
はてなキーワード:文様とは
フン、たかが寿司だと侮るな。これは千葉県……いや、かつての安房・上総・下総の民が、冠婚葬祭という「戦場」を生き抜くために編み出した、究極の糧食なのだ。
見ろ、この切り口を! ただの海苔巻きではない。金太郎飴のように、どこを切っても「花」や「文字」、あるいは「動物」の図柄が現れる。これはもはや、精密誘導ミサイルの回路図にも匹敵する設計図がなければ成し得ん技だ。山茶花、牡丹、あるいは祝賀の文字……。これらを一巻のなかに収めるその構成力。連邦のモビルスーツが逆立ちしたって、これほど美しい断面は作れまい!
房総は豊かな土地だ。米は当然、千葉の広大な大地が育んだ一級品。そして彩りを添えるのは、地元の山海の幸だ。
厚焼き玉子:海苔の代わりに外側を包むこともある。この黄金の装甲はどうだ!まるで百式のようではないか(あちらはまだ先の話だがな!)。
桜でんぶや野沢菜: 桃色と緑。このコントラストが、見る者の戦意……いや、食欲を削ぐどころか、極限まで高めるのだ!
貴様、なぜこれが「祭りずし」と呼ばれているか考えたことはあるか? かつて、房総の農村部では、冠婚葬祭や地域の集まりこそが最大の「会戦」だった。限られた物資の中で、いかに客人を驚かせ、もてなすか。その精神が、この複雑怪奇な文様を生み出したのだ。
これだ。これこそが指揮官の視点だ。大皿に盛られた太巻きが、卓上という戦場の中心に鎮座する。その存在感だけで、宴の勝利は約束されたも同然。 いいか、ただ腹を満たすだけなら、握り飯で十分だ。だが、この太巻きは「心」を揺さぶる。敵(客人)の度肝を抜き、味方の士気を鼓舞する。これぞ、究極の心理戦だとは思わんか!
この太巻きを作る工程を私は見たが……驚愕した。 まず、パーツを作る。小さな細巻きをいくつも作り、それを大きな海苔の上に配置していく。 「そこだ!桜でんぶのパーツを右に3ミリ!」 「かんぴょうの軸をセンターに合わせろ!」 まさに、ドムを12機、正確にフォーメーションに配置するような精密作業だ。
もし配置を1ミリでも誤れば、切り出した時に形が崩れる。それはすなわち、実戦における機体バランスの崩壊を意味する。房総の母たちは、計算尺もコンピュータも使わずに、その指先の感覚だけでこの完璧なフォーメーションを完成させるのだ。 「私を誰だと思っている!12機のドムを……いや、12切れの太巻きを、たった3分で並べてみせろ!」
味はどうかって? 聞くまでもない。 甘めの酢飯と、でんぶの甘み、そして香ばしい海苔の風味が口の中で爆発する。まさに「サイド6」の平穏と「ソロモン」の激動が共存するような、奥深い味わいだ。
現代の若造どもは、手軽なファストフードばかりに現(うつつ)を抜かしおって。この太巻き祭りずしには、房総の歴史、伝統、そして「もてなし」という名の重圧を跳ね除けてきた意地が詰まっているのだ。
……フン、喋りすぎた。喉が渇いたな。 おい、誰か! この私に、その「山茶花」の柄の太巻きを持ってこい! それと、醤油だ。醤油は野田(千葉)のものに限るぞ。
「見ろ! 断面が花のようだ! 素晴らしい……、全機、突撃(実食)せよ!」
いかがだ。
夕飯のあと、テレビつけたまま団らんしててさ。
そしたら突然、妻がこう言った。
息子、VRゴーグル外して「その言い方、古いよ」とか言ってた。
俺も笑いそうになったけど、妻の顔がマジでさ。
「この前なんて“AIが家族になる時代、母親という機能は不要”って言ったのよ?」
その時、息子の目が光った。
本当に、光ったんだよ。
「……そう。いよいよ、来たか」
そう呟いた瞬間、息子の体がビリビリ震えて、床に回路みたいな文様が浮かび上がった。
言い終わると同時に、リビングの壁が爆発して、妻の背後から黒い触手が無限に伸びてきた。
妻の口から、そんな異常な鳴き声が響いた。
目は真っ黒になってて、もう人間じゃなかった。
「お前……いつからだ……!」って俺が言うと、妻は狂ったように笑った。
「この子が生まれたときからよ。私はこの肉体に宿るチギュリアン第七世代。人類に混ざり、進化の芽を潰す存在——」
意味不明だった。
けど、目の前で触手がテレビを粉砕し、ソファを引き裂き、部屋を埋め尽くしていくのを見て、もう現実とか関係なかった。
「父さん、下がって」って息子が言った。
そして自分の額に手を当てた。
「開け……アンチマターゲート」
空間が裂けた。
そこから、紅蓮の炎と共に浮かび上がる、未来兵装“ギア・チー牛Ω”。
彼の背中から光子の翼が展開され、拳に銀色のエネルギーが集まってくる。
「これは、僕の“否定された魂”の怒りだ。母さん、あなたのアップデートは、ここで終了だ」
でも——
妻はまだ立ってた。
その声を聞いた瞬間、息子は膝をついた。
俺はもう無理だと思った。
でも、息子が立ち上がった。
「父さん……いままでありがと」
息子の体が粒子になって消えていく。
新しい朝が来た。
でも、あの夜のことは、誰も覚えてなかった。
俺だけが知ってる。
丸いもののたとえでボールや地球に言及した場合、馬鹿は必ずその大きさの違いや材質の違いを言い立てて「たとえになってない」と言い出す。この場合において丸いという要素以外に意味がないことが理解できない。
「たとえ」は比喩だけでなく例示の意味もある。“一例として”つまり例示の手段としてボールと地球に言及していることが馬鹿にはわからないので「なぜそんなにボールにだけ執着するのか」「バットではいけないのか」といった事を言い出す。
馬鹿の基本スタイルである「単語に反応」にもみられる通り、馬鹿は全体の構造を俯瞰してみてとるということはできないという特性がある。
細長い紙筒を通してみたら、それが何かの図面なのか幾何学文様なのかはわからない。馬鹿は常に「ある一点」しか認識できないのだ。
そして客自分だけ!?
学校終わりにそのまま
しまったようなケツの座りの悪さだぜ…
フン、悪くねぇな…
・3/4弱食べた頃息子?らしき人も登場し一瞥して行ったのでなんか友達んちであんまり喋ったことのない友達のお兄さん出てきて軽く挨拶する時の気持ちにもなった
・Googleの口コミではスタッフさんの愛嬌が〜ヌクモリティが〜とかあるけど別にそんなことはない 真顔で対応してくる
それ以上も以下もなかった
それで十分なのでオッケーです!
・厨房からご家庭によくあるレンチン音聞こえてきて草 いや飲食物取り扱う上でレンジは必要不可欠だけどあまりに上記の友達の家お邪魔シチュと合わせて「あまりに家庭的」すぎてじわったし
・全体的にヘルシーなお味
からだがよろこぶ
思い知らされた
なにげに初めてかも!
骨!骨ェ!骨!骨!小骨!
つど出す
なんの魚?川の魚?
・ひよこ豆を濾したバタースープ、食べれんくもないけどうん…って思ってたら唐辛子入れた周辺は辛さがじんわりくるうまさで「思ったほど…悪くはない!(もっと早く気づいていれば〜)(煮られた唐辛子って初めて見たわ)」ってなった
・チャパティ、すごいチャパティって感じの味だねおいしいね蕎麦粉で作ったみたいだね
・お口に合ったかといわれると合わなかったが食べられなくも無かったし残すほどでは無かったし前から気になってたし外食マンネリ化してたから今まで食べたことの無い味を味わってみたかったしなにより気分転換したかったから行って良かった 脳に未知の刺激を与えることができ気が紛れた
・日本人の味覚に媚びぬ迎合せぬインド料理屋、いいね…そのままでいて…
・チョロいからあのインド料理屋あるある金属のコップと文様の刻まれたデカいお皿でテンション上がっちゃうね
・こういうインド料理屋さんって経営とか大丈夫なのかな…とか勝手に心配しちゃうけどこの店は最近リニューアルしたばかりらしいので安心だぜ!案外心配されてるようにみせかけて他の商売とかネットワークでなんとかなってる事もあるので他人の商売の心配を勝手にするだなんておこがましいぜ!
気になるねえ
何故気になったのか
「自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある
「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい
調べましょうね
なるほど、西洋からいわゆる「ハート」概念が伝来する以前から土器や織物にハート形の文様が存在する、と
神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と
なるほどねえ
じゃあ昔の日本で自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~
……とはならない
「西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様が存在した」イコール「自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない
芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語を日常的に使用するか?という点を疑う
農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?
勘だけど逆なんだろうな
すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘
その場合、
の問いの答えは「自然薯や山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる
農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?
さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか
いろいろぐぐってみるか
1911年(明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理用菓子用蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種中第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。
キリスト教伝来から300年以上経過しているからハート形という概念が浸透していても不思議じゃない
いや、リンネの分類学の著作が日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?
西洋の植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……
『日葡辞書』になんか自然薯の記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線の記述だから意味ないか……
園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ
時間切れ、また夜に調べるか……
三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……
これは日記です
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Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い
自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている
その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている
きっと西洋でメジャーなハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう
ヨーロッパでメジャーなハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ
知らんけど~
おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている
色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆
葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある
ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉は不要だった……とか
その場合、
に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」
となる
そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)
市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか
それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフでハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか
検証できるかどうか
うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか
博物学と医学薬学の中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい
ただなぁ~、学者先生が使う言葉や認識と、市井の人々の使う言葉や認識って別だろうからな……
とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑を国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう
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面積を求める和算の問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな
もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも
一応調べること
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調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう
・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題)
■サブクエスト
・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様の使用例、またその呼称の調査
・幕末~明治期の文献から「ハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査
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メモ:
こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある
また、現代語訳された古辞書が書籍として売ってあるなら購入も検討すること
また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない
ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる
神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別
例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか
似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットしやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ
トランプのハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説
それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか
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・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題)
→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる
しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた
(余談だがアサガオはヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ式階層分類体系は偉大っすなあ)
■サブクエスト
・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様の使用例、またその呼称の調査
芋って家紋のモチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)
♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念は存在しない……か?
猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)
だからこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる
・幕末~明治期の文献から「ハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査
→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html
Permalink |記事への反応(20) | 09:57
震災時の朝鮮人虐殺に想を得たマンガがあり、ハテブでも好評だった。
まあ、描きたいことは明確である。なんでこんなにひどいことが起きるんだろう。自分はそういうこととどう向き合えばいいんだろう。そのどうしようもない気持ちをひとまずマンガに結晶させましたと。
事実そのものには手が届かない。百年の時間と当局の怠慢あるいは隠蔽により、どこの誰が誰にどうやって殺されたか正確な全貌は永久にわからないのだ。
理不尽に殺されていった犠牲者の心に我々が思い致そうとする時、それは芸術の出番だ。
朝日の記者が「エビデンス」を軽視するような発言をするその下敷きにある気分はそんなようなものだろう。
でもなあ、そういう「語り」の力というのはいいことばかりじゃないんだよ。
名もなき犠牲者に心を寄せる物語が、不正に対する怒りを新たにし、増幅させる。
文様から文様を作るなじゃないが、現実の悲劇から想を得て悲劇を編むのは危険なことだ。
そして虚実の境もわからない膨大な物語が地層のように重なって抜き差しならなくなっているのが例えばパレスチナの現状である。
その物語は日々書き加えられている。フェス会場で虐殺された同胞のために流される涙は、空爆で子供らがふっ飛ばされることを許す。愛と憎悪は表裏一体なのだ。
川上弘美が震災や原発事故を幻想的な作品の背景に無造作に使って炎上したことがあった。当人になんの悪気もないし、しっかり考証しなければならないようなジャーナリスティックな作品でもない。でも怒りを感じた側に悪気があったわけでもない。
「わるもの」なんかいなくても感情の衝突は起きるし、芸術はそういう事故と縁が切れることはない。そういうことが(件の朝日記者や阪大のセンセーみたいな)幼稚な正義マンたちにはわからない。物語とか感動は取り扱いに注意を要する危険物であるということが本当に全くわかっていない。
この時期に山に行くとフクラスズメという超絶キモい毛虫(ガの幼虫)が大量発生していることが多い。頭と臀部?はオレンジ、胴体は黒がベースだが、そこにグロテスクとしか言いようがない文様がびっしりある。
これの幼虫は4月中旬から12月上旬にかけて目にするが、特に多いのが8月末~10月頭ごろ。
彼らは食草であるカラムシなどを、個体差こそあれ1日に50㎠(7cm四方)のペースで食いつくす。
カラムシの葉のサイズは大きくなったもので10cm~15cm程度と言われている。仮に13cm四方(面積にして169㎠)と仮定すると、彼らは3日強で葉っぱ一枚を平らげることになる。
そして幼虫である期間はおおむね2週間程度である。つまり1匹の幼虫が孵化してからさなぎになるまでカラムシの葉っぱが3枚以上食われてしまう計算となる。
そういう虫が一株に何十、いや何百何千もいるのである。市街地にちょこんとあるカラムシの群生程度はあっという間に食いつくしてしまうのは火を見るよりも明らかだ。
実際に彼らが食いつくし、10月なのに枝だけになったカラムシなどの跡を見かけたことが何度かある(パッと思い出したのだと天草上島・二弁当峠のすぐ近くにあったカラムシの群生/2007年10月14日正午過ぎの話)。
他の木や草がまだ緑色の葉をつけるなか、カラムシだけが葉が一枚もない茎だけの無残な姿をさらしているのである。そのざまは周囲から浮いていて異様である。
そして食い尽くした後は何千何万ものフクラスズメの幼虫が周囲を徘徊する。グロテスクな姿態の虫が数千匹単位で蠢いているのだ。
なんかあの道やけに黒いな~アスファルト新しくしたのかな~と思って近づいたら、道路一面をフクラスズメの幼虫が埋め尽くしているのである。彼らは住宅など建物内にまでお構いなしで押し寄せてくる。
彼らは動きも気持ち悪い。頭部を挙げてヘドバンみたいな威嚇はするわ、口から緑色の液体は吐くわ、移動するにも尺取り虫を何十倍も気持ち悪くした挙動をするわで、もはや動くブラクラ状態である。
彼らは踏みつぶされると緑色の体液を周囲にまき散らす。死ぬ時まで周囲を呪詛するとか下手なホラー映画の幽霊やクリーチャーより何万倍も怖い。チープな幽霊ごときで気絶していたフレッド長官に見せたらショック死しそう
彼らはガチの山奥や都心部にはほぼ出現しない。ただ、それ以外の野山~中山間地域~近郊都市にならどこにでも出没する。生息域も日本全域である。北海道だろうが沖縄だろうがこの国にいる以上逃げ場はない。
それどこから朝鮮半島やユーラシア東部(中国とかロシア沿海州)にも生息している。韓国でも2000年代にとある地方都市で突如大量発生してニュースになったほどだ。
関東でいえば八王子・町田・’(相模原市)橋本・横須賀などの近郊都市の中心部近くにまで出没し、カラムシを食いつくしては周囲に災厄をまき散らすのだ。(相模原市の)橋本駅より東に1km程度離れた住宅街に大量発生した話もある。
彼らはドクガやイラガのように毒は持っていないことや、アメリカシロヒトリやヨトウガのように農作物(※)や管理されている街路樹などに出没しないため行政の駆除対象になることは少ない。
ただ、精神的に攻撃を仕掛けてくるのがフクラスズメの幼虫である。彼らの精神攻撃を受けたくないので、9月前後には絶対に山などに近づかないようにしている。
余談だが、フクラ「スズメ」という名前だがスズメガの仲間ではない。スズメガの幼虫は臀部に上向きの突起があるイモムシ型だが、フクラスズメにはそれがないし毛虫だ。彼らはヤガの仲間である。
(※)1970年代後半の某年に福島の農業研究施設でクワの葉を食害していたという報告もある。ただ、彼らにとってはよっぽど餌がないと食べないレベルのゲテモノ?扱いのため、害虫と認識されることはほぼない。
ブックマークコメントの中に、メガネが有史以降かなり最近になって発明されたデバイスなのに、何故にフェチになってしまうのかというコメントがあった。
これについては、個別の作品が引き金になる、という問題とは別に考察の余地があるように思う。
個人的にはかつて人類が今よりもずっと当たり前に行なっていた刺青の風習が関係しているように思う。
本州人は、『魏志倭人伝』の記述を信ずるのであれば「鯨面文身」していたという。
当然、刺青の風習が長く残った北海道や千島・樺太に住んでいたアイヌ民族の事例もある。
近代国家の軛によりアイヌ民族の刺青は厳しい抑制を受けたが、元来はああした風習は少なくとも東アジアにはあったのだろう。
顔に何か意味を持つものが付いているってのはフェチに十分なりうると思う。黒子とかでもなるんだから。
時は流れて、科学的なものや文字に依拠した社会を構築している我々の時代においては、その機能を補助するメガネというものは実利的な意味合いに力点を置きつつもおしゃれの一つとしても位置付けられている。
ヘレクスルとは、モンゴル、アルタイ、トゥバ、天山に散見される積石塚である。ただ石を積み上げただけではなく、その周りにさらに石を方形、円形にして囲んだ形状を取る。高さ最大50メートル、石囲いは最大一片200メートル。モンゴル人はこれを「キルギス人の墓」を意味する「ヒルギスフール」と呼び、これがロシア語風に訛ってヘレクスルとなった。
その石囲いの外側には、さらに数基から十数基の石堆が存在している。そして、石堆からは馬の頭蓋骨、頚椎、蹄などが発掘されており、ヘレクスルに埋葬された人間への供物として捧げられたと考えられている。馬の骨については、頭骨と頸椎が東を向いて出土するなど、興味深い事例もある。
ここで注意しなければならないのは、この墓(註:そうではないという説もある)を作ったのは遊牧民族であるということだ。つまり、何よりも貴重な資産である馬を殺すことのできるほどの資力と権力を持った人間が、ヘレクスル建造当時存在していた、ということである。つまり、遊牧民族国家の成立の時期を考える上で重要な史跡である。さらに、人口希薄な地域の話だから、かなり広く及ぶ権力を持った人間でないと、大人数を招く宴会を開くことができなかったことだろう。現在もモンゴルは日本の四倍の面積を持ちながら三百万人ほどしかおらず、これは横浜市よりも少ない。
鹿石とは、その名の通り鹿を刻んだ巨石である。ヘレクスルの周囲で出土することが多い。人間、特に武具を描いたものは戦士を表現したものだという説もあるが、それではヘレクスルに埋葬された人物とどのような関係にあるのかまでは、はっきりしていない。文様の抽象化の度合いなどで、三種類の様式に分けることができる。
小説を読んでいるとたまに出てくる言葉で、今まで読み飛ばしていたのだが、改めて調べると面白いことが分かった。
そもそもインド更紗、ジャワ更紗、ペルシャ更紗、シャム更紗など、「更紗」にさまざまな種類があり、なにをもって「更紗」と呼ぶかが一貫していない。一般には天竺風の唐草、樹木、人物などの文様多色に染めた木綿製品を指すが、日本製の更紗には絹地のものもある。
木綿を用いていて、折ることではなく染めることで模様をつけている異国風のもののを、概してそのように読んでいるらしい。元来「日本後紀」によれば、綿の伝来が799年のことだが、栽培方法等がよくわからないままに絶滅してしまったとのことである(そういえば羊も伝来したが根付かなかったし、乳製品は伝統的な日本料理ではほとんど見られない。「醍醐」「酪」の記録そのものはあるのに)。木綿が本邦に根付くのは室町時代を待たねばならない。米作よりも収益性が高いこともあって、江戸中期以降生産が盛んになり、広く普及したそうである。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2019021501178&g=pol
ここに付けられているブコメを見て驚いた
なんと今回騒がれている問題が、現政権以前から続いてるのであって安倍政権だけの問題では無い等と言う主張がなされているのだ
わざと擁護しているのでなければやはりこの問題は分かり辛いのだろう
1・東京都の500人以上の事業所に対して本来は全数調査すべき所を抽出で済ませていた
何時から始まったかすら定かで無いが全数調査すべき事業所を3分の1のみの抽出調査で済ませていたのだ
厚労省の調査によれば2004年からずっと同じ不正が行われていた
そもそも例え3分の1の抽出であっても、その数値を3倍すれば誤差があるにせよある程度実態に近い数字が出るというのはまだ理解できる話だろう
だがここで問題のミソとなるのがこの3分の1しか調査してないのになんら補正処理をしていなかったという点である
3分の1しか調べていないのに労働者の数で給与の総額を割ればその分平均額が低くでるのは当たり前である
そして結果として雇用保険などの過小給付につながっている、こちらはニュースで聞いたことがある人も多いだろう
ここまでが以前の政権から続き、現政権も含めて責任があると言える問題だ
だが話はこれで終わらない
2018年1月分から厚労省はなぜか、今まで行っていなかった3倍補正を行い始めたのである
だがそれはきちんと公表してから行われるべきものだ、そして公表した後に前年分も改定すれば良いだけの話である
三倍補正していない数値とした数値を比較してよいものだろうか?
その結果2018年6月の様に前年同月比の名目賃金が3.3%増等と出てくるのだ
算出方法が違う比べるべきでない数字を比べ、賃金が上がった等と主張したのである
2,3,4の問題に関してもキモとなるのは前述の比較できない数値を比較したという事である
2018年1月にベンチマークを更新し、調査サンプルを以前と違う手法で入れ替えし、日雇い労働者を統計から除外した
勿論、こういった事を行ってもそれを公表し、以前にさかのぼって数値を改定すればそれはそれで比較できるのだ
実際それまでのサンプル入れ替え時には過去に遡って数値を改定していたのである
そして全く性質の違う数値を比較し、アベノミクスの成果であると喧伝した
ここまでお読みいただければこれが安倍政権以前から行われていて、民主党政権も悪いと言った言説が極一部にしか当てはまらないというのがお分かりいただけただろう
民主党にも責任があると言えるのは全数調査すべき東京都の事業所を抽出調査で済ませていたのを見抜けなかった事だけだ
その後に行われた、しれっと算出方法を変更をし、伸び率が大いに改善したと発表したのは現政権なのである
安倍政権が我々も被害者である、悪いのは不正をした官僚だというのなら国会において与野党で追及すればよいだけの話だ
しかし何故か追及に後ろ向きな姿勢を示し、あまつさえ当時の政策統括官を配置換えし既にその職に無いから審議には呼べない等と主張したのだ
これが隠ぺいに加担していると言わないで他に何と言うのか
そしてこれ以外にも2004年から11年までの統計に必要な資料が破棄されていたりとまだまだ出てくる始末だ
また一週間もすれば更なる問題が出てきてもおかしくはないだろう
その現実の問題を把握するための手段が統計であるのにこれが信用できない
中国の大躍進政策を見れば自分が何を言っているのかが理解できよう