
はてなキーワード:新年の挨拶とは
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
職場と文化:大阪と京都の職場文化の違いや、音楽・ラジオが職場環境に与える影響について議論。大阪では「オチ」を求められる文化があることが共有された。
吉原の話題:吉原の文化と現代の状況、鬼滅の刃の影響について言及。
食文化とポイント制度: 鴫や鴨の食べ方の議論、肉の準備に関する話題が共有された。中本のポイント制度やスカジャンの話題も。
娯楽とワイン:ガクトに関する象徴的な議論や娯楽における真実性の必要性が話された。
年賀状と正月:年賀状文化の減少について考察。ゴルフを始める宣言や、正月休みの過ごし方について共有。
青学とラーメン:箱根駅伝での青学の活躍を称賛。ラーメン屋の厳しさについて議論。
寿司と抱負:寿司を楽しみながら新年の抱負を共有。花火の話題も。
音楽とサブカル:サブカルチャーとハイカルチャーの並列化について議論。音楽や湿度管理に関する生活知恵を共有。
映画と猫:映画「ルックバック」「オッペンハイマー」への感想。猫の話題で締めくくり。
初詣と近鉄特急:初詣の社会的意義や近鉄特急の快適さについての意見交換。
紅白と年越し:紅白歌合戦や年越しそばに関する話題。B'zのパフォーマンスへの期待。
能楽とAI:能楽や音楽の話題を中心に、AIアートや自由な解釈についての意見交換。
紅白と花火:高見沢のギターや米津玄師のパフォーマンスに注目。年越しの花火や新年の挨拶が盛り上がる。
マーメイド像とナゲット:過去の旅行の感想や冬限定アイス、義実家でのエピソードが共有された。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
藤原明衡の『雲州消息(明衡往来)』に年賀の手紙の例文が記載される
玄関に「名刺受け」を設置し、不在時に年賀の挨拶を書いた名刺を入れる文化が生まれる
1873年:官製はがきが発行され、年賀状の利用が徐々に広まる
1887年頃:年賀状を出すことが国民の間で年中行事として定着
1906年:「年賀特別郵便規制」が公布され、年賀状文化が法的に確立
1949年:お年玉付き年賀はがき(くじ付き年賀はがき)が初めて発行される
1982年:寄付金付き年賀はがきの裏面に絵や賀詞が印刷されるようになる
2003年:年賀はがきの発行枚数が過去最高の44億5936万枚を記録
100歳まで生きると言っていた祖父が85歳で亡くなった。
本当に突然のことだった。前日には親戚の集いがあり、祖父も参加していた。もちろん自分も参加した。お酒を飲んで親族と楽しそうに話して、「来年もまたみんなで集まれますように!」と言っていたのにその次の日に亡くなってしまった。
その日は祖母が外出の予定があった。昼過ぎに家を出て、夕方ごろに帰ってきた時には祖父が倒れていて体が冷たかったそう。祖母は倒れていた祖父を見つけて救急車を呼んでくれたけれど、心臓が止まってしまっていて、病院に着いた頃にはダメだと言われた。祖母はショックからか、いつも溌剌としているのに全く元気がなく会っても一言も言葉を発することがなく、そんな祖母を見て心が痛くなった。辛かった。
祖父は私のことを自慢の孫だと何度も何度も褒めてくれた。小学生の時に塾のテストが良かったときも、中高生の時に大会出場してくれた時も、就活で内定をもらえた時も。内定をもらえた時、絶対に祖父母に連絡をしていた。「内定貰えたよ!」と送ると、必ず「さすが!自慢の孫だ!」と返してきてくれた。まだ就活は続くのに、もう内定をもらっても祖父の褒め言葉は聞くことができない。
夏には避暑地にある祖父が所有している別荘へ1ヶ月ほど泊まって過ごすのが毎年恒例になっていた。80を過ぎて免許も返納し、スーパーへ行く足が無くなってしまい困っていたので、免許を取ってスーパーへ連れて行った。一度だけ。来年こそは高速運転もマスターして、ゴールデンウィークに一緒に行く予定だった。「ゴールデンウィークまでに就活終わって行けたらいいね」とよくLINEしてくれていたのに、叶わなくなってしまった。もう、祖父と共に別荘で過ごすこともできない。朝の散歩コースを一緒に歩くこともできない。一緒に選んで買った、最近新しくしたパソコンやスマホだって、もう使う事はない。
祖父は本当にパワフルな人間で、毎朝5時に起きてはラジオ体操をして、毎日一万歩も散歩をしていた。本人は100歳まで生きるつもりだったので、私が20歳の誕生日の時には「〇〇ちゃんに美味しいものを食べさせられるのはあと16年しかないな!」と言っていたのに。本当に元気な人間だったので、親戚みんなが100歳近くまで生きると思っていたし、100歳は無理でも、90歳までは生きると思っていた。本気で思っていた。なのに、こんなにあっけなく天国へ行ってしまった。1番最初の孫で、誰よりも可愛がられてきた自覚があるので、余計に辛かった。でも、60年近くずっと一緒に暮らしていた祖母はもっともっと辛いだろうし、母もずっと泣いているので自分だけ辛くなって泣いてちゃいけないと思いながらも、これを書いて涙を流している。
全てを投げ出して祖父と母を支えてあげたいものだけれど、残酷なことに時間というのは変化なく進んでいく。今日もやらなくてはならないことがあるし明日も明後日もある。祖父に「その企業から内定貰えたのか!すごいな!さすが自慢の孫だ!」と言ってもらえるように明日からの就活を頑張るのがとりあえずの目標である。気合を入れて、なんとか乗り越えていきたい。
明日には海外に住んでいる従姉妹も帰国して駆けつけてくれるらしい。元気な人だったので、最期は病気で苦しむことなく亡くなるだろうと思っていたけれど、その日がこんなに早くくるとは思わず、ふと思い出すと涙が止まらなくなる。最後の最後に親族にたくさん会え、大好きな孫の顔を見れたのはよかったのではないかと思いたい。今日のことを忘れたくないためにここに書き記した。祖父がくれた偉大な愛を、忘れずに生きていく。
※追加(2024.12.25 ※修正 2024.12.27)
祖父に会いに行った。今にも起きて「おう!」と声かけてきそうで、もう生きていないなんて信じられなかった。苦しんでいる表情でもないから、本当にピンピンコロリしたんだと思う。
祖父のスマホを見たところ、親戚のグループLINEに送るためにクリスマスのGIFをたくさん保存していたらしい。本当にかわいい祖父だった。毎回新年の挨拶や誰かの誕生日には1番に祝ってくれて、いろんなGIFを保存して送ってくれていた。それももう、見ることができない。先日第一希望の面接が通過して、それを母に報告したら「祖父にもLINEしといてね!」と言われたけど、返事が返ってこないのがしんどくて送ることができなかった。もう少し心の余裕を取り戻すのに時間がかかりそうである。
いろんな人が会いにきてくれて、たくさんの人がお葬式に参列してくれるらしい。本当に人格者で誰にでも明るい人だったんだなあと思った。祖父は亡くなったら連絡する人リストを作っていたらしく、あまりの丁寧さに感嘆した。さすがの祖父である。祖母もなんとか元気にやってそうで安心した。お葬式までまた何回か会いに行く。
Permalink |記事への反応(12) | 00:36
なんとか体調を取り戻し、都のガイドライン的に外出できるようになったので出社し新年の挨拶と年末の納めを任せて申し訳ないと挨拶回りをした。
身内にも新年の挨拶をした。
年末年始が対人コストが0になり、体調も悪く寝込んでいた時期から一気に対人コストが跳ね上がり、体裁を取り繕って話をすることに普段以上に疲れてしまった。
しかし、お金は必要なので明日以降も出社し、人間として生きていく、その途方もない現実に直面して疲れてしまった。
皆不定形のナニカなはずで、人間という生物に擬態して生きていて疲れないのだろうか。
それは衣服の上からであっても十分視認ができるほどで、丘陵に見えたそれは今や勾配のある膨らみを抱いていた。
彼女の姿は、年を跨ぐ前とは確実に異なっている。
彼女を目にした者は一瞬、誰もが凍りついたように見えた。
私も思わず彼女のことをじっと見入ってしまっていた。だがそれは幾ばくかの厭らしい思いもなく、それは何処からか入り込んだ猫を目にして「かわいい」と思うより「どうしてここに!?」と思って見つめることに近かった。
その後、何事もなかったかのように業務は始まり、別段変わったこともなかった。
お昼近くとなり自動販売機の前で休憩していると「またコーヒーですか?」と声をかけられた。
振り替えるとBさんが立っていた。
それから三が日はどのように過ごしたか等の他愛もない話を交わし、私は彼女を見た。
彼女も私の方に顔を向け、思いがけず目が合った。
相手の目を見つめて話すのが苦手な性分故、私は相手と正面から話すときには胸元、というよりは鎖骨辺りを見ながら話すようにしていた。しかし鎖骨を見つめるのであっても、それが胸を見つめているように思われるのは嫌なのでこのときばかりは視線を僅か横に逸らした。
「…今日は見ないんですね」
彼女はか細い声でそう言った。
えっ?と私は困惑し、彼女の顔を見ると嬉しいような悲しいような表現をしていた。
「去年はあまり行けなかったので、今年は一緒に、たくさん飲みに行きましょうよ」と彼女は笑って言った。
「お、おう」
私はしどろもどろに答え、彼女は微笑んだまま翻すと私の前から離れて行った。
彼女、Bさんとは年齢が十五も離れているので恋慕的なものではないと思うのだけど…異性との関係に乏しい私はどう対応すれば良かったのだろうか。
1月4日の記者会見ではなにかネタがなければコラボに言及しないといけない。
東京都・小池知事 チルドレンファースト社会のため 子供に月5千円給付明らかに
https://news.yahoo.co.jp/articles/2fd3bbac0715f51fe3085f977b014a9b87ce8127
それでコラボ、ぱっぷす、若草プロジェクト、BONDプロジェクトに税金を横流ししている東京都は焦った。
東京都の小池知事は少子化問題への取り組みとして、0歳から18歳の子どもに月5000円程度の給付を行うことを明らかにしました。
東京都・小池知事 チルドレンファースト社会のため 子供に月5千円給付明らかに
「チルドレンファーストの社会の実現に向けてさらなる取り組みを進めています」
「現状はもはや一刻の猶予も許されない。だからこそ都が先駆けて具体的な対策を充実させていかなければなりません」
東京都の小池知事は職員への新年の挨拶の中で、「望む人誰もが子どもを産み育てることができる」社会を目指すとして、都内の0歳から18歳の子どもに月5000円程度の給付をする考えを示しました
正直言って5000円程度はほぼ意味がない。しかも給付をする「考え」であって具体性はない。
これは本来のマスコミの記者ならこういうんですよ。「これってコラボに言及しないための目くらましですよね」
それができないんだからマスコミの記者は意味がない。そして男女同数とかやっているからこうなった以上、それは間違っている。
したがってメディアに女性はいらないし、知事は男性の方がいい。
ほんらいはこの女は責任は丸投げ成果だけ横取りするという女性政治家というくだらない女がよくやる典型的な無能な政治家でしかない。
だが、今回の場合、コラボも日本財団がらみなので、簡単に責任を投げられない。
少子化対策ならまずこの税金チューチュースキームに携わった人間を一人残らず刑事告発するのが筋。そして1円残らず回収する。
この女のファーストはしょせん自分でしかない。子供も産まない。育てたこともない癖になにが少子化対策なんだ。事情はあるかもしれないが、少なくとも今までそんなこと言っていなかった。太陽光パネルをつけろとかそういう家が作りづらくなるようなことしか言っていない。それでどの口で少子化対策といっているのだろうか。
いくら税金チューチュースキームでおいしい思いをしている東京都の福祉関係の職員もさすがにこんなバカな政策は思いつかないだろう。
なお、厚生労働省の有識者会議とかに行っているということは、福祉と何の関係もないことをやって給料がもらえるのだからおいしい思い以外の何物でもないでしょう。職員は反省しろ。
なので小池百合子が適当に言っているだけということになる。保身だけで地位と金だけはほしい。都民がどうなってもいい。自分だけがファースト。本当にどこまで性根が腐りきっているのだろう。
しかもこんなバカげたことを言う理由はコラボを言いたくなかったから。下手に丸投げしたら首が飛ぶから。それだけ。
サンスポは暇空に取材もせず書いて間違っているし、東京新聞はあからさまに嘘っぽいし。
当然マスコミも乗っている。本当に腐りきっている。
東京都の記者クラブは解体したほうがいいだろう。なんら意味がない。取材しない連中に税金を使うのは無駄。あんな腐った連中に場所を貸すな。
おちょこ一口だけお酒を飲んで新年の挨拶をするという習慣があったのね。
とくに珍しいお酒とかではなくて
すごくおいしかったの。
ところが月日が流れてある日、お酒を買って来なくて行けない時があったのです。
私は、あのお酒は随分と美味しいものだからあれでいいだろうと買って帰ったのです。
うーーーーん、全然おいしくはない。
なんだこれ?全然味が違うのです。
間違った銘柄を買ったのか?
会社が潰れてから随分と日にちが経っていたのでコストダウンとかで中身が別物になったのか?
それからまた月日が流れて当時の上司とご飯を食べに行く機会があり真相がわかりました。
みんなに振る舞っていたものだったそうです。
えらく長くなりましたが、何が言いたいかというと
お昼休みに見返したら、たくさん反応頂いて嬉しい!
いくつか返信を。
けど、案外喋る人が少なくて自分が進行せざるを得なくてどっと疲れましたw
飲み会でもミーティングでも、オンラインだと進行役と聞き役ではっきり別れちゃうのかな?
友達とのZoom飲み会はそんなことないから、仕事の関係だとなりやすいのかなと。
>いい歳こい甘ったれた事言うんじゃねえよ
気に障ったらごめんなさい。
環境が嫌で文句言ってるのではなく、プロに求められる水準のパフォーマンスが出せないことに問題を感じて、自問自答するために書いた次第。
発破かけてくれる人なんていないから、久しぶりに緊張感を得られました。ありがとう。
>接触せざるを得ない、リスクに晒されてる低賃金の現業から見ると羨ましい悩み。 いい会社に勤められてよかったな。
大変な状況のなか命がけでお仕事されているみなさん、コロナに限らず風邪やインフルにもお気をつけて。どうぞご自愛ください。
>ディレクターなら嫌な人は無理強いせずともミーティング顔出しにしようと提案しても良いんじゃ?
既に人間関係出来上がってるところに、顔出ししたがるオバハン現れても引かれない?っていままで躊躇してました。
退職する人の最後の挨拶でも顔出ししないんですよね。オフィシャルじゃないところで別途やってるかもしれないけど。社風はそんな感じです。
>新年なんだしたまにはビデオつないで顔が見たいと言うくらいは言ってみてもいいのではないだろうか。
このアドバイス早速拝借しまして、強制じゃないんで、と前置きしてカメラつないで新年の挨拶したら、「じゃぁ自分も」とカメラ繋げてくれる人がちらほら。ありがたい。
>矢文バンバン撃って的確に指示だけ出していくタイプと、兵糧背負って戦線を奔走するタイプとでは後者の方が現環境下では圧倒的に不利よな。
仰るとおりで自分の仕事の進め方と現状は相性が悪いと実感しました。
ウェブ業界はコロナ禍後もリモート継続する会社が多いと思うので、矢文のスキル上げて方向転換しても損は無いのかな。
>くしゃみはしないのか……
同僚たちもリモートだから、私の噂話なんてしないんじゃないかな、と思って。省略しちゃった。気付いてくれてありがとう。
=========
元々はデザイナーだったが、ある日会社からジョブチェンジの打診を受け、給与の高さに目がくらんで了承した。
手を動かして制作するのも好きだったが、プロジェクトで関わる人達のために、あれこれ忙しくするのは性に合っていた。単純だが、「ありがとう」と感謝されることがモチベーションになっていた。
そんな性分なので、会社から与えられた「ディレクター」という肩書に気が引けている。何かを推進するというよりは縁の下の力持ちなキャラでやってきた。ただのおせっかいおばさんだ。
昨年の10月に転職し、モチベーションに頼って働いてきたことを激しく後悔した。
現職ではフルリモートで稼働している。
上司もデザイナーも開発も総務もクライアントも、みーんなリモートで働いている。
だもんで、入社時の受け入れ以外で会社の人に対面したことがない。
面識もなく、コミュニケーション手段はチャットか音声でのミーティング。現職ではミーティング時にカメラを繋がない風習らしい。
誰とも直接顔を合わせない状況なためか「この人のために頑張ろう」と思えない。どうしてもモチベーションが上がらない…。
転職して2ヶ月、仕事の進みは遅いし、質も悪いと自覚するほど影響を受けている。
責任感を強く持つ。今までと変わらず対人の仕事であると想像力を強く持つ。モチベーションではなく習慣化で仕事をこなす。
解決策はわかっちゃいるけど、具体的に何したらいいかわからん。
こんな時に言うもんじゃないけど、緊急事態宣言がまた出そうでがっかりした。
宣言するなって意味じゃなくて、また在宅勤務が伸びるじゃん、振り出し(去年の春頃)に戻ってるどころか状況は酷くなってるじゃんか。
いつになったら同僚やクライアントと仕事してるって実感持てるようになるんだ。
自分とは比にならないくらい深刻な状況の人が沢山いるのも知ってる。不安でない人なんていないだろう。
そんな人たちを助けられる訳でもない場所で、自分の悩みがが浅く申し訳なくなる。
そんな新年早々の呟き。
今だに紙の年賀状を出しているが、もはや親しい相手に出しているというより真面目に返事をくれる人に出している状態になっている。
気がつけば20年以上前の元同僚とか、大学を卒業してから一度も会っていない元クラスメイトとか、リアルで全然会っていない人が多い。昔は職場で住所録が配られたので、同僚とかに出せたのだが、今は緊急連絡網などでお互いの携帯番号を知るのみとなっている。義理で出したくもない上司に年賀状を出したりしなくて良いのはいいんだけど、人事異動とともに切れてしまうつながりが多すぎて、過去の知り合いだけに出している状態になっている。
中には私がしつこく毎年出すから仕方なく印刷したままで手書きメッセージなしの賀状を寄越す人もいる。そういう人は無理に出してくれなくても良いのだが、全然年賀状が来ないのも寂しいのでそのままになっている。私は家庭持ちの人が子どもと一緒の写真入りの年賀状を送って来るのがわりと好きで、「〇〇さんの家の子どもはこんなに大きくなったんだなぁ…」といつも感心する。自分に子どもがいないので、子どもがいる人と歳月の認識がかなりずれているんだろうとは思う。
リアルで会う機会の多い人は何かしらSNSでつながっていることが多いので、そこに新年の挨拶を投稿して、お互いに「イイネ!」を押して新春の挨拶に替えてしまう方が早い。そこでも義理で「イイネ!」を押してくれる人や、私が「イイネ!」を押したからお返ししてくれる人が多い気はするが、年賀状に比べると手間も金もあまりかからないのでその点は良いと思う。
…ということで私の何となくそれなりに友だちがいそうな環境は几帳面に年賀状を送ってくれる人と何となくSNSで「イイネ!」を押してくれる人々に支えられている。特段の理由もなく、サシで「会おうよ」とか「遊びに行こうよ」と誘える人は全然思いつかないのは私の不徳の致すところなんだろうか。
年賀状は今「半強制的」「上司には絶対に送らないといけない」みたいな苦痛な人には苦痛な文化だ。
年賀状に毎年家族写真を載せたり、ペットの写真を載せたりして楽しんでいる人達もいるし、企業にとってはDMの役割も果たす
年賀状は閉じた文化になってやりたい人達だけでやる狭い文化になってほしい
こんなことを書いておいて私自身はもう年賀状やめてしまった関係ない人間なんだが
私は年賀状を楽しんで書いてた時期もあったけど、年賀状って本当に書かないといけないもの?別に親しくもない人達にも年賀状書いて出して…なんか無駄だし楽しくないって思えた
年賀状を書くことで果たせる礼儀もなんだか偽の礼、中身がないって感じ(親しくもない会う予定もない相手に会いたいねとか書く薄っぺらいやり取りが)
年賀状で家族自慢してる人もいるけどこれだけSNS発達してるんだからインスタとかで写真のせて自慢すればいいじゃん。わざわざ年賀状に書かなくても
新年の挨拶なんかSNSでじゅうぶんだろ。ってか家族以外の人間のあけおめの連絡なんかいらんね。
私は最近ポストカードにメッセージを書いて送ることにはまってるんだけど
ポストカードの世界にのめり込んだらますます年賀状のつまらなさを実感。馬鹿馬鹿しく感じた
年賀状って書くことも使える画像もだいたい決まってて「型」がある。
年賀状って年賀状の型にはまったことしか書けないつまらないもんなんだよ。
その点、ポストカードやはがき箋は良い。絵柄も書ける文章も自由度が高い。書いてて楽しい。
私達のような人間が買いたくなるポストカードやはがき箋を売ってほしい
郵便局で売ってる暑中見舞
ロフトとか東急ハンズくらいはがき箋、ポストカードの品揃え充実させてほしいな
始動が始まったという何よりも二重表現をしたくなるほどな西暦の2020は、
でも今日の今日は新年の挨拶回りで忙しい人も多いかも知れないわね。
私は依然として休み期間中はパーフェクトレッドヒトシ君を取れそうなほど、
これはいわゆるヒマすぎてでも行くところも特になくヒマを持て余した結果でありそれが目的ではないのよ。
分かって欲しいわ。
今年なら2020ってかたちのフレームで、
儚くもあり美しくもありハッピーニューイヤーでもあるのよね。
それはさておき、
私は年賀状を書いたは書いたんだけど、
事務所の人たちへ出したところよ。
本人より遅れてやって来るという、
お友だちにはなんとか松の内に出したいという、
さきに日程でもと思って先にメールしちゃったりなんかして、
お返事まだ書いてませんが日程だけは先に伝えて都合つけましょう!って
もうさ
年明けでもいいんじゃないかしら?って思うの、
あれはどう見てもみんなへの
年賀状を書く松の内チャレンジを促してんじゃないかしら?って思うわ。
今年は今年中に年賀状を書いて送りたいところよね。
そうこうしている間にPS4のスーパープライスダウンキャンペーンは終わっちゃったのかしら?
結局買いそびれちゃったところが私らしいな!ってテヘペロよ。
今年はエアコンという
人類の叡智を結晶したエアーコンディショナーを駆使することに対して
誰も反対しなかったから、
嬉しい誤算なことに、
灯油代よりも電気代の方が安いと言うミラクルひかるさんもビックリするようなミラクルな現象で
いままでせっせと灯油を買いにいってたのはなんだったのかしら?って思っちゃったわ。
あのうとうとしながら眺めている、
もうAmazonプライムビデオの暖炉チャンネルをずっとつけっぱなしにしていたいところよ。
なんだかそれを見ていると温かくなってくるのよ。
マッチ売りの少女の如く、
ゴーンさんの逃亡劇がNetflixで配信されるらしくゴーン後が楽しみね!
うふふ。
仕方なくおにぎり買っておいたんだけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
はぁ。
「正月から稼ぐねぇ、今日出るとちょっとは(時給が)いいんか」
と聞かれたので、
「いつも通りです」
と応えたら愕然とされた。
「……そんなら、おらぁ休む方がいいな」
ですよねー。
休日手当てとかはないけど、「暇だから帰って」とか「明日はどーせ暇だから休んでいいよ」とかいう事がないので、まあやっている。子供がいても雇ってくれるんだし。
と、常連のお客様。この方はイケメン正社員氏の事が大好き過ぎる。イケメン正社員氏は学生時代からこの店で働いているので、常連のお客様にとっては孫みたいなものなのかもしれない。
と答えたら嬉しそうに「そうかい」と仰ったので、今夜か明日の朝にイケメン正社員に会いにまたいらっしゃるのだろう。
対象商品を二点買うともらえるクリアファイルが欲しいというお客様とそのお母様がご来店。対象商品ABCのうちのBが売り切れだった事に腹を立ててクレームをしてきた。
「このファイルが欲しいのに、これが無いんですよ!Aしか買えないで(Cは買う気無いらしい)、じゃあどうやってファイルをもらったらいいんですかっ」
いや、Aを2個買えばいいじゃん、すぐ腐るもんでもないし。お前の推しへの愛は偽物か。あと、いい年して母ちゃんに言わすな。
と思ったけど、そんなの言える訳がない。
お客様(というよりそのお母様)はしばらく相棒相手に粘っていたが、結局AとCを買ってファイルをゲットしていかれた。
私も若干オタクなので、自分の推しのクリアファイル企画があるとちょっと気になるんだけど、この店で働き初めてから、世間の人達はオタクが思うほどクリアファイルに興味がないんだなという事が、しみじみわかった。
TwitterのTLには、初日にコンビニに行ったけどクリアファイルゲット出来なかった~という悲しみの声がしばしば流れてるけれど、当店だとそんな事は全然ない。クリアファイルなんかいつまでも在庫が捌けないで、売り場の片隅で埃被る運命なのが普通だ。
時々、ファイルの対象商品を大量に買い占めていくお客様がいて、おっこれはファイル狙い?かと思ったらファイルなど1枚も持って行かないという。そんな感じだ。
暇すぎて掃除が捗ってしまった。棚の空いた所をちょっと拭くだけ、床を入念にモップかけするだけで、だいぶ見栄えが良くなった。
早朝、昼1、昼2、夕勤、準夜、夜勤、全ての時間帯の従業員が、自分たちの時間帯は忙し過ぎると思っていて、掃除をやらない結果、そうなったんじゃないだろうか。
うちの近くの同系列のコンビニは、売り場に全然埃溜まってないけど、どうやって掃除へのモチベーションを保ってるのだろう。
とか思いながらせっせと掃除した。
トイレ掃除をしようとしたら、泥酔のお客様がご来店。トイレから出て来なくなってしまい、ご家族の方々がノックしまくっていた。でも10分くらいで出て来られたし、トイレを汚さないでくださったので、良かった。
「今にもゲロ吐かれそうでヒヤヒヤした」
と言っていた。