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2025-07-16

anond:20250715202628

2001年宝島社の『このミステリーがすごい!』大賞が始まったやろ

宝島社サブカルのようで右翼系で、文学雑誌は出してないよね

2023年創業者社長が80歳の誕生日に死亡(関東州出身

次期社長上智大学

関係有毛だな

Permalink |記事への反応(1) | 19:27

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2025-07-14

英語ってまじで虚無

日本人英語勉強している人って、なんか基本的薄っぺらい感じがする。

発展途上国に住んでいて英語が使えなければ大学までいけない人たちとか、小国で陸続きのヨーロッパに住んでいて、日常的に他国とのやり取りが必要な人たちとは
日本に住んでいる日本人って全くわけが違うんだよね。もちろん中には仕事英語必要日本人もいるけど、まずそういう高度な仕事に就いてる時点で、英語できて当たり前の層だよね。

人口が多くて経済規模デカくて、日本だけで全てが完結する世界に住んでるわけじゃん。
だから英語をやる意味って日本にずっと住むって前提で生きていれば、ない。

でもそれなのにわざわざ勉強している人が多いのはなぜかと考えれば、「将来必要になるから」っていうより、
「話せたらかっこいい」「英語国際的で頭良さそう」「ちょっと他人より優位に立てる気がする」からだよね

ちなみに私は大学受験に必要から勉強してる😂これもひとつ薄っぺら理由に含まれる気がするけど。でも大学生になったら本当に心の底から惹かれるポーランド語ロシア語だけに集中したい。

英語の響きが好き、イギリス文学に惚れてますアメリカ歴史を深く知りたいです、だから英語をやりたいです、やってます、
っていう人は多分めちゃくちゃ少ない。大学院くらいにしかいないのでは?

一方、ドイツ語タイ語アラビア語なんかをあえて選んでる人は、本当にそれらの文化歴史が好きで、興味があってやっていますっていう人が多いと思うから、なおさら英語薄っぺらく見える。

日本人英語を話せないのはなぜか」みたいなタイトルの本は、本屋にいけば必ず1冊は見る(私が語学のコーナーしか見にいかないのもある笑)けど、タイトル見ただけで、馬鹿なの?と思うもん。


そんな本書いて何が楽しいんだ?みたいな。


もっと漢字ひらがなカタカナに誇りを持てばいいのに。なんか日本人下げも含まれてそうなタイトルのものが多くて不愉快

個人的には、日本語って繊細で綺麗だと思うし。

英語圏ってよく「明るくて自由楽しい国」ってイメージのみで語られがちで、
そのイメージだけで「英語けが素晴らしい」「英語圏に行けば幸せ」みたいに考えてる人、多分多いよね。中学生ときの私みたい。
もちろんそれが悪いとは言わないでおくけど、
実際には、ちゃんアメリカにもイギリスにも、根深社会問題歴史的な背景があるし、
単純じゃないはず。

英語は確かにめちゃくちゃ便利。世界中で使われてるし、強力なツールだと思う。でも
便利ってある意味空虚と隣り合わせなんだよね。

Permalink |記事への反応(1) | 19:15

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台湾サイト「海棠文学城」作家大量拘束 同性愛小説刑事処分の恐れ

海外では弱者女性人権はなさそうだ

Permalink |記事への反応(1) | 16:58

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2025-07-12

今のうちに古典勉強するべきだろうか

表現規制が入ってエロがなくなる可能あるじゃん

その時のために日本書紀みたいな神話や平安文学で抜けるように準備するべきなのなな

Permalink |記事への反応(2) | 13:00

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2025-07-09

日本の政治が混迷しているシンプル理由

A:最近日本の政治って本当にわけがわからないよね。れい新選組参政党みたいな新しい政党が急に出てきて、なんだか政治全体がおかしくなってる気がするんだけど。

B:実は、これって世界的に起きている現象なんだ。「エリート過剰生産理論」っていう考え方で説明できるんだよ。

A:エリート過剰生産?何それ?

B:ロシア系アメリカ人学者ピーター・ターチンが提唱した理論なんだ。簡単に言うと、「高学歴者が増えすぎて、みんなが期待するような良いポジションに就けない人が溢れると、社会不安定になる」っていう話。

A:でも、高学歴者が増えるのっていいことじゃないの?

B:確かにそう思うよね。でも問題は、大学を出た人が期待する「エリート的な地位」—政治家、官僚大企業幹部大学教授みたいなポジション—は、そんなに簡単には増えないってこと。

A:ああ、なるほど。椅子取りゲーム椅子の数は同じなのに、参加者けがどんどん増えていく感じ?

B:まさにそれ!ターチンはこれを「椅子取りゲーム」に例えてる。1950年代アメリカなら、大学卒業者は全体の15%未満だった。でも今は30%以上。エリート地位を狙う人は倍以上に増えたのに、そういうポジション自体はそれほど増えてない。

ターチンの予測は当たったのか?

A:でもこれって、ただの推測でしょ?実際に証明されてるの?

B:これがすごいところなんだ。ターチンは2010年に「2020年代アメリカ政治的混乱が起きる」って予測したんだけど、実際にトランプ政権の混乱、2020年の大規模デモ1月6日議事堂襲撃事件が起きた。

A:え、10年も前に?

B:そう。彼は約40の社会指標分析して、「政治ストレス指数」っていうのを計算したんだ。その結果、アメリカ100年ぶりの政治危機に向かってるって警告してた。で、実際にそうなった。

A:他の国でも当てはまるの?

B:うん。彼の理論歴史的にも検証されてる。フランス革命前、ロシア革命前、1960年代アメリカ学生運動2011年アラブの春—どれも高等教育が普及した後に起きてる。共通してるのは、高学歴なのに期待した地位に就けない「準エリート」が運動を主導したこと

日本でも同じことが起きている?

A:じゃあ日本でも同じことが起きてるってこと?

B:まさに。日本1990年代以降、大学進学率がどんどん上がった。でも同時に、バブル崩壊後の長期停滞で「良い就職先」は減った。終身雇用も崩れて、高学歴者でも不安定雇用に甘んじる人が増えた。

A:確かに氷河期世代とか言われてたもんね。

B:そう。で、そういう人たちの中から既存政治システムに挑戦する動きが出てきた。れい新選組参政党の躍進は、まさにこの現象の一例だと思う。

A:どういうこと?

B:両党とも、既存政治エリート自民党立憲民主党政治家、官僚大手メディア—を「既得権益」として激しく批判してる。そして、従来の政治に不満を持つ人たちに「わかりやすい敵」と「シンプル解決策」を提示してる。

インターネットが加速させる現象

A:でも昔も政治への不満ってあったと思うけど、何が違うの?

B:決定的に違うのは、インターネット存在。昔なら既存メディア政党を通じてしか影響力を行使できなかったけど、今はYouTubeTwitterで直接発信できる。

A:ああ、確かに政治YouTuberとか増えてるよね。

B:そう。高学歴だけど既存システム成功できなかった人たちが、オンラインで影響力を獲得して、従来の権威に挑戦してる。そして彼らは、自分たちより政治知識の少ない層をターゲットにして、複雑な問題を「悪者 vs善者」の単純な構図で説明する。

A:なるほど。それでれいわや参政党みたいな政党が支持を集めるわけか。

B:正確に言うと、これは「下向きの動員」なんだ。準エリートが、既存エリートに挑戦できない代わりに、自分より教育水準の低い層を動員して影響力を行使しようとする。

なぜ「標準以下」の層をターゲットにするのか

A:でも、なんで政治知識の少ない人たちをターゲットにするの?

B:実は戦略的合理的なんだ。政治知識豊富な層は、既存専門家制度への信頼も高いし、簡単には動かせない。でも政治に詳しくない層なら、「隠された真実を教えてあげる」みたいなアプローチで影響力を行使やすい。

A:ちょっと上から目線な感じもするけど...。でも待って、れい新選組山本太郎って中卒でしょ?準エリートじゃないじゃん。

B:いい指摘だね。でも山本太郎は「フロントマン」なんだよ。彼の背後で政策を考えたり、戦略を練ったりしてるのは、大学大学院を出た政策スタッフたち。山本太郎は「庶民的な顔」として前面に出てるけど、実際の知的作業高学歴の準エリートがやってる。

A:なるほど、そういう役割分担があるのか。

B:そう。一方、参政党の神谷宗幣典型的な準エリートの例だよ。彼は法科大学院を出てるけど、司法試験合格してないし法曹になっていない。つまりエリート地位を目指したけど挫折した人なんだ。

A:ああ、まさに「準エリート」って感じだね。

B:そうでしょ?神谷宗幣にとっては、既存法曹界や政治エリートは「自分排除した敵」なわけ。だから彼らに対する攻撃は、個人的怨恨も込められてる。そういう人が「反既得権益」を掲げて政治活動をするのは、ある意味自然な流れなんだ。

A:ちょっと上から目線な感じもするけど...。

B:そうなんだ。でも彼ら準エリートにとっては、「既存エリートに認められない自分」へのプライド回復する手段でもある。「俺たちの方が真実を知ってる」「既存専門家は嘘つきだ」って言うことで、自分たち正当性を主張できる。

A:なるほど。それで陰謀論とかも広まりやすくなるのか。

B:まさに。「主流派メディアは嘘をついてる」「本当のことを言うのは我々だけ」っていう構図を作ることで、既存情報源への信頼を破壊しつつ、自分たちへの信頼を獲得しようとする。

政治混迷の本当の原因

A:じゃあ、日本の政治混迷の根本原因は?

B:一言で言うと、「高学歴者の期待と現実ギャップ」だね。バブル期までは、良い大学を出れば良い会社に入れて、安定した中流生活ができた。でもその「成功方程式」が崩れた。

A:でも政治家や官僚は相変わらず既得権益を握ってるよね?

B:そう、だからこそ問題なんだ。既存エリート地位を維持してるのに、新しく高学歴になった層は同じような地位に就けない。この格差への怒りが、既存システム全体への攻撃につながってる。

A:それでれいわや参政党みたいな「反システム政党が出てくるわけか。

B:その通り。彼らは既存政治エリート批判しつつ、自分たちは「庶民の味方」だと主張する。でも実際には、高学歴だけど既存システム成功できなかった層が、自分たちの不満を政治的に表現してるっていう側面が強い。

解決策はあるのか?

A:じゃあ、この状況をどうすればいいの?

B:ターチンによると、歴史的には2つのパターンがある。一つは暴力的解決革命内戦既存エリートが一掃される。もう一つは平和的な改革ニューディール政策みたいに、富の再分配と機会の拡大で社会を安定させる。

A:日本場合はどうなりそう?

B:幸い、日本比較平和的な社会から暴力的解決にはならないと思う。でも、政治断片化統治の困難は続くだろうね。既存政党求心力を失い続けて、新しい政治勢力が次々に現れては消えていく。

A:根本的な解決には何が必要

B:正直に言うと、一番効果なのは文系大学院を大幅に縮小すること」だと思う。特に就職先の見通しが全く立たない文学研究科社会研究科哲学研究科なんかはほぼ全廃でもいい。

A:えー、でもそれって研究の機会を奪うことにならない?

B:甘い考えだよ。今の状況を見てごらん。文系大学院なんて、ほとんど就職先がないのに毎年大量の修士博士を生み出してる。彼らは奨学金という名の借金を背負って、結局フリーターになったり、塾講師非常勤講師転々とする生活を強いられてる。

A:確かに文学博士とかで就職できない人の話はよく聞くなあ。

B:そういう人たちが「社会が悪い」「既存エリート既得権益を握ってる」って不満を募らせて、結果的政治不安定化させてる。だったら最初から、そういう「高学歴ワーキングプア」を大量生産するのをやめればいい。

A:じゃあ具体的にはどうするの?

B:まず、文系大学院の定員を現在10分の1程度まで削減。特に私立大学の「学費さえ払えば誰でも入れる」みたいな文系大学院は即刻廃止。その代わり、理系技術系、医療系の大学院を拡充する。

A:でも大学側は猛反対するでしょ?

B:当然反対するよ。文系大学院は大学にとって「金のなる木」だからね。設備投資も少なくて済むし、学生から学費だけ取って放置できる。でも、国の補助金配分を変えればいい。修了生の就職率や収入実績に応じて補助金を出す仕組みにする。

A:法科大学院問題だよね?神谷宗幣の例でも出てきたけど。

B:法科大学院特にひどいよ。毎年約1600人の司法試験合格者に対して、法科大学院入学定員は約2200人もある。つまり最初から600人は司法試験に落ちることが決まってるわけ。でも大学側は「合格可能性がある」って嘘をついて学生を集める。

A:それはひどいね。詐欺みたいなものじゃん。

B:まさに詐欺だよ。だから法科大学院入学定員は司法試験合格者数と完全に一致させるべき。年間1600人しか合格しないなら、法科大学院の定員も1600人にする。そうすれば、神谷宗幣みたいな「法科大学院は出たけど司法試験には落ちた」という怨恨を抱えた準エリート大量生産を防げる。

A:うーん、でも文系研究にも価値はあるんじゃない?

B:もちろん価値はある。でも、年間何千人も文学修士社会博士を作る必要はないってこと。本当に研究者になりたい優秀な人だけが、厳選されて大学院に行けばいい。今は「学部就職できなかったか大学院に逃げる」人が大半でしょ?

A:たしかに。就職浪人の隠れ蓑みたいな感じもするなあ。

B:そうでしょ?そういう人たちを大学院に入れずに、高校大学卒業後すぐに技術系の専門学校職業訓練に向かわせる。修士課程で2年、博士課程で3年も無駄にするくらいなら、その間に手に職をつけてもらった方がよっぽどいい。

A:なるほど。要するに「文系大学全入時代」をやめろってことか。

B:その通り。今の日本大学院まで「とりあえず進学」する人が激増してる。でも社会必要としてる修士博士仕事はそんなにない。だから大量の「超高学歴だけど期待した仕事に就けない人」が生まれる。

A:でも、高校生や親はどう思うかな?

B:最初抵抗があるだろうね。でも現実を見せつければわかる。「社会修士を出てコンビニバイト」と「高校卒業後に電気工事士資格を取って年収500万」、どっちがいい?

A:確かに後者の方が良さそう。大学院に行くと借金も増えるしね。

B:でしょ?特に文系大学院は最悪だよ。2年間で300万円の学費を払って修士号を取っても、就職では学部卒と同等かむしろ「年齢が高くて使いにくい」と敬遠される。完全に金と時間無駄

A:つまり文系大学院の大量生産をやめれば、政治も安定するってこと?

B:少なくとも、「超高学歴なのに期待した地位に就けない」っていう最も怨恨の強い層は減る。法科大学院まで出たのに司法試験に落ちた人って、普通大卒より遥かに怒りが深いでしょ?

A:なるほど。でも政治家や文部科学省がそんな改革をやるかな?

B:難しいだろうね。大学関係者は強力な利益団体だし、「教育の機会均等」みたいな綺麗事を言って抵抗するだろう。でも、このまま行ったら社会全体がもっと不安定になる。

A:じゃあ結局、変わらないってこと?

B:残念ながら、たぶんそうだろうね。政治家は票を失うのが怖いから、根本的な改革には手を出さない。だから、しばらくは高学歴ワーキングプアが政治を混乱させ続ける状況が続くと思う。

まとめ:政治混迷の正体

A:なるほど、よくわかった。つまり日本の政治混迷の正体は?

B:「高学歴者の不満の政治化」だね。バブル崩壊後に高等教育を受けた世代が、期待した社会地位を得られずに既存システムに不満を抱き、インターネットを使って政治的影響力を行使しようとしてる。その結果、政治全体が不安定化してる。

A:れいわや参政党の躍進も、その一環だと。

B:そう。彼らは高学歴だけど既存エリートになれなかった「準エリート」が、政治知識の少ない層を動員して既存システムに挑戦してる例だと思う。これは日本だけじゃなくて、世界中で起きてる現象なんだ。

A:じゃあ、しばらくはこの混乱が続くってこと?

B:残念ながらそうかもしれない。ターチンの理論によると、こういう不安定期は通常10-20年続く。でも歴史を見ると、最終的には新しい均衡点に落ち着くことが多い。重要なのは、この変化を理解して、建設的な方向に導くことだね。

A:政治を見る目が変わりそうだ。ありがとう

B:どういたしまして。複雑に見える政治現象も、こういう理論的枠組みで見ると、意外とシンプル構造が見えてくるものなんだ。

Permalink |記事への反応(5) | 11:41

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2025-07-08

anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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2025-07-07

anond:20250707233234

AI文学としてはいい線いってる

Permalink |記事への反応(0) | 23:39

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[読んだ]石岡丈昇のエスノグラフィ入門を読んで

子の付き添い入院経験してそれを何かの形にしたいと思っているのだけれど、その「形」とエスノグラフィは8割くらい被ってる気がする。「当事者研究」とも近い。

この本は、私が付き添い入院と付き添い入院の間、数ヶ月の在宅治療中に、「なんかメンタルが整うような本ないかな」と思って立ち寄ったスーパーの中にある本屋で、めぼしいものが見つからず、「じゃあ新しい学びでも得るか」と立ち寄った新書コーナーで見つけた本だ。「エスノグラフィってなんだっけ?」と思って手に取ったが、初めて知った言葉だった。

買って一日で読み切ってしまった。

この本では「エスノグラフィとは何か?」という問いに対し、冒頭に結論となる文章が書かれている。初見では分かりにくい文章だが、その中で登場するキーワードを、各章で細かく説明する形で理解を深めていくようになっている。

私の感想もその文章の各キーワードについて、「付き添い入院中に私がやってたのってエスノグラフィなのかな〜違うかな〜」など、思ったことを書いていく。

その文章説明をするところの前に「はじめに」と第一章の「エスノグラフィを体感する」があるので、そこの感想

はじめに

エスノグラフィは社会学の一部らしい。私は社会学部卒だったのでこの本を手に取ったのも必然だったか、という気持ち。あとこの「はじめに」の中に「在宅酸素療法」という言葉が出てくるのにも驚き。子がまさに酸素療法中だったので、「空気って大事なんだな」って話に非常に縁を感じた。

第一章 エスノグラフィを体感する

賭けトランプと棺の話面白い。ざっくりこの辺まで立ち読みして買うのを決めた。

エスノグラフィは何も隠されてはいない、ありふれた日々の「生活を書く」ことを基本にします』。付き添い入院が行われている小児病棟は、隠されているわけではないけど、限られた条件の人しか参加できない。ただ、そこでは少し変わってはいものの確実に生活が営まれている。

フィールドで見た場面と研究主題接続:これが私の書きたいこととエスノグラフィの違い。私特に主題っぽいものを持ってない。「貧困」とか「差別」みたいな。多分。問題意識はあるんだけどそれをいま書いて訴えたいかと言われると、ちょっとピントがズレる。

フィールド自分普段生活二重写しにみる:これはそう。付き添い入院を知らなかった私には戻れない。

フィールド調査十戒:これは基本的に「部外者」としての考え方だ。「当事者」として病棟にいた私が、より理性的振る舞うために何が必要だったか考えさせられた。寛大であることと関わる人を中傷しないことは難しかった。私は「奪われた」寄りの人間だったから、無駄に奪われないために戦う必要があったし、中傷もした。「そういう考え方もあるね」と俯瞰することもないではなかったけど。フィールド文化歴史を知るために調べて歩き回ることは意識した。付き添い入院がどういった背景で行われているのか調べ、実際に入院する前に病棟見学もさせてもらった。情報があまりにも少ないことが不安を生んでたからだ。偉そうにしないこととただの見学にならないように記録することも「部外者」の発想だと思う。

書くことについては、私は完璧に考えがまとまってから書くのでも、書きながら考えが立ち上がってくるのでもなく、考えた端から書きつけていかないと気が済まないタチ。不安や怒りといった感情とこれからすべきことは何かといった思考が絡まった状態脳内にあるので、言語化して要らない感情は捨てて、必要思考を拾い上げていく。整理してまとめ上げるというよりは断捨離

章間にあるコラム全部面白いストリートコーナーソサエティの付則が面白いって書いてあるのと似てるかもしれない。

さて本題の結論となる文章こちら。

エスノグラフィは、経験科学の中でもフィールド科学に収まるものであり、なかでも①不可量のものに注目し記述するアプローチである。不可量のもの記述とは、具体的には生活を書くことによって進められる。そして生活を書くために調査者は、フィールドで流れている時間参与すること必要になる。こうしておこなわれたフィールド調査は、関連文献を④対比的に読むこと着眼点が定まっていく。そうして出来上がった⑤事例の記述を通して特定主題(「貧困」「身体」など)についての洗練された説明へと結実させる。
①不可量のもの (第二章 フィールドに学ぶ

妊娠中に子が先天性心疾患を持っていることがわかった。付き添い入院必要があることが分かったのは生まれて1か月が経ったころ。2か月で手術をし、付き添い入院が始まり、4か月で退院した。現在子は7か月で、この先もう一度、手術と付き添い入院の予定がある。そしてその母親である私は、大変な記録魔である。それも、数字の記録はあまり続かず、起きたことを起きた時に感情と共に記録することを、携帯が普及し始めた学生時代からずっと続けてきた。そのため、子の病気に関することや私の生活についての数千件にも及ぶメモが分単位で記録されている。これは、不可量のものが記録されたフィールドノートになるのか?

客観化の客観化:エスノグラファーが研究対象に参加しようと努力するのに似て、私は自身自身の置かれている環境を観察できるよう、自分の心から離れた位置から事象を捉えようと心がけてたように思う。発生時点では一人称的な見方になるし、ショックも受けるが、落ち着いたら、相手立場に立ったり、制度面での欠陥がどこにあるのかを考えたりもした。冷静になりたかったし、付き添い入院経験したこと有益にしたかった。

この章に出てくる市について『2024年能登半島地震被害に遭った地域にある』との記述を見て驚く。待ってこの本いつ出たの?2024年9月!?出版されて一年経ってない本を私はいま手に取って「やべ〜めっちゃ今私が知りたかった視点だ〜」とか思ってるの!?「いまーここ」すぎる。

生活を書く (第三章 生活を書く)

私が付き添い入院中記録していたことは100%これだ。事件もあったが、日常をひたすら記録していた。というか、育児日記を書いているママ大勢いるから、生活を書いている人はたくさんいるんだろう。参与ではなく当事者研究に近い行い。

アフリカの毒については、退院後の外来で、他のママが「あの環境って独特ですよね。なんか連帯感というか」となんだか楽しげに言っていたのが印象深い。子の命が懸かっているので、アフリカのように無限に往復したい場所ではないのだが、そこを無視すれば、一種の寮のような共同生活は他にはない体験ができる場所だ。具体的にどこがとは言いづらいが、非常に「日本的」だとも感じた。

フィールドを『問題地域としてのみみなすような態度を取らない』ことは、付き添いが始まる前はどうしてもできなかったことで、始まってみて「どこにいようが日常は続くな」と思うようになったことを思い出した。ちょっと石岡先生の言いたいこととズレてる気もする。

ここで『かわいそうでもたくましいでもない』という記述がある。かわいそう、たくましい。この二つは患者家族がめちゃくちゃ言われる言葉トップ2だ。そうね。かわいそうだし、たくましくもある。そのあっさい感想で、あっさい関係性の人たちについてはもういい。だがもうちょっと地に着いた、実際どうなの?というところを知りたい人に対して、私はものを書きたい。この記述太字で書いてあって、後半にも出てくるから先生の中で通底してる考えなんだろうと思うととても嬉しい。

部落の話を通じて「いまーここ」を見つめようという話は、目を逸らしたい気持ちだった。自身の中にもいろんな偏見があって、正すべきだとわかっているけれど、今ちょっとそんな余裕がない。ごめん。の気持ち

エスノグラフィで記述されるのはすでにあるものって話も、私を勇気づけるものだった。こんな当たり前のこと書いてなんになるんだろうと思うような話ばかりだが、丁寧に調べて書けば、論文にすらなるんだと思うと心が晴れた。

買ってから気づいたのだけど、この本には挿絵が入っている。印象的な場面やキーワードをページ一枚のイラストという形でも表している。図表は一個もない。大学教授自身研究と参考文献を大量に提示した、論文に近い新書でこの形式はとても珍しいと思うが、文章だけでなく絵で切り取ってみるのも、エスノグラフィが一つの事例を深掘りし、「何が」を調べるものではなく、「いかに」を調べる学問であるという説明を強化しているなあと思った。

時間参与する(第四章 時間参与する)

その場に見学者としているだけではなく役割を持って参加することを持って「時間参与する」と表現しているようだ。私は当事者なので参与も何も、強制参加させられて日常に帰ってきたのちに、「あの経験エスノグラフィにできないか?」と、入り口ではなく出口としてエスノグラフィを使おうとしている立場である

参与観察はもう少ししたかった。他の家族がどうやって子を看病しているか、一日のスケジュールがどうなっているか経済状況、家族構成、抱えている困難。知り合いになった結果面倒ごとを押し付けられそうで、退院が確定するまで(いざとなったら逃げられる状況になるまで)他者を詮索するリスクを取れなかった。逆に言えば退院が決まってからめっちゃ人と話した。

④対比的に読む(第五章 対比的に読む)

この本を読む以前に私がやってきたことがエスノグラフィ(というか研究)じゃないのはここだなあと。大学時代にやったことだが、研究には先行論文を読むステップが欠かせない。ただ単に「これってこうだと思うんですよ!」だけじゃダメで、「この論文ではこう言ってて、この研究ではこういう結果で、でも自分はここの部分はこう思ってて。で実際調査してみた結果がこれ。ね?あってるでしょ?」みたいな。

そして今日この本を読み終わって思ったのが、「この本を読んだことで、私のエスノグラフィ始まったんじゃない?」ということ。まあ当事者なので完全にエスノグラフィにはならないし、仮説を立てるとか主題を持つとかする気はないのだけど、この部分はエスノグラフィっぽい、ここは違うな、と「対比的に読んだ」ことで、ただの雑記が、研究分析みたいな深みを得そうな気配がした。

それ以外にも「対比的に読む」ことはしていて、いま書こうとしているのと同じ媒体の、似たタイプの作者の書いたものを大量に読んで勉強している。書きながらやっているので、自分がぶち当たっている壁をどう解決しているのか教えてくれる最良の教科書として機能しているし、自分が書くもののどこがユニークなのかを都度確認もしている。

あとここで先生は『容赦なく書き込む』ことを推奨しているので、ここで初めてマーカーを手に取った。私は本を汚している感じがして書き込みをしない。けど、書いた人がそうしてというなら遠慮なくそうする。「はじめに」に書いていてほしかったな。なんでこんなど真ん中で…。先生の言うように初読の読むペースの時間経験の中で重要と思われる部分にマークしていくべきだった。珍しく凄まじいスピードで読んだから、この文章を書きながら再読している時の咀嚼感と全然違う。

対比的に読むことがデータをつくることに関連している:一回目の付き添い入院初体験だったので新鮮な驚きや緊張感で乗り越えられた気がするが、待ち受けている二回目に向けてのモチベがなくて困っていた。どういった姿勢で臨むべきか決めかねていて。そんな悩みに光を差す記述として、『フィールドで得た漠然とした問題意識を明確にするために文献を読み、着眼点を得て、その着眼点気づきを持ってフィールドに戻って、「データをつくる」ためにインタビューフィールドノートの記述をするのだ』(要約)と書いてありました。なるほどな〜と。二回目もやはり逃げられる状況になるまで他者インタビューリスキーではあるけれど、とりあえず一回目の振り返りをして、二回目はどんな記録をしていきたいか見定め、関連資料を探すことをしようと思う。

⑤事例の記述を通して(第六章 事例を通して説明する)

私は日常を書きたいだけで主題がないので、この章は自分のやってることとはちょっと違うかなということが多かったのだけど、主題があるとすればできることはあるなあと思った。前章の対比的に読むことや、社会学文脈で書くこともそうだし、比較するのではなく、対比することもそう。

子の闘病において、病棟で暮らすことと、家で暮らすことのほかに、「外来」という場所がある。退院後も月に一回程度はその病院外来に足を運んで検査をするし、外来を重ねてまた入院することもある。病棟にいるとよく聞く会話に「外来来るよね?」というものがある。最初耳にした時はそんなこと確認してなんになるのかと思ったが、別の日、外来に来た母親病棟にも顔を出すというので、病棟の外に大量の母親たちに、なんと医師看護師病棟保育士まで集合しているのを見た。主題を「人間関係」とかに置いた場合、「病棟」と「家」だけで見たら抜け落ちてしまものがこの「外来」という場所にありそう、対比して調査する場所として必須なのではと感じた。外来もまた病棟とは違った、独特な空気感を感じる場所である

時間的予見を奪う:これは私に取って大きな学びだった。本書ではフィリピンの立ち退きに遭ったスラム住人の例が挙げられていたが、付き添い入院もこの困難を抱えていることを自覚たからだ。付き添い入院は始まる時も終わる時も未定で、予告されるのが数日前だったりする。病気を抱えているから当然だと思うだろうか?では、その入院する病棟が、盆正月GWといった長期休暇にはガラガラになることを知っても同じ感想を持つだろうか?病気の子人質医療者の都合が押し付けられているのだ。あーあ書いちゃった。まだ治療が続くので今は敵に回したくないんだけど、気づいたら書かずにはいられない性分で。先の見通しが立たないことは病児看護において日常になる。生まれから治療が終わるまで、年単位スケジュールが未定になる。純粋病気のせいの部分もあるが、先に書いたように医療者の都合による部分が確実にあるにも関わらず、それは私たちには容易には分からない上、付き添い入院は「家族がどうしてもやりたいっていうからやらせてあげている」ていになっているので、余計にストレスが溜まる。この気づきを得たのは大きかったな。

病棟が長期休暇になると患者が減ることは他の家族のインスタで知った。付き添い入院において背景や論理を知ることは難しい。先にも書いたように詮索することで子の手術や看護といった医療サービスが適切なタイミングや質で受けられなくなるかもしれない不安が付きまとうからだ。医療者の側から観察できればいいのだけど。もしくは保育士や清掃員とかで入るのもいい。

ある人々にとっての現実の把握:この、たった一つの真相を知るでもなく、多元的見方をするのでもなく、バイアスがかかっていることを自覚しながら観察するのは、当事者としてもいい見方だなと思った。私は当然患者家族であるので、その立場からものを見て言いますよと、自省的なのか開き直りなのか分からない姿勢にも自信が持てるというもの

ミクロ視点からマクロを見る:付き添い入院マクロにまで射程が届く研究対象なのは明らかだろう。付き添い家族ターゲットにしたNPOあるくらいだし。一方でその実態は泣く子と眠れない夜を明かし洗濯をし食器を洗いシャワーを浴びて食事をする、とても地味でありふれたミクロな場面の連続だ。

ルポルタージュとの違い:エスノグラフィは時間の縛りがない事がルポとの違いらしい。なるほど。昨日『ダーウィンが来た』で、動物写真家シロイワヤギを40年追っかけてるっての見たけど、そっちと近いんだろうか。文学とも重なる感じ。先生も書いてるけどエスノグラフィは「読み物として面白いものが多そう。まだ私一冊も読んでないけど、本書で引用されたものだけでも十分面白かった。けど、「研究」でもあるので、主題と紐付けて研究結果が出てくるところが、エッセイルポとの違いだろうか。エッセイでも面白いものはそうした「発見」みたいなのはちょいちょい見る気がするけど。社会学文脈にびたびたに浸って先人たちのあれやこれやを紐づけまくってその上に自分の見た事象から発見記載できればエスノグラフィなのかな。知らんけど。ここは明確な区切りがわからなかった。

長文の研究計画書を書くって書いてあったけど、そこに何書くんだろう?私は主題はなくてフィールド強制的に決められて問題意識(不平不満)と記録は大量にあるわけだけど、大学生とかは、①エスノグラフィというものがあるのを知り、②「子供貧困について研究したい!」とかって主題を決め、③エスノグラフィで調査しようと決めて、④主題関係が深そうなフィールドを探して(こども食堂とか?)、⑤主題に繋がりそうな場面に遭遇しないかな〜と思いながら参与観察するみたいな感じだろうか。やりてえ〜大学生に戻って。

研究お金の話は文系理系も似たような感じだな〜と思った。応用研究は金出るけど基礎研究にはなかなか出ないし長期での研究も難しいみたいなの話。

おわりに

私が今付き添い入院フィールドエスノグラフィができない理由はここまで書いた通りで、問題意識を表出すると角が立つからだなあ。当事者は奪われる側なので。できない分ここで社会学視点からみれそうな表現問題意識については書いたつもりなので、誰かやってください。ほんとはやりたいよ。今すぐ石油王になって付き添い入院病棟を全て個人産院並の、シャワートイレ冷凍冷蔵庫付きで親と子それぞれのベッドがある広めの個室にして、食事もついて、付き添い保育士外注できるようにして、その病棟看護師患者家族全員が参加Permalink |記事への反応(2) | 17:51

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2025-07-06

anond:20250706102129

20世紀の終わりまでは芸術とか文化の先端って感じがあったけど、フランスソフトパワーって落ち目だよね。

絵画とか文学世界でも存在感ないし、ITなんかロシア以下。

ソフトダメダメだけど、じゃあモノづくりが強いかって言うと、時価総額ランキングファッションブランドばっかりで、中国とかベトナムに作らせてフランス職人タグ付けするだけ。

フランスって大丈夫か?

Permalink |記事への反応(3) | 12:09

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2025-07-04

anond:20250704094205

✅ 「人間文化活動自然に含まれるかどうか」は、定義次第で答えが変わります

1. 狭義の「自然」:人間活動区別されるもの

この意味では、自然人間の手が加えられていない世界、という立場です。

🌳自然:山、森、川、動物など、人間が手を加えていないもの

🏗️ 人工(または文化):建物都市文学技術など、人間意図行為によって作られたもの

👉 この立場では、人間文化活動は「自然」には含まれません。

2. 広義の「自然」:宇宙全体・すべての存在

この意味では、人間自然の一部であり、人間活動文化科学技術など)も自然進化の一部と捉えます

🌍自然地球上のすべての現象存在人間もその一要素。

🧠人間思考創造活動も、自然法則に基づいて起きているもの

👉 この立場では、文化活動自然に含まれる、と考えられます

🔁対義語が「人工」「文化」「文明」になるのはなぜ?

日常語として「自然」の対義語を探す場合、多くは狭義の自然に基づいています

たとえば「自然食品」⇔「人工添加物」など、私たちが何かを「人の手が加わっていない」と考えるとき、「自然」と「人工」は対立するように感じます

🧩哲学的視点(補足)

アリストテレスは「自然には目的があるが、人工物には人間意図がある」と区別しました。

一方、現代哲学エコロジー思想では「人間自然を二分するのは不自然だ」という意見も増えています

結論まとめ

立場人間文化活動自然に含まれる? 「自然」の対義語

狭義の自然まれない 人工、文化文明

広義の自然まれる (対義語なし、または「無」)

もし特定文脈教育哲学科学など)があれば、それに合わせた説明もできます。ご希望あれば教えてください!

Permalink |記事への反応(0) | 09:44

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2025-07-02

anond:20250702164916

サイバー犯罪条約マンガアニメゲームだけでなく文章(古典文学対象)や音声の規制も含む

憲法に「表現の自由」が書いてあろうと、締結した国際条約の方が優先

一般文芸、例えば源氏物語など古典文学もかなりの数が規制対象になり、歴史のもの発禁対象にされる

コンテンツが軒並み焼け野原になって3兆円規模の業界が消え去る可能性がある

これで喜ぶのは中国の手先か、何も考えてない境界知能だけ

お前みたいなな

Permalink |記事への反応(0) | 23:03

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anond:20250702164916

サイバー犯罪条約マンガアニメゲームだけでなく文章(古典文学対象)や音声の規制も含む

憲法に「表現の自由」が書いてあろうと、締結した国際条約の方が優先

一般文芸、例えば源氏物語など古典文学もかなりの数が規制対象になり、歴史のもの発禁対象にされる

コンテンツが軒並み焼け野原になって3兆円規模の業界が消え去る可能性がある

これで喜ぶのは中国の手先か、何も考えてない境界知能だけ

お前みたいなな

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教養って何

最近教養」ってのが流行っているらしい

教養があるとか、ないとか

池上彰曰く「教養とは、自分を知ること」らしい。

わかるような、わからないような。

うまく説明できないけど、一般常識教養は違う。

世間がいう教養って、なんとなく文学を知っているとかが教養に当てはまっているように思える。

例えば源氏物語とか、万葉集とか、もっと言えば島崎藤村「初恋」とか、尾崎放哉とか。

5次方程式代数的解が存在しないとか、直角以外の角の三等分線が不可能とか、PV=nRTとか知っていることは教養なのだろうか。

う~ん、多分違うよな。

教養ってなんだろう。

Permalink |記事への反応(3) | 16:34

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2025-07-01

女性限定公募准教授または助教14名(筑波大学の全ての研究分野)の公募

研究分野 : その他 - その他 - 本学の全ての研究分野を対象します。分野を問わない求人であり、システムの制約から適切な分野設定ができないため、キーワードを列挙します。キーワードは本学の研究分野の一端を表していますが、網羅はしていません。キーワードに一致しない研究分野からの応募も歓迎します:ライフサイエンス情報通信環境ナノテク材料エネルギーものづくり技術社会基盤、フロンティア、人文・社会自然科学一般文学思想哲学外国語教育政治経済学考古学経営学法学ビジネス科学数学物理学化学物理工学物質工学人工知能社会工学機械工学システム工学、農林学地球科学生物学環境科学、応用生命科学教育学、心理学障害科学特別支援教育、教科教育学、初等中等教育学、高等教育学、スポーツ科学、体育、身体教育学、栄養学、健康科学芸術デザイン世界遺産内科学一般外科学一般衛生学公衆衛生学分野:実験系を含まない、生命科学看護学図書館情報学情報科学情報学計算物理学計算化学バイオインフォマティクス、高性能計算

https://jrecin.jst.go.jp/seek/SeekJorDetail?id=D125060647

なんこれ”女”であればだれでもいい「女性を”人間”として見ていない」とかそう言われるアレで無いの

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2025-06-30

anond:20250630100559

1.匿名の元官吏

主人公名前を持たず、ただ「私」として語られます。彼はかつて下級官吏でしたが、40歳になった現在では公職を辞し、サンクトペテルブルクの「地下室」と呼ばれる狭い部屋に引きこもって暮らしています。これは、社会との関係を断ち切った彼の孤立した状態象徴しています

2. 過剰な自意識と病的な精神

彼は自らを「病的な人間」「意地悪な人間」「人好きのしない人間」と形容します。自身の知性や感受性が人並み以上に高いと自覚しており、それゆえに周囲の人間軽蔑していますしかし、同時に彼らを恐れ、社会から疎外されていることに苦悩しています。この過剰な自意識が、彼の行動や思考のすべてを支配しています

3.矛盾した行動と感情

主人公性格は常に矛盾に満ちています他人に対して残酷言葉を浴びせたかと思えば、すぐに後悔し、自分を責めます。誰かを侮辱たかと思えば、その相手に認められたいと強く願います善意と悪意、愛情憎悪自尊心自己嫌悪が彼の内面で絶えず衝突しており、その葛藤が彼の言動に表れています

4. 理性への反発と自由意志の主張

第一部「地下の世界」では、当時のヨーロッパ流行していた合理主義進歩主義に対する激しい批判が展開されます。彼は、人間がすべて理性や論理によって行動する機械的存在ではないと主張し、むしろ人間には予測不可能な「自由意志」や「気まぐれ」こそが本質であると語ります。彼は、二足二が四であるような自明の理にすら反発し、自分の好きなように振る舞う権利を主張します。

5.過去出来事屈辱

第二部では、彼が過去経験した具体的な出来事が語られます。かつて官吏だった頃の同窓生たちとの再会での屈辱娼婦リーザとの出会いと、その後の自身の醜い振る舞いなどが描かれます。これらの経験を通して、彼の屈折した人間性や、社会との決定的な断絶がより鮮明に示されます。彼は他者との真の交流を求める一方で、自身プライド自意識がそれを妨げ、結果として孤独を深めていきます

6.哲学的な探求

彼は単なる変わり者ではなく、人間本質自由、理性、幸福といった根源的な問いを執拗に追求します。彼の独白は、実存主義不条理文学の先駆けとも言われ、その後の多くの思想家作家に影響を与えました。

まとめると、『地下生活者の手記』の主人公は、社会から隔絶された「地下室」にこもり、自己矛盾に苦しみながらも、人間本質自由意志について深く考察する「反=ヒーロー」的な存在です。彼の内面は、理性や社会規範に収まらない人間の複雑さや、自己意識の過剰な肥大化がもたらす悲劇象徴していると言えるでしょう。

1.同窓生との再会と屈辱

主人公は、かつて通っていた学校同窓生たちが開く送別会に、半ば無理やり参加しようとします。彼は同窓生たちを見下している一方で、彼らに認められたい、自分も彼らの仲間に入りたいという複雑な感情を抱いていますしかし、実際には彼らは主人公存在ほとんど気にも留めておらず、完全に無視されます

無関心と侮辱:送別会の席で、主人公は彼らの会話に割り込もうとしますが、誰も彼に耳を傾けません。彼らは主人公存在透明人間のように扱い、あからさまに軽蔑視線を向けます

自尊心破壊:主人公は彼らに自分価値を認めさせようと必死になりますが、その試みはすべて裏目に出ます。結果として、彼はひどい屈辱を味わい、自尊心を深く傷つけられます

復讐心自己嫌悪: この屈辱的な経験は、主人公の中に激しい復讐心燃え上がらせますが、同時に、このような状況に陥る自分自身への深い自己嫌悪と苛立ちを募らせます。彼は、自らの滑稽な振る舞いや、承認欲求プライドねじれに苦しみます

2.娼婦リーザとの出会いと「醜い振る舞い」

同窓生との屈辱的な体験の後、主人公は寂しさを紛らわすためか、偶然出会った娼婦リーザの家を訪れます。そこで彼は、リーザの境遇に同情し、彼女を救済しようと慈悲深い言葉をかけ、理想的未来を語って聞かせますリーザは彼の言葉に感動し、心を動かされます

偽善優越感:しかし、主人公言葉は、純粋善意から出たものではありませんでした。彼は、リーザを救済する自分に酔いしれ、彼女に対する優越感と、自分が善人であるかのような自己陶酔に浸っていたに過ぎません。

リーザの訪問主人公醜態: 数日後、リーザが主人公の「地下室」を訪ねてきます彼女は彼の言葉を信じ、救いを求めてやってきたのです。しかし、主人公は予期せぬ来訪に狼狽し、自身の狭い部屋や貧しい生活を見られることを恥じます

心の奥底の悪意の露呈:自分プライドが傷つくことを恐れた主人公は、リーザに対して残酷で冷たい言葉を浴びせ、彼女を深く傷つけます。彼は、自分を訪ねてきたリーザを侮辱し、彼女純粋な心を弄んだ挙句お金を与えて追い払おうとします。この行為は、彼の内奥に潜む悪意、卑屈さ、そして他者支配したいという欲求が露呈した瞬間です。

後悔と葛藤:リーザが去った後、主人公自身の醜い振る舞いを激しく後悔しますが、その感情もまた、彼の自己中心的で病的な精神の一部として描かれます

これらのエピソードは、主人公の**過剰な自意識劣等感他人への見下しと承認欲求矛盾、そして自身内面に潜む「醜さ」**を具体的に示しています。彼は、理性や倫理では割り切れない人間の「闇」の部分、自己嫌悪からくる他者への攻撃性、そして真の人間関係を築けない孤独を描き出しています

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2025-06-27

紫の上まさか京都降臨!?光源氏嫉妬するほどの亥の子マジック

時は令和、空前の和菓子ブームが再燃してた20XX年。抹茶スイーツだけじゃなく、練り切りとか季節の生菓子とか、みんなが日本の美意識を感じるスイーツに夢中だった頃。そんな中、京都嵐山に、マジで浮世離れしたお姫様が現れたんだって十二単…じゃないけど、なんかこう、流れるような美しい着物と、どこか儚げで上品オーラをまとったお方。「え?舞妓さん?時代劇撮影?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な美しさに目を奪われてたらしい。

「あ…あの、わたくし、紫の上と申します…」

え?マジで?あの『源氏物語』のヒロイン紫の上!?光源氏に愛されたあの人が令和に爆誕!?って文学好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶雅なお方、もとい紫の上様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…六条院ではない、わ…?ずいぶんと華やかで、人がたくさんおりますわね…」って、マジで平安時代からタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その優雅な佇まいに、何か気品を感じてたらしい。

そんな紫の上に、恐る恐る話しかけたのは、京都の老舗和菓子屋の娘で、和の心とギャル魂を兼ね備えた、サキ。「あの…もしかして、お困りですか?」「あ…はい。その…ここは、京の都、でございますわね…?」って、マジで本物のお姫様サキ、そのあまりの美しさと上品さにマジでキュンとしつつ、「アタシ、サキ京都ことなら、何でも聞いて!紫の上様、マジで綺麗だから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって

次の日、サキに連れられて、紫の上様は初めて現代京都体験清水寺とか、金閣寺とか、昔ながらの景色には少し懐かしさを感じつつも、SNS映えスポットとか、最新カフェとか、マジで全てが新鮮で目を丸くしてた!でもね、紫の上様が一番興味を示したのは、サキ実家和菓子屋で、ちょうど期間限定で売られてたもの。「…この、猪の子のように可愛らしいお菓子は、何というものでございますか?」って、マジ真剣眼差しサキまさかのチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、亥の子餅ですよ!無病息災を願う、秋の縁起物なんです!」って教えてあげたんだって

紫の上様、一口食べてみたら…「な、なんなのでしょう、この奥深く、そして温かな味わいは!?餅の柔らかさ、餡の上品な甘み、そして香ばしいきな粉…まるで、源氏の君の愛のように、心を満たしてくれる美味でございますわ!これこそ、わたくしが求める、真の甘味です!」って、マジで光源氏を思い出すような表現で感動してたらしいよ。

そこから紫の上の亥の子餅愛がマジで爆発!毎日色んな和菓子屋を巡って、亥の子餅を食べ比べまくってたんだって。「餅のつき方、餡の種類、きな粉の風味…研究しがいがありすますわ!」って、もはや亥の子研究レベル

でね、ある日、紫の上マジで下取りの野望を語り出したの。「わたくし、この亥の子餅をもって、天下を…とは言いませんが、この甘味世界において、人々が心穏やかに、そして幸せになれるようなパフェ創造してみせますわ!これこそ、わたくしの『雅のパフェ』です!」って!

え?亥の子パフェ天下統一しかも「雅のパフェ」って!マジで壮大すぎる!でも、紫の上の内に秘めた強さと美意識があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってサキも思ったらしいんだけど、紫の上の目はマジだったんだって源氏物語ヒロインとしての美意識が、令和の亥の子パフェに新たな舞台見出したのかもね!

そっから紫の上の亥の子パフェ天下統一計画スタート!まずは、SNSで「#紫の上の雅パフェ」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶美しい亥の子パフェ画像をアップし始めたんだって。その華麗すぎる見た目と、紫の上優雅コメントが、一部の美容ギャルや、和スイーツ好き、そして源氏物語ファンたちの間でじわじわバズり始めた!

紫の上様が作る亥の子パフェマジで芸術品!」

源氏物語ヒロインが作るスイーツとか、絶対おしゃれで美味しい!」

「亥の子パフェって、マジで雅!」

SNS紫の上の亥の子餅愛でじわじわ盛り上がり!しかも、紫の上、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しいきな粉や、最高の小豆米粉を探し求めたり、伝統的な製法と最新の盛り付け技術を融合させたり、マジで研究熱心!「天下の亥の子パフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって

で、ついに!紫の上は、京都祇園に、自分プロデュースする亥の子パフェ専門店GENJI MONOGATARI - 雅の館 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、寝殿造りをイメージした、雅で繊細なデザインで、紫の上の美意識表現店員さんも、十二単モダンアレンジしたユニフォーム着てて、マジで可愛い

オープン初日から和菓子好きギャルや、インフルエンサー、そして日本伝統文化に興味を持つ外国人観光客まで、行列を作って押し寄せた!「SNS話題の亥の子パフェマジで食べてみたい!」「紫の上様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、マジで美味しいし、見た目も綺麗!」「お餅モチモチで、きな粉黒蜜が最高!」「紫の上様、マジで神!」って、リピーターが続出!口コミが広がりまくって、GENJI MONOGATARI - 雅の館 - はあっという間に人気店になっちゃったの!

しかもね、紫の上、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「物語」について語ったり、お琴の生演奏BGMにしたり、マジで独自スタイルエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって

テレビ雑誌取材殺到!「令和の紫の上」「亥の子パフェの姫君」とか呼ばれて、マジで時の人!紫の上の雅な魅力と、亥の子パフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!

でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!紫の上の亥の子パフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだってお取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニスーパーでも「紫の上印の雅パフェ」が発売されるほどに!まさに、亥の子パフェスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!

あの時、京都の街に静かに佇んでいたお姫様が、令和の時代に亥の子パフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、光源氏嫉妬するほどの亥の子マジックで、新たな伝説を創り出した瞬間!

サキも、「まさか紫の上様が本当に亥の子パフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。

紫の上は今も、さらなる亥の子パフェ可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わたくしの、雅の道に、終わりはございませんわ!」って、マジで情熱的!

こうして、紫の上は、令和の日本で、亥の子パフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語完全燃焼したわ!の子パフェ、マジ卍!

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2025-06-26

anond:20250626124246

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a8c540ceeac4bad06c7f110d2c927b1b0f2763e2/comments

コメントがおもろいな

古谷さんがご指摘のとおり、これまで政治に無関心だった私ですが、還暦を越えて参政党と出会って党員として参加しています。かといって積極的活動したり、他に支持者を増やすつもりは全くありません。

定年退職後、アルバイトの様な仕事時間の余裕ができ、好きな歴史文学の本を読んだり、新たに楽器チャレンジしたりして、社会を見るゆとりができました。その時に起きたのが昨年から続いている兵庫県騒動です。地元民として、斎藤知事の「兵庫ファースト」の施策や幾多の苦難に耐える知事応援しています。一方、それを阻害するメディア政党言動が余りにも陳腐住民目線ではないことにショックを受けました。その中で、参政党の「日本ファースト」のスローガンがはまりました。中には納得できない施策がありますが、残りの人生で支持できる政治家や政党ができたことに感謝しております古谷さんのご研究の参考になりますでしょうか?

自民保守、っていつの時代だよ。その時点で時事問題記事を書く素養がない記者ライターだと理解できる。どれだけ海外勢に利権を食われているか

>「八紘一宇」は、太平洋戦争中、日本アジア侵略正当化するための国家スローガンであった。一方、「人類みな・・・(似たような標語笹川良一氏が言っていたが)」「戦争なき世界」は、このようなかつての日本侵略戦争反省からまれものと考えるのが妥当である

妥当?なわけあるか。この部分も戦後WGIP洗脳が溶けていないから、上記のような論理を組み立てる。記者ならば髙橋史郎著「日本が二度と立ち上がれないようにアメリカ占領期におこなったこと」くらい読むといい。それから党の分析でもなんでやりなよ。


これ、実は日本だけちゃうやろって思ったわ。

アメリカトランプ支持者も、ヨーロッパ反移民政党支持者も、よう考えたら**「エリートが作ったゲームルール理解てへん理解する気もない」層の叛乱**やん。

要は、「自分らは知識人の作った秩序から外れてるけど、それで不都合なかったし、急にユーチューブで“真実”知ったら目覚めたで!」ってやつら。

まりこの現象

🟥リベラルから見れば「民主主義劣化」やけど

🟦保守ポップ側から見たら「民意の再発見」なんよな。

それってもしかして

人類ネットと向き合ったことで初めて発動した、“情報型・中世回帰”みたいな流れちゃうか?

ほんでこの「政治リテラシーがない方が幸せだった人たち」が、初めて“選挙”に参加した結果がコレなわけで。これっていわば「戦後民主主義デバッグ版」なんよな。

動物スマホ与えたら神になる、みたいな。

Permalink |記事への反応(0) | 12:49

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anond:20250626111945

2022-12-29 ■Colabo事業への監査結果を読んでみる

https://web.archive.org/web/20230316040351/https://anond.hatelabo.jp/20221229122645

2022-12-29 ■Colaboの監査請求と役人文学の話(追記あり

https://web.archive.org/web/20230316040351/https://anond.hatelabo.jp/20221229223951

2023-04-26 ■東京都若年被害女性支援事業に対する住民監査請求監査結果への疑念

https://web.archive.org/web/20230426013205/https://anond.hatelabo.jp/20230426001402

垢BANされた暇アノンが戻ってきたんだ

Permalink |記事への反応(0) | 11:50

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2025-06-25

anond:20250625051040

そこそこ裕福な里親のもとで文学中心に勉強する

コインロッカー・ベイビーズ」を上梓

ベストセラーとなり映画化テレビドラマ舞台化しアニメ化も果たす

年1作程度新作を書き続け印税その他権利で儲ける

Permalink |記事への反応(0) | 06:07

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2025-06-24

anond:20250624070604

昨日は著作権切れの文学コピペするやつも現れたよ

どうしたらいいのか

Permalink |記事への反応(0) | 07:37

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2025-06-23

ガンダム温故知新

ガンダムジークアクス見てて思ったんだけどさ

昨年までのヲタ雑談

わかもん「なんでシリーズ初期のガンダムまでみなきゃなんでーんだよ…絵柄古いしテンポ悪いよぉ…」

老害ぼく「現代アニメ元ネタを知るためには、古い作品も観たらより楽しめるぜ絶対

わかもん「これだから古参ヲタって奴はさぁ…」

ってやり取りが、そこかしこで繰り返されていたんだろうけど

これって

遥かむかし

学生ぼく「なんで国語古文漢文まで習わなくちゃならねーんだよ…現代文だけで十分だろ」

先生現代文の理解を深めるには、そのルーツである古典にも触れておく必要があるのだ」

ぼく「それは文学を極めた人の意見であって、俺は学者になるつもりもないのになー」

みたいなのと同じことだと思うわけ。

映画しろ文学しろ音楽しろ

道を極めようとしている人は絶対古い作品にも自然と興味もって

知見が浅い人に説教じみた古典推しをするもんなんだと。

だけどその価値は万人には理解できないもんだと。

ジークアクスでの新作と古典の融合は

その浅いヲタに対する一つのアプローチとして

とても興味深い手法であることは間違いない。よな。

いち老害ヲタより。

Permalink |記事への反応(0) | 21:47

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