
はてなキーワード:有償とは
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
従業員500名超の弊社
・経理課の書類を全部回させてチェック→稟議通ってたものを勝手に突き返す
・社員どころかバイト、パートに至るまで、有給取得理由を上司経由で電話で確認→理由(家族旅行)によっては取り消し
・複合プリンター等、各種機器の保守点検サービスカット→不具合出ても有償なので修理が許可されない
・PCのリース一部カット→同じPCを部署内4人で1台使用(なおメアド共有)
・ある日突然謎のノルマとその進捗状況報告会が発生
・部署ごとの福利厚生費をフクリーに→フクリー使えない人が多数発生
・盆暮れや正月、一部の祝日に有給を勝手に使用→連続休暇にみせかけて実質有給削減
・定年前に無理な難癖つけて(60間際の人に「老けすぎてて外見を磨く努力が足りない、とか))降格させて退職金を節約
などの改革()を次々と実行し
ここ何年かで急速に離職増加→営業が足らない→仕事取れても人員確保出来ない
→取れる筈の仕事もキャパオーバーで取れなくなる→で、業績悪化の一途を辿っている
その人達は地方の僻地に飛ばされたり、二階級特進ならぬ二階級降格とかさせられていたので、今ではもう誰も止められない
誰にも止められないので、超絶ヤバいなって実感してる
前社長は既に引退済でホクホクだし、現社長は前社長の長女の娘婿なので
アホは世話になった義父のご自慢()のエリート()な義妹であり、今社長ですら気を使っているのが分かり、多分現社長ですら逆らえない
増田はいろいろとこだわり過ぎて夫婦仲に影響があるのかもしれないけれど
同じではないのでは?と思いました。
日本は夫の有償労働が長時間にわたる傾向にあります。(韓国もそうだが日本より少しマシ)
企業が働かせすぎかなと。
致すどころではないとか
致すと翌日のパフォーマンスに響いたりし避けたくなるのでは。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-31.html
妻の方が長くなっています。
女性の方が体力はないので、これもレスの原因になりやすいのでは。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-30.html
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r05/zentai/html/zuhyo/zuhyoc01-05.html
文科省の発表で「発達障害の小学生は10人に1人」と以前公表されていたように
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0891U0Y2A201C2000000/
(日本経済新聞より)
最近注目されており
https://www.nhk.or.jp/shutoken/articles/101/013/68/
(NHKニュース)
元増田の奥さんの場合、育てにくさが見られるので(例えば食事や睡眠の面について記載がありました)
必ずしもこだわり過ぎているわけではないのでは?
と思います。
発達障害まではいかないが一部行動に特性が見られているという可能性もあるのでは
Xではズレたことばかり言うメガネ犬と指摘され続けてきた@Simon_Sinさんと
b:id:hate_flag さんが異常に同じことばかり言ってる件
https://posfie.com/@unnojuza/p/e6g1Nrz
この人はずっと飲食畑で働いてきたから「着替えは労働時間に含まれる」っていう常識を知る機会がなかったのかな?タイミー側が利用者に対してその常識を教える必要があるのでは。
投稿 16:41
この人はずっと飲食畑で働いてきたから「着替えは労働時間に含まれる」っていう常識を知る機会がなかったのかな?タイミー側が利用者に対してその常識を教える必要があるのでは。
投稿 16:46
一言一句同じ内容を同時間に投稿するなんて、@Simon_Sinが高速でパクツイしてるのかもしれないなあ。
と思ってちょっと調べてみると、postfileでSimon_Sinが投稿してる内容とブコメを見るとビックリする位に同じこと言ってる。
https://posfie.com/@blackstaragent/p/57ep9vx
そもそもAIは省力化の道具に過ぎないので「AIを普及させる」ってスタンスがそもそもおかしいんよ。AIを使うことを目的化してるコンサルは現場から反発受けるのが当然じゃん
AIは省力化のいち手段でしかないのに「AI普及」が目的の時点でおかしいのよ。AIを導入させたら儲かる、現場の分かってないコンサルが「それAIでやる意味あるの?」「AIじゃ省力化にならないんじゃない?」と現場から反発されてるだけなのでは
https://posfie.com/@blackstaragent/p/eIBufDP
第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、文字数の敗退であった。私たちの文字数が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花にすぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。(角川源義)
第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、文字数の敗退であった。私たちの文字数が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花にすぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。(角川源義)
いやいや流石に3回目は…もう同一人物じゃん。
ちなみにSimon_Sinのコメント かつ 100ブクマの記事4つか5つ見ただけなので同一コメは無限に見つかりそう。
@Simon_Sinさんといえばオタク批判をさんざんしときながら
おねショタエロを有償リクエストをしていたことが一部で有名で性倒錯へのダブスタが指摘されていたが
そんな倒錯的エロが好きなおっさんがはてなでid変えてチン騎士しぐさしてたなんて…
https://x.com/kuroya_blue/status/1841484722201108750
id:hate_flag そ う だ よ (ちなみにオネショタリクはアンチのしわざな)id:lsor 俺はPixivでも別IDで活動してるのよ。アンチがSimon名義でアカを作ってリクを投げた
ご本人確認はとれたけどリクエストはデマらしいので打ち消しておきますね。
Permalink |記事への反応(11) | 17:48
その上で色々な規制がある!
日本の刑法175条に「わいせつ物頒布等罪」ってのがあるの知ってるか!?
第1項
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
第2項
こんな罪なくせよ!バカ!わいせつな物を楽しむのは基本的人権に等しいだろ!アップデートしろ!
これは1928年にイギリスで出版されたチャタレイ夫人の恋人って小説を翻訳したら、これわいせつだろって捕まった時の最高裁判断で、今もこの基準が使われてるらしい!
めちゃくちゃ抽象的だよな!普通人の性的羞恥心って?善良な性的同義観念って?
そう、こんなのは時代と共に移り変わる!今は普通にチャタレイ夫人の恋人は出版されてるぞ!
だからモザイクをかけてるAVはセーフ!白抜きや黒海苔かけてるエロ漫画もセーフ!
模型も対象っぽい!オナホならTENGAはセーフっぽいけど名器の品格はこの基準ではかなりヤバい気がする!
ジョークグッズという文言だけで一点突破してるのか!?ストロングスタイル!
OK!刑法はクリアできることは分かった!じゃあなんの心配もなく売れるね!
これは多岐に渡る法律なのだけど、その中にエロ本子どもに売んなやって条文がある!
「子どもがエッチな本読むのは良くないと思います」ってことだと思う!一理ある!
(でも現代ってインターネットあるからな〜〜〜〜〜!本だけ規制してもな〜〜〜〜〜!意味あるそれ〜〜〜〜?という気持ちはある!)
この辺がいわゆる有害図書で、東京だと8条指定図書とか呼ばれる!
「うむうむ、エロ漫画くんは弁えてゾーニングしておるな、感心感心…業界の自制が大事じゃ……
むむっ!こやつ!レーティングなくエッチなの売っている!し、しかも性的行為のページ数が多い!有害指定じゃ!!!」…ってコト!
なんかページ数とかコマ数とか色々細かい基準もあるらしい!すげー変な規制!
とにかく出版社は一般向けの方が絶対的に売れるから、規制を避けつつ一般誌で売りたい欲が多分ある!
多分それは男性向けに特化するならR-18を避けられないから!ガンガン性行為のページ入れるから!じゃあ最初からR-18だよね!
性行為のページ数が少ない!だから一般で売ることができる!そこが主流になる!のだと思う!
男性向けでもノクターンノベルズのコミカライズなんかは、ストーリー多いからか一般向けで売れてるよね!ゾンビの溢れた世界で俺だけが襲われないとかもそうじゃない?王国への道とかもそうだよね!きっと!
でもでも、有害図書かどうかの基準って結局胸先三寸な訳!調子乗ってたらお前ら全部有害です!って言われちゃう!その可能性ゼロじゃない!
でも件のnoteのような状況、BL界隈目に余る!政府は最近お前を監視!
やめろめろめろイタチめろ!
有償撮影会とか開かずとも簡単に目に触れる場ってことで宣伝?布教?的な形でコミケのコスプレ広場使われてるなーって印象だな。
シンプルに状況だけ見ると、「女性のスカートの中を意図的に撮影される」という、字面だけ見たら犯罪行為待ったなしなわけだが、
これが、コミケのコスプレ広場における女性コスプレイヤーに対する行為となるといくつもの視点からの意見が跋扈しており、阿保ホイホイにしかならない状況になる。
ただ極端にそれぞれの視点に寄ってしまえば考えとしては解釈できないわけでもないが、果たしてそれらが納得すべき事象なのかを発言者は考えてほしい。
私はコスプレイヤーとして活動をしていたこともあり、現場の空気や時代の流れ、コスプレイヤー側の思考はもちろん、カメコ側の思考も少しは理解したうえでお気持ちを書き出してみようと思う。
ただ、最初に言った通り、行為自体は誰がどう考えても気色悪く間違いなくお縄いただく行為なのは間違いではないことは棚上げしないようにしていただきたい。
コスプレ行為はあくまで表現の一つである、作品が好きでそれを絵や文などで二次創作して楽しむのと同じように、
自らその様相をすることでキャラクターを表現していることを楽しんでいるのがコスプレイヤーだ。
コスプレをする理由は様々なので統一した視点で話をまとめることは不可能だ。
同じ共通なものを好きな友人を見つけたい、自分がキャラクターになりきることで作品として表現したい、その作品を応援・普及したいなど、
中にはその人の癖に通じる部分もあるかもしれない、エロいキャラが好き、露出がしたい、人に見られたいなど様々。
だが残念ながら表現したものを人の目に触れさせるならば、「自分の意図が必ず人に伝わることはない」のである。
女性特有の表現がされているキャラクター(極端に言えば胸の谷間がある、肌の露出が多いなどセクシーな要素があるもの)に関して、
表現方法よりもその要素に目が行きがちなところはあり、そこから得る感想はシンプルなとこに着地されるのは容易に想像がつく。
要は、かわいい、きれい、素敵のようなポジティブなところだけでなく、エロネタとして消費受け入れされることもあるぞ?ということ。
そういう意図で活動していないというのであれば、SNSや公の場に行かず、個人でスタジオで撮影したものを自分だけで鑑賞するにとどめておけば心は痛まないぞ。
公の場に出る以上、どのようなことが起こっても覚悟を持つ必要はあるんじゃないかな。
でも犯罪行為に巻き込まれるのはお前のせいっていうのではなく、それに対する自衛なり対処なりを考えて行動しとけよってことね。
コスプレイヤーにもルールがあり、直接肌の露出をしないように肌色タイツをしたりスカートの下にインナーショーツなりスパッツなり履くなりはしてるだろうけど、
それを天元突破して自分のエロに落とし込もうとする猛者もいるという心構えはしたほうがいい。
コミケスタッフが対処してくれなかった等あるが、彼らはあくまでコミケのスタッフであり、コスプレイヤーを直接守るスタッフでないのだ。
コスプレ広場に行けば囲みを作れるレベルで人を寄せ付けるほどの人気を所持してるのであれば、自らコスプレ活動をサポートするスタッフでも同行させればよいのではないか。
はっきり言って一人で数十人のカメコをさばくのは無理がある。
コスプレ会場にコスしにいくだけでスタッフを引き連れるレイヤーなんて聞いたことはないが、壁サークルみたいな位置づけだと思ってもいいんじゃないか。
その辺の個人Vtuberが金払って自分の動画編集をしてもらうスタッフや配信時のモデレーターをお願いしてるようなもんよ、自営自衛。
そうしておけば少なくともそういうレイヤー達はのびのびコスプレ活動できるようになるんじゃないかな??知らんけど。
コスプレイヤーにもルールがある通りカメコ側にもルールが存在している。
有償による撮影章の発行をしてもらえば何でもいいわけではない。
「撮影する際に被写体となる個人が識別できる場合、必ずその方 に許可を得てから撮影してください。」
「被写体となる個人の許可無き撮影や周囲の方々に撮影し ていることがわからない形での撮影、盗撮は禁止します。」
基本中の基本である。
撮影する許可というのはお写真でいいですか?と声かけたら普通は一般常識の範囲内のポーズによる撮影である。
ローアングルで想定してない方向からの撮影までしていいわけでない。
そもそもされたときに、レイヤー側から「ローアングルはやめて」と言われた時点で許可がおりていないのに聞く耳持たないのはもはやサル以下である。
コミケだからいい?コスプレイヤーで女性でスカートはいてたり露出してたら撮られたいと思ってる?撮ってもOK?
そのレイヤーから許可もらった?スカート入ってたり、エロを波及するようなキャラクターだとエロい行為してもいいと?
作品として残すにしても相手と認識合わせたうえで作成するなら別だが、であればモデル代でも支払って個撮でもしてこい。
確かに昨今のコスプレ界隈は金と時間が膨大にかけられアウトプットされているものがよく目に触れる。
衣装、化粧、造形、撮影環境、機材、その後の加工など、この世に存在しないものをいかに顕現させるかというプロの所業レベルなものばかりだ。
一定のクオリティに満たないものは叩き割られ、一定以上のクオリティのものは妬み嫉みなどからの中傷にもさらされる。
内容をすべて理解せず表層だけで発言するのはいいけど、それで死人が出たら裁かれる世の中ってのは認識したほうがいい。
極端な話、その女性レイヤーが悪癖だらけで、露出してエロいことするのが生きがいみたいなのであれば存分に消費してあげればいいが、
少なくともそんな輩にはお目にかかったことがない、絶対にいないとは言えないだろうが、であればそういう人をぜひ探してほしい。
エロを商業にしてるのはたくさんいるが、じゃあ中の人はそれはビジネスエロなのかどうかぐらいは判断するCPUとメモリを脳内にとどめるべきである。
ここまで書くと「どっちもどっち」と言ってしまえば身も蓋もない話かもしれないが、
余計なノイズだけ取り払えば「他人にされた行為で不快な思いをした」ということである。
養護してあげたいなら優しい言葉でもかけておけばいいとは思う、発信元はそれを一番望んでいるから下心など一切持たず優しくしてあげたらいい。
何言ってんだこいつ?ってイラっとしたなら批判などせず、自分の好きな飯屋にでも行っておいしいもの食べたほうが健康的である(自分が誹謗中傷されたわけじゃないんだから)
私個人としては、ある程度人気を持ったものならばそれなりの対策をしたり、
やっぱカメコのローアングル行為はただただ相変わらずキモいし意味わかんねーな、
でも仕事や学校でいやなことでもあったんかな?発散方法がローアングル撮影しかなくてかわいそうに、成仏する術がわからなくなってるんだな。。って着地したことだけ添えておきます。
だいたいこういう件ってわかりやすく変更前と変更後の画像の突合したやつ出てくるのに
全く出てこないから何がどう変わったらこんな大混乱になるねんと思ってたんだよね。
んで、Wayback Machineで見比べたら「手続き必要・有償」の中に
の一文が追加されてた。
これまでは個人事業主開業届を出してるか出してないかが有償になるかどうかの境目だったのが、
今後は、収益が発生している、収益化の条件を満たしていると判断される場合は
なんか名前も聞いたことない木っ端Vtuberばっかり騒いでるなと思ってたけどさもありなん。
あとなんかよくわからん奴が「個人事業主になれば経費で落ちるから大丈夫」とか言ってたけど
個人事業主の経費って金はしっかり払った上でその分ちょっと税金が安くなるだけだから、これまで払ってなかったもんが1曲1000円取られたら何一つ大丈夫じゃないだろ。めちゃくちゃ言うな!
【注意事項】
※無駄にクソ長い
※あくまで完全個人的意見であることのご留意をお願い致します。
※個人的な考え方をぐだぐだと捏ねているだけです。多分整合性とか納得感はない。
※個人的な考え方をダラダラ書き綴っている形に近いので無駄に長い。
※どちらがいいとかどちらが悪いとかそう言う議論もしていません。
昨今話題の絵描きと生成AI使いの対立問題について。なぜこのような対立が起こるのかという原因について好き勝手に色々と考えた内容です。
まず初めに、区別をつけやすくするために、イラスト系の生成AIを用いずにイラストを描いている者を“絵描き”、イラスト系の生成AIを用いてイラストを出力している者を“生成AI使い”と評させていただきます。不快にさせたらすまん。
主題は“絵描きが資料を見て描くことが、なぜ生成AIを用いてイラストを出力することと同義ある”とされるのか。また、そのことに対し、絵描きと生成AI使いで意見が異なるのはなぜか。
個人的に至った結論は、『“素材”という言葉の解釈に差があるから』です。
それでは、この結論に至った経緯を順を追って説明したいと思います。
【全体の構成】
4.オリジナリティとは
5.まとめ
早速、結論の根幹に触れる形ですが、絵描きと生成AI使いのそれぞれの“素材”という単語への認識は次のとおりだと考察しています。
絵描きにとっての素材とは、最終的な完成作品にほぼそのまま用いられるものであり、画材やトーン、配布されている3D、図柄パターン、レースや鎖を簡単に描けるカスタムペン等がこれに当たると思っています。(もちろん他にもありますがきりがないので割愛)。
ここで重要なのが、“最終の完成品にほぼそのまま用いられるもの”という概念と、これらの素材は無償、有償に関わらず素材の“製作者の意思により配布・販売されているもの”であるということ。
つまり、絵描きは素材を用いたときにはその素材は自分のものではなく第三者のものであり、作品を完成させる過程に於いて“他人のものを使っている”という認識を持っている。
なので、必要があれば出典元や素材元を明記するし、ましてや“自分が作った”なんてことは言わない。
一方の生成AI使いにとっての“素材”とは“生成AIを作る過程にて用いられた大量のイラストデータ”であり、それらはあくまでデータでしかなく、そのデータ群は絵描きにとっての素材、資料、経験と同義であるという考え方だと思っています。
この時点ですでに相容れない認識の違いが生じていると考えています。
正しくは、“素材への取り扱い方”の差というべきでしょうか。
絵描きとって、素材は基本的には自分が作っていない(中には自作されている方もいらっしゃいますが)第三者のものであり、“無償・有償に関わらず製作者の許可なく使用してよいものではなく、必要に応じて出典を明記するもの”である。
それ対し生成AI使いにとっては、生成AIを作り出す過程で使われた大量のデータであり、このデータとは絵描きにおける経験と同義のため、たとえ“第三者が作成したものが許諾なく使用されていたとしても問題はない”。
なぜならば、絵描きとっての生成AI使いのイラストは、許諾のない第三者のイラストの切り貼りでしかなく、許諾のない他人の作品を切り貼りして自作のオリジナル作品だと公表することはタブー中のタブーであると考えているからです。その作品が生成AIイラストや百歩譲って基となったイラストの絵描きのコラージュ作品であると明記しているならばまだしも、そういったことを明記せず、ましてやオリジナルを名乗っているなど許せない。他人の褌で相撲を取ってるくせに、絵柄という他人のオリジナリティを勝手に使ってるくせに、となるわけです。
しかし生成AI使いにとっては、素材とは蓄積されたデータは絵描きとっての素材であると同時に知識や経験であり、絵描きが絵を描くことは蓄積データ、つまりこれまで見てきたイラストの組み合わせであって、やっていることは生成AIを使ってイラストを出力しているのと変わらない、というわけです。やっていることは変わらないのになんで生成AI使いだけ批判されなきゃいけないのか。ダブスタも甚だしい、という考え方です。
“素材”に製作者の許諾があるのかないのか。
これらの考え方のズレが基となり、両者の解釈や認識のズレがさらに拡大し、対立が激化するのだと考えました。
さて、ここから下の項目や書いてある内容については、ぶっちゃけ蛇足ぎみだし、わかりにくいし、ぐだぐだと同じようなことを言葉を変えて考えてるだけです。
多分矛盾とかもあるので、それでもよければ、お先へどうぞ。
項目1にて生じた“素材”という単語への解釈の違い。前項の最後に記した通り、“素材”の解釈違いは、さらに“経験”という単語への認識の違いが生んでいると考えてます。そしてこの認識の違いが分かりやすい形で表面化したのが、『絵描きが参考資料を見て描くことは、生成AIでイラストを出力するのと同じである』という言葉だと思っています。
前項に倣って、各自の“経験”という単語への解釈は次のようになっていると考えています。
絵描き:これまで見聞きしたり、調べたりして蓄えた知識や技術の積み重ね。素材≠経験
生成AI使い:経験には二通りの解釈があり、ひとつ目が生成AIに蓄積された大量のデータで、ふたつ目が生成AIに指示を出す時のプロンプトの知識。前者が素材=経験であり、後者は素材≠経験という考え方。
絵描きにとっては“素材≠経験”なのに対し、生成AI使いにとっては“素材=経験であり素材≠経験”です。なぜこのような差が生じるのかは、前項1のとおり、絵描きは経験と素材が完全に独立しているのに対し、生成AI使いには完全には独立していない領域があるためだと考えます。
生成AI使い側に“素材=経験”の考え方があることによって、絵描きにとっては“経験”だけに含まれる『参考資料を用いてイラストを描く』という行為が、生成AI使いにとっては素材と経験の複合体である『大量のデータを用いてイラストを出力すること』と同義であるという認識になるではないでしょうか。
分かりやすく示すなら以下のようになるでしょうか。
生成AI使い:素材=経験=参考資料を見て描く、素材≠経験=参考資料を見て描く=プロンプトの工夫
素材が経験と同義か否かで、決定的な違いが現れたのではないでしょうか。
いえ、それよりかは素材と経験が完全に分かれているかいないかによって違いが生じているというべきかもしれません。同時には成り立たないと思っていることが、一方ではその通り成り立たず、しかし他方では成り立ってしまう。この差がより対立を生み、問題をややこしくしているように感じました。
素材や経験といった単語の解釈の差を起点に、さらにそれに付随する考え方の解釈がどんどん乖離していっている。そんな考えについてです。
ここは、言葉で説明するのが難しく、さらにややこしいので、さっさと箇条書き形式でまとめを書きます。
・素材=完成作品にほとんどそのままの形で使用するものであり、基本的に第三者の著作物であることが多く、作者の許諾や場合よっては出典の明記が活用になる。
・経験とは創作者本人がこれまでにイラストを描くことによって蓄積してきた知識や技術であり、参考資料を用いて描くことは経験の蓄積に値する。
・作品ごとにその作者特有の癖や特徴があり、それは各人それぞれのオリジナリティである。(イラストを見て製作者がわかる)
・絵を描く行為は、これまでの経験の発露であり、たとえ同じ知識や経験を持っていたり、同一の資料を参考にしたとしても同じ作品は生まれないため、作品には作者のオリジナリティがある。
・生成AI使いに於ける素材とは、“生成AIをつくる過程で用いられた大量の第三者のイラストデータ”であり、そのほとんどが“製作者の許諾なく使用されたもの”である。
・自分で描くという行為をしないため、“イラストを描くことへの知識や技術の蓄積”は存在せず、よって経験はない。
・素材に他人のものしか使っていないため、基となったイラストの特徴はあれど、イラストを出力した出力者のオリジナリティはない。(イラストを見て学習データ基はわかるが、イラストを出力した者がわからない)
・出力されたイラストは蓄積されたデータ元のイラスト製作者のイラストの切り貼りであり、それは出力者のオリジナリル作品とは呼べない。
・素材=生成AIを作り出す過程で用いられた大量のイラストデータである。
・経験とは生成AI内に蓄えられた大量のイラストデータ、もしくは、生成AIに指示したプロンプトとそれに対する出力結果の蓄積である。
・適切なプロンプトを用いて想像通りをイラストを出力する行為は、これまでに用いたプロンプトとそれに対する出力結果の蓄積であり、この経験により出力されるイラストにはオリジナリティが存在する。
・絵描きに於ける素材もまた、生成AI内の蓄積データと同様に世の中に溢れる大量のイラストや他人が作った作品、写真等である。
・絵描きがイラストを描くことは、世の中に溢れるイラストの特定の部分を抜き出し組み合わせる行為であり、参考資料を見ながら描くこともそこに含まれる。
・絵描きがイラストを描く行為は、生成AIに的確なプロンプトで指示を出してイラストを出力することと同じである。
・絵描きのオリジナリティは既存のイラストの組み合わせの違いから生じるものであり、どんなプロンプトを書きなにを組み合わせるて出力させるかという部分がオリジナリティである。
一応、各行ごと対比させることを意識して描いてみたけれど、やはりわかりにくいかもしれない……。
もっとまとめるとこんな感じでしょうか。
絵描きの自認
素材は素材、資料は資料、経験は描く過程で習得したこれまでの知識や技術の蓄積。全てが別々の概念であり、資料を見ながら描く行為は経験に値する。これまでの経験によって製作者ごとに絵柄や色選びなどにオリジナリティが生じ、それらは決して過去作品の切り貼りでは生み出されない変化である。
素材はビッグデータであり、生成AIに指示を出すプロンプトについての経験を“イラストを描くという経験”とは認識しない。AIイラストはあくまで他人のイラストデータの切り貼りでしかなく、出力された生成AIイラストにあるのは学習データもととなった製作者のオリジナリティで、生成AIを使っている生成AI使いのオリジナリティはない。
生成AI使いの自認
素材、資料、経験の一部の三つとも生成AIに蓄積されたデータを指す。その一方で、資料には他の人が書いたプロンプト等の概念や、経験にはイラストを出力する過程て考えたプロンプトといった内容も含まれる。AIイラストを出力するためのプロンプトにおいてオリジナリティが生じる。
素材や資料はすでにあるイラストであることに変わりなく、それらは生成AI内に蓄えられた大量のイラストデータとなんら変わりない。イラストを描く工程は指示を出すプロンプトを考える時間と同じであり、完成する作品も過去に蓄積したイラスト知識の切り貼りである。オリジナリティについても同様に過去に参考にした絵描きの真似をしているだけで生成AIの絵柄の模倣と同一である。
まとまっているような、いないような。
個人的には結構しっくりきているのですが、果たしてこれが読み手であるみなさまにどれほど伝えられているのかはわかりかねる次第です。
さて、ここでさらに出てきたのは“オリジナリティ”の概念です。
そして、この“オリジナリティ”の概念もまた、よく争点となる部分であり、前述にもある通り解釈が分かれるものだと思います。
4、オリジナリティとは以降はコチラ【anond:20250805043013】の記事へ
「表現の自由」と「人権保護(=肖像権の保護)」、さらに「財産権」が含まれる。
次に刑法というのがある。
ここに「わいせつ物頒布等罪」というのが含まれている(175条)。
詳しくいうと「わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を「頒布・公然と陳列・有償で頒布する目的で所持また保管」した場合に成立する犯罪」
さらに刑法に絡まない個別立法で「性的姿態等撮影罪」、「児童ポルノ法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律)」、著作権法、青少年保護育成条例がある。
ここで問題なのは「猥褻」の定義が時代遅れになっていて形骸化しているのに、そのまま175条を手広く適用しようとしている警察と司法。
個別立法の解釈まではなかなか手が回らないので警察は刑法だけ覚えて帰ってしまう。
著作権法も今のところ親告罪部分という大きな穴が残っているが、わいせつ物ほどではなく文化庁がけっこう手当してくれてるからね。
猥褻っていうのは、もともとエロという意味だけではなく、ゴチャゴチャして下品なものも含まれた。
今もR18画像にはR18Gってのがあるけど、要するにまともな神経なら見るに耐えないものが猥褻。
で、もじゃもじゃ陰毛の絡みついたお万個とかチンコとかはやっぱりメシ食ったり電車に乗る、日常生活では見るに堪えないわけよ。
人体の一部に対して、いっちゃわるいけど、匂い立つようなチンコとかトイレットペーパーカスのついた万個とか、きったねえな~今は見たくねえわ~ってなるわけ。
そんでも販売目的所持じゃなきゃまあいいよとか、公表しなきゃいいよとか、刑法にしろお目こぼしはちゃんとあるわけよ。
じゃなきゃ医者による解剖解説もできない。そんで社会生活が成り立たなくなる部分もあるからね。
そこにネット+スマホという「情報のどこでもドア」ができちゃったのでこまってるわけ。
流出しちゃう(させちゃう)人間が問題なのか、それができるスマホ+ネットが悪いのか。
こりゃもう、人間が悪いんですわ。包丁とおなじこと。いくら有効なものでも持ち歩くな、ちらつかせるな。
これも盗んだ包丁とおなじ。対価を払わずに盗まれた人、さらにそれを悪用された人はそりゃ怒るわ。
表現規制というのは、穴の開きまくった情報に一生懸命パッチを当てる社会の自浄作用だよ。
反応せずにはいられない。俺もDELLで似たような目にあったことがある。
俺の場合は職場で、同型のノートPCを10台ほど買った。Vostro 3510という、特徴のないいたって普通のノートPC。
だが購入から数週間で、使用者から故障したという連絡があった。
簡単に言うと、ディスプレイの開閉にヒンジ部を覆うプラスチックが耐え切れずに、破損してしまう。
そして何がひどいって、その後2年ほどかけて、この時買った10数台の同型PCはすべて同じ部分が破損して使えなくなった。
ただしサポートは、製品に不具合はないから、保証期間内なら交換や修理対応できるが、保証期間を1日でも過ぎていると有償対応になる、の一点張り。
ちなみに保証期間内だったから修理してもらった端末も、数か月~1年程度ですべて、同じ部分が再度破損した。
増田と同じく、出張修理に来た業者は地元の下請けの作業員だったが、「まぁリコールギリギリの設計ミスですね」と。
https://apis.game.starlight-stage.jp/information/detail/7571/1/10/1
アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ運用体制変更のお知らせ
いつも「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ」を
ご利用いただきありがとうございます。
プロデューサーのみなさまへ、
今後の「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ」の
2025年10月1日より、本サービスの開発・運用体制を変更することをお知らせいたします。
コンテンツの運用について、2025年7月以降順次更新を停止させていただきます。
今後のスケジュールなど詳細につきましては以下のお知らせをご確認ください。
・PC版アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ(以下「PC版デレステ」)のサービス終了
・アイドルマスターシンデレラガールズスターライトスポット(以下「デレスポ」)のサービス終了
2025年8月21日 14:59をもちましてデレスポのサービスを終了させていただきます。
詳細につきましてはデレスポ内のお知らせをご確認お願いいたします。
それに伴い、デレスポの各機能をデレステにて利用できるアップデートを予定しております。
2025年8月21日 14:59をもちまして3Dコミュ「ラジオ体操第1・第2」の配信を終了いたします。
2025年8月21日 14:59をもちましてシンデレラシアター機能の公開を終了いたします。
2025年9月3日更新予定のガシャ及びイベントをもって、新規アイドルの登場を終了いたします。
・楽曲追加の終了
2025年9月3日更新予定のイベントをもって、新規楽曲の追加を終了いたします。
2025年9月3日更新予定のドレスショップをもって、新衣装の追加を終了いたします。
2025年8月下旬追加予定のストーリーコミュ第83話をもって更新を終了いたします。
2025年8月上旬追加予定のメモリアルコミュをもって更新を終了いたします。
2025年9月3日開催予定のイベントコミュをもって更新を終了いたします。
2025年9月上旬追加予定のエクストラコミュをもって更新を終了いたします。
②ドレスコーデ
③あにぷち
④ロケ撮
⑥登場済みアイドルへのボイス追加
2025年9月下旬ごろにこれまでイベントとして実施していた「LIVE Infinity」の仕様を一部変更し、
階層上限の撤廃、マイスタイルアイドルのアップデートなどを予定しておりますのでお楽しみにお待ち下さい。
それに伴い、イベントとして実施していた一部プレイデータの破棄を予定しております。
データの破棄についての詳細は次回のイベント「LIVE Infinity」開催時にお知らせいたします。
・その他のイベントについて
イベント「LIVECarnival」を除く各イベントは2025年9月3日開催予定のイベント以降開催終了いたします。
「LIVECarnival」につきましては後述する「今後の予定について」をご確認ください。
各イベントの仕様変更及び開催終了に伴い、プロデュース方針の調整を予定しております。
詳細は後日お知らせいたします。
<特典の追加>
※詳細は後日お知らせいたします
<特典の更新>
・毎日ログイン時に獲得できるオートLIVEチケットを5枚から10枚に増加
・LIVEおよび営業クリア時の経験値を1.5倍から2倍に増加、追加マニーの増加
・LIVEおよび営業クリア時のファン数を1.1倍から2倍に増加
・「LIVE PARTY!!」のLIVEで獲得できるスターエンブレムを1.5倍から2倍に増加
<その他>
・毎日ログイン時にスタージュエル50個プレゼント(変更無し)
・1日1回無料ガシャ(変更無し)
※更新以降に開催するイベントは「LIVECarnival」のみとなります
・購入回数特典(変更無し)
■有償アプリ専用通貨(スタージュエル)の販売内容変更および販売終了について
運用体制変更に伴い、本お知らせと同時に有償スタージュエルの販売内容を変更いたします。
既存有償スタージュエルの販売を終了し、新たに有償スタージュエル+無償スタージュエルのセット商品を追加いたしました。
※これまでご購入いただいておりました有償スタージュエルは運用体制変更後も引き続きご利用いただけます
※「毎月回数がリセットされるお得なスタージュエル」については、2025年6月30日23:59をもちまして販売を終了いたしました
■今後の予定について
2025年7月28日より10周年の感謝を込めたキャンペーンの開催を予定しております。
詳細は後日開催のお知らせをご確認ください。
2025年10月1日以降のガシャ更新は、「復刻期間限定ガシャ」
「シンデレラフェスブランおよびノワール」を毎月順次開催いたします。
※前述のとおり各ガシャにおいて新規アイドルの登場はありません
イベントは3ヶ月毎に「LIVECarnival」を開催予定です。
※前述のとおりイベントにおいて新規アイドルの登場はありません
これまでのログインボーナスに加え「1日1回無料ガシャ」を追加いたします。
変更予定日時については後日お知らせいたします。
2025年10月の月間獲得ファン数ランキングより、アイドル別ランキングを追加予定です。
2025年10月以降は毎月のプロデューサーランクSSS報酬のトロフィー、
「LIVECarnival」報酬のトロフィーのみ追加いたします。
「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ」は2025年9月3日に10周年を迎えます。
本サービスについては2025年10月1日より運用体制の変更を行う予定ですが、
プロデューサーの皆様にお楽しみいただけるよう、尽力してまいりますので
今後とも「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ」をよろしくお願いいたします。
どういうあれだこれ
保証書をつけないことは、一見すると製品の保証がなくなるため、顧客にとっては不利益のように思えますが、実は転売対策として有効な手段になり得ます。なぜなら、保証書がないと、転売ヤーが製品を再販した際に、買い手が保証サービスを受けられない、もしくは有償修理になる可能性があるため、転売ヤーの利益を圧迫し、転売需要を減少させる効果があるからです。
任天堂がSwitch2で実施している「保証書がないと保証を受けられない」という対策は、この考え方を具体的に実施した例です。Infoseekの報道によると、Switch2の保証書は、購入者本人が登録し、その情報に基づいて保証が提供されます。転売ヤーが製品を再販した場合、この情報が転売ヤーに渡ることはなく、保証を受けることはできません。そのため、転売ヤーは、製品の価格を下げて販売するか、リスクを