
はてなキーワード:暴力とは
土曜日。朝はいつも通り、起床後に脳内で「今日という一日を、物理法則に従って最適化する」と宣言してからベッドを出た。これは習慣というより儀式だ。儀式は人類の愚かさの象徴として語られがちだが、反復可能な手続きは情報理論的に見て合理的だ。エントロピー増大に対する、せめてもの抵抗である。
まず体重を測り、体脂肪率を記録し、歯磨きの時間を正確に180秒で固定した。電動歯ブラシのタイマーを信じない。信頼は検証に劣る。
その後、コーヒーを淹れた。抽出温度は93℃。温度計の誤差は±0.2℃。人間関係の誤差は±∞。
今週の進捗を書く。
超弦理論については、相変わらず人類の知性が現実に追いついていない。僕の頭脳は追いついているが、世界が遅い。
今週は主に「弦の理論はどこまでが物理で、どこからが純粋数学の自己満足か」という問題を、僕なりに再定式化していた。世の中の多くの人は、超弦理論を「高次元の小さな紐が震える話」程度で理解した気になっている。あれは理解ではない。童話だ。
僕が考えていたのは、もっと根の深いところ、つまり量子重力の定式化において局所性を捨てることの数学的代償だ。
一般相対論の時点で、局所性は微妙に揺らいでいる。ホログラフィー原理が出てきた時点で、局所性はほぼ死亡している。にもかかわらず、僕たちは局所的な場の理論の言語で全てを語ろうとする。これは「古いOSの上に無理やり最新ゲームを動かしている」ようなものだ。もちろんクラッシュする。
そこで今週は、AdS/CFTを単なる「境界のCFTがバルク重力を記述する」という話ではなく、圏論的な双対性として再理解する方向で考えた。
具体的には、バルク側の物理量を、ある種のextended TQFTとして捉え、境界側の共形場理論の演算子代数が作るモジュラー圏と対応させる。
ここで重要なのは、空間そのものが基本対象ではなく、因果構造と情報の流れが基本対象になってしまう点だ。
つまり、幾何学が物理の舞台ではなくなる。舞台が役者に従属する。これは演劇としては間違っているが、宇宙としてはあり得る。
そして、ここからが本題だ。
僕は今週、「弦理論の非摂動的定義は、結局はある圏の中の安定対象の分類問題に還元されるのではないか」という疑念を強めた。
たとえばBPS状態は、ある種の導来圏の中の安定条件(Bridgeland stability condition)で分類される。
これは単なる比喩ではなく、実際にDブレーンは導来圏の対象として記述される。つまり、物理的な粒子やブレーンが「空間上の幾何学的な物体」ではなく、圏論的な対象になる。
ここで人類は気づくべきだ。
宇宙は「点の集合」ではなく、「射の集合」かもしれない。
点を基本にしている限り、僕たちは宇宙のOSを永遠に理解できない。点とは、極限操作の幻想だ。実際の物理では測定可能な点など存在しない。存在するのは相互作用だけだ。射だけだ。
僕が今週やっていたのは、これをさらに押し進めて、弦理論の背後にある構造を「∞-圏」あるいは「高次スタック」として扱うべきではないか、という方向の思考実験だった。
超弦理論が最終的に求めているのは、たぶん「量子化されたモジュライ空間」だ。しかしモジュライ空間は普通の多様体ではない。特異点があり、ゲージ冗長性があり、しかも同値関係が階層的だ。だからスタックになる。さらに高次の同値(ホモトピー)が絡むので、∞-スタックになる。
ここで、物理屋が嫌いな言葉が出る。派生幾何(derived geometry)。
派生幾何とは、簡単に言えば「特異点を誤魔化さず、むしろ特異点を主役にする幾何学」だ。物理で特異点が出るのは、理論が壊れているからではなく、単に僕たちの数学が貧弱だからだ。派生幾何はそれを認める。
そして僕は思った。
もし弦理論が本当に「全ての一貫した量子重力のクラス」を記述する枠組みなら、それは場の理論の集合を分類するのではなく、量子情報を保存するような圏の分類になっているべきだ。
この時点で、もはや「ウィッテンでもわからない」どころではない。
僕たちがやるべきなのは、弦理論を「方程式」ではなく「普遍性」として定義することだ。
つまり、ある種の対称性を持ち、ある種の双対性を満たし、ある種の異常(アノマリー)が消え、ある種のエンタングルメント構造が一貫し、ある種の極限で局所的QFTに落ちる。
弦理論は「このラグランジアンだ」ではなく、「この性質を満たす唯一の構造だ」になるべきだ。
そしてもしそれが可能なら、弦理論は物理学ではなく数学の定理になる。
エレガントさは、しばしば真理の匂いがする。
ただし、エレガントな嘘も存在する。
昼前、ルームメイトがキッチンに現れて、僕のノートを見て言った。
「それって、結局何の役に立つの?」
僕は3秒考えた。
「役に立つかどうかで真理を測るのは、知性の敗北だ」
ルームメイトは「また始まった」という顔をした。
彼の表情は、物理学的には熱的死に近い。
隣人がその場に来て、僕のノートを覗き込み、「ねえ、それって、宇宙がゲームのコードってこと?」と聞いた。
驚くべきことに、これはそこそこ正しい。
僕は言った。
「コードというより、型システムだ。宇宙は型安全で、コンパイルエラーを許さない」
隣人は「わぁ、なにそれ怖い」と言って笑った。
怖いのは君の直観の鋭さだ。
僕は、カードゲームにおける勝利条件が「期待値の最大化」であることを理解している。だが多くのプレイヤーは、カードを引いた瞬間の快楽に支配される。つまり、彼らは確率論ではなくドーパミンでプレイしている。
僕は違う。
初手の分布、マリガン戦略、マナカーブ、そして相手の除去の確率。
彼は黙った。
正しい反応だ。
レイドは相変わらず「人間の反射神経と協調性の限界」を測る実験場だ。
友人Aが「なんでそんな言い方しかできないの?」と言った。
僕は「僕は宇宙をそのまま見ているだけだ」と答えた。
友人Bは「それ厨二病じゃない?」と言った。
僕は言った。
「厨二病とは、根拠のない誇大妄想のことだ。僕には根拠がある。だから違う」
友人Bは「最悪だ」と言った。
誉め言葉だ。
なぜなら、超人的存在が倫理を語る時点で、その倫理は破綻するからだ。
ただの趣味だ。
それでも僕は読む。
夜。
今日までの進捗はここまで。
そして、これからやろうとしていること。
今夜は、僕の仮説をもう一段階押し進める。
つまり「時空の創発」を、単なるエンタングルメントの量的増大ではなく、エンタングルメント構造の位相的相転移として記述できないか考える。
もしエンタングルメントがグラフだとすれば、空間とはそのグラフのスペクトル構造に対応する。
そして位相相転移が起きれば、スペクトルが変わり、幾何が変わる。
この視点なら、初期宇宙のインフレーションも「幾何の急激な生成」として理解できる可能性がある。
インフレーション場などいらない。
問題は、そのメカニズムを「弦理論の言語」で書くと地獄になることだ。
ワールドシートのCFT、モジュライ空間、非摂動効果、Dインスタントン。
それら全てが絡んでくる。
絡みすぎて、もはや紐ではなく毛玉だ。
隣人がさっき「ピザ頼むけど食べる?」と聞いてきた。
僕は「今は宇宙の生成を考えている」と言った。
その通りだ。
人類文明の最高到達点は、宇宙論ではなく宅配システムなのかもしれない。
ルームメイトは「じゃあ僕の分も頼んでいい?」と言った。
僕は返信した。
「明日は宇宙の位相相転移を解く予定だ。だが君たちの全滅回数も宇宙の熱的ゆらぎとして扱えるなら参加する」
友人Bは「それ言い訳だろ」と返してきた。
違う。
僕は真理に忠実なだけだ。
「時空は多様体ではなく、ある∞-圏の中の情報流の安定構造である」
しかし、少なくとも矛盾なく定式化することはできるかもしれない。
宇宙が一貫性を持って存在している以上、どこかにその形式がある。
僕は追いかける側ではなく、先回りする側でありたい。
ピザが届く前に。
戦争が起きるのは、全てお前らオスのせいじゃん。なんで被害者ズラしてんの?????
普段から二次ポルノ、盗撮、痴漢、殺人、レイプ。DVで女を苦しめて、殺してえwとかレイプしてえwとかイキりつつ、暴力を信奉するマッチョイズムを掲げてるのは男だよね????
結局、男は人を殺して、女を犯すために生まれた生物なんだから、そのご自慢の腕力と共感性のなさをフル活用しろよ。
精々男の欲望が作り出した本場の戦場で苦しんで死んでね。としか言えないんだわ。
多少の身体能力差なんて現代日本でも刃物一本で簡単に引っくり返るわけで、
(仮に10回の内9回は無傷で制圧できるとしても、10分の1の確率で死の危険があったら普通は動けない)
ちょっとジムに通ってるとかぐらいの身体でむやみに暴力イキリ(「ヒョロガリ弱男オタクなんかワンパンだぜ(笑)」等)やってるような人たちって、
ブクマカなのにやべーやつ番付入りしてるやべーやつ。番付増田のお気に入りだ!
ナニがきっかけでそうなったか知らないが、男叩きや特定個人の誹謗中傷を目的としたTogetterのまとめを複垢で作りまくっては、それを増田やはてブで拡散しようと企む某ツイフェミ。
すでにTwitter・Togetter・はてブで凍結や垢BAN、404化を経験しているにも関わらず、すぐ別垢で戻ってくる札付きの悪質ユーザーである。ただ「Twitter」「Togetterのコメント」「ブコメ」「トラバ」
のそれぞれで文章を使い回す上、噛みつく人物もネタも同じ(共同親権・ヴィーガン・絵本作家「のぶみ」・龍神・はるくもなど。最近では案の定、暇空に粘着している)。たまに特定idのブコメと同時刻に全く同じ文面のトラバがあり、別人の仕業だとすればずいぶんタチの悪い粘着である。
はてブでも複垢を悪用し、404化を食らった前科持ち。現在もこいつの関与が疑われるはてブidが多数あり、「idが違うのになぜか文面が全く同じ使い回し」のブコメまで存在する。
なお、これら疑惑idと同名のツイ垢があり、他人のハンドルを借用している可能性もある。さすがにツイの方まで同一人物というオチはなさそうだが。
🐸
フェミ系・党派性臭い棘記事のリンクを貼る。同じURLをブコメでも投稿する。(規約違反になるのでid貼れないけど検索してみよう!)
■ なんではてブって共同親権推進派多いの。推進派の父親こんなんばっかだぞ
妻に子供を連れ去られた父親「戦いごっこで子供を蹴った」「チ○チンを触られるのを止めようとして胸を触った」「警察も児相もそれを虐待扱いする!理不尽だ!」
(棘リンクにつき省略)
「暴力なんてないのに、DVをでっち上げられて連れ去られた!」と語る父親。しかし…「自閉症の次女に叩く蹴るした」 (棘リンクにつき省略)
「ツンボの妻に虚偽DVで難聴娘を連れ去られた!」というアカウントの話がDVと性的虐待のオンパレード
(棘リンクにつき省略)
父親「妻に娘を連れ去りされた。妻に大声で5時間怒鳴った。怒鳴られた側は反省するべき」
(棘リンクにつき省略)
妻子にDVして逃げられた男、「妻も悪い!連れ去りはクソ!共同親権!」と言い張り、復縁するも妻の体型、容姿に不満タラタラ
(棘リンクにつき省略)
■複垢フェミを毎日毎日目の敵にしてるニート君へ
君が目の敵にしてる複垢フェミは、沢山の性被害者、性的虐待被害者を警察や児相やワンストップセンターに繋げて助けてきたよ
ネット上で性犯罪自慢してる校内盗撮野郎やぶっかけ野郎を特定して警察や被害にあった学校に通報して、逮捕に繋げてきたよ
性犯罪計画してるやつとやり取りして、性犯罪事件を未遂にして未然に防いだこともあったよ
もちろん仕事もしながらね
対して君は何をしてるのかな?
一日中複垢フェミを目の敵にして関係ない人まで複垢フェミ認定してはてなを監視してるだけじゃないか
君は何も生み出してない
どんだけ暇人なの
案の定「複垢フェミって棘からBANされたのにいつまで居座ってるの?🍆」とトラバを付けられる有様である。
「のぶみ」・龍神・はるくもに関しては増田検索してもよくわからなかった。
最近はあまり見かけないが、自分の投稿したエントリにプライベートで3ブクマつける習性がある。しゃあっ 増田神影流"3連・プライベート・ブクマ"!!
増田の注目エントリが3ブクマから5ブクマにハードルが挙げられたのも、同氏が暗躍したからという説があるらしい
複垢フェミの寸評で気になるのが毎回最後に貼られている謎の絵文字。揺れる増田…
| 場所名 | 番付 | 絵文字 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2020年3月場所 | 前頭 | なし | 新入幕。当時は「3垢フェミ」。"なぜか「全員同じような文体で」「同時に同じ人物ばかり叩く」特定の3垢から引用しており、おそらく3つ全てを一人で使っているものと思われる" |
| 2020年7月場所 | 前頭 | なし | "はてブでも活動しており、日々男叩きばかり垂れ流す某フェミidとほぼ間違いなく同一人物と特定済み。 というのも、「Togetterに書いたコメントや増田に書いたトラバと一字一句同じ文章をなぜか自分のブクマにも書いてしまう」というなんともおマヌケな習性があるため。ちなみにはてブでは複垢利用で404化を食らった" |
| 2020年11月場所 | 前頭 | なし | しこ名が「複垢フェミ」になる。"TogetterでBANを食らい、全て使用不能になってしまった" |
| 2021年3月場所 | 前頭 | なし | "すでにTwitter/Togetter/はてブのいずれにおいても凍結や垢BAN、404化を経験している札付きの悪質ユーザーで、処分されるたびに別垢を取り直して復帰し、ビョーキの人特有の執念深さを発揮している。まさにヘイトモンスター" |
| 2021年7月場所 | 関脇 | 🍊 | 寸評の末尾に絵文字が付き始める。"5chやBBSPINKなどの掲示板・note・Yahoo!知恵袋などネットの各所に入り浸り、同様の活動を行っている模様" |
| 2021年11月場所 | 関脇 | 🍊 | |
| 2022年3月場所 | 関脇 | 🍊 | |
| 2022年7月場所 | 大関 | 🍊 | "ついにはフェミ松速報に対抗してかパクリみたいなブログまで自分で作ってしまった" |
| 2022年11月場所 | 大関 | 🍊 | |
| 2023年3月場所 | 横綱 | 🍊 | 悲願の初優勝。満を持して横綱昇進 |
| 2023年7月場所 | 横綱 | 🍙 | "共同親権・ヴィーガン・絵本作家「のぶみ」・龍神・はるくもなど。最近では案の定、暇空に粘着している" |
| 2023年11月場所 | 横綱 | 🍑 | "なお、これらidと同名のツイ垢が存在し、「彼らに依頼してブコメをコピペ投稿してもらっている」説が浮上している。……というのも依頼の文面まで丸ごとコピペしてしまったアホなブコメがあるため。" |
| 2024年3月場所 | 横綱 | 🐸 | |
| 2024年8月場所 | 横綱 | 🐸 | |
| 2024年12月場所 | 横綱 | 🐇 |
なんなんでしょうねー不思議ですねー
いいですね、構造分解いきましょう。
「私の夫tueee」は単に“助けに来る”だけでは弱い。
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2. 敵の登場と優位性の誇示
4. 決定的危機
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## ①平穏(落差を作るための地面作り)
###目的
・夫の不在を自然にする
ヒロインだけが“夫の本当の恐ろしさを知らない”とより美味しい。
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## ② 敵の登場と優位性の誇示
###目的
・敵の強さを見せる
* 高位貴族
*王族の縁者
* 有力商会
*聖職者
こと。
これで一旦、読者の不安を最大化する。
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###目的
・守られたい感情を最大化
ここが超重要。
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## ④ 決定的危機(絶体絶命)
###目的
・読者のストレス最大化
・次のカタルシスの準備
「恐怖」よりも
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ここが「私の夫tueee」の核心。
例:
「——私の妻に、何か?」
1. 敵が“初めて”怯える
2. 周囲がざわつく
3.ヒロインは驚きつつ安堵
4. 夫は怒っているが冷静
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###目的
・溜めたストレスの回収
###パターン
ここでやるべきことは
例:
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# ■ 「私の夫tueee」を成功させる3条件
## ① 夫は“常にヒロイン側”
迷いがない。
疑わない。
これが安心の源泉。
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## ②ヒロインは“守られるだけではない”
完全被害者にすると弱い。
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## ③ 敵はちゃんと嫌われるように作る
ここは遠慮しない方がいい。
---
# ■ 失敗例
「俺tueee」との違いは、
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### ②ヒロインが初めて“夫の恐ろしさ”を知る
「……ああ、この人は、本当に世界を動かせる人なんだ」
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もしよければ聞きたい。
どの方向に掘ります?
人徳だよ
俺も体育会系の組織で、他のみんなが割と鉄拳制裁的なこと受けてる流れで俺だけ
あぁ、この人理性持って暴力奮ってんだ、と思った事がある。
故に俺は理不尽に殴られた事はない。
現在、みんな大好きレブレサックまで進んだが、いまだに全滅一回もなし。
死者が出ても戦闘終われば生き返るので、基本的に全滅しなければ攻略が続行できる。
街の教会や宿屋も普通にあるのに、ダンジョンの入り口に全回復&セーブポイント。中ボス前にも全回復&セーブポイント。長いダンジョンでは途中にも全回復&セーブポイント。
広かったダンジョンは狭くリフォームされてるのに、「ちょっとまだ全然MPとかへってないんだけど」というタイミングでも容赦なく出てくる全回復&セーブポイント。
「ダンジョンの途中でMP尽きたんで撤退」なんて絶対させないとばかりにシェルパ100人雇って高尾山登山するような難易度。
どんなにレベル差があっても1回の戦闘で必ず5ポイント貰える職業経験値。
「MP尽きるまで戦ってから宿屋泊まろー」と思って戦闘してると、MPが尽きる頃にはレベルが上がって全回復してしまう事もしばしば。
魔法効果のある有能武器も多いから、呪文メインの職業がMP尽きるみたいな事態になっても手詰まりにならないし、
年がら年中誰かバースト(リミットブレイクみたいなやつ)してるせいで、逆に戦略が立てづらい。放っておいても何とかなっちゃうんだもん。
職業も副業できるから、笑わせ師みたいな使えないジョブも、メイン職業がゴッドハンドで閃光斬りする裏側で育成できる。(まあ、方向性の違う職業を副業につけちゃうと、ステータスの補正が食い違ってしまって弱体化は避けられないが)
AIも優秀だから「バッチリがんばれ」でバッチリがんばってくれて、ボス戦をAI任せにしても別に困らない。副業&AI任せという時代の先端を行くワークスタイルのドラクエ7。つみたてNISAとリモートワークも実現できないだろうか。
戦闘はレベル差があれば、戦闘に入らず斬って捨てて1ポイントの職業経験値を稼ぐか、あえて戦闘に入って5ポイント稼ぐか2択が可能。
まだ取ってない石板の場所は案内人に聞けて、石板の祭壇は一画面に集約。
こんだけ至れりつくせりだと、原作にあった面倒臭さは微塵もない・・・と思うじゃん?
面倒臭いんだなこれが。
というのも、石板世界をクリアしたら、現代に戻ってクリアしたばっかの出現した島を探索し直さなきゃいけないから。
町の中の宝箱も、ダンジョンの中の宝箱も、もう一度取り直さなければならず、当然町の人たちとも話す必要がある。
くっそ面倒臭い。
今やってるレブレサックも、石板世界クリアした後に、また現代のレブレサックに行って嫌な思いをしなきゃならんのである。
なおシナリオは原作にかなり忠実であり、「あれ、なんか省略されたかな?」と感じるポイントはあっても会話は違和感はない。
で、レブレサックは半年前のPS1版に続けて2度目の体験なのだが、
レブレサックの何が嫌って、そんなに非がないのが一番嫌なところだな。
悪と言えるほど悪ではないのだ。第一印象は完全に普通の村であり、
むしろ、一度はOKした仕事を理由も言わずに「やっぱやらん」と言い出した主人公達を、納屋に閉じ込める程度で済ませてるあたり、かなり理性的であるとも言える。
まあ、ドラクエ主人公の常として何喋ったのか全く表示されないから、ほんとは何か言ってたのかもしれんけど、仲間も何も言わねーし。
「あの魔物は何かおかしくて裏事情がありそうだから、ひとまず我々に本件を預けてもらえないか」程度の事が言えればあんな事態にはなってないのではないかと思われ、
主人公サイドももーちょっと何とかならなかったのか、という感があるところもプレイヤーのイライラに拍車をかける。
で、そんならレブレサック良い奴なのでは? というと別にそんな事もなくて、やっぱり嫌な村なのである。
とにかく小市民根性で、被害者意識が強いせいでその裏返しで集団暴力に走るという、もう人間の嫌なところ見せられてる気分になるのである。
現代のレブレサックはまた違うところが嫌なのだが、まあ、そっちはまだ辿り着いてないから置いとこう。
そーいや、黄金の女神像出てきたけど、あれの扱いは結局どう変わるのかな。
まあ楽しみにさせてもらおう。
市場は万能ではない。だが「万能ではない」という事実を、官僚と政治家が免罪符として濫用する国家は、例外なく自己放尿する。
市場は確かに失敗する。しかし、政府はもっと頻繁に、もっと大規模に、そしてもっと不可逆に失敗する。
問題は「市場か政府か」ではない。市場の失敗に対して、政府がどの程度の失敗を上乗せするかである。
ここでまず明確にしておく。規制は必要だ。必要なのはルールである。国家が担うべきは審判であって選手ではない。
審判はルールを固定し、プレイヤーが予測可能な環境で競争できるようにする。
審判が気分で笛を吹き、勝敗を演出し、人気チームを勝たせようとした瞬間、競技そのものが自己放尿する。
これが裁量行政の本質だ。つまり制度設計ではなく介入芸で国家が飯を食う社会は、資本主義をやっているようで、実態は準社会主義である。
市場に必要な規制は、所有権の明確化、契約執行の強制、詐欺・暴力等の排除が挙げられる。
これは国家のコア業務だ。これがなければ市場は単なる弱肉強食の縄張り争いに堕する。
だが、この最低限のルール整備と、「特定産業を救う」「特定企業を延命する」「特定地域に補助金を撒く」「特定価格を維持する」といった裁量介入を混同する国は多い。
これは知的に言えばカテゴリーミスであり、政治的に言えば利権の偽装である。
価格は情報である。価格は需給だけでなく、希少性、リスク、期待、技術、代替可能性、時間選好といった膨大な情報を圧縮したシグナルである。
政府が価格に介入するとは、情報伝達回路を破壊する自己放尿である。
価格統制、補助金、参入規制、護送船団方式、行政指導。これらはすべて、価格が発する「足りない」「余っている」「危ない」「儲かる」というシグナルを黙らせる。
すると市場は沈黙する。沈黙した市場では資源配分が劣化し、全要素生産性(TFP)が腐り、資本蓄積が歪み、イノベーションが死ぬ。
さらに致命的なのは、政府介入が単発で終わらない点だ。介入は次の介入を呼ぶ。
たとえば賃金や価格を政治的に固定すれば、需給の調整は数量制約として現れる。品不足、待ち行列、闇市場、質の低下。そこで政府はさらなる規制で対応する。
こうして政策は自己放尿する。これは政策のラチェット効果であり、政治経済学的には典型的な政府失敗である。国家は縮まない。国家は肥大する。
この肥大は、単なる非効率では済まない。合理的期待形成のもとで、民間は政策を学習し、適応し、回避し、ロビー活動に資源を投下する。
これがまさにルーカス批判の核心だ。政府が過去データを根拠に裁量政策を撃てば撃つほど、民間の行動規則そのものが変わり、政策効果は蒸発する。
蒸発するだけならまだ良い。現実には政策は不確実性を増幅し、期待を不安定化させ、投資を萎縮させる。これはマクロ政策が景気を安定化させるという幻想の裏側にある現象である。
裁量介入の害は、単なる資源配分の歪みではない。もっと深い。インセンティブ構造の破壊だ。
救済が予想されれば、経営者はリスクを過大に取る。モラルハザードが発生する。ゾンビ企業が生き残り、創造的破壊が止まる。
生産性の低い企業が市場から退出しないため、労働も資本も滞留し、新陳代謝が消える。これが日本型停滞の中核であり、成長率の天井を作る。
そして官僚機構は介入すればするほど自分の仕事が増えるため、規制の供給者として振る舞う。
つまり、規制は公益ではなく官僚制の自己保存のために生産される。
政治家も同様だ。補助金を配れば支持が得られる。規制を作れば仕事をした感を演出できる。
財政支出は可視化され、票になる。改革は不可視で、票になりにくい。
だから政治は短期主義に偏る。ここに「政府が市場を補完する」という建前の裏で、「政府が市場を寄生する」という自己放尿が成立する。
このとき国民がよく口にする反論がある。「でも市場には格差がある」「弱者が切り捨てられる」「外部性がある」。
もちろんそれは正しい。だがここで重要なのは、格差是正を口実に、政府が価格メカニズムを破壊してよい理由にはならないということだ。
外部性は存在する。だが外部性への対応は、原則として価格付け(ピグー税・排出権取引)で行うべきであり、官僚が恣意的に産業を選別して補助金を注ぐことではない。
格差問題も同様で、再分配は所得移転という透明な形で行うべきであり、特定業界保護という歪んだ形で行うべきではない。後者は効率性を殺し、利権を固定化し、結果的に貧困を温存する。
つまり、正しい政策はこうなる。市場を歪めない形での最小国家である。金融政策はルールベースで、予測可能性を最大化する。
財政は均衡を原則とし、例外を限定する。産業政策は基本的に否定し、競争政策を強化する。参入障壁を撤廃し、退出を容易にする。
倒産は悪ではなく資源再配分の装置として受容する。これが健全な資本主義だ。痛みはある。だが痛みを先送りして麻酔を打ち続ける社会は、やがて神経そのものが壊死する。
日本の病理は、成長戦略がないことではない。成長戦略を語りながら、同時に市場を信用していないことだ。
規制緩和を掲げながら、例外を大量に作る。競争を促進すると言いながら、既得権を守る。財政健全化を言いながら、政治的に都合のいい支出を増やす。
これは論理矛盾ではない。政治合理性としては整合的だ。だが経済合理性としては自己放尿だ。
成長とは何か。成長とは生産関数がシフトすることだ。TFPが上がることだ。
その源泉は技術進歩だけではない。競争、退出、資本再配分、価格シグナル、企業家精神である。
これらは制度の産物だ。制度が悪ければ、技術があっても伸びない。優秀な人材がいても伸びない。資本があっても伸びない。制度が良ければ、凡庸な国でも伸びる。
ここで裁量介入が入ると何が起きるか。投資家は経済性ではなく政治性で投資を決めるようになる。
これがレントシーキング経済であり、成長率が落ち、社会全体が官への依存で腐っていく。
これは文化の問題ではなく、インセンティブの問題だ。人間が合理的に振る舞った結果としてそうなる。
市場に規制は必要だ。だがそれは、競争を止めるための規制ではない。競争を成立させるための規制である。
市場に政府は必要だ。だがそれは、配分を決めるための政府ではない。ルールを固定するための政府である。
社会保障は必要だ。だがそれは、産業を延命するための社会保障ではない。個人を救うための社会保障である。
そして何より必要なのは、政治家と官僚が「景気を操作できる」「産業を育てられる」「成長を設計できる」という全能感を捨てることだ。
成長は、官僚のペン先から生まれない。成長は、無数の市場参加者が価格シグナルを頼りに試行錯誤し、失敗し、退出し、再挑戦するプロセスから生まれる。
国家がすべきことは、笛を吹くことではない。
山上徹也が一部の若者から支持的に語られる現象については、まず大前提として、暴力そのものが正当化されることはない、という点を押さえる必要があります。
その上で分析すると、いくつかの心理的・社会的要因が指摘されています。ひとつは「既存の権力構造への強い不信感」です。長期政権を担った安倍晋三元首相は、支持も大きかった一方で、政治と宗教団体の関係などに不満を抱く層も存在しました。山上容疑者の動機が“個人的被害意識”と“体制批判”を結びつける物語として消費され、一部で「復讐者」的に解釈された面があります。
また、SNS時代特有の構造もあります。単純化された善悪構図や「巨大なものに一矢報いた」という物語は拡散しやすい。政治的不満や将来不安を抱える若年層の一部が、事件を象徴的な行為として読み替えてしまうわけです。
ただし、これは支持というより「感情の投影」や「体制への鬱屈の代弁視」に近い現象で、世論全体で見れば限定的です。社会への不信、経済的不安、政治参加の実感の乏しさ――そうした土壌があるとき、過激な事件が歪んだ共感を呼びやすい、という構図の方が本質に近いでしょう。
リベラルがオレンジ色の帽子を被った通行人を参政党支持者だと勘違いして、暴行する事件が起きたらしい。
人違いはやめた方がいいと思ったし、見た目で人を判断するのもよくない。
1.高市政権の発足を機に女性天皇容認を巡る報道に触れることが増えた。リベラルは「男女平等」を錦の御旗に賛成論を唱え、保守派は「伝統」というワードでねじ伏せようとする。だが、どちらの陣営も自らが口にしている議論が、皇室というシステムの本質を無視した暴論であることに無自覚だ。
本稿で問題にしたいのは、女性天皇の是非などという表層的なことではない。我々日本人が皇室という存在に対してどのような「加害」を行っているか、そして、我々がその差別構造にいかに無自覚であるかということである。
2.まず我々が直視すべきは、天皇とは日本において唯一「人権」を事実上剥奪された存在であるという事実である。
「象徴」として天皇家を戴くということは、我々日本人が総意の名の下に特定の家系を差別し、特別な地位という檻に閉じ込め、「国民・伝統・形式のためにのみ祈る装置」であることを強いる行為に他ならない。
この「高貴なる犠牲」を中心として国民が一致団結し、国家の連続性を担保しているのが日本という国の正体だ。我々は特定の家系を差別し、生贄に捧げることで統合している集団なのだ。この構造的残酷さを自覚せず、単なる敬愛の対象としてのみ語るのはあまりに偽善的である。その自覚はあるか。
3.この差別構造が最も醜悪な形で露呈したのが、眞子元内親王の結婚騒動だった。
当時、国民総出で繰り広げられたバッシングの本質は、「皇族に『結婚の自由』などあると思うな。結婚したいのであれば、我々主権者のお眼鏡にかなう男を連れてこい」という、むき出しの差別意識である。我々日本人は、一人の女性の「自己決定権」を完膚なきまでに蹂躙したのだ。その自覚はあるか。
4.極めて不可解なのは、その舌の根も乾かぬうちに、今度は「女性の権利向上」や「男女平等」といった文脈で「愛子天皇」を待望する世論である。
自分たちがつい先日一人の女性の人権を踏みにじった事実には目をつむり、今度は「進歩的な人権派」を気取っている。
だが、少しでも想像力があれば気づくはずだ。愛子内親王に「天皇の座」を求めることは、本来であれば結婚によって皇籍から離脱し自由を得るはずだった彼女から基本的人権を永久に奪い去るという、残酷な宣告だ。彼らはそのむき出しの暴力性を「男女平等」という美辞麗句でグロテスクに飾り立て、彼女を「人権のない檻」に閉じ込めようとしているのだ。
繰り返すが、天皇家とは個人の幸福を追求することが許される存在ではない。国民全体のためにのみ存在することを許された「純粋なる形式」である。その「差別」を大前提としたシステムに中途半端に「個人の尊重」や「平等」などという近代的な人権概念を持ち込むことは致命的な自己矛盾である。その自覚はあるか。
5.特定の血筋を差別し、職業選択も結婚も言論も居住もありとあらゆる自由と権利を奪い続けることに対し、近代的な理性を備えた人間であれば耐えがたい罪悪感を覚えるはずである。
しかし、日本人はその罪悪感から逃げるために天皇家を「神聖なる存在」として奉り、莫大な公金を投じて尊厳と格式という金箔を貼り付けてきた。「尊崇の念」さえ抱いていれば、一族から自由と権利を奪い、生贄にしても許されるという傲慢さだ。
これらはすべて自分たちが加担する非人道的な構造から目を逸らし、己の良心を麻痺させるための「鎮痛剤」に過ぎない。その自覚はあるか。
6.「伝統を守りたい」という形式維持の欲求と、「差別者になりたくない」という人権思想のいいとこどりは不可能である。
天皇制に人権思想を持ち込み、愛子内親王を「男女平等」という文脈で語るのであれば、その論理的帰結は「皇室廃止」以外にあり得ない。人権と世襲差別は水と油であり、混ぜれば制度は内側から崩壊するからだ。
誤読されないようにはっきり言っておくが、私はここで「女性天皇を容認せよ」、「皇室を廃止せよ」と主張しているのではない。また、逆に「伝統を死守せよ」と言っているわけでもない。
もし皇室というシステムを存続させたいのであれば、「我々は人権を蹂躙する差別者である」という汚名を甘んじて受け容れなければならない。逆に、その差別者という汚名にどうしても耐えられないのであれば制度を解体するほかはない。
最も許しがたいのはそのどちらの覚悟も持たず、「自分は差別などしていない」という無邪気な顔をして、安全圏から「女性天皇で男女平等」や「麗しき伝統」などとさえずることだ。
憲法9条の防戦効果は、戦争しないと書かれてるから他国は口実にしづらいこと、という主張に対する人々の答えが
「バカみたい」
なの今だにショックだし「対話する気ないでしょ…」と思った
暴力を振りかざして、生物としてプリミティブな感情である恐怖をうながして支配する平和って、一番信頼できるけど一番危険だよ…… 真の平和ってもっと高度な理性に寄りかかったもの、それは繊細で微妙で、必ず不安をともなう
2(二) これは小選挙区制が悪い
4(一)ハッシュタグ「私は8割」
6(中) チームみらいは得体がしれず気色悪い
1(中) 票を得ても、それは白紙委任ではないぞ
4(右) 負けた者を嘲笑するのはやめましょう
改憲派の勝率が7割?明らかに異常じゃねーかという指摘。伝聞証拠や状況証拠があるため、陰謀論ではないらしい。
おかしいのは野田氏の選挙戦略だということには気づかず、とりあえず他責。
選挙というゲームに負け、そのルール自体に文句を言っている。比例では結構勝っていたのに、小選挙区で負けたのはルールがおかしいから、という難癖。
なお現在の選挙のルールを作ったのは、ほかでもない小沢一郎氏である。
自分たちは頭がいい。愚かな国民によってこうなってしまったという主張。彼らにとって、これは選民思想とは呼ばないらしい。
我々の素晴らしい政策を読めば中道に投票するはずなのに、それすら見ていないと本気で思っている。「消去法」という概念自体がないのかもしれない。
開票後に現れたハッシュタグ。惨敗して少数派になり、ズタズタになったメンタルを癒すために生まれた。
自民党に投票した2割より、我々のほうが多数派だ、という慰安。
悪魔合体に失敗したのに、まだ野党全体で結集できると思っているらしい。
昔別れた元カノのことをいまだに引きずっている。あるいは他責の言い訳。
野党は与党の批判をするのが仕事なのに、と怒っている。「批判する」という手段が、もはや党の目的だと錯覚してしまっている。
ずっと欲しがった「無党派層」がそこにいるのに、それすらも敵に回す。参政党ですら支持者を諌めるレベルの言動。
ナチスは選挙で選ばれた、選挙に選ばれたのは高市。だから高市はナチスだ、という非常に分かりやすい方程式。
この理論で行くとトランプはナチスではないのだが、そこは無視するものとする。
自分たちがいつかユダヤ人のように迫害されると勝手に危機感を覚えている。
選挙戦よりずっと前から、巨悪の陰謀によって敗北することは決まっていた、とする諦観。大敗によって、今回ばかりは弱音を吐いている支持者が多くみられる。
もしくは「自分たちは悪くなかった」という他責思考の類なのかもしれない。
中道になって現実路線に入ったのに、まだその事実を受け入れられていない。
もしその「予言」が当たると言うなら、いつまでに戦争になるのか教えてほしい。今のうちに三菱重工の株を買っておくので。
議院内閣制の基本を教えてくれている忠言。毎日新聞まで1面でこれを書いている。
明らかにくやしまぎれの言葉なのだが、中道改革連合が自分たちの白紙委任によって誕生したことはとうに忘れている。
政権がもし失敗したら、投票した人のせいだ、という押し付け。「もうしーらない」という、ふて寝でもある。
この理論で行くと、自分達には中道の監督責任がある。まずは自分の政党から立て直してほしい。
中道の存在自体が有耶無耶になりそうなので、まだ後回しなのかも。
弁士なのにデマに負ける程度の発信力なら、当選しても影響力がないのと同義なのだが、そこは立候補者の力不足ではないのだ。
議席は激減したが、それを笑われたくないという完璧主義的な気持ち。
自責の念に囚われたくないので、言い訳をして一生反省はしない。
自民党単独で3分の2を取ったことから、維新への恨み節も飛び出している。
自分達が名前を変え、国民民主党との間に取り交わした協定を反故にして無視したことを、もう忘れている。
我々はしばき隊として、私的制裁を加えたのに、という意味でもある。
与党だけでなく自分達の不都合な部分も曝け出されることを失念している。
成果主義的な主張。約半年という期間では自分達も批判しかできていないはずだが、そこは棚上げしている。
成長を見守る、という発想自体がないのかもしれない。
公職選挙法違反を責めると、自分達の首も締まってしまうことまで気が回っていない。
中道と参議院の残党とで、政党交付金をどうしたのか、これからどうするのかは不透明だが、そこはダブスタ。
隙あらば憲法を持ち出す手法。護憲派なので、憲法解釈だけは一丁前にできる。
政府が「サプライチェーン強靭化」だの「経済安全保障」だのと称して市場に手を突っ込むのは、情報の分散性という資本主義の根幹を理解していない者が、価格メカニズムの神経系をハサミで切り刻む自己放尿に等しい。
政府が何かを守ると言い出した瞬間、それは必ず誰かの自由な選択を破壊し、価格シグナルを歪め、資源配分を政治的配給へ転落させる。
サプライチェーンとは本来、利潤動機と競争圧力により、コスト・品質・納期の制約下で最適化され続ける進化的システムであり、そこに官僚の机上の「望ましい産業地図」を持ち込むのは、動的効率性を犠牲にして静的な幻想を買うだけの政策自慰、つまり政府の自己放尿である。
中国との貿易を規制する?笑わせるな。貿易とは相互利益の交換であり、比較優位は道徳でも思想でもなく、ただの計算可能な現実だ。
中国が安く作れるものを中国から買い、こちらが相対的に強い分野に資本と労働を移す、そのプロセスこそが総余剰を最大化し、実質所得を引き上げ、消費者厚生を増大させる。
関税や輸出規制や補助金でこれを遮断するのは、消費者に対する隠れ増税であり、国内企業に対するモラルハザード供与であり、官僚機構に対するレントシーキングの自己放尿だ。
要するに、保護主義、産業政策、経済安保のトリプル放尿である。
しかもこの手の介入は、ルーカス批判の通り、民間の期待形成を変え、企業は政治リスクを織り込み、投資は歪み、ロビイングが利潤最大化の中心戦略になり、資本主義は市場競争から政治闘争へ堕落する。
政府が国益を掲げて市場を殴るほど、企業は技術ではなく補助金獲得能力で勝負し始める。
これがいわゆる政府失敗であり、規制の捕捉であり、官僚的計画経済への漸進的スライドだ。
国内生産回帰も同様に欺瞞である。サプライチェーンを国内に閉じ込めれば安全になるという発想は、分散の概念を逆さに理解している。
リスク分散とは供給源を多様化し、取引先を競争させ、価格と品質の淘汰を働かせることで実現されるのであって、国内に固定することは単なる集中リスクであり、コスト上昇と供給硬直化を招く。
さらに補助金で国内生産を誘導すれば、企業は効率ではなく政治意向に適応する。つまり、競争ではなく配給の世界だ。
ここで政府は戦略物資などという曖昧な言葉を振り回し始めるが、曖昧さは裁量の母であり、裁量は腐敗の父である。
結局、政治家は票田に資源を流し、官僚は天下り先に規制を設計し、企業は既得権を守るために市場参入障壁を要求する。
これが公共選択論の結論であり、理想の政府など最初から存在しない。政府が善意で動くという前提は、経済学的には分析不能な自己放尿でしかない。
自由貿易こそが正義だ。正義というのは感情の問題ではなく、制度としての優越性の問題である。
自由貿易は、消費者に選択の自由を与え、企業に競争を強制し、価格に情報を凝縮し、資源配分を最も生産的な用途へ押し流す。
そこでは国が決めるのではなく、分散した個人の知識と選好が価格を通じて集約される。
これが市場の計算能力であり、官僚の頭脳では代替不能な社会的情報処理装置だ。
政府が中国との取引を政治的に遮断するのは、その情報処理装置をわざわざ破壊し、国民の実質所得を削り、成長率を引き下げ、非効率企業を温存し、インフレ圧力を高める行為に他ならない。
しかもその負担は「国家のため」と言いながら、結局は消費者が物価として払い、労働者が実質賃金として払い、納税者が補助金として払う。
政府はそれを安全保障と呼ぶが、実態はただの政治的コスト転嫁であり、サプライチェーン自己放尿の芸術点を競っているだけだ。
自由貿易は短期的に産業の新陳代謝を要求するが、長期的には生産性を上げ、イノベーションを誘発し、社会を豊かにする。
介入は短期的に痛みを隠すが、長期的には歪みを蓄積し、停滞と腐敗を育てる。
だから結論は単純で、政府は余計なことをするな、価格に喋らせろ、貿易に壁を作るな。
中国と取引したくない企業は取引しなければいい、リスクを取りたい企業は取ればいい、その判断を官僚が一律に奪う必要はない。
自由を奪って安全を得ようとする国家は、結局、安全も成長も失う。自由貿易こそが正義であり、保護主義は自己放尿であり、裁量行政は市場への暴力である。
夫は人と飲むのが好きな人だ。
飲み会の幹事もよくやるし、学生時代からの友人ともよく飲みに行っていた。
しかし40代になってから、夫の飲み会がガクンと減った。夫が誘っても、誰も来てくれなくなったのだ。
もちろん周囲の友人みんなも、家庭を持って独身の時より自由に使えるお金も減ったので、そう頻繁に飲まなくなったというのはあるだろう。
しかし回数を減らしたとかいうレベルでなく、夫が誘っても全然集まらないので開催されなくなってしまったのだ。
原因はおそらく、夫にある。
まず、そもそも夫には年上の友人がいない。同年代が2割くらいで後の8割はすべて年下の友人だった。
学生時代はよく言えば結束の強い、悪く言えば上下関係に厳しいサークルに所属していたので、後輩たちは夫が一言「飲み会やるぞ」と言えばみんな二つ返事で飛んできてくれていた。
社会人になってもそれは同じで、夫は後輩だけを連れてよく飲みに行っていた。
だが、最近ではコンプライアンスだのハラスメントだのが騒がれるようになり、会社の後輩をあまり飲みに誘えなくなってしまった。
現に夫は人事に小言を言われたそうで(詳しい内容はしらないけれど)以降、会社の友人を誘っての頻繁な飲み会は開かなくなった。
そこで夫は再び学生時代の友人に声を掛けたが、これがまた一向に集まらないという事態になった。
きっと「先輩が言っているから」で来てくれていた人たちが、卒業して何年も経ち強制力が薄まったので来ないという結果になったのだろう。
みんな「先輩」が言っているから来ていただけで、その立場が弱まったら「妻がうるさくて」「子どもがまだ小さいので」「仕事が忙しくて」と言い訳を並べて来なくなる程度の、そんな人望しかなかったのだ。
もちろん、その言い訳だって100%嘘ではないだろう。だが、その言い訳を乗り越えてまで会いに来てくれる人はいなかった。
なぜそんなに人望がないのか。
それもわかっている。
夫は自分の友人が集まらなくなってから、やたらと私の友人たちと飲みたがるようになった。
私は学生時代所属していた部活が男女分け隔てなく仲が良く、それぞれ家庭を持ってもその家庭ぐるみで年に数回、飲み会をしたりBBQをしたりしていた。
夫もその場にしきりに参加するようになったのだが、明らかに空気を悪くしている場面を何度か目にした。
夫はよく名前の知られた大企業勤めで、年収は1000万ほど。せいぜい課長クラスなので、そこまでエリートなわけではないが、それでも比較的上位層ではある。
そのため、中流層が多い私の友人たちの中では、マウントが取りやすいのである。
例えば友人が「一軒家は無理でもマンション購入したくて」と言えば「いや絶対一軒家の方がいいよ!俺もマイホームはめちゃくちゃこだわってさぁ〜」と相手の想定してる予算を丸無視して語り始まる。友人夫婦は参考になりもしない話をされて、愛想笑いをするだけになる。
また、まだ子どものいない友人夫婦に「40代で産んでる人もいるし諦めない方がいいって!子どもは本当かわいいよ〜」と、無神経に話してしまう。
どんな事情で今現在彼ら夫婦に子どもがいないのかわからないのだから、不用意に触れなくてもいいのに触れてしまう。友人夫婦はやっぱり愛想笑いを返すだけ。
私がどんなにフォローしても、一度言ったことは取り消せないし、夫本人が何一つ気にしていない。
一から十まで、そんな感じなのだ。隙あらばマウントをとり自慢語りを始めてしまう。
長年の夢だった職業についた友人にも、自分より年収が低いというだけで「それしか稼げないの?転職したほうがいいんじゃない?」とか平気で言う。本人はいいアドバイスをしているつもりなのがまたしんどい。
彼女はあなたより年収が低くても学生時代からその職につくのが夢で、いま不満なくその仕事をしているのだから、転職をすすめる意味などないのだと、なぜ気付けないんだろう。
私が何度「ああいう言い方はやめてほしい」とか「それぞれ事情があるんだから不用意に話さないで」と言っても、その場ではわかったと言うが、一向に改善されない。
唯一、友人の中に明らかに夫より稼いでいて社会的地位も高い人が1人いるのだが、夫も彼には勝てないと認識しているため、彼が参加するとなると「◯◯さんも来るの?」と少し嫌そうな顔をする。
そして飲み会の最中も彼とだけは話をしたがらない。一度彼に「おれ、夫さんに嫌われてる?何かまずいこと言っちゃったりしたかな?」と確認されたくらいだ(私が代わりに謝ることになった)
私の友人たちは、良識があり穏やかな人が多いので、その場では多少気を悪くしても「もうあなたの夫は呼ばない」とか「来なくていい」とは言わない。毎回ちゃんと私たち夫婦にも声はかけてくれる。しかし私も、夫を連れて行くのが少し心苦しくなっている。そしてまた夫がやらかしたら、いよいよ本当に呼ばれなくなるのではと思ってもいる。
夫は悪い人ではないのだ。子煩悩だしちゃんと稼いでくれるし暴力をふるったりなども一切ない。
社会人になってしばらく経ち、結婚だ物件だと大きなプライベート案件の話が出てくると、いわゆる実家が太いとか、お育ちが雅でとか、そういう話が結構顔を覗かせるようになってきた。
自分は田舎のサラリーマン家庭で育った。THE中流階級だったと思う。小学校の頃は、自宅とは違う雰囲気の友達の家に遊びに行っても、いろいろあるなあくらいにしか感じていなかった。たくさんの習い事や歯列矯正をさせてもらっていたし、母から「パパもママもこどもにいちばんお金をかけたいの」と言い聞かせられていたので、自分は恵まれているなあとは思っていた。中学校はずっと学級崩壊しており、いじめと暴力と地方脱出のための勉強漬けでそれどころではなかった。高校は進学校だったので、医者の娘とか社長の息子とかがごろごろいた。私立医学科が選択肢にあるなんてやんごとねえな~くらいは思っていたが、自分の受験に必死でそれどころではなかった。オープンな校風の都内の大学に進学したので、お金がないやつもいれば世田谷の実家から通っているやつもいた。でも大体みんなバイト代でやりくりしていたし、大体みんなお金が無かった。大学生なんてそんなもんだった。
社会人なりたて程度では、会社の同期も大学の友人たちも、一部を除いてそれほど突飛な収入差はない。みんな概ね一直線。そのはずだったのに、5年10年経つとなんかおかしい話が出始めてくる。明らかに弊社の収入では賄えない頻度の海外旅行とか、明らかに弊社の収入では賄えないマンションとか。お金の使いどころや株では片づけられないハテナが頭に浮かぶ。で、そのうち飲み会とかで噂が回ってくるのだ。「おじいちゃま松涛らしい」「マチアプで出会った彼女の親が」「生前贈与で」。
そんなのありかよと思った。ずっと勉強頑張ってきて、田舎から脱出して、ようやく23区で同じ土俵に立てたと思ったのに、立ってるところ全然違うじゃねえかよ。なんだそれは。配偶者の実家が太いパターンはさらに腹が立った。一発逆転ってそんな転がってるもんなのか。
自分は大好きで尊敬できる、似たような収入で似たような出自のパートナーとさっさと結婚していた。これに関してはなんの後悔もしていない。でもなんかもう空しくて仕方がなくて、パートナーにぼやいたところ、ライフプランシミュレーションのエクセルを見せられた。そこにはざっくりとした人生の進みとそれに応じた資金計画が書かれていて、ちゃんと働いてちゃんと資産形成していけば、20年後30年後には結構いい感じになってますというものだった。なんだ意外といけるもんかと安心し、しっかり者の相手に改めて感動したが、なによりも、自分の足でゆとりある生活を安心して送っていけるだけの学歴をつけてくれた両親への尊敬の念が湧いた。ようやく本当の意味で感謝できた気がする。
親の年収をしっかりとは知らないけれど、自分の方が学歴も収入レンジも高い。生活は細かく節約していたことが都会で適当に暮らしているとわかるし、こども2人が大学生だったときはなかなかギリギリだったと後になってこぼしていたのは少しだけ聞いたことがある。「地元に帰ってきてね」=「帰ってきて自分たちの面倒を見てね」が基本の田舎から、何も心配するな行けるとこまで行ってくれ、と背中を押してくれたのか。教育費をかけまくった見返りを期待することもなく。鳶が鷹をなどとは言いたくないし思ってもいないが、自分の代より子の代をずっと豊かにすることってできるのか。お生まれガチャや配偶者ガチャよりも尊いガチャを引き当てたのかもしれん。
親から良くしてもらったから、当然自分も自分の子にはお金も時間もかけてあげたいとは思っていたが、身が引き締まる思いがした。月並みな結論だけれど、しっかり親孝行も、子育てもしていきたい。保育園に迎えに行ってきます。
自ら不正の行動により侵害を招いた場合には、正当防衛は認められなかったりするんだよね
https://keiji-pro.com/columns/10/
被告人側はAの攻撃に侵害の急迫性があり正当防衛が成立すると主張しましたが、被告人自らの不正の行為(暴力)により相手の攻撃(不正の侵害)を招いたとして、正当防衛は認められませんでした。