
はてなキーワード:普通人とは
NHK朝ドラ「ばけばけ」の放送も近づいて、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)への関心の高まりつつある昨今だが、この機会に言っておきたいことがある。それは、ハーンについての鶴見俊輔の以下のよく知られた言及は、素人の自分の調べた限りでは、非常に不正確でほとんどデタラメに近いということだ。
https://x.com/shunsuke_bot/status/1019013776841039872
ラフカディオ・ハーンは、やがて日本に帰化し、日本人と結婚し、親類づきあいや近所づきあいの中にまきこまれ、日本に住む者として日本文化をまぢかに見るようになってからは、次のように書いた。 「私は、かつて日本人はみな天使であるかのように書いたことを思い出すと、気がくるいそうだ。」
これを読んだ私は当初、きっとハーンは日本人の建前の裏の本音にうんざりして、日本女性と結婚して日本に帰化したことも後悔したのに違いない、とすら思った。しかし調べてみたら全然違ったのだ。
確かにハーンは鶴見の引用するような文章を書いた。しかしその前の
「以前住んでいた出雲の人たちはおだやかだったが、引っ越し先の九州の人たちは粗暴だ」
まあ確かに批判はしているのだが、日本全体を批判したわけではないし、また批判した内容も(鶴見のほのめかすような)日本人の陰湿さといったものではなく粗暴さである。それも130年以上前の話だ。今は九州も出雲も、当時より相当おだやかになっているはずである。
またこの文章の出典は出版物ではなく、W.B.メイソンという人に宛てた1892年の私信である。つまり公然たる主張ではなく内輪の愚痴なのだ。それならその日の気分で筆の滑ることもあろうし、果たしてそこまで深刻に受け止めるべきものだったかのかどうか。
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なお日本で刊行された小泉八雲の著作には、どうやらこの文章は収録されていないようだ。少なくとも国会図書館デジタルコレクションで小泉八雲の著作を「日本人天使」で全文検索しても見つからない。これは私の調査不足による誤りで、実際は普通に収録されていた。申し訳ない。この記事の終わりで詳述する。
しかしハーンの文章の英語原文をChatGPTに教えてもらい、その語句でググると出典が見つかる。これならおそらくアメリカの大学図書館では読むことができただろう。
"make memad to think that I wroteall theJapanese wereangels" -Google検索
Fulltext of "TheJapanese letters of Lafcadio Hearn"
https://archive.org/stream/japaneseletters00hearrich/japaneseletters00hearrich_djvu.txt
I can'tget much chance to studylife in Kuma-
moto. Idon'tlike the Kyushu people — the com
mon people. InIzumoallwassoft, gentle, old-
fashioned.Here the peasants and the lower classes
drink andfight andbeat their wives andmake me
mad to think that I wroteall theJapanese were
angels. . . .
(拙訳)
出雲では、すべてがやわらかく、優しく、古風だった。
また鶴見の文章の出典は、国会図書館デジタルコレクションで容易に見つかる。当該の記述は「生花の位置」という文章の一部で、初出は「華道1953年3月」だとのこと。率直に言って、私のような素人にもなかなか興味深く面白い文章である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2466359/1/88
https://dl.ndl.go.jp/pid/6028304/1/5
鶴見は1942年までハーバード大学に留学していた。彼はおそらくそこで、日本ではあまり知られていなかったこのハーンの手紙を読んだのであろう。そしてその約10年後に、その内容を自分の文章に(意図的かうろ覚えか)不正確に引用して、日本文化を批判する自説の補強に使ったのであろう。しかしハーンの手紙の正確な原文は日本ではあまり知られないままだったので、鶴見の文章の面白さもあって、その引用が独り歩きしてしまったのではないだろうか。
なお鶴見には他にもしばしば、他人の作品を我田引水して自説をイタコのように語らせる悪癖があるようだ。例えば彼は日本のマンガ評論のさきがけでもあるのだが、長谷川町子『サザエさん』などの評論は全編そんな感じだった。これもおそらく執筆当時は、庶民の作品に潜む抵抗精神という本質を見抜いたなどと称賛されたのであろうが、今となっては私には鶴見が他人の作品をダシに自分の政治信条を主張しているだけにしか見えない。しかし、もし仮に『サザエさん』が鶴見の評論より先に廃れていたら、同様に評論だけが独り歩きしていたのではないだろうか。
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この記事を手早く書き上げて公開した後ほぼ失念していたが、「ばけばけ」の放送も始まったので思い出して読み返したところ、割と読みづらかったので文章に少々手を加えた。内容は変えていない。
この記事への反応は少なかったが、かなり肯定的な評価もいただけた。また「小泉八雲日本人天使」でググると検索結果の上位に出るようになったから、今後は鶴見のこの言及に興味を持った人の調べる手間が省けるだろう。
まあ省けると言っても、私は完全な門外漢の素人であり、調査はPCを数時間操作しただけである。たったそれだけで、もし鶴見の同時代人だったらハーンの専門家がアメリカの大学図書館に出向かないとわからなかったようなことが容易にわかってしまう。つくづくありがたい時代だと思う。
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申し訳ないが訂正。
先に書いた通り、ハーンの例の手紙が日本であまり知られていないという私の推測は間違いで、実際は広く知られていた。
つまり、ハーンの手紙が知られずに鶴見の言及が独り歩きしたという私の憶測は完全に間違いだった。改めて申し訳ない。
田部隆次 著『小泉八雲』,早稲田大学出版部,大正3.国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/950739/1/122?keyword=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%20%E5%A4%A9%E4%BD%BF
熊本では人の世を研究する機会にあまり数多く接する事は出来ない。
出雲では誰も彼もが柔和で、優しくて、古風だ。
また、ハーンの手紙を踏まえて書かれた最近(2025/08/18)のブログ記事もあった。
朝ドラ『ばけばけ』の主人公の夫のモデル小泉八雲はどんな人だったんだろう?① | よどの流れ者のブログ
https://ameblo.jp/s21y24/entry-12923911589.html
出雲では万事柔和で古風であった。
しかしそうなると、この鶴見の言及が、なぜ1953年から今(2025年)に至るまで間違いを指摘されてこなかったのかはわからなくなってしまった。
単純に、小泉八雲の専門家の目に触れる機会がなかったからだろうか。
それとも鶴見の権威を恐れて間違いを指摘する者が現れなかったのか。
今の私は見当がつかない。
その上で色々な規制がある!
日本の刑法175条に「わいせつ物頒布等罪」ってのがあるの知ってるか!?
第1項
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
第2項
こんな罪なくせよ!バカ!わいせつな物を楽しむのは基本的人権に等しいだろ!アップデートしろ!
これは1928年にイギリスで出版されたチャタレイ夫人の恋人って小説を翻訳したら、これわいせつだろって捕まった時の最高裁判断で、今もこの基準が使われてるらしい!
めちゃくちゃ抽象的だよな!普通人の性的羞恥心って?善良な性的同義観念って?
そう、こんなのは時代と共に移り変わる!今は普通にチャタレイ夫人の恋人は出版されてるぞ!
だからモザイクをかけてるAVはセーフ!白抜きや黒海苔かけてるエロ漫画もセーフ!
模型も対象っぽい!オナホならTENGAはセーフっぽいけど名器の品格はこの基準ではかなりヤバい気がする!
ジョークグッズという文言だけで一点突破してるのか!?ストロングスタイル!
OK!刑法はクリアできることは分かった!じゃあなんの心配もなく売れるね!
これは多岐に渡る法律なのだけど、その中にエロ本子どもに売んなやって条文がある!
「子どもがエッチな本読むのは良くないと思います」ってことだと思う!一理ある!
(でも現代ってインターネットあるからな〜〜〜〜〜!本だけ規制してもな〜〜〜〜〜!意味あるそれ〜〜〜〜?という気持ちはある!)
この辺がいわゆる有害図書で、東京だと8条指定図書とか呼ばれる!
「うむうむ、エロ漫画くんは弁えてゾーニングしておるな、感心感心…業界の自制が大事じゃ……
むむっ!こやつ!レーティングなくエッチなの売っている!し、しかも性的行為のページ数が多い!有害指定じゃ!!!」…ってコト!
なんかページ数とかコマ数とか色々細かい基準もあるらしい!すげー変な規制!
とにかく出版社は一般向けの方が絶対的に売れるから、規制を避けつつ一般誌で売りたい欲が多分ある!
多分それは男性向けに特化するならR-18を避けられないから!ガンガン性行為のページ入れるから!じゃあ最初からR-18だよね!
性行為のページ数が少ない!だから一般で売ることができる!そこが主流になる!のだと思う!
男性向けでもノクターンノベルズのコミカライズなんかは、ストーリー多いからか一般向けで売れてるよね!ゾンビの溢れた世界で俺だけが襲われないとかもそうじゃない?王国への道とかもそうだよね!きっと!
でもでも、有害図書かどうかの基準って結局胸先三寸な訳!調子乗ってたらお前ら全部有害です!って言われちゃう!その可能性ゼロじゃない!
でも件のnoteのような状況、BL界隈目に余る!政府は最近お前を監視!
やめろめろめろイタチめろ!
なぜBLが暖簾の奥に行かないのかと言えば、これは出版社や販売店の自主規制がないからである。
そしてなぜ出版社や販売店が自主規制しないのかと言えば、これは刑法175条に抵触するおそれが低いからである。
なぜ刑法175条に抵触するおそれが低いのかと言えば、これは刑法175条の運用上、昭和32年のチャタレー事件で出された「わいせつとは徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。」が基準となっているからである。
ところで、日本国憲法第31条に「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」とある。これは罪刑法定主義を指すものとして解釈される。
ここで「わいせつとは〜〜」を読み返してみよう。「普通人」とはどのような人だろうか? 「正常な性的羞恥心」とはどんなものだろうか? 「善良な性的道義観念」とはどう説明できるだろうか? それぞれ法律には定められていない。
いちおう「社会通念」に照らし合わせて合理的に予測可能であれば合憲である。しかし果たしてこの「社会通念」とは「チャタレー事件当時の『社会通念』」だろうか? それとも「現代の『社会通念』」だろうか? これは法律で定められていない。
昭和32年の「普通人」と令和の「普通人」が同じであると言えるだろうか?
そして、このような疑問が出る時点で刑法175条は日本国憲法第31条に違反しているのではないか。
今一度考えるべきなのかもしれない。
全然違うなあ。
こいつは明らかに自分が主語だと普通人に解釈される形で「お前ら叩き殺してやる」と書いてる。
この違いが読み取れないようじゃお前は判事にはなれない。
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まず①は判例で
性欲を刺激・興奮させる
となっている
これ自体は間違っていない。ただし、同時にチャタレー事件判決で「法律が保護するのはあくまで”最小限度の道徳”」であるとしており、以後これが踏襲されている。
そしてもう一つ重要なのは、刑法175条に違反するわいせつ物というのは、『未成年に見せてはいけないもの』ではない。『たとえ大人相手であっても見せてはいけないもの』である。
具体例
Q1:エロ同人は?
A1:性器を無修正で描いたらわいせつ図画になりますが、コミケット準備会は警察とほぼ同様の基準に従って修正させています。無修正・修正が甘いと見本誌を提出したときに販売停止になるはずです。
Q3:裏ビデオは?
A3:作成・販売したら刑法175条違反です。だからこそ裏なんです。
Q4:無修正の性器が違法でない国からの、インターネットを介した配信は?
A4:サーバーの所在国の法律で取り締まるのが原則だとは思いますが、正直なところ何ともいえません。
Q5:ろくでなし子さんは?
A5:『でこまん』はセーフで3Dプリンターのデータはアウトなんでしたっけ?増田はでこまんを見たことが無いのではっきりとしたことは言えないのですが、流石にでこまんは最低限の性道徳には触れないという判断だったんでしょうねえ。
A6:流石にアレは性欲を刺激しないという扱いなんでしょう。
と言及しているのであり、同時に最近問題になったエロ広告は主に『エロ漫画=18歳以上の大人に対して売ることは問題のない物を宣伝する広告』であり、元のエロ漫画が刑法175条の定めるわいせつ物ではないのに広告がわいせつ物になることは100%無いと言って良い。
単純な多数決ではないものの、アンケートなどの調査結果やパブコメがまったく影響しないとも言えない
性的だと感じる受け手が増えるほど、社会通念上も「性的である」と判断される方向へ動く
結局のところ、街中で公開される二次絵に
①興奮する人が増える
②一般人が「恥ずかしい」「気まずい」「見たくなかった」と感じる
まず、狭義のわいせつは①について書いた通りであり、これに該当するのであれば”街中で公開される二次絵”(ここで元増田が想定しているのは宇崎ちゃんとかロジャ美とかラブライブとかそういうのだろう)が価値観の変化によって『子どもも見るような場所に貼るのはおかしい』ではなく『大人相手に見せても違法』なものとなることになるが、AVなどを差し置いて該当することはありえないしあってはならない。
というわけで山田太郎議員のいう『おそらくはそうでないものを指している』わけであるが。
AVやエロマンガやエロ画像やエロ絵は基本的に『18禁=大人が見るのは合法であるが子どもに見せてはならないもの』である。小説はセーフかというと二次元ドリームノベルスなどは18禁だがあれはどうも挿絵が引っかかっているようである。フランス書院文庫やマドンナメイト文庫は実はR-18ではない。
なぜAVやエロマンガやエロ画像やエロ絵を未成年に見せてはいけないのか、というのは条例上の理由は『(主に東京都の)青少年の健全育成条例』で、「(要約)18禁のものは指定しない。18禁ではないもので東京都の審議委員会で有害と認めたものは『指定図書類』として18歳未満への販売が禁止される」としているからである。(これはエロ関係だけでなく、エアガンやバタフライナイフ等も指定されている)。
一方で、どちらかというと①に関してだが高裁の判決で『マンガのわいせつ性は実写に比べて劣る』として量刑が減らされており(執行猶予つき懲役→罰金)、最高裁でもこれが支持されているためこれが判例となっている。
ではどこまでが有害なエロでどこまでがそうではないかという線引きは(ラディカル・フェミニストや性嫌悪以外にとっては)大変困難である。増田もエロマンガ一般を小学生に見せてはならないことには同意するが、『パラレルパラダイス』は…いや流石にダメな気はするか、『ふたりエッチ』はどうかという線引きは難しい。ただ、有害度で言うならAV > 『パラレルパラダイス』>>『宇崎ちゃん』『たわわ』であることは間違いない。断言する。
それも踏まえて、宇崎ちゃんやロジャ美やラブライブやたわわの議論になった広告が子どもにとって有害であるとして法的にゾーニングするべきであるとは増田は同意しないし、おそらくは裁判所も同意しない。
ついでに言うんだけどさ。『性的』の範囲が難しいんだよね。『宇崎ちゃんやたわわは性的である』は増田も同意する。ただし『同様に、FRIDAYやFLASHやヤング〇〇の水着グラビアも性的である』。
そして、これはおそらくだけど。『FRIDAYやFLASHやヤング〇〇系雑誌の水着グラビアが性的だとは思うにせよ、直接的にズリネタにしている人はそれほど多くない』。AVをズリネタにしている人の1/100未満であると推定する。
同様に、『宇崎ちゃんやたわわは性的であるとは思うにせよ、直接的にズリネタにしている人はそれほど多くない』。エロ同人ならともかく、原作単行本をズリネタにしている人はエロ漫画をズリネタにしている人の1/100未満であるというのはそれほど無理のある想定ではない。
それを踏まえた上で、それでも子どもが見るのは不適切であるか。それは難しい。
自分の周りだけかもしれないが、男が育休を取るとその後その男が復帰したとき使いものにならなくなっていることが多い気がしている。
もともと有能人材だったのなら普通人材ぐらいに、もともと普通人材だったら無能人材ぐらいになっている。
まず子育てにリソースを使いすぎているのか、仕事がおざなりになっている。新しい情報のキャッチアップもしない。育児で忙しいからだろう。
その男の話題も子育てばかりになり、これは聞いている側からすると別におもしろくはない。他人の赤ちゃんの成長に興味を持てるはずもなく。
育休明けのキャッチアップは今まで休んでいたこともあり非常に情報が多く大変だと思うが、育児に気を取られるあまりキャッチアップできている様子がない。むしろどんどん遅れていくパターンさえある。
別に育児にリソースをつぎ込むのは本人の自由だが、それで仕事がおざなりになるならそのポジションは自分から言いだして降りろと思うことがある。
だがそういう男はそれは意地でも手放さない。子育てで金が必要になるからだろう。居座るのでその男がボトルネックになる。
そんな感じで、育児は私的領域の仕事だがそれが会社の公的領域まではみ出してきても「しょうがないじゃん。育児してるんだから」とか「家庭も大事なので」と逃げる男が一定いるように思える。
もう良い歳だしリアルで話をする場もないので匿名日記に吐き出してみる。
物心ついた頃から両親は仲が悪く毎日喧嘩→そのストレスを子供(俺)に当たり散らす、という環境だった。
小学校低学年までは八つ当たりと気付かず自分が悪いと思って怒鳴られたり引っ叩かれる度に泣いて謝っていた。
両親とも世間からは真面目で良い人と見られていた。が、家庭内では真逆というアレ。
父は親父(俺の祖父)が家庭内暴力を振るっていて嫌だったから自分は絶対にやらないと誓っていて母にも直接手を上げたことは多分無い。その代わり暴言がひどく超えてはいけないライン(母を罵倒する際にその血筋まで否定するとか)を簡単に超えてくるのである意味暴力以上だったと思う。
母はヒステリーがすごく、普段からドアをものすごい音で閉めたり粗暴さが目立った。すぐ激昂し、物を叩きつけたり皿を投げたり、俺は何かあるとすぐ引っ叩かれた。暴力は手っ取り早く子供を黙らせることができる上に自分のストレスも解消できるということに気付いてしまったんだろうね。癖になってたと思う。母は口も悪くて本当に性格が悪いなと子供ながらに思っていたが、今にして思えば何かの病気だったんだと思う。ノイローゼというか。感情を抑えられなくなるやつ。
友達が食事中にふざけたとき、自分は反射的にビクっとなった。友達の親がブチギレると思ったから。
しかしコラっと注意されるだけでさして怒られず、お父さん・お母さん・妹さんも皆笑顔で食卓を囲んでいるのを目の当たりにして衝撃を受けた。
うちだったら許されない。食事中に会話自体NGだ。「今日こんなことがあって〜」なんて話をすれば父から「うるせえ!」と怒鳴られるか母から無言で睨まれるかの二択。子供は黙って食え、親に感謝しろ、これがルール。食卓の光景と言えば父が聞く野球中継ラジオの音、それに対する父の罵声、それを見下すような目で横目に見る母。緊張感の中でコメを噛んでると砂みたいな味がするんだよな。味がしないというのかな。また食事中に水を飲むことも禁止されていがのが地味にきつかった。禁止する理由は「料理を水で流し込むのは作った人(母)に失礼だから」(母談)。意味がわからねえ。どんだけ性悪説なのか。
そんなわけで友人宅の食卓の明るい感じに驚き、同時に自分の家に疑問が生じ始めた。
後日その友達がうちに遊びにきた。
両親共働きで不在だったので子供のみ。二人で座ってゲームをしていたが、そこに母が帰ってきた。
友達が若干緊張気味にお邪魔してますと言った側を「どけ!!」と罵声を浴びせて通り過ぎる母。
申し訳なさと恥ずかしさで居てもたってもいられず外にいこうと言う俺。
その後もその友達とは親交が続いたが二度と俺の家にくることはなかった。
この件から俺は母に反抗しはじめた。おかしいと思ったらおかしいと言ったし、いつも食らってたビンタも落ち着いて見れば避けられることに気付き躱すようになった。ビンタを食らったときの頬骨の振動音とか目の前がブラックアウトする感じに耐えていたのがアホらしい。自分が悪いと思ってたからね。最初から避けてればよかった。
俺が生意気になったということで母の怒りゲージは数段上がって毎日さらに不機嫌に。
そして母があることないこと父に吹き込みそれを信じた父は問答無用で俺に「出ていけ!」ばかり言うように。それを無視していたら友達の親を悪く言い始め俺がブチ切れ。
そんな毎日の中、近所の人が通報したのか警官が来たこともあった。母がブチ切れて俺を警官の自転車に無理やり乗せて「捕まえてもらう!!」とギャオった結果、警官のお兄さんがドン引き。あのひきつった顔は忘れられない。以降警官はこなくなった。
毎日これではさすがに身がもたない。
家庭の中で生きる術として、感情を無にすることに行き着いた。
怒鳴られても詰られても怒りで返さないし凹みもしない。とにかく反応しないこと。空気になること。
でも心の奥底に毒は溜まっていたんだろうね。
学校でいじめっ子に標的にされ小突かれ始めたとき、毒の放出でとんでもないキレ方をしてその子をドン引きさせたりした。
日々蓄積した怒りを一瞬で解放するとすごい。向こうは子供のおふざけだがこっちは殺し合いスタートの覚悟だから。対・大人用の怒りだから。しかしこの件が教師に問題視され、親子面談→母が俺の悪口をあることないこと言う→教師「お前を叩き直す(使命感)」となり、俺の言うことは担任教師に信用されなくなった。いじめっ子も調子に乗ってくるし中々しんどかったが、給食が食えるから良いか...と開き直った。
中学生になり一転勉強するようになった。勉強は覚えたこと・考えたことを平等に評価されるのが良かった。合ってるか間違ってるかが焦点で「お前の◯◯が気に入らないから減点」「今日は気分が良く無いからバツ」とかないのが良い。
父から中学を出たら働け、調子に乗るな、自分で稼げとよく言われていた。
正直家を出たかったが何とか大学まで行った方がその後の人生にプラスだと思った。
奨学金の存在を知らなかったので親に金を出してもらうしか無いと思っていた。
しかしこれまでの経験上なにかをお願いすると調子にのるなと拒否られる。
そこで閃いたのが「普通の家はみんな子供が高校に行っている」と言うことだった。
両親は世間体を何より気にするので普通という言葉に弱いことを知っていた。
それを利用するのは下衆、そしてさすがに小賢しいよな...と思ったがこれは両親にめちゃくちゃ効いた。
以降いっさい中学出たら働けを言われなくなった。
それから多少賢いとこに進学し社会に出て一人暮らしをはじめた。
周りは「親のありがたみがわかった」と言っていた。
俺は「一人のありがたみがわかった」と思った。
いきなり怒鳴られたり威嚇されることもない。自分のことを自分でやるだけで生活が成り立つ。こんな楽なことある?
両親には産んでもらったこと、経済的な面で支えてもらったことを感謝している。
両親の不仲、子供への当たり方も悪気ではなく、そうしたくないのにそうなってしまっていたのかもしれない。
でもあの子供時代はもう二度とやりたくないよ。大人の自分でもメンタルがもたないと思う。
仕事で同僚の子供時代を聞くと皆温かい時代を過ごしているんだよね。
それに何の疑いも持っていない。
俺も結婚はして普通人ぽく振る舞ってるけど心の奥底に毒が残ってるのを感じる。
ふとしたときに父のような度を越した暴言を吐きそうになったり、母のような感情のタガが壊れた言動に走りそうになって意識的に抑えてる。結構強烈な衝動。これをどう昇華させるか。
ネットで自分と同じような経験をしている人は親への恨みつらみにかられ、介護の段階でやりかえしてやるなんて意見が少なくなかった。自分もその気持ちはとてもよくわかる。が子供時代に"子供"をやれなかったこと、他人を信用できなくなったこと、寂しいという感情がなくなったこと(これは利点もある)...それって親のせいも結構な割合あるだろう?と言ってやりたいのだけど、俺は恩で反すことにした。
両親が憧れていたであろう、でも手が届かずぶつくさ言っていたものをプレゼントした。
とても驚かれた。
両親の態度は一変した。
子供の頃、毎日いるだけで苦痛だった実家。毎朝親の顔を見るだけで心臓がキュッとなった。自分が家にいて親が帰ってくるときドアの鍵音でビクっとなる感じ。
あれらが嘘のように過去になった。
正直心の毒はまだ残ってはいるが、恨みつらみのやり返しを選ばなくて本当に良かったと思う。
ハチミツに精液を混入させた事例って、現在の刑法でも性犯罪にカウント出来ると思うけどね
次々新犯罪を増やしていたらキリがないじゃん
実際の適用は必ずしも杓子定規ではなく、条文の解釈を加えた上で柔軟に適用されている
「暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。」
となっていて、「暴行」の定義は一般的には「人の身体に対する不法な有形力の行使」とされている。
だけど、
判例は狭い室内で日本刀を振り回した事例でも暴行の成立を認め、過失致死罪ではなく傷害致死罪を成立させている。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/665/050665_hanrei.pdf
そして、刑法174条以下のわいせつに関する罪では「わいせつ」という言葉が用いられているけれどこの言葉の定義も条文上は明らかではない。
判例は、「徒らに性慾を興奮又は刺戟せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。」と言っている。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/650/054650_hanrei.pdf
この定義で言うならば、他人が飲食するハチミツに精液を混入させる行為は、普通人の感覚からすれば、「わいせつ」に当たるのが妥当だろう。
だって普通の人が見たらどう見ても、「正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」行為なんだから。
あと、強制わいせつ罪の成立について、判例は以前は行為者の性的意図を必要としていたけれど、
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/256/087256_hanrei.pdf
まずわいせつ物について、最高裁判所は「その内容がいたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」ものと判示しました。(最高裁判所昭和32年3月13日判決・刑集第11巻3号997頁)。
他人を性的に興奮させたり、刺激させるような文書であることが認められれば、性的羞恥心を害しないなどの事情(芸術品等でしばしば問題となります。)がない限り、「わいせつな文書」等に該当する可能性が高いです。
わいせつ物であるかどうかの判断基準は非常にあいまいです。本人がわいせつ物ではないと思っていても捜査の対象となるケースもあるため、注意する必要があります。