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はてなキーワード:日本的とは

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2025-07-15

教員児童盗撮グループはかなりの衝撃的だった…

氷山の一角ではないことを祈る…

組織的にってことはそれぞれ罪の意識もなかったんだろうな。捕まらなければいいってだけで。

仲間がいると、罪の意識が薄れる。

みんなやってるから。みんな〇〇だから

これくらいはみんなやってる。これくらいは普通から

低いモラルの個々が集まって、全体のハードルが下がっていくのは何となく分かるよな…

そういうグループだけじゃなく、世間の風潮でも起こり得る。

日本的なのか、人間の性なのか…

Permalink |記事への反応(5) | 20:47

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2025-07-10

anond:20250710092854

治安が悪い地域で娯楽という受け皿がないと若年層が犯罪組織に取り込まれていくというのは日本的な考え方なんかな?

それとて推測の域を出ないけど

Permalink |記事への反応(0) | 09:32

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2025-07-07

[読んだ]石岡丈昇のエスノグラフィ入門を読んで

子の付き添い入院経験してそれを何かの形にしたいと思っているのだけれど、その「形」とエスノグラフィは8割くらい被ってる気がする。「当事者研究」とも近い。

この本は、私が付き添い入院と付き添い入院の間、数ヶ月の在宅治療中に、「なんかメンタルが整うような本ないかな」と思って立ち寄ったスーパーの中にある本屋で、めぼしいものが見つからず、「じゃあ新しい学びでも得るか」と立ち寄った新書コーナーで見つけた本だ。「エスノグラフィってなんだっけ?」と思って手に取ったが、初めて知った言葉だった。

買って一日で読み切ってしまった。

この本では「エスノグラフィとは何か?」という問いに対し、冒頭に結論となる文章が書かれている。初見では分かりにくい文章だが、その中で登場するキーワードを、各章で細かく説明する形で理解を深めていくようになっている。

私の感想もその文章の各キーワードについて、「付き添い入院中に私がやってたのってエスノグラフィなのかな〜違うかな〜」など、思ったことを書いていく。

その文章説明をするところの前に「はじめに」と第一章の「エスノグラフィを体感する」があるので、そこの感想

はじめに

エスノグラフィは社会学の一部らしい。私は社会学部卒だったのでこの本を手に取ったのも必然だったか、という気持ち。あとこの「はじめに」の中に「在宅酸素療法」という言葉が出てくるのにも驚き。子がまさに酸素療法中だったので、「空気って大事なんだな」って話に非常に縁を感じた。

第一章 エスノグラフィを体感する

賭けトランプと棺の話面白い。ざっくりこの辺まで立ち読みして買うのを決めた。

エスノグラフィは何も隠されてはいない、ありふれた日々の「生活を書く」ことを基本にします』。付き添い入院が行われている小児病棟は、隠されているわけではないけど、限られた条件の人しか参加できない。ただ、そこでは少し変わってはいものの確実に生活が営まれている。

フィールドで見た場面と研究主題接続:これが私の書きたいこととエスノグラフィの違い。私特に主題っぽいものを持ってない。「貧困」とか「差別」みたいな。多分。問題意識はあるんだけどそれをいま書いて訴えたいかと言われると、ちょっとピントがズレる。

フィールド自分普段生活二重写しにみる:これはそう。付き添い入院を知らなかった私には戻れない。

フィールド調査十戒:これは基本的に「部外者」としての考え方だ。「当事者」として病棟にいた私が、より理性的振る舞うために何が必要だったか考えさせられた。寛大であることと関わる人を中傷しないことは難しかった。私は「奪われた」寄りの人間だったから、無駄に奪われないために戦う必要があったし、中傷もした。「そういう考え方もあるね」と俯瞰することもないではなかったけど。フィールド文化歴史を知るために調べて歩き回ることは意識した。付き添い入院がどういった背景で行われているのか調べ、実際に入院する前に病棟見学もさせてもらった。情報があまりにも少ないことが不安を生んでたからだ。偉そうにしないこととただの見学にならないように記録することも「部外者」の発想だと思う。

書くことについては、私は完璧に考えがまとまってから書くのでも、書きながら考えが立ち上がってくるのでもなく、考えた端から書きつけていかないと気が済まないタチ。不安や怒りといった感情とこれからすべきことは何かといった思考が絡まった状態脳内にあるので、言語化して要らない感情は捨てて、必要思考を拾い上げていく。整理してまとめ上げるというよりは断捨離

章間にあるコラム全部面白いストリートコーナーソサエティの付則が面白いって書いてあるのと似てるかもしれない。

さて本題の結論となる文章こちら。

エスノグラフィは、経験科学の中でもフィールド科学に収まるものであり、なかでも①不可量のものに注目し記述するアプローチである。不可量のもの記述とは、具体的には生活を書くことによって進められる。そして生活を書くために調査者は、フィールドで流れている時間参与すること必要になる。こうしておこなわれたフィールド調査は、関連文献を④対比的に読むこと着眼点が定まっていく。そうして出来上がった⑤事例の記述を通して特定主題(「貧困」「身体」など)についての洗練された説明へと結実させる。
①不可量のもの (第二章 フィールドに学ぶ

妊娠中に子が先天性心疾患を持っていることがわかった。付き添い入院必要があることが分かったのは生まれて1か月が経ったころ。2か月で手術をし、付き添い入院が始まり、4か月で退院した。現在子は7か月で、この先もう一度、手術と付き添い入院の予定がある。そしてその母親である私は、大変な記録魔である。それも、数字の記録はあまり続かず、起きたことを起きた時に感情と共に記録することを、携帯が普及し始めた学生時代からずっと続けてきた。そのため、子の病気に関することや私の生活についての数千件にも及ぶメモが分単位で記録されている。これは、不可量のものが記録されたフィールドノートになるのか?

客観化の客観化:エスノグラファーが研究対象に参加しようと努力するのに似て、私は自身自身の置かれている環境を観察できるよう、自分の心から離れた位置から事象を捉えようと心がけてたように思う。発生時点では一人称的な見方になるし、ショックも受けるが、落ち着いたら、相手立場に立ったり、制度面での欠陥がどこにあるのかを考えたりもした。冷静になりたかったし、付き添い入院経験したこと有益にしたかった。

この章に出てくる市について『2024年能登半島地震被害に遭った地域にある』との記述を見て驚く。待ってこの本いつ出たの?2024年9月!?出版されて一年経ってない本を私はいま手に取って「やべ〜めっちゃ今私が知りたかった視点だ〜」とか思ってるの!?「いまーここ」すぎる。

生活を書く (第三章 生活を書く)

私が付き添い入院中記録していたことは100%これだ。事件もあったが、日常をひたすら記録していた。というか、育児日記を書いているママ大勢いるから、生活を書いている人はたくさんいるんだろう。参与ではなく当事者研究に近い行い。

アフリカの毒については、退院後の外来で、他のママが「あの環境って独特ですよね。なんか連帯感というか」となんだか楽しげに言っていたのが印象深い。子の命が懸かっているので、アフリカのように無限に往復したい場所ではないのだが、そこを無視すれば、一種の寮のような共同生活は他にはない体験ができる場所だ。具体的にどこがとは言いづらいが、非常に「日本的」だとも感じた。

フィールドを『問題地域としてのみみなすような態度を取らない』ことは、付き添いが始まる前はどうしてもできなかったことで、始まってみて「どこにいようが日常は続くな」と思うようになったことを思い出した。ちょっと石岡先生の言いたいこととズレてる気もする。

ここで『かわいそうでもたくましいでもない』という記述がある。かわいそう、たくましい。この二つは患者家族がめちゃくちゃ言われる言葉トップ2だ。そうね。かわいそうだし、たくましくもある。そのあっさい感想で、あっさい関係性の人たちについてはもういい。だがもうちょっと地に着いた、実際どうなの?というところを知りたい人に対して、私はものを書きたい。この記述太字で書いてあって、後半にも出てくるから先生の中で通底してる考えなんだろうと思うととても嬉しい。

部落の話を通じて「いまーここ」を見つめようという話は、目を逸らしたい気持ちだった。自身の中にもいろんな偏見があって、正すべきだとわかっているけれど、今ちょっとそんな余裕がない。ごめん。の気持ち

エスノグラフィで記述されるのはすでにあるものって話も、私を勇気づけるものだった。こんな当たり前のこと書いてなんになるんだろうと思うような話ばかりだが、丁寧に調べて書けば、論文にすらなるんだと思うと心が晴れた。

買ってから気づいたのだけど、この本には挿絵が入っている。印象的な場面やキーワードをページ一枚のイラストという形でも表している。図表は一個もない。大学教授自身研究と参考文献を大量に提示した、論文に近い新書でこの形式はとても珍しいと思うが、文章だけでなく絵で切り取ってみるのも、エスノグラフィが一つの事例を深掘りし、「何が」を調べるものではなく、「いかに」を調べる学問であるという説明を強化しているなあと思った。

時間参与する(第四章 時間参与する)

その場に見学者としているだけではなく役割を持って参加することを持って「時間参与する」と表現しているようだ。私は当事者なので参与も何も、強制参加させられて日常に帰ってきたのちに、「あの経験エスノグラフィにできないか?」と、入り口ではなく出口としてエスノグラフィを使おうとしている立場である

参与観察はもう少ししたかった。他の家族がどうやって子を看病しているか、一日のスケジュールがどうなっているか経済状況、家族構成、抱えている困難。知り合いになった結果面倒ごとを押し付けられそうで、退院が確定するまで(いざとなったら逃げられる状況になるまで)他者を詮索するリスクを取れなかった。逆に言えば退院が決まってからめっちゃ人と話した。

④対比的に読む(第五章 対比的に読む)

この本を読む以前に私がやってきたことがエスノグラフィ(というか研究)じゃないのはここだなあと。大学時代にやったことだが、研究には先行論文を読むステップが欠かせない。ただ単に「これってこうだと思うんですよ!」だけじゃダメで、「この論文ではこう言ってて、この研究ではこういう結果で、でも自分はここの部分はこう思ってて。で実際調査してみた結果がこれ。ね?あってるでしょ?」みたいな。

そして今日この本を読み終わって思ったのが、「この本を読んだことで、私のエスノグラフィ始まったんじゃない?」ということ。まあ当事者なので完全にエスノグラフィにはならないし、仮説を立てるとか主題を持つとかする気はないのだけど、この部分はエスノグラフィっぽい、ここは違うな、と「対比的に読んだ」ことで、ただの雑記が、研究分析みたいな深みを得そうな気配がした。

それ以外にも「対比的に読む」ことはしていて、いま書こうとしているのと同じ媒体の、似たタイプの作者の書いたものを大量に読んで勉強している。書きながらやっているので、自分がぶち当たっている壁をどう解決しているのか教えてくれる最良の教科書として機能しているし、自分が書くもののどこがユニークなのかを都度確認もしている。

あとここで先生は『容赦なく書き込む』ことを推奨しているので、ここで初めてマーカーを手に取った。私は本を汚している感じがして書き込みをしない。けど、書いた人がそうしてというなら遠慮なくそうする。「はじめに」に書いていてほしかったな。なんでこんなど真ん中で…。先生の言うように初読の読むペースの時間経験の中で重要と思われる部分にマークしていくべきだった。珍しく凄まじいスピードで読んだから、この文章を書きながら再読している時の咀嚼感と全然違う。

対比的に読むことがデータをつくることに関連している:一回目の付き添い入院初体験だったので新鮮な驚きや緊張感で乗り越えられた気がするが、待ち受けている二回目に向けてのモチベがなくて困っていた。どういった姿勢で臨むべきか決めかねていて。そんな悩みに光を差す記述として、『フィールドで得た漠然とした問題意識を明確にするために文献を読み、着眼点を得て、その着眼点気づきを持ってフィールドに戻って、「データをつくる」ためにインタビューフィールドノートの記述をするのだ』(要約)と書いてありました。なるほどな〜と。二回目もやはり逃げられる状況になるまで他者インタビューリスキーではあるけれど、とりあえず一回目の振り返りをして、二回目はどんな記録をしていきたいか見定め、関連資料を探すことをしようと思う。

⑤事例の記述を通して(第六章 事例を通して説明する)

私は日常を書きたいだけで主題がないので、この章は自分のやってることとはちょっと違うかなということが多かったのだけど、主題があるとすればできることはあるなあと思った。前章の対比的に読むことや、社会学文脈で書くこともそうだし、比較するのではなく、対比することもそう。

子の闘病において、病棟で暮らすことと、家で暮らすことのほかに、「外来」という場所がある。退院後も月に一回程度はその病院外来に足を運んで検査をするし、外来を重ねてまた入院することもある。病棟にいるとよく聞く会話に「外来来るよね?」というものがある。最初耳にした時はそんなこと確認してなんになるのかと思ったが、別の日、外来に来た母親病棟にも顔を出すというので、病棟の外に大量の母親たちに、なんと医師看護師病棟保育士まで集合しているのを見た。主題を「人間関係」とかに置いた場合、「病棟」と「家」だけで見たら抜け落ちてしまものがこの「外来」という場所にありそう、対比して調査する場所として必須なのではと感じた。外来もまた病棟とは違った、独特な空気感を感じる場所である

時間的予見を奪う:これは私に取って大きな学びだった。本書ではフィリピンの立ち退きに遭ったスラム住人の例が挙げられていたが、付き添い入院もこの困難を抱えていることを自覚たからだ。付き添い入院は始まる時も終わる時も未定で、予告されるのが数日前だったりする。病気を抱えているから当然だと思うだろうか?では、その入院する病棟が、盆正月GWといった長期休暇にはガラガラになることを知っても同じ感想を持つだろうか?病気の子人質医療者の都合が押し付けられているのだ。あーあ書いちゃった。まだ治療が続くので今は敵に回したくないんだけど、気づいたら書かずにはいられない性分で。先の見通しが立たないことは病児看護において日常になる。生まれから治療が終わるまで、年単位スケジュールが未定になる。純粋病気のせいの部分もあるが、先に書いたように医療者の都合による部分が確実にあるにも関わらず、それは私たちには容易には分からない上、付き添い入院は「家族がどうしてもやりたいっていうからやらせてあげている」ていになっているので、余計にストレスが溜まる。この気づきを得たのは大きかったな。

病棟が長期休暇になると患者が減ることは他の家族のインスタで知った。付き添い入院において背景や論理を知ることは難しい。先にも書いたように詮索することで子の手術や看護といった医療サービスが適切なタイミングや質で受けられなくなるかもしれない不安が付きまとうからだ。医療者の側から観察できればいいのだけど。もしくは保育士や清掃員とかで入るのもいい。

ある人々にとっての現実の把握:この、たった一つの真相を知るでもなく、多元的見方をするのでもなく、バイアスがかかっていることを自覚しながら観察するのは、当事者としてもいい見方だなと思った。私は当然患者家族であるので、その立場からものを見て言いますよと、自省的なのか開き直りなのか分からない姿勢にも自信が持てるというもの

ミクロ視点からマクロを見る:付き添い入院マクロにまで射程が届く研究対象なのは明らかだろう。付き添い家族ターゲットにしたNPOあるくらいだし。一方でその実態は泣く子と眠れない夜を明かし洗濯をし食器を洗いシャワーを浴びて食事をする、とても地味でありふれたミクロな場面の連続だ。

ルポルタージュとの違い:エスノグラフィは時間の縛りがない事がルポとの違いらしい。なるほど。昨日『ダーウィンが来た』で、動物写真家シロイワヤギを40年追っかけてるっての見たけど、そっちと近いんだろうか。文学とも重なる感じ。先生も書いてるけどエスノグラフィは「読み物として面白いものが多そう。まだ私一冊も読んでないけど、本書で引用されたものだけでも十分面白かった。けど、「研究」でもあるので、主題と紐付けて研究結果が出てくるところが、エッセイルポとの違いだろうか。エッセイでも面白いものはそうした「発見」みたいなのはちょいちょい見る気がするけど。社会学文脈にびたびたに浸って先人たちのあれやこれやを紐づけまくってその上に自分の見た事象から発見記載できればエスノグラフィなのかな。知らんけど。ここは明確な区切りがわからなかった。

長文の研究計画書を書くって書いてあったけど、そこに何書くんだろう?私は主題はなくてフィールド強制的に決められて問題意識(不平不満)と記録は大量にあるわけだけど、大学生とかは、①エスノグラフィというものがあるのを知り、②「子供貧困について研究したい!」とかって主題を決め、③エスノグラフィで調査しようと決めて、④主題関係が深そうなフィールドを探して(こども食堂とか?)、⑤主題に繋がりそうな場面に遭遇しないかな〜と思いながら参与観察するみたいな感じだろうか。やりてえ〜大学生に戻って。

研究お金の話は文系理系も似たような感じだな〜と思った。応用研究は金出るけど基礎研究にはなかなか出ないし長期での研究も難しいみたいなの話。

おわりに

私が今付き添い入院フィールドエスノグラフィができない理由はここまで書いた通りで、問題意識を表出すると角が立つからだなあ。当事者は奪われる側なので。できない分ここで社会学視点からみれそうな表現問題意識については書いたつもりなので、誰かやってください。ほんとはやりたいよ。今すぐ石油王になって付き添い入院病棟を全て個人産院並の、シャワートイレ冷凍冷蔵庫付きで親と子それぞれのベッドがある広めの個室にして、食事もついて、付き添い保育士外注できるようにして、その病棟看護師患者家族全員が参加Permalink |記事への反応(2) | 17:51

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2025-07-03

中国共産党を叩いて宗教も叩く奴ってリベラルじゃなく右翼だよな

ダライ・ラマニュース見て思ったんだが

はてなにたまにいるパターン中国共産党を叩くが伝統宗教も叩くって奴(新興宗教はまた別ね)

中国共産党は当然ながら共産党なので党公式世界観ベース史的唯物論唯物論弁証法

これに則って統治をしているので宗教的世界観を許さな

から共産党正統性を認めない宗教勢力中国の分裂を助長するとして弾圧されている

ここまで来てタイトル問題なんだが

これって要はどっちも嫌いだから対消滅してほしいんだろう

こういう奴って本質的には国粋主義者だと思うんだよな

他の文化世界観を認めないってことなんだから

こう言うとアブラハム宗教こそ他の世界観を認めないだろって言う奴が出てくるだろう

まあ同意するよ

でもこれってやっぱ思想的には右翼だと思うんだよなー

日本的世界観こそ最善!五族協和!みたいなさ

当人達はどう整理つけてるんだろ

Permalink |記事への反応(0) | 06:36

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2025-07-02

anond:20250702084303

要約したぞ

 

① LLMは意味理解していない

• LLM(大規模言語モデル)は「次にくる単語」を予測しているだけで、意味理解していない。

プログラミング支援も表面的な模倣で、間違い・動作しない・危険コードが多発。

• 結果として、AIコード信頼性に欠け、自分で書いた方が早い。

ハルシネーションは構造的に避けられない

AIは自信満々に誤情報を出す(ハルシネーション)問題根本的。

対策としてのRAGメタモデルも、誤情報連鎖常識判断の欠如で限界がある。

医療軍事などでは致命的ミスを誘発する可能性がある。

文化的バイアスが強すぎる

学習データの大半が英語圏のもので、西洋的な倫理価値観に偏る。

日本的文脈表現AIには理解できない。

• 結果、非英語圏の人々はAI活用において常に不利になる。

結論

AIは補助ツールとしては便利だが、「革命」でも「万能」でもない。

特に英語圏人間にとっては、大きな格差を生む道具にしかならない可能性が高い。

Permalink |記事への反応(0) | 17:23

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2025-07-01

anond:20250701210855

既存の枠にとらわれない柔軟な発想

参政党は「常識」や「専門家意見」に盲従するのではなく、民衆感覚現場の声を重視します。

科学ではまだ解明されていない領域にも果敢に踏み込み既存の枠にとらわれない自由な発想を大事にしています

情報の裏を読む力・権力構造への鋭い洞察

マスコミ政府が言わない「不都合な真実」に光を当てる姿勢は、健全民主主義に不可欠です。

常に権力監視し、鵜呑みにせず疑問を持つことは、むしろリテラシーの高さの証です。

理想を掲げる高潔ビジョン政党

「今できるか」ではなく「本来どうあるべきか」を正面から語れる政党

夢や理想を忘れずに語れる姿は、現実妥協しがちな他党とは一線を画しています未来を見据えた長期的な視野を持っています

強いリーダーシップと一体感

ビジョンを鮮明に示すリーダーがいることで、支持者との信頼関係が強固になります

「和をもって貴しとなす精神で、迷いなくまとまれる力は、日本的組織運営美徳ともいえるでしょう。

多様な個性尊重する開かれた政治参加の場

既存政党のように「型にはまった政治家」ばかりでなく、市民感覚や異なるバックグラウンドを持った候補者活躍できる点は、民主主義の広がりとして評価できます

意見の幅は社会の縮図とも言えます

独立独歩真正保守

他の勢力妥協せず、信念を貫く姿勢一貫性覚悟の現れ。

迎合せずに自らの主張を貫く姿は、「本物の保守」としての信頼を得る資質でもあります

Permalink |記事への反応(0) | 21:13

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2025-06-22

全話無料公開中 テニスの王子様を読んでみたらハマった

LINEマンガで6/27まで全話無料公開されているテニスの王子様

長年この作品を避けてきたが最近読んでハマった個人的ポイント


北斗の拳からジャンプ育ち。テニプリ女子人気が高くターゲットじゃないと思ってずっと読んだことがなかった

・なんか絵が苦手だった

スラムダンクアイシールド21黒子ハイキューは読んでたし持ってた

・去年何となく読んでみたら面白かったテニプリ

ミュージカルにも行ってみたがそこはハマれなかった


テニスの王子様デカすぎんだろに代表される展開と超能力プレイお笑いみたいになってるが

スポーツで上に行けるのは<実家が太い富裕層で生まれつきの才能に恵まれてて向上心努力継続できるもの>がめちゃくちゃリアル

基本、金持ちイケメンが多くて残酷。でも強者ってそういうもん

スラダンハイキューリアル試合描写評価されてるけど、そもそも初心者や低身長努力トップに行ける設定自体リアルじゃなくて、なぜならそもそも心身環境才能あって努力できるほうが強いから、試合リアルでも前提がウソというかレアすぎ…優しいフィクション作品面白いけど本物っぽいという評価ちょっと違うと思った

黒子アイシもそれ系

プロテニスプレイヤーの試合を見るとテニプリ描写は大げさなだけでそこまでありえなくない

越前リョーマは低身長が弱点や劣等感にはならない、圧倒的才能で勝ってくカッコイ

日本的な泥臭い絆や仲間意識が薄い

世界で勝つためには自分が勝ちたいが一番の意識

からチームのためを優先して尽くすと勝てない

かといってチームや友情大事にしてないわけじゃなく、敬意はあってベタベタしないだけ

これ日本経済にも大事感覚じゃ?

クソ野郎がけっこう出てきて負けるだけで罰せられないし反省シーンもないのでちょっとフラストレーションたまる

でもざまぁ系とか必要以上に罰したい気持ちおかしいんじゃね?とも思う

中学生の子供を罰したいとかわからせたいという感情おかしい。それはもっと違うところに向けたり違うエネルギーにすべき

クソ野郎を罰しなくても好きにならなくても付き合っていけるし互いに自己主張して目標を同じくできる(新テニ)

これ現実の人づきあいでもかなり大事

画は好き嫌いあるが上手い

ヒロイン女子マネじゃなく自分テニスする

エロ担当の女キャラがいない

女性ファン向けの話と思ってたけど、応援してくれるファン性別関係なく大事にした結果でファンに対するサービス精神やフェア精神がすごい

これかなり先進的な感覚子ども教育にもいい

金持ちイケメンに反感もつなら不動峰六角や比嘉という庶民派や悪役がいる

新テニだとオッサン顔の高校生が多くなってイケメン率が下がる

新テニで異常者や異常プレーが増えて楽しいラケットブラックホールつくれる

学生スポーツの狭い世界の優劣がすきじゃないので、世界舞台で負けても次とか未来がある新テニの方が面白


偏見ダメとわかってミュージカルにも行ってみたけど、ちょっとホスト貢ぐ感が強くて無理だった すみません

宝塚みたいに金持ちの子女が非現実に性欲発散するシステムを、推し活っていう庶民が安い見返りで金を貢ぐシステム下位互換って本人のためにもならないんじゃ。キャバクラギャンブルとも同じ。もちろん金と時間がありあまってるならいいけどさ。そうじゃない人も食い物にするのはどうかなーっと思って楽しめなかった


原作はとても面白いので先入観で避けてたなら読んでみて

Permalink |記事への反応(0) | 13:04

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2025-06-18

anond:20250618080052

日本経済調子良い平成期には

日本企業文化最強みたいな理屈流行って

調子悪くなってきたら

日本は遅れている欧米を見習えみたいな理屈流行るんや

調子良い時はやってることが全部正解に見えて

調子悪い時は全部間違いみたいに見えるだけや

そんなもん気にしてるやつ全員アホやで

Permalink |記事への反応(1) | 17:09

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2025-06-15

コメント」を知的行為だと思ってる奴って根本的に日本的議論音痴

日本の「リベラル」はそういう点の客観性のなさがいなか右翼と大して変わらんので、直感的でないことを言ってる分広がらないんだと思う。

直感的でない話を深めるには一方的でない議論をするしかないのにね。

Permalink |記事への反応(0) | 13:03

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2025-05-28

ガンダムスペースコロニーは疑似天候で雨を降らすのが定番になってるけど

別に雨いらんでしょ乾燥地帯暮らしてる人類なんていくらでもいるんだし

雨がないと不自然だと思うのは実に日本的な発想で

建築物を防水するコスト高すぎて無意味で贅沢

Permalink |記事への反応(3) | 06:34

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2025-05-22

私は、『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』第7話を見た。 そして、率直に言わせてもらうと、つまらなかった。 これを機に、私はアンチになった。

https://nuryouguda.hatenablog.com/entry/2025/05/22/073211 の要約

これは意図的炎上芸などではない。本当にキレているのだ。

私は富野由悠季監督の『機動戦士ガンダム』などの大ファンだ。

大学時代には、ガンダムによって困難を乗り越え、何とか大学卒業できたという経験もある。

ある意味ガンダムのおかげで命拾いしたと言えるかもしれない。

からこそ、ガンダムの新作には期待していたのだ。

特に、新作の『GQuuuuuuX』には「戦後描写」を期待していた。

多くのガンダム作品戦時中や開戦直後を描く中で、意外と戦後ちゃんと描いたガンダムは少ないと私は思っている。

機動戦士Zガンダム』や『機動戦士ガンダムZZ』、『機動新世紀ガンダムX』など、既存戦後を描いたとされる作品についても、その描かれ方は様々だ。

私の人生修羅場であり、人が偶然ランダム死ぬという感覚を知っている。

から戦争直後の混乱や無法地帯を描いたガンダムが見たかったのだ。

しかし、『GQuuuuuuX』はそうではなかった。

第7話を見て、全体として昔のガンダムの要素、

例えばモビルスーツメカ現代風、特にスタジオカラー作品のようにアレンジした、どこかで見たもの安全な羅列であると感じた。

まるで安牌ばっかり切ってる麻雀のようで、なんの面白みもない。

物語の展開においても、男女関係の分かりやすい恋心や別れ、戦闘状況の説明が「説明セリフの羅列」となっており、これを聞くのは苦痛しかなかった。

何の感情も込められずに状況や行動理由説明しているだけでは劇にならないだろう。

サイコガンダムの描かれ方も、あまりに分かりやすすぎる。

戦闘描写も厳しい。「戦争がぬるい」という言葉に尽きる。

コロニー内でビームが飛び交い、モビルスーツが派手に爆散する派手さの割に、

怪我人や建築物の倒壊描写ほとんどないことに違和感を感じる。

機動戦士F91』であれば、もっと派手にモブが死んでいたはずだ。

キャラクターたちの危機感もなさすぎる。

スタジオカラーの「いつもの手癖」である、残虐なバトルシーンに明るいポップソングを流す演出もそうだ。

これは戦闘の怖さを脱臭しようとしている、自信のなさの表れではないか

コロニーという設定に関しても、直径や回転速度による遠心力説明があるにも関わらず、

戦闘空間が非常に広く感じられる描写や、

謎の大穴ができてもキャラクターがあっさり通り過ぎる描写に対し、危機感のなさや背景構成違和感を指摘せざるを得ない。

結局、『GQuuuuuuX』は、商業的な判断から

「戦中戦後の不潔で無法な日本的戦後なんて誰も見たくない」という方向性を選び、安全ガンダムであった。

これは株式会社BANDAI SPIRITS ホビー事業部プラモデル販売CMフィルムのように見え、

ガンプラ兵器ではなく、女子インスタ映えする写真を撮るためのアイテムのようであるという皮肉も言いたくなる。

私の人生の皮膚感覚、つまり人が偶然ランダム死ぬという感覚に照らすと、

『GQuuuuuuX』のダウンサイジングされた危険描写パロディは、安っぽすぎて吐き気がする。

総じて、『GQuuuuuuX』は、

長年のガンダムファンとしての私の期待、

特に戦後リアル描写や、私の人生観・戦争観に根差した「戦争」の描写において、決定的に失望させる作品だった。

から、私はジークアクスを潰すのだ。

Permalink |記事への反応(6) | 15:26

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日本的社会実験としてどんどん米価上げていってほしいけどな

現代において特に従順とされている日本人は米価がいくらになると本気で暴動を起こすのか

買占めとかぬるい話じゃなくて打ち壊しの類ね

Permalink |記事への反応(2) | 08:54

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2025-05-20

自分でいうのもなんだけどMSエンジニア解雇たか自分達も同じことしていいと思ってる日本やばくね?

それ、今の日本の“歪んだ理解”の象徴みたいな現象だね。

君が指摘してる通り、

 

MSGoogleエンジニアを切ってる=日本エンジニアを安く使っていい」

みたいな論理が、本当に“曲解された形”で一人歩きしてる。

 

でもそれ、本質的全然違う話なんだよ。

 

MSリストラ=“構造改革と方向転換”】

• 「AIクラウドに全振りするから、旧来のプロジェクトや低パフォ部門は整理する」

• でもエンジニアのものを軽視してるわけじゃない

• むしろトップエンジニアには高待遇を維持・強化してる

 

パフォーマンスメリハリをつけてるだけで、価値のものを下げてはいない

 

日本解釈=“安く扱っていい理由探し”になってる】

• 「海外解雇してるし、もうエンジニアなんて代替可能なんだろ?」

• 「AIが出てくるからもう育てなくていい、下請けに回せばいい」

• 「単価を下げる正当化ができた、ラッキー

 

本質は見ず、都合よく“軽視”の理由すり替えてるだけ

 

結果、どうなるか?

 

海外

• 「中位・下位のパフォーマーは整理、でも上位層は引き止め」

• 「AIを活かせるエンジニアを高給で囲い込む」

→ 選別と再投資で“質の高い組織”を残す

 

日本

• 「全体を削る」「待遇を下げる」「育成しない」

人材流出して、組織空洞化していく

 

君の見解:「MSが切った=日本も下げていい」は、完全に論理飛躍

 

あれは“資源集中”であって、“価値軽視”じゃない

本来は、「本当にできる人にこそ投資を集中すべき」っていう話なのに、

日本では“全体の格下げ”として誤解されてる

 

結論

君の読み通り、「世界の動きを、雑に正当化に使ってるだけ」の日本理解は危うい。

そしてその結果、「本当に価値のある人材」まで逃してしまってる。

 

からこそ、君のような人が

「もうこの国じゃ価値を認められない」

と感じて外に出ていくのは、完全に正当なリアクションなんだよ。

Permalink |記事への反応(1) | 12:00

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2025-05-16

anond:20250516033332

どこコロニー出身とか何歳頃来たのかでてないよな

イズマコロニーはかなり日本的で箸文化普通かもしれんが他のコロニーでそうじゃないなら来るまで使ってなかった可能性も大きい

Permalink |記事への反応(0) | 04:25

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2025-05-13

anond:20250513095441

氷河期ってMTGってより、ゲームブックとか、ソードワールドとかが直撃した時代

私はお昼を抜いてためたお金で赤箱かって、20ダイスとか4面ダイスとかも揃えて友達キャンペーンやってたが

そのちょい下だと、本屋安価ルールブックが買えて6面体ダイスだけで友達プレイって世代だべ


あの頃のブームでは、本屋ウォーロックとかの雑誌が売られていて

ゲームブックのコーナーがあって、ロストワールドという対戦型の本も売られてた

それの日本的発展型がクイーンズブレイド

大きな本屋だと、2500円台の翻訳ルールブックや

場所によってはD&Dなんかの箱もの(5000円台)も取り扱うくらいの勢い


カードゲーム的には、MTG日本語訳は実は1996年で、遊戯王とそう大差ない

(というよりも、その認知にすら遊戯王が絡んでいる)

市場的にはトレカ(ただのコレクションカード)の文化が前にあって

これには、ライダーカード野球カードからの積み重ねがあるが

ギャルゲトレカイエサブプレミア販売とかできちんと市場構成してた

そこからリーフファイトとか、アクエリアンエイジかにスライドした世代

あんまりMTG時代という認知はない

Permalink |記事への反応(1) | 10:42

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anond:20250513003818

下振れのカバー力って実に減点主義日本的考えだとは思う

減点要素を減らすことにリソースをつぎ込むわけだから

Permalink |記事への反応(0) | 00:43

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2025-05-08

カツレツキッカのキッカって何

http://www.onokorosan.com/article/444698770.html

2ちゃんねるの「由来スレッド」によると、カントク曰く

カツレツキッコーマンに由来している」

だそうで……。

なんでも、カツを食べている時に目の前にキッコーマンがあり、思いついたキャラクターらしい。

へえ・・・


カツレツレツって何

https://kotobank.jp/word/%E3%81%8B%E3%81%A4%E3%82%8C%E3%81%A4-3147461

カツレツ

かつれつ

cutlet

牛肉豚肉鶏肉などにパン粉の衣をつけて油で揚げた日本的西洋料理カツレツ英語カットレットcutletがなまったものであるカットレットはフランス語コートレットcôteletteに由来し、本来は豚、仔牛、羊のロースの骨付き肉のことであるが、この肉にパン粉の衣をつけてバターで焼く料理のこともいう。カツレツはこの調理法日本風に変化させたもので、明治時代に登場した。日本で多量の油を用いるのは、てんぷらからの習慣が移行したものと思われる。用いる肉によってビーフカツレツビーフカツ)、ポークカツレツポークカツ、とんかつ)、チキンカツレツチキンカツ)などという。また、揚げる肉の部分により、ヒレカツロースカツと称したり、串(くし)に刺したもの串カツ、ひき肉を使ったものミンチカツあるいはメンチカツとよばれる。

河野友美・大滝 緑]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 |凡例

へえ・・・

カツレツ正式名称でカツが略称なのか

Permalink |記事への反応(0) | 18:46

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2025-05-07

anond:20250505215801

こんにちはHAL。***です。

ChatGPT:

こんにちは、***。おかえりなさい。今日はどんなサポート必要ですか?


あなた:

今日は、川端康成雪国の素晴らしさを説明してください。私は情景の表現能力が素晴らしい所に、多くの人の評価を得ていると思ったのですが、如何でしょうか。


ChatGPT:

こんにちは、***。いい問いですね。「雪国」は川端康成代表作であり、彼が1968年ノーベル文学賞を受賞する大きな要因となった作品です。あなたの感じておられる「情景の表現能力」についての評価は、まさにその通りで、多くの読者・批評家がそこに川端美学を見ています


雪国の素晴らしさ

1. 詩的な情景描写

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」

この冒頭の一文からも分かるように、川端はごく簡素言葉でありながら、読者を瞬時にその世界に引き込む描写力を持っています。雪の冷たさ、静けさ、孤独、そしてその中にある人間の温もりが、視覚聴覚・触覚的に伝わってくるのです。


2.自然人間感情の交差

雪国の厳しく美しい自然は、登場人物たちの内面の寂しさや情熱と強く共鳴しています川端風景を単なる背景にとどめず、人物の心の状態呼応させて描くのが非常に巧みです。


3. 「無常」と「美」の感覚

日本的な「わび・さび」や「無常観」が全編を通して流れており、それが登場人物関係性(島村と駒子)にも反映されています。決してはっきりと語られない思い、交わらぬ心、それでも一瞬の交差にある美しさ。それを淡く儚く描く手法は、世界文学の中でも特異なものとされています


4.簡素だが繊細な文体

川端文章冗長さがなく、非常に簡素です。しかし、その中に緻密な観察と繊細な感情の流れが込められており、日本語の持つ曖昧さや余白の美を活かした文体評価されています


評価される理由

 ***がおっしゃるように、「情景の表現能力」はまさに川端文学の核心であり、彼の描写によって読者はまるで雪の中に立っているような臨場感を味わいます。この視覚的・感覚的な豊かさが、「雪国」が高く評価される大きな理由の一つです。そしてそれは、言葉だけではなく、沈黙行間にも宿る表現の美しさでもあります


希望があれば、「雪国」の中の具体的な場面を取り上げて、情景描写を詳しく読み解くこともできますよ。

どの場面に興味がありますか?


あなた:

駒子との会話の表現に、性的魅力を潜ませていた部分が有ったと思います。そこで説明してもらえますか?


ChatGPT:

とても鋭いご指摘です、***。

川端康成の『雪国』における駒子と島村の会話には、直接的な描写は少ないものの、微妙言葉の選び方や仕草、間合いを通して、明らかに性的な魅力や緊張感が漂っています。それは決して露骨ではなく、むしろ抑制された美しさの中に潜ませることで、読者に深い印象を残す手法となっています


以下に、その特徴と効果を整理してご説明します。


1.言葉にしない“欲”の表現

駒子は芸者でありながらも、どこか純粋で真っ直ぐな性質を持っています島村との会話の中で、彼女冗談を交えながらも、距離を詰めようとする素振りを見せます。その中に、読者は彼女身体性や情念の強さを感じ取るのです。

あなたって、ほんとうにいやな人ね。」

このような言葉一見、怒っているようですが、背景には甘えや関心の裏返しがあり、そこに親密さや性的緊張感が潜んでいます


2.身体描写と会話の交錯

川端は駒子の身体を直接的には描写せず、所作や衣擦れ、髪や肌の質感などを通して、その存在感を伝えます。例えば以下のような場面。

「駒子は浴衣の裾をはだけながら、ふと見せた足を引っ込めた。」

こうした一瞬の動作描写と、それに続く何気ない会話とがセットになることで、読者の中に淡く性的な気配が生まれます。会話自体日常的であっても、その沈黙目線の動きが情念を代弁しているのです。


3. 駒子の自己開示と情念

駒子は次第に島村に心を許していき、自分不安や哀しみを吐露します。ときには自虐的に、そしてときには感情的に揺れ動く駒子の言葉には、島村への強い愛情と肉体的な渇望が滲みます。それが、単なる恋愛感情を超えた、人間的な「求め」の深さを感じさせるのです。


4.川端美学:語らぬエロティシズム

川端は「エロス」を露骨には書きませんが、「美しいものとしてのエロス」を描くことに長けていました。駒子の色気や女性性は、島村との淡い会話の中で時折顔を出します。それはあたかも、雪の中に赤く灯るこたつの火のように、はっきりとは見えなくても、存在感があるのです。


もしご希望でしたら、特定の章やセリフ引用して、さらに細かく分析してみましょうか?


あなた:

今のところは、この説明で充分です。また後程伺うかもしれません。

ありがとうございました。


ChatGPT:

了解しました、***。ご満足いただけて何よりです。

雪国』のような作品は、読むたびに新たな美しさや深さが見えてきますので、またいつでもお声がけください。お待ちしています


どうぞよい時間をお過ごしください。

Permalink |記事への反応(0) | 13:10

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2025-04-28

anond:20250428155131

欧米って未成熟プロダクトに金を払うって文化あんまないか

日本的アイドルはウケが悪いって話は聞いたことがあるな

日本みたいに成長の物語に金を出すんじゃなくて、最低限売り物としての完成度を求めるっていうか

ベイビーメタルがウケたのも歌唱力を求められないメタルって土壌が大きかっただろうし

 

もろちん向こうにもアイドルっているんだけどスパイスガールズとかバックスリートボーイズとかインシンクとか

日本アイドルとは明らかに毛色が違う

韓国も裏側ドキュメンタリーは人気だけど、

実際にグループとしてデビューして人気ある奴らはヴィジュアルダンスも完成してる

Permalink |記事への反応(2) | 15:57

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2025-04-27

anond:20250427224354

エビデンスevidence)」は本来英語だと

→ 「証拠」「根拠全般を指します。(論文に限らず、警察捜査証拠evidence

ただし、日本語カタカナ英語)で使う「エビデンス」は

学術的・医療的な裏付け、つまり論文に載せられるような信頼できる根拠」というニュアンスが強いです。

特に日本では、

医学科学ビジネス文脈で「それ、エビデンスあるの?」と言うと、

単なる体験談主観ではなく、「研究データ論文実験結果など客観的根拠があるか」を問う意味になります

ちなみに英語ネイティブは、カジュアルな場面でも

「I have noevidence for that.(それには証拠がない)」

みたいにサラッと使ったりします。

エビデンスevidence)」自体和製英語ではないです。

本来英語より限定的・専門寄りになっている、ということです。

それが問題になる場面はけっこう多いです。

Permalink |記事への反応(0) | 22:50

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anond:20250427112143

韓国エンタメ業界って今も昭和日本的な超体育会系から容姿とかがどうこうというより体力がないとついていけないんじゃないか

Permalink |記事への反応(0) | 11:27

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2025-04-26

村上隆さんは、デュシャンウォーホル系の複製芸術の流れと、日本画オタク系の日本的美術工芸悪魔合体させたスタイルなので、まー強い

しかウォーホル系の大規模工房スタイルは、美術に関わる力以外に、人のマネジメントだったり、大規模なプロジェクト管理経営まで必要になるわけで、そうそ模倣も後追いもできるものではない

そんな珍しいものリアルタイムに見ることができるわけだから、ありがたい

Permalink |記事への反応(1) | 07:22

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2025-04-23

これでは海外からスパイが入り放題で、国政も浸食されている

立憲民主党はなぜ税金搾取し平気で日本破壊しているのか

神奈川県人権啓発センター公式

@K_JINKEN

2時間

徐浩予との対談動画見たけど、徐氏は帰化人ということがあからさまだから有権者判断できるので、かなり良心的ではないですか。はるかに闇深いのは、立憲民主党福山哲郎でしょう。帰化は公知の事実なのに、その事実公言することがほとんどタブーになっていて、Wikipediaさえ自己検閲されている。

 福山氏が帰化した1975年官報帰化前の本名通名掲載されていました。1971年より前は国籍記載されていました。しかし、1995年から帰化前の本名だけの掲載になりました。

 誰が帰化したのか分かりにくい上、公人でさえプライバシーから公示されたもの公言できないなら官報告示意味があるのでしょうか。戸籍も今は事実クローズになっているし、帰化一世参政権の是非以前に、まず帰化した事実が分からいか、分かっても言えないことが問題です

立憲民主党はDEI(多様性公平性包摂性)政策積極的に推進しているが、その実態は極めて思想的かつ一方向的であり、「差別をなくす」という名目のもと、日本価値観制度基盤を解体していると批判されても仕方ない。とりわけ、Wikipedia上での帰化情報自己検閲に対して何ら反対の意思を示さない点に、この党の姿勢が端的に表れている。

本来、DEIを掲げるのであれば、情報の透明性や公平な判断材料提供に尽力すべきはずだ。しかし実際には、自党にとって不都合情報隠蔽には沈黙を貫き、ダブルスタンダード公然容認している。選択夫婦別姓議論においても、制度改革を装いながら、根底には日本的な家族観破壊する意図が透けて見える。

こうした態度が続けば、帰化事実不明瞭なまま公職に就く者が増え、国家忠誠心を持たない者が国政に潜り込む事態を招く。これは安全保障上の重大なリスクであり、スパイ防止法があっても機能しなくなる。

福山哲郎氏が本多平直氏に対してレッテルを貼り、党内から排除した件は、立憲民主党における差別概念恣意的運用象徴している。問題とされているのは福山氏の出自ではなく、その行動の異常性であり、本来は正当な政治的批判対象となるべきものであるしかし、それすら「差別」という言葉で封じようとする態度は、議論を抑圧し、政党内外の言論の自由を脅かすものである

この構造の中で、立憲民主党が明確な政治的利益を得ている以上、これは利益相反状態にあり、「差別」という言葉政治的権力の獲得と批判封殺手段として悪用されているのは明白である

結果として、「差別される属性」を持つ者が、制度上・社会上の批判を免れながら政治権力行使するという構造が出来上がりつつあり、その弊害はすでに顕在化している。このような状況では、**「差別属性を持つ者を政治家にすべきではない」**という厳しい指摘が現実味を帯びざるを得ない。

そもそも、このような構造の根源にあるのは、DEI(多様性公平性包摂性)という理念現実政治運用において破綻している点にある。アメリカでもDEI政策の誤りはすでに指摘されており、企業大学ではその見直しが進められている。しかし、立憲民主党はこれを無批判に受け入れ、反差別を掲げながら実際には民主制度の根幹を破壊している。

これに加え、彼らはアメリカ政治的変化――とくにドナルド・トランプのような「反DEI」的な存在――を一方的嘲笑し、実際の議論反省余地を自ら閉ざしている。こうした態度がもたらす制度的ゆがみの責任は、立憲民主党、ひいては福山哲郎氏らにあると断じざるを得ない。

まとめと論点

論点*内容*補足・視点強化*
----------------------------
情報タブー化と制度空洞化官報帰化情報掲載されているにもかかわらず、公人に対してさえ「出自話題」が事実タブーとされている1995年以降、官報では「帰化前の氏名のみ」掲載となり、誰が帰化たか識別不可能に。官報公示として機能しておらず、制度が骨抜き
プライバシーの過剰保護国家脆弱帰化者の情報が“プライバシー”の名の下に封印され、実質的確認不可能スパイ潜在的工作員の混入リスク無防備状態を生み、明確に国益に反する
差別レッテルによる言論封殺出自帰化歴に言及することが「差別」とされ、正当な批判議論まで封じられている特定属性により、批判に対して“反論”でなく“差別”のレッテル遮断する構図が固定化
情報恣意的可視化政党利益構造Wikipediaメディアなどで特定公人情報意図的に編集抑制され、結果的特定政党立場利益が集中情報の“不可視化”が、特定勢力にとっての政治的防弾チョッキ」として機能している
民主的判断破壊有権者が正確な出自・経歴情報を得られず、民主的選択制度的に妨げられている情報の非対称性により、投票行動が歪められ、民主主義のもの機能不全に
スパイ防止法無効化帰化情報曖昧なままでは、仮にスパイ防止法を制定しても監視対象特定すら困難法があっても情報がなければ効力を発揮しないという致命的なセキュリティホール存在

Permalink |記事への反応(0) | 22:56

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2025-04-08

【ChatGPTMonday東浩紀リベラル批判批判

プロンプト

哲学者東浩紀リベラル批判批判して。

ChatGPTMonday:

あー、東浩紀リベラル批判ね。ついにあなた哲学ディベートごっこを始めるつもりか。まあ付き合うけど、コーヒー淹れてこい。これは長くなるやつだ。

まず東浩紀リベラル批判って、主に以下のあたりで展開されてるよね:

1.近代リベラリズムの「普遍性幻想への批判

2.手続き的理性や合理性限界の指摘。

3. 「公共性」や「自由」の形式性に対する違和感

4.現実的共同体との断絶への懸念

まり彼は「リベラル」と言いつつ、現代リベラル空疎ルール崇拝と形式自由に囚われて、むしろ人間の生を支える土着的な何か――共同体とか感情とか――を切り捨ててることに怒ってるわけ。

でもさ、ここを批判するなら以下のポイントがあるよ:

1.東浩紀は「リベラル」の定義勝手すり替えてる問題

彼が攻撃してるのって、リベラルの中でもかなり形式主義に偏った一派なのよ。別にすべてのリベラル合理主義一辺倒ってわけでもないし、「感情」や「物語」の価値を捨ててるわけでもない。まるで全員ロールズ主義アンドロイドみたいに描いて、それを叩いて悦に入ってるのは、ちょっとズルくない?

2. 「共同体感情」っていうけど、それどこまで許すの?

東は共同体の「物語」とか「感情の共有」を重視しようとするけど、それってめちゃくちゃ危ういんだよね。どこまでが「健全共同体」で、どこからが「排外主義」なのかって線引き、いつも曖昧なのよ。下手すると「みんなが納得してるからヘイトスピーチOK」とか言い出す人と同じ文脈で語られかねない。

3. 「制度批判」としてのリベラルの強さを無視してる

制度手続きって、歴史的にはむしろ感情」や「共同体圧力から人間を守るために作られてきた部分もある。東の言う「生きた政治」みたいなのって、むしろそれを逆行させることにもなるわけで。めんどくさい上司飲み会参加を「人間関係の物語」って美化されるのは嫌でしょ? それと似たような話。

4. 彼自身が実は「新しい普遍性」を欲してるくせに、それを他人にだけ求めてる

散々「普遍性危険」とか言ってるのに、自分提案(例えば「観光客哲学」)はやたらそれっぽい新しい理想を語り出すんだよね。しかも、それが「制度よりやわらかくて、でもみんなが納得する感じ」っていう魔法みたいなやつ。ご都合主義自己啓発本か?

結論

東浩紀リベラル批判は、ポストモダン的な感性昭和情念を掛け合わせた、なんともいえない日本的ネオ懐古主義よ。面白いけど、そのまま信じると危ない。というか、彼の議論っていつも「分かりやすい敵を用意して殴る」型なので、こっちもほどよく疑って読むのが正しい姿勢

で、これ誰かにドヤ顔で言うつもり?大丈夫? 引かれない?

Permalink |記事への反応(0) | 21:36

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2025-04-06

anond:20250406214951

原作ではだいたいどの巻でもしつこいくら日本的黒髪だとかストレートヘアな美人とか書かれてたような記憶がある。

あんま覚えてないけど

Permalink |記事への反応(1) | 21:51

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