
はてなキーワード:料理研究家とは
「陰謀論はバカ」「自然派は非科学的」と言いながら、実は自分も大して分かってない人がふえてる。
たとえば
・「味の素は石油からできてたのはデマ!」と、ドヤ顔で否定→そもそもどうやって作られてるかは知らないし味の素の公式説明さえ見てない
・「水素水は存在しない!小学生の知識でもわかる」→水素や還元反応について説明できるわけじゃない、医療用として存在することを知らない
・「化粧水はただの水」と断言→皮膚科学や保湿機構の話を何も知らない
・「誰かが言ってたから」信じる
結局のところ、信じてる方向が逆の「陰謀論者」。
陰謀論者が「全部ウソだ!」と叫ぶのに対して、冷笑系無知は「全部デマだ!」と叫ぶ、理性的な分上に立っていると勘違いしている馬鹿。
どちらも、根っこの構造は同じく、「自分は人より賢い」と思いたいだけ。
ひろゆきとか、料理研究家リュウジとか「常識っぽく語る論客」を好む。大衆の要求を読むのが得意で、自分を賢そうに見せるのが上手いが、
実際はそうでもない人たち(他の掲示板の様式パクって自分のモノみたいに語ったり、他人のレシピを自分のもののように語ってる見せるのが上手い人たち)
冷笑系無知は「ああいう言い方をすれば勝てる」と内容より口調を真似てしまう。
その結果、SNSでは無知なのに賢ぶる人たちの冷笑文化が蔓延していく。
冷笑系無知の多くは、学問や知識に対して劣等感を持っていて、根っこにあるのは「コンプレックス」。
だから「勉強する」よりも、「誰かをバカにする」方が簡単で気持ちいい方を選ぶし、陰謀論者や自然派と同じで「勉強の仕方」がわからない。
同じ意見や感想を言い合って共感することを「勉強」と思っている節がある。
一見クールで理性的に見えて、内側は「承認欲求」と「自尊心の不安定さ」の塊なんだよね。
でもどちらも、「知らないことを知らない」という同じ病気を抱えてる。
そしてその病気は、治そうとしない限り、どっちも治らない。
もし自分が「冷笑」してると感じたら、いったん立ち止まって「自分はどれくらい理解してるんだろう?」と問い直す。
それだけで、少しだけ知性のある側に近づける。
あれもこれも結局、学校教育が表層的な部分しか教えてないとか、学ぶ内容より学び方を教えてないとか、そういうのに元凶があるし
コツコツ生産的な活動をしている人より、SNSで炎上したりバズらせている人が尊敬されたりする社会が悪いとは思う。
そこはインターネッツのいいところ。
私は年中サンマ情報を求めているのかインターネッツの凄いところにバレているのか分からないけれど、
こんな美味しい秋刀魚の食べ方あるよ!って。
情報が転がり込んできたの!
煮る秋刀魚!
なにこれその発送なかった!ってぐらい
蟹を煮るバーナーの火力を思い起こしたわ。
以前家でフライパンで焼いて部屋中が秋刀魚の香り漂う感じになっちゃってしばらく匂いが取れなかったって困りごとがあったの!
煮たら匂いでなくない?
これすぐ試せそうよ!
さすがインターネッツね!って
インターネッツでバケツが欲しいから検索して購入したにも関わらず、
ほら!バケツあるよ!たくさんあるよ!赤いのもあるよ!黄色いのもあるよ!って
私がインターネッツで買い求めてもうバケツ欲はすっかりなくなってゼロになったというのに、
このインターネッツリテラシーのある程度持ち合わせていると自身と確信と実績と信頼があったのにも関わらず、
そんで、
私はバケツ欲を満たすために届いたバケツをわーい!ってもって外に飛び出して、
今年の秋刀魚が豊漁すぎて、
市場から競りに掛けられてお店に並ぶために運ばれる乗せられたトラックの荷台からカーブで満載に積まれた秋刀魚がこぼれ落ちるの。
それを拾い集めるためのバケツ!
いくらトラックの荷台から秋刀魚がカーブで曲がったときに車体が傾いてこぼれたとしても、
家で焼いたら秋刀魚臭がマックスになるからもったいないなぁって、
文字通り指をくわえて眺めていたの!
でもそれもおしまい!
秋刀魚を煮たらいいのよ!って。
ああ~
私に秋刀魚を煮たらいいかも知れないって発想の転換がなかったら、
ねえねえ秋刀魚って煮てさ焼いてさ食ってさって
秋刀魚を煮るって発想が私、
これで本当に、
秋刀魚を焼かずにフライパンでお湯茹でて茹でたら美味しい茹で秋刀魚が出来上がって、
トウモロコシみたいに丸かじりするの!
いやそんなでっきわけないから、
でも私が知らなかっただけで、
だからもしかしたら10年前の秋刀魚界隈では煮る!ってのが定番だったのかも流行が今一周した瞬間!
秒針と分針と時間の針が一同に真っ直ぐ並んだ瞬間の
6時30分30秒なの!
うわー!
この瞬間きたー!
秋刀魚焼かずに煮るのよ!
秋刀魚力30000よ!
私の秋刀魚力は53万ですよ!の人には敵わないけれどね。
でも、
いいこと聞いちゃったので、
これなら3本ぐらいいっぺんに茹でられそうよ。
え?もしかして、
これ公式記録は今シーズンは昨シーズンの4本とほぼ並びの3本だったけれど、
まあこれは記録には残らない私の舌にダイレクトに伝わるピュアな記憶として残すべき秋刀魚遺産なの。
しかと味わってみるわ。
いまから本当に楽しみすぎて、
いや!まてよ!
偶然鮮魚コーナーを立ち寄った際に、
また偶然を装って、
じゃないと、
私の秋刀魚の気を感じて秋刀魚が恥ずかしがって隠れちゃったら悲しいじゃない?
鮮魚コーナーに行ってみようと思うわ。
3匹いや!3尾ぐらいならペロリと食べられそうなものじゃない?
私のサンマ煮て食べたら美味しいかものハードルを上げすぎたら、
上手にできなかったときに悲しいので、
ここも平常心を保って
フライパンにサンマハードルを上げすぎだろ!って気付かれない感じで、
しっぽりとサンマをいいお湯加減で茹でられるようにしたいものよ。
上手に美味しくできたら嬉しいな。
あとは
鮮魚市場から競り落とされたサンマが出荷されるトラックの満載の荷台から秋刀魚が落ちてくるのを今か今かと待つばかりよ。
バケツ買っといて良かった!
うふふ。
お惣菜でもよく見かけるのよ美味しいし、
自分でも簡単に作れそうだけど海老ってどうやっていいのか調理方法が分かんないので自ら作るってことはまだ成し遂げてないのよ。
たぶん「ゴレン」って字面に引っ張られてるだけよね。
きっとそうだわ。
こないだ冷やし忘れていたのを後悔したことを公開しないために、
もちろん、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
暑さ寒さもガンズアンドローゼズとはよく言ったものよね。
そんで朝晩は冷えるから
今日は予定がないからダラダラ過ごし勝ち大勝利になりそうなので、
夜に無理やり予定を入れてみたわ。
夜に映画を観に行くのよ。
無理やり予定を入れたら、
それに合わせて夜にシャキッとしてないといけないので、
今日はシャキッと過ごせそうかしら?
1日でも貴重な日々をすごさなくちゃいけないのよ。
ブンブン腕を回して張り切っているわりには、
記録が伸び悩んでるわ。
「火を見るより明らか」ってのは、
おそらく
以前までは
どういうふうに当たり前のことを明らかだね!って言っていたのかしら?
そもそもとして、
火を使い始めたきっかけってなに?
偶然に雷のスマップさんバージョンじゃない方の林田健司さんバージョンの青いイナズマが木に落雷して火がついたところを発見したのかしら?
だから、
いきなりその当時の人が、
即座に雷の稲妻の落雷でおきた火にいきなり骨付き肉を焚べて焼くかのように、
それだと
まあ、
火が偶然にも発見したのは良いとして、
火なんて見たこともないのに、
いきなり肉を焼く発想でてくるのかしらってのも思うわ。
つーかさ、
雷は偶然の落雷の発火で火がついたとして、
たまたま通りがかった原始人的な人が通りすがりに大将やってる?的に暖簾に腕押しでお店に入店した勢いだったと思うの。
てなると、
ご機嫌にやっている大将の横にいる女将がいるいちいち小鉢料理が美味しい小料理屋が、
それら、
うーん、
悩むわよね。
そんでさ、
うわ!いい美味しそうなニオイじゃん!ってそこまでは分かりそうなものじゃない?
で、
次は味付けなのよ!
火が発見されて肉を焼いたら美味しいかもって発見するより前に精錬された食卓塩はなかったかもしれないし、
丸焦げになるのを待ち構えている原始人は食卓塩を持ち合わせていなかった可能性大だし、
それよりも、
そのご機嫌で大将が板前でいてその横に女将がいるいちいち小鉢料理が美味しい小料理屋はノー調味料で料理提供していたってこと?
胡椒や食卓塩ができる発見発明される前の小料理屋は味付けはシンプル、
いやノー味付けだったかもしれない素材のうまさを十分に活かすスタイルの粋ないちいち小鉢料理が美味しい小料理屋さんだったのかも!
採れたての野菜を生で齧らせがちだし、
変に味付けしたがらないじゃない。
あ!そういうことかー!って
すでにいちいち小鉢料理が美味しい小料理屋さんは素材の味で勝負していたのよ!
うわ!
文化の日先取り!って感じがよくない?
でも、
お肉は何分ぐらい焼いたらいいの?って口伝えで伝承するにはあまりにも曖昧すぎるかもしれないので、
お肉は何分焼く!って具体的に書き記すことができた、
文字の発見もきっと美味しいレシィピをのこすためには重要だったかも!
その大将曰く「味の決め手は昆布出汁や!」ってそれだけ素材一択だったら分かりやすい文字も必要のない伝承の仕方かもしれないけれど。
火が発見される前に、
すでに
食卓塩も胡椒もあってレシィピも書き残せる紙とペンと文字も発明開発されていて、
あとは肉が木に落雷で発火したのを偶然通りかかった動物が美味しく焼けるのをメモを握りしめて鉛筆の芯をペロペロ舐めて構えて待ち構えている目前だったかもしれないわ。
で、
人類がまだ見ぬ知らぬ火に焼かれた肉が美味しそうなのかも!って知らない季節に
デスク編集長に編集者が今日の巻頭カラーはこれで決まりですね!って言いそうな勢い!
落雷焼肉爆誕!って見出しで落雷で発火し動物の肉が美味しく焼ける人類初の出来事!って、
正にバクザン先生も爆誕!ってうっかり言いそうなぐらい1面大見出しになっていたかもしれないわ!
言ったらそれはアンガス牛定食を求めている証拠ですとAI言うじゃない。
ああ、
食いしん坊が爆発する秋のシーズンの脳内のそういった潜在的な意識をイメージ化したのかもしれない。
サンマ定食秋刀魚ホームランの連続打席ホームランも疲れちゃうので
中日にカッツアンガス牛定食も挟んでみるのもいいかもしれないわね。
ちょっと涼しくなると、
なんか変に食欲も爆増しない?
私だけかしら?
秋刀魚ホームラン試合のないときの移動日とかはカッツアンガス牛定食でもいいかもしれないわ!って
うふふ。
朝ご飯とお昼ご飯を一緒におうちゃくにも済ませてしまいそうだわ。
香ばしくて出来立て瞬間は美味しいわ!
翌明けて2日目となると
とはいえ、
これでも十分美味しい初のコーン茶ウォーラー茶は満喫できそうよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
祖母が特別な時に作ってくれた美味しすぎるシチューのレシピがわからない。
祖母は8年前に亡くなり、レシピを聞いておけば良かったと本当に後悔している。
シチューの特徴を箇条書きする。
・具材はちょっと良い牛肉、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、生姜。
・野菜は角が丸くなるまで煮込まれている。牛肉は脂肪部がない赤身がほぐれるまで煮込まれている。
・色は白濁。少しきつね色。サラサラしている。牛乳はたぶん使われていない。
・中国やモンゴルなどのスープが元になっている祖母オリジナルではないか?塩漬け羊のスープは近しいと思う。
増田をやっていると、本当かよ!?と思わず調べてしまうことがよくあって、学びになります。
ということで、最近、個人的に増田で学んだことをまとめました。間違っている知識かあったらすみません。
ピラミッドの底辺が砂に埋まっているので、ピラミッドは見た目ではもうちょっと短いらしい。
憲法22条で、職業選択の自由とともに認められています。だから住む場所は自由です。ただし、公共の福祉に反しない限りにおいて、です。
レンタサイクルといえば、電動自転車かママチャリしか借りれないと思っていたのですが、サイクルコースの近くとかではロードバイクをレンタルしてくれるお店もあるそうです。
モロッコには建物が全部、青に塗られているシャウエンという街があります。
職場で見るのにふさわしくないコンテンツ、の意。ポルノとか暴力とか。
おい!!!とか大声で言うだけならセーフ。その後に、殺すぞ!と言ったら脅迫罪、土下座しろ!と言ったら強要罪、金よこせ!と言ったら恐喝罪。
Windows 95 は平成です。
傘差し運転と同じ。公安委員会遵守事項違反、というらしい。その他条例でも禁止されているところがある。
Yahoo!知恵袋調べ。新しければ新品、古ければ古物、その間のやや古いのが中古。
ただし海外勤務の場合はもっと高くて、1300 万円以上ぐらいらしい。
「根性」は仏教的には性根と同じ意味で、もともとは粘り強いとかの意味はなかった。
だから、自力での入賞がなくなった時に「他力本願寺!」と言って祈るのは、合ってる。
このフレーズは17世紀のデカルトの方法序説という本の中に出てくる。それにしても17世紀というのは結構最近に聞こえる。もっと昔の本だと勘違いしていた。
このフレーズは、山本五十六のオリジナルではないが、気に入って色紙とかに書いていたので有名になったらしい。
ちなみに、山本五十六は前線視察中に米国軍機に撃墜されて亡くなった。
平成です。
同じ頃には、ルーズソックスやナタデココ、ポケベルが流行っていました。
クルドとは民族の名前で、そんな名前の国はない。トルコ、イラン、イラク、シリアに多く住んでいて、この地域がクルディスタンと呼ばれたりする。
自分たちの自治領や自治区を他国に作ろうといて、特にトルコと揉めている
ンゴロンゴロ自然保護区という場所がタンザニアにある。近くにコーヒー農園があって、その豆を使用したコーヒーをンゴロンゴロコーヒーという。
ちなみに難易度は年々上がっていて、TOEIC900点でマウントを取る人には「いつ受けたんですか?」と突っ込むのが礼儀。
個人を特定できる情報、という意味ではない。(それはただの個人情報)
フランス語が語源。楽譜を読む訓練、音を聞き取る訓練、リズムを把握する訓練などの総称で、特に子供の音楽教室とかでやるもの。
楽器をやっている人が、ちょっと練習すれば他の楽器も弾けるようになるのは、このソルフェージュの力。
チームの中で、純粋にタイムを狙う人、山岳賞などの特別賞を狙う人、風除けになってサポートする人、補給食などを配る人など、いろいろ役割分担するらしい。
データ保存用のメディアとして使ったことないので、知らなかった。思ったより容量が少ないという印象。ハードディスクをそのままバックアップできるぐらいの容量があると勘違いしていた。
発売開始はアリエールは1986年、エリエールは1979年で、エリエールの方が古い。
ショートショートってどれくらいショートだったらショートショートと言っていいの?と思って調べたら、諸説あることが分かった。
とはいえ、厳しい定義は原稿用紙5枚以下、ゆるい定義は20枚以下ぐらいの幅に収まる。
どちらも通貨偽造の罪だが、もちろん日本円の偽札を作る方が、外国の偽札を作るよりも罪が重い。
また、持っているのが偽札だと知って使うだけでも(作っていなくても)罪になる。
ファイルを暗号化したり署名したりする時に使われるソフトウェア。
ヤッターマンというテレビアニメの中でナレーションとして使われていたフレーズらしい。
ちなみにヤッターマンの初代の放送期間は1977年から1979年まで。昭和である。
ヒジャブはアラビア語で「覆うもの」の意味。全身を覆う布はブルカと呼ばれる。目以外を隠す布はニカブと呼ばれる。
一方JR東海は儲かっているらしい。理由は知らないけど、新幹線が関係していそう。
増田では、離婚するときに子供を連れ去ったら親権が取れる、いいやそれは誘拐だ、という議論がよくなされるので、気になって調べた。ちなみに誘拐は英語でkidnap 。スペルにkid が入っているが、子供以外を誘拐する時にも使える。
Wikipediaによると、歴史的には14世紀ごろにアジアからヨーロッパに入った玩具が元になって生まれたのが起源らしいが、「後付けされたファンタジー的起源」では古代バビロンや古代エジプトの伝説が起源らしい。
どっちも知らなかった。
あの、インドとかで乗客が車両の外まで溢れて乗っているやつのこと。トレインホッピングとも呼ばれる。
乗る列車が貨物列車の場合はフレートホッピングとか呼ばれるらしい。
だんだんめんどくさくなったけど、頑張ってまとめました。
増田は学びが多いSNSです。また学びが溜まったら投稿します。
他にもいい雑学があったら教えてもらえるとありがたいです。
何やらSNSで味噌汁を沸騰させるかどうかが騒がれているらしい。
事の始まりのつぶやきは私も見かけていたのだが、何やら変な方向に話が向かっているようで、SNSのよろしくない流れになっているように感じる。
こういうことはそもそも触れること自体がダメなようにも感じるのだが、匿名という利点を使って自分自身の考えをまとめたい。
『職場で「味噌汁は味噌入れたら煮立てたらダメだよ」って言ったら大笑いされた。
「また昭和の話ぃ?今は令和ですけど?」
令和とか関係なくない?
あれ?
分からん。』
まぁ、個人的にはひどい話だと感じるのだが、このつぶやきのミソは味噌汁を沸騰させるか否かではなく、「世代間の認識の違いを笑いものにされた」ということである。
私はこの方をフォローしていないので、普段の言動がどんなものかわからないが、このつぶやきだけを見る感じ、軽い注意、あるいは善意のアドバイス程度の気持だったんだろう。
にも関わらずに相手からは「昭和の話」とまるで古臭い固定概念のような見下すような反応をされた挙句、笑いものにされたのである。
そういった職場の態度に「傷ついた」というのがこのつぶやきの本来の趣旨であり、味噌汁を沸騰させるのを正しいかどうか、は表面的な問題に過ぎない。
「今の家庭科だと~」のくだりもあるが、これは傷ついた心からくる防衛反応みたいなものにしかすぎない。
フォロワーがかなり多い人でもあったので、このポストは話題になった。
そうなると、いろんな場所にまとめられるのが世の常だが、このつぶやきと一連の反応もTogtterなどでまとめられるのだが、ここで注目されたのが「味噌汁を沸騰させるのは正しいのかどうか」である。
Togtterでのまとめの目次を見ると「最近は学校でどう教えてるのか」「学校で「煮立たせない」と習ったはず…」「味噌汁は沸騰させると風味が飛んでしまう」「煮立たせてしまっても問題はない」と見事に沸騰させることの是非について偏ってしまっている。
悲劇的なのはここで料理研究家の人が動画で「炎上覚悟」と言って味噌汁を実際に沸騰させたものとそうでないものを飲み比べて、全社のほうが美味しい、という発信をしてしまった。
最初にも述べたようにこのつぶやきの趣旨は「笑いものにされて傷ついた」というものであり、味噌汁の調理方法の正誤ではない。
にも関わらずにこのような動画を配信してしまうのは、結果的に「世代間の認識の違いを笑いものにする」ことを肯定してしまっている。
実際に最初のポスト主は料理研究家に取り上げられたことに対して、
『職場で味噌汁をボコボコに沸騰させて煮詰めちゃう職員に「味噌を入れたら沸騰させないよ」って言ったら
「うわー、昭和?ふるっ」って笑われるし、
「味噌汁は沸騰させた方が美味しいから令和の勝利」って書かれるし、
もう、みんな煮詰めてください。』
と反応している。
このポストでも「笑われるし」と書いてるように、如何にこの方が職場に笑いものにされたことに対して深く傷ついているのかが理解できる。
明らかにポストの趣旨を外してしまった結果、この料理研究家にも非難が飛ぶのだが、それに対して「誹謗中傷だ」と本人は言っているが、わざわざ炎上覚悟とまで言ってて上げた動画の反応にそういうのは個人的には理解に苦しむ。
とはいえ、この料理研究家の方は日頃より、何かと敷居が高くなりがちな料理に対してインパクトがありかつ気軽に、簡単に料理できる方法を編み出し、それを広めることが活動の目的にも思えるので、今回はそれが悪い方向に出てしまったのではないか、とも感じる。
今回の件だけで言えば当該の料理研究家はズレていると思うが、日ごろの活動については悪いとは感じない。
SNS、特にXは日頃から様々な情報が入り乱れ、中には印象操作や事実誤認を狙ったようなものも少なくない。
今や国レベルでそれを危惧する事態になっているのだから、情報の正しさを求めるのは間違っていない。
だが、今回の騒動では表面的な「調理方法の正誤」にばかり目が行ってしまい、肝心なポスト主の気持ちが置いて行かれているように私は感じた。
たとえ、味噌汁を作る時に沸騰させるほうがおいしいとしても、それを知らない人を笑いものにしていい免罪符にはならないはずだ。
これは「調理方法の正誤」ではなく「人との付き合い方」の問題であり、それに関して言えば否はポスト主の職場の同僚にあるのではないか。
もちろん、私は職場でのポスト主がどのような人間であるかは知らないし、ポスト外でいろいろあったのかもしれないが、それを邪推するのもおかしな話だろう。
毎日コンビニ弁当。電子レンジで温めるだけの生活にも、さすがに飽きが来た。
栄養も偏ってるし、スーパーの総菜を食べていると「このままでいいのか」と、ふと自問してしまう。
だから俺は考えた。「健康のためにも自炊でもするか」と。どうせやるなら、完璧な環境を整えたい。
弱者男性、フルスペック自炊環境を夢見て、必要なものをすべて見積もってみた。
港区ワンルーム・築浅マンション(キッチン広め)……家賃 月18万円 ×12ヶ月 = 216万円
高性能冷蔵庫(観音開き・急速冷凍・スマート対応)…… 60万円
合計:516万円
食材定期購入(オーガニック食材・野菜・肉・魚)…… 年間60万円
合計:183万円
料理教室(マンツーマン・出張指導・月4回 ×12ヶ月)…… 年間48万円
合計:95万円
合計:35万円
維持・消耗費:35万円
合計:829万円
829万円
それが俺の思い描いた“本気の自炊生活”に必要なコストだった。
もちろん、やろうと思えばもっと安くも済む。けれど、俺は弱者男性。
せめて道具だけは一流でなきゃ、続ける自信がない。
でも829万円の自炊って、いくら節約になってもこんな初期費用は出せない。
食費を抑えるどころか、破産一直線。
俺は自炊を諦めた。
私20代後半
相手 30代前半
半年付き合う
→別れる
→七ヶ月経過(その間も5回くらいは会って遊んでいた)
という流れ。まだ若者のような恋愛をしている、そろそろここから引きずり降ろしてくれ、私を。
あ〜、一度復縁申し込まれた時に断らなければよかった、断るときにひどいことをたくさん言ってしまったから傷つけたんだ、性格悪くて人の悪口言ってばかりだった、やり直したい、あれが人生の分かれ道だったんだ、いやクソ野郎お前が悪いんだよ半年も付き合ったのに客観的にはラブラブだったのに好きになってないとかほざきやがって、復縁申し込む時も「性格が正反対なのが逆にいい」とか毒にも薬にもならんこと言いやがって、「別れて好きだったことに気がついた」とか言ってくれたらヨリ戻したのに、「流石に私のこと好きじゃない人とはもう付き合わない」と言ったら「じゃあ好きでいいじゃん...」ってなんだよそれ、幼児か?そもそもこっちが「結婚しませんか」って言って付き合い始めたのに最後まで全部こっちに決めさせる気なの?自分の気持ちすら相手に決めてもらわないと分からないの?
と思ってよりは戻さなかった。私のことを好きじゃない人に愛情を注ぎつつげて不満を持っていないかのようにすごした半年の辛さをぶちまけて、別れた。
私と本当にもう一度付き合いたいならここから連絡きたりするだろうと思ったけど、全くなかった。
私は絶対にもっといい人がいるはず、と気合を入れてマッチングアプリに勤しんだ。一方、なんで連絡よこさないんだよ、とイライラもしていた。半年ほどが経った。
マッチングアプリで10人以上は会ったかな、一人好きになりかけた人はいたけどうまくいかず(それも彼より合うかはかなり微妙ではあった)、私のことを好きになってくれる人も何人かいたけど私が好きになれなかった。
彼を忘れられるような人と出会えるはず、と思っていたけど出会えず、彼の良かったところばかり思い出してしまう。
別れた後は愛が反転して憎になっていたんだけど、憎しみは時が薄めてしまった。それなのに愛は時間では目減りせず結局、また彼のことを好きになってしまった。
彼は最近流行りのメロい男ってやつなのか(違ったらごめんよ)、大学の時の憧れの先輩で、友達には「研究室に似た顔の人何人かいた」と言われたけど私にとってはとんでもないイケメンで、千秋先輩みたいな存在で、唇の傾斜があまりに芸術的なので最後に会った時も凝視してしまった。学年が5個離れてたので大学の時は二回しか話したことなかったけど、二年前にきっかけ作って連絡を取ってから必死に半年アピールして(通じなかったけど)付き合った。
理系の修士卒で、エンジニア、山登る、ギター弾ける、音楽に詳しい、ラジオが好き、ハンカチで鼻かむ(やめてほしい)、図書館で本借りる、痔、性格がよろしくなくてご飯に無条件で「おいしい」なんて絶対言わないし、シェフじゃない料理研究家のことを見下してレシピ師とか呼んでる。映画見た後は間髪入れずに「何点?」て聞いてくるし、評論家気取ってるくせに映画の趣味狭いからほぼどれだけ俺のストライクゾーンに入ってきたかの点。痔だからいつも繊維の粉をコーヒーに混ぜてて痔日記をつけてる。一人称は俺 or自分の苗字。体が弱くていつもどこかが痛んでる。ワードセンスが良くて論理的なのに支離滅裂でグルーヴ感がある。
全部好きだった。と言うのは嘘で、むしろ嫌なところは結構あったけど、嫌なところも含めての彼の世界観だと理解していたから彼が好きだった。
いつか好きになってもらえると思って付き合っていた。彼は高校以来恋人がいたことがないらしく、まあ大人になってから付き合ったのは私が初めてということだ。
付き合ってるのに「好きとはいえない」「好きと言う気持ちがわからない」とか言われるのは傷つくしムカつくけど、まあこういう人は大学入ったばかりの頃なんかは男女問わず結構いたでしょ?赤ちゃんだって生まれながらに「嬉しい」「悲しい」「アイツが憎い」みたいな感情を理解しているわけじゃない。感情は社会の中で学んでいくものだから、「愛」だって私が教えられると思った。
愛に限らず自分の感情に疎い人だったから、きっと自分でも分かっていないだけで彼の中に愛がないわけではないと思っていた。
最後まで私について何を考えてるのかよくわからなかった。おしゃべりが好きでいつもペラペラ喋ってるくせに、肝心なことは話さない。
私に復縁を断られた時に「いつも我慢してた」とか心無いことをたくさん言われてもうそう言う気持ちになれなくなってしまったんだって。もう付き合うことはできないんだって。
でも私と別れていた一年間もアプリやったりもしてないしなんの出会いもないんだって。もう地元に帰ろうかとも思ってるんだって。おじいちゃんなの?
最後色々話していたら「復縁申し込んだ時はちゃんと気持ちが盛り上がってた。それは信じてほしい」と言われて意味がわからなかった。何それ、好きだったってこと?「気持ちが盛り上がる」ってなんなの?ちゃんと言葉にしてくれないから、信じる対象がそもそもないんだよ。
私はもう復縁を断った時になんと言って詰めたか詳細を覚えていなかったから、「いつも我慢してた」の意味を聞いたんだけど、なぜかちゃんと答えてくれなかった。
私にとって問題の全てはあなたが好きと言ってくれなかったことでそれが「いつも我慢してた」ことだと思うんだけど、分かってるのかな?
だいたいあなたは「いつも我慢してた」なんて、雑な論理を許す人じゃないでしょ。理解できなかったからって雑な論理に落とし込むなよ。
なんでもう付き合えないのか聞いたら「将来を考えた時に自分が無口になっていくような気がした」「辛いことも多かった」って。嘘つくなよ。もしそうだったらあなた復縁申し込んでないでしょ。付き合ってた時あなたは自覚はしてなかったかもしれないけど、幸せそうだったよ。別れてから一年経つけど会うたびになんでいつも元気がないの?
頭を動かすことをサボるな、私に色々言われて心が折れただけなんじゃないの?でも、私はそうやって話し合うことで関係を良くすることができると思ってたよ。今もそう思ってる。
私に何も気持ちがなさそうでサクッと断られたら私もショックだけど諦めるよ。でも、なんであなたが振るのにそんなに辛そうなの?なんで微妙に未練がありそうなの?
そもそも今の自分の感情ちゃんと分かってる?私はあなたが好きだからそんな態度を取られたら辛いよ。
振られて辛いだけじゃなくて、あなたが将来もっと歳をとってどうしようもなくなった時に後悔するんじゃないかと思うから、それが辛い。
だいたい、今も何回も会って遊んで電話までしてたのに復縁断られるとは思ってなかったよ。
「女友達だと思ってた」って、本当に?まずお前の女友達の定義はおかしいんじゃボケ。私は男女の間に友情が成り立つことは稀にだけどあると思ってるよ。でもそれはお互い相手に気持ちがなくて、かつそれをお互い理解している時だけだと思ってる。あなたはまず自分の気持ちも相手の気持ちもよくわからないでしょ。
それに、本当は気がついてるよね?あなたの女友達、友達じゃないでしょ。旦那さんがいない間に家に呼べれて赤ちゃん抱っこしたって、それ旦那さん知ってるのか聞いたら「いや、言ってないだろうな笑」って。言ってないだろうと思うなら自覚あるだろ。お前は女の知り合いがいることで俺はモテないわけじゃないと思いたいだけのメンタル童貞なんだよ。現実に向き合えよ。
いけない、また言いすぎてしまった。ただ、自分が傷つかないように現実をわからないふりをするのはやめろ、せめて自覚的であれよ。
私とは付き合わないけど、結婚はしたいし子供も欲しいらしい。無理だよ?何歳のつもりなの?でも「人にはそれぞれの時間の流れ方がある」「俺は自分のペースで生きる」らしい。世界はあなたのスピードで回ってないから無理だよ。
でもね、私はあなたがゆっくり生きる人なのは知ってたから、スピードを合わせたいと思ってたんだよ。あなたのそういうところが好きでもあったから、私はずっと待ってたんだよ。普通好きじゃないと付き合わないんだよ。好きじゃないのに付き合うこともあるけど、それも普通はすぐにちょっと嘘でも「好きだよ」って言えるところまで自分を持っていくんだよ。
私はあなたに好きになって欲しくて半年アピールして半年付き合ったし、別れた後も一ヶ月は待ってたんだよ、実は。失ってから大切さに気がついてくれるかもって。
コーヒーにミルクを注いだ後自然に混ざっていくのを待っているあなたを見るのが好きだった。時間なくても会社に行く前にゆっくり散歩したがるところ、お皿をゆっくり丁寧に洗うところが好きだった。家事が遅いからいつも時間がないんだけど、原因が分かってなくて困ってるのが可愛くてかわいそうだった。うちのお風呂は排水溝が詰まり気味だからお風呂の排水に時間がかかるし床が浸水するんだけど、遅いから様子見に行ったら椅子の上に立ち尽くして排水を待ってて、早く出ればいいのにと思って笑っちゃったけど、そういうときに触れるあなたの時間の流れ方が好きだった。
あなたは私にないものをたくさん持っていたけど、私もあなたにないものをたくさん持っていた。だから、きっと欠点を埋めあって助け合って楽しく生きていけると思ったんだけどな。
真ん中2つは知る価値ないし一番下は故人だから今から知ってもしょうがないけど
どういう人物なのかってのはこのインタビュー動画が詳しいかもな
で、誰が「えんみと呼び出した」んですかね?
言い出した人、ひろめた人は同じ人?別の人?気になるのはそこなんすよ。
広めた時にわざわざ「純粋な塩の味ではない、別の化合物の塩からい味のことをえんみと言います」って定義付きで広めたんですか?塩の味じゃなくて他の化合物の味のことですよって。
でも今使ってるの普通に塩の味のことをえんみつってる気がするんですが。
たぶん、「料理研究家」みたいな肩書で自身を権威化して発信行為をする人がテレビやブログやYouTubeで大量発生しはじめたのと連動してると思う
学術っぽい言い方をすればサマになるでしょ
俺はわからんけどな。
①味蕾で感じる五大味覚の一つとしての塩味を指すときは、エンミと言う。
②料理や素材に塩味を感じるときは、しょっぱいとか塩気が強いとか言う。
③既製の食品のフレーバーの種類として塩味をさすときは、シオアジと言う。
②のシチュエーションのときにシオアジやエンミとは言わないが、②のシチュエーションであっても学術語を織り交ぜて語るテイスティングっぽい感じを気取って言うときは、しょっぱさのことをエンミと言うことも理解できる。日常ではあまり言わないが料理研究家やテレビ番組みたいな場では言うだろう。
エンミという表現に抵抗を生ずる人がいるのは、鹹味という表現に親しみがないのと同様、どっちも口語的ではない格式張った表現だったはずだから。でもエンミだけはマスメディアからしばしば聞こえるようになってカジュアル化の兆候が見えるから過剰反応してる。そんだけのこと。
SNSでレシピを公開し、広告収入などで生計を立てるというのが現代の料理研究家としての1つの生き方となっていて、多くの人がレシピを投稿している。
そういう時代だからこそ、他の人が私が投稿したあとに似たようなレシピを投稿しているということが少なくないらしい。SNSでこういう愚痴を数回見た。人気レシピの宿命とも言えそうだ。
料理に著作権はないから、何も言えないけれど、モヤモヤするという思いを抱えている人は多いようだ。
でも、そういう当の本人のレシピですらも昔のレシピ本にすでに似たようなものが紹介されている。
SNSで人気となったレシピと似たような料理が1970年代のレシピ本に書かれていたのを見つけた時は驚いた。人の味覚もアイデアも時代で大して変化がないのだなと思う。
レシピを公開している以上、人が似たようなレシピを投稿したのを見つけた時、もやもやするという感情から逃れることができない人も少なくないのだろうし、人気のレシピの伝播及び拡散されるにおよびもやもやの感情もじわじわと拡散しているのかもしれない。
Aさんのレシピを参考にしたBさんですらもCさんにレシピを参考にされたことでもやもやするというように。同じようなのがCさんDさんと続くのだ。
料理で生計を立てるのも大変だなと思いつつ、料理で生計を立ててはいるがレシピ投稿をしているわけではない人もいるらしい。こういうポジションのほうが感情的には楽なのかもしれない。