
はてなキーワード:敬虔とは
【速報】ワークライフバランス捨てると高市氏2025年10月04日 15時11分共同通信
https://www.47news.jp/13246623.html
「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます」
と言及した。
どんな速報だよ
こんなんにイチャモンつけるようなくっだらねー人間に心底嫌悪感を持つ。
はてな民て結局、しょーもないクレームや被害者ぶりっこや揚げ足取りばっかりのクズみたいな人生送ってる奴らなんだと思う。
自分の人生に対して主体的な覚悟を持って、脇目もふらず何かを頑張ったという経験が一度もない。
自分以外の誰かが猛烈に頑張ることにすらなんかケチをつけたい感情がある。
当たってるだろ?
「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます」
お前等になんか何も言ってない。
そして先頭に立つ高市自身は「ワークライフバランスという言葉を捨てて働く」と。
これの何が問題なんだ?
そもそもワークライフバランスってのは少子高齢化対策として採用された使用人向けのスローガンだ。
好意的に取れば「使用者は使用人に長時間労働させてはいけません」という労働者権利護持であり、
左翼的問題意識を持って受け取れば「国がライフスタイルにまで介入して子供を持たせようと操作している」標語だ。
だから当然、全員がこんなもん当てはめられなければいけないわけでもない。
例えば経営者なら週7日仕事してたっていいんだしそんな奴は幾らでもいる。
自分が望んでキーエンスに就職する奴なら毎日23時まで働けばいいだけ。
反体制左翼も「うるせえな余計なお世話だよ」と反発や無視をしていい。
で、国会議員になるような人間も経営者やキーエンス側の人間だ。
一般人より遥かに重い負荷で働くのが嫌だって奴はそもそも政治家にならない。
当然ワークライフバランスなんか捨てるだろうし、捨てると公言しても何も問題がない。
なんで高市ぐらいの人間がお前ら弱虫と同じ標語、弱虫を守る為の標語の下にいる必要があるんだよ死ね。
ノブレスオブリージュの表明にまでふんぞり返って揚げ足取りする自称弱者様とか
もはやじんかんのどこにも必要ねえだろ。人の世の害虫というものがいるならお前等だよ。
仮に高市が能力も体力も意志もお前らレベルの凡愚な人間だったとしても
それでも別に常にワークライフバランスを守らなきゃいけないわけではない。
だって高市は64歳で、ライフイベントなんかもう終わってるから。
子供は産まずに人生賭けてやってきた仕事の最後で最大の正念場なんだから
まだなんとか動く身体も頭も振り絞って仕事に全部注ぐに決まってるじゃねーか。
「俺たち弱虫向けの標語を守らなかった!」なんて言うくっそ情けないケチを付けられるわ。
本当に心底くだらない生物、その辺の水たまりに跳ねてるボウフラ程度の値打ちのその生で
いっちょまえの大威張りで自分を肯定できるわ水たまりの外で生きる人間に向かって物申せるわ、本当すげーと思うよ。
(ちなみにこいつらがこれだけ大事にするWLBを日本で盛り上げた政治家も指定難病で無理して働いてたし子がいない)
高市はお前等なんかに何かを頑張れと言ってるのですらないんだけど、
弱虫でない人間が「私は頑張る」つっただけで被害者みたいな気持ちになっちゃうわけだろ?
有益な思考をする知能も精神力も無いんだから、無駄な情報を入れるな。
お前等なんぞ誰からも頼られてないからお前等も無駄な駆動をするな。
気の向くことして飯食ってクソして寝てろ。
それでブコメでなんか、「無能な働き者」みたいな文言を書いてる人間が10人超もいるんだよな。
「無能」て。
俺は心底不思議なんだけど、なんでお前等が高市の能力を見下してるの?
ど~~~~考えても、どの角度から検討しても、高市はお前等なんかより遥かに能力あるだろ。
当人が相当ボンクラでも……ってこともあるいはあるかもしれないが
高市は地盤も看板も鞄もない一般家庭から一代で昇り詰めたししかも女だ。
お前等に高市の人生を歩ませたら社会に出て最初の3年くらいで泣きを入れて
その後の余生全部ネットで被害者意識炸裂させることだけに生を空費する人糞製造機になるわけじゃん。
どうしてそういう当たり前の弁えがないのか、そこが一番不思議なんだよな。
何をどうすればお前等ごときが能力的に高市見下せると勘違いできるの?
人が頑張ると聞いただけでも不愉快になっちゃうようなボウフラちゃんの分際で?
物陰から高市を非難・罵倒する言葉すらほとんど自分の脳を通過してなくて
人口に膾炙しすぎた擦り切れた「無能な働き者」をキリッとした顔で書き付けて
本当にどのような角度でも能力が低いんだよな。
根性もない、気力もない、センスもない、国語力もない、罵り言葉すら自分のものじゃない。
つか
「強い人は言葉遣いからボクたち無能の神経に配慮してよ!」なのか
「ワークライフバランス」なんてのは個人の生活に立ち入る不届き千万であって
むしろ「月月火水木金金」 「欲しがりません勝つまでは」とかに近い。
しかしはてな民は言葉に対するそうした最低限の思考力や注意力もないため、
(そこまで頭が悪いのに自分を経典読みではなくリベラル(笑)だと思っている)
その結果、
「ワークライフバランス」なんていう国による・間に合わせの・不格好なスローガンを
いつのまにかコーランの聖句かなんかぐらいに勘違いするようになって
「あの女が聖句を冒涜的したぞ!」と事件が起きたかのように騒いでるわけ。
こういう奴等に本当に必要だったものって出来もしない進歩思想じゃなくて宗教、
それもイスラム教ぐらい個人の生活に立ち入って来て「ただしいこと」を決めてくれる中世的宗教だったんだよな。
中世までしか適応できない知能レベルで間違って近代に生まれちゃって苦しんでるわけだから。
何故か自分達にちょうどいい価値(古めの宗教や迷信や陰謀論)を見下してるし
自分達より遥かに能力ある女を見て「無能だ」と大騒ぎしている。
政治に関心ある振りをするけど政策なんかは複雑すぎてわからないため、
高市批判するにしても「ワークライフバランス捨てるってゆった!!!」という涜神性を問題にして批判する。
無能の他動症はおめーらだろって思うんだけどね。
モスクへ行け。
背景として高市は夫の高市拓が今年脳梗塞で倒れて要介護になってる。
こいつらどんなきったねえツラしてこれ書いてるんだろ。
夫を介護施設に叩き込んで働くのは許されんのか?
つまりは高市が手ずから流動食食わせてクソ拭いて風呂に入れるのしか認められないってこと?
それ以外の選択肢は不道徳だからこいつらはこんなにニチャついてるわけなのか?
家族の介護を人に任せたら不道徳になるのは要は高市が嫁だから・女だからか?
ほんとに骨の髄までリベラルだなあおめーらは。
それにしても、
夫の介護について「ここが弱点に違いない!」と思いついて実際に書き込むまでのあいだの
どっかの瞬間に我に返って突発的希死念慮に襲われたりしねーのかな。
ボウフラちゃんの脳って便利。人間じゃなかなかこうはいかない。
高市はこういうくだらない生物たちからのあらゆる投石に負けずにここまで上ってきてて、
ついにボウフラが一生解さないなんらかの信念をこれから果たそうとしてるんだろう。
自分の生を何に使うか決めた者と
人間と鬼って感じがする。
子供に性教育なんて子供達にセックスを奨励するようなものだというかもしれないが、ニュースによれば性行為をすれば妊娠することすら知らない子供すらいる状況だというのだから、性教育するまでもなく子供達がセックスを知り実践する状況がフィリピンにはあるわけだよね
そもそも生殖行為なんか生き物の基本なんだから知ってようが知ってまいがそうするように遺伝子に刻まれてると考えるのが自然だろう。
他の動物が本能的に生殖してるなかなんで人間だけ例外だと思うのか。
人間が文明の皮被ってるだけの動物であることを忘れてるんじゃないか?
https://www.cnn.co.jp/world/35238769.html
元ネタと思しきニュース読むと、まずカトリックを排除しないと何も始まらんという結論になった。
しかし初期の法案は、敬虔(けいけん)なカトリック国家であるフィリピンにおいて、教会組織からの激しい反発に直面した。カトリック教会は、性交は結婚した夫婦の間でのみ行われるべきと考えており、それ以外の者には禁欲を説いている。また、人工的な避妊には反対しているが、夫婦間で自然な方法を用いて妊娠を回避することは認めている。
まず歴史。ホロコーストの原因は「ユダヤが他者を見下したから」ではない。
ナチ政権は人種主義と国家ぐるみの反ユダヤ主義を中核イデオロギーに据え、法的に排除した。
ニュルンベルク法は祖父母の出自でユダヤ人を線引きし、改宗者や無宗教者すら対象にした。
これは「ユダヤ教の教義が原因」では論理的に説明不能だ。因果を入れ替えるな。
ユダヤ教は「俺たちだけ箱舟に乗れる」などと言っていない。
タルムードは七つのノアの掟を全人類の普遍倫理として扱い、それを守る諸国民の義人は来世に分け前があるとする。
ラビは明確に「七戒を受け入れ守る者は諸国民の敬虔な人であり、来世に分け前がある」と書いている。
さらに現実のユダヤ社会の行為。イスラエルはユダヤ人ではない救援者に「諸国民の義人」の称号を公式に授与している。
非ユダヤ人を「ゴミ」扱いする思想の共同体だとしたら、非ユダヤ人を国家記憶に刻むか?事実はお前の自己放尿と真逆だ。
お前の「ユダヤが傲慢→ヒトラーが切れた→虐殺」は、個人的体験の一般化、因果逆転、そして加害の正当化というトリプル自己放尿だ。
ナチの動機はユダヤ教の教義ではなく、ナチ自身の人種イデオロギーだったという一次・公的機関の資料が山ほどある。
怒鳴り声で史料はねじ曲がらない。金で信念を売り買いする発言も論外だ。真理は財布の厚さでは決まらない。
今お前がやっているのは、床にぶちまけた自己放尿を指差して「見ろ、大洪水だ!」と喚いているのと同じだ。
お前が本当に「俺は詳しい」と言い張るなら、まともな資料に一度でも当たれ。
読むだけで自分の主張が崩れるのが分かるはずだ。
単一政策で効果がないと言ってパッケージを推してるけどパッケージなら効果出るって言うエビデンスはあるん?
エビデンス、少なくとも俺はしらんです。というか推してるつもりはあんまりない。こう言う話を突き詰めていくと結論は「つまらない、実効性に乏しい玉虫色の結論になる」ということを書いただけな感じです。
結局ほとんど変わらんなら何もせず放置でええんちゃう?
俺は元の対談の現状追認やっても無駄みたいな論調にはあんまり賛成してなくて、もっとやばめの出生率急降下している国(韓国とか)に対してやることやってるからこれで住んでるって思ってる。
まあ、もう抵抗しても無駄だよ、もうどうにでもなあれ~☆ って意味なら否定はしないけど。
諸外国の例でアメリカだけ挙げてないけどアメリカって育休もないしろくに支援してないけど出生率高い方よな
逆に何も支援しない方が上がる可能性すらありそう
と言う事になるので、なかなか真似はしづらいかな…。これをやっても比較的高い程度で解決になるような数字ではないし。。。
あと、自説の話に結びつけて言うと、アメリカでは雇用の流動性が段違いに高いので、出産育児によるキャリア中断が全体のキャリアに影響しづらいってのはまあ言われるよな。だからここまで極端に雇用規制を解除すればいけるかもしれないとは言える。
あれは本人の自覚あるなし関係なく国家神道という宗教の信者で、「天皇家は尊ぶべき、男系の血統こそ神聖」って経典に従う信仰なんだし、そりゃ宗教だから議論しても平行線だろって納得できる。
ただのキリスト教の敬虔な信者に聖書内の時系列や系図の矛盾とか進化論や天文学との論理的整合性を執拗に問いただしたり、「聖書に皮膚病の者を追放せよとか父が娘を奴隷に売ってもよいとか書いてるけどお前らなんでそのあたりは都合よく見てみぬふりすんの?」とかひろゆきみたいに追求しても仕方ないのと同じでさ。
彼らがアラーを信じてないみたいに、俺も国家神道も皇室の神話も全く信じてないし、
シーヤ派とスンニ派が諍ってる理由が異教徒とか無宗教の人間から見たらめっっちゃどうでもいいことにこだわってんだなーって思うみたいにどうでもいいことにこだわってんなーってしか思えんけど、
「まあ、人に押し付けない範囲で素敵な信仰ライフを楽しんでくれや」って感じ。
リベラルのベースの考え方って「男に生まれたから、とか女に生まれたから、みたいに生まれや性別で人間の選択肢が縛られるのはおかしい」じゃん?
で、男系限定は女性差別だからアウトだ!って言いたいんだろうけど、え?そもそも皇族に生まれた時点で特定の性別に生まれるどころじゃなく人生のあらゆる選択の自由が制限されちゃうけどそれはいいの?って
小学校の先生にもプログラマーにもお笑い芸人にもバンドマンにもなれないし、ちょっと家庭が複雑な異性と交際しただけでマスコミに一挙手一投足報じられて右翼にPTSD発症するくらいボコボコに誹謗中傷される。
んで、「生まれた時点でこんな何もかもが制限されてるのおかしくね?」って自分から言ったら憲法違反。
そこはスルーして「女性にも王冠を!」って叫ぶの、どう考えてもズレてない?
「男性黒人奴隷が多いから東南アジア女性の奴隷をいっぱい輸入して男女、人種比率を均等にして多様性アップ!」って言ってるくらいなんかブレてない?
仮に女系で女性の天皇が誕生したとして、じゃあその天皇とその子供は人生の何もかもが制限されて自由なんてありません、それでも女系推進リベラルの人って「これが政治的に正しい新世界!やったね!」ってなるの?
女系天皇推進派って、不自由な椅子に座る義務を男女で分け合いましょう、という極めて欺瞞的な提案に過ぎなくて、社民とか共産みたいな左翼政党ですら国家神道の信者にビビって踏み込めない。
俺はこういう皇族の被差別性について昔から結構言ってきてて、右翼の人には非国民認定されたり国籍透過されるだけで平行線だからどうでもいいんだけど、
リベラル側の人たちからも、これに対してきちんと反論してくれた人って、今まで一人もいなかった。
もし、納得できる反論があるなら、本当に聞いてみたい。
西暦3018年。
「情報に振り回されるのは、もうやめよう!」
自然回帰主義者の運動は日に日に過熱化し、ついに暴動にまで陥った。
アップル社をつぶせ!
そのうち、一人がタイムマシンに乗り逃げ伸びた。
数千年前。
そこでは人は言語を獲得し、ようやく喋ることでのコミュニケーションを獲得して間もないころ。
逃げ延びた敬虔なアップルユーザーは、ぼろぼろとなった自分の格好を見ながら、己の人生を振り返った。
エリート人生を送ってきて順風満帆だったはずなのに、今ではこの惨状…。
近くに、警戒しながらも原住民がその姿を注目して観察しており、そのうちの一人、長老がその投げ捨てられたノートパソコンを拾い上げて男に近づき、こう訊ねた。
「これは何かね?」
すると、男は長老を一瞥。それから地面に唾を吐き捨てるような視線を向けながら答えた。
「アップル?」
「ところで、そなたは誰じゃ?」
「へびー?」
「ああそうだ、そしてあなたが今、手に持っているのがアップル社のノートパソコンだ」
男はそれだけ言うと、今後の事を考え大きな溜め息を吐いた。
それを見た長老は気の毒に思い、男に声をかけた。
「もし行く所がないのなら、わしらの所に来るかね?」
「いいんですか!?」
長老は顔一杯に皺を作って頷いた。
後日。
「いいかい、種まきは……」
「まさか役に立つとはなあ。認めたくはないが、さすがアップル!」
投げ捨てたノートパソコンは未だバッテリーが生きており、そしてHDDにはウィキペティアよろしく生活に関する諸情報を保存してあったのだ。
するとそのデータからの助言はみな的確で、瞬く間に村は発展した。
しかし有用な情報はすべて、村に対して有用に働くわけではなった。
あまりの効率化により無駄は省かれ、すると労働量は以前に比べ必然的に減少した。生まれた余暇に若者はみな寝転び勤勉とならず、先代からすれば実に楽をしているように映った。
そうした声が次第に高まると長老も重い腰を上げ、とうとう例の男を村から追放した。
その後、長老は戒めを込める意味でも男の発言を思い出しては話をまとめ、
後世にこのことを話し伝えた。
「神に敬虔な者が、神に祈り、正しい行いをするように、まわりの人に強く誘いかけないのはどうしてですか?」
ラビは聞き返した。
「しかし、私たちはいつも良いことを行うように、正しく生きるように、人びとにすすめているではありませんか」
「しかし、悪者が人びとを悪事に誘うほうがずっと強い力を持っていますし、また、人を悪いことに誘い入れて仲間を増やそうとするときに、私たちよりももっと熱心にやっています」
「正しいことを行っている者は、一人で歩むことを恐れない。しかし、悪いことをしている者は、一人で歩むことを恐れるからです」
タルムードの中でも、人間の行動、衝動、そして善悪に関する多くの議論があります。
タルムード(ブライタ:ベラホット 61b)はこう述べています:
イェツェル・ハラは、外へと誘い出す衝動を持ち、他人をも巻き込もうとします。
つまり、自己の悪を正当化するためには仲間を必要とする。これはまさに弟子の観察と一致します。
これらはラビの「一人で歩むことを恐れない者」の話と共鳴しています。
義人は、たとえ孤独でも、真理と善に基づいて歩む力を持っている、というのが聖書的な視点です。
このタルムードの話は、善は静かに、確かに歩むが、悪は仲間を求めて騒がしくなるという心理的真理を教えてくれます。
ラビの答えは、本当に強い者とは一人でも正しい道を歩ける人間である、というユダヤ的倫理観を表現しています。
「善き人に付き従え。悪しき者から離れよ。」(アヴォット 1:7)
推しが結婚詐欺師になった。結婚詐欺、というセンセーショナルな言葉は週刊誌が勝手につけたものだけれど、結婚適齢期の彼女に結婚を匂わせて1億円規模で貢がせていた、といった記事を読めば誰でもその四文字が浮かぶだろう。
彼はボーイズグループのメンバーで、自分はこのグループの所属する事務所が掲げる“アーティストファースト”的な理念にかなりの信頼を置いていた。
違和感を覚えたのは、少し前に行われたドームツアーでのことだった。あんなにガラガラなドームは見たことがない、と思うほど空席まみれだったのに、その日のチケットはソールドアウトとされていたのだ。空席の多い会場を前に、メンバーのテンションもどこか低く、のちに結婚詐欺師となる推しはいつも以上に喋らなかった。
そのあたりから、何となく好きな気持ちを誤魔化すようになった気がする。推しは相変わらず愛想が悪く、インタビューでは妙に悲観的なことばかり口にしていて心配が募った。
そしてスキャンダルが出る少し前にも嫌なトラブルが起きた。ワールドツアーで3公演が中止になったのだった。この3公演は全てアメリカのもので、事務所の所謂信者的な人たちは「治安が悪いからだ!メンバーを守るために仕方ない!」と声高に話していたけれど、もちろん根拠はないし、おそらくチケットの売れ行きがすごぶる悪かったことが原因だ。
自分の好きなグループがライブをさせてもらう国に対し、安直に治安が悪いと主張するそのファン層が苦手になった。そもそも、治安が理由なら他の地域も中止になるだろうに、なぜかLAなどは普通に開催されたのだ。
高すぎる下駄を履かせてガラガラのドームに立たせたり、アジア圏でもないのにほとんど日本人しかいないような海外のステージに立たせて、世界で人気!みたいな虚像の実績を積むことがアーティストファーストだと言うなら、ただただ情けないなと思う。
そんなことを思っている時に、決定打がきた。推しが結婚詐欺師になったのだ。SNSで愚痴れば、週刊誌を鵜呑みにするのかと同じファンに責められる。鵜呑みにするも何も、音声も、相手の女性からサインさせられた誓約書も、何もかも証拠が揃ってる。事務所から出された声明文には“法令には違反していない”といった文言があったが、それは彼女が訴えなかったからだろう。
例え多少誇張されていたとしても、2人の間に巨額のお金の移動があったことは事務所も本人も否定はしていないのだ。
推しからの謝罪文は薄っぺらくて、日本語もおかしかった。誰がこんなものを書かせたのか、チェック体制はどうなっているのか、怒りよりも社会人としての呆れの方が強かった。スタートアップの芸能事務所だからといって、ここまで拙い運営だとは思わなかった。プライドばかりが邪魔をして、誰も向き合いたくないのだな、風化を待っているのだな、と感じた。
そして、普段は何をしても出しゃばってくる目立ちたがりやの社長が、沈黙の末に配信を行う場に選んだのは月額5000円のオンラインサロンだった。
嘘だろ、と思った。自分は事務所の敬虔な信者だったので、このオンラインサロンに入っている。
ちなみにこのオンラインサロンは会社の情報をいち早く伝える、ファンの意見も取り入れる、といった謳い文句ではあったけれど、ご意気を聞く姿勢もなければ、芸人がやりがちなオンラインサロンごっこと同じで普段から大した中身はない。チケットの最速先行に使える、といった利点くらいだろうか。
そんなオンラインサロンで、所属タレントの不祥事について社長自ら語ったのだ。
5000円課金しなければ聞けない謝罪ってなんだろう。この後に社長として正式に何か声明を出すようなことを言っていたけれど、それでもSNSでは最初の配信を見た人と見ていなかった人で割れる。
5000円を毎月払っているような人なんて、そもそも事務所の信者であり、社長のイエスマンだ。そんな人たちが「良い配信だった!社長を信じる!」みたいなことを書けば、見ていなかった人は配信を確かめたい、と言った気持ちにもなると思う。
特に、自分が応援してきた人に何らかの疑いがかかっているような人にとっては、藁にもすがるような思いだろう。
そういう思いや焦りをお金に変えようとしているのだな、と思った。
内容については、自分がもう事務所の信者ではなくなってしまったことを差し置いても、何となく泣き落としのような、向くはずのない矛先を自分に向けさせるポーズのような配信だった。何度も謝るだけで内容は薄く、この人の頭頂部を見るために5000円課金してるわけじゃないのにな、と思った。
推しが結婚詐欺師として報道されたことは悔しいし悲しい。まだ整理がついていないけれど、もう今後は推しとは言えないと思う。
ただそんなことよりも、事務所と社長のやりかたに呆れてしまった。
もういい年だし、そろそろ真面目に出会わなきゃなーと思って。
で、いい感じの人とマッチした。
年齢も近いし、メッセのやりとりもすごく丁寧。
彼、クリスチャンらしくて誠実そうだなーっていうのが伝わってきてかなり好印象だった。
何回かやりとりを重ねたあと、よかったらお食事でもという流れになった。
先日の待ち合わせの日。
私はだいぶ緊張してたんだけど、彼はめちゃくちゃスマートだった。
五分前には行ったんだけど既に待ち合わせ場所に来てて、私を見つけたらすぐに笑顔で手を振ってくれた。
実際に会うと身長も高くて、でもすごく柔らかい雰囲気。顔もめっちゃイケメンだった。
予約したレストランに入って席に着いて、でもここからが問題だった。
料理が運ばれてくると手をつける前に、彼は敬虔なクリスチャンらしく十字を切り始めた。
まあ、ここまではわかる。
私も一応知識としては知ってたし、すごいちゃんとしてるなぁと思った。
でもその手の動きがおかしい。
もうね、完全に嵐の素顔だった。
手首を使って手を縦と横へと交互に動かしてて、完全にあの振り付けだった。
しかもすごいキレがいい。
めちゃくちゃ上手い。
でも彼は至って真面目な顔してる。
こっちはすごく誠実な場面を目撃してるはずなのに、頭の中では嵐の素顔が流れっぱなし。
彼は微笑みながら祈り終えた。
その後の食事はすごく楽しかったし、話も合ったし、普通にまた会いたいなって思ったんだけど祈るときのあの手の動きが忘れられない。
実は彼から連絡が来てて、またお食事どうですか?と誘われている。
今度は私も一緒にやった方がいいのだろうか?
ノアの時代、つまり大洪水の後に、神(השם, HaShem)がノアとその子孫に与えたとされる七つの戒律がこれです:
1.偶像崇拝を禁ずる(Avodah Zarah, עבודה זרה) → 神は唯一であり、他の神々を崇拝してはならない。
2.冒涜を禁ずる(Birkat HaShem, ברכת השם) → 神の名を呪ったり、不敬な言葉を発してはならない。
3.殺人を禁ずる(Shefichat Damim, שפיכות דמים) → 人の命は神の像としての尊厳を持つ。殺人は重大な罪。
4.姦淫・不品行を禁ずる(Gilui Arayot, גילוי עריות) →不道徳な性関係、特に近親相姦、姦通などを禁じる。
5. 盗みを禁ずる(Gezel, גזל) →他人の財産を奪うこと、だまし取ることは禁じられる。
6. 法の制定と執行の義務(Dinim, דינים) → 公正な裁判制度を持ち、正義を維持すること。
7.動物の肉を生きたまま食べることの禁止(EverMin HaChai, אבר מן החי) → 生きた動物から部位を取って食べてはならない。動物への残虐行為の禁止とも関連します。
ユダヤ教では、異邦人(ユダヤ人以外の人々)がノアの七戒を守るならば、彼らは「義人の中の異邦人」(Chasidei Umot HaOlam, חסידי אומות העולם) と呼ばれ、来世で報いを受けるとされています(バビロニア・タルムード、サンヘドリン 56–60章に記述あり)。
つまり、全人類が神に近づく道を持っているという、ユダヤ教のとても美しい、包括的で平和的な考え方なのです。
A:ノアの法を守ることで「敬虔な異邦人」として神に喜ばれる存在になれますが、ユダヤ教徒(ユダヤ人)になるためには改宗(ギユール)が必要です。
ただし、ユダヤ教は改宗を積極的には勧めていません。ノアの法を守ること自体がとても尊いとされています。
A: 神との関係が深まり、倫理的な生活が送れるようになります。
1755年のリスボン地震(リスボンじしん、ポルトガル語: Sismo de Lisboa de 1755、英語: 1755 Lisbon earthquake)は、1755年11月1日に発生した巨大地震である。
リスボン大震災(リスボンだいしんさい)あるいはリスボン大地震(リスボンおおじしん)などとも言う。
9時40分に西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルのリスボンを中心に大きな被害を出した。
津波による死者1万人を含む、5万5,000人から6万2,000人が死亡した。
推定されるマグニチュードはMw8.5〜9.0の巨大地震であったと考えられている。
震源はサン・ヴィセンテ岬の西南西約200kmと推定されている。
当時の通俗的な理解では、地震とは自然現象というより神罰である。
しかし、多くの教会を援助し、海外植民地にキリスト教を宣教してきた敬虔なカトリック国家ポルトガルの首都リスボンが、なぜ神罰を受けねばならなかったのか、
なぜ祭日に地震の直撃を受けて多くの聖堂もろとも町が破壊され、善人も悪人も罪のない子供たちも等しく死ななければならなかったのかについては、
震災の原因をリスボンの人々の「罪」にあるとしたイエズス会もポルトガルの領土から追放され、財産を国庫に没収された。
イエズス会の指導者で地震を人々に対する「罰」であると説教し続けて人々の熱狂的な支持を受け、
カルヴァーリョがリスボンを再建しようとすること自体を神に背くものであるとして糾弾し続けていたガブリエル・マラグリダは地下牢に幽閉の後に異端審問にかけられて処刑された。
高学歴の前科3犯が「『やってはいけないこと』は一つもない。罰則はコスト。コストに見合うメリットがあるから犯罪を」→宗教なき世界の限界を見た。
posfie って個人のページになるのね
それはともかくとして
発言がプロ奢ラレヤーだから、マックの女子高生みたいなもんと思ってるんだけどさ
ご立派な宗教大国であるアメリカ様がどうなってるかと考えれば犯罪抑止に宗教なんて意味ないのよ
南部の田舎とか無法地帯で、他人の権利を侵害すれば普通に殺される
んでさ
都合よく現れる、まるで代弁者のような「奢る人」だけども
前科3犯だっけ?
何やったんだろうね?
3回もやったら裁判では相応に重くなる
だからさ、釣り合いの取れる犯罪ってことは罰金とかションベン刑の話なわけでしょ
罪に問うにしても費用や手間暇考えたら赤字で泣き寝入りが多い領域よね
ラインを攻めて、仮に法廷に持ち込まれ、軽い犯罪で咎められたとしても
大きく儲けられるならお得だよねってやつ
資産を巧いこと散らしておけば、自己破産で賠償とかも逃げられる
こういうクソは昔から居て
これの小さいやつは
・他人の車で送迎をねだるがガス代は払わない
・パチンコの泡銭などで勝手に奢り、何かのときに「奢った」事を貸しのように持ち出す
・子供が売り物を壊したり、食べ物をダメにしても「子供がやったこと」だという
・速度超過
・自転車の逆走
やると反感を買い、ときに晒されたりするのが
・身体障害者用のスペースに車を止める
・車庫まで一通を逆走
車が壊されるなら身障者スペースへの駐車なんてできない
しねぇよ
今まで見ないふりをしていた頭頂部がいよいよヤバい感じになってきたから、AGA治療しにいった。しに行ったといっても、最初診察してもらったら薬をもらってあとは敬虔に飲み続けて半年くらい経過を待つことになる。
ハゲの原因となるDHT(ジヒドロテストステロン)を作る5α-リダクターゼって酵素があり、それを抑える薬だ。
その酵素の一部を抑えるのがフィナステリドで、ひと月4000円強。さらに抑えるディステリドは7000円弱。保険適用されずに自費になるから、高価になる。(医薬品副作用被害救済制度を受けない自信があるなら、海外の薬を個人輸入して半額に抑えることも可能っぽい)
金かけてハゲ抑えるくらいなら丸刈りにすればいいのにバカだな~って思っていたけれど、いざ当事者になると踏ん切りつかない。自分に合う気がしない。
「人権派」の家に育って
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241219215934
この気の毒な若者に対し
「両親のおかしさ」 「”人権派”の違和感 」「そういう大人に躾けられてしまった悩み」はガンスルー。
「不謹慎ネタを注意して飲み会しらけさせた君は正しいよ!」と合唱する。
のっぺらぼうから必死に逃げてきて助けを求めた相手がのっぺらぼう。
「リベラル的には正しいんだろう、でも今の自分はそういう正しさがほしいのではなく……」って言ってる若者に
「でもその行いはリベラル的に正しいです!」と合唱する中高年。
なにこのコールアンドレスポンス。
ごめんな、のっぺらぼうのコロニーなんだここ。
俺こいつらに100回は「人の話を聞け」とか「ちゃんと読め」って言ってきたけど
こいつらに悪意はなく能力的に出来ないだけなんだってことももうわかってる。
人の話聞くのが苦手な人たち。不規則な会話が苦手で冗談がつまんないでしょ。
はっきり言っちゃえばおそらくある方面の脳のスペックが足らない。
脳の可塑性が低いというか機動性が悪い。
いろんな基準やいろんな角度を一度に衝突させながら検討することが出来ない。
だから起動する基準が一個に絞られてくる。そこではその基準はぶっちゃけなんでもいいの。
いまアラフィフぐらいの先輩たちはその基準にリベラル正義を選ぶことが多かったってだけ。
で、どう思う?
こういうただ「すべての現実を特定基準で処理する」と決まってるだけっていうのはどういう人だろうか。
たぶんお父さんもお母さんもどっかしらいまいちな部分のあるマシンを頭蓋に積んでて
そのせいで社会にうまく適応できない面があって嫌な気持ちになったり出来損ない扱いされたりしたことがあるんじゃないの。
硬直的な一個のルールで物事を処理するまでは出来るけどその先がさっぱり、とか。
Aさんの話に出てくるBさんがこういった、のような入れ子構造のある話が全く理解できなくなる、とか。
そういう感じの人が低学力なら「自分は頭が悪い」ってあきらめてある意味安心して生きていくんだけど
下手に高学力でありながら脳がデコボコしてる人はあきらめらんないし「いや社会の方がおかしいんだ!」ってなるわけ。
俺が見てきた感じでは、
一生の仕事として学校教師より予備校講師を選ぶ人ってマジでその特性の人が多いんだよね。
学校の先生の方がいろんな角度の仕事があるしいろんな不規則な状況にも対応出来ないといけないでしょ。
それに比べたら受験の準備ってのは相当狭い範囲の尖った競技だよ。
そういうの得意な人ってどういう人だと思う?
デザイナーもさあ…。もちろん全員が同タイプだとは言わないけど、”そういう人”にも務まりやすい職種だよ。
(ちなみに予備校講師や美術教師の雑談が面白い、世界が広がった、とか言う学生は結構いるけどあれは多くの場合子供が初めて出会う”変人”てだけ)
そういう型の人が社会への適応を目指したときどうなるかというと
自分の使える狭い基準をさらに強化して万能にしようって考えるわけ。
特にプライドが高くて「バカでございますへっへっへ」なんて風に力を抜けない場合はとにかく攻撃力を高めようとする。
ご両親もそれでしょ?
旧来こういう脳足りんを救ってきたのは穏健伝統宗教で
頭がハングしやすい人は「いや私は敬虔で宗教基準で生きているからちょっと”固い”かもね」っていいわけが出来た。
社会的にも「頑固で信心深い人、悪い奴じゃない」っていう風に理解されてちゃんとコミュニティに収まれた。
けど宗教が否定された社会のオルタナティブは進歩思想しかないわけよ。
進歩思想だと社会と喧嘩しやすくなって当人も安寧はないし周りにも迷惑だよね。
もともと別に喧嘩したかったんじゃなく「知的な人」として遇されたかっただけの人でも”闘士”になってっちゃう。
……という風にご両親のことを整理すれば、
自分がどういう躾を受けてしまったのか、脳にどんな回路が出来てるのかもとらえやすくなるでしょ。
特定の基準ばっかりやたら強化されてて立ち上がりやすくなってるっていうだけ。
対策して解消できる。
どうやるかというと心の動きに気付くだけでいい。
目の前のことを人権基準でジャッジしようとしてることに気づいたら
その瞬間(人権思想)と念を入れる。これだけ。声に出さずに心の中で言う。
(人権思想)よりなじみ深くてフラットな呼び方が自分の中にあればそっちでいい。
その心が起きることが良いか悪いかじゃなくて、その心が起きたことを念を入れて確認する。
これは秒より短い瞬間の勝負でやる。この習慣をつける。
自動で立ち上がる人権基準ジャッジに素早く気付けるようになる、目指すのはこれだけでいい。
別に人権思想を憎む必要はなくて、ただし勝手に立ち上がることについては厳しく観察して気付いていく。
これを筋トレみたいに訓練するだけでどんどんその心を客観的に見られるようになる。
そうすれば人権基準ジャッジはただの自分の心の動きの一つですという状態になっていく。
その頃には今の悩みや支障はもうなくなってるよ。
勝手に立ち上がらない「一つの基準」でしかなくなれば、別に人権思想って良くも悪くもないし。
人間社会のための沢山あるアイデアの中の一つとしてそれへの自分スタンスを考えてみればいい。
増田は今のところパンチのある家庭に育ったための特異なハンデを背負ってるし
若いとそれを物凄くアンラッキーと感じててその不運自体が悩みになりそうな精神状態かもしれない。
けどそのハンデは意識して筋トレすれば治せる症状だから本当に深刻なものとは違う。
心を明るくしてほしい。
だってそういうことがおかしいとか居心地悪いと感じるって時点で
お父さんお母さんほどそっちの特性を引き継がない脳をしてるってことだから、
同じ生き方はしない方がいいし別の生き方が出来るってことだから。
本当に不運なのは脳も基準もそのまま受け継いだサラブレッド二世で、
いまもう親子二代の活動家っていうのは子の代は厳しい。父母の時代よりはるかに環境が厳しいから。
社会が進歩思想に免疫を持つようになってるし、どんな単一基準やワンイシューにも「より詳しい人」がすぐ現れるようになってるから。
例えばいま気軽に反原発デマなんか叫んでもあっという間にコミュニティノートがつくでしょ。
一般人でもデータ調べてくるし、専門家が気軽にポップアップしてくる。関係先へキャンセル返ししてくる。
マイナーでオルタナティブな基準だからこそ局所的に”権威”として振舞えるのが強みだったのに今はそれが出来ない。
この先もう人権きちがいっていう生き方がニッチとしてすら成り立たないかもしれないよ。
いずれ別の何かは現れるだろうけど、ただでさえ可塑性がない特性の二世が若くなくなってからそこに移行するのは難しいだろうしね。
馬鹿にしてるんじゃなくて気の毒に思ってる。
彼らは本当は人に和しながら聖典の決まりに沿ってシンプルに生きたかっただろうに。
inks
こういう人だよ。わかる?
おれは一回も「一呼吸」なんて書いてねえだろ。
4はふざけて書いてる訳じゃなくて、
この人は俺の話に「確かにあり」と言いながら実は全く読んでなくて、自分の中の既知の別の知識やメソッドを思い浮かべてるわけ。
何を聞いても読んでもすぐ自分のライブラリ参照にいっちゃうし参照精度が極めてガバガバ。
これだといろんな人と会話できないし幅広い基準も使いこなすことが出来ないよね。
単一基準を信奉して固定メンツと狭い会話繰り返すのが居心地いい、ってなる。
右翼左翼とか善悪とかじゃなくて機能的な問題だってわかるだろ。
ご両親のことも憎んでも意味無い。
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ヴァイマールの宮廷楽長を辞任したリストは、ラティボル公に招聘され、公の弟グスタフ・ホーエンローエを通じてローマ教皇庁と接点を持つことになり、宗教音楽に取り組む意欲を持つことになる。「巡礼の年」や「詩的で宗教的な調べ」のように、前期・中期から既にリストには宗教的な要素が強い作品があったが、これ以降そのような作品はさらに増えていく。一方、子どもたちが相次いで亡くなったことで大きな精神的打撃を受け、1860年には遺書まで書いている(マリーとの関係はまだ悪かったようで、マリーのことは遺書にない)。カロリーヌは夫との婚姻を強制されたものであり無効であるとする枢機卿会議の決定を一旦勝ち取ることに成功するが、その後、婚姻が有効であると述べる証人が新たに現れ風向きが変わってしまう。というのも、ラティボル公の実子とカロリーヌの娘が結婚することになっていたのだが、カロリーヌの結婚が無効だったとするとカロリーヌの娘は私生児ということになり、大変都合が悪いわけで、グスタフが手を回して妨害させたようである(リストも後に状況を悟ったらしい)。愛する人と結ばれることに再び失敗し、重ねて精神的なショックを受けた。それでも、グスタフを初めとするローマのパトロンを見出し、ローマに腰を落ち着けて宗教音楽に熱心に取り組むことになる。ところが、1869年に度重なるヴァイマールからの要請で宮廷楽団の指導役として復帰し、さらに70年代からはピアノ教師としての活動も非常に活発になり(ローマでも週1ではやっていたらしい)、以降リスト曰く「三分割された生活vie trifurquée」、春はブダペストなどで音楽教師とコンサート、夏はヴァイマールの宮廷楽団の指揮、冬はローマで作曲とピアノのレッスンというスター時代に負けず劣らずの忙しい生活を死ぬ日まで送ることになった。晩年のリストのレッスンの記録をとっていた弟子アウグスト・ゲレリヒの日記(翻訳あり)を見るとリストの生活ぶりが良く分かる。
晩年のリストの代表作である。出版も最晩年。頻繁な不協和音の利用、レチタティーヴォ風の単純な旋律、独りごちるようなモノローグが目立ち、華麗な作風からの一変を感じることができるだろう。全7曲あり、第1・4・7は明るめで、宗教的な救いを示している。前期・中期作品でいうと、「孤独の中の神の祝福」」に近い作風である。それに挟まれた2・3・5・6は、「葬送――1849年10月」などと同じで、死を嘆くエレジーで、とても暗い。
この曲集の中で最も有名なのは第4番の「エステ荘の噴水」だろう。文字通りリストが住んでいたティヴォリのエステ荘の噴水を活写したものだ(その様子はググってくれ)。晩年作品の中では例外的に明るく、輝かしい作風で、しかも印象主義の先取りになっている画期的作品だ(ラヴェルの「水の戯れ」やドビュッシーの「水の反映」と比べると良い)。第2・3曲「エステ荘の糸杉にI・II」は大変暗い曲なのだが、続けて聴くと本当に救われる思いになる。絶望からの救済は、リスト本人が強く望んでいたことだ。
第三年だけの録音というのはあまり聴かないような気がする(エステ荘の噴水の録音はたくさんあるが)。第一年なども含めた全曲録音は前期の項目で書いたが、ベルマンとロルティが良いだろう。特に美しいロルティが好き。
1863年にリストは僧籍を取得し、聖職者となっている(ずいぶんな生臭坊主生活が死ぬまで続くが、リストのことなので仕方がない)。丁度その頃に作曲されたらしい。ローマに引っ越したリストを教皇ピウス9世が訪ねてきた時に(下級聖職者のくせにローマ教皇に足を運ばせる男なのである)、第1曲「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」を演奏したらしい。フランチェスコが小鳥に説教する様子を描く絵だったか詩だったかをモチーフにした曲で、小鳥たちのさえずりを模倣したトリルがかわいらしい。明るく、聴きやすい作風である。
第2曲の「波をわたるパオラの聖フランチェスコ」は、嵐の中の船出を拒絶されたフランチェスコ(アッシジの人とは別人)が自らのマントを船にしてメッシーナ海峡を渡ったとかいう伝説をモチーフにしている。波を模倣したうねるような力強いアルペッジョが印象的。出だしこそ暗いが、明るく、輝かしく、充実した展開を迎える。
両曲とも1865年にリスト自身がブダペストにおける久しぶりの公開のコンサートで初演された。サン=サーンスがいたく気に入って、オルガン編曲を作っている。
ニコライ・デミジェンコ(Hyperion/Helios)のCDにソナタ、スケルツォとマーチと一緒になって入っていて、よく聴く。
元々はヴァイマール時代にオルガン曲として作った曲だが、この時期にピアノ編曲された。BACHの主題といっても、バッハの曲が引用されているのではなく、ドイツ音階のBACH(シ♭・ラ・ド・シ)をモチーフにした勢いのある曲。暗い曲だが、豪壮無比な超絶技巧を披露する曲であり、重苦しい感じはない。
面白い曲なのに良い録音が中々ない。昔韓国のクン・ウー・パイクの録音を聞いた気がするが記憶に残っていない。アムラン(Hyperion/ソナタなどとカップリング)が良いと思う。若手だとリーズ・ド・ラ・サール(naive)の演奏は非常に録音も良く、技術的にも良い感じである(naiveは廃盤になるのが早く、入手が難しいのが困りものだが、配信あり)。(追記)ハワード全集の演奏も彼のヴィルトゥオーゾっぷりを味わえるものだったと思う。しかしアムランやラ・サールと比べると分が悪いか。
長女ブランディーヌの子ダニエラ(死んだ息子と同じ名前)のために作った曲(父は「自由帝政」時代の首相エミール・オリヴィエ。なお産褥熱でブランディーヌは死んだ)。当時のクリスマス・キャロルの編曲だが、リストオリジナルの曲も入っている。第1曲(編曲)がとても良い曲なのだが、リストお得意の左手高速オクターヴの連続があり、子どもに辛いのでは(しかもご丁寧に軽くleggieroという指示がついていてピアニストは悶絶する)。第11曲の「ハンガリー風」はおそらくリスト、第12曲の「ポーランド風」はカロリーヌを暗示しているのだと思われるが、後者は明らかにショパンのマズルカ的な作風。やっぱりショパンのこと大好きなんすね~
実はハワード全集しか聞いたことがない(しみじみとした良い演奏だと思います)。
5. 暗い雲 S.199(死後旧全集に収録/1881年作曲);不吉な星 S.208(死後旧全集に収録/1881年作曲);調性のないバガテルS.216a(1956年出版/1885年作曲)
反則だが、リストの無調音楽の代表格を一挙紹介。リストの無調音楽は、機能和声が崩壊しているという意味では無調だが(その意味ではワーグナーの「トリスタン和音」も同様)、シェーンベルクの十二音技法のような意味で無調というわけではない(ドイツというよりフランスの無調音楽の先取りっぽい)。行くあてが未定まらないまま、タイトル通り曖昧な響きに終始する暗い雲、西洋音楽で不吉とされる音の組み合わせをこれでもかと盛り込んだ不吉な星は、これでも生前に既に演奏されてはいたのだが、調性のないバガテルは「無調」と銘打った音楽史上初めて(ではなかったとしても極初期)の作品で、発見されたのも20世紀後半になってからである(1956年出版というのは誤記ではない)。ただ、元々メフィスト・ワルツ第4番として作られていたので、舞曲の要素があってそこまで聞きにくい曲ではない。リストの精神状態もあって暗い感じだが、とにかくリストの前衛音楽家っぷりがよくわかる曲である。
いずれも録音はそこそこあるが、代表的な盤はあまり思いつかない。不吉な星はポリーニの録音したソナタのCDにカップリングされているので聴いたことがある人もいるだろう。暗い雲も入っていたと思う。調性のないバガテルはまあまあ取り上げられているが、昔カツァリスが日本で大ブレイクしていた頃に出したメフィスト・ワルツ全集(Teldec)に入っている。
初稿(21世紀に新発見され出版)、第2稿(悲しみのゴンドラI)、第3稿(悲しみのゴンドラII)がある。よく演奏されるのは第3稿(II)で、ヴァイオリンやチェロのための編曲もある。
ヴェネツィア所在だったワーグナーを訪問した1882年に作曲された。完成した曲をワーグナーに紹介する手紙を送り出した直後、ワーグナーが亡くなり、リストはこの曲を虫の知らせだったと感じたらしい。「巡礼の年」のヴェネツィアとナポリと対比すると良い作品。
不安を煽るような曲だが、それほど聞きにくい曲ではない。色々なCDにカップリングされているが、個人的にはブニアティシヴィリ(SONY/ソナタのCD)が好きなのでよく聴く。
なお、ワーグナーの死を悼む作品もリストは作っている(R. W. ――ヴェネツィア S.201とリヒャルト・ワーグナーの墓に S.135)。前者は不安を煽る曲だが(ポリーニのCDに入っている)、後者は敬虔な追悼音楽で、「パルジファル」の動機が使われている。ピアノより弦楽四重奏盤を聴くと良いだろう。
7. 村の居酒屋での踊り――メフィスト・ワルツ第1番(1862年出版)
前期の曲と思いきや、実は後期の作曲(作曲開始も50年代末のはず)である。やはり最後は明るく華やかな(そして生臭坊主な)リストで締めたい。着想自体は1836年に書かれたレーナウの叙事詩「ファウスト」で、ファウストを連れて村の居酒屋にやってきたメフィストフェレスが、ファウストを誘惑するためにヴァイオリンを弾き出し、みんなノリノリになって踊り出し、魔法の音にあてられてファウストは女の子と一緒に森の中に消えていくというしょーもない内容である。技巧的な見せ場も多いのだが、ヴァイオリンの調弦を模倣した五度の音程を重ねるところ(地味に安定させるのが難しい)、中間部の重音トリル(ピアニスト泣かせ)と幅広い跳躍、終盤の怒濤の追い込み(メフィストフェレスがファウスト堕落に成功してめっちゃ喜んでノリノリで弾いている様子なんだろう)が主なところである。
有名曲なので演奏はたくさんある。今ならブニアティシヴィリ(SONY)が良いと思う。ソナタも悲しみのゴンドラも入っているのでお買い得。自由奔放にやっちゃってるが、そのくらいの方がこの曲に合っている。映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=n1tM9YSLYdc)。なお、評判の良いエコノム(Suoni e Colori)とルガンスキーのデビュー盤(Victor)は廃盤で聴いたことがない。早く再版しろ(激怒)
いかがだったろうか。リストのいずれも強烈な個性を持つ曲、もし良かったら楽しんでほしい。YouTubeに乗っている曲だけでも良い。音楽の楽しみが増えれば幸いだ。
(※その後超絶技巧七選も作ってみました。超絶技巧すぎてかえって推薦音源が少なくなったかも→anond:20241213224533)
追記:
前期のブコメに「愛の夢が落選した」というのがあった。申し訳ない。3つの演奏会用練習曲をその手の曲の代表例として入れたので。あと「コンソレーション」も同様に落選させた。同じような性格の曲集なのでどれを突っ込むか迷ったのだが、結局「ため息」のある3つの演奏会用練習曲にした。文字通りため息が出るような優美な「ため息」以上に愛の夢は優美で、明るく感動的な曲なのだが、実は元となっている歌曲の歌詞を見ると結構説教くさくて引くというのはここだけの話。
「エステ荘の糸杉に」が好きというブコメを頂戴した。リストのエレジーはどれも本当にもの悲しく、個人的にはちょっと辛い感もあるのだが、気持ちは大変よく分かる。