
はてなキーワード:未来のためにとは
某学術系オンラインコミュニティ(メーリングリスト)へ向けたjonの提言。
これはとても尊い。この行動は大いに支持する。
内容については賛同する側面もあれば、そうでない面もある。周囲からの対応についても思うところは大いにある。
Jon、君の未来のためにも、、、なんて言うとおこがましな。
どちらかというと俺が言語化したいだけだ。とても複雑で複合的な問題だからね。
ちょっと耳の痛い話もあるかもしれんが、良かったら少しだけ聞いてくれ。
そして、俺も匿名にさせてくれ。正直俺もビビってる。それに「誰が言うか」よりも「何を言うか」の方が大事に決まってるからな。お互い匿名で特に問題ないだろ。
経緯をざっくりまとめると
・某オンラインコミュニティに「女性限定の教員公募」の連絡が来た。
・jon yamadaが「女性限定公募は差別禁止を定めるアジェンダに反するから止めるべきだ」という内容を提言した。
・それについて、「女性限定」の公募の是非について意見がなされた。
・実際のjon yamadaの主論点は、過去の女性差別を「公募」で解消しようとすることの是非についてだった。
・その点について誰もコメントすることなく、運営から「学術的内容ではないため場に適さない。これ以上は止めろ。」と介入があった。
・その後も意見を表明するヒトが現れたが、再度運営からの介入で止められた。
こんな感じでいいだろうか。今回はjonに向けて書いてるので、リアルタイムに追えていないヒトは上手いこと察してくれ。当然だがもう少し各方面から複雑な意見が出てる。
まず本件の俺の感想は
「運営の対応が早かったことは評価する。だがそれ以外の状況はかなり悪い。」と言わざるをえない。
だがある程度やむを得ない事情もわかる。だからこうやって個人的に直接、見たいヒトだけが見れる形で伝えるしかない、と結論付けた。
まず最初に、なんならこれだけでいいからjonにわかってほしいことは、学会運営は完全に無償ボランティアだということだ。
当然だが全員研究したいから研究者をやっているのであって、学会運営なんて正直やりたくない。ただ情報交換やそのためのコミュニティは必要だから、みんな少しずつ無理のない範囲で貢献してる。その上で10年くらいに1回、大会の実行委員をやったりしてる。しかもそれを複数。イベント運営なんて普通プロがやる仕事を、手弁当でやってるんだぜ。信じられないだろ。素人イベントだから問題も増えてきてる気がするが、まぁそれは別の話題だ。
正直、面倒臭い意見なんて言ってくれるなと感じてるヒトもいるだろう。でも俺は学会が社会に意見する公器としての側面がある以上それは許されないと思ってる。マジで今、マトモで暇な人っていなくて無償ボランティアですらギリギリで回してるから、早い返事は求めるな。このままでは根本的にコミュニティが崩壊する。だれも学会運営を担えなくなる。それはjonにとっても本望ではないだろ?と信じてる。もしそうでないなら話はここまでだ。歴史的にも学会の分離独立なんてのはよくある話だから、自前でjon学会でも作ってくれ。
OK、俺が信じた通りjonもこっち側で安心したぜ。悪く言いたいんじゃなくて、良くしたいんだよな。
運営からこの件について意見するな、という簡単な説明だけがなされた。
これは正直最悪だ。そして、他にも意見したヒトはいるのにjonのときだけ強めに止めにきていると感じる。発言者や内容によって対応が変わるというのはあまりにも不公平がすぎる。
せめて、運営から裏で個別に怒られが発生していると信じている。
だがいっぽうで、運営が正式に意見をしようとすると、どうしても時間はかかるんだ。専任がいないというのは上で述べた通りだし、公器としての側面から個人の見解を発表するわけにもいかない。合議を取る必要がある。個人レベルでの対応が許されるなら返事は早いかもしれないが、相手にしない自由を行使されたって文句は言えない。
これに関しては、公式コメントや学会大会等で動きが出ることに期待しよう。
あとは、匿名の意見というのはどうあっても優先しにくい。背景がわからないから、多少はしゃーない。もう少し立場の説明はあっても良かったかもしれない。
で、徐々に内容に入っていく。
jonは受信者への心理的ストレスを理由に公募情報の制限を主張している。この感性は、とても利他的で優しさに溢れる良い主張だ。
正直、過去の女性差別なんて大抵のヒトがマジでなんの悪意もなく自然にやってきたことだ。今優れているとされるヒトも含め。
過去に差別してきたシニア層男性が辞めて、そのポストを過去に権利を侵害されたシニア層女性に渡すべき。それは本当にごもっともだ。だがそれは現実的だろうか。
それで後悔、反省して辞めてしまう責任感のあるヒトこそ、残って今後の状況改善に尽力してくれそうじゃないか?逆に「俺は大丈夫だ」と思ってるヤツこそ問題だろう。過去、現在、未来に対して有害だ。
それと、過去に下駄を履かせてもらったおかげで30年の経験を積んだラッキーだけで普通のシニア男性と、優秀ではあったものの女性差別によって職を得られなかった結果、成長の機会を奪われたシニア女性。専門職であり管理職でもある大学教授や研究所の主任研究員や室長クラスに就けるべきは、どちらだろうか。もちろんケースバイケースすぎるし、悩ましいくらいなら女性優先で良いと俺は思う。急にこういう施策をすると、組織の能力の平均値(測定可能とする)としては低下することが懸念されるであろう。
そういう意味で、jonの提言は理想主義的すぎて現実的ではない。過去に戻って差別のない採用に修正したうえで現在に戻る、しか手はないんじゃないかな。
そもそも差別の責任を雇用で調整しようという発想が悪手なのかもしれない。
ただただ否定するだけでもあれなので、多少マシな対案を考えてみた。
今大学の定年は65歳まで引き上げられているところが多い。これを60歳に戻して、その後の5年or10年間の雇用延長を公募制にし、その分の大半を女性限定や女性優先にする、というのはどうだろうか。決定権のある立場の女性には長く続けてもらって、部内や学会内で悪評の立っているシニア男性には早めに退場してもらう。
ちゃんと最後まで評価される行動が必要になって、「逃げ切り」という発想も防げるかもしれない。(評価されるヒトを残すことが本当に重要か、結局忖度になって全員そのまま延長されるのでは、という別の問題はありそうだ。)
で、運営がメーリスでの議論を止めたこと。これは、今回の場合は正直仕方がない。得てしてこの手の議論はこうなりがちだ。具体例を考える必要が出てきて、具体的に当てはまるヒトが出てきてしまうからな。
真面目なシニア男性こそ、過去の差別に苛まれるだろう。過去の不平等な扱いを抉られる女性もいるだろう。「老害は去れ」、という主張が妥当であるかのような印象を若手にも与えるだろう。将来の自分たちの姿であるにも関わらず。
こうなるから止めろって言われてんだ。結果としてjon自身がしっかり傷つけてるぞ。
「適切な議論の場」というのは、ちゃんとした知識と覚悟を持ったヒトが対等に意見しあえる場、だろ?
学術的内容であれば我々は当然対等だが、今回は必ずしもそうじゃない。組織運営の話だ。それはそれで重要だが、メーリスじゃない。
で、ようやく本題である。
過去の差別によって下駄を履いてきた世代が、その解消のために女性限定公募を出すことを余儀なくされる現状。
俺の意見としては「ホモ・サピエンスの性比がほぼ1:1である」「研究能力(測定可能とする)に性差はない」という意見を採用しているので、大学・研究所の教員研究者は1:1にならなければならない。これが歪んでいる状況は、能力のないものが不当に入り込んでしまっている状態なので、平均研究能力は理論値よりも下がる。この正しくない状態は直ちに解消されることが最も公益に資する。
で、一度生まれた歪みを整えるためにはどこかでまた別の無理が生じることもある。その結果、現代の若手男性研究者にしわ寄せが行く形になること。この点についてはシニア世代、および教育政策に関わる者は、若手世代研究者に謝るしかない。
マクロに考えたときの社会の最適状態とミクロに捉えたときの個人の最適状態が矛盾することは理論的にも当然避けられない。より良い社会を実現していく上で、どうしても誰かが背負わなければならない犠牲なんだ。本当に申し訳ない。最大限の補償はなされるべきだと思う。
にも関わらず、居丈高に「そういう時代だし仕方ないから納得しろ」「俺は逃げ切ったからあとはお前らなんとかしろ」「お前は女性差別を容認するのか」「名を名乗れ」みたいに言ってくるシニア男性は、俺も結構ムカついてる。てめえらが撒いた種だろう。社会的な傾向に反抗してマトモに動こうとしたことがあるのか?あ?こちらの正義と良心でぎりぎり立っていられてるだけだぞ?お?解決よりも保身が染み出してるぞ。
シニア世代や政策施策決定者は真摯に謝罪の意識を持つべきだし、採用する側、される側というパワーバランスがあるだけで人間的な上下関係では絶対にない。
それとこれは余談だが、「過去の思想で突如解雇になる」という前例は、jonや俺にとってもさすがに嬉しくないはずだ。
女性限定公募。たしかにこの10年くらいで目につくようになっては来た。だが、どうやら女性限定公募は意外と少ないらしい。平均でも1%前後で、分野の偏りもあるとはいえ5%にも満たない。
https://jxiv.jst.go.jp/index.php/jxiv/preprint/view/841
俺も意外だった。「結局意思決定者と同等の立場である教授准教授に女性限定公募は割り当てないんだろ」と思ってたが、勘違いだった。
思ったよりも自分の目にバイアスがかかっていたようだ。科学とは、直感と異なることを信じることだからな。数え方の問題もあるかもしれないが、これは一定のデータであろう。
女性限定公募なんて1%程度。つまり、若手研究者の採用が決まらないのは女性限定公募があるからじゃない。俺らの能力が足りないからだ。
もちろん、自分が進みたい分野や地域の制限もあるからそんな単純な話ではないし、「これが女性限定じゃなければ」という瞬間も十分ありうる。こういう個別現象に対しては、謝るしかない。
結局是正されるまでは社会正義のためにも続けるしかないんだから、早く是正されてほしい。
あともっといえば政治家とか経営者とか異常なほどの偏りなんだから、そっちも早く変わるべきだとは思ってる。
それとメーリスで連絡が回らなくなるだけでは驚くほどなんの解決にもならない。というか状況は悪化するだろう。この辺は他のヒトが指摘している通りだ。それと本当は女性限定のつもりなのに言うと問題になりそうだから書いてないだけ、なんていう隠れ女性限定公募が出回ったら目も当てられない。過去の公募が隠れ男性限定公募だっただけとも言えるけど。
世代論にこだわるなら、印象としては正直現代の若手よりも氷河期世代の方が相当に厳しい。正直、今の学生〜若手研究者の状況は過去数十年でもっとも恵まれていて、氷河期世代が学生の頃は最低だったんじゃないだろうか。これを救うために、採用も予算も若手を減らして4,50代を増やす方が即戦力だし順当とも言える。
こういうのがつまり政治判断で、どういう組織、世の中にしたいか、そのためにどういう施策が必要か。どこに被害が行くからどういう補償が必要か。というのを考えるのが政治であり組織運営だ。意味のない結果論だが、氷河期世代が虐げられることに日本中が声を挙げなかった。だから氷河期世代は救われなかったし、それで生じた歪みが日本全体を蝕んでいる。多分、人手不足で経営陣レベルが困ってきた最近までマジで問題だとも思ってなかったんじゃないかな。歪み続けるわけにもいかないから、なんとか戻すしかない。
正解不正解ないので試行錯誤だらけだ。マジで人生狂わされる瞬間も当然、残念ながらある。だからこそ意思決定者ほど誠実ではあれよ。というのが俺の意見だ。
少なくとも性別や国籍なんかよりも、嘘を言うやつや不誠実なやつの方がよっぽど信用ならんとは思うけどね。
最後に、メーリスへの連絡でショックを受けるヒトのことを思って心を痛めるjonの優しさ。これは本当に素晴らしい。
だが、それで匿名で勢いのまま攻撃的なまでに意見してしまう姿勢は、ちょっと心配だ。もっとも根本的に解消されるべきはjonの心の問題かもしれない。
とりあえず一度、心療内科を受診して専門家と話すことをおすすめする。博士学生や研究者には割と普通のことだ。それはそれで大問題だがな。
検討を祈る。
地上波の視聴率はイマイチ。Netflixでもトップ10に入ったり入らなかったり。まあ、百人一首なんていうマイナー競技をテーマに、キャストも「誰?」な若手ばかり、しかも映画の続編という三重苦。
さらに第1話で主人公がやけに冷めているせいで、「青春もの」と思って期待した層がドロップアウトしていったのだろう。
…と、ここまで書くと「そりゃコケるわ」と思われそうだが、実際にはそれが大きな誤解だ。
1話をちゃんと観れば緻密さに気づけるし(佐久間宣行氏もラジオで「ヤバい」と語るくらいに)、せめて2話のラストまで観れば冷めた主人公がただの前フリであることがわかる。ヒロインの葛藤に火がついて、ようやく「青春もの」のギアが入る。
日テレドラマといえば、2023年の「セクシー田中さん」の件がまだ尾を引いている。本作は「漫画原作を元にしたオリジナル」という、いかにも失敗が許されない企画。いろんな意味で、制作陣の気合いが尋常じゃない。
映画版監督の小泉徳宏氏をショーランナーに据え、ライターズルーム形式で複数脚本家が関与。原作者の末次由紀先生までプロット段階で参加している。その結果、出来上がったのは完全無欠の青春群像劇である。スキがなさすぎて視聴者に委ねる余地がない、という皮肉な欠点までついてくるくらいに。
キャストは平均19歳。演技の粗さは隠せないが、それを補って余りある「若さゆえの眩しさ」がある。映画を観ていなくても問題なく楽しめるが、映画版キャストが地続きで大人になってカメオ出演するのを、「わっ!胸熱っ!!」とおもわず呟いちゃうのは映画、原作ファンの御愛嬌だろう。
Filmarksのスコアを見れば、視聴後満足度の高さは明白だ。それでも「なんか違う」と思うひとがいれば、制作陣が「今の中高生にもアツくなってほしい」と願う方向性とズレているか、ジャンルそのものを受け付けないのだろう。
今週の放送も最終回を直前にして、次回へのヒキがなんとまぁ、アチアチなことか。日本のプライム帯ドラマでライターズルームが採用されたのはほんとうに画期的なこと。欠点がないとは言わないがこのドラマに失敗のレッテルがつけば、コレからも毎クールクソドラマがただただ積み上がっていくので、みんなには応援をしてほしい。
映画「この夏の星を見る」もよくて、今夏の豊作に青春回顧キモおじさんはウホウホしている。「リンダ リンダ リンダ」も4Kリバイバル上映しているから見に行こう。
一度反省しよっか。
いい加減。
・自民党支持及び国政不参加
というか、未だにこの辺りの正しいデータも見てない奴なんて相手にしてもしゃーないから無視するわ。
まあもう言うべき事も散々言われたあとだな。
じゃああとは、僕たちがそれをちゃんと受け入れて自分の口で「間違ってました」と口にするだけだ。
単純に手を抜いていた人。
色んなパターンがあると思う。
当時はインターネットも発達してなかったら情報不足でも仕方がなかったという側面はあるかもね。
そこで備えることを怠ったのは自分たちであるという事実を認めようね。
確かに、上の世代がちゃんと備えてなかったのも事実だけど、自分の未来のために自分がちゃんと備えるという意識が足りなかったのも真実だよね。
認めよう。
そこからまずは始まる。
結果論なのかもね。
全共闘を愚かな世代だと安易に蔑んで考え足らずの逆張りをした部分もあるんじゃないか?
戦うべき時に戦うべき現実から逃げた人間の末路というのは悲惨なものだよ。
我々が上の世代から学ぶべきだったのは「煽られるままに分断されて各個撃破されてはいけない」ということだったわけだ。
煽られるままに分断して身内同士で蹴落としあった時点でもう負けは見えてたんだよ。
世の中は多数決だ。
だが久々にワロタの人が語るように本当に一枚岩のものなんてなく、全体からみればごく一部を支配するだけで多数決には勝てたのだ。
氷河期世代全員がキチンと団結していれば、様々な立場に分かれて保身に走っていた団塊の世代に良いようにされずに済んだんじゃないか?
今度こそ団結しよう。
勧善懲悪の水戸黄門の主題歌が下記なのは、マジで日本だとワイはちびっこの頃思ったよ
この良いもんのお上(水戸黄門)、絶対父性(「全知全能の神」や「万能の父」や「パターナリズム」)の守り神がマジでいるなら、
こうなるはずだからね
ワイが「サンタなんておらんやろ。でも黙っとくと父ちゃん母ちゃんとサンタから2種類プレゼント貰えるから黙っとこ」ってやってたのと同じ、
水戸黄門(理想的なお上)とサンタクロース、どっちも大人は信じてないのに、社会のために子どものため未来のために、演じ続ける社会的フィクションなのよ
政治家の不正のニュースを見ながら「正義は勝つ」と水戸黄門の勧善懲悪ドラマに頷いて、泣くのが嫌なら歩けと歌を歌うという矛盾。これが日本社会の二重性
日本の文化ってこういう「タテマエとホンネ」の二重構造がやたら強い。みんながフィクションだと知りながら、それでも共有する物語を大切にする
若者の野球離れのかなりのウェイトを占めているのがじつはキャッチャーというボジションの「怖さ」なのではないかと思っている
事実、小学生の間ではキャッチャーが怖くてやりたくないという意見は無視できないくらい大きい
剛速球が毎回飛んでくるのを低姿勢で構え続けるというのはもちろん体力的にとても大きな負担で、
どんな人間でも一目瞭然でその危険度を思料できるというものである
子供であってもキャッチャーを任されるからには飛んでくる剛速球に対して絶対に目をつぶらない訓練を強いられる。
えっ殺し屋かよ?
投げナイフを躱すみたいな?
「恐怖」という評価軸で野球という競技を捉え直した時、やはりどう考えてもあのポジションだけは他より1ランクも2ランクも上の恐怖感を強いられるのである。
今回の参院選、なんか自民党とか立憲民主党がさかんに「責任、責任」って言ってたけど、あれ、正直まったく心に響かなかったよな。むしろ、「またその話かよ」ってウンザリしたやつ、俺だけじゃないだろ。
選挙後の分析記事なんか読んでると、「有権者に責任という言葉が響かなかった」みたいなことが書かれてるけど、当たり前だろと。だって、あいつらの言う「責任」って、結局のところ「緊縮財政をこれからも続けます」っていう宣言でしかねえじゃんか。
自民党や立憲民主党が口を揃えて言う「責任」の中身って何だよ。
これだろ?要するに、「国の借金が大変だから、歳出はカットします。増税も考えます。国民の皆さんは痛みに耐えてくださいね」ってことだ。これ、何十年も前から財務省が垂れ流してるプロパガンダそのものじゃねえか。
いい加減にしろよ。財政規律って、誰のための規律なんだよ。国民が貧困にあえいでいるのに、数字の辻褄合わせを優先してどうするんだ。それで守られるのって、財務官僚のプライドと天下り先だけじゃねえのか。
なんで今回、積極財政を掲げる政党に票が集まったのか。答えは簡単だ。国民が、この「緊縮財政こそが正義」っていう壮大な嘘に気づき始めたからだよ。
失われた30年。終わらないデフレ。コロナ禍で受けた壊滅的なダメージ。もうみんな限界なんだよ。生活が苦しくて、今日を生きるのが精一杯なんだ。そんなときに「未来のために痛みを!」なんて言われても、「ふざけるな!」としか思わねえよ。
国民は馬鹿じゃねえ。自分たちの給料が上がらないのも、景気が良くならないのも、全部この「カネを使わない」っていう緊縮財政が原因だって、肌感覚でわかってんだよ。
「未来世代へのツケを残すな」って、政治家が言うと、なんか良いこと言ってるように聞こえるからタチが悪い。
冗談じゃねえ。
俺たち現在世代が、貧困で結婚もできず、子供を産み育てる経済的な余裕も持てずにいたら、その「未来世代」とやらは生まれてくることすらできねえんだぞ。わかるか?
少子化の最大の原因が経済問題だってことは、とっくの昔にわかりきってんだろ。未来を語るなら、まず俺たち現在世代を救えよ。俺たちが豊かになれば、勝手に子供は生まれるし、未来は繋がっていくんだよ。順番が逆なんだよ、何もかも。
もう財務省の言いなりになるのはやめろ。自国通貨建てで国債を発行してる日本が財政破綻するわけねえだろ。いい加減、そのくだらない神話から目を覚ませ。
さっさと国債刷って、大規模な財政出動をやれ。減税でも給付金でも公共事業でも何でもいい。とにかく、このデフレを終わらせるために、市中にカネを流せ。国民の生活を直接的に、パワフルに支援しろ。
俺たちが求めてるのは、「痛みに耐えろ」という「責任」じゃない。国民の生活を守り、国を豊かにするという、国家本来の「責任」だ。それができない政党は、もういらねえんだよ。
A: もう我慢できない!また画像生成AIのニュースよ。私たちイラストレーターの仕事を奪って、作品を勝手に学習データに使って...
B:気持ちはわかるよ。でも少し冷静になろう。君も文化庁のパブリックコメントに投稿したって言ってたよね?
A: もちろんよ!みんなで頑張って2万件以上も集めたの。これで政府も私たちの声を無視できないはず。
B: 2万件...それって普通のパブリックコメントと比べてどうなんだろう?
A: 多ければ多いほどいいに決まってるじゃない。私たちの怒りの大きさを示してるのよ。
B: でも君、同じ文章をコピペして何回も投稿したって言ってなかった?
A: それが何?みんなでテンプレートを共有して効率的にやっただけよ。SNSで拡散された投稿方法を使っただけ。
B: その「みんな」って誰?どこから始まった運動なのか調べたことある?
A: え...?別に誰が始めたかなんてどうでもいいじゃない。大事なのは私たちの権利を守ることよ。
B: でもさ、エネルギー政策のパブコメでも同じような大量投稿があったって知ってる?AIとは関係ない分野なのに。
A: ...それは知らなかった。でも原発反対も大事な問題でしょ?
B:不思議だと思わない?AIの話題が出ると必ず同じパターンで大量の反対意見が組織化される。しかも日本だけが異常に激しい。
B: もちろんいるよ。でもアメリカやヨーロッパで、ここまで組織的で大規模な反対運動は起きてない。日本だけが突出してるんだ。
B: それとも、誰かが日本のAI開発を遅らせたがってるからかもしれない。
A:まさか...でも誰がそんなことを?
B:AI技術で日本が遅れて一番得するのはどこだと思う?中国は国家戦略としてAI開発を進めてる。日本が出遅れれば相対的に有利になる。
A: でも私たちは純粋に自分たちの権利を守ろうとしてるだけよ!
B: その気持ちは本物だと思う。でも、その正当な怒りが利用されてる可能性は考えたことある?
A: 利用って...どういうこと?
B:現代の情報工作は完全な嘘じゃなくて、真実の一部を極端に拡大する手法が主流なんだ。君たちの著作権への懸念は正当だけど、それが「日本のAI開発全体を止めろ」という方向に誘導されてない?
A: そんな...でも実際に中国のゲーム会社でイラストレーターが解雇されたじゃない!
B: それは事実だね。でも考えてみて。日本がAI技術で遅れたら、結局中国製のAIが日本市場を席巻することになる。それって君たちイラストレーターにとって本当にいいこと?
A: え...それは考えてなかった。
B:アメリカは日本にAI開発の加速を求めてる。技術同盟を組んで中国に対抗しようとしてる。でも中国は日本のAI産業が停滞すれば大喜びだ。
A: じゃあ私たちが反対すればするほど、中国が有利になるってこと?
B:可能性は高いね。しかも君たちは気づかずに、そっちの方向に誘導されてるかもしれない。
B: 直接中国人が書いてるとは限らない。影響力のある日本人を使ったり、既存の不満を増幅させるのが現代の手法だから。
A: 確かに...最近のSNSでの反AI運動って、なんだか感情的すぎる気がしてた。建設的な解決策よりも、とにかく「AI憎し」って感じで。
B: そう!本当にイラストレーターの利益を考えるなら、AI企業とのライセンス契約や利益配分の仕組みを作る方が建設的でしょ?
A: 言われてみれば...私たちがやってるのは「とにかく反対」だけで、具体的な解決策は話し合ってなかった。
B: 君の著作権への懸念は正当だよ。でもそれを解決する方法は「日本のAI開発を止める」ことじゃない。
A: そうね...日本の技術力が落ちたら、結局外国製のAIに支配されちゃう。それって私たちにとってもっと悪い状況かも。
B:特に中国は政府主導でAI開発してるから、日本が遅れれば技術格差はどんどん広がる。少子高齢化の日本にとって、AI技術は生き残りの鍵なんだ。
A: 私、もしかして操られてた?自分では正しいことをしてるつもりだったのに...
B: 操られてたというより、正当な怒りを利用されてたんだと思う。君の気持ちは間違ってない。ただ、それが国益に反する方向に誘導されてた可能性がある。
A: これからどうすればいいの?
B: まず、情報の出所を確認する習慣をつけよう。「この主張で誰が得するか」を常に考える。極端な感情論や、建設的な解決策を示さない意見には注意する。
A:SNSで回ってくるテンプレートも、誰が作ったものかわからないものね。
B: そう。そして何より、クリエイターの権利保護とAI技術発展は両立できるってことを忘れないで。対立じゃなくて協力の道を探そう。
A: 私、今度は建設的な提案をしてみる。ライセンス制度とか、クリエイターへの利益還元システムとか。
B: それがいい。日本のAI技術が発展して、同時にクリエイターも恩恵を受けられる。そういう未来を目指そう。
A:ありがとう。目が覚めた気がする。私たち日本人なんだから、まず日本の国益を考えないといけないわよね。
B: その通り。外国の戦略に知らず知らずのうちに利用されることがないよう、常に冷静な判断を心がけよう。
A: これからは感情的になる前に、一歩引いて考えるようにする。私の仲間にも、この話をしてみるわ。
外国人犯罪を黙認するとか
俺の実家のある場所は南米からの出稼ぎ労働者が多くて、治安もスラムとまではいかないけれど、地元の学校やPTAで「◯◯川の向こう(外国人労働者が多くたむろする地域)には絶対に行かないように」みたいな連絡がしょっちゅうあるようなところなんたけど、以前俺の従兄の中学生の娘が下校中に出稼ぎ労働者数人に腕を掴まれて車に引き込まれそうになった事件があって警察に通報しようとしたとき、祖父だけは大反対して親族一同から総スカン食らうという出来事があった
祖父曰く「外国人労働者なしでこの国は成り立たない。だから慎重になれ」「そんなことで警察沙汰にしたらこの街は彼らから見捨てられる。そうなったらお前らは責任を取れるのか」「彼らは本当に乱暴しようとしたのか分からない。孫に好意を寄せて仲良くなろうとしただけかもしれない。なのにいきなり警察沙汰はやり過ぎだ」だそうで、当然だが祖父の家には誰も近寄らなくなった(同居していた祖母は既に他界してる)
特にキレたのは娘の父である従兄で、じゃあ親父の全財産売り払って◯◯団地(外国人労働者が多く住むことで有名)に行って、風俗代あげるからうちの孫に手を出すのは辞めてくださいとお願いしてこい!と胸ぐらをつかんで怒鳴り散らしてたが、それでも祖父は考えを曲げなかった
その後警察に被害届を出したが、被疑者が捕まったという話はなく、従兄一家は娘の中学卒業を機に遠方へ引っ越していった
結局みんなが幸福になるためには
日本人同士でやってる感じでしばけばいい。
電車の中では小声で喋れ、電車の中ではリュックを下ろせ、混んでるときは奥まで詰めろ、
集合住宅では匂いの出ることをやるな、夜9時以降に物音出すな、……
その秘訣を叩き込むんだよ。
よそから来た奴にも守らせてなにも恥ずべきことはないし
そこで守らなかったら日本人相手と同じようにどこまでももめてハブって追い出していい。
そうやって原住民もどこの国から来た新参者も同じルール・同じ常識に統一すんだよ。
全員が日本語を話して日本の文化に親しんで日本の常識とルールを守る。
これ以外にルーツの違うみんなが仲良く日本で暮らす方法は無い。
成人してるのに日本語満足に話せないようなやつは問答無用で親と一緒に親の母国に追放。
国民になる努力を怠ったし憲法違反なんだわ。国民失格。知的障害でも残念でしたでよろしい。
そのためには統一した言語と統一した文化と統一した常識しかない。
結局は全員がハッピーになる道。
多文化共生とか言ってマナーと常識を統一しなかった国は全部ひどいことになってるだろ。
日本人になる覚悟があるなら血以外の全てを日本のものに置き換えてもらう。
お前の子供は立派な日本人になって日本を頼みにして日本を支えて日本を愛して暮らしていく。
そこで怯むなら母国で暮らせ。
ただし来た奴はきちんと受け入れて万事手取り足取り教えてやること。
こういう風にやるべきなんだよすべての共生は。
だからみんなが仲良く暮らせるハッピーな未来のためには最初にしばきまくらなければいけなくて
それを妨害するバカ左翼こそ日本人の敵外国人の敵全人類の敵なんだ。
あいつらが複雑な物事をよくできたことなんか仕事でもプライベートでも一度もねえだろ。
長く生きたいと願う気持ちは、根源的で誰もが抱くものである。しかし、この長寿の追求が現代社会に課題を突きつけている。それは、私たちの社会保障制度の持続可能性と世代間の公平性という、避けられない現実との間に生じる摩擦である。
ただ長く生きること。それは個人の願いとして理解できる。しかし、その「長寿」が皆で支え合う社会保障制度に過度に依存し、多額の医療費を享受しながら、社会への具体的な貢献が見られない状況を、私は「見苦しい」と感じる。これは単なる感情論ではない。限られた社会のリソースが一方的に消費され、未来を担う世代に過大な負担が押し付けられる現状は、もはや持続可能とは言えず、世代間の公平性を著しく損ねているからである。
「道徳もまた、ある種の闘争の道具である」という考え方は、現状を的確に表している。これまでの道徳は、「生を尊ぶ」という一面的な価値観に重きを置きすぎてきたのかもしれない。しかし、社会の現実が示すのは、その道徳が時に社会全体の持続可能性を脅かす可能性があるということである。私たちはこの現状に安住せず、長寿社会にふさわしい新たな道徳規範を築くための議論を始めるべき時が来ている。
さらに、私は敢えて問いかける。「十分な貢献がなければ延命医療をしない」という議論は、感情的な側面だけでなく、極めて現実的な問題提起である。たしかに、生命の価値を選別するかのような印象を与え、強い反発を招くことは理解している。しかし、その根底にあるのは、現在の社会保障制度がこのままでは確実に崩壊し、医療リソースが枯渇した未来において、医療現場が「なし崩し的」に生命の選択を迫られるという、より悲惨なシナリオへの切実な懸念である。倫理的な議論を避け、問題の先送りを続ければ、我々は無益な延命のために、真に救える命を見捨てる事態に直面する可能性がある。
この危機を回避するためには、もはや猶予はない。私たちは今、具体的な行動を起こす必要がある。
・社会保障制度の抜本的な改革に向けた国民的議論を、タブーなく開始すること。給付と負担のバランス、制度改革の具体的な選択肢について、真剣に話し合うべきである。
・個人の意思を尊重した「尊厳ある死」の概念を社会に浸透させること。無益な延命ではなく、本人の意思に基づいた、質の高い終末期医療の選択肢を増やすべきである。
・高齢者が社会の担い手として積極的に参加し、貢献できる具体的な仕組みを構築すること。知識や経験の伝承、地域社会への奉仕など、高齢者が社会に価値を還元できる機会を創出することが重要である。
これらは決して、高齢者を切り捨てる話ではない。むしろ、全ての世代が尊厳ある生を送り、社会全体が持続可能な未来を築くための、新たな社会契約を締結するための喫緊の課題である。