
はてなキーワード:有意義とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20260212/1770908348
「こんなにマクロな話にミクロな話で反論する人だっけ?」とか「昔からこんなだったっけ?」みたいなブコメがあるけど、以前からというか性質的に“こんな”だったと思う。
本質がネットバトル民の人だから、とにかく今その場かぎりで説き伏せるのを至上としてる人なんよ。
この人、個人ブログに乗り込んではコメント欄で延々とダル絡みすることで知られてるが、これって滅茶苦茶ミクロ的な行為だろう。
議論の内容がなんであれ、個人ブログで一対一の議論をいくら重ねたり、一般人ひとり説き伏せることにマクロ的な有意義さなんてないわけで。
この人にとってリベラルは「自分がよく使っているバトルスタイル」であり、よくやってるチェリーピッキングは「戦闘力を上げるためのツール」という側面が強い。
そんな“ゲーム”に興じてる輩は他にも多くいるけど、“そういう体”でやってないように取り繕っているのが厄介なところだな。
どうせ有意義なやつ送ってこない
ご夫婦の変なプレイに入り込んでるキモい感じもなかなか消えない
誰様だよ。退職したくせに二百歳まで生き延びることもできる退職金ももらったくせに会社の業務を手放さない 適当にやりまくって迷惑かけて
一つの経験談を話しているだけなのに、現実以外でもネット上でぶつかって来る人もいるが悲観しないでほしい。
私は不幸で社会的弱者だから道を譲ってくれて当然と言語化する事はおそらくないだろうが潜在的にそうなっている人もいる。
自分のSOSをこういう形でしか示せない人もいる。(中には検挙され犯罪者となってしまう人もいる)
相談できる人がいないとこうなるケースが珍しくない。犯罪を犯せば信頼度は無くなる事ががこうせざるを得ない人がいる。
存在の承認欲求:社会的に孤立し、誰からも認識されていないと感じる人は、負の形であっても「他人に影響を与えた(ぶつかった、怒らせた)」という事実に、歪んだ充足感を得ることがある。
置換(ディスプレイスメント):本来怒りを向けるべき対象(職場、家庭、社会制度など)に手が出せないため、無関係な通行人やネット上の見知らぬ人を「安全な攻撃対象」として選ぶ現象です。
認知の歪み: 「誰もが自分を蔑んでいる」という被害妄想的なフィルターがかかっていると、道を譲る・譲らないという些細な出来事が、生存をかけたプライドの闘いにすり替わってしまう。
これらを考慮して向かってきた相手とチキンレースをするメリットは無い。
自分を守るのであれば10m先に人が居たなら積極的に視線を合わせず避けたほうがいい。
道幅がなければ立ち止まっていも良い。田舎なら道幅は広い。
困っている相手を救いたい思いはあるが、個人ではどうしようもない。
一つの経験談を話しているだけなのに、現実以外でもネット上でぶつかって来る人もいるが悲観しないでほしい。
私は不幸で社会的弱者だから道を譲ってくれて当然と言語化する事はおそらくないだろうが潜在的にそうなっている人もいる。
自分のSOSをこういう形でしか示せない人もいる。(中には検挙され犯罪者となってしまう人もいる)
相談できる人がいないとこうなるケースが珍しくない。犯罪を犯せば信頼度は無くなる事ががこうせざるを得ない人がいる。
存在の承認欲求:社会的に孤立し、誰からも認識されていないと感じる人は、負の形であっても「他人に影響を与えた(ぶつかった、怒らせた)」という事実に、歪んだ充足感を得ることがある。
置換(ディスプレイスメント):本来怒りを向けるべき対象(職場、家庭、社会制度など)に手が出せないため、無関係な通行人やネット上の見知らぬ人を「安全な攻撃対象」として選ぶ現象です。
認知の歪み: 「誰もが自分を蔑んでいる」という被害妄想的なフィルターがかかっていると、道を譲る・譲らないという些細な出来事が、生存をかけたプライドの闘いにすり替わってしまう。
これらを考慮して向かってきた相手とチキンレースをするメリットは無い。
自分を守るのであれば10m先に人が居たなら積極的に視線を合わせず避けたほうがいい。
道幅がなければ立ち止まっていも良い。田舎なら道幅は広い。
困っている相手を救いたい思いはあるが、個人ではどうしようもない。
一つの経験談を話しているだけなのに、現実以外でもネット上でぶつかって来る人もいるが悲観しないでほしい。
私は不幸で社会的弱者だから道を譲ってくれて当然と言語化する事はおそらくないだろうが潜在的にそうなっている人もいる。
自分のSOSをこういう形でしか示せない人もいる。(中には検挙され犯罪者となってしまう人もいる)
相談できる人がいないとこうなるケースが珍しくない。犯罪を犯せば信頼度は無くなる事ががこうせざるを得ない人がいる。
存在の承認欲求:社会的に孤立し、誰からも認識されていないと感じる人は、負の形であっても「他人に影響を与えた(ぶつかった、怒らせた)」という事実に、歪んだ充足感を得ることがある。
置換(ディスプレイスメント):本来怒りを向けるべき対象(職場、家庭、社会制度など)に手が出せないため、無関係な通行人やネット上の見知らぬ人を「安全な攻撃対象」として選ぶ現象です。
認知の歪み: 「誰もが自分を蔑んでいる」という被害妄想的なフィルターがかかっていると、道を譲る・譲らないという些細な出来事が、生存をかけたプライドの闘いにすり替わってしまう。
これらを考慮して向かってきた相手とチキンレースをするメリットは無い。
自分を守るのであれば10m先に人が居たなら積極的に視線を合わせず避けたほうがいい。
道幅がなければ立ち止まっていも良い。田舎なら道幅は広い。
困っている相手を救いたい思いはあるが、個人ではどうしようもない。
一つの経験談を話しているだけなのに、現実以外でもネット上でぶつかって来る人もいるが悲観しないでほしい。
私は不幸で社会的弱者だから道を譲ってくれて当然と言語化する事はおそらくないだろうが潜在的にそうなっている人もいる。
自分のSOSをこういう形でしか示せない人もいる。(中には検挙され犯罪者となってしまう人もいる)
相談できる人がいないとこうなるケースが珍しくない。犯罪を犯せば信頼度は無くなる事ががこうせざるを得ない人がいる。
存在の承認欲求:社会的に孤立し、誰からも認識されていないと感じる人は、負の形であっても「他人に影響を与えた(ぶつかった、怒らせた)」という事実に、歪んだ充足感を得ることがある。
置換(ディスプレイスメント):本来怒りを向けるべき対象(職場、家庭、社会制度など)に手が出せないため、無関係な通行人やネット上の見知らぬ人を「安全な攻撃対象」として選ぶ現象です。
認知の歪み: 「誰もが自分を蔑んでいる」という被害妄想的なフィルターがかかっていると、道を譲る・譲らないという些細な出来事が、生存をかけたプライドの闘いにすり替わってしまう。
これらを考慮して向かってきた相手とチキンレースをするメリットは無い。
自分を守るのであれば10m先に人が居たなら積極的に視線を合わせず避けたほうがいい。
道幅がなければ立ち止まっていも良い。田舎なら道幅は広い。
困っている相手を救いたい思いはあるが、個人ではどうしようもない。
鬱とかじゃなくて怠け癖とか無気力の類なんだけど、暇さえあればずっと布団のなかに居てしまう。寝たり、スマホダラダラ見たり。
映画やドラマを見るという簡単な娯楽さえも面白くて世界に引き込まれるからしんどいなと思って回避的になってしまう。
有意義に過ごしたいなあという理想はあるんだけど、無趣味だし無意欲だし体もついてこない。
やりたいことも無い。
休みの日にこだわった料理つくったり、家を片付けたり、読書したり、散歩したり、筋トレしたりする人って本当にすごいよな。人生充実していてすごい。
私は文字通り、布団の中でダラダラしてるだけ。
そういう事をしようにも、疲れたらどうしよう…疲れたら嫌だな…って思っちゃって動けない。
動けばやる気が出てくるよ!と言われがちだけど、そうでもなくない?途中で投げ出したくなっちゃう。
子供がいるから最低限…いや、最低限以下か?まあ家庭が崩壊しない程度の家事はしているが、家にいる時間は長いのにほんとなんにもしてない。ほとんど寝てるだけ。
怠け者だし子供と私の身体的トラブルのため、かなり短い時間のパートしかしてないし、夫が子供を連れてよく外出してくれるから、休む時間はたっぷりある。
夫は私と真逆でやりたいことたくさんあるタイプだし人の事が気にならないタイプだから、私がこんなにダラダラしていても何も言わずに自分の人生を楽しんでいる。すごい。
子供にも私にも身体的に大きなトラブルがあったり突然判明したりで、心配が尽きないし、メンタル不調かな?とも思うけど(実際2024年は不安の症状が大きくなったから1年ほど精神科に通院した)外出の予定があるときは楽しめるし、そもそも独身で何のしがらみもなかった頃も休日は寝てばかりで(私ってなんでこんなに何もできないんだろう…)とよく落ち込んでいたから、たぶんそういう人間なんだよな。元々。内臓的には健康なはずなのにバイタリティが極端に無いタイプの。
最近ツイッターで、元気がない人は甲状腺やフェリチンの値が悪いって見たけど、2024年夏に詳しい血液検査した時は甲状腺大丈夫だったし、フェリチンの値は調べられてなかったからわからないけど、過去から今まで貧血関連の検査結果が悪いことなんてなかったし、むしろかなり良い方だった。
なんとかのコインで、初めての体験させて頂きました。的射た感想をひとつ。
【ヒドイ!】に尽きます。これでは著者がお気の毒です。通勤などした経験は有りませんので、
「ながら聞き読み」の方は、このような演出過多と言わざるを得ないものでなければ、脳みそに
届かぬものなのでしょうか?。なんですか?このお二人の会話は、演出は。
とくにこの若造が煩過ぎます。答える方も気取り過ぎで不快極まりなく、私は挫折で途中下車しました。
聴く朗読と云うものは、よほどに緻密なセンスを持って練り上げるか、または単純性に重きをおかない限り、
若いナレーターの世に云う『言いがかり』的理屈が折角に有意義な著作をブチ壊しているようにしか思えない。
少くも私はこの本に大変興味がある。しかしまた、このような愚かなコンテンツから去り、紙媒体で読む事にしました。
唯物論的に考えれば何も不思議ではないが、「なぜ生きているのか」と考えることは生を有意義に過ごすためには非常に有益で強力なきっかけだと、最近よく思う。
無ではなく有であるというのは、単に0か1かという話ではない。ここに意識があるということは、ここに世界の解釈があるということだ。
すべての「意味」はそこから始まる。「意識」が存在しない世界では、意味も理由も歴史も何もなく、「存在する」ということ自体すらあやふやになり、何もあったかどうかすらわからない。
だから、生まれてきて「なぜ生まれてきたのか」「なぜ生きているのか」と、自分の存在自体の意味を問うことは非常に人間らしい、有益な問いだと思う。しかしそこには、全員が同意できる確からしい答えはない。なぜなら、人によって「世界の解釈」は異なるからだ。見えてる世界が違うからだ。
だからその問いに自分が満足できる回答を出すのは時間がかかるかもしれない。しかし生まれてきたからには、いろんなものに意味を与え、評価をし、あなただけの「世界の解釈」を作り上げてほしい。それは意識あるものにしかできない。そして同時に、自己がここにある意味も考え続ける。わたしはそれが非常に人間らしい生き方だと思う。
そして、相変わらず特にやることがない いい歳をして恥ずかしい限りである
読みかけの小説を片付けるのもいいが、平日の隙間時間に出来ることを休日にやるのもな・・・・
なので美術館に行くことにする。徒歩で。
出かけるのを決めたのは良いが、なかなか億劫だ。トロトロと支度をする
古い日記を歌ってた中学生、良かったな エレカシの大学生も良かったぞ。彼は不合格だったみたいだけど
推理小説の書評が載っていた タイトルはダサいと思ったが、内容は面白そうだ
いつか読むかもしれない。いや、多分読まない
このコンビニは雑誌類が充実しているので、末永く続いて欲しい。
ニュートンとかここでしか読んだことない。パラパラめくる程度だけど
だいたいは親子連れとかが遊んでいるが、今日は誰も居なかった。
せっかくなので、鉄棒で懸垂をしてみる。
割と本気を出してみたが、一度も顎まで体を持ち上げることが出来なかった。中学生の頃から変わっていない
悔しかったが、無理をしたら腕を痛めそうなので諦める。
そもそも自分の年代で、適正な懸垂の回数っていくつなんだ?0回で正解の可能性も無きにしも非ず
こちらは結構、賑わっていた 凧揚げしてる人を久々に観た気がする
広場の奥では、七五三なのか、ウェディングフォトなのかよくわからんが、
盛装した夫婦とお子さんが、プロっぽい人たちに写真を撮られていた
2人の会話が聞こえてきたが、旦那さんの相槌があまりにやる気が無くて面白かった
1400円って高ぇな、といまだに思っている
が、物価が何もかも値上がりしているのに今のところ据え置きであることを考えると、
実質値下げしてくれているのかもしれない。今のところはだけど。
企画展は「中村宏展アナクロニズム(時代錯誤)のその先へ」らしい。
入場して早々に、かなり後悔する。
やたらと暗く、陰鬱な画が並んでいる。辛い。
おい、中吊り広告のポスターと大分印象が違うぞ。騙しやがったな
奥をチラ見すると、多少は明るい色調が見えていたので変わってくると信じて観ていく
解説を読むと、ルポルタージュがどうのこうので、文学の手法を絵画に応用したとかどうとか。
うん、興味ない。つまらん。
「いっそ、便器がいくつ出てくるか数えてみようか」と頭を過ったが、辛すぎるのでやめておく
「お、ようやく陰鬱な画が終わるのか?」と思ったが、描かれているのは真っ赤な便器だった。
解説の文章に「セーラー服と蒸気機関車」みたいな文言があって、明らかに「セーラー服と機関銃」を意識してるよな・・・・と思ったが、どうなのだろう
しかし、こいつはまともに人物を描きやがらねぇ 一つ目だったり、首が伸びたり。何なんだ
セーラー服のマネキンが現れたのはちょっと面白かった。絵画じゃなくて、立体のマネキンが絵を眺める構図で置いてある。
あのマネキン、目元に何か文字が書かれていたんだけど、双眼鏡を装着しているせいで何が書かれているのかわからなかった。気になる。
それと覚えているのは、漫画やら動画やらの表現を取り入れた作品だったか。
ズームを表した連作?は時間も経過しているのかと間違い探しをしてみたが見つからなかった。つまんねぇぞヒロシ
途中、土方巽とやらの舞台の映像があったけど、退屈というか不快だったのでチラ見して通り過ぎる
ヒロシの作品は観終わったので、もう一つのおまけの企画展?を見ていく
デカくてカラフルで、ヒロシとは対照的なヤツが多かった気がする
なんか観たことあるなーと思ったやつは、石田徹也なる人の奴だった
ついでに常設展の地獄の門を観に行く。何度も観ているので通り過ぎるだけ。
掲示を観てみると、何やらVtuberが絡んだイベントなのか、音声解説なのかをやってるらしい。その関係か?
よし、満足した。帰ろう。
絶筆がどうのこうのと言っている。死にそうなのか?ヒロシ。元気そうだし、もっと頑張れよ。
たい焼きを買いたくなるが、我慢する。代わりに、スーパーで今川焼を買おう。
ちょいとググって中村宏が1月に亡くなってたと知る。知らなくてゴメンなヒロシ。
これの結果報告。
お昼の時間になった瞬間、コートを羽織って財布を掴んで外へと駆け出した。貴重なお昼時間を目一杯有意義に浪費するためには移動なんかに時間をかけてはいられない。
パン屋は職場から徒歩5分の距離にあった。駆け足で向かったおかげで3分で着いたけれど、もう店内には人が結構いた。
店内は冬の薄暗さをものともしないように明るかった。LEDの光と採光窓から差し込む自然光がナチュラルウッドの床を柔らかく照らし、店の中だけいつも春の中にいるようだった。その中に色とりどりのパンや美しいケーキが並び、特に行ったこともないのに花畑を連想した。その為かトングをカチカチと鳴らして威嚇するような人は見当たらなかい。綺麗なものは人を少しだけ丸くさせる。
わたしはその中からパン畑の中からエビレタスサンドを選んで、そっとトングで掴んでトレイに乗せた。生き物みたいに柔らかい感触がトング越しに伝わってきた。
レジに向かうと行列ができていた。が、一つだけのレジに店員さんが3人並び、一人が会計、もう一人がポイントアプリの勧誘とレジ操作指示(セルフレジだった)、最後の一人が袋に入れる係、という連携プレーを取っていて、どんどん列が進んでいった。袋は有料らしく、KALDIのエコバッグやIKEAの鞄に入れていく人がいた。わたしは袋を持っていなかったけれど袋代をケチりたくて、パンを両腕に抱えたまま職場へと歩き出した。ケーキを運ぶ間、人はわずかに天使なのだという詩を思い出した。ケーキを運ぶ間は天使なら、パンを運ぶ間人は何になるんだろう。
職場に戻って、いつも通り自分の席に着いて、一人でエビレタスサンドを一口齧った。ふわりとしていて美味しかった。
白いパンを咀嚼しながらふと思い出す。子どもの頃はパンの白い部分が大嫌いだった。ふわふわしている部分が噛めば噛むほどベチャベチャの白い塊になる過程が気持ち悪くて、噛まずに丸呑みしていたな。
あの時、何があんなに許せなかったんだっけ。そう思いながら飲み込んで、また齧る。大人になると、思い出せなくなる代わりに許せるようになるものが多くなるらしい。