
はてなキーワード:故事成語とは
あらゆる意味で有名な牧場物語オリーブタウンを遊んでまいりますわ。失踪したら、そういうことだと思ってくださいまし。
早速オプションでボイスをオフにしましたわ。どうしてボイスをお付けになりますの!!!!!!結構ですわ!!!!!!!!牧場物語シリーズにおボイスは!!!!!!!!!
あときょうび「環境音」という項目が無いのに、一抹の不安をおぼえましたわ。そんなことありますの?
モードは「やさしいモード」でまいりますわ。モードの違いは各自お調べになって、どうぞ。
ローディングの鶏さんとヒヨコさんが大変可愛らしいですわね。けどちょっと長いですわね!あっ!この愛らしさをアピールするため?なんにせよ先行き不安ですわ!
プロローグムービーが流れて、オリーブタウンの開拓の歴史をごくあっさりと説明されましたわ。
ムービーだった割に内容が薄い気がいたしますけれど、きっと早くキャラメイクさせて差し上げたいというマーベラス様の温情ですわ。そう思うことにいたしましょう。ロード時間返して。
あっ!ここでボイスをお決めになりますのね。ボイスオフにしたからサンプルボイスが聞こえませんわ!
しかもここからタイトルに戻れませんのね!やり直しですわ!クソが!ムービー飛ばせねぇのかよ!
再起動しましたけれど、サンプルボイスが一種類だけで判別しづらいですわ~~~!!!まあ今回はおメンズですので、フレッシュボイスにしましょう。どうせオフにするからいいですわ。
あとデフォルトのお衣装がフードつきだから、襟足が見えませんわね!!!何なんですの???
バイクの色は白にしましたわ。理由は水曜どうでしょうのカブに似てるからですわ。後ろにダルマ乗せて走りますわよ~~~!!!
ガビガビの葉と、マットな質感の幹の木々の間をカブで駆け抜けて、オリーブタウンに到着。ところがどっこい、カブが故障してしまいましたわ。なんてこと~!!!
わたくし
はい、そうですわ
それにしても、ご苦労なことで。それでバイクがこんなことに……
あら???わたくし、海外のインディーゲームをやっている???文脈が、なんだかおかしくありませんこと?
あっ、いけませんわ。まだたった56文字ですのよ。判断が早すぎますわ。
見ず知らずの人に、見ず知らずのクレメンスさんに預けとくと言われましたけれど、いくらなんでも話がとんとん拍子すぎませんこと???このままカブ盗まれませんわよね?
ちなみに目の色がおピンクなので、桜梅桃李からとってトーリという名前のおメンズにしましたわ。牧場物語の名前は故事成語「桃李不言 下自成蹊」から取り「コミチ牧場」としましたわ。なんですの!?急に真面目くさって!
そうそう!コミチ牧場!興味があるか?それならワシが基本的なことだけ教えてあげよう。
~暗転~
これを渡しておこう。
要は「自分で開拓してね!よろしく!」ということのようですわ。しかも寝泊りはテントですの!?そんなところまであつまれどうぶつの森リスペクトですの!?お宅はマーベラスなんですのよ!?参照元間違ってらっしゃらない!?牧場物語遊んだことないんですの!?
とってつけたように「私が町長です」と自己紹介したヴィクトル様と別れて、テント暮らしですわ。
おじいさまの荒れた牧場を受け継ぐストーリーはヴィンテージ牧場物語お嬢様垂涎ですけれど、家も無いのはちょっとあまりですわね!ミネラルタウンや忘れ谷やシュガー村よりひどいですわね!これ訴えたら勝てますわ!
ようやく自由行動になりあれこれ触ってましたけれど、好きなタイミングでセーブできること(ヴィクトル様はねんねの時って仰ってた気がしますわ)、天気予報が数日先までわかること(ただセーブ&ロードで変えられませんわね)、住人の居場所?と誕生日があらかじめわかってるのはいいですわね。
今回ストレスで胃をやるまでwikiは見ないつもりですので、助かりますわ。
作物は勝手に生えてるのを出荷したら、種が店頭に並ぶんですのね。どういうことですの?
そして動物はそこらへんにいるのを手なずけて、手なずけると飼える動物が増えるんですのね。どういうことですの?
(動物慣れしてからということなら、牧場でアルバイトでもさせればよろしいのではなくて?)
まあいいですわ。とりあえず道具の使い方を覚えて…あら?
木が鬱蒼と生い茂っているのに、木の裏が見えませんわ~~~!まさか、コナミの特許のせいですの!?俯瞰視点で透過する特許はもう期限切れじゃありませんこと!?
わたくしダウンロード版ですから、これ最新版のはずですわよね!ここ直さないの、ありえなくないですかしら!?マジでテストプレイしたか?
まあ、ごめんあそばせ。作業は一旦さておき、町へ出かけてみますわ。
ここまではほぼあつ森とやってること同じですものね。ここで差をつけてくださいまし。ヴィクトル様との会話でちょっと一抹の不安を感じましたけれど。ヴィクトル様自身がアレなだけかもしれませんものね。
記念すべき第一村人は、発売直前わたくしの中で一番人気大本命◎だったブリジット様ですわ。
…あら?話しかけるたびに台詞が変わりますわね。もしかして台詞やシナリオの事を酷評された名残かしら?
多ければいいってものでもありませんわめ。時間、場所、イベント進行などのタイミングでバリエーションをつけて、挨拶、台詞、別れの台詞という構成でよろしくてよ。ちょっと半ばヤケクソで増やしてませんこと?もしかして作った方、牧場物語遊んだことないのかしら?
そしてそのお隣の雑貨屋に行って気づいたんですけれど、わたくしクワもジョウロも持ってませんわ?渡されたのはオノとカマとハンマー。どうなってますの?(再掲)
そして大工屋さんに行ったら説明で「自宅の増築をしてもらうこともできます」…いえあの、わたくしまだ自宅すらありませんわ!まさか自宅建てるのに、おマネー取りませんわよね?おじいさまのご自宅に住ませていただけますわよね?
そして道具屋さんに行って、ヴィクトル様のおっしゃっていたクレメンス様にお会いしましたけれど…あの、わたくしのスーパーカブについて何も無いんですの?自称バイクのすぺしゃりすとラーシュ様ともお会いしましたけれど…あの…わたくしのスーパーカブ…。
そしてヴィクトル様などに「床にモノを置いてると翌日消えるよ」と教えて頂けましたわ。こちとらテント暮らしでしてよ。何てことおっしゃるんですの。
挨拶回りしてて薄々気づいてはいたのですけれど、住人の皆様の表情筋がカチコチですわ。
何となくお立ち姿は、牧場物語の生みの親こと和田様が作られた、リトルドラゴンズカフェ(中日の球場メシが食える場所ではありませんわ)に近いものを感じますわ。あちらもキャラデザは同じ、まつやま先生でしたけれど。ドラゴンズカフェの方が質感があってよく動いてた気がしますわ。
それにしても牧場物語って、話すときに手をぷらんぷらんさせるの好きですの?動かすってそういうことじゃないと思うのですけれど。PSPの牧場物語を何となく思い出しましたわ。2009年から進歩無いんですの?
町の導線は、比較的わかりやすくて助かりますわ。まあ、狭いですしね。それにしてもマップがあるのに現在地が分からないのは、どうなんですの?
というか、もしかして町とちょっとした泉以外のエリアが無いわけでは…ないですわよね…?山とか、ありますわよね…?
日本で臥薪嘗胆の語を使うときは単に「目標のために凄く努力して勉強したり練習したりする」ようなニュアンスになってる
これ、GHQ時代の検閲と忖度で娯楽作品から仇討ちものが自粛排除され、
戦前の定番娯楽タイトルが使えなくなった影響は地味にあるよねと
検閲期間は10年に満たない期間だけど、その間に未来志向の児童向け娯楽が潤沢に供給されて価値観に影響与えたし
「巨人の星」は明らかに戦前からある仇討ちものの系譜だけど「スポ根」というジャンル名に変化したし
逆に言えば、ここしばらくの「復讐は肯定されるべき」 言説が繰り返されてるのは、戦後の否定と同時に、手塚治虫に代表される未来志向の終焉なのだろうなと
「語録で喋るのは恥ずかしい」が正解。
ちょうどいい表現が見当たらなくて故事成語を引用するぐらいならしゃーないが、使うスキがあれば語録を次々に使おうとするのは止めたほうがいい。
たとえば脳波の話題になるとすぐ「しかも脳波コントロール出来る!」と鳴き声を出すガンダムオタクがいるが、ああいうのはマジでキッショイので程々にしろ。
野球用語を乱用したがる野球おじさん、ネットミームに染まるのが面白と思ってるツイ廃、そういった連綿と続くキショ文化の一つとして淫夢語録があるだけ。
当然、淫夢語録はキショくてダサくて面白くないし話の腰を折ってくるから最悪のカスなので使うな。
【嘘故事成語】 「捨車徒行(しゅしゃとこう)」 の成り立ち
古代中国の山間の村々では、日常生活において牛や馬が重要な役割を果たしていた。村人たちは農耕や物資の運搬にこれらの動物を使っており、特に冬季には生存に欠かせない存在だった。ある時、都市部の役人が農村視察に訪れ、村人たちが牛馬を使っている様子を見てこう言い放った。
「牛馬に頼るのは怠惰な証拠だ。徒歩で働き、物資を背負うべきだ。」
「険しい山道を越えるには牛や馬が欠かせません。もし徒歩だけでこれを運べと言われたら、冬を越せず餓死してしまうでしょう。」
それでも役人は頑なに自説を曲げず、「我ら都では車や馬を持たずとも生活している。それを真似するべきだ」と断じた。このやり取りが後に「不可能ではないが不合理な命令」の象徴として語り継がれるようになった。
日本みたいな島国と違って、地続きなのに、「一緒には住めない」と思ったから別の国として独立してるわけで、「アイツらとは違う」という選民意識はどこの国でもあると思う。
でも、日本の場合、他国と自国の間に線を引く、他国民と自国民の間に線を引くにあたって、日本という国家や日本人という概念があまりないまま、よそ者、外人、くらいの雑なくくりで認識してる。島国で侵略を受けた回数が少ないことや、幕藩体制もその前の戦国も連邦国家だったためだと思う。
偉大な王が興した国も腐敗してグダグダになり遊牧民が滅ぼすというようなのももちろんだけど、いろんな事件や物事を、故事成語や宗教の言葉、古典文学の一節に絡めて総括したがる。
アメリカ人は、歴史に「なぜ?」を求めるけど、誰のどういう決断によってどう動いたかということに帰結させようとする傾向が強く、歴史は個人の決断が動かしたと考えてる。「そのときあなたならどういう決断をすべきか?」という歴史教育をする。
フランス人は社会全体のうねりに帰結させたがる。誰々から誰々の手紙みたいな、膨大な一次資料を歴史の授業の教材にする。フランス革命がアイデンティティなのだと思う。
日本は、歴史にifを求めないし、歴史を責めない。あちら側からしたらそれが正義で、こちら側からしたらこれも正義で、全ての出来事は仕方ない。みたいな考えに落ち着く。
イランの鼻につくところは、選民思想と歴史観が、悪魔合体してるところだと思う。それでいて、こんだけ欧米から干されてもうまいこと綱渡りしてるし、アカデミアは強いし、賢いっちゃ賢いんだろうけど、やっぱ特異的だ。
それより、日本じゃイラン人っていうと薬物関係の犯罪者が多い印象。北朝鮮やロシアといい、欧米に輸出入を禁じられると違法な物品の売買が強くなるだろうか。ならずもの国家だからなのか、欧米が締めつけるからならずもの国家になるのか、卵が先か鶏が先かだね。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%AD%E8%85%B8%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84
由来
晋の武将桓温が三峡を旅したとき、部下が捕まえた子猿の母親が百里余り追いかけた後死に、その腹の中を見たところ腸がずたずたにちぎれていたという故事による。
【白文】
桓公入蜀、至三峽中。部伍中有得猿子者。其母緣岸哀號、行百餘里不去。遂跳上船、至便即絶。破視其腹中、腸皆寸寸斷。公聞之怒、命黜其人。
【訓読文】
桓公蜀に入り、三峡の中に至る。部伍の中に猿子を得る者有り。其の母岸に縁りて哀號し、行くこと百餘里にして去らず。遂に跳りて船に上り、至ればすなはち絶ゆ。破りて其の腹の中を視れば、腸皆寸寸に斷えたり。公之を聞きて怒り、命じて其の人を黜けしむ。
【現代語訳】
桓公は蜀に入り、三峡にたどり着いた。部隊の中に猿の子供を捕まえた者がいた。その猿の母は岸づたいに子猿を追いかけながら泣き叫び、百里あまり進んでもまだ追いかけ続けていた。そのまま跳びあがって船に上がりこみ、子猿のもとにたどり着いたがすぐに死んでしまった。母猿の腹を破いて中を見たところ、腸がずたずたにちぎれていた。桓公はこのことを聞いて怒り、子猿をとらえた者を部隊から追い出した。
まあたぶん「授業で習ったけどそれ故事成語だとは思ってない」って人が大半だとは思う。いちおう先従隗始という四字熟語にもなっているのだが、手元のIMEでは登録されていない。まあその程度の認識だったと思う。
とはいうものの、四字熟語辞典に載っている、ということはまあ故事成語ではあるのだ。たぶん、これも「妙齢」と同じように、人によって意味を違って取るために使われなくなった言葉だろうと自分は思っている。
「戦国策」「史記」「十八史略」といろいろあるらしい。まあ十八史略はあとからの切り抜き編集まとめみたいなものだしね。
ここにその原文の1つが載せられている。
今王必欲致士、先従隗始。況賢於隗者、豈遠千里哉。
読んで見れば分かる通り、この故事はもともと「隗」って人の自己PRなのだ。しかも、自分の有能さをPRするのではなく、自分が大した人じゃない、ってことを前提に、自分を雇わせるための言い訳、そしてそれをやる戦略について語っているわけだ。
ところが、この故事成語、現在では「まず自分がやれよ」という意味、もしくは「身近なことから始めよう」という意味になっている。まあ「隗」は一番身近な人の1人だったわけだから、後者の意味はとれなくもないのだけど、前者ちょっと意味を取り違えているんじゃないかという意味になっている。
まあたぶん「授業で習ったけどそれ故事成語だとは思ってない」って人が大半だとは思う。いちおう先従隗始という四字熟語にもなっているのだが、手元のIMEでは登録されていない。まあその程度の認識だったと思う。
とはいうものの、四字熟語辞典に載っている、ということはまあ故事成語ではあるのだ。たぶん、これも「妙齢」と同じように、人によって意味を違って取るために使われなくなった言葉だろうと自分は思っている。
「戦国策」「史記」「十八史略」といろいろあるらしい。まあ十八史略はあとからの切り抜き編集まとめみたいなものだしね。
ここにその原文の1つが載せられている。
今王必欲致士、先従隗始。況賢於隗者、豈遠千里哉。
読んで見れば分かる通り、この故事はもともと「隗」って人の自己PRなのだ。しかも、自分の有能さをPRするのではなく、自分が大した人じゃない、ってことを前提に、自分を雇わせるための言い訳、そしてそれをやる戦略について語っているわけだ。
ところが、この故事成語、現在では「まず自分がやれよ」という意味、もしくは「身近なことから始めよう」という意味になっている。まあ「隗」は一番身近な人の1人だったわけだから、後者の意味はとれなくもないのだけど、前者ちょっと意味を取り違えているんじゃないかという意味になっている。