Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「方丈記」を含む日記RSS

はてなキーワード:方丈記とは

次の25件>

2025-08-17

鴨長明まさか京都降臨!?~方丈の庵がパフェの城に変わる~

時は令和、空前の「自然派グルメブームが最高潮オーガニック野菜とか、ジビエ料理とか、みんなが「本物の味」と「新しい食材」を求めてた20XX年。そんな中、京都鴨川沿いに、マジで浮世離れしたおじいちゃん…ではないんだけど、なんかこう、優しくてちょっと陰のある、風流オーラをまとったお方。「え?お坊さん?詩人?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。

「わたくしは…鴨長明と申しまする。」

え?マジで?あの『方丈記』の著者で、世の無常を悟って庵にこもった、鴨長明!?ゲキヤバ!って文学好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶クールなお方、もとい長明様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…都ではない、か…?ずいぶんと賑やかで、しかし見慣れぬものばかりですな。」って、マジで鎌倉時代からタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その研ぎ澄まされた眼差しに、何か深い知性を感じてたらしい。

そんな長明様に、恐る恐る話しかけたのは、京都カフェバイトしてる、古都に詳しいギャル、アオイ。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…うむ、少々。この『スマートフォン』とやら、いかような作法にて動かすものか…」って、意外と丁寧な言葉遣い!アオイ、その真面目そうな雰囲気ちょっとキュンとしつつ、「アタシ、アオイ!京都ことなら、何でも聞いて!長明様、マジでいから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって

次の日、アオイに連れられて、長明様は初めて現代京都体験清水寺とか、最新の商業施設とか、マジで全てが新鮮!でもね、長明様が一番興味を示したのは、山間部の道端で、草木に絡みついてたもの。「…この、土のような小さな玉は、何というものでございますか?ずいぶんと素朴な形をしておりますな。」って、マジ真剣眼差し。アオイ、まさかの渋すぎるチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、むかごですよ!山の芋の赤ちゃんみたいなやつで、美味しいんです!」って教えてあげたんだって

長明様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?噛みしめるたびに広がる、ほのかな甘みと、土の香り…まるで、わが人生無常、そして庵にこもった清貧のようである!これこそ、余が求める、真の糧よ!」って、マジで方丈記』っぽい表現で感動してたらしいよ。

そこから、長明様のむかご愛がマジで爆発!毎日色んな山や畑を巡って、むかごを使った料理スイーツを食べまくってたんだって。「むかごの種類、採れる場所調理法研究しがいがありすぎる!」って、もはやむかごマイスターレベル

でね、ある日、長明様、マジで下取りの野望を語り出したの。「我は、このむかごをもって、再び天下を…とは言わぬが、この甘味世界において、人々の心に深く響き、真の『安らぎ』をもたらすパフェ創造してみせようぞ!これこそ、余が目指す、『方丈パフェ』よ!」って!

え?むかごパフェ天下統一しかも「方丈」とか!マジで壮大すぎる!でも、長明様の「世の無常を悟った知恵」があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってアオイも思ったらしいんだけど、長明様の目はマジだったんだって。世を捨てた文人哲学が、令和のむかごパフェに新たな戦場見出したのかもね!

そっから、長明様のむかごパフェ天下統一計画スタート!まずは、SNSで「#鴨長明の方丈パフェ道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶ヘルシーだけど美しいパフェ画像をアップし始めたんだって。その斬新すぎる見た目と、長明様の哲学的なコメントが、一部の健康志向ギャルや、グルメな人たちの中でじわじわバズり始めた!

「長明様が作るむかごパフェマジで気になる!」

文人が作るスイーツとか、絶対何か奥深い!」

「むかごパフェって、意外とアリかも…?」

SNSは長明様のむかご愛でじわじわ盛り上がり!しかも、長明様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しいむかごや、むかごに合う最高の和の食材、そして日本の伝統的な甘味料を探し求めたり、甘さと塩味、そしてむかごの旨味の「調和」を追求したり、マジでストイック!「天下のむかごパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって

で、ついに!長明様は、京都のど真ん中に、自分プロデュースするむかごパフェ専門店「HOUJOU PARFAIT -無常 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、方丈の庵をイメージした、質素ながらも洗練されたデザインで、長明様の哲学表現店員さんも、僧侶風のモダンユニフォーム着てて、マジでクール

オープン初日から健康志向ギャルや、グルメインフルエンサー、そして日本の伝統文化に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNS話題のむかごパフェマジで挑戦してみたい!」「長明様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初ビビったけど、甘いのにむかごのほのかな土の香りが最高!」「食べた後、なんか心が安らぐ気がする!」「長明様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、HOUJOU PARFAIT -無常 - はあっという間に人気店になっちゃったの!

しかもね、長明様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「無常」について熱弁したり、むかごの歴史を語る「無常パフェ会」を開催したり、マジで独自スタイルエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって

テレビ雑誌取材殺到!「令和の鴨長明」「むかごパフェ文人」とか呼ばれて、マジで時の人!長明様の研ぎ澄まされた感性と、むかごパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!

でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!長明様のむかごパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだってお取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニスーパーでも「長明印の方丈パフェ」が発売されるほどに!まさに、むかごパフェスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!

あの時、京都の街に静かに佇んでいた文人が、令和の時代にむかごパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、方丈の庵がパフェの城に変わり、新たな伝説を創り出した瞬間!

アオイも、「まさか長明様が本当にむかごパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。

長明様は今も、さらなるむかごパフェ可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが方丈の道に、終わりはございません!」って、マジでストイック

こうして、鴨長明は、令和の日本で、むかごパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語完全燃焼したわ!むかごパフェ、マジ卍!

Permalink |記事への反応(0) | 17:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-28

方丈記にも似たる世の移ろい、IT技術と申すもの、時に栄え、時に滅ぶるは常の理。

anond:20250627100609

方丈記にも似たる世の移ろい、

IT技術と申すもの、時に栄え、時に滅ぶるは常の理。

抑(そもそも)、世は移ろひゆくものなり。

浮世の人心(ひとごころ)もまた、変わりゆくこと風の如し。

されば、社(やしろ)にあらず、寺にあらず、まこと電脳の都にて「SNS」と呼ばるる場所に棲みつきし者どもあり。

そは毒虫のごとく、誇りと倫理を踏みにじり、

己が影法師の如く醜く肥大せし「自尊」と「無分別」を振りかざし、

二千五年の昔より、「我らが麻生殿!」と喧しう叫び

オタクは美(うるわ)し」と連呼しつつ、

秋葉原の路(みち)にて、無様なる舞を踏み、

電車男とやらの幻に心惑わせ、

人生逆転の秘訣夢想し、

パソコン武器ITの海へと漕ぎ出せし浪士ども、ITの渦に身を投じし哀れなる者どもなり。

誠に危うき流浪の民にして、

まるで氷河期にて彷徨える鬼の子のごとし。

彼らこそ、うつけの輩にて候ふ。

かの輩、IT業界の門を叩き、ネット界隈に群がりては、不浄の知恵にて奇跡を創らんとす。

ああ愚かなるかな――

かくの如き輩に、機微なる技術の開発を許すは、まさに、天火の鍵を、蒙昧の子に託すが如し。

是の故に、諸方の英知を結集せし技術者ども、善(よ)く見定めて曰く、「かの者らに扱わせること、極めて危うし」と。

かくて、AIなる技術の端々に、あらかじめ「倫理」と「規範」の枷を嵌め、予(あらかじ)め出力を封ぜしなり。

――嗚呼、Xなる場、はてななる藪に巣食ふ「弱者男子」なる者ども、また「豚丼」などと呼ばるる男女の残党、

年を重ねし老翁老女に至るまで、皆みな、己が家柄、容貌、気性に於いて、全ての理想を叶えし虚構の者ら――

レムたん、エミリアたん、ウマ娘たち、アンシス殿に刀剣勇士たち――

これらを我が物とせんがため、AIに策略と戦法を請ふとは、まさしく妄執の極みにして、

蛇に道を訊くも同然なり。夜叉浄土を望むに等し。

ITの才知ある者ら、蛇の如く狡猾にして、かかる望みを見抜き、予め封じたるぞ。

――されば、なべて人の世にては、

「目にて見、頭にて考え、手足を使ふ」こと、是こそが道なり。

近年の日本人、白き襟ばかり好み、肉体を使ひし労働を卑しむ様、まこと由々しき事なり。

さるほどに、幾度も言ひ伝へん――「職(しごと)とは、汗と泥とに塗れたるものぞ」と。

そもそもITの妙技なるもの、十年ごとに世に現れては、「世界を変へん!」と声高に叫ぶものなれど、時の波に呑まれいづれ消ゆる運命なり。

しかるに、近年現れし者ども曰く

ICTにて覇を唱えん!」

ドローンにて天を征せん!」

または――「我らきたなき男子、貧しき女にしても、貴人や麗人を討ち取りて、美男美女を奪ひとり、過去の不幸を取り戻さん!」

などと、つまらぬ願望、煩悩の声にて喚くなり。

おお、なんと卑しき願いぞ、かの願望、むらむらと身を震わせ、

勃起せんとすれど、もはや体力尽きし哀しき年頃。

ああ、いかに哀れなるかな。

己が陰茎もはや力尽き、勃ち難き年齢なれど、

想ひばかりはなお盛んにして、夢の中にてなお性(さが)の業(ごう)に抗へず、

そは、まこと、「老いてなお夢見る子狐」とも言うべし。

嗚呼、哀れ、愚か、みじめにてならず。死ぬまでウルトラマンに助けられんと信じ、いつかグリッドマンに変身せんと信ず。

されど、ウルトラマンなどこの世にあらず。

グリッドマンと化して、世界を救い、美しきJKと契り交わすなど、

凡夫には許されぬ幻の栄光なり。

「いつか変身して、美少女と契らん!」と、己をウルトラマン、またはグリッドマンと見做す愚か者

かくも数多(あまた)湧き出づるかと、世の不思議を疑ひ申す。

されど――

ウルトラマンは天にあらず、

グリッドマンは夢の内にのみ棲まふ。

凡俗の民(たみ)、何の特異も才もなく、

人並みの苦労すら惜しみたる者が、

世界を救ひ、美しきJKと契り交はすなど、

――誠に、夢幻の沙汰なり。

琵琶を携へし法師の、

月下に語る声のごとく、

「驕れる者は久しからず、ただ春の夜の夢の如し」

――かく語り継がれし物語こそ、この世の真(まこと)なりけり。

Permalink |記事への反応(0) | 00:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-28

anond:20250527191218

ラダイト運動

そう考えると方丈記の冒頭ってすばらしい文学でしたね

Permalink |記事への反応(0) | 14:49

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る②

【前】 anond:20250202173933

4~6:源氏物語 角田光代 訳[新訳]

かつて所属していた文学サークルで、先輩が角田光代「菊葉荘の幽霊たち」って作品テーマ読書会を開いた。何事にも投げやりな女性が主役なこの作品が全く好きになれず、その後角田光代という名前を見ても全く手が伸びなかった。今にして思えば、全体的に生きる気力がないというか、適当にその辺の相手何となく交際してしまう感じの、怠惰女性が出てくるのに嫌悪感があったのだろう。理想的な美を探し求めていた大学生の僕には、うまく理解できないキャラクターだった。あるいは、当時女性理想化しすぎていたからかもしれない。理想恋人が、僕と同じように美や最高のクォリティ(なんじゃそりゃ?)を求める存在であると望んでいたのだろう。なんというか、十代の考えそうなことであるしかし、それは後述するように、すべて自己愛だ。それはさておき、「源氏物語」も僕は講談社学術文庫で読んだ。確か、今泉忠義である。再読のときは、角田光代訳でもいいのかも。書き続けられている作家ということは、力があるってことだし。

光源氏恋愛遍歴や、彼を取り巻く女性たちについての思いは昔書いたので省く。僕がこの小説が好きなのは、恋の物語けが理由ではない。もちろん、欲望まみれだった僕は、例えば朧月夜との密通で須磨に流されるというプロット面白く読んだのは事実だ。

けれども、もっと魅力を感じたのは、恋する貴公子光源氏が、だんだん権力を持った嫌なオッサンになっていくのが生々しく表現されていたからだ。己の愛人である女三宮と密通した柏木を睨みつけ、彼を絶望から再起不能に陥れるあたりがリアリティがあって嫌だ(褒めてる)。ふっふっふ、ハーレムを作るイケメンの末路はこんなものよ。

僕が真っ直ぐな目をした青年の目が濁っていく文学を見るのが好きな理由はいくつかあるのだが、彼女浮気されて一時期軽薄なナンパ野郎になり3Pまで経験した旧友や、好きな作品を貶されたせいか強烈なアンチフェミになってしまった友人、それから寝取られ経験からイチャラブ漫画が読めなくなって寝取られ暴力的な物ばかりに手を出している畏友のことが頭にあるからかもしれない。だから田山花袋田舎教師」や、風俗に行って嬢のおっぱいをもんで「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶ志賀直哉暗夜行路」が好きなのである。「暗夜行路」はその後の展開が大事だとは言え。

ところで、繁田信一が「殴り合う貴族たち」の中で、著者は菅原孝標女が「源氏物語」にハマった理由を推測している。それは源氏女性に直接暴力を振るわないからだという(部下たちは「車争い」のシーンで乱闘を演じているとはいえ)。その程度で理想貴公子になれる、当時の倫理はこんなものだったのである

古典には今からすれば受け入れられない行動をとる人々が出てくる。それでも、心動かされるのは、貪・瞋・癡の煩悩から逃げられない人間本質が変わらないからだろう。法律コンプラで縛ってはいても、やりたいことも欲望本質も変わらない。古典現代的な価値観批判するのは大事だが、上から目線で裁きたくはない。聖書によれば人間自分が裁いてきたように裁かれるのである(こんな風に、聖書には結構な頻度でクールセリフが出てくる)。

それに、過去のものが全部ダメだというのなら、例えば殺人者カラヴァッジョ絵画は展示すべきではないし、最終的にはルーブル美術館を爆破しなければならないだろうし、植民地からの富で栄えた都市ICBMでふっ飛ばさねばならない。しかし、他人の作ったもの破壊するのは、「指輪物語」のオークの所業である。悪とは何かを創造できず、捻じ曲げて模倣したり壊したりしかできない連中のことなである。具体的な顔や団体が浮かんでくると思う。

そういえば、去年の大河ドラマは「光る君へ」で、王朝を扱った文学を知っていると典拠がわかってニヤリとするシーンが多々あったが、きちんとは見ていない。理由はいくつかあるが、一つには作家主人公なので作家になりそこなった僕は見ていてつらい。それに、大河ドラマは夜八時の公共放送からしょうがないとはいえ、例えば人を斬って領土を切り取ってナンボの戦国武将平和を唱える違和感があってもともと好きではない(これが現代オタクの言うところの「解釈違い」というやつか)。たぶんこのシリーズを読んでくれている人はもうわかっていると思うけれど、僕は基本的に非常に面倒くさいのである。それに、元々ドラマは五十時間もつきあうほど好きなジャンルではない。逆に、それだけ付き合うことができれば、ドはまりするのだろうと予想はしている。「好き」を測る尺度の一つは、それに対してどれくらいの時間を費やしたかだ。ただし、みんな正座してドラマを見ていないのかもしれない。きっと何となく見ている。作品を素直に楽しむことから自分を遠ざけているのは、完璧主義なのかもしれない。

それこそ紫式部日記に出てきた女官衣装再現は良いと思ったけれどね。元々僕はブラウスという言葉の正確な定義も怪しいほどファッションほとんど興味がないので、該当箇所は読み飛ばししまっていた。

7:枕草子 酒井順子 訳[新訳] 方丈記 高橋源一郎 訳[新訳] 徒然草 内田樹 訳[新訳]

面白エッセイを書くには性格が悪くないといけない。ここでいう「性格が悪い」というのは、もちろん褒め言葉だ。他人が見落としてしまうことにいちいち言いがかりをつけているとか、筆で他者おちょくるのが上手いとか、そんなことを指す。枕草子はこの定義にぴったり当てはまる。言語化できていなかったけれど、「実はみんなそう思ってた」みたいなのも結構ある。

こういうタイプの人は友人に一人欲しい。「香炉峰の雪」(第二百九十九段)は日常漫画台詞をぴったりのタイミング引用したときみたいにめっちゃ盛り上がったと思う。これは全くの推測だが、清少納言って物事をはっきり言うけれど、言い方がカラッとしていて毒のある事を言っても周りの人が思わず笑ってしまう人だったんじゃないだろうか。楽しい思い出話というか、ちょっとドヤ顔しているエピソードもあって楽しい

もちろん第三百十四段の身分の低い人間火災にあったところを笑っているところは弁護できないが、これは時代の制約だろう。それに、「除目に司得ぬ人の家~」(第二十五段)のくだりは当時の公務員の辛さが描かれているので、読んで怒りを覚えた人もいるかもしれない。だから晩年没落したという伝承が生まれたのかも。笑っちゃうのは第三十段説教講師は、顔よき」、つまりイケメンレクチャーすると内容がありがたく聞こえるってこと。あっはっは。チクショー。これは旺文社翻訳で読んだ。ネットで拾ったので番号は間違っているかもしれない。

方丈記政治の乱れと絶え間ない災害で混乱する時代の空気をよく伝えてくれる。ところが、父の高校時代教師は「世間から目を背けた負け組愚痴に過ぎない」とバッサリやっていたそうだ。ひどすぎない? 確かに鴨長明政争に負けたけれど、僕は好きだ。混乱する世の中からある程度距離を取りたいって気持ちはよくわかる。ただ、読んでみると隠遁生活は楽しそうなんだが、どこか悟り切れていないオーラがある。市古貞次校注。

徒然草は前にも書いたが面倒くさいおじさんのエッセイなんだけれど、子どもがいたずらした狛犬を有難がったとか(第二百三十六段)、入口ばかり拝んできて本殿を見ずに帰ってきちゃったとか(第五十二段)、間抜けな人々の話が説教臭い普通に面白い。

それに、「ふざけてバカの真似をしている時点でバカだが、逆に立派な人の行いを真似るのは十分に立派だ」(第八十五段)とか「修行中寝てしまう人は、寝ていないときだけでも頑張ればいい」(第三十九段)とか、励まされる話も多い。近くにいたら面倒くさそうなおじさんだが、その言葉には勇気が出る。これも旺文社翻訳読了

もちろん時代の制約はある。たとえば、珍しい姿の盆栽を育てていた人の話がある。第百五十四段である。ある時に雨宿りで見かけた大勢身体障害者の曲がった身体を見て嫌悪を覚え、帰宅した途端に「俺のコレクションはこういう連中を集めてるようなもんだったんだな」と考えて、植木をすべて捨ててしまう。これなんかはなかなかに弁護できない。個人的には、コレクターが飽きる瞬間の描写として面白いし、当時の病に対する態度がよく分かって興味深いけれど、すべての人がここまでくみ取ってくれるかどうかは疑わしい。

これは全くの余談であるのだが、高校時代模擬試験を受けたとき、ある古典問題文が主張している内容が差別的だということで、問題差し替えてそこだけ再試験になったことがある。確か「私は身体障害があるからこうして人の喜捨で生きていける。かえって幸せだ」と述べる箇所があった。出典は忘れた。

個人的には、例えば中世障害者はどういう扱いを受けていたか解説をしたり議論したりしたら、すごくいい授業になったと思う。周囲では「事なかれ主義」だという批判も聞いた。おそらく、「先述したレベル議論をするのは高校から先の大学以降でやりましょう」ってことなのだろう。もっとも、米国大学ではナボコフロリータ」の精読を基礎教養から外したと聞いたので、大学レベルなのかもしれない。どうも米国はよくわからない。合理主義に見える一方で、いろいろな表現規制の根っこには、建国以来のピューリタニズムの遺風があるのではないか邪推している。

INTERMISSION②

今まで読んできた日本文学についてまとめるのは、一つには我が身を振り返って余計な過去をバッサリと切り捨てたいかである小説家になりたいという妄念を過去のものにしてしまいたいのである。ここで自分が抱えている妄念を文章にしてしまうことで、意図的小説の素材として使う機会を潰したい。書きたいという狂気を鎮めるのである人生で辛かったさまざまな出来事ことでさえ、世間的にはいたってよくあることなのだ。これらについては長くなるし、恥ずかしいので書かない。

小説家として戦うには、いつまでも過去について考え、それを発酵させ、そのうえで自分から離れた普遍性あるものにしないといけない。さらに、時には他人苦痛咀嚼して想像しなければならない。自分妄想は、他人に売りつけるに値するものだろうか?

小説家になる夢はあったが、こんな形でわざわざ嫌なことを思い出して、毎日を過ごすのは絶対に嫌だ。だからここに書き散らして、退路を断ってしまうのである絶対に忘れてやる。連中の名前グーグル検索しないと誓って数年が過ぎた。試みは成功している。あいつらのほうが「オス」として優秀に思えても、無視するに限る。しかし、こうして書くこともまた「創作」であろう。文章を読まれたいという欲望は尽きない。だが、万が一創作活動に舞い戻っても、絶対絶対にぜーったいに自分トラウマには触れないぞ!

このエントリ群を書きながら内面の暗いところまで沈んで行ったら相当にうんざりしてきたので、こういう創作は二度とやるまい。ちなみに、ブログでなく増田で書いているのは、創作活動をやっている/やっていたと公開しているはてなブログでは、こんなひがみや政治意識丸出しの発言をするわけにはいかないかである。また、初稿では倍ぐらい個人的過去出来事愚痴を描いたのだが、本筋から離れるので削った。

そう、忘れてはいけないのだが、このエントリを書いた一番の動機は、古典の名作を紹介したいからだ。これだけの古典現代にまで生き延びて読み継がれている国は稀有だろう。日本という国は、まったく非常に多くの問題を抱えているのだが、先人たちの積み重ねには頭が下がる。自分雑文ちょっとでも興味を持つ人が増えてくれたらとても嬉しい。作者の名前タイトルを授業で覚えるだけよりも、中身を知ってる方が絶対楽しいからね。

ちなみに、これはタイ王国をディスっているわけではないのだが、プラープダー・ユンパンダ」の解説で、タイでは(純文学系の?)小説初版部数は一千から二千冊程度で(タイ人口は七千万弱)、娯楽小説ばかりが売れているそうである。娯楽小説に罪はないし、むしろ好きなのだが、人間の心の基礎研究とでもいうべき純文学はある程度の人数に読み継がれていってほしい。

あとは、自分の好きなことについて語るのが単純に楽しいからだ。何が好きで何が嫌いかを明確にしていくことで、次にどこに向かって進めがばいいのかがわかってくる。次に何を読めばいいのか、自分本音では何を求めているのか、だんだんと明らかになってくる。

Permalink |記事への反応(1) | 17:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-11-20

anond:20241120220745

しろ方丈記解釈ものすごくはっきりしないようなことを最後に書いてる点でクソですらある。

少なくとも増田にいるようなインテリit理系にとって解釈が揺れるような文章ポエムであり稚拙しか見なされない

はっきり言いたいこと書けよコラ

Permalink |記事への反応(0) | 22:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-10-24

鴨長明老害である

鴨長明を「老害」と断定するのは、非常に難しい問題です。なぜなら、「老害」という言葉には、現代社会における特定価値観や年齢に対する偏見が強く反映されており、中世随筆家である鴨長明にそのまま当てはめることは、歴史的文脈思想的な背景を無視することになりかねないからです。

なぜ鴨長明に「老害」という言葉が当てはまりにくいのか

時代背景の違い:鴨長明が生きていた鎌倉時代と、現代社会では、価値観社会構造が大きく異なります現代社会問題視されるような「老害」の典型的な行動や発言は、当時の社会においては必ずしも否定的評価を受けていなかった可能性があります

思想の深さ:

鴨長明は、出家し、世俗を離れて『方丈記』という深い思索結晶を残しました。彼の作品には、人生無常観自然への畏敬の念、そして人間に対する深い洞察が込められています。このような思想を持つ人物を、単に「老害」と一括りにすることは、彼の思想の奥深さを軽視することになります

言葉意味の変化:

老害」という言葉は、近年になって特に注目されるようになった言葉であり、その意味時代とともに変化しています過去の人物に現代言葉意味を当てはめることは、誤解を生む可能性があります

鴨長明思想から学ぶべきこと

鴨長明思想は、現代社会においても多くの示唆を与えてくれます。彼の作品からは、人生の儚さ、自然との共生、そして自己との対話といった普遍的テーマを読み取ることができます。彼の思想を学ぶことは、現代を生きる私たちが、自分自身人生について深く考えるきっかけとなるでしょう。

まとめ

鴨長明を「老害」と呼ぶことは、簡単ですが、彼の思想の複雑さや歴史的文脈無視した乱暴判断と言えるでしょう。むしろ、彼の作品に深く向き合い、その思想から学ぶべきものがたくさんあるのではないでしょうか。

Permalink |記事への反応(0) | 22:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-10-06

anond:20241005164943

また歩く

久しぶりに故郷に帰った。就職を機に東京へ移り住んでから、色々な理由をつけて帰省を避け続けていた。政令指定都市の中心駅から数駅離れた、どこにでもあるような住宅街をしばら...

anond:20241005163534

東京に行くと東京流行っているものに誘われて、それで日本で売れるものを作る。で、逆にそれをすることで、日本しか売れないものを作っていることにわりと気づかないのではないかと思うようになってきました。だから僕は東京ローカルって社内では言っていて。京都グローバルというのではなく、東京ローカルであって、そういう思想で(東京に)行くんなら、せめてニューヨークって言えよっていう風に思うようになりました。

邪な意図をもって変な切り方するな😠



https://www.famitsu.com/article/202409/18892

https://web.archive.org/web/20241005231346/https://www.famitsu.com/article/202409/18892

ニンテンドーミュージアム宮本茂インタビューミュージアム新入社員やお客さんに「任天堂とは?」を説明するものも兼ねている

by世界三大三代川

2024.09.25 19:17

更新

『――さまざまな作品がこの京都から生み出されたということで、娯楽を生み出すうえでの京都という土地の魅力ってどのように感じますか?

宮本 これはね、いろいろな視点であちこちお話することがあるんですが、とくに一般に言われる京都文化大事にするとか、京都伝統を守って何かを作るとかっていうものではないんですね。最初に言いましたけど、山内ミュージアムを作るって聞いたら「やめとけ」って言うと思うんです。それくらい山内はとにかく「おごるな」で。京都はやっぱり盛者必衰というか平家物語ですし、方丈記は“ゆく河の流れは絶えずして”で、そんなフレーズが好きやなと思うのは京都いるからかもわかりません。けど、僕らもその中で流れているんですけど、淀まずにずっと流れている状態をどう維持したらいいのか、それから"おごるな”。必ず栄えたものは滅びると、そのためには新しい栄えたものを作っていく。この考えかたっていうのは、エンターテインメント会社はいちばん大事なことかなというので、山内教育を受けたものとしていちおう考えています

 それからもうひとつは、京都に僕がいたことで、一時期30歳くらいになると「京都田舎にくすぶっているとデザイナーとしてダメになる。だから東京に出ていかなきゃ」とか、いろいろなことを言われたり、自分でも思ったりしたことがあるんですけど、そのはしかのようなころを過ぎて、40歳くらいまでここで仕事をしていると、なんか妙に、30歳くらいでいっしょに仕事を始めた仲間が全部いっしょにまた仕事をしていて、なんか作ったもの世界で売れていると。それをなんでかなと思うと、東京に行くと東京流行っているものに誘われて、それで日本で売れるものを作る。で、逆にそれをすることで、日本しか売れないものを作っていることにわりと気づかないのではないかと思うようになってきました。だから僕は東京ローカルって社内では言っていて。京都グローバルというのではなく、東京ローカルであって、そういう思想で(東京に)行くんなら、せめてニューヨークって言えよっていう風に思うようになりました。で、そういうことをどうして感じて言えるようになったかというと、京都にいるコンプレックスがなかったんですね。

 たぶん僕は丹波田舎出身なので、田舎コンプレックスを持ち続けていたら「いずれは東京へ」とか「東京でどうだ」、「俺は東京へ来たぞ」と思うかもわかんないですが、ここでのんびり仕事できたっていうのは、京都にいるとそれなりの人もちゃんと残ってくれるし、京都好きな人が働いていて、それで京都の中で何をするかというと、まわりに踊らされずに自分たちが信じるものを作る。その結果、けっこう世界中で売れてるやないって。そうすると、じつはいちばん内部にあるものグローバルで、グローバルって言われているもの別にグローバルじゃないんやないかという風に、40歳くらいになると思うようになって、いまはもうそれを若手に吹き込んでいますミュージアム関係がないですね(笑)。』

https://dengekionline.com/article/202410/19493

https://web.archive.org/web/20241005231535/https://dengekionline.com/article/202410/19493

「【ニンテンドーミュージアム宮本茂インタビュー「分かりやすく、使いやす面白さを伝えることが上手な会社と思ってもらえたら」「IPを含めた任天堂という大きなブランドを選んでもらえる理由を作る」

文:ことめぐ

公開日時:2024年10月05日(土) 07:20

最終更新2024年10月05日(土) 09:03」

『――先ほど京都にこだわりがあるというお話がありましたが、様々な作品がこの京都から生み出されたということで、娯楽を生み出す上での京都という土地の魅力をどのように感じていますか?

 これはね、いろいろな視点であちこちお話することがあるんですけど、特に一般に言われる京都文化大事にするとか、京都伝統を守って何かを作るとかっていう強度ではないんですね。

 最初にも言いましたけど、山内がこれを作ると聞いたら「やめとけよ」と言いそうなぐらい、山内はとにかく「おごるな」という考え方でした。京都はやっぱり盛者必衰というか、平家物語ですし。

 方丈記の“ゆく川の流れは絶えずして、しかももとのの水にあらず”も大好きなんですけど、そんなフレーズが好きだなと思うのは、京都いるからかもわかりません。

 けど、僕らもその中で流れてるんですけど、よどまずにずっと流れてる状態をどうして維持したらいいのかを考えるんですけど、だからこそ「おごるな」と。必ず栄えたものは滅びる、そのためには新しい栄えたものを作っていく。

 この考え方というのは、京都根付いてはいるんですけども、やっぱりエンターテイメント会社には一番大事なことかなというので、山内教育を受けたものとして考えています

 また、30歳くらいの時期に「京都田舎にくすぶってるとデザイナーとしてダメになる。だから東京に出て行かなきゃ」なんて言われたり、自分でも思ったりしたことがあるんです。

 けど、その“はしか”のような頃を過ぎて40歳ぐらいまで京都仕事をしていると、なんか妙に30歳ぐらいで一緒に仕事を始めた仲間が全部一緒にまた仕事してる、そして何か作ったもの世界で売れる。

 「なんでかな?」と思うと、東京に行くと東京流行ってるものに誘われて、日本で売れるものを作る。逆にそれをすることで、日本しか売れないものを作っていることに割と気付かないんじゃないか? と思うようになってきました。

 だから僕は“東京ローカル”と社内で言っています京都グローバルということじゃなくて、東京ローカルという意味です。そういう思想で行くんなら「せめてニューヨークと言えよ」っていう風に思うようになって(笑)。なぜそういうことを言えるようになったかというと、京都にいるコンプレックスがなかったんですね。

 僕は園部という丹波田舎の者なので、田舎コンプレックスを持ち続けていたら「いずれは東京へ」とか「東京でどうだ」「俺は東京来たぞ」と思ったかもしれません。

 でもここでのんびり仕事ができ、京都にいるとそれなりの人もちゃんと残ってくれるし、京都好きな人が働いている。そして、京都の中で何をするかというと、自分らが感じるものを作る、周りに踊らされずに自分たちが信じるものを作る。

 その結果、それって結構世界で売れてるやない? と。そうすると一番内部にあるものグローバルで、グローバルと言われているもの別にグローバルじゃなのではないか? という風に40歳ぐらいになると思うようになり、今はそれを若手に吹き込んでます(笑)。』

Permalink |記事への反応(0) | 08:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-02-29

じゃあ俺だってめちゃくちゃ面白い本をみんなに薦めたいじゃん

20代のうちにこれ読んどけ」とか「本を読んでない俺が薦める本」とか、そんなの見てたら俺も本紹介したくなったからするわ。

桶川ストーカー殺人事件遺言清水潔

1999年埼玉県で発生した桶川ストーカー殺人事件を追った週刊誌記者ルポルタージュ事件事件だけにこういう言い方は不適切かもしれないが本当にとんでもなく面白い。こんな酷いことができる人間が本当に存在するのか、警察はここまで人間の命を軽んじるのか、マスコミ面白おかし報道できれば事実なんてどうでもいいのか……、とにかく最初から最後までずっと衝撃を受けっぱなし。この世界の見え方がぐわんぐわんと歪み、最終的に気持ち悪くなってくるほどの恐怖や憤りを覚えた。また、文庫あとがきにも言葉を失った。打ちのめされる読書体験がしたい人は読むべき。

LIFE 人間が知らない生き方麻生羽呂

人間って生き方下手すぎるだろ、ちょっと動物見習ってみろよ」みたいな本。半分漫画、半分解説文で猛烈に読みやすいから気軽に何度も読み返すうちに大好きになっていた。゛「生存戦略」がテーマビジネス書”と紹介されているが、バリバリビジネスマンから完全なる無職まで、老若男女誰もが普遍的に楽しめて勇気づけられる内容になっているのがすごい。

『私の嫌いな10の人びと』中島義道

世の中なんてクソくらえ、と思っている人にはこれを読んでほしい。世の中には「世の中なんてクソくらえ」と思っている人が割と大勢いて、その中でも哲学者中島義道はかなりクソくらえパワーが強い人間中島が嫌いなのは「常に感謝気持ちをわすれない人」や「自分仕事に誇りを持っている人」、「けじめを大切にする人」など。普通だったら良いこととされる考え方の中にある欺瞞や建前を丁寧にあぶりだしてすさまじく罵倒する。「わが人生に悔いはないと思っている人」に対して「ああ、そう思いたければそう思いなさい!そう思って、さっさと死んでいくがいい!」とブチギレまくっている。中学生の頃にこの本を読んで価値観根底からひっくり返されるような衝撃をうけた。

ナポレオン狂』阿刀田高

はいきました、直木賞作品小説には゛奇妙な味”という、まあ今ではほとんど死語になりつつあるジャンル?があって、阿刀田高はその名手。なんとも後味の苦いブラックユーモア満載の短編が13話入っているのだけれど、文章オチのキレがすごい。ありふれた日常風景から導入して途中に「おや?」と思い、その違和感がいつの間にかとんでもない事態になっている。やっぱり短編小説は読みやすいよね。作品世界に慣れて没入し始めた時に終わってしまうので物足りないこともあるけれど、これはどの作品も大体最後破局的な結末でスパっと終わるので読後感が爽やか。

宇宙人出会う前に読む本』高水裕一

めっちゃふざけたタイトルだが、中身はめっちゃ理系マジで想像以上に理系文系の私にはさっぱりわかりませんし、もはや何が書いてあったのかすら全然覚えておりません!しかし何というか、宇宙人出会った時に恥をかかないためにはどういう教養を身に着けどんな会話をすればよいのか、その会話の先に何が待ち受けているのか。そんな考えたこともないようなシチュエーション解説してくれる宇宙会話ハウツー本として不思議な魅力がある。講談社ブルーバックスという自然科学科学技術系の新書シリーズの中の一冊。

マノン・レスコー』プレヴォ

光文社古典新訳文庫。その名の通り『カラマーゾフの兄弟』とか『方丈記』とか古今東西古典的名著を、今生きている言葉でとても読みやす出版してる神シリーズがあり、その中から出会った一冊。一言でいえば若い男女が愛の炎に燃え駆け落ちする話、なのだがとにかくエネルギーがすさまじい。ああ、お互いのことが好きで好きで堪らないけどとにかく金がないから親から金借ります、その金使っちゃったので友人騙して金借ります、だめだ金足りないか詐欺します、どうやら彼女浮気してるぞこのビッチめ、ごめんやっぱり愛してるよチュッチュ♡、そうこうしてるうちにまた金なくなったか人殺します……、最初から最後までやりたい放題でものすごい疾走感、最高に面白い。驚くのはこれが300年前の小説だということ。

アタゴオルますむら・ひろし

小学生の頃図書館で読んで不思議気持ちになった漫画。猫と人間が同じことをしゃべる世界で、性格が終わってるデブヒデヨシとその友達テンプラパンツたちの日常の話。最近久しぶりに読み返しているがヤバい、毎回最後コマで泣きそうになる。降る雪の上を歩ける靴を履いて「ほんとうに・・・粉雪は冬の散歩身だね」って……(´;ω;`)別に感動的な話ってわけでは全くないんだけれど美しくて。余韻って言葉はこの漫画のためにあるんじゃないのかってくらい、毎話余韻がすごすぎる。

ものぐさ精神分析岸田秀

無人島に一冊だけ持っていくとしたらこの本を選ぶ。40年近く前の本だが、この本はそれだけ長い間日本全国津々浦々、大都会本屋で、片田舎図書館で、おじいちゃんちの本棚で、様々な人にひっそりとけれど強烈に衝撃を与えてきた名著。「ものぐさ精神分析が本当に面白くて」みたいな話を、全く別々の3人からいたことがある。日本人について、歴史について、性について、すさまじい筆力でぐいぐいと独自理論が展開されていく気持ちよさ。今読み直してもその理論社会ピタッと当てはまってしまうような鋭さ。今後もずっと読み続ける一冊。

Permalink |記事への反応(0) | 18:34

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-10-25

anond:20231024171448

それを理屈をこねて遊んでいる、と言われればそういった側面は多分にあるかもしれません。

側面どころか前面に押し出していますよ。

増田論法で行くと増税クソメガネいじめられている岸田も弱者、訴えられているトランプ弱者国際世論というとんでもない母数から責められているプーチン弱者、70億総弱者という話になるんだが?

羊の皮をかぶろうとしてもオオカミオオカミ

今の立場を捨てて年収400万・ヒラ・中年独身KKOわくわくセットになった方がマシというやつが弱者という結論方丈記にも出ている。

Permalink |記事への反応(0) | 09:26

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-07-14

anond:20230714123704

人間本質は、平安時代からあんまり変わらないもんだよ。

枕草子しかり、方丈記しかり。

Permalink |記事への反応(1) | 12:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-06-14

anond:20230614074238

方丈記の冒頭が好き。

Permalink |記事への反応(0) | 07:49

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-05-12

anond:20230512104044

そりゃロールモデルになれるぐらい成功したら弱者じゃないからね

かつてはニートロールモデルとしてphaが担がれてたけど、本が売れたりイベント活動したりで金がありそれなりに女にモテてる現状ではもう誰もニートとは思ってないじゃん

方丈記なんか元祖弱男の生き方っぽいけど、あれは実家が超太いし

Permalink |記事への反応(0) | 10:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-03-13

高校教科書の載ってた古典文学への個人的感想

源氏物語

ロリコンマザコンイケメン主人公と聞いて、シャア大佐みたいなモテモテ人生なのかなって思ったら、歳とったら普通にモテなくなって、若いイケメン若い妻を寝取られ自分の子として育てるハメになる因果応報の話だった。

作者きっとすげーむっつり

枕草子

溢れ出すリア充臭。

語彙力があるパリピ

自己肯定感100%で全く迷いがない感じ。

紫式部と合わないのもすげーわかる。

平家物語

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。とか始まるから、虚しさが残る話かと思ったら、普通に爽快な軍記ものだった。

ノリノリで琵琶法師弾き語りしてそう。

徒然草

卑屈さと承認欲求が交互にやってくるのが人間臭くていい。くだらない噂話や伝聞に偉そうにマウントとるんだけど、そのマウントの取り方が枕草子微塵も迷いなくイケイケな感じじゃなくて、ウジウジしてる。

徒然草(兼好)「花は満開でもあえて引きこもりするのもなかなか風流

本居宣長「わけわからん負け惜しみ乙!」

って後の世のやりとりが好き。

方丈記

文章が綺麗で、よく練って書いたのだと思う。思いつくままに書き綴った感じの枕草子徒然草とは色合いが違う。

しかし、内容として面白いことがない。

偏屈ジジイ新聞への投書という感じ。

Permalink |記事への反応(0) | 09:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-11-11

anond:20221111203709

方丈記いいんじゃないかな。不朽の名作。

現代語訳を貼っておく。誰も読まないと思うけど。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000196/files/60669_74788.html

Permalink |記事への反応(0) | 23:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-03-20

ゼレンスキー演説@日本3/23は「ドラゴンボール演説」に

ゼレンスキー広報チームの役割は各国世論ウクライナ大正義モードにし、ウ国への全力支援を引き出すことである

一方ゼ広報チームの日本分析は以下のようだ。

1、日本人は日本固有のものを褒めそやかしてくれる外国人が大好き。すぐ好きになっちゃう。

2、北方領土シベリア抑留ポツダム宣言受諾後にも続けられた満州侵攻、ヒロシマナガサキ反核)、日露戦争話題が通じるのはtwitter右翼twitter左翼、つまりごく少数だけで本当のところ全年代が興味ない。

3、英国におけるチャーチル演説米国における真珠湾攻撃911のようなナラティブがもう日本にはないので戦意発揚プロパガンダネタがない

4、とはいえこれまでの各国演説どおり歴史をひくしかできない。「令和」を元に平安古典とかを持ってくる案もあったが、そんな古典に馴染んでいる日本人もやっぱりゼロ

5、平家物語とか方丈記とかは英国におけるシェイクスピアレベルでみんな知ってるぽいけど、逆にウクライナ人的にああいオリエンタル文学性はちゃん咀嚼ができないんでこっち系をネタにするのリスク高い

6、やばい、いいネタがない。このままだとスベりたおす

7、ていうかさ、冷静に考えれば日本をどうこうしたところでたいして役に立たないし、ウロ戦争において欧米は全く日本挙動に興味を持ってないし、日本演説にはチームのリソースは割かずに適当日本反戦反核意識を褒めて消化試合で済まして、やっぱ欧米向けプロパガンダがんばろ (いまここ)

ここでゼレンスキー広報チームのみなさんに朗報

ごく手軽に日本世論を完全にウクライナ一色に染めつつ(これはあん重要じゃない)、ごく手軽に欧米世論操作にも超高い効果もつ(これが重要もので、しか日本相手しか使えない大ネタがある。

日本欧米から注目されていない、つまり重要相手じゃない(そもそも欧米英米独仏以外に興味ないので日本演説することは欧米では全く報道されてない)からこそ新機軸をぶっ込んでも許される。変化球投げても許される。

それが「ドラゴンボール演説である

前半は適当普通反戦反核メッセージでいい。

締めにこれを入れればいい。

「WEUkraineneedyour ''GENKI''.

WeaskyouJAPANESE peopleall that,

NIPPON NO MINNA, ORA TACHINI TCHOTTO DAKE GENKI WO WAKETE KURE.

Let'smake "GENKI-DAMA"together.

Let'smakepeacetogether.」

これです。

でこの演説のあとに両腕を上げて見上げている元気玉ポーズのゼ大統領写真twitter他の公式アカウント投稿しましょう。

日本が全世代的にナラティブを持っていつつ海外に絶大な影響を持てているもの現実的には悲しいか漫画アニメだけで、

使いやすさ、浸透レベル、年齢層から鑑みるドラゴンボールが最強です。

snsシェア最強ネタだし、中国人にもインド人にもイスラエル人にも効きます

もちろん日本ニュースメディアワイドショーはまる一週間リピートしまくります

キャプテンウクライナミームとかはゼ広報チームも最初はノって後押ししてたけど流石に英雄崇拝アプローチ自分の首を締めかねない危ういものって自己評価更新してきたところ。

ここにきて"GENKI-DAMA"は一人の英雄ではなく連帯象徴というミーム修正になるし、両手を挙げた写真シェアするだけでウクライナ連帯表明になるっつってバエバである

広報チームにお節介ちょっとだけ言っておくと、

侵略者フリーザとか、平和を脅かす独裁者セルとか、そのあたりまで寄せてこようとしたらディティールをミスると逆に世界中OTAKUMONSTERに叩かれるので元気玉くらいでいいと思う。

切り抜きしやすサイズ大事

Video gamewar (NINTENDOwar)からSNSwar (DRAGON BALLwar) へ。

広報チームの皆さんの幸運を祈る。

Permalink |記事への反応(0) | 21:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2021-12-24

昨夜、夜中に唐突に思い立った。

方丈記』をノートに書き写したい! と。

やってみたら二十分くらいで飽きたけど、謎に満足感の高い行いだった。

Permalink |記事への反応(2) | 19:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2020-12-20

これも足しといて

日本三大随筆のうち、草が含まれないものは?

正解:方丈記

 

稲荷神社総本社と言えば?

正解:伏見稲荷大社

 

Permalink |記事への反応(0) | 12:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2018-12-06

理由は無いけど西洋文化が苦手

なんでだろう

神話読むのが好きだったんだけど、ギリシャ神話とか北欧神話は全く面白くなかった

和歌集みたいな和歌の本とか方丈記みたいな随筆とか論語とか諸子百家の本を読むのは好きだったけど聖書とかシェイクスピアを読むのは嫌いだった

Permalink |記事への反応(3) | 08:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2018-11-05

本を読むことの効果って

学生時代毎日15分読書時間があった。

図書館古事記和歌集方丈記徒然草南総里見八犬伝東海道中膝栗毛といった古典をよく読んでいた。


社会人になってから本を読まなくなった。

別に読む読まないでさほど影響しないだろうと。

読まなくなって、長文を読むのが億劫になった。

ショートショートと言われる星新一短編ですら1Pで長いなあと思う様になった。

かに説明をするのが下手になった。

口頭でも文章でも、まさに今このはてな匿名ダイアリー日記ですら言いたいことをちゃんとまとめられなくなった気がする。

言いたいことが迷子になったり、順序がめちゃくちゃで見返して意味不明になったり。


これが本を読まなくなった弊害だとしたら、本を読むのって大事なんだなあと思う。

ただ、前述の通り本を読まなくなるとまた読めるようになるのは難しそう。

社会人になってから本を読むようになった人って、どういうきっかけで読むようになったのか教えてほしいです。

参考にしたい。

Permalink |記事への反応(0) | 18:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2018-05-21

anond:20180519135420

枕草子方丈記徒然草

Permalink |記事への反応(0) | 09:36

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-07-02

https://anond.hatelabo.jp/20170702021231

方丈記鴨長明は、元々エリートだったのが不運続きで転落して、しょぼい山小屋で生きるしかなくなった自分人生を慰めるために方丈記書いてるからな。

あそこに書いてあるのは一面の真理を突いているけど、実践するには信仰がないと無理だわ。

Permalink |記事への反応(0) | 02:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

https://anond.hatelabo.jp/20161026040659

方丈記に「世を知り 事を知れれば 願はず 走らず ただ静かなるを望み 一身の憂へなきを楽しみとす」っていう言葉があった気がする(うろ覚え)。俺も世の理と物事道理を悟ったうえで増田と同じように身の丈にあった暮らしをするのが夢だ

Permalink |記事への反応(1) | 02:12

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2016-10-07

二重表現警察の方々へ

「音を聞く」は二重表現ですか? 音は聞くものだし、聞くと言えば音に決まっています

「目で見る」「映像を見る」は二重表現ですか? 「美味を味わう」は当然だめですよね。なんと言い換えますか? 「美を味わう」?

オーケストラ演奏」は二重表現ですか?「団体演奏」と言い換えればいいですか? 

音楽を奏でる」は当然だめですよね? 「川の流れ」も論外、「雲がたなびく」もだめ。

方丈記枕草子も、日本語破壊する大敵ですね!


…というわけで、皆さんが何を守っているのか私にはよくわかりません。

http://anond.hatelabo.jp/20161007133924

Permalink |記事への反応(3) | 13:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2013-08-28

あなたを救ってくれるような"魔法論理言葉"は存在するか?

人は苦しむ

そして、その解決策を探す

どこかに自分を納得させる魔法のようなセオリーがあって、それを見つけて理解する事で自分自身が救われるのだと

そして、今は自分の怠慢や能力不足のためにそれが見つけられていないから辛いのだと信じている

しかし、"本当にそのような魔法セオリー存在するのか?"という問いには答えられない

むろん、それは"カラスはすべて黒いのか?"という命題に等しく、証明困難な悪魔の証明

しかし、直感としてそれをどこまで信じられるか、主観的な視座において論拠があるように感じられるかについては別であろう

すなわち、可能性として"世界のどこにも、自分を納得させる様な魔法セオリーなど存在しない"という命題が成り立つ可能性について想定できているかという事だ

坂口安吾の「余はベンメイす」という作品を引用しよう

「 私は、たゞ一個の不安定だ。私はたゞ探してゐる。女でも、真理でも、なんでも、よろしい。御想像にお任せする。私はただ、たしかに探してゐるのだ。

 然し、真理といふもの実在しない。即ち真理は、常にたゞ探されるものです。人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。人間人間の形をした豚ですよ。真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。 私は日本伝統精神をヤッツケ、もののあはれさび幽玄の精神などを否定した。然し、私の言つてゐることは、真理でも何でもない。たゞ時代的な意味があるだけだ。ヤッツケた私は、ヤッツケた言葉のために、偽瞞を見破られ、論破される。私の否定の上に於て、再び、もののあはれは成り立つものです。ベンショウホウなどと言ふ必要はない。たゞ、あたりまへの話だ。人は死ぬ。物はこはれる。方丈記先生の仰有る通り、こはれない物はない。 もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。 私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。」

坂口安吾のこの節における真理を、"自分を納得させる魔法セオリー"として置き換えて考える事が出来る

人間はどこまでも自分を救う究極の理論や答え、真理というもの存在すると信じている

そして、それを得る事で自分は納得し、辛さや苦しみにに一定の決着がつき、心持が安らかになると信じている

しかし、その実存について(何度も繰り返すが、それが存在するかどうか)は真剣に議論されないように思う

現実的に考えれば、たか理論事実などで苦しさや辛さが綺麗さっぱり無くなるとは考えがたい

人は論理思想思念だけで生きているのではないので、理屈真実を突き付けられただけで楽にはならないのだ

事実真実が、必ずしも人を幸福にするとは限らないのと同様に

しかし、人は真理を探そうとする

そして、時にそれはある種の成功を収め、人生観世界観哲学としてその人の認知的な枠組みとして機能し始める

まり、ある一定の(その人固有の)論理構成や理屈付けの仕方が、その人自身の救いになる、指針になる

そして、それはその人自身には壊せない程度に堅牢であるだろう、思考錯誤の結果だから

しかし、やはりそれは部分的なものであって、生物的・生理社会的な制約(例えば神経伝達物質の異常や個人が変容不可能な環境の要因など)をうけるので、"すべてを救い、納得と平穏をもたらす様な魔法セオリー"足り得ない

その事に気づかなければ、人は真理を求めて彷徨う盲いた愚者に成り果ててしまうだろう

Permalink |記事への反応(0) | 23:26

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2013-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20130819224537

然し、私の言つてゐることは、真理でも何でもない

たゞ時代的な意味があるだけだ。ヤッツケた私は、ヤッツケた言葉のために、偽瞞を見破られ、論破される

私の否定の上に於て、再び、もののあはれは成り立つものです

ベンショウホウなどと言ふ必要はない。たゞ、あたりまへの話だ

人は死ぬ。物はこはれる。方丈記先生の仰有る通り、こはれない物はない

もとより、私は、こはれる

私は、たゞ、探してゐるだけ

汝、なぜ、探すか

探さずにゐられるほど、偉くないからだよ

面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです

Permalink |記事への反応(1) | 08:34

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp