
はてなキーワード:本庄とは
| ■Gemini版 | https://anond.hatelabo.jp/20251011145135 |
| ■Grok版 | https://anond.hatelabo.jp/20251011152248 |
| 本庄知史 (立憲民主党) | 適性80% | 立憲民主党の参院議員で、党政策調査会にも名を連ねる政策通です。党公認の元財務官僚で調整力があり、官房長官に必要な政府説明能力とコーディネート力が高いと見られます。非公式ながら報道への発信実績もあり、緊急時の危機管理対応にも長けています。 |
| 塩村あやか (立憲民主党) | 適性75% | 参院議員(東京選挙区)で元東京都議。LGBTや一人親支援など小声を代弁する政治スタイルで国民への情報発信力に定評があります。過去に党の内閣府担当政務官も経験し、広報戦略や政策調整に精通している点から、官房長官として政府と国民の橋渡し役を担う能力があります。 |
| 稲富修二 (立憲民主党) | 適性80% | 元丸紅勤務で、コロンビア大学国際公共政策修士号を取得した経済専門家です。党の財金政策PT座長・筆頭理事も歴任しており、経済金融分野での知見が豊富。アナリスト経験を活かして国際金融に強い点が評価され、財務大臣としての実務能力は高いと考えられます。 |
| 足立康史 (国民民主党) | 適性75% | 元経済産業省官僚で、MITI(現経産省)在勤のキャリアが21年にわたります。米コロンビア大学国際公共政策修士号も取得しており、経済財政への深い理解があります。財政政策や税制論議で積極的に発言しており、その財務知識と行政経験から財務大臣の職務にかなり適しています。 |
| 山花郁夫 (立憲民主党) | 適性80% | 元法務副大臣で、立憲の憲法審査会会長代理でもあり行政全般に詳しいベテラン議員です。総務委員会にも在籍し地方自治や選挙管理、デジタル行政など総務省領域に関連した質疑実績があります。行政改革や地方分権にも関わってきたことから、総務省を統括する力量に優れています。 |
| (該当候補者の確たる情報が公表されておらず省略) – | 適性(情報なし): | 他党の候補者情報は入手困難のため、ここでは示せません。 |
| 黒岩宇洋 (立憲民主党) | 適性85% | 元参議院議員で現衆院議員。法学部中退ながら法務委員会筆頭理事として積極的に司法制度改革に取り組み、選択的夫婦別姓導入など憲法論議でも中心的役割を果たしています。拉致問題・人権擁護にも造詣が深く、法曹資格はないものの法曹や司法行政に精通した法務通として、法相の職務能力は高いと評価されます。 |
| 小池晃 (日本共産党) | 適性70% | 日本共産党の参院議員団書記局長で、理学博士出身の医師です。法学教育は受けていませんが、党の政策責任者として憲法改正阻止や公文書管理法批判など法的論点にも精通しています。人権・消費者問題で力強く議論する立場から、批判的野党としての監視能力は高く、法務行政に対する監督役として活躍できる適性があります。 |
| 源馬謙太郎 (立憲民主党) | 適性90% | 鎌倉市議や静岡県議など地方議会出身で、米国American University大学院で国際平和学を学んだ国際派議員です。党外交推進本部事務局長や外務委員会筆頭理事も務め、国際協力・拉致問題にも携わるなど対外経験が豊富である点から、外務大臣に高い適正があります |
| 深作ヘスス (国民民主党) | 適性75% | ペルー生まれの国際派で、日米両国での勤務経験があります。外務省米国大使館勤務、米連邦議会下院議員の外交政策担当スタッフ経験があり、英語力も堪能です。若手ですが外交実務に直結するキャリアがあり、外務省政策立案の知見も期待できるため、外務大臣候補として一定の適性を見込めます。 |
| 荒井優 (立憲民主党) | 適性85% | 学校法人の副理事長・校長を歴任した教育実務家です。複数の学校経営に携わる傍ら、若者支援本部で副本部長も務めており、教育現場や学習環境に精通。教育行政の課題をよく理解し、子ども・若者政策にも取り組んできた点から文科相として高い専門性を持っています。 |
| 辻元清美 (社会民主党) | 適性70% | 早稲田大学教育学部卒で、学生時代に教育NGO「ピースボート」を創設した経歴があります。副党首として政党運営の経験も豊富で、女性教育・環境教育などでも発言実績があります。教育分野の政策提言は少ないものの、教育学部出身で国際交流のNGO運営経験があり、文科相としての基本的な知識と熱意はある人物です。 |
| 小西洋之 (立憲民主党) | 適性80% | 医師であり、厚生労働問題を専門とする「厚労スポークスパーソン」です。過去には医療政策担当議員連盟事務局長等も歴任し、社会保障や労働分野での発言力・知見があります。国会でも介護や少子化対策で提案実績が多く、専門知識と政策経験から厚労相に適した人材です。 |
| 大椿ゆうこ (社民党) | 適性70% | 社民党副党首で、参院議員(比例)として厚生労働委員会に所属してきました。自身が非正規労働者として子育てに苦労した経験をもとに、若年層・非正規支援策に積極的です。党首交渉や委員会質疑で子育て支援・ジェンダー平等を訴えるなど厚労領域での政策姿勢が明確であり、社会的弱者支援の観点で一定の適性があります。 |
| 古賀之士 (立憲民主党) | 適性75% | 元テレビ朝日アナウンサーで、現在は参議院議員(福岡県)で経産委員会理事を務めています。情報・産業政策に詳しく、地元産業活性化にも注力しているため、産業政策の幅広い知見があります。マスメディア出身で調整力もある点から、経産相として約60~75%の適正が見込めます。 |
| 村上智信 (日本維新の会) | 適性85% | 元経済産業省官僚(通産省時代に入省)で、化学工学の博士課程修了者です。経産省では医療福祉機器室長などを歴任し、産業政策・技術立国政策の策定に深く携わってきました。維新所属の衆院議員として実務経験もあるため、経済産業省のトップ役割に極めて適性が高い人材です。 |
| 白石洋一 (立憲民主党) | 適性85% | KPMG経営コンサルタント出身の会計・財務専門家で、現在は国土交通委員会の筆頭理事を務めています。道路・交通インフラの予算監視にも携わり、海外MBAや公認会計士資格を生かして公共事業や都市開発の財政面にも精通しています。インフラ整備や行政監視に関する高い専門性から、国交相に適任です。 |
| 佐々木りえ (日本維新の会) | 適性75% | 維新所属の参院議員で、参院国交委員会の理事を務めています。これまで上水道整備や都市交通策など地方自治体関連の政策を中心に発言し、既存インフラの維持管理・費用対効果にも関心を示しています。委員会活動から国交省領域への理解が伺え、維新の大都市中心政策との親和性も評価材料です。 |
| 森田俊和 (立憲民主党) | 適性80% | 埼玉県議2期の経歴を持つ地方政策の専門家で、県内で農業・福祉・環境保全のNPO運営にも長年携わってきました。党内でも子育て・介護・地域活性化に関する議員連盟で幹部を務め、環境委員会の理事として温暖化対策も審議。現場経験を踏まえた環境保全・持続可能性の意識が高く、環境省の指導力も発揮できる適性があります。 |
| 山本太郎 (れいわ新選組) | 適性75% | 環境問題や脱原発を強く訴えてきた政治家で、参院環境委員会の委員でもあります。自身も環境配慮型のエネルギー政策を政策課題に掲げ、政策立案力は議員連盟の活動等で示しています。過去に都知事選などで環境公約を打ち出してきた実績もあり、環境省トップの広報・政策発信力に長けています。 |
| 篠原豪 (立憲民主党) | 適性85% | CDPの外交・安全保障戦略PT事務局長で、党内でも安全保障分野の中心人物です。外務・安全保障委員会理事や北朝鮮拉致問題本部担当など、安全保障政策に精通しており、2025年に野党合同でポーランド公式訪問団を率いるなど国際防衛協力の交渉実績があります。以上の実績から、防衛大臣にふさわしい知見を備えています。 |
| 遠藤敬 (日本維新の会) | 適性80% | 衆院安全保障委員会の理事長を務める維新の安全保障専門家で、党の安全保障政策もリードしています。2025年には同委員会の与野党合同視察団長としてポーランドを訪問し、国際防衛協力の交渉経験も積みました。政策論文や質疑で安保法制を積極議論するなど、防衛政策への理解と経験があり、防衛大臣への適性が高いといえます。 |
歌野晶午著の長編推理恋愛小説(2003年刊行、文藝春秋)。第57回日本推理作家協会賞、第4回本格ミステリ大賞を受賞するなど、数々のミステリ賞を総なめにした名作。表向きは中年の元探偵と女性の恋愛物語に見えるが、叙述トリック(読者の誤認を誘う描写手法)を駆使したどんでん返しが最大の見どころ。物語は過去と現在を交錯させ、保険金詐欺や不正受給の犯罪を軸に展開。タイトル自体がトリックのヒントで、「葉桜の季節」(桜の散った時期=人生の晩秋、つまり老境)を示唆し、登場人物の年齢を若く誤認させる仕掛けが秀逸です。
#### 主要登場人物
- **久高隆一郎**:愛子の祖父。さくら(節子)が蓬莱倶楽部の指示で殺害に関与した被害者。
- **世羅元輝・田辺賢太・小暮明里**: 将虎の過去の探偵仕事(ヤクザの覚醒剤密売事件)に関わる人物。世羅の殺害事件がフラッシュバックで描かれる。
- **蓬莱倶楽部**:悪徳霊感商法集団。高額な「霊水」(ただの水)を売りつけ、借金漬けにした被害者を保険金詐欺に利用。
物語は非線形に進行し、将虎の視点を中心に過去(50年前のヤクザ事件、2年前のパソコン教室、1年前の安藤自殺)と現在が交錯。読者は将虎やさくらを30-40代の若者と誤認するよう誘導される(例: 性描写、トレーニングシーン、デジタル機器の扱い方)。
将虎はフィットネスクラブで汗を流す日常を送る。後輩の清から、愛子の相談を持ちかけられる。愛子は祖父・隆一郎の轢き逃げ事故が、蓬莱倶楽部の保険金詐欺によるものだと疑い、将虎に調査を依頼。将虎は元探偵の見栄を張り、引き受ける。
帰り道、地下鉄駅で自殺を図るさくらを助け、連絡先を交換。二人はデートを重ね、急速に惹かれ合う。将虎はさくらに過去の探偵エピソード(ヤクザの覚醒剤密売事件で世羅を殺した小暮の自殺)を語り、さくらは将虎の優しさに心を開く。さくらは実は蓬莱倶楽部の被害者で、借金返済のため倶楽部の指示に従っていた。
2. **中盤:調査の深化とフラッシュバック(過去と現在交錯)**
- **蓬莱倶楽部調査**: 将虎と清は埼玉の本庄にある倶楽部の無料体験会に潜入(妹の綾乃とその孫・美波が囮)。事務所から電話番号を入手し、詐欺の実態を暴く。倶楽部は高額商品を売りつけ、借金被害者を「偽装結婚」や「保険金殺人」に利用。隆一郎の事故は、さくら(節子)が倶楽部の指示で轢き逃げしたものだった。
- **安藤の過去(1-2年前)**: 将虎はパソコン教室で安藤と知り合い、娘・千絵の写真を撮る依頼を受ける。安藤は自殺し、将虎は遺体を山に埋め、安藤の年金・保険金を不正受給。毎月、千絵に匿名送金している。将虎自身も過去に離婚し、娘を失ったトラウマを抱える。
- **さくらの正体(フラッシュバック)**:さくらは本名・古屋節子。買い物癖で借金を作り、蓬莱倶楽部に嵌められる。倶楽部の指示で隆一郎を殺害(保険金目的)。次なるターゲットとして、将虎の持つ「安藤の保険証」を狙うが、将虎を安藤本人と誤認(将虎は安藤の身分証を使っていたため)。さくらは将虎に近づき、偽装結婚を画策。
さくらは将虎の保険証を盗み、偽装結婚を強行。自分の生命保険の受取人を「さくら」に設定し、将虎の自殺を誘う(保険金詐取)。しかし、将虎はさくらの本性を察知。将虎の生命保険の受取人が実は「さくら」になっている事実が発覚(将虎がさくらを本気で愛したため)。
蓬莱倶楽部のボスが逮捕され、さくらの過去の犯罪(複数回の不正受給、隆一郎殺害)が明るみに出る。将虎は安藤の身分を明かし、さくらに「本当の自分」を告白。さくらは将虎を愛するあまり、詐欺計画を断念。
これらのトリックが連動し、再読を促す構造。賛否両論あるが、「綺麗に騙された」と絶賛される理由です。
#### 結末
さくらは逮捕を免れ(将虎の証言で情状酌量)、将虎と本物の恋に落ちる。将虎は安藤の身分を清算し、千絵に真相を告白(彼女は将虎の送金を感謝)。愛子と清は結ばれ、蓬莱倶楽部は壊滅。
最終シーンは、葉桜の季節。将虎とさくらは老いた体で寄り添い、「君を想うということ」を実感。感動的なハッピーエンドだが、犯罪の代償を背負った切ない余韻が残る。恋愛とミステリの融合が、読者の心を掴んで離さない。
赤:新家光子・新家帆真@兵庫 緑:川原稔一郎・川原優騎@茨城 白:本庄将也・本庄詩真@大阪 青:松本京子・松本和樹@埼玉
青13
赤 × 緑12 緑14 緑11 緑15 緑18 青23 白10
白20 スルー 白 8 緑 3 青25 青 5 青22 青 ×
スルー 白 × 緑24 緑21 青 2 青 × 赤 1 緑 4
青19 緑 × スルー 赤 × 緑 ×
白 9 > 24
青 × 白24 緑 × 白17 白 6 緑 7 緑16
+--+--+--+--+--+
| 赤 | 青 | 緑 | 緑 | 青 |
| 白 | 緑 | 緑 | 白 | 青 |
| 緑 | 緑 | 白 | 白 | 青 |
| 緑 | 緑 | 白 | 白 | 青 |
| 緑 | 緑 | 緑 | 白 | 青 |
赤: 1枚 ○ 1 × 2
緑: 11枚 ○11 × 3
白: 7枚 ○ 7 × 1
青: 6枚 ○ 7 × 3
来週も再放送は土曜昼1時ちょうどから、今度の土曜日はそのあと野球なので55分枠
BSジャパネクストがリニューアルBS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
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(実力テストはありません)
・02富山(市
・04 [2択](2)(番
・05カビゴン
・08チョコミント
・09 [近似値]61
・14 [3択]キラキラ
・15久保田利伸 くぼたとしのぶ
・22つるの剛士 つるのたけし
・25 [3択]草むしり(検定
・32山梨(県
・35さとうきび
・38e [どちら]金 閣寺
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(日曜本放送)このあとは「BS10からのお知らせ」→ジャパネットたかたテレビショッピング→ジャパネットたかたのテレビショッピング
避難民が押し寄せた埼玉県北部にある本庄駅では、町をあげて炊き出しを行っていた。そんな中、朝鮮人の放火や暴動を伝える県の通知が届くと、善良な人々がデマを信じて豹変した。
駅に程近い本庄警察署には朝鮮人たちが保護されていたが、いきり立った群衆が警察署になだれ込み、朝鮮人を見つけては襲いかかった。80人以上が殺された。
「子どももたくさんいたが、子どもたちは並べられて、親の見ている前で首をはねられ、そのあと、親たちをはりつけにしていた。生きている朝鮮人の腕をのこぎりで引いている奴もいた」
震災翌日の9月2日、船橋署に軍を名乗る人物から電話がかかってきたという。
軍を名乗る人物「東京方面から来た朝鮮人3000名と砲兵隊とは、江戸川を挟んで交戦中でございます。警戒を要します」
この情報はデマだったが、当初、渡辺さんは信じてしまったという。この2日後、渡辺さんは、署長から命令を受けた。
渡辺さんは署長に報告するため、警察署に戻り、再び現場へ向かうと…
赤:望月亜希子@愛知 緑:吉濱菜穂@東京 白:本庄真帆@大阪 青:棗聡子@神奈川
緑13
赤 8 緑 3 赤12 赤14 赤 2 青 1 スルー 白15
赤 4 赤20 赤10 青 5 白 9 白 7 赤 6 白25
白24 赤19 緑 × スルー 赤11 緑23
赤18 > 25
青25 緑 × 赤17 赤16 青21 緑22
+--+--+--+--+--+
| 青 | 青 | 青 | 青 | 青 |
| 青 | 青 | 赤 | 青 | 青 |
| 青 | 赤 | 青 | 赤 | 青 |
| 青 | 青 | 赤 | 青 | 青 |
| 青 | 緑 | 緑 | 白 | 青 |
赤: 4枚 ○ 13 × 0
緑: 2枚 ○ 4 × 2
白: 1枚 ○ 5 × 0
青: 18枚 ○ 4 × 0
肉豆腐である。あの「風立ちぬ」で本庄が堀越二郎に向かって「たまには肉豆腐でも食え」と言ってはガツガツと食べていた肉豆腐である。定食で食べてもウマいが居酒屋で酒とともに味わうのもたまらない。そもそも日本人は大豆でタンパク質を取ってきた。平安時代には仏教とともにインドから乳牛や乳製品も入ってきてて貴族たちはチーズやヨーグルトを食べていたと聞くが、武士たちは大豆を食べ続けたという。肉豆腐もその旨さは肉にはない。肉の味が染み込んだ豆腐が旨いのである。豆腐だけではない、一緒に入れたしらたきやえのきに染み込んだ味もたまらない。とにかく肉豆腐がうまくてたまらない。この1ヶ月でもう3回くらい作ってる気がする。
うちではこのクックパッドにあった無水調理のレシピを使わせてもらってる。実際にはこの倍量を一気に作ってるが、好評すぎて翌日にはだいたいなくなってしまう。
https://cookpad.com/recipe/6857584
うまいだけの話ならたまに作ればいいだけである。肉豆腐の有用性は味だけにとどまらない。ホットクックに材料を放り込んで煮ておけば簡単に作れてしまう。大量に作っても保温しておいたり温め直しをしたりして1〜2日平気で食べ続けられる。メインのおかずとしてもすばらしいが酒のツマミとしてもすばらしい。なんならご飯にかけてタマゴでも落とせば肉豆腐丼の完成だ。朝から夜まで肉豆腐で大満足である。つまり土曜に仕込んでおけば日曜日は一切料理しなくても平気ということである。あゝすばらしき完全休養日。
最近ハマってるメスティンで炊き込んで、蒸らし時間に生卵を落としておけば10〜15分後にはいい感じの半熟卵になる。とろりとした黄身にからめて豆腐や肉を食べると、あまりの旨さに朝からテンションが上がる。
うまいからといって毎週のように作っててはさすがに飽きも来る。こういう条件を兼ね備えた料理があと3〜4種類は欲しい。ホットクックが便利すぎるのがいかんのだが、まあ慣れてしまったものは元には戻れない。
・わりと面白いですコーエーさんありがとうございます。
・大将はステータスが重要なので無凸でも強SSRが強く、副将・与力は威名が重要なので無凸SSRより凸したSRの方が強いので武将が(今のところは)腐りにくくていい。
・SSR輩出は渋く、凸はなかなか大変。あと一部SSRが弱すぎるのはなんなんだ、毛利輝元お前のことだぞ。
・茶室はまれに強SSRが12000金、弱SSRが8000金で買えるらしいが、茶室600回回して今のところ毛利輝元が1回来ただけなので、確率0.1%くらいなのかな?なお毛利輝元はスルーしました。
・ステータス90以上の武将2名配置すると部隊にバフがかかるので、素で武勇が90あって、中程度の装備で統率or知力が90超える5凸SR本庄繁長さん強すぎでは。
・部隊運用が思ったより工夫できて飽きない。いずれリアルタイム対人も実装されるんだろうけど、期待できる。
・資材を兵糧に変える取引所とかいう謎施設の存在意義はなんなのか。ただし廃プレーヤーには必要な施設なのかもしれない。普通のプレーヤーは兵糧が余り資材が不足するので無用の施設。
・列伝イベントは事実上テキスト読むだけなのはもうちょっと工夫の余地があるのでは。位置ゲーなんだから実際の合戦の動きとかなんらか取り込めないものか。桶狭間とか川中島とか関ヶ原とか動きが重要な戦たくさんあるんだし。
・地図が見づらいのは位置ゲーとしてかなりイマイチなので改善してほしい。制圧した地域を眺めてニヤニヤしたいのに縮尺が中途半端。あと制圧した地域をテキストでも一覧できるようにしてほしい。
・攻城戦はせめて地図に表示されてるところは戦えるようにしてくれ。見えてる城は攻めれないのに参戦ボタンでどこでも攻めれるの意味分からん。直接攻めたときはバフが乗るとかのボーナスもほしいところ。
【これだけは許せない】
・開戦ボタンが邪魔すぎる。敵軍の兵種が隠れて見えないとかふざけてるのか。今すぐなんとかしろ。
| 年 | 名称 | 概要 |
|---|---|---|
| 1531年 | 享禄・天文の乱 | 浄土真宗本願寺派の権力闘争である享禄の錯乱。管領・細川晴元が一向一揆を利用したら暴走してしまったので本願寺を討伐した天文の錯乱。 |
| 1532年 | 北部九州天文の乱 | 大内氏と大友氏が北九州を巡って抗争を行うなかで、大内義隆が大友氏の支援を受けた少弐氏を滅ぼし、豊前・筑前・肥前を平定した。 |
| 1533年 | 稲村の変 | 安房里見氏当主・里見義豊が、叔父の里見実堯を誅殺したところ、その息子の里見義堯が謀反を起こして義豊を殺し、自らが当主となった。 |
| 1536年 | 花倉の乱 | 駿河守護・今川氏輝と弟・彦五郎が急死、その他の弟で出家していた玄広恵探と栴岳承芳が後継を争った。栴岳承芳が勝利し今川義元を名乗った。 |
| 1537年 | 河東の乱 | 北条氏と今川氏は長く同盟を結んでいたが、今川氏が武田氏と手を結んだため、武田氏と争っていた北条氏が今川領に攻め込み河東地域を占領した。 |
| 1542年 | 天文の乱 | 伊達氏当主・稙宗とその息子・晴宗の内紛。婚姻外交が進んでいた奥州を二分する大乱に発展した。最終的に晴宗が当主となったが伊達氏は衰退した。 |
| 1550年 | 二階崩れの変 | 豊後の大名・大友氏において、嫡男の義鎮を支持する勢力が、当主の義鑑と三男の塩市丸を襲撃して殺害した。事件後に義鎮が当主となった。 |
| 1551年 | 大寧寺の変 | 周防の大名・大内義隆に対して、家臣の陶晴賢が謀反、義隆は自害に追い込まれた。後継は大友氏から迎えられ、陶晴賢が実権を握った。 |
| 1565年 | 永禄の変 | 畿内で勢力を誇る三好氏が、将軍・足利義輝を襲撃して殺害した。その後、将軍の後継争いから、三好氏の内紛へと発展していった。 |
| 1568年 | 本庄繁長の乱 | 越後上杉家臣・本庄繁長が上杉謙信に対して反乱を起こした。繁長がよく戦い、謙信の被害も大きかったので、繁長は降伏して帰参を許された。 |
| 1569年 | 本圀寺の変 | 本圀寺にいた将軍・足利義昭を三好三人衆が襲撃した。幕府軍がよく守るあいだに畿内の織田方の勢力が救援に駆けつけたため、三好三人衆は敗れた。 |
| 1569年 | 大内輝弘の乱 | 九州に侵攻した毛利氏の後方撹乱を狙った大友氏が、大内氏再興を目指す大内輝弘を周防で挙兵させた。毛利元就は九州侵攻を諦めて引き返し鎮圧した。 |
| 1570年 | 元亀の変 | 伊達晴宗と伊達輝宗の父子が対立するなかで、晴宗に重用されていた中野宗時が謀反の疑いをかけられ、中野一族は粛清・追放された。 |
| 1574年 | 天正最上の乱 | 出羽最上氏の当主となった最上義光と、その父・義守が対立し、伊達氏が義守に味方して内乱となった。最終的に義光有利で和睦した。 |
| 1576年 | 三瀬の変 | 伊勢北畠氏は織田氏に降伏し、織田信雄を養子に迎えて家督を譲っていたが、その後も叛意が残っているとされ、そのため北畠一族は粛清された。 |
| 1578年 | 御館の乱 | 上杉謙信の死後、その甥の景勝と、北条氏から迎えた景虎という、謙信の養子二人で後継争いがあり、武田氏を味方につけた景勝が勝利した。 |
| 1578年 | 天正伊賀の乱 | 伊勢を掌握した織田信雄が続いて伊賀に攻め込んだが敗退、数年後に織田氏はあらためて大軍で侵攻し、伊賀を平定した。 |
| 1582年 | 本能寺の変 | 織田家臣・明智光秀が謀反を起こし、本能寺に宿泊していた主君・織田信長を襲撃した。信長は自害した。 |
| 1582年 | 天正壬午の乱 | 織田信長の死去により武田旧領から織田軍が撤退し、空白地帯となった武田旧領を巡って徳川・北条・上杉が三つ巴で争った。 |
| 1585年 | 粟ノ巣の変 | 伊達氏に降伏した畠山義継が、前当主・伊達輝宗を拉致した。追いかけた伊達軍により、輝宗ともども義継は討ち果たされた。 |
| 1591年 | 九戸政実の乱 | 南部晴政の死去に起因する後継争いから南部家臣・九戸政実が反乱を起こした。南部当主・信直は豊臣秀吉に救援を求め、諸大名軍により平定された。 |
| 1599年 | 庄内の乱 | 島津忠恒が重臣・伊集院忠棟を誅殺した。伊集院氏は籠城して徹底抗戦したが、秀吉死後に実権を握った徳川家康の調停により、最終的に降伏した。 |
| 1637年 | 島原の乱 | 島原・天草の苛政に耐えかねた領民が、旧領主に仕えていた浪人たちを中心として一揆を起こした。一揆勢は籠城して戦ったが、幕府軍に鎮圧された。 |
| 1651年 | 慶安の変 | 軍学者の由比正雪が、教え子の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。由比正雪は自決した。 |
| 1652年 | 承応の変 | 軍学者の別木庄左衛門が、仲間の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。別木庄左衛門は磔にされた。 |
| 1837年 | 大塩平八郎の乱 | 腐敗した大坂町奉行所や、飢饉でも米を買い占める豪商に失望した元・町与力の大塩平八郎らが決起し、豪商などを襲撃した。半日で鎮圧された。 |
| 1837年 | 生田万の乱 | 国学者の生田万が、大塩平八郎の乱に感化され、仲間とともに越後桑名藩の陣屋を襲撃したが、長岡藩によって鎮圧された。 |
| 1860年 | 桜田門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、安政の大獄を引き起こして水戸藩を圧迫していた開国派の大老・井伊直弼を襲撃し、暗殺した。 |
| 1862年 | 坂下門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、公武合体を推し進めていた開国派の老中・安藤信正を襲撃し、負傷させた。 |
| 1863年 | 朔平門外の変 | 破約攘夷派の公家の代表格であった姉小路公知が暗殺され、薩摩藩の田中新兵衛が逮捕されたが、新兵衛が自害したため真相は不明。 |
| 1863年 | 天誅組の変 | 尊攘派公家による倒幕計画に基づき、尊攘派の「天誅組」が大和国で挙兵したが、幕府に鎮圧された。同時に京では政変があり尊攘派公家が失脚した。 |
| 1863年 | 生野の変 | 長州の支援を受けた尊攘派浪士らが、天誅組と同様に但馬国で挙兵をしたが、幕府に鎮圧された。 |
| 1864年 | 天狗党の乱 | 水戸藩内の尊攘過激派「天狗党」が急進的な攘夷を求めて筑波山で挙兵したが、幕府に鎮圧された。この内乱により水戸藩の影響力は低下した。 |
| 1864年 | 禁門の変 | 前年の政変により京から追放されていた長州藩が、復権を目指して京で挙兵、会津藩や薩摩藩らと戦ったが敗れた。これにより長州征伐が決まった。 |
| 1874年 | 喰違の変 | 征韓論で失脚した不平士族たちが、征韓反対派の右大臣・岩倉具視を恨みに思い襲撃、負傷させた。下手人らはすぐに逮捕され処刑された。 |
| 1874年 | 佐賀の乱 | 征韓論で失脚した江藤新平らが中心となって不平士族が佐賀県で挙兵したが、政府軍により鎮圧された。 |
| 1876年 | 神風連の乱 | 熊本県の不平士族が結成した「敬神党」が廃刀令への反発から挙兵したが、政府の熊本鎮台軍により鎮圧された。 |
| 1876年 | 秋月の乱 | 神風連の乱に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、政府の小倉鎮台軍により鎮圧された。 |
| 1876年 | 萩の乱 | 神風連の乱に呼応して、山口県で不平士族が挙兵したが、政府の広島鎮台軍により鎮圧された。 |
| 1877年 | 福岡の変 | 西南戦争に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、福岡城に残っていた政府軍などに鎮圧された。 |
| 1878年 | 紀尾井坂の変 | 石川県の不平士族たちが、内務卿・大久保利通を襲撃、暗殺した。下手人らは自首し、処刑された。 |
(Wikipediaで立項されているものだけまとめた。「〜の変」「〜の乱」という別称があっても、その呼称で立項されていなければ除外している)
明確な定義は決まっていないという前提で、だいたい以下のような基準だと思う。
〜の変:大きな戦闘を伴わない政変。謀反・暗殺・粛清・失脚など。権力の上下は関係ない。成功したか失敗したかは関係ない。
〜の乱:大きな戦闘を伴う内乱。反乱・暴動・後継者争いなど。国家同士の戦争を指すことはほぼ無い。成功したか失敗したかは関係ない。
こういった呼称は「絶対にいずれかに統一しなければならない」というものではないので、「これって乱というより変じゃね?」と思うような事件は、だいたい「変」「乱」どちらで呼んでも通じたりする。たとえば蘇我氏と物部氏の戦いである「丁未の乱」は他に「丁未の変」や「丁未の役」とも呼ばれる。将軍・足利義教が暗殺された事件は、その暗殺の部分だけを見れば「嘉吉の変」と呼ばれ、その後の赤松討伐戦も含めれば「嘉吉の乱」と呼ばれる。
あとついでに。
〜の役:大規模な軍役。必然的に辺境への遠征や対外戦争が多い(がそれに限らない)。例として前九年の役・後三年の役・富山の役・文禄の役・慶長の役など。
〜の陣:長期間の在陣。遠征・戦線の膠着・包囲戦など。例として鈎の陣・志賀の陣・天正の陣・大坂の陣など。
という感じだと思う。「役」と「陣」はなんとなく互換性があり、「小田原の役・小田原の陣」「朝鮮の役・朝鮮の陣」「大坂の役・大坂の陣」などはどちらも用いられる。
芝居で人気を博し江戸でお馴染みの美しき不良少年となった「お若えの」こと白井権八ですが、そのモデルとなった平井権八も大変興味深い人物であり、恋人の小紫とともに江戸の人々の興味関心の対象であったようですのでひとつご紹介いたします。
平井権八は、延宝3年(1675)11月3日に鈴ヶ森の刑場で磔刑に処せられた人物です。
もとは剣術自慢の因幡鳥取藩士であった権八は、どういうわけか父の同僚である本庄助太夫なる人物を斬り殺してしまい、鳥取を出て江戸へやってきました。
そして吉原三浦屋の小紫(こむらさき)という遊女と馴染みになってお金に困り、権八は揚げ代のために辻斬りによる強盗殺人を繰り返してしまいます。
実録小説『幡随院長兵衛』によれば、権八が江戸へ出て5年間のあいだに「刀にかけたる人の数、手帳に留めたる分のみにても百三十二人」ということで、数字はおそらく誇張されているとは思われますが恐ろしい辻斬り犯であったことが伺えます。
指名手配犯となってしまった権八は自首しますが、小紫に会うために手鎖を外して脱走などを試み、ついに処刑されてしまいます。
権八の処刑後、権八が自分のために重ねた罪を知った小紫は、悲しいことに目黒東昌寺におかれた権八の墓の前で自ら命を絶ってしまったのでした。
東昌寺のお坊さんは、この地に「比翼塚」を建立して二人を弔いました。比翼塚というのは心中したりして命を落としたカップルの遺体を一緒に葬った塚ことです。権八小紫の比翼塚は現在も下目黒に残されており、役者さんが参拝に訪れることもあるようですよ。
ちなみに、舞台の上の「南無妙法蓮華経」と書かれた巨大な石は、平井権八が処刑された時の鈴ヶ森にはまだ建立されていなかったものだそうです。さらに、年代的に幡随院長兵衛と出会っていたはずがないこともわかっています。
しかし美少年の大量殺人犯というモチーフの魅力から、男気溢れる侠客の幡随院長兵衛との男色めいた芝居づくりがなされるなどして現在に至ります。
人によってはそう感じる人もいるということだな。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E6%A8%A9%E5%85%AB
1655年
死没 延宝7年11月3日
藩鳥取藩
妻小紫
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平井権八(ひらい ごんぱち、1655年(明暦元年)頃 - 1679年12月5日(延宝7年11月3日))は、江戸時代前期に実在した日本の武士である[1][2][3][4][5][6]。講談・浄瑠璃・歌舞伎・映画等の世界では、白井権八(しらい ごんぱち)として知られる[1][2][3][4][5][6]。
明暦元年(グレゴリオ暦1655年)に生まれた、とされる[1]。「享年25」からの推測である[1]。父は平井正右衛門。
因幡国鳥取藩士であったが、数え18歳の1672年(寛文12年)秋、父・正右衛門の同僚である本庄助太夫(須藤助太夫とも)を斬殺して、江戸へ逃亡(退去とも)した[1][2][3][4][5][6][7]。新吉原の三浦屋の遊女・小紫と昵懇となる[1][4][5][6]。やがて困窮し、辻斬り(強盗殺人)を犯し、130人もの人を殺し、金品を奪ったとされる[1][2][3][4][5][6]。権八は、目黒不動瀧泉寺付近にあったとされる普化宗東昌寺(現在廃寺)に匿われ、尺八を修め虚無僧になり、虚無僧姿で郷里・鳥取を訪れたが、すでに父母が死去していたことから、自首したとされる[7]。
1679年12月5日(延宝7年11月3日)、品川・鈴ヶ森刑場で刑死した[1]。享年25(満23-24歳没)[1]。小紫は刑死の報を受け、東昌寺の墓前で自害したとされる[7]。
今から遡ること6年前、2021年10月31日(日) 第49回衆議院議員選挙が行われた。
結果的に大方の予想通り自民党が単独過半数を確保し当時の岸田総理は初陣を無事乗り切ることが出来た。
その中で今回は注目度が当時全国でもある程度高かった千葉8区に絞って解説して行こうと思う。
なお、筆者は昭和52年産まれで途中引っ越しもありながらも産まれてからこのかた50年間ずっと千葉8区のエリアに住み続けている。
小中高と柏市内に通い、旧来の友人は今でも半分以上が柏市(旧沼南町も含むので千葉8区と重ならない部分もある)と我孫子市在住だ。
旧友と集まったら政治の話をすることも多いので地元住民の温度感としてはそれなりには民意を表しているのではないかと自負している次第である。(バイアスは掛かってるものの、n=50くらいで考えていただきたい)
なお、衆議院議員選挙については桜田よしたか氏が初当選した96年10月の時からずっと09年8月の政権交代選挙のときも含めて彼に票を入れ続けている根っからの自民党支持層だ。
さて、閑話休題。桜田よしたか氏が8選を掛けて望んだ千葉8区について。
「今までやってきた選挙で一番厳しい選挙」 そう桜田よしたか氏は語った。氏は小泉郵政解散の05年以外得票率が50%を超えたことがなく、今回野党は対立候補を統一化させた。
そのテコ入れとして同期当選の菅義偉前総理大臣、高市早苗政調会長の手厚い応援演説等を賜り、柏駅西口ロータリーは多く人に溢れ活気に満ちた。
「これはもしかしたら行けるんじゃないか?」と桜田陣営は感じた。
しかし下馬評をある程度は巻き返せたものの、自民党公明党の支持層を最後までまとめきることが出来ず野党統一候補の本庄知史氏に敗れることとなった。そして比例復活も出来ず後に政界引退を表明することとなった。
何故当時の選挙で桜田よしたか氏は敗れてしまったのかについて5つに分けて書いていこうと思う。
?1.失言が多かった
☓2.年齢が高齢であった
◇1.失言の多さ
失言のデパートこと桜田よしたか氏であるが、実は千葉8区の住民は彼の失言を一つ一つは大したことだと思っていない。
もともと別に育ちが良いわけではなく、人情味溢れた田中村の田舎のおっさんなのだ。
既に政界を引退してしまい皆に大変惜しまれたが昔いた麻生元総理なんてもっと失言は酷かったがそれで自分の選挙が危うくなったことは一度もなかった。
◇2.高齢
これも実は大したことがない。
今でこそ少し記憶力が落ちてきてしまったが、当時はまだ71.2歳とかそこらだったはず。
自民党には70代後半や80代なんて議員もいるわけで高齢だから落とす、後進に道を譲るべきといった声は小さかった。
先述の通り郵政解散以外で得票率50%以上取得したことがない桜田よしたか氏にとってはこれが実は第一の理由とも言えるのだが、実は大筋は違うところにある。
歴史にもしもは無いのだが、例え第46、47、48回選挙で野党候補が一本化していたとしても桜田氏は岩盤支持層のお陰で敗れなかったであろう。柏市は自民党支持層が強い。
氏の敗因についてだが当時強烈に吹いていた逆風の本当の理由が別にある。
◇4.対抗馬の強さ
これは少しだけ関係がある。いくら野党が統一候補とはいえ、太田和美氏が立憲民主党の公認候補だったら桜田よしたか氏は決して敗れなかっただろう。
また、歴史にもしもはないが松崎公昭が鬼籍に入っておらず元気だったら全く別の展開になっていただろう。
新人でありながら本庄知史氏を刺客の統一候補として立てた当時の立憲民主党の福山哲郎幹事長は実はもしかしたらなかなかの切れ者だったのだろうか?
本庄氏は若者世代だけではなく、高齢者が多い我孫子市民からも支持を集め、桜田よしたか氏の従来の支持層を削り取ることとなった。
これは東葛高校時代の旧友と話していて私が感じた桜田よしたか氏の最大の敗因。
彼は大臣の椅子に固執しており、時あることに幹事長にすり寄って大臣になりたいと告げる人物であった。いわゆる自分のポジションに固執する小物だ。
7選+数多くの政治実績+党重役への長年の胡麻擂りクソバードムーブが功を制してオリパラ担当大臣にさせて貰った。
オリパラ担当大臣としての実績や失言については賛否両論あるのでここでは評価を差し控えさせて頂く。
致命的だったのはサイバーセキュリティ担当としての国会答弁だ。
日本のサイバーセキュリティ担当である大臣(オリパラだが)がパソコンを使ったことがないというニュースは全世界に瞬く間に広まった。
米ワシントン・ポスト紙や 英ガーディアン紙を始め、複数の海外大手メディアによって大々的に報道されることとなった。
自分たちが普通選挙で選んだ千葉8区の議員が、「柏のポンコツ」と言われるだけならまだしも日本の恥として世界中から笑われ国益を貶めている・・・
私を含めて選んだ有権者にも選んだ責任がある。桜田よしたか氏は必ず次回の選挙では落とさなくてはならない。
自民党の人事にNOを突き付けなければいけないという強い意志を持った友人が当時多く、最大の逆風はサイバーセキュリティ担当時代の国会答弁であると私は感じている。
しかも!挙げ句 本人は「そんなに私の名前が世界に知られたのか。いいか悪いかは別として、有名になったんじゃないか」と総括した。
これによって桜田よしたか氏の政治生命はこれで完全に失われることとなってしまった。
功績も非常に大きく、人柄も良かったのだがつまらない出世欲によって議員バッヂを失うこととなってしまった。
どんな良い人であっても、やはり欲望を見せると醜い人間だと感じてしまうのだろう。
私の友人たちの多くはサイバーセキュリティに関する国会問答の酷さによって桜田よしたか氏を見限ってしまった。
私の職業柄IT関係の友人が多いというのもあるのかもしれないが・・・・たったこれだけのことで彼の政治生命は完全に終わってしまったのだ。
あれから自民党は少しだけ変わった。幹事長が変わったというのも大きいが、何選したから大臣に付けるといった論功行賞めいた人事がめっきり減った。
完全な適材適所とまでは言わないが、専門外の大臣が頓珍漢な国会問答をするといったことが目に見えてなくなった。
そういった意味で桜田よしたか氏が2021年の選挙で敗れたことは大きな歴史の転換点とも言える。彼が政界人生の最後に残したものは大きい。
別に柏8区の住民達は自民党が嫌いになったわけではない。翌年2022年春の参議院選挙では自民党の2人の候補者に対する得票率は高かった。これは対抗で出馬した野党の候補が酷かったというのもあるが・・・
2024年の第50回衆議院議員選挙で柏市議会議員の桜田慎太郎氏が桜田よしたか氏の三バン(地盤看板鞄)を引き継ぎ危なげなく当選した際、めっきり白髪が増えて少し身長が縮んだ(腰が曲がった?)彼の涙は忘れられない。願わくば幸せな老後を過ごして欲しいものだ。
そして私情が入るが慎太郎、俺はこれからもお前に投票し続けるよ。
本庄署では、前夜(三日夜)から保護していた朝鮮人が四十三名いたが、電話で、デマにおびえた人達から出動要請があって、警官は出はらっていた。
私が、警察に残って外からの電話に出ている時、警察がからっぽであることを見ていった奴がいたのだ。
(略)
本庄署へ引きかえしてきた三台のトラックは、朝鮮人を満載していた。私もそのトラックに乗っていたが、集まってきた群衆のなかに青木紋九郎という
ギュウタロウ(注:遊郭で客引き等を行う男子従業員)がいた。その紋九郎が、「あいつは、朝鮮人の偽巡査だ。あいつからやっちまえ」と煽動した。
それがあいずとなって、一斉に群衆が襲いかかり、あの惨劇がはじまったのだ。
(略)
惨殺の模様は、とうてい口では言いあらわせない。日本人の残虐さを思い知らされたような気がした。
何百人という群衆が暴れまわっているのを、一人や二人の巡査では、とうてい手出しも出来なかった。こういうのを見せられるならいっそ死にたいと考えたほどだ。
子供も沢山居たが、子供達は並べられて、親の見ているまえで首をはねられ、そのあと親達をはりつけにしていた。生きている朝鮮人の腕をのこぎりでひいている奴もいた。
それも、途中までやっちやあ、今度は他の朝鮮人をやるという状態で、その残酷さは見るに耐えなかった。
後でおばあさんと娘がきて、「自分の息子は東京でこのやつらのために殺された」といって、死体の目玉を出刃包刀でくりぬいているのも見た。
おとなしく送られてきた朝鮮人に民衆が集団で襲いかかり、牙をむけたところに熊谷の虐殺の特徴がある。
(略)
中心部入り口における殺戮に加わった民衆は、その昂奮をそのまま市街地へ持ち込んだ。彼らは血がついた刀、竹槍、棍棒を持って逃げた朝鮮人を探し、みつけ出しては殺す。
そこに自警のかけらは少しもない。狂気に支配されたとはいえ、血に飢えた者が獲物を捜し求め、狩りを楽しみ、みつけたら殺戮を楽しむ、というのが実相である。
殺戮は逃げた朝鮮人に向けられるだけではすまなくなった。逃げた者を探して殺すだけでは満足できなくなった殺戮者たちは、おとなしく数珠繋ぎで連行されている、
手を縛られたまま逃げる者、それを追いかける男。おとなしく縛られたままでいる朝鮮人、それを引っ立てて刀の試し斬りにする男。
自分で殺したくて、「こっちへまわせ」と息巻いている男。熊谷の町の中心部は、薄暮そして暗闇の中で殺戮のし放題であった。
・東条英機
近衛内閣で陸相を務め、東条内閣では首相、陸相、内相を兼任。米国に宣戦布告したが、サイパン島陥落の責任を取って辞任した。
陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変を起こす。近衛・平沼内閣では陸相を務め、大戦中はシナ派遣軍総参謀長に就任した。
陸軍大将。満州国建国、華北分離工作において中心的役割を果たした。
・松井石根
陸軍軍人。東条内閣で陸軍次官を務めた。ビルマの戦いでは総司令官でありながら、無断で戦線放棄し、日本軍を大混乱に陥らせたにも関わらず大将に昇進した。三奸四愚の一人とされた東條の側近。
・武藤章
陸軍中将。東條の腰巾着として日米開戦の中心的役割を果たした。
・広田弘毅
文官。岡田内閣で外相を務め、広田三原則を決定し、華北分離工作を黙認した。二・二六事件後首相となり、軍部大臣現役武官制を復活した。近衛内閣では外相を務め、日中開戦を黙認した。
・小磯国昭
陸軍大将。米内内閣での拓相ほか、朝鮮総督を務めた。東條の辞任後首相に就任し、戦争を継続した。
・荒木貞夫
陸軍大将。犬養、斉藤内閣で陸相を務めた。皇道派の代表格であったため、二・二六事件後予備役送りになった。近衛・平沼内閣では文相を務め、軍国主義教育を推進した。
陸軍大将。シナ駐屯軍司令官として梅津・何応欽協定を中国に要求した。陸軍次官、関東軍司令官を務めた。ミズーリ号での降伏文書に調印した。
・南次郎
陸軍大将。若槻内閣の陸相として満州事変を起こした。関東軍総司令官や朝鮮総督を務め、内鮮一体化を推進した。
・畑俊六
陸軍大将。阿部・米内内閣で陸相を務めたが、辞職して米内内閣を打倒し、近衛内閣を誕生させた。シナ派遣軍総司令を務めた。
・大島浩
陸軍中将。ドイツ大使館付き武官として日独防共協定の締結、駐独大使として日独伊三国同盟の締結に貢献した。
・鈴木貞一
陸軍中将。近衛・東条内閣で企画院総裁、内閣経済顧問などを務め、戦時経済確立に貢献した。三奸四愚の一人。
・佐藤賢了
陸軍中将。東条内閣では陸軍省軍務局長を務めた。三奸四愚の一人。
陸軍大佐。急進派将校を集めて秘密結社「桜会」を結成、三月事件・十月事件を企画するも失敗。
・平沼騏一郎
山本内閣で法相を務めた。右翼結社国本社を結成。近衛の後を継いで首相に就任したが、独ソ不可侵条約が結ばれると辞職した。
・木戸幸一
近衛内閣の文相、厚相、平沼内閣の内相を務めた。天皇の側近として東條を首相に推薦したが、戦局が不利になると、和平工作に奔走した。
・賀屋興宣
・星野直樹
満州国国務院総務長官、近衛内閣の企画院総裁を務めた。東条内閣では内閣書記官長として東條を支えた。
・白鳥敏夫
・東郷茂徳
東条内閣で外相、拓相を務め、太平洋戦争回避に尽力。鈴木内閣では外相、大東亜相を務め、終戦に尽くした。にも関わらず日米開戦の責任者とされた。
・重光葵
・永野修身
海軍大将。広田内閣で海相を務め、その後、連合艦隊司令長官、軍令部総長を歴任し、戦時中に元帥に就任した。裁判中に急性肺炎で死去した。
・松岡洋右
ジュネーブの国連会議に全権大使として出席し、国連から脱退した。近衛内閣では外相を務め、日独伊三国同盟、日ソ不可侵条約を締結した。裁判中に結核で死去した。
・大川周明
学者。満州事変、二・二六事件、五・一五事件などに連座したほか、「日本二千六百年史」「近世欧羅巴植民史」などを執筆し、軍国主義を主張した。裁判中梅毒による精神異常のため免訴された。
・本庄繁
陸軍大将。関東軍司令官として満州事変を承認。戦後戦犯に指名されたが自決した。
・石原莞爾
陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変を起こした。日米開戦に反対し、東条英機と対立したため予備役に編入された。東條との対立、重病のため起訴を免れた。
・近衛文麿
第一次内閣では日中戦争が勃発、近衛声明を発表した。第二次内閣では日独伊三国同盟を締結。戦犯に指名されたが、服毒自殺した。
・ギリ落とせそうな自民現職
→前回立憲の道下大樹に破れ比例復活。麻生の元秘書。IR関連で中国企業から賄賂受取疑いで捜査。麻生派。
・道下大樹 立民
野党一本化
→前回約2万票差で本多平直に勝利。IR関連で中国企業から賄賂受取疑いで捜査。麻生派。本多のロリコン発言で優勢か。
・本多平直 立民
野党一本化
・山岡達丸 立民
→階猛に連敗中。父が元共産党の地方議員。祖父母は無産運動家(反資本主義運動)。祖母の横田チエは初の女性岩手県議。
・階猛 立民
→細田派。丸川珠代と一緒に選択的夫婦別姓に反対する文書を送ったメンバー。
・岡本あき子 立民
野党一本化
公約に「宮崎駿(ジブリ)ワールドの実現」を掲げる。2017年には『ジブリワールド構想』を出版。
・鎌田さゆり 立民
野党一本化
・寺田学 立民
野党一本化
・緑川貴士 立民
野党一本化
→前回、立民の金子恵美に敗れ比例復活。過去に暴○団との交流も。
・金子恵美 立民
野党一本化
→前回、小熊慎司に約1000票差で勝利。対抗馬の小熊慎司は自民〜みんな〜維新〜民進〜希望〜国民〜立民の政界渡り鳥。
・小熊慎司 立民
野党一本化
→国士館大で神道学の修士〜自民党職員13年。前回浅野哲に僅差で勝利。
野党一本化
→麻生派。中村喜四郎に5連敗中。年々票差を縮めている。衆議院議員だった夫は郵政国会で賛成票を投じた後に自殺。後を継いだ。
文科族。原発ゼロの会。
・中村喜四郎 立民
野党一本化
→菅グループの3回生。夫婦別姓反対。対抗馬は立民の山川百合子(比例復活)
野党一本化
→前回大島敦に破れて比例復活。2006年に女性への暴行で起訴猶予処分。2015年、公設秘書が「逮捕監禁致死罪」で懲役6年の実刑判決を受けた人物であることが報じられた。(辞職済み)
・大島敦 立民
野党一本化
・森田俊和 立民
野党一本化
・田嶋要 立民
野党一本化
→安倍政権で復興大臣。竹下派。法務族。更生保護活動の環境整備や再犯防止などに取り組む。
・生方幸夫 立民
野党一本化
・本庄さとし 立民
→脱原発派。「自民党発!『原発のない国へ』」を出版。出版記念講演を水戸市で開催して、原発推進派の自民茨城県連が激怒。県連から二階に除名要請される。
・奥野総一郎 立民
→前回は海江田万里に僅差で敗れる。
・海江田万里 立民
→石原派。伸晃と良純の弟。前回は松原仁に僅差で勝利。松原は比例復活し、現在立民。
・松原仁 立民
→竹下派。防衛副大臣や安全保障委員長を務める。前回は手塚仁雄に僅差で勝利。
・手塚仁雄 立民
・たぶち正文 維新
→前回は立民の落合貴之に敗れ比例復活。叔父は福田康夫。衆議院財務金融委員長。
・落合貴之 立民
・山岸一生 立民
・南純 維新
→IR汚職事件の収賄罪で逮捕起訴。無罪を主張。離党したが二階派には所属のまま。
・柿沢未途 立民?
・小堤東 共産
→元経産副大臣。
・末松義規 立民
野党一本化
→小泉内閣で若くして金融担当大臣を務めるも、その後は石破派で干される。最近石破派を退会。
・山花郁夫 立民
→緊急事態宣言下に後輩2人連れてクラブへ。離党。麻生の側近。おそらく無所属で出馬し、自民は公認候補を出さず。
・篠原豪 立民
前回は浅尾慶一郎との保守分裂選挙になり、立民の早稲田夕季に敗れ比例復活。保守分裂予定。
・早稲田夕季 立民
→元財務官僚。財務副大臣、外務副大臣。選択的夫婦別姓や同性婚を党内で主張。
野党一本化
→元みんなの党。前回は江田憲司に敗れ比例復活。離婚後共同親権論者。
・江田憲司 立民
野党一本化
・阿部知子 立民
→ヤンキー先生。反日教組、表現規制推進、体罰肯定派、ジェンダーフリー教育反対。前回は後藤祐一に勝利。
・後藤祐一 立民
野党一本化
→前回は立民・西村智奈美に敗れる。秘書への暴行で略式起訴され離党。自民党は塚田一郎を公認。石崎は無所属で出馬予定。
・西村智奈美 立民
■新潟2区 細田健一(比例・細田派・当選3回)、鷲尾英一郎(二階派・当選5回)
→前回は鷲尾英一郎に敗れ、比例復活。二階派に入党した鷲尾英一郎も出馬予定。保守分裂選挙へ。
・たいらあやこ 共産
→前回は黒岩宇洋に50票差で敗れ比例復活。夫婦別姓反対、原発推進派。
・黒岩宇洋 立民
野党一本化
→世襲。夫婦別姓反対、安倍に靖国参拝を要請、東京裁判は不当だと主張。
・梅谷守 立民
政務官時代に被災地視察で長靴を忘れ、職員におんぶされる。おんぶ政務官として一躍有名に。
・下条みつ 立民
→前回希望の党で当選し、自民党に入党。立民は羽田元首相の甥を擁立予定。
・神津健 立民
野党一本化
→前回は中島克仁に敗れる。
元幹部自衛官。はんこ議連。押印を廃止した河野太郎をFacebookで批判。
・中島克仁 立民
野党一本化
→世襲3世。前回は今井雅人に僅差で勝利。今井は比例復活し、立民に所属。
・今井雅人 立民
・伯てつや 維新
・近藤和也 立民
野党一本化
・小山展弘 立民
野党一本化
→世襲。前回は細野豪志に敗れ、比例で繰り上げ当選。細野が二階派に入党したため、保守分裂選挙へ。
・小野のりかず 立民
→渡辺周に3連敗中。前回は数百票差僅差まで追い詰める。
・渡辺周 立民
野党一本化
→元文科大臣。緊急事態宣言中に浜松まつりに参加、100人規模のセミナーを開催、20人の会食に参加。
対抗馬は前回比例復活の源馬
・源馬謙太郎 立民
・ひらが高成 共産
→学生時代に女性教師を閉じ込め、爆竹を投下したことをサイトで自慢して炎上。
・吉田統彦 立民
→安倍に対して「辞めろ」とコールした聴衆を「共謀罪で逮捕すべし!」と求めるフェイスブック(FB)の投稿に対し、「いいね!」ボタンを押していた。
・牧義夫 立民
→税理士で、かつ総務省の政治資金適正化委員会に監査人登録しているにかかわらず、2019年まで4年連続で政治資金収支報告書を法定の期限までに提出していなかった。
前回はベテランの赤松に敗れたが、赤松は引退を表明。立民から赤松の元秘書が出馬予定。
・西川厚志 立民
野党一本化
・森本和義 立民
・すやま初美 共産
・伴野豊 立民
野党一本化
→菅内閣で経済産業副大臣兼内閣府副大臣。前回は岡本充功に勝利。岡本は比例復活。
・岡本充功 立民
引退する意向を示していたが、後継候補が決まらず、引退を撤回。
・古本伸一郎 立民
Permalink |記事への反応(15) | 23:18
別に立憲民主党なんか支持していないのだが、共同通信が打った雑な記事のせいであらぬ誤解が広まっているので解説する。
まずこの演説は全容がYouTubeに上がっている。千葉8区の新人・本庄さとしさんの応援演説で、「デジタルは後ろ向き」発言は9分40秒くらいから。
https://www.youtube.com/watch?v=l_fKjRkd9Cs
演説全体の大意は「新自由主義からの脱却」である。枝野さんは現在の社会を〈新自由主義的な社会〉だと捉えていて「競争を促進し、負けた人間は自己責任だと切り捨てる」社会から「支え合い、政府が国民をサポートする」ものに変えたいと言っている。
そのビジョンの具体策として、枝野さんは短期・中期・長期の〈3つの経済政策〉を掲げる。デジタル云々の話が出てくるのはそのうちの「長期」の部分だ。
〈短期〉は、「コロナで景気が壊滅しているので、減税をした上でお金を配れ」というものだ。〈中期〉は「ベーシックサービスの拡張」で、医療・介護・保育所・障害福祉などの勤務条件を改善し、従事者を増やし、国民の老後への不安を軽減することで景気を刺激し、少子化の改善を期待するということを言っている。
〈長期的な経済対策〉は「新たな産業を勃興し、世界をリードするビジネスをして外貨を稼いで豊かになろう」という提案で、具体的には「自然エネルギー産業を勃興させよう」というものだ。「21世紀は温暖化問題などもあり、世界中が自然エネルギーにシフトしていく。日本には太陽光・風力・水力・波力・地熱などの発電技術において世界から抜きん出たものがあるので、これを推進して、自然エネルギー社会へのシフトをリードしよう」というのが枝野さんの主張である。その話がなぜデジタル化に関係があるのかというと、菅政権が〈長期的な経済対策〉を示していないからだと枝野さんは言う。「日本のデジタル状況は世界から取り残されており、そこに注力しても世界に追いつくだけで、日本の未来を輝かせることはできない」「政権が最重要課題としてそれに取り組むのはおかしい、長期的な経済対策のビジョンを出せ」というのが枝野さんの批判の内容なのだ。それを「後ろ向き」という言葉で表現している。
まとめると
というのが表題の発言の真意となる。デジタル化自体は枝野さんも賛成をしているが、優先順位や打ち出しかたがおかしいだろうという話なのだ。
記事の内容を読んでも上記のようなことは伝わらないし、扇動的なリード文がミスリード傾向を加速している。ブコメでも以下のような発言がホッテントリに入っている。
b:id:cu6gane野党お得意の与党逆張りもここまで来ると呆れる…デジタルの対比で自然エネルギーを持ち出すとか「お前は何を言ってるんだ?」状態やん?よしんば自然エネルギー活用するにしたって今の時代デジタル必須だろ
b:id:ahomakotomahomakotomはい、立憲民主党はデジタル化反対なんですね。話にならないね。
b:id:zataku 「デジタルやITとか言うやつ=なんとなく悪、人間味が無い」と思ってる層のお年寄りを取り込みたいんだろうけど…。相手を無知だと思って馬鹿にしているのでは。
記事だけ読んでいれば、このような理解になるのは当たり前である。ブコメでこれなので、Twitterやヤフコメの惨状は推して知るべしであろう。
現在はコンテンツの消費速度がどんどん上がっている時代だ。みんな忙しいので、15分の可処分時間を使って野党党首の演説を聞く人などという人はおらず、見出しと本文を流し読みして「何いってんだこのバカ」とラベリングをして終わり、となる。
だからこそ、要約を担当するメディアの能力が問われる。そこで発言の肝要を捉えられていない記事を配信したり、PV稼ぎのつもりなのかそこにさらにヘンテコなリードをつけて配信をしてしまうと、誤読が進むどころか社会の分断をどんどんと深めていきかねない。その分断を上手く操れるものこそが為政者になるというような傾向すら、最近は現れてきていると思う。
相手が何を言っているのか正確に理解をして、対話的に批判をすること。分断社会を乗り越えていくにはひとりでも多くの人がそれをやっていくしかないと思うのだが、メディアが率先して無理解と嘲笑を煽って分断を深めてどうするのだ。くだんの記事を書いた記者、リードをつけた編集者はプロ失格である。あなたがたの仕事は、はっきりと社会を悪くしている。自分たちには能力がないのだ、社会人として仕事に向き合うスタンスに問題があるのだということを自覚して、猛省してもらいたい。