
はてなキーワード:有意義とは
かもってなんだよ>最初の人が見てるかもしれないじゃん?
現行犯であることとその人が犯人本人であることは関係ないよね?>というか被害者がその場で訴えてるんだから当然現行犯だし
真犯人ならね。冤罪の証明にはならないよな>その場で捕まえれば物的証拠だって残るよ
誰かの人生を壊すかもしれないことを心配しないあなたが怖いです>証言や証拠を検証するのも冤罪を疑うのも警察の仕事で、その場にいる人間が心配することじゃない
そうですね。結局警察が全く信用できないということに尽きると思います。>冤罪が心から心配なら警察がちゃんと仕事をしてるかを心配するべきだし、
好きな人ができた。
同じ大学とだけ知っていた。それ以外の共通項は特になかった。ただ、話が合うような気がしたから、思い切って食事に誘った。
私はもう一度、祈る気持ちで誘った。今度はもう少し時間のかかる予定を考えた。
彼女をその誘いを受けてくれた。
そのようにして、知り合ってから何度か出かけた。
出かけるための口実を作り、そして、先の何ヶ月かにおいて、それぞれに約束を取り付けた。
嫌われてはいないと信じたい。
多くの男性がそうであるように、私も演技をしている。理想的な男性と騙せるように、彼女の前では猫をかぶっている。
おれは気が利かない。だって、何をすれば女性が、おまえが喜ぶのか、逆に何をしたら怒るのか、おれには未だよく分からない。だから、気の利かせようがない。
おれは要領が良くない。おれは頭を棚にぶつける。小指も棚に打ちつける。料理をすれば、コンロ・シンク・冷蔵庫の三者間を反復横跳びのように忙しなく飛び回る。
おれは頭が良くない。第一、おまえが高校を出てすぐ入った大学に、おれは1年遅れてようやく入ったのだから。
おれはハイソではない。おれは本を読まないし、映画も見ない。音楽だって詳しくない。おれの故郷と、通った高校のある隣町は、恐ろしいことに両方の名が"ナンバープレートカースト表"の一番下に並んでいる。地元のバイパスでは今も、羽の生えたプリウス同士が大競走しているのだろう。おれはそれが別段特別なことに見えないし、思えない。
おれは甲斐性がない。わずかな貯金と、基礎と熱意を欠いた不安定な学問的知識と、同じくらい不安定な職の3点以外、何も持ち合わせていない。今までの無駄な時間を有意義な自己研鑽と職探しに使っていれば、真っ当な職業人として巡り会えていたかもしれないと思うと、まこと慚愧の念に堪えない。
おれは飄々としていない。大学から帰るのが遅くなったとき、おまえはあの汚らしい駅の猥雑なロータリーで、耳を塞ぎたくなるような話を、眉を顰める大声で、夜空に向かって不明瞭に叫んでいた、不愉快な学生集団を見たのではないか。だとしたら、その中にはおれがいたかもしれない。おれは調子にも乗りやすい。
いずれ綻びが顕になるのだろう。
あまねく人間に、私に、綻びがあることは当然で、そのことに対しては何も思わない。そもそも「綻びが(これだけ)ある」と悩む必要は、実はないのではないかとさえ思う。綻びの総量それ自体、個人の主観に左右されるものだろう。そして、人の内面を変更する術を、あるいはcharmを、少なくとも後者を私は持たない。
ただ、それとどのように綻びを知らせるのか(全て私の誤解で、意地でも隠し通すのが定石なのかもしれない。そうなんですか?)という問題は別のはずだ。失望は避けられないことで、かつ、その最大瞬間風速が相手の許容できる閾値を超えたとき、一般論として人間同士の関係は崩れる。
私は減速剤を知らない。他者の失望の速度を、どう制御すればいいのか分からない。今までは流れの向くまま、それで良かった。今度は違う。化けの皮のせめてその剥がれ様だけは、自分で決めたい。できることなら、なるべく遅く、なるべく波風立たず、悟られないように。
思うに、あまねく人間に綻びがあることは当然で、人にどう知らせるかという点に上手下手があるのだろう。
価値観が近い
それなりに相手のことが好き
互いに協力し合える
収入がある
だから付き合うのも婚活も、互いの利害のすり合わせなんだと思う
それは尊いものではなく、人間の生存本能みたいなもんで、Win-Winの関係を探してるのと同じ
もちろんその関係を結べたらめでたいのはめでたいけどさ
「好きだから、一緒にいたいから付き合う、結婚する」みたいにさ
でも結婚ってそういうもんじゃなくて、生活、お金、仕事、子育て、老後などのことがあるから、恋愛感情だけではうまくいかないんだよね
なんか世の中が恋愛至上主義みたいな時代に生きていたから、気付けなかったよ
今みたいにマチアプで条件入れて探して合う方が、理にかなってるんだな
悲しいな、俺が間違ってたよ
なんかさ、弱者男性が「Coblaとか女性支援とかうさんくさい!」って言ってて、もう笑った。
いやいや、お前に支援くるわけないし、Coblaはバンドのイベントとかブランド展開してるだけなのに。
暁の光の中で梟が鳴くくらい静かな朝なのに、徒然とSNSで文句垂れるとかマジで何してんだ。
こういう人ってだいたい、「女性は優遇されすぎ」とか言い出すんだよね。
アサイー食べながら悩む時間あるなら、自分のバナナみたいな人生をなんとかしろって。
薫風が吹く茫洋な野原で閑雅に深呼吸でもしたほうがマシだわ。
そんなツイートしてる時間でヤフオク、メルカリ、楽天、AmazonをチェックしてPCXでも探したほうが有意義だぞ。
ガソリン代気にしつつ、バンド活動やブランドチェックに励むCoblaは、別に誰も攻撃してないし。
飛沫みたいに弾ける人気の中で、石長比売も梢の上から「まあまあ落ち着けよ」って顔してそう。
Coblaが悪いんじゃなくて、
「女性支援=自分が損する」って思い込んでる弱者男性の心がもう末期。
還暦を過ぎてから、長年の夢だった”自宅に映画館を持つ”計画を実行に移した。
若い頃から映画が好きで定年後に時間ができたら作ろうと漠然と考えていたが、実際に着手してみると想像以上に手間と費用がかかった。
以下は、記録として残しておきたいと思う。
地下一階に8畳ほどの物置部屋があり、もともとは古いワインセラー兼倉庫として使っていた場所を映画室に転用することにした。
天井高は約2.3メートル、コンクリート打ちっぱなしの壁面。湿気が多く、まず最初に除湿と防音の両立が課題となった。
・防音工事:約78万円(吸音材・遮音シート・壁パネル施工含む)
・床上げ+防振マット施工:約22万円
合計で約149万円。
この時点で、当初の想定額(100万円以内)はすでに超えていた。
防音工事は最も大きな出費になった。
使用したのは旭化成のサウンドカットNT吸音パネルと、YKKの遮音ドア。
天井にはグラスウール断熱材を50mm厚で敷き詰め、その上に遮音シートを重ね、化粧パネルで仕上げた。
ドアは外開きの防音仕様で閉めると耳が詰まるような密閉感がある。
次に問題になったのが空調。
防音室は密閉度が高く、換気が悪い。
家庭用のダクト式換気扇を2台設置し、吸気・排気の両方を分けて運用。
これらの設備関連だけで約40万円。
電源も100V→200Vのコンセントを追加し、プロジェクター専用回路を確保。
配線は壁内を通して見た目をすっきりさせた。
スクリーンは悩んだ末にキクチ科学研究所のSE-120HDWを選択。
天吊り金具SLG-011とHDMIケーブル(エレコム製20m、5,800円)を併せて取り付けた。
映像ソースはPanasonicのDP-UB9000(UHDBlu-ray対応プレイヤー)を導入。
これが約17万円。
さらにNAS(Synology DS220+、約5万円)を設置し、自宅サーバーに保存した動画をLAN経由で再生できるようにした。
スピーカーはフロントにBowers & Wilkinsの「607 S3」(約11万円×2台)、センターにHTM6S2(約9万円)、リアに「606S2」(約10万円×2台)、サブウーファーはYAMAHAのNS-SW100(約4万円)を選択。
サラウンドケーブルはオヤイデ電気のSP-3398(メートル単価550円)を20m使用。
ラックやスピーカースタンドを含めるとさらに10万円上乗せとなった。
映画館の雰囲気を出すため、座席にはリクライニング式のシアターチェアを導入した。
左右にドリンクホルダー付きの肘掛けを備え、電動リクライニング機能を持つ。
床は吸音カーペット仕様で、サンゲツのNT-700を採用(1平方メートルあたり3,800円)。
壁面は黒の吸音クロス仕上げに変更し、余計な光の反射を防止した。
地味だが、最も苦労したのは配線整理だった。
LAN、電源、スピーカーコードを束ねて壁裏を通すために、既存のコンクリート壁にスリーブ孔を開けた。
防振ゴム付きの配線モール(パナソニック製)でカバーし、床下収納には電源タップを隠した。
木製パネルを黒塗りにして高さを低く抑え、機器の熱がこもらないよう背面を開口。
金具やネジ込み部の補強材としてスチールバー(コーナンで購入、1本1,480円)を使用。
設置後、実際に試写を行うと反響音が予想以上に強く、音がこもって聞こえた。
床と壁の反射を抑えるため、追加でニトリの厚手カーテン(遮光3級、1セット6,800円)を壁面に吊り下げた。
さらにコーナー部分にウレタン製のベーストラップ(ヤマハ製)を設置(1本9,200円×4)。
音響調整には無料ソフト「RoomEQ Wizard」を使用。
マイクはBehringerのECM8000(約9,800円)をPCに接続し、周波数特性を測定。
AVアンプの自動補正機能Audyssey MultEQと組み合わせて微調整を行った。
総費用はすべて含めて約340万円。
当初想定より100万円以上のオーバーとなったが、途中で妥協しなかったことが功を奏したと思う。
運用にあたっては、電気代とメンテナンス費用が月平均で約3,000円。
除湿機と換気扇を常時稼働しているため、湿度は50%前後で安定している。
プロジェクターのランプ寿命(約5,000時間)を考慮すると、交換費用は約2万円。
年間に換算しておよそ1,500時間の稼働であれば、3年はもつ計算になる。
一番の失敗は換気経路の設計だった。
最初は排気口を小さくしすぎて空気が循環せず、夏場に室温が35度を超えた。
その後、直径100mmのアルミダクトを150mmに変更し、サーキュレーター(バルミューダ製GreenFan C2)を導入して解決。
スピーカースタンドの支柱に軽い赤錆が浮いたため、サンドペーパーで磨いて防錆塗料を塗布。
工事の打ち合わせ、配線の確認、資材の選定など、すべて自分で行った。
しかし完成した空間は日常から完全に切り離され、映画を“観る”のではなく“迎える”場所になった。
上映中は時間を忘れる。
外の音も入らず、誰にも邪魔されない。
その密度の中で一本の映画を観終えると、少しだけ若返ったような気がする。
だが、年を重ねると”何を持つか”よりも”何に時間を使うか”のほうが重要となる。
地下のミニシアターは、そういう意味でとても有意義な投資だったと思う。
Permalink |記事への反応(17) | 14:34
ネットには、叩くことに中毒になっている人間が大量に存在している。
朝起きてスマホを開けば、誰かを叩いている。
夜寝る前にもう一度見ると、今度は違うターゲットを見つけて叩いている。
年がら年中、叩ける対象を探し続けて、見つけた瞬間に群がって叩きまくる。
正直に言うと、俺には強い承認欲求がある。
「面白いこと書いたな」「共感してもらえるかな」と思いながらキーボードを打っている。
炎上しているニュースを見ても「大変だな」程度の感想しか湧かない。
批判されている有名人を見ても「まあ、人それぞれだろう」と思うだけ。
観察していると、今のネットをやっている人の欲求は、大きく2つに分かれる気がする。
考えてみてほしい。創作活動をしている人、仕事で成果を出している人、リアルで充実した人間関係を築いている人——こういう人たちは、わざわざネットで誰かを叩く時間があるなら、もっと有意義なことに使うだろう。
でも、自分では何も作れない人、何も成し遂げられない人、リアルで認められない人は違う。
他人の失敗や転落を見ることで「自分の方がマシ」だと感じたい。
群衆の一部として誰かを攻撃することで、束の間の一体感と優越感を得たい。
俺には理解できない。
朝起きて「今日は誰を叩こうかな」と思いながらスマホを開く人生。
誰かの不幸を心待ちにして、炎上を期待してSNSを徘徊する日常。
自分では何も生み出さず、ただひたすら他人を引きずり下ろすことだけに情熱を注ぐ毎日。
叩いている間は気持ちいいかもしれない。「やってやった!」という達成感があるかもしれない。でも、それで何が残る?何が生まれる?
何もない。ただ、また次に叩く対象を探すだけだ。
承認欲求は確かに恥ずかしい。「認められたい」と思っている自分を認めるのは辛い。
でも、承認欲求があるから人は何かを作り、何かを発信し、何かを生み出す。承認欲求があるから社会は発展する。
一方で、破壊欲求は何も生まない。ただ既存のものを壊し、既存の人を傷つけるだけだ。
お前らに言いたいことがある
もし今、この文章を読んでいるお前が「叩く中毒」になっているなら、一度立ち止まって考えてみてほしい。
誰かを叩く代わりに、何かを作ってみることはできないか?
他人の失敗を探す代わりに、自分の成長に投資することはできないか?
叩くのは簡単だ。でも、それで満たされるのは一瞬だけ。そしてまた空虚感が戻ってくる。
承認欲求を隠さず、何かを作ってみろ。下手でもいい。つまらなくてもいい。叩かれてもいい。
俺はそう思う。
欠かさず見てる番組だけ。見たり見なかったりは省いた。気付いたらNHKの番組が増えてた。
・100分de名著(ETV):アニメーションを交えながら分かりやすくやってくれる反面、これを見て読んだ気にならず、自分の考えは持っておかなければいけない。プロデューサーの思惑がサイトリニューアルで見れなくなったのがクソ。
・ヴィランの言い分(ETV):知らない事が多くてタメになる。水曜19時半からの再放送で見てるが、本放送は土曜の朝でティーン向けにしてもちょっと時間間違えてる気がする。
・アナザーストーリーズ(BS1):最近だとモナリザの回が面白かった。出来れば21時からにしてほしい。
・水曜日のダウンタウン(TBS):面白い回は飛び抜けて面白い。でも、つまらない回はマジでつまらん。企画の時点でダメな物は演者が頑張っても限界がある。結局企画が全て。
・X年後の関係者たち(BS-TBS):MCのカズレーザーに合わせてるのか、スタッフの趣味なのか分からないけどサブカル回が異様に多い。タツノコプロの後にクリィミーマミはコア過ぎる。
・あの本、読みました?(BS-TX):新たな一冊を手に取りたくなる番組となっているが、基本的な内容は作者を呼び、その本を読んだ上で話していくから本当のターゲットはかなり狭いんじゃないかな。
・カンブリア宮殿(TX):やってる内容は単なるサクセスストーリーだから面白いっちゃ面白いけどだからなんだと言われたら特に無い。まあ、上手く行ってる時は何を言っても持ち上げられるもん。
・ガイアの夜明け(TX):現状の課題や社会問題を取り上げたり視聴者に訴えかける内容が多くカンブリア宮殿より断然有意義。
・ドラえもん(EX):優れた原作の味をしっかりアニメに落とし込んでる。今放送されてるアニメで一番面白い。映画も近年はオリジナルで勝負出来てるし地味にドラえもん黄金期が来てる。
・サザエさん(CX):一週間で一番楽しみな時間と問われればこの時間かもしれない。でも、このアニメの面白さを説明出来ない。ハイエナノリスケとサイコパス堀川が出てくると話が壊れる。
・ダーウィンが来た!(NHK):ヒゲじいのおやじギャグの合間に動物を見る謎の番組。
・日曜美術館(ETV):エロゲーで美術に興味を持ってから毎週見てる。見てるからと言って教養が身についたとかそういうのは無いけどたまーに刺さる作品に出会うことがあるから目を通してる。
・乃木坂工事中(TX):乃木坂ファンではないがバラエティ番組として楽しんでる。多分こういったアイドル系のバラエティ番組の視聴者層の中では稀なタイプ。(毎週見てるならもうファンなのでは?)
・100カメ(NHK):カメラの数と労力と尺が見合ってない。
・ねほりんぱほりん(ETV):良いのか悪いのか人形劇だと内容が中和されるから見れる。こういう番組はNHKならでは。
・はなしちゃお!(ETV):性の話題は取り上げられにくいからオープンに話すこの番組はレア。日本人は根っからのドスケベ。
・浦沢直樹の漫勉(ETV):この前の大友克洋はとても面白くて、ああいう演出技法や意図が聞ける回がもっと増えてくれると嬉しい。
・最後の講義(ETV):きちっとした人よりみうらじゅんみたいな変な人の回が面白い。
・フロンティア(BS1):この前のサイケデリック療法はインパクトがあった。考古学や地理はあまり興味がなくて合わない時が多い。
・ダークサイドミステリー(BS1):言うほどダークではない。殺人鬼と詐欺師の話は大体面白い。新作まだですか?
・フランケンシュタインの誘惑(BS1):こっちが本当のダークサイド。新作まだですか?
・ヒューマニエンス(BS1):NHKの科学番組の中では一番驚きに溢れてる。新作まだですか?
・伊集院光の偏愛博物館(BS-TBS):最近だと歴史の遍歴を辿れるアクセサリーミュージアムが面白かった。10月からの新作も楽しみ。
・漫道コバヤシ(フジONE):いくら漫画が面白くとも漫画家の喋りは別で当たり外れはある。喋りの上手さだと場慣れしてる浦沢直樹と藤田和日郎はやっぱ違った。
まず前提として結婚や子育ては本能として幸福を感じるようにできてるからやり得である。友達作りなんかもそうだろう。
で、自分の話。
自分は現在40代だが結婚どころか彼女がいたこともないし友達もいない。学生時代の友人とは社会人になってから疎遠になり全ての関係が自然消滅した。典型的なコミュニケーションが苦手な人間である。
人と何を話せばいいのか分からない。5分以上の雑談が続かないのだ。
もちろん努力して話題を仕込むことはできるだろう。でもその努力がひどく億劫に感じてしまう。端的に言って他人にあまり興味がなく非常に怠惰なのだ。
ただ2〜3分の当たり障りのない会話はできるので会社で特に困ってはいない。
むしろ話すこと自体は好きかもしれない。明確な話題さえあればいくらでも喋れる。
仕事の話なら無限にできる。仕事というものは解決すべき課題の宝庫で、それについて話しているだけで時間が過ぎる。今抱えているタスクだけでもチケットになっているものが直近のリリースだけで10個以上、期限未定や解決方法が不明なものまで含めればおそらく100個は超える。これらについて議論するだけで数百時間は余裕で潰せるだろう。こういう話をするのは正直かなり好きだ。
でもこれらについて誰かと話したいとは全く思わない。恥ずかしいとかではなく単純に語りたいことが何もないのだ。感想を誰かに伝えたいとかSNSに書きたいという欲求もない。
これは多分仕事ほど趣味に真剣に取り組んでいないからだろう。自分ごととして解決すべき課題ではないからかもしれない。
人には得手不得手がある。多くの人が当たり前に手に入れられるものを自分は手にすることができない。それはもう仕方がないことなのだと納得できるようになった。聞こえはいいが要するに諦めたのだ。
例えば自分にとって結婚や恋人作りは途方もない努力を必要とする。でも友達作りなんてその気になれば1日もかからずできるだろう。それすらやらないのだから自分はもうそういう特性なのだと受け入れるしかない。
ただ、大きな幸せは手に入らなくても日常の小さな幸せは感じられている。
天気のいい昼下がりに仕事を抜け出して(フルリモートだから可能なのだ)、ランチのピークが過ぎたフードコートへ散歩がてら向かうとき。
土砂降りの雨音をBGMに部屋で没入感の高い新作RPGをプレイしているとき。
こういう瞬間に幸せだなあと思う。
もう働かなくてもいいだけの資産があるというのも精神的な余裕に繋がっているのかもしれない。全くお金を使わないので貯まる一方だ。仕事は好きだから辞める気はないけれど。
趣味に飽きたらどうするんだという問題もあまり心配していない。
これまで飽きては戻るというのを5、6回は繰り返してきたからだ。ゲームに飽きたらアニメや漫画へ、それに飽きたらまたゲームへというサイクルが多い。だから特定の数年間流行ったアニメを全く知らないなんてこともある。少し前は全部に飽きてひたすらVtuberを観ていた時期もあった。
自分の好きな言葉に幸せはどこにあるのか?という問いへの「幸せは頭の中にしか存在しない」という答えがある。
どういう文脈の言葉だったかは忘れてしまったが幸せとは他人との比較ではなく自分自身の感じ方次第なのだと解釈している。
もちろん将来は分からない。でもそれは誰だって同じだろう。不安のない人間なんていない。自分は不安を減らすために「将来のためにやりたくないことも頑張って努力する」ということが絶対にできない人間なのでこれはある程度受け入れるしかない。
ただ「他人と比較しない」というのは言うは易く行うは非常に難しい。
自分がそれを辛うじて実践できているのは単純に比較対象となる他者との接点が極端に少ないからだ。
先日どうしても断れない飲み会に7、8年ぶりに出席した。当然のように参加者は全員結婚しているか恋人がいた。話題の大半はパートナーとどう過ごしているかという話で正直かなり厳しい時間を過ごした。
参加者たちは皆いい人たちで会自体は有意義だった。しかし同時に「他人と比較しない」という信条がいかに脆いものかを痛感する機会にもなった。
今回これを書いたのは自分の感じているこの幸せが実はとても脆弱なものだということを改めて肝に銘じておきたかったからだ。気を抜けばこの心の平穏は簡単に瓦解してしまうだろう。
国勢調査は回答の仕方に細かな指図があるよな。営業じゃなくてなんの営業と書けとか。
たぶんそれ破ってるのが無効回答と扱われてるんだけど世の中そんな指図なんていちいち読まなし読んでも理解できない人も多いじゃないか。
むしろ「無効回答」の割合出してそこからどれだけ国民が馬鹿か推測するって使い方のほうがまだ有意義じゃないか?
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例えば「犯罪者を擁護するなんて、君は犯罪をしたいに違いない」みたいなやつ
総じて言えば【人身攻撃(personal attack、Ad Hominem)】になるらしい
または【モチーフ・アトリビューション・バイアス(Motive Attribution Bias)】というのも近い
概要:相手の行動や意見の動機を悪意として解釈する心理バイアス
ChatGPTは「「悪意帰属型アドホミネム(Motive Attribution Bias)」を推していた
参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Attribution_bias
【連座論法・連帯責任論法(Guiltby Association)】という
概要:集団内の一部の悪質な行為や発言を、集団全体の本質や主張そのものに結びつけて否定する論法
面白い概念として【ポイズニング・ザ・ウェル(Poisoning the Well)】もあった
概要:議論の場に先に毒を流しておき、相手集団の発言が最初から信用できないようにする
例えば「これを否定する奴は皆ロリコンだ(だから否定するなよ)」みたいに
【ストローマン論法(Strawman Argument)】 も有名だね、別名は藁人形論法
概要:集団のうち「最も過激で悪意のある意見」を意図的に取り上げ、それを集団全体の主張であるかのように歪めて批判する
まあ、こういう事言う人間・議論の場からは離れたほうが良い、単に傷つくだけだから
不思議なもので、誤謬や詭弁を使わないけど主張が異なる人とは有意義な議論ができるんだけど
誤謬や詭弁を使う相手とは、意見が同じだろうがまともな議論ができないんだよね
もし建設的な議論が成り立つ人が居たら意見が合わなくても大事にするべきだ
参考
詭弁 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81
誤謬 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC
今ってAIという素晴らしいものがあるんだから、「自分の意見は詭弁か?相手の意見は詭弁か?」って聞けばすぐ返ってくるよ
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伸びてたブコメ
PrivateIntMain議論しましょうねで納得して始めた話なら非難されて然るべきだが、公園で勝手に叫び出して横から叫び返されて議論のルールとか持ち出すのは、そもそも勝手に議論始めた気になってんじゃねぇよとしか。
↓
この文章には、いくつかの議論上の詭弁・誤謬的要素が含まれています。特に次の2点が挙げられます。
・ここでは相手の状況を、実際よりも極端に単純化して**「公園で勝手に叫ぶ」**という比喩に置き換えています。
・これにより、本来の「議論のルールを持ち出す状況」を矮小化し、相手の主張を弱めて攻撃しやすくしています。
本来は「相手が議論を求めたのかどうか」「議論の前提合意があったか」という複雑な問題があるのに、
「ただ勝手に叫んでいるだけ」という極端な形に置き換えているためです。
2. 偽りの二分法(False Dichotomy)
A. 「議論しましょうね」と合意して始めたならルールを持ち出すのはOK
実際にはその中間として、
しかしこの文章はAかBかという単純化で話を進めているため、偽りの二分法にあたります。
「公園で勝手に叫び出す」という比喩自体が感情的な印象を与え、相手をバカにするニュアンスを強く含みます。
これは論理的誤謬というよりもレトリカル・トリックですが、議論ではしばしば「人格攻撃的訴え(Ad Hominem)」の一種とみなされます。
僕にはとてもできない
さて今私は何を使っているでしょうか?
Permalink |記事への反応(13) | 11:25