
はてなキーワード:文化系とは
一時期派遣で金融系の大企業にいた事があったけど、社内恋愛への導線が凄かったな
社内には学生のようなクラブ活動があって自然に部署外の交流ができる土壌があり(スポーツ系だけじゃなく、活け花や絵画といった文化系もあった)、
社内誌の編纂やボランティア活動等を通した横の繋がりも作りやすく
社員だけ割引のお洒落で栄養バランスの取れた社食があってランチ会も頻繁に行われ、
何つーかカルチャーショック
こんな環境で正社員として働いていたら社内結婚も容易だろうと思った
みんな身元は確かだし、わざわざロマンス詐欺やらヤリモクやらの危険を冒してまでマチアプや結婚相談所に入るよりも余程効率が良い
結婚相手は大学時代までに見付けるのがベストではあるけれど、そこで失敗したとしても大企業に入ればリカバリーのチャンスがあるんだね
もっとも新卒で正社員就職した人達にとってはこれが当たり前で、そうじゃない職場というのがそもそも想像も付かないんだろうなあ
多分官僚も同じような環境なんだろうし、政策を決めてる人達もそうだから
まず主観的な問題。俺は狂っていた。机を投げ飛ばしたり、改造エアガンの自慢話をしたり、ハグリメタルとかいうサイトを見てインスタントカメラからスタンガンを作ったりした
俺は「シュートを決めるぜ」的な体育会系から、ジミーズの一員だと言われていた
この体育会系による差別で、俺は好きでもないスポーツ部のバレーボール部に入った、なぜなら文化系の部活をするといじめられるからだ
だが、俺は3年間、球拾いだけをしていた。だから、最後の試合ではキレて「殺せ!」という掛け声で応援をした
あと俺よりも上級生の連中は、不良ばかりだった。気に入らない人間に対して暴力を振るうようなのばかり
教師もクソだった。漢字書き取りとかいう不毛な宿題(大人になっても役に立った試しがない)をサボっただけで、職員室の床で宿題の残りをさせられる
俺がてんかんで修学旅行で迷ったとき、教師は俺を「おいバカ、なんでこんなところにいるんだ」というし、七宝焼きを作ったときも「おいバカ、さっさと作れよ、迷惑になるだろ」などと言ってきた
付き合った当初からお互い子供は欲しくないという点で意見が一致しており、結婚後も何も揉めることなく子なし夫婦としてやってきた
20年の結婚生活を振り返って本当に幸せな人生を送れているなと思う
そしてこの幸せはきっと子供を作ったら味わえなかった代物だろうとも思う
子どもを産むにあたって不安がっている人に「大丈夫だよ」「私も不安だったけど産んだらなんとかなったよ」みたいな体験談を語ってる場面はよく見る
一方で子どもを産まない選択をすることに不安を覚えている人に対してそういう体験談を教えている場面はなかなか見ないので、全国の子どもいらない勢に対して子なし夫婦の素晴らしさをご紹介しようと思う
子なし夫婦のメリットは色々あるけどお金の心配がいらなくなるというのは非常に大きいと思う
育児関係でキャリアを断念することもなかったので今となってはお金にかなり余裕がある
夫は年齢の平均ど真ん中、私は年齢の平均年収+3〜400万くらい稼いでいて毎年新NISAの枠を全部埋められている
若い頃に夫が鬱を患って転職を余儀なくされたこともあったけどそのときも子なしなので不安は少なかった
なんなら「専業主夫やれば?」と夫に言っていたくらいだ
実際、余裕があるかはともかく生活するだけなら子どもがいない分当時の私一馬力でもなんとかなりそうだった
よく「子どもがいないと老後が〜」「介護が〜」みたいなことを言われるけどお金の力でどうにでもなると思う
むしろ子持ち夫婦だって子どもが介護に携わってくれるかなんてわからない
そもそも自分の子どもに将来の介護要員としての期待を持つってことそのものが不健全な気もするし
上記の話に関連するけど
女の立場としてはやはりキャリアを捨てなくていいってのが非常に大きい
産休育休制度は普及してるし、そういう休みを取ったからといって不利な扱いをしてはならないって定められているけど
じゃあ実際に産休育休後に仕事を再開した場合と子供を作らなかった場合とを比較して前者が後者と同等のキャリアを歩めるのかといえばそんなことはないでしょ
産休育休って言ったって休みは休みなんだからその間仕事はできない、仕事の評価もつかない、キャリアにおいてプラスには働かない
仕事に復帰したあともその空白期間を埋め合わせるのには実際の休み以上の期間が必要だし二人目三人目を作るなら言わずもがな
女性がある程度キャリアを作っていくならやっぱ子どもなんて産んでられないよ
私はいま部長の立場だけどやっぱり子どもを産んだ女性は役職につきにくい傾向があるなって思う
なんやかんや言って女性に限定すれば私は会社において上から二番目の役職
子持ちの社員は絶対的な仕事量の差、評定の差でどうしたって出世が遅れる
しかも私はバリキャリってわけでもなく基本的に定時ダッシュだし暇な時間に自己研鑽なんてこともしたことはない
そんな程度の社員であっても休まず出社してるだけで部長クラスになれる
子ども産まないメリットとしてはかなり大きいと言えるんじゃないかな
私の趣味は映画を観ることと小説を読むこと、ラジオを聞くことなんだけど特に子どもを産んだら映画趣味は捨てざるを得なくなるなと思う
少なくとも子供が小さいうちは映画館なんて行けないしある程度大きくなっても子供向け映画を一緒に見に行くことしかできない
私の好みのゾンビだのホラーだの銃撃戦だのバイオレンスだのといった映画をちゃんと映画館に通って観るなんてしばらく無理になるでしょ
映画館に通う頻度としては週1くらい
本当は週に2〜3本、年間100本くらい観たいんだけど流石に昼間働いていると厳しい
(映画オタクの中では年間100本がシネフィルかどうかのボーダーって言われてるよね)
映画は上映期間に限りがあるし一度機会を逃すともう基本的には映画館で観ることはできなくなってしまう
じゃあ例えば子どもの養育期間は配信で我慢するとしても、なにか本当に素晴らしい映画を配信で見た時に「私はこの映画を劇場で観ることはできなかったし今後も観られることはない」って後悔に苛まれることになるよね
いまでさえそう思うことは少なくないのに子どもを産んで年単位でそんなことが生じるなんて耐えられないよ
映画館にはたまに夫もついてきてくれて、そんなときは適当に外でランチやディナーを食べたりもしている
こっちはこっちで別ベクトルの文化系だけど子どもを産んだらまぁ同人活動は無理になるんじゃないかな
少なくとも今のペースで本を作るのは難しそう
好きなゲームの発売日には有給取って一日中、とりあえず一周クリアするまで部屋にこもってプレイし続けるなんてこともしてるけど子どもがいたら当然不可能
これは人によるかもしれない
ただストレス源、責任、プレッシャーなんてものは少ないから夫婦円満にはなりやすいんじゃないかな
少なくとも私は未だに夫と仲良しでいられている
たまに懐石料理やホテルブッフェのお高めのランチ・ディナーを2人で食べたりもする
割と頻繁に旅行にも行ってるよ
若い頃でもボーナス使えば結構いいお宿に泊まれたし、ある程度お金に余裕ができてからは相当いいお宿に泊まれるようになった
パパママなんて立場にならずに済む分、夫婦でずっといつまでも恋人同士のようにレジャーを楽しむことができる
あと生々しい話、セックスレスにもならずに済んでいる
子どもを産むとやっぱり体型維持は難しくなる
それでなくてもホルモンバランスが狂って大変なことになるし夫側妻側双方にとって性的な関係の維持には相当な努力がいると思う
自分の人生を自分のために使いたいと思っているのならやっぱり子どもは作らないほうが幸せになれるよ
大好きなパートナーといつまでも仲良く添い遂げながら自分のキャリアをきちんと積み上げ趣味にも時間を注ぐことができる
なにか人生において夢中になれることがある人、抑圧されたくない人、個人の幸せを追求したい人に子なし夫婦はかなりおすすめです
少なくとも私に後悔は一切ない
むしろ本心では子どもをいらないと思ってるのに何となくの不安感から子どもを作っちゃったら大変なことになると思うよ
Permalink |記事への反応(10) | 14:46
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成川彩
【視点】江川さんご指摘の通り、国民の関心は動機の解明だと思います。すでに報じられていることも多いですが、真偽が分からないこともあるので、やはり最終的に裁判を通して知りたいです。これまで報じられている内容からは、教団と被告との関係が極めて希薄だとはとても思えません。希薄だと言うなら、母親や宗教学者の証人尋問によって、国民の納得のいく形で希薄であることを主張してほしいです。韓国でも旧統一教会と政治家の不正疑惑に関して捜査が進んでいます。山上被告の母親が教団に多額の献金をして生活が破綻したことと、旧統一教会の資金力、政権との癒着。つながっているようにしか見えません。
「高3夏より前から受験勉強に本腰入れる奴とかキッショいカスだから」
こういう方針の県立名門進学校、どの地方(特に九州)にも必ずあるけど戸塚ヨットスクールとか昭和の受験少年院とかと同じノリとしか思えない。
タイプの男はというと、同じ運動ガチ勢系で筋骨隆々ツーブロみたいな。
一方で、例え顔面が美形だろうとジャニーズ系やホスト系をクソ気持ち悪くて吐き気がする生物として見下げ果ててるタイプ。
文化系の覇気がない陰キャ男子に対する悪感情は言わずもがなって感じの。
それでいて、運動ガチ勢ツーブロ彼氏がいようともタイミング次第で浮気平気でするし、
結構酷い振り方で乗り換えたりするような薄情さで。
で、根本的にお金大大大好きで物欲超強くて、体育会女子のくせにそのへんを自分で掴み取るって意思が謎に弱くて
みたいに世の中と異性を舐め腐るとか、
金が絡むと謎に底辺高校のバカJKみたいなチンパン感出してくる感じのさ。
ああいう女って悔しいけど途轍もなくチンポに響くよね。
女性と書かずに"女”と書いたのは撒き餌みたいなものだから、無視して読んでほしい。ADHDだかDHだかしらないが、まぁこっちも読んでってくれよ、そんなに長くは無いからさ
内容としては良くある話。会社という、共同体で働いている以上、一定数湧いてくるであろう、"評価に繋がらない業務"。
要は、雑用だ。ゴミ出しでも、掃除でも、電話対応でも、業者への対応でもなんでも適当なモノを思い浮かべてもらって構わない。
それは、そんな評価に繋がらない業務を頑なにしない、フリーライド野郎への積もり積もった愚痴だ。せいぜいおもしろく脚色しつつ書いてみるから、笑い話のひとつとしてでも読んでほしい。
よく聞く働きアリの話じゃあないが、フリーライド野郎なんてのはどこにでも湧いてくるし、自分だってなにかしらに知らぬ間に乗っかっているってことはあるだろう。ただ、そのクソ野郎を許容できるか?は、共同体の規模によって不快に感じるラインは変わってくると思う、特に社員数、数十人のような我々零細企業には。
そして、助けてくれとは書いたが、この女を助けようという気概は全く無い。むしろ地獄に落ちてほしいぐらいである。
さっそく本題に入りたいが、いかんせんこれからずっと”女”では心苦しい。
そのために、読んでくれる諸兄への親しみを感じてもらえるように、以下、”うんこちゃん”としたいと思う。こうすれば、書き手の溜飲も少しは下がるというものだ。
さて、その”うんこちゃん”がどういう人格かというと、自分が損をするのが絶対に許せないタイプ。かつその閾値がとんでもなく低いクズという人間である。加えて、とにもかくにも自分大好きちゃん、といったところだろうか。
昨今、こんなこと言ったらボロクソに叩かれるだろうが、女性という人種は(顔面の醜美と関係なしに、)少なからず、そういう部分があるというのは理解している。
だが、コイツは輪にかけて酷い。相当に甘やかされて育ってきたのだろうなというレベル。自分に利害のあることなら派手に騒いで他人を巻き込むことも構わないが、他人が困っていても利害が絡まなければノータッチ、しれっとしている、といったぐあいだ。
例えるのが難しいが、中2ぐらいの思春期の娘が、性格はそのままにイイ歳(相応に、イイ歳だ。)して社会人やってる、といったところだろうか。これは書き手の主観なので、差し引いて聞いてもらいたいが、細かい仕草がいちいち演技がかっていて、大げさなのも非常に腹立たしい(もちろんフルボイスだ、加えて鼻歌まで聞こてくる。きっつー)。
適当なエピソードがあった方が説得力があるとの思うので、なるたけぼかして書くが、人事異動関係でうんこちゃんの業務が増える旨を面談で伝えられた際に、月N万円の昇給(1万とかそんな可愛い額では無い。そして、年収ではない、月収である。頂き女子にでもなった方が良い。)を社長に要求する、と堂々と公言していたときはさすがに引いた。
もちろん、現在の業務がうんこちゃんにとって過剰であってオーバーワークに陥る故あっての要求……なんてことは全くなく、毎日余裕の定時退社をキメてくれている。
唯一、まともな点といえば、顧客への対応だろうか、ここが終わっていたらお察しなのでギリギリ社会人ではあるといえる。
百歩譲って、顔面が良いとか、愛嬌があるとか、単純に若いとか、なにかしらあればまだ救いがあるのだが、特に言及しないことで察して欲しい。天は二物どころか一物もあたえないこともある、きっつー。
そんなうんこちゃんだが、外ヅラは良いのか、運良く弊社の面接を潜り抜けて、そうだな、1,2年はまともなフリをしていたと思う。たが、あるタイミングから、タガを外れたフリーライド野郎の傾向が見え始めた。
程度の差こそあれ、多少、手を抜く範囲ならまだ許せるのでは?なんて、意見も聞こえてきそうだが、自分が損をしたくないの閾値が下がるところまで下がっているコイツは、その手の雑用は一切しない。なにより、うんこちゃんの部署の後輩が転職していく、という実害も発生している。
直接問うたことは無かったが、新人代謝も少ない中小の企業で、対して年齢も変わらない、ただ先に入社していただけの先輩にデカイ面して雑用を全部押し付けられたら、資格でも取るなりしてさっさと辞めてやろうという思考になるのも、容易に想像できるというものだ。
そして最悪なことに、うんこちゃんの上司にあたる人間が、創業者の親族で次期社長候補のひとりである。
その上司も、能力はあるけれど、モラル的な概念は薄いので、うんこちゃんはこれに上手く取り行って、私は専属秘書ですから。みたいなツラをしながら仕事をしているのが日常である。うざったいことこの上ない。
悲しいかな、うんこちゃんの業務に専門性があって、余人に代えが効かない業務だったり、他人の数倍も業務をこなしている…ようなことは全く無い。
これが、まっとうな社会人なら、業務態度に問題があれば、上司が諌めるなり、人事評価でフィードバックされたりするだろうが、悲しいかな、わが零細企業にそのような”ふつう”は存在しない。
性善説に基づいているといえばちょっとは格好もつくだろうが、要するにうんこちゃんのようなクズが培養されるには理想的な環境というわけだ。うんこだけに。
なにより最悪の中の最悪なのが、我が零細企業のような年功序列ありきの古い体質では、その上司が次期社長になるのは目に見えている。
すると、どうなるだろうか?基本、文化系の部活に所属していたお前らはてなーでさえ、少し想像しただけで理解し、ヘドが出るだろう。
そう、もともと鼻につかない奴だったけど、「彼氏が部長になったが最後、周りの部員に対してあからさまに態度がデカくなるマネージャーの誕生」である。OMG。最悪だ。終わっている。
ロビン・ダンバーの宗教の起源で言うには、共同生活の人数には、明確な上限があるらしい。共生のストレスに耐えうる限界の人数ってやつだ。それが閾値を超えると、共同体は分裂せざるを得ないし、より厳格な教義やルールが作られる。
古今東西、どの組織にも倫理的に許されないフリーライド野朗はいて、共同体の人数が定員を超えると、そのクズは体のいい贄として柱に吊されたり、分裂した共同体に追い出されてたりするワケ。
長くなったが、要するに今まで暗黙の了解で成り立っていたものが、フリーライド野郎のおかげで崩壊しかけている。
togetterのクソみたいなまとめでありがちな、町内会ゴミ出し問題(苦笑)になっているということだ。
賢明な読者諸君は、小さい企業なら社長との距離も近いだろ。社長はどうなってんだ社長は、と問いただしたくもなるだろうが、社内コンプライアンスに配慮(笑)してか、元々事なかれ主義なこともあって、社員の業務姿勢にはノータッチ、である。なんなら謎の配慮(笑)すらあって、うんこちゃんに積極的に仕事を振るのをさけているフシすらある。こんな様子であって、うんこちゃんには、大概舐められていて、前述したような巫山戯た要求を突きつけられる始末である。
こんな世の中舐め子ちゃんが、蔓延っているのは本当にうんざりしてくる。理屈が通じない訳では無いが、利害が絡まないとやってるフリで通すだけなのでなおタチが悪い。どうしてこんな特大のクソが聖域化しているのか、誰も何も言わないのか。最近は、書き手の主観がおかしいのかと首を捻るばかりだ。パートとかアルバイトなら許容できるレベルだと思うが、いっちょ前に正社員だからクビも切れないし、いよいよ救いがない。
人生経験豊富(笑)なはてなーの諸君よ、知恵を恵んでくれ。間違ってもお前らがやることは、「職場の女性をうんこ呼ばわりするような輩とは一緒に仕事したくないな」とかしたり顔でコメントすることじゃあないからな、だから鼻で笑われるんだよお前らは
はじめに
2024年6月、VTuber・月ノ美兎による「秘宝館」を訪れた動画が公開され、話題を呼びました。しかしその後、訪問先である八潮秘宝館の館主が抗議のブログを投稿し、両者の間に大きなすれ違いがあったことが明らかになります。
この件についてはすでに多くのファンや観測者が「どちらが悪いのか」を語っていますが、本記事ではその問いを超えて、「文化と文化の衝突」という構図から捉え直します。
⸻
動画は「秘宝館→秘宝館→ネモフィラ→秘宝館」という流れで構成され、月ノ美兎がいくつかの秘宝館を巡る内容でした。その中で八潮秘宝館の館主にインタビューを行い、来場者の様子も撮影されています。
しかし、6月20日、館主がブログで問題を指摘しました。主な主張は以下の通りです:
• 来場者に無断で撮影を行った
•メールでのやりとりや態度に誠実さが感じられなかった
これに対して、月ノ美兎側はX(旧Twitter)で謝罪文を掲載。動画は非公開となり、編集を加えたうえで再公開する旨が伝えられました。
⸻
このやりとりの多くは「誤解」「不手際」「コミュニケーション不足」として消化されがちです。しかし本質的には、**まったく異なる文化コードを持つ二者が、同じ空間に立ったことによる“文化的摩擦”**に他なりません。
VTuber(特ににじさんじ)は、以下のような構造で成り立っています:
このように、VTuber文化は匿名性を前提とし、秘宝館文化は“生身”を前提とするという、根本的に非対称な文化構造にあります。
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今回、ファンの中には「月ノ美兎は謝罪したのだから、これは単なるすれ違い」「館主が過敏すぎる」といった声も多く見られました。
しかしそれは、文化の違いを“善悪”で断じることで、相手の文化を理解しようとしない姿勢を助長してしまいます。
• 「文化的非対称性」を自覚せず、取材される側にすべての配慮を押し付ける傲慢さ
• 「触れていない場所には理由がある」という直感を軽視する態度
「誰もやってない=おいしいネタ」ではなく、「誰もやらない=文化的理由がある」という視点を、ファン自身も持たねばなりません。
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特に月ノ美兎のように「誰も触れない領域」にあえて切り込むスタイルの演者は、次のような構造的リスクを抱えます。
•取材される側にだけ情報の提供や慎重な配慮を求め、自らの情報は守るという一方的な構図
• 「中の人を明かしたくないから、その点は配慮して」というお願いが、取材相手の文脈では“信頼を拒否する態度”に映る
⸻
今回の件を経て、月ノ美兎という存在が“アングラ文化の語り部”として活動を続けるには、以下のいずれかの方向が必要になるでしょう。
• 本人はナレーションや企画監修に専念し、実地取材はプロスタッフに委ねる
→仮面を維持したまま、文化との距離を保ちつつ取り上げる構成が可能
•レイヤーを脱ぎ捨て、文筆家・ライター・批評家として生身の表現に移行
•Quick Japanやオモコロ的な土俵で、取材・編集・文章でアングラ文化を扱う
→自由度と信頼の対価として、キャラクターの保護を手放す必要あり
• 今後も類似の演者が現れるなら、「VTuberが文化を扱う場合のレギュレーション」を明文化する
⸻
月ノ美兎が得意としてきた「アングラ×VTuber」の表現スタイルは、にじさんじが黎明期であったからこそ成立していました。しかし今や、にじさんじはポップな大衆文化の一角。“アングラに切り込む”こと自体が文化的矛盾を伴うようになってしまったのです。
その行為がどんな文化を踏みにじり、どんな信頼を危険にさらしているかを自覚する必要があります。
そして演者自身も、「表現したいこと」と「所属する構造」のズレを直視し、
次のステップを考える時期に来ているのではないでしょうか。
委員長と館長お互いの言い分を読んだが、これは偏屈おじさんが難癖つけてる案件で委員長は被害者だった
今や絶滅寸前のアングラ文化系自営業おじさん(ハッタッショ率高)の
謎のマイルールに抵触した結果、ゆるーく許可されていたはずの取材や動画公開を
昭和平成のアングラサブカル系の生き残りはガキがそのまま老人になったような幼稚な人間が多い
更に社会性も低い上に、ノンポリとサヨク思想が悪魔合体した反社会的思想に洗脳されているので、
今後もめげずに絶滅寸前のクソサブカルを搾取し利用するだけ利用していくべき
こうした勘違いをしてしまう人の心理だがこれは単なる知識不足や早とちりというだけでなく、もっと根深い人間の性質が関係しているように思う。
人間は本質的に「認知的倹約家(Cognitive Miser)」であると言われる。つまり、できるだけ頭を使わずに、省エネで物事を判断しようとする傾向があるのだ。複雑で多様な現実をありのままに受け止めるのは、非常にエネルギーがいる。だから私たちは、物事を「AかBか」「敵か味方か」「陽か陰か」といった単純な二元論の箱に押し込めて理解しようとする。
「理系/文系」という分類も、本来は学問の性質を分けるためのものなのに、
いつの間にか「論理的な人間/感情的な人間」「クールな人間/ウェットな人間」といった、人格の二元論にすり替わってしまう。
そして、そこに「体育会系(陽キャ)/文化系(陰キャ)」という、もう一つの分かりやすい二元論が重ねられる。
こうして、「理系=陽キャ」「文系=陰キャ」あるいはその逆、といった極めてシンプルな(そして誤った)世界地図が完成する。複雑な現実を前にした思考停止であり、一種の知的怠慢とも言えるが、そうすることで心の平穏を保っているのかもしれない。
特に、「自分は理系だ」というアイデンティティを強く持っている人の中にこの傾向が見られることがあるように思う。
「理系的思考こそが優れており、文系的な思考は非論理的で劣っている」といった、やや偏った価値観を持つ人が
自分たちとは異なる「文系」という存在を理解するために都合の良いラベルを貼ることがある。
そのラベルとして、「文化系(陰キャ)」は非常に使い勝手がいい。
「あいつらは、俺たちとは違う。なんかよく分からないことをゴチャゴチャ言ってる、内向的な連中だ」。
そうやって相手を単純なカテゴリーに押し込めて見下すことで、相対的に自分の優位性を確認し、安心感を得ようとする。
これは、相手を個人として理解しようとする努力の放棄に他ならない。
法学部で国際弁護士を目指してディベートに明け暮れる学生も、商学部で体育会の主将を務めながら起業の準備を進める学生も、すべて「文系」という箱に放り込み、「文化系だよね」の一言で片付けてしまう。これほど失礼な話もないだろう。
まず、先ほども触れたように、世間に流布するステレオタイプの引力はあまりにも強い。「理系はオタクっぽい」「文系はチャラい」といった、雑ではあるが大衆に浸透したイメージは、誰の心の中にも少なからず存在している。そして、「オタクっぽい」というイメージは、確かに「文化系」や「陰キャ」といった言葉と非常に近い距離にある。この強力なイメージに引きずられて、「理系の対極にある文系は……あれ、でも文系もおしゃれなカフェで本読んでるイメージだし、それってインドア活動だよな……じゃあ結局、文系も文化系ってこと?」というような、迷路のような思考に陥ってしまうのも、無理はないのかもしれない。
また、学問のスタイルと個人の気質に、全く相関がないわけではない、という点も無視できない。もちろん、これは鶏が先か卵が先かの問題ではある。内向的な性格だから文学部を選ぶのか、文学部で学ぶうちに内向的になるのかは分からない。しかし、何時間も一人で図書館にこもり、文献と向き合い、静かに思索を巡らせるという行為が求められる学問(例えば、哲学や古典文学)と、「文化系」的な気質との間に、一定の親和性があることは否定できないだろう。
逆に、大規模な実験装置をチームで動かしたり、多くの被験者とコミュニケーションを取りながらデータを集めたりするような研究分野では、ある種の外向性や協調性が求められるかもしれない。これは「体育会系」のカルチャーと通じる部分があるとも言える。
もちろん、これは極端な例だ。文系にだってフィールドワークで世界中を飛び回る文化人類学のような分野もあれば、理系にだって一人で黙々と数式と向き合う数学のような分野もある。だから、学問と気質を安易に結びつけるのは危険だ。しかし、「何となく、そういう傾向はありそうだな」と感じてしまう気持ち自体は、理解できるのだ。問題は、その「何となく」を、まるで確定した事実かのように一般化しすぎてしまうことにある。
他者を安易にカテゴライズしてしまうのは、自分自身が何者であるかを説明する手軽な方法を求めていることの裏返しなのかもしれない。「俺は理系だから、口下手なんだ」とか、「私は文系だから、数字は苦手で」といった自己紹介は、とても便利だ。自分の個性や欠点を、大きなカテゴリーに属することで説明し、免罪符にすらできてしまう。そうやって自分をラベリングすることに慣れている人は、同じように他人をもラベリングして理解しようとする。その行為が、相手の多様性や個性を削ぎ落とす、暴力的なものであるという自覚なしに。
「文系を文化系(陰キャ)と勘違いしている人」。この一見すると些細な言葉の誤用は、その根底に、人間の思考の癖や弱さ、そして社会に蔓延するステレオタイプといった、根深い問題を映し出している。
アホだなあ、と思う。でも、そのアホらしさの正体を突き詰めていくと、自分の中にも同じような思考の怠慢や、安易なラベリングへの誘惑が潜んでいることに気づかされる。私たちは誰しも、複雑な世界を前にして、分かりやすい物語を求めてしまう生き物なのだ。
しかし、だからこそ意識したい。文系の中にも、灼熱の砂漠で発掘調査をする考古学者がいる。理系の中にも、美しい言葉で科学の魅力を伝える詩人のような科学者がいる。体育会系のノリでチームを率いる文系経営者もいれば、文化系の繊細さでミクロの世界を探求する理系研究者もいる。人間は、そんな簡単な物差しで測れるほど、単純な存在ではない。
「理系/文系」も「体育会系/文化系」も、あくまで人間という多面的なプリズムを、特定の一方向から照らすための、便宜的なスポットライトに過ぎない。一つの光だけで全体を理解した気になったり、異なる種類の光を混同したりすれば、見えてくる像が歪むのは当たり前だ。
次に誰かが「文系って文化系だよね」と言ったら、今度は「アホだなあ」と心の中で思うだけでなく、こう返してみようかと思う。「面白い視点だね。ちなみに、経済学部でアメフト部の主将やってる俺の友達は、君の言う『文系』に入るのかな?」と。そうやって、少しだけ世界の解像度を上げる手伝いができたら、それはきっと、無駄なことではないはずだ。そしてそれは、自分自身が持つ見えない偏見から自由になるための、第一歩にもなるのだろう。
体育会系と文化系という分類における文化系(陰キャ)と勘違いしているやつがいてアホだなあと思った
先日、ネットでとある記事を読んでいたら思わず「え?」と思う記述があった
一瞬、頭がフリーズした。
彼の言っている「文系」と「文化系」が、私の頭の中でうまく結びつかなかったからだ。
ああ、なるほど。
彼は「理系と文系」という学問の分類と、「体育会系と文化系」という人間の気質の分類を
ごちゃ混ぜにしてしまっているのだ。
そして、その後者における「文化系」が持つ、やや内向的、いわゆる「陰キャ」的なイメージを、前者における「文系」全体に当てはめてしまっている。
しかし、その一方で、なぜ彼がそんな突拍子もない(と私には思える)勘違いをしてしまったのか、妙に気になってしまった。
「理系か、文系か」というのは、高校や大学で選択する学問分野の大きな括りのことだ。
ざっくり言えば、自然科学や数学、工学、医学といった分野が「理系」。そして、人文科学、社会科学、法学、経済学といった分野が「文系」。これは、何を学ぶか、どんなアプローチで真理を探究するかの違いであって、個人の性格やライフスタイルを規定するものではない。もちろん、学問の特性が個人の思考様式に影響を与えることはあるだろうが、それは結果論に過ぎない。
一方で、「体育会系か、文化系か」というのは、個人の気質や所属するコミュニティのカルチャーを指す言葉だ。
「体育会系」と言えば、運動部に代表されるような、上下関係がはっきりしていて、根性論やチームワークを重んじる、エネルギッシュで外向的なカルチャーを指すことが多い。いわゆる「陽キャ」のイメージと結びつきやすい。対する「文化系」は、文芸部や美術部、吹奏楽部などに代表される、個人の興味や探究心、内面的な活動を重視するカルチャーだ。こちらは比較的物静かで、インドア、内向的な「陰キャ」のイメージを持たれがちだ。
この二つの分類軸を並べてみれば、両者が全く別物であることは火を見るより明らかだろう。
これはX軸とY軸のようなもので、本来は組み合わせて四象限のマトリクスで考えるべきものだ。
・理系で体育会系:工学部のラグビー部員とか、医学部のサッカー部員とか。ゴリゴリのフィジカルを持ちながら、論理的な思考も得意とする人たち。たくさんいる。
・文系で体育会系:法学部の野球部主将とか、経済学部のアメフト部エースとか。チームをまとめ上げるリーダーシップとコミュニケーション能力に長け、社会の仕組みにも明るい。こちらもたくさんいる。むしろ、営業職などで大活躍するイメージすらある。
・理系で文化系:数学科でチェスに没頭する学生とか、物理学科でSF小説を書きふける大学院生とか。知的好奇心の塊で、自分の世界を深く掘り下げるタイプ。これもステレオタイプな「理系像」に近いかもしれない。
・文系で文化系:文学部で古文書を読み解くのが好きな学生とか、史学科で一日中博物館にいるような人とか。これもまた、一つの典型的なイメージではあるだろう。
このように、四つの象限にはそれぞれ典型的な人物像を当てはめることができる。
そんな単純な話では全くないのだ。
彼が言っていた「文系=文化系(陰キャ)」という図式は、このマトリクスの存在を完全に無視した、あまりにも解像度の低い世界認識だと言わざるを得ない。
では、なぜ彼は、そしておそらく彼以外の一部の人たちも、こんなにも雑な紐付けをしてしまうのだろうか。
いくつか理由が考えられる。
「文系」の「文」と「文化系」の「文」。この共通する漢字一文字が、無意識のレベルで両者を結びつけている可能性は高い。人間は、意味よりも音や形の類似性で物事を連想することがよくある。「文」という字には、どこか「武」の対極にあるような、静かで知的なイメージがつきまとう。「武」が体育会系なら、「文」は文化系だろう、という非常にシンプルな連想ゲームが、頭の中で行われているのではないか。
二つ目は、ステレオタイプの暴走と単純化だ。世の中には、様々なキャラクターの「型」が存在する。特に、ドラマや漫画、アニメといったフィクションの世界では、分かりやすさが重視されるため、キャラクターはしばしば極端なステレオタイプとして描かれる。
たとえば、「理系の天才」は、コミュニケーションが苦手で、白衣を着て研究室にこもっている、まさに「文化系の陰キャ」として描かれがちだ。一方で、法廷ドラマの敏腕弁護士や、経済ドラマの熱血銀行員といった「文系」のヒーローは、弁が立ち、行動力がある人物として描かれることが多い。
こう考えると、むしろ「文系=陽キャ」のイメージの方が強まりそうにも思える。だが、ここで話はもう少し複雑になる。
おそらく、多くの人が「文系」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、
経済学部や法学部ももちろん文系だが、より「文系っぽい文系」としてイメージされるのは前者だろう。そして、ひたすら文献を読んだり、思索にふけったりする文学部のイメージは、確かに「文化系」の活動と親和性が高い。この「文系の中の特定のイメージ」が肥大化し、文系全体を代表するイメージとして認識されてしまう。その結果、「文系=文学部っぽい人たち=文化系っぽい=陰キャ」という、伝言ゲームのような連想が出来上がってしまうのではないか。
人は誰しも、自分の見てきた世界が世界のすべてだと思いがちだ。例えば、その人が通っていた高校のクラス編成が、たまたま「理系クラスは大人しい生徒が多く、文系クラスは活発な生徒と静かな生徒が混在していた」という状況だったとする。その場合、「理系は文化系寄り、文系もまあ文化系寄りかな」という雑な印象が刷り込まれてしまうかもしれない。あるいは、自分の周りにいる数少ない「文系」の友人が、たまたまインドアな趣味を持つ人ばかりだった、という可能性もある。その限られたサンプルから、「文系とはこういうものだ」という法則を導き出し、それを世の中全体に当てはめてしまう。これも、人間が陥りがちな思考の罠の一つだ。
https://anond.hatelabo.jp/20250614122405
俺がブクマしたんじゃねえ。誰だよまじで
人生のどのシーンでも(少なくも自意識が芽生えてから)、何者かになれるという希望をどこかに持ち続けて、嘘をつき倒してきた。
それでも、わかりやすい堕落や挫折をすることなく、この歳になった。何者にもなれなかった嘘つきの人生には価値があるのか?よかったら読んで欲しい。
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公務員の子として関東のベッドタウンタウンに生まれる。公立小学校〜公立中学校。成績は中の上。足は遅い。クラスの人気者では決してなかったが、奇抜なことを繰り返して周りの注目を引くことに固執する、特別支援ギリギリのムーブをかまして得意気になっていた。幼少期から虚言癖が酷く、何を話すにも少し自分の現状よりも上を言ってしまう悪癖があった(今も治ってない)。
この辺は特筆すべきことがない。
高校受験でマーチの附属校に落ちた。でも周りには受かったと吹聴してた。でもあれ、みんな気づいてたんだろうな、死にたい。親が塾とか通わせてくれたおかげか、エリアで2番か3番かの高校に受かった。
高校ではマイナースポーツをやった。トーナメントで3回ぐらい勝てば県大会決勝になるようなスポーツ。それでインターハイに出た。そしてすぐ負けた。どうしてもあのスポーツ体験が価値のあるものに思えなく、以後文系/サブカルに傾倒していく。(その話はさらにつまらなくなるのでしない)
あと、全然モテなかった。普通にブサメンだったし、自意識ばっかり高く女子の前でカッコつけた虚言ばかり吐くし、必然だったと言える。でも部活の友達には、地元に彼女がいてやりまくってる、って言ってた。地元の友達には、高校に彼女が(ry 。
大学は念願のマーチにいった。これも普通に塾とかいかしてくれた親のおかげだと思う。大学でできた友人には、国公立を蹴ってこの大学に来た、と抜かしていた。2年から私立文系クラスだったのに、なぜそんなことを言えたのか。
入学後は文化系のサークルに入ってその活動に熱中した。いわゆる大学デビューしたい隠の者が集まるサークルだったから、そんなに時間がかからず彼女ができた。人生初の彼女だ。ただサークルのメンバーには、中学で童貞をとっくに捨てたと言っていた。初めてのSEXの時、どこに挿れればいいか分からずニヤニヤ焦る俺を見て、彼女は何を思っていただろうか。
そのサークルで年次があがるにつれてそれなりの地位を得て、女子(大学デビューしきれてない子)と恋愛関係になる術を覚えた。そこで、高校時代全くモテなかった反動が来た。とにかくサークルに入ってくる新入生みなにツバをつけ、付き合おうとした。気がつけば3〜4股をかけるような状態になっており、その時は人生の栄華ここに極まれりだと思っていた。今思えばしっかり貞操観念がある子、あるいは、まれに現れる陽キャの子には、いかなかった。自分が優位に立てる(と思い込んでいる)相手にだけ節操なくアタックしてモテると勘違いしていた。その頃の自分を知る人間とコミュニケーションを取るのが辛すぎて、大学時代の人間関係はほぼ切った。(それ以外の過去の友人もだいたいそんな感じで疎遠だが)
4年になり、大手キラキラ企業を2社ぐらい受けて普通に落ちて、就活を辞めた。これ以上自分が凡人だと突きつけられるのが怖かったからだ。でも周りには総合商社に受かったと言っていた。サークルの後輩にイキるぐらいならまだいいものの、そんなに仲良くもないゼミの知り合いや教授にも伝えていた。今思い出しても消えてしまいたくなる。
そしてなんの当てもなく上京し、中央線沿いに住んだ。アルバイトしながら何者かになろうとしていた(バンドマンとか、劇団員とか、そう言う類だ)。でも上京半年で、定職についてないプレッシャーに体が耐えられなくなり、誰でも入れるやりがい搾取の業界に派遣で飛び込んだ。普通に激務で半年もたずに飛んだ。不思議と焦りはなかった。
その経歴だけを武器に、面接で嘘をつきまくり、それなりの大手企業の正社員になった。そこはハッタリを効かせて顧客を納得させる香具師みたいな仕事で、俺には天職だった。入社3年ぐらいでプレイングマネージャーになり、年収も600〜700を超えた。
その時期、一緒に上京してきた大学時代の本命彼女(笑)に浮気され別れた。自分はさんざん遊んできたにも関わらず、相手の浮気は許せなかった。それで、大学時代の彼女もどきが東京で就職したので半同棲してたら子供ができた。だから結婚した。愛はないが、抵抗もなかった。
子供ができて、責任感が芽生えたとかはなかった。嫁が里帰りしている間に、マチアプで女漁りを続けていて、3人か4人と付き合ったり別れたりしていた。これはモテてるとかではなく、付き合うと言う約束をしないとSEXができなかっただけだ。
ハッタリ仕事がいよいよ板についてきて毎日がイージーモードになりつつあった。が、なにぶん虚構なので慣れてくると達成感みたいなものはない。このままでは何者にもなれない(何者ってなんだ?)と感じて、より規模の大きい大手企業に転職した。
年収は800から700ぐらいまで下がったが、その業界ではトップ企業なので虚栄心は満たされていた。やっと自分の理想としていた本来の姿になれた気がした。
ただ、別に前職でスキルを磨いていたわけではないのでレベルの高い環境に身を置いた瞬間に化けの皮が剥がれた。周りの人間に追いつかない。頭の出来が全然違った。その負い目そのものは定着した現在も消えていない。
慣れとは怖いもので、半年ぐらいで勘所を抑えてからは、結局ここでもハッタリムーブでそれなりの評価を得ている。あと何年かやったら年収1000万ぐらいになるかもしれない。そこまでにバレなければ、だけれど。
※ハッタリというか、すごい成果を出してる風のブランディングを周りにしまくり、細かいところを口八丁で誤魔化し、その勢いだけで評価を得てる、とかそんな感じだ。もちろん営業職ではない
今も隙があればマチアプ発のヤリマンと会っている。もうオナニーの方が楽しいが、配偶者以外との性行為をすることで自分はモテていると思い込まないと自尊心が保てない。
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終わり。サラリーマンをし、子供をつくり、家を買った。世間では人並み、ネットでは底辺予備軍。こんなはずじゃなかったと言う気持ちと、まぁ上出来でしょと言う気持ちの差分を埋めるため、今日も嘘を吐き続けている。
非モテ男性に気に入られて交際を断りジョーカー化されるリスクを避けるために「二次元や3次元のイケメンにしか興味ないんです」「推し活に夢中なんです」と主張してるだけ
https://posfie.com/@surface_water/p/AsVT0sq
@yuzukiasako
BGM(初級編) BG(文系説教ジジイ)は、金のかかる女、もしくは金をかせぐ女が苦手です。あわよくばレトロ喫茶店のコーヒー一杯で粘り女を口説き落とそうとするようなケチンボウです。あなたが一目でそうとわかる高級品を身につけ、海外買い物旅行やフレンチの話をすれば、及び腰になるでしょう
@yuzukiasako
BGM(中級編) BGにてっとり早く疎まれるには、ぴちぴちしたイケメンの話をするのが一番です。それも海外スターや実力派俳優ではなく、ジャニーズや韓流スター。携帯の待ち受けにして「夢中なんです。抱かれた−い」ぐらい言えば、「ミーハーで平凡な女だ」と向こうから嫌ってくれるでしょう。
@yuzukiasako
BGM(上級編) この一言でBGはあなたが大嫌いになります。「私、有名になりたい!」理由は説明するまでもありませんね。BGは控えめで、自分を傷つけない楚々とした女性が好きなのです。他にも「金持ちになりたい」とかもいいです。シンプルで力強い女の欲望は、BGが最も苦手とするものです。
そもそも女が男と同じ価値観(結婚するだけで一発逆転人生バラ色)を共有していたらこんなに男余りになってない
結婚で幸せになるのはスペック高い男を捕まえてなおかつその男を増長させない、何かあったらすぐ逃げて経済的に自立できる女に限られるのを女は理解している
男のように知らないイケメンやイケショタや性を売るアイドルやホストを見ただけで「私を選ばずに幸せそうにして許さない、人生めちゃくちゃにしてやる」と増悪や殺意を抱き、非モテ余り物おっさんのように「イケメンに大金を貢いで金銭感覚を壊して不幸にしてやった」と嘘松創作したり嫌がらせや凶行に及ばない
根っこがインドア派の文化系陰キャなこともあって会社の人間と波長が合わず、転職を考えている
学生時代は高校から陰キャなりに輝かしく真に価値ある7年間を送ってきたと思う
社会に出て痛感したのは、今まで自分が置かれていた環境がいかに恵まれているかと自分の社会に対する認識の甘さだった
高校大学と7年間、波長が合いお互いにリスペクトできるような友達に囲まれていたことでそれが当たり前だと思ってしまっていた
社会を舐めていた
自然に自分の周りにはそういう人間が集まると無意識に決めつけていた
それがどれほど素晴らしく価値あるものかということは理解していたつもりだが、それが当たり前でなく全くの奇跡の産物であるということを数年前の自分に講釈垂れてやりたい
他責は良くないと思いながらも今自分が納得していないのはやはり人間関係なのではないかと思案をめぐらせる
明らかに見下されていることが肌で分かる、あの一軍グループの中学生が放つ毛虫が這うような居心地の悪さ
もちろん職場はサークルではないし年齢層も幅広いため学生時代のようにいかないのは分かっているが、もう少し自分にとって居心地のいい職場で仕事をしたい
未経験業界に転職できるのは第二新卒までだと思い、今は選択肢を増やすために元々少し興味のあったITで使える基本技術者試験とTOEICを勉強中
大学時代の経験を思えば「大学の時にもっと勉強していれば…」という後悔は特にない
が、今転職するのが本当に正しい決断なのか、自分を本当に幸せにするのかが恐ろしく不安