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はてなキーワード:昭和とは

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2025-10-26

昭和教師の思い出

昭和には今考えるとあり得ないようなクレイジー教師が居たんだよ、ということを備忘録として記しておく。

増田スペック昭和53年生まれ四国県庁所在地育ち。

 

 

一番記憶に残っているクレイジー教師

生徒に「便所」「うんち」といったあだ名を付けて自分だけでなく生徒間でも呼ばせていた。

あだ名を付けられたのがひょうきん男子たちだったから事なきを得ていたけれど、あれはどう考えてもイジメだった。

それにKは簡単にキレるし、保護者からの評判も良くなかった。

 

 

重度のセクハラジジイ

体育は2クラス合同で、更衣室がない代わりに男女別の教室で着替えるんだけど、Hは堂々と女子生徒が着替え中の教室に入ってじっくりと女子生徒の着替えを観賞。

女子生徒に苦情を言われても「ここは俺が担任教室だ!」と開き直り居座った。

当然女子生徒からの評判は最悪だった。

 

 

男子生徒がつけたあだ名ジャイアン。もしくはバーコードハゲ。容赦ないよね…

今思うとそれほど悪い先生ではなかったとは思うんだけど、

女子体育教師がいる中で、女子生徒の体育担当になったのは悲鳴が上がるのも仕方ないとは思った。

 

 

元教え子と結婚してた教師

今考えると気持ち悪い。

でも当時は他にも何人かそういった教師は居た。

熱血漢ではあるのだが、できない生徒に約束という名の押し付けを迫り、それが破られるとキレるというマッチポンプ熱血漢でうざかった。

 

 

生徒の自主性をスポイルしまくってた。

予習をしてきた生徒が次々と課題をこなすのを叱ってたのは意味がわからなかった。

生徒を完全に自分コントロール下に置くのが至上命題だったっぽい?

 

 

自分が務めてる高校ではなく、母校であるもう一つの進学校賞賛し、勤務先の高校をけなしてばかりの人だった。

予習をしっかりして、授業中に眠るべきという、訳のわからない主張をしていた。

英文を読んで即座に和訳して問題を解け、という当時でも前時代的としか言い様がないやり方を押し付けてうざかった。

ちなみに生徒間で呼ばれていたあだ名はアイババ。

本名もじり+ババアサイババみたいな髪型だったからそう呼ばれていた。

さすがに進学校ともなるとあだ名センスも中々だな、と思った。

Permalink |記事への反応(0) | 22:57

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   昭和63年に2歳のこうすけと一緒にゆりかご保育所にいれたが泣きわめき行こうとせず騙しすかしながら連れて行った。

    平成2年に入った小学校でも、集団生活に参加しない。平成8年から中学校に入ったが山之内隆樹とサッカー部の入っていただけ。平成9年8月にインターネット

   没頭したため退部し、キャプテン黒木大地から、ふ~ん、と言われて最後となった。平成10年からか突然勉強するというようになり、井上修二に励まされて成績があがり

  生物村社貞利とはそりがあわず勉強しうるような環境ではないとして一浪として東大法学部合格した。木内満のウエイトリフト部に入っていたが長続きせず、平成17年3月

   頃には既にいかなくなっていた。平成17年には水道橋レックにも言っていたが女子大学生が一人いる程度でビデオ講義に移行。教室で一人で司法試験ビデオ講義

  受けているが模擬試験は全くできず短答式試験にも通らなかった。平成18年3月、延岡に帰ってきた際にコンタクトレンズが合わないと言って眼科にかかったときから

   なんでこんな社会なんだ、警察なんか抵抗すればいいと弟にいうようになり冬に帰ってきたときには頭がぼさぼさでおかしくなっていた。平成19年1月に東京バスで帰ってから

  弟と喧嘩するようになり別居、平成19年9月28日に東大法学部卒業後、東京に用意していたアパートで腐るようになり、平成20年10月頃、まんすけとTwitter喧嘩するように

    なって発狂

Permalink |記事への反応(0) | 20:09

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anond:20251026143555

25歳だけど、平成初期ってイメージではある。調べたら平成7年。俺は生まれてない。

昭和ではないにせよ、古い出来事ってイメージは強いよ。カルト宗教ってのが昭和感強い。

でも、最近アルフ?だっけ。オウムの後継組織みたいなのがあって、割と勢力はあるって話も聞くけど、詳しくは知らん。

教科書に載ってたかなぁ。インターネットニコニコ)で見たのが最初っていう記憶しかない。

Permalink |記事への反応(0) | 14:40

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地下鉄サリン事件平成昭和か分からないってマジで言ってるの?

YouTube積読チャンネルの「中世ヨーロッパはなぜウソだらけなのか?#100」の回

https://www.youtube.com/watch?v=nRWu0LhEwD0

を見てたら、

堀元見(向かって左側の人)が「オウム真理教地下鉄サリン事件って平成昭和かわかります?」みたいなことを言い出して、

聞き手の人も「え、どっちだろう?」みたいなリアクションしてて

無茶苦茶事件から昭和っぽいなと思いがちなんだけど実は平成なんですよ~」みたいに

さも意外な事実かのように言ってたのでめちゃくちゃびっくりした。

いやいや。

平成代表する大事件でしょうよ。

あれを今の若い人は昭和だと思ってるの? マジ?

(てか、堀元見って「若い人」でいいのだろうか? 調べたら今33歳らしいが)

1995年平成7年だから全然ギリギリ平成昭和かみたいなラインではないし、

昭和かなぁってなるのってせいぜい平成2・3年あたりまでじゃない?)

そもそもこの1995年というのは阪神大震災が起きた年と同年なので

阪神大震災サリン事件」を当時の大事件として記憶している人が多いと思うけど、

彼らは同年ということも覚えてないってこと?

まぁ、とはいえ40代以上の人だと当時のニュース等の記憶があるから覚えてるし、(自分40代

逆に20代下の人だと教科書に載ってるはずだからそれを習うだろうし、

30代くらいの人がちょうどあやふやポイントなのだろうか?

あとは堀元見が北海道出身なので、サリン事件の報じられ方も関東とは違うのかもしれない。

いや別に日本のどこにいようと大ニュースに変わりはないと思うが、

「あの満員電車毒ガス!?」と実感を伴って認識できるかできないかの違いはあるだろうし。

ということで「これって平成昭和?」クイズに「地下鉄サリン事件」が入ってしまうことに衝撃を受けたという話でした。

Permalink |記事への反応(8) | 14:35

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anond:20251026140220

半分だけ電気をとおすんだ、って昭和の頃の図鑑には書いてあったがなぁ

Permalink |記事への反応(0) | 14:04

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anond:20251025204233

おっと昭和の性豪伝説をまだ信じてるヤツだ ねえよw

Permalink |記事への反応(0) | 01:36

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2025-10-25

anond:20251024185709

ほんとこれ。

しかもわざとなのかなんなのか、あれはどうなんだこれはどうなんだって小学生みたいなのが湧いて出てきてて頭痛い。

そういうキッズ昭和を嘆く爺共は落ち着いて自分の周り見渡してみてくれ。ひとりぼっちじゃない?

Permalink |記事への反応(1) | 12:19

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セックス結婚もやめろ

男性にも女性にもメリットない

中世国家昭和ジャパン因習

もう令和ですよ

Permalink |記事への反応(2) | 12:01

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さっきの夢めっちゃエロかった…続き見たい…

 

帰路についていた僕は途中に民家風の銭湯があることに気づき立ち寄ることにする、見た目は普通昭和の一軒家、一階がすぐ浴室になってて明らかにめっさ混んでてうわっと思ってギシギシ鳴る階段を上がる、二階が待合スペース兼普通に老若男女兼用の脱衣所になってて避難所っぽい空気がありけどすごいなエロいなと感心する、恥ずかしいから隅の方へ行ったら正面が一面鏡張りの壁(ダンスレッスンみたいな感じ)になっていて、僕はそこでとりあえず服を脱いでいると僕の後ろで黒髪女の子が半裸で開脚しててお股が丸見え、僕はガン見するしギンギン固くなっているしているペニスを隠さずに露呈している(すごい)、女の子がそれに気づいてニヤッと笑ってさらに股を大胆に開けたりタンクトップをまくって乳房を見せつけたり僕の股間に直接ふれたりしてからかってくる、「あれあれ?お兄さん?もしかして」とか言う、我慢汁ダラダラ、自然な流れで手淫をされてあえなく僕は濃い白い精液を放出する、女の子が満足げに笑ってふざけて小声で「おかあさぁーーん!」と叫ぶふりを始めて僕はオロオロする

 

そこで目覚めてしまった

またあの子に会いたい。。

Permalink |記事への反応(0) | 05:23

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2025-10-24

キン肉マン面白くてワロタ

おとんに勧められて今キン肉マンマンガ読んでるだけど…ぶっちゃけかなりおもしろい。

最初所詮昭和漫画でしょ?なんて思ってたけど正直舐めてたわ。

序盤はちょっと退屈で、でもオリンピック編辺りから確変モード友情熱いわぁ…。

ていうかキン肉マンってギャグだったん?という驚きと共にシュールな笑いが絶えない。ジェロニモ二人いるところでもう腹筋崩壊。もうお腹痛い…てなって3分ぐらい笑い転げた。

あとキン肉バスターってあれ…キン肉マンダメージ大きくない?お尻のダメージどうなってんの?

ツッコみ始めたらキリないんだけど、要所要所で泣けるのはズルいでしょ…

Permalink |記事への反応(0) | 23:15

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セックスしたくないし他所の女にも会うな←通るかこんなもん

最近セックスレスセックスしたくないという女の話が多いけど

それ自体気持ちはわかる。言い分もわかる。おかしなことを言ってるとは思えない

だけど、そのうえで他所の女に会うな(まぁわからなくもない)、どころか風俗にも行くな、恋人の体に子宮頸がん植え付ける気か虐待だ!ギャオオオオオオオン!!とキレてる奴等が多くて、

まりセックス苦痛からしたくもない、性欲全くない彼ピッピがいい、だがその彼ピッピが例えセックスしなくとも他所の女と会うのもいやだから辞めろ、と言ってるわけだ。

通るかそんなふざけた話が

女だからというわけでもなく、これを男女逆にしたとしたら、いきなり「セックスしたくない、する気もない、だがお前は他所の男にも会うな」と言いつけてくるわけで、マトモな常識教育受けた男女はブチ切れる通り越してそもそも「えっ何こいつ、何言ってんの?宇宙人?」ってくらい価値観違い過ぎて恐怖すら感じるわ

そもそもセックスしないんなら変な病気移りようがねーじゃねーか、それとも何か、こいつらの世界観では子宮頸がん空気感染するのか

大体、何でそこまで身勝手で人が本質的に嫌いなのに、恋愛なんかするんだ?一人で生きてりゃよくねえの?付き合う相手の身にもなったれよ

徹頭徹尾他人気持ち事情なんか、わかったって慮る気もないけど男と付き合ってるという社会的ステータスが欲しいからやってるって、価値観昭和成金と変わんねーんだよ、それでよく最新の進歩的人権の考え方とか嘯けたもんだな。

そもそも、それ付き合う男にいったい何のメリットがあるんだ?ただの寄生じゃねーの?自分漫画キャラみたいな大富豪だったのならいいよ、一生遊んで暮らせるだけの待遇与えてやりゃあ、それに合わせてくれる異性だっているよそりゃ

でも大体は、稼げてるといっても、相手以下って奴ばっかじゃん、なのに何でそんな超態度だけはデケぇの?何様?結局、人がいいかあんまり強く言えない男見繕って他人の茶碗に横から手突っ込むような真似したいってだけだろ?

この手の無惨様みたいな価値観の奴って、女も男もホント毒親だとかお察しの家庭環境で、心が歪んだまま育った様な奴らが多いんだろうけども、

そもそも健全恋愛結婚生活が営める精神発達してないってだけなのに他人を巻き込もうとするなよ

本質的に人が嫌いで、自分の思い通りにならない世界社会のものが憎いという気持ちわからんでもないが、だったらせめて大人しく一人で過ごしていてくれ、人間様の社会に出てくるな、としか言いようがない。

Permalink |記事への反応(4) | 23:12

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https://anond.hatelabo.jp/20251024202620

    志村3丁目駅の近くの、板橋区立第4中学校に通っているのか あの、独特な昭和のかおり漂う中学校

Permalink |記事への反応(0) | 20:28

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昭和小説性欲で動きすぎ

性欲しかない

Permalink |記事への反応(2) | 17:40

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A3サイズ世界を変える、四畳半の戦い

7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。

自分企画した仮設の公園シリーズデザイン制作物を依頼する場だった。

まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズ世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息ストローの袋を吹き飛ばした気がする。

その後に作ったA3フライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。

それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。

HさんはあれからマジでA3サイズ世界を少しずつ変えてってると思う。

先週、哲学対話研修をしに来てくれたNさんに

「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。

Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。

誰が哲学を遠ざけ、対話しようとする人を傷つけてきたのか。

哲学と、対話という言葉意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。

今の自分は、どうだろう。

「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくそ感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。

どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。

思い出すと自分も「A3世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。

少し前、自分臨時職員だった。アート教育に関わる仕事給料は月13万円。

周りの正規職員は倍くらいの給料をもらってる。

でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。

アーティストクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。

それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。

先にコンビニおにぎりホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。

同じ部署臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。

上司は定時で帰宅して、赤ちゃん風呂に入れるという。

それは素晴らしいことで、自分今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないかしょうがないんだ。自分子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。

「カタパン説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司うまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」

大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックライブを初めて聞いて衝撃を受けた。

退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。

こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。

そこには市民有償ボランティア制度サポートスタッフがあった。入りたいと思った。

でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイト経験した。

3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフ登録する。

“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日教育普及の職員に付けられたあだ名

理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分否定しなかった。

ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。

もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。

自分も笑われているのに。

どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。

周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。

周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない

自分自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。

ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。

今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。

常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。

付き合いの長い上司からあなた専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。

しか自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。

伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。

今の自分は、どうだろう。

昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶ジュースミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。

コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。

離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。

祖母隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。

「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。

飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護仕事を諦めたそうだ。

介護仕事給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。

彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。

彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。

おもわず隣の大学生がもらい泣きして、タオルで涙をぬぐう。

そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。

自分も鼻の奥がツーンとして小さな涙を指で拭う。

この場所では、泣いても誰もバカにしない。

最後彼女は「いつか絶対介護に戻りたい」と話してくれた。

その姿は強くてまぶしくて思わずみんなで応援した。

尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。

自分は、館長の本棚にあった「公共役割とはなにか」という本をもらった。

館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。

まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、

公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。

人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。

それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。

形のない、透明なお墓みたいな時間場所

誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。

小学生がうちの施設社会見学に来たら「メディアテクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターインターネット映像、照明、音響かいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいもの想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディアテクノロジーひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。

このアートセンターでは、メディアテクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって

例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。

日立ち寄ってくれた年配の2人組。

少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。

これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。

男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。

その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクト大事」とか「経営的な戦略必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。

いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。

簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界絶対間違ってる。

世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手世界を掻き回すことじゃ絶対にない。

世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい

ここに生きてる人間がいますよ。

この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。

「人の心に反射したその光こそが作品作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。

心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。

収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。

言葉日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。

先週も大学を訪ねたら「アート自分には縁がないもの」と学生匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。

でも自分アートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。

あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。

ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。

自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。

しか自分文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。

それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。

昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。

朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生ブラインドトークワークショップに参加させてくれた。

10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。

5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。

その後のフィードバック時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。

から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気テイストイラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。

どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。

最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっち説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。

ほんとは完璧コミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。

みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう

先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生先生も全員サポスタに登録して欲しい。

同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これからまれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。

トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリータンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護夜勤ウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しVtuberスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛カップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話コントをやる芸人も、補聴器電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いす山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島保育士を探す町長も、推しジャージライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<

Permalink |記事への反応(0) | 17:36

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貧民や弱者を救おうってんなら宗教じゃなくて政治事業をやれとは思っていたけど、いやまあ普通そうなるよな。そうだよな。

キリスト教徒だった賀川豊彦翁(1888‐1960)は,貧民窟に入って神の道を説き,弱者を救済しようとしました。

しかし,多くの困窮者を救うには,労働運動農民運動協同組合運動必要と考え,

それらの運動の先頭に立ち,やがて翁の指導アドバイスによって,神戸と灘に生活協同組合が生まれました。

これが今日コープこうべにつながっています

賀川 豊彦(かがわ とよひこ、旧字体:豐彥、1888年明治21年7月10日 -1960年昭和35年4月23日)は、大正昭和期のキリスト教社会運動家社会改良家。

戦前日本労働運動農民運動無産政党運動生活協同組合運動協同組合保険共済運動において、重要役割を担った人物

日本農民組合創設者。「イエス団」創始者

キリスト教における博愛精神実践した「貧民街聖者」として日本以上に世界的な知名度が高く、戦前現代の「三大聖人」として「カガワ、ガンジーシュヴァイツァー」と称された。

Permalink |記事への反応(3) | 14:43

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anond:20251024095459

鯖の味噌煮やほうれん草おひたし消費量より、ほうれん草パスタ消費量の方が多そう。

だいたい日本人が米100%食事をするようになったのは江戸の一部町民を除けば昭和後期で、昭和40年代までは麦飯が主流、時期によって割合差はあれど麦飯も麦の割合の方が多かったんだよ。

主食=米、という観念自体が、高度経済成長期の刷り込みに過ぎず、絶対不変神聖不可侵ものでは無い。

Permalink |記事への反応(1) | 11:05

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2025-10-23

昭和のころは現代に相当する概念近代と言っていた?

近代麻雀という雑誌名について

雑誌が創刊された時代近代という意味です。

昭和の頃では「近代的なコンクリートビルジング」だった。

まりあ雑誌が出来たようなときには当世風ということを現代ではなく近代と言っていたのだと解釈できる

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(1) | 12:50

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anond:20251023105515

句読点の使い方苦手?

奇妙な絵文字つかってるけど昭和のおじさんみたい

Permalink |記事への反応(0) | 11:03

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2025-10-22

anond:20251022190708

昭和からイモムシ入っててもそれだけどけて普通にみんな食ってたぞ

Permalink |記事への反応(0) | 23:26

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左翼ヘイト綺麗なヘイト

さっそく高市政権極右だのナチスだの言ってるけど、その言葉に伴う実績や根拠は何もなく、自民にこう言うこと言うのは昭和から左翼常套句でありただのヘイトだよな。

もっともな根拠はお前らが嫌ってるだけと言う感情問題しかない。何も成長していない。

ヘイトスピーチがどうの言ってるが、お前らのそれこそがヘイトスピーチだと自覚しろ

ヘイトじゃないなら極右とかナチスとかボヤッとした事じゃなく政策に具体的に文句つけろ。

共産党なんてやたら目立つし犬笛吹いてるし総動員でやってるんだろ。

印象操作工作しかないんだよ。

Permalink |記事への反応(0) | 16:21

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anond:20251022113015

昭和の昔は8時ー17時定時で

21時まで残業は当たり前だったな。

時間×20日=80h。

休日出勤会社の為なら。

がっはっは

Permalink |記事への反応(2) | 13:50

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anond:20251022083324

ポリコレやろなあ

そもそも昭和平成だってエロい歌は規制されてた

時には娼婦のようにとかNANAとか

Permalink |記事への反応(0) | 08:44

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2025-10-21

転職した会社飲み会コンパニオン呼ぶタイプ会社だった

先日、社員旅行があったんだけど(その時点できつい)、宴会コンパニオンを呼んでいた

コンパニオンって言葉すらもう廃れてる気がするんだけど、未だにそんな昭和みたいなことするんだ...って引いてしまった

女性陣は、コンパニオンいるか私たちがお酌しなくてすむの〜って好意的に捉えていてそれもまた衝撃だった

職場のおじさん達が女性にニヤニヤしてるの本当に気持ち悪い

まだ二次会とかで勝手キャバやらスナック行くならわかるけど、車内行事若いお姉さん呼ぶなんて...

本当に令和なのかな

はー、せっかく転職したけど辞めたい

そもそも積立金からそのお金が出てるのも嫌すぎる

Permalink |記事への反応(5) | 23:40

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5時夢月曜最新回で「昭和生まれへの誤解」というテーマで話してたが

「全員が戦争経験者」って思ってる奴は、小学校卒業したのか?第二次世界大戦が何年に終わったかからないってことだよな?悲惨だ。教育の敗退

「全員バブル時代恩恵を受けた」って思ってる奴も同様。バブル崩壊が何年か、中学歴史教科書には書いてある筈(小学校は知らん)

ガラケーワープロなど古い機械しか使えない」って…寧ろ家庭用PC使い始めた世代だが。昭和40年代初頭生まれだと仕事紙テープパンチした記録媒体とか使ってる人とか居て、そっから現代的なPCへの移行、並びにインターネット黎明期から現代に至る進化経験している生き字引だろが。そういうタイプレアだとしても、団塊ジュニアくらいだとPC使うの当たり前、そのちょっと後だと学校で授業あり。そして勿論現在スマホを使っている。というか。きょうび、老人施設に居る老人ですらスマホタブレット使うだろ。お前らの爺婆も使ってるだろうが

昭和生まれ同士に世代ギャップは無い」わけない。ギャップは数年で生まれる。「伊沢みなみかわのクイズに出ない世界」という番組でここ数回「平成クイズ」をやっていた。平成まれパネラーの3人の中でもギャップが生まれているのがつぶさにわかる内容だった

昭和は63年と一週間もあるんだぞ?50年前の世界現在がどれだけ違うか考えてみろっての。昭和だけ60数年間同じ世界なわけないだろが。思考停止しとんのか。というか釣りか?ネタ?

Permalink |記事への反応(0) | 20:03

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anond:20251021183928

外国人があまり多くない時代山中に散乱するゴミを拾う活動に参加していましたが、ごみポイ捨てする日本人は多かったですよ。

昭和から平成前期にかけての時代立ちションをするジジイが多く、街のあちこちが小便臭かったですし。電車の中ではタバコが当たり前。タバコ臭いが充満してましたよ。

Permalink |記事への反応(1) | 18:50

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