
はてなキーワード:新体操とは
BSジャパネクストがリニューアルBS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
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・01 [隠し絵][ある人物の名前]マーガレット・)サッチャー
・02サツマイモ
・03横溝正史 よこみぞせいし
・04 『アニー』
・05 [英語]バレル(レッグ
・06リン
・08阿部サダヲ
・09 [近似値]16 (か国
・10 友禅(染
・13芳根京子 よしねきょうこ
・15ドリア
・16アイゼンハワー
・19馬場のぼる
・21 秋の風
・22 [2択]増える
・29新体操
・30出雲
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(日曜本放送)このあと今週は
14:15からは「BS10からのお知らせ」→「蛍原徹の真剣ゴルフ部! ホトオープン #174」再放送→15:30「ザ・ゴールデンステージ #1」再放送
「背が低い」なんてのは身体の発達不全で人を差別する言葉だ。「背が高い」なんてのは身体の省エネ性能の低さを責める差別用語だ。じゃあ性能にも発達にも関係ない肌の色ならいいか。驚くべきことにソレは予約済みの差別だ。
そも、人に対して何らかの言葉を使うことは、加害である。その人が傷付かない保証がない。唯一トートロジーのみが許されていたが、今は進次郎構文のせいで駄目になった。なぜなら小泉進次郎がトートロジーを駄目にしたからです。
文字はすべてカッター替刃の一片であり、詩はコンニャクの一太刀でしかない。しかし残酷なことに「言葉」は社会に必須だ。
よって、あまねく人間を同質にする。我々は平等で等価だ。国境にも人間にも境は無い。
我々は皆、朝四時に1パイントのケールを飲む。ロータリーエンジンで液体にする。人類は皆、裏手の川で新体操をする。職業は新進気鋭の考古学者で、ソバとピーナッツが入ったエビハチミツのグレープフルーツ煮以外を口にしない。
松田聖子とやらのライブ映像をやっていたが、そいつよりも周りの踊り子が股間にV字のピッチピチの新体操みたいな服を着てて、いい娘がいないか観察に釘付けになってた。
ドルオタも結局は通る道なのかな、周りの賑やかしの方に目が向くのって。
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>異常な筋力が強みなのに鞭みたいな剣といういまいち筋力活かせなさそうな武器使ってたのよく考えると謎。
>柔軟性も関係ないし。
しかしおそらく新体操のリボンがモチーフと思われる(画集でもそのようなコメントをつけてもいる)、
さらに女性ならではの関節のやわらかさ、柔軟性、特に腕のしなり(弓手とか猿手とか言われるやつね)を利用してあの広範囲攻撃を可能にしてる…と考えるとそれっぽい武器に思える。
甘露寺さんの筋力は腕力に秀でる男性すら圧倒するほどのものではない。
「鬼滅の刃」は「体格が優れるほうが肉弾戦では有利」などかなり現実的な世界観であり(少なくとも小柄な少女が筋肉だるまな大男をキック一発で沈めるような他作品と比べれば)、
彼女の八倍筋肉密度は男女の絶対的な腕力差を埋める装置でしかないのではないか。
普通の男性よりははるかに力強いし、鍛えた男性柱の中でも中堅と同等ではあるが(体格差を考えればあの筋肉密度は相当良い仕事をしている)、
作中でもトップクラスの怪力として描かれるほどではなかった。
「普通の女の子」を戦闘に参加させて不自然にさせない程度の筋力なんだと思う。
※前提として、力士という職についている方自身を批判する目的ではないことをお断りしておきます。自分の意見をまとめたかっただけです。
相撲の試合の場に露出の割合が高い男性(=力士)は必要かどうか?という問題。
持論だけど、「必要ないだろ」としか思えない。男性力士達は確かに相撲の知識を付けてその場に立っているのかもしれないけど、その役割の必要性を感じられない。
相撲についての話を聞きたいなら行司の人とかを呼べばいい話。「華がない」って話なら男性に限らず容姿のふくよか女性も呼べばいい。百歩譲って男性しか呼びたくないってなっても、肌の露出を多くする必要はなくないか。
力士の男性たちはそういった仕事を望んでやってるんだろう、てのはそうだろうよとしか言いようがない。それで金を貰ってるんだから。
だけど今まで望んでいない場で「華として添えられろ」と強要されてきたことのある一般力士として言わせてもらうと、そういう職業に就く人がいるから「男性=華として扱っていい」ていうイメージがつくんじゃん、と思う。
露出の多い男性を陛下も来るであろう場所に「用意」しておく、ていう構造そのものが前時代的なんだって。男性を用意するにしても露出を控えめにする、女性も呼ぶ、とか、そういうやりようがあるだろって話。
例えば相撲を見たい人、力士を見たい人がそれら専用のコーナーに行くっていうのはゾーニングがちゃんとできてるよね。見たくない人の目には入らないようになってる。
でもこの場合は違うよね。単に相撲を見に行きたいだけの人も力士の肌を見ることになるよね。不特定多数の、それも男性の肌が見たいだけの人以外が集まるようなところに、露出させた男性を用意するなって話、理解できませんかね。
これを「男性の職を奪うな!」て話に繋げる人、ゾーニングもされていないのに「性」を売りにした露出満載の格好じゃなくていいよね、て話をしてるんだよ。あと男性に限らなくてもいいよね、て。
土俵に立っているのが例えば女性アイドルだったり、それこそスポーツのイベントなんだから新体操選手のような格好をした男性アスリートじゃ駄目なの?
それが駄目なら、何で露出の多い男性じゃなきゃいけないのかっていうところに男性差別に近い思想があるよね。
本来は、仮に力士本人たちが「露出の多いまわしでやりたいです!」て言ってきたとしても、「男性の肌が見たい人以外も来るから露出はNGだよ」て協会側が突っぱねるべきなんだよ。
露出の多い男性は見ようとしなければ見えないところにしかいない、ていうのが理想なんだよ。仕事として露出してる女性ってあんまり見ないでしょ。それと同じ。
https://www.youtube.com/watch?v=L0dxByaPWhM&ab_channel=ChemicalBrothersVEVO
エロさ★☆☆
内容はクラシック以外の音楽に乗って新体操をするという明るい調子のもので、表情が明るく、楽しそうに演技しているので見ていて気持ちがいいし、元気が出る。努力が報われて優勝してるし、楽しいストーリー。
https://www.youtube.com/watch?v=Tvz-eD2EXnw
エロさ★★☆
曲名のBadunkadunkとは、女性の魅力的なお尻を意味する俗語で、その名の通り黒い陸上ブルマーで走るシーンがある。それだけでなく、スポブラにだぼっとした短パンでバスケをするシーンがある。上半身と下半身の露出度に差があるのとか、長袖レオタードとかスポブラジーンズとかがド性癖なので好き。
参考画像。
夏帆、上半身と下半身の露出の差がたまらない“フェチ詰め込み”ショット公開
大河もも、上半身と下半身の露出ギャップが激しいハイレグ姿を披露「刺激的で目が覚めた」 (2022年3月17日) - エキサイトニュース
曲も気楽な感じがして聞いていて楽しくなる。
https://www.youtube.com/watch?v=qetW6R9Jxs4&ab_channel=MinistryofSound
エロさ★★★
女性ばかりのエアロビに紛れ込んでしまった男性視点のPV(男性のめっちゃ幸せそうな満面の笑顔がおかしい)。アップテンポで楽しい曲だが、超ハイレグレオタードにブルマー姿など、あまりにも露骨。とはいえ、エアロビが流行っていた当時の動画を見てみると、実際にあれくらいのハイレグは実在していたので、ブームとは恐ろしいものだ。
コメントを見ると「毎日この動画を見ています、おかげで右腕が鍛えられました!」というのがある。実際アップテンポなのでそういう意味でもムラムラする曲。
※以下余談
https://www.youtube.com/watch?v=iSSAk4XCsRA&ab_channel=XHITDaily
手足を広げてジャンプする運動を検索するとトップに出てくる動画。こういう普通に運動するだけなのに妙にムラムラする。本人があまりエロくないと思っているのにエロいというのが好きなんだろうか。
https://www.youtube.com/shorts/wa2yKJKAaDw
スペインの陸上選手。上半身白のスポブラ、下半身青のブルマが性癖にハマる。自分が好きなのは、青が似合う女性だ。
ttps://www.youtube.com/shorts/Pi5HF-OUI-A
https://www.youtube.com/watch?v=POmuoyiKq3E&ab_channel=MerkinMuffly
百メートルハードルの選手で、本番前に笑顔で腰振りダンスするがかわいかったので印象に残っている。緑ブルマーがよく似合っている。夏季オリンピックでけがをしてしまったのだが、インスタを見ると歩けるようになったと報告していた。良かった。
腰振りと言えば、調べたらAlysha Newmanという選手が、棒高跳びの成功の喜びの余りTwerkをしていた。
あと、上の動画を見返していたら、いきなりサジェスチョンで別のレオタードのミュージックビデオが出てきた。
https://www.youtube.com/watch?v=Ahaey-1g9oM&ab_channel=SoundOfLegend
これも朝から見ると元気が出る。アップテンポなのですっきり目が覚める。
最近のYouTubeはいかに集中力を奪うかに特化されており、一度でもある属性のスケベな動画を見ると、出てくる動画がすべてそれに染まってしまう。しかもポルノじゃない微エロには賢者タイムがないので終わらない。
それを防ぐには、例えばザ・シンプソンズの動画を見てそれで埋めるか、英語の学術系の動画を見てそれに染めるかである。
ttps://www.youtube.com/watch?v=dZLfasMPOU4&ab_channel=FountainsOfWayneVEVO
Fountains of Wayne -Stacy'sMom
以上。
炎上しそうすぎて大幅改変になった現代ビジネス記事原案を供養。
*
(前編)
私は小中高と地方の公立を出て、浪人して都内の医学部を卒業している。
「東大生の親の6割が年収950万円以上」というデータが話題になったが、地方出身からすると、やはり医学部も華々しい世界だった。
まず医学部では「親が医者」なのは当たり前で、教授や講師と話す時も、世間話は最初に「親御さんは医者?」が挨拶代わりになる。私の体感では、おそらく学生の半数近くが医者の子息だった。
ハリー・ポッターになぞらえて、両親が共に医者という人を「純血」、片方が医者だと「半純血」、両方とも医者ではない人のことは「マグル」と呼ぶ文化まである。「マグル」は家系に医者がいない学生が、自虐的に苦笑いしながら使う単語だ。
しかし、「マグル」の学生も、平均的なサラリーマン家庭出身という人はほとんどいない。みな経営者や士業の家庭で、都心のタワマンが「実家」だった。
出身高校もほとんどがいわゆる「御三家」など、都内の名門私立高校が並ぶ。入学式の日、周りが何故か全員、初対面ではありえない打ち解け方で話していて困惑したものだ。
蓋を開けてみれば元々彼らは中高の同級生だったか、SAPIXや鉄緑会などの有名塾で一度は顔を見知ったメンバーだったのだ。
私のように地方公立校から、塾にも行かずに来たという子は全く見当たらなかった。
*
大学生はお金がかかる。私も美容や服飾、外食や旅行を楽しみたかったので、多い時は週9でバイトを3つ掛け持ちして、必死に時間をお金に変えた。
学費や家賃、生活費などは親持ちだったが、その他は自分のバイト代で賄うように言われていた。
けれどここではバイトを親に推奨されるというのは珍しく、むしろ「禁止」される方が普通だ。特に、家庭教師はOKでも、高卒やフリーターと一緒に働くような飲食店などは禁止されている子が多い。
そのため、そういったバイトをしたいお嬢様は、親に隠れてこっそりやることになる。私も、友達の給料明細の送付先を、私の一人暮らしの住所にするなど「協力」したことがある。
この「バイトをしたい」とはもちろん、お小遣いが欲しいという意味ではない。「人生で一度はやってみたい」「大学生っぽいことがしたい」という、興味と好奇心でやる子が多かった。
こういう子達は、1回で何十万とする美容代や旅行費も全て親の負担だ。ブランド物も親のカードで買い放題。
限度額は聞いたことがないので分からない。この顔ぶれの中で「限度額」などという貧乏くさい言葉を口にすることすら憚られた。
当然、金額を理由に遊ぶ場所を決めることもまずない。味や質、美しさ……綺麗な概念ばかりで話し合いが進む中、頭の中で電卓を弾き、時給計算などしているのは私だけだった。
*
ここまでの話だけ聞くと、「地方出身の庶民が階級社会に直面してショックを受け、格差に悩む」というあらすじになりそうだが、私はそのような気持ちになったことは、実は全くない。
実際のところ、これまで属した集団の中で、大学は一番居心地がよかった。なんせ周りの人間のほとんどが私より頭が良く、私より裕福で、性格も曲がっていないのである。普通に暮らしていて、不快にさせられることはほとんどない。
尊敬できる人ばかりの中に混じり、今までしたことがなかったような華やかな経験を教わることは、とても刺激的で楽しく、毎日が面白かった。
地方公立の狭い世界のみみっちい基準で「神童」だの「お嬢様」だのとくだらないことを言われて暮らすよりもよほどいい。周りのやっていることがバカバカしく思えて退屈することも、足を引っ張られて苛立つこともない。
生まれて初めて自分が全てにおいて下位、いやほぼ底辺に位置する環境に身を置いたが、劣等感を持つどころか、なんて気が楽なのだろうと感動した。
要するに「上には上がある」といっただけのよくある話なのだが、私はその「上」の存在を知って心の底から安堵したのである。
*
(中編)
私が育ったのは地方都市のド真ん中。東京で「都会」と言うと笑われるが、下手に「田舎」と言うと顰蹙を買う、そんな街だ。近くの有名大に行かず、わざわざ地元では知名度の低い都内の大学に行ったのは、その街にとことん嫌気がさしたからだった。
先祖代々続く大病院の家系などではないので、決して高い身分ではないのだが、私も一応、医者の娘ではある。ちなみに、母親は医者ではないので「半純血」だ。
金銭的な理由から受けられない大学もあったし、贅沢三昧という訳ではなかった。だが、本当の意味で生活に困ったことはないと思う。
「全身脱毛の費用を自分で稼いでいる」というだけで、大学の中では十分「苦労人」のポジションだったが、それだけだ。学費も家賃も、いくらかかっているのか知らないまま生きてきた。
そもそも、私の家庭ではそういうことを詮索するのはタブーだった。三階建てのまあまあ広い一軒家に住んでいたが、幼い好奇心で「この家、いくらしたの?」などと聞こうものなら、なんて下品で失礼なことを言うのかと眉を顰められた。
よって親の学歴も自分が大学受験をするまで知らなかったし、収入は今でも知らない。なんとなく肌感覚で予想はできるが、聞いたことはない。
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わざわざ地方公立の小中高に進んだのは、習い事の練習時間を確保するためだ。物心つく前からピアノやヴァイオリン、新体操などを習っており、そちらを人生の軸に据えたかった。そのため、進級が厳しく勉強時間を取られる中高一貫私立を避けた。
しかし、その選択のせいで、私は信じられない世界を目にしてしまう。
校内のヒエラルキーのトップにいたのは、我が家のクローゼットより狭い団地に住むヤンキー達だ。暴力や窃盗などの犯罪行為、くだらない揉め事が起こるのは日常風景だった。後ろの黒板にはデカデカと卑猥な言葉が書かれ、授業中も大声で教師に反抗する。共用部の壁には穴が開き、「アスベスト発生注意!」と貼り紙がされるも、その意味も理解できない生徒がまた上から穴を開けていた。
一番呆れ返ったのは中学校で、「廊下に繰り返し大便をしてそのまま片付けない人がいる」という全校集会が開かれた時だ。まるで動物園だ。
外で障害を持った通行人を取り囲んでからかい、面白がって恫喝している場面にも遭遇したこともあり、これが同じ人間なのかと目を疑った。
生まれてからこの環境しか知らなかったにもかかわらず、私はこちらの方がよっぽど馴染めなかった。いや、大学の時と違って、馴染む努力をする気にもなれなかった、というのが正しいだろうか。
ことわっておくが最初から「知能」だの「貧富」だの、そういうことで差別意識を抱いていた訳ではない。ただ、そんな概念が生まれる前の、何も知らない子供の目からしても、違和感を覚えることがたくさんあった。
何か作業をする時、見るからに効率の悪いやり方で苦労しているのが理解できなかった。建設的な話し合いができず、どれだけ分かりやすく説明しても話が通じないことが不思議だった。卑猥な話で大喜びするのも、暴力で強さを誇示するのも、正直バカバカしいと思っていた。
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何よりも嫌だったのが、その層に漂うあの独特な僻み根性、卑屈な被害者意識のようなものだ。
クラスでナルミヤの服が流行り、皆がメゾピアノやポンポネットの服を自慢する中、私はいつもラルフローレンやバーバリーの服を着ていた。ナルミヤに興味もあったのだが、親の趣味で買ってもらえなかった。
その時、私は価格の差など何も知らず、愚痴のつもりでこう発言してしまう。
「みんないいなあ、うちの親、ラルフローレンばっかり買ってくるからもう飽きちゃう」
たったこの程度であからさまに数人の目つきが変わり、その後も悪意を持ってこの発言が拡散された。
子供が「他人の服をそうやって価格で値踏みしており、それを恥ずかしげもなく表に出す」という感性は初めて見るものだったし、それが物凄く卑しく思え、正直ドン引きしてしまった。
自分の性格が良いというつもりは全くないが、もし私が逆の立場になったら、そんな態度は絶対に取らなかっただろう。そのような言動は「悪い」というよりも「恥ずかしい」からだ。
たとえ内心で反感や嫉妬は覚えたとしても、そういう行動は自ら「私は負けています!可哀想な貧民です!」と宣伝して歩いているとしか思えないではないか。
別に私にとって服は値段ではなく、ナルミヤは負けではなかったのに。
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万事がそういった雰囲気だった。
あまり勉強をしすぎるとバカにされるので、「カースト上位」のグループに属している子は実は勉強ができても、学校のテストではわざと悪い点を取るなど工夫していた。実際に勉強している時間を「テレビを見ている」と嘘をつき、親から聞いた内容を覚えてから学校に行くという話も耳にしたことがある。
何もかもが面倒くさかった。先入観などなくても反射的に、彼らに対して「卑しい」という軽蔑が沸々と湧いてきて、止められなかった。
お金や学力のあるなしなんてどうでもいい。ただ、それによって勝手に「見下された」「自慢された」と思い込んで攻撃性を発揮してくる、その人間性を見せられるとやはり「見下す」以外の感情が湧かない。
そういう人を表すぴったりの言葉は「育ちが悪い」しか思いつかないのだ。
そして、その思いが強くなればなるほどに、そんな低俗で差別的な感情を持つ自分に対してもまた同じように「卑しい」と自己嫌悪に陥った。
よく「人を見下している」「お高く止まっている」と悪口を言われたが、次第にそれが事実になってしまっていることも自分では分かっていた。
やがて進路を変更して医学の道に進んだ私は、この自らの醜さにも似たもう一つの「卑しい世界」を嫌というほど味わうことになる。
体力面の自信のなさから、ほとんどの医学部生が就職するような「ブランド病院」とは程遠い、「ハイポ(仕事量、労働時間が少ない)だけど治安が最悪な風俗街の病院」に就職したのだ。
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(後編)
立地や将来性、指導体制などを考慮せず、「あまり働かなくていい」「給料が高い」というだけで風俗街の病院に流れ着くような医者は、まあロクな層ではない。街の治安と相応に、職員の民度も低かった。
病院があるのは中途半端な田舎だ。ここでは娯楽が、酒と性とギャンブルとゴシップしかない。
都会で大学生活を過ごした同僚たちも、その鬱屈した思いからか、段々と空気が荒んでいった。
数ヵ月経つ頃には、口を開けば下ネタと自慢や武勇伝、他人の悪口や噂話、そして「女性職員の容姿を採点し、デブやブスと言って大笑いする」といった、聞いているだけで気が滅入るような下卑た話題ばかりが出るようになった。
百歩譲って内輪だけの飲み会でやってくれればいいのだが、職場の男女共用のスペースで大声を出して話しているのは、流石に品性を疑ってしまう。
「このバッグは何十万円した」「今月はいくら使った」などという、赤裸々すぎる金額事情をストレートに自慢してくるのにもびっくりした。今まで出会った医者の中で、そんな恥ずかしいことを嬉々として吹聴する人間は一人もいなかった。
彼らの鬱憤の矛先は、「見下している相手」により強く向けられる。
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立地が立地なので患者層もあまり良くなく、社会的に地位が低かったり、生活に困っていたりする患者が多い。それをストレス解消とばかりに、裏で笑いながら蔑むのが、病院の常になっていた。
気持ちは分かる。確かに、あそこまでかけ離れた階層の人たちと関わるのは、正直つらい。頭がおかしいのかと思ってしまうようなクレーマーもいる。貧困のために清潔が行き届いておらず、吐き気を催すような悪臭に涙目で耐えて処置をすることもある。病院に来ているのに、こちらが一生懸命になっても、まるで治す気がないのか?という横柄な態度を取る患者もいる。
救急車がタダだから、生活保護は医療費がタダだからと、まるでタクシーや無料相談のように使う人のせいで、本当に必要な人に医療が行き渡らなくなることもある。
特に槍玉に挙がるのは「せいほ(生活保護)」と「プシコ(精神疾患)」、「痴呆(認知症)」である。他にも、「ホームレス」「反社」「デブ」「ババア・ジジイ」「底辺」「貧乏」「キチガイ」など、診察室を一歩出れば、とても患者には聞かせられないような、ありとあらゆる差別用語が飛び交った。
*
バカにされるのは患者だけではない。看護師も同様だ。ある同期が看護師に怒られた時、「大学を出てないから分からないんだろ」「低学歴が」とあまりにも直接的に吐き捨てるのを聞いたことがある。
一方で看護師たちの当たりも強かった。いや、当たりが強いというか、私達とは、元々装備している語彙がそもそも違うのだ。
特に怒っている訳ではなくでも、「ちょっと邪魔!」「うるさいよ」といった風な、私達が「初対面の人に対して一度も発したことがないような言葉」を、まるで当たり前のように使ってくるのだ。
これにはかなりギョッとする。私達が急いでいても「すみません、ちょっとよけてもらえますか?」と言うのは、別に敬っている訳でも遜っている訳でもなく、これしか適切な語彙が浮かばないからだ。
根本的な問題は、学歴や収入の高低ではなく、培われた文化の違いなのだ。「そんな風に人間を扱う文化」に染まりたくない気持ちが勝り、同じ土俵で言い返す気にもなれない。
病院の同僚医師たちも、私立医学部を卒業している人間が多く、元々それほど育ちは悪くなかったはずだ。しかし、あまりのカルチャーショックに耐えられず、段々と人格が歪んでいった……いや、歪めていくしかなかったのかもしれない。
地方にいた頃の私のように——。
*
医者や政治家など「救う仕事」をする人間に、できるだけ庶民の感覚を取り入れるための方策として、「学費を下げる」「お金が足りなくても成績優秀者が医学部や名門大学に入れる枠を作る」といったことが推奨されているのをよく見る。
実際に、現状の医師たちの間でも、「国立は苦労していて性格が悪い」「私立は裏口で頭が悪い」といった論争があり、お互いに見下しているような風潮が一部ある。
それを、もっと幅広い層の人間を混ぜたからと言って、お互いに馴染めるとは思えないのだ。
同業者の間で「もし自分の子供を行かせるなら私立がいいか、公立でもいいか」という話が出ることがある。この話題は、温室から一度も出たことがない人ほど「公立でもいい」と言いがちだ。
公立の良い所として、「早いうちから色々な階層の人と関わって免疫をつける」というものが挙げられるが、私はそれこそが最大のデメリットだと思っている。皮肉なことに「その経験の多さ」こそが、差別や偏見、選民思想を強め、分断を生むことになるのだ。
免疫どころか、触れれば触れるほどウンザリして、アレルギー反応を起こすようになってしまう。様々な階層の人間の存在を見せたいのなら、同級生として一緒くたに扱われるのではなく、ボランティアでもすれば十分ではないか。
だからこそ自分が多様な層と関わった経験があったりする人ほど「子供は絶対に私立」と言う。もし他が全て同じ条件なら、学費の「高い」方に行かせたいという発想すらある。
「知らなくていい世界を知らない育ちの良さ」というのは、その後いくらお金を積んでも手に入らない。一生ものの財産だ。
社会の下層と徹底的に隔離され守られてきた人は、「みんな同じ人間。差別は良くない」という綺麗事を良い意味で本気で信じ、汚れのない心で生きていける。
もしかしたら私の親は、私を「世間知らず」にしたくなかったのかもしれない。だが私は「知ってしまった」ことを、後悔している。
もし子を持つことがあったら、我が子には私のような性根の歪んだ人間になってほしくない。
1種目についてのジャンルわけとかで人数が異なるでしょ
その意図が「同一成績分け」じゃなくて「同一前提分け」になってるってだけの話よ
10人出れる枠もあれば数人の枠もある それを「この競技は実数として何人だが」とか持ってくるのは意味がないと思うよ
そして分け方が「どういう理論で成り立つか」ってオリンピック競技者選定理論、なんてもので各競技の基準とか人数とか決めてるわけじゃなくて
あくまでスポーツをする前提で、できるだけ公平になるようにとする基準が「基準に沿った各国からの選出」になってるってだけの話
「柔道で無敗のクラス、10戦5勝のクラス、1勝9敗のクラス」と実力で分けたら、平等になるか?とか
「100メートル10秒で走れるクラス」に8秒の選手は出れないし10秒以上の選手しかいないチームは出場できない?とか
そういう事だよ これがなにかの理論に沿ってるわけでも一貫した哲理があるわけでもない
同じ競技をするのに何が「不平等感につながるか」を最低限排除するという事で決めるのがスポーツだねって事だよ
男女で分けてる話は「文面上同じ記事内に書かれているけど、出場枠の制限について男女の分け方が起因している」と結びついてないよ
「100メートル10秒の選手で競技する」となると男女の意味はないけど、逆に「100メートルのタイムを競う」で選手を募るなら男女わけは基準のひとつになるでしょ
前提としてもちろん「何秒台で走れる帯域」というのが性別に起因する可能性はあるけど、足の遅い男性と足の速い女性を混在させる場合に「完全にトップスコアを全人類上でだせる競技」でない場合だと
その混在理由、混在させてともに走ってスコアを出して、その1種目の中で順位を決めて賞を与える意味って「何々なのに足が遅い」というなんの基準もその意味も情報としても価値もないものになるよね
「体形が同じで同じスペックが出せるはずなのに、遅いやつは何なんだ」という事に、理由というか続ける言葉を人がつくるとしたらそこにあるのは差別的な何かになるでしょう
ただ早い人類を探すイベントなのだったら、100メートルを7秒台で走る義足の選手が出てもおかしくないでしょう 筋肉を特殊な方法で育てた人が出たりとか
そういうのを排除する意味は、人間のパフォーマンス選定会じゃないからって事 スポーツ競技者が成果を見せ合うお祭りなの
スポーツの公平性ってそういうことだって話だよ 研究室のパフォーマンスデータを一般人に見せるイベントみたいなものじゃない
たまに横断的に金をとる選手がいたりするけどそれはスポーツの祭りで平等性よりも「トップスコア」を狙ったスポーツマンシップから外れた基準だろうと思われても仕方がない
でも基準がいまのところそこはできるからしてるってところはあるだろうし、みんながお祭りとして楽しむためによりよくしていくならば、出場を限らせる条件をうまく言語化できるならばルールにしていくべき所だと思う
新体操だってベストなスコアが出せる人間がいたとしても「喫煙をしていた」とかで落ちる可能性があるんだよ
スコアと喫煙は関係ないよね だから出場するべきではあると思うけど選出条件から漏れたからトップスコアでも代表選手になれないって事があったりするわけ
ほかの身体スコアがトップだとしても薬物は違反だとか、他の倫理規定とかに違反していたら脱落とかある
競技者が競技として、そのスポーツの人口を増やす原因となってほしい成果のひとつをみんなに見てもらうためのお祭りがオリンピックなんだよ
本人が「飲酒喫煙ごとき」と「かけがえのない夢」と天秤にかけただけじゃん。
飲酒喫煙ごときとか言ってる奴らに言いたいわ、飲酒喫煙ごとき大きな夢の前では我慢しろよ。
知り合いに某トップアイドルのオーディションの面接前にプレッシャーに負けてストゼロ1缶開けて挑んで
お酒飲んできたんですか!?って詰められて不合格にされた奴いるけどさ。
自身の大きな夢の前でプレッシャーに負けて酒飲むような奴、怖くてグループに入れられないだろ。
どうすんだよ、武道館公演の前のプレッシャーに負けてシャブ打って出てきたら。
もう終わりだね(織田哲郎)ってなるだろ。
オリンピック代表のプレッシャーがあったんろうねとか言ってる奴いるけど、代表になっただけのプレッシャーで犯罪犯す奴がオリンピックの本戦に出たらどうなっちゃうんだよ。怖すぎるだろ。
本にもなってるようなケーキを三人分買ってこれないレベルの境界知能で「18歳から成人になるから飲酒喫煙も大丈夫だと思ってたんです」って言うんならまだわからんでもないけど、んなわきゃねーし。
普通に「20歳未満での飲酒喫煙は犯罪」って理解した上で「自分はオリンピック代表」っていう自覚をもって飲酒喫煙したんだろ。オリンピック代表である自分と飲酒喫煙を天秤にかけて飲酒喫煙を選んだんだから、それがバレて責任を問われたときにオリンピック代表を辞退するのは当たり前新体操でしかない。自分の選択の結果じゃん。
これがサッカーの伊東みたいにハメられて週刊誌に乗っただけの「疑惑」の段階で代表降ろされたとかだったら、黒確定もしてないのに19歳のかけがえのない夢を奪うなよ!って言いたくなるのはわかるけどさ。
今回は実際に煙草も吸った、酒も飲んだ、自分の意思で快楽を選んだ、そういう話だろ。
どこに同情の余地があるんだよ。
こんなニュースがあった。
盗撮から選手守る「衣装」…体操選手は自ら開発、バレーや卓球には赤外線吸収する新素材
https://news.yahoo.co.jp/articles/1845e8f09a37eff80519865d18e4da75f5f2fef5
(以下引用)
スポーツで女子選手が性的な意図を持って撮影される被害が後を絶たない中、トップ選手の間で、盗撮されにくい仕様のユニホームや衣装が広がってきた。
7月に開幕するパリ五輪では、バレーボール女子の日本代表チームが着用する。肌の露出を抑えた衣装を自ら提案、
開発した体操選手は「誰もが安心して演技できる環境を整えることが必要だ」と訴える。
(引用終わり)
以前、Yahooニュースで甲子園のチアリーダーの衣服が盗撮防止のために半ズボン着用を余儀なくされている話を見た。
コメント欄ではひたすら性犯罪者のバッシングばかりで、そもそも盗撮されにくい環境(衣服、座席位置など)を作れないのか?という意見は
見つけることができなかった。
また別の話では、能登の被災地で迷惑YouTuberが男性向け自慰用グッズを配布をしたことがあった。
私は叩かれるだろうと思いつつ、そのニュースのコメント欄に「性被害防止のための環境整備型のアプローチとみれば強ち間違いでもない」と書いた。
で、案の定ヒステリックに否定されるばかりだった。曰く、「被災地で性犯罪をする男が悪い」「まともな男は理性がある」と。
確か子どもを持つ親からのコメントが多い印象だった。そりゃあロリコンだとか関係なく、性犯罪をする人間が悪なのは当たり前の話である。
問題はいかにして犯罪者予備軍が犯罪を起こしうる条件を見つけ、潰すかという話をしたんだが。
冒頭記事のように、盗撮されにくい衣服の開発は地道な活動だが、環境整備型のアプローチとして確実に
性被害の削減に寄与する活動だろう。やっと達成に漕ぎつけそうな日本版DBSの導入もそうだ。
個人的には、AVや雑誌等を含むメディアで、マニアが発散できるコンテンツを提供することも犯罪抑止に含まれると思っているが、
今の日本では一般人(子どもを持つ親、表現規制派)のコンセンサスを得られない。
これはロリコンである私のポジショントークになるが、そもそも現代日本では若い女子(男子)中高生に興奮するのを糾弾する風潮が強すぎる。
彼女(彼)たちの性的魅力を楽しむことを禁忌とし、抑圧すればするほど盗撮を含む未成年への性加害は巧妙化し、地下化する。
性被害者は減らない。更に世間の親はヒステリックになり厳罰化の声が叫ばれる→性加害が巧妙化する・・・といったループとなる。
例えば未成年の身体(例えば新体操の女子中学生)の身体美を記録することに背徳感があり、
それで盗撮マニア側が余計に犯罪行為にエネルギーを注ぐ構図はないだろうか?
私は違法行為をしないロリコンだが、そういう背徳感で興奮している部分が無いかと言われたら嘘になる。
ロリコン趣味が認められて、そうした欲求を満たすコンテンツが公然と流通されるべきだと言いたい訳ではない。
少なくとも、何か事件の度に加害者の性的嗜好をバッシングしたり、厳罰化を訴えるだけでは性被害の予防・発見に寄与しない。
それは本邦で何十年もジャニーズ氏の性加害問題が無視、放置されてきたことから明らかだ。
バストが強調された二次元イラスト広告に文句をつけたり、オリンピック対策で出版物の表現規制を進めたこと、
更にそうした声が大きい団体を取り上げてきたことは、長年の性加害に対して何の抑止にもならなかった。
細かな表現規制を問題視してきたフェミニストや社会運動家が、その事実をどう総括しているのか不思議でならない。
表現規制問題を矮小化する訳では無いが、それよりも日本版DBSを推進する行政の実務者にはもっとスポットライトが当たるべきだし、
性犯罪を予防する製品を開発する企業はもっと支援されるような世論を作るようにしないといけない。
そうした方向に社会運動のリソースを割くほうが、たとえ一時のバズであっても悲しむ青少年を減らせることに繋がるじゃないか。
何十年もロリコンバッシングより先にやることがあったんだよ。本当は。
【余談】
1.大多数の人間(子どもの親、社会運動家を含む)は悪者を叩きたいだけで、被害者を減らす地道な活動に興味がある訳じゃないのかもしれない。
性犯罪予防に限らず、EBPMのような活動は今後も厳しいだろうという悲観があります。
2.私はジャニー氏が死去した2019年に性加害の事実を知り、憤りを覚えてはてな匿名ダイアリーに投稿しました。
当時は「今更ジャニー氏の趣味を知ったの?」と冷笑するコメントがつきました。BBC報道による外圧の後、日本社会の空気は一変しましたが
趣味で長編ラノベ(ライトノベル)を書きたい増田をみたので、ワイも考えてみた
(以前、カクヨムなどで長編を完結させたというすごい増田もあったけど、今回はそれ以前の問題の『何を書こう』)
ワイが他人を意識せずに、自分自身のためだけに書けるのは、マンガでも小説でも、50ページくらいがエネルギーの限界。このページ数はとても長編とは言えない
50ページ以上書き進めるには、外部からのガソリンが必要だが、他人に読んでもらうためには、他人を楽しませようと意識する必要がある
他人を意識すると、へっぽこなのを誤魔化そうと見栄を張ることになり(なお、誤魔化せる訳がない)、結果として筆が進まなくなるので、長編作ろうが未達で終わる
趣味なのに自分の技量を無視して無駄な見栄を張ろうとする問題は・・・まぁさておき、他人を意識して描くとき(楽しませようとする時)は、ヒット作をそのままなぞると良いと言うが、
ワイが好きな万人向けヒット作はドラゴンボール以外に無いんだよなぁ・・・。ドラゴンボールは鳥山明の超画力でなければ成り立たない
ドラゴンボールを題材にせんでも、バトルものは空間認識能力が高く、人体構造を考えて描くのが楽しい人にしか向いてないが、空間把握能力が死んでいるのは元より、骨格や筋肉、関節にも死ぬほど興味がない
ワイは死ぬほど運動音痴なので、ダンスや新体操を見て、人間は本来はこうやって動くことも可能なんだなァ・・・ってなるのは好きだ。ついでに、映画・時代劇・ゲームで、たびたび魅せてくれる映え殺陣(たて)も見るのも好きだ。でも、骨格や筋肉、関節には死ぬほど興味がない。そのため、現実の格闘技・武術・剣術には微塵も興味はない
じゃあ、銃になら興味があるか?と言うとない。なぜなら基本的に銃には殺す以外の目的が無く(スポーツとしての銃もいちおうあるが・・・)、いままで書き連ねてきたことと比べると、人間の身体ってこんな風に動くことも可能なんだなァ・・・ってなる要素が薄いからである
クレーン射的とか実際に体験したら、きっとスカッとはするのだろうけど、自分が描きたいか?自分が3Dキャラ操って楽しいか?と言われたら別だ
強いて言えば、人がそれぞれの自然な姿勢で歩く様子を見るのも好きなので、その文脈なら骨格や筋肉、関節に興味が持てるが、それはバトルじゃないし、
スポーツをテーマにしたマンガ・小説・映画で好きな作品はひとつもないので、競歩をやろうって気も微塵もしない(日記・エッセイならいいだろうけど、長編を書こうの目的からは逸れる)
鳥山明以外では、ONE も好きだ。ONE も万人受けする大ヒット作家だ。ONE ならバトル描写そのもの以外がメインになっているが、ワンパンマンは村田雄介の超作画じゃないとマス受けはしなかったよなぁ・・・
というか、『マッシュル』の前に、ジャンプで『努力しすぎた世界最強の武闘家は、魔法世界を余裕で生き抜く。』という作品があって、ワンパンマンスタイルで描かれていたにも関わらず、ウケなかったもんなぁ・・・
なお個人的には『魔法世界を余裕で生き抜く』はとても気に入っている。イヤな奴、悪い奴がいっさい出てこないコメディで、めちゃくちゃ単純な話だからだ
主人公はサイタマと同じく何でもワンパンで倒せるチートフィジカルを持っているが、魔法に関しては絶望的に才能がない。それでも魔法が好きで、魔法使いを目指すという大変分かりやすいストーリーだ
結局、主人公はすごい魔法使いになることはできないが、ささやかな魔法は使えるようになる。主人公はそれにめちゃくちゃ喜んで満足し、今日よりも明日!少しずつでも能力を向上させよう!と前向きに努力を続けてマンガは終わる
追記:読み直したら、主人公はド派手な綺麗な虹魔法使ってた(効果は謎。綺麗なだけかも)し、書き下ろしで物凄い質量の杖を魔法で持ち上げられるようになってたので、すごい魔法使いになる夢は叶ったっぽい
(ただ、『魔法のスターマジカルエミ(1986年) 』でも、主人公の舞が魔法を捨て去り、自分自身の力で本当のマジシャンを目指すみたいなのが、マス受けしてる感じしないし、作画以外の要素もありそう)
『マッシュル』もワンパンスタイルの作品かつ、海外で大バズりしている。魔法世界でフィジカル全振り+すごい魔法使いになるっていうコンセプトは、『魔法世界を余裕で生き抜く』と共通している
ボーボボ を彷彿とさせるギャグシーン/良いヤツばかりの日常パート/差別や困難に立ち向かう前向きな姿勢/ボースティング、これらはワイも超好き
ただ、主人公のマッシュがワンパンで敵を倒すシーン・ギャグで圧倒するシーン以外のバトルは、個人的にはあんま面白いとは思えんのよな・・・・
週刊少年ジャンプの作家なので、一定のクオリティが保たれているから、見るのが苦痛とまではいかないけど、正直、マッシュ以外のバトルは別に無くてもよくね?みたいな・・・(まぁ、バトルなきゃこんなに売れなかっただろうけど・・・)
結局のところ、ワンパンやギャグじゃない正統派バトル漫画は、超画力の選ばれし者にしか描けないよなぁ・・・と改めて思うばかりよ
小説でも多分同じだわね。ワンパンやギャグではない、読んでて楽しい、映える正統派の戦闘描写なんて、気が遠のくわ・・・
とりあえず、ワンパンスタイルは頭の片隅に置きつつ、バトル/アクションの描写がメインではない自分の好きな作品について考えてみる
でも、やっぱ、マス受けしているヒット作の中で好きな作品はひとつもないんだよな・・・。まず、マス受けする恋愛ものが好きではないし、特定のフェチを推したいという情熱も無い
バトル/アクションがメインでなく、ウケそうな恋愛描写もメインでなく、フェチも特に無いという時点で、かなり対象者が絞られる
何かないかな?と思うが、何度考えても何もない。昔のハリウッド作品(2010年以前)なら、それなりに好きな作品があるけど、うぅ~ん・・・
なお、他人を楽しませようとして、マス向けヒット作を模倣しようとする理由は、対象者を絞った作品で作者の技術が極端に稚拙だと、最終的に読者との文通のような形になってしまうからだ
ワイがやりたいことは、稚拙・未熟ながらも、読者に何かを感じさせる"物語を書くこと"で、文通ではない。ついでに、日記や観察報告を誰に見せることでもない(趣味で長編ラノベを書きたいと言っていた増田もたぶん同じだと思われる)
ちなみに、鳥山明、ONE、昔のハリウッド作品以外で好きな作品は、モノクロ時代の日本映画や小津安二郎の作品、重苦しかったり淡々としているインディペンデント映画、アキ・カウリスマキ、ケン・ローチ、フィリップ・K・ディック、川端康成、遠藤周作、いがらしみきお(sink/かむろば村へ/Iなど)、海外のヤングアダルト作品や児童文学、名作劇場系(日本アニメーション制作系)のアニメあたりがぼんやりと好きだ。つまり、鳥山明、ONE、昔のハリウッド作品以外は、対象者が絞られる作品が好き
いわゆる巨匠/大御所/名作/お子様も観てOK以外では、トッド・ソロンズ、岡部閏、明智抄、奥瀬サキなど、やはり対象者が絞られる作家の作品が好き
ワイがこれらの作家の作品をそのままなぞったら誰かとの文通になりますわ・・・
ワンパンスタイル、昔のハリウッドスタイルで、ワイがなぞれそうなのないかなぁ・・・は、まぁ暇な時に考えつつ、
なんかヒット作でワイも好きなのないかなぁで思い出した、岡部閏の『グッド・ナイト・ワールド』、対象者が絞られまくっている作品だから、せっかくアニメ化したのになんかすげ〜無風だけど、脚本、パトレイバーの横手美智子なのよ。『ネトゲ・SFがギミックになってるサバイバーの再生物語り』で興味が持てそうな世界中の人に届いて欲しい
グッド・ナイト・ワールドの絵の作り方も印象に残ったけどね。プラネットやAIの幻想的で無機質な描写や、ピコちゃんのプラネットオフった後の日常パート描写よかったし、キャラのお目目の表現良かった
クソのクソの解説の演出も、中学生(の見た目だが実はそうではない)ってぽくて、とてもよかった
横道にそれたところでおわる・・・