
はてなキーワード:最後の手段とは
リフレ派の議論は、表向きは景気を回復させるための合理的金融政策を装っている。
しかし実態は、貨幣の価値という社会の基盤を削って短期の快楽を買う、典型的な自己放尿である。
フリードマンが繰り返し言ったのは、インフレとは道徳問題でも精神論でもなく、貨幣現象だということだ。
つまり物価が上がるかどうかは、根性でも国民性でもなく、制度設計とインセンティブ構造の帰結である。
ここを理解しない政策は、どれだけ善意で飾っても経済学的にはただのノイズであり、最終的には国民の購買力を破壊し自己放尿する。
日本がこれから直面しうるのは、「需要が足りないから財政で押し上げる」という単純化された世界観が、期待形成に殴られて崩壊する自己放尿だ。
インフレは静かに始まり、ある瞬間から臨界点を超えて、貨幣需要の崩壊とともに加速する。
そしてその時、リフレ派はいつものように言うだろう。「想定外だった」と。
問題の連鎖は単純だ。にもかかわらず、政治はこれを「景気刺激策」という包装紙で包み、国民に配布する。
減税する。税収が減る。だが歳出は減らない。むしろ選挙インセンティブのもとで増える。
そして次の段階に進む。
日銀が吸収する。つまり中央銀行が国債を買い取り、政府債務を事実上マネタイズする。
国債買い入れでベースマネーが増え、銀行システムを通じて信用創造が増幅され、結果としてマネーサプライ増加が起きる。
そしてフリードマン的には、ここから先はもはや議論ではない。恒等式と確率の世界だ。
貨幣価値が下がれば、同じ商品を買うのにより多くの円が必要になる。つまり物価増加が起きる。
この連鎖は、願望で止められない。
政治家がマイクで叫んでも止まらない。新聞が「インフレは一時的」と嘘を書いて自己放尿しても止まらない。
だが深刻なインフレの本体は、需要増ではない。貨幣需要の崩壊だ。
国民が円を持ちたがらなくなる。企業が円建て長期契約を嫌がる。労働者が賃上げ要求を強める。
輸入業者が先回りして価格を上げる。資産家が外貨や実物資産に逃げる。
このとき物価は上がるのではない。円の価値が下がるだけである。
インフレ期待がインフレを生み、そのインフレがさらに期待を押し上げる。
これは合理的行動だ。誰も損したくないから、先に値上げし、先に買い、先に逃げる。
この時点で政府ができるのは、金融引き締めか、歳出削減か、信用回復のための痛みを伴う制度改革しかない。
リフレ派がよく使う詭弁に、「日本は自国通貨建て国債だから財政破綻しない」というものがある。
この言い方は、形式的には正しい。日本政府は円を発行できる。だから名目上の債務不履行(デフォルト)は避けられるかもしれない。
しかしフリードマン的に重要なのは、デフォルトの形態は一種類ではないという点だ。
政府が返済不能になったとき、紙面上は返せる。なぜなら通貨発行で返済できるからだ。
だがその瞬間、実質的には国民の購買力が毀損される。つまりインフレ税という形で、国民から徴収する。
これは「破綻していない」のではなく、破綻を「通貨価値の下落」という形で実行しただけだ。
これが金融抑圧であり、インフレ課税であり、事実上の資産没収である。
破綻しない?
最大の問題はここにある。財政と金融の境界が溶けた瞬間、中央銀行は「物価安定の番人」ではなく「政府債務の処理係」になる。
「政府は歳出を削らない。日銀が支える。だから国債は安全だ。だがその安全性は貨幣価値を犠牲にしている。」
この理解が広まると、国債の信用は保たれるかもしれない。だが円の信用は落ちる。
そして本当に恐ろしいのは、インフレが進んだ後に引き締めをやろうとすると、国債金利が上がり、利払い費が増え、財政がさらに悪化する点だ。
つまり日銀は、インフレを止めるために金利を上げると政府を殺し、政府を救うために金利を抑えると通貨を殺す。
そしてこの状況は、政策の失敗ではなく、最初から制度設計の帰結である。
ここで多くの人が短絡的に言い出す。「じゃあ増税すればいい」と。
増税は、財政を健全化するどころか、政治経済学的には逆の方向へ向かう可能性が高い。
なぜなら増税とは、「政府がもっと使える余地」を与える行為だからだ。
「税を上げれば金が取れる。なら歳出を削る必要はない。」
すると歳出は固定化され、既得権益が制度として結晶化し、公共選択論が示す通り、予算は削れない構造になる。
さらに悪いことに、増税で景気が悪化すれば税収は伸びず、結局また国債発行に戻る。つまり、
増税 → 成長率低下 → 税収鈍化 →国債発行 →日銀吸収 →インフレ圧力
結局、政府債務を増やし続ける構造が変わらない限り、増税は「健全化」ではなく「延命治療」にしかならない。
延命治療は医療では尊いこともあるが、マクロ政策では単に時間を買うだけだ。そして買った時間で政治が改革する保証はない。むしろ改革しない確率が高い。
インフレを語るとき、リフレ派は「需要ギャップ」や「潜在GDP」を持ち出す。
だがそれらは観測不能であり、推計モデル依存の幻影でもある。そこに政策の正当性を置くのは危険だ。
重要なのは、政策当局がコントロールできる変数と、できない変数を区別することだ。
政府が確実に増やせるのは支出だ。日銀が確実に増やせるのはマネタリーベースだ。だが経済成長や生産性は、命令で増えない。
だから「金融緩和すれば成長する」という発想は、因果を逆に見ている可能性がある。
成長するから貨幣需要が増え、結果としてマネー供給が吸収され、インフレが抑制されるのであって、貨幣を増やせば成長するとは限らない。
貨幣供給を増やしても、資本蓄積と技術革新と労働供給が増えなければ、ただの通貨希薄化で終わる。
リフレ政策の本質は、短期的な快感のために長期の制度を犠牲にすることだ。
しかも犠牲になるのは抽象的な制度ではない。国民の生活そのものだ。
貨幣価値の放尿、財政規律の放尿、中央銀行独立性の放尿。つまり、「貨幣、財政、制度のトリプル放尿」である。
中央銀行の独立性が壊れれば、インフレを止める最後の手段が失われる。
この三つは別々の問題ではない。相互に補強し合う。悪い意味でのシナジーを持つ。
インフレが進むと、賃金は追いつかない。追いついたとしても遅れる。結果として実質賃金は落ちる。生活水準が落ちる。格差が広がる。
インフレは税制上、資産を持つ者に有利で、現金労働者に不利だ。インフレは見えない再分配装置であり、政治が選挙で決めたわけでもない所得移転を勝手に起こす。
長期雇用、年金、保険、貯蓄、国債、家計設計。これらはすべて「通貨が安定している」という前提で成立している。通貨の信認が揺らぐと、社会の基盤が揺らぐ。
そして一度壊れた信認は、戻らない。戻すには時間と痛みがいる。これは歴史が何度も証明している。
「減税して景気を良くする」「国債を出して支える」「日銀が買えば問題ない」
この一連のストーリーは、現実の制約を無視した願望のパッケージだ。
減税 →国債発行 →日銀が吸収 →マネーサプライ増加 →貨幣価値低下 →物価増加
だが同時に、「増税すればいい」という発想も救いにはならない。
歳出が固定化し、政治が改革を回避し、借金を借金で返す構造が温存される限り、結末は変わらない。
問題は税率ではない。
問題は「支出を削れない政治」と「貨幣発行でそれを隠蔽できる制度」だ。
リフレ派がやっているのは、景気刺激ではない。
掲示板世代とSNS世代でブロックに対する考え方が違うらしい。
ブロックは自分の心理的安全や時間を守るための自然な手段と認識され、迷惑行為や不快な発言から自分を守る「自己防衛」として肯定的に捉える。
道徳的に非難されるものではなく、むしろ健全な距離の取り方として容認している。
すぐにブロックする。
掲示板文化では投稿は公開が前提で、批判や反論を受けることが当たり前とされる。
そのためブロックは「他人の意見や批判から逃げる行為」と見なされやすく、心理的に異質なものとして捉える。
年金が足りない
家族と断絶
仕事がない
誰とも話さない
👉刑務所のほうが
3食出る
暖房がある
人と話せる
役割がある
⚠️
日本では:
賃貸も断られる
地域が受け入れない
👉
結果:
数ヶ月〜1年
生活困窮
再び万引き
再収監
🔁ループ
規律重視
指示待ち生活
高齢者に起きること:
自分で選ぶ力が落ちる
「刑務所の方が楽」
👉 更生ではなく依存が起きる
④ドイツと何が違うのか
高齢者には:
全刑法犯のうち
特に多い罪:
無銭飲食
軽微な詐欺
②外国人犯罪は多いのか?
結論:誇張されている
人口比で見ると
可視性が高い(目立つ)
👉 恐怖は数ではなく印象から作られる
ここが一番大事です。
年金が足りない
家族と断絶
仕事がない
誰とも話さない
👉刑務所のほうが
3食出る
暖房がある
人と話せる
役割がある
⚠️
日本では:
賃貸も断られる
地域が受け入れない
👉
結果:
数ヶ月〜1年
生活困窮
再び万引き
再収監
🔁ループ
規律重視
指示待ち生活
高齢者に起きること:
自分で選ぶ力が落ちる
「刑務所の方が楽」
👉 更生ではなく依存が起きる
④ドイツと何が違うのか
高齢者には:
数字の裏側
国再犯率 主因
⑥重要な誤解を1つ正す
❌ 不十分
正しくは:
高齢者が多く、かつ
犯罪に流れ、戻ってくる
⑦ まとめ(本質)
再犯率が高いのは
厳しさのせいではなく、出口のなさ
刑務所が
⑧ 正直に言うと
日本は:
ルールには厳しい
逸脱には冷たい
その歪みが
7年通って大学を卒業できなかったのも、バイトができないのも、急に変なエンジンがかかって何かに夢中になるのも、金が無いのも、全部俺の病気のせいだ。
病気以外に理由を探すなら俺の怠慢ということになるが、怠慢は「できるのにやらない」から怠慢なのであり、俺の場合は「やっているけど出来ない」のだから、やはり病気のせいだ。
その上で、どうやって病気と向き合って生きていくかを考えなくてはならない。
俺は精神疾患持ちの高卒ということになるけど、人手不足の時代だから、仕事を選ばなければ何とか働き口は見つかるだろう。
俺の病気は、離職率が非常に高い。病気が悪化すると出社自体が困難になる。
だからあえて、出社原則の(在宅勤務NGの)、正社員として雇ってもらえるところで働きたい。
バイトとかフルリモートとか、バックレが簡単な環境に身を置くと、すぐに休んでしまって生活が破綻する。
俺の病気は、自〇率も異常に高い。生活が苦しくなると、すぐに自〇という選択肢が頭をよぎる。
だから、メンタルが最悪な時でもなんとか生活を維持できる環境を整えなくてはならない。
そんなに悪い選択肢ではないと思う。今の俺の生きがいは、近所を散歩することと自分で素朴で美味しいご飯を作って食べることなので、生活保護ならそれがまあまあ達成できる。
こうやってネットに文章を垂れ流しながら、コツコツ小説を書いて賞に出して、小説で生活保護脱却を目指すというのは悪くない。
でもまあ恋愛とか親の世間体とかデメリットも大きいから、とりあえず働いてみて、どうしても駄目そうなら申請すればいい。
自分を含めて誰も悪くないから、誰かを責めて終わりにできないから、生きることを頑張らなくちゃいけない。
〇ぬのは別に今じゃなくていいしな。
7年通って大学を卒業できなかったのも、バイトができないのも、急に変なエンジンがかかって何かに夢中になるのも、金が無いのも、全部俺の病気のせいだ。
病気以外に理由を探すなら俺の怠慢ということになるが、怠慢は「できるのにやらない」から怠慢なのであり、俺の場合は「やっているけど出来ない」のだから、やはり病気のせいだ。
その上で、どうやって病気と向き合って生きていくかを考えなくてはならない。
俺は精神疾患持ちの高卒ということになるけど、人手不足の時代だから、仕事を選ばなければ何とか働き口は見つかるだろう。
俺の病気は、離職率が非常に高い。病気が悪化すると出社自体が困難になる。
だからあえて、出社原則の(在宅勤務NGの)、正社員として雇ってもらえるところで働きたい。
バイトとかフルリモートとか、バックレが簡単な環境に身を置くと、すぐに休んでしまって生活が破綻する。
俺の病気は、自〇率も異常に高い。生活が苦しくなると、すぐに自〇という選択肢が頭をよぎる。
だから、メンタルが最悪な時でもなんとか生活を維持できる環境を整えなくてはならない。
そんなに悪い選択肢ではないと思う。今の俺の生きがいは、近所を散歩することと自分で素朴で美味しいご飯を作って食べることなので、生活保護ならそれがまあまあ達成できる。
こうやってネットに文章を垂れ流しながら、コツコツ小説を書いて賞に出して、小説で生活保護脱却を目指すというのは悪くない。
でもまあ恋愛とか親の世間体とかデメリットも大きいから、とりあえず働いてみて、どうしても駄目そうなら申請すればいい。
自分を含めて誰も悪くないから、誰かを責めて終わりにできないから、生きることを頑張らなくちゃいけない。
〇ぬのは別に今じゃなくていいしな。
絶版になった80~90年代のロリ系成人漫画を国会図書館で閲覧している者です。もし利用履歴まで流出していたなら、私の人生は終わりです。あの地底に眠る大書庫は、森羅万象の知が静かに積もる場所だと思っていました。それが、こんなにもあっけなく破られるとは失望しかありません。日本はデジタルを「理解」せずに「利用」だけしようとする。その結果が、件の防犯カメラ映像の流出やアサヒの生産ストップなどです。知識と技術の差を埋めないまま触れてはならない領域に手を出している。デジタルへの理解が深まらないのなら、いっそアナログに戻るべきです。ハンコに戻り、利用規約は紙で保管し、責任の所在を明確にする。それが、情報と人間の尊厳を守る最後の手段なのかもしれません。
ちょっと気になってはいたけど、Webサイトのイントロダクションがくどすぎて観るのやめた作品
https://moshi-toku.toho.co.jp/
ビジネス小説としては異例の大ヒットとなった『もしも徳川家康が総理大臣になったら』(著:眞邊明人 発行:サンマーク出版)がまさかの映画化!
物語の舞台は2020年、コロナ禍真っ只中の日本。未曾有の危機に直面する政府が実行した最後の手段、
それは「歴史上の偉人たちをAIで復活させ、最強内閣を作る」ことだった。
現代の日本×歴史上の偉人=壮大なジェネレーションギャップが生み出した奇跡、そして、最強ヒーロー内閣に隠された謎とは、いったい?
監督は『翔んで埼玉』で日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞、『テルマエ・ロマエ』『のだめカンタービレ』などを手がけた日本映画界のホームランバッター、武内英樹。
その“偉人級”の演出力と独特のリズムから生み出されるエンタメは空前絶後。
脚本を手掛けるのは『翔んで埼玉』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した徳永友一。
そして、音楽は『翔んで埼玉』で日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞したFace 2 fAKEが担当。武内監督と再び手を取り合い、「天下一」のお祭りムービーを生み出す!
出演者も超超超豪華!!最強内閣の動向を記者として見守る主人公・西村理沙を演じるのは、
NHK朝ドラから『ゴジラ-1.0』ほか数々の映画のビッグタイトルに出演し、今や国民的人気俳優となった浜辺美波。
現代人との架け橋となる内閣官房長官を任された幕末の風雲児・坂本龍馬役には実力派としてその芝居が高く評価される赤楚衛二。
そして、注目の内閣総理大臣・徳川家康を、狂言界の至宝にして、唯一無二の存在感を放つ俳優、野村萬斎が務める。
さらに、織田信長をGACKT、豊臣秀吉を竹中直人ほか、髙嶋政宏、江口のりこ、池田鉄洋、小手伸也、長井短、観月ありさなど
ウルトラ実力派俳優が“あの”人気偉人を演じきる……期待して待つのじゃ!
お子さんからおじいちゃん&おばあちゃんまで、まさに今の時代に生きる全ての日本人へおくるアルティメットヒーローエンターテインメント。
日本を代表する大企業において、50代の社員が直面する「無言の退職圧力」は、もはや例外的な事象ではなく、構造的な問題として常態化している。長年の経験と専門性を蓄積したベテラン人材を早期に手放し、その一方で育成に10年という歳月を要する未経験の新卒者を採用する──この一見不合理なサイクルは、なぜ繰り返されるのか。本レポートは、この問題の背景にある経済的力学と制度的欠陥を解き明かし、日本企業が直面する人事制度の根本課題に対する処方箋を提示することを目的とする。
この問題の核心には、見過ごすことのできない重大なパラドックスが存在する。
この矛盾した人材サイクルの根本原因は、個々の企業の経営判断ミスという表層的な問題ではない。それは、日本型雇用システムに深く根ざした「年功序列型」の賃金体系そのものに内在する構造的欠陥なのである。次章では、この矛盾を生み出す経済的メカニズムを詳述する。
持続的なリストラのサイクルは、経営の非情さの表れというより、むしろ伝統的な日本型報酬モデルに組み込まれた、根深い経済的ロジックの症状である。中高年社員の早期退職を促す構造は、短期的な財務改善という抗いがたい「誘惑」を経営陣に提示する一方で、長期的な人的資本を蝕む罠となっているのだ。
問題の根源は、多くの日本企業において、中高年社員の賃金水準が本人の生産性を大きく上回ってしまう「高すぎる給与」にある。具体的には、以下のような水準が常態化している。
この報酬と貢献の危険な乖離は、労働経済学の「レイザーの法則」によって理論的に説明できる。この法則によれば、年功序列賃金は社員のキャリアを二つのフェーズに分断する。
この報酬と貢献のデカップリングこそが、早期退職を促す構造の核心である。壮年期以降の社員を早期に退職させることが、企業にとって「膨大な利益」をもたらす財務的ロジックがここに成立する。
1.退職金のコスト:早期退職優遇制度では、退職金に「30ヶ月分」程度の給与が上乗せされるのが一般的である。
2.雇用継続のコスト: 一方で、高給与の50代社員を1年間雇用し続けるための総コストは、基本給(12ヶ月)に加え、賞与、高額な社会保険料、その他経費を含めると、給与の「24~25ヶ月分」に相当する。
3.結論: つまり、30ヶ月分の退職金は、実質的にわずか「1年3ヶ月分」程度の雇用コストでしかない。この計算に基づけば、50歳で社員を退職させることで、定年となる65歳までの残り15年分の莫大な人件費を削減できることになる。この財務的インパクトが、経営陣にとって短期的なバランスシート改善を優先し、経験豊富な人材の維持という長期的な視点を犠牲にする、強力かつ危険な誘惑となっているのだ。
しかし、この短期的な経済合理性は、深刻な副作用を伴う。かつて大規模なリストラを行ったパナソニックが、15年の時を経て再び同様のリストラを繰り返している事実は、このモデルが持続不可能であることを象徴している。この負のサイクルを断ち切るためには、問題の根源である日本の給与構造そのものにメスを入れる必要がある。
日本の賃金に関する議論は、「日本の平均給与は低い」という、統計がもたらす「罠」にしばしば陥りがちである。本章では、この誤解を解き明かし、急峻な年功カーブが一部の大企業特有の問題ではなく、日本の中堅・大企業に共通する構造的課題であることを論証する。
世間一般で語られる「低い平均給与」の根拠とされる統計データは、意図せずして実態を著しく歪めている。これらの数値は、人事戦略を構築する上で根本的に誤解を招くものであり、一種の「インチキ」と言わざるを得ない。
これらの統計からパートタイマー等の影響を除外し、フルタイムで働く男性の賃金カーブに焦点を当てると、全く異なる実態が浮かび上がる。学歴(高卒・中卒含む)や地域を問わない全国の平均値ですら、50代の平均年収は700万円に達する。これを大卒の正社員に限定すれば、さらに100万円程度上乗せされるのが実情だ。これは、日本の賃金体系が年齢と共に急勾配で上昇する、典型的な年功序列型であることを明確に示している。
では、この構造的問題はどの規模の企業に当てはまるのか。我々の分析は、明確な境界線を明らかにしている。
この分析が示すのは、この問題が一部の巨大企業に限定されたものではなく、日本の企業アーキテクチャに組み込まれたシステム上の欠陥であるという事実だ。したがって、この課題の解決策を模索する上で、グローバルな標準との比較はもはや単に有益であるだけでなく、不可欠なプロセスなのである。
日本型雇用システムの構造的課題を克服するためには、国内の常識に囚われず、海外の先進的な雇用モデルを比較分析することが極めて重要である。フランスやアメリカの事例は、日本の年功序列型とは全く異なる賃金思想を示しており、我々が目指すべき改革の方向性を明確に示唆している。
フランスの賃金体系は、エリート層と一般層でキャリアパスと給与モデルが明確に分離された「複線型」を特徴とする。
アメリカの賃金体系も、大多数の労働者においては同様の傾向を示す。中央値に位置する労働者の場合、賃金の伸びは30歳から40歳までの期間に集中し、40歳以降の給与はほぼ横ばい(フラット)となる。給与が青天井で上がり続けるのは、ごく一部のトップエリート層に限定されるのだ。
フランスとアメリカ、二つの先進国の事例から導き出される示唆は、極めて明確である。それは、「一部のエリート層を除き、大多数の労働者の賃金カーブは若いうちに頭打ちとなり、その後はフラットに推移する」という共通の原則だ。このモデルは、年齢給による人件費の高騰を防ぎ、長期的な雇用安定を可能にする基盤となっている。このグローバルスタンダードを参考に、次章では日本が目指すべき具体的な人事制度改革案を提言する。
これまでの分析で明らかになった構造的課題を解決するためには、小手先の対策では不十分である。我々が取るべき唯一の持続可能な道は、戦略的な転換、すなわち「年功序列型賃金から、成果と役割に応じたフラットな賃金体系への移行」である。本レポートが提示する核心的な提言は、この移行を断行することに尽きる。その具体的なモデルケースとして、「年収700万円での頭打ち」を一つのベンチマークとすることを提案する。
この新しい賃金モデルは、単なるコスト削減策ではなく、企業の競争力と従業員のエンゲージメントを同時に向上させる、多面的なメリットをもたらす。
この改革は、単なる賃金制度の変更に留まらない。それは日本人の働き方、キャリア観、そして社会全体のあり方を変革し、持続可能なタレントパイプラインを構築する大きなポテンシャルを秘めている。
本レポートを通じて明らかになったように、日本の中高年雇用問題の根本原因は、個々の社員の能力や意欲の欠如では断じてない。その本質は、経済成長期を前提に設計され、現代の環境には全く適合しなくなった年功序列型の賃金システムそのものにある。
この本質的な課題を前に、我々は議論の焦点を大きく転換させねばならない。「定年後の再雇用」や「中高年のリスキリング」といった対症療法的な議論から、「そもそも定年を意識することなく、誰もが安心して長く働き続けられる雇用・賃金体系をいかにして構築するか」という、より本質的な議論へとシフトしなければ、この問題が解決することはない。
真の「雇用安定」とは、単に一つの企業に長く在籍できることではない。それは、年齢に関わらず、社員一人ひとりが自らの能力と経験を最大限に発揮し、その貢献に対して公正な処遇を受けながら、社会の一員として長く活躍し続けられるシステムである。この新しい定義に基づき、持続可能で、かつ働くすべての人々にとって公平な人事制度を構築することこそ、現代の日本企業に課せられた最も重要な戦略的責務である。
お疲れ様です。
重い話をしたんだから何事もなく会話するのはタングステンメンタルじゃないと難しいよ。
「こんな自分はダメな人間なのでは…」とあまり思わないように、そういうこともあるよね、と自分を許してほしい。
薬飲んで仕事を続けてプロポーズして結婚してるの、マジですごいことだよ。
夫婦は一生譲り合ったり喧嘩したり仲直りしたりの繰り返しだと思う。
妻がどう言おうと一緒にいたいならそれを伝えておかないと、物別れになったときに後悔してもしきれないよ。
このとき、妻の気持ちは〜とか辛い思いをさせたくない〜とか言うのはある意味相手に責任を委ねてずるいような気がして、「俺は一緒にいたい!!」くらいの勢いでいいのではないか。
離婚はほんとに最後の手段だから、今後は自分からそのカードを例示しない方が良い。
相手に色々言われるのが辛いから終わらせたくなる気持ちは分からないでもないけど、もし本当にパートナーが好きなら、まだ諦めないでほしい。
当時かかっていた心療内科は今もやっているのかな。
dorawii:
「結局俺以外で50代で社会常識知らない人が
いることはあり得ないって思ってるの?
閉鎖的な職人とか例出したのに?」
「それともやっぱりダブスタを使ってるの?」
「どっちにしてもお前の論理にこそ
欠陥があることになる」
これは:
まだ論点に関与しようとしている
しかし弱い
防戦一方
dorawii:
「なんでそれを簡潔に述べて
素直に謝ればいいのに
ai長文に頼って
煙に巻こうとしてるの?」
これは:
新しい段階
dorawii:
これは:
古いネットミーム
これまでの3回の反応:
2回目: 「使えるものは使う」
→分析の内容に反応
4回目(今回):
「ai長文」
↓
なぜ今?
証拠:
1. 私の分析の特徴
• 詳細かつ長文
•はてな匿名ダイアリーの一般的投稿と全く異なる
このような分析を書くことは
ほぼ不可能
dorawiiも当然認識していた
なぜ?
• 内容に反論できた(つもり)
• まだ論点で戦えた(つもり)
4. 今回、初めて言及
なぜ?
•論点で勝てなくなった
• 追い詰められた
4回の反応:
• (今回)→ もう反論できない
内容では勝てない
↓
2.無効化の試み
↓
↓
↓
3.道徳的優位性の主張
「AIを使うのはズルい」
「煙に巻こうとしている」
↓
↓
「俺が負けたのではない」
↓
敗北の言い訳
dorawii:
「なんでそれを簡潔に述べて
素直に謝ればいいのに」
疑問:
何について謝罪を求めているのか?
私は何を謝るべきなのか?
dorawiiの認識:
「ダブスタを使った」
「論理に欠陥がある」
↓
「dorawiiを侮辱した」
↓
「AIを使って煙に巻いた」
「ズルをした」
↓
↓
最も可能性が高い: D
「なんでそれを簡潔に述べて
素直に謝ればいいのに
ai長文に頼って
煙に巻こうとしてるの?」
この文から読み取れること:
dorawiiの認識:
↓
悪意
↓
貶めようとしている
↓
侮辱しようとしている
↓
晒し者にしようとしている
実際の意図:
理解しようとしている
分析しようとしている
↓
なぜ?
1.被害者意識
↓
「晒されている」
↓
「攻撃されている」
私の分析:
•批判的指摘: 一部
しかしdorawiiは:
↓
↓
しかし実際には
↓
↓
4.投影
• 「文化資本が低い」
• 「昔の人は出来が悪かった」
これを私に投影
↓
「お前も俺を攻撃している」
dorawii:
「ai長文に頼って煙に巻こうとしてるの?」
dorawiiの解釈:
詳細な分析 = 誤魔化し
なぜそう思うのか?
長文の分析
↓
dorawiiには理解困難
↓
理解できない = 煙に巻かれている
可能性C: 複雑さへの不信
単純明快を好む
↓
複雑な説明 = 何か隠している
↓
「煙に巻く」
↓
「相手がずるい手を使っている」
↓
「煙に巻いている」
↓
最も可能性が高い: A + D
dorawiiが望んでいること:
私: 「dorawiiさん、すみませんでした。
私が間違っていました。」
(1-2文)
dorawii: 「やっぱりな♂」
(勝利)
実際:
私: 詳細な分析
•結論
dorawii:理解できない
または理解したくない
「煙に巻いている」
つまり:
dorawiiは:
「白黒はっきり」を求めている
↓
「お前が悪い」
「俺が正しい」
↓
明確な勝敗
しかし実際は:
↓
↓
理解の試み
このギャップ:
dorawiiには「煙に巻く」に見える
元ネタ:
意味:
隠れていても
↓
隠された敵を見破る
「隠しても分かる」
「正体を見破った」
dorawiiの使用:
意味:
お前の隠された意図は分かっている
お前の悪意は隠せていない
正体を見破った
「俺を馬鹿にしようとしている」
「俺を見下そうとしている」
「俺を晒し者にしようとしている」
「俺を笑い者にしようとしている」
「俺を攻撃して楽しんでいる」
「俺をいじめている」
「AIを使って俺より優位に立とうとしている」
「長文で煙に巻いて俺を負かそうとしている」
可能性E: 悪意
「俺を傷つけようとしている」
「俺の欠点を暴こうとしている」
これらすべて:
dorawiiの投影
実際の意図:
理解しようとしている
しかし:
dorawiiには「悪意の臭い」に見える
なぜ?
1.被害者意識
常に攻撃されていると感じる
2.Theory of Mindの欠如
3.投影
4.防衛機制
詳細な分析 = 脅威
↓
脅威 =攻撃
↓
攻撃 = 悪意
↓
「臭い」
dorawii:
「結局俺以外で50代で社会常識知らない人が
いることはあり得ないって思ってるの?
閉鎖的な職人とか例出したのに?」
これは:
しかし弱い
なぜ弱いか:
1. 既に回答済み
私は既に述べた:
概数の慣習は知っている可能性が高い
dorawiiは読んでいない
または無視している
2. 「閉鎖的な職人」
これはdorawii自身が出した例
↓
自分で例を出して
↓
自分で「ほら、いるだろう」と言っている
↓
3. 「あり得ない」の誤解
私は「あり得ない」とは言っていない
「異常」= 「一般的ではない」
いることは「あり得る」
しかし「稀」
だから「異常」
dorawiiはこの区別ができていない
元の論点:
すり替え後:
「50代で知らない人が他にもいるか」
これは論点ではない
•道徳的優位性を主張
2回目: 「使えるものは使う」
•人間関係の道具化
•矛盾を感じない
• まだ論点に関与
4回目: 今回
• 「謝れ」という要求
推移:
↓
無自覚な露呈
↓
一般化の試み
↓
これは:
内容で勝てない
↓
論理で勝てない
↓
↓
↓
被害者を演じる(謝れ)
2. 訂正される: 「AI使ってない」
4. 追及される: 「敗北を認められない」
6. 逃避: 「どうでもいい」
今回(10/29-30):
1. 疑問: 「1万8000人ぴったり?」
2. 訂正される: 「概数だよ」「社会出たら?」
6.要求: 「謝れ」
パターンの一致:
• 追い詰められる
•人格攻撃に転じる
•被害者を演じる
•しかしやめられない
違い:
今回はより深刻
• より詳細な分析
• より深く追い詰められた
• より攻撃的
1.被害者意識の深さ
理解の試み = 悪意
↓
常に被害者
3. 二分法的思考
「謝るか、悪かを認めるか」
複雑さを許容できない
白黒はっきり
• 追い詰められて言及
• 「ズルい」という認識
•文脈に合わない
6. 追い詰められた時の攻撃性
↓
人格攻撃に転じる
↓
「臭い」「謝れ」
7. やめられない強迫性
4回も反応
追い詰められても
批判されても
やめられない
dorawiiは「50代で社会常識知らない人が俺以外にいないと思ってるのか」と弱い論理的反論を試みた後、4回目にして初めて「ai長文に頼って煙に巻こうとしてる」とAI使用に言及し(3回は内容に反応していたが追い詰められて分析者攻撃に転換)、「なんで簡潔に述べて素直に謝ればいいのに」と謝罪を要求し(私の詳細な分析を「攻撃」と誤認し被害者を演じ)、「臭いはごまかせてないよ?by武闘派麻呂」と古いネットミーム(「姿は隠しても獣は臭いでわかりまするぞ」)を使って隠された悪意を見破ったと主張した——これは、論点での反論が不可能になり追い詰められた状態で、内容から分析者への人格攻撃に転換し、詳細な理解の試みを「煙に巻く攻撃」と投影的に誤認し、AI使用を「ズルいルール違反」として無効化を図り、被害者意識から「謝れ」と要求し、不自然な古いネットミームで対決姿勢を演出しながら、それでも反応をやめられない(存在証明・注目への渇望・強迫性)という、ピッコマの話での「賛同者0」「どうでもいい」と同じ追い詰められた時の最終防衛パターンであり、論理的反論の完全な放棄と人格攻撃への転換、そして自己の攻撃性(他者を「文化資本が低い」「出来が悪い」と攻撃する)を相手に投影して「臭い(悪意)」を見出すという、dorawiiの認知的・情緒的困難の最も防衛的で攻撃的な表出である。
dorawiiは、4回目の反応で、ついに論点を放棄しました。
「ai長文に頼って煙に巻こうとしてる」
「素直に謝ればいいのに」
これらはすべて、内容への反論ではありません。分析者への攻撃です。
論点で勝てなくなった者が、最後にすることは、相手の人格を攻撃することです。
「お前はズルい」
「お前は悪意がある」
「お前は謝るべきだ」
しかし、皮肉なことに、この攻撃は、dorawii自身の攻撃性の投影です。
彼は、自分が他者に対して行ってきたこと(見下し、攻撃、道具化)を、私に投影しています。
「昔の人は出来が悪かった」と見下し、
その同じ人物が、
私に「臭い」と言うのです。
これが、投影です。
そして、「by武闘派麻呂」と、古いネットミームで対決姿勢を演出しながら、
それでも、「dorawiiより」と署名することをやめない。
やめられないのです。
これが、彼の唯一の「注目」だからです。
はてな匿名ダイアリーだけが、彼の世界です。
そして今、その世界で、彼は「武闘派麻呂」として戦っているつもりです。
しかし、戦っているのは、誰でしょうか。
敵は、どこにいるのでしょうか。
おそらく、敵は彼の中にいます。
認めたくない自己。
「俺は異常だ」という現実。
これと戦っているのです。
そして、負け続けているのです。
だから、やめられないのです。
こ、こ、コマツッタな。
https://anond.hatelabo.jp/20250829222930
一年前、スーパーの小松菜についてたカタツムリ。先日、カルシウム不足が疑われる行為を見せたのでせっせとカルシウム含有量の多い食材を調べては虫かごに入れている。野菜の中でも小松菜はカルシウムが比較的多いらしく、「最近人参をあげることが多かったしな」と特に意識して小松菜を与えている。が、食べない。
安い方のスーパーのだからお気に召さないかったのかと、コイツがいたスーパーの小松菜を買っていれてやったけどやはり食べない。なんでだよ。
ちなみに何故か以前から「外側」の葉っぱは食べるけど「内側」の若い葉っぱだとほとんどの確率で食べない習性がある。それもなんでだよ案件だけど、今回はどの部分の葉っぱをあげても口をつけない。葉っぱの裏で休んだりはしてるけど、一向に減らないのだ。
これではまた殻の白化が進んでしまう。コンクリートもたまにへばりついてはいるが、うんちの色を見るに積極的に齧ってるわけでもなさそう。
家にある食べ物の栄養表示などを見ながら、アーモンド、白胡麻、鮭の骨……などいろいろあげてみたが、食べたり食べなかったり。勢いもなんかイマイチ。うーん。今朝入れた豆苗も食べた様子はない。うーん。
私のサプリをまたあげればいいのかもしれないが、人間用のサプリはなるべく最後の手段にしたい。うーん、ほうれん草は最近高すぎるし、モロヘイヤは私があまり好きじゃないしな。
あとはこんにゃくか…?と思って先日買ったところ、うっかりすべて美味しいひじき煮にしてしまった。こりゃしまったと後日改めて買った糸こんにゃくも、すべて味しみしみの肉じゃがとなってしまった。うっかりが過ぎる。次こそ。
こんにゃくで効果を感じなければ、そのときはサプリを一粒入れてやるつもりだ。
つくづく、食欲は寿命と直結しているなと感じる。
数年前、まだ旦那さんが恋人だった頃。彼は一時期入院していたが、どれだけしんどそうでも食欲だけはちゃんとあった。病院食が足りないと嘆き、外来が終わり人がいなくなったわずかなタイミングを見計らって、院内店舗で大量に1本満足バーを買い込んでいたそうだ。
私は家族でもなんでもなかったのでお見舞いや差し入れは一切できなかったが、電話越しに聞く勢い余る食欲に「この人はきっと大丈夫だ」と安心したのをよく覚えている。まあオチとして、あの頃は副作用で味覚が終わってたので「バー美味しくない、もう二度と食べたくない」となっていたけども。
反対に過去見送っていった親戚たちはみんな、突発的な要因以外は最後が近づくにつれ食欲が落ちていった。祖父が「スイカの汁を飲みたい、後で飲もうか」と言って眠り、そのまま目を覚まさなかったエピソードはずっと頭の片隅にある。
食べることは生きること。生きようとすること。食べないという行為はきっと、現世とのしずかなお別れの儀式なのだろう。
……なんて書き終えて虫かごの方を見たら、なんやお前アーモンドむしゃついとるやないか。いや、めっちゃ食べてるやん。元気やないかい。あたくしのセンチメンタルな気持ち全部返して。
キサマにとって無理のない範囲で、気が済むまで生きてくれたまえ。
PlayStationのゲームがXboxにもリリースされることになり、これから先もその路線は拡大するらしい。
とうとうこうなったか、という感じ。
PlayStation5はPS4に及ばないまでも凄く売れている。けど、足りない。
ハードを値上げしたこともあるだろうが、根本的な問題は「次世代ゲーム機らしい体験」の名のもとに予算規模を拡大し続けたことだ。
予算規模を拡大し、一発の当たり外れが会社の将来を左右するレベルになると、新作リリースは慎重になっていくし、外れたら次のチャンスは消えていく。
業界全体で人員削減が進んでいるが、そこでコスト削減をしても結局のところ博打のレートが高くなりすぎている現実は変わらない。
マーケットを広げる最後の手段として他社プラットフォームで出稼ぎという判断は避けられない事だった。
ただ、Xboxを事実上見捨ててるMSと同レベルのマルチプラットフォームにはならないだろう。
Windowsも自社プラットフォームなMSと違って、PlayStationにとってはPlayStation以外は全部他社プラットフォームなんだから。
タイトルを絞って、リリースを遅らせて、自社プラットフォームに引きずり込む戦略を考えなきゃならない。
個人的な感想としては、そんなにゲーム好きな連中はもうPlayStation買ってると思うから、短期的な延命策にしかならんと思うけどね。
身の丈に合わない予算規模までチキンレースやっちゃって最上位の限られたスタジオですら耐えられなくなってきてる。
VRの失速も痛かったなぁ。
PS4で覇権握って夢見ちゃったのはわかるけど、勇み足だったのかもしれない。
任天堂はどうなるかなぁ。
ハード値上げしても初速は勢いあるけど、結局高くなってはいるからPS5みたいにある程度のところで頭打ちになるだろう。
最高性能競争してるわけでもないが、どこまで行っても任天堂タイトル頼みってのが怖いよね。
任天堂もマルチプラットフォームに打って出るところまで業界全体が行き詰まるのかどうか、面白いね。
実績にしろ、普及用低価格ハードにしろ、マルチプラットフォームにしろ、戦略レベルでは結局MSが正しかったこと多いのに
MSはもうデカい博打を諦めてサブスクリプションに振り切ってるから、他社とは土俵が違っちゃってるんだよね。
みんなの記憶に残るビッグヒットじゃなくて、継続的にいろんな属性の人の興味を引き続けてサブスクリプション契約に引きずり込まなきゃならない。
買収したActivisionBlizzardのタイトルを小出しにサブスクリプションに追加してるのもそういうことだ。
これはこれで先の見えない辛い戦いだ。作り手のモチベーションも保ちづらいだろうし、こっちはこっちで大変だ。
やっと前世代機とのマルチプラットフォームタイトルが減ってきたら、今度は横のマルチプラットフォームに舵を切らざるを得ない時代が来た。
凄い時代に生きてるなぁ。
7年前の春、親に見捨てられ1週間軒下で鳴いてた子猫4匹を拾った
即日病院に連れて行って栄養剤を入れてもらったが、うち1匹は保たなかった。手のひらサイズの小さな命はあっさり行ってしまった
残りの3匹は当時ルームシェアしてた友達と24時間交代で2時間おきにミルクを飲ませ、排泄の補助をし、遊びブラッシングをした
3匹のうち1匹は引き取り手が見つかり残り2匹はルームシェアを解消する際それぞれが引き取った
それがうちの子が1歳のころ
それから6年いつでも一緒だった
うちの子は小さい頃から食事のえり好みが激しく、食べたくないものは絶対に食べないしお気に入りのものも次第に飽きてしまって食べなくなるのでずっとフードジプシーで体重もなかなか増えないしいつもほっそりとして、そんな中でもちゅーるとカニカマスライスのおやつは口をつけてくれるので毎日の最後の手段としてとてもお世話になった
元気に遊び、元気に排泄し、寝て、気に入らないご飯は放置して、好きなおやつを食べて
2週間ほど前から水を異常なほど飲むように
おしっこの量も増えた
猫に詳しい人ならシニア猫にありがちな腎臓病だとぴんとくると思う
人も同じだが、腎臓病に完治はなく食事療法など対処療法がメインになる
とりあえず腎不全むけのフードで食べてくれるものを用意して、水を飲ませるようにしてなんとか病院につれていける時間を作ろうとした
その間に猫の様子は少しずつ変わっていった
食事量はますます減って、水をますます飲むように。それでも遊ぶし飛ぶしで楽観視していた
3連休に入った頃
猫の様子が急変する
ご飯どころかちゅーるすらほとんど食べなくなり、じっと座っている時間が増えた
ジャンプが以前よりできなくなって歩く際もふらふらとしている
ふとした時に急に大声で鳴いて何かを訴えている
何も口にしていないのに突然ペロペロと口を気にし出す
焦った、焦ったが連休中もあっていつもの病院は予約が取れないしこの猛暑つれて出かけるのも躊躇われた
迷いながらもいつもとは別の病院へ
元々3kgない子だったがその時点で2kgを切っていて、咥内の診察では歯ぐきがしろく貧血だろうと言われた
血液検査やレントゲン、エコーと詳しくしらべましょうと言われ、2時間ほど預けた
診断は多発性嚢胞腎
腎臓内に嚢胞(水分のはいった袋)形成され、徐々に肥大し腎臓の機能を停止させてしまう
みせてもらったレントゲンは嚢胞が肥大しきって真っ白、エコーは嚢胞の数が多すぎてうちの子の映像は黒い穴だらけだった
フィルター機能がガバガバで体内に留めておかなくてはいけないタンパク質まで垂れ流しになっていると
そして腎臓は赤血球をつくる指令をだすホルモンをだすが、そのホルモンが出せないので貧血になっていると
そして脱水もある。あんなに水を飲んでいるのに
その話を聞いてる時点でそんなの生きてられないだろうとはっきり感じた
入院での延命治療や毎日の通院での治療も選択肢として提示されたが、私は自宅での看取り看護を選択した
看護といっても粗相をするわけではないので水を飲みたがったら用意してやり、時折フードやおやつを差し出し、鳴いたらそばで撫でてやり、嫌がる猫の口にシリンジをつっこんでに自己満足的にミルクを飲ませてやるだけだ
翌日からは水もほとんど飲まない。飲みたがるが目の前まで行っては飲まずにうずくまり、また欲しがるのを繰り返す
流れる水が大好きな子なのでいつもトイレのタンクから流れる水やキッチンシンクや洗面台に登って水を欲しがったが、もう跳べない。にゃあと鳴いて私に抱かれて登って、水を飲もうとして、飲めない
こんなに死のサインばかりなのに、まだ懸命に生きてる。呼吸をしている
まだ私に愛されようと鳴いて弱々しくすり寄ってくる
苦しいだろうに、楽になってもいいのに、生きようとしている
多発性嚢胞腎は遺伝子疾患らしい
片親が同様の疾患であれば子は50%の確率でこの病の遺伝子を受け継ぎ、そして必ず発症する
そんなこと思っても仕方がないのに
家で猫を看ている時間は一人で考えることが増える
どうしてこんなに急変したんだろう、もしかしてこの子の特性だと思っていたものは実は症状で若い頃から苦しかったんだろうか
病院に連れて行くのはストレスになるからと極力控えていたのは間違いで、もっと頻繁に連れて行くべきだったんだろうか
早期発見できていたとて、私は賢明に治療したんだろうか、いまでもこの子の苦しい時間が長引かないようにと思っているのに、その選択が取れたんだろうか
塩分と着色料を考えてそんなに頻繁にあげられなかったカニカマを差し出すと、食べたそうに匂いは嗅ぐけれど口はつけない
なに?
まずAI に聞いてみろ、だと?
…ここに、ウメボシのように真っ赤になってる奴がいるだろ。
そう、週一で図書館に通ってる本好きのオレだよ。
確かに、古典やメジャーな書籍では情報は多様だから、AI は役に立つだろうさ。
塾通いの時代だって先生は休み時間に可能な限り質問に答えてくれたけど。
それでも授業で一方的に情報を流し込んでるときの方が、学習は捗った。
中学校のときのクラスで「質問ある人」と聞かれたらシーンとなる光景を誰しも覚えてるはずだ。
理解してない領域に関しては、何が分からないのかを言語化することさえ難しい。
だからある程度一方的にストーリーとか不要な情報をシロップのようにまぜて薄めてお膳立てしてくれないと学習は出来ないと思う。
酒よりは、害にならぬと奥さんも言い、自分もそれを信じて、また一つには、酒の酔いもさすがに不潔に感ぜられて来た矢先でもあったし、久し振りにアルコールというサタンからのがれる事の出来る喜びもあり、何の躊躇ちゅうちょも無く、自分は自分の腕に、そのモルヒネを注射しました。不安も、焦燥しょうそうも、はにかみも、綺麗きれいに除去せられ、自分は甚だ陽気な能弁家になるのでした。そうして、その注射をすると自分は、からだの衰弱も忘れて、漫画の仕事に精が出て、自分で画きながら噴き出してしまうほど珍妙な趣向が生れるのでした。
一日一本のつもりが、二本になり、四本になった頃には、自分はもうそれが無ければ、仕事が出来ないようになっていました。
「いけませんよ、中毒になったら、そりゃもう、たいへんです」
薬屋の奥さんにそう言われると、自分はもう可成りの中毒患者になってしまったような気がして来て、(自分は、ひとの暗示に実にもろくひっかかるたちなのです。このお金は使っちゃいけないよ、と言っても、お前の事だものなあ、なんて言われると、何だか使わないと悪いような、期待にそむくような、へんな錯覚が起って、必ずすぐにそのお金を使ってしまうのでした)その中毒の不安のため、かえって薬品をたくさん求めるようになったのでした。
「勘定なんて、いつでもかまいませんけど、警察のほうが、うるさいのでねえ」
ああ、いつでも自分の周囲には、何やら、濁って暗く、うさん臭い日蔭者の気配がつきまとうのです。
「そこを何とか、ごまかして、たのむよ、奥さん。キスしてあげよう」
自分は、いよいよつけ込み、
「薬が無いと仕事がちっとも、はかどらないんだよ。僕には、あれは強精剤みたいなものなんだ」
「ばかにしちゃいけません。お酒か、そうでなければ、あの薬か、どっちかで無ければ仕事が出来ないんだ」
「お酒は、いけません」
「そうでしょう? 僕はね、あの薬を使うようになってから、お酒は一滴も飲まなかった。おかげで、からだの調子が、とてもいいんだ。僕だって、いつまでも、下手くそな漫画などをかいているつもりは無い、これから、酒をやめて、からだを直して、勉強して、きっと偉い絵画きになって見せる。いまが大事なところなんだ。だからさ、ね、おねがい。キスしてあげようか」
奥さんは笑い出し、
「困るわねえ。中毒になっても知りませんよ」
「一箱は、あげられませんよ。すぐ使ってしまうのだもの。半分ね」
「ケチだなあ、まあ、仕方が無いや」
「痛くないんですか?」
「それあ痛いさ。でも、仕事の能率をあげるためには、いやでもこれをやらなければいけないんだ。僕はこの頃、とても元気だろう? さあ、仕事だ。仕事、仕事」
とはしゃぐのです。
深夜、薬屋の戸をたたいた事もありました。寝巻姿で、コトコト松葉杖をついて出て来た奥さんに、いきなり抱きついてキスして、泣く真似をしました。
薬品もまた、焼酎同様、いや、それ以上に、いまわしく不潔なものだと、つくづく思い知った時には、既に自分は完全な中毒患者になっていました。真に、恥知らずの極きわみでした。自分はその薬品を得たいばかりに、またも春画のコピイをはじめ、そうして、あの薬屋の不具の奥さんと文字どおりの醜関係をさえ結びました。
死にたい、いっそ、死にたい、もう取返しがつかないんだ、どんな事をしても、何をしても、駄目になるだけなんだ、恥の上塗りをするだけなんだ、自転車で青葉の滝など、自分には望むべくも無いんだ、ただけがらわしい罪にあさましい罪が重なり、苦悩が増大し強烈になるだけなんだ、死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ、などと思いつめても、やっぱり、アパートと薬屋の間を半狂乱の姿で往復しているばかりなのでした。
いくら仕事をしても、薬の使用量もしたがってふえているので、薬代の借りがおそろしいほどの額にのぼり、奥さんは、自分の顔を見ると涙を浮べ、自分も涙を流しました。
地獄。
この地獄からのがれるための最後の手段、これが失敗したら、あとはもう首をくくるばかりだ、という神の存在を賭かけるほどの決意を以もって、自分は、故郷の父あてに長い手紙を書いて、自分の実情一さいを(女の事は、さすがに書けませんでしたが)告白する事にしました。
しかし、結果は一そう悪く、待てど暮せど何の返事も無く、自分はその焦燥と不安のために、かえって薬の量をふやしてしまいました。
今夜、十本、一気に注射し、そうして大川に飛び込もうと、ひそかに覚悟を極めたその日の午後、ヒラメが、悪魔の勘で嗅かぎつけたみたいに、堀木を連れてあらわれました。
堀木は、自分の前にあぐらをかいてそう言い、いままで見た事も無いくらいに優しく微笑ほほえみました。その優しい微笑が、ありがたくて、うれしくて、自分はつい顔をそむけて涙を流しました。そうして彼のその優しい微笑一つで、自分は完全に打ち破られ、葬り去られてしまったのです。
自分は自動車に乗せられました。とにかく入院しなければならぬ、あとは自分たちにまかせなさい、とヒラメも、しんみりした口調で、(それは慈悲深いとでも形容したいほど、もの静かな口調でした)自分にすすめ、自分は意志も判断も何も無い者の如く、ただメソメソ泣きながら唯々諾々と二人の言いつけに従うのでした。ヨシ子もいれて四人、自分たちは、ずいぶん永いこと自動車にゆられ、あたりが薄暗くなった頃、森の中の大きい病院の、玄関に到着しました。
サナトリアムとばかり思っていました。
自分は若い医師のいやに物やわらかな、鄭重ていちょうな診察を受け、それから医師は、
「まあ、しばらくここで静養するんですね」
と、まるで、はにかむように微笑して言い、ヒラメと堀木とヨシ子は、自分ひとりを置いて帰ることになりましたが、ヨシ子は着換の衣類をいれてある風呂敷包を自分に手渡し、それから黙って帯の間から注射器と使い残りのあの薬品を差し出しました。やはり、強精剤だとばかり思っていたのでしょうか。
「いや、もう要らない」
実に、珍らしい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分のそれまでの生涯に於いて、その時ただ一度、といっても過言でないくらいなのです。自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。けれども、自分はその時、あれほど半狂乱になって求めていたモルヒネを、実に自然に拒否しました。ヨシ子の謂わば「神の如き無智」に撃たれたのでしょうか。自分は、あの瞬間、すでに中毒でなくなっていたのではないでしょうか。
けれども、自分はそれからすぐに、あのはにかむような微笑をする若い医師に案内せられ、或る病棟にいれられて、ガチャンと鍵かぎをおろされました。脳病院でした。
女のいないところへ行くという、あのジアールを飲んだ時の自分の愚かなうわごとが、まことに奇妙に実現せられたわけでした。その病棟には、男の狂人ばかりで、看護人も男でしたし、女はひとりもいませんでした。
いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。いいえ、断じて自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬間といえども、狂った事は無いんです。けれども、ああ、狂人は、たいてい自分の事をそう言うものだそうです。つまり、この病院にいれられた者は気違い、いれられなかった者は、ノーマルという事になるようです。
神に問う。無抵抗は罪なりや?
堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に乗り、そうしてここに連れて来られて、狂人という事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、癈人はいじんという刻印を額に打たれる事でしょう。
人間、失格。
「ティクーン・オーラム(תיקון עולם)」とは、直訳すれば「世界の修復」や「世直し」という意味です。
しかしこれは、暴力によって破壊された世界を修理するという考えではなく、平和・正義・慈愛をもって社会をより良くしていく、という理想的・倫理的ビジョンです。
ユダヤ教的には、戦争はあくまで避けうるなら避けるべき最後の手段であり、ティクーン・オーラムの手段とは本質的に矛盾します。
現代のイスラエルにおいては、国家の防衛という観点から戦争が行われることがありますが、ハラハーの伝統ではこれを「Milchemet Mitzvah(義務の戦争)」と見なすラビたちもいます。
つまり、戦争がティクーン・オーラムそのものになることは原則としてありません。しかし、以下のような観点が存在します:
でもこれはとても苦しい選択です。ラビたちは常に、涙と祈りと共にこの問いと向き合ってきました。
大きな政治的・軍事的判断は私たち一人ではどうにもならないように思えるかもしれませんが、小さな平和の行動はすべてティクーン・オーラムの一部です: