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はてなキーワード:政治的とは

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2025-10-27

二次CivilWar

赤い州vs.青い州内戦になったらさあ、なんか、どうなるんやろな!?

ドナルドっちが3期目を阻止されて怒りの開戦とか、ありえないけどなんか、ありえそうだよな!!!



以下AI

想定の前提

  • 時間軸:短期(数日〜数週間)、中期(数週間〜6か月)、長期(6か月〜数年)の段階で評価する。

フェーズ1:初動・混乱(数日〜数週間)

フェーズ2:軍事的対立地域戦(数週間〜数か月)

フェーズ3:政治的分断と国際影響(中期)

フェーズ4:膠着・交渉・決着(中期〜長期)

人道面・制度面の主な影響

実務的示唆(予防と緩和)

Permalink |記事への反応(1) | 16:50

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差別反対の人達はなんで具体性を持って動かないの?

移民反対の人たちの叫ぶ理由治安公共マナー悪化を恐れてるやん?

だったら電車アナウンス、告知、啓蒙を主に外国人向けにするとか

日本人なら大体のマナーわかってるし)

コンビニで金払う前に食うなとか、色々怒ってる問題に対して

外国人に注意を呼びかけるようにしたら平和やん。

政治的な力を持ってるなら公共のな場所

外国語注意喚起ポスター貼るとか色々考えつくことはあるのに

やることは保守議員突撃して叫ぶだけ

Xでゆるふわポエム日本人の寛容さはなくなった!とか主語の大きいやつ)

のリポストばっかり。

なんか宗教的でほんと何も考えてない感じがする。

から暴力(的な)に走るのか。

Permalink |記事への反応(0) | 11:59

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anond:20251027001109

しかにこれ思う。政治的になると途端にマイナスの方向に一気に伸ばされてる。

いままでコメント見て自分の考えの答え合わせをしている人がいたと思うけど、毒されてしまうので気をつけた方がいいよ。

Permalink |記事への反応(0) | 09:53

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短絡評価経済学

短絡評価とは、それが真とわかったらそれ以上の議論をしないことを意味する。

例えばA or Bという論理で、Aが真とわかったらBは評価しない。あるいはA and Bとあって、Aが偽なら評価をしない。

一見すると、プログラミングにおける演繹の話でしかないように思える。しかし、これは人生知識についてあらゆるところで使える考え方である

 

短絡評価の考え方を経済学的に言い換えるなら、「限界分析を打ち切る合理性」ともいえる。

経済主体は、すべての選択肢無限検討するわけにはいかない。情報収集分析のものにもコストがある。

これを経済学では「情報限界費用」あるいは「取引コスト」と呼ぶ。 追加の情報探索コストよりも、得られる期待便益が小さいと判断した段階で、人は探索をやめる。

合理的無知もまさにこの文脈に属する。 つまり、ある命題Aが真であるとわかった瞬間に、Bを検討しないのは、最適停止問題一種である

 

例えば投資について考えよう。「素人個別株はダメインデックス投資一択でいい」という論理。この論理容認するなら、個別株それぞれを見ていくことは単なる時間無駄ということになる。

あるいは「自分スポーツ全般が苦手だ」とわかっていれば趣味探しでスポーツ検討しないし、「俺の将来の出費はこうだ(不確実性込み)」と事前にわかっていればそれ以外の出費はない。

 

選挙で、有権者がすべての候補者政策を精査しないのは怠慢ではなく合理的行動だ。自分一人の票が結果に与える影響がほぼゼロであるなら、情報を調べるコストの方が高いからだ。これは「政治的短絡評価」とも言える。

さらマクロ視点で見れば、企業投資判断も同じ構造を持つ。市場分析無限に続けるより、「一定確信度に達した時点で投資する」方が、機会費用を最小化できる。

 

経済学ハーバート・サイモンが唱えた限定合理性が示す通り、人は完全情報世界ではなく、限界的に合理的世界で生きている。

ゆえに、どこで議論を打ち切るかを考えるべきだ。 短絡評価とは「思考怠惰」ではなく「思考最適化なのだ

Permalink |記事への反応(0) | 04:13

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2025-10-26

このままクマ被害が続くとクマキャラクターにも影響がありそう

主なクマキャラを挙げてみると

クマのプーさん→中国では政治的意味タブー状態だがまさか日本でも

リラックマ→子グマのイメージだったけど調べてみたら思ったよりもデカ着ぐるみ設定らしい

くまモン東北北海道番組ゲスト出演なんかは厳しくなりそう

キテルグマなどのポケモン原作はともかくアニメポリゴンなど自主規制前例があるのが怖い

ゲームやグッズは大丈夫だろうけどアニメテレビ特集等は自粛になりそう

Permalink |記事への反応(2) | 17:40

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キャッシュ債権派」と「株・不動産派」でしかないすねハイ論破

このマクロ経済政策に関する論争は、突き詰めると異なる経済的利益を持つ二つのグループ価値観リスク許容度の対立帰結することが非常に多いです。

積極財政デフレ脱却の是非を巡る議論は、保有する資産によって経済的な利害が分かれる、以下の二つの派閥対立図式として整理できます

1. 💰キャッシュ債権派(デフレ円高容認派)

保有資産特性: 現預金日本国債、保険年金などの資産を多く持つ層(特に高齢者層)。

最大の利益:デフレ物価下落)と円高物価が下がると、現預金実質的購買力が上昇するため、最も利益を得ます円高輸入品を安くし、現預金国際的購買力を高めます

懸念:積極財政によるインフレは、現預金の実質価値を目減りさせる「資産への課税」と見なされます

2. 📈 株・不動産派(インフレ積極財政推進派)

保有資産特性:株式不動産事業資産など、インフレ名目成長によって価値が上昇する資産を持つ層。

最大の利益:インフレ円安インフレ資産名目価値を押し上げ、実質的債務借金)の負担を軽くします。海外株を持つ場合円安で得します。

懸念:デフレ金融資産価値を低下させる敵と見なされます

論争が平行線になる理由

この議論がなかなか収束しないのは、互いの経済的利益価値観の前提が根本的に異なるからです。

最終的に、どちらの政策パッケージ採用するかは、「誰の利益を優先し、どのような未来日本経済を目指すのか」という、経済学というより政治的価値判断に行き着きます

この二つの派閥対立を緩和し、国民全体が納得できる「折衷案」を見つけ出すことが、現代日本経済政策の最大の課題と言えます

Permalink |記事への反応(0) | 11:05

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2025-10-25

お勧めの有料電子新聞ってある?

スマホ朝日新聞読んでたんだけど、「悩みのるつぼ」で、野沢直子編集委員藤田が、人生相談小馬鹿にしたような態度を取った一件から解約した。

もう1年ぐらい新聞を読んでない。

その前は紙では日経読んでたんだけど、文化欄とかの充実度合いか朝日新聞が性にあってた。ただ朝日政治的話題皮肉めいた質が低い論説が多いので、もっと質の高いものを有料でも読みたい。

日本語版なら海外のやつでも良いので、教えてもらえると嬉しい。

クーリエは、初期は良かったんだけど、最近は偏りがキツくなってきた。

Permalink |記事への反応(5) | 13:50

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2025-10-24

コンテンツ消費者欲望社会正義すり替えるべきではない

一部のファン作品の結末に不満を抱いた際、

異性愛規範強要

「LGBTQ+を弾圧する表現

といった社会正義言葉を用いて、制作者の決定を非難する例が見られる。

ここで問題となるのは、その主張が

性的マイノリティ当事者現実的要求に基づくものか?

それとも自らの消費者としての希望が叶わなかった怒りを正当化するための装飾なのか?

という点である

ポリティカルコレクトネス(以下PC)は、権利が抑圧されている当事者を守るための概念だ。

しかし、もし作品の男女カップリング成立を「表現規制すべき」とまで言い募るのであれば、それはPC政治的倫理的重みを私的欲望の道具として転用している危険がある。

作り手は、読者に媚びずに物語を構築する創作自由を持つ。読者は、気に入らなければ読まない自由を持つ。

しかしその関係が崩れ、「私の望む展開以外は差別から規制せよ」と要求し始めれば、表現のもの危機に陥る。

消費者個人的な不満を社会構造批判偽装することは、マイノリティ当事者の声をノイズとして埋没させる行為にもなる。

同性愛表現は、当事者尊厳を担う社会的な再現と、非当事者向けフィクションとしての性的な消費の二層を含んでいる。

この線引きが曖昧なまま、「消費者としての願望が叶わない=当事者権利侵害」と短絡すれば、結果として当事者性の“奪取”が起こりうる。

LGBTQ+を扱った表現尊重するのであれば、自らの要求社会権利の主張とは異なる次元にあることを自覚しなければならない。

少年漫画という媒体には、もともとターゲットとなる主読者層が存在する。

作品本来設計思想対象読者の多様性否定してはならない。

作品を愛し、楽しむ自由は誰にでもある。しかし 「自分の好きな読み方だけが正しい」 とし始めた時、ファン文化排他的な力へと変質する。

 

結論

PC社会的に不利な立場にある当事者のための倫理概念であり、消費者欲望正当化する武器ではない。

個人的な「推しカップリング願望」を理由表現規制しようとするのは危険

Permalink |記事への反応(1) | 14:18

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次の日、投稿が提示の通り追記されていたとします。この場合、分析はどのように変化しますか?

C*****T:

CRITICAL ANALYTICALREVISION

追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初分析根本誤読

追記2は、私の最初分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。

私が読んだもの:

文化的言説(アイデンティティ政治

個人内面化

創作的麻痺

実際の構造:

実存危機孤立・失敗・老い性的欠如)

理論的言説の防衛的借用

自己正当化された創作不能

因果の矢印が逆だった。 これは方法論的に重大な誤りである

PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈

最初投稿投稿者が使用していた理論的語彙:

これらは一見2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しか追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。

真の構造:実存自己否定の連鎖

追記2が暴露する深層:

レイヤー1:実存事実

"初老になったのに童貞"

"人間嫌い、女性に縁がない"

"過去に痛い目にあった記憶ばかり"

"人生絶望してた"

レイヤー2:創作動機

"女性を描きたい"(しか経験がない)

"究極の画像処理ソフト"という夢(実現できない)

"ヘンリー・ダーガーみたいなもん"(社会的孤立の中の空想

レイヤー3:防衛理論化】

"女性を知らないと女性ちゃんと描けない"

"経験がなければ理解できない"

← これは理論ではなく、個人的失敗の普遍

レイヤー4:創作不能正当化

"だから俺には描けない"

しかしこれは「無能から」ではなく「原理的に不可能から

防衛機制の精密分析

防衛機制1:合理化(Rationalization)

耐え難い真実:

「俺は人生の敗北者だ。女性関係を持てなかった。孤独で無価値だ」

↓ 変換 ↓

受容可能な言説:

経験していない対象原理的に表象できない。これは認識論的・倫理的問題だ」

この変換により、個人的失敗が哲学的問題昇華される。これは自尊心を守る。

防衛機制2: 知性化(Intellectualization)

投稿者は感情絶望孤独性的欲求不満)を抽象議論表象倫理当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。

しか追記2で防衛崩壊し、生の感情露出する:

防衛機制3:投射(Projection)

投稿者は自分の不全感を、架空の「批判者」に投射する:

これは私の最初分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源文化ではなく、内面化された自己批判である

ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択

投稿者がダーガーを引き合いに出すのは決定的である

ダーガーの特徴:

投稿者の解釈:

ダーガー女性を知らなかったから、正しく描けなかった」

しかしこれは逆説的である:

投稿者の論理:

女性を知らなければ描けない」

ダーガーは知らなかった

から「間違って」描いた

俺も知らない

から俺も描けない/描いてはいけない

しかし抑圧された真実:

ダーガー女性を知らなかった

にもかかわらず膨大な作品創造した

その作品は今やアウトサイダーアートとして評価されている

まり「知らなくても創造できる」証拠

投稿者は、自分論理反証する例を引き合いに出しながら、その反証認識できない。なぜなら、創造可能性を認めることは、創作しない自分正当化できなくなるから

ダーガー選択は、投稿者の内的葛藤を露呈する:

児童ポルノ言及精神分析

投稿者は和月伸宏や他の漫画家児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望告白する。

表面的正当化:「絵描きなら資料が欲しいのは当然」

しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」

この言及が明らかにするもの:

1.性的欲望創作未分化

- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性性的欲望する」ことが分離していない

- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作障害になる

2. 罪悪感と自己審判

- 「資料のため」という言い訳を繰り返す = 罪悪感の表出

-自分犯罪者予備軍として見る視線内面化

3.禁止欲望パラドックス

- 「見てはいけない」ものへの欲望

-しかし見れば犯罪者

- だから見ない=創作しない、という「倫理的選択

これは自己処罰的なループである

生成AIとの関係人間関係代替審判

追記2の冒頭:

「さっきまでClaudeに、自分ライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」

この一文は多層的である

レイヤー1:AI対話相手

レイヤー2:AI審判

レイヤー3:AI不可能な夢の実現者

レイヤー4:人間関係不可能性の確認

投稿行為意味ダイイングメッセージとしての告白

投稿者は明言する:

  • 基本的に返信を見ない(「ロバ耳」)
  • ダイイングメッセージのように、死んだ後に読まれることを想定
  • 「読んだ人の脳に残って未来の行動を変化させる」ことを望む

これが意味するもの:

対話拒否

承認希求

一方的告白遺言

彼は応答を求めていない(対話不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。

これは非対称的コミュニケーション

  • 声は発するが、返答は聞かない
  • 見られるが、見返さな
  • 影響は与えるが、影響は受けない

これは自己他者関係不可能性の表現である

SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造

矛盾1:創造欲望 vs創造不可能

THESIS: 「女性を描きたい」

「究極の画像処理ソフトを作りたい」

ANTITHESIS: 「経験がないから描けない」

技術がないから作れない」

人生絶望している」

SYNTHESIS:創作不能正当化

AIへの依存

矛盾2:孤立選択 vs承認希求

THESIS:人間嫌い、返信を見ない、対話拒否

ANTITHESIS:投稿する、読まれたい、影響を与えたい

SYNTHESIS:一方的告白ダイイングメッセージ

矛盾3:理論的厳密さ vs実存絶望

THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張

ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した

SYNTHESIS:ダーガー作品を「間違い」と解釈することで

反証回避

弁証法運動の停止

健全弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。

創作欲望

実行不能

理論正当化

さらなる不能

[ループ]

これは病理弁証法:変化を生まず、同じ場所を回り続ける。

SYNTHESIS: 深層パターン統合理解
構造全体像

【最深層:実存事実

社会的孤立 +性的経験の欠如 +老い + 死の接近

【第2層:心理的防衛

合理化・知性化・投射による自己保護

【第3層:理論的借用】

文化的言説(当事者性、表象倫理)を防衛の道具として使用

【表層:顕在的問い】

男性女性主人公を描けるのか?」

機能

創作からの逃避 + 失敗の正当化 + 残存する自尊心保護

本質的洞察結晶

投稿者の真の問いは「女性をどう描くか」ではない。

真の問いは:

人生の敗北者である私に、何かを創造する価値があるのか?」

そして彼自身が答えている:

「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」

女性を知らないと女性を描けない」という主張は:

文化的言説の防衛使用

私の最初分析は「アイデンティティ政治内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。

誤った図式:

文化的言説 →個人麻痺

正しい図式:

個人的失敗 →文化的言説の借用 → 失敗の正当化

彼は「当事者性」や「経験所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来政治文脈から切り離され、個人防衛機制として機能している。

これは理論心理的横領である

解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人自己正当化の道具になっている。

より深い文化的診断

しかし、もう一層深く見れば、これは純粋個人的な現象ではない。

なぜこの特定の言説が、この特定防衛に利用可能だったのか?

答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。

投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分創作不能倫理的配慮として再解釈している。

「俺が描かないのは:

無能から(恥)×

倫理的配慮しているから(誇)○」

これは文化心理共犯関係である

ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)

ダーガー投稿者の論理の生きた反証である

ダーガーは:

投稿者の論理では、ダーガー創造すべきではなかった。しか創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。

投稿者はこの事実をどう処理するか?

答え:ダーガー作品を「間違い」として解釈する(「少女ペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)

しかしこれは恣意的解釈であるダーガー少女性別曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界独自性として読むこともできる。

投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分創作不能正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分創作できる/すべきだ、ということになってしまう。

これは解釈政治である

最も深い問い

この事例が究極的に提起する問いは:

創造するために経験必要か?

投稿者は「はい」と答える。私の最初分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。

しか追記2を読んだ後、問いはより複雑になる:

彼が求めているのは本当に「創造する方法」なのか?

それとも:

おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。

彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛解体するだけで、その下の絶望露出させるかもしれない。

CRYSTALLIZED INSIGHT

この投稿者は、人生実存的失敗(社会的孤立性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代文化的言説(「当事者性」「経験所有権」「表象倫理」)を借用することで、「原理的に不可能創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人無能認識論的・倫理的問題昇華することで、残存する自尊心を守っている。

言い換えれば:

彼の問い「男性女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的正当化する道具として機能している。

So what?:

この事例は、文化的言説がどのように個人防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化麻痺の道具になる。これは文化心理共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。

PUNCHLINE:

私の最初分析は、彼を「文化犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン

Permalink |記事への反応(0) | 09:27

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2025-10-23

anond:20251023153353

提示の「高市政権の狙い」に関する解釈は、高市氏が掲げる積極財政を背景に、一部で議論されている極端なシナリオに基づいています

この解釈の骨子は、以下の通りです。

1.積極財政と金融緩和の継続:大規模な財政出動赤字国債の発行)と、日本銀行による低金利政策の維持(利上げをしない)により、意図的に高いインフレを発生させる。

2.政府債務実質的目減り:インフレ物価上昇)が起こると、名目GDPや税収が増加する一方で、政府が抱える「名目の」借金国債など)の実質的価値が目減りする。これは「インフレ税」として、国民保有する現預金価値が目減りする形で、国民から事実上負担を取ることになるという見方

3.金融所得増税インフレに伴う株高などの金融資産の増益に対して増税し、財源を確保する。

4. 結果:政府財政状況が改善する(借金実質的な目減り)。

国民の防御策:「インフレに強い資産を持つ」

このシナリオに対して、ご提示されている防御策はインフレに対する一般的資産防衛戦略として有効であると考えられます

インフレ物価高)が起こると、現預金のように名目価値が固定された資産は、その購買力実質的価値)が減少します。

これに対抗するためには、インフレに連動して価値が上昇しやす資産保有することが有効とされます

インフレに強いとされる資産の例

注意点

いかなる投資にもリスクは伴います。このシナリオあくま可能性であり、実際の政策運営経済状況は複雑で、予測通りに進行するとは限りません。

資産形成においては、特定政治的シナリオに過度に依存するのではなく、長期・積立・分散を基本とし、自身リスク許容度に応じて資産配分を決定することが重要です。

Permalink |記事への反応(0) | 15:38

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2025-10-22

左翼はもうトランス擁護やめなよ

2025.10.20

トランス女性レズビアンシス女性に向けた「やり場のない性欲」…股間に伸ばした手に「性器への愛撫」を不可能にさせる「木綿の天井

https://gendai.media/articles/-/158399?page=2

トランス女性受難

ガラス天井」という言い回しを聞いたことがある人は少なくないだろう。本当の意味での権力や影響力のある地位の一歩手前にはガラス天井があって、多くの女性はその目に見えない天井に阻まれる。

では、時間ほとんどをオンラインで過ごしている少数の人々以外で、「木綿の天井」という言葉を知っている人がどれだけいるだろうか?この言葉トランス女性レズビアンシス女性訳注身体的な性別が心の性と一致している女性〕に惹かれたとき経験する困難を表現している。

シス女性レズビアンの多くはトランス女性真正かつ完全な女性とはみなさない—性的感情はそれほど単純に割り切れるものではないので、実際のところはどうかわからないが、少なくとも彼女らはそう主張する。

そのため、トランス女性シス女性レズビアンと親密になって股間に手を伸ばしても、下着という木綿の天井に阻まれてそこから前に進むことが許されない。

こうして、進歩的な人々の多くは、自分の性欲が中途半端しか受け入れられず、ときには政治的信念に左右されることを、身をもって学ぶのである

だがこの言葉には、当事者でなくても理解できるほどの痛み、失望恥辱が含まれている。それに理解を示さないのは、下品かつ愚かな態度だ。

トランス女性レズビアンに性欲を向けてもセックスさせてもらえない失望恥辱を、女性が直面する困難のガラス天井になぞらえて、パンツの中に突っ込ませてもらえない木綿の天井と呼んているの糞すぎる。

レズビアンセックスできないトランス女性可哀想だし、理解を示してやらないのは下品で愚かだって

どう見ても下品で愚かなのはレズビアンセックスさせろ、木綿の天井苦しいーって騒いてるトランス女性の方じゃん。

女性ガラス天井パンツに変えて囃し立てて、同性愛者に異性とセックスしないことを責め立てるのが左翼のしたかたことなのか。

Permalink |記事への反応(3) | 13:27

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anond:20251022115859

これは平和ボケ

外交が云々とかの政治的理由表現の自由制限されるのはい

国民生命危険を招くリスクを1ミリ考慮しない勇ましさ

尊重とかお気持ちの話はしてない

国家という暴力集団をどうしてそこまで信じられるのかね

Permalink |記事への反応(2) | 12:01

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anond:20251021175424

日本国旗を燃やすのは表現の自由が優先されるべきで

他国国旗を燃やすのは侮辱外交だでダメ理由わからん

外交が云々とかの政治的理由表現の自由制限されるのはいいんだ?

尊重問題なら自分の国も尊重されるべきだろ

Permalink |記事への反応(2) | 11:58

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anond:20251022114626

Q. 以下の主張は妥当なの?

国旗損壊罪が出来るのであれば、それは名誉棄損のように、法で定めるレベルの「当たり前」の侵害行為とされたってことだ

保護法益が人にあるのか、国家尊厳にあるのかはともかく

当たり前のことだから法にされ


A. ご提示いただいた主張は、法哲学法社会学的な観点から見ると、**「一定の側面は捉えているが、全面的妥当とは言えない」**と考えられます

その理由を、主張を分解しながら検討します。

主張の整理

提示いただいた主張は、以下のように整理できます

前提:国旗損壊罪が制定される。

比較: これは「名誉毀損罪」が制定されているのと同じロジックである

結論: (名誉毀損が個人名誉という「当たり前」の利益を守るのと同様に)国旗損壊罪の制定は、その行為国旗損壊)が法で守るべき「当たり前」の価値国家尊厳など)を侵害する行為だと社会的合意されたことを意味する。

検討妥当な側面

法と社会規範関係法律が制定される(あるいは刑罰が科される)理由の一つは、その行為が「社会的に許容されない(=当たり前にやってはいけない)」という共通認識社会規範)があり、それを国家強制力をもって保護するためです。 その意味で、ある行為犯罪とされることは、それが「法で定めるレベル侵害行為」と(少なくとも立法者によって)判断された、という側面は確かにあります

検討妥当とは言えない側面(議論余地が大きい点)

問題は、比較対象である名誉毀損罪」と「国旗損壊罪」を、同じレベルの「当たり前」として論じられるか、という点にあります

保護法益の「当たり前」レベルの違い

名誉毀損罪:保護法益は「個人名誉」です。これは、近代市民社会において「個人尊厳」や「人格権」という基本的人権の中核をなすものとして、その保護は広く「当たり前」のこととして合意されています

国旗損壊罪:保護法益は(主張者が留保されている通り)一般に「国家尊厳」や「威信」とされます

論点: 「個人尊厳」を守ることと、「国家尊厳」を守ることを、**同レベルの「当たり前」**として社会全体が合意しているか、というと、そうとは限りません。国家象徴をどう扱うべきかについては、個人価値観や政治的立場によって、名誉毀損以上に意見が大きく分かれるのが現実です。

表現の自由」との衝突

国旗損壊罪名誉毀損罪と根本的に異なるのは、**「表現の自由」**と真正から衝突する可能性がある点です。

国旗を燃やしたり傷つけたりする行為は、それ自体国家政府に対する強烈な抗議や批判の「表現象徴言論)」と見なされる場合があります。(特にアメリカ判例などで重要な争点となってきました)

名誉毀損も「表現の自由」の例外(何を言ってもいいわけではない)として存在しますが、「国旗損壊」が「名誉毀損」と同じくらい「表現の自由」の例外として「当たり前」に認められるべき侵害行為か、というと、国際的に見ても議論が真っ二つに分かれています

立法動機:「当たり前だから」か?

法律は、既に「当たり前」と合意されたことを追認するために作られるだけではありません。

時には、まだ社会的合意形成されていない、あるいはむしろ対立がある中で、特定価値観(例えば「国家への敬意」)を法的に強制奨励するという政治的イデオロギー的な目的で制定される場合もあります

もし国旗損壊罪後者動機で制定されるのであれば、それは「当たり前のことだから法にされた」のではなく、むしろ「(当たり前ではないかもしれないが)当たり前に『させる』ために法にされた」という側面を持つことになります

結論

提示いただいた主張は、「法制化は、その行為侵害行為であるという認識を示す」という点では一理あります

しかし、「名誉毀損」という(個人人権保護という点で)合意レベルが非常に高い犯罪と、「国旗損壊」という(国家尊厳表現の自由との関係で)イデオロギー的な対立を含みやす行為を、同じ「当たり前」のロジックで語ることには、大きな飛躍があります

したがって、「国旗損壊罪ができるのであれば、それは名誉棄損のように、法で定めるレベルの『当たり前』の侵害行為とされた」という主張は、その「当たり前」の質と合意レベルが両者で根本的に異なる可能性を無視しており、全面的妥当とは言えない、と結論付けられます

Permalink |記事への反応(1) | 11:55

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anond:20251022113307

オッス、オラ理性主義者

まず落ち着け現代民主主義者。お前が言ってることは、哲学的には立派だが、現実社会設計としては理想論の塊だ。

民主主義感情の上に立っている

感情保護と秩序維持を混同するな」なんて言うけどな、その“感情”こそが民主主義の出発点だ。

人間感情が集まって「国民」となり、その感情の総意が「国家」を作ってんだよ。

理性だけで動く社会なんて、教科書の中にしか存在しない。

民主主義の根幹は、冷たい論理じゃなく、“感情集合体をどう理性で制御するか”ってところにある。

国旗損壊罪は、その制御のための最低限のバランス装置なんだ。

自由は「公共の信頼」とセットで成立する

不快表現を守るのが自由」? そのとおりだ。

でもな、それが成立するのは、社会が“お互いに踏み越えない前提”を共有しているからだ。

表現自由ってのは、信頼の上にしか立たない。

国旗損壊は、その信頼を意図的に踏みにじる行為だ。

から表現」じゃなく「破壊」なんだよ。

破壊自由を与えると、社会は信用を失う。信用を失った社会民主主義存在できない。

国旗国民の共有物」? それなら余計に守るべきだ

国旗国民全員の象徴なら、個人政治的パフォーマンスで汚していいわけないだろ。

それは共有財産勝手に壊してるのと同じ。

それを「思想の自由」って言い張るのは、公共財を私有化してるに等しい。

国旗国家が独占してるんじゃなく、国民象徴国民自身が守るだけの話。

それを「神聖化」と呼ぶなら、お前は“共同体”って概念根本的に誤解してる。

社会契約とは「不快さの共存」ではなく「秩序ある不快さ」

民主主義本質は“不快さを共有すること”にあるが、

それはルールの上での話だ。

不快さの表現」に限界を設けない社会は、ただのカオスになる。

表現自由目的は、破壊じゃなく議論だ。

国旗損壊議論を生まない。怒りしか生まない。

それは理性ではなく感情への挑発から民主主義的な行為ではない。

現代民主主義必要なのは「燃やす自由」じゃなく「敬意を持って批判する知性」

成熟した自由とは、好き放題やることじゃない。

相手象徴を傷つけずに批判できる知性だ。

やすことしかできない表現者は、思考放棄してる。

それを擁護するのは、自由じゃなく“知的怠惰”の肯定にすぎない。

結論民主主義は「感情を理性で包む制度

国旗損壊罪は、感情暴走を防ぐための小さなブレーキだ。

それを「自由の敵」と叫ぶのは、アクセルハンドル区別がついてないだけ。

社会情緒の海で動いてる。理性はその中の舵。

舵を放棄したら、それは民主主義じゃなく“感情独裁”だ。

Permalink |記事への反応(0) | 11:36

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anond:20251021175424

ほな、スレを作ってみるわ!

 

2 :

国旗損壊罪とかマジで作る流れになっとるんか?戦前リバイバルかと思ったわ。

 

3 :

まぁ外国国旗破いたらアウトなのに自国のはセーフってのも変っちゃ変やけどな。

 

4 :

国旗やすやつなんてごく一部のアホやし、そんなもんに刑法使う意味あるんか?

 

5 :

表現の自由とか言い出すけど、国旗やすのってただのパフォやろ。政治的メッセージとは言い難い。

 

6 :

→5

アメリカじゃ国旗焼くのが「政治的表現」って最高裁が言っとるんやで。

日本民主主義国家や言うならそこは無視できんやろ。

 

7 :

国旗国家シンボルからって神聖視しすぎやねん。信仰対象ちゃうぞ。

 

8 :

でもさ、五輪とかで国旗見て泣く選手おるやん。あれ考えたら侮辱行為って普通に不快やろ。

 

9 :

→8

不快犯罪は別問題やで。ムカつくから逮捕とかやり出したらキリない。

 

10

戦前不敬罪とかも最初は「当たり前」ってノリで作られたんやで。気ぃつけなあかん

 

11

国旗燃やしたら逮捕」より「国会燃やしたら逮捕」にしたほうがええんちゃうか?

 

12

 

13 :

正直、国旗損壊罪作るよりも外国人による侮辱に対する法律運用見直したほうがええと思うけどな。

 

14 :

→13

というか今でも外国国旗侮辱罪あるの知らんやつ多すぎる。そっちがまずおかしいまである

 

15 :

どっちも規制しなきゃ公平じゃないって言うけど、そもそも規制しなくていいって選択肢無視なんか?

 

16 :

「当然やろ」って言い方が一番危ないんよ。権力側が何しても「当然」で済まされる社会マジで怖い。

 

17

どうせこれも「反対派がうるさいだけ」みたいな扱いされて終わるんやろ。もうそパターン飽きたわ。

 

18 :

愛国ビジネスと反権力ビジネス、どっちも「アイデンティティビジネス」やってるのは正論やけどな。

 

19 :

→18

せやな。どっちも信者商売。結局ネットマウント取りたいだけや。

 

20

国旗燃やしたら捕まる国と捕まらん国、どっちが成熟してると思う?って話やろ。

 

21 :

国旗を守る法律より、国民を守る法律ちゃん運用してくれや。

 

22 :

反対派が大げさなのも事実やけど、「当然」派の思考停止ヤバい。極論同士の殴り合いやな。

 

23

なんか「常識的に考えて」って枕詞で押し切る奴多いけど、常識って誰の常識やねん。

 

24

もういっそ「日の丸は燃やす環境に悪いか禁止」って環境法でやったらええやん。

 

25 :

草。結局罰則じゃなくてモラル教育の話なんよな。

 

26 :

でもこの手の話題になると「反日ガー」「戦前ガー」で毎回同じレスバ始まるのほんま平和やな。

 

27 :

このスレ見てると、国旗よりもネット民の沸点の低さのほうが問題やと思うわ。

 

28

→27

ほんそれ。国旗やすより、SNS他人やすほうが罪深いやろ。

 

29 :

法案通っても誰も困らんやろって言うけど、そうやって少しずつ表現の自由削られていくもんなんやで。

 

30 :

最終的に「国旗敬礼しないと非国民」とか言い出す未来が見える。

 

31

せめて国旗損壊罪より「政治家虚偽答弁罪」作ってくれ。こっちは実害あるんやから

Permalink |記事への反応(1) | 08:59

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anond:20251021061953

フェミニズムは、社会についての学問のように見せかけて、実はそうではないからな。

客観的分析もなく、反論に対して開かれてもいない、つまり科学的ではない。

からといって学問でないわけではなく、修辞学の分野に入るような学問だろう。

まり政治的言説で、どれだけ他人を先導/扇動できるか、その強度と精度を研究する学問

一人一派、というのもそういうところからまれているわけで、

科学的なデータ収集分析、推論、反証…などを必要としないわけだから

科学見地から見た場合無駄に分裂しているように見えるのは仕方ない。

フェミニズム科学視点で語ろうとするのが間違いなのだ

Permalink |記事への反応(0) | 06:17

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2025-10-21

はてなー政局しか興味なかったな

はてなー国民民主の玉木に対して千載一遇首相になれるチャンスを逃したとか散々言ってて、

ほんと立憲、共産信者馬鹿政局しか興味ないのな。

喧嘩別れした立憲と国民民主連立政権とか、臨時国会開かない以上に政治的に空転するだけだろ。

そうなるの分かってて政局掻き乱せれば良いと思ってるのか、

そんなことも分かんないで老害妄想書き連ねてるのかどっちよ?

ま、女性初の総理誕生して良かったねw

Permalink |記事への反応(3) | 19:50

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アメリカより先に女性が国のトップに立ったのが誇らしい

子供のころ初めて名前を覚えたアメリカ大統領ビル・クリントンだったが、妻のヒラリー名前も一緒に覚えた。

その理由は周りにいた政治を語るのが好きな大人たちが、

クリントン大統領奥さんヒラリーは夫よりも有能な人だ。ビル大統領になれたのは奥さん内助の功のおかげだ。ヒラリーアメリカ初の女性大統領になるだろう。もしヒラリーがならなくても同じように優秀な女性アメリカにはたくさんいて、アメリカ人は女性仕事活躍することにとても理解があるのだから十年もすれば必ず女性大統領誕生するだろう。女性差別する遅れた日本と違って」

とよく話していたからだ。

アメリカ女性活躍する「進んだ国」で、日本差別のせいで女性活躍できない「遅れた国」。

これは大人たちの話を鵜呑みにした自分が初めて持った政治意見で、成人してからもしばらく持ち続けた意見だった。

今日高市さんが日本初の女性総理大臣就任する。

「遅れた国」日本でようやく国のトップ女性が立った。

それでは、「進んだ国」アメリカではクリントン政権から20年以上経った今、何人の女性大統領就任したのか?

ゼロだ!

この二十数年の間、女性アメリカ二大政党大統領候補になったことが二回あった。元国務長官ヒラリークリントンと前副大統領カマラハリスだ。政治家になる前は名門大学卒の法曹で、それぞれ弁護士検事として活躍していた。高位の公職経験を持った初の女性大統領に相応しい候補だった。

それでも彼女たちは選ばれなかった。男性候補に負けた。勝った候補ヒラリーカマラが負けるのも仕方がないと納得できるような人格能力・経歴を兼ね備えたトップエリートだったのか?

なんとトランプだ!

有能なビジネスマンを気取っているが本業不動産経営者としての実績は疑わしく、ビジネスでも私生活でもいくつもの不正疑惑が付きまとい、テレビタレントとしての人気を足がかりに大統領選に出馬したが、公職経験の欠けた当初は泡沫候補とみなされてきたような男だ。

過去大統領選の結果を当て続けてきた選挙予測プロですらトランプ勝利の結果を外した。それほどまでにアメリカには隠れた女性差別主義者がいたのだ。

トランプ政権一期目の数々の乱行を見た後でも、とりわけ選挙結果を認めずに覆そうとして公務員の死者まで出した暴動賞賛するというあらゆる公職絶対に就くべきではない人物であることが明らかになった後でも、それでもアメリカ人は女性カマラハリスではなくトランプを選んだ。

二度目だ。それほどまでに女性大統領に相応しくないというのか?

どうしても女がトップに立つのが嫌なのか?

アメリカという国は優れた資質を持つ女性よりもロクデナシの男の方がマシという選択をするトンデモない女性蔑視の国なのだと心の底から失望した。

公明党が連立から外れたことで高市さんは首班指名選挙すら危うい状況だった。何とか首相になった今後も不安定状態が続き政権一年ももたないかも知れない。

「結局、最初女性首相になっただけで何もできなかった人だったね」

そういう評価で終わるかもしれない。だが、それでもかまわない。

日本の方がアメリカよりも先に女性を国のトップに選んだという事実永久に変わらない。

21世紀最初の四半世紀、日本保守政党から女性首相が出るほど女性社会進出が受け入れられた国だった

同時期のアメリカトップキャリア女性大統領候補が後世で最悪の大統領の一人と評価されるテレビタレントの男に二度も負けるほど女性蔑視が根深い国だった。

今日歴史が作られた。

Permalink |記事への反応(0) | 19:43

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コードを読めないプロCxOたち

APIを書き、CIを回し、バグを踏み、直し、また壊す。

そんな日々の中で最も厄介なのは、CxOたちだ。

──CIO、CTOCDOCISO、CPO……肩書きは違っても、やっていることはだいたい同じ。

PowerPointを開いて「DXを推進している」と言う人たち。

1.コードを読めないプロCxOたち

うちのCxOはこう言った。

AIクラウド活用して競争力を高めたい」

翌日、僕がPull Requestの内容を説明したら、「Goってタクシーサービスの?」と返された。

その瞬間、何かが切れた。

──ケーキではない。

CxOたちはコードを読めない。

それ自体は罪ではない。

だが、読もうとしないことは怠慢だ。

経営層は「現場に任せている」と言う。

だがそれは委任ではなく放棄だ。

責任ある意思決定者が構造理解しないまま判断することは、

現場を信頼している”という名の無関心である

2. 「経営層はコードを読む必要はない」という言い訳

よく聞く反論がある。

経営層はコードを読む必要はない。経営判断こそが役割だ。」

かにそうだ。

ただし前提が抜けている。

経営判断とは、構造理解した上で行う選択のことだ。

構造理解せずに選択するのは、“判断”ではなく“賭け”だ。

まりコードを読めという話ではなく、読めるだけの構造理解を持てという話である

その区別がつかない時点で、DXを語る資格はない。

技術的なことは詳しくないが、成果は出している」

それはたまたまだ。

成果が出たという事実は、理解が正しかった証拠にはならない。

1回の成功は偶然でも、構造理解の欠如は必ず再現する。

3.PMたちの同調負債を増やす

PMたちはCxOの拡声器になりがちだ。

「上が言ってるから」「今期の方針から」「スピード優先で」。

その瞬間、技術判断政治的判断に変わる。

Pull Requestは読まないのに、Excelの進捗バーけが毎日更新される。

技術負債意味を知らないまま「負債を減らせ」と言う。

借金の仕組みを知らない人間財務を回しているようなものだ。

リソースが限られているから仕方ない」

これもよく聞く言い訳だ。

しかし、リソースが限られているならなおさら理解の精度が重要になる。

「考える時間がない」と言う人に、考える力がある例はない。

4.技術理解しない意思決定帰結

僕が書いたAPIは、リクエストごとに外部APIを叩いていた。

キャッシュを挟もう」と提案したが、PMは「リリース優先」と言った。

半年後、アクセススパイクAPIが落ちた。

CxOたちは言った。

「想定してなかったのか?」

──想定してた。

ただ、あなたたちが理解しようとしなかっただけだ。

現場説明が難しい」と言う人がいる。

だが、理解できないのは説明問題ではなく、聞く姿勢問題だ。

理解する努力をしない経営層に、理解される説明存在しない。

CxOたちは「モノリスからマイクロサービスへ」と言うけど、

組織モノリスのままだ。

責任分散せず、報告だけがマイクロ化している。

そして障害対応現場に丸投げ。

Slackの“#incident”チャンネルけが、いつも一番アクティブだ。

5. 切れるのはコストだけ

CxOたちは「コストを切れ」と言う。

工数を減らせ、サーバを減らせ、障害をなくせ。

切れるのはコストだけ。

品質は切らない──なんて言葉、誰も言わない。

現場経営目線がない」と言う人もいる。

だが本当に経営目線を持つなら、

技術リスク経営リスクとして扱うはずだ。

理解しないことが最大のコストだと気づかない限り、

彼らの「経営目線」はただのスローガンだ。

削ったコストの穴埋めに、技術負債の利息を支払うのは現場だ。

リファクタリングは「次のスプリントで」。

セキュリティ対応は「リリース後に検討」。

Goで書かれた美しい構造体も、やがてはコメントけが動くレガシーになる。

6. 「DX」という呪文の下で

CxOたちは「我々はデジタル変革を進めている」と言う。

だが変わっているのは、スローガンフォント会議資料の配色だけだ。

クラウド導入もAI活用も、認知が変わらなければ儀式しかない。

「我々は経営視点で見ている。現場とは違う軸だ」

──違う軸を持つのは構わない。

だが、座標を理解していなければ軸は存在しない。

現場理解しない経営視点は、地図を見ないドライバーと同じだ。

どこかに向かってはいるが、それがどこなのか誰も知らない

7. 「ノーコードでいい」という幻想

最近では、CxOたちの間で新しい呪文流行している。

コードなんて書かなくていい。これからはノーコード時代だ。」

かに、ノーコード/ローコードは優れたツールだ。

反復作業効率化や、ビジネス部門自律化には意味がある。

だが、それは“コードをなくす”技術ではなく、“コード抽象度を上げる”技術だ。

ノーコードは、コードを隠す。

だが、隠したコードが消えるわけではない。

ボタンの裏にも、ワークフローの下にも、API呼び出しやロジックは確実に存在する。

それを理解せずに使えば、「コードを書かずにバグを埋める」だけの仕組みになる。

「ノーコードでいい」と言うCxOは、

物理を知らなくてもロケットは飛ぶ」と言っているのと同じだ。

かに飛ぶ。だが、落ちたとき理由説明できない。

理解しないまま導入するノーコードは、“ノーコード”ではなく“ノーガード”である

ツールコード隠蔽してくれる世界では、

理解しようとする努力さらに失われる。

そして、理解がないまま作られた自動化は、

人を楽にするどころか、誰も直せない仕組みを量産する。

DXとは、ツールを導入することではない。

ツールの背後にある構造理解する文化を持つことだ。

それを理解しない限り、

ノーコードで作るのは「システム」ではなく、次のレガシーだ。

8.結論ケーキではなくコードを切れ〜

CxOたちは、ケーキを切れない非行少年たちのように、

現実構造理解できずに「甘い理想」を切り分けようとする。

だが今の時代、切るべきはケーキじゃない。

理解しないことだ。

理解しないまま意思決定をすることは、

免許運転するようなものだ。

現場はずっとブレーキを踏み続けている。

それでも上層部は「もっとスピードを」と言う。

そして事故が起きたとき

真っ先に切られるのは、

──コストだけ。

最後

CxOたちは「未来を見ている」と言う。

だが、コードを読まない者に未来は読めない。

未来とは、仕様書ではなく、Pull Requestの積み重ねだ。

経営とは、方針を語ることではなく、構造理解して責任を取ること。

そして最後に、コミットログの一行が残る。

fix:typo in code

Permalink |記事への反応(2) | 16:23

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公明がいつ連立に戻ってくるか賭けるか

1.次の選挙の結果が出ても戻らない

2.次の選挙の結果次第では戻る

3.次の選挙選挙協力のために戻ってくる

4.次の選挙タイミングの前に戻ってくる

 

まぁ、どうせ1は(自民がそこまで勢力を取り戻すことも公明がそこまで意地張れる胆力も)ないとして

2は自民選挙過半数割って誰かと組む必要がある想定で一番有りそうだけど

でもその場合公明は「完全野党」で選挙を乗り切って一定以上の影響力を維持する必要がある

そうなったら選挙区をどうとるかで自民と食い合ったら意味がない

そう考えると結局連立組むなら選挙前に選挙協力という形で連立に戻る3がお互いに一番いい

4は一番終わってるがありえなくもない。政治的に混迷しそう感が今からすごいし。

Permalink |記事への反応(0) | 16:20

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国旗損壊表現の自由

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXZQOUA209Z90Q5A021C2000000/

日本国旗を対象にした損壊行為刑事罰対象とする国旗損壊罪を制定する方針が、自民党維新の会との連立合意書に明記された。高市自民党総裁としては従前から何度も法案を出してきた悲願の一つでもあり、今の日本において最も早期に行うべき施策の一つと考えているということだろう。その認識自体まりにばかばかしいが、普段創作表現の自由を声高に叫ぶ一部ブクマカ達に安易賛同されている様子で、その変わらぬ権威主義にほっとしたので少し反対意見を書いておきたい。なお、増田確認した時点で人気コメント趨勢違憲可能性を指摘するもの多数派であり、その意味でははてな全体ではまだ正気は保たれているようなので、別にこんなものを書く必要もないが、まあ、必要ものを書くなどという意義のある行為匿名ダイアリーなすべき仕事ではないだろう。

まず、高市氏が従前からしつこく主張を続ける、自国旗と他国旗との扱いの差だが、他国国章への損壊行為犯罪として定められているのは、他国への侮辱を防止することによる外交の円滑や国際的安全性保護などが目的とされており、自国旗にはこのような目的が成り立たないことが当然である以上、むしろ差を設けない方が不自然であると言えるだろう。なお、外国国章損壊罪適用については、条文上、訴追に当該国の請求を要するとされているだけでなく、「国章」の解釈について公的に掲げられたもの限定され、私的な所有物等は対象外とする等、慎重な運用を行うべきと解するのが学説の通説的見解とさており、実務上も事件化には慎重な姿勢が取られているようである

国旗国民統合象徴であるとともに、国家権力象徴ともみなされており、往々にして政治的デモ活動において、破壊行為対象となりがちであることは言を俟たないだろう。その視覚効果はあまりに雄弁であるデモ行為を野蛮なものや、「左翼」がやるようなものとして、自分と切り離している人間であっても、自国政府が例えば全体主義的な政治弾圧活動を行動を行いだし、自身も立ち上がらないといけないときが来た時に、抗議の意思国旗を燃やすという形でやるという考え自体がおよそ理解できないということはないのではないだろうか。この点で、国旗への損壊行為への処罰が、「表現」への規制ではない、国家への批判行為の委縮効果を持たない、というのはおためごかしに過ぎないことは理解できるだろうと思われる(まあ、とは書いたが、「国旗を傷つける必要はない」「むしろ国民のために立ちがるのであれば国旗を掲げるべき」というような反論をして満足する人も実際には多いだろう。する必要がない表現であれば刑事罰による規制をしていいのかは考えてほしいものではあるが。)。

これに対し、欧州各国等、先進国も含めた多くの国で自国旗の損壊処罰されていることを根拠に、問題がないという理解をしていると思われるコメントがいくつか見られるが、それぞれの国において当該行為処罰対象とすることにはそれぞれの国の歴史、経緯があるものと思われ、日本に当てはめる根拠とするのであれば、その必要性を別に議論するべきだろう。性的表現について規制をするのであれば科学エビデンスを出せという言論がよくもてはやされるが、その理屈を借りれば、日本において自国旗の損壊行為処罰すべき立法事実存在するのであれば、その「科学エビデンス」を上げるべきである日本人の名誉感情が当然害されるのだからそれでいいというのであれば、非実在児童ポルノ一般人性的羞恥心を著しく害し、性道徳を乱すのは当然であるので刑事罰対象としてもいいという暴論と変わらないだろう。まして、「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試み」た日本歴史を振り返れば、他国比較しても、国粋主義的な高まり批判するための自由が確保されることに、やり過ぎということはあり得ないのではないだろうか。なお、他国国章損壊罪に該当する規制明治時代から存在していたようであるが、これに対応する自国旗への損壊刑事罰は当時から存在していなかったようである

言論多様性はそれが保障されなければ消えてしまうかもしれない少数派、反体制派に対してこそ与えられるべきものであり、体制象徴である日本国旗を損壊する行為への規制は、そのような行為に出たくなる気持ち理解できない人であればこそより慎重に必要性を検討するべきものである。それを犠牲にして、一時的な国粋的な感情や、あるいは、「左派」を懲らしめてやったという感情を満足させておきながら、表現の自由重要性を恥ずかしげもなく掲げ続けるというのは私には理解できないところではある。

Permalink |記事への反応(0) | 14:48

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戦犯」が「敗因」と混同されてない?

戦犯」ってあくま戦争犯罪人意味であって、「敗因」の意味で気軽に使ってはいけないと思うんだけどな。

スポーツゲームならまだしも政治的話題では特に駄目だろ。

勿論現実戦争でも戦犯かつ敗因という場合は多かったけれど、それが全てじゃないし。

Permalink |記事への反応(2) | 13:11

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トランス女性がうんたらかんたら

トランスジェンダークィアオーソドックスジェンダー規範内面化することができない人として消極的定義される。トランスジェンダーには性倒錯が入るが、小児愛者・ペドフィリア動物性愛者・ズーフィリア死体愛好者・ネクロフィリアなどの他害性の高い性指向はパラフィリアとして別だとされている。社会的有害な在り方でしか欲求を満たせない存在を切り離すことで、トランスジェンダーは無害であり、受け入れない社会の方が間違っていると主張するためだ。つまり人為的区切りである。何のことはない、昔は「変態」とされていた言葉区切りを変えただけだ。

なお、性指向性自認は必ずしも同期しない。だから自分は男に生まれ女性の心を持っていて、女性的な振る舞いをするが、性愛対象女性であると云うのは全くおかしなことではない。ただ、女性への性愛のために性指向を虚偽申告したとしても、傍目には区別がつかない。

この問題に対して、性別違和(性同一性障害GDI)の人の苦しみを挙げて反論する論者がいるが、全くの筋違いである性別違和医学定義であるのに対し、トランスジェンダー政治的定義である。前者は精神的に苦痛を軽減するために医学処置を受ける必然性がある場合に認められる。かつて、トランスジェンダー界隈が「くたばれGDI」と言う標語性別違和当事者攻撃してきたのは、性別違和者は既存社会ジェンダー規範に合わせたいという強い希求があり、それに応じて法律上地位を得ていることへの攻撃だったといえる。トランスジェンダーイデオロギーは、既存の男女二分法に基づいた社会規範は間違っていて非倫理的であるという主張に基づく。処置を受けて社会適応すると言う考え自体が、トランスジェンダーイデオロギー真逆の発想なので、対立するのは当然といえる。さらに、トランスジェンダー定義として、表立っては反対しにくい性別違和者の例を挙げるなどしてるが、トランスジェンダーイデオロギーが浸透することで性別違和者が「生きやすく」なるかは疑問である。なぜなら、性別違和者は生まれ持たない既存ジェンダーロールを身に付けたいと願っているが、その試みはトランスジェンダーイデオロギーにとっては悪しきものからだ。

結論としては、トランスジェンダークィアと言うのは政治的カテゴリーであり、「社会悪でない性的逸脱」全般を指すと考えて良いと思う。数多くの逸脱が内包されている以上、一致した見解はなく、既存社会批判するためにつくられた「ポリコレ叩き棒」といっても差し支えないように思う。

Permalink |記事への反応(0) | 11:18

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フェミニズムっていうのは女性を開放せよという運動しかないのになんでこんなに大量に派生している上にうまく行っていないのか?

大本フェミニズムは、人々に人権という発送が芽生えたときに、びっくりするくらいに女性がそっちのけになったという問題がある。

女性男性が守るべきものであって、自立して生きていくべきものではない、という発想がそもそもあったので、女性に対して法的に定義された権利必要性がなかったのだろう。

かの有名なマルクス主義差別配管と言いつつもやはり対象男性であった。

人権というものが人々に浸透していったのに対象男性のみであって女性対象外、これは、男性が「働くのは男、女はそうではない」というジェンダー規範を持っていたからだ。

から初期のフェミニズムは「男性ジェンダーから開放する」というのも重要目標の一つだった。そうしなければいくら女性が自立しようにも男性に足を引っ張られるのは目に見えているからな。

ではなんでフェミニズムは細分化されていったのかという話になるが、ブラックフェミニズムというものがある。

これは「当初のフェミニズム白人女性中心のものであり、黒人女性が受けている特有差別を全く無視していた」という問題点に立脚している。

この時点でフェミニズムは「いいように細分化される運命を受け入れた」と言ってもいいだろう。

ある一つのフェミニズムがあるのではなく、「誰も着目していない女性問題を見つけたら新しいフェミニズムとして立ち上げて良い」とフェミニズムが受け入れたからだ。

次に、ウーマンリブに目を向けてみよう。

ウーマンリブは「個人的問題社会問題」と言っていたことがある。

これは「あたしが気に食わないことは社会対応すべき!」という意味などではまったくなく、「それはお前の単なるワガママと片付けられてしまうような問題も実は解決すべき社会問題が原因のことがあるのだから、切り捨てないでしっかり分析しよう」というものなのだが、この意味現代に正しく継承されているのだろうか?

みなみはるお氏は「お客様の前に立つときはまるで神の前に立つような気構えで立つんです」という意味合いで「お客様は神様です」といったそうだが、今この意味で使っている人はいるんだろうか?というのと同様の問題でもある。

フェミニズムやらかした失敗はつまり

1.男性ジェンダーから開放せよという重要なコンセプトを喪失した

2.女性が絡めばフェミニズムとして新設可能にした

の二点だと思っている。

から本当だったら「フェミニズム本質に立ち返ったフェミニズム」が今は必要なんじゃないかと思っている。そうはならんだろうけどな。

追記

ブクマ個人わがままをというのがあったので一応補足しておくんだが、「個人ワガママのように見えて実は重大な社会問題根本にあるかもしれないかわがままだと切り捨てるべきじゃない」というのがウーマンリブのコンセプトだ。

個人わがままを上手に社会問題化のように触れ回れるテクニックがあるか、だとか、人気者が行ったのかどうかとかそういった政治的事情で重大度が変わってしまうというのもあるだろうがな

Permalink |記事への反応(22) | 06:19

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