
はてなキーワード:新海誠とは
ただし原典(アニメ映画)で描かれていなかった部分が要所要所で足されていたのかな?
余白を埋めたということ。
おそらく原作(小説)に近いのだと思う(未読のためわからん、小説のレビュー等から推察)。
でもそれって客から想像の余地、解釈の余地を奪うということなんだよな。
原典ではすべてが描かれてなかったからこそ、救いのない話と解釈された。だからインパクトがあった。
余白をすべて埋めてしまうと、伝わるかもしれないけど正直微妙。
これが新海誠が本当に伝えたかったお話なのだとすれば、やっぱ新海誠って物語のセンスねーよなとの結論になる。
誠的には不本意なのかもしれないけど、エッジの効いた原典の方が好きだよ、自分は。
せっかくなので、もうすこし感想を語る。
でも一本の邦画として見た時にどうなのかというと、まあね。。
新海誠のよさって、あの写実的な映像美とMV力だと思うんだけど、
実写版には当然写実的な映像美はない(なんせ「実写」なのだから)し、MV力(音楽に合わせた動的なカット割り)もない。
新海誠の原典から新海誠の強みを差し引いて、脚本上の余白を埋めて、忠実に再現した映画。
こう評するとヒドい映画のように思えるかもしれないけど、
でもゼロ年代、90年代の時代感はよく再現されていたし、78/79年生まれの人たち(氷河期世代)の生き様のリアル感もほんとにそれっぽくて、
再現力はかなりすごい。
たぶんだけど、自然めな演技をするように工夫されてた感がある。
監督の力量を感じた。
けどやっぱり思うよ。
2025年のいまこのときに、「2008年当時29歳だった人の、なんかいいとも悪いとも言えない人生の一片」を朝ドラかのごとく考証しっかりと映画にする意味って何なんだろうか、と。
というわけでこれはファンムービーなので原典視聴済みの人は見ても悪くはないと思う。
未試聴の人はこっちより原典を見たほうが絶対によい。原典見て面白いと思ったらこっち見てもいいかも。
前知識ゼロで純粋に邦画として見たら、何とも言えない気持ちになると思う。
イラストレーターの絵柄をパクって勝手に再現したり、声優の声をパクって卑猥なことを言わせたり、有名人の卑猥なフェイク動画を作ったり、
実害が出まくってるけど政府は何もしないんだろうな。
AIを使えばイラストレーターも声優も、俳優もいらなくなる。お金をかけなくて良くなるもんな。
SNSでどれだけ「やめろ」って声を上げても関係ないよな。だって日本企業様がAIを使うって言ってんだもん。
この国では奴隷労働者より、奴隷を使う企業の方が大事だから。こんなの当たり前。
有名人のエロエロフェイク動画が出回りまくったら、やっと重い腰を上げるんじゃないか?
肖像権侵害に繋がるしね。「実在の人物のAI動画を作るのは犯罪です。」なんてCMで流すんじゃない?
そもそも「これは俺の絵をパクッてる!これは私の声をパクってる!」ってどう証明するの?
まずそこをハッキリさせるのが難しすぎるし、ぶっちゃけ面倒くさい。
新しくAI法とか作らなきゃいけないくらい面倒くさいんじゃない?だったらやらないでしょ、この国は。
「あ~これって完全にジブリの絵柄パクってるなぁ~・・・まぁいいか」
こうする事によって、ジブリっぽい絵柄の広告やCMを無料で作る事ができる。
ジブリが何か言ってきても無視すればいい。だって取り締まる法も方法もないから。
「ジブリっぽいアニメをAIで勝手に作ってもいいなら、新海誠っぽいアニメを勝手に作ってもいいよね」
こうして段々とAIを広告に使う企業が増えていき、コスト削減できてウハウハ。
他の企業もマネする。そして、みんな広告をAIで作るようになる。
この国を発展させている企業様に怒られるからね。献金されなくなっちゃうもん。
そしてAIで他人様の絵柄をパクることは当たり前になっていき、
いま書いてきた事は日本がよっぽどのアホだと想定しての事だが、
本当によっぽどのアホだと想定しての事だが・・・
こうならない事を切に願っている・・・。
2000年前後に3DCGで個人制作アニメが盛り上がった時期があったんだよ。
テレ朝のD'sGarage 21とかNHKのデジスタとか個人制作アニメの投稿番組があったりPC雑誌の付録CD-ROMとかで投稿コーナーがあったりした。
そこから出てきた人も自分の作品を出し続けてるのは新海誠とか富岡聡くらいで他の人気のあった人たちはアニメスタジオに就職して一スタッフとして働いてる人ばかり。
生成AIに期待する向きもあるけど、「作品作り」に耐えるだけコントロールが効くUIが出てきても手間がかかりすぎてかつての3DCG自主制作アニメと同じ結果になると思う。
個人制作ゲームすらヒットを飛ばす昨今、個人制作アニメがそこまで市場が無いのが気になる
考えるに、公開する場とマネタイズのプラットフォームがないのがまずいのかな
そもそもアニメ自体がフリーミアムモデルだから、インディーズが伸びないみたいな
じゃあpixivみたいに無料でいいから趣味の範囲で、とするにはコストが重すぎる
・結果、プラットフォームがない
漫画レベルにコストが落とせたらワンチャンあるかなという気もするが
うーん、厳しいか
____
ミルキー☆サブウェイ見て可能性を感じたけど、やっぱあれは特級の才能が居るのか
いやもっといるか、そもそも市場が無いから見つけられてない気がする
Permalink |記事への反応(26) | 11:38
結局、Blu-rayの性能とコストに見合うコンテンツがなかった、ってことだよね。
Blu-rayで4Kで観なきゃ、って思えるのハリウッドのアクション大作や戦争モノ、新海誠作品(君の名は のUHD版で、流れ星や日差しがHDRでキラキラしてたのは感動した)ぐらいしかないじゃない。(これぞ、ってオススメあれば聞きたいわ)
あと、再生までの操作が面倒すぎる。再生時の注意やらパブリッシャのロゴやらなんやら見せられてから、ようやくもっさりとしたメニュー画面とかもうね...。こっちは途中までみた続き再生したいだけなのにさ。HDD/SSDでキャッシュできればもっと改善できるだろうけど、権利者が許さないわけでしょ?
挙句、オンデマンドの申し子みたいなNetflixやアマプラと勝負して勝てるわけないよね。で、配信が終わった旧作は急速に忘れ去られる時代、ってか。
※ネタバレを含む
もう語り尽くされている話だとは思うが、秒速5センチメートル、それを異常に好きな信者に非常に腹を立てている。
数年前に観た当初から違和感や不快感はあったものの、ここ一週間くらいで急に思い出して腹を立て続けている。もうなぜか考え出すと止まらないのだ。なぜ今なのか。やめてほしい。増田で供養して平穏を取り戻したい。腹を立てていることが前提にあるので、ものすごく主観的な解釈である。元々この映画は雰囲気で成り立っているからなんでもありなのである。
この映画はまず、秒速5センチメートルというのは桜の花の落ちるスピードのことだというやり取りから始まる。桜の花の落ちるスピード、と美しく表現しているが、この時点でもう、秒速5センチメートルというのは「あの頃の美しい恋の思い出でシコるスピード」のことだ、と言っておけばこの映画は5分もかからずに完結する。5秒かもしれない。これで全てを語ることが出来る。
だが新海誠はこれをせずに感傷シコりストーリーを始めだしてしまう。これから「シコる」という表現が頻出するが、本当はシコらない方が重度である。この映画が異常に好きな信者は、美しい恋の思い出に対する感情がデカすぎるのである。つまり、神格化しすぎてシコれないほどかなりの重度で、その場合はシコることを強くおすすめしたい。その思い出への感情は美しいものなどではなくただの感傷シコり性癖なのだと自覚を持つことから挽回できるかもしれない。挽回したくないのならお前は終わりです。
あらすじでは、主人公は好きな女と遠距離になってからというものの、ひたすら周りの女に対してインポであり、ひたすら感傷シコりモンスターだ。周りの女に無関心になっているということは性欲の対象があの頃の思い出の女に全振りなのだ。実際にあの頃の思い出シコりはしているかもしれないし、重度すぎてしていないのかもしれない。ただ精神的には自覚なしでもシコりまくっているというのは確実である。しかもここで恐怖を感じるのは、女に連絡できるのにしないのである。
その後主人公が社会人になり彼女ができるも、「ずっと私を見ていない」という理由で振られてしまう。それでも特に主人公はなにも感じていないようである。社会人になってもなお感傷シコり病が完治しておらず、生活に影響が出るまでに悪化しているというのは、それこそ新海誠の境地である。似たような作品を量産するほどに感極まっているのだ。
ラストでは、あの頃の思い出の女と踏切の前でたまたま再会するも、走る電車で長い時間お互いが見えなくなり、電車が過ぎ去った後にはもう女の姿はなく、主人公がどこか晴れやかな表情をする。
女の姿がなぜなくなったのかは諸説あるだろうがどうでもよく、それによって主人公が晴れやかな表情をするのはなぜか。要は主人公は過去の美しい思い出でしかシコれないのであり、その現在の思い出の女などには興味がないのだとやっと自覚したのである。終わりである。始まりでもあるかもしれない。晴れやかな表情から考えると、自覚はしてもなお美しい思い出なのである。この人は大丈夫なんだろうかという印象で映画が終わり、もやもやが残る一方で、なぜか信者は号泣するらしい。お前らはなんなんだ。
このような過去の恋の思い出を美しいほどに神格化するストーリーに共感する、というのが全く理解できない。だから腹が立つのである。感傷でシコることは心の健康に関わる。目の前を見てくれ。過去の失敗した恋を引きずるのをやめろ。あなたがたは動くことはしない、だからこそ共感する。感傷に浸るくらいなら行動に移してほしい。そのほうが健全である。
https://special.dmm.co.jp/fanza/feed/news/fanza-report-2024-doujin
https://www.dlsite.com/modpub/lp/maniax/dlsite-nation-survey-result/
NTRだとかBSSだとかというジャンルは、冷静に考えてみるとかなり不思議なR18コンテンツのジャンルだ。自分がその立場に立つとどう考えても辛い。
どう考えても辛いのにめっちゃ人気なのは、R18というものを考えると不思議だ。R18コンテンツは要するに抜くためのもので、ストレートに性的に興奮できるかどうかが最も大事だ。なのに深いコンテクストでしかも主人公の立場に立ってみるとこれ以上にないバッドエンドだ。
と考えてみて、これらのジャンルに目を通してなんとなく自分の中でエビデンスレスだがなんか納得できる説明が得られたのでチラシの裏として書き留めておく。
このジャンルは2つの属性の人間をターゲットに捉えていると思う。
1.自分のモノが強いものに奪われる、何もできない自分という構造が好きなある種類のマゾヒスト
3.コンテンツ消費する際に主人公に感情移入する以外の消費方法を持っている
1はシンプルだ。おそらくNTRが好きな人の人物像としてぱっと思い浮かぶ人物像だろう。多くの人にとって「理解はできないが、まぁそういう人もいるよね」みたいな感覚。意外にそういう人めっちゃ多いな、なんか不思議だ、という感想になるだろう。
2は感傷マゾという複雑なコンプレックス(頭痛が痛い、かわいい美少女的表現)を持つ人の
感傷マゾという言葉はhttps://note.com/kansyo_maso/n/n365a0a449a89 を参照
2019以前からこの概念は囁かれていた気がするが、概ねこのブログが(すでに死語になりつつある気がするが)現在流通している感傷マゾの定義だろう。
僕の理解だと、感傷マゾは概ね新海誠が好きだが、君の名は。だけははっきりと拒絶しているイメージがある。大体これだけでどういう種類の人種かはわかるんじゃないだろうか。
失った青春に対する幻想と奪われる好きな人(あるいは付き合っているパートナー)という想像は、彼らに解像度の高いストーリーを提供できる。
3は、要はストーリーを見るときに主人公も登場人物の一人として処理し、自分の目は神の目的なポジションを保つ人間。
この手の人間は別に自分の体験としてNTRやBSSを需要していない。シンプルに女性が間男、あるいはいきなり登場した積極的に女性に迫る軽薄な男に、ある過程を経て徐々に身体的に、あるいは心理的に絆され落ちていく過程にエロティシズムを感じているのだろう。
あるいは、自由に登場人物の目線を移動させて間男目線に立って「寝取っている感」を味わっている。
僕はこの3番の人間が多いのではないかと考えている。僕自身、調べてコンテンツを消費していく中で、普通にハマったんだけれど、おそらく3番の人間だからだろうと考えている。別の人間を考えてちょっと抵抗していたり、何かしら高値の花として機能している属性が、身体的に、あるいは心理的にほぐれていく過程が良いのだろうなと思った。
だから、DLsiteのような賛否両論が強くなるんじゃないかなと。
主人公に心情移入する人は特殊な性癖じゃないと消費に至らないどころか理解できない。一方でどの視点で見るか自由な人間はシンプルにコンテンツの美味しいところだけを吸って消費できる
特殊な性癖向けに、例えば女性の属性が強くなったり、ストーリーが少し重たくなるという先鋭化をしていくと、3番の人間は視点が自由なのでより効率的に語られるNTRに対する衝撃の強さをそのままエロさに還元できてしまうので、コンテンツとして魅力が増す。
多くの人がNTR好きな人の勘違いに対して、別の人がちゃんと利益を得ている擬似相関のような関係できっとジャンルとして多くの人に受容され、売れるからこそコンテンツが増え、よりコンテンツが成長しているのではないだろう。
この手の構造分析をしている人はいっぱいいるだろうし、僕の意見が間違っている可能性もかなり高いが、僕の中でこの論は納得がいった。そして僕はまたFANZAでコンテンツをポチるのだった。
君の名は。って秒速5センチメートルの続編だったんだな
というか第4話「君の名は。」って感じ
秒速5センチメートルも君の名は。も距離と男女をテーマにした物語だった
第3話「秒速5センチメートル」は1話2話の要素を合わせ込んだエピローグ
それぞれの次元で距離が離れてしまった男女の物語を新海誠は描いていたんだな
なかなか面白いと思った
考えてみたら天気の子もすずめの戸締まりも離れ離れになる男女の物語だし全部一緒だな
ただ、物理(空間)・精神・時間という対になる概念で実験してる感じが天気の子とかとは違う感じがするな
まぁ天気の子とすずめの戸締まりも言ってしまえば天と地で対になってるか
実写版もこの勢いで観ようかな
・庵野秀明
やっぱ今回の結果を受けて大ボスに登場願いたいだろ流石に
ロボットアニメに関しては実績もあるしな
・新房昭之
おしゃれ演出とシュールな展開、あとバトルシーン演出にも定評がある
日本の深夜テレビアニメでこいつ外して誰入れるねんって感じもする
・新海誠
デビュー作がロボットアニメだったこと知らん奴おる?いねぇよなぁ!?
・押井守
・幾原邦彦
やれる、やれるんだ、押井と庵野ラインナップするんだったら入れてても問題ないはず
・長井龍雪
オルフェンスは岡田が悪かったんだって、なぁ、もう一回やってみないか?
・河森正治
流石にこのラインになってくると意外とっていうかガチになっちゃうので除外で
エントリー求む
オブリビオンとは「The Elder Scrolls IV: Oblivion」のことを指して言ってるんだが、このゲーム当時まともにやってた日本人って意外と少数なんじゃないか?
次回作のスカイリムは洋ゲーやる人なら知らない人はいないくらいのメジャータイトルだし国内プレイ人口もそれなりだと思うんだけど、オブリビオンが出た年は2006年?20年近くも前で発売当時は簡単に買えるもんじゃなかった気がする。
俺は何処でオブリを知ったのか今はもう覚えてないけど、日本語版は無く輸入版を手に入れようと思ったら秋葉原くらいしかなさそうという事で高校生時分にわざわざ関西から北米版を探しに行ったくらいだ。
スマホもなくSteamのようにゲームをダウンロードして遊ぶ時代でもなく、動画投稿サイトもまだまだ駆け出しの頃でニコニコもサービス開始前?あるいは黎明期の時代なのでオブリビオンは日本じゃマイナータイトルだったかも。
後々お買い求めやすくなったのかな?買った後のことは知らん。
で、ここからが本題なんだがこのオブリビオンってゲームは、俺の解釈では
だと思ってるのね。で、2021年公開の新海誠監督の映画「すずめの戸締り」を俺は見てないんだが、そのあらすじというのが
1人の少女が、ある時山の中で不思議な扉に遭遇する。その矢先、日本中で扉が出現し始め、その扉が開くことでさまざまな災いが次々と起こっていく。そこで、少女は各地の扉を閉める旅へ出発する。(google検索すると出てくる公式サイトからの引用を引用)
すずめの戸締りの宣伝見てまず思ったのが「これ完全にオブリビオンだよね?」だったんだけど、そのツッコミをしている人がほどんど居ない。
ネットでいくら検索しても出てこない。かろうじてまとめ系ブログのコメントで1件だけ見つけることが出来る程度。
実際の内容は全然違うのかもしれんけど、それにしたって指摘がほぼ無いのはやっぱりオブリビオンが弩マイナーなんだろうなと。
そもそもオブリビオンを知らないならこれ言ってもだれも共感できないなぁというモヤモヤがあったが、オブリがリマスターされるという話題に託けてこのモヤモヤを今ここで供養できたので良しとします。
気になる人はリマスター買え!いつ発売するのかと思ったら即日発売かよ!もう買えるのかよ!
批判する側も擁護する側もどちらでもない側も、誰も言及していない点がある。
仕草とか動きとか関係なく、純粋に顔の造形としての意味である。
CMなのだから、容姿のいいキャラを出すのは当たり前ではないか、と思うかもしれない。
しかし、いままで漫画やアニメで見てきたような「若い美人」とは何か違う。
うまく言葉では言い表せないような異質感をあの赤いきつねの女性には感じるのだ。
萌えアニメでもない、新海誠的な作品の女性でもない、ジブリ系に出てくる女性でもない、本当に前例がない。
今後、あの赤いきつねのCMは「新しい女性像を確立させたという意味で革新的なイノベーションだった」と言われるかもしれない。