
はてなキーワード:教員採用とは
ピングポングが好きだ。
逃げ若目当てで今年から定期購読をはじめた週刊少年ジャンプだが、2025年7月、初めて応援してえ…!!と思う新連載が始まった。それがピングポングだ。
実を言うと卓球に興味がなかったので1、2話はスルーしていたのだが、3話目が掲載された回あたりでタイトルの禍々しさに、これただの卓球漫画じゃねぇな…と気づき購読を始めた次第である(判断が遅い)。3話目にして3話とは思えぬ満足感、おもしろさ、あり得なさ全てを兼ね備えていた…。
もともとギャンブル系の漫画が好きで、嘘喰いやアカギなど好んで読んでいたのだが、週刊少年ジャンプでギャンブル漫画というのは私にとって非常に新鮮であった。しっかりジャンプナイズされた爽やかなデスマッチ描写というものに感嘆した。
一番好きなのは番頭さんとのバトルだ。超高圧シャワーで女風呂に吹っ飛ぶところ、大好き。そんなワケねぇだろ。このぶっ飛んだあり得なさこそピングポングの面白さの根源だと思う。ちなみに私は番頭さん男の娘説を唱えています。
荒唐無稽な卓球漫画であるピングポングだが、平はとにかく適応力が高く、読んでいてストレスがない。(2話目で100万の札束に慣れることはないだろう…とか言ってたのに7話目にして300万しかない…になってるの好き)そして絶望的状況でも決して輝きを失わない強さがある。性格も素直で応援できるし好感をもてる主人公だ。
あと御門平の泣き顔はいい。本当にいい。泣きながらも覚悟決めて戦う姿が好きです。妹の桃ちゃんも鋭さがあって好きです。
ピングポング、絶対単行本も買うんだけどひとつだけ…一つだけ好きじゃないところがあって……
辻大喜戦。
辻大喜…ちょっと……
・スマッシュのフリして生徒を殴ろうとする
その他行動も全く好感がもてなかった…。敵としても。あのね、まず生徒を守るのが教師の仕事なんですよ。ほんま何やってんの?100歩譲って教育災害みたいなやつもいるからギャンブルに手を出すのはいいんですけど(よくない)教育災害にはまだ教員としての誇りがあった。辻は教師になったのが名声のため、というのが本当に、本当に…。。。
私は今年の教員採用試験に面接で落ちたんですけど(鬱)こいつが教採受かってると思うとほんとに許せねえよ(私怨)
フィクションと現実は別、とはいえどもまず人間としてあまり好感持てる造形ではなかったな…と思います。(むしろ意図的に好感持てない造形にしているとは思う、立会人的なものの説明のために)それが教師なのが私的にハマらなかったというだけです。せめて往生際がわるくなければ…。
辻戦、読み返したら話としては悪くなかったな…と思う。平和な学校生活にピングポングが入り込んでくるのもDCSも卓球台破壊も好きだ。でも、1巻買った時にこいつがメインバトル(4/10話ぶん)なのやだな…と思う自分がいる。
何はともあれ最終回も近そうな気がする(泣)ので御門平と桃ちゃんが幸せに暮らすエンドが見られたらいいな。むしろ早く借金が解決する方が平的には万々歳かもしれない。
はじめてジャンプの新連載をちゃんと追っていて、掲載順や漫画の展開を見て、好きな漫画が10数話にして終わりそうなのってこんなに辛いんだ…と思った。最後まで応援したいと思います。
公立学校の設備の古さ、教員による性犯罪、刑罰の軽さ、再犯防止施策の遅さ――これらを並べて見ると、日本という国は子どもを「大人なら耐えられない環境」に放置して平然としているんだな、と思う。
まず物理的環境の話だ。トイレが汚くて和式だらけ、夏はエアコンが入らず教室は蒸し風呂、老朽化した体育館や給食室。これらは単なる不便どころか、子どもの健康や学習環境に直結する問題だ。安全で清潔な学びの場を用意することは、教育投資の基本中の基本であるはずなのに、予算配分や更新計画が後回しになっている学校が多い。
次に教員の性犯罪とその処遇の問題だ。教育現場で起きる性犯罪は、被害者が子どもであるという点で影響が甚大だ。被害の長期的な精神的被害、学校への信頼喪失、家庭の不安――その代償は測り知れない。しかし、発覚しても処罰や処遇が緩く、再発防止策が後手に回るケースが多い。被害の事実を隠そうとする組織的な対応も指摘されてきた。子どもを守る立場にある者が加害者になることの恐ろしさと、それを許してしまう制度的欠陥を直視すべきだ。
刑罰の軽さと再犯防止の遅さが追い打ちをかける。性的犯罪に対する量刑や運用が被害の重さを反映していなければ、加害者の責任は軽く扱われる。しかも立件や起訴のハードル、被害者が声を上げにくい現実、支援制度の不足が重なれば、抑止力は機能しない。再犯防止のための治療プログラム、登録制度、監視と支援の仕組みが不十分なままでは「また同じことが起きる」構図は変わらない。
こうした学校現場の劣悪な環境と制度的怠慢は、少子化の社会的背景とも無関係ではない。自分が子ども時代に嫌な思いをした人間は、自分の子どもに同じことを経験させたくないと考えるのが自然だ。教育施設の安全性や教員の信頼性が不安定な社会で、子どもを産み育てる決断をする人が増えるはずがない。つまり、学校の現場と国の子育て支援政策の摩耗は、少子化を加速させる構造的要因になっていると思う。
対策は単純だが緊急性が高い。施設の全面的な更新・衛生改善・エアコン設置などのインフラ投資を急ぐこと。教員採用と研修で児童保護の知識と倫理教育を徹底し、採用時の身辺調査や定期的な監査を強化すること。性犯罪が発覚した場合の透明な処分基準と被害者支援体制の確立、再犯防止のための医療的・心理的プログラムの導入。さらに、被害報告が無視されないよう第三者機関による監視と通報ルートを整備すること。これらは全部、子どもの安全と将来の社会を守るための投資であり、先送りにする理由はない。
結局のところ、子どもを「大人なら耐えられないけど子どもだから大丈夫」と放置する社会は自滅的だ。教育の現場に最低限の安全・清潔・信頼を取り戻せば、親たちの不安は和らぎ、子どもを産み育てる社会的条件は改善される。少子化対策も福祉も経済支援も大事だが、まず学校から手を付けるべきだと思う。社会が子どもをまともに扱わない限り、未来は明るくならない。
https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/information/press/2025/05/2025053004
まだ実施前なので小学校でも2.2倍あるが、実際はここから取り下げや当日欠席、合格後に他の自治体や民間企業に就職するための辞退者が出る。
なので実際は1.5倍もいけば御の字だろう(多分1.2倍とかになると思うが)
この応募倍率からの最終合格者の数字がメディアに取り上げられ、1週間はその低倍率に大騒ぎするのだが、それも事態の深刻さを全く表していない。
現場の教員が何らかの理由で休職すると採用試験に落ちた人間や定年退職した人間、その他免許を持ってる人間に片っ端から電話をかけて臨時的任用や講師を探すことになるのだが、そういったルートで教壇に立つ人間まで含めるととうに教員採用試験は全入になっている
というか、代わりが見つからないので授業の展開を閉じたり、残った人間で変わるがわる授業を行うということも、ほぼどの学校でも起きている
教員は不祥事を起こすが、それは業種に関係なく誰かしらが絶えずどこかで不祥事を起こしている。それを過剰にメディアで叩きすぎたため、教師という職業はそれだけで見下して構わない存在になってしまった。
良い教育には良い人材が必要で、良い人材を雇うには採用試験の倍率を上げねばならない。採用試験の倍率を上げるには給料や労働環境などをよくしなければいけない。しかし、教師という職業自体が見下していいものになってしまったため、教師以下の給料で働くことがプライド的に許せない国民達ばかりになってしまった。
とりわけ都庁などの人間などは、格下の教師以下の給料で働くなら死んだ方がましだと思うだろう。
結果、待遇がよくならないので採用試験の倍率がどんどん下がり、ますます学力も人格面でも粗悪な人材ばかりが採用され、粗悪な人材が不祥事を起こす。というスパイラルに陥っている。
金を払えば私立でいい教育が買えると思ってるかもしれないが、私立教師も公立教師も同じ畑から採れる。狭き門のごく少数の待遇の良い私立に受かるためだけに教職一本でいく人間は少ないので、落ちて公立に行くリスクを考えたら、教職自体目指さないのが賢い生き方なのだから。(そもそも実際は私立の労働環境のほうがひどい場合が多い)
誰でも学校に嫌な思い出もあろうし、いやな教師に教わった経験もあろう。しかし、個人的な憂さ晴らしで教師を叩くことで損をするのは結果的に子供たちであり、子供たちが未来の日本をつくるのだ。
文科省は「教員のなり手が足りないから、数合わせに氷河期のジジババを使ってみるか」と言ってるんだよ。
「外人を使う」「教員免許のレベルを下げる」「報酬を大きく増やす」といった選択肢よりハードルが低いから「氷河世代の未経験共に採用チャンス到来なのね!失った人生を取り戻せるのねん!」とやってるだけ。
でも氷河期世代はいつも世界が自分中心だから「俺たちへの救済措置が、クソみたいな待遇の教員採用募集だと!許せん!」と目をつり上げてる。
アホだなー。
ほんまアホ。
ゆとりやZと比べて人格形成レベルが低いことをまたまた証明いただけましたなあとしか言えんよ。
だから団結もせず椅子取りゲームで仲間同士蹴落としあって皆で不幸になった。
そして、そこから成長もしない。
俺も実は氷河期なんだが、こんな連中と一緒にされるのが本当に辛い。
せっかく来たチャンスにもブツクサ言って結局動かない
終わったことをいつまでも逆恨みして一向に建設的な思考ができない
こんな後ろ向きな連中救う必要ある?
[B!教育] 求む、バブル崩壊で教員を断念した40~50歳代…文科省が「就職氷河期世代」の積極採用通知へ(読売新聞オンライン) -Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/5e1343509137579802d805d2eaded0b793cffd80
[B!世代]文科省の「就職氷河期世代」教員採用がダメなのは「今さら何言ってんだ感」に加えて「支援になっていない」から。 -Everythingyou've ever Dreamed
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/delete-all.hatenablog.com/entry/2025/06/26/233000
兄の俊(しゅん)と妹のひかりは、物心ついた頃から常に寄り添って生きてきた。どこへ行くのも一緒、何をするのも一緒。そんな二人の姿を、両親は微笑ましく見守っていた。だが、ふたりが小学高学年になった頃、父が突然病に倒れ、わずか半年後に母までもがあとを追うように逝ってしまった。それから二人は、自然と「離れられない存在」になった。
両親を失った悲しみは大きかったが、幼いながらに俊は「ひかりを守らなくては」という強い責任感を抱くようになった。祖父母の家に引き取られることも検討されたが、当時すでに高齢であった祖母は、自分の介護を祖父に頼るような状況だった。親類たちが話し合った末、兄妹はそれぞれ違う親戚の家に預けられることになる――そんな話が出かかったとき、俊は拒否したのだ。
「ひかりと離れたくない」と何度も口にした。その言葉を聞いていたのは、親戚会議にかり出されていた母の妹、すなわちふたりにとっての叔母だった。叔母はまだ若く未婚だったが、かつて姉から「何かあったら子どもたちを頼むね」と言われていたこともあり、思い切って二人を引き取る決意をしてくれた。そして兄妹は、叔母と同居しながら暮らすことになった。
叔母の家はそれほど広くはなかったものの、兄妹にとっては心安らぐ唯一の場所だった。叔母は仕事を掛け持ちして大変そうではあったが、二人に温かい食事と布団のある生活を与えてくれた。それでも幼いふたりにとっての心の支えは、お互いの存在に尽きる。俊は「ひかりが心細くないように」と言い、勉強も生活も精一杯頑張った。ひかりは「俊兄(しゅんにい)が頑張るなら私も」と言って、家事を手伝ったり、叔母の負担を減らそうとした。
そんな生活のなかで、兄妹は互いを「大事な家族」としてさらに意識するようになった。もちろん血の繋がった兄妹である以上、それは当然かもしれない。だが、親を失ったという喪失感と同時に、兄妹の存在は「これからの人生を一緒に歩むパートナー」のような意味合いを帯びていた。俊は「どんなことがあっても、俺がひかりを守る」と胸に誓い、ひかりは「何があっても俊兄の味方」であり続けると決めていた。
高校に進学し、思春期を迎えたふたりは、それぞれに新しい友人関係や将来の夢を見つけはじめた。俊は社会科教師を目指し、ひかりはデザイン関係の仕事を志すようになる。学校行事や部活、アルバイトなどに忙しくなってくると、自然と二人で過ごす時間は減った。それでも家に帰れば、叔母とともに夕飯を囲む時間があり、「今日学校でこんなことがあった」「来週は文化祭で準備が大変」などと気軽に報告し合う。お互いに別々の道を歩むようでも、その根底には「兄妹は同じ屋根の下で生きている」という安心感があった。
ところが、俊が大学受験を迎えるころ、叔母が体調を崩して入院してしまった。無理を重ねていたのか、検査入院から長期入院に切り替わり、兄妹だけで生活を回さなければならなくなる。一人暮らしならまだしも、当時高校2年のひかりと浪人が決まってしまった俊に、家計を支える術は限られていた。バイトを増やしたい俊と、学業との両立に不安を抱えるひかり。そんなとき、親戚からは「一時的に親戚の家に預ける」という案がまたしても浮上した。
しかし俊は強くそれを拒否した。「自分たちでなんとか生活していくから、ひかりを勝手に離れ離れにしないでほしい」と。幸い、叔母が借りていたアパートの家賃は比較的安く、親戚からの援助とわずかながらの遺産で賄うことができるという見通しもあった。兄妹は何度も相談し合い、親戚たちを説得し、最終的には「ひとまず様子を見よう」という結論にこぎつけた。
そんな生活のなかで、兄妹は改めて「ずっと一緒に暮らしていこう」と誓い合う。血の繋がりがあるから離れたくない、という単純な話ではない。俊は「自分が大人になって、いずれ結婚して家族を持つことになったとしても、ひかりのことは最後まで見守りたい」と考えるし、ひかりも「自分が何をするようになっても、俊兄のことを支えたい」と思っていた。「夫婦になるわけでもないのに、一生一緒にいるなんて…」と世間からは不思議がられるかもしれない。でもそれがふたりの揺るぎない思いだった。
俊が大学に入り、ひかりが高校を卒業して社会に出る頃、叔母はようやく退院し、以前ほどではないが仕事に復帰できるまでに回復した。叔母は「これ以上はあなたたちに甘えてばかりいられない」と言い、少しずつ家事を手伝ってくれるようになる。そんな日常の中で、俊は大学で教職課程を取りながら塾講師のアルバイトをし、ひかりは専門学校で学んだデザインを生かして小さな会社に就職した。それぞれが忙しいながらも、帰る場所は同じ。アパートの一室に三人、それは決して余裕のある暮らしではなかったが、食卓に並ぶ料理と、暖かい団欒があった。
俊が成人を迎えた頃、ひかりも働き方を変え、在宅でのデザイン仕事ができるようになった。家にいる時間が増えたひかりは、叔母の身の回りの世話をしつつ、兄の帰りを待つ。そんな生活を続ける中で、二人は改めて「将来」に対して具体的な話をする機会が増えた。たとえば、もし叔母がいなくなってしまったら、自分たちはどんな家に住もうか。結婚したいと思うような相手ができたらどうするか。あるいは二人でお金を出し合って、もっと広い家を借りるか。口に出して話してみると、いろんな可能性と、それに伴う不安が見えてくる。
「でも、最終的にはやっぱり兄妹で暮らしていこう」と、ふたりとも同じ答えにたどり着くのだった。世間には「自立」の形がたくさんあるし、親元を離れ、パートナーを見つけて世帯を持つのがいわゆる一般的な生き方だとされている。でも兄妹にとっては、「二人で乗り越えてきた時間」こそが何よりも大切だった。あのとき、父も母もいなくなったのに二人で支え合った。その記憶があるからこそ、離れることの怖さをひしひしと感じてしまう。
俊は叔母の病室で過ごした幼い日の光景をよく思い出す。「困ったときはいつだってひかりと一緒だった」と。ひかりはそんな兄を見て、幼いころの俊を思い出す。「小さな体なのに、いつも盾になってくれた」。お互いに頼り合いながら、それでも相手のためならどこまででもがんばれる。それは兄妹という血の繋がりを超えた、まるで共依存とも言える深い結びつき。だが、二人にはそれが自然で、幸せだと感じられるのだから仕方ない。
兄妹のあいだには時折、遠慮がないからこそぶつかり合う喧嘩も生まれる。俊は几帳面でまじめだが、気が乗らないときは部屋を散らかすタイプでもある。一方のひかりはいつも明るく優しいが、締め切りが近づくとピリピリしがちで、料理や洗濯を後回しにしてしまう日も多い。そんなとき、俊はイライラを隠さず口調がきつくなるし、ひかりも負けじと口ごたえする。怒鳴り合いになり、時には涙がこぼれることもある。
「なんでこんなに疲れてるのに、あんたを気遣わなきゃいけないの!」 「俺だって好きでこんな生活してるわけじゃない!」
冷たい言葉が飛び交った後、ふたりは罪悪感に苛まれる。大事な存在にこそ、甘えやわがままをぶつけてしまう。それでも少し冷静になれば「お互い様だよね」と思える。家を飛び出してひとりになっても、結局は「兄妹が一緒にいる安心感」に惹かれて戻ってくる。それが二人にとっての日常だった。
そんな積み重ねの末、ある日の晩。アパートの小さなテーブルに向かい合って座り、お茶を飲みながら、改まって言葉を交わした。
「やっぱり、これから先もずっと一緒に暮らして行きたいよね」 「うん。私もそう思う」
少し先の将来を想像すると、不安も多い。収入の問題、進路の問題、万が一の病気や怪我。特に、家庭を持つ可能性がゼロとは言えない俊にとっては、パートナーになる女性が兄妹の特殊な関係をどう受け止めてくれるかもわからない。ただ、ふたりは「それならそれで、そのときに話し合おう」と割り切っていた。あらゆる困難は、一つひとつクリアしていけばいい。俊にもし大事な人ができたなら、それを受け入れたうえでひかりの居場所を守りたいし、ひかりに恋人ができて結婚したいと思うなら、それはそれで幸せを応援したい。けれど、どんな形であれ「兄妹」という存在はずっと続くのだから、それを否定する必要はない。むしろ心の支えとして大切にしていきたい、そう二人とも考えていた。
やがて大学を卒業した俊は教員採用試験に合格し、地元の公立中学校で働くことになる。社会人として一歩踏み出した俊は、多忙な日々に追われながらも、自分が中学生だったころのつらさや迷いを忘れずに生徒に向き合うようにしている。ひかりはフリーランスでのデザイン業に本腰を入れ、少しずつではあるが収入も安定してきた。アパートは狭いままだが、それでも二人にとっては十分に温かく、心地よい場所だ。叔母は退院後も通院やリハビリを続けていたが、今は別の場所に小さな部屋を借り、時々アパートに顔を出しに来る程度の距離感になった。
ある休日、兄妹はリビングで向かい合って座り、ふと笑みをこぼす。朝食を終えて食器を洗い、掃除をしたあと、コーヒーを飲みながらテレビを見る。気兼ねのない何気ない時間。「いつか、もっと広いところに引っ越して、二人の好きなものをたくさん置ける部屋にしたいね」「そうだね。自分で稼いだお金で、ちゃんと家具を買ったりしてね」。そう語り合いながら、「でも、今のところも結構気に入ってるんだよね」などと笑い合う。そこにはもう、かつてのような悲壮感はない。ただ、兄妹として互いを労わり、必要としているだけだ。
「ねえ、俊兄。いずれ結婚ってことになったら、どうなるの?」 「わからないなあ。…でも、ひかりとの暮らしを捨てる気はないよ。そこは絶対、譲れない」
きっと将来は予測不可能な出来事が起こるだろう。仕事がうまくいかないかもしれないし、思わぬ病気にかかるかもしれない。恋愛や結婚の縁があるのかもまだわからない。けれど、最終的にたどり着く答えは同じだ。「兄妹で一生暮らしていこう」と。周囲からどんな目で見られても、兄妹にとってはそれが一番自然で、一番落ち着く選択肢なのだ。
もしかすると、両親を失った幼いころの寂しさを埋めるために、こうして固く結びついてしまったのかもしれない。あるいは、自分たちなりに「家族の形」を再構築しようとする必死の想いが、長い年月を経てこういう形になったのかもしれない。でも、いま兄妹が互いに支え合って笑顔でいられるのなら、その理由なんてどうでもいいのだろう。
お互いがそれぞれに人生を歩み、その先にある未来で何があっても、手を取り合えばなんとかなる。ふたりはそう信じて、これからも生きていくのだ。一緒に暮らすことが、何よりの支えであり、かけがえのない幸せの形だと知っているから。
教員不足だから調整手当をどうにか増やそうとする文科省に対して、時間外労働を減らせば考えなくもないと言う財務省。
ただ財務省は雇用費を減らしたいとも考えてるから、彼らの言ったことを鵜呑みにしたら最終的には教員の給料はむしろ減るだろうというのは予想に付く。
とはいえ、時間外労働を減らすように何か業務を削れという至極真っ当な言葉に対して、文科省はキョウインノシツガーキョウインノミリョクガーとしか言わないあたり、教員不足の原因から目を背けてるとしか思えない。
今どきブラックで残業代出ないし事務仕事が大半だけど子供達の成長を共に歩めますよ、なんて言われても人は集まらない。
これから就活する人や転職を考えてる人たちが見てるのは、仕事内容と給与のバランスとキャリアアップに繋がるかどうかであって、仕事の魅力は二の次。
もといそういう部分に仕事の魅力を見出す人が多い印象。
試験日時を他県とずらしたり早めることで人を集めようとしてるけど、受ける側からすると滑り止め程度の物でしかないし、複数受けてるから増えてるようでそうでもない。
しかも若い人が欲しいからって長年学校を支えてきたフルタイムの非正規は半ば無視。
10年ほど前から一次試験はパスみたいなことも各県でやってるけど、新採で入ってくる大半が20代~30代前半。
んでそういう若いのが教員の世界に入ってくるんだけど、理想と現実のギャップというか……。
あまりにやること多すぎて潰れて、その穴埋めで人手不足という負のスパイラルを生み出してる。
しかし男性に比べると時間制限がある人が多くて、その穴埋めを男性が残業までしてやってる現状。
時間的にコスパは良くても総合的に働ける時間は男性よりはるかに短い。
今の現場では単純に数と時間が欲しいこともあって、時間制限のある人材は現場にとって爆弾でしかないし、いざ爆発すると過労死レベルの残業を要されることもあった。
でも肝心の文科省はキョウインノシツガ―ミリョクガーしか言わないし、教員不足の原因たらしめてる現場のブラック状況から目を背けて改善の具体案のグの字も出てこない。
エリート会社員だった佐伯啓介(椎名桔平)が子会社営業会社に飛ばされ、その子会社が潰れて親会社に戻ると追い出し部屋で一日中放置される。
受講者同士を罵倒させる怪しい外部研修を強制される。最終的に壊れて退社。
同窓会後に20代の男女4人で意気投合し母校に屋上に。ここから恋愛に発展するパターンかと思いきや、同級生男は世の中に絶望していきなり目の前で自〇する。
最終回は、主人公の山崎終(堂本剛)がブラックっぽい飛び込み営業会社で頑張るぞで終わる。
七倉園子(酒井美紀)は早稲田大学卒業後、小さな出版社でアルバイト。その後、臨時講師。最終的には教員採用試験合格。
今考えるとかなり酷い内容。「彼女たちの時代」とか今の若い世代からすると戦争映画みたいな遠くの出来事に見えるんじゃないだろうか。
(追記)
みなさま、ブックマークコメントや返信頂きありがとうございます。
Permalink |記事への反応(14) | 07:10
エリート会社員だった佐伯啓介(椎名桔平)が子会社営業会社に飛ばされ、その子会社が潰れて親会社に戻ると追い出し部屋で一日中放置される。
同窓会後に男女4人で意気投合し母校に屋上に。ここから恋愛に発展するパターンかと思いきや、一話最後に同級生男が絶望していきなり自〇する。
最終回は、主人公の山崎終(堂本剛)は最後にブラックっぽい飛び込み営業会社で頑張るぞで終わる。
七倉園子(酒井美紀)は早稲田大学卒業後、小さな出版社でアルバイト。その後、臨時講師。最終的には教員採用試験合格。
今考えるとかなり酷い。「彼女たちの時代」とか今の若い世代からすると戦争映画みたいな遠くの出来事に見えるんじゃないだろうか。
これで何度目か。
二十歳の時に親がリストラされ、学費を払えないと言われ私立の大学を辞め、バイトで金を貯め+4で別の公立大学に再入学した。
教員免許を取って27歳から非正規で教員を始め、1年経つ頃に過重労働とパワハラでうつ病になり1年引きこもる。
その後寛解し非正規で様々な仕事するが結局教員に戻り10年くらい非正規で勤める。
採用試験は毎年受けて、模擬授業は得点開示でも高得点で休憩時間に他の受験者に質問攻めにされる事も有った。
実際に授業は生徒にも同僚にも評価されている実感が有る。
面接も論文も対策を重ねて目立った失点は無いハズだが、比重の大きい面接で毎度有り得ないくらいの低評価。
経験者は筆記試験が免除されるが、敢えて受けた年は8割以上の得点率だった(合格ラインは5割程度)
とにかく、受からない。
仲の良い管理職から「君の経歴だと余程じゃないと受からない」と聞いた事も有る。
酷い模擬授業をした新卒者が合格して、自治体の研究会で再会する事も多々。
自分と同じように前線で活躍する30代、40代で教員採用試験に落ち続ける人を数多く見てきた。
そうした人たちが教員を辞めたり気力を失って堕して行く姿も数多く見てきた。
自分はそうならないとどこかで思っていたが、もう自信が無い。
40代の非正規の教科主任が新卒者や再任用の爺さん婆さんのサポートをしている姿を見て、有り得ねーと思っていたが自分も近い内にそうなりそうだ。
これだけで日本の教育は大分マシになると多くの人に知って欲しい。
Permalink |記事への反応(13) | 22:06
10年近く東京都の教員採用試験に落ち続けてきた姪が、去年合格した。
教員のなり手不足が加速していて、今まで採用試験に落ちていたような人材でも、どんどん合格するようになっている。
こういう話をすると、東京都の公立の教員の質が下がっているように考える人が多いが、本当にヤバいのは、私立学校の教員である。
姪も、教育学部を卒業後、都内の私立高校で非正規教員をやっていた。
私立の専任(教員の世界では正社員をこう呼ぶ)でも、都の教員より、給与が低い学校のほうが多い。
東京都の私立は学費が年間100万円くらいするところが少なくないが、そういう学校でも、実は教員の給与は都立以下だったりする。
(ただし高い学費のおかげで、校舎などの施設はとてもピカピカ)
都立教員より給与が高い私立学校はごく一部の名門だけらしい。(一流大学の大学院を出た人が教員をやっているような学校)
つまり、現状として、東京都の採用試験に合格しない人が、私立学校の教員をやっているのである。
これだけ高い学費を払っているのだから、教員の質が公立より高いのだと保護者は思いがちだが、ぜんぜんそんなことはなく、教員産業とは情報を食うビジネスで、学費は教育の質を担保していない。
YouTuber住職のオンラインサロンでいくら課題を提出しても「仏教の勉強」にはならん(もちろん趣味として聞く分にはよかろうが)。そのくらいなら、いっそ、大学の仏教学科にでも入ってもらってきちんと仏教を学んでもらうのがいい。
大学の仏教学科で仏教を学ぶと何が手に入るか? オンラインサロンなんかでは得られない仏教の体系的な知識と、オンラインサロンでのお気持ち作文なんかではないきちんとしたレポートを執筆したり調査をしたりする技術と、そして、大卒資格が手に入る。簿記や会計士や医療事務と違ってすぐに就職に直結するわけではないが、高卒から見ればステップアップには違いない。
っていうか、教員免許も取れるんだな、仏教学科って。まあでも、宗教の免許なんて取っても使い道がないかもしれんけども……学芸員や司書も、取ってもあんま使えないし……ただ、坊さんのオンラインサロンよりは遥かにマシだろう(最近では教師のなり手が少ないから、たいていの自治体では教員採用試験で年齢による足切りは撤廃されてることを伝えておく)。
https://www.let.ryukoku.ac.jp/support/bs.html
https://www.otani.ac.jp/career_support/nab3mq0000001222.html
佛教大学なら通信教育課程もあるぞ。だいたい100万円積めば仏教の勉強ができて大卒資格も手に入るらしい。
https://tsushin.bukkyo-u.ac.jp/course/faculty/bukkyo/
https://tsushin.bukkyo-u.ac.jp/expenses/
坊さんのオンラインサロンなんて今すぐやめさせろ。いや趣味で坊主のYouTubeを聞いてる分にはいいし、好きなYouTuberのファンクラブに入るのもアリだが、それはなんも成長に寄与しないから、成長のために聞くというのはやめさせろ。要するにあんたの奥さんは就職をしたいという気持ちはあるが実際に働くのは怖いから二の足を踏んで勉強に逃避しているんだろう。それは無駄だ。だってオンラインサロンなんていくら聞いても勉強にならないんだから。
したがって、
みんなだったら、どうやって妻にこのことを伝える?アドバイスが欲しいんだ。
できれば、妻の気持ちも尊重しつつ、就職に向けた実践的な勉強もして欲しいと思ってる。
どうすればいいだろう?
という問いへの答えは、以下のような内容を伝えることだろう。
天田さんは「表現の現場ジェンダーバランス白書によると美大生は約75%が女性なのに、美術館の個展開催は約85%が男性」と指摘し、「女性は社会的弱者としての視点で現代社会を描いた素晴らしい作品を残せるはずなのに発表の機会が少なく、アーティストとしてのキャリア継続が難しい。今の状況を変えるのが私たちの仕事」と力を込める。
女性には、女性ならではの、社会的な弱者としての視点で作品を描き出す力がある。
弱さこそが力になる。
まず頭に入れてほしいのが、1500✖️8✖️21=252,000円という数字だ。
これが、「時給1500円未満しか払えない会社は潰れろ」のデッドライン。
https://www.jinji.go.jp/kankoku/r5/pdf/22_5kankoku_kyuuyo_bekki.pdf
(ちゃんと令和5年のバージョンだよ。ここから https://www.jinji.go.jp/kankoku/r5/r5_top.html 持ってきました)
この表の1級10号俸172,000円が高卒新規採用の初任給。1級25号俸196,200円が大卒新規採用の初任給だ。
うむ。完全にアウトだね。
全然足りていない。
まあ時給1000円のラインは超えているから「沖縄でバイトしてた方がマシ」ではないだろうね。
でも、1500円にラインを引いたらもう議論する価値さえない。カスだ。
https://www.kyoinsaiyopr.metro.tokyo.lg.jp/environment/environment.html
初任給はどれぐらい?
なんとビックリ大学卒(2級9号給)だと254,000円で最低ラインを超えるんだ!
でもこれにはからくりがある。
まあ7時半に職場に来て16時半に帰ればいいだけではあるよね。
テストの採点ぐらい自習中に終わらせればいいし、家庭訪問なんてしなけりゃいいだけだ!自助努力が足りないのが悪い!
短大卒の場合は234,100円からのスタートなのでデッドラインを下回っている。
議論の価値なし。短大しか出てないような奴に教員になる資格なし。
そんな奴を雇う連中に教育者の資格なし。あっ、これ俺が言ってることじゃなくて「はてなーが言ってる主張を元に現状の教職員供与について考えたらこういう結論になるよね」って話だから。
俺は別に実質時給1000円未満であっても子供に勉強教えてくれる人はありがたいと感じてるよー。
さて、どうする?
もう一度言う。ゴールポストを今更動かすのはナシだよ。
君たちの考えを教えて?
PS:
サラリーマンやフリーランスで社会にぶら下がってた方が脳みそ使わないで楽ちんな日本社会で経営者やってるの立派だと思います><
財務省での財政制度等審議会資料での、予算をめぐる文科省と財務省のバトルが話題になっています。
ブコメや増田の記事を見ていると、前提知識を勘違いしている方もおられるようなので、国の予算要求と財務省の役割、今回のバトルについて自分のわかる範囲で解説します。
なお、自分は教育関係者でも財務関係者でもなく、ただ国の予算編成過程が多少わかる、という程度です。
★教育新聞の記事(発端となった記事。お金を払っていないので「教員採用倍率『今後は改善する』と「奨学金返還免除『課題が多い』」までしか読んでいません)
文科省令和6年度予算 (ざっくり知りたければ「・・・ポイント等」の資料を読めばよい)
財務省制度審議会資料 (ここでは資料1と参考資料を対象)
今回のバトルで、国の予算の成立の背景知識や、財務省が文科省の予算をどこに気になっているのか、自分なりに解説をします。
また、上記別の増田の記事で解説されている内容は、以下の部分における2つ目に大きな誤解があり(文科省の予算案について、財務省が当初の案通りに認めてきたわけではない)、
それが全体の論旨をゆがめているので、訂正をしたいです。
■3行で
むしろ、教育新聞の記事の趣旨通り、このままだと文科省の要求した予算を大きく減額するよ、という意思表示とみたほうが自然です。
国の予算は、ざっくり言えば、
8月末:概算要求(各省庁が財務省に対して必要予算金額を伝える段階)
9月~11月:概算要求内容に対する各省庁担当部局への財務省ヒアリング、財務省での予算編成(予算金額の修正を含む)
12月:概算決定(財務省が事業の予算金額を確定させ、それぞれの金額を積算した政府予算案を策定)
上記の通り、制度上、国会の予算委員会で審議、承認されることで予算として成立します。財務省が決定しているわけではありません。
では、財務省は何をしているかというと、8月の各省庁から提出された概算要求内容を基に、各省庁の各予算事業の要求金額を精査し、必要に応じた減額(増額されることはあまりないです)を行ったうえで、政府予算案を決定しています。
また、国会予算委員会での審議においては、多くの場合そのまま政府予算案通り承認されます。
と書いていますが、文科省のHPの記載での「予算案」は、財務省と調整後の12月に決定された政府予算案を指しており、文科省が最初に8月に出した予算案を財務省が丸呑みしたわけではないです(丸呑みしたのは国会)。
上記9月~11月の財務省の予算編成過程では、バチバチに財務省から注文を付けられ、また、概算要求された予算は多くの場合削られます(=コストカット)。
むしろ、財務省審議会で財務省がこのタイミングで論点化してきたことは、文科省の教職員定数の増加や教員に対する奨学金の返還支援について財務省から待ったをかけた形と見たほうが適切だと思います。ただ、教育関係の予算を一律に削りたいとかではなく、文科省の令和6年度要求に反応した形ではないかと思います。
まず、文科省の令和6年度概算要求(特にp.6参照)において、教職員の給与の国の財源(教職員給与は1/2が国負担)である義務教育費国庫負担金について増額要求をしていること、特に以下の項目が、財務省としてはカチンときたのではないかと思います。
<令和6年度要求>
・教職員定数の改善+128億円(+5,910⼈) ・定年引上げに伴う特例定員+105億円(+4,857⼈) ・教職員定数の⾃然減等 ▲168億円(▲7,776⼈)
<令和5年度予算>
令和6年度予算は、定年引上げを行い教員を増やすにもかかわらず、昨年度以上に教職員定数を増やしています。
おそらく財務省としては、定年引上げに伴い教職員定数の増加量は小さくなる(例えば令和3年は定年引上げなしで+2000人)と見込んでいたところ、逆に増やしてきてぶち切れ、という流れかな、と勝手に推測しています(この辺りは令和5年度予算要求の際に文科省が財務省にどのように説明してきたかにもよりますが)。
また、、財務省が一般公務員と教員給与を比較して云々言っているのは、同じく文科省の令和6年度概算要求資料p.6の中で、
教師の給与体系の改善については、⾻太⽅針2023に基づき、具体的な制度設計を進めつつ、職務の負荷や職責を踏まえ、先⾏して以下の処遇改善を図る。
財務省としては、「骨太方針2023(これのことです。)に基づくとか言っているけど、『職務の負荷に応じたメリハリある給与体系の改善』とされてるのに、なに雑に一律に給与上げようとしてんだよ!」となったのかなあ、と思います。ただこれについては額も小さいので、どちらかというと「今後ちゃんとメリハリある給与体系をきちんと考えるんだよなぁ(威圧)」という脅しの意図のようにも思いました。
(この部分について個人的な意見として、財務省側も、反論として教員の給料と国家公務員(一般職)の給料を平均で比較して高いとしたのはあまりに雑すぎるのでは、と思いました。)
あと、教員に対する奨学金の返還支援については、「一度辞めたものを復活させるにはそれなりに理由がいる(もし理由がないなら、過去の決定は間違っていたことになる)けど、当時の理由が解消された、あるいはそれ以上の理由があるの?」という財務省として当たり前の指摘かな、という印象です。
全体的に、今回の文科省の予算要求は、教員に対する奨学金の返還免除でかなり話題になったため、大きく削る決定をする前の先手を打った、という形と思います。
個人としては、現代の教師の方は部活や時間外労働など山ほどあってしんどいし大変で、本当に頭が下がるな、という思いはあります。
一方で、そのために必要なのは学校の仕組みや組織の改善(部活の縮小やテストの採点・授業等の効率化など)であり、
今の枠組みを維持したまま、予算だけを増やしていくのは違うのでは、という思いが強いです。
(個人的には、今回の審議会資料の参考資料の、「在学者1人に対し、どの程度の公財政教育支出を行っているかで見ると、日本はOECD諸国平均と遜色ない水準。」というデータはとても驚いたし、今後公的な教育支出の増額を議論するならこのデータへの反論が必要になると思いました。)
逆に文科省に対しては、自治体レベルの教育は各自治体の教育委員会、現場の運営は各学校にゆだねられている中で、現場を少しでも改善しようと頑張っておられ、その中で今回の予算要求となったのだと推察しています。仮に今回の要求が大幅に減額になったとしても、教員予算や教員不足解消に関する議論に一石を投じたという意味で、意味があるものと思います。
一律に「財務省は教育を軽視している!」とか、逆に「文科省は何もわかっていない!」と勝手に悪魔化せず、冷静に論点を見極めて議論し、これからの教育の在り方を我々一人ひとりも考えていきたいですね。
Permalink |記事への反応(11) | 04:33
東工大は2024年から総合型選抜に女子枠を導入し、143人の定員を設ける予定。
東大は、2027年までに300人の女性教授・准教授を採用する予定らしい。
結論から言って、これらの施策は好ましいものであり、他の大学もならうべきである。
そもそも、人類の男女比はほぼ1:1であるのに、大学教員に占める女性の割合はこれより低い。
特に、日本の高等教育機関の女性教員の割合は3割未満であり、准教授は25%、教授は18%と、いずれも先進国で最も低い水準である。
これは、全人口の半分の人材をみすみす逃しているということであり、国家的な損失である。
東大のような日本を代表する教育機関が、積極的に女性を採用するのは、他の学校の模範となることであり、歓迎すべきである。
まず、女性枠の設置が逆差別であるとか、男女雇用機会均等法に反するとかいう意見があるが、これは明らかにおかしい。
女性枠を設置したところで、男性の雇用機会は失われていないからだ。
むしろ、女性枠がすべて埋まったとしても、東大教員に占める女性比率は25%にしかならない。
そもそも法人の採用には、外国人雇用や障害者雇用などがあるし、入試にも留学生試験や指定校推薦などがある。
これらは一部の人しか応募できないが、それを差別だという人はいない。
こう言うと、「女性には言語や障害などのハンデがないのだから、一般公募で受ければいい」などという人がいるが、この人は根本的な勘違いをしている。
外国人枠や障害者枠があるのは彼らのハンデを補うためではなく、組織の多様性を確保するためである。
(そもそも、もし言葉の壁や障害がハンデとなるならば、それは組織の問題であって、採用を受ける人の問題ではない)
組織の経営者が、男女比に偏りがあるのは問題だと判断したら、女性の採用枠を設けるのは、至って合理的な判断であり、何ら非難すべき点はない。
女性枠の設置は
「企業が一般公募をしたら、特定業種からの中途採用者しか応募してこないので、新卒採用を開始する」
とか
「新卒採用をしても東京の大学の文系学部からしか応募がないので、名古屋と大阪にも支店を作り、理系の人も積極的に採用する」
というのと何ら変わりはない。
「入試に女子枠を設置することで、男子が合格しにくくなる」というのも間違いだ。
たとえば、定員300人女子枠100人の入試があったとしよう。
仮に、上位300人がすべて女性であった場合、彼女らのうち100人は女子枠で合格する。
つまり、本来合格しないはずの男子100人が合格することになるので、男子は合格しやすくなっているのである。
女性枠を設置することで、「大学の偏差値が下がる」とか「水準未満の人材を採用することになる」という意見もあるが、全く無根拠であり論ずるに値しない。
氷河期世代を語る流れがあるからそれに乗ってみる。リーマンショック世代を忘れないでくれ。
筆者は女で、2007年大学入学の2011年卒業。国立の旧帝大の文系を卒業してる。彼氏も大学は違うが旧帝大の文系だった。
まず、筆者が1年だった時の4年生、つまり3学年上の2008年卒の先輩方や、2学年上の先輩方はすんなり就職決まってた印象である。高学歴だし、普通にやってれば決まるって感じ。
ところがリーマンショックが起きて、1学年上の2010年卒の人たちから雲行きが怪しくなってきた。学者肌ってタイプでもないのに院進して就活を遅らせる人や、最初から公務員目指してたのではなく民間が受からないから諦めて卒業してから公務員試験目指す人、全く専攻を活かせないパチンコ屋に就職する人が増えてきた。
筆者の年もひどかった。人手不足教員不足が叫ばれる現在では考えられないだろうが、余裕で受かると思ってた公立の教員採用試験落ちたり、優秀な人が決まらなかったり。あえて就職留年する友人も多かった。女性活躍(笑)の空気もまだまだなくて、女は採ってないんだな…と面接に行ってから思わされることも多かった。
真面目な人は病んでいた。そりゃ、真面目に一生懸命勉強してきたのに時代のせいでパイが少なければ病みもするだろう。筆者は真面目なタイプではなかったので、病まずに済んだ。やりたい仕事も将来の夢もなかったので、大した就職活動もせず、内定は無かった。SPI等は高得点だったが、やる気がないのを面接官に見破られていたんだと思う。
彼氏も高学歴好青年なのに就活で苦労し、中小企業とも言えないような小企業に入社を決めた。
筆者は、30ぐらいまでなら働きたくなったら公務員でもなれるだろうし、出生率からすると将来の人手不足は間違いないと踏んで(後出しではなく、本当に既にこの時そう考えていたのだ)、高学歴新卒カードをドブに捨て、長く付き合ってた彼氏との結婚に踏み切った。とりあえず住む場所が決まってからその後のことは考えればいいと思っていた。多くの家族友人知人に反対された。一世一代の大博打であった。
夫が就職した企業は昭和のワンマン企業であった。真正ブラックとまでは言えないが、ほんのりブラックだった。残業代は社長の気分でついたりつかなかったりした。
就職はいつでもできるが、子供は若いうちしか産めないと思ったので、先行きも不透明なままに子供を二人産んでみた。もちろん男性育休なんて取れず、孤独に子育てをした。
2014年、アベノミクスが始まった頃、夫が会社を辞めて大企業に転職した。3年しか経ってないのに、2011年卒業時とは社会の空気が変わっており、ポンポン面接に進んですぐに内定が取れた。狐につままれたような気分だった。
2017年、子育ての辛さに耐えきれず、子育てから逃げるために筆者は就職活動を始めた。両立ができなければ、いざとなれば、無理でした〜とケツまくって逃げれば良い。やってみなければ分からない。一人で家で子育てするより、保育園に預けて働く方が楽かもしれない。その可能性に賭けた。当時は待機児童が多く保育園も圧倒的に足りてなくて、認可外に入れつつ派遣社員として働き始めた。デスクワークだったので、仕事の方が楽だった。読みが当たった。
2018年、認可外で派遣社員なら月によっては保育園代>筆者のお賃金 になるのが馬鹿らしくなって未経験職の正社員に転職した。
今、筆者は仕事も幸せな家庭も子供も手に入れてるが、それはたまたまの結果でしか無い。一歩違えばどんな未来があっただろうか。
卒業と同時に結婚せず、真面目に就活して、キャリアを追求してたらどんな未来があっただろうか、とは思う。
それがいつまで経っても春が来ないから誰かが「氷河期」と言い出した。
大学生の内定取り消しのニュースが出た時は、まだ高3くらいだったと思う。私が就活する時じゃなくてよかったなと思った。お花畑だったから、これは一時的な不景気で、すぐにまた(バブル期の)好景気…当時は平成景気と言う人もいた、に戻ると思い込んでいた。
Z世代はこれ突っ込んでいいよ。
で、97年に山一の自主廃業のニュースがあって、その頃は公務員試験や教員採用試験の勉強をしている学生も多かった。
家に送られて来るマイナビの厚みが男子学生と女子学生で全然違ってた。当時京都に住んでて、住所がすごく長かったので、資料請求葉書を書くのが辛かった。
山一證券に内定が決まってた同級生がいた世代。なので、記憶がちょっと曖昧なところもあるかもしれないが許してほしい。
山一廃業のニュースが流れた日、内定をもらっていたその人は大学に姿を見せなかった。翌日青白い顔をして現れ就職相談課へ向かったが、状況はどうにもならないようだった。
10人に内定を出していた企業は、2月になって1人を除いて内定取り消しを知らせてきた。そんなことがあちこちで起こった。
内定を取り消された者への補償など、誰も何も言わなかった。だってそれは仕方がないことだから、不況だからね。山一が倒れるくらいだから他の企業も潰れてもおかしくないだろう? そういうリスクがあるのはわかってるんだから、なんで公務員試験を受けなかった? そんな空気だった。もっとも公務員試験も教員採用試験も受けたところで採用される確率はとても低く、強いコネでもないと決まらない時代でもあった。
当時の空気感は今と全く違うし、知らない世代には通じないものがあると思う。そんな話をしていきたい。
まず、当時はインターネットがそんなに普及してなかった。地方に行くほどその傾向は高く、他所で何が起きているかを把握するまでに少し時間がかかった。一番早くてテレビ、それから翌日届く朝刊。口コミの伝播も遅かった。東京で流行っているファッションやアイテムが地方に届くまでにも、半年くらいかかっていた。
就職のための情報収集もとにかくアナログで、ホームページのある企業はまだ少なかったし、あっても用を成さないものと見做されていた。だからリクルートがくれる分厚いカタログについてくるハガキで資料請求。
そんなことをしてると部屋中企業案内のカタログだらけ…になると思うだろ?企業はハガキにある大学名を見て送ってこなかったりもしたから、そんなに増えないのだ。そして応募しても当たり前のように落ちるし、酷いところは結果も知らされない。絶対電話で結果は連絡しますといっても、かけてこない企業の方が圧倒的に多かった。電話代もいちいちかけるには高いもんな。当然封書での不採用通知もほとんどくることはなかった。履歴書も戻ってくることはほとんどなかった。
パソコンよりワープロのほうが普及していたけど、増田のいたゼミは卒論を手書きで出してた割合の方が高かった。そして履歴書は当然手書き。当時はそんなソフトもない。(頑張れば履歴書も作れたかもしれないが、当時の手書き文化の前で認められることはなかっただろう)そんな手書きの履歴書を何十、何百枚と書いて各企業に郵送していた。当然、コピーなど許されなかった。ペンだこができるまでボールペンを握り続けた。ちなみにボールペンも昔はたいして種類がなくてソフトグリップなんてものはまだ多くなかった。だから履歴書も手を真っ黒にして書き続けるしかなく、その多くが徒労に終わった。
ちなみにあの頃ケータイは高すぎて、学生は皆ピッチ(PHS)かポケベルを持ってた。田舎住まいだと実家に帰ると電波が入らなくて、履歴書にも家電の番号を書いていた。
しかしながら増田の周りの女子大生、特に短大生の内定率は高かった。まだ腰掛けが当然の時代で、30歳前、早ければ25歳くらいで女性社員は結婚を理由にどんどん退社していく。つまり常に会社には若い女性が入れる隙間があった。そして企業がそんな若い女性に求めるのは、「将来的にいいお嫁さんとして最適な時代に辞めていくこと」でしかなく、学生側もそれを良しとしていた。総合職を目指す女子大生は求められていなかったのだ。そこは厳選された男子学生の席だった。
男女雇用均等法はまだ、あってないようなものだった。インターネットが普及していないかったから、今のように誰でも気軽に告発するようなこともできなかった。そういったことは共産党に相談するしかなく、それはとても高いハードルだった。
氷河期世代を理由に今も不遇をかこっているのがおじさんばかりなのもそこに理由がある。あの当時、女子大生、短大生はサクッと内定を獲得し、数年働き、そのほとんどが結婚を機に職場を去っている。そして家を建て、車を買い子供を産んだ。
もちろん、そうはいかなかった女もいる。これを書いている増田だ。中学生の頃から母がフルタイムで働いていて、自分でもそうするのが当たり前だと思っていた。だから分不相応にも就職活動ではキャリアを目指したいなどと言ってしまった。
結果、どこにも決まらなかった。そんなものはまだ必要とされていない時代だったのだ。
内定先を見つけられないまま卒業式を迎えた。求人誌で見つけた大手企業のアルバイトに応募したら案外あっさりと決まった。社員登用もありなんて書かれると人は弱い。そんなことは結局起きなかったが。
アルバイトながら4月1日に勤務開始。仕事は主に伝票計算。社保も厚生年金も入れず自分で払うと最低時給の給料は吹き飛んだ。そしてその職場には、同じく就職できなかった女子がいた。卒業した大学は増田よりはるかに上のランクだった。こんな人でも決まらなかったのか。彼女はやはり25歳になる前にお見合いをして職場を去った。
増田も30前にしてやっと手に職をつけることができた。アルバイト先を辞めて実家を出て、なんとか就職できた。
数年働いた後、昔のバイト先が消滅したとバイト仲間から知らせを受けた。紙と手でチェックしていた伝票計算の仕事が無事にすべてIT化され、施設自体が閉鎖、アルバイトも全員解雇されたのだ。
だが昔の仲間を労っている暇はなかった。キャリアも何もないアラサーの女は多少のことで辞めはしないだろうという激務につぐ激務で、体を壊した。
転職しようと就職支援の会社に行くと「年齢とキャリアがミスマッチですね」と言われ、紹介できる会社はないと遠回しに言われた。ずっとこの言葉はついて回るのかと思いながら、別の会社を経由して無事に転職した。このときにはもう、履歴書を手書きで出す必要はないと言われた。いつのまにか時代は変わっていた。ネットに落ちているExcelの履歴書をダウンロードして入力して、プリントアウトして提出した。あっさりしたものだった。
無事に転職した直後に、リーマンショックがきた。暮れのテレビでは派遣村のニュースをやっていて、自分もいつそこへ行ってもおかしくないと痛感した。当時付き合っていた人は不況の煽りを受けて職場が倒産し、その後変な山師みたいなおっさんについてベトナムに行くと言って連絡が取れなくなった。風の噂で今は日本にいると聞いたが、どうしているのかまでは知らない。
それから震災やら大コケするビッグプロジェクトやら家族との別れなど、色々なことに遭遇しながら、今も一人で生きている。会社は辞めたが、仕事はしている。久しぶりに自分で健康保険と国民年金を払ったら、思った以上に高くなっていた。この先もずっとこんな感じで生きていくと思う。職をつけてよかった。
増田には今、大学の同級生たちとのつながりがほとんどない。世の中にSNSが普及したころ、彼女たちは子育ての真っ最中でそれどころではなかったのだ。Facebookで卒大のグループを見てもそれらしいアカウントは見つからなかった。かろうじて繋がっている数少ない友人たちもLINEをやるくらいで、SNSで積極的に発信することはない。特に言うべきこともないからだ。
Permalink |記事への反応(16) | 10:47
ああ、所謂母校実習したのね。
自分もあんまり教員になるつもりはなかったが、"試験受けます!頑張ります!"って言って、実習を受けてた。まあ、万に一つ受かったら考えてもいいくらいだったな。
ちなみに、ちゃんと教員採用試験は受けに行ったが、上の方の判定で不合格だった記憶がある。
別にガチ勢じゃないので試験勉強は全くしてなかったけど、俺的には理想論を語らず現実に迎合した回答をしたために面接で落とされたと思ってる。
まず、実習生と言う時点で新人より下の雑魚扱いなのは予想がつく。
企業のインターンとかならこの学生さんが出身大学でインターンの時の経験を悪く言うと、その大学からの応募者が減るかもしれないと思うので、結構気を使う。
教員はなりたい人多数だし、別にその大学から人が来なくても少なくとも現場は全く困らないので、雑魚扱いは必然。
まあ、でも若い子はかわいいという扱いはしてもらえるかもしれない。
数週間だけ来る雑魚と、長年一緒にいる先生と、どちらの立場を守るかと言えば、明らかに後者だろ。
「〇〇先生の指導が悪かった」という話はたとえ事実でも、身内の恥なので見せてはいけない。
指導教諭はそういう論理が働いたし、そういう論理を微塵も理解していない実習生を小馬鹿にして身内の笑いもとった。
ただそれだけの話では?
その後は、身内の恥を書かれないか単に監視したかっただけでしょ。
>貴方に初めて添削された時のことがトラウマになってて他の先生の話書けなかったんですけど……
は言い方を変えて、指導教諭に話せるようになった方がよかったと思う。
対立するにしても、なんで元増田が納得がいっていないかを説明したうえで対立したほうがいいよね。
夢と希望のある20代の若者と言っちゃなんだがすでに教員としての人生は終わりかけの先生とだと、まあ、価値観が違いすぎるだろうけれど、この状態だと元増田が指導したらよくわからない反発をしたみたいにしか見えないので。
上記の記事については、「元校長や元教頭を大学にって、天下り先確保では?」とか「労働条件改善や給与アップが先だろ」という意見がTwitterで散見されるところだが、中身を見ると
25歳未満で離職した公立小中高校の教員は18年度、790人で、12年度の647人から増加している。
として、内訳のグラフがある。増田にグラフは書けないので表で表現し、ついでに2012年度を100としたときの値も書いてみる。
| 年度 | 小学校 | 中学校 | 高校 | 合計 |
|---|---|---|---|---|
| 2012 | 313(100.00) | 238(100.00) | 96(100.00) | 647(100.00) |
| 2015 | 359(114.70) | 239(100.42) | 97(101.04) | 695(107.42) |
| 2018 | 450(143.77) | 225(94.54) | 115(119.79) | 790(122.10) |
おおむね全体で22%増加しており、特に小学校で43%と急激に増加していることがわかる。
ところで、25歳未満の教員の数はどのように推移しているのだろうか。
調べると、学校教員統計調査というのがあり、3年ごとの調査なのでピッタリとは合わないが、近い年度の数字が得られるので見比べてみよう。
25歳未満の教員の人数
| 年度 | 小学校 | 中学校 | 高校 | 合計 |
|---|---|---|---|---|
| 2013 | 14,683(100.00) | 7,240(100.00) | 3,206(100.00) | 25,129(100.00) |
| 2016 | 17,486(119.09) | 7,397(102.17) | 3,553(110.82) | 28,436(113.16) |
| 2019 | 21,013(143.11) | 8,003(110.54) | 3,553(110.82) | 32,569(129.61) |
おおむね全体で29%増加しており、特に小学校で43%と急激に増加していることがわかる。
……って、じゃねーか!
ここ数年、教員採用試験の倍率の低下により、かつてのように何年も非正規の講師や助教諭を経験してから採用される教員の数が減り、新卒や1〜2年の講師経験で採用される人数が増えた結果、25歳未満の教師の数が増えたのだろう。その結果、退職者も増えた、というだけにしか見えない。
やはり、数字が出てきたら割合を見よ、割合が出てきたら数字を見よ
という格言は今回も正しかった。
Permalink |記事への反応(13) | 00:02
タイトルの通り
教員のブラックさ加減は色々なところで今話題になっているが、実態は実はさほどブラックじゃないなぁと自分は考えている
私は小学校教員なので、中学校のブラック部活などについては知らないため、あくまでも小学校では、という話でという前提は持ってて欲しい。
最初にさほどブラックじゃないよって言っておいてなんだけど、残業時間が多い教員というのも山ほどいるのも事実。ただ、その裏では毎日定時に帰っている人間もいるのも事実なのだ。ちなみに私もそう、子供産まれたってのもあるけど、公務員だから出世とかないし、定時に帰っても残業しても給料変わらないし、だったら定時に帰った方がいいってのは小学生だってわかる。
そんな私の経験から、残業が多い人間には3通りいると考えている。
1つ目はノートのコメントやら、丁寧なプリント作成など、とにかく手間をかけるのが好きな人。ベテランに結構多い。こういう人間は基本的に残業が何時間だろうと元気だし、好きでやってるだけと言って辞める気も全くない。こういう人達は残業代に対してなんとも思ってないし、それが当たり前だと思っている。
2つ目は単純に仕事が出来ないか、教員に向いてないのに必死にしがみついている人間だ。教員採用試験に落ちても担任になれるのが今の日本なので、はっきり言ってカスみたいな担任ってのは多くいる。しかもそういう人間には研修に参加する権利すら与えられないので、成長もできず、クラスも荒れてトラブルも増えて保護者にも「ハズレ」認定されて嫌われてと、まさに地獄絵図である。
ただ、このタイプは教員の仕事がと言うよりも本人の資質能力によるものが大きいため、仕方ないよね思ってしまう。無理しないでさっさとやめた方が心と体にいいと思う。
3つ目は、定時で帰れないほど仕事を任されている人だ。多分今1番救うべき人々はこの人達であり、給特法に対して声を上げているのもこの人達なんだと思っている。この人たちの特徴はなんと言っても「いい人」であること。
先程ちらっと言ったが、定時で帰っている人間は一定の割合で存在している。保育園のお迎えであったり、習い事やら飲み会などのプライベートなものであったり多岐にわたるが、とにかく早く帰る人は早く帰る。
そういう人が学年にいると、学年の仕事はその「いい人」が優しさでやってしまう。自分の仕事に追加して人の分までやるのだから、それだけで仕事は倍だ。
さらに辛いことに、管理職は早く帰る人には大変な仕事を回さない。家庭の事情だと断られることもあるし、人によっては仕事をバックれて帰るやつもいるので任せられないのだ。酷い時には組合に相談してパワハラ認定してくる教員もいる。よって管理職は人を選ぶ。普段から残業をする人間=頼めばやってくれる人間だと思われて重たい仕事を任されるのだ。この人たちが一番かわいそうだし、適正な給料を貰っていないのである。
長くなったが、教員というのはそもそもはそこまでブラックでは無い。残業代は出ないが、仕事の量を調節すれば勤務時間内でほぼ終わる場合の方が多い。ただ、その分「いい人」に負担がかかるので、ある程度自分勝手に生きていける人の方が上手くいく(保護者とのトラブルなども、そういう人は他人事なので大きくなりにくいし、抱え込まないので病みにくい)のは間違いない。
定時に帰る側になっている自分にとって、給特法廃止については正直どうでもいいが、何かしら手は打たないと教員の質は無限に落ちていくのは目に見えている。
なんとなく1年の終わりなので書いてみた。教員のくせに文章下手ですまん。特に推敲とかもしていないので、読みにくかったらごめんね。見出しの付け方とかもよくわかんないんだ。ただ、最近思ってたことを文章にできてスッキリした。