
はてなキーワード:新年とは
はい!
いやガッツリ遊んでいるって訳じゃないんだけど、
そうよあれ!
ついつい1時間とかどーんとあっと言う間に時間が経っちゃうのよね!
そう言うことになるのよ。
そんで、
昨日は我慢して
3セットの計15曲堪能してーの
それでも1時間弱!
やっぱりこれが原因だったのね!
生活に取り入れていた「シャインポスト」がこんなことになるとは!
シャインポストのライブビューモードは1日1セットに留めておいた方がいいわ。
そんであれよあれ
忙しいんだけど、
あ!そう!
込み入った話になるけれど、
ってそこまではいいんだけど
ピンチになったから機械化の巨大化!?ってなんか辻褄が合わなさすぎてよく分からなくなってきた展開よ。
しかもなんか
そんで、
戦闘力がそのストーリーの数字に追いついてなくって進にも進めない感じももどかしいわ。
NIKKEってストーリーうーんと進めたいのに
こちらのニケの部隊の戦闘力が足りなくってまだその時点で通過出来る戦いの戦闘力まで達していなくって、
先に進めなくてモヤモヤするわー。
とはいえ、
もうすぐ火力てんこ盛りで初期状態でもわりかし強いアブノーマルとはいえステラーブレイドとのコラボ企画のイヴがもうすぐ戦闘力10万を達成しそう届きそうよ!
NIKKEってさ
物資をコツコツ貯めて一気にレヴェルアップ20だー!とかってやるよりも、
その間私がゲームをしていないときでもアリーナとかで戦いを挑まれることがあるので、
毎日上げられるものなら1つでもレヴェルや武装レヴェルは上げて行きたいところなのよ!
そんな成長地味な毎日の1ずつの成長だから目に見えて強くなってるわ!って実感にも乏しいのよね。
まあ着実に強く放っていっているから、
そんなんだから
うわ!
今シーズンこそはバンカラマッチ頑張ろうかな!って思うけれど、
うーんいつまでも腕前がAで停滞しているのもねー、
一度はやっぱり目指したいXマッチやってみたいじゃない。
年末になってああ今年は目標掲げても達成出来なかったなぁって思いつつ、
どちらかと言うと
二つ名が欲しいのよね。
たぶんまだゲット出来てない二つ名はほしいの!
あとさ、
シャインポストのライブビューモードだからってついついルービーも進んじゃうのも良くなかった原因よね。
もう飲まなくてもいいじゃん!ってところまで仕上げて挑めばいいってことにも気が付いたわ!
あと、
やっぱりこの夏の疲れが出てきているのもあるかも知れないと思い出したら昨日掲げていた私はキュウリを囓りながら寝る!ってのを
実行に至らなかったわ!
すっかりキュウリ買うの忘れてたし。
なにかと
まだまだ体力消耗しがちな季節続くので、
油断は大敵よ!
そう思ったわ。
なので、
あ!
そうよ、
そうはならないかー、
なんてね。
うふふ。
食欲がないことはないんだけどあんまり食べる気がしなかったので
そんで
まだまだ夏が終わらない感じがしてならないわ。
あー
いつまで続くのこの暑さって感じね。
なので水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
昨日国宝を見てきた。
私は京都で「元芸者が経営する祇園のラウンジバーで4年間の勤務経験がある」現オタクです。
映画は1回観ただけ、原作小説は未読。感想をどこかに殴り書きしたいけどネタバレ考慮もしないとなので、ツイッターとは切り離されたここに置いておく。
映画の国宝は「龍が如くみたいな舞台で歌舞伎もドッキング」した感じのストーリーなのだと思った。
なんの予備知識も入れずに行ったので、「歌舞伎役者同士の派閥てか屋号…?の争いなのかなあ」と思っていたら、いい意味で裏切られたし、歌舞伎のことあんまりわからない私でもすんなりとストーリーが把握できた。
以下、思ったことを書きなぐるだけなのでネタバレあり。ストーリーの順番とかもぐちゃぐちゃです。
思ったことその1【登場する人全員終わっててマジで人間臭くていい】
御曹司俊坊(これ、しゅんぼうってあだ名よね?そう聞こえていたけど、違ってたらすみません)が生まれながらにしてボンボンとか、苦労を知らない血を持つ人間って捉えられがちだけど、主人公の顔面国宝吉沢亮さん演じるきくちゃんも、組の息子という点でボンボンなのでそれなりの行動しててなんか……めっちゃひやひやした。
もっと姐さん(寺島しのぶさんが演じる、俊坊のお母さん)に筋通しなよ!とか、挨拶ちょっと遅すぎない?とか、その服装(紫のシャツ)はど、どうなのかなあ?っていけずババアの気持ちになった。きくちゃんは桐生さんではなくて、錦の一面も持っている。結局歌舞伎に夢中になったためすんごい肝の据わった男になったけど、「すぐ人と喧嘩する」「いいなと思った女は全部手を出す」「家族よりも自分のやりたいこと優先」って時点できくちゃんも終わってた。
俊坊もまあまあ終わってる。まさにボンボン。私は歌舞伎に対して「俊坊みたいな人ばっかだろどうせ!」と偏見を持っていたが、その偏見ど真ん中ステレオタイプの歌舞伎っぽい人である俊坊がいてくれたから、この映画に没頭できた(のちに観たインタビューで寺島しのぶさんが「血筋だけじゃなくって、才のある外部の人も取り込めたら、歌舞伎界は変わるのになあ!」みたいなことをおっしゃっていたのでガチさがいよいよ増した)。
二代目半次郎さんも、すごくすごく終わってる。もうやりたいこと全部盛りの大御所だし、くたばる前に「世襲間に合わせたい!」みたいなの本当にいいな。そもそもきくちゃんのパパ立花組に「今後もどうぞごひいきに」って新年のご挨拶してるってことは、そ、そういうつながりがあるってことでしょ。原作未読だからわかんないけど、歌舞伎という伝統芸能とお背中お絵描き組のつながりは結構「なんかようわからんけど闇深そう」でいい演出だと思った。
半次郎さんの奥さん、俊坊ママも強い女で憧れはあるものの、それでも「母親」というのがものすごくわかるし、つらいよねえ…。もし俊坊ママが「丹波屋」のことしか考えていなかったなら、きっと早々に俊坊はダメになっていたのかもしれない。この映画に出てくる女性、みんなクソ強くて大好きだ。
思ったことその2【登場する女がめちゃくちゃ強い。あとあきこがマジでくだらねえ】
さっきも書いたけど、俊坊ママ(お名前忘れたので調べたらさちこさんだった)がくそ強い。あの演目始まる前のさ、ロビーみたいなところでご贔屓さんたちに声かけて頭下げてるあの立ち振る舞い、もうクラックラするほど強くて好き。私自身がそういう横のつながりに苦手意識のある性格だから、「面倒そうなのに毎回ちゃんとやるの、女将さん本当に強いわ」ってなった。
そして上京したきくちゃんにまずはいけずをかますやつね。これがないと、関西の強い女じゃないよなあ。でも結局「お腹空いたやろ。ご飯にしよ」って優しくするのよね。「ちゃんとしてる人」には情があって京都の姉さん(一緒に働く先輩のこと、ほんとにこう呼んでた)とお母さん(ラウンジバーのママ、元芸者)大好きだったよ。
春江もすごい。あの頃のホステスさんってなんか大変なんですよね?龍が如くで学びました。でも好きな男を追って(あの時点ではきくちゃんのこと好きだったと思う)つらい仕事も続けて一人暮らしして、春江ちょ~強いわ。高畑充希さん、マジでミュージカル好きだから半分「歌ってよ春江ちゃん!」って思ったもんね。
そのあときくちゃんとおそらく?付き合ってたけど、きくちゃんの稽古見てから「これは添い遂げたい人じゃない、推しだ」ってなってプロポーズかわすのも強すぎる。そうなんだよね、きくちゃんは誰のことも幸せにしてやれないし、自分だときくちゃんが欲しい「血」はあげられないから身を引くのだ、これでこそ最強の女春江だよ。推し活として美しい形すぎる。しかも、俊坊が弱ってるのを見て「この人を立てなおしたら結果きくちゃんも救える」って思ったのかどうかわかんないけど、筋の通った乗り換えをしてるのもすごい。
こんな強い女春江なら、さちこさんと同じ役割をきっと勤めあげられる。さらにさちこさんと違って「丹波屋」だけを見てる女だから、きっとこの先も安泰だ…とあの時点では安心した。しかも男を生む。もう春江一強になってしまった。誰も勝てない。強すぎる。
藤駒ちゃんも強すぎる。も~強い。きくちゃんとであったころのおぼこい藤駒ちゃんは、きっと舞妓さんだったと思うけど、あの時点でめっちゃ厳しい修行に耐えてる子なんだよね?置き屋によって全然違うけど、俊坊ときくちゃんが遊びに行くんなら多分祇園だと思うし、その宴席に付いている藤駒ちゃんもきっとエリートさん。その中で「この人は売れる!」って見抜いて、しかも「日本一になるなら別に家庭を捨てても構わない」ってきくちゃんと添い遂げることに覚悟の決まった子なんだよ。
藤駒ちゃんマジで……強い。そりゃきくちゃんも藤駒ちゃんとなら子ども作ってもいいなって思うわ。いい女すぎるよ。
あと、あきこね~~~。あきこだよね~~~もう。くだらね~~この女。本当にあきこのくだらなさが作中ずっと好きだったし(褒めてるよ)あきこが都合のいい女すぎる。太宰治の小説に出てきそうな何番目かの女ポジすぎる。
なんか……、きくちゃんと俊坊が殴り合いの喧嘩したとき、あきこがすげ~冷めた目で見てたのが印象的で。この時点で、もしかしてあきこ鼻血出して車に戻ってきたきくちゃんに対して「もういいや。ばいばい」って言い出すかと思ったら、それはしないんだよね。「それぐらいきくちゃんのこと好きだから」じゃなくって「ここまできたらもう元に戻れないし仕方ない」って感情があるでしょ、あきこには。
これまで女全員強いって言ってきたけど、唯一あきこにはそれが思えなかった。
そのあときくちゃんのどさ回りをずっとサポートするのは献身的と思う。でも、あきこお前死んだフナみてえな目してきくちゃんの舞台見ててさ、もうそれは義務になってますやん。「この芸をずっと支えたい」って思いもないし、「素晴らしい国宝級!」とも思えてないし、何も感じ取れてないでしょ。これ、実際にはどうなってたのかわかんないけど、あきこときくちゃんは結婚してないと思ってた。あきこ、きくちゃんがもし上り詰めて梨園の妻になったとしたら、さちこさんみたいに振るまえないでしょ。春江よりも絶対に弱い。そういうあきこ、、ああもう本当にくだらないな~って思った。きくちゃんが落ちぶれたそのときだったから傍にいれただけで、あきこにはなんの覚悟も魅力もないのはきくちゃんも見抜いてる。
もうあきこ……この子もまた、大御所の娘としてボンボン気質が終わってていい。ただ、このあきこを演じたのが森七菜さんだったのがまたよくて、もうちょうどいい塩梅の女の役がうますぎる。森七菜さんがこんなに演技お上手だって知らなかった。あきこのこと、まだ気になってるぐらいに印象に残ってるもん。「どこ見てるの?」って台詞もいいよね。これまで何もしなくてもあきこはお嬢様、みんなから愛してもらってる女、見どころを周囲が与えてくれる人だったけど、きくちゃんはそうじゃないんだよ。「どこ見てるの?私を見てよ」って訴えても「あきこには見るべきところがない」のが、深いなって思った。そして少しだけ切ない。
さらに、きくちゃんにとっては「何を見てたの、今まで」っていう台詞に受け止められているところが、まだ二人がすれ違っててすげ~シーンだった。
あきこ、はやくきくちゃんを捨てなってずっと思ってた。
竹野マジで好きだ……。竹野が忌み嫌うのは歌舞伎ではなくて、「血筋という最強カードがないとのし上がれない伝統そのもの」ってところに筋が通りまくってて最高。初めは単にいちゃもんつけただけの奴かな?って思ってたけど、そうじゃないところがまたいい。
きくちゃんと俊坊の関係性も好きだけど、竹野ときくちゃんもまたいいよね。
終盤ずっと「三代目」って呼ぶのも好きだし、万菊さんと会わせたのが竹野ってところが最強にエモい。なんか竹野と万菊さんに対しては、終わってる人間まみれの中の唯一の光すぎて、どう表現したらいいのかわかんない……。
いや、万菊さんももしかするとどえらいことしてたのかもしれないけど、あの俳優さん演技うまいな~!ああいうレジェンドいそうだもん。奥行がすごい。でも万菊さんなんできくちゃんのこと認めるタイミングがあんなに遅かったんだ?やっぱ役者が全部そろわないとって思ったからかな?半々コンビで沸き立つ女の感情がすご~~くよくわかる。私はオタクだからだ。
きくちゃんの娘さん、綾乃って名前だったらしいけど、ずっと「文乃であやのなのかな~?」って思ってた。藤駒ちゃんが芸妓さんになってすっぴん日常着物でお祭り行くシーン、芸妓さんの「なんでそんなすっぴんキレイなの?」ってぎょっとするほどの透明感が再現されててめっちゃよかった。
あやのが最後にきくちゃんと再会して思いのたけを吐くんだけどさ、あのシーンが本当に大好き。
あやのは多分、ずっと「父ちゃん帰ってこないし終わってんなア」って思ってるけど「お母さんを苦しめた最低な父親」とは思ってなさそう。藤駒ちゃんがあやのになんて言ってるかはわかんないけど、そもそも「父親がこの人よ」とは言い聞かせもしなかったかも。藤駒ちゃん最後まで映画では出てこなかったけど、元気にしているのでしょうか。。私が働いてたラウンジバーみたいなの運営してるのかな。とんでもなく金持ってる「お父さん」見つけて……。
きくちゃんが三代目襲名して、お披露目パレード的なところであやのを無視ったシーンは、私はめちゃくちゃ納得した。そりゃそうよね、藤駒ちゃんがあやのを止めるのも何も言わないのも、そりゃそうだと思った。もう人生のすべてを捨ててひとつのことに溺れる男に惚れて、それでもいいから隣にいたい女というのは、そんなもんだよ…。
だが、隣で見ていた旦那は「あのシーンで一気にきくちゃんに同情できなくなった。最低」って思ったらしいので、家族を捨てるシーンとか子どもよりも人生を優先させる親が大嫌いな人は、ここで国宝そのものの評価を下げてしまうかもしれない。
ただ、覚悟の決まっている最強女藤駒ちゃんと違って、娘のあやのは結構冷静なのがまたよかった。きくちゃんに「お前最低」って面と向かって言えるの、あやのだけだよな。実際こんな父親、本当になんだお前ってなるよ。
でも最後に救いがある。まず、きくちゃんはあやのと対面したとき「藤駒という芸妓を知っていますか?」と訊ねられて、「忘れたことはないよ、あやの」って答える。台詞うろ覚えだけど。最低なきくちゃんだけど、藤駒ちゃんとあやののことはずっと心に居続けたんだね、と救われた。
さらに、あやの砲が続く。「お前が舞台に立ってヘラヘラするために、どれだけ人が泣いて不幸になったと思ってんだよ。だいたい、家族でお祭り行ってさあ、神社で願掛けするのが自分のことってどういうこと?自己中すぎるだろ」みたいなことをガンガン刺す。あやの、いいぞもっと言え。
でも、あやのはそんな最低の父親でも、きくちゃんのことを父親と思っていなくても「父ちゃんの舞台を見ると素晴らしいと感じる」みたいなこと言って、唯一芸だけは認めるんだよね。
あのシーン、好きすぎる。危うく泣きかけたが、周囲でトイレが我慢できず立ちだす人も多かったため、意識が逸れて涙は出なかった。
そして芸を手に入れ国宝にはなったが、その後何にも残らなかったきくちゃん。お前はきっとひどい死に方をするんだろうし、地獄に落ちる。でも、その姿はめちゃくちゃ美しかった。
時間が許せばもう一度見に行きたいけど、およそ3時間もある映画だからちょっと厳しい。
ちかごろ、でもないか、ネット見てると(というか、TVその他のメディアでも)「足掛けN年」のNの数え方を間違ってて、「満年齢」と同じようにカウントしちゃってるバカが散見される。
あの有名なやまもと氏ですら、昨日のnoteに間違った数え方の「足掛け25年」を書いてて、大いに落胆させられた(https://note.com/kirik/n/n49b09729cd21)
「足掛けN年」は、「数えでN歳」という時と同じ数え方だ。
始まった時点で「1年」。年が明けたら「2年」だ。
たとえ12月に始まって、新年を迎えて1ヶ月も経ってなくたって「足掛け2年」なのだ。
気になってる人に見てもらえたらそれはそれで嬉しい。
親から貰った身体に傷をつけるなんてギャオオオンみたいなのは勘弁。ピアスも開いてるし、そもそも未成年の間に盲腸で開腹手術してんだこっちは。
結論からいえば生活が不便になる黒子は保険治療で取れるんだよって話。生えてる場所によるけど。
ちょうど首から肩になだらかに切り替わる部分に大きいのが1つ。
直径7〜8ミリ、高さ4,5ミリくらいのそれは昔から邪魔で邪魔でしょうがなかった。
リュックの紐でも擦れるし、インナーやブラジャーやホルターネックの紐も擦れるし、
多少首回りが開いた服で社員証なんか首から下げたらその紐も擦れる。
学生時代はエナメルバックの肩パッドみたいな部分に潰されて窮屈な思いをしたこともある。
でも成人して社会人になっても、そもそも黒子を取ろう、なんて考えには至らなかった。
足の裏にある黒子や、1センチを越える黒子は悪性腫瘍の割合が高いから検査した方がいいとテレビ番組でも昔から騒いでいたような気がするけど、肩にあるし1センチはない。
そんな私だったが、今年に入って2つほどきっかけがあって切除に至った。
1つ目は、社会人になったばかりの妹が黒子を切除していたのだ。
私は就職を機に実家を出て上京していたので、正月くらいにしか妹とは顔を合わせていなかった。
新年に同じく実家に帰ってきた妹の肌の色が他の肌と違う部分があった。
彼女は美容のために顔の黒子を取ったらしいが、ここで「黒子って取れるんだ」という今更な事実を思い知った。
2つ目に、黒子の形が変わったのだ。
黒子は生まれつきあるもので、それこそ産まれた日の写真から、小学校のプール、大学の夏合宿の時の写真にまで肩の黒子は写っている。
25辺りまではまるで雪見だいふくの様にドーム型だった黒子が、25を超えた辺りから、少しずつ根元がくびれていって、まるで風船の結んだ口を肩に貼り付けているような状態に近づいていた。
ただ形が変わるのは悪性腫瘍に変わっていく可能性もあるらしい。
問診の段階では、悪性腫瘍には見えないって話だった。
ただとにかく生活で邪魔になるし、生検もしてみた方がいいって話になって黒子を取った。
事前の問診は5分、手術の日は待ち時間を除けば30分くらいで終わった。
術前の記録用に患部の写真を撮った。
私はメスで黒子と周りの皮膚を抉り取った後に、電気メスで患部を焼いて止血する方法で切除した。
麻酔が痛いよ、って看護師にも医者にも脅されたけど、盲腸の手術した時の静脈麻酔の方が痛かった。予防接種の筋肉注射に近い痛みだと思った。
麻酔が効いたら、メスで抉って、焼く。
ばちばち、って音と僅かな煙臭さが鼻をついた。
止血が終わったら、術後の写真を取って、炎症止めの塗り薬とガーゼを貼って終わり。
生検の結果が出るのは2週間後らしいので、再来週の同じ曜日に予約を入れてきた。
保険適用なので、初回と手術の日(初診料と処置料と検査料)でぴったり1万円くらい。
結果聞きにいくのにまた診察料かかるから、1万円から足は少し出るけど、それで快適になるならそれでいいと思った。
ただこれはサイズが大きくなればなるほど高くなるらしいので、問診の段階で相談した方がいい。
というのも、小鼻の付け根にある、同じように大きく出っ張った黒子が気になるから。
黒子と人中の間に僅かな隙間があって、そこに皮脂とか溜まってニキビができたりしてて不便だから取りたかった。
ただ小鼻の黒子は保険治療の内容にできるけど、メスで切除するとめちゃくちゃ跡が目立つらしいので自由診療でやれる施術の方がいいって判断になった。確か液体窒素で切り取るんだった気がする。
男性でも顔の黒子が原因で髭剃りが大変とか、黒子を巻き込んで皮膚切っちゃうとかだと、保険診療で取ってもらえるらしい。
黒子に悩んでる人は1回皮膚科で相談してみるといいのかもしれない。
学生時代にTwitterが流行ってて、同じゲームをしていたのと趣味も似通っていて仲が良かったフォロワーがいた。
当時から今に至るまで12,13年くらいの付き合いはあったと思う。俺は就職と同時に上京して、そいつは元々東京に住んでいた。
バイクが好きで俺もそいつも16で原付免許から始まり今ではデカいのに乗っている。
そんな趣味が共通の仲間と最初はネットで知り合ったとはいえ、オフ会(死語)して普通にお互いの本名も明かしてLINEも交換して、バイク弄るのにそいつの実家にもお邪魔して晩飯をご馳走してもらったことがある。当時は実家出て数年経っていたから晩飯に豚汁が出てきたことにいたく感動した覚えがある。
インターネットフレンドなのでどういう繋がりの友人か説明するのに困るかと思ったらそいつの父親も母親もすぐ理解してくれて助かった。
丁度今年、年始にツーリング行こうぜと誘ったら「ごめん、風邪ひいたw」「新年早々災難だなwww」とLINEをしたのが最後だった。
バイクに乗ってる以上いつかは起きてしまうことかもしれないと思っていたが参った。
LINEをした。信じられなくて。
行った。花は持っていった。
本当にそいつは横になっていた。二度と起き上がらないとは思えないくらい綺麗な顔だった。
親と思い出話をした。わかっていたがお互い彼女も作らず趣味のバイクだゲームに全力だったからその話を聞いて笑ったりしたけども、父親が「実は私の誕生日が昨日で、〇〇がAmazonで誕生日プレゼントを贈ってくれてて、届いたんだけどもでも〇〇はもう起きることはなくて……」と語ったときにめちゃめちゃ泣いてしまった。
もう本当に何やってんだよこいつはと。
親不孝だなあと。でももう現実は変えられないし、生きている俺は生き残ることしか出来ない。そいつも分までバイク乗るしか出来ない。
それが2月のこと。4カ月経ったけど未だに一緒に立ち寄ってたラーメン屋のチャーハンを食べると「あいつは大盛食ってたな」と思い大盛を頼むと腹パンパンで後悔したり、時々思い出す。
年初は、今年の半期で投資の資産評価額1000万は確実に達成するやでと楽観してたんやが……
あれから10~15%ぐらい下がったから、今の評価額は800万円ぐらいか? 怖くて証券サイトにログインできないでいる。
ネットの億ニキたちが言うには、
「資産1000万までがキツい。1000万達成すれば2000万、5000万、億まで増えるのはあっという間」
とのこと。
複利パワーで雪だるま式に増えるからだけでなく、全力で節約して入金し続ける生活習慣が1000万行く頃には身につくのが大きいらしい。
今年1000万達成して、ワイも富裕層への秒読み開始かぁ……とニッコリしていた新年に戻りたい……
こんなこと書いてるけどオルカン積み立てはやめないんやで。
クルド人コミュニティの新年のお祝い行事に反クルドの議員が突撃して問題になったらしい
https://news.yahoo.co.jp/articles/c4f725fbea4e5e5a4ec7ac48b8627b2430a13c3a
我々は立派に関東大震災で朝鮮人を殺しまくった民族の末裔をやっているよ笑
関東大震災において朝鮮人が殺された原因にはその前段階として外国人に対する社会不安が醸成されていたことがあった
朝鮮人をはじめとする外国人や国内の共産党員は地震が起こる前から犯罪者集団であると見なされて迫害されていた
政体もメディアもこれに乗っかる形でいたずらに不安感を煽った結果地震発生後に流言飛語が増大して朝鮮人虐殺という恥としか言いようのないゴミのような所業へと繋がっていった
無駄にプライドばかり肥大化させて民族としての恥部や暗部を省みない
過去の日本の恥ずかしい出来事を直視することと自分のアイデンティティが棄損されることの区別がついていない
民族の無謬性の上にしか自己を立脚できない幼稚な輩がこんなにいるなんて本当に恐ろしいことだと思うよ
俺なんかは逆に反クルド連中の所業を見るたびに自分の日本人としてのアイデンティティが棄損される気がしてマジで気が滅入るようになったよ笑
川口市はいま一部ユーチュバーが自警団を組んで自発的にパトロールまでしているらしい
こいつら流石に義務教育で関東大震災の朝鮮人虐殺について最低限勉強はしてきてるよな?
最低限の知識があれば特定民族を対象とした自警団的な活動がどれだけ野蛮で恥知らずな行為なのかわかるもんだよね?
仮にそこまでいかないにしろ避難所への立ち入り拒否だの食事の提供拒否だの差別的な取り扱いはまず間違いなく起こるよな
スピリチュアル厨は「望んだことが起こる!引き寄せ!」と発狂しているが、そもそも「望んだことが必ずしも起こらない」ということに、制御工学的な意味があるのではないか
「望みの即時実現は非現実的」という認識は、制御工学の不確実性概念に通じる
完全予測不可能な状況下で、目標と現実のギャップがフィードバック制御を機能させ、システムの安定性を保つ
予期せぬ外乱への適応や、不完全結果による継続的改善も促進される
願望の即時非実現が努力・学習機会を生み、不確実性対処能力向上が社会のレジリエンスを高める
制御工学的視点では、「望みの非即時実現」はシステムの安定性・適応性・継続的改善を促す重要要素であり、単純な「引き寄せ」思考より現実世界の複雑性を適切に反映している
この主張をユダヤ教の視点から見ると、ある意味で深い共鳴を感じる部分がある
なぜなら、ユダヤ教も「願いが即座に叶うこと」よりも、「試練、努力、成長を通じて得られる結果」に重きを置くからである
「引き寄せの法則」は、強く願えば宇宙がその願いを叶えるという考え方だが、ユダヤ教はそのような「魔法的な思考」を支持しない
代わりに、ビトゥル(ביטול)という概念が大切にされ、これは、自分の意志を神の意志に「明け渡す」姿勢を意味する
祈り(תפילה - Tefillah)は大切だが、それは「欲しいものを手に入れる」ためではなく、神(HaShem)とのつながりを深め、自分をより良く成長させるために行うものである
この主張が述べている「願いがすぐに叶わないことがシステムの安定性や成長につながる」という考え方は、実はユダヤ教の教えとよく合致する
これは試練を意味し、アブラハムやヨセフが経験したように、人生の困難や遅延は人間の成長と信仰の深化のために与えられるとされる
例えば、モーセが約束の地に入れなかったことも、単なる罰ではなく、リーダーとしての成長や人間性の成熟を促す試練と見ることができる
ユダヤ教におけるエムナー(信仰)とは、「全てが計画通りに進む」と信じることではなく、むしろ、予測不能な状況でも神への信頼を持ち続けることが信仰の本質である
制御工学で言う「不確実性への適応力」は、ユダヤ教におけるイットカフヤ(התכפיה)、つまり自制と努力の精神に通じる
思い通りにならない現実をどう受け入れ、どう成長につなげるかが重要である
ユダヤ教では、ヒスハドシュート(革新・再生)の精神も大切である
新年(ロシュ・ハシャナ)やテシュバ(悔い改め)の概念は、理想と現実のギャップに気づき、それを改善するための内省と行動を促す
この点でも、制御工学の「継続的改善」という考え方と通じる部分が多い
この議論は、人間の成長、試練、努力、そして信仰というユダヤ教の核心的な価値観としっかりと響き合っている
ユダヤ教では、奇跡さえも、努力と信仰を通じて訪れるものとされている
だからこそ、単なる「引き寄せ」よりも、責任ある行動(Achrayut - אחריות)と神への信頼(Bitachon - ביטחון)が、人生における真の安定と成長をもたらす
俺のおかん認知症でもないのに、お前らの手は借りないって言って70歳ぐらいで会議付き老人ホーム入ったわ
新年のあいさつ行くと一年分のお小遣いとか言ってお金渡してくる
最初はいらないって言ってたけど渡してくるから今は何も言わず受け取るだけだね
やすこっていうのが誰なのかは知らないが、若い男女ともに人気あるコンテンツでいうと原神は面白いよ。
今やってるイベントのストーリーの実況動画とか見てもらったら良さが分かると思う。
まあこれも多少の前提知識はあったほうが良いけどなくても話は分かるし、より凝ってるメインストーリーをいきなりチラ見するよりかは理解しやすい。
ちなみにこれは海灯祭という、中国モチーフの国リーユエの新年祭をフィーチャーした毎年恒例のイベントで、テーマやシナリオ、ミニゲームは毎回違うけど数ある定例イベントの中でも特に力を入れて作られてる印象のあるやつだ。
今んとこ一番再生されてる実況はこれかな。
https://www.youtube.com/watch?v=9YHvxC_MgQM
さあ、早口で説明して差し上げたから暇なときに見てカルチャーの衝撃を食らってくれ。
実際この海灯祭は中国カルチャーの発信の場になってるきらいもあって、今年は特にその要素が強かったんだよな。京劇が絡んでくるし。
数日経った今はかなりマシになった。
シャワーを浴びていてシャンプーを取ろうと体勢を変えたら腰に痛みが。
手のひらくらいの範囲に「ズンズンズキンズキン」といった感じの痛み。
「話のネタになるな」とか考えたりして、痛みから気をそらせようとしたが無駄だった。
とにかく動けない。
かなりの時間をかけて、バスタオルを手に取るまでたどり着いた。
風邪まで引いたら辛すぎるので、次は体を拭かなければならない。
主に左側を痛めたが、右手を動かすのも辛い。
上半身はまだマシだったが、足はタオルを触れさせるのが精一杯。
もうこれは諦めて、部屋に戻った。
次は服。
足を満足に上げることが無理なので、下は無理そうである。
このままでは風邪を引き、咳き込むたびに痛みが走るのは最悪だと思ったので、
割り切ってベッドに潜り込むことにした。
横になるのも時間がかかったが、どうにかなった。
そのまま数時間を過ごし、実際に就寝する前にはなんとか服を着ることができた。
数日間、着替えはなし。無理。
痛みがかなりマシになり、一昨日ようやく着替えることができた。
こんなに快適なのかと驚いている。
不幸中の幸いもいくつかあった。
シャワー中だったので、体の冷えを最小限に留めることができた。
ユニットバスなので、すぐに手を壁につくことができた。これは大きかった。
トイレの手すりもあってよかった。
それから肘付きイスだったのも助かった。
とにかく腰に負荷をかけるのが辛いので、支えがあるのは大きい。
スマートフォンで気を紛らわす事ができたり、ベッド付近にノートPCがあったのもよかった。
ネットがあるのは本当に助かった。
宅配も考えたが、相手がいることなので自分のペースで動けないことを考えると備蓄があってよかった。
腰をやられるとこんなにも動けないのか、新年早々そんなことを身を以て知った。
土曜の昼すぎ、遅めの昼飯食いながらボケーっと推しのYoutuberの配信を見てたんすよ
その人は配信でゲームをやってたんだけど、「いやー今日調子悪いなー」とか「あーこのスコアは低いわwww」とか言いながら、さらっと自分のハイスコアより高い数字を出してた。
なんかそれ見た瞬間に気分が悪くなって、ページ閉じてふて寝しちゃった。うまく言えないんだけど、自分の自信?みたいなものがぽっきり折られたような気分になって、胸糞悪くなってしまった。
そのゲームは俺もたまにやるんだけど、ガチ勢って程やりこんでいるわけじゃない。そこまで気にするようなことでもないはずだ。
でもなんか無理だった。その瞬間に自分の矮小さというか、「自分って何にも人に誇れるものがないんだな……」みたいな感情に支配されてしまった。
本当に意味が分からなかった。そこまでハマっているわけでもないゲームのスコアがほんのちょっと人より低かっただけなのに。
負けて悔しいと思うことも、叱られたり怒られたりして落ち込んだ経験もそれなりにあるつもりだったけど、
こんな何でもないことで自分の人生丸ごと否定されたような気分になってガチ凹みしてんのはマジで意味が分からない。
ふて寝から目が覚めても気分は晴れなかった。それでそのまま、月曜も終わろうかというところまでモヤモヤを引きずっている。
30超えてんのに自分の感情の処理も満足にできない自分自身というものに嫌気がさして、さらに自分のことが嫌いになってしまいそうだ。
どうすりゃいいんだろうね。配信見なきゃこうはならないんだろうけど、それは対症療法でしかなくて、また別の機会に同じようなことが起きてしまう気がするんだよな。
カリフォルニアの大火事も偽善者リベサヨのせいだったことがあきらかとなり、マジで全世界がトランプとイーロンのおかげでリベサヨの悪がまくれまくりの展開だ。
日本の偽善者リベサヨどもの阿鼻叫喚も見てみたいのだが日本のリベサヨはアホすぎて世界のトレンドに追い付いてない。
何が起きてるか全くわかってないっぽいな。
もう世界中リベサヨ独裁者が潰れまくりでトランプ大勝利だざまあみろ。
だがこれだけじゃまだダメだ。
これから先もう二度とリベサヨが復活できなくなるようにもっと徹底的にリベサヨを潰せ。
早くYouTubeもイーロンが買収してくれ。
こんなこと書いたもんだから消した昔のブログが見たくなってしまった。
InternetArchiveで掘れば見つかるかなと思ったけど肝心のURLが分からない。
LivedoorBlogで書いてたよなと思ってログインしてみたら、消していない別のブログが残っていた。(というかLDBlog生きてたのか)
それはそれで読んでみて新鮮さを感じる程度に懐かしかった。でもこっちじゃない。
どこかでリンクしてないかと探してみていたんだけど、LDBlogはURLの形式がhttp://blog.livedoor.jp/{ブログID的なやつ} という形なことに気付いた。ドメインが別になっていなかった。
昔はよく漫画とかアニメのタイトルをもじったタイトルのブログや個人HPが多くあったと思うんだけど、自分のもそんな感じだった。よく使うキーワードがあった。
残っていたブログのIDを見たところそのキーワードをもじったものぽかった。もしかしてそのキーワードそのものだったかもとそのURLをInernetArchiveに突っ込んだら、学生時代書いていたブログを掘り出すことに見事成功。
ありがとうLivedoorBlog!このURLパスを今もまだ続けていてくれて!
もう15年以上前の日記で、最初は内容や文体にピンとこなかったんだけど、いくつか読んでるうちにあぁこれは自分だ…と確信。
全ての記事が残っているわけじゃないが、見れるやつを一つ一つ読んでいってみる。
糞つまらないどうでもいい内容のものばかりだが、なんだか最近書いているような文章よりも楽しさが文体に出ている。そして何より驚くのが当時結構コメントでやり取りをしていること。友人などではなくブログを通じて繋がった人たち。
どうも自分はこの十数年でどんどんインターネットでコミュニケーションを取ることができなくなっているらしい。リアルの方よりも。(というか今のネットのコミュニケーションがリアルに寄りすぎなのだ)
コメントのやり取りも淀みない。なんだか楽しそう…。
読み進めていってだんだん心が苦しくなってきた。そうしていくうちによくコメントをしていてくれていた方(Aさん)がいたことも思い出す。
ちょっとAさんとは色々あって、実はAさんの娘さんとオフ会とみたいなことをする展開にまで発展したときがある。というかこれが自分のブログ人生の終わりの始まりでもあるんだけど。
あまり詳しくは書かないけど、この件で結構一方的にこちらから関係をシャットアウトすることになって、どれくらいあとだったか忘れたけど最終的にブログは書かなくなって関係を絶ちたくてブログを削除という流れを取った。
その後もうAさんの動向は知らなかったのだけど、LivedoorBlogはコメントしたユーザー名からそのユーザーのブログをたどることができる。InternetArchiveにはAさんのブログももちろんあったので恐る恐る覗いてみた。
自分のブログよりは新しい記事が残っていそうだったのだけど、どうもあの一件があった以降投稿が減り、鍵記事があったりしてから活動を停止している。鍵記事の中に真実が書かれていたかもしれないけど、見れる記事には何かショックを受けた出来事があったと書かれている。
…まぁそうだよね。
今思い返しても変な関係性ではあったと思うけど、関係の切り方はあまりにも雑で失礼だったと思う。もう連絡手段もないけれど申し訳なかったと伝えたい。
あの関係を続けていたら今はどうなっていただろう?娘さんは当時JDだったから今はもう30超えてるか。自分とは違っていい人生を歩んでくれていたらいいなと思う。
新年早々何をやっているんだろう。昔を懐かしむにはまだ早い。でもいいもんを掘り出せなと思う。保存しとこ。