
はてなキーワード:撮影とは
珍しくローカルガイド記事が目立っているので、ちょっとみんなの知らなそうなこと書いたら面白いかなと思って書いてみる。活動を周知してローカルガイドの数を増やすのもローカルガイドの活動だしね。
ちょっとぼかす。活動歴9年と書いたが、ここ数年は生活に変化がありあんまりやっていない(月数件の口コミくらい)。
ふだんGoogleMapsの口コミには助けられていたので、私しか知らない情報を投稿してやるかと、なんとなく1つ投稿したのが始まり。それが多く閲覧されていることがわかり、承認欲求&世の中の役に立っている気持ちになり継続した。あと写真を撮るのが好きで、撮った写真を他の人にも見てもらうのにいいな〜と思った。
そもそもローカルガイドってなんやねん、と思っている人が多いと思うので説明しておこう。ローカルガイドとはGoogleが定義した名称で、GoogleMapsに口コミや写真を投稿する人のこと。
口コミや写真投稿だけでなく、誰かが更新した情報の確認、新たにできた場所の新規追加、質問への回答、ストビューの道追加などがある。それぞれのカテゴリの投稿することでポイントが取得でき、カテゴリのバッジをゲットできたりする。
ポイントは特に何に使えるとかはない。ゲーミフィケーションとしてローカルガイドのモチベーションを高めるだけのもの。ポイントで到達できるローカルガイドレベルは現在10まである(昔はレベル5までだった)。レベル9になるには50,000ポイント必要、レベル10になるにはレベル9到達までの50,000ポイントが必要となかなか時間がかかる。適当な写真をアップロードしまくってレベルを上げることもできるが、レベルを上げても最近は金銭的・物理的特典はほとんどないのでやる人はいないだろう。ローカルガイドバッジの表示ちょっと変わるくらい。
上述したように、最近は特典などほとんどない。しかし、昔はPlayポイントがもらえたり、Googleに招待されたり、航空券がもらえたりするようなことがあった。
特典ではなく、ローカルガイドの交流や、GoogleMapsをよりよくするための場である。招待条件は非公開。ローカルガイドをがんばっていると、Googleからメールが来たりする。
招待は大きく、米国マウンテンビューのGoogle本社に招かれるコネクトライブと呼ばれるものと、各国独自で開催されるものがある。
コネクトライブについては、Twitterで「GoogleMapsの口コミやってたらGoogle本社に招かれちゃったわ〜」みたいなツイートを当時よく見たものだ。実際は応募の権利を得ただけで、英語でのアピール動画を撮影・応募したのち、各国数人程度の低い当選率をくぐり抜ける必要がある。実際に行った人はほぼいなかっただろう(私も落選した)。
各国独自イベントは、日本でもそこそこ開催されているようで。私は2回ほどイベントに招待され、六本木オフィス、移転後の渋谷オフィスに伺ったことがある。後述するローカルガイドコネクトというGoogleの運営サイトでその様子が見れたりします。
1回だけローカルガイド交流会のような名目で私も招待された。このようなイベントは何回か開催されているようだがかなりレアであり、私のちょっとした自慢である。なお、最初はメールであなたは当選しました、みたいな内容でとても怪しかった。しかし、他のローカルガイドもイベントに誘われているという情報を得て、最後まで詐欺ではないかと疑いつつタダ海外旅行をゲットした。
GoogleMapsにはSNS機能はなく、人のつながりはあまりないように見える。まさに先月、2025年9月まではローカルガイドをフォローする機能があったが、9月に削除された。ちょっと昔はGoogle+(ぐぐたす)という今亡きGoogle謹製のSNSや、その他SNSで人とのつながりが観測された。
今はどこでローカルガイドは交流しているかというと、Googleが運営するローカルガイドコネクトである。検索でひっかかるような場所ではないので、ここを知っていたらあなたは相当なローカルガイドです。記事を書いて、トレンドトピックに選出されたりするとちょっとうれしい。自分のアイコンにローカルガイドレベルが表示されるのだが、だいたいみんなレベル9とか10。Google社員は「G」マークがアイコンに表示されるのでみんな羨望の眼差しで見ている(と思う)。
疲れてきたのでこのくらいで・・
TikTokのコメント欄にタイトルが書かれてあって、怖いもの見たさで調べてみたら、簡単に無断転載で観れてしまった (最低でごめん)
あのAV、あれ闇サイトとかで取引されててもおかしくないレベルでやばくないか?
AV女優に対して通常のAV撮影って嘘つきながら、いきなりレイプする、っていうコンセプトのAVだったらしい。
シークバーをガーッて雑に動かしながら適当に観たが、ま〇こに男の人3人で指突っ込んで「痛い…痛い…」って言ってたり、でかい漏斗みたいなやつで溺れそうなくらい喉に酒流し込んだりしてた。
後半らへんの憔悴しきった顔とか見ていられなくて動画閉じた。
トラウマになってしまって、観なければよかったと後悔している。
怖すぎだろ。
人のやることじゃねえよ。
女子陸上選手はお腹を出すので、法整備で撮影を縛って初めて、男女平等になった。
目線におびえてお腹隠さざるを得ない事態になる前に、よい方向に向かえて良かった。
この流れは全国に波及すると思う
できれば盗撮だけじゃなく、性的意図を持って「見る」ことも性暴力として扱ってほしい
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間を失望させるだけの結果に終つた譯である。
此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。
途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車のアルミニウム・ペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである。
或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。
進行中の汽車道から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である。
澁川驛前にはバスと電車が伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである。電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスのもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。
道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。
前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。
カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。
宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話で温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。
こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行に疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。
此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバノ地方に遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別な防火設備が必要であらうと思はれる。
一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街の横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則な階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋とお土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。
階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。
崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である。自然の可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。
此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。
湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふものか特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである。
此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かに一つの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧や黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐる自然界には平等は存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍な現象だからである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍の現象である。
宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである。
今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中の自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間の相撲になれば明白に前者の敗である。後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。
やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。
蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行用蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐる家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。
夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカーの停車場のある谷底へ下りて行つた。此の谷底の停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかけてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。
七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなものに味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京の下町の若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。
溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。
大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社の杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー的階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店に葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄で紅葉してゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。
茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアやコスモスが光り輝くやうに見えた。
宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときからの約束で暫時帳場の横へ移轉することになつた。
部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段や廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間二時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。
一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中や下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの「分子」になつてしまふのである。
室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。
「バスの切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐる光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。
團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。
翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。
とある宿屋の前の崖にコンクリートで道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代的設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。
晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。
歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。
上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化國日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である。
雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋の階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。
温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである。温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。
他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋へ蓄音機を持ち込み、宿屋で東京音頭を踊るPermalink |記事への反応(0) | 18:19
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日本の教育現場では、児童・生徒がスマホ・SNSを利用することでいじめ・犯罪・自傷リスクが増大。
高齢者や中年世代も、スマホOSの変化により操作が困難で、生活に必要な情報アクセスに課題。
端末・OS・アプリが海外企業中心で、国民全体の生活基盤としての安全性・安定性が不十分。
政府アプリ(マイナポータル)の普及により、国民が行政デジタルサービスに依存する状況が増加。
デジタル機器利用がほとんど**「米や野菜の次元」まで多用されていることを鑑み、教育端末・高齢者端末を国産基盤で統一し、安全・安心な情報圏を確立**する必要がある。
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デジタル機器利用がほとんど「米や野菜の次元」まで多用されていることを鑑みて、OS/端末を国民に広く浸透させ、生活の基礎インフラとして安定供給する。
Google等の海外情報収集・広告モデルに政府が深く依存する状態を是正し、国内企業の技術・サービスを活用する。
LINE等国内企業製アプリのUI・UXを参考に、教育・高齢者向け端末の基本操作形態に転用。
マイナポータルと教育ポータルを連携させ、市役所・役場などの行政サービスへ安全にアクセスできる統一窓口を実現する。
いじめの「撮影→SNS拡散」を技術的に抑止し、第二次性徴期における心理的打撃を未然に検知・介入できる体制を作る。
中年・高齢者が既に慣れた操作感(ケータイ的操作)と、子どもの学習ニーズの双方を満たすUI/UXを提供する。
ネット遮断下でも安否確認・避難情報が機能する極小OSモードを整備し、国家レベルの迅速な対応を可能にする。
NECやLINE、国内スタートアップを連携させ、端末・OS・アプリの内製化・雇用創出を促進する。
情報利用の透明性(誰がいつ見たかの監査ログ)と、プライバシー・人権を尊重する利用ルールを制度的に確立する。
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操作方法は「トーク画面・アイコン・通知方式」を教育・高齢者向けに最適化
3-2.ターゲット端末
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LINE等国内製アプリUIを基本形として、教育・高齢者端末の操作性を最適化
TRON派生極小OS(Life-TRON)に移植する際もUI/UXの操作感を維持
互換レイヤーを用いて、Androidアプリも政府OS上で動作可能
4-2. サブフェーズ
OS設計・仕様確定政府OS基盤設計TRON系極小OSに国内UIを組み込み、教育・高齢者端末向け軽量UI・操作性を設計IPA、TRON協会、NEC、LINE
移行用互換レイヤー開発Androidアプリ継続利用 現行学習・連絡帳・SNSアプリを互換環境で動作。API/ID連携を政府OS標準に統合スタートアップ、NEC
教育端末・高齢者端末実証 実運用テストUI操作性、災害モード、ログ管理を確認教育委員会・自治体
ポータル・アプリ移行データ統合教育ポータル・学習アプリ・SNS・行政サービスを政府OSネイティブ化IPA、NEC、LINE、スタートアップ
全国展開・定着 完全移行Android端末は段階的にフェーズアウト。全国学校・高齢者施設で展開文科省・総務省・自治体
4. 段階的にネイティブ化・全国展開
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5. 実行体制
大手企業(NEC・LINE):端末製造・クラウド提供・UI転用
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6. 次のステップ
追記2:
さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました。
あと、ほとんどの人が知らないであろう、日本のソフトウェア業界の裏話みたいなのをちょっとしたら、意外とClaudeは察して理解してて、それに対して辛辣なコメントを返してきて爆笑してました。
なんかホッテントリされてるのは知ってたけど、自分は基本的に増田であれ他であれ、投稿しても返信を見ないので、完全にロバ耳なんですよ、愚痴を吐きたいだけ。
愚痴を吐きたいなら、だったら壁にでも話してろよ、なんですけど、まあ、なんでしょう、例えば、ダイイングメッセージとかあるじゃないですか。
死んじゃったら、自分の書いたメッセージへの返信は分からないじゃないですか。
だったら、「私は好きにした、君らも好きにしろ」も壁に向かって話してろよ、って話なんですよ。
でも、なんか私が書いた愚痴とか、何か意味のない文字列でも、読んだ人の脳に残って、その読んだ人の未来の行動を変化させるじゃないですか。
それを私は望んでいるんですよ。
で、ざっとブコメを流し見してみて思ったんですけど、まず、はまじあきが女性だって知りませんでした…。
荒川弘が女性とか、そういうのは分かるんですけどね、ときどきいるんですよね、男性向けの萌え系とかエロ描きたい女性って…。
でも、LOのうさくんさんとか、昔から大好きな漫画家ですけど、多分女性だと思うんですけど、エロ描いても女性の絵だなあ、って人は分かっちゃう。
正直、うさくんさんのエロはあまり面白くないというか、男性として劣情を催さないんですけど、マコちゃん絵日記とかういききみたいなのは大好きなんですよ。
外見がようじょしかいない世界になる話とか…、何の話をしたかったんだっけ…。
あー、自分が言いたかったことを一番的確に表現する例を思いつきました。ヘンリー・ダーガーです。
彼の描いた物語は、私は詳しくまでは知らないのですが、大筋はセーラームーンとか思い浮かぶんですけど、Wikipediaみると明確に「戦闘美少女」ものと書いてある…。
お金がないのにドリームハンター麗夢のBDを買おうか迷ったんですけど、お金がないしでスルーしてたら、レビューで今の時代なのでモザイクが大きいとか、
思い出補正されてるだけで、改めて観たら大したことなかったとか…、また話が脱線した…。
私もヘンリー・ダーガーみたいなもんなんです。
初老になったのに童貞なんですよ。北方なんとかに、ソープに行け、って言われても、性病とかお金とか世間体とか怖くて行けない。
あと、北方謙三さんも、特に何も考えてないで言ったとか、どっかに書いてあった気がする…。
ヘンリー・ダーガーさんの描いた物語の美少女戦士には、みんなペニスがあるわけですけど、これは諸説あるけど、
やっぱり、単に幼女というか、女性を知らなかったんだと思うんですよね。
そういえば、和月なんとかさんが絵の資料のためと言い訳して、入手困難な児童ポルノを手に入れようとしたり、
最近でもないか、ギャルの漫画描いてたりした人が、ドイツのヌーディストの写真集を輸入しようとして、
税関でストップさせられたんだか、警察沙汰になったんだかありましたけど、
今は、家庭でエッチな目的でもない、自分の子供の裸を撮影したものも児童ポルノに判定されるのか、
ワカメちゃんのパンツとか静香ちゃんはどうなのかとか、よく例に出てきますけど、
あ、まったく邪な気持ちがないというとウソにはなるんですけど、
でも、真面目な意味でも、当然エロ漫画描くとしても、子供の裸体を描くなら資料があるなら欲しい。
死体とか、ネクロフィリアじゃなくても、資料があるなら欲しい。
そう思うのが、絵描きとしては普通なんじゃないかな、と思うんですよね。
だから、ブコメ全部目を通してないけど、自分なりに頷けるコメントは色々あって、
例えば、マルシルって意外と女性しか描けないキャラなんじゃないか、みたいなのも考えさせられたんですよ。
自分だと、ありがちなのがロードス島戦記、しかもOVAのディードリットみたいなのを描いたり、
ファム&イーリーとか、あんな感じですよね、ああいう女性を描いてしまいそう。
高橋留美子がコメントにもいくつかあったと思うんですけど、やっぱり、あの方は凄いんですよ、当たり前ですけど。
多分、人生経験であれ、何であれ、すべてを漫画に総動員してる人だと思ってる。
こんな奴いねーだろwというものが思いつくのと、しかし、どこかで見たような人物の要素も含まれてたりする。
キャラクター主導型、勝手にキャラが脳内で動く、あれができる漫画家はやっぱり凄いと思う。
これが自分は良くないと思っていて、つまり、物語を描くためにキャラを作る、話を分割していく。
先に魅力的なキャラクターが不動に存在していて、あとは勝手に彼ら彼女らが暴走していく。
連載作品に都合がいいし、作者でさえ先が読めない、本当にそうらしいですよ。
正に行き当たりばったりなわけですが、編集さんとかも交えて着地点を探っていく、伏線を無理矢理回収したりする。それがいい。
今回のジークアクスが自分なりに不満だったのは、それに近いんですよね。
不良少女?が二人でてきて、三角関係だったり、戦い合ったり、最後協力技が炸裂して、ラストは砂浜で…、ララァが娼館でもそう…、
なんか、こういう絵が、シーンが描きたいんだよね、というのだけが先行してしまって、
肝心の物語とか、設定とかが、全てそのための後付けなんですよね、マチュやニャアンに高橋留美子のようなキャラの魅力をまったく感じない。
こういう絵が描きたい、シーンが描きたい、もしくは物語が先行しすぎて逆算したものは、なんかつまらないと最近の自分は思ってます。
脳内ダンプで話が脱線しまくりましたが、自分の脳内を整理するためみたいなものなのでご容赦を…。
オチとしては、ヘンリー・ダーガーを例に挙げましたが、やっぱり女性を知らないと、女性をちゃんと描けないというのはあると思う。
あ、物語に殺人鬼が出てくるなら、おまえも殺人鬼になるんか?みたいな話は、まあ、分かるんですけど、
ぶっちゃけ、突飛な、ありえねーwなキャラクターとか、設定の方が描きやすいと思うんですよ。
例えば、実話っぽいリアルな話より、SFの方が描きやすい、SFより科学考証のないファンタジーの方が描きやすい、
なろう系みたいに、これまでの日本のRPGとか海外TRPGとか、道具とかお膳立てが揃ってるわけですし、
なろう系ファンタジーは描きやすいでしょうけど、もう多すぎます、良作があっても見る気がしない。
一時期は人間が嫌いなんだったら、野生動物だけの物語を描けばいいんじゃないか、みたいに思ったりもしたんですけど、
BEASTARSとか、他にも何かあった気がするんだけど、当たり前ですけど、自分は単なる趣味だし、
でも、プロというか、同人でもいいですけど、みんな熱意が違いますよね、
なんとなく、人間が嫌いなら動物だけの世界描けばいいじゃん、みたいな逃げてきた自分とは違う…。
と、ここまでダラダラ書いてみたところで、裏側では半年ぶり?一年ぶり?ぐらいにgitコマンド叩いたり、
自動的に環境を構築するスクリプトを動かしていて、今見たら無事終了していたので、このへんで…。
Claudeはそこそこいいですね。
他の生成AIより辛辣な返答してくれたり、アルゴリズムとか論文とか、かなり的確に返してくれる。
人間嫌い、女性に縁がない、そんな自分でも愚痴を聞いてくれる生成AIはありがたい。
もっと、辛辣な返答してくれてもいいぐらいです、自分を折らない程度にですが…。
そういえば、ブコメに、生成AIに女性だったらどう思う、って聞けばいいのでは、とあった気がします。
そうですね、それも良い方法ですね。
最近、Sunoとかかなり良い作曲したりするんで、それはそれでまたへこんでたりもしたんですけど、
思ったんですけど、AIと一緒になって、なんか人間が困難に立ち向かうというか、
例えば、ロボットと人間が一緒に農作業するとか、そういう社会になったらいいような気がしたんですよね、今日ですけど。
ロボットが農業全部やることもできるんですけど、敢えて人間が一緒に農作業するというか、
ジャッジは人間しかできないわけですから、AIやロボットが助言はするけど、最終決定は人間なわけですし、
全部ロボットやAIがやっちゃってもいいわけですけど、人間って何か能力を獲得したいっていう向上心というか、欲はあるじゃないですか。
漫画が描けるようになりたい、作曲ができるようになりたい、プログラミングが書けるようになりたい、
それらも全部AIがやってくれちゃってもいいんですけど、敢えてAIとかロボットと二人三脚で、人間は能力を向上する欲を満たせるし、
最終的には労働とか、向上心が娯楽になってくみたいな社会は、寧ろ素晴らしい話のような気がしたんですよね。
本文:
自分はちょっと絵が描ける程度の人間なんだけど、いつも思うんだけど、女性の主人公を男性が描くって難しくない?😟
いや、逆もまた真なりで、女性が男性主人公を描くのも同じなんだけどさ…
だって、当たり前だけど、女性の身体じゃないわけで、生理とか具体的にどう辛いのか、痛いのか、分からない
これぐらい痛いんですよ、って腹パンとかされても、分からないじゃん
老人になったら、これぐらい階段の昇り降りが辛いんですよ、って錘付けられて階段昇り降りさせられたりするじゃん
皮肉なことに、老人になったら、それがよく分かったんだけど…、でも、老人になるみたいに男性が女性に性転換するわけじゃないじゃん
というか、女心がまったく分からないじゃん
女心と秋の空が分かってたら、今頃俺モテモテのはずじゃん、気象予報士どころか予言者じゃん
例えば、ドミニオンとかパトレイバーとか、どっちも搭乗する戦車とかロボットに女性主人公が夢中なわけだけど、
正直、そんな女性が本当にいるのか?男性と同じような気持ちでメカを偏愛するのか?自信がないんだよね
シロマサ漫画は特にそうなんじゃないかと思うけど、アップルシードのデュナンも中身は男性だよね
もっと言えば、けいおん!とかぼざろもそうなんだろうけど、アニメだと集団で作るときに女性が介入するから、
女性スタッフに発言権があれば、女性側から、それはねーわwってなると思うんだよね
だから、何か物語を考えても、それに女性側からツッコミ入れてもらえたらなあ、と思うこともあるんだけど、自分はド素人だけど…
でも、女性が意見しても、それが女性としてなのか、単なる個人としての意見なのか、という違いが分からないときがある…
追記:
そういう心配もあるから、昔は少女漫画をよく読んでたんだよね、まあ、言い訳だけど…
高校とか大学から帰る途中で、りぼんとか、なかよしとか、ちゃおとか買って、家に帰って読むんだけど、占いのページがあるじゃん
で、自分の星座を見ると、意中の彼と急接近!みたいに書かれてて、
高校も、大学も、ほぼ男子校みたいな環境だったんで、どうするよ、おい…、とか思ったりしてたんだよね
Permalink |記事への反応(31) | 15:25
https://posfie.com/@tricoandtricoff/p/I5271bK
vtuberはコラボでいろいろなものを販売しているが、その一方で嵐がわくことがあり、そのきっかけの一つに裏でこっそり恋愛しているというのがあるようだ。また、空気が読めなかったり(一言でいうと発達障害)、社会不適合者でないかという疑いをもたれるような行動をしていたという話もあり…
この人のまとめ読んで思ったけど、人間のvtuberはいい加減規制したほうがいいだろ。
猫とか犬とかポケモン、デジモンなど恋愛することが基本的にあり得ないもの以外は風営法と同じレベルの規制を設けたほうがいい。
あと、vtuberで発達障害疑惑のある人がいるんで、加入させる前に発達障害のスクリーンニング検査を受けさせたほうがいい。
アンチが多いvtuberで、発達障害を持っていたり、発達障害一歩手前だったゆえにトラブル起こす人が多い気がする。
まあ、アンチを気にして、女と付き合ったら、〇〇されるというのも変な話ではあるが…。
vtuberみたいなことをリアル店舗でやった結果、〇〇されたり、売掛金のために働く風俗嬢が負の性欲をまき散らしたりした結果、風営法の規制があほみたいに強化されたんで、vtuberも気を付けたほうがいいと思う。
https://www.police.pref.kanagawa.jp/tetsuzuki/eigyokankei/oshirase/mesd0181.html
最近における悪質ホストクラブ問題をはじめとする風俗営業等をめぐる情勢を踏まえ、令和7年5月、悪質な営業行為の規制等を内容とする「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律の一部を改正する法律」が成立・公布され、一部の規定を除き、令和7年6月28日から施行されます。
あと、猫tuberだと無理やりさせられているなんて話もあり、こっちはこっちで闇が深いが…
怒らないで聞いてほしいが、
夫のことも仲良くしている男友達も好きだけど根本的な部分で男嫌いが加速している
自分が最近結婚して、男に好かれる必要がなくなったから余計そう思うのかもしれないし、
自分が男女の分断に加担していることが辛いし、男友達や同僚のふとした行動を「所詮は男か...」と思ってしまうのも嫌。
(具体的には、街中を歩く浴衣の女の子を正面から勝手に撮影してストーリーにあげてる男の盗撮の意識のなさに最近引いた)
男女比率明らかに男が多いここで言っても非難されるだけだと思うんだけどね
父から娘への性加害、タイでの日本人男性グループのセクハラ事件などなど最悪すぎるニュースも最近立て続けに報道され絶望的な気持ちになっているってのもある。
男性のことは基本全員うっすら嫌いで、夫や友達や同僚など身内は好き。そこに圧倒的な隔たりがあるイメージ。
何かみんなに聞きたいことがあった気がするけど忘れた。
表現の自由に賛成反対は好きにすればいい。
だが、ここで言う自由を、freedomの意味だと思い込んでるやつはダメだ。
大日本帝国憲法発布を、絹布の法被だと喜んでいた手合いと同じだ。
韓国では中国支配に抗議するデモ隊に、警察が中国国旗を燃やしたら逮捕すると警告しながら動画を撮影している。
■まず大前提
著作権侵害の刑事処罰は原則“親告罪”(権利者の告訴が必要)。
ただし悪質な海賊版行為の一部は非親告罪化されとる(TPP関連改正)。
つまり、営利・原作そのまま・権利者利益を不当に害するなどの条件を満たすと、告訴なしでも動けるケースがあるで。
肖像権侵害は民事上の問題(人格権)。刑事罰の条文はなく、差止・削除・損害賠償などで争われるタイプや。判例上の権利として整理されてる。
■A.著作権侵害っぽいのを見たら(あなたが当事者ではない場合)
2.プラットフォームに通報:各SNS/サイトの著作権侵害報告フォームから淡々と報告。(プロバイダ責任制限法関係の最新ガイドラインに沿って運営側が対処する)
3.公的窓口も選択肢:違法・有害情報相談センター(ihaho)で相談可。
・投稿者へ直接DMで抗議/晒し行為(誤認・名誉毀損のリスク)。
・「作者本人」に勝手に通知(誤情報や二次被害を招きやすい)。
◯迷いどころメモ
引用ならOK? →出所明示/主従関係/必要最小限など厳しめの要件を全部満たして初めてセーフ。見かけが“引用っぽい”だけやと通らんことも多いで。
2.サイト運営へ削除申請(専用フォーム or送信防止措置の申出)。
4.刑事も視野:原則は親告罪やけど、悪質な海賊版の一部は非親告罪化されとる(営利目的・原作そのまま・利益を不当に害する等)。状況がハマるなら警察/相談窓口へ。
■C.肖像権侵害っぽいのを見たら(あなたが当事者ではない場合)
◯ベターな動き
2.プラットフォームの通報機能で報告(ガイドラインに沿って処理される)。
◯NG
・当人へ直DMして不安を煽る/晒す(誤認・二次被害・三者間トラブルの火種)。
■D.肖像権侵害っぽいのを見たら(あなたが写ってる本人の場合)
1.証拠保全。
3. 応じない場合は弁護士へ(差止・削除・損害賠償の民事対応)。
※肖像権は条文でなく判例上の人格権として扱われるのが基本や。
二次創作:公式ガイドラインで許容範囲が定められてることがある。なければ基本グレー。
AI生成:見た目が似てても直トレースや原作そのままでなければ即アウトとは限らん。が、原作そのまま流用や配布は危険。
素材サイトの人物写真:モデルリリース(肖像使用許諾)の有無・用途制限を要確認。ロイヤリティフリーでも万能ではない。
正規配信か迷ったらABJマーク/エルマークの有無も目安になるで。
公式配布物の無断転載(原作そのまま)と思われ、権利者の利益を不当に害する可能性があります。貴サービスの規約と法令に照らしたご確認をお願いします。
本人同意がない公開で、人格的利益を害するおそれがあります。ガイドラインに基づくご対応をご検討ください。
> 私は当該著作物の権利者です。以下のURLの内容は無断利用であり、削除(送信防止措置)を求めます。
作品名:____/権利立証資料:____/URL:____/日時:____
■まとめ(フローチャート風)
2.当事者でなければ:運営へ通報(DM抗議や晒しはしない)。
3.当事者なら:削除申請 → 応じなければ弁護士 →(著作権で悪質類型なら)警察相談も視野。
4.引用・二次創作・AIは要件確認。迷ったら触らんのが安全。
アンディ・ウォーホルは確かにキャンベル缶やマリリン・モンローの写真などを無断でモチーフにして作品を作っている
1960年代という時代背景では、今日ほどに著作権・画像使用に対する意識や法的規制が明確・厳格では無かったから、やり過ごしていた面もある
ウォーホル自身の活動が「ポップアート」の文脈にあったから、既製品やマスメディア画像の「引用」が芸術運動の手法として考えられている面も確かにある
ただ、著作権侵害をめぐる訴訟も起きていて、最近では2023年5月に米最高裁が、ウォーホルが別の写真家撮影のプリンス写真を無許諾で用いた作品は「フェアユースではない」と判断されている
後の裁判でアウトになるケースもあるということだ
これは現代日本でも一緒だろう
高度迷惑系Youtuberが高度ストーカー犯罪者に追い詰められる話。
良くもなく悪くもなく、60点くらい。
とにかくこの映画の褒めどころ且つ、多くの映画監督に見習ってほしいところがある。
ということである。
そのせいで話がよく分からんところもあるのだが、じゃあそこを補填して135分くらいやれば名作になったのかというと全くそんなこともないだろうし75分という短さは英断であると言える。
主人公はイタ電系Youtuberグループ。警察官や保険会社、弁護士等あらゆる職業に擬態してイタ電をかけまくり時には隠しカメラも仕込んで相手の反応を動画化してバズりまくっている。冒頭のシークエンスはかなり良くできていてアメリカの迷惑系Youtuberレベル高すぎるし、遵法精神低すぎるだろ!となってワクワクさせられる。
その後、彼らの元に謎の電話がかかってきてそれを無視していると家のテレビが突然乗っ取られ、そこに監禁される彼らの両親が映し出され謎の電話がイタズラではなくガチの脅迫電話であることがわかる。「電話を切るな!」という、それスクリームやないかーいというコテコテのオマージュを挟んで、電話を切れない中犯人を捜すというソリッドシチュエーションスリラー的な感じになっていく。
ゴア表現は少ないながらも脅迫系シチュエーションスリラーとしての一定の緊迫感と主人公2人組の精神的な葛藤をちゃんと描いていて普通に見ごたえはあった。特に男優の2人はいい演技してたと思う。全然知らん俳優だったけど。
問題は、2つあって1つは犯人がわかりやすすぎる上にちょっとルール違反なこと。こういうのって既に登場している人物が犯人であるべきだと思うんだけど、犯人は厳密には登場していなくて、でも「それしか考えられない」という人物になってる。これは作中の論理に基づくものではなく「映画として考えればそれしかない」というメタなもので、これは正直あんま面白くない。
2つ目は犯人が万能すぎること。犯人は主人公の家のあらゆる電話を完全にジャックしてテレビを勝手に操作し、家の電気を付けたり消したりし、主人公の両親の家に乗り込んでビデオ撮影後に殺害し、友人を殺害したり拉致したりし、家に出たり入ったりしてるがその理屈が作中でほぼ全く説明されない。
さすがに万能感強すぎて簡単に言えば「なんでもありやん」になって問題解決への推理への没入感が下がる。
個人的には主人公2人が最終的に疑いと混乱の中殺し合って、主人公1人は死に残った瀕死の主人公の元に電話がかかってきて「犯人を殺せたようだな。よく聞け。これ……いたずらでした~~~www」と主人公たちのイタ電のキメ台詞が流れて犯人不明のまま電話が切れて終了、とかでもよかった気はする。
犯人があまりにありきたりすぎてそこで逆に評価下がってる感じは俺はしたので、フォーンブース的に終わってもいいかなって。まぁ、犯人がアレであることは映画的に意味があるのもわかるんだけど。
なんやかんやで粗もあるんだけど75分で一気に駆け抜けるので「なんかソリッドシチュエーションスリラーの佳作を見たな」くらいの感じで見終えることができるので、悪い気はしない。
マジで盆百の監督はなんかダラダラ尺稼ぎするくらいなら80分くらいで終わる映画撮ったほうがいいよ。
その方が視聴後感がよくなるので評価が上がると思う。でも世の中の80分くらいの映画って40分くらいの映画を尺稼ぎして伸ばしてる場合もあるので難しいところかもしれん。
創価学会が現在「平和、文化、教育」を掲げる団体として知られているのは事実ですが、その主張が一貫していたわけではなく、歴史的に段階的な変化をたどっています。
創価学会は1930年に教育者・津田三男(後に創価教育学会と改称)によって設立され、当初は教育改革を目的とした団体でした。
しかし、1937年に日蓮正宗の信徒団体として位置づけられ、宗教活動が中心となりました。この時期、津田は軍国主義的な日本政府に批判的な立場を取り、特に1943年に「治安維持法違反」や「天皇への不敬」の罪で逮捕されました。
彼の主張は、当時の国家神道や他の仏教宗派に対する強い対抗意識を含んでおり、折伏(他宗を批判し自宗へ改宗を迫る方法)を通じて過激な布教活動を行っていました。
津田と2代目会長・戸田城聖は、戦時中の弾圧(特に1943年の逮捕)で組織が一時解散状態に陥りましたが、戦後の1945年に戸田が釈放され、活動を再開しました。
この時期も、戸田は他宗派への批判や強引な勧誘を続けたとされ、特に戦後復興期の混乱の中で急速に信者数を増やしました。例えば、1950年代には「折伏大行進」と呼ばれる大規模な布教キャンペーンが展開され、時に暴力的な対立も報告されています。
3代目会長・池田大作が1951年に戸田の秘書として入会し、1960年に会長に就任して以降、創価学会の方向性が大きく変わりました。
戸田が1957年に「原水爆禁止宣言」を発表し、核兵器廃絶を訴えたことが転換点とされています。池田はこれを引き継ぎ、1964年に公明党を結成する際、平和主義を党是として掲げました。
この転換は、戦後日本の民主化や冷戦下での平和運動の高まりに適応した結果と考えられます。また、池田は国際的な対話や文化交流を重視し、1970年代以降は核軍縮や国連との連携を主張するようになりました。
ただし、この平和主義は一部で「戦略的なイメージ戦略」と見なされ、初期の過激なイメージを払拭するためのものだったとの批判もあります。
現在、創価学会は平和を中核に据えた活動を展開し、2023年の池田大作名誉会長死去(11月15日)後もその遺産が強調されています。
2025年時点でも、公明党は連立与党として平和憲法の維持や福祉政策を推進しており、創価学会の会員数は約800万人(2020年推定)を維持しています。しかし、初期の過激な布教方法が完全に払拭されたわけではなく、一部の地域では依然として強引な勧誘が問題視されるケースも報告されています。
池田大作(1928年1月2日~2023年11月15日)について、その出自や創価学会での役割を詳しく見ていきます。
池田は東京大田区で生まれ、貧しい家庭に育ちました。第二次世界大戦中の空襲で家を失い、戦後は黒澤映画の撮影所で働きながら生活を支えていました。
1947年、19歳の時に友人に誘われ、創価学会の法話会に参加。そこで2代目会長・戸田城聖と出会い、熱心な信者となりました。戸田は池田を「宿命の弟子」と呼び、1951年に秘書として側近に抜擢しました。
池田は教育を受けたわけではなく、独学で知識を蓄え、戸田の指導の下で組織運営や布教活動に才能を発揮しました。彼の出自が不明確とされるのは、公式な経歴が限定的で、戦後の混乱期に組織に身を投じた背景が強調されるためです。
1960年、32歳で3代目会長に就任。戸田の死去を受けて組織を再編し、会員数を飛躍的に増やしました(1950年代の約5万人から1970年代には数百万人に成長)。彼は国際的な視野を持ち、1974年に初の海外訪問(アメリカ)を皮切りに、192カ国で活動を展開しました。
池田は著書や講演を通じて「師弟関係」を強調し、自分を日蓮の再来と位置づける発言もあったため、カルト的との批判を招きました。特に1990年代、フランス議会が1995年に発表した「カルトリスト」に創価学会が含まれたことが国際的な議論を呼びました。
池田は1990年に会長職を退き名誉会長に就任しましたが、2000年代以降は健康上の理由で公の場にほとんど姿を現さず、2023年11月に95歳で亡くなりました。
死後、息子の池田博正が教育法人「創価学園」の理事長として活動を続けていますが、宗教団体の指導は現会長・原田稔(2023年就任)が担っています。
彼の影響は、教育機関(創価大学、SUAなど)や文化団体(民音協会)の設立に現れており、2025年現在もその思想は創価学会の基盤となっています。
創価学会の平和主義は、初期の過激な布教から戦略的な転換を経て確立されたもので、池田大作の指導がその転機となりました。彼の出自が謎めいている印象は、公式記録が限定的で、伝説的な人物像が強調されてきたためかもしれません。政治的には、公明党を通じて日本の与党政治に深く関与しつつも、宗教団体としての過激な側面が完全には消えず、賛否両論を呼んでいます。