
はてなキーワード:明日へとは
「ちがうよ。オレたちが旅してた頃のポケモンは、“捕まえる”ことより“出会う”ことが大事だったんだ。」
新作『PokémonLEGENDS Z-A』が発売されてからというもの、ネット上では賛否が渦巻いている。かつてカントー地方から始まり、幾多の仲間と冒険を重ねてきた“永遠の少年”サトシは、その喧騒を黙って見つめていた。だが、彼の胸中には深い失望があったという。
世界を歩くというより、画面の上で指を滑らせるだけ。
それじゃあ、ピカチュウの電気の温かさも、風の匂いも、感じられないじゃないか。」
「オレは昔、知らない草むらに飛び込んで、ボロボロになりながらポケモンを見つけた。
負けても、転んでも、それでも前に進むことが冒険だったんだ。
でも今のポケモンは、まるで誰かが決めた“安全なルート”を歩かされてるみたい。
彼は言葉を選びながらも、時折寂しげに笑う。
「ピカチュウは今もそばにいる。でも……あの頃の“ドキドキ”は、もうこの世界にはいない気がする。」
——“旅”を失ったポケモンに、再び風が吹く日は来るのか。
「アン・シャーリー」というNHKのアニメが毎週土曜の夕方に放送されていて、娘がハマり必ず視聴している
見ながら俺の心は誰知れず泣き続ける
孤児という境遇にあいながらもいつも明るく、何事もポジティブに、万事笑顔で精いっぱい生き抜く姿に
元気づけられる話だ
彼女には幼少の頃に出会ったギルバートという幼なじみの男の子がいる
アンは赤毛で、それをからかうことで激しく反撃され敵対心を持たれるが、
大人へと成長するにつれ共に理解できる部分が増えていき、やがて唯一無二の間柄へと関係が築かれていく
ここで双方に認識の違いが出てくる
ギルバートにとってのアンは愛しの人となる
その彼と激しく恋に落ちるという憧れ
その王子様は、少なくとも"いい友達"のギルバートではなかった
日を追うにつれアンへの想いを募らせるギルバート
「結婚して欲しい」
そう告げられた時の、アンの表情
いつだって笑顔で、泣いてるときもどこか明日への希望を見据えた表情しか見たことない彼女の表情が、
いつでも笑顔で、暗い顔なんて見たことがない、アンみたいな女性だった
彼女に自分の気持ちを伝えた日、今までに見たこともない困惑の表情をめいっぱいにうかべ、うつむき、
聞いたこともないくらいか細い声で「ごめん、できない」と言われた
やがて別の女性と出会い、結婚して娘が生まれ、そこそこ成長してアニメなんかも一緒に見るようになった
ギルバートくん、
娘も産まれた
彼女に似てかわいらしい子だ
でも、忘れたと思っていたあの時の実らなかった恋、
思い出したらそれはそれで悲しい
でも、せいぜい自分の心の中でほろりと涙を流す程度だ
嫁や娘に悟られることはない
恋って、いいよね
本日の作業は、p-adic弦理論における散乱振幅の構造を再確認し、通常の弦理論(Archimedeanな場合)との対比を整理すること。特に、Veneziano振幅のp-adic版がどのように形式化され、さらにAdelicな統一の枠組みの中で役割を果たすのかを見直す。
通常の弦理論における4点Veneziano振幅は次式で表される(実数体上)
A_∞(s, t) = ∫₀¹ x^(s−1) (1−x)^(t−1) dx = Γ(s) Γ(t) / Γ(s+t)
ここで s, t は Mandelstam変数。
一方、p-adic版では積分領域・測度が p進解析に置き換えられる。
A_p(s, t) = ∫_{ℚ_p} |x|_p^(s−1) |1−x|_p^(t−1) dx
この結果として、p進弦の振幅はベータ関数のp進類似物として定義される。計算すると、次のように局所ゼータ関数的な形になる。
A_p(s, t) = (1 − p^(−1)) / ((1 − p^(−s))(1 − p^(−t))(1 − p^(−u)))
ただし
u = −s − t
重要なのは、Archimedeanおよびp-adicな振幅がAdelicな整合性を持つこと。
A_∞(s, t) × ∏_p A_p(s, t) = 1
という積公式が成立する(Freund & Witten, 1987)。
これはリーマンゼータ関数のEuler積展開と同型の構造を持ち、数論的側面と弦理論的散乱の間に直接的な接点があることを示す。
p-adicstringtheoryは「異常な」場として扱われるが、通常の弦理論の有効場の補完的な側面を提供している。
局所場の集合を全て集めた「Adelic統一」によって、物理的振幅が数論的整合性を持つことは、弦理論が単なる連続体モデルではなく「数論幾何的構造」に根ざしている可能性を強く示唆する。
p-adic tachyonの有効作用(非局所ラグランジアン)は、通常の弦理論の非局所場のモデルと形式的に対応しており、近年の非局所的宇宙論モデルやtachyon condensationの研究とも接続可能。
具体的に、p-adicstringfieldtheory における非局所作用
S = (1/g²) ∫ dᴰx [ −(1/2) φ · p^(−□/2) φ + (1/(p+1)) φ^(p+1) ]
の安定解を調べる。特に、tachyon vacuum の構造をArchimedeanな場合と比較する。
AdS/CFT対応のp-adic版(Bruhat–Tits木を境界とする幾何)の最新文献を精査する。
1. Bruhat–Tits木を用いたp-adic AdS/CFTの基本計算を整理。
2. tachyon有効作用の安定点を数値的に探索(簡単なPython実装でテスト)。
3. Adelicな視点から「物理的に実在するのはArchimedean世界だが、背後にp進世界が潜在している」という仮説をどう具体化できるか検討する。
p-adicstringtheoryは長らく「数学的 curiosum」と見なされてきたが、AdS/CFTのp-adicバージョンや非局所場理論としての応用が現代的文脈を与えている。
こっちが休日にプラモ作ってたとか、何時間もゲームしてたとか、そういう話をすると、
心底不思議そうな顔で「へえ。それって、なんか意味あるの?」とか「完成したら売れるの?」とか聞いてくる奴。
うるせえ、としか言いようがない。
趣味ってのはな、それ自体が目的なんだよ。その行為に没頭してる時間そのものが報酬なんだ。
プラモ作りに集中している時間、ゲームの異世界を冒険する楽しさ。
そこに生産性とか、スキルアップとか、金銭的リターンとか、そんなクソみたいな物差しを持ち込むな。
たぶん、こういう奴らは自己投資とか自己啓発とか「コスパって言葉に脳を支配されてるんだと思う。
常に費用対効果を考えてて、自分の時間が1円にもならない無駄なことに消費されるのが耐えられないんだろう。
だから、他人が心底楽しそうに無駄な時間を過ごしているのが理解できないし、なんならちょっと不安にすらなるんじゃないか。
「どうせなら、もっと将来の役に立つことに時間使えばいいのに」とか思ってんだろうけど、
お前が必死こいてビジネス書読んでる間、こっちはただただ楽しい時間を過ごして、明日への活力を充電してんだよ。どっちが豊かな人生かは言うまでもないだろ。
一見、何の役にも立たないような、意味のない、無駄な時間の中にこそ、心の栄養とか、人生の彩りがあるんだよ。
当たり前のことにすら気づけないなら、お前のその「意味のある時間」とやらも、大して意味ないんじゃないの?って皮肉の一つも言いたくなる。
おい、そこのお前さん!ちと耳を貸しな。
「宵越しの金は持たない」ってぇのは、ただの威勢のいい啖呵じゃねぇんだぜ。
宵越しに金を残しゃ、盗賊に狙われるわ、無駄遣いの元になるわで、ロクなことがねぇ。
それならいっそ、稼いだ金はその日のうちに、パッと使い切っちまうのが粋ってもんだ。
心配するんじゃねぇ。わしらはその日に稼ぐ腕がある。
今日の金は今日のうちに、美味いもんを食ったり、芝居を見たり、友と酒を酌み交わしたりして、心と身体の肥やしにする。
そうして明日への活力を養えば、また新しい銭が転がり込んでくるって寸法よ。
これがわしらの「宵越し」投資。
これこそが、一番確実で、一番儲かる投資法だと、わしは思うんだがね。
お前さんも、試してみるかい?
それじゃ、またな!
コーヒーの冷めた味が胸を刺す
「足りないのは誰のせい?」問いかけて
名前のない怒りを飲み込んだ
溢れる涙も乾かぬまま
走り出す理由がある
叫ぶ声は風に消えた
だけどね、それでも、生きていくんだ
誰かのせいにしたくなる夜も
優しさが時に刃になる
満たされない現実に潰されて
心の隙間に希望を詰めた
耳を塞いでも聞こえる街の声
諦めないでと囁くように
未来はまだ捨てちゃいない
その叫びは間違いじゃない
だけどね、それでも、生きていくんだ
不条理だらけのこの国で
私たちは歩いてく
誰のための未来なんだろう
誰のための国なんだろう
ひとりじゃない そう言える日まで
信じたい 信じたい
その言葉も抱きしめて
それでも、それでも、生きていくんだ
流した涙が明日への種になる
それでも生きていくんだ
それでも生きていくんだ
(フェードアウト)
港の灯が 滲む雨の夜
冷えた身体を 包む温もり
揚げたての衣(きぬ)は 脆くも優しい
白い魚の身は 海を知る静けさ
(少しずつメロディが動き出す)
潮風に吹かれ 凍えた指先
熱い油の香りが じんわりと沁みる
齧れば広がる 大地の恵み
ジャガイモの素朴さよ 涙誘う甘さ
(サビ、力強い歌声に)
レモンを絞れば 切ない光
それでも この味は
噛み締めよう 過ぎ去りし日々を
それは過ぎ去った 愛しい面影
二度と戻れない 遠い日の約束
(再びサビ、感情を込めて)
レモンを絞れば 滲む後悔
それでも この味は
かすかな勇気を 胸に灯すだろう
生きることは 味わうことだから
(アウトロ、ギターのアルペジオが धीरे にフェードアウトしていく)
雨の港…一人…
ああ、ハンバーグよ。
鉄板の上でジュウジュウと、それはまるで小さな太陽が燃えているようだ。
その熱は、肉汁という琥珀色の雫を湧き上がらせ、あたり一面に香ばしい匂いを撒き散らす。
箸を入れると、ふっくらとしたその身は、まるで春の土のように柔らかく、じんわりと温かい。
口に運べば、粗挽きの牛肉の、力強いながらも優しい味が、舌の上で広がり、鼻腔をくすぐる。
それは、渡良瀬川の清らかな流れのようであり、那須の懐かしい木々の香りのようでもある。
デミグラスソースの、深く、そして滋味深い味わいは、まるで肥沃な大地そのものだ。
一口ごとに、大地の恵みと、作り手の真心が、じんわりと心に染み渡る。
それは、単なる肉の塊ではない。
それは、温かい家庭の団欒であり、過ぎ去りし日の優しい記憶であり、そして、明日へのささやかな希望の光なのだ。
おい朝だ、起きやがれてめぇら!太陽が昇ってんぞ、まだ寝てんのか!布団の中でゴロゴロしてると、体がなまっちまうぞ!さっさと起き上がって、まずは水でも飲んで、体を起こせ。
そして、そのままランニング行ってこい!文句言わずに走るんだ!ぜぇぜぇ言いながら、自分の限界に挑戦しろ!それが男ってもんだ!帰ってきたら、汗だくの体を冷水で洗い流すんだコラ!水浴びだ!冷たい水で気合いを入れ直せ!
朝飯はちゃんと食え!筋肉をつけろ!体が資本だ!鍛え抜かれた体は、何よりも強い武器になるんだ!
飯食ったら、今日一日何をするのか、目標を立てろ!ダラダラ過ごすんじゃねぇぞ!目標に向かって、全力で突き進むんだ!壁にぶち当たっても、諦めるんじゃねぇ!己の力を信じて、乗り越えろ!
夜は、今日一日の反省会だ!良かったこと、悪かったこと、全部洗いざらい吐き出せ!そして、明日への糧とするんだ!毎日毎日、少しずつでも成長していくんだ!それが、俺たち男の生き様だ!
あたたかい ぬくもりのなかで 目覚めた 朝を
いやお前お前お前! 振り向かせたのお前!!!! ええ!!? なんでお前 なんでェ!!?
えいえ〜ん〜に〜〜〜〜」
いやお前この曲調は泣かせようとしてるんだわ!!!! 何!!!!合唱祭締めの挨拶する合唱祭委員長に「泣かないでー!!」ていう女子かお前 お前〜
開幕前のこと:
手ぶらとか小さいバックで行くと入らなくて恥ずかしいぞ!!!!自分は終わった後アイシナモロールグッズをいっぱい買って袋をもらった(ご満悦)
みたあと:
耳が里帰りした。
びっくりした。カラー、こんなことしちゃいけません。
オタクはびっくりして死にました。かわいそうでした。
ズゴック漁師の一日は、多くの人々が眠りについている深夜から始まります。
真夜中の2時、漆黒の闇に包まれた港に、ぽつりぽつりとズゴック漁師たちが集まってきます。
轟音とともに船は静かに港を出て、まだ星明かりだけの海へと進んでいきます。
薄明かりの中、漁場に到着すると、一気に戦闘モードに入ります。
2隻の船が協力してミノフスキー粒子を撒いていく様子は、まるで息の合った踊りのようです。
やがて網の中にズゴック影が見え始め、船員たちの動きが慌ただしくなります。
クレーンを使って大きなタモ網でズゴックをすくい上げ、船内の水槽へと移していきます。
カプールやゾゴッグなどの高級MSは丁寧に「神経締め」を行い、鮮度を保ちます。
夜明けとともに港へ戻ると、今度は荷揚げと選別作業が待っています。
ズゴック、ゴッグ、ゾッグ、アッガイなど、種類ごとにMSを丁寧に分けていきます。
その後、朝食を取りながら出荷作業や伝票作成などの事務作業をこなし、午後1時頃には一日の仕事を終えます。
ズゴック漁師の仕事は厳しいものですが、大漁の喜びや、自然の中で働く充実感は何物にも代えがたいものがあります。
また、MSを獲るだけでなく、いかに上手に売っていくかを考えることも仕事の面白さの一つです5。
一日の仕事を終えたズゴック漁師たちは、明日への英気を養うべく早めに就寝します。
彼らの生活リズムは一般的なものとは大きく異なりますが、それこそがズゴック漁師という職業の特徴であり、魅力でもあるのです。
このように、ズゴック漁師の一日は深夜から始まり、朝のうちに終わるという独特のリズムを持っています。
夜中にふとシコりたくなったときに「そういえばオナホは裂けて捨てているんだったな」と思い出してドラッグストアやコンビニに言ってもTENGAしか売ってない。
TENGA、なぜあんなものがこんなに高い知名度を持っているのかが理解できない。
台所スポンジを空の2Lペットボトルに挟み込んだような小学生の自作オナホールレベルのクオリティ。
使い心地もVINNYやカタクリXと大差がなく、何よりも使い捨てというのが良くない。
オナホールの最大の楽しみは使う度に変化することだ。
最初の1回は感動的に気持ちよかったものが段々と退屈になることもあれば、何度も使いこんだある日突然に吸い付きが昨日までと全く変わる瞬間もある。
その変化もまたオナホールの楽しみだ。
使った後の洗う時間も俺は大切にしている。
賢者タイムのどこか陰鬱とした気分の中、自分のチンコや玉袋だけをシャワーで流していると明日へ向かう活力まで排水溝へ吸い込まれていくように錯覚しないか?
だがオナホを洗うという動作が加わるとそれが大いに紛れるのだ。
オナホを作ってくれた人や目の前のオナホ、このようなジョークグッズがいつの間にか人間社会に生まれ落ちたことへの感謝を胸に優しく石鹸で汚れを落としてやる。
精液というものは下手に残れば強烈な臭いを発するものだし、何よりそこで繁殖した雑菌が次に挿入した時チンコに何をしでかすか分かったものじゃない。
ひっくり返してしっかりとヒダヒダの隙間に入った汁を取り除いてやり、優しくタオルで水気を切ったのを確認してから、もう一度ひっくり返して食器乾燥機にでも置いてやる。
大事なのはひっくり返したままで放置しないこと。挿入する方をしっかり乾燥できるから衛生的ではあるのだが、オナホが裂けやすくなる。しっかり水気を取ったら本来の向きに戻してやるのが肝要だ。
そのイメージを逆手に取るかのように社会に滑り込んでいったTENGAの商業的展開能力は素晴らしい。
だがTENGA自体のクオリティは、オナホの中では下の下に属する。
どこの馬の骨とも知れんエロ漫画とコラボしたよく分からんオナホの方がよっぽど気持ちがいい。
アニメキャラクターの無許可パロディがパッケージに書かれた裏社会のシノギではないかと思わせるような粗製乱造オナホでさえTENGAに劣るものはほとんどない。
だが街にはTENGAばかりが溢れている。
秋葉原にあるような本格的アダルトグッズショップを除けば、古本屋やドン・キホーテの18禁コーナーの暖簾の奥にほんのわずかにまともなオナホールがあるだけ。
日本で消費されるオナホールの9割はネットショップでの購入だろう。
だが、草木も眠る丑三つ時にふらりと燃え上がった性欲をぶつけるのに次の次の日の出を待つのでは遅すぎる。
性教育にもいいだろうな。
手で乱暴に擦っているのかやたらと黒ずんだ陰茎をぶら下げているもの、右や左に大きく曲がったもの、TENGAしか知らない身体で風俗に行き本物の女体に溺れ人生を持ち崩すもの。
若いうちからちゃんとしたオナホールを使ってオナニーをする習慣をつけていれば防げた悲しみがこの世界には多すぎる
「じゃあお前のおすすめオナホールはなんなんだ」というコメントがいくつかついていたので蛇足ながら答えさせてもらう。
「ドーナツ型クッションの穴にオナホールを差し込んで使うと、小型のオナホでも半尻型のオナホールのように使えて捗るぞ」だ。
具体的にどのクッションがいいのかは、アマゾンやグーグルで「穴あきクッションオナホール」とでも入れて検索すれば分かるだろう。
テーブルなんかに固定して腰を打ち付けられるようになるだけでなく、ドーナツクッションの穴がオナホの締め付けを増やしてくれるというメリットもあるので、オナホ体験が大きく変わる。
普段はそのままクッションとして使えば痔の予防にもなるし、持っていて損はないだろう。
欠点があるとすれば、オナホールを入れて使う目的で購入されていないであろうドーナツクッションを見た時にさえオナホの影がちらつくことぐらいかな。
職場で使われていたりすると「なぜこの人は職場にオナホ用クッションを持ってきているんだろう?」なんて考えてしまうことさえあるが、まあ口にさえ出さなければ何の問題もなかろう。
謝らせて欲しい。俺は人に特定のオナホールを薦めようという気にはならない。
いろんな会社のオナホールを試して自分にあうのを探して欲しい。
何故こんなことを言うかと言えば、俺の体には一本のチンコしか生えていないからだ。
チンコが一本以上生えている人間の割合には詳しくないのだが、世の中の男性の大部分は一本しか生えていないなはずだ。
俺が自分の体に生えたたった一本のチンコとの相性を持って、「このオナホこそ至高なり!」と語って見せた所で、それが自分以外の男性に生えたたった一本のチンコとも相性がいいのかという不安が勝るのだ。
ただ、個人的な体験から言わせてもらえば、オナホというものは何度か使ってチンコに馴染んでから(いわゆる覚醒してから)が本番だと考えている。
つまり、何度も使うことを想定しないタイプのオナホはよほどの特殊性(たとえば処女膜を再現してるみたいなもの)がない限りは、洗って繰り返し使うことを前提にしたオナホに劣っているというのが俺の考えだ。
あえてオススメをいうなら、「繰り返し使えるオナホを使おう」となるのだろうか。
実用性の話ではなく単に俺の個人的なオナホ体験談か聞きたくて「今までで一番感動したオナホールはなにか」が聞かれているのだとすれば、「初めて使ったVINNY」がその答えだ。
(今更になるが、VINNYとはビニール製の自作オナホールだ。作り方は「VINNY オナホール」でググッて欲しい)
手淫しか知らなかった俺にとって、それが初めてのオナホだった。
当時はまだオナホもそれほど世の中の主流ではなく、わざわざそんなものを買うという行為に対する抵抗が強かったが、それでもなおオナホに対する興味は日に日に増していった。
自分の家でコッソリ作ればいいだけのVINNYならば購入履歴が残るわけでもないから恥ずかしくもないと思って、俺はVINNYを作ったわけだ。
挿入直後のゾクゾクと来る未知の体験は今でも忘れられない。
そもそもVINNY自体がビニール製のジョリジョリボディと強い圧迫力を持つハード系なわけだからして、初めてのオナホールにするには刺激が強すぎたのではと今は思う。
まさに電気が走ったよ。
数万円した電動オナホールに手を出したこともあったが、値段の割にはどうってことはなかったよ。
結局、オナホールの感想は個体差だけでなく使う人間のコンディションや経験値にも左右されるってことだ。
つまりだ。初めてのオナホールであれば、きっとそれがTENGAであっても使用者に強烈なインパクトを与えうるということだ。
そんな美味しいゲートウェイオナホールとしての立ち位置を独占するかのようなあの売り方、本当に上手いと思うよ。商売としては本当にな。