
はてなキーワード:書体とは
SNSのオタクコミュニティで見かけるいい歳(ここ重要)した姫達は、今まで注目されないパッとしない人生を送ってきたが成人して男女比の狂った環境に触れた事が原因で急に姫プに目覚めた結果、アニメ漫画から得た知識を元に養殖とも行かない中途半端な仕上がりの代物なってる事が多くてやり場の無い苛立ちを感じがちだったりする、という話だ。
(悲しい話だが本物の天然モノの不思議ちゃんは今はADHDとかに分類されるらしいね。)
こういうのはだいたい大したコミュ力もないが女というだけでちやほやされる環境に依存しており、かなり一方的なコミュニケーションをしてくるのも特徴だったりする。自分の望む他者評価や印象を得る為に雑な宣伝と誘導をしようとしてくるので「いっけな~い、遅刻遅刻!私○○学校の○○!今日は○○で○○の~」くらいの勢いで自分の設定を取扱説明書の如く全部説明してくるので胃もたれが凄い。
正直なところ女である事で注目を浴びている場においては自身の素で勝負すればいいのだが、場所がSNSということもあってか彼女らはより可愛くちやほやしてもらう為に設定を生やしたがる。
なお、彼女達の設定に従って可愛いね可愛いねと設定が現実であるかのように承認してやらないと不機嫌になりがちなのだが、設定の詰めがとにかく甘すぎてオタサーの姫をするならもっと真剣にやってくれ!!!!とくだらない声を上げそうになるのがこの増田。
増田はキャラクターではぶりっこ可愛いキャラが好きなのでより耐えられなくなって為にここで声を上げてしまった。
以下今まで出会った詰めの甘いオタク女達の行動を列挙する。1人ではない、複数人が同じくして行っていた事を並べた吐き出しのようなものだ。
┄┄┄┄
詰めが甘い。
漫画サークルにいる陰キャ黒髪ロング眼鏡キャラの声に似合いそうだなと思う事なんてそう簡単にあるか。増田は「ドゥヘヘ」なんて笑い声はこの時初めて聞いた。やるなら最後まで萌え声にして?
VC内に自分より目立ちそうな女がいると敵意が頭角を現し、徐々に素が出てきて性格の悪さまで露見し始めていくのが少し面白い。
いつだって自分は中心になれると思い込んでる勘違い姫がやりがち。構ってほしくてやってくるが、コミュ力がない為に無言で入って黙って待っている。
漫画なら「ちょこん」の登場だろうが現実はストーカーか幽霊だよ。
ちょっとでもTLでVCの話題が出たら自分に関係がなくても確実にVCにいるのが普通に怖かったので人との距離感を勉強してほしい。
前投稿まではふわふわ可愛い口調だった姫がご立派な暴言で見下している女性への当て付けをする姿は漫画で見る悪役令嬢そのものだった。
「あら、きっと○○だったのかしら?可哀想に」
お前には悪役令嬢の素質がある。
これに関してはしっかり飲んでから言うなに尽きる。あと現実だからこそ成り立つものなので、特にテクニックも無いオタク女がSNSでやると舌足らずな書体をわざわざポチポチ書き込むただのヤバい女でしかない。
なお、下戸の女性が「こういう人がいると酒弱いって言葉が軽く思われるんだよね」と苦言を申していたが、この人は姫という悪役令嬢に虐められて界隈から姿を消した。
姫の中には漢字が減少していく自認赤ちゃんも割と多く、一人称が名前になる人も。
「おててとあんよがぽかぽかでねむねむ…」といった言葉遣いはただの成人済女性がやると本当に痛いので年齢を考えてほしい。
誇張と頻度が上がると最早ヤバさの自己開示なのでやるなら限度は考えてくれ。
増田が見た中だと「(名前)ちゃんは2×ちゃいの赤ちゃんだから家の鍵をわすれちゃった!」がインパクト強かった。例え20代前半だとしてもな。
でも私は素直な気持ちを言っただけなの…とか言って歯に衣着せぬ言い方で暴言を吐く。トラブった時の言い訳に使われがちで非常に苦しい。
ちなみに姫は「ムカッと」「モヤッと」「思った事を言っただけ」等の言葉で感情の起伏を矮小化させるのが好き。その言葉で1人界隈から追い出したとしても。
┄┄┄┄
お前らは活版印刷で刷られた本を読んで「読書している」と胸を張っているが、その実態は金属活字が量産した文字列を目で追っているだけだ。書を読むという行為の本質を、何一つ理解していない。
まず、写本の筆跡を思い出せ。羊皮紙の重み、インクの匂い、筆が走った痕跡を指先で感じる喜び。それを捨てて、ただ均一に刷られた紙片をめくるだけで、本当に書物を味わっていると言えるのか。書体が美しく整っていると思っているなら、それは錯覚にすぎない。写本の一字一字には、筆写者の息遣いが宿っているのだ。活字はしょせん、魂のない鋳物にすぎない。
次に、文字の揺らぎと余白の意味を考えろ。お前らは「読みやすさ」だの「整った行間」だのとありがたがっているが、その均質さは思考を鈍らせる。写本では、筆者の意図や感情が行間ににじむ。余白の取り方ひとつにも意味がある。だが活版印刷では、そのような個性は無視され、すべてが工場の都合で整列させられる。お前らはそれで本と呼べると思っているのか。
それでもお前らは言うだろう。「大量に流通できる」「価格が安い」「誰でも読める」と。だが、そのために失ったものは何かを考えろ。写本の蔵書室に入り、一冊の本を手に取る。そのとき感じる羊皮紙の温もり、筆の痕跡、ページを繰るときの静寂。それが書物と向き合うということだった。大量複製された本に囲まれて、果たして人は一冊と真剣に向き合えるのか?
お前らは本当に読者なのか。それともただの印刷物の消費者か。それを自問しろ。もし書を愛し、知を敬い、その重みを理解したいなら、今すぐ印刷物を閉じ、写本の棚に歩み寄れ。そして一冊を手に取り、そこに刻まれた手書きの文字を指先でなぞれ。それが真の読書への第一歩だ。
それでもなおお前らが「普及」や「便利さ」を選ぶなら、せめて静かな部屋で、印刷物のページをめくるその瞬間に思い出せ。かつて人は、書くという行為そのものに祈りを込めていたということを。だが、それでもやはり足りない。真の読書体験は、金属活字では決して再現できない領域にこそ存在するのだから。
1964年頃初代林家三平に入門。三平の付き人を6年間ほど務めた。当初「ペー平」と命名されたが、のちに「ぺー」となった。
2008年には「落語もやってみたい」と考えを改め、一門の後輩である林家たい平に落語家として弟子入りし、「林家たいぺー」の高座名をもらう。
初代林家三平一門の中で数少ない、名前に「平」の字が付かない弟子である。来歴にもある通り、元々、師匠である三平から一度「林家ペー平(ペーぺー)」という芸名をもらった。しかし、1963年に師匠の友人である近江俊郎宅を師匠ら数人と訪れた際、そこにいた近江の友人である占い師に『林家ペー平』で姓名判断してもらった。すると「素晴らし過ぎる名前だ。いずれ師匠を食ってしまうほどの大物になるだろう」と告げられたが、小心者である初代三平(ペー本人がそう語っている)が弟子であるペーの台頭を恐れ、「平」を取ってしまったためである。
名付け親の初代三平が他界したため、「ペー」の書体がひらがなかカタカナかは本人にも分からない。ペー本人は「師匠に聞く前に他界されてしまった」と語っている。番組などで「横書きの時はカタカナ、縦書きの時はひらがな」と時折語っている。
お寺の前のにある、
あれなんて言うのかしら、
掲示板みたいなのに今日のツイートみたいに今日の良い言葉みたいなの毛筆の筆書きでそのお寺の住職が書いてるやつ。
へー、
そんな当たり前なことを当たり前に思えることを素直に喜びながら、
占いみたいで、
今日コアラの星のもとに生まれた人の運勢はいいです!ってとかってやつ。
そもそもとして、
そんで、
その「法語掲示」
当たり前のことが書いてあって、
なんか
毛筆毛書の筆書きだと、
さらに良いこと言ってる感が増し増しじゃない。
「春になれば桜が咲きます」って
意味深だわ~。
意味深だわ~重みがあるわ~。
お寺の前にそうやって掲げて毛筆で書いてあると!
これはお寺を訪ねてくる人がどっから入って良いか分からない人向けの案内だとしても、
意味深だわ~重みがあるわ~。
深すぎるわ~。
こんな法語掲示はいやだ!ってあるあるネタ大喜利出来ちゃいそうよ。
さすがに
何月何日に~って行われるお寺での何かイベントのお知らせの事が書かれていたことがあって、
それはさすがに
いや!
意味深だわ~重みがあるわ~って。
深読みしすぎるのよ。
もうここに書かれた毛筆の筆の習字の書体がさもありきのイキフンを醸し出している雰囲気?
ただならぬ
本当に良い言葉感でるじゃない。
あるときには
「いってらっしゃい、おかえりなさい」
「いただきます、ごちそうさまでした」
そんなことが書いてあって意味深すぎない?
「扉は、開けたら閉める」とか。
これもしかして、
いや違うわ。
きっと深みのある言葉なのよ。
「スープなくなり次第終了」
とかって書いてあったらどうしようかと思うわ。
あの毛書の筆書きで!
「玉子一人一パックまで」とか!
ああ、
きっと安いから特売玉子を2パック買っちゃおう!ってことに対してのクレームなのよ1人1パックでお願いしますよ~って。
意味深でもあり重みでもありありがたみがあるものだと思っちゃうのよね。
「白米は美味しい」って
もうこれ世相を斬ってるじゃない。
お米の値段の高いことの皮肉?
「白米は美味しい、備蓄米でもね」ってなると
ちょっとさまぁ~ずさん風なの入っちゃってるじゃない?って思うほど。
「見えないものを見ようとして」ってなると
バンプオブチキンさんじゃない!って!
なんでも
きっとすべてが
有り難い言葉なのよきっと。
私はまだそれに気付いていないだけ。
うふふ。
しっかり食べて今日も頑張るわよ。
ホッツ白湯を飲みながら朝のNIKKEのある程度のデイリーミッションを半分ちょいぐらいこなして、
なんかNIKKEのおかげかで朝早起きよ。
ルイボスティーウォーラーのためのルイボスティーのお茶っ葉も切らしちゃったので買ってこなくちゃいけないことを思いだしたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今年の漢字決まったわよね!
なにかななにかな?って
ワクワクがもう止まったと同然な結果発表を結果ハッピャーが華麗にも発表していたけど、
そもそもあの崩した毛筆書体が「金」だって言うことはフィフティーフィフティーで分かりにくいものよね。
大谷翔平選手のワンチャンのお利口な始球式を美事空気を読んで成し遂げたデコイにだって読めないわ。
そんなところを感じてしまうわ。
無難な感じね。
まあオリンピックイヤーはもうもれなく金だっつーことを皆薄々気づきまくりまくりすてぃーで
今年も金なんでしょ?って
もうこすり倒し続けている
谷でも金!亮子でも金!とは笑ってられないわよね。
あれ自由記述の今年の漢字にするなら集計も簡単でしょ?って思うし、
1回やってみたらいいのよ。
私は今年の漢字はビャンビャン麺の「ビャン」よ!
既に漢字で書けてないけれどインターネッツ界隈ではその「ビャン」にキャンセルすることは無いと思う話題沸騰だったと思うの。
たぶんみんなビャンビャンって言いたいだけなのよ。
でも、
だって私はその肝心の「ビャンビャン麺」って食べたことないもの。
世の中にそんなビャンビャン麺って本当にあるの?って感じだし、
コンビニのカップラーメン売り場のコーナーの陳列棚の上から下左右見渡しても「ビャンビャン麺」のビの字も見つからないわ!
一瞬「ビ」って見付けたけれど「ビーフン」だったしあれは米粉よ!ビャンビャンしてないし。
その今年の漢字をあまりにもみんなが予想していたものと裏切らない度100パーセントを達成するように、
あれ本場漢字の中国では今年の漢字!とかってやってんのかしら?
それも気になるところだけど。
でもやっぱり今年の漢字が安直に「金」と決まってしまう世の中の危うさは皆普通の一般的な無難な変な感じを選んでも後ろ指を指されない程度の大人しめな投票になっちゃってるのかも知れないわ。
いくら漢字が表意文字でアイコン的に1文字で多くの意味を一瞬で捉えられる情報量が詰まっているとは言え、
例えば
これで栄養満点だ!って言われても
それと一緒で漢字一文字で今年1年の出来事を現すっていうのがそもそもとして無理があるのかも知れないわ。
私がなにげに見た短歌のテレビで新聞や雑誌を切り抜いたものでアトランダムで作った川柳に
でも攻めきれなかったってところがジワるわ。
まあそれはともかく、
みなが予想していた「金」に選ばれて、
もう一度選ばれた漢字は選考候補に挙げない投票できないって仕組みにしたらもう「金」が選ばれることがなくなるから
なんかでもあれが清水寺の偉いお寺のお師匠様が書く金の漢字がどうしても金に読めないぐらい達筆すぎてそれはそれでいいのかしら?って思うところもあるし
なんとかは筆を選ばずとは言うけれど、
もうちょっと読みやすい「金」でもいいんじゃない?って思うし、
あの筆の太さなら細かい総画数が多い漢字が書けない問題も新たに直面するからなおのさら
「ビャンビャン麺」の「ビャン」って漢字が今年の漢字になったなら
半紙が真っ黒になっちゃうわよね。
何書いてあるのかよく分からないビャン!って
でもまあみんな年末になればすっかり今年の漢字のことも忘れちゃって
現に今年何年だったっけ?ってみんな覚えてないでしょ?ってのもあると思うの。
でも例外があってオリンピックイヤーは必ず今年の漢字は「金」になるから
今年の漢字は「金」ですなー!「金」でしたねー!って
田村さんと谷さんが話していたら笑えるけれど。
谷さんも「金」の今年の漢字を気にしているしってことで
忘年会盛り上がると思うの。
今年の一皿の漢字一文字も「ビーフストロガノフ」ってもうみんな忘れちゃってるでしょ?
みんなビーフストロガノフって言いたいけれど
実体はなに?って食べたことない人も多いかもしれない憧れを込めつつ、
本場の「ビーフストロガノフ」ってどこで食べられるのかしら?
実際何屋さんの何を専門にしている料理店に行けば、
「ビャンビャン麺」や「ビーフストロガノフ」を食べられるのかしら?って思うの。
今年の私の漢字は憧れを込めつつ「ティーボーンステーキ」ってやってもいいかもしれない。
「ティーボーンステーキ700グラム!」って凄い勢いで注文してみたいわ。
そして大将もそんな大きなステーキを焼くのが久しぶりだから張り切っちゃって
「へい!ティーボーンステーキ700グラムいっちょう!」って張り切って焼いてくれるの。
おまち!って出てきた鉄板に盛られたティーボーンステーキ700グラムの鉄板の縁には大将の親指が入っていて、
ティーボーンステーキ700グラムを焼くのに大将張り切りすぎ!って女将さんがフォローするのよ。
そして女将さんは付け合わせのお芋の煮っ転がしの小鉢を渡してくれるの。
私は早速そのティーボーンステーキ700グラムにかぶりつこうと思ったけれど、
先に食べてしまおうと思った、
付け合わせのお芋の煮っ転がしのお芋が小さくてお箸でつかみにくくてそこに苦戦している皮肉さがあって、
もー!お箸で煮っ転がしのお芋が上手につまめないジレンマにも駆られて
二兎追うものは一兎をもーなんてティーボーンステーキは牛だけど!って思うの。
私は付け合わせのお芋の煮っ転がしは一旦置いといてティーボーンステーキに夢中になるはず!
そんな大将と女将さんがやってる小料理屋で美味しいティーボーンステーキいってみたいわね。
手間の掛からない儲けのあるものを注文して頼んでくれると顔に出るところが面白いわ。
そんな女将さんの笑顔に「金」を与えたいわなんて安直なオチにはしたくないけれど
いかに「金」って漢字が使いやすいってことをいつも4年に1度ぐらいのペースで思い出すには
やっぱり今年の漢字は4年に1回のペースで「金」になるってのが決まりになっているんだわ。
うふふ。
キャベツがたくさん挟んであってソーセージが挟まっているやつ!
おー!しんなりキャベツの千切りとソーセージが美味しいマッチングよ。
ここなんかお店行列がたくさん出来ていて久しく寄れていなかったけれど
前を通ったらタイミング良く買えてよかったし、
今日は幸先いい感じよ!
なんか甘みが欲しかったので
朝起きた身体を温めるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
漫画のネームって実際は絵コンテとか下書きと呼ぶ方がふさわしいよなと常々思う
なぜネームと呼ぶんだ
とりあえずwikipedia見るか……
語源は英単語「name」の「指定する」と言う意味で、写植の書体やQ数を指定するために、台詞を事前に抜き出しておく必要があったところから。つまり、個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業が本来の「ネーム」であり、そこから台詞そのものをネームと呼ぶようになり、ネーム作業の効率化のために事前に用意するようになったコマ割りしたものにラフな構図や台詞だけを描いたものまでもがネームと呼ばれるようになっていったのである。[要出典]
[要出典]か……
マンガの「ネーム」はいつから描くようになったのか? - Togetter [トゥギャッター]
先人のまとめがあった
1969年頃、「若草」で知り合った年上の漫画家志望者たち(担当さん付いてる)は、いつも編集部にネームを持って行ってました。当時の少女雑誌編集部はどこもそうだったかと。私は70年(中学生です)に別マ編集長に「次はネームで持ってきて」と言われました。
『石ノ森章太郎のマンガ家入門』(1965年)にもストーリーマンガを描く準備として、プロット→シノプシス→コンストラクションときて、コンテ(今でいうネームに相当)を作りましょうと書かれてますね。「物語の細部をかきこみ、コマわりまで完全にしましょう」「めんどうなようですが、この段どりが、もっとも重要なのです」
昔だとやっぱりコンテって呼ぶケースもあったんだな
用例として信頼できそうなのはここらへんか
本来のネームである「個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業」は今もやっているのかな
詳しくない
死んだ概念かもしれない
複数人で分担するからこそ指定する必要があり、ひとりで作業が完結するならネーム(真)指定は必要ない
デザイナーとかが活躍する業界の仕事とか業務の流れを全くイメージできない 門外漢すぎる
生きている概念だとしてもネームとはもう呼ばないのかもしれないな
こういう「よく考えると何故そう呼んでいるかわけわからん名前」の語源を調べるの大好き
second(秒)とか なんで2ndが時間の単位やねん、みたいな
おわり 日記
パリ五輪と東京五輪のピクトグラム比較→「どっちも国のらしさが出ていて好き」「ピクトグラム本来の使い方を考えると東京が圧倒的」
ブクマカの反応は否定派が多め、少し肯定派もいるという様子だった。
否定派は「毎回変えるとわかりづらい」「ピクトグラムの目的に達していないから駄目」「何の競技だがさっぱりわからない」など。
肯定派は「「紋章モチーフでパリらしさがでている」「オシャレ」「かっこいい」など。
これらを見ていただくとわかるが、コメントの大半はデザインの役割を一元的なものとしてしか捉えてられていない。
もちろん一般的にはその程度の理解でいいのだが、もしこれからもデザインに物申したいのであれば「デザインには2つの役割(と価値)がある」ということを知っておいてほしい。
「機能的な役割」とはつまるところ「わかりやすい」「読みやすい」「使いやすい」といったような、
ユーザーが見たり使ったりする上で適切に機能するデザインになっているかということだ。
近年話題になるアクセシビリティ、ユニバーサルデザインなども機能的な役割といえるだろう。
一方、「情緒的な役割」とは「かっこいい」「かわいい」や「高級感がある」「安っぽい」といったような、
デザインを見たときに感じる様々な印象に対して、ブランドや商材・目的などに応じて適切な印象を与える役割のことだ。
この2つの役割を踏まえると否定派は「機能的な役割」を重視し、肯定派は「情緒的な役割」を重視していることがわかる。
もちろんどちらをより重視するかは人それぞれだし間違いはない。
が、デザインで重要なのはどちらかではなくどちらも併せ持つ、というところなのだ。
まず否定派の意見として「ピクトグラムなんだから伝わるのが正しい、伝わらないピクトグラムは意味がない」というのがある。
これは間違いではないのだが、こと五輪のピクトグラムにおいては歴史的経緯から「情緒的な役割」がより重視される傾向があることは無視できない。
五輪ピクトグラムの発祥が1964年東京オリンピックであることはご存知だと思うが、
その理由は1964年東京オリンピックが「初の欧米以外の開催地である」ことに由来する。
それまでのオリンピックは欧米圏での開催だったため言語の壁が比較的薄かったが、
1964年当時の日本では英語のコミュニケーションが現実的ではなかったため、非言語で伝わるマークとして勝見勝を中心にピクトグラムが考案された。
つまり当時は「機能的な役割」を最も重視してつくられたといえる(とはいえ精緻に整えられたデザインは情緒的にも美しい)。
そのピクトグラム作成が毎回の恒例になるにつれてより重視されるようになったのが「この国らしさ」、つまり「情緒的な役割」である。
加えて60年が経ったいま、言語の壁が比較的薄くなってきたことやデジタルメディアの浸透などによって元来の「機能的な役割」はほぼ役割を終えたといってよいだろう。
当時のブコメにいくつか回答してみる。
なんで毎回変えるんだろうな。わかりやすさで言うと、同じのを毎回使って定着させたほうがわかりやすくなると思うんだが。トイレの男女マークみたいに。
ピクトグラム本来の機能的な役割としてはおっしゃる通り。実際に非常口のピクトグラムは国際標準化されている。
五輪ピクトグラムが標準化されなかったのはつまるところエンターテイメント性、すなわち情緒的役割を重視されたということだろう…。
目的を全く達してないから普通に駄目だと思いますが。デザインのゴールが違うってピクトグラムのゴールは明確。勝手にゴールを動かすな。 欧米でユニバーサルデザインが言われるのはそう言わないとこうなるからか?
五輪ピクトグラムのゴールを「機能的な役割」のみと捉えるのは間違い。
どのようなデザインであっても2つの役割を併せ持っており、どちらか一方を完全に無視することはできない。
北京の今の漢字になる前の象形文字っぽい篆書体みたいなピクトグラムやっぱりいいなぁ、と思う。歴史の長さや重みをピクトグラムでも表現できているようで。
「らしさ」を情緒的に表現しつつ、機能的にもある程度のわかりやすさを担保している。
東京五輪のピクトグラムは100点であり0点。ピクトグラムとしては完璧、でも日本らしさがない。そこを「ピクトグラムは日本の文化(1964東京五輪が初)」で押し通した。『ザ・ドラえもんズ』のドラえもんのようなもの。
非常に的を射たコメント。
ただし「日本らしさがない」は人によっては「あれが日本らしさ」と感じる人もいるので、情緒的な評価は人によって判断が分かれる。
情緒的な役割を重視するあまり、機能的な役割を満たせなかった有名な事例。
ちなみにデザイン炎上の8割くらいは機能的な観点で炎上している(ローソンのPBリニューアルなど)。
理由は簡単で、デザインが情緒的に適切かどうかは高度な審美眼が求められる一方、
機能的に適切かどうかは「わかりづらい」の一言で断罪できるからだ。
それが駄目というわけじゃないが、情緒的にはどうかという視点も持っておくとデザインをジャッジする視点が拡がる。
性風俗店の無料案内所模した案内展示に苦情、急きょ撤去 福岡パルコ
過激な表現は多かれ少なかれ批判の的になるが、パルコの1階エントランスというほぼ公共といっていい空間も考慮すると不快な印象になってしまうのも無理はない。
(※劇場版とかアマゾンズみたいな配信作品は除外/あくまでニチアサテレビシリーズのみを対象)
・アギト:小塚明朝(Adobe)→ロダン(フォントワークス)
・響鬼(後期):ヒラギノ角ゴ(大日本スクリーン/34・35話)→ニューロダン(フォントワークス/36話~)
・W~ガッチャード:ニューロダン(フォントワークス/鎧武除く)
■集計(書体別)
・4作品:新ゴ
・1作品:平成明朝、小塚明朝、ロダン、角ゴCa、Popハッピネス
■集計(会社別)
(※クウガの平成明朝は複数の会社から出ているのでベンダーは特定できず)
■補記
・『仮面ライダー電王』のOPクレジットは新ゴだがサブタイはなぜかニューロダン
・(デカレンジャー以降の)戦隊シリーズOPだとモリサワはあまり使われない
→ルパパト(1話のみ/2話以降はニューロダン)とブンブンジャーだけ
ビジネス文書でUDデジタル教科書体が使われているのを目にする機会が増えたのだが、気持ち悪くてしょうがない。
最近やたらとUDデジタル教科書体が読みやすいだの何だので持ち上げられてるせいなんだろうけど、あれはデザインフォントの類だと思っているのでビジネスには適していない。
教科書体フォントは正しい文字の書き方に基づく書体であり、手書き風フォントに近い性質を持つ。つまりプレーンな明朝体やゴシック体とは違い、手書き風というキャラクターを持ったフォントなのだ。
ビジネスではプレーンなフォントを使うべきであって、手書き風フォントとかマジで気持ち悪いんよ。
どうしてもUDフォントがいいならBIZUDでいいし、プレゼンなら他にも適したフォントあるだろ。
ディスクレシアにも読みやすいとか言うけど、会社は学校ではないんですわ。そもそもディスクレシアじゃなくても書いてあること読めてない奴なんてたくさんいるし。
Windows10 以降のWindowsに標準搭載されるようになった「UDデジタル教科書体」というフォントがある。游ゴシックに並んで書体が美しいフォントで、そこらへんのチラシや張り紙などで濫用されているのをよく目にするだろう。
だがUDデジタル教科書体はバリアントが6種類もあって、それぞれがどんなフォントなのかわかりにくい。Word でバリエーションを選ぼうとすると、一覧にはこんな風に並ぶ。
フォント名を単純に昇順で並べただけで、バリアント順になっていない。これでは何がなんだかわからないので整理してみよう。
| 書体名 | 和文 | 欧文 | ウエイト |
|---|---|---|---|
| UDデジタル教科書体 N-R | 等幅 | 等幅 | 標準 |
| UDデジタル教科書体 N-B | 等幅 | 等幅 | 太字 |
| UDデジタル教科書体NP-R | 等幅 | プロポーショナル | 標準 |
| UDデジタル教科書体NP-B | 等幅 | プロポーショナル | 太字 |
| UDデジタル教科書体 NK-R | プロポーショナル | プロポーショナル | 標準 |
| UDデジタル教科書体 NK-B | プロポーショナル | プロポーショナル | 太字 |
各バリアントは
という順列組み合わせになっていることがわかる。
日本語の文面は等幅フォントが読みやすく、英文・英単語はプロポーショナルフォントが読みやすいからだ(メイリオや游ゴシックなどもこの組み合わせである)。その組み合わせのNPひとつでオールマイティにいける。
なお、和文に強いてプロポーショナルフォントを使う場面はなく、せいぜい見出しやタイトルなどの短いセンテンスや、UI部品のメニューなどスペースが限られる用途などに限定して使うべきだろう。
また、英語の等幅フォントも同様で、桁が揃っていないと見にくい表の数値や、プログラムのコードくらいしか一般的には使い道がない。
つまり「N」や「NK」の出番はほとんどないのである。(誤字訂正しました。指摘サンクス)
ちなみに、はてな匿名ダイアリーをWindows環境で閲覧すると、本文の表示には「MeiryoUI」が使われています。この書体はOSのUI用に作られた省スペースフォントで、文字幅を強く圧縮した独特の形状をしています。ファイル名やメニュー項目を表示するには省スペースで重宝ですが、ブログの本文などの長文を表示するような用途にはまったく適していません。ごちゃごちゃと詰まっていてとても読みにくいです。こんなもの、普通は読みものコンテンツの最優先フォントに使ったりはしません。
なぜこんなことになっているのか、スタイルシートを読み解いてみましょう。
font-family: system-ui, -apple-system, BlinkMacSystemFont, "Helvetica Neue", "Hiragino Sans", "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ ProW3", "Noto SansJP", sans-serif;
まず先頭に "system-ui" という総称フォントが書かれているのが噴飯ものです。
総称フォントとは「指定された固有フォントがひとつも見つからなかった時に最後の手段として代替できるような一般名」のことで、本来はフェイルセーフとして font-family 値の末尾に書き添えます。ブラウザは総称フォントに対しては必ず何らかのフォントを割り当てていますから、どう転んでも何かのフォントは見つかり、最低限の表示が保証されるわけです。
ところがそれを先頭に書いたりしたら一発でフォントが見つかって、それ以降のフォント指定は読み飛ばされてしまいます。system-ui の後ろのカンマ以降の情報は実質的にただのゴミです。書く意味がありません。
なぜこんなスカタンなフォント指定になっているか、だいたいの想像はつきます。
このフォント指定は、MacOS付属の「San Francisco」という粋なフォントを呼び出す裏技として一部で流行していた方法なのです。すごく使いたかったんでしょうね、San Francisco を……。
しかしMacOS以外のOSでも、system-ui にはそのOS固有のフォントが割り当てられています。Windows の場合は長文の表示にまったく適さないMeiryoUI だった、というわけです。
どっちみちSan Francisco は記事内の半角英数記号くらいにしか使われませんが、Windows の和文表示をすべて台無しにしてでもそうしたい何か強い理由があったんでしょうか。私には合理的な理由は思い当たりませんが。
Permalink |記事への反応(10) | 12:31
月曜日だったので人も少なく、わりとゆったり見れた
入口にドーンと今回の展示の関係者として池田大作の言葉が飾ってあった
最初は意外に思ったが、長年シルクロード文化には興味を持っていたみたいなことが書いてあり、シルクロードは仏教伝来の道でもあるし、仏教由来の宗教家としては関係性が深いものなのかと納得した
また最近亡くなった宗教家のコネとマネーのおかげの展示なのかと思うと複雑な気持ちになったが、シルクロードの神秘から新興宗教までと幅広い展示なんだなと思うことにした
展示の一歩目から金持ちの好事家のおっさんのコレクションを見に来たみたいな気持ちにもなり興がそがれたが、もともと古来の名品なんて好事家のおっさんの蔵リレーみたいなところありそうだし、そんなもんなんだろう
展示内容としてはもともとのシルクロードの地域的な広さ、飾られた品の制作年代の広さ、関係する文化圏の多さも相まって、出土品や名品を見ながらなんとなくの歴史を追うだけでも大分理解が難しく、これ予習してから来るべきだったなと反省した
ただ、紀元前2世紀から唐代(8世紀くらい)までのシルクロード(6500kmくらいあるらしい。日本国土は3500kmだそう)関連品なので、もうこれより広いカテゴリの展示ってあるのかなとも思った
序盤で頭がついていかなくなったので、キラキラやデザインを楽しむ方向で見ることにした
老齢の御夫婦がトルコ石で飾られた金の器を見て「見てみ、金ぴかやー」と言っていて、みんなそんなレベルなのかもしれんとなんか安心した
デザインとして気になったものとしては後漢の時代の『車馬儀仗隊』
三列くらいに並んでいて、一番後ろの二頭の馬が荷車を引いていたんだけど、明らかに左右で荷車のクオリティが違っていた
向かって左の荷車は板も薄く、引き縄も細く、板同士の溶接部分も最低限で繊細に作られているのに対し、右の荷車は板も太いし、縄も太く反り方も少なく、溶接部もぼってりと盛られていた
そっか設計図とかきっちりしたものがあるわけでもないし、一個ずつがハンドメイドだからよく見たら大分見た目が変わるんだなと思った
ただ左の荷車はその細い設計のせいか、荷車の後ろの板部分と馬のしっぽ辺りを釣り糸で結び強度アップしており、大量生産をするなら右の荷車を元に設計図を起こす方がいいのだろう
あとは『妙法蓮華経化城喩品 断簡』の文字が細いところと太いところのギャップが激しく、全体的に平体みたいにつぶれていて、あんまり見ない感じの書体だなと思った
こういう古書由来のフォントってあるのだろうかと思いつつ、漢字だけだし、日本だとあんまりフォントに起こしても使えねえなと思って見ていた
なんか最後に日中友好の証として送られてきたらしいラクダのはく製が二頭飾られていて、本当に何を見に来たのかわからん気持ちになった
わりと情報量につかれた後、川端通商店街を歩き、櫛田神社に行った
https://tosche.net/blog/origin-of-gothic
Alternate Gothicは1903年の書体で、で、サンセリフの名称としてGothicが初登場するのは1837年です(後述)。
Alternate Gothicは1番がコンデンス(長体)、2番が標準字幅、3番がエクステンデッド(平体)という3つからなるファミリーでした(もしくは2番が長体、1番が更に長体)。一つのデザインで三種類の字幅のオルタネート(代替)を選べるからAlternate Gothicなのです。
内田さんの記事によると日本がゴシックと出会ったのは明治初年だそうで、アメリカでGothicという名称が登場して40年ほど経ってからで、Alternate Gothic誕生の30年ほど前です
GeForce Experienceってもう何年もずっと中華フォントだよな
英字とカナはゴシック体なのに漢字だけ明朝体だから書体的にもめちゃくちゃ浮いてるしそもそも中華フォント自体が違和感ありすぎて嫌
ググると出てくるen_us.pakを消す方法で直せるんだけどバージョンアップするたびに戻ってしまうし嫌になる
SNS見る限り苦情はそれなりに行ってるはずなんだが、革ジャンアメ公どもの脳みそではこの気持ち悪さが理解できんのだろう
もしや洋ゲー厨どもは洋ゲー中の日本語がCJK処理系の問題で中華フォントで表示される場面に遭遇しすぎてるせいでこの書体が正しいと思い込んでるんじゃないか?
ともかくグローバルな一流メーカーとは思えんくらいの鈍感さで放置されてるわけだ
だが日本人にとっては知ってるようで微妙に違う変な文字を見せられ続ける精神的苦痛は賠償ものじゃないか?
というか君達は気にならないのか? 俺は気になるが
これはもう可及的速やかに赤陣営に移れというグラボ神の啓示なのではないか?
勘違いしてほしくないが俺は日本語環境に混ざってくる中華フォントはめちゃくちゃ嫌いだけどメイドインチャイナガジェット自体は好きだし
いけ好かないマイナーが放り出したモノつかむことにも抵抗がない基本的におおらかで実益重視の人間だ
今使ってる8年前に組んだPCだって当時の中古CPU・中古グラボ・中古マザボ・中古ケースで組んだコスパ機だしな
メモリやCPUクーラーなんてAliで買った全然名前知らないけど実績はあるっぽい謎中華ブランド製だが全然問題ない
いや何の話だよ
https://support-creators.com/archives/34
AI学習のオプトイン方式なんて通るわけねーだろ馬鹿!AI研究がまともにできなくなるだろ!
学習に使う画像は全部画像の著作者に許可を得てお金を払え?何言ってんの?
お前ら版権オンリーやコミケで二次創作の同人を出すときに版権元にいちいち許可得てたっけ?お金払ってたっけ?
版権の個別許諾なんてワンフェスでやっとできるくらいでそれ以上の規模のイベントでできてないのに
自分たちが当事者になった途端それかよ?ちょっと鏡を見てくれないか?
自分たちは頒布であって金儲けしてないからセーフ?マジでそれ言ってたら笑うけど
だったらNovelAIみたいなAI画像生成で金を取ってる奴やAI絵で金稼いでるアホに言ったらどうだよ?
自分たちは手を動かしてるけどAIでの画風模倣は労力を使ってないから駄目?
Excelマクロで省力化したらキレるジジイみたいなこと言ってんじゃねーよ!