
はてなキーワード:本省人とは
https://anond.hatelabo.jp/20250727144129
■概要
劉仲敬は、李登輝の政治行動はその場その場の必要に応じた「実験的」なものであり、長期的なビジョンや理想に基づいた「設計者」ではなかったと分析している。彼の歴史的評価は、台湾の将来の国家建設後に再定義されるべきものとされ、「薛定諤(シュレーディンガー)的存在」と表現されている。
李登輝は、郝柏村の軍権剥奪や総統直選などの改革を進めたが、それらはあくまで当面の政局対応だった。
彼が進めた改革は「天然独」(生まれながらの台湾独立志向)世代を生み出したが、同時に中華民国体制を前提とする社会も温存された。
台湾には日本や英国のような封建貴族階層が存在せず、社会の安定は土豪(地方ボス)と都市中産階級に依存している。
これらの階層には限界があり、社会は散漫(散沙)であり、イデオロギーで一時的に動くが長続きしない。
陳水扁の支持者は真の組織力を持たない「風見鶏」的存在で、彼が失脚するとすぐに手のひらを返した。
陳の失敗は彼個人のせいというより、支持基盤の未成熟さと台湾社会の構造に原因があるとされる。
中国は列寧式党の存在により「無理やり延命」しているが、社会的には台湾よりもさらに脆弱で、全面的に無産階級化している。
台湾は民主主義により一定のバランスを保っているが、独生子女社会による人口構造の脆弱性が将来の存続を危うくしている。
■ 新しい台湾の主役
現在の台湾人(特に国民党系や本省人中産層)は出生率が低く、「未来の主役」になれない。
代わりに、東南アジアからの移民労働者やその子孫が次世代の「新台湾人」になる可能性が高い。
歴史評価は、将来の社会の主流層=共同体が誰かによって決まる。
現在の価値観や歴史認識は、将来の支配層によって全く意味を失う可能性がある。
例:「将来の台湾人」が外国人労働者の子孫ならば、李登輝や蔣経国の区別すら意味を持たなくなる。
台湾は「独立国家を形成する前に中産階級化した」ため、構造的に非常に脆弱。
国家を守るには「硬殼(ハードシェル)」=外交的防衛力や戦略的警戒心が必要であり、それがなければ外圧で簡単に崩れる。
台湾社会は表面は強そうに見えても根が弱く、かえって今後の変動に脆弱である。
■結論
李登輝や台湾の民主主義的改革は、「設計」ではなく「試行錯誤」の連続だった。
台湾の将来を決めるのは「誰が次の社会の構成員になるか」であり、現在のアイデンティティや歴史解釈はその時点で再発明される。
よって「李登輝をどう発明するか」は、未来の台湾がどのような共同体になるかにかかっている。
https://anond.hatelabo.jp/20250320202126
【3行で】
筆者は、日本でよく聞く「台湾=中国の一部」という見方に、「ちょっと待って!」と優しく手を挙げています。
歴史的にも現実的にも、台湾は独自の存在で、中国とは別物。文化も多様で、民主主義も自分たちで育ててきたものだと伝えたいみたいです。
「あなたの意見は尊重するけど、台湾の現実も知ってね」という気持ちが詰まった文章でした。読んでいて、筆者の穏やかだけど芯のある姿勢に好感が持てましたよ!
筆者がまず強調するのは、台湾が独立した政治体制を持っているという現実。
台湾には自分たちで作った憲法があり、選挙で選ばれた政府が政治を運営しています。
法律を作り、経済を動かし、国際社会とも関わりながら、台湾の人々は日々暮らしているんだとか。
これって、普通に「国」っぽいですよね。
中国(ここでは中華人民共和国を指します)の法律や支配は一切関係なく、台湾住民が中国に行くときはパスポートも必要。
戸籍や税金の管理も中国とは別です。つまり、「今、台湾が中国の一部として統治されている」は間違いだと筆者はハッキリ言っています。
「台湾は歴史的に中国に属していた」という意見に対して、筆者は歴史を振り返って反論します。
実は、台湾が中華人民共和国(中国)に属したことは一度もないんです。簡単に歴史をおさらいすると:
・17世紀:オランダが統治。その後:明の遺臣・鄭成功が拠点に。
・1949年:中国で中華人民共和国が成立するけど、台湾は支配されず。
つまり、中華民国が台湾を統治していた時期はあるけど、中華人民共和国とは別物。「中国の一部」というのは歴史的事実とズレてると筆者は指摘します。
「台湾には中国と違う文化や民族はない」という意見にも、筆者は「それは違うよ」と反論。
台湾には多様な人々が暮らしていて、それぞれの文化が混ざり合っています:
・先住民族:昔から住む人々で、独自の言語や文化を持つ。筆者自身もその子孫で、先住民族専用の選挙枠もあるそう。
・内省人(本省人):17世紀以降に中国大陸から移住した人々の子孫。台湾語や客家語を話す。
・外省人:1949年の国共内戦後に台湾へ来た人々とその子孫。
これらが融合しつつも、独自のアイデンティティが育っていて、食文化や生活習慣も中国とは違うんだとか。若い世代は「自分たちは台湾人」という意識が強いみたいです。
よく「香港と台湾は似てる」と言われますが、筆者は大きな違いを強調。
香港は「一国二制度」で中国の一部だけど、台湾は独自の憲法と政治体制を持ち、中国の支配下にないんです。
ただ、「今日の香港は明日の台湾」という危機感から、同じ文脈で語られることもある、と補足しています。
「台湾はアメリカの支援で成り立ってる」という見方にも、「それだけじゃない」と反論。
確かに国際政治の影響はあるけど、台湾の民主主義は台湾の人々が努力して築いたもの。
自分たちの手で未来を作ってきた結果が、今の台湾の発展につながっていると筆者は誇らしげです。
「台湾が国かどうか」は定義次第で意見が分かれる、と筆者は認めます。
だから、「自分はこう思う」と言うのは自由だけど、台湾の実態や人々の尊厳を尊重してほしい、とお願いしています。
ここでいう「犬」とは50年近く台湾を統治していた日本人のことを形容したものであり、「豚」とは戦後に台湾に渡ってきた外省人を指したものである。
日本の台湾総督府に代わって台湾統治を始めた国民政府(蔣介石政権)に対する台湾人(本省人)の失望を、「犬は獰猛で騒がしいとはいえ、番犬として重宝されるのに対し、豚は食べるだけで何もしない」ことに例えて言い表したものであり、これらの深刻な不満は1947年の「二・二八事件」で顕在化することとなる[1][2]。
興味深い
恥ずかしながら二・二八事件を初めて知った
こんにちは。日本在住の台湾人です。日本で暮らしていると、こうした意見はよく耳にするものです。今回、自分の考えを整理する意味も込めて、私見を書きまとめました。決してあなたのモノの見方を否定しようというものではありません。ただ、こうした意見を持つ日本の方々に知っていただきたいことを整理しましたので、少し長くなりますが、最後まで読んでいただけたらと思います。
まず、台湾は独自に制定した憲法を持ち、台湾の人々が選んだ政府が政治を行っています。この体制は長い年月をかけて築かれ、台湾で暮らす人々は、自分たちの社会の中で日々生活しています。法律を作り、経済を運営し、国際社会と関わりながら、独立した統治が行われているのが現実です。
次に、「台湾は歴史的に中国に属していた」という話ですが、これは少し誤解があります。(文脈から判断するに、あなたのいう「中国」は中華人民共和国のことですよね。以下、私が使う「中国」も中華人民共和国の意味です。)
台湾の歴史を振り返ると、17世紀にはオランダが統治し、その後、明の遺臣・鄭成功が台湾を拠点にしました。その後清朝の統治を経て、1895年の日清戦争で日本の領土となりました。1945年に日本の統治が終わった後は、中華民国政府が台湾を統治するようになり、その後1949年に中華人民共和国が成立しましたが、台湾がその支配下に入ることはありませんでした。つまり、「台湾が中華人民共和国に属していたことはない」というのが歴史的な事実です。
現在の状況を見ても、台湾の人々は中国の法律で統治されていませんし、台湾の住民が中国に行く際にはパスポートが必要です。中国政府が台湾の住民の戸籍を管理しているわけでもなく、税金を徴収しているわけでもありません。このような現実を踏まえれば、「台湾が今、中国の一部として統治されている」というのは事実とは異なります。
また、「台湾には独自の文化や民族の違いがない」という意見も、実際にはそうではありません。台湾にはさまざまなルーツを持つ人々が暮らしています。
・台湾先住民族:もともと台湾に住んでいた人々で、独自の言語や文化を持っています。かくいう私も先住民族の子孫で、国会議員を選ぶ選挙の時には先住民族だけが投票・出馬できる議席枠があり、私はその権利を持っています。
・内省人(本省人):17世紀以降、中国大陸から移住してきた人々の子孫で、台湾語(閩南語)や客家語を話す人が多いです。
・外省人:1949年の国共内戦後に台湾に渡ってきた人々とその子孫です。
このように、台湾には多様な文化があり、それらは時に衝突し、時に認め合い、また妥協しながら混ざり合ってきました。今の現役世代は、両親や祖父母の世代の様々な思いを知りつつも、ひとまず自分たちは台湾人であるという意識を共有するようになっています。このことからも、中国とは異なる独自のアイデンティティが形成されていると言えるでしょう。食文化、音楽、生活習慣も異なり、台湾には台湾ならではの歴史と文化があります。
よく香港と台湾が並べて語られますが、決定的に違うのは、台湾が独自の憲法を持ち、自らの政治を運営していることです。香港は「一国二制度」のもとで中国の一部とされてきましたが、台湾は中華人民共和国の支配下に入ったことはなく、長年にわたって独自の政治体制を維持しています。(もちろん「今日の香港は明日の台湾」的な危機にあるという意味では、同列に語るべき存在でもあります。)
「台湾はアメリカの支援で生き残ってきた」という見方もありますが、それだけでは説明がつきません。台湾の民主主義は台湾の人々が努力して築いてきたものです。たしかに国際政治の影響はありますが、台湾が発展し続けているのは、台湾の人々が自分たちの手でその未来を作ってきたからです。
国であるかどうかは、どの立場からどのように定義するかによって変わります。台湾には明らかに独立した統治があり、人々がそこで生活を営んでいるという現実があったとしても、他の国やあなたが台湾を国家として認めるかどうかという議論は成り立ちます。
ですから「自分は国の定義をこう考えるから、台湾はその定義には当てはまらない」と考えることは、一つの意見として尊重されるべきものです。ただ、そうした意見を述べる際も、台湾で暮らす人々にこのような実態があることを踏まえた上で、その尊厳を大切にする気持ちを持っていてほしいと思います。民主主義において、議論は自由に行われるべきですが、その前提・プロセス・結果において相手の存在を否定しない(立場を尊重し合う)ということが何より大切だからです。
Permalink |記事への反応(21) | 20:21
国民政府が日本に代わり台湾を支配した1945年、在台米軍の戦略情報班は同年10月に情報報告書を発表し、国民革命軍の兵士による無秩序と略奪の事例を数多く挙げている。例えば、基隆では第75師第222連隊の兵士30人が数軒の家に押し入り、衣類や宝石類を盗んだ。そして、現場に駆けつけた日本の警察官8人と複数の憲兵からさえも、時計や財布などを盗んだという。翌年4月に米軍情報将校が街頭抗議の情報を収集した際にも、40歳の自動車運転手が「この中国の傭兵役人を追い返せ」と言っていることを報告している。彼は日本政府を「吠えたり噛んだりしながらも、平和と秩序を保つ犬」と表現し、国民政府は寝食だけで誰の役にも立たない豚のようなものだとしていた[3]。
連合国救済復興機関の駐台職員であるアラン・J・シャクルトンは、台湾での勤務を通して、国民党政権下の台湾人の窮状を直に目の当たりにした。シャクルトンは1947年12月に故郷のニュージーランドのギスボーンに戻った後、1948年に『FormosaCalling(台湾人の叫び)』を出版し、その中で「状況があまりにもひどくなったので、台湾人は「犬がいなくなって、豚が来た」と言い始めた。(So baddid the situation become that the Formosans began to say, "The dogsgo and thepigs come".)」と述べている[4][5]。
1947年2月5日付月刊誌『台湾文化』第2巻2号の32ページの「新理論の議論」というタイトルの記事には、「日本人は本省人に対して猛烈な弾圧をしていたため、本省人は日本人を『犬』と呼んでいる...。本省人は最初は外省人を尊敬していたが、後になって一部の外省人の行動を見抜いて、豚のようだと思うようになってしまった。"豚は『すべて食べ尽くして仕事をしない』『不潔で不浄な』動物であり、『不潔で不浄』とはすなわち汚職を意味するのだ....」と書かれていた[6][7]。
1945年に日本が敗戦した後の台湾では、カイロ宣言に基づき、連合国軍の委託を受けて、日本軍の武装解除を行うために、中国大陸から蔣介石国民政府主席率いる中国国民党政府の官僚や軍人らが同地へ進駐し、失地回復という名目で台湾の行政を引き継いでいた。
当初、少なからぬ本省人が台湾の「祖国復帰」を喜び[要出典]、中国大陸から来た国民党政府の官僚や軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの汚職の凄まじさに驚き、失望した。大陸から来た軍人・官僚は、当時の国共内戦の影響で(人格的にも能力的にも精鋭と呼べる人材は大陸の前線に送られており)質が悪く、強姦・強盗・殺人を犯す者も多かったが、犯人が処罰されぬことがしばしばあった。
もし罰せられる場合でも、犯人の省籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収・横領され、上海市の国際市場で競売にかけられるに到り、物資不足に陥った台湾では、相対的に物価は高騰、インフレーションによって企業の倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。
日本統治時代の台湾では、厳しい同化政策(皇民化教育)などはあったが、不正は少なく、帝国大学も創設され、インフラストラクチャも整備した台湾の経済は、日本内地の地方都市を超えて東京市と同じ水準だった[2]。日本の統治を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい汚職、軍人・兵士などの狼藉、さらに経済の混乱は到底受け入れがたいものであり、人々の不満は高まっていった。
当時の台湾人たちは、「何日君再来」を歌ったり、「犬去りて、豚来たる」(意味:犬〔日本人〕が去れば、今度は豚〔中国人〕が来た。)と揶揄した(犬〔日本人〕はうるさくても番犬として役に立つが、豚〔中国人〕はただ貪り食うのみで、役に立たないという意味が込められている[3])。
政府 4日にも台湾にアストラゼネカのワクチン提供する方針 | 新型コロナ ワクチン(日本国内) | NHKニュース
hamamuratakuo
血栓で死亡するアストラゼネカを本格的に使うと日本国民から反発を食らう→不要品の処分としてアストラゼネカを台湾に押し付け(台湾にも感謝されて一石二鳥)?/1989年6月4日→天安門事件https://w.wiki/3NRx鄧小平の犯罪
いいことをしているように見えて、アストラゼネカなので、台湾人に大量に血栓を発生させろという中国共産党のご意向に沿ったものです。
<独自>台湾にワクチン124万回分提供 4日到着、震災支援の「返礼」 - 産経ニュース
kyo_ju
hamamuratakuo
血栓で死亡するアストラゼネカを本格的に使うと日本国民から反発を食らう→不要品の処分としてアストラゼネカを台湾に押し付け(台湾にも感謝されて一石二鳥)?/1989年6月4日→天安門事件https://w.wiki/3NRx鄧小平の犯罪
台湾にワクチン届く 蔡英文総統「民主主義にいっそうの自信」 | 新型コロナ ワクチン(世界) | NHKニュース
grdgs
それを送った自民政府と支持者は反民主主義が大好きですけどね。自民党・支持者と中共はそっくり / って書くと「我らが国の批判許さぬ」という反民主主義・反自由主義を体現・補強する者がワラワラ出てくるんだよな
quick_past
そりゃ外交上も国内の有権者の顔色的にも、そう言わざるを得ないでしょ。被災地にゴミ切れ送りつけるようなもんじゃないの。これ。
hamamuratakuo
血栓で死亡するアストラゼネカを本格的に使うと日本国民から反発を食らう→不要品の処分としてアストラゼネカを台湾に押し付け(台湾にも感謝されて一石二鳥)?/1989年6月4日→天安門事件https://w.wiki/3NRx鄧小平の犯罪
unkounkounodouble
ブクマ見てウヨっぽい言動してる奴って愛国心より単に自民支持してるだけってのがよく分かる反応。もし野生の自民支持者なら本当に可哀想な人生送っているのだと思う。
kasapen
ゴミだからアストラゼネカをやるんでしょ?本当に大切な人にプレゼントしようと思ったら、良いものを渡そうと考える。自国で使わない物を渡す以上、不用品を渡したと考えるのは間違ってるとは思わない。
台湾 ワクチンに感謝のメッセージ 高層ビルの壁面に | 新型コロナウイルス | NHKニュース
Hayano
台湾はあんなにスゴイ方をIT大臣にできる国。日本のIT大臣は単なるクソジジイ。この差を知った時にもう台湾には抜かれると感じたよ。
shinji
hamamuratakuo
台湾人は本省人と外省人で構成=親日と反日が混在。中共は台湾支配で青幇マフィアhttps://w.wiki/3S5C を民進党に注入→蔡英文が党員の不祥事で謝罪。経産省はTSMCへ日本人の血税を投資=日本人を懐柔する親日演出→成功?
Shinwiki
いっそ占領してくれ
pbp2