
はてなキーワード:料亭とは
ちょっと、あんた見た!?今朝のニュースというか、あの佇まい!安住淳っていう男が、朝ゴハンを「クリームパン」ひとつで済ませたっていうじゃない。
もうね、アタシ震えたわよ。今の政治家に足りないのは、あの「クリームパン感」なのよ!
いい?普通、あのクラスの政治家になったら、朝から料亭の朝粥だの、意識高い系のエッグベネディクトだの、最悪でも「地元の名士からもらった木箱入りの梅干し」で丁寧な暮らし気取りたがるもんなのよ。それをあんた、クリームパンよ?
それもきっと、高級ベーカリーの一個500円もするような、バニラビーンズがこれでもかって入ったやつじゃないわよ。たぶん、永田町の売店かどっかのコンビニで、袋にちょっとクリームが張り付いちゃってるような、あのズッシリしたやつに違いないわ。
それをスーツ姿で、お茶か何かで流し込んでる姿を想像してみなさいよ。 「完成されてるわよ。」
あのね、クリームパンって実はものすごくリスキーな食べ物なの。 中からクリームがはみ出すかもしれない、手がベタつくかもしれない。それを朝の勝負時に選ぶっていうのは、自分に対する絶対的な自信と、いい意味での「投げやりな潔さ」がないとできない芸当なのよ。
カレーパンじゃダメなの。あれは攻めすぎ。メロンパンもダメ。あんなポロポロこぼれるものは、国対委員長としての調整能力を疑われるわ。 そこで「クリームパン」を選ぶあのバランス感覚!
甘くて柔らかくて、でも中身はズッシリ詰まってる。 まさに、今の安住さんの政治スタイルそのものじゃない!あんなに皮肉っぽくて、一筋縄じゃいかない男が、口の周りに粉砂糖だかクリームだかつけてる(かもしれない)姿。これ以上のギャップ萌えがあるかって話よ。
みんな、安住さんのことを「毒舌」だの「策士」だの言うけれど、アタシに言わせれば、彼は現代の「カスタード・プリンス」なのよ。
あの冷徹なまでの分析力と、野党の司令塔としての立ち振る舞い。そのエネルギー源が、たった一つのクリームパンから供給されてると思うと、愛おしくて抱きしめたくなるわよね。 「ああ、この人は今、脳に糖分を送り込んで、次の質疑でどうやって相手を追い詰めるか考えてるんだわ…」って。
それに見てなさいよ。クリームパンを食べてる時の安住さんの顔。 きっと、一番幸せそうな、それでいて「…で、これが何か?」みたいな、あの独特のすました顔をしてるはずよ。
今の日本に必要なのは、ガチガチの正論だけじゃないの。 あのクリームパンのような、包容力と適度な甘さ、そして後味の良さなのよ。 安住さんがクリームパンを完食した瞬間、日本の国会の停滞感も、スッと胃袋に収まったような気がしたわ。アタシだけかしら?
「朝からそんな甘いもん食べて」なんて言う野暮な奴は、アタシが許さないわよ。 あの甘みが、あのキレッキレの舌鋒を生み出してるんだから。カスタードクリームは、彼にとっての聖水であり、ガソリンなの。
もう、全閣僚、朝食はクリームパンに統一しなさいよ。 そうすれば、もっと話し合いもスムーズにいくし、みんな少しは角が取れて、安住さんみたいに「憎たらしいけど、どこかチャーミングな男」になれるはずなの。
安住さん、これからも食べ続けて。 薄皮だろうが、ダブルクリームだろうが、アタシは貴方がパンを頬張るその瞬間を、ずっと支持し続けるわ。だって、クリームパンを愛する男に、悪い奴はいないんだから!
「最悪の目覚めだ……」と、私は浮いた奥歯をカチカチと鳴らしながら、冷え切った布団の中で天井を仰いだ。おじの腸をリードにして都内を散歩するなど、倫理観がログアウトした夢の余韻で胃がムカムカする。二度寝して口直しをしよう。もっとキラキラした、そう、推しが出てくるような夢で上書きするんだ。そう願って再び目を閉じたのが運の尽きだった。
気がつくと、私はなぜか高級料亭の大広間に座っていた。目の前には巨大な土鍋。そして、その鍋を挟んで火花を散らしている二人の男がいた。東山紀之(ヒガシ)と、薬丸裕英(やっくん)である。さっきまでの「腸リードおじさん」はどこへやら、画面が急に80年代後半の輝きを放ち始めたが、空気はちっともキラキラしていない。むしろ一触即発の殺伐としたオーラが漂っている。
「……薬丸、シイタケの飾り切りが甘い。これでは出汁の染み込みが$0.5mm$足りない」
ヒガシが、まるでおろしたての軍刀を抜くような手つきで菜箸を構えた。彼は自らを「鍋奉行」と称し、具材の投入順から火力のミリ単位の調整までを完璧に統制しようとしている。その瞳は、獲物を狙う鷹のように鋭い。
「東山、君は相変わらず細かいね。だが、この鍋の統治者は僕だ。僕は奉行などという現場役人じゃない。『鍋公方(なべくぼう)』……つまり鍋の将軍なんだよ」
やっくんが不敵に笑う。彼は立ち上がり、まるでお色直しのような手つきで、小皿に盛られた「特製つくね」を一切の迷いなく鍋の中央へドロップした。
「待て! 薬丸! まだ灰汁(あく)を救い切っていない!」
「灰汁も旨味のうちだよ、東山。民(具材)の声を無視した独裁的な鍋は、もはや鍋とは呼ばない!」
混沌の具材バトルここからは地獄だった。ヒガシがストイックなまでに灰汁を掬い、鍋の透明度を$100%$に保とうとすれば、やっくんは「彩りが足りない」と言って勝手にカマボコを並べ始める。
ヒガシ(奉行): 「豆腐は絹ごしだ。それ以外は認めない。並べ方は市松模様で固定だ」
やっくん(公方): 「何を言ってるんだ。庶民の味方、焼き豆腐こそがこの国の(鍋の)礎(いしずえ)だ!」
二人の箸が空中で激しくぶつかり合い、カチカチと乾いた音を立てる。その音は、先ほど私が夢の中で鳴らしていた歯ぎしりの音と完全にシンクロしていた。
「おい、お前も何か言え!」突然、ヒガシがこっちを睨んだ。
「この鍋の統治権は、奉行にあるのか、それとも公方にあるのか。はっきりさせろ」
横を見ると、さっき私に腸を引きずり出されたはずのおじが、なぜか仲居さんの格好をして「まあまあ」と割り下を差し出している。おじは私の耳元で、赤ん坊のような無垢な笑顔でこう囁いた。
「お祖母ちゃんが言ってました。鍋のケンカは、シメの雑炊を食うまで続くって……」
「うるせええええええ!!!」
叫びながら飛び起きた。今度は奥歯だけでなく、顎全体がガクガクと震えていた。時計を見ると、二度寝の時間はわずか15分。
教訓:ストレスが溜まっている時に「豪華キャストの夢」を願うと、ジャンルが「歴史スペクタクル・クッキング・バイオレンス」になる。
【はじめに】
本稿は、現代日本政治を一つの均衡状態として捉え、その内的論理を記述する試みに過ぎない。ここで描かれた「歪なリヴァイアサン」は、不正義でも愚鈍でもなく、ただ与えられた条件の下で最も合理的に振る舞っている存在である。
しかし、合理性は永続性を保証しない。均衡とは、あくまで外乱が加わらない限りにおいて成立する一時的な静止点に過ぎない。経済の衰弱、国際秩序の変動、技術による媒介構造の変化——いずれも、このキメラの前提条件を静かに、しかし確実に侵食している。
本稿の目的は、このシステムを擁護することでも、告発することでもない。ただ一つ、「なぜ変わらないのか」という問いを、「変わらないこと自体が合理的である状況」として再定義することである。
もし将来、日本政治がこの枠組みから逸脱するとすれば、そのとき我々は初めて「変化が起きた」のではなく、「変化を許す条件が整った」のだと理解すべきだろう。
日本政治を観察する際、我々は常に強烈な「違和感」に襲われる。
表面的には米国流の民主憲法を掲げながら、そのOS(オペレーティングシステム)はプロイセン流の官僚機構であり、さらにその深層では江戸時代の村落論理が駆動しているからだ。
「自民党一強」や「官僚内閣制」、「対米従属」といった既存の単一的な理論では、この怪物を説明しきれない。
本稿では、現代日本という政治システムを、「幕府の遺風(骨格)」、「明治の遺老(神経)」、「米国の遺産(皮膚)」という、本来互換性のない三つの要素が無理やり縫合され た「キメラ(合成獣)」として定義し、その構造的欠陥と強靭さを分析する。
日本政治の基層にあるのは、民主主義ではなく「封建制」である。
自民党は近代政党ではない。それは「現代の大名連合体」である。
派閥という名の「藩」:政治家にとっての忠誠対象は、国家よりも党、党よりも「派閥(オヤジ)」にある。
世襲という正統性:地盤・看板・鞄(カバン)の世襲は、まさに江戸時代の家督相続そのものであり、システム維持のコストを最小化するための合理的装置だ。
「根回し」の合意形成:国会審議は儀式に過ぎない。真の意思決定は、料亭や密室での「根回し」によって行われる。これは内戦を避けるための「封建的コンセンサス」の知恵である。
この層は、システムにおける「利益配分」と「動員」を司っている。
政治家が舞台上で演じる役者だとすれば、脚本を書き、演出するのは霞が関の官僚群である。彼らは明治維新以来の「指導的行政」の継承者だ。
無責任の体系:大臣は頻繁に交代するが、次官や局長は居座る。実質的な立法権と、法の「解釈権」は彼らが独占している。
解釈権という主権:法文そのものに意味はない。内閣法制局がいかに「解釈」するかが全てだ。これは一種の「神学政治」であり、官僚は唯一の解釈権を持つ神官である。
この層は、システムの「運用(オペレーション)」と「リスク回避」を司っている。
戦後、外から移植されたこの異質な器官は、平和憲法や日米安保として具現化している。
征夷大将軍としての米国:構造的に見れば、ワシントンは現代の「将軍」である。平時は大名(日本政府)の内政に干渉しないが、外交・安保という存立に関わる部分では最終裁定権を持つ。
「結界」としての憲法九条:保守派にとっての憲法は、足枷であると同時に、米国の過度な軍事冒険に巻き込まれないための「免罪符(盾)」としても機能してきた。
この層は、システムの「外部安全保障」と「国際的正統性」を保証している。
この三層構造は、絶妙なナッシュ均衡によって維持されている。この均衡を無自覚に破壊しようとした者がどうなるか。歴史が証明している。
小泉氏は「自民党をぶっ壊す」と叫び、ポピュリズム(米国層の力)を借りて、自らの足場である「幕府層(派閥・郵便・土建)」を攻撃した。
結果、自民党という組織は「骨粗鬆症」に陥った。彼が去った後、求心力を失った自民党があっけなく下野したのは必然であった。
2009年の政権交代は、システムに対する致命的な挑戦であった。民主党は「幕府・明治・米国」のすべてを同時に敵に回してしまったのだ。
対「明治層」戦争:「政治主導」を掲げ、官僚機構を敵視した結果、サボタージュに遭い、行政機能が麻痺した。
対「米国層」戦争:普天間基地問題で「将軍」の逆鱗に触れ、鳩山政権は崩壊した。
(党内に派閥がなければ奇妙なことが起き、党外に野党がなければ独裁に陥る)。
自民党における派閥は、疑似的な政権交代機能(自浄作用)を果たしていた。しかし、「党内無派閥」を理想とした民主党は、内部対立を調整する「封建的知恵」を持たず、内ゲバで自壊した。
民主党の敗北は、無能だったからではない。日本の「国体(システム)」に対する免疫拒絶反応だったのである。
なぜ安倍晋三(第二次政権)は、憲政史上最長の安定政権を築くことができたのか。
それは彼が、小泉流の「破壊」も民主党流の「理想」も捨て、システム構造のハッキングに成功したからだ。
彼は「三層の矛盾」を解消するのではなく、「三層すべてを掌握する」ことで、この奇妙なキメラを飼い慣らしたのである。
民主党は官僚と「闘った」が、安倍政権は官僚を「飼い慣らした」。
その決定的な武器が、2014年に設置された「内閣人事局」である。
霞が関のエリートたちの人事権を官邸が一元管理することで、官僚たちは「抵抗者」から、官邸の意向を過剰に読み取る(忖度する)「優秀な参謀」へと変質した。
これにより、明治以来の「官僚の自律性」は去勢され、行政機構は完全に安倍一強体制の手足となった。
安倍氏は、対米自立を掲げるのではなく、逆説的に「対米従属を極める」ことで政権のフリーハンドを得た。
2015年の安保法制(集団的自衛権の行使容認)は、憲法解釈の限界を突破するものであったが、これは「将軍(米国)」に対する最大の忠誠の証であった。
将軍の信任を得た大名は、国内で多少強引な振る舞いをしても、外圧によって倒されることはない。彼は「外堀」を米国に守らせることで、内政に専念したのである。
「機動的な財政出動」と称されたアベノミクスは、経済政策であると同時に、高度な「封建的再分配システム」であった。
異次元緩和によって溢れ出したマネーは、株高を演出し、企業(経団連)を潤し、公共事業を通じて地方組織(農村・建設)を潤した。
かつて小泉氏が断ち切った「カネのパイプ」を復旧させることで、派閥政治の不満を封じ込め、党内の求心力を盤石なものにした。
それは、人事権で官僚を縛り(明治)、安保で米国を縛り(米国)、カネで派閥を縛る(幕府)という、「三層の完全縫合」に成功した、極めて洗練された「復古政権」であった。
日本という「歪なリヴァイアサン」は、内部からの革命では死なない。
「党外に党なし」――強力な野党が存在しないのではなく、安倍政権が完成させたこのシステムが、野党(代替案)の存在を必要としないほど強固な「安定」を提供してしまったからである。
このキメラが倒れる時があるとすれば、それは内部崩壊ではなく、宿主である経済が死ぬか、将軍(米国)が去るか、そのどちらかであろう。
地方出身の彼女の両親が、彼女のいとこの結婚式に合わせて東京に来た際に顔合わせをした。
おっとり穏やかな優しそうな両親で、彼女の雰囲気ともよく似ていて、婿入りする予定だった俺は一安心。
俺の両親も素敵な方たちだと喜んでたし、将来的に一人っ子の彼女の地元で暮らすつもりで話を進めていた。
俺は千葉出身なのだが、家族や友人とスキーに行くときは彼女の地元の県に行っていたし、その県に関してかなり好印象を持っている。
だから今年の年越し、彼女の実家の県にある大きな寺に参拝に行くついでに、彼女の実家に泊まることになった。
彼女は田舎で何も無い、本当にイオンぐらいしか無い、ほかは田んぼと畑だけだとよく言っていたが、近くに有名別荘地があるのを知っているし、アウトレットもスキーもある。
都心に比べればそりゃあ何も無いと言いたくなるかもしれないが、それがいいんじゃないか。
そう思ってた。
彼女の実家は確かに田んぼと畑に囲まれた家だったが、まず規模が違う。
家、でかいね、って言ったら、うちは分家だけど本家の三男だから〜と。
義父(予定)と家が広いという話をしたら、無駄に広いだけ、畑も田んぼも、無駄にあるだけ。
えっ、家、ここ以外にもあるんすか!?てか、田畑も貸し出してるってなに!?
見えてる範囲+αで田畑があって、それは農協経由で人に貸してるらしい。
家ってのも、分家がいらないと言った家を引き取り、人に貸したりしてるそうだ。
近くの有名別荘地にも別荘?ペンション?があるらしく、彼女が東京に出てからは使わないからって人に貸してるらしい。
今思えば、彼女も彼女の両親も、おっとり穏やかではなく、品があるっていうのが正しい表現なんだな。
今の会社は県内(彼女の実家の県)に本社があるから決めたんだよね、本社勤務になれば栄転だよ!
そう笑う彼女に曖昧に笑ったのは覚えてるが、まじで一人になると彼女の実家について思い出してとんでもねぇ精神状態になる。
つらい。
ワイは金持ちではないんだけど、美味いものを食べるのが好きでミシュラン星付きの料亭とかレストランとかグランメゾンにたまに行ったりするのね
最近はまぁ慣れてきたのとある程度武装(後述)が整ってきたから緊張しなくなったけど、初期の頃は本当に気まずかった
何故か?
それは常連のお金持ちのあんたらがどう見てもええブランド品ばっか着てるから!
そんなの気にしてないよ〜気にするの庶民だけみたいなこと言われるけどさ、
いや庶民なんで気にするよ!てか口ではそう言うけどあんたら何着てるか分かってます?
革靴疲れるからスニーカーで来ちゃったとか言ってますけど、それマルジェラのナンタラとかいう高級靴ですやん(マルジェラなんて学生でも着てることあるじゃん、とか言わないでね、悲しくなるから)
こっちは気を使いに使ってようやくセールのコールハーンですよ(名前ついてるからブランド品ってことでいいよね)
あとはセールで安くなってるアウトレットのコーチ!ありがとうコーチ!
自分が何着て戦場に赴くかは置いておいて、金持ち、絶対ブランド品買ってるでしょ?
常にブランド品を身に着けていてユニクロで服買ってないとは言わないけど、ブランド品買わないは言いすぎでしょ
最低限高級レストランで着ていっても恥ずかしくない服は持ってるでしょ?
ワイは年2、3回行くか行かないかだから同じ服着回してる(たぶんお店の人は気づいてる)けど、金持ちはもっと頻度高いだろうから最低限2,3着は持ってるはず
どこの誰が言い始めたのかね、ブランド品買わないってやつ
いや、もしかしたら本物の金持ちはそういうレストランにも行かないのかもしれない
じゃあ何に金使ってるんすか?(怒)
何が楽しいんですか?
正直コーチとコールハーンでは防御力低すぎるんでとりあえず使わない金があるなら僕に服買って着せ替え人形的に遊んでやってくださいお願い致します
メンバーは法務省刑事局の課長や地方検察庁検事正、高検の検事長を歴任し、退任後は某大手企業の監査役を経て公証人として活躍するAくん
同期一番の秀才で学士助手を経て千葉大学、早稲田大学にて刑法を研究し国際司法裁判所にて勤務した経験もあるOくん
徹マンと酒浸りながら2年時にすでに司法試験に合格し、司法修習には進まず大蔵省に入省し会計検査院にて活躍した同期一番の天才Yくん
私は文科一類から法学部に進学できず駒場に残留するという偉業を達成し、大学卒業に7年、そこから司法試験合格に6年も費やし、修習後は一貫して在野で生きてきたしがない老街弁
窓辺の埃に陽が差す午前中、
作業場のすみに山盛りになった桜の端材を前に、
少し途方に暮れていた。
どんなに木目を見比べても、
結局は削ってみなければわからないのだ。
木は時にこちらの期待も予想も裏切ってくる。
節が隠れていたり、突然中が空洞だったり。
けれど、手を動かすうちにその想定外が楽しくなってくることもある。
父もそうだった。
お前も、いろいろ期待されたり、
ってよく言われるようになるだろうけど、
最後は使い切られるためだけに磨かれる、
そんな割り箸でいいんだ。
そう呟かれ、返答もできずにただ、
ときどき誰のためというより、
なぜこの手間に意味があるのか?と混乱する日がある。
一本一本手で削る。
そのくせ、仕上がった箸は「使い捨て」として高級料亭や特別な席へ流れていく。
あっという間に忘れられるためにここまで手間をかける贅沢が注文されていると気づき始めた頃、自分のなかの割り切れない感情がぼんやりと煙のように工房に漂いだした。
時折、削った木屑を集めて外に出ると、
朝の匂いが混じった風の冷たさにほっとする。
それでもここに留まり、ひたすら削り続けている。
形になった箸を指ではじくたび、
なぜか胸の深いところがじわっと熱くなる。
「誰かの手に渡る瞬間」
それだけを思い描いて、もう少しだけ木を細くする。
やがては台所の音や、
誰かの笑い声のなかですっかり溶けてしまう。
使い切って捨てられるための贅沢な割り箸が、
積み重なる木のくずと同じくらい大切に見えることもある。
どこかで今日も、
ここで削られた一本が静かに誰かの口元まで運ばれて、そして、何事もなかったように消えていく。
それでいいのだろう、と考えつつ、
まぁ、それはいいんです怒られたわけじゃないし。ぷんすこされたけど。あれもしかして怒られたんか?
まず、嫁はいい嫁なんです。年上だけど。何よりマメなのが素晴らしい。自分とは大違い。
料理もうまくて、なんかちゃんとしてるんです。普段は作ってくれてるし、品数も多くて、素材15品目?目標とかでめっちゃ頑張ってるのわかってて、味だってめっちゃ美味しいしファミレス行かなくなったのは完全に嫁の恩恵。
お豆腐は(冷奴の意味)料亭みたいな1/3丁とか3個入りパックサイズのしかでてこないし、きんぴらは箸で二つまみくらいだし、ポテサラもカレースプーンに1.5すくいくらいだし、そのかわりいっぱい品数あって、色もきれいで、すごいのです。
でも自分は頭の悪い男性なので、時に、アホくさい(ナスパーティーのような)食事を取りたくなってしまうのです。次はサンマ2本と大根おろしダバーとか食いたいし。上手く説明できないけど、これは嫁の料理に不満とか嫌とかそう言うわけじゃなくて、それはむしろめっちゃ美味しいんだけど、別の欲の話なのです。
とにかく、言いたいのは、感謝してるし美味しいしうまうまだし、嫁さまの作る魚のなんか漬けて焼いたやつは大好物だということです。
なのでいつも御飯作ってくれてありがとうございます、今度お出かけお供します、ナス焼くから一緒に食べましょうということです。秋茄子くわせなくてごめんなさいでした。
国宝の原作小説を読んだので、満を持してという感じで観に行くことにした。
国宝のネタバレをふんだんに盛り込む予定なので未鑑賞・未読の人は薄目で読めばいい。
とりあえず調べる。最寄りの映画館で13:00からの回がある。
空席も・・・・ある。が、後ろ半分がほぼ満席で、前半分しか空いてない。スクリーンに近いと観づらいのだろうか。
前半分であれば選び放題の状態だったので、通路側にするか中央部分とするか悩ましい。
3時間の大作・・・・ 耐えられるだろうか。耐えられない場合に備えて通路側にすべきだろうか。
事前にクレジットカード決済をすますこともできたが、念のために現地で決済することにした。
念のためにってなんだよ、と自分でも思うが、急に倒れたりするかもしれないじゃん?つまりそういうことだよ。
まぁとにかく鑑賞直前に支払うのだ。予約完了のメールを確認し、映画館に出発した。
目指すは終点の駅。駅は商業施設のビルと一体化していて、その最上階が映画館になっている。
普段はあまり使わないけど、元気さえあれば退勤後にレイトショー観てから帰宅することも出来るはず。
通勤の定期で行ける範囲に映画館があるって、よく考えたら便利だな。
ビルにはたどり着いたが、映画館で飲み物を買うとお高いので、地下にあるスーパーで買うことにする。どうだ賢い消費者だろう。
それと「餅が尿意を抑える」という昨今、小耳にはさんだ小技は本当なのかを確かめるべく、豆大福と草餅も買ってみる。
フードコートで遠慮がちに(持ち込みはご遠慮くださいと掲示があるので)大福を頬張る。美味い。豆がコリコリしてよい。草餅も普通に美味い。
同じビルで買ったものなんだから、持ち込みくらい許して欲しい。
映画館にたどり着く。
ロビー?というのか、カップル、友達連れ、家族連れの群れがいっぱいいてオッサン一人は居づらい空間である。
鬼滅のフィギュアが展示されている。人気なんですね。
早くスクリーンの座席に向かうべく、まずは発券機で支払いを済まそう・・・・とするとトラブルが発生。
支払い方法が現金だけなのに、現金が無い。クレジットカードはダメらしい。ペイペイもダメ。
交通系ICカードなら行けるらしいが、定期だけで生きてるので作ったことがない。詰んだ。
ダメ元で店員さんに聞いたら「その場合は現金だけなんですよぉ」とのこと。
「わかりました!急いで現金おろしてきます!」とダッシュしようとしたら、「今回は特別ですよ。予約番号を教えてください」とクレジットカードで決済してくれた。いいんかい。
発券してもらい、スクリーンに向かう。
まだ上映開始まで10分弱あるが、お客さんで結構埋まっていた。
自分の座席はその手前まですでに他のお客が席についており、あの人たちを掻き分けて行かないと自席にたどり着けない。
"真ん中の席を予約した者は一番に座席に着くのがマナー"みたいなのがあるとしたら、明らかに俺はギルティであろう。
あぁ、もっと早めに来るべきだった。大福を食ってる場合じゃなかった。
「すぅぃませぇぇ~ん」みたいな情けない鳴き声をあげながら通して頂く。
自席にたどり着き、ボトルのコーヒーをホルダーに置き、スマホの電源を切る。
メガネを遠く用のヤツに掛け替える。
「遠近両用の奴が便利だ」と以前に増田で指摘を受けた気がするが、いまだに2つを使い分けている。アドバイスを活かしてなくてごめんね。
後は上映を待つだけだ。
しかし、予告編はともかく、何で金を払って来てるのに広告を見せられなきゃならんのだ?
お前はなんの権限があって俺の休日に割り込んでくるんだよオートバックスめ。なるべくイエローハットに行くことにしよう。
あ、「爆弾」と「ブラックショーマン」面白そうだな。いつか観よう。
そうこうしているうちに、やっと始まったよ「国宝」
以下、国宝についての、感想やらの走り書き。ほぼ、原作との相違点についてだけど。
史跡料亭といって珍しいモノらしいが、映画では何も触れられてないな。
長崎にモデルになった料亭があるらしいけど、名前は忘れた。きっと、映画の効果で大盛況だろう。
原作では辻村の裏切りが描かれるけど、辻村自体が出てこない。なるほどねぇ。
ということは、終盤の告解?のシーンも無くなるのか。
原作を読んで、これがどうしたら3時間に収まるんだ?と不思議だったけど、こうなるんだな。
思い描いた宴会と関の扉の様子が映像として観れたのは感動した。
学校での復讐劇がない!尾崎も出てこない!仇の組長の説明もない!これはまぁ、いいや。
徳次は出てくるけど、冒頭だけ!これはショック。
じゃぁ綾乃のために指詰めるシーンとか、白河公司とか丸っと無くなるじゃないか!まぁ仕方ない。
それと原作小説は語り手がいい味だしてたと思うけど、これも省略されていて残念。
「ふつつかものですが・・・」のセリフをマツに仕込まれたはずだけど、マツの姿が無いな。
マツが出てこないから、ジャガーのくだりもない・・・ まぁあれも略してもいいか。
渡辺謙も色々やってきたんだろうけど、歌舞伎やらされて流石に緊張したんじゃないかなぁ 本人はなんて言ってんだろう
俊ぼんと喜久雄のインタビューの時、グローブとボールは持ってたけど、キャッチボールはしてないよな?
仕方なく削ったからグローブだけは持たせとこうということだろうか。
原作でも「春江と俊ぼんが?」みたいな感じだったけど、映画でもかなり唐突。
しかも春江が導く感じになってなかったか?曾根崎心中とリンクさせる演出の都合だろうか。
復帰する俊ぼん。落ちぶれる喜久雄。展開早い。
映画出演のくだりがまるっとカットされたけど、撮影中にボコボコにされる情けないシーンは地方での営業?のシーンに形を変えて盛り込まれていた。
あれそんな重要かなぁ?「舞台に侵入する客」は重要だったと思うけど。
原作では旬ぼんの苦労として描かれていた気がするので、映画の喜久雄は割りを食っている気がして気の毒である。
まぁ、旬ぼんも怪猫の見せ場、ほとんどカットされてたからお互い様か。
その後、喜久雄の復帰に寄与するわけでもなし。原作では新派への移籍のきっかけを作る重要な役回りだったんじゃ?
徳次や弁天を丸っと削るくらいな彰子を削るでもよかったじゃろ!監督の趣味なんじゃないかと邪推したくなる
万菊のおかげでヌルっと喜久雄、復帰。殴り合いの喧嘩別れした俊ぼんとも何となく和解。この辺はモヤモヤしたな。
急に足を切断する羽目になる俊ぼん。そりゃ春江も取り乱すわ。
右足もすでに壊死しているのが曾根崎心中の上演中に明かされるのは面白かった。
SAGIMUSUMEもまるっと省略か・・・ これはまぁ納得ではある。原作でも浮いてた気がする。
喜久雄の狂気がどう描かれるかが気になっていたけど、あんまり触れられてなくて残念。
3時間・・・ 隣の席の人が「あー 長かったー」とつぶやいていた。
確かに長かったんだけど、「え、もう終わり?」という気持ちもある。これは原作を読んだゆえの感想だろう。ふふ、ちょっと優越感。
大福が効いたのかはわからんが、トイレに立たずには済んだ。途中ちらほら、席を立つ人がいた気もするな。
帰りにちょっと散歩して、晩御飯を買って帰ろう。今日はサンマにしようかな。
何が言いたいのかというと、映画って本当にいいもんですね、という話
数百円でできる贅沢の中でかなりバグ
↓これだけで幸せになれる
🫵鰹節は「厚削り」を使う
🫵味噌は煮立たせない
🫵乾燥の具を使う
ちなみに、水出しで使った昆布はジップロックに入れて冷凍するやん?
今度は煮出して「二番だし」が取れるのがやばい
だしパックでいいじゃんって人もいるし、実際だしパックって普通にうまい
そして、言うほど手間かからない
だって、帝国ホテルのコンソメスープ(飲んだことない)は10種類以上の材料&仕込みに10時間はかかる
やばいよね?
やばいのよ
マジでだしパック美味いなって思ってる人はやってみてほしい
これ一見するとクソつまんねー釣りか増田らしいレベルのキチガイの戯言に見えるだろうし実際にもそのどっちかなんだけど、まぐれで正しい部分があるのよ。
そもそも自民党は右翼から左翼から、いろんな族議員から色々含んだ巨大な烏合の衆なわけ。
そんな奴らがピュアに「政策論争」「思想論争」とか戦わせてたら一瞬でバラバラになる。
だからといって真面目な話一切せずに料亭で裏談合だけやっててもそれはそれで政治にならない。
ヤクザな部分と多少は真面目な部分とをあいまいに統合する縛りが「派閥」であり「重鎮」の不透明な権力であったわけ。
まあ増田でこんな話しても誰もわかんないだろうけど
トラバで追記。気に入らない法案だと「強行採決だ!」と騒ぐのに似ている。強行ではない、ただの採決なのに。反対なのは良いが制度的なレギュレーションを理解せずに咬み付くなら(民主主義において何より大切な)話し合いができない。
首相が公選でなく“第一党”の総裁が事実上自動的に就任する仕組みであるのを忘れて「党は支持しないが石破首相がいい」も意味ないし、「料亭政治で福田みたいなしみったれた奴にも首相ポスト回したりして政治の私物化だ」とか言っても意味ない(意味ないが後者は思っていた)。
元々「首相直接選挙の投票権が¥4000くらいで売ってること」つまり自民党政権に文句があったら自民党員になれという仕組みが、なにかバグってる気がしないでもなかった。だが現状そういう仕組みである事実は踏まえなければ文字通り話にならない。
自民や相方の立憲の凋落が多党連立政権時代の幕を開けるとしたらまた少々状況は変わってくるが。
首相を公選にしないのは間接民主主義の一環であり主権が行使されるプロセスの冗漫化の知恵である。国法を法律と憲法に分けて“粘稠度”を上げるのも同じだ。システムファイルは奥の方にあるべきということ。
大衆は自分の選択の理由を言語化できない。本当の理由でなく、聞かれたなりの答えを返してしまう。投票行動がどういう「本当のニーズ」を担ってのものか炙り出す上では、マスコミの実施する世論調査は常にミスリーディングなものでしかない。
しかしそうすると小選挙区制というのはいかにも異物だ。僅差をもデフォルメして大差にしようとする。まるでアメリカ大統領選の州ごとのウィナーテイクオール方式みたいな異質な思想が木に竹を接いだように挿入されているように見える。
死に票の多さを問題にして全国比例のみで選挙区そのものを無くすのもまた別の“直接化”である。
完璧な選挙制度はないが、それ即ちなるべく納得感あるように普段の改良が必要だということ。