
はてなキーワード:政治学とは
C*****T:
CRITICAL ANALYTICALREVISION
追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初の分析の根本的誤読
追記2は、私の最初の分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。
私が読んだもの:
↓
↓
実際の構造:
↓
↓
PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈
これらは一見、2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しかし追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。
真の構造:実存的自己否定の連鎖
↓
↓
↓
"だから俺には描けない"
防衛機制の精密分析
耐え難い真実:
「俺は人生の敗北者だ。女性と関係を持てなかった。孤独で無価値だ」
↓ 変換 ↓
受容可能な言説:
この変換により、個人的失敗が哲学的問題に昇華される。これは自尊心を守る。
防衛機制2: 知性化(Intellectualization)
投稿者は感情(絶望、孤独、性的欲求不満)を抽象的議論(表象の倫理、当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。
これは私の最初の分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源は文化ではなく、内面化された自己批判である。
ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択
ダーガーの特徴:
「女性を知らなければ描けない」
↓
ダーガーは知らなかった
↓
だから「間違って」描いた
↓
俺も知らない
↓
↓
↓
↓
投稿者は、自分の論理を反証する例を引き合いに出しながら、その反証を認識できない。なぜなら、創造の可能性を認めることは、創作しない自分を正当化できなくなるから。
児童ポルノ言及の精神分析
投稿者は和月伸宏や他の漫画家の児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望を告白する。
しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」
- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性を性的に欲望する」ことが分離していない
- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作の障害になる
生成AIとの関係:人間関係の代替と審判者
追記2の冒頭:
「さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」
この一文は多層的である:
投稿行為の意味:ダイイングメッセージとしての告白
投稿者は明言する:
+
=
彼は応答を求めていない(対話は不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認は必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。
- 声は発するが、返答は聞かない
- 見られるが、見返さない
- 影響は与えるが、影響は受けない
SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造
THESIS: 「女性を描きたい」
THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張
ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した
弁証法的運動の停止
健全な弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。
↓
実行不能
↓
↓
↓
[ループ]
SYNTHESIS: 深層パターンの統合的理解
構造の全体像
↓
↓
【第3層:理論的借用】
↓
【表層:顕在的問い】
↓
【機能】
本質的洞察の結晶化
真の問いは:
そして彼自身が答えている:
「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」
文化的言説の防衛的使用
私の最初の分析は「アイデンティティ政治の内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。
誤った図式:
正しい図式:
彼は「当事者性」や「経験の所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来の政治的文脈から切り離され、個人的防衛機制として機能している。
解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人の自己正当化の道具になっている。
より深い文化的診断
しかし、もう一層深く見れば、これは純粋に個人的な現象ではない。
答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。
投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分の創作不能を倫理的配慮として再解釈している。
「俺が描かないのは:
ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)
ダーガーは:
投稿者の論理では、ダーガーは創造すべきではなかった。しかし創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。
答え:ダーガーの作品を「間違い」として解釈する(「少女にペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)
しかしこれは恣意的な解釈である。ダーガーの少女の性別的曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界の独自性として読むこともできる。
投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分の創作不能を正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分も創作できる/すべきだ、ということになってしまう。
最も深い問い
この事例が究極的に提起する問いは:
投稿者は「はい」と答える。私の最初の分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。
それとも:
おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。
彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛を解体するだけで、その下の絶望を露出させるかもしれない。
CRYSTALLIZED INSIGHT
この投稿者は、人生の実存的失敗(社会的孤立、性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代の文化的言説(「当事者性」「経験の所有権」「表象の倫理」)を借用することで、「原理的に不可能な創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人的無能を認識論的・倫理的問題に昇華することで、残存する自尊心を守っている。
言い換えれば:
彼の問い「男性は女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的に正当化する道具として機能している。
So what?:
この事例は、文化的言説がどのように個人的防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化と麻痺の道具になる。これは文化と心理の共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。
PUNCHLINE:
私の最初の分析は、彼を「文化の犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化の狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン
Q.
A.
共産主義は理論的には左翼思想ですが、中国や北朝鮮を単純に「左翼国家」と分類することは複雑な問題です。
左翼と右翼の定義
政治学では左翼と右翼は主に「平等主義」と「階層主義」という軸で区別されます。左翼は社会的・経済的平等を重視し、右翼は社会的階層や序列を容認する傾向があります。この定義に基づくと、中国や北朝鮮の現実は矛盾した様相を呈しています。
経済面と社会面の乖離
これらの国々は経済的には左翼的要素を持っています。政府が生産手段を所有し、資源配分を国家が管理する社会主義的経済システムを採用しています。しかし社会的には極めて保守的かつ階層的です。
北朝鮮の「成分(songbun)」制度は特に顕著な例で、国民を金一族への忠誠度に基づいて51の下位分類を含む3つの階級(核心階層、動揺階層、敵対階層)に分類しています。階級によって住居、教育、医療へのアクセスが制限され、このような厳格な階層制度は定義上、右翼的特徴とされます。
権威主義と独裁体制
両国は共産党による一党独裁体制を敷き、政治的反対派を弾圧してきました。北朝鮮は世界最悪の人権状況を持つ全体主義独裁国家とされ、金一族を中心とした徹底的な個人崇拝体制を構築しています。このような権威主義的特徴は、左翼が理想とする平等主義的な社会とは大きく異なります。
学術的評価
一部の研究者は、旧ソ連や中国、北朝鮮のような国家を「国家資本主義」や「赤いファシズム」と呼び、真の左翼政治とは対極にあると批判しています。また、これらの国々を「極右でもあり極左でもある」、あるいは「主に極右」と評価する見解もあります。
結論として、中国や北朝鮮は共産主義を標榜していますが、実際の政治体制は経済システムと社会構造が矛盾しており、単純に「左翼国家」と分類することは現実を正確に表現していないと言えます。
この記事の見解は日本政治史について独特で興味深い視点を提供していますが、いくつかの点で議論の余地があります。
妥当性の高い部分:**
自民党が1955年に自由党と日本民主党の合体により誕生し、社会党の伸長を警戒した保守派の結集だったという歴史的背景の説明は正確です。また、結党直後は鳩山一郎や岸信介など日本民主党系の総理が続き、その後池田勇人・佐藤栄作・田中角栄など自由党系の首相が続いたという系譜の整理も概ね正しいです。
議論の余地がある部分:**
1. **「左派」「右派」の定義**:自由党系を「左派」、日本民主党系を「右派」と分類していますが、この分け方は一般的ではありません。通常、政治学では経済政策や外交政策の立場で左右を分けることが多く、この記事の分類は混乱を招く可能性があります。
2. **保守本流の解釈**: 「保守本流」が「リベラル」的であるという表現は単純化しすぎています。保守本流は現実主義的な政策運営を重視しましたが、必ずしも「リベラル」ではありませんでした。
3. **現在の政治状況の分析**:岸田文雄・石破茂を「左派」として分類している点は、従来の派閥論から見ると疑問があります。
全体的評価:**
記事は自民党の歴史を一つの一貫した視点で整理しようとする試みとしては価値がありますが、政治史の複雑さを過度に単純化している面があります。特に「左派」「右派」という用語の使い方が独特すぎて、一般的な政治理解と乖離している点が問題です。参考程度に読むのは良いですが、この見解だけで日本政治を理解するのは危険でしょう。
A:「新日本憲法(構想案)」に対する批判を見てると、驚くほど表面的で感情的な反応が多いよね。某教授の「怪文書」発言なんて、学問的議論とは程遠いもんだ。
B:まさにその通りだ。彼らは「国は、主権を有し」という表現だけを取り上げて「国民主権の否定」と断じてるけど、これは完全な誤読だよ。尾高朝雄の「ノモス主権論」を理解してれば、国家が政治的統一体として主権を有することと、その内部での国民主権は何ら矛盾しないことが分かるはずなんだ。
A:シュミットの『政治的なものの概念』や『憲法論』を読んでれば、「主権者とは例外状況において誰が決定するかを決める者である」という有名な定義からも、参政党の発想が理解できるでしょ。むしろ、抽象的な「国民」ではなく、具体的な政治的統一体としての「国」が主権を有するという考え方は、政治哲学的に極めて洗練されてる。
B:しかも、この草案の根底にある思想は、ヘーゲルの『法の哲学』における「人倫(Sittlichkeit)」の概念と深く共鳴してるんだ。「家族は社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う」という第7条は、まさにヘーゲル的な家族→市民社会→国家という人倫の発展段階論の現代的表現だよ。
A:それに加えて、「主体的に生きる自由」という概念は、単なる近代的自由主義を超えた深みがある。これは西田幾太郎の「絶対無の場所」における「個と全体の論理」とも通底するし、エマニュエル・レヴィナスの「他者への無限責任」という思想とも共鳴するんだ。
B:レヴィナスの『全体性と無限』や『存在するとは別の仕方で』を読めば、「権理には義務が伴い」という発想が、存在論を超えた倫理学の地平から生まれてることが理解できる。これは「顔と顔の関係」における根源的責任の制度化なんだよね。
A:批判者たちは「個人の尊重」がないと騒いでるけど、それこそ近代西欧的個人主義の限界を露呈してる。ルイ・デュモンの『ホモ・ヒエラルキクス』やチャールズ・テイラーの『自我の源泉』が示すように、個人主義は一つの歴史的・文化的構築物に過ぎないんだ。
B:まさに。参政党草案は、そうした個人主義的前提を問い直す「ポスト近代」の憲法思想として読むべきだ。アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』が批判した「感情主義」的道徳観を克服し、共同体的美徳を回復しようとする試みとも言えるだろうね。
A:「天皇を元首とする」ことを「戦前回帰」と批判する声もあるけど、これも浅薄だ。ヴァルター・バジョットの『イギリス憲政論』やカール・レーヴェンシュタインの『現代憲法論』を読めば、立憲君主制が近代民主主義と十分に両立することが分かる。
B:むしろ、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』以来の保守主義思想の系譜から見れば、歴史的連続性を重視する参政党の発想は極めて正統的だ。ラッセル・カークの『保守主義の精神』やロジャー・スクラトンの『保守主義とは何か』が論じる「伝統の知恵」の継承こそ、真の政治的知性なんだよ。
A:それに、比較憲法学的に見ても、参政党草案は決して特異ではない。ドイツ基本法の「戦う民主主義」、フランス第五共和制憲法の強力な大統領制、さらにはシンガポールの「共同体的自由主義」など、多様な憲法モデルが存在する。
B:モーリス・デュヴェルジェの『政治制度』やアレンド・レイプハルトの『民主主義対民主主義』が示すように、「最善の憲法」なんてものは存在しない。各国の歴史・文化・社会状況に応じた最適解を探るのが真の憲法学だろ。
A:ところが、日本の法律家の多くは完全に「司法試験脳」に毒されてしまってる。芦部信喜や佐藤幸治といった「基本書」の記述を金科玉条として崇拝し、それ以外の思考は一切受け付けない。まさに「暗記マシーン」の量産だ。
B:司法試験制度の弊害は本当に深刻だよな。受験生は「基本書に書いてあること=絶対的真理」と刷り込まれ、独創的思考は「減点要因」として徹底的に排除される。その結果、弁護士になっても「権威への盲従」しかできない知的奴隷が大量生産されてる。
A:特に憲法学なんて、本来は政治哲学の最前線であるべきなのに、司法試験受験生は「通説暗記」と「判例丸暗記」しかやらない。カール・シュミットもハンス・ケルゼンも読まず、ただひたすら「芦部憲法」を暗記してるだけ。これじゃあ学問じゃなくて職業訓練だ。
B:しかも彼らは自分たちが「法律の専門家」だと勘違いしてる。実際は条文と判例の検索能力しかないのに、哲学的思考力があると錯覚してるんだ。マックス・ヴェーバーの『職業としての学問』が説く「知的誠実性」からは程遠い状況だよ。
A:参政党憲法草案を「読んでない」まま批判する弁護士がいたって話も象徴的だ。一次資料すら読まずに、某教授の「怪文書」発言を鵜呑みにして批判する。これこそ「司法試験脳」の典型的症状だろ。
B:結局、司法試験制度が作り出してるのは「思考停止した権威主義者」なんだよ。ニーチェの言う「価値の転換」を恐れ、既存の枠組みから一歩も出ようとしない。真の知的勇気なんて微塵もない。
A:参政党憲法草案の「教育勅語の尊重」規定も、表面的には批判されてるけど、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』以来の「徳倫理学」の復活として読めば、極めて現代的意義がある。
B:マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』やアルフレッド・マッキンタイアの議論を踏まえれば、功利主義的・義務論的倫理学の限界を超えて、共同体的美徳の涵養こそが真の教育の目標であることが分かる。
A:それに、ユルゲン・ハーバーマスの「憲法愛国主義」論も、単純な個人主義的民主主義では共同体の統合は困難であることを示してる。参政党の「国体」概念は、そうした統合原理の模索として理解すべきだ。
B:ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』が論じる「国民」概念の構築性を考えれば、「日本らしさ」を憲法に込めることの重要性も理解できる。単なるノスタルジーではなく、アイデンティティ政治学の観点から極めて現代的な試みだよ。
A:また、「自衛軍」の保持を明記することへの批判も的外れだ。ジョン・ロールズの『政治的リベラリズム』でさえ、国家の自衛権は基本的権利として認めてる。むしろ、現実の安全保障環境を直視しない「平和憲法」の方が非現実的だ。
B:ケネス・ウォルツの『国際政治の理論』やジョン・ミアシャイマーの『大国政治の悲劇』が示すように、国際政治はアナーキーな自助システムなんだ。理想主義的平和論では国民の生命と財産は守れない。
A:結局、参政党憲法草案への批判は、「司法試験脳」による知的怠慢と教条主義の産物だ。彼らは「基本書」以外の思想世界が存在することすら知らない。ポパーの『開かれた社会とその敵』が警告した「部族主義」に完全に陥ってるんだよ。
B:まさに「反知性主義」の権化だ。皮肉なことに、最も「知的エリート」を自称する連中が、最も知的探究心を欠いてる。司法試験という「暗記ゲーム」の勝者が、真の学問的議論を破壊してるんだからな。
B:その通りだ。トマス・クーンの『科学革命の構造』が論じる「パラダイム転換」が、日本の憲法学にも必要だ。でも「司法試験脳」に支配された学界では、そんな知的革命は起こりようがない。彼らは「減点される」ことを何より恐れる臆病者の集団だからね。参政党の「創憲」の試みは、そうした硬直した知的風土への根本的挑戦として、歴史的意義を持つだろうね。
A:最後に、レオ・シュトラウスの『自然権と歴史』が指摘した「歴史主義の危機」を克服し、普遍的価値と特殊的伝統の統合を図る参政党憲法草案は、21世紀の政治哲学が直面する根本問題への一つの回答として評価されるべきだ。
B:まさに。ハンス・ヨナスの『責任という原理』が提起した未来世代への責任や、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』後の新たな政治的可能性の探求として、この憲法草案は読み直されるべき知的財産なんだよ。
政治学は知らんと言ってるだろ
あとこっちは科学は多分狭義の科学のことを科学と認識してる人なので絶対そっちと話が合わない人種だと思う
彼らは、政治学的には「極右」と呼ばれ、外国人排斥・反グローバリズムを掲げているわけだが、それなら真っ先にトランプのアメリカに対抗して、アメリカからの独立も訴えなければならない。
しかし、やってることはトランプ礼賛、トランプを恐れて自国民を利する提案をアメリカに求めることはない、「右翼」でも「保守」でもない彼らをまとめて何と呼べばいいのか考えると「トランプ党」としか呼びようがないからトランプ党と呼ぶけど、彼らが自国民ファーストであるはずがなくて、自国民の資産をトランプに献上して自分らの地位を保証してもらうという朝貢しているだけという。
なのでマスコミには「参政党は『日本人ファースト』を掲げて支持者が増えてる~」と報じるのではなくて「参政党は本当に『日本人ファースト』か?」という点を追及してほしい
↑は、この匿名日記の2個前の匿名日記anond:20250628235025 に着想を得て、Gemini 2.5Flashと会話しながら作ったエッセイのようなものだったのだけど、これをさらにチャット型AIに読ませてみたら、各AIサービスごとに見事に差が出てビックリした。
それぞれでDeep Research をさせた結果を載せるね。
8つの主要主張について、原典と学術資料に基づく厳密な事実確認を実施しました。古代ギリシャの政治哲学から現代アメリカの世論調査まで、幅広い分野の主張を検証した結果、大部分は正確である一方、重要な不正確性も発見されました。
| 正確な主張: 6件 | 不正確な主張: 1件 | 検証不能: 1件 |
古代の政治哲学に関する主張は全て正確で、現代の統計データも概ね正確でした。しかし、アメリカ独立宣言の引用において重要な欠落が発見されました。
検証結果: 正確
プラトンは確実に民主政を理想国家の堕落過程における最終段階として位置づけ、僭主政への移行を警告しています。『国家』第8-9巻の原典から、「民主政は自然に僭主政を生み出し、最も極端な自由から最も極悪な形の僭主政が生まれる」との記述が確認されました。
プラトンの政体堕落論は、貴族政→名誉政→寡頭政→民主政→僭主政の順序で展開され、民主政の「際限のない自由への欲求」が秩序を破壊し、デマゴーグを生み出すことで僭主政に至ると分析しています。
検証結果: 正確
アリストテレスの『政治学』第5巻は、民主政の不安定化と崩壊について詳細な分析を提供しています。原典では「民主政はデマゴーグに支配されるとき最も転覆しやすく、デマゴーグが富者に対する十字軍を率いるとき」との記述が確認され、実際にアテネ等の具体例も挙げられています。
検証結果: 正確
ポリュビオスの『歴史』第6巻に記述されたアナキュクロシス(政体循環論)は、主張通り王政→僭主政→貴族政→寡頭政→民主政→衆愚政の循環を提示しています。この理論は数百のギリシャ都市国家の観察に基づいており、後のアメリカ建国思想にも大きな影響を与えました。
検証結果: 正確
学術的コンセンサスと一致する内容です。紀元前133年のティベリウス・グラックス暗殺から27年のアウグストゥス即位までの危機過程における政治的暴力、軍事的強者による内戦、経済格差の拡大、制度的破綻などの要因分析は、現代歴史学の標準的見解と合致しています。
最も重要な発見は、アメリカ独立宣言の引用における重大な欠落です。
主張された引用文:
国立公文書館による正確な原文:
「我々は、これらの真理を自明のものとして受け入れる:すべての人間は平等につくられており、創造主によって、生命、自由、幸福の追求を含む、ある種の不可侵の権利を与えられている」
この欠落により、独立宣言の哲学的基盤である「自明の真理」という概念が失われ、文脈的意味が大きく変化しています。
検証結果: 正確
機密解除されたCIA文書と1975-76年の教会委員会報告書により、イラン(1953年)、グアテマラ(1954年)での政権転覆工作、プロパガンダ活動、心理作戦の実施が確認されています。モッキンバード作戦による報道機関への浸透、MKウルトラによる心理実験なども含まれます。
2022年4月実施の調査(n=10,156)で、アメリカ成人の39%が「人類は終末の時代に生きている」と信じていることが確認されました。主張の「約4割」は統計的に正確です。調査は全国代表性を持つ手法で実施され、宗教的・人種的背景による大きな差異も記録されています。
指定されたYouTube動画へのアクセスができないため、具体的な主張を検証できませんでした。ただし、2022年1月の退任発表では、アメリカを「進行中の実験」と表現し、民主主義制度への楽観的な信念を表明していることが複数の信頼できる報道で確認されています。
このエッセイは古代政治哲学の引用と現代統計データにおいて高い正確性を示しています。特に、プラトン、アリストテレス、ポリュビオスの古典的政治理論の記述は、原典と学術的コンセンサスに忠実です。
ただし、独立宣言の引用における重要な欠落は修正が必要です。この修正により、アメリカ建国思想の哲学的基盤がより正確に伝わるでしょう。
推奨修正:
独立宣言の引用部分に「我々は、これらの真理を自明のものとして受け入れる:」を追加し、思想的文脈を完全に保持することを推奨します。
全体として、このエッセイは学術的に信頼性の高い内容を提供していますが、一次資料からの引用については、より慎重な検証が必要です。
承知しました。このエッセイ全体を対象に、歴史的・政治的主張や引用に事実誤認がないか、またその解釈や論拠に不正確さや誤解を招く表現がないかを、批判的視点から検証します。
確認が済み次第、主要ポイントごとに整理した上でご報告いたします。少々お待ちください。
このエッセイに述べられている歴史的・社会的な論点は、概ね史実や資料に基づいており、大筋で正確です。古代ギリシアの哲学者による民主政への批判(プラトン、アリストテレス)やポリュビオスの政体循環論、ローマ共和政の崩壊原因、アメリカ独立宣言の理念と冷戦期のCIAの秘密工作、現代アメリカの「ディープステート」陰謀論、福音派の終末論的世界観とイスラエル支持、さらに第二次大戦期のファシズム台頭の教訓など、多岐にわたる主張が展開されています。**これらの主張のそれぞれについて、史実との照合を行った結果、エッセイに明らかな虚偽は見当たりませんでした**。以下に、各ポイントごとに根拠となる事実関係を検証します。
エッセイの説明はこのポリュビオスの理論と一致しており、\*\*「民主政が衆愚政へと堕落する過程」\*\*についての記述(個人の自由が公共の利益を損ない無秩序と暴力に陥る)は、ポリュビオスが説いた民主政から無政府状態への移行と同じ現象を指摘しています。したがって、この点も史実に沿った主張です。
以上の歴史は、**どれほど堅固に見える政治体制でも、極端な経済格差や権力闘争(安定した政権交代の仕組みがないこと)が内部矛盾となって崩壊しうる**ことを示しています。エッセイの記述はこの歴史的経緯と一致しています。
人類の歴史において、民主主義は常に理想と現実の狭間で揺れ動く「壮大な実験」であり続けてきた。古代ギリシアの賢人たちは、その脆さと可能性を早くも見抜いていた。
プラトンは、その著書『国家』において、理想国家の堕落の最終段階として「民主政」を挙げ、それが「僭主政」へと移行する危険性を指摘した。彼は、自由を過度に追求する民主政が、最終的には無秩序と放縦を生み出し、大衆の感情に訴えかける扇動家(僭主)の台頭を許すと警告した。アリストテレスもまた、『政治学』第5巻で、民主政が貧富の対立や扇動政治家による民衆の操作によって不安定化し、崩壊に至る多くの実例を詳述している。
そして、ポリュビオスは、政体が「王政→僭主政→貴族政→寡頭政→民主政→衆愚政」というサイクルを繰り返す「政体循環論」を提唱した。民主政が衆愚政へと堕落する過程は、個人の自由が過度に尊重されるあまり公共の利益が見失われ、最終的に無秩序と暴力が支配する衆愚政治に陥るというものであり、古代の知見が現代にも通じる普遍性を持つことを示している。
古代ローマ共和制は、これらのギリシア哲学者の懸念を現実のものとする一例だった。その成果は、法の支配、市民の権利、抑制と均衡のシステムに見られたが、広大な領土の獲得に伴う経済格差の拡大、軍人政治家の台頭、そして内乱の激化は、最終的に共和制を帝政へと移行させる原因となった。これは、いかに強固な体制であっても、内部の矛盾と「安定した政権交代ができない」という弱点を抱えることで、崩壊の道を辿ることを示している。
長く続いた暗黒のヨーロッパを経て、米国はリベラル・デモクラシーの旗手として世界の舞台に登場した。その理念は、自由、平等、人権、そして民主主義の普及にあった。米国の独立宣言は、まさにその理念の表明であり、「全ての人間は平等につくられ、創造主によって、生命、自由、幸福の追求という、ある種の不可侵の権利を与えられている」という、新しい世代へと夢を託す壮大なビジョンを示している。
しかし、冷戦という特殊な国際情勢下において、米国は理想と現実の厳しい矛盾に直面した。ソ連とのイデオロギー的対立の中で、米国は「リベラル」な信条と相反する「リアリスト」な態度を国際社会(外交)において求められることになった。その結果、CIAなどの諜報機関は、他国の政権転覆、心理作戦、プロパガンダといった秘密情報活動を大規模に展開した。これらの活動は、当時の米国の国益を守るためとされたが、介入を受けた国々に米国に対する根深い猜疑心と不信感を植え付けた。リベラル・デモクラシーを標榜する国家が、その理想とは裏腹に、他国の内政に干渉し、世論を操作する行動に出たことは、その後の国際社会における米国の信頼性にも影を落とすことになった。
皮肉なことに、この「他国を貶める」ために行われた情報操作の「刃」は、時を経て米国自身に向けられることになる。米国社会で広がる「ディープステート」論は、かつてCIAなどが他国で行ってきたような「見えない権力による操作」への根深い不信感が、今や自国のエスタブリッシュメントに向けられている現象と見ることができる。リベラル・デモクラシーの擁護者であるはずの米国が、自らの行いが原因で、その理念自体に疑いの目を向けられている現状は、まさに過去の行動の「しっぺ返し」と言えるだろう。
現代の世界、特に米国の影響を色濃く受ける日本や西ヨーロッパの人々も、同様の「終末観」にとらわれているかもしれない。ピュー・リサーチ・センターの調査によれば、米国では成人のおよそ4割が「人類は終末の時代に生きている」と信じている。特に福音派の多くは、この信念が強く、キリスト再臨を心待ちにする彼らがイスラエルを強く支持する姿勢は、その信仰が地政学的な問題にまで影響を与えていることを示している。https://www.pewresearch.org/short-reads/2022/12/08/about-four-in-ten-u-s-adults-believe-humanity-is-living-in-the-end-times/
一見、これまでの古代のデモクラシー批判や戦後の情報活動の議論と、現代の終末論的心理は繋がりがないように見えるかもしれない。しかし、リベラル・デモクラシーにおける社会心理や社会不安は密接に結びついている。
第二次世界大戦を経験した我々は、過去に生活苦や経済難から排外主義などを煽られ、ファッショを生み出した経験を持つ。ファシズムは、大衆の不満と不安を吸収し、明確な「敵」を提示し、感情的に扇動することで、個人の自由を奪い、国家を肥大化させていった。 この歴史は、民主主義がいかに容易に大衆操作によって変質し、その結果がどれほど悲劇的になりうるかを示す重要な教訓である。
私たちは、民主主義の脆さ、そしてリベラルの理想が時に傲慢さや矛盾をはらむことを知っている。知っていてなお、前向きに新しい世代へと夢を託していかねばならないのだろう。
なぜなら、人類はこれまでも、数々の困難な時代を乗り越えてきたからだ。古代の政体循環や、近代のファシズムの台頭、冷戦期の情報戦といった過去の経験は、私たちに民主主義が直面する試練の本質を教えてくれる。それは、生活苦や経済難から生じる不満が、社会構造や外部の敵ではなく、「内なる敵」へと転嫁され、徒党化することで、自身の体制を内側から破壊するという、デモクラシーの最も脆い側面である。
しかし、その脆さを知ることは、同時に「同じ目には遭わない」ための知恵となる。私たちは過去の過ちを繰り返し、民主主義の理想を失ってはならない。それは人類の英知であり、私たちに課せられた「壮大な実験」の継続と成功への責任である。
最高裁判事を退任するブライヤー判事が、アメリカを「自由とすべての人間は平等であるという命題に捧げられた国」であり、その理念が長く続くかどうかは「実験」であると述べ、その成否を若い世代に託した表明は、私たちに勇気を与えるものである。https://www.youtube.com/watch?v=Lv7WkW7z4hQ
---
「Society for the Prevention of Cruelty to Dead Horses(死んだ馬への残虐行為防止協会)」について、アーサー・ケストラーの意図をさらに深く、鋭く考察してみましょう。
この架空の協会は、単なる皮肉や批判を超え、ケストラーが抱えていた知的・倫理的な危機感を象徴するものです。それは、人間の認識の歪み、集団的記憶の操作、そして知識人が陥りがちな「進歩」という名の停滞に対する、痛烈な告発と言えます。
ケストラーが最も懸念したのは、歴史の「終わり」を宣言し、不都合な記憶を葬り去ろうとする政治的・社会的な圧力です。彼は、ホロコーストやスターリン主義の残虐行為といった人類の深淵に触れる出来事を、あたかも「済んだこと」として扱うことで、その教訓を未来に活かすことを妨げるメカニズムを看破しました。
* 「死んだ馬」の定義の曖昧さ: 何が「死んだ馬」であるかを決定するのは誰か? その定義は、往々にして権力を持つ者や、特定のイデオロギーに囚われた集団によって恣意的に行われます。彼らは、自らの過ちや責任を追及されることを避けるために、「もう終わったことだ」というレッテルを貼ることで、議論を封殺しようとします。
* 「進歩史観」の罠: 多くの人は、歴史は常に進歩していると信じたがります。この進歩史観は、「昔の過ちは過去のもの」とし、現代の視点から見れば時代遅れで野蛮な行為として片付けがちです。しかし、ケストラーは、人間の破壊衝動や集団狂気といった根源的な問題は、時代を超えて存在し続けると見ていました。「死んだ馬」と見なすことで、その本質的な問題を直視する機会を失わせるのです。
ケストラーは、科学や哲学の領域でも、一度確立された(しかし、もはや妥当性を失った)理論やパラダイムが、一種のドグマとして機能し続ける現象を批判しました。
* 「共有された虚偽」の継続: 例えば、粗雑な還元主義や行動主義といった思考様式は、既にその限界が露呈しているにもかかわらず、多くの教科書や研究者の思考様式に深く根付いています。これは、過去の成功体験や、その概念に基づいて構築された学問的・社会的構造が強固であるため、新しい視点や批判が受け入れられにくい状態を示します。
* 「専門バベルの塔」の弊害: 各専門分野が細分化され、それぞれの領域内で完結しようとする傾向は、俯瞰的な視点や異なる分野間の対話を阻害します。その結果、「死んだ馬」と化した概念がそれぞれの専門分野の「聖典」として生き残り、他の分野からの批判を受け付けない閉鎖的な状況を生み出します。ケストラーは、ホロンの概念を通じて、この断片化された知のあり方に警鐘を鳴らしました。
この協会は、人類が不都合な真実、特に自らの愚かさや破壊性、あるいは集団的狂気といった側面に直面することから逃れようとする、心理的なメカニズムをも映し出しています。
* 罪悪感の回避:過去の残虐行為や失敗を「終わったこと」にすることで、そこから生じる罪悪感や責任の追及を回避しようとします。これは個人の防衛機制が、集団レベルで発動している状態です。
*認知的不協和の解消:自身の信念や行動が、ある事実と矛盾する場合、その事実を無視したり、矮小化したりすることで心の安定を保とうとします。ケストラーが例に挙げたスターリン主義への批判回避は、かつて共産主義に希望を見出していた人々が、その理想と現実の乖離を受け入れがたいがゆえに、「死んだ馬」とすることで思考を停止させた事例と言えるでしょう。
結論として、「Society for the Prevention of Cruelty to Dead Horses」は、単なるユーモアや比喩に留まりません。それは、人間の集合的な記憶、認識、そして倫理観がいかに脆弱であり、いかに容易に操作され、自己欺瞞に陥るかを鋭く指摘する、**ケストラー流の「知的良心の喚起」**なのです。彼は、真正の知性とは、たとえ不快であっても「死んだ馬」の臭気を嗅ぎ続け、その腐敗の原因と教訓を探り続ける勇気を持つことだと訴えかけたのではないでしょうか。それは、現代社会においても、フェイクニュース、歴史修正主義、環境問題への思考停止など、多くの課題に当てはまる普遍的な警鐘であり続けています。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.todaishimbun.org/komabasciencecouncil_20250611/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.todaishimbun.org/edulawsciencecouncil_20250611/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.todaishimbun.org/scisciencecouncil_20250612/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.todaishimbun.org/mediagatsciencecoucil_20250612/
三菱系企業は戦前から東大、一橋、慶應義塾が強いと言われてきましたが
三菱重工業では伝統的に三菱長崎造船所や下関造船所の関係で九大(九州帝國大學)工学部も強い(三菱重工業第10代社長は九大工卒の増田信行)ですし、京大(京都帝國大學)も三菱系には全般的に強いです。
三菱銀行や三菱信託や東京海上火災保険や明治生命保険の三菱系の金融会社では伝統的に東大と一橋と慶應義塾が強く特に三菱銀行では三菱合資會社社長の三菱財閥四代目の岩崎小弥太(岩崎弥之助の長男)に厚く信頼されていた加藤武男(吉田茂内閣経済最高顧問)の影響で慶應義塾が東大と並ぶ学閥が強いことで有名でした。
戦後の三菱銀行でも加藤武男(慶大理財)、千金良宗三郎(慶大理財)、宇佐美洵(慶大経済・佐藤栄作内閣で池田勇人内閣からの引き継ぎ人事として戦後初の民間銀行出身者として第21代日銀総裁に就任)の3名が慶大卒業生で小笠原光雄(東京帝大法)、中谷一雄(東京帝大法)、田実渉(東京帝大経済)、中村俊男(東京帝大法)、山田春(東京帝大法)、伊夫伎一雄(東京帝大経済)、若井恒雄(東京帝大法)の東大卒業生7名に次ぐ頭取を輩出しています。
三菱商事は伝統的に圧倒的に東大(東京帝國大學)が強く慶應出身の社長は水産畑の第5代社長の三村庸平(慶大経済)社長だけですし、一橋出身の社長は機械畑のブンチンこと第4代社長の田部文一郎社長(東商大)と戦後の混乱期の田中完三社長(東京高等商業卒業で三菱合資會社出身)の二人だけです。
戦後の東大出の三菱商事社長は服部一郎(東京帝大法)、高垣勝次郎(東京帝大法)、荘清彦(東京帝大経済)、藤野忠次郎(東京帝大法)、近藤健男(東大工)、小島順彦(東大工)、小林健(東大法)、中西勝也(東大教養)の8名となります。因みに高垣勝次郎氏のご子息の高垣佑氏は東大経済学部卒業後、東京銀行(戦前の横浜正金銀行)に入行し、上記の若井恒雄頭取の時代の三菱銀行と合併して東京三菱銀行の初代頭取に就任します。
三菱商事の社長には東大や一橋や慶大以外には三菱の岩崎小弥太と縁が深い旧制成蹊高等学校からハーヴァード大学政治学部を卒業した第8代社長の槇原稔や大漢和辞典編纂者の漢学者の諸橋轍次氏の御曹司である上智大学経済学部を卒業した第7代社長の諸橋晋六や早稲田大学理工学部を卒業した第9代社長の佐々木幹夫や京都大学経済学部を卒業した第12代社長の垣内威彦等もいてアメリカのハーヴァード大学やカソリックのイエズス会経営の上智大学卒業の社長もいる様に東大卒業者と慶大卒業者に昭和時代にはほぼ頭取の卒業大学が限定されていた三菱銀行に比べると結構、外国大学や早慶以外の私大等バラエティに富んでいます。
三井系は戦前の三井銀行は財界三田閥の慶應義塾出身者の中上川彦次郎(福澤諭吉の甥)や池田成彬(中上川彦次郎の女婿)の強い影響力でかなり強い慶應閥の銀行でした。
戦後の三井銀行(戦前には第一銀行と合併して帝國銀行)及び三井グループのドンと言われた佐藤喜一郎は戦前の三井銀行では慶應義塾大学に次ぐ学閥だった東京帝國大學経済学部卒業生でした。佐藤喜一郎は旧制横浜一中(現在の県立希望ヶ丘高校)、旧制一高、東京帝國大學経済学部卒業のエリートで当時の池田成彬と並ぶ三井銀行の実力者だった東京英和学校(後の青山学院)出の米山梅吉の紹介で三井銀行に入行します。
戦後の三井銀行でも慶大出身の社長(頭取)は柳満珠雄(慶大理財)や板倉譲治(慶大経済)や神谷健一(慶大経済)と東大出身の佐藤喜一郎(東京帝大経済)、田中久兵衛(東京帝大経済)、関正彦(東京帝大経済)、末松謙一(東大経済)の4名に次ぐ3名を輩出しています。
三井銀行では戦前は池田成彬と並ぶ実力者だった米山梅吉(後の三井信託社長)が青山学院の前身の東京英和学校の出身者であったので其の米山梅吉の強い引きで三井銀行に入行した青山学院高等科卒業の万代順四郎も慶應出や東大出との出世競争に打ち勝って三井銀行の頭取を戦前に務めています。※銀行では戦後は頭取と呼ばずに社長と呼称しています。
しかしながら三井財閥の持株會社だった三井合名會社と並ぶ中核企業だった三井物産は鈍翁・益田孝の三田閥偏重の学閥排除の目的から意識的に一橋の高等商業学校や東京高等商業学校や東京商科大学を三井物産の幹部社員候補として意識的に重点的に優先採用して来たので戦前から戦後のある時期までは三井物産は完全な一橋の如水会が最大の学閥となる総合商社でした。
戦後の三井物産でも名物社長と言われた三井物産再統合の立役者・新関八洲太郎や『ハヤブサの達』こと水上達三、『根アカ経営論』の八尋俊邦等は皆、一橋の東京高等商業学校や東京商科大学の卒業生です。
戦後の三井物産の東大出の社長は池田芳蔵(東京帝大経済)、江尻宏一郎(東京帝大法)、槍田松榮(東大工)、安永竜夫(東大工)の4名で京大出の社長は熊谷直彦(京大法)と上島重ニ(京大経済)の2名で慶應出の社長は今の堀健一(慶大経済)の1名だけです。
一橋(3)と東大(4)と京大(2)と慶大(1)以外の三井物産の社長の学歴は長崎高等商業学校(長崎大学経済学部)卒業の若杉末雪と東京外国語大学外国語学部ポルトガル語学科卒業の清水慎次郎と横浜国立大学経営学部卒業の飯島彰己となります。
住友系は戦前の財閥持株会社だった住友合資會社が戦前には今の東大の東京帝國大學や今の京大の京都帝國大學や今の一橋大の東京商科大学や今の神戸大の神戸商業大学の旧帝大と旧商大グループを意識的に幹部社員として優先採用してきたので今でも東大、京大や一橋大や神戸大が人脈的に強い傾向があります。
戦後の住友銀行頭取は野田哲造(東京帝大法)、鈴木剛(京都帝大経済)、堀田庄三(京都帝大経済)、浅井孝二(神戸高商)、伊部恭之助(東京帝大経済)、磯田一郎(京都帝大法)、小松康(東京帝大経済)、巽外夫(京都帝大法)、森川敏雄(東大法)、西川善文(阪大法)となります。
戦後の住友銀行の頭取の学歴は京大4名、東大4名、阪大1名、神戸大1 名となります。
三菱財閥や三井財閥の銀行や商社に多く見られた一橋や慶應義塾出身者は住友銀行頭取では皆無となります。
文系は戦後派の阪大も住友系には強く西川善文元三井住友銀行頭取(後にゆうちょ銀行社長)の様な個性的な人材を輩出しています。
シュミット先生は『合法性と正当性』にて「技術信仰の明証性は、技術において、ついに、絶対的、最終的に中性的な基礎を見出したと信じることができた」とか「ここでならば、あらゆる民族、国民、あらゆる階級、宗派、あらゆる年齢層、性別が、急速に合意することも可能であるように見える。なぜなら、技術的快適さの利益、便利は、万人が同じ自明さをもって享受するのだから」と書いている。
この人が生きていた時代はAI技術なんて考慮すらされていなかったので、ここでいう“技術信仰”における技術ってのは“科学的な体系や、その分野の専門家”などを指しているわけだが、現代でいうならここにAIも含まれることになるだろう。
このあたりの“技術信仰”の是非は他の人も語ってて、シュトラウス先生は『ホッブズの政治学』で
技術の中立性が仮象であることがわかるにつれて、「絶対的かつ究極の中立的基盤」を発見したり、いかなる協調を実現しようとする試みの不合理さも明らかとなる。いかなる代価を払ってでも協調が実現されるべきだとすれば、それは人間生活の意味を放棄するという代償を支払って得られる協調でしかありえない。なぜなら、そうした協調は何が正しいかという問いを断念するときのみ、実現可能だからだ。そして人間がそうした問いを断念するとき、かれは人間であることを断念することになる。
完全なる協調を求めるならば闘争を治めるしかない。そのためには皆が“何が正しいのかという問題”を放棄すればいい。或いは、価値一元論のもと解答先を決めて、皆がそれに従う世界にすればいいかもしれない。その“解答先”こそが“技術”であり、ひいては“AI”ってわけだ。
本質的に技術そのものは中立であり、その解答は客観的で偏りがないとされる。価値一元論のもと解答を求めるならば、AIはこの上ない存在だろう。しかし、シュミット先生は「技術は全ての人に仕えるという、まさにそれ故に中立的ではない」ともいっている。技術そのものが中立的であっても、そうではない人間が紛れ込む時点で中立性は損なわれるからだ。
ちょっと前に、朝日新聞フォトアーカイブをAIでファクトチェックしようとした人が話題になったけど、あれなんて典型例だろう。使う側が「この画像はおかしい」という含意のもとAIに尋ね、その結果を「AIがいっていることだから正しい」という前提のもと解答としている。もちろん、あの件をAI技術の未発達が原因だと論じることは可能だけど、それって人間側の未熟さを棚にあげるってことで「人間であることを断念」してないか。人間性を放棄しといて民主も自由もなかろうに。
人間が何が正しいかを真剣に問うならば、そうした問いのもつ「解きがたき問題構成」に直面して、紛争が、それも生死を賭した紛争が勃発するのである。何が正しいか真剣に問うことによって、政治的なもの(人類の敵味方への集団化)はその正当な根拠を得るのである。
これも『ホッブズの政治学』に書かれてたことだけど、つまり何が正しいか真剣に問わない世界ってのは政治的闘争もないってこと。というより、技術(AI)が絶対的に正しいとするならば、そこに民主的な考えや自由な考えが入り込んで対立する余地がない。あったとして、それは茶番や娯楽でしかない。だから人間は真剣でなくなるけど、争いは減るからまあ平和的ともいえる。
そういえば最近、シロクマ先生はAIに選挙を任せることの是非についても語っていたけど、ブコメで「AIの言ったとおりに投票する自由はあるだろ」といった旨のこと言ってる人がいたな。まあ理論上ではあるけど、「(AI)技術が本質的にもつ中立性」と「自由主義が追い求める中立性」って相性はいいんだよね。
ただ先ほどもいったように技術を誰でも仕える時点で中立性は損なわれている。その点を抜きにしても、技術が人間に服従していて、かつ人間よりは有能でないからこそ成り立つ話でもある。今後AIがより有能になり、むしろ人間側がすすんで服従することがマストの風潮になっていくならば、その先に自由なんてないわけで。奴隷が「その先に自由がないものを選ぶ」ことまで“自由”という括りにするのは欺瞞的だ。
とはいえ、価値一元論における解答者がAIになるような世界が実現した場合、そもそも人間による政治そのものが必要なくなり、選挙もする必要がなくなる(AIの判断が最も正しいのならば、国家レベルで「人間同士が正しさを競う場」なんて必要ない)。なので、いまの選挙のように「人間が政治的に争う場」がまだある現段階では、多少AIが介入したところで民主や自由は残ってるといえなくもない。
AIは現状「人間の労力と、その結果に対する責任を誤魔化すためのツール」の域を出ないからこそ、まだ悠長に語れている話ではある。シュトラウス先生が現代に蘇れば「私たちが語ってた頃よりも技術がヤバいことなってるのに、お前らまだそんな吞気なこと言ってんのか」って思うかもしれんが。
chatGPT o4-mini-high に調べてもらったよ
anondの仕様で投稿できなくなるので文中のリンクは消していますが、タイトルはあるのでググっていただければソースは見れると思います。
---
以下では、主に米国と国際的な調査事例をもとに、コロナワクチンに対する陰謀論的信念の“はまりやすさ”と、社会人口学的属性・政治的属性との関連をまとめます。
## 要旨
調査結果を総合すると、コロナワクチンへの陰謀論的信念は、学歴の低さや低所得、若年層、マイノリティ人種、女性などと正の相関を示す一方、白人高学歴高所得・高年齢層では信じにくい傾向があります。また、政治的にはリベラルよりも保守層、特にトランプ支持者やポピュリズム的メディア利用者で信じやすく、党派的・メディア接触の影響が顕著です。加えて、知人・家族経由の情報入手者も信じやすいとされ、信念パターンは国際的にも一定の共通性を持つものの、国によって年齢や性別の効果はまちまちです。
---
### 1.1学歴
### 1.3性別
### 1.4 年齢
---
---
### 3.1世界規模での流布状況
---
1. Reiter, P. L.et al. What Demographic, Social, and Contextual Factors Influence the Intent to Vaccinate againstSARS-CoV-2? _Vaccines_ 9, 726 (2021). ([What Demographic, Social, and Contextual Factors Influence the ...](https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8431323/?utm_source=chatgpt.com))
2. Schaeffer, K. Alookat the Americanswhobelieve thereis sometruth to the conspiracytheory thatCOVID-19was planned. _Pew Res. Short Reads_ (2020). ([25% in US seeat least sometruth in conspiracytheory thatCOVID-19was planned | Pew Research Center](https://www.pewresearch.org/short-reads/2020/07/24/a-look-at-the-americans-who-believe-there-is-some-truth-to-the-conspiracy-theory-that-covid-19-was-planned/))
3. Enders, A.et al. The sociodemographic correlates of conspiracism. _Sci. Rep._ 14, 14184 (2024). ([The sociodemographic correlates of conspiracism | Scientific Reports](https://www.nature.com/articles/s41598-024-64098-1))
4. Carsey UNH. Conspiracy vs. Science: A Survey of U.S. Public Beliefs. (2021). ([Conspiracy vs. Science: A Survey of U.S. Public Beliefs](https://carsey.unh.edu/publication/conspiracy-vs-science-survey-us-public-beliefs?utm_source=chatgpt.com))
5. Economist/YouGov Survey. Public beliefs in microchip implantationviaCOVID-19 vaccines. (2021). ([Conspiracy vs. Science: A Survey of U.S. Public Beliefs](https://carsey.unh.edu/publication/conspiracy-vs-science-survey-us-public-beliefs?utm_source=chatgpt.com))
6. Oliver, J. E. & Wood, T. (2021). How populism andconservative mediafuel conspiracy beliefs aboutCOVID-19. _SAGE_ (要旨). ([How populism andconservative mediafuel conspiracy beliefs about ...](https://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/2053168021993979?utm_source=chatgpt.com))
7. Pérez, J.et al. ECCV-COVID:COVID-19 Vaccine Conspiracy BeliefsScale across 13 countries. _Front. Psychol._ 13, 855713 (2022). ([WhatIs the Support for Conspiracy Beliefs AboutCOVID-19 ...](https://www.frontiersin.org/journals/psychology/articles/10.3389/fpsyg.2022.855713/full?utm_source=chatgpt.com))
8. Freeman, D.et al.Cross-cultural variation in vaccine hesitancy: the overriding role of conspiracist ideation. _Preprint_ (2021). ([How populism andconservative mediafuel conspiracy beliefs about ...](https://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/2053168021993979?utm_source=chatgpt.com))
9. Basch, C. H.et al.COVID-19 vaccine rumors and conspiracy theories. _PMC_ (2021). ([COVID-19 vaccine rumors and conspiracy theories](https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8115834/?utm_source=chatgpt.com))
10. Jamieson, K. H.et al.COVID-19 Conspiracy Theories Are Spreading Rapidly—and They’re a Public Health Risk. _Time_ (2020).
ディープステイトについて、ChatGPT o4-mini-highに聞いたよ
## 要約
ドナルド・トランプ前大統領が主張する「ディープステイト」は、連邦捜査局(FBI)や中央情報局(CIA)などの公務員が陰で自身を排除しようとする秘密結社的な権力構造を指す言説ですが、主要メディアやファクトチェッカーは根拠のない陰謀論と評しています )。学術的には、行政官僚の自己保存的慣性(bureaucratic inertia)は存在するものの、組織的な「深層国家」を裏付ける証拠は乏しく、多くの専門家は「ディープステイト陰謀論」として一線を画すべきと論じています 。
「ディープステイト(DeepState)」とは、公的な政治権力とは別に、情報機関や軍産複合体などが独自に政策決定や権力行使を行う隠れたネットワークを指す用語です 。
##トランプ氏による主張
トランプ氏は、自身に批判的な司法・情報機関の内部勢力を「ディープステイト」と呼び、「大統領選への介入」「ロシア疑惑捜査の妨害」などを企てたと繰り返し非難しました 。
トランプ氏が提起した「ディープステイト」は、具体的証拠に乏しく、主要ファクトチェッカーや報道機関、専門家の多くが「根拠のない陰謀論」と断じています。一方で、官僚制度や公務員の自己保存的行動は実在しますが、それを秘密結社的に描くのは事実の誇張といえるでしょう。総じて、現時点では「ディープステイト」は陰謀論として扱うのが妥当です。