」と感じる男性気持ちがすこしわかるようになってきた

これがミッドエイクライシスか…

 

転職するとか、脱サラして飲食始めるとかは、こういう「人生で何かをなしとげたい」って気持ちからくるんだろうな

 

自分としては、結婚して子供もいて、仕事もあるので、人生にはかなり満足している

子供ちゃんと育てることで、「なにものかになりたい」という気持ち昇華していきたい所存

 

■②「執着を無くす」について

最近、「嫌われる勇気」という本を読んだところ、仏教的な文脈で、とにかく日々の中で執着するものをなくしなさいよ、ということであった

 

よくわからなかったのでChatGPTに聞くと、こいつがかなりわかりやす解説してくれてよかった

余談だが、仏教「空」概念について聞いてもChatGPTはスラスラ答えてくる

仏教はかなり文字文化なので、ChatGPTとは相性いいんだろう)

 

今私が執着しているものを考えてみた

健康お金仕事家族

 

まぁさすがにこの辺に対する執着を手放すことはないだろう…

 

仕事成功したい」とか「誰かに認められたい」みたいな気持ちは捨てて行きたい

 

仕事であまり頑張りたくない」と思っているのだが、これも執着なんだろうか?

 

頑張りたくない理由を深堀すると

健康を損ないたくない

②頑張るともっと仕事が降ってくる

③頑張ってもリターンがないことがわかってる(= リターンがもらえても別に嬉しくない)

④頑張る理由がないであ

  

会社よ、まぁ仕事自体は真面目にやるから許してくれ

 

■③仕事について

IT系なんだが、とにかく最近メンバーの質の低下を感じる

ふと見渡すと仕事メンバーが中途や新人ばかりで、ほんとうに大丈夫かと感じる

人数はいるんだが、叩き上げの中堅がごっそりいないので、私は「濃度が薄まってる」と表現してる

 

PMBOKという言葉すら知らない層がマネジメント業務に割り当てられてたりする

さすがにマズくない?

 

から問題になっていたが、最近はより問題が深まってる

 

そんなメンバーではもちろんうまくいかないのだが、問題が発覚するまでに時間がかかる上に、

問題がおきても原因分析する人たちも素人なので、まともな原因分析が行われないのである

(まぁ「自分たちが何も専門知識がないのが失敗原因でした」と報告できないのはわかるんだが…)

 

職場素人化」である(話を聞くに、どの業界でも似たようなことは起こっているようである

対処法は、まだ、ない

 

■④AIについて

AIについて考えない日はない

機械学習なんかを頑張っていた自分は、ここ1年ぐらい「自分仕事もどうせAIにとられるんだ」と腐っていた

 

しかし、最近気づいたが、「思ったほどAI(LLM)に仕事を取られていない」

 

このペースなら定年まで逃げ切れるかもしれない

RAGとか間違った方向で検討してくれるところがあるおかげで、仕事全然ある

 

LLMは素晴らしい技術だが、やはりそれを使うのがヘボな人間たちなので、パフォーマンスがでるまでにここまで時間がかかるものなんだとびっくりしている

 

まぁ日本企業が、普段業務分析言語化をさぼっているというものあるんだろう

ちゃん業務フロー言語化されているなら、LLMを使って相当な部分は自動化できるところまでは来てる(ローカルLLMですらだいぶ手軽に構築できる)

 

自分の日々の業務の1つ1つをちゃん言語化フロー化している人なら、LLMで相当な仕事代替できるはずである

 

それができていないということは、あんまりいないんだろうな

vide codingとかそっちの方面ばかりのびてるからな…

 

意思決定ロジック化」は昔から根強く支持されてきたテーマなのに、いざLLMにやらせると、うまく言ってないように見える

その理由は、人間は誰も「ある意思決定に関連する要素をすべて洗い出してください」(プロンプトのために)と言われてもできないんだろうな

 

というか、意思決定必要な要素を洗い出せるなら、意思決定は終わってるんだろうな…

 

最近のChatGPTはほんとうにすごい

むかしは5回に1回はアホだったが、最近20回に1回程度である

 

少なくとも、偏差値45の人間意思決定させるより、(適切なプロンプトと)ChatGPTのほうが優秀だと私は思う

 

1回の推論にかかるコストももうだいぶ下がってる(1回数百円程度だろう)

人間を働かせるよりは安い

 

偏差値X以下のホワイトカラーはLLMに代替される」時代はもう来てる

(Xの値は、時間とともに増加する)

 

LLMが流行ってない理由は、ほんとうに時間だけだろうと思う

普及してないだけだ

まだRAGとか、QAボットみたいな使い方が主流だからな…

 

メール電話を受けて、資料を作ってメール電話をするのが仕事です」の人達は、今後、ChatGPTと比べられ続ける

なぜなら、やってることの本質がLLMと同じだから(与えられたコンテキストにしたがって反応してるだけだから

 

やっぱり、昔から思ってたけど、「自分がいまやってる仕事本質的に何なのか」に対する解像度がみんな低いんだろうな…

そんなの理解してなくても仕事できちゃうもんな

 

本質的な仕事に合わせて社会が変化するのにも時間がかかるか(「銀行業は要るが、銀行はいらない」と言われていた銀行は、窓口業務をどんどん縮小してる)

 

スポーツ世界を思い出す、スター選手でも、試合の中身を理詰めで話せる人と話せない人がいる

LLMに食べさせるなら、自分仕事を理詰めで話せないとだめだ

 

自分仕事意思決定をぜんぶ言語化できるなら、LLMを自分コピーとして使える

 

私が恐れているのは、誰かスーパーマンが1つの職業言語化を終えてしまったら、世界中でもうそ職業はLLMがやってしまうんじゃないか?ということ

理想プロジェクトマネージャー」のプロンプトができあがったら、それって世界中で使えるよね?

あとはプロジェクト固有の情報インプットだけだよね?

 

まぁプロンプトになるのか、ツールになるのかはこれからだろうけど

 

今、AIについて考えてるのはこんなところ

Permalink |記事への反応(0) | 15:11

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anond:20251020134509

何かやっちゃいましたがないなろうはあれど、美少女のいないなろうはないか美少女本質だと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 13:47

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anond:20251020132615

なろうの本質って何かやっちゃいましたじゃなくて、美少女からモテまくる意味不明ハーレムだと思ってる。

あれってほとんどエロ同人文書化したものだよ。

Permalink |記事への反応(1) | 13:28

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革新なきヒットの限界――レパントの海戦としてのポケモンZA

 1571年、レパントの海戦オスマン帝国無敵艦隊を、スペインヴェネツィアローマ教皇連合艦隊撃破したあの日は、ヨーロッパにおける「旧秩序の最後勝利」として記憶されている。だがそれは同時に、火薬と風帆の交錯する時代における“過去の戦い方”の終焉でもあった。

 そして、2025年の『PokémonLEGENDS Z-A』――これもまた、ゲーム業界におけるレパントの海戦である

 任天堂ポケモン社は、革新標榜しながらも、その本質は“帆船の艦列戦”に固執する連合艦隊だ。巨大なIPの威光を盾に、数値と懐古の煙幕プレイヤーを包み込む。だが、海はすでに変わっている。SteamEpicモバイルの潮流は、帆ではなく蒸気と電力で駆動する――それが現代の“海戦”だ。

 ポケモンZAが選んだのは、その新海域を航海することではなく、旧式のガレー船金箔で飾り、再び出港する道だった。

 確かにレパントの海戦ではオスマン拡張を止めた。しかし、あの勝利は一時の幻影に過ぎず、やがて地中海覇権沈黙のうちに移り変わった。同じく、ポケモンZAも短期的には話題と売上で勝利を収めるだろう。だがその勝利の背後で、ゲームの「航海技術」は停滞し、革新の風は他の海原へと流れていく。

 “伝統”の名のもとに惰性を正当化するその姿勢は、まさにガレー船の鎖に繋がれた漕ぎ手のようだ。美しく整った列を組みながら、どこへ向かうのかを誰も知らない

 レパントの海戦は、旧世界最後勝利であり、新時代の前夜であった。

 ポケモンZAもまた、ポケモン帝国の最終的な「勝利」であり、同時に「終わりの始まり」なのかもしれない。任天堂がいまだに風を読み違えるなら、その船団は次の嵐で、二度と帰港できないだろう。

 それでも彼らは帆を張る――“子どもたちの夢”という名の、時代遅れの風を受けて。

Permalink |記事への反応(0) | 12:55

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【緊急提言B型作業所障害者が健常者の労働市場破壊し始めている。

B型作業所を利用した労働力ダンピングが、健常者の労働環境も壊していく危険性について。

いま、全国で静かに広がっている「B型作業所による労働力ダンピング」。

本来福祉の場であるはずのB型が、飲食店の皿洗い、ホテル清掃、ポスティングといった市場労働代替手段として使われ始めています

この流れを放置すれば、最終的に痛むのは障害者だけでなく、地域普通に働く健常者の賃金雇用のものです。

広島での試算 ― すでに「年16億円規模」の影響

広島市内のB型作業所は約178拠点

もし1事業所あたり10人が、月40時間ほど外部の定常業務(皿洗い・清掃など)を請け負い、時給500円で動いているとすると、

その延べ労働時間は71,200時間/月に達します。

地域最低賃金(1,085円)との差は585円/時。

単純計算だけでも、

● 月約4,165万円/年約5億円の賃金原資が市場から流出

さら経済学的にみると、このような「低賃金労働供給ショック」は地域全体の賃金水準にも波及します。

労働経済の標準モデル弾力係数β=−0.6)を適用すると、

● 平均賃金の下落率は約0.8〜1.5%

地域全体ではさらに年1011億円規模の賃金圧縮効果

まり合計すれば、広島だけで年間およそ16億円前後賃金が失われている計算です。

福祉の名を借りた安価下請け構造」が、結果的地域賃上げ努力を踏みにじっているのです。

問題本質 ― 「雇用契約ではない」という抜け道

B型作業所で働く人たちは、法律上は「雇用契約」ではなく「福祉サービス利用者」です。

そのため最低賃金法の適用を受けず、時給200〜500円でも違法ではありません。

しかし、現実には企業自治体発注を受け、実質的雇用と同じ作業をこなしているケースも少なくありません。

この「名ばかり福祉労働」が、地域労働市場を二重構造化させています

放置すれば“地域賃金デフレ”が進む

定常業務外注B型流れる

B型最低賃金を下回る単価で受託

企業は「安く発注できる」ことで価格競争が激化

結果、健常者パートアルバイト賃金も上がらない

この構造を変えなければ、「福祉」と「雇用」の双方が共倒れになります

本来は「支援」だったはずの仕組みが、社会全体の賃下げ装置に転化しているのです。

■ いま求められる政策対応

発注ガイドライン明確化

 定常業務B型に回すことを制限し、監査対象にする。

市場相当の対価設定

 「福祉価格」ではなく、発注元に最低賃金水準での支払いを義務づける。

③ 成果指標の導入

 B型が「移行支援」や「スキルアップ」に機能しているか定量評価する。

地域ごとの監視体制

 清掃・宿泊外食など、B型ダンピングが集中している業種を重点的に調査

結論 ―「安い労働」ではなく、「豊かに生きる福祉」へ

B型作業所本来就労の機会を守るための制度です。

しかし、今のままでは障害者の“安価労働”を利用する仕組みになってしまう。

そしてそれは、健常者の労働環境をも巻き込み、地域全体の賃金尊厳を奪う方向に進んでいます

福祉は誰かを犠牲にして成り立つものではありません。

支援」と「雇用」を分断せず、公正な対価と自立を両立させる仕組みづくりが、いま最も求められています

とChatGPTにまとめさせてみたんだが、全国48万人の利用者手帳なくても利用できるよ)のうち半分がもし

高い工賃を求めて地元企業から清掃やポスティングや皿洗いなどの仕事を時給500円で奪っていったら健常者の労働市場はどうなる?

ぶっ壊れるよ。現段階でももヤバい企業B型作業所を利用して人件費を削減できることに気づき始めたらこの傾向はもっと強まっていくと予想される。

その時、健常者は作業所仕事を奪われ賃金も上がらない最悪な場面を迎えることとなる。

今、みんなで気づかなきゃ。声をあげなきゃ大変なことになるよ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:17

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