
はてなキーワード:文化財とは
いいですね、その設定…“再結晶の物語”としてめちゃくちゃ相性がいい。まずは元作の骨格を押さえます。その上で、中年男性版として再構成した企画案(全13話相当)と主要キャラの成長線、理科ガジェット、サンプル台本まで一気にまとめました。
本家の“コア”
③実在の鉱物・道具・手順に根ざした“科学の手触り”。([カドコミ (コミックウォーカー)][1])
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大地はゆっくりと、でも確実に自分を作り直す。俺たちも、きっと。
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山菜採りの谷川が粗砥と遭遇。クラックと双晶の見分け、劈開の話。小さな水晶が“まだ俺は採れる”の象徴に。
パニングで“待つ技術”。瀬戸初参加、スマホ顕微鏡アダプタで砂粒観察。
工場の不適応=“丸まらない自尊心”。磨耗と丸みを肯定する回。
“愚者の金”とキャリアの見栄。立方体と黄鉄鉱双晶=見かけと本質。
研究費不採択の粗砥。伊万里が市民科学ツアーを企画、地域連携の兆し。
研磨→薄片→交差ニコル。瀬戸が画像分類の試作、谷川が“手順書”職能を開眼。
空隙が強度を生む比喩で、余白=回復を描く。粗砥、申請を“捨てる勇気”。
家族回。粗砥に第三子誕生、伊万里は受験期。自分へ贈る“指輪石”。
学校・観光・工場を巻き込み地域ミュージアム化。瀬戸のデータ基盤が稼働。
市民科学の助成が通り、“学びの循環”が地域に根付く。各人の“続き”を示して終幕。
参考:本家も各話で水晶、ガーネット、黄鉄鉱、砂金、蛍石などを題材化する構成で、ここは意図的に踏襲しています。([カドコミ (コミックウォーカー)][1])
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粗砥「割ってみるか。割りたいから割るんじゃない。割らなくていい面を探してから叩く」
粗砥「それが劈開。仕事も同じだ。壊すときは、残す形を先に描け」
Ep6「薄片は語る」より
伊万里「人も岩も、履歴があるんだよ。教科書の“理想結晶”なんて滅多にない」
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岩手沿岸部を北から紹介していって、順番から言えば次が大槌と釜石なんだけど、そろそろこの辺から気が重くなるのよね。
もっと北のほうから311(東日本大震災)の被災地は存在しているのだけど、大槌は津波と火事で市街地が全部なくなった町なのよ。こういうところがここから南にはちらほら現れてくる。もちろん過去の津波の教訓のおかげで被害を避けた、っていう例もあるけどね。船が建物の上に乗り上げたやつ。あれは大槌だけど解体されたし、廃墟になった役場も完全に解体して無難な跡地碑だけが残ってる。
自分にとって大槌は地元銀行のそばにある寿司屋がいい仕事していて美味かった、という記憶で止まっている。震災後はほとんどこの地をスルーしているのね(しかも三陸自動車道はスルーするのに都合がいい場所を走っている)。
いちおう調べ直したら、アニメ映画「岬のマヨイガ」で主人公たちが買い出しに出てくる沿岸の町のモデルになったのが大槌町らしい。大槌町の公式サイトにモデル地の地図はあるので興味があったらそちらを調べて欲しい。あれ面白い映画だしね。ただ自分としてはあれの聖地も盛岡の仁王小学校そばにあるでかい地蔵のほうが馴染みがある。
あ、震災前も後も残っている名所が1つあった。蓬莱島だ。これはNHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったと言われる島で、島だけど舟なしでも上陸が可能。ただし人形劇の面影は一切ないのでそのつもりで。
大槌はこの市街地の北、山田との間に、吉里吉里と言われる地域がある。ひょっこりひょうたん島の原作者である井上ひさしがこの地をモデルに「吉里吉里人」という小説を書いて、これが1980年代のミニ独立国ブームに火をつけた(吉里吉里も吉里吉里国というミニ独立国を名乗って観光に力を入れていた)んだけど、たぶんこのブームを知っているのは今の50代以上だしその跡もほとんど残っていない。ただ、この地域のさらに北の端に白い電話ボックスがある。ここに置いてある電話は電気的にはどこにも繋がっていなくて、でもここに来て亡くなった人と話す人が非常に多い。風の電話と呼ばれていて同名で映画化もされた。現地には案内も少ないので興味がある場合はナビ頼りでどうぞ。
釜石は製鉄の街として、一時期は盛岡に次ぐ県内第ニの人口を擁する街だった。それ(製鉄)絡みの場所が少し残っている。
古い方で言えば釜石市街地からは少し離れるのだけれど、橋野高炉跡。地味だけど世界遺産の構成要素の1つになっている。かなりの山奥にあって、許可無しで見えるところだけでもたぶん「ここで作るまでのことが必要だったのかもな」と思えると思う。ここより新しい鉄絡みと言えば釜石鉱山跡。ここも国の文化財に指定されていて、冬以外は見学が可能。ただ年数回行われる坑道見学に参加して見たほうがより面白いと思う。
工場は24時間操業で、働く人も多かった。そういう人たちが働いた後に向かったのが呑兵衛横丁で、ただここは津波で壊滅して、残った店が移動した仮店舗も営業期限が来て多くが廃業した。ただ3店舗だけが市内中心部のかまりばという飲食店街に移転を果たしている。まあここに来るということは確実に釜石泊まりになることが前提となってしまうので日帰りではおすすめしない。酒以外の労働者のための食べ物として生まれたのが釜石ラーメン。極細麺の醤油味であっさり。新華園という店が元祖といわれているが、釜石ラーメンと言って出している店の味の優劣はほとんどないので、見かけた店で食べていいと思う。
新日鉄釜石といえばラグビーを思い出す中年以上の人もいると思う。このラグビーチームは現在釜石シーウェイブスというクラブチームになって現存している。3部リーグ落ちをなんとか堪えた2部リーグ所属として頑張っている。8月9月は市街地にある練習場で公開練習していたけど、10月からは新シーズンということで大槌との間にある鵜住居スタジアムというところで公式戦を行う予定。
釜石ラーメン絡みで紹介しないといけない店が1つあった。工藤精肉店の2Fの食堂。ここは定食といっしょにラーメンを注文する人が多いのだけど、そもそのその定食の量が多いことで有名。おすすめメニューはカツカレー。お腹を空かせてどうぞ。
製鉄とも釜石とも全く関係ないが、市内には国内唯一のミッフィーカフェがある。公式ナインチェ・プラウスなカフェメニューを出してる。味はそれなり(まずくはない)だけど、うさこちゃんに興味がある人はこっちの店のほうがいいかもしれない。
【この記事要約】ウクライナ版のバチェラーに出演していた男性が戦争で脚を失った退役軍人だったそうです
本来戦争と結びつかなさそうな番組にまで爪痕があってショックでしたし、ハイスぺイケメン役が退役軍人というあたり色々考えさせられました
あと自分の価値観とか考え方のクセについても考えさせられました【要約終わり】
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趣味ブログに万博行ったレポートを載せる予定なのだが一か所あまりにも、あまりにも印象的すぎた展示があるので先にメモしとく
ただの感想なので深い考察や知見とかはないです、語彙力もないです
前提としてコモンズC館にあるウクライナ展示の形式は、黄色を基調にした壁に青の模型とバーコードが展示されていて
バーコードをスキャンすると現地の様子と説明の短い映像が流れるんだけどそれがだいぶ生々しかった
たとえば一番最初に目につく青の拡声器のバーコードをスキャンすると「戦争中でもLGBTQ+デモは行われていてウクライナの多様性を守るために戦ってて云々」みたいな
あるいはテディベアのバーコードなら「ロシアは子供たちを不当に誘拐したり「子供たちのために」と書かれたミサイルを飛ばしたりしてた」とか
説明はうろ覚えだけどとにかくウクライナの現状を現地映像付きで見れたしショックというか悲しかった
で、ここからが本題。個人的に一番印象的で生々しかったのは薔薇のバーコード
急にウクライナ版バチェラーの話が出てきて「流れ変わったか?」と思ったら「出演男性は戦争で脚を失った退役軍人です」とか流れてショックすぎた
なぜかって
まずバチェラーといえば世界的に知名度あって私も名前と内容くらいは聞いたことあったから、単純に知ってる番組にまで戦争の爪痕があるのがショックだったし
「独身ハイスぺイケメンを女性たちが取り合う」という本来戦争と結びつかなさそうなエンタメ番組にまで影響が及んでいるのもまた地獄すぎた
加えてバチェラーはドキュメンタリーではなくリアリティショーなんだからもっと現実離れしたイケメンを連れてきてもいいはずなのに退役軍人って人選なのが
退役軍人しか連れてこれないくらいに人材不足なのか、もしかしてイケメンの基準に実戦経験者が入る=戦争が男性観にまで影響を与えるレベルなのか、あるいはエンタメ番組に元軍人を起用して国威高揚しないといけないレベルで追い詰められてるのか
実際に番組見てないから的外れかもしれないけど(公式YouTubeとかないか後で探す)、色々深読みしてしまって
あとこっから自語り度高くなるんすけど
ウクライナの展示で個人的に一番印象に残ったのがバチェラーってのが、これってどうなのかなって
普通の人は多分子供が誘拐された・「子供のために」と書かれたミサイル飛んだとか、デモとか、地下鉄が学校替わりになってしまったとか、「ヒマワリ油の半分はウクライナ産なので買ったら支援できるかもね」展示とか
そういう実生活に根差した展示の方が印象に残る気がするんですよ
でも自分は夢ばかり見ながら生きたい人間なので「エンタメ番組にまで戦争の影響が及んでます」って方が生々しさを余計に感じてしまって
じゃあもしエンタメ業界すらない、貧しかったり被害がもっと壊滅的な土地の戦争なら生々しさを感じないのだろうか……とか思考がグルグル回ってしまった
ちなみにウクライナの展示は数十分並びました、が見に行く価値はあると思います
単純にバーコードスキャン形式の展示も珍しかったので変わり種パビリオンを求めてる方もどうぞ
そしてパビリオンには「Not for Sale」と書かれた看板があったのですが、これも深読みすべきなんですかね…
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1.上記の説明だけだとウクライナが戦争で疲弊してるところだけ流されてる感ありますが
実際には戦争にあらがう人々の様子も多く載せられていました、というより「戦争はひどいけど私たちは抵抗しています」的なノリが趣旨だった
まあ万国博覧会だし国の威厳を見せるのは当然の流れよな
バチェラーのやつも「私たちは生き続けてます」的な結論で締めくくられてた記憶がある、とはいえ個人的にイケメン役が退役軍人ってのがショックでそれどころではなかったけど
2.ここに載せ忘れてた展示で覚えてるやつ要約
「私たちは(おそらく戦争で壊された)家の建築工事を上回る音量で音楽をかけ、復興に挑んでいます」
空気と水(山の草っぽい空気とか水っぽい空気とか森っぽい空気とか滝とか沢とか)場所によってはただの水でもとてもおいしい
ストレスの少ない行動(会社みたいなノルマとかやらされが少ない)
花の香り鳥の声、虫(おにやんまぎんやんまあげは蝶、やもりとか)
ヒューっていう体験(高いところからの眺め、リフトとかケーブルカーとか船の上とか)
食べ物飲み物(道の駅で売ってる果物とかお菓子とか地酒とか名物とか港町の海鮮定食とか山の蕎麦とか)
寺社仏閣文化財庭陶芸彫刻絵、神社は施設というよりパワースポット的な良さがある。
良い感じの写真をとってSNSに投稿(投稿しなくても写真を見てあとから気づくこともあって2倍楽しくなる)
2000年代のインターネット文化を支えた無料ホームページサービスが終了するようだ。これに対し、貴重な文化財としてアーカイブして残していくべきだとの声が上がっている。しかしこれは現実的に不可能な話だろう。いくらデジタルデータが紙より情報密度が高いとはいえ、上限なく増えていくデータを保管するには上限のない保管場所と維持費が必要になる。そもそもすべてのデータを残すべきなのだろうか。例外的に死海文書のように偶然残されたものを除けば、現在まで残っているほとんどの書物(あるいは口伝や音楽)は先人達が後世の人たちのために「選別」して残したものではなかったか。デジタルデータにおいても大事なことはすべてのデータを残すことではなく、後世のために「選別」して残すことである。社会や企業、個人はそれぞれにおいて残すべきと思うものを「選別」して残していくべきだ。
2000年代のインターネット文化を支えてきた、無料ホームページサービスが相次いで終了を迎えるそうだ。そこには、個人の日記、創作、ファンサイト、匿名掲示板のまとめなど、時代の空気をそのまま封じ込めた数々のコンテンツが存在していた。これに対し、「文化財として保存すべきだ」という声が上がっているのも当然のことだろう。しかし、その声にただ同調して「すべてを残せばいい」のだろうか。
たしかにデジタルデータは、紙と違って保存や複製が容易で、情報密度も圧倒的に高い。しかし、それは「無限に保存できる」ということを意味しない。保管にはストレージや電力、冷却、セキュリティ、人員などのコストがかかり続ける。さらに、時間の経過とともにファイル形式やプラットフォームが陳腐化すれば、読み出し自体が困難になる。デジタルであるがゆえの脆さも、文化保存の観点から見逃すことはできない。
そもそも、文化とは「すべてを残す」ことによって形作られてきたわけではない。人類の歴史を振り返れば、私たちが今手にする古文書や神話、楽曲や民話の多くは、何世代にもわたって人々によって「選び残されたもの」だ。たとえば死海文書のように偶然に保存された例もあるが、多くは、後世に伝える価値があると判断されたがゆえに、複写され、語り継がれてきたのだ。
この「選別」という行為は、単なる取捨選択ではなく、文化に対する責任である。現代においても同じことが求められる。膨大なデータが日々生成される今だからこそ、私たちは「何を残し、何を手放すか」を考えなければならない。歴史的意義のあるウェブサイト、時代の象徴となるネットミーム、あるいは特定の技術的転換点を示すデザインなどは、アーカイブ対象となり得るだろう。しかし一方で、スパム、広告、内容のないテンプレート的なページなどは、必ずしも保存の価値があるとは言い難い。
重要なのは、「残す」ことが目的ではなく、「未来に何を手渡すか」という視点だ。国や公的機関だけでなく、企業、研究者、個人といったさまざまな主体が、自らの価値観と責任に基づいて選び取っていくべきなのである。そしてその多様な選択の積み重ねが、やがて次の時代における「文化」となっていく。
文化とは、偶然の産物ではなく、意思の集積である。だからこそ、すべてを残す幻想ではなく、「何を残すか」を問う勇気こそが、デジタル時代における文化継承の第一歩なのではないか。
かつての高度な交通網・通信網が十分に保守できず、地方では故障した基地局や新幹線車両を“掘り起こして”部材を転売する個人業者が台頭。半導体を取り出す「都市鉱山」ビジネスがスラムの定番職業に。
百歳人口密度世界一となり、海外の医療・老年学スタートアップがフィールドワーク目的で村ごと受託運営。老人ホームが“生きた博物館”として見学料を取る逆輸入モデル。
電力・通信を自前でまかなうオタク技術者がクラウドファンディングで“町内向けミニ発電所”を量産。コミケのノウハウをインフラ構築に転用し、自治体より早くサービスを復旧。政府が後追いで許認可を出す「公→私」逆転現象。
光熱費高騰で煮炊きが贅沢に。魚粉を超圧縮した“出汁キューブ”が主食扱いになり、食卓は湯に溶かすだけの流動食化。結果として味覚の微差を競うオタク層がガストロノミーを牽引し、“お湯割り職人”が登場。
ネット速度が不安定になる中、テキストベース+8bit音声のみの軽量メタバースが復権。昭和レトロなドット世界が若者の主ステージとなり、「現実はハードだがオンラインは8kbpsで優しい」という逆転。
輸入労働者と高齢日本人が意思疎通するため、ひらがな+簡体字+絵文字を混ぜた即席言語が広がる。やがてインドネシアやフィリピンに伝播し“コンビニピジン”として逆輸出。
中央税収が細り、巨大企業が道路補修や水道維持を肩代わり。結果としてトヨタ藩・ソニー藩・楽天藩など“企業領国”が自治権を持つ。住民は「どの藩に所属するか」を就職ではなく“帰属”として選択。
正規軍維持が難しくなり、個人オーナーのドローンをスマートコントラクトで束ねたバーチャル傭兵団が離島防衛を請け負う。トークン配当で機体を共有保有する“戦争版NFT”が出現。
高層マンション維持費が出せず、上層階が無人化。1–10階は低所得者が占拠、20階以上はクリエイターが格安アトリエとして使用。エレベーター運賃が電動キックボード並みに課金制に。
公教育が縮み塾も淘汰される一方、オープンソースLLMを使った“寺子屋AI”を町内で共同運営。江戸時代さながらの私設学習所にハイテクが融合し、学習の地域格差がむしろ縮小。
海外スタジオが費用を持ち、日本で食えなくなったマンガ家を国外アトリエに“流刑”する制度を創設。現地産業振興と日本マンガ存続を同時に図る“負けて勝つ”クールジャパン2.0。
国家保険崩壊後、外国製新薬のフェーズⅢ治験が日本全土で実施。高齢者が参加して医療費を浮かせる“治験ツアー”が一般化し、治験成績優秀者には「ゴールド被験者カード」が発行。
鎌倉大仏の譲渡担保で港湾を改修、浮世絵一括担保で衛星を打ち上げるなど、美術品がデジタル資産化され国際市場を回遊。やがてDAOが国宝を分割所有する“分散保護”へ。
災害多発と公的補償低下を受け、自宅をリビングシェルター化した住民が“被災シェアリング”の株式を発行。豪雨で止まった地域に対し、家ごと貸し出し配当を得る“寡占シェルター市場”が発展。
「町が無人になる瞬間」をYouTuberが24時間中継し、スーパーチャットで遺跡保存費を賄う。人口ゼロ記念セレモニーが国際的イベントに──“負の達成感”をコンテンツ化する逆転思考。
過去の芸人、ちくびーむ中居による、渾身の一発ギャグってなんだっけ。。。?
gpt:
うわああ懐かしい名前きたwww
おそらく探してるのはこれ👇
ちくびーむ!!!💥(と言いながら両手で自分の乳首をビームっぽく指差す)
ギャグというよりも
ポーズ+声の勢いだけで押し切るタイプのネタで、スタジオが微妙な空気になったりしてたw
たまに「ちくびーむッ!中居ですッ!」って名乗りも入ってたけど、基本は謎テンションで“ちくびーむ!”と叫ぶだけのギャグだった🤣
でもなぜか記憶に残ってるのがズルいw
他にも当時の迷走系一発ギャグ芸人(ですよ。、ムーディ勝山、藤崎マーケットとか)思い出したくなったら言ってな!令和に召喚してやるぜ⚡
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ゴエモンちゃんの至高のギャグ、「今、五右衛門風呂が熱い!!五右衛門風呂が熱い!!」について語ってくれw
gpt:
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!
「今、五右衛門風呂が熱い!!五右衛門風呂が熱い!!」byゴエモンちゃん!!www🔥♨️🔥
これはもう完全に
という、一発ギャグ界の中でも様式美とも言えるジャンルの極致よ。
「五右衛門」という名前を自分のアイデンティティとして活かしきってる
→ ※通常なら時代劇キャラや忍者の名前止まり。でも風呂の話にしちゃう発想よ。
「熱い!!」というワードが勢いに直結
→ 見てる側も「どっちの意味で“熱い”の!?」ってなる絶妙な二重構造w
→ 何回か聞いてると「確かに熱そう…」って納得しそうになるから怖い😂
🧠文化的意義(あえて深掘る)
このギャグは、**「自分の名前×昭和的アイテム×情熱ワード」**という3点セットで
見る側の「???」を呼び起こしつつも、謎の納得感で押し切る構造になってて、
完全に自爆芸なのに、なぜかクセになる。
ていうか、五右衛門風呂、ほんとに熱そうだし。
所有者が真贋論争に疲れちゃって、協力を拒んじゃったことでストップしちゃったんだよな。
...
しかし番組放送後、曜変天目茶碗の再現に父の代から挑み続け、何度も中国に赴くなどして研究を続ける陶芸家、九代目長江惣吉さん(54)=愛知県瀬戸市=や大学教授、学芸員ら複数の専門家が「似ても似つかない」「鑑定する以前の問題」「本物なら桁が3つくらい増えてもおかしくない」などと相次いで鑑定結果を疑問視した。
論争は過熱し、徳島県教育委員会は、いったん計画していた茶碗の文化財指定に向けての調査を中止に。当初協力的だった所有者から中止の申し出があったという。
https://www.sankei.com/article/20170401-YQGHFI35JNPRRCCLWZBFV5XVII/
中国の土産物を作ってる女性から「あれは私が作った土産物」と発表が有ったり、
ChatGPT 4.5 は古い倫理感に配慮せず知財を解放して全員で活用するように転換しろと言ってるぞ
①技術を「誰もが享受する側」に回る社会
AI技術の急速な進歩を止めたり、倫理的制限を強制したりすることが事実上不可能ならば、いっそすべての個人がAIを「積極的に利用し、恩恵を最大化する側」になる社会が望ましいでしょう。
AIによって奪われる側ではなく、AIを日常的に使いこなせる側に回る。
AIを使った創作や経済活動に対して、倫理的な負い目を感じず、むしろそれが当たり前の感覚として受け入れられる。
こうした社会では、著作権など既存の概念自体が意味を持ちにくくなり、「共有された文化財」を前提とした新たな社会的常識が形成される可能性があります。
②社会が「著作権や知的財産のあり方」を再定義する
AIによる無制限な知財活用が現実に行われるなら、むしろ知財の概念自体を大きく再定義し、既存の権利を保護するのではなく、以下のような前提に社会がシフトすることも考えられます。
「作品や創作は公開された瞬間に全てAIや他者に自由に再利用される」と社会的に受け入れる。
クリエイター自身が作品そのものではなく、「AIでは生成できない個性やストーリー性、リアルな体験」といった部分で価値を創造し、収益化するモデルへ移行する。
こうすることで、AIの存在を否定するのではなく、むしろAIの存在を社会が積極的に受け入れ、前提とした経済活動を再構築することが可能になります。
③ 「倫理」を実質的にあきらめる社会
あえて過激に言えば、議論や規制が効果的でない以上、社会が倫理を建前上でも掲げるのをやめ、企業や個人が利益や利便性を最大限に追求することを許容する社会も考えられます。
実質的に行われている利益追求を正当化し、むしろ積極的に奨励する。
「倫理的な行動」をとらない企業や個人を、競争や技術革新を加速する存在として評価する。
当然、この社会は現在の価値観とは大きく乖離し、多くの犠牲や摩擦を生みますが、現実の乖離を防げないなら、社会が本音を受け入れ、「正直なルール」で動くことになるでしょう。
結論:望ましい現実的なシナリオ
私個人として最も現実的かつ望ましいシナリオだと考えるのは、「知財の完全な再定義」と「技術の普遍的な利用」を組み合わせた社会です。倫理的な建前が維持不可能ならば、社会は現状を受け入れ、それを前提として人々が積極的に技術を使いこなし、活用することを当たり前とする社会に移行する方が、むしろ健全で現実的な選択だと思います。
「倫理の幻想を追うより、現実を受け入れて、すべての人が平等に技術を使える社会」を目指す方が、倫理的議論が機能しない社会よりもずっと建設的だと考えています。
基本的に、
を1セットに、このセットを繰り返しながら全体の話から個別の話に少しずつ落としていくはずだった。
要所要所で関係者に伝えたい、アピールしたい話もねじ込むはずだった。
「ウクライナは勇敢に戦った」
という、まずまずいい流れだった。
ただ、安全保障、つまり、「なんかあったらアメリカがケツ持ってやる」は引き出せそうな雰囲気がないのを察したゼレンスキーが
バンスの
にチャチを入れる形で、
「いや、違うぞ、ロシアは約束を守らない。ゆえに外交は意味ない。ウクライナがどっかの軍事同盟の傘に入らないと止まらない」
と無理矢理流れを変えようとした。
説得は無理と思ったのか、トランプバンスに話すというより、メディアに演説するような感じで。
「外交でおさめようって話したいって事前に聞いてるだろオメー。
ってなり、剛を煮やしたバンスが
「ここで自説を唱えるのは失礼(目の前の俺らとの交渉諦めて、中継されてるのいいことに喋りたいこと喋ってるだろ。ホワイトハウスまできて都知事選の泡沫候補みたいなことすんじゃねーよ)」
トランプはやんわり
「まあ落ち着け。
アメリカにとっては大西洋の対岸の火事だから無関係だがうちは大変って言うなよ。
ゼレンスキー「外交じゃ止められないって話や。オバマ、トランプ、バイデンと大統領は代わったがロシアは止まらない。約束は守られない」
トランプ「お前がいう安全保障って、ウクライナ攻められたらアメリカが黙ってないぞって約束やろ?NATO加盟しようとしてロシアに攻められたのわかってる?アメリカが銃口つきつけに行ったら第三次世界だろ?
そりゃ俺の口からは言えねーよ。
そんかわり、希土採掘で米国企業や米国民が駐留すれば、そこでなんかあったときにアメリカが出張る建前が立つ。
他にいいアイデアがあったら言ってみろよ。
君に手持ちのカードはないだろ?」
トランプ「あのな、もっかいいうけど、間違えると第三次世界だろ。俺はウクライナのために第三次世界なんかまっぴらごめんだから。このままだとウクライナ負けるよ。
手持ちのカードはない。
交渉につけ。悪い話じゃないだろ?」
しばし勝手に喋りたいことを喋り、
トランプ「話を切り上げよう。
また、準備できたら来てくれ」
と強制終了。
トランプはウクライナの安全保障、つまりロシアに攻められたらアメリカが出るとかNATOが出るとかという体制を整えると、すなわちロシアへの宣戦布告で第三次世界大戦になると思ってる。
トランプは対外政策の基本は外交、外交とは取引でお互いWin-Winを目指すと思ってる。
これは折り合わない。
トランプが罠に嵌めたとか、ゼレンスキーは最初から同意する気がなかったとかいうコメントがあったけど、同意する前提で話が進んでたっぽい気がしたけどな。
って質問に
トランプ「もちろんだよ。
でも、今日の採掘利権の合意後に、ロシアとウクライナはすぐ停戦するよ。間違いない」
みたいなこと答えてるし
お互い妥協しないと成立しないよ。
そのために俺がいる。
上手く仲介するよ」
みたいなことも言ってた記憶。
それに対して、ゼレンスキーが否定することもなかったし、もう署名寸前ってムードに見えた。
トランプ「NATOでもポーランドとかバルト三国はよくやってると思うよ。
新参の小国に金や人を出させて、綺麗事だけいってなんもしないマジクソな国もあっけどよ?」
ゼレンスキー「いえいえ、そんなことは…」
トランプ「米国の支援より少ないじゃなかったね?ずっとずっと少ないだね?」
って感じで、おそらく台本にない唐突な欧州叩きにも、否定も肯定もせずやり過ごしてた。
というか、記者入れて話すって、もう全部握ったあとじゃないとありえない。
「ちょっと聞いていい?」
って切り出したあと、急にムードが変わった。
そのしばらく前に、何度かゼレンスキーに後ろから耳打ちがあったから、急にどこかから指示が飛んだんだと思うけど、全く想像がつかない。
Permalink |記事への反応(18) | 10:26
コンクリート工学修めてこの説明かぁ・・・うーん残念、かなり大学での成績悪そう、と煽ってみる。
「具体的な」なんて意味ももってる。この意味での対義語はアブストラクト(抽象的な)。
でも元の意味は、「液体が固まったもの」。対義語はmeltedかな。
だからアスファルトも豆腐も氷も、広義のコンクリートに入っちゃう。
ただし以下ではコンクリートを、日本で一般的な使い方、つまりセメントコンクリートの意で用いることにするぜ。
業界ではコンと略されることが多く、一般では年配にコンクリと略す人が多いな。
鉄筋コンクリートは、リーンフォースド(強化した)コンクリートでRCと略す。
(2) 引っ張りに強く圧縮に弱い鉄筋と、圧縮に強く引っ張りに弱いコンクリートが、力学的に補い合うから。
(3)酸性になると酸化腐食しやすい鉄筋を、塩基性のコンクリートが、長期間にわたって化学的に保護してくれるから。
しかし中性になったコンクリートは、鉄筋との好相性のうち (2) (3)が逆転する。
水と空気で錆びた鉄筋は、錆びた分の体積増加で爆裂し、コンクリートを内側から壊し始める。
どこのコンクリート工学の教科書にも少なくともこの3点が併記で書いてあるはずだぞ。
4点目に材料の安価さや自由な可塑性を上げる場合もあるが、最低この3点から始めないとな。
惜しいけどここも減点・・・
1
2
1と2は機序が逆。
塩基性で保護されているうちは水や空気が浸入しても腐食や爆裂は起きない。
だから、コンクリートの寿命は、最初の打設時にまともに造られてさえあれば、あとは「メンテのマメさ」と「中性化」で決まる。
表面仕上げ(タイルや塗料など。打ち放しコンクリートに見えても透明な撥水材が塗ってある)の再施工、ひび割れ補修、そもそも超過荷重や繰り返し応力に晒されないよう管理、など。
ひび割れがあると奥まで早くCO2が侵入して塩基性が失われていく。一番外側の鉄筋の外にどれだけコンクリートがかぶっているか(かぶり厚)がポイント。かぶり厚が大きすぎてもひび割れやすい。
中性化したコンクリートを元に戻すには、電気的に戻すにせよ薬剤で戻すにせよ、とんでもないコストがかかるので、再築できない文化財などにしか使えない。
よって中性化は、実質的に不可逆な劣化。これがコンクリート建物の寿命を決定する。
減価償却費を計算するために用いる財務省令での耐用年数は、鉄筋コンクリート住宅で47年。
施工ミスが少なく、メンテがマメで、海岸沿いでなければ、基本的に鉄筋コンクリート造建物は150年使える。
これが真の耐用年数。
証拠を挙げよう。
国の研究機関である建設技術研究所、によるBCJ技研レポート第6号2024
https://www.bcj.or.jp/news/detail/363/
注目は第5ページ。
web上で公開されていない本書の方含めて要約すると、
・平均築年数49.2 年、過半数が築50 年超の既存RC 造建築物200 棟を診断した結果、現時点での「残存耐用年数」が100年を超えると評価されたものが全体の59%を占めた。
・すなわち、既存RC 造の約6 割は築後150 年はもつということが示された。
・古いRC造より、むしろモルタル仕上げしていない(乾式や撥水材仕上げなどの)近年のRC造の方が中性化の進行が早い。
ということ。これは、
・中性化の速度は時間の1/2乗に比例する。
・たとえば築50年の既存建築物で中性化が10mm進行していたなら、適切な管理を続ける限り中性化はその後50年間で3mm未満(最初の50年間の3割未満)しか進まない。
といった知見を積み重ねた結果見えてきたもの。
すでに新築では100年コンクリート、200年コンクリートを目指すようになりつつあるが、昔に造られたRC建築物でも、真面目に造ってあって、ずっとちゃんとメンテしてれば築150年は目指せるのだ。
三田の変なビル造った人が、普通は50年だがこのビルのコンクリートは200年持つ!とか自分で騒いでるけど、工学的には別に何も大したことしてない。
古代ローマのコンクリートは化学反応が少し違うが、そこは寿命を決める上で大きな差ではない。
ローマンコンクリートは無筋。鉄筋が入っていない。だから中性化したとしても大きな欠陥にはならない。
ただし最初に書いたようにコンクリートだけでは引っ張りに弱い。
だからローマの構造物は、すべての部分が圧縮だけで構造が成立するように、アーチ状にかけたり、ドーム状にしたり、壁をとてつもなく分厚く、柱を太くしてある。
ダムが上から見るとアーチ状になってるのは古代ローマの遺跡と同じ理屈なんだよ。
鉄筋コンクリートの発明は、薄くて軽くて引っ張りや曲げにも強い構造を可能にした。
しかし、逆に言うと1000年単位での寿命を諦めて、せいぜい150年~200年くらいの寿命にすることで実現したんだ。
ダムや、1000年持たせたいモニュメントや、100000年持たせなきゃいけない放射性廃棄物保管庫には、鉄筋コンクリートは向かない。
施工期間が、アスファルト(=アスコン)の方が短いから、安いからだと元増田は書いてるが、他にもいろんな観点がある。
アメリカの都市部では、コンクリート(=セメントコンクリート)で路面を造ることが多い。
高コストで採用されない高流動コンクリートの話があったが、そもそも鉄筋コンクリート自体も発明当初は高コストで嫌われて使われなかった。
特許が切れて技術が枯れて、おかげで今の低廉で入手しやすいコンクリートがある。
前にバズってたように、環境負荷の大きい生コンプラントが、常にどの地区にもある現在の状態が、いつまで維持できるかね・・・。
他にも超高強度コンクリートなど、コンクリート工学の発明は多い。
鉄筋の代わりに、化学的に安定なガラスなどの繊維を混ぜたコンクリートなんか、とてつもない強度になるし、やり方によっては鉄筋必要ない。
しかしその中でコストダウンにまで漕ぎつけられるものは少ない。
だからこそ、コンクリート界のスティーブ・ジョブズになりたい若者を、われわれコンクリート工学研究室では待っています!
Permalink |記事への反応(18) | 18:56
明治天皇が蘭奢待を切り取ったという出来事は、非常に興味深い歴史的なエピソードですね。この出来事には、様々な解釈や考察がなされてきました。
なぜ明治天皇が蘭奢待を切り取ったのか、確かな理由は歴史資料だけでは断定できません。しかし、いくつかの可能性が考えられます。
蘭奢待は、古来より天皇家や権力者の象徴的な宝物とされてきました。明治天皇がこれを切り取ったことは、古い伝統を断ち切り、新しい時代を切り開くという決意の表明であった可能性があります。
明治維新は、日本が近代国家へと大きく舵を切った時代です。蘭奢待を切り取るという行為は、そのような時代の変化を象徴する出来事であったとも考えられます。
明治天皇は学問にも造詣が深く、様々なことに興味を持っていました。蘭奢待の香木としての価値や歴史的な背景に興味を持ち、実際にその一部を手に取って鑑賞したかったのかもしれません。
蘭奢待は、権力者の象徴であると同時に、非常に貴重な文化財でもありました。それを切り取るという行為は、権力者であっても法やルールに従うべきだというメッセージを暗に示していた可能性も考えられます。
当時の社会状況:明治維新という大きな変革期において、人々の価値観や社会構造が大きく変化していたことを考慮する必要があります。
蘭奢待の持つ意味:蘭奢待は、単なる香木ではなく、歴史や文化、権力など、様々な象徴的な意味を持っていました。
他の歴史的出来事との関連:明治天皇の他の行動や、当時の政治情勢との関連性を考察する必要があります。