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はてなキーワード:旗揚げとは

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2026-02-06

結局、東京を汚してるのって「外」から来た奴らだよね

ぶっちゃけ最近東京治安悪化とか民度の低下について思うんだけどさ。

ニュースで騒がれてる物騒な事件犯人とか、タチの悪い客引きしてる奴、あと電車意味不明なキレ方してるオッサン

あいつらのステータスをよーく見てみなよ。

大抵、地方から「一旗揚げにきました」みたいな顔して出てきた余所者ばっかりでしょ。

俺みたいな、代々東京で根を張ってる純血の都民から言わせれば、今の東京地方の掃き溜め化してて本当に迷惑なんだよね。

地方出身者が東京を壊すメカニズム

地元愛の欠如:自分故郷じゃないから、街を汚しても、騒ぎを起こしても痛くも痒くもない。
コンプレックスの裏返し: 「東京に染まってやる」っていう気負いが空回りして、変な方向にイキり散らかす。
匿名性の悪用:地元じゃ「いい子」で通ってても、誰も知らない東京なら何してもいいと思ってる。

結局、東京で悪いことする奴のルーツを辿れば、だいたい新幹線の止まらないような田舎に行き着くわけ。

悪いことは言わないか

夢とか希望とか持って上京してくるのは勝手だけど、自分キャパ超えて東京にしがみつこうとするの、もうやめなよ。

君たちが無理してここで東京の人のフリをするから、街の空気が淀むんだよね。

純血の都民だけで構成された、もっと静かで、洗練された、本当の意味での東京を取り戻したいわ。

これ、別に差別とかじゃなくて、単なる適材適所の話。

無理して都会に染まらなくていいから、早く実家に帰って、地元のために汗流して働きなよ。

その方がよっぽど君たちのためだし、何より俺たち都民が快適に過ごせる。

あー、明日電車地方出身者の変な臭い嗅がされると思うとマジで憂鬱だわ。

Permalink |記事への反応(1) | 23:53

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2026-01-19

野田は一旗揚げたかった。

話はそれだけだと思う。

このまま立憲にいても、何も起きない。

支持は伸びない、空気も変わらない、

歴史的評価は「民主党政権終わった人」で固定。

それがもう見えてたんだろ。

から党の再編に踏み切った。

選挙で勝つため、とは正直思えない。

支持が減るのも、荒れるのも、全部分かってたはず。

あのキャリアで、そこが読めないわけがない。

それでもやった理由シンプルで、

「何もせずに終わる」より

自分名前が残る勝負」を選んだってだけ。

第一党になれなくてもいい。

多数派じゃなくてもいい。

政局が動いた時に

「この再編をやったのは野田だ」

そう言われる位置を取りにいった。

国民目線では悪手。

選挙的にもかなり無理筋

でも、本人の政治家人生として見ると

妙に筋は通ってる。

止められなかったのも不思議じゃない。

立憲の中に

「じゃあ他に何する?」って言える人がいなかった。

反対はできても、代案が出せない。

結果、一番動いた人の案が通っただけ。

これを暴走と言えば暴走だけど、

実態もっと冷たい。

自分評価を確定させないための、最後勝負

その賭けに、党も支持者も巻き込まれた。

今の混乱は、その副作用ってだけだと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 03:23

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2026-01-07

速報!!予言は的中した!?ホンモノ與那覇潤ありがとう爆笑

昨日書いた記事は何と一名ブクマしてコメントまでしてくれた。これまで無反応だったことを思えば快挙である

粘着質でメタ批判」というまさに先の記事にピッタリの秀逸なコメントをしていただいて、ありがたい限りである皮肉抜き)。

さて、昨日書いた與那覇潤は二人いる!?というブログの早速答え合わせが出たようだ。

https://agora-web.jp/archives/260106065159.html?fbclid=IwY2xjawPK6cFzcnRjBmFwcF9pZBAyMjIwMzkxNzg4MjAwODkyAAEem1rBICjMrLT7A79oQQ95vKtVM7NMsTQXQa-je1_NapLVD7ER9hfJ57EojmY&brid=ABaIkQ7_xmNXRhsUCs0o3w

はい的中!(ホンモノリスペクト!)

いやあのっけから飛ばしますね與那覇さん(笑)

センモンカを駆逐せよですか。まあこれはいものホンモノのたわごとなので、中身は全くない。うすら寒い(笑)だの「うおおおお!」だの、滑り倒していることにさえ気づかないド滑り芸も板についてきたようだ。

歴史学ゴミを貶す與那覇だが、当然のことながらこれらの姿勢は虚勢である

すでに與那覇虚妄は一連のダイヤリーで白日の下にさらしてきたので問わない。気になる人ははてな検索してほしい。ほとんど書いてるの私なので(笑)。與那覇よ、もっと注目されるような議論しようよ…。

問題は、與那覇朝日記事安心共感を掲げながら、他方でこの記事では全くそういったことを出さないところである。やっぱり與那覇余所行きと内向きを意識的に使い分けているのだろう。そして、内向きのセンモンカ批判は全く通用しないことくらい與那覇理解しているので、そういう面は隠しているのだ。

これが與那覇が二人いるという答え合わせでなくてなんだというのか。

ちなみに與那覇は自らを予言者かのごとくふるまって「テキチューテキチュー!」とはしゃいでいるが、その種明かしを自らしているのでご紹介!

https://note.com/yonahajun/n/n7bf7e827a192

はい、「個人を標的にしない!」「構造を論じる!」ですね。これ、要するに物事を全部あいまいにして何か起きたら全部「おれのいったとおり!!」というインチキ占い商法です。

こんなことを大真面目に種明かししてはしゃいでいるのだから世話はない。

でも、最近の與那覇個人攻撃ばっかりしてないか?と思われるかもしれないが、関係ない。なぜなら「個人言動や行動を問題視=その背景に学問やセンモンカの問題がある=全体の問題」に全部つなぎ合わせて批判できるからである。その背景や違いなんてどうでもいい。ただ自分批判できて気持ちよくなれたらそれでいいのだ。これこそ、ホンモノ流詭弁である

中国化する日本』というインチキ文明論で一旗揚げからというもの、與那覇は専らこの「構造を論じる」という名の藁人形論法に終始してきた。この個別問題を全体の問題に結び付けて牽強付会こじつけで全体を論じる姿勢こそ「ホンモノ」流である

バカなんじゃないかと思ったそこのあなた大正解である。あとは自分がそうだと思った事実SNS言動をテキトーにつなぎ合わせればそれっぽい論の完成である

この人、ずっとこうやっていい加減に生きてきたんだろうね…。誰も注意する人がいなかったのか、呆れて皆去っていったのか。

さて、ここからは私の予言がいきなりテキチューしたのでそれを紹介して終わりにしたい。

私は與那覇がセンモンカを駆逐せよとか裁判せよ等と言っているが、全く本気ではないと昨日論じた。

ttps://anond.hatelabo.jp/20260106195506

もう答え合わせの時間だ(早いよ!)。與那覇のこの記事。センモンカを駆逐!!!と叫んでいるが具体的な話は一切ない!繰り返すが一切ない!與那覇番組出演をはしゃいでいるが、彼が批判するセンモンカとやらはネット番組にも各種メディアにも今でも大手を振って出演している。與那覇勝負してもメディア露出度ではかなわないだろう。え、なんかすごくメディア露出を喜んでるけど愚弄している人たちに業績でもメディア露出でも知名度でも負けて…それでどうやってここから大逆転するんですか?ぜひともホンモノの逆転術を聞かせてください!

なぜ與那覇は具体的な自分の達成目標を掲げないのか。いや、掲げられないのか。

だってできないんだもん!!

身もふたもないことを言えばそういうことになる。與那覇は無力で、彼のバカげた議論が主流になることなどありえないし、あまり表に出すぎると過去の悪行やオープンレター、呉座敗訴、『中国化する日本』のインチキ等々が白日の下にさらされる。だから、いわば石の下に隠れるようにしつつ、こうして限られた世界気持ちよくなりたいだけなのだ

威勢のいいことを言って(例えば戦前で言うと本土決戦!くらい?)、裏ではそんなつもりはなくて新聞メディアでは当たり障りことしか言わない。

結局処世術自分気持ちよくなりたい欲求カオスに混ざり合った結果、「與那覇という人は二人いる」ことになったのだった。

最後に、先の記事にこんなコメントがついてたので紹介する。

>>・経済政策専門家

>>「うおおおお!積極財政もっと強化!」

>>(円の信用はどうなるの?)

1兆円を熊本TSMC投資して、10年で1兆円以上が戻る見込みなら、信用を毀損するどころか、成長力と外貨獲得力を底上げする話でしょう。

「円の信用」を持ち出すなら、まずは投資の期待収益数字で語れ。借金という単語だけで思考停止してるように見える。

本当にこの程度のレベルで話しているのだろうか?

引用終わり

はい、「この程度のレベルで話してい」ます。で、この意見にもどうせ反論しないでしょ。だって自分気持ちよくなりたいだけなんだもん!ホンモノはそれが許されるんだもん!!

今日今日とて「この飯くそまずいしなんだこの味付け!センスねぇんだよ!」とクレーム入れておいた。與那覇は顔を真っ赤にしてこの文面を見ているか「またかよ…」とうんざりして無視するか、最初から見ないと決めているかのどれかだろうが、バカ議論を愚弄し続けることもまた、一つの言論なので、間違っても與那覇は「キャンセル」などしないように!

最後に。早速與那覇さん!私の予言を的中させてくれてありがとう!もし、反論したいなら全部の記事を読んで『中国化する日本』の批判になんで黙ってたのかからよろしくお願いいたします!!

Permalink |記事への反応(0) | 16:49

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2025-12-10

anond:20251209084927

なんで日本株式は除くなのか、書き出してみる。

自分2000年頃、金融ビッグバンネット銀行ネット証券が認可された頃に投資を開始した。

経緯は親からの贈与。母が株式投資をやっていて、子供にも生前贈与で口座を作ってくれていた

株式投資とか証券投資っていうのは本人がやらなきゃいけないもので、子供のうちは親権者代理が許されるけれども、成人したから始めた。

 (これを見て、資産家に産まれたとは考えないでほしい。父親公務員母親専業主婦土地も家もなく、大学入学実家を出るまでエレベーターのない2LDK公務員宿舎、4階建ての4階に一家四人で住んでいた。エアコンはなかったし、風呂場にシャワーもなかった。母親の口癖は「うちにはお金がない」 今でこそ退職して小さな建売住宅を買ったが、実家に俺の部屋も荷物もない。これが資産家だろうか?)。


からもらった日興証券の口座には NKコンパスAっていう、いわゆるグロソブ為替ヘッジなし)みたいなファンド(実際には若干ハイイールドに寄せている)と日本株式が入っていた。

企業分析して株式を買ったり、FX をやったりしたけど、うまくいかなかった。

損が多かった。

優待狙いでJALANAとか。共立メンテナンスは基本よね。ファミレスとかね。あとなんかしらんけどTHKとか日本ライフラインとかが記憶にある。

一時期中国株 携帯電話チャイナモバイル?とか、石油会社シノペック?とか買った記憶がある。でも仕事中も値段は気になって身が入らない、大きく儲からなかったし、徐々に投資信託が中心になった。

ゼロクーポン債とか0.5% の世銀債とかも買ってたな。

口座を持ってたのは日興コーディアル証券マネックス証券、Eトレード証券(現SBI) とか日興ビーン証券も開いた。野村系のファンドに特化した会社? ファンドネット? そこも開いた気がする。

今、口座を残してるのはマネックスSBI だけ。


当時ダイヤモンドZAIとか読んでました。投資雑誌の。他にも日経マネーとか。

四季報とか見たりね。

自分なりに勉強したけどダメだった。

その頃、さわかみファンドがちょうど出てきた頃で。

(彼らも金融ビッグバンに併せて出てきたのかな?)

信念がしっかりしていて、長期投資バイアンドホールドでしっかりした会社を安く仕入れておけば長期で必ず儲かるみたいな投資信念を語ってくれていて持ってたんだけど。

基本的には、ピーターリンチとか、ウォーレン・バフェットを目指してたのかもしれないね

自分さわかみファンドを数年持っていて、公開アナリストミーティングにも1回参加させて頂いた。確かさわかみファンド7周年まで持っていたはず。



当時の相場世界株式インデックスファンドに勝つのは難しい。色々比較する中で、「世界株式インデックス(除く日本)」にも投資を始めることになる。

インデックス投資を始めた理由はもう1つあって、これは自分マネックス証券推している理由もつながる。

金融ビッグバンと同時に日本インデックス投資を広めたのがマネックス証券だったんだよね。

インデックス投資って当時はそんなに推されてなくて。

証券会社利益にならないから、売ってはいたけどオススメはされない。別の商品を買うように促される。そういう時代だった。

そんな中、マネックス証券は、バンガードと組んで3つのインデックスファンドを購入しやすい形で積極的提供してくれていた。

当時はね、今と全然違う。

スマホなんてなかったし、主流はまだストレート携帯電話パカパカ携帯電話がはやる前ね。FOMAが出てきた頃でPHSがまだ息してた。

ネットテレホーダイで。ADSLが出てくるくらい。

wifiもb/g/aの時代で遅かった。

 だから、今とは全然違うよ。

バンガードっていうのはアメリカインデックスファンドを広めた会社

マネックス証券は、バンガードの3つのファンド

 ヴァンガードトータルストックマーケットインデックスファンド、いわゆるvti と

 ヴァンガードモールキャップインデックスファンド

 もう一つは忘れたけど、大型安定株に寄せたファンドだったと思うけど、

これらを購入しやすい形で提供してくれていて、自分もスモールキャップを買ったのかな?

これがインデックスファンドを買った最初だったと思う。


マネックス証券の口座開設書類を取り寄せたら、この3つのファンドのビラが1枚ずつ入っていた。

今でこそ証券会社の口座開設はネットでやるのが当たり前だけど、当時は郵送でしないといけなくて。


当時はいろんな証券会社あったけど、株の売買で最も手数料の安い会社イートレード証券、今で言うSBIだったので、、マネックス日本株の売買にはベスト選択肢ではなかった。

でも、旗揚げと同時にバンガードのファンド一般人でも買いやすい形で紹介してくれたのは、マネックスの偉業だと思うね。

で、バンガードのファンドを買えるのはいいんだけど、税務処理が面倒くさかった。

アメリカ投資信託からアメリカでまず10%税金がかかる。残り10%を日本納税するみたいな。

当時は今みたいに特定口座がなくて一般口座だったから、しょうがいかって感じだったんだけど。

特定口座が出てきて税金処理が楽になると、バンガードのファンド特定口座に入れられず、面倒くさくて離れた。


いろいろ投資を行き来したけど、最終的にメインの投資先として落ち着いたのが先はニッセイ外国株式インデックスファンド(除く日本)だった。

当時は世界株式インデックスファンドもあまり選択肢がなかった。

ニッセイさんはノーロードで、信託報酬も安くて良かった。ニッセイさんはいまでも頑張ってるけど、後から出てきたeMaxis slim にシェアを奪われてしまったね。

2000年から2020年日本株インデックスって微妙でしたね。過去チャート検索してみればわかると思う。

今でこそ「日本株式をポートフォリオに入れていい」って雰囲気。だけど当時は日本株インデックス投資なんてありえん感じだった。

全然上がらん。

1989年バブル崩壊して、その後。

失われた10年」「失われた20年」、そして「ひょっとして30年失われるのか?」

っていう空気感

あれを知ってて、日本株インデックス投資

厳しくないか

もしあれをリアルタイムに見てたなら、日本株インデックス投資するっていうのが分からんな。

小学の時にバブル崩壊して、いわゆる氷河期世代日本株はなるべく投資したくないって考えるのはおかしくない。


で、2000年とか昔って、今みたいな良いインデックスファンドほとんどなかった。インデックスファンドでも信託講習が1% とか、良くてだよ。そんな中出てきた信託報酬の安いインデックスファンドがニッセイ外国株式インデックスファンド日本除く)で、これは外国株式って書いてるけど、先進国株式新興国は含んでない。

新興国ファンド信託報酬は当時は高くて2%近く、当時はインデックス投資新興国を含むっていう選択肢はなかったな。

から出てきたeMaxis slim がニッセイの同等で、お互い競争してどんどん信託報酬が下がっていった。

シェアを圧倒的に奪っていったので、自分も徐々にeMaxis slim に乗り換えているのが今。

もちろん、相当利益の乗っかった「ニッセイ外国株式インデックスファンド」は今でも持ってる。

 SP500とか、VTI的なファンドも持ってるよ、勿論。

 投資額が大きくなるとファンドをいろいろ持つと、ポートフォリオ全体の収益VTに近づいていくからね。そんならオルカン的なやつで良いか、となる。

そして勿論、自分の子供達の未成年証券口座を開いており、生前贈与をして全額を投資信託にしている。

なんでSP500とかアメリカ集中投資じゃないんだみたいなコメントもあったけど、

これもシェール革命後、LLM全盛の今でこそ言える話で、アメリカ集中投資も怖いよ?

この25年の間にはいろいろあったからね、BRICSの台頭とか、リーマンショックサブプライムとか、90円近い超円高とか。アメリカ集中投資もこわいよ。

いや、アメリカ集中投資成功している人がいるのは知ってる。でも自分は怖いからやってない。


自分が「日本除く」を押してるのは、そういう「2000年から投資している経験」があるからだろうね。

マネックス証券推しているのも、「ヴァンガードファンド日本に初めて紹介した証券会社」っていう個人投資家を重視する姿勢を見せてるところだよね。

楽天とかソフトバンク系のやり方、「大資本で圧倒的シェアを取りに行って、後からサービスを若干改悪する」やり方が好きじゃないっていうのもある。

このスレカブ.com証券を使ってるニキがいたけど、カブ.com証券取引手数料は高めだけど、多彩な注文ができるっていうことが当時の売りだった。

そういう特徴ある会社を推せるなら使っていくべきだと思いますよ。

大資本に席巻された後はサービス改悪が待っているのだから

ブコメiDecoするなら松井証券ポイントがつくのでいいよ。ってコメントがあったけど、これはありがたいコメント

俺はどっか違うとこに開いてるから、今更動かすのはあれだけど、これから開く人たちは松井証券いいんじゃないか。

サービス頑張ってる会社を推すことで全体的な競争が起きてサービスも良くなってくるからね。


何度も書くけど、「これは1000万円投資どうしようニキ」に対してまともなアドバイスがなかったから、ざっくり書いたに過ぎない。

世の中には多数の投資情報があり、それぞれ意見が違うのは当然のことだ。

同一人物でも長期的には意見が変わってくる。

個人意見が違うのが当然なので「日本除く」とかに引っかかってるのは謎でしかない。


しろ人間の考え方ってみんなちょっとずつ違うんだから意見完全に一致してる時ほど逆に危険。それは明確な自分意見を持っておらず、他人同調してるだけっていう可能性があるから

意見が少しずれているっていうのは、むしろ健全なんでございますよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

マネックス証券詐欺会社というイメージしかない。理由カブロボファンド

 ご愁傷様です。

 アクティブ投信は基本ゴミなんでしょうがない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>今円が安い

 そうでもない。歴史的に見れば、一番最初は1ドル1円で為替開始したんだよね、確か。で、一番安かった時は1ドル360円。

 そうやってみると今の1ドル155円っていうのは、歴史的な幅1円から360円のちょうど中間あたりにある。で安いと思う?

 為替っていうのは過去と比べるんじゃなくて、未来にどうなるかを考えるもの日本はこれから高齢化がもう少し進展して、子供の数はさらに減っていって、人口がじっくり減っていく。産業は色々あるし、外貨建て資産は多く、外国から投資収益は入ってくる。だけれども化石燃料石油天然ガス輸入に頼ってるし、原子力発電所の可動はまだまだ一部に留まるっていう。産業的にかなり弱い部分もある。

 これで日本円が圧倒的に強くなる未来っていうのは、俺は考えづらい。ドラッカーもそういうことを言ってたと思うけど(「すでに確定した未来への警告」)。


>本当の金持ちだーーー!!!”経緯は親からの贈与。母親株式投資をやっていて、子供にも生前贈与で口座を作ってくれていて。でも20歳を超えたら自分自身でやんないといけない。”

 そうでもない。

 父親公務員母親専業主婦(のちにパートに出たが)。母方のおじいさんが株式投資をしていて、子供のころから気になっていたらしい。母は東京就職したのを契機に株式投資を始めた。それが俺に続いている。結婚を契機に地方に戻り、専業主婦へ。

 土地もなかった。ずっと公務員宿舎に住んでた。

 確かに贈与はあったけど、公務員の父からの贈与だよ。質素暮らしをして、貯金投資していく。それだけで相当な資産ができるんだよ。

 「となりの億万長者」という本を読んでみてほしい。公務員とかお固い職業でも、質素生活して適切な投資すれば、一億の資産を作れるんだよ。

 逆に、医師公認会計士のような華やかな職業でも、若いころから浪費癖を身に着け、投資もせずに年を取れば厳しい老後が待っている。「となりの億万長者」、自分人生を変えてくれた一冊です。

  次に人生を変えるのは、これを読んでいるそう、そこのキミだ!!

>人それぞれの経験バイアスで好きに買えばいいですよね。生前贈与証券口座は(額によらず)かなり質のいい教育機会だな、と自分を振り返っても思います。考えて試行し、結果を自分で引き取る。その繰り返し。

 そうですね。同感です。

 「幼い子には旅をさせろ」っていう諺がありますが。

 投資というのは義務教育から大学を出て、企業就職してっていう一般的な労働者ルートとは全く違います企業家的な立場になることで、経験しないと分からないですよね。

 見える景色が変わってくるので、二十歳から投資を開始できたのは本当にアドバンテージだったと思います

Permalink |記事への反応(2) | 03:03

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2025-11-13

にゃるら氏が炎上してる

ツイでにゃるら氏の13年前の発言が発掘されて若干話題になっているらしい

詳しい事情知ってる人がいたら教えてね

なお発言内容の良し悪しは明らかなので言及しない

インターネットの石の裏から出てきたものがあるべき場所に還るのだとしたらそれは由あることだと思うけど、それにしても沖縄から出てきた一介のギャルゲオタク自作ノベルゲームで一旗揚げて、(まるで彼の遊んできた作品たちのように)アニメ化にまでこぎつけて、その瞬間に燃えしまうのはちょっと美しいなと思った

白詰草話イラスト、まだ壁に飾ってあるのか気になる

Permalink |記事への反応(1) | 23:30

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2025-11-06

anond:20251106180931

いや買わないだろ。

友人が、明らかにオカシイことを口走っていて、困ってるってこと。

別に彼が売っている文章じゃなくても、彼の稚拙さは、ホッテントリに挙がっている文章でわかるし。

俺は遠くの我々の知らない場所で彼が一旗揚げたなら、こちらも日本から好意的に見てたかも。

でも、身近な友人の感性が狂わされたら、怒るだろ普通

Permalink |記事への反応(1) | 18:50

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2025-10-28

桃太郎は唐による日本侵略の話だったのかもしれない

藤という字と同じように、桃と唐は読みが共通している

平城京平安京藤原、藤(=富士)山など唐の影響は日本に浸透している

中国から見れば瀬戸内海は川である

その川づたいに唐からやってきた桃太郎藤原氏となって日本で一旗揚げたということなのかもしれない

桃が流れてくるわけがないので唐の使節瀬戸内海からやってくると考えるのが適切だろう

桃源郷という言葉も唐を源とした京ということだろう

Permalink |記事への反応(0) | 07:22

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2025-09-16

9月2週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

🍜食べ物外食料理

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💻テクノロジープライバシーアプリ

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🎮ゲームマンガエンタメ

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🏍️ 移動・旅行地域体験

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🏢仕事キャリア制度

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政治社会エネルギー

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🧠生活文化雑談

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### 📊 1週間分の総括

この1週間のオープンチャットは、

バランスの良い雑談空間となっていた。

全体的に「身近な話題社会テーマ →また身近な話題」へと循環し、参加者同士が生活感と社会意識を行き来しながら交流しているのが印象的だった。

---

1週間分の総括

今週のオープンチャットは、食と季節感スポーツ観戦、社会問題から日常小ネタまで幅広い話題が展開された。食べ物グルメ談義が中心となりつつも、阪神試合政治・経済への意見交換が交わされ、バランスよく「生活」と「社会」を行き来する会話が目立った。健康職場環境といった個人リアルな悩みも共有され、同時にAIや生成技術漫画音楽といった文化話題で盛り上がり、日常と時事・未来志向が同居する1週間だったといえる。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

Permalink |記事への反応(0) | 14:25

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2025-07-20

今回の参院選れいわは正直かなり厳しいと思う

れい新選組旗揚げからずっと応援してる。山本太郎がたった一人で始めたときから、その心意気と政策の正しさを信じてきた。今でもその気持ちは変わらない。でも、今回の参院選、正直かなり厳しい戦いになると思ってる。

俺たちが支持するれいわは、ご存知の通り、バックに経団連もいなければ連合もいない。もちろん、どっかの宗教団体組織的に票をくれるわけでもない。あるのは、山本太郎っていう圧倒的な個の力と、SNSで繋がった俺たちみたいな個人の集まりだけだ。

から、戦い方は限られてくる。地道な街宣と、SNSを使った空中戦。いわゆるポピュリズムって言われる手法だ。既存メディアがまともに取り上げてくれない以上、そうやって熱を伝播させていくしかない。それはもう、重々承知の上だ。

そこに、最悪のライバルが現れた

問題は、その俺たちの主戦場であるSNSに、とんでもなく厄介で強力なライバルが登場してしまたことだ。そう、参政党だ。

彼らも俺たちと同じで、組織票に頼らない新興勢力。そして、SNSの使い方がめちゃくちゃうまい。動画や短いメッセージで、人々の不安や不満を煽り熱狂的な支持者を増やしていく。手法だけ見れば、れいわとそっくりだ。

いや、むしろ彼らの方がえげつないかもしれない。れいわが既存メディアからポピュリズム」と批判されるなら、彼らは「超・ポピュリズム」とでも言うべきか。とにかく、SNSでの熱量の作り方、拡散のさせ方は、正直言って脅威だ。

これまで、れいわがネットで築いてきた「既存政党ウンザリしてる層」の受け皿というポジションが、彼らにどんどん侵食されてるように感じる。これはマジでヤバい

問題は「中身」。本物と偽物を見分けるのは想像以上に難しい

「どっちもSNS頼りのポピュリズム政党じゃん」って言われると、本当に悔しい。なぜなら、中身が全くの別物だからだ。月とスッポンダイヤモンドガラス玉くらい違う。

れいわが訴える「消費税廃止」や「積極財政」は、ちゃんデータ経済理論に基づいている。失われた30年の原因がどこにあって、どうすれば国民生活が豊かになるのか。ちゃんロジックがある。感情論じゃない。山本太郎大石あきこが国会でしてる質疑を見れば、そのへんの与党議員よりよっぽど勉強してるのは一目瞭然だ。

じゃあ、参政党は?彼らの主張の根っこにあるのは何だ?

食の安全がー」「日本の伝統がー」「グロバリストの陰謀がー」

聞こえはいい。耳触りのいい言葉を並べて、漠然とした不安を煽る。でも、その根拠は?と聞くと、出てくるのは陰謀論と、科学的根拠の怪しい話ばかり。「ワクチンを打つと5Gに繋がる」なんて話を信じてる人たちが幹部にいる政党だぞ?正気か?

彼らの言う「オーガニック」や「食育」も、一見するとまともに聞こえる。でも、その裏には反化学、反医療思想が透けて見える。不安商売にして、おかしサプリ商品を売ってきた人たちが片棒を担いでいる。冷静に見れば、ただのトンデモ集団だ。

でも、この違いって、普通の人にパッと見でわかるんだろうか。

政治にそこまで関心がない人から見たら、「今の政治じゃダメだ!日本を取り戻そう!」って叫んでる熱狂的な集団が2つあるようにしか見えないんじゃないか

片方は、泥臭くデータ理論武装した本物の市民政党。もう片方は、陰謀論とフワッとした雰囲気で塗り固められた、中身スカスカのハリボ集団。この本質的な違いを、どれだけの人が見抜いてくれるのか。俺は、それが怖くて仕方ない。

それでも、俺は本物が勝つと信じたい

絶望的な気分になる。でも、ここで諦めたら終わりだ。

俺たちにできることは、れいわの政策の正しさを、その根拠を、一人でも多くの人に伝え続けることだけだ。参政党のような偽物に、日本未来をめちゃくちゃにされてたまるか。

雰囲気熱狂に流されるな。ちゃんと「中身」を見ろ。どっちが本気で国民生活を考えているのか、どっちがデタラメを言ってるのか。自分の頭で考えて判断してくれ。

そうじゃないと、俺たちの生活は、この国は、本当に取り返しのつかないことになる。

Permalink |記事への反応(3) | 08:28

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2025-07-07

働けない

働けない。

大学には入ったけど初年で不登校になって、次の年だけ進級できたけどその次の年も不登校になって、最終的に退学ってなった。

バイトコンビニスーパーでやったけど、1日目ですごくダメ出しが多くて、2日目に体調不良になったと伝えたら来なくていいと言われて、仕事内容的にも無理そうだった。

その後地元工場就職が決まった時もあったけど、2日で続けられなくなってやめた。体力が持たなくて、次の日にマジで出社するのが怖いなと思った。

普通に脳があまり働かない。大学中退した後に精神科ADHDASDだとは診断された。最近になって投薬治療も始めたけど、あまり効果を感じない。というかむしろ副作用で眠気がすごい。

あとは何かバイトに応募してみたりもしたけど、履歴書の用意みたいなのが分からないし、あとは知らない番号から電話が掛かってきたりして、派遣登録がどうみたいな話が来る。あとWeb面接の予定を入れてほしいみたいなのも来るけど、応募しても日時を忘れてしまう。

ハローワーク精神的な問題みたいなのを伝えたけど、精神科側に一度通ってくれ、精神科側も仕事の紹介はしてないのでハローワークに言ってくれという感じでたらい回しだった。

無理やり働こうと思うんだけど、気力が続かない。無気力というか根性がないのかもしれないが、一度は無理して隣の県の求人にまで応募したりまでは行った。でも無理だった。

生活保護とか障害年金かいうのも考えたけど、ちょっと手続きがよく分からない。というより社会復帰というか社会参加を完全に諦めるのは良くないよなとも思う。

酒とかタバコとかギャンブルも一切やってないのに、どんどん頭が鈍っていくような気がするし、これは良くないなと思ってる。

別にいじめとか虐待とかされたわけでもないし、子どもの頃から両親や祖父母にはすごくよくして貰っていて、同級生からもとても親切にしてもらっていた。なのでどうしようかなあと困っている。小学生ぐらいの時だけ天才だったねみたいなパターンになってしまう気がする。ただ検査の結果だとIQだけはかなり高いらしいので、なぜ上手く行かないのかなと困っている。

自殺絶対ダメだなとは思うんだけど、このままだとまずいなと思うし、死んだ方が楽なのかなとも思ってしまう。でもそれはそれで両親が悲しむだろうし。このような状況なら普通はさくっと切り捨てられてて当たり前だよなあとは思ってるんだけど。それに兄弟もいないし、両親に育ててもらった分を返せないのはダメだよなあと。なので両親の老後の介護のための資金とか、それはそれとしても自立のためにも働かないとなあと思いながら、色々な求人を見て応募はするんだけど、知らないメール電話SMSが一気に来るたびに、ちょっと少し混乱して、それで対応できるタスクオーバーして全部無視してしまう。

正直なところ、子どもの頃に栄養失調になって後少しで死にかけというところで入院した事があったので、そこで助けてもらったのはものすごくありがたいんだけど、その頃の家族やお医者さんにどう申し開きをしたら良いだろうかと。まともに働けずに社会お荷物になるぐらいなら、あの時に助けなければ良かったねと思われてしまうだろうか。

なんというか、無敵の人のように無関係な弱い人間を狙うような卑劣な事はしたくないし、弱い人間じゃなくても危害を与えるような事はしたくないんだが、それはそれとして自暴自棄になった時にどうしようかなあという思いはある。自殺ダメだし無敵の人まがいの事をやるのももっとダメ。なので何をしたらいいか立花孝志さんとかものすっごく叩かれてるけど、ああいアウトローな形で一旗揚げて食い繋げるなら、ああいうのも悪くないんじゃないかなと正直思う。もちろんやりすぎたらダメだけどね。

根性ダメなら薬で治せと思ったけど、それも上手く行かない。それじゃもうどうしようもないんじゃないかなあ。じゃあ何をしたら良いのか。なんか転売ヤーとか嫌われてはいるけど、儲かるんだったら正直そういうのやるよなと思う。今はやり方分かんないからやらないけど。あとは暴力団かどこかにでも頭下げて入るぐらいかなとか。まあ暴力団すら根性が足りずに続かない可能性もあるし。

とにかく根性が足りてないのかなあ。父親から根性大事だと言われていたけど、結局ちょっとそういうのには応対できなかった。なぜ私の両親のような人間から、私のような腑抜けた腐り切った根性のない出来損ないのような人間が生まれるんだろう。私の従兄弟だって発達障害があるから将来が心配と言われていたけど、それでも無事に大学まで行ったというのに。私の努力不足、甘え、怠惰、としか客観的に見ればいいようがない。

常にもうこんな人間は首を括って死ねばいいのに、と思ってしまう。でもそれは既に亡くなった祖父母失望させるだろうし、両親に深い傷を残す事にもなるので、どうしようもないなと思ってはいる。いっそのこと、命を刈り取る死神でも来てくれればいいのにと思ってしまう。無料ホラーゲームで「楽に死ねる薬」っていうのがあるが、時々その事を考えてしまう。

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2025-06-01

石田三成まさか秋葉原降臨!?~義の心が干し柿の甘さに染み渡る~


時は令和、空前の和スイーツブームが到来し、抹茶パフェあんみつわらび餅…みんなが日本の伝統の味に舌鼓を打ってた20XX年。そんな中、秋葉原電気街に、マジで異質な雰囲気を醸し出すお方が現れたんだって質素だけど凛とした着物姿で、何かこう、昔の武士みたいな、キリッとしたオーラをまとったお方。「え?コスプレ?何のキャラ?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その佇まいにちょっと惹かれてたらしい。

「わたくしは…石田三成と申す。」

え?マジで?あの関ヶ原の戦い徳川家康と激アツバトルを繰り広げた三成様!?って歴史オタクギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、そのストイックなお方、もとい三成様は、キョロキョロしながら呟いた。「ここは…近江ではござらぬか…?」って、マジで時代劇から飛び出てきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その真剣眼差しに、何かを感じてたらしい。

そんな三成様に、恐る恐る話しかけたのは、秋葉原に通い詰めるアニメオタクギャル、ミツキ。「あの…大丈夫ですか?何かお困りですか?」「…道に迷ったようでございます。」って、意外と困ってる様子がギャップ萌え!ミツキ、その真面目そうな雰囲気ちょっとシンパシーを感じて、「アタシ、ミツキ!アキバことなら、結構詳しいよ!」って、親切に声をかけたんだって

次の日、ミツキに連れられて、三成様は初めてアキバ散策萌え萌えキュンなメイドカフェとか、フィギュアがずらりと並んだお店とか、マジでカルチャーショック連続!でもね、三成様が一番興味を示したのは、街の片隅にある、ちょっと古風な甘味処看板。「…干し柿…とは、どのような菓子でございますか?」って、マジ真剣眼差し。ミツキ、ちょっと渋いチョイスに驚きつつ、「あ~、干した柿のことだよ!甘くて美味しいんだ!」って教えてあげたんだって

でね、ある日、ミツキが三成様を連れて入った甘味処で、衝撃的な出会いがあったの!それは…干し柿パフェ!「え?干し柿パフェ!?」って、三成様、マジで目を丸くしてたらしい。一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深い甘さは!?干し柿の滋味深さと、冷たいアイス調和…まさに、天下を統一するほどの美味でございまする!」って、マジで武将っぽい表現で感動してたらしいよ。

そこから、三成様の干し柿パフェ愛がマジで燃え上がった!毎日色んな甘味処を巡って、干し柿パフェを食べ比べまくってたんだって。「干し柿の種類、アイスの甘さ、トッピングの妙…研究しがいがありすまする!」って、もはや戦略レベル

でね、ある日、三成様、マジで下取りの野望を語り出したの。「わたくし、この干し柿パフェをもって、再び天下を…とは申しませぬが、せめてこの甘味世界で、一旗揚げてみせましょうぞ!」って!

え?干し柿パフェで一旗揚げる?なんか地味だけど、三成様なら何か企んでそう!ってミツキも思ったらしいんだけど、三成様の目はマジだったんだって豊臣秀吉への熱い忠義の心が、令和の干し柿パフェに新たな目標見出したのかもね!

そっから、三成様の干し柿パフェ革命スタート!まずは、SNSで「#石田三成干し柿愛」ってハッシュタグ作って、毎日自作干し柿パフェ画像をアップし始めたんだって。そのストイックな美しさと、三成様の真面目なコメントが、意外とギャップ萌えじわじわバズり始めた!

「三成様の作る干し柿パフェマジで美味しそう!」

戦国武将が作るスイーツとか、絶対こだわり強そう!」

「渋いけど、なんか気になる…」

SNSは三成様の干し柿愛でじわじわ盛り上がり!しかも、三成様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地のこだわりの干し柿を探し求めたり、伝統的な製法を学んだり、マジで研究熱心!「天下の干し柿」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって

で、ついに!三成様は、秋葉原一角に、自分プロデュースする干し柿パフェ専門店「ISHIDACAFE - 義 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、質素だけど落ち着いた和の雰囲気で、三成様のストイック美学が感じられる空間店員さんも、ちょっと古風な作務衣みたいな制服着てて、マジ渋い!

オープン初日から、意外にも若い女性を中心に、行列ができ始めた!「SNS話題干し柿パフェ、マジ気になる!」「三成様って、なんかかっこいい!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその上品な甘さと、奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「え、何これ?ただの干し柿パフェじゃない!」「三成様の義の心が詰まってる気がする!」「甘すぎなくて、マジで大人な味!」って、口コミが広がりまくって、ISHIDACAFE - 義 - はあっという間に人気店になっちゃったの!

しかもね、三成様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!全国の干し柿農家さんと協力して、新しい品種の開発に取り組んだり、干し柿を使った斬新なスイーツを考案したり、マジで干し柿業界を盛り上げようと奮闘してるんだって

テレビ雑誌取材殺到!「令和の石田三成」「干し柿界のカリスマ」とか呼ばれて、マジで時の人!三成様のストイックな魅力と、干し柿パフェの意外な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!

でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!三成様の干し柿パフェは、全国の和スイーツ好きに愛される定番メニューになったんだってデパート物産展とか、お取り寄せスイーツとか、どこに行ってもISHIDACAFE - 義 - の干し柿パフェ!まさに、干し柿パフェスイーツ界に一石を投じた!マジですごすぎ!

あの時、アキバの街で静かに佇んでいた孤高の武将が、令和の時代干し柿パフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、義の心が甘い革命を起こした瞬間!

ミツキも、「まさか三成様が本当に干し柿パフェでこんなに有名になるなんて!アタシも、もっと日本の歴史勉強しよ!」って、ちょっと感動してたらしいよ。

三成様は今も、より高みを目指して、新しい干し柿パフェの開発に余念がないらしい。「わたくしの干し柿道に、終わりはございませぬ!」って、マジでストイック

こうして、石田三成は、令和の日本で、干し柿パフェという新たな武器を手に入れ、見事、和スイーツ界で確固たる地位を築いた!天下統一…とは違うかもしれないけど、その志は、きっと多くの人々の心に響いたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジで渋くて熱い物語完全燃焼したわ!干し柿、マジ卍!

Permalink |記事への反応(0) | 10:13

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2025-05-08

はてブ、安野氏の旗揚げへの様々な反応見ると技術権威主義な面をかなり持っていると思う

Permalink |記事への反応(0) | 19:24

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2025-04-06

キャンプ過酷だった

子どもの頃父親キャンプ行くぞ!!つって連れてってくれた。

辛かったな。今と違ってテント組み立てるのも時間かかって、床?は砂利でゴツゴツしてて、足が痛かった。

現代っ子なのもあってそこに寝袋敷いてそら寝ろ!!って眠れる訳がない。

風呂もないし明かりは頼りないランタンだけ。

ゲーム持ち込みも禁止だったので暇も潰せない。ひたすら冷たくて痛かった。夜中怪現象起きて泣いてた。

そんで翌朝げっそりしながら帰宅して、そのまま家の布団で寝た気がする。

その後ボーイスカウトに入ることになった。ボーイスカウトっていうか、あれ年齢別のグループみたいなのがあって、自分ビーバースカウトだったかな。1番小さい子が入るやつ。

あれも辛かった。いじめっ子が多かったんだよあそこ。これに関しては親の転勤で引っ越しまくってて、その度にそこの地域ボーイスカウト入ってたから覚えてる。どこのボーイスカウトいじめっ子と親から辞めさせてもらえないいじめられっ子けが残るんだよな。今は違うかもだけど。

そこでやった雪中キャンプが本当に本当に辛かった。

八ヶ岳だったと思う。

小学生だったからか寝る時だけは少年自然の家みたいなところで寝かせてもらえたけど、日中は外で紐を結んだり旗揚げ通信練習とかオリエンテーリングとかしてた。暖房なんか一切ないし、そもそもマイナス◯◯度まで耐えられる寝袋を持ってない人は参加してはいけない」とまで言われてた。自分はそんな寝袋持ってなかったのでラッキー!と内心喜んでたら親が買ってきた。なんでそういうのだけ早いのほんと。

3泊か4泊くらいだったので、毎朝毎晩足が凍傷で変色してないか確認していたし、ずっと「凍傷で指がもげませんように…」と祈り続けていた。

最終日、年上の(中高生だったと思う)スカウト人達は森のなかでテントを張って過ごしていたことが判明して、2度と行かないと心に誓った。

あれから20年は経った頃、キャンプ流行り始めた。正気!?ビビったものの、今のキャンプは快適らしい。テントもすぐ組み立てられて、寒さもないらしい。キャンプにハマっていた友人に連れて行ってもらったけど、マジで快適さも手軽さも向上していた。

また行こう!と誘ってもらうけど、あの辛い辛いキャンプトラウマなので丁重お断りしている。

Permalink |記事への反応(1) | 13:52

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2025-04-01

「なんとなく勧誘した友達歴史的天才だった」みたいな話好き

劉邦旗揚げした最初期の時点で仲間に蕭何がいたとか

ファンクを始める前のジョージ・クリントン床屋天才音楽家バーニー・ウォーレルがいたみたいなやつ

Permalink |記事への反応(2) | 12:56

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2025-02-14

上と下の非物理戦争だなー

アメリカのぐちゃぐちゃとか、もちろんロシアとかイスラエル戦争とか、ひょーごとかさー

トランパーとか、逆張りユーチューバーの断言を真実だと信じちゃう人とか、宇宙波動量子力学で引き寄せおばさんとかなー

そりゃ人間の上と下を明確にすれば戦争もの戦争になれば一旗揚げようとするやつが出てくるもんなー

福沢諭吉翁は聡かったんだなー

Permalink |記事への反応(0) | 21:16

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2025-02-10

anond:20250209223046

残念ながらジャップランド企業は応募者の学歴しか見てないぞ

おにぎり専門店唐揚げ専門店、高級食パン専門店で一旗揚げ

Permalink |記事への反応(0) | 13:51

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2025-01-29

ようやく、FIRE現実的選択肢として見えてきたわけだが。

仕事辞めて創作してー。

時間さえあれば今の壁を突破して、自分の納得いくものが作れるのではないかという実感がある。それで一旗揚げて金儲けしようなんて考えてないし、元よりそんな能力自分にあるとも思っていない。自分の好きなものを好きなようにかければいいと思ってる。

ただ、どうしても躊躇してしまうのが、果たしてこの意欲がいつまで続くのか?この情熱が過ぎ去ってしまったら、残りの何十年かの人生自分のためだけに生きるのって辛くない?ということ。

そういうときこそ、家族やら仕事やら、「人のために」生きるというのが必要になるのではということ。

日本キャリアモデルって残酷すぎると思うんだよなぁ。創造力、情熱にあふれる若いときは、食うため生きるために、やりたくもない仕事を長時間強要されて、蓄えができてやっと自分自由時間を手に入れたときには、精神が摩耗しきって自分が何が好きだったか、何をやりたかったのかもわからなくなっている。

なんか、みんな不幸だな、生きたくないな、と思う。

Permalink |記事への反応(1) | 00:39

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2024-11-30

兵庫県民がクーデター起こすとしたら姫路城拠点にするよね

神戸斎藤勢力圏だろうから

姫路旗揚げして姫路城を奪取。

その後、まずは北へ勢力圏を広げて竹田城を抜く。

さら北上を続けて城崎温泉制圧

ゆっくり温泉で戦いの疲れを癒やす

Permalink |記事への反応(13) | 15:49

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2024-11-03

日本プロレス史上最も重要試合10選【追記あり

試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。

力道山vs木村政彦 1954年12月22日蔵前国技館

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山木村シュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道系譜もっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道プロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。

アントニオ猪木vsモハメド・アリ 1976年6月26日日本武道館

わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。

タイガーマスクvsダイナマイトキッド 1981年4月23日蔵前国技館

初代のタイガーマスクデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画キャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。

ジャイアント馬場vsスタン・ハンセン 1982年2月4日東京体育館

選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身レスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キッククリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。

アントニオ猪木vsマサ斎藤 1987年10月4日巌流島

公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木巌流島に立てられたリング上で時間制限、ノールールレフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤インタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤裸絞めで失神し、猪木勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラー純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。

武藤敬司vs高田延彦 1995年10月9日東京ドーム

プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田一騎打ち新日本UWFインターの対抗戦として行われたこ興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレス代表する固め技で武藤ギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合面白くなる、ということを示した貴重な一戦。

橋本真也vs小川直也 2000年4月7日東京ドーム

橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である橋本ジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスフェイク無しを魅せつけた一戦。

長州力vs大仁田厚 2000年7月30日横浜アリーナ

既に引退していた長州をなぜか大仁田ストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的成功し、大仁田お家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉まやかし大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合長州勝利。なお、この大仁田長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初大仁田から理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。

渕正信vs蝶野正洋 2000年9月2日日本武道館

2000年はプロレス界激動の年だった。6月全日本プロレスから選手クーデター同然に大量離脱し、残った選手川田利明渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本リングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘しかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本リングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイク第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。

三沢光晴vs小橋健太 2003年3月1日日本武道館

一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合クオリティも高く、当時の2chプロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合三沢小橋花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しか最後小橋バーニングハンマーを繰り出して逆転勝利ベルトの価値、そして団体価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。

以下、選外

ジャックブリスコvsジャイアント馬場 1974年12月2日鹿児島県体育館

この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合

ザ・ファンクスvsブローザー・ブロディジミー・スヌーカー 1981年12月13日蔵前国技館

全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディ親友であるハンセンセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセン試合ラリアートで介入し、ブロディスヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセン乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。

三沢光晴vs川田利明 1999年1月22日大阪府立体育館

故意事故か、川田三沢に対して垂直落下式パワーボム通称三冠ボム)を敢行した試合勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。

本田多聞泉田純vsハヤブサ新崎人生 1999年2月13日後楽園ホール

ハヤブサFMW)、新崎人生みちのくプロレス)というインディー団体レスラーでもメジャー団体ベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本代表するタッグチームと呼んで良い。

ザ・グレート・サスケvsスペル・デルフィン 2003年11月2日有明コロシアム

犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレス永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である

伊藤竜司vs葛西純 2009年11月20日後楽園ホール

デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西後楽園ホールバルコニーからテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチ限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビュー葛西現役続行宣言したことからデスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。

前田日明vs坂田亘 1995年5月20日 控室

今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。

追記

10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいか

全日本プロレス軽視では?

⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったか新日本ハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。

最近試合/◯◯の試合が無い

自分最近試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本崖っぷちで踏みとどまらたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。

総合格闘技戦について

自分桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技たまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというもの一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田ミルコに負けていた。

女子プロレスは?

女子女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!?しかないぞ、俺達がやるのは!

・信彦じゃなくて延彦な

正直すまんかった、正直ポカした。

Permalink |記事への反応(13) | 12:23

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2024-09-06

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く

6月から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしん明治に生まれ大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である

これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。

おしん」に対する誤解、それはおしんは辛抱する女であり、苦難に耐えて自らの努力と才覚で成功する立身出世物語であるという誤解である

全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしん本質はそこだけではないというのが全話みた感想である。豊かになるにつれ老害化してゆくおしんの姿は、立身出世物語ありがちな主人公聖人化とはむしろ逆行していた。

辛抱する女であるという誤解。

いや、もちろん少女時代奉公先での過酷な試練は、おしんイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしん最初奉公である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしん佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険死産経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代おしん笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。

後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。

佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だからまれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わずしたこともあったようだ。(NHKアーカイブより)

さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧理解してこその発言であるプロしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしん死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしん東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である

おしんに対する二つ目の誤解は、自らの努力と才覚で事業家になった、というもの

これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋加賀屋奉公した際、大奥から見込まれお茶料理裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたかである

しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業サポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるもの安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店詐欺あい、あっけなく倒産してしまう。

田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのであるおしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカ言葉ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売センスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家資金東京事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしん佐賀地獄はここから始まる。

それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京山形転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三から手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしん行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくま干拓に拘っていたのであるしかおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしん本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。

やがて伊勢根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である

しかしそれも敗戦でなにもかもを失い、夫は自殺する。

竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋アメリカ式レジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである

魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業原動力となったのは次男の仁であるおしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社リードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。

こうしてみてくると、おしん実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域根付いた商売をしたかっただけである

おしんに対する三つ目の誤解は、おしん立身出世成功物語であるという誤解である

極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正戦前戦後とその時代時代おしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうときおしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。

もちろん、おしんにはおしん商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることであるおしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理人情に生きようとする人なのである

大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員健康福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢魚屋店舗を構えることになったときおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。

またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしん人生最大の恩人は16歳のとき初恋相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。

おしん物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。

https://anond.hatelabo.jp/20240908082812(その2)へ続く

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911(その3)へ続く

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anond:20240906133224

増田騎士団旗揚げ

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2024-09-04

高校演劇部やってたけど

周囲が卒業後に取った進路は主に4つ。

1.演劇やめる

これが一番多い。

とはいえ演者側をやめただけであって、今まで触れてこなかった観劇自体趣味になった人もちらほらいる。

2.地域の劇やミュージカルに参加

1年1回とか2年に1回とか地域でやってる町民や市民が参加する類の舞台に参加する人。

あくま演者スタッフとしてやればいいだけなので面倒な運営やら何やらにタッチしなくていいので気楽。

ここを入り口にして劇団に行く人もいる。

3.劇団サークルに入る

既存劇団大学演劇サークルに入るルート劇団審査なしで入れるところはアマチュアなのでサークルの延長線みたいな感じ。

地域劇に参加してやる気があるとこっちに流れる人もいる。

アマチュアとはいえ団体なのでパンフスポンサー探しやらチケットノルマやら面倒なことをやる必要がある。

公演が近づくとジャスラックがセット曲リストを提出しろと郵送してくる。稽古場公演でも送ってくるので催し物チェック係でもいるのか。

私も地域劇のスタッフ劇団ルートを通った。

4.劇団旗揚げする

レアルート。マジでやる気のある人が何人かいないとやらないやつ。

世代奇跡的にそういう人々がいて頑張っていたらしい(友人の友人ぐらいの人だったのでまた聞き)。

その劇団代替わりしながら今も存続している。

私の世代ではプロに進んだ人はいなかった(2時間ドラマモブやったとか地方局の単発ドラマの主演したとかはいたけど)。

正直、劇団はいつでも若い人が足りないので参加は容易だけど、諸々の事情(主に拘束時間)で続けるのやめとくわーって人は多い。

吹奏楽も結局そういうことなんじゃねえかなあと。

Permalink |記事への反応(0) | 13:53

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2024-07-27

anond:20240727064625

イノベーションってアインシュタインみたいなのじゃなくてもっと技術寄りの話じゃないの

アメリカとの比較で言うなら日本スタートアップ企業が少なすぎだよね

あい人達全然暇人じゃなくてむしろ忙しいけど、そうやって技術アイデアビジネスを立ち上げて一旗揚げようという空気システムが無いのが大きな違いでしょ

Permalink |記事への反応(0) | 07:24

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2024-06-06

ゆかたんの想い出

ユカタン半島は「ゆかたん」の半島である

ゆかたん半島女王として君臨している。

今ではみんな知っている。

そのゆかたんは、わたし中学校同級生だった。

 

中学校の頃、ゆかたんクラスの中心にいた。

彼女は明るく、聡明な子だった。

どんな難しい問題も、ゆかたんの手にかかれば解決され、みんなが頼りにしていた。体育祭では、ゆかたんが指揮を取るとチームが一丸となり、どんな競技も楽勝だった。

そしてとても可愛かった。彼女が大雑把に結んだ髪を揺らして廊下を歩けば、誰もが振り向かずにはいられなかった。中学2年の頃には、その可愛さは美しさへと変化していた。

 

放課後わたしたちはよく一緒に遊んだ

ゆかたんは常にみんなの中心にいた。彼女がいるだけで、その場が楽しくなる。彼女カバンの中にお菓子をたくさん持ち歩いていて、何かあるとすぐにお菓子を人に与えた。

遅れてごめんね、この前は行けなくてごめんね、今度その人を紹介してね、遊びに行くのを楽しみにしているよ、彼女がそう言いながらお菓子を渡せば、すべての問題解決した。

 

そんなゆかたんが、ある日突然、浴衣姿で現れた。

浴衣を着たゆかたんは最強だった。

しっかりと結ばれた髪は、目元の強い意志と合わさり、ある種の風格を感じさせた。

浴衣姿のゆかたんは、まさに女王のものだった。

鮮やかな浴衣彼女の明るさをさらに引き立て、誰もが目を奪われた。みんなが「ゆかたん、きれいだね!」と褒めた。わたしはその時、少しだけ妬ましかった。少し遠くでその人の輪を見守った。

夏祭りの夜、ゆかたんと一緒に花火を見た。花火が夜空に咲くたびに、ゆかたん笑顔で「きれいだね」と言った。その笑顔を見ていると、わたしの妬みはどこかへ消えていった。ゆかたんは本当にみんなを幸せにする力を持っていたのだ。

 

中学校卒業してからわたしたちは別々の道を歩むことになった。ゆかたん地元高校に進学し、わたしは少し遠くの学校に通うことになった。連絡は取り合っていたが、次第に疎遠になっていった。わたし大学に進学し、忙しい毎日に追われるようになった。

わたし大学2年生の夏、ゆかたんから突然電話がかかってきた。一緒に海外旅行へ行かないかと、弾んだ声で聞かれた。その頃わたし仕送りも少なくて、バイトを掛け持ちしながら夏の集中講義にも出ているような状態で、ゆかたんの話がとても能天気ものに聞こえた。

からすぐに断った。ゆかたんは少し驚いたようだった。彼女の頼みを断ったのは、これが初めてだったかもしれない。「次はもっと楽しいことに誘うね」と言って、ゆかたん電話を切った。

彼女と話したのはこれが最後になった。

その1年くらいあと、ゆかたん海外留学したと別の友達から聞いた。海外行方不明なったとも。

 

にゆかたんを見たのは、テレビの国際ニュースでだった。

美しく成長した彼女は、羽織った浴衣をはためかせ、ユカタン半島旗を掲げて、革命最前線に立っていた。

なぜそうなったのかは知らない。ニュース呆然と見ていたが、次第に納得するような気持ちになっていった。

彼女は生まれながらの女王なのだ

旗揚げをした場所が、ユカタン半島だったというだけの話なのだ

 

彼女のことを思い出すと、最後電話のことを考える。あの時、もし断っていなかったら、わたし革命に加わっていただろうか。彼女の隣で、飴やなんかを貰いながら、彼女のために尽くし、命を賭けて戦う人生もあっただろうか。

考えてみるとそれも悪くない。彼女笑顔は全てを許し、わたしは全てを許されるのだ。

 

あの時はごめんね、ゆかたんわたし嫉妬心が少しでも君を傷つけていたなら、心から謝るよ。またいつか一緒に遊びたいね。あの夏祭りの夜のように、笑いながら。

Permalink |記事への反応(3) | 11:16

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2024-03-30

anond:20240330115346

ワイの親父自衛官やったけど毎日18~19時には家いたで。当然休出なんてあるわけもなく、家空けるのなんて演習の時くらいだわ。

給料も毎年上がるから一部のホワイト企業やイケイ企業と比べなきゃ悪くないと思う。

2-3年で転勤になるのが玉に瑕だがワークライフバランス大事仕事で一旗揚げたいみたいな野心がなければいいと思うけどな。

Permalink |記事への反応(3) | 21:54

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